分岐点

2012年9月4日 大学
分岐点
基礎診断学 神経
今日から怒濤の勢いで神経の基礎診が開始。今日はその初回で、昨夜にデュプラーを依頼された。4年に上がって思ったことは過去デュプロの完成度がかなり高いということで、ほとんどそのままの形で講義が進行していく。おまけに1限はあまり内容が進まないまま終わってしまったので、自分の仕事がさして見当たらないw

1学期の授業を受けてみて、循環器内科はそこそこに面白いのではないかと思ったけれども、この神経内科もそこそこに興味が持てる。それにしても、2年のときの神解を覚えていないと何も内容が頭に入ってこない。こういうの、つまり以前にやった内容というのは、どれほど理解・記憶しているべきなのかと、既習事項が登場するたびに思う。まあCBTの勉強で全部詰め直すことになるのかな。

2限、3限は昨日の宿題を完成させるのに費やす。どうやら上手くいっているサンプルは4つほどあったようだ。午後のリウマチはパスし、再び報告書の相談へ。じっくり話していると意外と時間がかかり、途中で抜けて弓道部長の先生のところへ挨拶に伺った後、相談を再開。結局夕方まで話し込んでしまったが、何とか上手くいきそうである。

懇話会
今日はスーツを着て来たが、挨拶と懇話会の日程がかぶったので効率が良かった。夜は皮膚科の教授と神楽坂へ。そんなに飲むつもりはなかったが、3合くらいはいってしまったのではないかw 色々と面白い話も聞けたし、去年はドンマイな担当で会が開催されなかっただけに、久々のこういう集まりは楽しい。

忙しい一日だった。

写真:函館本線普通列車@長万部
左は函館本線、右は室蘭本線。長万部は両線が分岐するというだけの駅で、通過する特急も多数。倶知安回りの函館本線は普通列車しか走っていません。

844文字

構内配線

2012年9月3日 大学
構内配線
基礎診断学 血管
いよいよ今日から2学期の授業開始。初っ端からパスするのはさすがに堕落しすぎかと思ったので、出席を取ると予告されていたこともあり、まずは血管の講義に出る。が、どうやら1限は休講だったらしい。そんな情報知らなかったよw 2限と3限はとくに面白くもなく、手元の過去デュプロを読んで終了。

夕方のリウマチはパスして道場で80射。仮にコンスタントに6割中ったとしても、今のひき方では13、14くらいが関の山か。そもそも日によって差がありすぎて、どういうふうに練習が活かされているのか自分でもなかなか分からない。

夜はいよいよ締切が3日後に迫った報告書の打ち合わせで一般・消化器外科へ。大部分のサンプルで出てきた例の5-phosphataseは、どうやらベクター中の似たような配列がヒットしただけだということが判明し、落胆。糠喜びだったかorz とはいえ他にもヒットした遺伝子はあったので、まだ望みは消えたわけではない。BLASTの使い方をあれこれ試行錯誤しているうちに2時間以上が経過し、ようやく解析の方法が何となく分かったところで今日は終了。残った遺伝子について挿入方向や機能などを詳しく調べ上げるという、明日までの宿題を課された形になる。ここが正念場か。

写真:長万部駅
広い構内に最小限の線路。

626文字

長万部の朝

2012年9月2日 日常
長万部の朝
いよいよ本格的に外苑前・北青山へ移行する。まずは駅前で手配しておいたレンタカーを家まで回送し、自転車やら日用品やらを満載。借りたのはスズキのエブリイという軽のバン。かなり運転しやすいが、さすがは軽とあってエンジンは貧弱。60でも苦しそうで、高速では90あたりで悲鳴w よく町中で見かける車種で、花屋とかパン屋とかクリーニング屋とか、郵便小包の配達とかで使われている。

到着して色々と準備を行っていたらもう14時。まだ部屋はだいぶ殺風景で、とくに面白いものは何もない。しかし教科書を全部運び込むのには骨が折れた。本というのは尋常じゃなく重い。酒類の運び込みを忘れてしまったのはかなり痛い。また来週来ることになるのか。

返却後は電車でふたたび都内へ移動。渋谷にて銀河の会w 今日はフルメンバーでした。いやーまさか電鈴の話で盛り上がるとは思わなかったww そもそも笑いどころが他の集団とまったく違うが、それが面白いし、何より居心地が良い。この共感を他で得ることはなかなか難しいか。

写真:函館本線普通列車@長万部
往時はかなり広大な構内だったことが窺える駅です。倶知安回りの函館本線の列車がのんびりと発車。キハ150とキハ40の混結4両編成。

556文字

2012年9月1日 弓道 コメント (4)
宴
主将交代式でした。従来は年末に行われてきた引退式、今回は名前を変えて秋シーズンの始まる前に行う。正午に集合し、ひと通りの大掃除を終え、夕方からは射会。ひと夏を過ごした道場はかなり汚れている。垂れ幕も用意したが、あとで確認したら、実は普段の引退式では幕は設置されず、射会というよりは掃除のおまけみたいなものでかなりユルい雰囲気だった。言われてみればそうだったような気もするw

メモとして射会の内容を書いておくと、現役方と引退方でひく順を決めて双方一人ずつ出していき、一手をひく。現役部員は引退部員の的中を越えなければ敗退という厳しいルール。先にメンバーを使い切った方が負け。人数が多いので大丈夫かと思いきや、いきなり半数をたった一人で掃討され、これは普通に負けるかもしれないという危機感w しかし途中で救世主が現れて辛勝。意外と面白い射会だったw

一次会は五年生にメッセージカードと花束を贈呈。本当にありがとうございました。部に対する前主将の想いをしかと引き継いでやっていく、新たな試みを取り入れて改革したい、という旨の内容を話そうと思ったら訳の分からないスピーチになってしまい萎えた。こういう場面でまともに話せるようにもっと練習しよう。二次会は春関で行ったところへ移動し、終電近くまで飲む。

写真:夕食
長万部の四国屋という温泉宿にて。このときのビールは美味かったなあw

656文字

異質感

2012年8月31日 日常
異質感
「始動する」とか言っておきながら、午前中は家でぐだぐだして、午後は信濃町、そして代々木という一日。ついに8月最後の一日も幕を閉じたか。先輩方は既に授業が始まっているようで、休暇はますます短くなっていくらしい。そう思いつつも、こういう生産性の低い生活を続けていると何となく情けない気分になる。9月の初週は怒濤の一週間になりそうな予感。外苑前への移行もいよいよ本格的な段階へ。

写真:特急カシオペア@長万部
突如現れた銀色の客車。のどかな駅の黄昏に佇む。

261文字

宵闇の長万部

2012年8月30日 日常
宵闇の長万部
まずは信濃町へ。その後は代々木。気が付いたら7時間ぶっ通しになっていて、疲れ果てた。実りある時間になったならば幸甚。8月後半はぬるま湯に浸かりすぎた気がするので、そろそろ本格的に始動していこう。自主学習の成果報告書、秋シーズンのスタートダッシュ、諸々の勉強。手近なものだけ見ても、すでにやることは山積しているではないか。そこはいかに時間をコントロールするかが鍵になってくる。

写真:長万部駅
右手に停まっているのは倶知安方面の函館本線か。左奥からはDF200率いる貨物列車が入線してきているところです。

287文字

先を急ぐ

2012年8月29日 日常
先を急ぐ
昨日、シーケンスの結果が届いていたのでBLASTにかける。未完だった報告書もようやく何となくの体裁が整ってきた。締切は6日の17時ということで、これは相当に急がねばならないのだが、まだ校閲が入らない状態。「素晴らしい発見」になると嬉しいけど、なぜキナーゼではなくホスファターゼなのか、どうもよく分からぬ。あとは考察を書くだけ、と言ってしまえばそれまでだが、結局そこが大変。

夕方は練習して帰る。

写真:特急スーパー北斗@伊達紋別
伊達紋別から長万部まで特急に乗車。周遊きっぷなので自由席乗り放題。

285文字
秩父鉄道の夏 Part 3
秩父鉄道の夏 Part 3
秩父鉄道の夏 Part 3
8/28
撮影(上長瀞~親鼻間 A地点):
7205レ[1507] ?

撮影(上長瀞~親鼻間 C地点):
1535レ[1530] 1010F(標準塗装)
1544レ[1546] 5000系
7305レ[1554] 507
1537レ[1606] 7502F
1546レ[1617] 1003F(オレンジ)

撮影(上長瀞~親鼻間 A地点):
1539レ[1630] 1001F(スカイブルー)
1548レ[1655] 1007F(リバイバル塗装)
1541レ[1658] 5000系
1008レ(急行秩父路8号)[1711] 6001F

撮影(上長瀞~親鼻間 B地点):
7405レ[1723] ?
1550レ[1728] 7502F
7306レ[1746] ?
1010レ(急行秩父路10号)[1748] 6000系
1545レ[1759] 7500系
1552レ[1804] 1001F(スカイブルー)

上長瀞1824 → 御花畑1848
秩父鉄道1547レ 7500系

荒川橋梁
最後はやはりここに来てしまう。南北に荒川を渡るこの橋は、とくに午後になると西からの光線をいっぱいに浴びて、美しい鉄道撮影の舞台へと変貌する。今回は上長瀞側からアプローチした。そういえば昔は俯瞰撮影地に登ったこともあったが、あの撮影は予想以上に骨が折れるので今回はパス。しかしそうやって次へ次へと後回しにしていく、つまり宿題を残していくと、結局永久に達成されないままになってしまうのが恐ろしいところだ。

A地点:北岸の道沿いにある墓場付近から竹藪の中を通る道、獣道とも鉄ヲタ道ともつかない道(この表現は一体何なんだw)を下っていくと、狭い川原に出る。ここから橋梁を見上げることができる。午後の遅い時間帯が順光。太陽が北寄りに沈む日の長い季節は、列車の正面にも日が当たる。

B地点:上長瀞の駅前から川へ向かって続く道を進んでいくと丁字路に突き当たるが、さらにその先の藪を下っていくとすぐに川原に出る。ここは川遊びに来る人々の出入りがかなり多いらしく、道は広くて安全。光線は終日逆光。橋脚、橋梁、列車が織りなすシルエットを狙う撮影地。空の色が刻一刻と変化する日没前後の時間帯はとりわけ美しいか。

C地点:線路の西側を走る県道を南進し、親鼻橋を渡った先の交差点脇から川原に降りる舗装道路がある。夏季はキャンプや川遊びで非常に賑わい、今回も大勢の行楽客がいた。平日でこれなのだから、週末などは相当な混雑を極めたのだろうか。荒川橋梁を一番きれいに側面から収められる場所で、午後順光。親鼻駅からアプローチする方が近い。

絵になるのは何と言っても貨物列車だが、7106レも7206レもやって来ない。石灰石を積んでいるぶん、上り列車の方が編成の輪郭にアクセントがついて好きなのだが、どういうわけか山から下りて来ない。ひょっとすると、もう今日の操業は終わったのか、それとも手元のダイヤグラムが間違っているのだろうか。その代わり、副産物というのも変な話だが、1000系のオレンジ、スカイブルー、オリジナル塗装の3本を一挙に撮影できたのは嬉しい。7306レは予想の時刻どおりに走ってきたので、B地点でシルエットを撮影。そして空は、だんだん紫とも青ともつかないような特殊な色彩を帯び始める。ところが、今まさに通過してくれたら、というタイミングでなぜか7007レがやって来ない。おそらくダイヤは合っているけれども、列車によって運転したりしなかったりするらしい。げんなりして上長瀞の駅に戻る。A→C→A→Bと急いで移動したのでくたびれた。

帰路
すっかり日は落ち、御花畑へ戻る。来たときと全く同じルートを引き返し、延々3時間の道のり。近いとはいえないが、遠いわけでもない。冬の凛とした朝にまた貨物を撮りに来ても面白いだろうか。充実した一日であった。

写真(@上長瀞~親鼻)
1枚目:オレンジバーミリオン(C地点)
2枚目:スカイブルー(A地点)
3枚目:7405レ(B地点)

1914文字
秩父鉄道の夏 Part 2
秩父鉄道の夏 Part 2
秩父鉄道の夏 Part 2
8/28
撮影(波久礼駅前):
7403レ[1048] 502
1005レ(急行秩父路5号)[1059

撮影(波久礼~樋口間 A地点):
1528レ[1120] 7504F
7204レ[1127] 107
21レ[1131] 1001F(スカイブルー)

撮影(波久礼~樋口間 C地点):
1530レ[1148] 5001F
7005レ[1153] 103(赤)

撮影(波久礼~樋口間 D地点):
23レ[1208] 5003F

撮影(波久礼~樋口間 E地点):
7304レ[1230] 503
1525レ[1236] 5002F
1534レ[1257] 1010F(標準塗装)
1527レ[1303] 7503F
7105レ[1307] 501
1529レ[1345] 7504F
1536レ[1351] 1001F(スカイブルー)

撮影(波久礼~樋口間 D地点):
上り貨物?レ[1359] ?
1531レ[1405] 5001F

撮影(波久礼~樋口間 B地点):
7205レ[1420] 506

波久礼1430 → 上長瀞1444
秩父鉄道33レ 1007F(リバイバル塗装)

複雑な線形をゆく
波久礼~樋口間には撮影地が多く点在している。とくに波久礼付近では線路が複雑にカーブしながら南北から東西へ大きく方向を変えるので、場合によっては下りも上りも良い光線状態で撮影することが可能である。今後の参考ということで撮影地のメモを付記しておく:

A地点:波久礼を出てから二つ目の第四種踏切。昼頃から上り順光。ここでの収穫は貨物とスカイブルーの1000系。ちなみに昨秋に上り貨物を撮った場所はこの近くだがもう少し樋口寄りのところで、国道の脇から築堤に向かって獣道とも鉄ヲタ道ともつかぬ道が伸びている。まあそこはA´地点とでも呼んでおこうw

B地点:ようやく歩道が登場する場所にあたり、荒川のせり出した部分を車道と一緒に橋で渡る。山肌に沿って走る列車を上下ともインカーブの構図で撮影できるが、かなりの高確率で自動車が被る。昼頃から上り順光、下り半逆光。たまたま車の流れが途絶え、帰り際に7205レを被りなしで撮れたのは奇跡だった。なお駅からここに至るまでは国道に歩道は整備されておらず、幅員も狭いため危険。とくに車線の幅一杯の大型トラックがすぐそばを猛然と通過していくときは相当に恐ろしく、足が轢かれやしないかとヒヤヒヤする。

C地点:線路が東西を向き、ストレートの始まりにあたる踏切。したがって波久礼方面にカメラを向ければアウトカーブ。昼頃から下り順光。ただ、すぐ隣を国道が並走していて横構図ではゴミゴミした景色になるから、縦で正面から切り取る。偶然、赤い103号機を撮ることができてラッキーだった。

D地点:C地点の次にある踏切。第四種。無難なストレートの構図。昼頃から下り順光。国道を挟んだ反対側には木材のチップ工場があり、風向きやタイミングによっては木くずが猛烈な砂嵐のように襲ってくる。相変わらず交通量も多く、B~D地点の撮影環境はわりと劣悪な部類に入るかもしれない。

E地点:D地点の次にある第四種踏切から犬走りに入り、さらに数十メートル樋口寄りへ移動した地点。果樹園がすぐそばにあり、国道が線路をオーバークロスする場所にも近い。ここまで駅から徒歩約20分。最もまったり安全に撮影できる場所で、構図はストレート、背景も良い。昼頃から下り順光。架線柱の処理を前もって計算していないとパンタが被ったりする。ここでは多数の列車を撮影した。先ほど乗ってきたオリジナル塗装の1000系を仕留めることも期待していたが、単に終着駅で次の反対方向に折返しをしているというわけでもないらしく、電車はなかなか運用が読めない。結局、予想していたのよりも一本後、波久礼を去るときの電車に充当されていたのだった。

いよいよ日が高く昇って暑くなってきた。用意しておいた水も飲み干してしまったが、思ったより雲が多く翳っている時間も長い。先週の羽越路よりは体力的にいくぶんか楽な気がする。4時間弱の撮影を終え、今日最後の撮影地、上長瀞~親鼻間の荒川橋梁へ向かった。

写真
1枚目:赤い103号機(@波久礼~樋口 C地点)
2枚目:山間を快走する返空列車(@波久礼~樋口 E地点)
3枚目:登場時のオリジナル塗装の1000系(@波久礼)

2040文字
秩父鉄道の夏 Part 1
秩父鉄道の夏 Part 1
秩父鉄道の夏 Part 1
8/28
御花畑821 → 影森824
秩父鉄道1507レ 7500系

撮影(三ノ輪引込線): ※[ ]内に撮影時刻を示す
7104レ[913] 506

影森930 → 親鼻849
秩父鉄道24レ 1007F(リバイバル塗装)

撮影(親鼻駅):
1515レ[955] 1010F(標準塗装)
7104レ・7303レ交換[1000] 506・?

親鼻1020 → 波久礼1038
秩父鉄道1526レ 7500系

撮影(波久礼駅):
1519レ[1038] 1003F(オレンジバーミリオン)

朝の影森
4時45分に起床、5時04分に家を出て09分の始発バスに乗り、たまプラーザを22分に出る各停渋谷行をキャッチ。武蔵溝ノ口、府中本町、新秋津と歩を進め、秋津からは西武線に乗り換え、飯能を経由して一路秩父を目指す。影森の駅に降り立ったのは8時24分。片道3時間あまりの旅である。秩父鉄道は昨年の晩秋にも訪れたが、今回は夏の風景を撮ってみたいということで、前回の行程を概ね踏襲する形で撮影を行う。貨物列車メインの撮影計画を往路の車中で練り、まずは定番、影森から伸びる三ノ輪鉱業所の引込線へと足を運んだ。

御花畑から乗ってきた三峰口行が発車すると間もなく、もともと駅構内に停車していた2編成の貨物列車のうちの1本がおもむろに後退を始め、助走距離を稼いでから一気に力行して急勾配の引込線を駆け上がってゆく。残されたもう1本の編成はまだ眠っているのか、物言わぬ漆黒の貨車を従えた107号機がじっと佇んでいる。急いで後を追うと、まだ列車は引込線の途中で停まっていた。程なくして「シュー」「プシュー」というブレーキの緩解音が至るところから合唱のように聞こえ始め、機関車を付け替えられた列車が重い足取りで所内へと入ってゆく。この工場の中で、武甲山から切り出された石灰石が貨車に満載される。秩父鉄道はセメント輸送こそ廃止されたものの、石灰石を積んだ列車がダイヤの網目をかいくぐって毎日黙々と行き交うさまは非常に撮影欲をそそる。そういう光景が都心からほど遠くない場所で今でも見られるわけだ。先ほどの列車は7104レとなり、506号機を先頭に山を下ってきた。急ぎ目に駅へ戻り、その後を追う影森始発の電車に乗車。カナリア色に褐色の帯を巻いた1000系、正面には「秩父鉄道」の表示がでかでかと入っていて、どこか垢抜けない印象。当時、国鉄から101系電車を譲り受けたわけだが、初期のオリジナル塗装はこんな感じだったということか。

交換風景
和銅黒谷で7104レを追い越し、その先の親鼻では既に停車している下り返空の7303レと、後からやって来る7104レが交換するダイヤになっている。せっかくなので、貨物同士の交換の様子を撮ってみることにした。親鼻駅は上下線のホームが互い違いに配置された駅で、構内はかなり長い。だんだんと日が高くなり気温も上がってくる時刻、ヲキの車列が無言で足を休めている。やがて三峰口方面から7104レが姿を現し、結構なスピードを出して1番線を駆け抜けて行った。通過直前にヘッドライトを点けてくれて嬉しい。文字通り、貨物が「行き交う」様子が撮れたことになる。交換の撮影は一度に二本を収める贅沢な撮り方。駅に跨線橋があったならさらに面白い構図で貨物列車の行き違いを撮影できたことだろう。

後続の電車で親鼻を後にし、次の撮影地を目指して波久礼へ。ちょうど反対側からオレンジバーミリオンの1000系が入ってきた。国鉄101系と大して変わらない出で立ちで、久々に見るこの顔は懐かしい。調べてみると、東急から入ってきた7500系の増殖が著しく、1000系は残すところ1001F、1003F、1007F、1010Fの4編成しか残っていないという。それも今年度中に置き換えられてしまうらしい。21世紀になってもなお活躍を続けていた「新性能電車」の先駆けも、いよいよその歴史に幕を下ろす時が来たようだ。

写真
1枚目:鉱山を出発した7104レ(@三ノ輪鉱業所~影森)
2枚目:貨物列車同士の交換(@親鼻)
3枚目:オレンジバーミリオンの1000系(@波久礼)

1947文字

伊達紋別停車

2012年8月27日 日常
伊達紋別停車
今日は5時に家を出て秩父鉄道を訪れる予定だったものの、目覚めたら既に6時半・・・瞼を開いた瞬間、時計を見る前に、これはやってしまったという感覚が走るが、大体その予感は正しい。分かっているなら起きろという話。秩父路への思いが絶たれてしまったので、来月からの外苑前・北青山への移行を見据えて午前中は部屋の片付けに着手し、眠っていた自転車に空気を入れて試運転を行う。

かなりのスペースを占めていた漫画と代々木のテキストは大部分を処分することに。ドラえもん計35巻と名探偵コナン計29巻を廊下に積み上げる。小学生時から蔵書が増え始めたドラえもんに関してはかなり名残惜しいが、仕方ない。今でも試験勉強に飽きたときなど適当な一冊を引っ張り出してゴロゴロ読んでいたものなので。整理しながら本を開いて読み耽っていると、一向に作業が進まないw

片付けとは思いのほか頭を使うもので、骨が折れる。要るもの、要らないものを正しく弁別し、的確な分類のもとに再編成する。知識はただ持っているだけでは仕方なくて、いつでも使える状態に整理されていないと持っている意味がない、というのと似ている。いわゆる「要領の良い」人というのは、片付けも得意なのではないかな。逆に、自分のように要るのか要らないのか判然とせずいつまでもずるずるしていると、部屋の中も頭の中もどんどん物で溢れていく。その洪水の中に何か革新的なものを見出すこともあるかもしれないが(いや、その可能性を肯定するのは長い目で見れば非常に大切なことだとは思う)、たいていの場合は混沌を極めて方向を見失うことになってしまう。

午後は信濃町へ。

写真:特急カシオペア@伊達紋別
北舟岡での撮影を終えた後、呼んだタクシーで伊達紋別へ。スーパー北斗に乗って長万部へ急ぐわけですが、先刻のカシオペアはここで道を譲る。

804文字

E26系客車

2012年8月26日 日常
E26系客車
気が付けば夏休みも残すところ1週間あまり。自主学習が思いのほか重くのしかかってきて、3年前の5泊6日の大撮影行のようなものは実現しなかったのが心残り。試験、東医体、佐渡、研究室という流れの中に、代々木、信濃町が織り交ぜられ、一時の非日常として羽越本線が唐突に現れた形になる。今日は信濃町で100射。うまく弯けるかどうかはやはり大三で決まっているのか。弓は終わりのない研究と似ている。

写真:特急カシオペア@北舟岡
独特の丸い屋根が延々と連なる様は壮観。

262文字
夕刻のカシオペア
まずは矯正歯科へ。上顎の全ての歯に装置がつけられ、ずいぶんと締め付けられる。昼は信濃町で雑務を処理し、午後は代々木へ。珍しいことに、肩透かしを食らってしまった。東大の数学を解いて時間をつぶしていたが、何とも虚しい気分になる。夕方は信濃町に戻って道場へ。駄目だ、ほとんどズシャって矢が飛ばない。そこで色々と考えてみる。ここでいくつの引出しを提示できるか、というのは結構重要な問題。

手の内か、肩か、引分けの運行か、いやあるいは勝手の収まりなのか。矢所が散るならまだしも、飛ばないということはやはり勝手ではなく押手の問題だろうということで、「高く狭い大三」を工夫してみたり、いやあるいは肩が甘いのかと無理に入れてみたりしたが、やはり変わらない。最後の最後でようやく、体幹と肩の連絡が断絶していたことに気が付いて練習は終了。どれがあてはまったかといえば、引分けの運行、という部分か。いくら肩を入れて手の内やら押し方やらを頑張ったところで、体と肩がつながっていなければ死んだ射をしているも同然なのだった。

写真:特急カシオペア
基本的に一度載せた写真は載せない方針なので、かなり引いて撮った構図を一枚。望遠レンズで圧縮しても、上から広角気味に見下ろしてみても、DD51の重連は壮観です。

576文字

夕日色

2012年8月24日 日常
夕日色
今日も研究室へ。こんな頻度で通い詰めることになるとは想像だにしなかったが、これで何とか目途がつきそうである。今日は昨日選んだサンプルのシーケンス。PCRにまつわる作業にもかなり慣れてきた。細胞からゲノムを抽出し、ようやくここに至る。実験、実験とは簡単に言うけれども、まともな結果を出すためには並大抵の労力では不十分だということを身をもって思い知る。まあ実験に限らず何事もそうか。

産物は専門の部署に回し、配列を読んでもらうらしい。結果が出たらBLASTにかけ、遺伝子のリストアップをしたらとりあえず報告書は報告書っぽい形で提出できるはず。そういえば他のコロニーも増えてきているが、さて秋以降はどうしよう。

夕方は道場へ。夜は後輩と飲んで帰る。

写真:室蘭本線普通列車@北舟岡
いい加減同じような構図の連載にも飽きてきたし、タイトルも尽きてきたw

410文字

斜光線の世界へ

2012年8月23日 日常
斜光線の世界へ
早朝に目が覚めたので、朝の時間帯を有効に活用する試みとして道場へ。すがすがしい気分で60射。昼前に研究室に行き、今日もPCRと電気泳動三昧。まずは昨日の産物を泳動し、断片の存在を確認。今度は別のプライマーを使ってより特異性の高い確認を行うべく再度PCRにかけ、また泳動。バンドが出てくれたので良かった。2回の結果を見比べ、シーケンスにかけるサンプルを選定したところで今日の作業は終了。

夕方は代々木をこなす。帰ったら23時過ぎ。くたびれた。

写真:室蘭本線貨物列車@北舟岡
そろそろ良い感じの光線になってきました。

294文字

重量感

2012年8月22日 日常
重量感
怒濤の撮影行から一夜明け、淡々と起床。昼前に研究室へ足を運ぶ。液体培地で増やしておいた大腸菌からプラスミドを精製し、まともにクローニングが行われたかどうかを確かめるためのPCRをセット。合間の時間にはアガロースゲルを作る。エチジウムブロマイド・・・懐かしい、高2のときのショウジョウバエの卒業研究を思い出した。あの当時は授業時間の枠を超えて生物実験室に通い詰めたものだった。

プロトコルだけを眺めれば何ということはない単純作業だが、実際にやってみると思いのほか大変で、単純作業といえども侮ってはいけない。午後は道場で練習する予定だったが時間がなくなってしまったので、今日はPCRが終わったらそのまま直帰した。

写真:室蘭本線貨物列車@北舟岡
JR貨物の機関車はなかなか味がある。

376文字
羽越本線の夏 Part 3
羽越本線の夏 Part 3
8/21
吹浦1337 → 南鳥海1346
羽越本線542M クモハ701-19

撮影(興休踏切):
2010M(特急いなほ10号)[1423
243M[1431
2005M(特急いなほ5号)[1451
4094レ[1504] EF510-1
8097レ[1509] EF510

撮影(日向川南側):
242M[1519
551M[1544
4096レ[1610] EF510-11

本楯1656 → 酒田1702
羽越本線546M クモハ701-18

酒田1722 → 新発田2017
羽越本線832D キハ110-223

新発田2027 → 新潟2103
白新線678M クハ115-1035

新潟2132 → 東京2340
上越新幹線352C Maxとき352号 E455-119

本楯~南鳥海にて
吹浦の2つ隣の南鳥海で下車。時刻は14時近く、理論的には気温が最高になる頃である。本楯とのほぼ中間地点にある撮影地、興休(おこやすみ)第一踏切は蒸機時代から撮影されていた有名な場所だそうで、雄大な鳥海山の姿を背景にインカーブを駆ける列車を撮影できる。長編成向きの場所なので普通列車を撮っても今一つかもしれないが、ここで狙うのは1時間の間隔を空けて上ってくる2本の貨物列車、4094レと4096レ。つい最近まではEF81が牽引の任に当たっていたようだが、ダイヤ改正を経てEF510に置き換えられてしまったらしい。新型の大増殖により年々活躍の場が狭められているEF81の姿もしっかり記録しておきたいところだが、一方のEF510もなかなか精悍な顔立ちでそんなに嫌いではない。貨物機としての重厚な貫禄満点で、実は結構絵になると思う。

日射しを遮るものが何もない田園風景の中、20分ほど線路沿いを歩いて行くと興休の集落にたどり着く。ここは平野部を横断する日向川の北岸にあたる場所で、背後には鳥海山が聳える。日本海から湿った風が絶えず昇ってくるためか、頂上付近は常に雲に隠されている。何とか晴れてくれると嬉しいところだったが、そうも全てが上手くいくわけではない。この撮影地は田植えの時期、残雪の山肌とのコラボレーションが最も美しいかもしれない。本命の4094レはEF510のトップナンバーであった。1号機はプロトタイプ的な存在で「RED THUNDER」のロゴマークがなく、JRFマークは他機よりやや大きく、また車体裾の白帯は太くなっているらしい。そういう細かいディテールにこだわるのを楽しめるほどたくさん撮っているわけではないが、一回一回のシャッターはどれも一期一会だと肝に銘じて、地道に記録していきたいところである。

たまたまご一緒した方のお言葉に甘え車に乗せて頂いたので、川を渡った本楯寄りの撮影地にすぐに移動することができた。鉄道撮影にレンタカーを活用したことはまだないが、圧倒的に撮影地の幅が広がり、撮影行程の自由度も格段に上がるし、何よりいちいち駅で降りて炎天下を20分も30分もてくてく歩く必要がない上、長い待ち時間は冷房の効いた車内でのんびりしていれば良いわけだから、体力の消耗具合は徒歩での鉄道撮影とは比較にならないだろう。次からは選択肢の一つとして前向きに検討するとしよう。さて、この場所では田んぼの畦道から見上げる形で、緩いアウトカーブの築堤をゆく列車を撮ることができる。背景には鳥海山の稜線、手前には青々と実った稲穂の海を配する。普通列車で練習をした後、本日最後となる本命の4096レを撮影。EF510が黙々と長大編成を牽いてゆく。日本海縦貫線の一翼を担う羽越本線が貨物輸送の大動脈であることを実感する一日となった。

あとどうでもいいけど、秋田運輸区の車掌は美人が多いと思ったw

帰路
わざわざ特急に乗るのももったいないので、帰りは新潟まで延々と普通列車を乗り継ぐ。酒田からの気動車はキハ47を期待していたものの、キハ110とキハE120の混結という気持ち悪い編成でがっかり。車内は意外と混んでいて終始ロングシートに座り、寝たり起きたりを繰り返す。さすがに疲れた。日焼け止めを塗りたくってサングラスをかけていたとはいえ、露出していた部分は結構日に焼けた。車窓は日本海とトンネルの連続で、あつみ温泉を過ぎた辺りでちょうど日没を迎えた。落日を遮るものはほぼ何もなく、じりじりと大海原に身を沈めてゆく赤い太陽をしかと目に焼き付ける。まるで今日のこの一日が報われるような、素晴らしい日没であった。夕闇に浮かぶ粟島と漁火がホームから見える越後寒川の駅で後続の特急に道を譲り、その後も延々と列車は南下。新発田に到着したのは酒田を出てからおよそ3時間後。もうすっかり夜である。終着の新津まで行って長岡から新幹線に乗ろうとすると東京行の最終に間に合わないので、白新線経由で新潟まで出る。「やなぎ庵」というそこそこ有名らしい万代口改札外の立ち食いそば屋で鶏カツそばを食し、最終の新幹線で東京へ戻った。

写真
1枚目:4094レ
2枚目:4096レ

2406文字
羽越本線の夏 Part 2
羽越本線の夏 Part 2
8/21
小砂川1112 → 吹浦1120
羽越本線536M クモハ701-19

撮影(吹浦駅):
4093レ[1130] EF510-13

撮影(吹浦~女鹿間):
3098レ[1223] EF81
543M[1302

吹浦~女鹿にて
撮影地を移動する。既に日はかなり高く昇っていて、猛然と通過していった下り貨物を見送り、誰一人居ない吹浦駅から一歩外へ踏み出せば、うだるような暑さが待っていた。吹浦~女鹿間は女鹿寄りにあるS字カーブの撮影地、鳥崎踏切があまりにも有名だが、今回はその一帯を国道7号線の高台からサイド俯瞰することに決めていた。駅を出て北へ向かって歩いていくと、鳥海山大物忌神社に突き当たる。本来はここで左側にそれて回り道をしながら県道210号線、またの名を鳥海山ブルーラインに入り高台の国道7号線まで登ろうと考えていたものの、さっき駅前で見た案内板によればどうやらこの神社の境内から直接国道へと抜ける山道があるらしい。鳥居をくぐると下拝殿があり、すぐに猛烈な高さの石段が待ち受ける。ようやく登り詰めた先には本殿がひっそりと佇み、そのさらに奥には一風変わった別の建築もある。噴火を繰り返す鳥海山を祀ったというこの神社の歴史はなかなかに古く、山頂の本社ならびに山麓の吹浦と蕨岡の宮を合わせて鳥海山大物忌神社というようだ。本殿の右奥には山へ入る舗装道があり、ここからさらに階段を登っていく。思いのほか長い道程である上に途中から舗装もなくなってしまったので、万一道を間違っていたらどうしようかと途中で不安になったが、しばらくすると国道を疾走する車の音と、この神社のもう一つの入口に構える鳥居が見えてきたので胸をなで下ろした。鳥居の近くは駐車帯になっていて、国道からこの神社にアプローチすることもできるようだ。したがって、今まで歩いてきた山道は参道ということになる。

国道は切り開かれた山中を走り、一見高速道路かと思わせるような高規格の道路がどこまでも続いている。道行く車はかなりのスピードを出していて、大型のトラックも多い。国道7号線は羽越本線と奥羽本線に並行する一桁国道で、日本海沿岸の都市を結ぶ物流の幹線である。幸い、脇には広い歩道が併設されていたのでここを歩いていくことにする。じりじりと照りつける灼熱の太陽の下、延々と北を目指す。調べたところによると「鳥海山ブルーラインのオーバークロスを潜った先の駐車帯」が目的の撮影地だったのだが、ブルーラインとの立体交差を過ぎてもまだまだ先は長い。ようやく駐車帯の案内表示が見えてきたが、あと300mもあるらしい。よくよく考えてみれば、4年前の冬に海沿いを歩いて鳥崎踏切まで行ったときも駅からかなり遠かったから、そこを俯瞰する今回の撮影地も同じくらいの距離はあって然るべきなのだ。

やっと到着した撮影地は広い駐車帯の一角にあり、手前の丘、水田、そして羽越本線の線路を挟んで真っ青な日本海を遠くまで見渡せる風光明媚なところであった。正午を過ぎたトップライトの光線が容赦なく空から降り注ぎ、辺り一面は高彩度の夏色に染められている。やがてEF81率いる3098レが姿を現した。海をバックにコンテナ車の長大編成が黙々と駆けてゆくさまは壮観である。次の下り普通列車も同じようにして撮ろうかと思っていたら、国道を挟んだ反対側の崖から降りてくる撮影者の姿が目に入った。よく見てみると、コンクリートで固められた法面を頂上まで登ってゆく急な階段が、崖下の国道から伸びていることに気が付く。あそこから俯瞰したらどんなにか綺麗だろうと思い、次の列車はここを登り詰めたところから撮ってみることにする。汗だくになって着いた先は案の定の絶景で、ちょうど山形と秋田の県境にあたる複雑な海岸線が一望のもとである。午前中はあの半島を越えた先にいたわけだ。俯瞰写真を撮るのは久しぶりで、何とも気分爽快。青春18きっぷのポスター写真の撮影地になってもおかしくないような場所だが、いやもしかすると、既にここで撮られたことがあるかもしれない。壮大な景観を欲張って取り入れたため、トコトコとやってきた2両編成の701系は本当にちっぽけに画面に映る。

天候は快晴だが猛烈に暑い。暑い暑いと呟きながら25分ほどかけて来た道を戻る。医学生が熱中症で行き倒れになるというのもアホな話だと思い、水分は欠かさず補給する。日射と猛暑にやられてぼーっとしていると、間もなく酒田行の普通列車が到着。ここは気合いを入れ直して次の撮影地へ移動するとしよう。

写真
1枚目:3098レ
2枚目:543M

2015文字
羽越本線の夏 Part 1
羽越本線の夏 Part 1
8/20 → 8/21
上野2115 → 遊佐513
東北本線、高崎線、上越線、信越本線、羽越本線2021レ
特急あけぼの オハネフ24 10

撮影: ※[ ]内に通過時刻を示す
2091レ[523] EF510
3099レ[531] EF81 406

8/21
遊佐551 → 小砂川605
羽越本線525M クモハ701-9

撮影:
4060レ[645] EF81
524M[703
531M[707
9003レ(特急日本海)[803] EF81 106
530M[811
535M[826
2093レ[912] EF510-19
539M[1007
2008M(特急いなほ8号)[1015
4061レ[1044] EF81 503

鳥海山麓を目指す
旅行なり撮影行の行程というのは、綿密な下準備のもとに然るべくして完成することもあれば、日頃から何となく渦巻いていた混合気体が一瞬のうちに昇華して出来上がることもある。今回は紛れもなく後者で、とくに特急日本海への執着が発火点となった。この寝台特急は臨時列車に格下げされる前からかなり積極的に撮ってきてはいたが、実は海をバックに撮ったのはたったの一回、高2の2月だっただろうか、土日きっぷを駆使して583系わくわくドリーム号と一緒に吹浦~女鹿の有名撮影地で撮ったときの一回だけである。その時はかなりの厳冬で、荒れた海に銀世界という心躍る光景だったが、唯一の心残りは牽引機がトワイライト色のEF81、通称トワ釜だったことである。いかにも夏らしい晴れた海と共に、ローズピンクのEF81とブライトブルーの24系客車が織りなす編成美をカメラに収めること、それは永らくの願望でもあり、いわばやり残した「宿題」ともいうべきテーマであった。今は見る影もないが当時の日本海は2往復運転されていて、遅い方の下り3号は山形と秋田の沿岸部で撮影するには絶好のダイヤであった。ところが、その3号のスジが廃止となり1往復体制になって以降、「日本海沿いを走る日本海を撮る」というこのテーマは事実上の幻となってしまったのだ。

しかし、わずかな期間ではあるが臨時列車となった日本海が3号のスジで復活する。先のゴールデンウィークには運転実績があり、年末にもおそらく走るのかもしれないが、この夏の運転は20日に大阪を発つ下り列車をもって終了となる。せっかくの機会をみすみす逃すわけにはいかないと思い立ち、急遽撮影計画を組んであけぼのに乗りこんだ次第である。撮影地は2月に訪れた小砂川~上浜の海岸をメインに、吹浦~女鹿、本楯~南鳥海にも足を運んで、特急日本海のみならず日本海縦貫線を黙々と走る貨物列車にも焦点を絞る。貨物ダイヤはググった産物をiPadに入れて適宜参照し、計画自体は20日の飲み会前後に通過時刻をメモしただけの代物。これであけぼののゴロンとシートが取れたら言うことはなかったが、さすがに当日の照会では満席。仕方ないので、開放B寝台に乗車する。ゴロンとの設備に寝具とスリッパがつくだけで6000円近くも高くなるのはどう考えてもおかしいが、こういう割に合わない時代錯誤の寝台設備を敢えて楽しむとしよう。布団をかぶって周囲のカーテンを閉めれば、カプセルのような密閉空間が出来上がって意外とわくわくする。規則正しく刻む轍の音、ドップラー効果で後方へとけし飛んでゆく踏切の警報音、時折かすかに響く機関車の汽笛、そういう色々な音がこの薄闇の中に錯綜し、夜行列車独特の風情を醸し出す。そして窓外を見上げれば満天の星。いつの間にか眠りに落ちてしまった。

遊佐、小砂川~上浜にて
酒田到着前に目が覚め、まもなく昇ってくる朝日に徐々に染まりゆく鳥海山を眺めつつ、遊佐で下車。酒田で降りても良かったのだが、あけぼのを追いかける形で2本の貨物列車が立て続けにやって来るので、それをこの駅で撮ろうと考えたわけである。1本目の2091レは露光ミスで完全に失敗。鉄道写真でTvを使うのはもうやめようorz 2本目の3099レは上手くいって何より。もともと大した写真を撮っているわけではないが、しばらく撮影から離れると腕が鈍ってしまう。

後続の下り普通列車で小砂川へ向かい、2月に訪れたのと同じ撮影地へ歩く。駅から徒歩25分ほど。既に先客が20名弱はいただろうか、大混雑の様相を呈している。これだけ人が多いとトラブルも起こりそうなものだが、旅先で朝からややこしい言い合いをするのはさすがに嫌だったので、ここはおとなしく振舞っておいた。これだから、やたら人が多い撮影地はどうも不快なのだ。本命の日本海が通過した後は一気に人波が引いてゆき、残ったのは自分を含めて5人ほど。長い待ち時間には昨夏のTHE CASE-BOOK OF SHERLOCK HOLMESを漫然と読み、時おりコバルトブルーの海に目を向け、穏やかな潮騒に耳を傾ける。この場所は本当に美しい。また背後には高いブロック塀があるので、日差しが遮られてそこそこに冷涼。これこそ至高の時間。日本海のピントはやや甘くなってしまったが、ようやく望みの絵が撮れて心から満足である。

写真
1枚目:特急日本海
2枚目:4061レ

2393文字

波打際

2012年8月20日 日常
波打際
午前中は道場へ。後輩を指導すると自分の欠点も浮き彫りになる。午後は研究室へ。大腸菌のコロニーをピックアップし、液体培地にて培養。大量のサンプルに対して同様の操作を繰り返すという単純作業が連続。実験は辛抱強く地道に行わなければいけないが、本当に上手くいっているのかな。夕方は半時間ほどメディアで明日の行程を詰めた後、渋谷で会談。何とか、上手くやっていけそうな気がする。

酔いが回ったその足で「東京都区内→小砂川」の乗車券に入鋏。山手線外回りに乗り、突発的な撮影行は今宵の上野駅13番線から始まる。再び、束の間の非日常に急速潜航である。

写真:内浦湾
海がすぐそこまで来ています。海芝浦駅ほどではありませんがw

340文字

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