スペイン旅行 7日目
2015年2月19日 鉄道と旅行
帰還。
・さらばスペイン
実に楽しい野郎7人旅行であった。まさに男子校的な楽しさとでも言うのか、華を欠くからこその充実、というのもある。空港までは軽い通勤ラッシュに揉まれながらも、節約して地下鉄で。往路と同じくアムステルダム経由で帰国となった。座席は相変わらずの狭さである。
写真:KLMオランダ航空
見返してみたら最終日の写真が一枚もなかったので、往路のアムステルダムで搭乗前のタラップから撮ったものをここに。
668文字
2/19
Príncipe Pío → Nuevos Ministerios
地下鉄10号線
Nuevos Ministerios → Aeropuerto T1-T2-T3
地下鉄8号線
Madrid-Barajas(MAD)1015 → Amsterdam schiphol(AMS)1250
KLMオランダ航空1700便(KL 1700)
2/19 → 2/20
Amsterdam schiphol(AMS)1425(GMT+1)→ 東京・成田(NRT)925(GMT+9)
KLMオランダ航空861便(KL 861)
・さらばスペイン
実に楽しい野郎7人旅行であった。まさに男子校的な楽しさとでも言うのか、華を欠くからこその充実、というのもある。空港までは軽い通勤ラッシュに揉まれながらも、節約して地下鉄で。往路と同じくアムステルダム経由で帰国となった。座席は相変わらずの狭さである。
写真:KLMオランダ航空
見返してみたら最終日の写真が一枚もなかったので、往路のアムステルダムで搭乗前のタラップから撮ったものをここに。
668文字
スペイン旅行 6日目
2015年2月18日 鉄道と旅行
マドリードを歩く。
・曇天の朝
今から思えば、最初の都市バルセロナはなかなか急ぎ足の観光であった。グラナダとマドリードは昼頃に市内へ入れたから午後の半日と翌日まる一日を充てられている。本来なら各都市にもう少し時間をかけても良いのかもしれないが、そうは言ってもこの旅行はかなり効率的に回れているだろう。観光最終日は陰鬱な曇天の下、まず王宮へ。しかし中へ入るわけではなく、外観を見るに留めておく。宮殿には幾多もの部屋があるようで、全部回っていては日が暮れてしまう。
・ニワカ
そもそもスポーツ観戦というものをしないので、こういうときにレアル・マドリード本拠地のスタジアムツアーに参加するのはいかにもニワカであるw まあ、そんなことを言ってしまったら、普段から大した芸術鑑賞をするわけでもないのに海外で美術館に入り浸るのも似たようなものかもしれない。むしろ、こうして旅先で触れた経験をきっかけに多少なりとも見聞を広めることに重きをおくべきと考える。さて、スタジアムツアーは観客席の最上部からピッチを俯瞰するところから始まり、レアルの栄光の軌跡をこれでもかというくらい見せつけてくる博物館のような部屋、各選手のプロフィールやらユニフォームやら何やらが飾ってある部屋などを経て、最後はピッチを目の前にしたテクニカルエリアに立つことができる。建造物だけでも十分面白く満足なのだが、どうしても「へーすごいな」というだけの感想に留まらざるを得ず、どういう選手が何をやっているだとか、どんな実績があるだとか、このスポーツに関する知識があれば数倍、数十倍もツアーを楽しめたであろうことは間違いない。
・ニワカ、再び
午後は美術館へ足を運ぶ。さっきの理屈では、これも一種のニワカと呼ぶべきかw 地下鉄を乗り継いでアトーチャまで向かい、駅近くの手軽な店で昼食。スペインに来てからというもの、いつも昼からビールを飲んでいるように思う。その後、有名なプラドへ。残念ながら館内で写真は撮れなかったが、大したコレクションの数々である。本気で見ようと思ったらとても一日で回れる場所ではない。ガイドブックと案内図に載っている教科書的なポイントだけを拾っていく。
そういえば度々思うことではあるが、絵画の随所に散りばめられたキリスト教を我々日本人が本質的に理解することは難しい。少なくとも、自分はそう思う。むろん、座学で色々と勉強をして、これはこういう意味で、あれはああいう背景がある、といった知識を蓄えることはできるのかもしれないが、絵を描いた者が一つの芸術を通して人の心に訴えかけようとした感覚を、全く変質させることなく我々が受容できているかと問われれば、それは違うだろう。我々と彼らとでは精神的基盤の質が異なりすぎている。たとえば十字架ひとつを取ってみても、言葉ではとても形容できないが、我々が決して理解することのできない何か根源的な感情が、十字架を目にした彼らの心に湧き上がって来ているに違いない。健康を定義したWHO憲章のspiritualという語がどうしても訳せないのも、おそらく同じ理由である。我々の、少なくとも自分の宗教的なバックグラウンドはそれほどに希薄であって、どれほど勉強したところで外側からの分析的な視点を獲得するのみで、本当の意味で内側から理解したことにはならないだろう。
むろん、背景がどうだとか、文化がこうだとか、最初からそういうことを考えてしまうと途端に全てが難解でつまらないものになりかねない。思考がそこから始まると芸術の本質から外れる。まずは、結果として生み出された一芸術に対して直感的な「いい」「わるい」の評価を下せば、それで十分な気もする。まあ何より、今の自分にはその程度しか鑑賞する能力が備わっていないのだが。おそらく酒にしても同じことで、まずは直感的な「うまい」「まずい」から入って、その後で精米がどうだとか、酒米がどうだとか、どういう風土で醸されているのだとか、色々な方面へ向けて知識が深まり有機的に結合していくから面白い。では、芸術に対してどこまでストイックに知識を深めていくか。これはなかなか難しい問題である。知らないことはまさに無限で、どれほど大きな領域を相手に関心の及ぶ範囲を広げていこうとしているのか、見当もつかない。
・ニワカ、再三
マドリードに来て『ゲルニカ』を観ないのはないだろうという話になり、入館が無料になる19時まで黄昏のレティーロ公園をぶらついて時間をつぶした後、日が暮れてからソフィア王妃芸術センターへ向かった。バルセロナのピカソ美術館では目にすることのできなかったクライマックスが、ようやく補完された形である。
最後の晩餐は色々案が出たものの、プリンシペ・ピオ駅の2階にある中華料理の食べ放題に落ち着いた。最後の最後で中華w
写真
1枚目:曇天の王宮
2枚目:レアル・マドリード本拠地
3枚目:マドリードの夕暮れ、旅の終わり
2665文字
2/18
徒歩による移動
王宮
Plaza de España → Santiago Bernabéu
地下鉄10号線
サンティアゴ・ベルナベウ(Santiago Bernabéu)スタジアム
Santiago Bernabéu → Tribunal
地下鉄10号線
Tribunal → Atocha
地下鉄1号線
プラド(Prado)美術館、レティーロ(Retiro)公園
ソフィア(Sofia)王妃芸術センター
Atocha → Tribunal
地下鉄1号線
Tribunal → Príncipe Pío
地下鉄10号線
マドリード(Madrid)泊
Florida Norte
・曇天の朝
今から思えば、最初の都市バルセロナはなかなか急ぎ足の観光であった。グラナダとマドリードは昼頃に市内へ入れたから午後の半日と翌日まる一日を充てられている。本来なら各都市にもう少し時間をかけても良いのかもしれないが、そうは言ってもこの旅行はかなり効率的に回れているだろう。観光最終日は陰鬱な曇天の下、まず王宮へ。しかし中へ入るわけではなく、外観を見るに留めておく。宮殿には幾多もの部屋があるようで、全部回っていては日が暮れてしまう。
・ニワカ
そもそもスポーツ観戦というものをしないので、こういうときにレアル・マドリード本拠地のスタジアムツアーに参加するのはいかにもニワカであるw まあ、そんなことを言ってしまったら、普段から大した芸術鑑賞をするわけでもないのに海外で美術館に入り浸るのも似たようなものかもしれない。むしろ、こうして旅先で触れた経験をきっかけに多少なりとも見聞を広めることに重きをおくべきと考える。さて、スタジアムツアーは観客席の最上部からピッチを俯瞰するところから始まり、レアルの栄光の軌跡をこれでもかというくらい見せつけてくる博物館のような部屋、各選手のプロフィールやらユニフォームやら何やらが飾ってある部屋などを経て、最後はピッチを目の前にしたテクニカルエリアに立つことができる。建造物だけでも十分面白く満足なのだが、どうしても「へーすごいな」というだけの感想に留まらざるを得ず、どういう選手が何をやっているだとか、どんな実績があるだとか、このスポーツに関する知識があれば数倍、数十倍もツアーを楽しめたであろうことは間違いない。
・ニワカ、再び
午後は美術館へ足を運ぶ。さっきの理屈では、これも一種のニワカと呼ぶべきかw 地下鉄を乗り継いでアトーチャまで向かい、駅近くの手軽な店で昼食。スペインに来てからというもの、いつも昼からビールを飲んでいるように思う。その後、有名なプラドへ。残念ながら館内で写真は撮れなかったが、大したコレクションの数々である。本気で見ようと思ったらとても一日で回れる場所ではない。ガイドブックと案内図に載っている教科書的なポイントだけを拾っていく。
そういえば度々思うことではあるが、絵画の随所に散りばめられたキリスト教を我々日本人が本質的に理解することは難しい。少なくとも、自分はそう思う。むろん、座学で色々と勉強をして、これはこういう意味で、あれはああいう背景がある、といった知識を蓄えることはできるのかもしれないが、絵を描いた者が一つの芸術を通して人の心に訴えかけようとした感覚を、全く変質させることなく我々が受容できているかと問われれば、それは違うだろう。我々と彼らとでは精神的基盤の質が異なりすぎている。たとえば十字架ひとつを取ってみても、言葉ではとても形容できないが、我々が決して理解することのできない何か根源的な感情が、十字架を目にした彼らの心に湧き上がって来ているに違いない。健康を定義したWHO憲章のspiritualという語がどうしても訳せないのも、おそらく同じ理由である。我々の、少なくとも自分の宗教的なバックグラウンドはそれほどに希薄であって、どれほど勉強したところで外側からの分析的な視点を獲得するのみで、本当の意味で内側から理解したことにはならないだろう。
むろん、背景がどうだとか、文化がこうだとか、最初からそういうことを考えてしまうと途端に全てが難解でつまらないものになりかねない。思考がそこから始まると芸術の本質から外れる。まずは、結果として生み出された一芸術に対して直感的な「いい」「わるい」の評価を下せば、それで十分な気もする。まあ何より、今の自分にはその程度しか鑑賞する能力が備わっていないのだが。おそらく酒にしても同じことで、まずは直感的な「うまい」「まずい」から入って、その後で精米がどうだとか、酒米がどうだとか、どういう風土で醸されているのだとか、色々な方面へ向けて知識が深まり有機的に結合していくから面白い。では、芸術に対してどこまでストイックに知識を深めていくか。これはなかなか難しい問題である。知らないことはまさに無限で、どれほど大きな領域を相手に関心の及ぶ範囲を広げていこうとしているのか、見当もつかない。
・ニワカ、再三
マドリードに来て『ゲルニカ』を観ないのはないだろうという話になり、入館が無料になる19時まで黄昏のレティーロ公園をぶらついて時間をつぶした後、日が暮れてからソフィア王妃芸術センターへ向かった。バルセロナのピカソ美術館では目にすることのできなかったクライマックスが、ようやく補完された形である。
最後の晩餐は色々案が出たものの、プリンシペ・ピオ駅の2階にある中華料理の食べ放題に落ち着いた。最後の最後で中華w
写真
1枚目:曇天の王宮
2枚目:レアル・マドリード本拠地
3枚目:マドリードの夕暮れ、旅の終わり
2665文字
スペイン旅行 5日目
2015年2月17日 鉄道と旅行
最終目的地、マドリードへ。
・鉄道移動
朝の冷雨に濡れるグラナダの町を窓外に眺め、宮殿と丘を歩いた昨日の記憶に浸っている間に、タクシーはもう駅に着いてしまった。スペイン国鉄(RENFE)のグラナダ駅は驚くほど小さな駅で、ホームこそ2本あるものの地方の盲腸線の終端といった風情である。ヨーロッパの終端駅といえば壮大なターミナルの印象がつきまとうのだが、よくよく考えてみるとグラナダくらいの田舎町であればこの程度だろう。1番線に停まっているのはマドリードへ直通する特急列車。先頭に立つのはごついディーゼル機関車で、その後ろに車長の短い客車が連接台車でつながっている光景が目新しい。乗客がぞろぞろと乗り込んでいく。マドリードまでの所要は約4時間半の道のりである。
グラナダを発車してからしばらくは、在来線の広軌(1668mm)の線路を走る。列車は大した速度も出さず、非電化の単線を進みながら町ごとにこまめに停車していく。完全にローカル特急といった雰囲気で、JRなら山形新幹線の末端区間に近いのかもしれない。しかし車窓は全く異なり、何もない荒野を駆けていると思ったらトンネルが連続する山岳区間に入ったり、また時おり列車交換があったりなど、景色が変化に富んでいて結構面白い。やがて、アンテケラ・サンタ・アナ(Antequera-Santa Ana)に差しかかった。ここは東西のセビーリャ(Sevilla)~グラナダ線と南北のコルドバ(Córdoba)~マラガ(Málaga)線が十字路のごとく交差する地点で、列車は検修庫のような建屋の中で軌間変換装置を通過し、高速専用線の標準軌(1435mm)に乗り移ってからコルドバ方面へと針路を変える。走りながら軌間が変わるこの装置の構造に興味が湧くところではあったが、あっという間に過ぎ去ってしまい車内からはとても窺い知る余地はなかった。操車場のようなスペースで一旦停車した際に機関車も交換したと見られ、専用線に入った列車はとたんに毎時200kmオーバーの高速走行を見せつけてきた。今までのトロい走りが嘘のようだ。
コルドバに近付く頃から急に天気も良くなってきて、車窓にはイベリアの大地と青空が大きく映り込む。果てしなく広がる地平線、まばらな植生、赤い土。山の上のちっぽけな古城と、それが見下ろす白い町。一瞬のうちに目の前を通り過ぎる、ひなびた地方都市。そうしてずっと平地を走るのかと思えば、丘陵を跨ぎ、山間を縫い、そして残雪の山脈をトンネルでぶち抜いて、列車は新たな平地へと飛び込んでゆく。景色はやはり異国情緒。ここに鉄道移動の面白さがある。マドリードの一大ターミナル駅、アトーチャ(Atocha)に着いたのは13時半を回った頃。スペインの鉄道は遅れるのかと思いきや、意外にも定刻で走ってくれた。
・市内を歩く
宿は西側のプリンシペ・ピオ(Príncipe Pío)駅にあるので、まずは地下鉄で移動。回数券を7人で使い回す。そして部屋に荷物を置いてから街へ出歩く。朝の陰鬱な天気とは打って変わって、午後のマドリードは快晴。プリンシペ・ピオの2階にある手軽なレストランで肉とビールを頂いた後、街歩きは、ドン・キホーテ(Don Quixote)とサンチョ・パンサ(Sancho Panza)の銅像が立つスペイン広場から始まる。そして官庁街を経由しながら、班員の希望で訪れることになったチョコレート屋のCacao Sampakaを巡り、やがて大通りのグラン・ビア(Gran Via)に出る。この界隈は近代になって整備された街区で、ニューヨークとパリを混ぜ合わせたような出で立ちである。さらに南側へ進むと、プエルタ・デル・ソル。「太陽の門」という名の広場で、とくに何があるというわけでもない火曜の夕方だというのに、着ぐるみの芸人や出し物の周りは結構な人で混み合っていた。スペインに来てひとつ思うのは平日でもビジネスマンらしき人々をあまり見かけないということで、みな一体どこに勤めているのか、そしてどこから来てどこへ帰って行くのか、あまり見当がつかない。単に、観光客が多く集まる場所を回っているから我々がそう感じるだけなのかもしれないが、彼らが本当に仕事をしているのか気になるところではあるw
黄昏も近くなってきた頃、マヨール広場に入る。ここは四方を3階建ての建物に囲まれた場所で、パリのヴァンドーム(Vendome)広場を小さくしたような感じでもある。広場の周辺はマドリードの中でも最古の地区で、宛てもなくぶらぶらと逍遥。しかし少し疲れてきたので、近くのサン・イシドロ教会に入って休憩することにした。ヨーロッパでは歩き疲れたら教会の椅子で寝る、というのもひとつの選択かw そうこうしているうちに日が暮れ、そろそろ夕食を求めバルが多く集まるというサンタ・アナ広場へ。『歩き方』に載っていた目当てのViña Pという店は開店が遅くまだ営業していなかったので、時間つぶしにファストフードのような激安のバルでビールを飲み、鶏肉をつまんでおく。そして20時になってようやく開いたViña P、値段は手頃ながらなかなか素晴らしい料理である。とくにカジョス(Callos)というマドリードのもつ煮が美味かった。誕生日の班員を祝うにふさわしい宴会であった。
食後は王立劇場の前を経由して徒歩で宿へ戻る。だいぶ酒も回り、騒いでいたのではないかと思う。本当は夜の王宮も見ておきたかったのだが、店を出た途端に膀胱が緊満してきてそれどころではなかった。街角での立小便はポリシーに反したので、もはや根性だけで括約筋を収縮させ続け、晴れて部屋で放尿。拷問のような帰路であったw
写真
1枚目:一瞬のうちに車窓を過ぎ去る城下町
2枚目:サン・イシドロ教会
3枚目:マドリード風もつ煮、カジョス
2868文字
2/17
タクシーによる移動
Granada 910 → Madrid-Puerta de Atocha 1335
ATR 9219
Atocha Renfe → Tribunal
地下鉄1号線
Tribunal → Príncipe Pío
地下鉄10号線
徒歩による移動
スペイン広場、Cacao Sampaka、プエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)、マヨール(Mayor)広場、サン・イシドロ(San Isidro)教会、サンタ・アナ(Santa Ana)広場
マドリード(Madrid)泊
Florida Norte
・鉄道移動
朝の冷雨に濡れるグラナダの町を窓外に眺め、宮殿と丘を歩いた昨日の記憶に浸っている間に、タクシーはもう駅に着いてしまった。スペイン国鉄(RENFE)のグラナダ駅は驚くほど小さな駅で、ホームこそ2本あるものの地方の盲腸線の終端といった風情である。ヨーロッパの終端駅といえば壮大なターミナルの印象がつきまとうのだが、よくよく考えてみるとグラナダくらいの田舎町であればこの程度だろう。1番線に停まっているのはマドリードへ直通する特急列車。先頭に立つのはごついディーゼル機関車で、その後ろに車長の短い客車が連接台車でつながっている光景が目新しい。乗客がぞろぞろと乗り込んでいく。マドリードまでの所要は約4時間半の道のりである。
グラナダを発車してからしばらくは、在来線の広軌(1668mm)の線路を走る。列車は大した速度も出さず、非電化の単線を進みながら町ごとにこまめに停車していく。完全にローカル特急といった雰囲気で、JRなら山形新幹線の末端区間に近いのかもしれない。しかし車窓は全く異なり、何もない荒野を駆けていると思ったらトンネルが連続する山岳区間に入ったり、また時おり列車交換があったりなど、景色が変化に富んでいて結構面白い。やがて、アンテケラ・サンタ・アナ(Antequera-Santa Ana)に差しかかった。ここは東西のセビーリャ(Sevilla)~グラナダ線と南北のコルドバ(Córdoba)~マラガ(Málaga)線が十字路のごとく交差する地点で、列車は検修庫のような建屋の中で軌間変換装置を通過し、高速専用線の標準軌(1435mm)に乗り移ってからコルドバ方面へと針路を変える。走りながら軌間が変わるこの装置の構造に興味が湧くところではあったが、あっという間に過ぎ去ってしまい車内からはとても窺い知る余地はなかった。操車場のようなスペースで一旦停車した際に機関車も交換したと見られ、専用線に入った列車はとたんに毎時200kmオーバーの高速走行を見せつけてきた。今までのトロい走りが嘘のようだ。
コルドバに近付く頃から急に天気も良くなってきて、車窓にはイベリアの大地と青空が大きく映り込む。果てしなく広がる地平線、まばらな植生、赤い土。山の上のちっぽけな古城と、それが見下ろす白い町。一瞬のうちに目の前を通り過ぎる、ひなびた地方都市。そうしてずっと平地を走るのかと思えば、丘陵を跨ぎ、山間を縫い、そして残雪の山脈をトンネルでぶち抜いて、列車は新たな平地へと飛び込んでゆく。景色はやはり異国情緒。ここに鉄道移動の面白さがある。マドリードの一大ターミナル駅、アトーチャ(Atocha)に着いたのは13時半を回った頃。スペインの鉄道は遅れるのかと思いきや、意外にも定刻で走ってくれた。
・市内を歩く
宿は西側のプリンシペ・ピオ(Príncipe Pío)駅にあるので、まずは地下鉄で移動。回数券を7人で使い回す。そして部屋に荷物を置いてから街へ出歩く。朝の陰鬱な天気とは打って変わって、午後のマドリードは快晴。プリンシペ・ピオの2階にある手軽なレストランで肉とビールを頂いた後、街歩きは、ドン・キホーテ(Don Quixote)とサンチョ・パンサ(Sancho Panza)の銅像が立つスペイン広場から始まる。そして官庁街を経由しながら、班員の希望で訪れることになったチョコレート屋のCacao Sampakaを巡り、やがて大通りのグラン・ビア(Gran Via)に出る。この界隈は近代になって整備された街区で、ニューヨークとパリを混ぜ合わせたような出で立ちである。さらに南側へ進むと、プエルタ・デル・ソル。「太陽の門」という名の広場で、とくに何があるというわけでもない火曜の夕方だというのに、着ぐるみの芸人や出し物の周りは結構な人で混み合っていた。スペインに来てひとつ思うのは平日でもビジネスマンらしき人々をあまり見かけないということで、みな一体どこに勤めているのか、そしてどこから来てどこへ帰って行くのか、あまり見当がつかない。単に、観光客が多く集まる場所を回っているから我々がそう感じるだけなのかもしれないが、彼らが本当に仕事をしているのか気になるところではあるw
黄昏も近くなってきた頃、マヨール広場に入る。ここは四方を3階建ての建物に囲まれた場所で、パリのヴァンドーム(Vendome)広場を小さくしたような感じでもある。広場の周辺はマドリードの中でも最古の地区で、宛てもなくぶらぶらと逍遥。しかし少し疲れてきたので、近くのサン・イシドロ教会に入って休憩することにした。ヨーロッパでは歩き疲れたら教会の椅子で寝る、というのもひとつの選択かw そうこうしているうちに日が暮れ、そろそろ夕食を求めバルが多く集まるというサンタ・アナ広場へ。『歩き方』に載っていた目当てのViña Pという店は開店が遅くまだ営業していなかったので、時間つぶしにファストフードのような激安のバルでビールを飲み、鶏肉をつまんでおく。そして20時になってようやく開いたViña P、値段は手頃ながらなかなか素晴らしい料理である。とくにカジョス(Callos)というマドリードのもつ煮が美味かった。誕生日の班員を祝うにふさわしい宴会であった。
食後は王立劇場の前を経由して徒歩で宿へ戻る。だいぶ酒も回り、騒いでいたのではないかと思う。本当は夜の王宮も見ておきたかったのだが、店を出た途端に膀胱が緊満してきてそれどころではなかった。街角での立小便はポリシーに反したので、もはや根性だけで括約筋を収縮させ続け、晴れて部屋で放尿。拷問のような帰路であったw
写真
1枚目:一瞬のうちに車窓を過ぎ去る城下町
2枚目:サン・イシドロ教会
3枚目:マドリード風もつ煮、カジョス
2868文字
スペイン旅行 4日目 その2
2015年2月16日 鉄道と旅行
丘を歩く。
・アルバイシン
宮殿を後にし、昼はヌエバ(Nueva)広場近くをうろつく。『歩き方』に載っていたBodegas Castañedaという老舗バルに目をつけていたのだが、行ってみると凄まじい混雑だったので諦めて引き返す。結局、やや胡散臭そうなバルと、ケバブ屋をハシゴして昼食となった。グラナダのバルでは飲み物を頼むとタパスが一品無料でついてくるので、何店もハシゴすればそれだけで腹が満たされるということになるが、そこまでの気力はなかった。
食後は、ダーロ(Darro)川が削った谷を挟んで宮殿の北側に広がるもう一つの丘、アルバイシンを歩く。ここはグラナダの中でも最も古い地区で、イスラム教徒による統治が行われた中世まで歴史はさかのぼる。丘には白壁の建物が所狭しと立ち並び、その間を縫うように石畳の細い道が縦横無尽に走っている。もともと城塞都市として作られたこともあり、敵の侵入を防ぐため道は迷路のようになっていて、歩いているとすぐさま方向感覚を失う。一応地図もあるのだが道が複雑すぎて覚えるのはなかなか難しい。とりあえず上を目指して坂と階段を登っていく。清廉な白に包まれた世界には、緻密なタイルで敷き詰められたアーチや、宮殿で見たような幾何学紋様の装飾など、アラブの幻想世界を彷彿させる要素が随所に散りばめられていて、何となく歩いているだけでも楽しい。これまで見慣れてきたヨーロッパの町並みとは全く異なる趣である。
たどり着いたのはサン・ニコラス展望台。眼前、ほぼ同じ高さに宮殿を一望できる。やはり華麗な内部からはおよそ想像のつかない質素な外見で、城壁あるいは城塞と呼ぶにふさわしい。いやむしろ、倉庫などと言われてもあまり不自然ではない。至って素朴な外観でありながら、内部にはあれほど華麗にして緻密な小宇宙が広がっているかと思うと、まさに「能ある鷹は爪を隠す」とでも言うべきか。「ひけらかし」を善しとしない価値観には大いに共感するところである。展望台の広場は観光客で混み合っていて、宮殿をバックにギターを弾いている地元民もいる。空には雲が増えて少しばかり冷えてきたが、2月の寒空の下にレコンキスタ終焉の地をしみじみと眺めるのも乙なものだ。
まだ日没までは時間が結構余っていたので、さらなる高みを目指して歩き続けることにした。地図を見ると、展望台の先にもまだ道は続いている。いったんアルバイシンの街区を抜けて幹線道路に出たり、その後で再び戻ったりと、慣れない町をさまよい歩くこと1時間弱、ようやくサクロモンテ(Sacromonte)の丘にへばりつく万里の長城のような城壁を見渡す場所に出た。ここから先は公道なのか私道なのか定かでない未舗装の道路が丘の斜面を走っていて、所々には畑があり、行く先には馬がつながれていて道を通せんぼしている。撮影行あるあるとでも言うべき「グレーゾーン感」を懐かしく味わいながら、おとなしい牝馬に挨拶をしてそばを通り過ぎ、獣道ともヲタ道(であるはずはないのだが)ともつかぬ道を登っていくと、ようやく丘の頂上にたどり着いた。感覚としては、村上~間島の下り線撮影地といったところである。まさかグラナダに来てまで山を登るとは思わなかったw 頂上のサン・ミゲル・アルト教会では先ほどよりもさらに高い視点からアルハンブラ宮殿を一望できる。三脚は持っていなかったが、教会の階段の柵を利用し、カメラケースを上手い具合に台座として集合写真を撮影。この旅行のベストショットかもしれない。展望台よりも眺めが良く、しかも観光客が誰もいない。たまたまこういう場所が見つかったりするものだから、ノープランで歩き回る旅行もやめられない。
さて、この教会は我々のように変な道を通らないとアプローチできないかというとそれは否で、裏側には立派な舗装道が通っていた。北の方角を見るとさらに一段高い丘があって、その頂には電波塔と思しき鉄塔もある。いかにも巡視路のような道を登ってここへも行こうという案が出たのだが、万一policíaの世話になるのは勘弁ということで却下w 30分以上かけてアルバイシンの丘を下り、ヌエバ広場に続くアラブ人街の坂道を通り抜けると、もう夕方である。昨日の昼も行ったマリアナ・ピネダ広場のCafé Fútbolでたらふく夕飯を食べてから、夜は部屋でワインを空ける。
写真
1枚目:サン・ミゲル・アルト教会より
2枚目:白い路地
3枚目:エキゾチックな商店街
2009文字
2/16
徒歩による移動
アルバイシン(Albayzín)散策
サン・ニコラス(San Nicolás)広場、サン・ミゲル・アルト(San Miguel Alto)教会
グラナダ泊
Los Angeles
・アルバイシン
宮殿を後にし、昼はヌエバ(Nueva)広場近くをうろつく。『歩き方』に載っていたBodegas Castañedaという老舗バルに目をつけていたのだが、行ってみると凄まじい混雑だったので諦めて引き返す。結局、やや胡散臭そうなバルと、ケバブ屋をハシゴして昼食となった。グラナダのバルでは飲み物を頼むとタパスが一品無料でついてくるので、何店もハシゴすればそれだけで腹が満たされるということになるが、そこまでの気力はなかった。
食後は、ダーロ(Darro)川が削った谷を挟んで宮殿の北側に広がるもう一つの丘、アルバイシンを歩く。ここはグラナダの中でも最も古い地区で、イスラム教徒による統治が行われた中世まで歴史はさかのぼる。丘には白壁の建物が所狭しと立ち並び、その間を縫うように石畳の細い道が縦横無尽に走っている。もともと城塞都市として作られたこともあり、敵の侵入を防ぐため道は迷路のようになっていて、歩いているとすぐさま方向感覚を失う。一応地図もあるのだが道が複雑すぎて覚えるのはなかなか難しい。とりあえず上を目指して坂と階段を登っていく。清廉な白に包まれた世界には、緻密なタイルで敷き詰められたアーチや、宮殿で見たような幾何学紋様の装飾など、アラブの幻想世界を彷彿させる要素が随所に散りばめられていて、何となく歩いているだけでも楽しい。これまで見慣れてきたヨーロッパの町並みとは全く異なる趣である。
たどり着いたのはサン・ニコラス展望台。眼前、ほぼ同じ高さに宮殿を一望できる。やはり華麗な内部からはおよそ想像のつかない質素な外見で、城壁あるいは城塞と呼ぶにふさわしい。いやむしろ、倉庫などと言われてもあまり不自然ではない。至って素朴な外観でありながら、内部にはあれほど華麗にして緻密な小宇宙が広がっているかと思うと、まさに「能ある鷹は爪を隠す」とでも言うべきか。「ひけらかし」を善しとしない価値観には大いに共感するところである。展望台の広場は観光客で混み合っていて、宮殿をバックにギターを弾いている地元民もいる。空には雲が増えて少しばかり冷えてきたが、2月の寒空の下にレコンキスタ終焉の地をしみじみと眺めるのも乙なものだ。
まだ日没までは時間が結構余っていたので、さらなる高みを目指して歩き続けることにした。地図を見ると、展望台の先にもまだ道は続いている。いったんアルバイシンの街区を抜けて幹線道路に出たり、その後で再び戻ったりと、慣れない町をさまよい歩くこと1時間弱、ようやくサクロモンテ(Sacromonte)の丘にへばりつく万里の長城のような城壁を見渡す場所に出た。ここから先は公道なのか私道なのか定かでない未舗装の道路が丘の斜面を走っていて、所々には畑があり、行く先には馬がつながれていて道を通せんぼしている。撮影行あるあるとでも言うべき「グレーゾーン感」を懐かしく味わいながら、おとなしい牝馬に挨拶をしてそばを通り過ぎ、獣道ともヲタ道(であるはずはないのだが)ともつかぬ道を登っていくと、ようやく丘の頂上にたどり着いた。感覚としては、村上~間島の下り線撮影地といったところである。まさかグラナダに来てまで山を登るとは思わなかったw 頂上のサン・ミゲル・アルト教会では先ほどよりもさらに高い視点からアルハンブラ宮殿を一望できる。三脚は持っていなかったが、教会の階段の柵を利用し、カメラケースを上手い具合に台座として集合写真を撮影。この旅行のベストショットかもしれない。展望台よりも眺めが良く、しかも観光客が誰もいない。たまたまこういう場所が見つかったりするものだから、ノープランで歩き回る旅行もやめられない。
さて、この教会は我々のように変な道を通らないとアプローチできないかというとそれは否で、裏側には立派な舗装道が通っていた。北の方角を見るとさらに一段高い丘があって、その頂には電波塔と思しき鉄塔もある。いかにも巡視路のような道を登ってここへも行こうという案が出たのだが、万一policíaの世話になるのは勘弁ということで却下w 30分以上かけてアルバイシンの丘を下り、ヌエバ広場に続くアラブ人街の坂道を通り抜けると、もう夕方である。昨日の昼も行ったマリアナ・ピネダ広場のCafé Fútbolでたらふく夕飯を食べてから、夜は部屋でワインを空ける。
写真
1枚目:サン・ミゲル・アルト教会より
2枚目:白い路地
3枚目:エキゾチックな商店街
2009文字
スペイン旅行 4日目 その1
2015年2月16日 鉄道と旅行
レコンキスタ終焉の地。
・アルハンブラ宮殿
朝の町は霧に包まれていた。予報では晴天だが、まだ日が昇って間もないはずの空は灰青色である。9時半に宮殿に入ることになっているので、それに合わせて宿を発ち、丘の頂上を目指してひたすら坂道を登っていく。チケット売り場からは遠く離れた裁きの門から城壁の内側に入り、ナスル朝宮殿の入口に並んだ。北側に目をやると、高く昇り始めた太陽と共に、町を覆い尽くしていた霧がアルバイシンの丘を駆け上がってゆく。霧の晴れ間には水色の空がのぞき、すがすがしい。まるで、3か月前の磐越西線の朝を彷彿させるような一日の始まりである。あの時も、立ち込めていた川霧がふっと水面から浮かび上がり、空へと散っていったのだった。
宮殿の内部は、これでもか、これでもか、というくらいの圧倒的な幾何学紋様に装飾されている。倉庫のような建物の外観からはまるで想像がつかない。よくぞここまで緻密に壁を彫り込んだものだ。無数の凹凸、規則的な模様、数学的な造形が織りなす質感と空気感は筆舌に尽くしがたい。正多角形、星芒形、円弧、すべてが一体となって美しい。写真に撮ると、実際に受容する感覚の大部分が失われてしまうのが残念ではある。パリのヴェルサイユとは全くもって別種の豪華絢爛建築で、個人的な趣味としてはこのアルハンブラの方に魅かれるものがある。対称性とか完全性という部分では両者は共通しているのだが、極めて微小な部分に徹底的にこだわりながらも、それが微小な領域に留まることなく結果として崇高な全体を作り上げているというところが魅力的である。それはまるで、微細な細胞組織が集まりに集まって人体という統合体を形成する現象と似ているではないか。一部にこだわることは、ともすれば全体を見失うことにつながりかねない。ところが、作り込まれた細部が単に寄せ集まっているのではなくて、あくまで俯瞰的な視点を維持しながら均衡と調和をもって細部が作り込まれているという点に、何とも心惹かれるのだ。
空は青く晴れ渡り、コマレス(Comares)の塔が青い池の水鏡に映し出される。ライオンの中庭は王族が暮らした宮殿の中枢部で、とくに二姉妹の間の天井が美しい。往時はアルバイシンが一望できたというリンダラハ(Lindaraja)のバルコニーを横目に、階段を下りて宮殿を後にする。出口の先は庭園になっている。ここから先は夏の離宮であるヘネラリフェ(Generalife)を目指し、丘の尾根に沿って城壁のそばを歩いていく。だんだん遠くなってゆく宮殿は、相変わらず質素な外観である。アセキア(Acequia)の中庭は細長い池と噴水が絵になる庭園で、水が作る何条もの放物線がぴったりと整列しているさまが面白い。至るところにオレンジの木が植えられているのは、たまたまなのか、それとも何か宗教的な意味があるのか。いずれにせよ、周囲の建築とも相まってヨーロッパ的な世界とは一味違った趣を見せている。最後は水の階段を登り、ヘネラリフェを後にした。
朝に入ってきた裁きの門へ戻る途中、Lagunaという寄木細工の専門店でおみやげを買う。寄木細工はグラナダの名産品である。昨日ビブランブラ広場をうろうろしていたときも同様のみやげを見つけたのだが、この店の商品の一部はプラスチックやコーティングを使わない上質な作りを売りにしていて、確かにそういう品は値段も高い。白い部分はウシの角を使っているという。ここは廉価版にするかどうか散々迷った末に、やはりせっかくなので40€の小箱を購入。グラナダの良い思い出になろう。
カトリック両王の孫が建設した、ルネサンス様式が異質なカルロス(Carlos)5世宮殿を軽く見回ってから、最後に西端のアルカサバ(Alcazaba)を訪れた。ここは宮殿を護る軍事要塞として機能した砦で、アルハンブラの中でも最も古い部分とされる。気が付けばもう正午をとうに過ぎている。石造りの塔に登り、午前中に比べるとやや空気が霞んできたグラナダの町を眺める。西を見れば、昨日訪れた王室礼拝堂とカテドラルの存在感が大きい。北西の方角には国鉄の駅。どうやらかなり小さな規模の構内と見える。そして北側にはアルハンブラの町。ここだけ町並みが特異で、白壁の家々が丘の斜面にへばりつくように密集しているのだった。
写真
1枚目:コマレスの塔
2枚目:二姉妹の間
3枚目:ヘネラリフェ
1913文字
2/16
徒歩による移動
アルハンブラ(Alhambra)宮殿
・アルハンブラ宮殿
朝の町は霧に包まれていた。予報では晴天だが、まだ日が昇って間もないはずの空は灰青色である。9時半に宮殿に入ることになっているので、それに合わせて宿を発ち、丘の頂上を目指してひたすら坂道を登っていく。チケット売り場からは遠く離れた裁きの門から城壁の内側に入り、ナスル朝宮殿の入口に並んだ。北側に目をやると、高く昇り始めた太陽と共に、町を覆い尽くしていた霧がアルバイシンの丘を駆け上がってゆく。霧の晴れ間には水色の空がのぞき、すがすがしい。まるで、3か月前の磐越西線の朝を彷彿させるような一日の始まりである。あの時も、立ち込めていた川霧がふっと水面から浮かび上がり、空へと散っていったのだった。
宮殿の内部は、これでもか、これでもか、というくらいの圧倒的な幾何学紋様に装飾されている。倉庫のような建物の外観からはまるで想像がつかない。よくぞここまで緻密に壁を彫り込んだものだ。無数の凹凸、規則的な模様、数学的な造形が織りなす質感と空気感は筆舌に尽くしがたい。正多角形、星芒形、円弧、すべてが一体となって美しい。写真に撮ると、実際に受容する感覚の大部分が失われてしまうのが残念ではある。パリのヴェルサイユとは全くもって別種の豪華絢爛建築で、個人的な趣味としてはこのアルハンブラの方に魅かれるものがある。対称性とか完全性という部分では両者は共通しているのだが、極めて微小な部分に徹底的にこだわりながらも、それが微小な領域に留まることなく結果として崇高な全体を作り上げているというところが魅力的である。それはまるで、微細な細胞組織が集まりに集まって人体という統合体を形成する現象と似ているではないか。一部にこだわることは、ともすれば全体を見失うことにつながりかねない。ところが、作り込まれた細部が単に寄せ集まっているのではなくて、あくまで俯瞰的な視点を維持しながら均衡と調和をもって細部が作り込まれているという点に、何とも心惹かれるのだ。
空は青く晴れ渡り、コマレス(Comares)の塔が青い池の水鏡に映し出される。ライオンの中庭は王族が暮らした宮殿の中枢部で、とくに二姉妹の間の天井が美しい。往時はアルバイシンが一望できたというリンダラハ(Lindaraja)のバルコニーを横目に、階段を下りて宮殿を後にする。出口の先は庭園になっている。ここから先は夏の離宮であるヘネラリフェ(Generalife)を目指し、丘の尾根に沿って城壁のそばを歩いていく。だんだん遠くなってゆく宮殿は、相変わらず質素な外観である。アセキア(Acequia)の中庭は細長い池と噴水が絵になる庭園で、水が作る何条もの放物線がぴったりと整列しているさまが面白い。至るところにオレンジの木が植えられているのは、たまたまなのか、それとも何か宗教的な意味があるのか。いずれにせよ、周囲の建築とも相まってヨーロッパ的な世界とは一味違った趣を見せている。最後は水の階段を登り、ヘネラリフェを後にした。
朝に入ってきた裁きの門へ戻る途中、Lagunaという寄木細工の専門店でおみやげを買う。寄木細工はグラナダの名産品である。昨日ビブランブラ広場をうろうろしていたときも同様のみやげを見つけたのだが、この店の商品の一部はプラスチックやコーティングを使わない上質な作りを売りにしていて、確かにそういう品は値段も高い。白い部分はウシの角を使っているという。ここは廉価版にするかどうか散々迷った末に、やはりせっかくなので40€の小箱を購入。グラナダの良い思い出になろう。
カトリック両王の孫が建設した、ルネサンス様式が異質なカルロス(Carlos)5世宮殿を軽く見回ってから、最後に西端のアルカサバ(Alcazaba)を訪れた。ここは宮殿を護る軍事要塞として機能した砦で、アルハンブラの中でも最も古い部分とされる。気が付けばもう正午をとうに過ぎている。石造りの塔に登り、午前中に比べるとやや空気が霞んできたグラナダの町を眺める。西を見れば、昨日訪れた王室礼拝堂とカテドラルの存在感が大きい。北西の方角には国鉄の駅。どうやらかなり小さな規模の構内と見える。そして北側にはアルハンブラの町。ここだけ町並みが特異で、白壁の家々が丘の斜面にへばりつくように密集しているのだった。
写真
1枚目:コマレスの塔
2枚目:二姉妹の間
3枚目:ヘネラリフェ
1913文字
スペイン旅行 3日目
2015年2月15日 鉄道と旅行
アンダルシアへ。
・マラソン大会
昨日一日でバルセロナの観光を駆け足で終え、今日は空路でグラナダを目指す。朝食の後で予定通りチェックアウトし、空港までのタクシーに分乗したは良いが、途中から何やら不穏な空気。どうもさっきから同じところをぐるぐると回っている。大通りを横切る道路が警察によりことごとく封鎖され、高速道路の入口にたどり着けないようだ。一体どうなっているんだと思っていると、運転手のネーチャンも警官相手に色々とゴネてくれたのだが、そうこうしているうちに向こうから大量のマラソンランナーが走って来たではないか。道路封鎖の原因はまさかのマラソン大会。あと30分は通過できないという。彼女も”impossible, impossible”と繰り返すばかりで、完全に詰んだ。とりあえず地下鉄駅の近くで急いでタクシーを降り(ホテルから一駅しか進んでいないのにしっかり22€を取られたw)、教えてもらったエスパーニャ(Espanya)駅まで地下鉄で移動した後、地上に出て流しのタクシーをつかまえる。既にマラソンコースは横切ったようで、あとは空港まで急行してもらって無事到着となった。
もう一台に分乗した組はどうなったかと思いきや、曰く運転手が封鎖を強行突破したようで既に着いていた。WiFiルーターは2台とも向こうに預けたままだったので実に心もとなかったが、半ば奇跡的に合流できたので良しとする。タクシーの分乗自体が行程破綻のリスクであることが判明したので、今後は1台ずつルーターを持ち歩くことに決めた。結局、今朝は地下鉄と近郊線で空港へ行くのが正解だったのだが、マラソン大会まではさすがに読み切れなかったw 今後の教訓としよう。チェックインはギリギリの30分前。事前にカウンターに並んでもらっていなければ間に合わなかった。スペイン上陸2日目にして肝を冷やす一日のスタートである。
・グラナダ
搭乗した国内線はブエリング航空という格安航空会社で、沖に停めてある機体まではバスで移動する方式。空港使用料を抑えるひとつの工夫で、格安航空ではよくあること。機内はそれなりに快適であった。鉄道では10時間以上かかる道のりを1時間半で飛んでしまうのだから、やはり空路は便利である。移動時間を有効活用し、ガイドブックを読み込んでグラナダの予習を行う。さて、到着した空港は2年前に訪れた利尻島を彷彿させる小ささで、やはりタラップで降機しビルまでは徒歩。荷物を回収してから外へ出ると、3€で市内まで行ってくれるバスが出発待ちであった。これに乗ると確かに安いのだが、降りた場所から宿まで結構歩かねばならないためタクシーを選ぶ。かなりのスピードで飛ばすので、20分あまりで着いてしまった。運賃は定額の32€なり。
まだ早かったが部屋に荷物を置くことができたので、14時半頃から散策に繰り出す。雨の予報ではあったが、何とか天気はもっている。町の中心部へ向かって狭い路地を歩いていく途中、マリアナ・ピネダ(Mariana Pineda)広場にあるCafé Fútbolという店で遅い昼食をとった。ここでもパエリアを注文。またチョコレートつきのチュロスが売りのようで、それも食後に頂いた。結構飲み食いしたはずなのに、価格は良心的。やはり田舎だけあって、大都市バルセロナに比べると物価は安いようだ。プエルタ・レアル(Puerta Real)から東へ向かって歩いていくと町歩きの中心、イサベル・ラ・カトリカ(Isabel la Católica)広場に着く。『歩き方』に書いてあったアドバイスの通り、この近くにあるlibrería de la Alhambraという店で、事前にネットで買っておいたアルハンブラ宮殿のチケットを発券しておいた。ついでに宮殿の地図も入手。これで明朝並ばなくても済む。
広場の近くにある王室礼拝堂に入場する。すぐそばにはなかなか壮大なカテドラルも建っているのだが、礼拝堂の方が歴史的・美術的価値が高いそうだ。要は、ここはレコンキスタによりイスラム世界からグラナダを奪還したときのカトリック王、イサベル(Isabel)女王とその夫フェルナンド(Fernando)2世の墓所である。地下に収められたその棺をガラス越しに見たり、壮大な祭壇を眺めたり、いかにも中世らしい美術品や絵画を観覧したりなど、地味な建物の外観からは想像がつかないほどの充実した展示である。明日はグラナダ観光の目玉、イスラム文化の残骸たるアルハンブラ宮殿を訪れるわけだが、その前にイスラムを征服した全く対照的なキリスト文化に触れておくというのも面白い。しかし毎度思うに、中世の宗教画、ひいてはキリスト文化というのはおどろおどろしく、気色悪いものがある。これほどの巨大な宗教体系が現代に至るまで多くの人々の心を支配しているさまは、実に興味深い。
日没まではカテドラル周辺のアルカイセリアやビブランブラ広場を散策し、また町の北側へ向かって路地をうろついたりして雰囲気を味わう。まだ夕食には少し早い時間帯ではあったが、日の暮れたころに近くのバルに入ってビールを飲みながら数品のタパスを注文。夜は部屋に戻って、仕入れた酒とつまみで飲み会となった。
写真
1枚目:王室礼拝堂
2枚目:イスラム文化の香る町
3枚目:ビブランブラ広場の夜
2581文字
2/15
タクシーによる移動
Drassanes → Espanya
地下鉄3号線
タクシーによる移動
Amsterdam schiphol(AMS)1045 → Granada(GRX)1210
ブエリング航空2012便(VY 2012)
タクシーによる移動
徒歩による移動
王室礼拝堂、アルカイセリア(Alcaicería)、ビブランブラ(Bibrambla)広場、周辺散策
グラナダ(Granada)泊
Los Angeles
・マラソン大会
昨日一日でバルセロナの観光を駆け足で終え、今日は空路でグラナダを目指す。朝食の後で予定通りチェックアウトし、空港までのタクシーに分乗したは良いが、途中から何やら不穏な空気。どうもさっきから同じところをぐるぐると回っている。大通りを横切る道路が警察によりことごとく封鎖され、高速道路の入口にたどり着けないようだ。一体どうなっているんだと思っていると、運転手のネーチャンも警官相手に色々とゴネてくれたのだが、そうこうしているうちに向こうから大量のマラソンランナーが走って来たではないか。道路封鎖の原因はまさかのマラソン大会。あと30分は通過できないという。彼女も”impossible, impossible”と繰り返すばかりで、完全に詰んだ。とりあえず地下鉄駅の近くで急いでタクシーを降り(ホテルから一駅しか進んでいないのにしっかり22€を取られたw)、教えてもらったエスパーニャ(Espanya)駅まで地下鉄で移動した後、地上に出て流しのタクシーをつかまえる。既にマラソンコースは横切ったようで、あとは空港まで急行してもらって無事到着となった。
もう一台に分乗した組はどうなったかと思いきや、曰く運転手が封鎖を強行突破したようで既に着いていた。WiFiルーターは2台とも向こうに預けたままだったので実に心もとなかったが、半ば奇跡的に合流できたので良しとする。タクシーの分乗自体が行程破綻のリスクであることが判明したので、今後は1台ずつルーターを持ち歩くことに決めた。結局、今朝は地下鉄と近郊線で空港へ行くのが正解だったのだが、マラソン大会まではさすがに読み切れなかったw 今後の教訓としよう。チェックインはギリギリの30分前。事前にカウンターに並んでもらっていなければ間に合わなかった。スペイン上陸2日目にして肝を冷やす一日のスタートである。
・グラナダ
搭乗した国内線はブエリング航空という格安航空会社で、沖に停めてある機体まではバスで移動する方式。空港使用料を抑えるひとつの工夫で、格安航空ではよくあること。機内はそれなりに快適であった。鉄道では10時間以上かかる道のりを1時間半で飛んでしまうのだから、やはり空路は便利である。移動時間を有効活用し、ガイドブックを読み込んでグラナダの予習を行う。さて、到着した空港は2年前に訪れた利尻島を彷彿させる小ささで、やはりタラップで降機しビルまでは徒歩。荷物を回収してから外へ出ると、3€で市内まで行ってくれるバスが出発待ちであった。これに乗ると確かに安いのだが、降りた場所から宿まで結構歩かねばならないためタクシーを選ぶ。かなりのスピードで飛ばすので、20分あまりで着いてしまった。運賃は定額の32€なり。
まだ早かったが部屋に荷物を置くことができたので、14時半頃から散策に繰り出す。雨の予報ではあったが、何とか天気はもっている。町の中心部へ向かって狭い路地を歩いていく途中、マリアナ・ピネダ(Mariana Pineda)広場にあるCafé Fútbolという店で遅い昼食をとった。ここでもパエリアを注文。またチョコレートつきのチュロスが売りのようで、それも食後に頂いた。結構飲み食いしたはずなのに、価格は良心的。やはり田舎だけあって、大都市バルセロナに比べると物価は安いようだ。プエルタ・レアル(Puerta Real)から東へ向かって歩いていくと町歩きの中心、イサベル・ラ・カトリカ(Isabel la Católica)広場に着く。『歩き方』に書いてあったアドバイスの通り、この近くにあるlibrería de la Alhambraという店で、事前にネットで買っておいたアルハンブラ宮殿のチケットを発券しておいた。ついでに宮殿の地図も入手。これで明朝並ばなくても済む。
広場の近くにある王室礼拝堂に入場する。すぐそばにはなかなか壮大なカテドラルも建っているのだが、礼拝堂の方が歴史的・美術的価値が高いそうだ。要は、ここはレコンキスタによりイスラム世界からグラナダを奪還したときのカトリック王、イサベル(Isabel)女王とその夫フェルナンド(Fernando)2世の墓所である。地下に収められたその棺をガラス越しに見たり、壮大な祭壇を眺めたり、いかにも中世らしい美術品や絵画を観覧したりなど、地味な建物の外観からは想像がつかないほどの充実した展示である。明日はグラナダ観光の目玉、イスラム文化の残骸たるアルハンブラ宮殿を訪れるわけだが、その前にイスラムを征服した全く対照的なキリスト文化に触れておくというのも面白い。しかし毎度思うに、中世の宗教画、ひいてはキリスト文化というのはおどろおどろしく、気色悪いものがある。これほどの巨大な宗教体系が現代に至るまで多くの人々の心を支配しているさまは、実に興味深い。
日没まではカテドラル周辺のアルカイセリアやビブランブラ広場を散策し、また町の北側へ向かって路地をうろついたりして雰囲気を味わう。まだ夕食には少し早い時間帯ではあったが、日の暮れたころに近くのバルに入ってビールを飲みながら数品のタパスを注文。夜は部屋に戻って、仕入れた酒とつまみで飲み会となった。
写真
1枚目:王室礼拝堂
2枚目:イスラム文化の香る町
3枚目:ビブランブラ広場の夜
2581文字
スペイン旅行 2日目
2015年2月14日 鉄道と旅行
街歩き。
・旧市街
午前中は旧市街を歩き回る。宿の立地はなかなか良く、中心地までは歩いてすぐの距離。ランブラス通りからフェラン(Ferran)通りへ入り、カタルーニャ自治州とバルセロナ市の庁舎が立つサン・ジャウマ(Sant Jaume)広場を通り過ぎ、そして狭い路地を歩いてカテドラルへと抜ける。土曜の朝なので、人通りはまだ少ない。カテドラルはゴシック様式の壮大な建築だが、ヨーロッパの町を訪ねればどこにでもありそうな建物ともいえる。いかんせん、キリスト教あるいはその周辺文化については馴染みがないばかりか、知識すらほとんど蓄えていないに等しいので、「きれい」とか「すごい」といったような、どこまでも感覚的な、それも幼稚な理解に留まらざるを得ないのである。
カテドラルの回廊を歩いた後は、北へ針路をとってカタルーニャ音楽堂へと向かった。ここは何だか有名な建築様式(モデルニスモ)らしく、とりあえず外観だけを撮っておく。その後、ややガラの悪そうな地元民がたむろする狭い路地を南下して、サンタ・カタリーナ市場までやって来た。ランブラス通りにあるサン・ジュセップ市場に比べると規模は小さいが、地元民で賑わっているとガイドブックにはある。色彩豊かな青果売場や、氷の上にゴロゴロと魚介類が並べられた魚屋などを横目に歩きながら、ゆっくりと市場の中を通り過ぎる。
さらに南へ歩き、旧市街の中心地へと戻っていく。モンカダ(Montcada)通りに入り、午前中の残りの時間はピカソ美術館に充てることにした。国際学生証を持っているのは自分含め2人だけだったが、あーだこーだ言っているうちに全員学生認定されて全員無料。こういういい加減さはすばらしいw ここは一般的に想像するところのピカソピカソした絵もたくさん置いてあるのだが、彼の全生涯にわたる作品が時系列で展示されているのが実に面白い。なるほど、こうやって作風が変化していったのかと、あたかも伝記を読むかのごとく観覧がてらに勉強できる。有名な『ゲルニカ』はマドリードに置いてあるので、それは旅行の後半に回すとしよう。
・市場
正午も過ぎたことなので、旧市街からランブラス通りに戻ってサン・ジュセップ市場を見物する。週末だからか結構な人出で、スリに気をつけながら市場を散策。ここでも魚市場に目が行く。水族館と似たような感覚になるからだろうか、所狭しと並べられた魚介類を眺めるのはなかなか楽しい。気になったのは深海魚のようないかつい顔つきをした長い魚で、値札にはmerluzaとある。それに結構な数が転がっているから、スペインではメジャーな魚と見える。後で調べてみると「メルルーサ」はタラの一種で、日本では店に並んでいるのを見る機会こそないものの、安価ゆえにいわゆる「白身魚のフライ」とかはほとんどこれが使われているようだ。食品業界の魚、といったところかw
元々は市場の中で昼食をとる予定だったのだが、あまりに混んでいたので裏通りにある適当なレストランに入った。魚を専門としているらしく、手ごろな値段で美味い料理を頂くことができて満足である。
・サグラダ・ファミリア
午後は地下鉄で移動する。サービスなのか何なのか、バルセロナに関しては公共交通の10回券が事前に送られてきていたのでこれを利用。地下鉄は結構きれいで、日本と同等かむしろそれ以上かもしれない。パリのメトロのガラの悪さが印象的だったのと、それに昨夏1か月以上を過ごしたニューヨークの地下鉄が異常に汚かったというだけで、普通はごく快適な乗り物である。
さて、サグラダ・ファミリアで降りて地上に出てみると、そこにはチケットを買う長蛇の列があったが、20分ほど並べば難なく手に入った。入口は東側にある生誕のファサードから。逆光なので写真は撮りにくいが、よくもここまで精緻に彫像を作り込んだものである。しかしひとたび中へ足を踏み入れると、内部は外観からは想像もつかないほど新しい建築である。それもそのはず、完成したのはつい最近のことらしい。もちろん幾何学的な作り込みは非常に細かくて、見上げた天井の景色などはこれまで目にした大聖堂のいずれとも似つかない斬新な造形なのだが、どうも「新品感」が先行してしまう。現在進行形で建設中だから当然ではあるのだが、スペクタクル的な面白さはあっても、歴史的な重厚感には欠けていた。ただ壮大な建築であることに変わりはなく、2026年に完成するというその全貌が楽しみではある。夕刻になってようやく訪れた晴れ間から陽が差し込み、ステンドグラスを透かした虹色の光が堂内に充満している様を見届ける。
・オーケストラ
ここから先はオーケストラを聴きに行く組と、スタジアムの見学へ行く組に分かれる。バルセロナ交響楽団によるドヴォルザーク第8番。事前に近くのケバブ屋で軽く夕食をとっていざ音楽鑑賞、と思いきや、歩き疲れで結構寝てしまったw キモなところでは起きていたはずなのだが、第三楽章の記憶はないし、前座で演奏されたアコーディオンの現代音楽などは完全に意識不明であった。まさにBGM付きの休憩時間と呼ぶにふさわしいひと時であったw
ランブラス通りでスタジアム組と落ち合い、夜は部屋で宴会。その辺のスーパーで買っているとはいえ、ワインもハムもチーズも安くて美味い。
写真
1枚目:路地
2枚目:カテドラル
3枚目:サグラダ・ファミリア聖堂
2890文字
2/14
徒歩による移動
カテドラル(Catedral)、カタルーニャ(Catalunya)音楽堂、サンタ・カタリーナ(Santa Caterina)市場、ピカソ(Picasso)美術館、サンタ・マリア・ダル・マル(Sta. Maria del Mar)教会、王の広場、サン・ジュセップ(Sant Josep)市場
Liceu → Diagonal
地下鉄3号線
Diagonal → Sagrada Familia
地下鉄5号線
サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)聖堂
徒歩による移動
サン・パウ(Sant Pau)病院
Guinardó → Bogatell
地下鉄4号線
バルセロナ交響楽団
ドヴォルザーク第8番
Marina → Catalunya
地下鉄1号線
バルセロナ泊
Ramblas
・旧市街
午前中は旧市街を歩き回る。宿の立地はなかなか良く、中心地までは歩いてすぐの距離。ランブラス通りからフェラン(Ferran)通りへ入り、カタルーニャ自治州とバルセロナ市の庁舎が立つサン・ジャウマ(Sant Jaume)広場を通り過ぎ、そして狭い路地を歩いてカテドラルへと抜ける。土曜の朝なので、人通りはまだ少ない。カテドラルはゴシック様式の壮大な建築だが、ヨーロッパの町を訪ねればどこにでもありそうな建物ともいえる。いかんせん、キリスト教あるいはその周辺文化については馴染みがないばかりか、知識すらほとんど蓄えていないに等しいので、「きれい」とか「すごい」といったような、どこまでも感覚的な、それも幼稚な理解に留まらざるを得ないのである。
カテドラルの回廊を歩いた後は、北へ針路をとってカタルーニャ音楽堂へと向かった。ここは何だか有名な建築様式(モデルニスモ)らしく、とりあえず外観だけを撮っておく。その後、ややガラの悪そうな地元民がたむろする狭い路地を南下して、サンタ・カタリーナ市場までやって来た。ランブラス通りにあるサン・ジュセップ市場に比べると規模は小さいが、地元民で賑わっているとガイドブックにはある。色彩豊かな青果売場や、氷の上にゴロゴロと魚介類が並べられた魚屋などを横目に歩きながら、ゆっくりと市場の中を通り過ぎる。
さらに南へ歩き、旧市街の中心地へと戻っていく。モンカダ(Montcada)通りに入り、午前中の残りの時間はピカソ美術館に充てることにした。国際学生証を持っているのは自分含め2人だけだったが、あーだこーだ言っているうちに全員学生認定されて全員無料。こういういい加減さはすばらしいw ここは一般的に想像するところのピカソピカソした絵もたくさん置いてあるのだが、彼の全生涯にわたる作品が時系列で展示されているのが実に面白い。なるほど、こうやって作風が変化していったのかと、あたかも伝記を読むかのごとく観覧がてらに勉強できる。有名な『ゲルニカ』はマドリードに置いてあるので、それは旅行の後半に回すとしよう。
・市場
正午も過ぎたことなので、旧市街からランブラス通りに戻ってサン・ジュセップ市場を見物する。週末だからか結構な人出で、スリに気をつけながら市場を散策。ここでも魚市場に目が行く。水族館と似たような感覚になるからだろうか、所狭しと並べられた魚介類を眺めるのはなかなか楽しい。気になったのは深海魚のようないかつい顔つきをした長い魚で、値札にはmerluzaとある。それに結構な数が転がっているから、スペインではメジャーな魚と見える。後で調べてみると「メルルーサ」はタラの一種で、日本では店に並んでいるのを見る機会こそないものの、安価ゆえにいわゆる「白身魚のフライ」とかはほとんどこれが使われているようだ。食品業界の魚、といったところかw
元々は市場の中で昼食をとる予定だったのだが、あまりに混んでいたので裏通りにある適当なレストランに入った。魚を専門としているらしく、手ごろな値段で美味い料理を頂くことができて満足である。
・サグラダ・ファミリア
午後は地下鉄で移動する。サービスなのか何なのか、バルセロナに関しては公共交通の10回券が事前に送られてきていたのでこれを利用。地下鉄は結構きれいで、日本と同等かむしろそれ以上かもしれない。パリのメトロのガラの悪さが印象的だったのと、それに昨夏1か月以上を過ごしたニューヨークの地下鉄が異常に汚かったというだけで、普通はごく快適な乗り物である。
さて、サグラダ・ファミリアで降りて地上に出てみると、そこにはチケットを買う長蛇の列があったが、20分ほど並べば難なく手に入った。入口は東側にある生誕のファサードから。逆光なので写真は撮りにくいが、よくもここまで精緻に彫像を作り込んだものである。しかしひとたび中へ足を踏み入れると、内部は外観からは想像もつかないほど新しい建築である。それもそのはず、完成したのはつい最近のことらしい。もちろん幾何学的な作り込みは非常に細かくて、見上げた天井の景色などはこれまで目にした大聖堂のいずれとも似つかない斬新な造形なのだが、どうも「新品感」が先行してしまう。現在進行形で建設中だから当然ではあるのだが、スペクタクル的な面白さはあっても、歴史的な重厚感には欠けていた。ただ壮大な建築であることに変わりはなく、2026年に完成するというその全貌が楽しみではある。夕刻になってようやく訪れた晴れ間から陽が差し込み、ステンドグラスを透かした虹色の光が堂内に充満している様を見届ける。
・オーケストラ
ここから先はオーケストラを聴きに行く組と、スタジアムの見学へ行く組に分かれる。バルセロナ交響楽団によるドヴォルザーク第8番。事前に近くのケバブ屋で軽く夕食をとっていざ音楽鑑賞、と思いきや、歩き疲れで結構寝てしまったw キモなところでは起きていたはずなのだが、第三楽章の記憶はないし、前座で演奏されたアコーディオンの現代音楽などは完全に意識不明であった。まさにBGM付きの休憩時間と呼ぶにふさわしいひと時であったw
ランブラス通りでスタジアム組と落ち合い、夜は部屋で宴会。その辺のスーパーで買っているとはいえ、ワインもハムもチーズも安くて美味い。
写真
1枚目:路地
2枚目:カテドラル
3枚目:サグラダ・ファミリア聖堂
2890文字
スペイン旅行 1日目
2015年2月13日 鉄道と旅行
渡航。
・旅立ち
さて、交通と宿だけ決まった個人旅行パックを使ってスペインを回る旅である。新宿にある地球の歩き方・旅プラザに手配を依頼した。観光内容は自分で決めねばならないのである程度の予習はしていたのだが、結局直前になって地図を覚えたり知識を詰めたりするのは試験と同じである。残念ながら1人の欠員がありフルメンバーには至らなかったが、気心知れたポリクリ班の野郎共7人が成田に一堂に会した。
・遠路
まずはKLMオランダ航空のアムステルダム行に乗る。座席は激狭で、しかも11時間を超える長旅の中で一回も席を立たなかったから、DVTになりそうである。いや、微小なやつならできているのかもしれないw さて、ここに来てようやく『Frozen』を観た。日本語がなかったので英語で。辛うじてストーリーは追えたから、リスニング力は向こうの小学生レベルかw 話はなかなか面白い。2回も観てしまったではないか。
機内では眠ることなく、アムステルダムに着いたのは現地時間の15時過ぎ。ヨーロッパ線の往路は一睡もせずに最終目的地まで行くと、徹夜明けと同じような感覚になって自動的に体内時計がリセットされるように思う。パスポート・コントロールの後、バルセロナ行に乗り継ぐ。乗っているうちに太陽が雲海の彼方へと沈んでいき、やがて日没を迎えた。雲の上の世界はいつも美しい。そして、バルセロナの滑走路へは海上からのアプローチ。夕闇に浮かび上がったオレンジ色の街灯群と、淡い残照の空に黒いシルエットをなす山脈とが、小さな機窓にのぞいているのだった。
降機後、タクシーに分乗して宿へ向かう。ランブラス(Ramblas)通りという繁華街で、金曜の夜ということもあってか辺りは遅くまで賑わっている。とりあえず宿に荷物を置き、近くにあった大型スーパーで部屋飲み用の酒とつまみをたくさん仕入れてから、通りにある店に入って夕食となった。パエリアが美味い。
写真
1枚目:ハブ空港、アムステルダム・スキポール
2枚目:雲海
3枚目:パエリア
1220文字
2/13
東京・成田(NRT)1130(GMT+9)
→ Amsterdam schiphol(AMS)1510(GMT+1)
KLMオランダ航空862便(KL 862)
Amsterdam schiphol(AMS)1655
→ Barcelona El Prat(BCN)1900
KLMオランダ航空1675便(KL 1675)
タクシーによる移動
バルセロナ(Barcelona)泊
Ramblas
・旅立ち
さて、交通と宿だけ決まった個人旅行パックを使ってスペインを回る旅である。新宿にある地球の歩き方・旅プラザに手配を依頼した。観光内容は自分で決めねばならないのである程度の予習はしていたのだが、結局直前になって地図を覚えたり知識を詰めたりするのは試験と同じである。残念ながら1人の欠員がありフルメンバーには至らなかったが、気心知れたポリクリ班の野郎共7人が成田に一堂に会した。
・遠路
まずはKLMオランダ航空のアムステルダム行に乗る。座席は激狭で、しかも11時間を超える長旅の中で一回も席を立たなかったから、DVTになりそうである。いや、微小なやつならできているのかもしれないw さて、ここに来てようやく『Frozen』を観た。日本語がなかったので英語で。辛うじてストーリーは追えたから、リスニング力は向こうの小学生レベルかw 話はなかなか面白い。2回も観てしまったではないか。
機内では眠ることなく、アムステルダムに着いたのは現地時間の15時過ぎ。ヨーロッパ線の往路は一睡もせずに最終目的地まで行くと、徹夜明けと同じような感覚になって自動的に体内時計がリセットされるように思う。パスポート・コントロールの後、バルセロナ行に乗り継ぐ。乗っているうちに太陽が雲海の彼方へと沈んでいき、やがて日没を迎えた。雲の上の世界はいつも美しい。そして、バルセロナの滑走路へは海上からのアプローチ。夕闇に浮かび上がったオレンジ色の街灯群と、淡い残照の空に黒いシルエットをなす山脈とが、小さな機窓にのぞいているのだった。
降機後、タクシーに分乗して宿へ向かう。ランブラス(Ramblas)通りという繁華街で、金曜の夜ということもあってか辺りは遅くまで賑わっている。とりあえず宿に荷物を置き、近くにあった大型スーパーで部屋飲み用の酒とつまみをたくさん仕入れてから、通りにある店に入って夕食となった。パエリアが美味い。
写真
1枚目:ハブ空港、アムステルダム・スキポール
2枚目:雲海
3枚目:パエリア
1220文字
会津撮影行 2日目 後編
2014年11月9日 鉄道と旅行
第一橋梁の感動。
・対峙
SLの通過を予感してか、雨も風もぴたりと止んでしまった。水鏡はますます透明になり、どこからが水面なのか、今や区別が難しい。山あいに間歇的にこだまする鳴き声は徐々に大きくなっているように感じられる。これだけの人が集まっているというのに、みな静まり返り、息をひそめ、怪物の登場を今か今かと待っている。
そしてついに、現れた。たびたび聞こえていた鳴き声がすぐそこで響いたかと思うと、次の瞬間には、歯切れの良いドラフト音と共に豪快に煙を吐き出しながら、3両の旧客を引っさげたC11がアーチ橋を渡り始めていた。何の迷いもなく、何者にも妨げられることなく、華麗に空中を駆け抜ける鋼鉄の馬。吐かれたばかりの煙は積乱雲のような塊になってうごめくが、徐々に空気に溶け込み散ってゆく。煙はSLの軌跡に沿った見事なグラデーションをなし、アーチ橋の上にもう一つの虹が架かったかのようだ。そして、川面にはパラレルワールド。橋と列車と煙、燃え盛る秋の色彩が、完璧な逆さ絵になって映し出されている。まさに、自然物と人工物が一体となって生み出した芸術的な感動であり、それ以上の形容はできない。やがてSLは悲しげな咆哮を谷に轟かせて、対岸の林の中へと吸い込まれていった。
残された我々は、ただ呆然と立ち尽くすのみ。水鏡はなお完全な姿を失っていない。橋の上には帯状の煙幕が滞留し、刻一刻と表情を変えてゆく。煙突から吐き出されたが最後、二度と元には戻れない煙が、その「主」と泣き別れて空中をさまよっているかのようだ。鳴き声はまだ時おり聞こえてくる。SLは生きている。呼吸している。対峙する前の独特の緊張感と、過ぎ去った後の深い余韻。SLの撮影とは、生命体との対話なのだ。
・黄昏
桧原の集落も、この地方独特の屋根をした家がひっそりと軒を連ねている。船着場から上がって来た撮影者たちが車や徒歩で撤収する中、少しばかり集落をぶらついて別れを惜しんだ。沿線の細やかな表情は、その線区を乗りつぶすだけではなかなか見えてこない。その点、車を使った移動というのは手軽に見聞を広めることができるから便利である。
最後の上り列車は第三橋梁の北側から撮ることに決めた。下調べが今一つでなかなか場所を特定できず焦ったが、正解はスノーシェッドの上。何とか間に合った。第一橋梁ほどの華やかさは感じられないが、静謐な川面にまっすぐ架かる橋の上を、3両編成の普通列車がトコトコ駆けていく様は絵になる。周囲の紅葉も真っ盛りで、最後の撮影にふさわしい舞台であった。黄昏の足音が迫る谷に別れを告げる。
・帰路
会津若松へ帰る途中、道の駅・みしま宿の下にある川井集落に立ち寄った。高いところに移された幹線国道から見捨てられながらも、今なお人々の生活がひっそりと息づいているようだ。急速に暗くなってゆく252号線を運転し、若松に帰って来たのは17時半頃。ガソリンを入れ、無事に車を返却する。18時15分の磐越西線で会津の地を後にし、郡山では夕食をとりつつ、ささやかな打ち上げ。充実した週末であった。
写真
1枚目:錦秋の水鏡を駆ける
2枚目:余韻
3枚目:静謐な川面を渡る
1900文字
11/9
撮影(会津桧原~会津西方 第一只見川橋梁 側面)
9430レ[1452] 快速 SL只見線紅葉号 C11
桧原集落散策
撮影(会津宮下~早戸 第三只見川橋梁 俯瞰その3)
430D[1548] 普通 キハ40 3連
(国道252号線、国道49号線)
川井集落散策
会津若松1815 → 郡山1929
磐越西線1238M クハ718-14
郡山2104 → 大宮2158
東北新幹線158B やまびこ158号 E226-1213
大宮2205 → 新宿2236
湘南新宿ライン2152F 快速 E223-7427
新宿2242 → 信濃町2247
中央・総武緩行線2260T モハE232-226
・対峙
SLの通過を予感してか、雨も風もぴたりと止んでしまった。水鏡はますます透明になり、どこからが水面なのか、今や区別が難しい。山あいに間歇的にこだまする鳴き声は徐々に大きくなっているように感じられる。これだけの人が集まっているというのに、みな静まり返り、息をひそめ、怪物の登場を今か今かと待っている。
そしてついに、現れた。たびたび聞こえていた鳴き声がすぐそこで響いたかと思うと、次の瞬間には、歯切れの良いドラフト音と共に豪快に煙を吐き出しながら、3両の旧客を引っさげたC11がアーチ橋を渡り始めていた。何の迷いもなく、何者にも妨げられることなく、華麗に空中を駆け抜ける鋼鉄の馬。吐かれたばかりの煙は積乱雲のような塊になってうごめくが、徐々に空気に溶け込み散ってゆく。煙はSLの軌跡に沿った見事なグラデーションをなし、アーチ橋の上にもう一つの虹が架かったかのようだ。そして、川面にはパラレルワールド。橋と列車と煙、燃え盛る秋の色彩が、完璧な逆さ絵になって映し出されている。まさに、自然物と人工物が一体となって生み出した芸術的な感動であり、それ以上の形容はできない。やがてSLは悲しげな咆哮を谷に轟かせて、対岸の林の中へと吸い込まれていった。
残された我々は、ただ呆然と立ち尽くすのみ。水鏡はなお完全な姿を失っていない。橋の上には帯状の煙幕が滞留し、刻一刻と表情を変えてゆく。煙突から吐き出されたが最後、二度と元には戻れない煙が、その「主」と泣き別れて空中をさまよっているかのようだ。鳴き声はまだ時おり聞こえてくる。SLは生きている。呼吸している。対峙する前の独特の緊張感と、過ぎ去った後の深い余韻。SLの撮影とは、生命体との対話なのだ。
・黄昏
桧原の集落も、この地方独特の屋根をした家がひっそりと軒を連ねている。船着場から上がって来た撮影者たちが車や徒歩で撤収する中、少しばかり集落をぶらついて別れを惜しんだ。沿線の細やかな表情は、その線区を乗りつぶすだけではなかなか見えてこない。その点、車を使った移動というのは手軽に見聞を広めることができるから便利である。
最後の上り列車は第三橋梁の北側から撮ることに決めた。下調べが今一つでなかなか場所を特定できず焦ったが、正解はスノーシェッドの上。何とか間に合った。第一橋梁ほどの華やかさは感じられないが、静謐な川面にまっすぐ架かる橋の上を、3両編成の普通列車がトコトコ駆けていく様は絵になる。周囲の紅葉も真っ盛りで、最後の撮影にふさわしい舞台であった。黄昏の足音が迫る谷に別れを告げる。
・帰路
会津若松へ帰る途中、道の駅・みしま宿の下にある川井集落に立ち寄った。高いところに移された幹線国道から見捨てられながらも、今なお人々の生活がひっそりと息づいているようだ。急速に暗くなってゆく252号線を運転し、若松に帰って来たのは17時半頃。ガソリンを入れ、無事に車を返却する。18時15分の磐越西線で会津の地を後にし、郡山では夕食をとりつつ、ささやかな打ち上げ。充実した週末であった。
写真
1枚目:錦秋の水鏡を駆ける
2枚目:余韻
3枚目:静謐な川面を渡る
1900文字
会津撮影行 2日目 中編
2014年11月9日 鉄道と旅行
曇天の日曜日。
・SLの勇姿
227Dを撮った後は、昨日と同じく「酷道」400号線を通って只見線へ。今日の下りSLは第三橋梁の俯瞰撮影地で狙い撃つことにした。第三は第一と人気を二分する撮影地と言われるが、やはり定番感は第一の方が強い。宮下を過ぎて早戸へ向かう間にある沼田街道のスノーシェッド群を抜けて間もなく、工事現場を彷彿させる砂利道に入り、その行き止まりで駐車。ひどくぬかるんだ道を泥まみれになりながら歩いていくと、針葉樹林が伐採された一区画に到着する。よく見れば、ここも送電線鉄塔のたもとである。鉄塔巡視路が俯瞰撮影地になっているケースは多い。既に先客が多くいらっしゃりベストポジションは埋まっていたのだが、そこを何とかお願いして三脚の前で屈んで撮れることになった。
やがてSLは遠くから幾度も汽笛を吹鳴しながら、色とりどりの木々に囲まれた橋のたもとに登場。紅葉真っ盛りの中に突如現れた鋼鉄の馬。もちろん来ることは分かっていたが、いざ対峙してみると背筋がぞくぞくする。機関車は生命体のようにうごめく黒煙を吐き出しながら、予想以上のスピードで猛然と橋梁を駆け抜けていった。夢中になってシャッターを切り続ける。後半は欲張って縦構図にも挑んでみたのだが、最初から横で粘っているのが正解だったかもしれない。二兎を追う者…である。
・小休止
ひとまず無事に俯瞰撮影が終わったので、車に戻ってここでひと休み。まもなく正午、無情にも雨が降ってきた。次にやって来る上り列車は第二橋梁で撮ることに決める。ここは趣向を変えて、遠くからの側面狙いではなく橋のたもと近くからのスタンダードな構図を作ってみる。色彩が特別に美しいというわけではないが、右下に黄葉の木々を配し、針葉樹を背に橋を渡る車両を浮き立たせる。
・船着場
上りのSLに向け、次なる撮影地へ移動する。西方の近くでは只見川が蛇行しているので意外にも道路が複雑である。みしま宿のそばにある252号線のトンネルを抜けた後、桧原の集落へと降りる道に入る。ここから川岸へ向かうにはさらにひと手間かかる。集落の西の方から林の中へと続く分かりにくい細道に入り、桧原踏切という小さな踏切を渡ってからさらに鬱蒼とした坂道を水面のレベルまで下らねばならない。踏切が故障して警報音が鳴り続けていたのには驚いた。着いた先には、元からあったのか、それとも撮影者によって開拓されたのか、それなりに広い駐車スペースがありたくさんの車が停まっていた。ここは北側からアーチを見上げることができる第一橋梁のもう一つの定番撮影地、通称「船着場」である。近くにいた撮影者が話していた内容によれば、かつて対岸まで渡し船が出ていた場所らしい。確かによく見ると、西方側の対岸は開けた野原になっていて、船が接岸できそうだ。しかし荒涼とした雰囲気から察するに、ずいぶん昔の話なのだろう。
定番だけあってここもそれなりに混雑していたが、一段下がったところにあるコンクリートの上は三脚を立てる余裕がないからか、ガラガラであった。三脚は撮影の機動性を著しく損うので、望遠の縦構図ならともかく、個人的には昼間の撮影地でわざわざ用意する意義を見出せない。間もなく下り普通列車が通過する時分。どこからか聞こえてきた「こんな時間に列車あったっけ?」という言葉に呆れつつ、ファインダーを覗く。気が付けば小雨は止んで、さざ波も収まり、徐々に水鏡が形成されつつある。キハ40の重い警笛と、宮下の方から聞こえてくるようになったSLの鳴き声が交互にこだまして、まるで両者が対話しているかのようだ。やがて、3両編成の列車がしずしずと橋を渡って来た。ゴオンゴオンという橋梁独特の轍の音響が、絵画的な世界を静かに装飾する。
写真
1枚目:猛進
2枚目:のんびり
3枚目:絵画的な世界
1937文字
11/9
レンタカーによる移動(国道459号線、国道49号線、国道400号線、国道252線)
撮影(会津宮下~早戸 第三只見川橋梁 俯瞰その2)
9425レ[1130] 快速 SL只見線紅葉号 C11
(国道252号線)
撮影(会津西方~会津宮下 第二只見川橋梁 西側)
428D[1304] 普通 キハ40 2連
撮影(会津桧原~会津西方 第一只見川橋梁 側面)
427D[1437] 普通 キハ40 3連
・SLの勇姿
227Dを撮った後は、昨日と同じく「酷道」400号線を通って只見線へ。今日の下りSLは第三橋梁の俯瞰撮影地で狙い撃つことにした。第三は第一と人気を二分する撮影地と言われるが、やはり定番感は第一の方が強い。宮下を過ぎて早戸へ向かう間にある沼田街道のスノーシェッド群を抜けて間もなく、工事現場を彷彿させる砂利道に入り、その行き止まりで駐車。ひどくぬかるんだ道を泥まみれになりながら歩いていくと、針葉樹林が伐採された一区画に到着する。よく見れば、ここも送電線鉄塔のたもとである。鉄塔巡視路が俯瞰撮影地になっているケースは多い。既に先客が多くいらっしゃりベストポジションは埋まっていたのだが、そこを何とかお願いして三脚の前で屈んで撮れることになった。
やがてSLは遠くから幾度も汽笛を吹鳴しながら、色とりどりの木々に囲まれた橋のたもとに登場。紅葉真っ盛りの中に突如現れた鋼鉄の馬。もちろん来ることは分かっていたが、いざ対峙してみると背筋がぞくぞくする。機関車は生命体のようにうごめく黒煙を吐き出しながら、予想以上のスピードで猛然と橋梁を駆け抜けていった。夢中になってシャッターを切り続ける。後半は欲張って縦構図にも挑んでみたのだが、最初から横で粘っているのが正解だったかもしれない。二兎を追う者…である。
・小休止
ひとまず無事に俯瞰撮影が終わったので、車に戻ってここでひと休み。まもなく正午、無情にも雨が降ってきた。次にやって来る上り列車は第二橋梁で撮ることに決める。ここは趣向を変えて、遠くからの側面狙いではなく橋のたもと近くからのスタンダードな構図を作ってみる。色彩が特別に美しいというわけではないが、右下に黄葉の木々を配し、針葉樹を背に橋を渡る車両を浮き立たせる。
・船着場
上りのSLに向け、次なる撮影地へ移動する。西方の近くでは只見川が蛇行しているので意外にも道路が複雑である。みしま宿のそばにある252号線のトンネルを抜けた後、桧原の集落へと降りる道に入る。ここから川岸へ向かうにはさらにひと手間かかる。集落の西の方から林の中へと続く分かりにくい細道に入り、桧原踏切という小さな踏切を渡ってからさらに鬱蒼とした坂道を水面のレベルまで下らねばならない。踏切が故障して警報音が鳴り続けていたのには驚いた。着いた先には、元からあったのか、それとも撮影者によって開拓されたのか、それなりに広い駐車スペースがありたくさんの車が停まっていた。ここは北側からアーチを見上げることができる第一橋梁のもう一つの定番撮影地、通称「船着場」である。近くにいた撮影者が話していた内容によれば、かつて対岸まで渡し船が出ていた場所らしい。確かによく見ると、西方側の対岸は開けた野原になっていて、船が接岸できそうだ。しかし荒涼とした雰囲気から察するに、ずいぶん昔の話なのだろう。
定番だけあってここもそれなりに混雑していたが、一段下がったところにあるコンクリートの上は三脚を立てる余裕がないからか、ガラガラであった。三脚は撮影の機動性を著しく損うので、望遠の縦構図ならともかく、個人的には昼間の撮影地でわざわざ用意する意義を見出せない。間もなく下り普通列車が通過する時分。どこからか聞こえてきた「こんな時間に列車あったっけ?」という言葉に呆れつつ、ファインダーを覗く。気が付けば小雨は止んで、さざ波も収まり、徐々に水鏡が形成されつつある。キハ40の重い警笛と、宮下の方から聞こえてくるようになったSLの鳴き声が交互にこだまして、まるで両者が対話しているかのようだ。やがて、3両編成の列車がしずしずと橋を渡って来た。ゴオンゴオンという橋梁独特の轍の音響が、絵画的な世界を静かに装飾する。
写真
1枚目:猛進
2枚目:のんびり
3枚目:絵画的な世界
1937文字
会津撮影行 2日目 前編
2014年11月9日 鉄道と旅行
絵画と写真を考える。
・苦悩、ふたたび
曇天は難しい。撮影行で全日の全時間帯が晴れていることなどまずないのだが、どうも計画を組む段階では晴天や光線を意識してしまう。むろん、今回は紅葉という強い味方があるので「物は撮りよう」という考え方からすればある程度融通は効くのだが、やはり空は白くなるし、その空を映す川も白くなる。とことんアンダーで切り取るか、いっそ開き直って新しい構図を試してみるか。そうは言っても、苦し紛れの構図が多くなったかもしれない。線路の対岸から撮影した220Dは暗すぎて、続く滝の下踏切での222Dもどこか地味な画面である。利田踏切でとらえた223Dに至っては通過時刻を勘違いして慌ててカメラを構えた上に、線路が近すぎて背後の紅葉を生かし切ることができなかった。ただし面白かったのは荻野~尾登に架かる釜ノ脇橋梁で、西側は川岸から、東側はスノーシェッドの上から構図を作ることができた。トンネルや橋といった構造物は、こういう光のない日に画面の面白味を左右する。
また結局、磐越西線で俯瞰撮影地を訪れることは叶わなかった。当初予定していた通称「温泉俯瞰」は、登り口の温泉施設周辺に熊出没注意の喚起があった上に、直接口頭でも止められてしまった。こんなにも紅葉が美しいというのに、残念である。そして、下調べできっと対岸の明賀沢付近だろうと目星をつけておいた地点も、車で登りつめたは良いが辺りの藪や林が深く最終的なアプローチは不明のまま引き返すこととなった。おそらくは藪をかき分け、尾根づたいに少し歩けば景色が開けたのかもしれないが、保証はない上に熊との遭遇も怖いのでやはり断念。
・船渡大橋にて
しかしながら、227Dの2回目は磐越西線での撮影を締めくくるにふさわしい、絵画的な構図をつくることができた。一面の秋色に包まれた世界にぴったりと収まった3両編成のキハ40。ごくわずかにさざ波だった川面には、幻影のようにぼうっと景色が映り込む。
絵画と写真の違いは何なのか。レンズを使った多彩な表現技法こそ写真の醍醐味だと言う人もいる。それはある意味正しい。みんな、絞り解放とか浅い被写界深度が大好き。しかもデジタルの時代にあっては、好きなように塗り絵もできる。もはや、適当な機材さえあればシャッターを押すだけで誰でも「きれい」で「すごい」写真が撮れる。画家は、対象から得た感覚を自由に料理してカンバスに転写する。その芸術的な過程が、レンズと素子と処理装置という機械へ手軽に置き換わったのだと単純に解釈されている。たとえ絵が描けなくてもカメラが画家の頭脳の代わりになって、好きなように写真を撮ることができる。したがって普通、写真を撮る楽しみとは、いわば自由に「お絵描き」や「塗り絵」をする楽しみに近いのかもしれない。確かに、それは大いに理解できる。
ところが、いわゆる世間的に「きれい」「すごい」と呼ばれる写真と、我々が撮っている写真との間には一定の距離があるように思われる。基本的な姿勢として、その瞬間、その場所で、その被写体に立ち会ったという文脈を元にして画面を構成しているつもりである。ここで楽しいと感じるのはその構成過程なのであって、「お絵描き」や「塗り絵」自体はあくまで副次的な楽しみ、さらに言えばイメージを写真という実体に落とし込むための手段とか道具に過ぎない。つまりレンズ自体が楽しいのではなく、道具であるレンズを使って何をするかということこそが楽しいのだ。露出にしても色調にしても、色を塗ること自体が面白いのではなく、その作業を通して何を表現するかが面白いのだ。世の中には見る人に訴えかけるものが「カメラの機能」とか「レンズの性能」しかない写真がいかに氾濫していることか。撮影者が現場で感じた思い、その時の臨場感、さらに願わくは過去の歴史や未来への希望までもが凝縮されて初めて、写真として面白い。
きっと、絵画もそうなのではないかと思う。何をどう配置して、どういう色彩で描写するかという過程は、写真撮影に通じるものがある。とりわけ自分が普段撮る写真の性質上、風景画は非常に興味深い鑑賞対象といえる。しかし、鉄道写真というのは想像以上に専門的な文脈を必要とすることが最近分かってきた。その点ではむしろ宗教画に近いものがあるかもしれない。純粋な風景画のような描写を追い求めながらも、無意識のうちに文脈にこだわるあまり、一般的な美的感覚からやや離れたものを描いているとは、少し皮肉な話である。
写真
1枚目:陰鬱な秋の朝
2枚目:さざ波の川面
3枚目:錦秋の阿賀野川
2415文字
11/9
レンタカーによる移動(県道16号線)
撮影(尾登~荻野 相ノ瀬甲)
220D[631] 普通 キハ40 2連
(県道16号線、県道367号線)
撮影(尾登~荻野 滝の下踏切)
222D[658] 普通 キハ40 3連
(国道367号線、県道16号線)
撮影(尾登~荻野 利田踏切)
223D[740] 普通 キハ40 2連
(県道16号線)
撮影(尾登~荻野 釜ノ脇橋梁)
224D[800] 普通 キハ40 2連
(県道370号線、国道49号線、県道16号線)
撮影(尾登~荻野 釜ノ脇橋梁)
227D[854] 普通 キハ40 3連
(県道16号線、国道49号線、国道459号線)
撮影(徳沢~豊実 船渡大橋)
3222D[943] 快速 キハ110 2連+キハE120 1連
227D[956] 普通 キハ40 3連
・苦悩、ふたたび
曇天は難しい。撮影行で全日の全時間帯が晴れていることなどまずないのだが、どうも計画を組む段階では晴天や光線を意識してしまう。むろん、今回は紅葉という強い味方があるので「物は撮りよう」という考え方からすればある程度融通は効くのだが、やはり空は白くなるし、その空を映す川も白くなる。とことんアンダーで切り取るか、いっそ開き直って新しい構図を試してみるか。そうは言っても、苦し紛れの構図が多くなったかもしれない。線路の対岸から撮影した220Dは暗すぎて、続く滝の下踏切での222Dもどこか地味な画面である。利田踏切でとらえた223Dに至っては通過時刻を勘違いして慌ててカメラを構えた上に、線路が近すぎて背後の紅葉を生かし切ることができなかった。ただし面白かったのは荻野~尾登に架かる釜ノ脇橋梁で、西側は川岸から、東側はスノーシェッドの上から構図を作ることができた。トンネルや橋といった構造物は、こういう光のない日に画面の面白味を左右する。
また結局、磐越西線で俯瞰撮影地を訪れることは叶わなかった。当初予定していた通称「温泉俯瞰」は、登り口の温泉施設周辺に熊出没注意の喚起があった上に、直接口頭でも止められてしまった。こんなにも紅葉が美しいというのに、残念である。そして、下調べできっと対岸の明賀沢付近だろうと目星をつけておいた地点も、車で登りつめたは良いが辺りの藪や林が深く最終的なアプローチは不明のまま引き返すこととなった。おそらくは藪をかき分け、尾根づたいに少し歩けば景色が開けたのかもしれないが、保証はない上に熊との遭遇も怖いのでやはり断念。
・船渡大橋にて
しかしながら、227Dの2回目は磐越西線での撮影を締めくくるにふさわしい、絵画的な構図をつくることができた。一面の秋色に包まれた世界にぴったりと収まった3両編成のキハ40。ごくわずかにさざ波だった川面には、幻影のようにぼうっと景色が映り込む。
絵画と写真の違いは何なのか。レンズを使った多彩な表現技法こそ写真の醍醐味だと言う人もいる。それはある意味正しい。みんな、絞り解放とか浅い被写界深度が大好き。しかもデジタルの時代にあっては、好きなように塗り絵もできる。もはや、適当な機材さえあればシャッターを押すだけで誰でも「きれい」で「すごい」写真が撮れる。画家は、対象から得た感覚を自由に料理してカンバスに転写する。その芸術的な過程が、レンズと素子と処理装置という機械へ手軽に置き換わったのだと単純に解釈されている。たとえ絵が描けなくてもカメラが画家の頭脳の代わりになって、好きなように写真を撮ることができる。したがって普通、写真を撮る楽しみとは、いわば自由に「お絵描き」や「塗り絵」をする楽しみに近いのかもしれない。確かに、それは大いに理解できる。
ところが、いわゆる世間的に「きれい」「すごい」と呼ばれる写真と、我々が撮っている写真との間には一定の距離があるように思われる。基本的な姿勢として、その瞬間、その場所で、その被写体に立ち会ったという文脈を元にして画面を構成しているつもりである。ここで楽しいと感じるのはその構成過程なのであって、「お絵描き」や「塗り絵」自体はあくまで副次的な楽しみ、さらに言えばイメージを写真という実体に落とし込むための手段とか道具に過ぎない。つまりレンズ自体が楽しいのではなく、道具であるレンズを使って何をするかということこそが楽しいのだ。露出にしても色調にしても、色を塗ること自体が面白いのではなく、その作業を通して何を表現するかが面白いのだ。世の中には見る人に訴えかけるものが「カメラの機能」とか「レンズの性能」しかない写真がいかに氾濫していることか。撮影者が現場で感じた思い、その時の臨場感、さらに願わくは過去の歴史や未来への希望までもが凝縮されて初めて、写真として面白い。
きっと、絵画もそうなのではないかと思う。何をどう配置して、どういう色彩で描写するかという過程は、写真撮影に通じるものがある。とりわけ自分が普段撮る写真の性質上、風景画は非常に興味深い鑑賞対象といえる。しかし、鉄道写真というのは想像以上に専門的な文脈を必要とすることが最近分かってきた。その点ではむしろ宗教画に近いものがあるかもしれない。純粋な風景画のような描写を追い求めながらも、無意識のうちに文脈にこだわるあまり、一般的な美的感覚からやや離れたものを描いているとは、少し皮肉な話である。
写真
1枚目:陰鬱な秋の朝
2枚目:さざ波の川面
3枚目:錦秋の阿賀野川
2415文字
会津撮影行 1日目 後編
2014年11月8日 鉄道と旅行
晴れ舞台。
・お立ち台
そういう方面の人は「酷道」と揶揄するそうだが、野沢と会津西方を短絡する国道400号線もこれまた貧相な道路で、途中からはもはやただの峠越えの山道。しかし世の中にははるか上をゆく「酷道」も数多くあるようで、色々調べてみると面白い。さて、西方の駅前へは出ずに只見川を渡った先にある道の駅・みしま宿を目指す。今日と明日はSL只見線紅葉号の運転日。まずは定番中の定番、第一只見川橋梁の俯瞰撮影地を目指すべく、みしま宿の駐車場に車を停め、国道のトンネルのポータル脇にある送電線鉄塔巡視路を登る予定だったのだが、何と駐車場はおろか路肩までも車で溢れかえっているではないか。SLの集客力をなめてはいけなかった。これではみしま宿ではなく、もはや激パ宿w
結局、少し離れたところに路駐して無事撮影地にはたどり着いたのだが、山の斜面にこれほど多くの人がへばりついているとは、実に異様な光景。上の方はもう入る余地がなさそうだったので、道なき道を少し降りた場所から屈んで撮ることしたのだが、先客の画角に入るだとか入らないだとか、全く落ち着かないひと時であった。天気よし、光線よし、景色よし。そして3連の旧客を従えてC11が最高の舞台に姿を現した。しかし何だろう、この感覚は。どうも感動というものに今ひとつ欠ける。被写体が遠いからか、いやそれは違う。問題はこの撮影地の空気感なのだ。とにかく人が多くて、窮屈で、ゆとりがない。したがって「時と場所と対話する」ための心の余裕がない。画面を作り、露出を決め、色を決め、シャッターを切る。本当は感性を研ぎ澄ます喜びや、創造的な楽しみを無数に内包しているはずのこの一連の動作が、ただの「作業」になり果てかねない危うさを感じたのだった。
・錦秋
これほどのすばらしい紅葉日和である。普通列車の姿もしっかり撮っておきたい。第三橋梁を南側から俯瞰するポイントへ足を運ぶ。磐越西線の紅葉もエレガントで美しかったが、只見線はさらに錦秋と呼ぶにふさわしく、とにかく色彩が鮮やかである。今朝は霧に頭を悩ませたが、ようやく報われてきただろうか。空き時間は沼沢湖へ行こうとするも結局道路が行き止まりだったが、その途中でたまたま出会った武骨なスノーシェッドの撮影もまた楽しい息抜きであった。塗装の剥脱とか群生するコケなどを見るにつけ、地図状潰瘍とか小腸上皮とかを思い浮かべてしまうのは、もはや病気なのか。組織学や病理学が特別に好きなわけではないが、人工物と自然物とを問わず「構造」に対する関心がそれなりに大きいのかもしれない。
上りのSLは早戸と水沼の間にある下大牧集落を大俯瞰する撮影地にて仕留める。GPSと航空写真をリアルタイムで見ながら移動できるとは、便利な時代になったものだ。自動車すら珍しかった頃に、地形図だけを頼りにひたすら歩き回って撮影地を開拓してきたであろう先人たちには頭が上がらない。ここも相変わらず人が多かったが、先ほどよりはだいぶ落ち着いている。いつの間にか太陽は翳り、しっとりと曇った秋の昼下がりの様相。燃え盛る紅葉の山に抱かれて、悠々と流れる只見川のほとりには独特な屋根の家々がひっそり寄り添う。やがて汽笛を谷間に震わせ、白い息を吐きながら、箱庭のような世界にSLが登場した。そして煙は列車の軌跡に沿って淡く拡散し、あたかも霞のように色彩にアクセントを添える。線路ぎりぎりまで近づいて爆煙を正面打ちする撮り方も面白いが、ここに来て改めて俯瞰撮影の醍醐味を満喫したように思う。
・夕刻
残すは普通列車2本である。427Dは俯瞰撮影地を降りた場所からさほど離れていない第四橋梁の側面からとらえ、返しの430Dは西方の先の滝谷まで引き返し、滝谷川橋梁で支流を渡っているところを仕留めた。いずれも変なラッピング車両が混ざった編成なので満足度はあまり高くないかと思いきや、元のJR色と似たような系統の塗装なのでさほど気にはならなかった。
これにて一日の撮影は終了。国道252号線をひたすら東進し、今宵の宿泊地である喜多方へ。駅近くのコンビニで晩酌用の酒と翌日の食料を仕入れた後、「くるくる軒」というラーメン屋で夕食をとる。入店時はガラガラで大丈夫かと思ったが、後になって続々と地元客が入ってきて、ほぼ満席になってしまった。何ということのない日常の姿に旅先で触れる、これがまた面白い。
写真
1枚目:第一只見川橋梁の絶景
2枚目:秋が燃える第三橋梁
3枚目:下大牧集落、大俯瞰
2371文字
11/8
レンタカーによる移動(国道459号線、国道49号線、国道400号線)
撮影(会津桧原~会津西方 第一只見川橋梁 俯瞰)
9425レ[1113] 快速 SL只見線紅葉号 C11
(国道252号線)
撮影(会津宮下~早戸 第三只見川橋梁 俯瞰その1)
428D[1255] 普通 キハ40 2連
撮影(早戸~会津水沼 下大牧集落 俯瞰)
9430レ[1422] 快速 SL只見線紅葉号 C11
撮影(会津水沼~会津中川 第四只見川橋梁 側面)
427D[1457] 普通 キハ40 3連
(県道366号線、県道32号線)
撮影(会津桧原~滝谷 滝谷川橋梁)
430D[1606] 普通 キハ40 3連
(県道32号線、国道49号線、県道21号線)
喜多方泊(やまと屋旅館)
・お立ち台
そういう方面の人は「酷道」と揶揄するそうだが、野沢と会津西方を短絡する国道400号線もこれまた貧相な道路で、途中からはもはやただの峠越えの山道。しかし世の中にははるか上をゆく「酷道」も数多くあるようで、色々調べてみると面白い。さて、西方の駅前へは出ずに只見川を渡った先にある道の駅・みしま宿を目指す。今日と明日はSL只見線紅葉号の運転日。まずは定番中の定番、第一只見川橋梁の俯瞰撮影地を目指すべく、みしま宿の駐車場に車を停め、国道のトンネルのポータル脇にある送電線鉄塔巡視路を登る予定だったのだが、何と駐車場はおろか路肩までも車で溢れかえっているではないか。SLの集客力をなめてはいけなかった。これではみしま宿ではなく、もはや激パ宿w
結局、少し離れたところに路駐して無事撮影地にはたどり着いたのだが、山の斜面にこれほど多くの人がへばりついているとは、実に異様な光景。上の方はもう入る余地がなさそうだったので、道なき道を少し降りた場所から屈んで撮ることしたのだが、先客の画角に入るだとか入らないだとか、全く落ち着かないひと時であった。天気よし、光線よし、景色よし。そして3連の旧客を従えてC11が最高の舞台に姿を現した。しかし何だろう、この感覚は。どうも感動というものに今ひとつ欠ける。被写体が遠いからか、いやそれは違う。問題はこの撮影地の空気感なのだ。とにかく人が多くて、窮屈で、ゆとりがない。したがって「時と場所と対話する」ための心の余裕がない。画面を作り、露出を決め、色を決め、シャッターを切る。本当は感性を研ぎ澄ます喜びや、創造的な楽しみを無数に内包しているはずのこの一連の動作が、ただの「作業」になり果てかねない危うさを感じたのだった。
・錦秋
これほどのすばらしい紅葉日和である。普通列車の姿もしっかり撮っておきたい。第三橋梁を南側から俯瞰するポイントへ足を運ぶ。磐越西線の紅葉もエレガントで美しかったが、只見線はさらに錦秋と呼ぶにふさわしく、とにかく色彩が鮮やかである。今朝は霧に頭を悩ませたが、ようやく報われてきただろうか。空き時間は沼沢湖へ行こうとするも結局道路が行き止まりだったが、その途中でたまたま出会った武骨なスノーシェッドの撮影もまた楽しい息抜きであった。塗装の剥脱とか群生するコケなどを見るにつけ、地図状潰瘍とか小腸上皮とかを思い浮かべてしまうのは、もはや病気なのか。組織学や病理学が特別に好きなわけではないが、人工物と自然物とを問わず「構造」に対する関心がそれなりに大きいのかもしれない。
上りのSLは早戸と水沼の間にある下大牧集落を大俯瞰する撮影地にて仕留める。GPSと航空写真をリアルタイムで見ながら移動できるとは、便利な時代になったものだ。自動車すら珍しかった頃に、地形図だけを頼りにひたすら歩き回って撮影地を開拓してきたであろう先人たちには頭が上がらない。ここも相変わらず人が多かったが、先ほどよりはだいぶ落ち着いている。いつの間にか太陽は翳り、しっとりと曇った秋の昼下がりの様相。燃え盛る紅葉の山に抱かれて、悠々と流れる只見川のほとりには独特な屋根の家々がひっそり寄り添う。やがて汽笛を谷間に震わせ、白い息を吐きながら、箱庭のような世界にSLが登場した。そして煙は列車の軌跡に沿って淡く拡散し、あたかも霞のように色彩にアクセントを添える。線路ぎりぎりまで近づいて爆煙を正面打ちする撮り方も面白いが、ここに来て改めて俯瞰撮影の醍醐味を満喫したように思う。
・夕刻
残すは普通列車2本である。427Dは俯瞰撮影地を降りた場所からさほど離れていない第四橋梁の側面からとらえ、返しの430Dは西方の先の滝谷まで引き返し、滝谷川橋梁で支流を渡っているところを仕留めた。いずれも変なラッピング車両が混ざった編成なので満足度はあまり高くないかと思いきや、元のJR色と似たような系統の塗装なのでさほど気にはならなかった。
これにて一日の撮影は終了。国道252号線をひたすら東進し、今宵の宿泊地である喜多方へ。駅近くのコンビニで晩酌用の酒と翌日の食料を仕入れた後、「くるくる軒」というラーメン屋で夕食をとる。入店時はガラガラで大丈夫かと思ったが、後になって続々と地元客が入ってきて、ほぼ満席になってしまった。何ということのない日常の姿に旅先で触れる、これがまた面白い。
写真
1枚目:第一只見川橋梁の絶景
2枚目:秋が燃える第三橋梁
3枚目:下大牧集落、大俯瞰
2371文字
会津撮影行 1日目 前編
2014年11月8日 鉄道と旅行
紅葉を追って。
・会津へ
2件の内視鏡手術を見終え、あわよくば伊勢崎を18時04分に出る両毛線に乗ろうと思っていたのだが、実に3分の差で逃してしまった。小山で東北新幹線、郡山で磐越西線に乗り継ぎ、会津若松到着は23時前。車中で各方面へのメールを処理し、諸々の雑務も片づけて、先に現地入りしていたのすり氏と東横インにて落ち合う。伊勢崎での4日間の滞在を終え、さらに週末は会津の山奥で紅葉を撮るという強行スケジュール。日常から非日常への急速潜航はもう慣れたものだが、おそらくこれから先、撮影行とか旅行はこういった感じのスタートが当たり前になっていく予感がする。今回の撮影はレンタカーを最大限に活用する計画なので、幸い荷物が膨れ上がっても心配はなかった。郡山で仕入れたカップ酒を片手に、ささやかながら週末の幸運を祈願し、眠りに就く。
・朝霧
霧というのは神秘的な一方で独特の恐ろしさがある。視界の遮断がこれほどまでに恐怖心を呼び起こすとは、いかに普段から我々が目という感覚器に頼っているかということである。まだ夜の明けない若松の町を飛び出し、西へ向かって車を運転しているときは、あの6月の室蘭市街を凌ぐほどの視界の悪さであった。しかし荻野の駅を過ぎて県道367号線の細道に入ると、阿賀野川が姿を現した。眼前には、ダーク・グリーンの静謐な水面から立ち上る湯気のごとく、風の流れに乗ってゆったりと霧が川面を走っているのだった。見え隠れする遠景はまさにサスペンスであり、好奇心をそそる。そして視覚が鈍化する分だけ嗅覚や触覚といった原始的な感覚が鋭敏になり、動物的な心に立ち返ってカメラを構えるかのような気分である。
荻野駅からほど近いところにある利田踏切で上り列車を、そして対岸に渡って県道16号線をしばらく走った先のシェルターの近くから、釜ノ脇橋梁を渡る下り列車を撮影。しかし、この独特の霧の質感を的確に描写するのはなかなか難しい。それは、霧がいわば「濡れない雨」のような朦朧としたものであり、しかも刻一刻と分布と表情を変えて態度をはっきりさせないからかもしれない。霧はなかなか上がってくれない。澄み渡る青空、燃え盛る紅葉、悠々と流れる阿賀野川、そういういかにもといった感じの秋の風景を昨夜は夢見ていたはずなのだが、目の前の現実はまるで異なって冷たい。次の2本はどうしようか迷った挙句、野沢~上野尻のトンネルS字で上りを、その後急いで移動し上野尻~徳沢の端村踏切で下りを仕留める。磐越西線といえば阿賀野川のはずなのに、霧が深すぎて川を写せないのが残念で仕方がない。とくに端村踏切は苦渋の選択であった。
・清秋
気が付けば磐越西線のキハ40もずいぶんと数を減らし、午後の2~3本を除けば午前中の5本で撮影は終了となる。ただし最後の227Dは野沢で20分以上の長停があり、さらに徳沢でも数分停まるため、車で追いかければ余裕をもって2回撮れる「美味しい」被写体。1回目は山都~荻野の大谷川橋梁にて。荻野の近くは川が大きく遠回りに湾曲しているにもかかわらず橋が少ないので、対岸へ渡るのが一苦労である。車を飛ばしてなんとか間に合った。9時頃になると徐々に霧が上がってくる。列車が通過したのはまさに晴れんとするタイミング。わずかでも霧の間から太陽光が差し込むと、これまでの陰鬱な色彩が嘘のように消し飛び、鮮やかな錦秋の彩りを予感する。
上野尻から先は、鉄路が川に沿って険しい谷を進むのに対し、国道49号線はトンネルで内陸をぶち抜いて一気に津川を目指す。車という名前の峠なのか、「車トンネル」を抜けた先の景色は忘れられない。まさに期待を絵に描いたような秋の風景が否応なく目に飛び込んできた。朝の濃霧が嘘のようである。これだ、これを求めてはるばる会津の地までやってきたのだと、そう思えるひと時。そして県道384号線に入って国道を降り、徳沢の集落を目指す。やがて459号線という国道に出るが、幅員が狭く所々に待避所があるというあまりにも貧弱な道路。崖下にへばりつくように川沿いに進み、スノーシェッドの中で新潟県境を越える。山間部を貫く49号線とは違って、きっと昔からの道なのだろう。227Dの2回目は有名撮影地である大巻橋梁の対岸。水鏡がなかったのが唯一残念だったが、それ以外は申し分のない清秋の一コマを切り取ることができた。
写真
1枚目:シグモイドに登場(@野沢~上野尻)
2枚目:川霧が消えてゆく(@山都~荻野)
3枚目:清秋を駆ける(@徳沢~豊実)
2689文字
11/7
伊勢崎1846 → 小山1959
両毛線475M モハ115-1081
小山2011 → 郡山2102
東北新幹線219B やまびこ219号 E526-305
郡山2155 → 会津若松2257
磐越西線3237M 快速 クハ718-17
会津若松泊(東横イン)
11/8
レンタカーによる移動(国道49号線、県道16号線、県道367号線)
撮影(尾登~荻野 利田踏切)
220D[632] 普通 キハ40 2連
(県道367号線、県道16号線)
撮影(尾登~荻野 釜ノ脇橋梁)
222D[657] 普通 キハ40 3連
(県道16号線、国道49号線)
撮影(野沢~上野尻 岩ヶ崎トンネル)
224D[747] 普通 キハ40 2連
(国道49号線、県道370号線)
撮影(上野尻~徳沢 端村踏切)
223D[800] 普通 キハ40 2連
(県道370号線、国道49号線、県道16号線)
撮影(山都~荻野 大谷川橋梁)
227D[847] 普通 キハ40 3連
(県道16号線、国道49号線、国道459号線)
撮影(徳沢~豊実 大巻橋梁)
3222D[946] 快速 キハ110 2連+キハE120 1連
227D[951] 普通 キハ40 3連
・会津へ
2件の内視鏡手術を見終え、あわよくば伊勢崎を18時04分に出る両毛線に乗ろうと思っていたのだが、実に3分の差で逃してしまった。小山で東北新幹線、郡山で磐越西線に乗り継ぎ、会津若松到着は23時前。車中で各方面へのメールを処理し、諸々の雑務も片づけて、先に現地入りしていたのすり氏と東横インにて落ち合う。伊勢崎での4日間の滞在を終え、さらに週末は会津の山奥で紅葉を撮るという強行スケジュール。日常から非日常への急速潜航はもう慣れたものだが、おそらくこれから先、撮影行とか旅行はこういった感じのスタートが当たり前になっていく予感がする。今回の撮影はレンタカーを最大限に活用する計画なので、幸い荷物が膨れ上がっても心配はなかった。郡山で仕入れたカップ酒を片手に、ささやかながら週末の幸運を祈願し、眠りに就く。
・朝霧
霧というのは神秘的な一方で独特の恐ろしさがある。視界の遮断がこれほどまでに恐怖心を呼び起こすとは、いかに普段から我々が目という感覚器に頼っているかということである。まだ夜の明けない若松の町を飛び出し、西へ向かって車を運転しているときは、あの6月の室蘭市街を凌ぐほどの視界の悪さであった。しかし荻野の駅を過ぎて県道367号線の細道に入ると、阿賀野川が姿を現した。眼前には、ダーク・グリーンの静謐な水面から立ち上る湯気のごとく、風の流れに乗ってゆったりと霧が川面を走っているのだった。見え隠れする遠景はまさにサスペンスであり、好奇心をそそる。そして視覚が鈍化する分だけ嗅覚や触覚といった原始的な感覚が鋭敏になり、動物的な心に立ち返ってカメラを構えるかのような気分である。
荻野駅からほど近いところにある利田踏切で上り列車を、そして対岸に渡って県道16号線をしばらく走った先のシェルターの近くから、釜ノ脇橋梁を渡る下り列車を撮影。しかし、この独特の霧の質感を的確に描写するのはなかなか難しい。それは、霧がいわば「濡れない雨」のような朦朧としたものであり、しかも刻一刻と分布と表情を変えて態度をはっきりさせないからかもしれない。霧はなかなか上がってくれない。澄み渡る青空、燃え盛る紅葉、悠々と流れる阿賀野川、そういういかにもといった感じの秋の風景を昨夜は夢見ていたはずなのだが、目の前の現実はまるで異なって冷たい。次の2本はどうしようか迷った挙句、野沢~上野尻のトンネルS字で上りを、その後急いで移動し上野尻~徳沢の端村踏切で下りを仕留める。磐越西線といえば阿賀野川のはずなのに、霧が深すぎて川を写せないのが残念で仕方がない。とくに端村踏切は苦渋の選択であった。
・清秋
気が付けば磐越西線のキハ40もずいぶんと数を減らし、午後の2~3本を除けば午前中の5本で撮影は終了となる。ただし最後の227Dは野沢で20分以上の長停があり、さらに徳沢でも数分停まるため、車で追いかければ余裕をもって2回撮れる「美味しい」被写体。1回目は山都~荻野の大谷川橋梁にて。荻野の近くは川が大きく遠回りに湾曲しているにもかかわらず橋が少ないので、対岸へ渡るのが一苦労である。車を飛ばしてなんとか間に合った。9時頃になると徐々に霧が上がってくる。列車が通過したのはまさに晴れんとするタイミング。わずかでも霧の間から太陽光が差し込むと、これまでの陰鬱な色彩が嘘のように消し飛び、鮮やかな錦秋の彩りを予感する。
上野尻から先は、鉄路が川に沿って険しい谷を進むのに対し、国道49号線はトンネルで内陸をぶち抜いて一気に津川を目指す。車という名前の峠なのか、「車トンネル」を抜けた先の景色は忘れられない。まさに期待を絵に描いたような秋の風景が否応なく目に飛び込んできた。朝の濃霧が嘘のようである。これだ、これを求めてはるばる会津の地までやってきたのだと、そう思えるひと時。そして県道384号線に入って国道を降り、徳沢の集落を目指す。やがて459号線という国道に出るが、幅員が狭く所々に待避所があるというあまりにも貧弱な道路。崖下にへばりつくように川沿いに進み、スノーシェッドの中で新潟県境を越える。山間部を貫く49号線とは違って、きっと昔からの道なのだろう。227Dの2回目は有名撮影地である大巻橋梁の対岸。水鏡がなかったのが唯一残念だったが、それ以外は申し分のない清秋の一コマを切り取ることができた。
写真
1枚目:シグモイドに登場(@野沢~上野尻)
2枚目:川霧が消えてゆく(@山都~荻野)
3枚目:清秋を駆ける(@徳沢~豊実)
2689文字
丹波・越中撮影行 4日目 夕
2014年9月13日 鉄道と旅行
さらば、北陸本線。
・最後の撮影地
水族館を出たのは閉館も間近な16時45分頃。最後は、この近くにある北陸本線の築堤で数本の列車を撮影することにした。水族館からほど近いところにあるサイド向きの場所で413系2本とはくたかを捉えた後、魚津方面へ少し歩く。やがて富山地鉄が築堤をくぐって北陸本線の北側まで回り込んで来るのだが、この両線に挟まれた紡錘状の水田区画が次なる撮影地である。ここはちょうど昨日の午前中に訪れた築堤の反対側にあたり、今の時間帯は富山湾から差し込んで来るオレンジ色の夕日に染め上げられて美しい。まずやって来たのは青い413系。昼間の撮影では何とも「写欲」を削がれる被写体だったが、夕方になると表情が一変したので驚いた。写真でしか見たことがないが往時の旧型客車と似ているからだろうか、この塗色は斜光線を浴びると急に見栄えが良くなる。はくたかもJR車両とはいえ、夕方の光の中ではなかなか様になるではないか。しかし17時半を過ぎるとさすがに光線も弱くなり、海の方を見ると、落陽はまさに厚い雲の陰に隠れようとしているところであった。徐々に濃くなってゆく冷たい薄茜色の空と共に、最後の北陸本線の撮影を終える。
・帰路
時刻が迫っていたので近くにある地鉄の西魚津駅まで急いで走り、JRの魚津との乗換駅である新魚津まで移動する。このまま11分後のはくたかに乗り換えて東京へ帰ることもできるがさすがに慌ただしいので、駅前の十々亭という焼肉屋でビールを飲みながら軽く夕食をとる。ついでに酒屋で土産を物色。迷った末に両方選んでしまったが、今回の旅程にふさわしい高岡の勝駒と、滑川の千代鶴を買って帰ることにした。
魚津から上野までは越後湯沢乗り換えで3時間あまり。特急でも新幹線でも晩酌して、すっかり酔っての帰京となった。
写真(@東滑川~魚津)
1枚目:夕暮れ
2枚目:艶やかに疾走
3枚目:北越との別れ
1684文字
9/13
撮影(東滑川~魚津 西魚津付近 築堤北側その1)
558M[1656] 普通 413系3連(白)
555M[1703] 普通 413系3連(白)
1012M[1712] 特急はくたか21号 681系9連
撮影(東滑川~魚津 西魚津付近 築堤北側その2)
560M[1715] 普通 475系・413系3連(青)
1016M[1728] 特急はくたか16号 681系9連
557M[1730] 普通 413系3連(白)
1057M[1740] 特急北越7号 485系6連(R)
562M[1749] 普通 413系3連(白)
西魚津1753 → 新魚津1758
富山地鉄 モハ16012
魚津1915 → 越後湯沢2059
北陸本線・北越急行・上越線1025M 特急はくたか25号 クモハ681-508
越後湯沢2109 → 上野2222
上越新幹線1350C Maxとき350号 E455-109
上野2236 → 秋葉原2239
山手線2107G モハE231-644
秋葉原2246→ 御茶ノ水2248
中央・総武緩行線2223C サハ209-534
御茶ノ水2252→ 信濃町2302
中央・総武緩行線2259T モハE233-240
・最後の撮影地
水族館を出たのは閉館も間近な16時45分頃。最後は、この近くにある北陸本線の築堤で数本の列車を撮影することにした。水族館からほど近いところにあるサイド向きの場所で413系2本とはくたかを捉えた後、魚津方面へ少し歩く。やがて富山地鉄が築堤をくぐって北陸本線の北側まで回り込んで来るのだが、この両線に挟まれた紡錘状の水田区画が次なる撮影地である。ここはちょうど昨日の午前中に訪れた築堤の反対側にあたり、今の時間帯は富山湾から差し込んで来るオレンジ色の夕日に染め上げられて美しい。まずやって来たのは青い413系。昼間の撮影では何とも「写欲」を削がれる被写体だったが、夕方になると表情が一変したので驚いた。写真でしか見たことがないが往時の旧型客車と似ているからだろうか、この塗色は斜光線を浴びると急に見栄えが良くなる。はくたかもJR車両とはいえ、夕方の光の中ではなかなか様になるではないか。しかし17時半を過ぎるとさすがに光線も弱くなり、海の方を見ると、落陽はまさに厚い雲の陰に隠れようとしているところであった。徐々に濃くなってゆく冷たい薄茜色の空と共に、最後の北陸本線の撮影を終える。
・帰路
時刻が迫っていたので近くにある地鉄の西魚津駅まで急いで走り、JRの魚津との乗換駅である新魚津まで移動する。このまま11分後のはくたかに乗り換えて東京へ帰ることもできるがさすがに慌ただしいので、駅前の十々亭という焼肉屋でビールを飲みながら軽く夕食をとる。ついでに酒屋で土産を物色。迷った末に両方選んでしまったが、今回の旅程にふさわしい高岡の勝駒と、滑川の千代鶴を買って帰ることにした。
魚津から上野までは越後湯沢乗り換えで3時間あまり。特急でも新幹線でも晩酌して、すっかり酔っての帰京となった。
写真(@東滑川~魚津)
1枚目:夕暮れ
2枚目:艶やかに疾走
3枚目:北越との別れ
1684文字
丹波・越中撮影行 4日目 昼
2014年9月13日 鉄道と旅行
地方水族館へ足を運ぶ。
・たわむれ
午後は413系のみで目ぼしい被写体がないので、暇つぶしに魚津水族館を訪れることにした。撮影の合間の水族館、というのは6月の室蘭で初めて生まれたスタイルである。実際のところ一日ぶっ続けでロケハンやら撮影やらを行うのは結構疲れるわけで、休憩のような意味合いも兼ねてこういった地方水族館を見に行くのはなかなか楽しい。
昨日と違い、北陸本線よりも河口側に架かる橋で早月川を渡る。目に飛び込んで来るのは水族館に併設された遊園地、ミラージュランドの観覧車。土曜日ということもあってか水族館の駐車場は結構埋まっていたと記憶しているが、それでもこの適度にひなびた感じが良い。甘いものが欲しくなったので売店でソフトクリームを買い、プールのペンギンを眺めながら食べる。室蘭と同じく、彼らはフンボルトペンギン。日本の気候でも飼いやすいのだろう。しばらく見ていると、ひたすら泳ぎながらちょっかいを出す者や、陸で立ち尽くして定期的に鳴き声を上げる奴など、色々な性格の個体がいると分かって面白い。外にはもう一つ噴水の水たまりのようなプールがあり、おとなしそうなサメが泳ぎ回っていた。雨が降ってもこうして外に放置されているのだろうか。
館内には魚だけでなくカエルやカメもたくさんいて、主に富山県の自然を前面に押し出した展示である。解説は総じて充実しており、とくに「ここを見てほしい!」と書かれたポイントはかなり面白い。目玉は富山湾の水槽で、ブリやクエなど大型の魚がぐるぐる泳ぎ回っている。このアクリル水槽は下方にトンネル構造を有しているため下からも見上げられる。魚の流し撮りをしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。
そういえば2月に氷見の民宿で食べたブリは絶品だったが、毎年毎年こうして泳ぎ回っている奴らが漁獲され、地域の美しい食文化を形成しているのだと思うと、何とも感慨深い。普段刺身や焼き魚で見る姿と、一生物として暮らす姿とが、自分の認識のレベルにおいて絶妙な具合につながってくるのである。そしてかなり強引なこじつけではあるものの、「食膳に上がる前の姿を見る」という点では、黄金の稲穂と一緒に列車を追いかけ続ける今回の撮影行は実は一貫したテーマを持っていたのかもしれない。社会科見学というと陳腐な響きになるが、こうして米が作られ、収穫され、流通している様を目の当たりにすることは、やはり面白いのだ。もっとも、ブリでも米でも何でも、然るべき場所へ行ったり相応の対価を支払ったりすればそれはそれで美味しいのかもしれないが、それらが生まれた風土を肌で感じ取るというこの楽しみは撮影行や旅行に出かけない限りはなかなか得られないと思っている。酒にしても同じことで、実際は東京にいても美味いものはいくらでも見つかるわけだが、それが醸された土地を知っているか、訪れたことがあるかというのは、実は結構な重要な点ではないか。
さて後半部分の展示は世界の熱帯雨林にいるゲテモノや、サンゴやイソギンチャクなどを中心としたもので、純粋に興味をそそられた。特筆すべきは水族館の舞台裏と称し、水槽の裏側を垣間見ることができるスペースが設けられていたことで、絶えず目新しいものを生み出して集客に奔走する地方水族館の姿が思い浮かぶ。みっちり2時間半を満喫してから外へ出ると、辺りはもう夕方の光に包まれ始めていた。
写真
1枚目:フグ
2枚目:ブリ
3枚目:クラゲ
1638文字
9/13
石動1239 → 富山1311
北陸本線449M クモハ521-8
富山1317 → 東滑川1335
北陸本線545M クモハ413-5
魚津水族館
・たわむれ
午後は413系のみで目ぼしい被写体がないので、暇つぶしに魚津水族館を訪れることにした。撮影の合間の水族館、というのは6月の室蘭で初めて生まれたスタイルである。実際のところ一日ぶっ続けでロケハンやら撮影やらを行うのは結構疲れるわけで、休憩のような意味合いも兼ねてこういった地方水族館を見に行くのはなかなか楽しい。
昨日と違い、北陸本線よりも河口側に架かる橋で早月川を渡る。目に飛び込んで来るのは水族館に併設された遊園地、ミラージュランドの観覧車。土曜日ということもあってか水族館の駐車場は結構埋まっていたと記憶しているが、それでもこの適度にひなびた感じが良い。甘いものが欲しくなったので売店でソフトクリームを買い、プールのペンギンを眺めながら食べる。室蘭と同じく、彼らはフンボルトペンギン。日本の気候でも飼いやすいのだろう。しばらく見ていると、ひたすら泳ぎながらちょっかいを出す者や、陸で立ち尽くして定期的に鳴き声を上げる奴など、色々な性格の個体がいると分かって面白い。外にはもう一つ噴水の水たまりのようなプールがあり、おとなしそうなサメが泳ぎ回っていた。雨が降ってもこうして外に放置されているのだろうか。
館内には魚だけでなくカエルやカメもたくさんいて、主に富山県の自然を前面に押し出した展示である。解説は総じて充実しており、とくに「ここを見てほしい!」と書かれたポイントはかなり面白い。目玉は富山湾の水槽で、ブリやクエなど大型の魚がぐるぐる泳ぎ回っている。このアクリル水槽は下方にトンネル構造を有しているため下からも見上げられる。魚の流し撮りをしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。
そういえば2月に氷見の民宿で食べたブリは絶品だったが、毎年毎年こうして泳ぎ回っている奴らが漁獲され、地域の美しい食文化を形成しているのだと思うと、何とも感慨深い。普段刺身や焼き魚で見る姿と、一生物として暮らす姿とが、自分の認識のレベルにおいて絶妙な具合につながってくるのである。そしてかなり強引なこじつけではあるものの、「食膳に上がる前の姿を見る」という点では、黄金の稲穂と一緒に列車を追いかけ続ける今回の撮影行は実は一貫したテーマを持っていたのかもしれない。社会科見学というと陳腐な響きになるが、こうして米が作られ、収穫され、流通している様を目の当たりにすることは、やはり面白いのだ。もっとも、ブリでも米でも何でも、然るべき場所へ行ったり相応の対価を支払ったりすればそれはそれで美味しいのかもしれないが、それらが生まれた風土を肌で感じ取るというこの楽しみは撮影行や旅行に出かけない限りはなかなか得られないと思っている。酒にしても同じことで、実際は東京にいても美味いものはいくらでも見つかるわけだが、それが醸された土地を知っているか、訪れたことがあるかというのは、実は結構な重要な点ではないか。
さて後半部分の展示は世界の熱帯雨林にいるゲテモノや、サンゴやイソギンチャクなどを中心としたもので、純粋に興味をそそられた。特筆すべきは水族館の舞台裏と称し、水槽の裏側を垣間見ることができるスペースが設けられていたことで、絶えず目新しいものを生み出して集客に奔走する地方水族館の姿が思い浮かぶ。みっちり2時間半を満喫してから外へ出ると、辺りはもう夕方の光に包まれ始めていた。
写真
1枚目:フグ
2枚目:ブリ
3枚目:クラゲ
1638文字
丹波・越中撮影行 4日目 朝
2014年9月13日 鉄道と旅行
長距離徒歩鉄。
・朝日がほほ笑む
朝の目玉は、T13編成が充当される北越1号。福岡で下車し、途中の踏切ではくたかと475系6連を押さえた後、定番構図でカメラを構える。手前には黄金の稲穂、背後には淡明な秋空。そしてまだ黄色がかった朝の斜光線が景色を染め上げる。舞台は整った。しかし先ほどから晴れたり曇ったりの繰り返しで、もしや少々遅延しているのか、ここぞというタイミングに列車がやって来ない。精神を消耗させながら、今か今かと待ち続けた数分間は恐ろしく長く感じられ、それこそ地獄のようだった。だが、ついにT13編成は最高の舞台に姿を現した。クリーム、青、緑のストライプがファインダーの中を鮮やかに駆け抜けてゆく。朝日が優しくほほ笑みかけ、最後の秋を走る北越を祝福しているかのようだ。ああまた一つ、美しい風景が失われてゆく。新潟の485系、もう会うことはないだろう。秋空にさようなら。
・秋風が吹き抜ける
1時間弱ひたすら歩き続け、撮影地を移動する。途中でにわか雨に降られて大変であった。定番に比べるとコンパクトな撮影地で、小矢部川を渡った列車がアウトカーブの築堤を走る姿をやはり水田と共に収めることができる。スタンダードな横構図の他、縦に切り取ってみたり、稲穂をクローズアップしてみたり、あるいは少し引いたところから広角でサイドを写してみたりなど、色々遊ぶ。475系の撮影は今ひとつ満足がいかなかったが、R編成の北越に関しては側面の色彩を生かした絵が撮れたのでよしとする。唯一の心残りは、EF81貨物。55分遅延で走っていることを忘れてparasympatheticな人間生理を従順に実行していたところ、列車を撮り損ねるというまさかの大失態を犯してしまった。独特の開放感そして解放感に浸った直後、網膜に結像するEF81の勇姿。秋風が心をすーっと吹き抜けてゆくかのようだ。
最後は413系で締めて、あとは石動まで歩くのみ。道路が単調なので心が折れそうになる。ようやくたどり着いた駅前のスーパーで寿司を買い、駅の待合室で食べることにした。これが安価ながらもなかなかの美味で、小さな感動を覚えたのだった。
写真(@石動~福岡)
1枚目:金色の野を駆け抜ける
2枚目:小矢部川橋梁へ向かって
3枚目:コントラスト
2022文字
9/13
富山536 → 福岡601
北陸本線420M クモハ521-14
撮影(石動~福岡 第1大滝踏切)
1001M[625] 特急はくたか1号 681系9連
423M[633] 普通 475系6連(白+白)
撮影(石動~福岡 定番)
1051M[657] 特急北越1号 485系6連(T)
1081レ[711] 貨物 EF81 453
427M[720] 普通 475系6連(白+青)
4M[728] 特急しらさぎ4号 683系11連
1003M[729] 特急はくたか3号 681系9連
431M[748] 普通 521系2連
426M[752] 普通 475系6連(白+白)
撮影(石動~福岡 小矢部川橋梁付近)
526M[848] 普通 475系6連(白+青)
530M[907] 普通 413系3連(白)
437M[916] 普通 475系6連(白+白)
6M[929] 特急しらさぎ6号 683系8連
4016M[935] 特急サンダーバード16号 681系
?レ[935] 貨物 EF510-1
9430M[946] 快速ホリデーライナーかなざわ 475系3連(白)
?M[955] 回送 683系8連
4001M[1003] 特急サンダーバード1号 683系9連
441M[1025] 普通 521系2連
4018M[1030] 特急サンダーバード18号 681系9連
1009M[1032] 特急はくたか9号 683系9連
1002M[1036] 特急はくたか2号 683系9連
434M[1043] 普通 475系6連(白+白)
1053M[1054] 特急北越3号 485系6連(R)
1052M[1115] 特急北越2号 485系6連(R)
445M[1124] 普通 413系(白)
・朝日がほほ笑む
朝の目玉は、T13編成が充当される北越1号。福岡で下車し、途中の踏切ではくたかと475系6連を押さえた後、定番構図でカメラを構える。手前には黄金の稲穂、背後には淡明な秋空。そしてまだ黄色がかった朝の斜光線が景色を染め上げる。舞台は整った。しかし先ほどから晴れたり曇ったりの繰り返しで、もしや少々遅延しているのか、ここぞというタイミングに列車がやって来ない。精神を消耗させながら、今か今かと待ち続けた数分間は恐ろしく長く感じられ、それこそ地獄のようだった。だが、ついにT13編成は最高の舞台に姿を現した。クリーム、青、緑のストライプがファインダーの中を鮮やかに駆け抜けてゆく。朝日が優しくほほ笑みかけ、最後の秋を走る北越を祝福しているかのようだ。ああまた一つ、美しい風景が失われてゆく。新潟の485系、もう会うことはないだろう。秋空にさようなら。
・秋風が吹き抜ける
1時間弱ひたすら歩き続け、撮影地を移動する。途中でにわか雨に降られて大変であった。定番に比べるとコンパクトな撮影地で、小矢部川を渡った列車がアウトカーブの築堤を走る姿をやはり水田と共に収めることができる。スタンダードな横構図の他、縦に切り取ってみたり、稲穂をクローズアップしてみたり、あるいは少し引いたところから広角でサイドを写してみたりなど、色々遊ぶ。475系の撮影は今ひとつ満足がいかなかったが、R編成の北越に関しては側面の色彩を生かした絵が撮れたのでよしとする。唯一の心残りは、EF81貨物。55分遅延で走っていることを忘れてparasympatheticな人間生理を従順に実行していたところ、列車を撮り損ねるというまさかの大失態を犯してしまった。独特の開放感そして解放感に浸った直後、網膜に結像するEF81の勇姿。秋風が心をすーっと吹き抜けてゆくかのようだ。
最後は413系で締めて、あとは石動まで歩くのみ。道路が単調なので心が折れそうになる。ようやくたどり着いた駅前のスーパーで寿司を買い、駅の待合室で食べることにした。これが安価ながらもなかなかの美味で、小さな感動を覚えたのだった。
写真(@石動~福岡)
1枚目:金色の野を駆け抜ける
2枚目:小矢部川橋梁へ向かって
3枚目:コントラスト
2022文字
丹波・越中撮影行 3日目 夜
2014年9月12日 鉄道と旅行
工場夜景を撮る。
・宵闇の小矢部川
今夜はのすり氏の案内で工場夜景を撮る。
路面電車に揺られること20分、米島口という停車場で下車。北へ向かって15分ほど歩いて小矢部川を渡った先にある岸辺から、南岸にある中越パルプ工業の敷地を撮影する。初夏に訪れた室蘭ほど複雑な解剖学的構造があるわけではなく、構図もシンプルでコンパクト。30~40分もあれば十分撮影を楽しめる。特筆すべきは小矢部川の水鏡で、大胆に広角へ広げれば、もうもうと煙を吐き続ける煙突が鏡像になって面白い。そしてコールラウシュの屈曲点を過ぎれば、写真でなくとも肉眼で細かい表情を読み取れるようになる。しかし、すぐ隣に氷見線の橋梁があることに気が付いたのは撮影も終盤になった頃であった。いきなり列車が通過して驚いたのだが、そういえばここは能町と伏木の中間にあたる地点なのだった。最後は上り列車を光跡にして流してみる。
帰りはちょうど良い時間にバスがあったので、駅近くの繁華街まで乗ることにした。だが平日の夜だというのに、街は閑散としている。北陸本線の全列車が停車する高岡も、その実は一地方都市。案外こんなものかもしれない。そして適当に調べて見つかった高岡大衆酒場という店に入る。我々以外の客はみな地元民といった風であった。ここは焼き鳥は美味かったのだが、刺身が予想外に高くついてしまった感がある。酒を飲みながら一日を振り返った後、22時過ぎの北陸本線で富山まで戻ったのだった。
写真
1枚目:水鏡
2枚目:全景
3枚目:夜空を泳ぐ
914文字
9/12
高岡1845 → 米島口1906
万葉線 111デ
夜景撮影(中越パルプ工業)
高美町2006 → 坂下町
加越能バス
高岡2202 → 富山2219
北陸本線487M クモハ521-30
富山泊
・宵闇の小矢部川
今夜はのすり氏の案内で工場夜景を撮る。
路面電車に揺られること20分、米島口という停車場で下車。北へ向かって15分ほど歩いて小矢部川を渡った先にある岸辺から、南岸にある中越パルプ工業の敷地を撮影する。初夏に訪れた室蘭ほど複雑な解剖学的構造があるわけではなく、構図もシンプルでコンパクト。30~40分もあれば十分撮影を楽しめる。特筆すべきは小矢部川の水鏡で、大胆に広角へ広げれば、もうもうと煙を吐き続ける煙突が鏡像になって面白い。そしてコールラウシュの屈曲点を過ぎれば、写真でなくとも肉眼で細かい表情を読み取れるようになる。しかし、すぐ隣に氷見線の橋梁があることに気が付いたのは撮影も終盤になった頃であった。いきなり列車が通過して驚いたのだが、そういえばここは能町と伏木の中間にあたる地点なのだった。最後は上り列車を光跡にして流してみる。
帰りはちょうど良い時間にバスがあったので、駅近くの繁華街まで乗ることにした。だが平日の夜だというのに、街は閑散としている。北陸本線の全列車が停車する高岡も、その実は一地方都市。案外こんなものかもしれない。そして適当に調べて見つかった高岡大衆酒場という店に入る。我々以外の客はみな地元民といった風であった。ここは焼き鳥は美味かったのだが、刺身が予想外に高くついてしまった感がある。酒を飲みながら一日を振り返った後、22時過ぎの北陸本線で富山まで戻ったのだった。
写真
1枚目:水鏡
2枚目:全景
3枚目:夜空を泳ぐ
914文字
丹波・越中撮影行 3日目 午後
2014年9月12日 鉄道と旅行
砺波のローカル線。
・城端線
今日は本当に運用に恵まれていないので、午後の本線は青い車両しかやって来ない。こういう時でないと訪れない場所を、ということで選んだのは城端線であった。このマイナーな盲腸線のために撮影行を組むということは今後なさそうだし、何より旅行とは常に一期一会であるから「また来れば良い」はあまり通用しない。ここはハットリくんをはじめとする変なラッピング車両がうじゃうじゃ走っているため、純粋にキハ40系列の撮影を楽しむという観点では博打的要素が大きいのだが、DE10牽引のローカル貨物が未だに残っているのは魅力的であった。
高岡の駅ビルでそばを食べた後、二塚まで一駅移動。ここは中越パルプ工業への引込線の分岐駅で、駅はJR貨物が管理するという面白い方式。平屋の一戸建てのような味のある駅舎で、入口近くの池には数匹のカエルがまったりと休んでいた。林方面へ少し歩いていくと、作業員が転轍機の辺りをうろついている。もうそんな時間かと思いきや踏切が鳴り出し、大きく弧を描いて工場へと続く引込線の奥から、推進運転でコキの車列がゆっくりと姿を現した。コンテナを先頭にして列車が走るのを見るのは初めてのことでかなり新鮮。列車は速歩きくらいのスピードでのろのろと構内へ進入してゆく。頑張って後押ししているのはスイッチャーのDB251。小さいながらも、結構な力持ちである。その後、貨車は構内3番線に放置され、スイッチャーはブーンと唸りを上げながら昼下がりの工場へと独り帰って行った。
黄金の稲穂がざわめく。製紙工場の煙突からは白煙が湧き出る。空は秋を感じさせつつも、まだ夏を名残惜しく思っているような感じである。最初の普通列車2本を工場と絡めて撮影した後、二塚を通り過ぎて高岡方面へと場所を移動。すぐ近くには、来春に開業する新高岡の駅舎がほとんど出来上がっている。新幹線が開通した暁には、奥羽本線の新青森~青森のように区間運転の列車が増発されるのだろうか。今日は夕方までこの近辺に居座り、貨物列車と普通列車をのんびり撮影する。新高岡駅をはじめ背景には色々な建物や障害物が写り込むので、上手く切り取るのは結構難しい。しかも下りの貨物は荷がスカスカで、まるで締まらない絵になってしまった。しかし稲刈りの真っ最中だったのはなかなかの救いであった。コンバインで稲穂が刈り取られていく様や農作業の表情を列車と一緒に写し込むことができ、楽しい撮影のひと時を過ごす。ほぼ全ての列車がタラコ色で、変なラッピング車両に遭遇することが少なかったのも幸いであった。
学生で混み合った黄昏時の列車で高岡まで戻る。
写真
1枚目:工場と田園(@二塚~林)
2枚目:秋の一コマ(@高岡~二塚)
3枚目:秋色に染まって(@高岡~二塚)
1783文字
9/12
富山1154 → 高岡1212
北陸本線440M クモハ521-9
高岡1255 → 二塚1259
城端線335D キハ47 1092
撮影(二塚~林 藤平蔵踏切付近)
3082レ[1316] 貨物 DB251
334D[1355] 普通 キハ47形2連
337D[1401] 普通 キハ47形2連
撮影(高岡~二塚)
3083レ[1457] 貨物 DE10 1676
338D[1501] 普通 キハ40形2連
339D[1539] 普通 キハ40形2連
3082レ[1549] 貨物 DE10 1676
340D[1559] 普通 キハ40形2連
341D[1638] 普通 キハ40形2連
342D[1717] 普通 キハ40形2連
343D[1731] 普通 キハ40形2連
二塚1829(+2) → 高岡1834(+2)
城端線344D キハ47 36
・城端線
今日は本当に運用に恵まれていないので、午後の本線は青い車両しかやって来ない。こういう時でないと訪れない場所を、ということで選んだのは城端線であった。このマイナーな盲腸線のために撮影行を組むということは今後なさそうだし、何より旅行とは常に一期一会であるから「また来れば良い」はあまり通用しない。ここはハットリくんをはじめとする変なラッピング車両がうじゃうじゃ走っているため、純粋にキハ40系列の撮影を楽しむという観点では博打的要素が大きいのだが、DE10牽引のローカル貨物が未だに残っているのは魅力的であった。
高岡の駅ビルでそばを食べた後、二塚まで一駅移動。ここは中越パルプ工業への引込線の分岐駅で、駅はJR貨物が管理するという面白い方式。平屋の一戸建てのような味のある駅舎で、入口近くの池には数匹のカエルがまったりと休んでいた。林方面へ少し歩いていくと、作業員が転轍機の辺りをうろついている。もうそんな時間かと思いきや踏切が鳴り出し、大きく弧を描いて工場へと続く引込線の奥から、推進運転でコキの車列がゆっくりと姿を現した。コンテナを先頭にして列車が走るのを見るのは初めてのことでかなり新鮮。列車は速歩きくらいのスピードでのろのろと構内へ進入してゆく。頑張って後押ししているのはスイッチャーのDB251。小さいながらも、結構な力持ちである。その後、貨車は構内3番線に放置され、スイッチャーはブーンと唸りを上げながら昼下がりの工場へと独り帰って行った。
黄金の稲穂がざわめく。製紙工場の煙突からは白煙が湧き出る。空は秋を感じさせつつも、まだ夏を名残惜しく思っているような感じである。最初の普通列車2本を工場と絡めて撮影した後、二塚を通り過ぎて高岡方面へと場所を移動。すぐ近くには、来春に開業する新高岡の駅舎がほとんど出来上がっている。新幹線が開通した暁には、奥羽本線の新青森~青森のように区間運転の列車が増発されるのだろうか。今日は夕方までこの近辺に居座り、貨物列車と普通列車をのんびり撮影する。新高岡駅をはじめ背景には色々な建物や障害物が写り込むので、上手く切り取るのは結構難しい。しかも下りの貨物は荷がスカスカで、まるで締まらない絵になってしまった。しかし稲刈りの真っ最中だったのはなかなかの救いであった。コンバインで稲穂が刈り取られていく様や農作業の表情を列車と一緒に写し込むことができ、楽しい撮影のひと時を過ごす。ほぼ全ての列車がタラコ色で、変なラッピング車両に遭遇することが少なかったのも幸いであった。
学生で混み合った黄昏時の列車で高岡まで戻る。
写真
1枚目:工場と田園(@二塚~林)
2枚目:秋の一コマ(@高岡~二塚)
3枚目:秋色に染まって(@高岡~二塚)
1783文字
丹波・越中撮影行 3日目 昼
2014年9月12日 鉄道と旅行
西方へ転戦。
・T編成と再会
T13編成の北越3号が通過する昼頃まで東滑川~魚津に留まるか否か迷っていたのだが、こういう時は転戦して気分を変えるのも大切である。富山以西ではEF81貨物の3097レも走っていることなので、東滑川を9時44分に出る上り列車で撮影地を移動することにした。判断のタイミングがギリギリだったので速足で駅まで戻ったのだが、駅に着いた途端に構内踏切が鳴り出してまさに間一髪であった。早月川を渡る道のりがかなり長く、朝は意外にも遠くまで歩いてきたことになる。
富山では無料のレンタサイクルを借りて呉羽山近辺の撮影地まで移動する。放置自転車を改修して貸し出していると思しきレンタサイクルで、どれも車種が不揃いであった。神通川を渡った後、まずは南側へ逸れてゆく高山本線の踏切を渡り、北陸新幹線の高架下を目指す。3097レはトンネルを抜けた後のストレートで狙う予定だったが、上下線の間に生い茂った藪が大きすぎて作例からはかけ離れた構図になっていた。仕方がないので、少し引いた場所から構えてみる。ここだとボックスが編成にもろ被ってしまうのだが、時間もないからやむを得まい。やって来たのはEF81 453、縦貫線の異端児である。
続く北越3号は、山を登ったところにある小俯瞰の撮影地にて仕留める。光線状態は理想的。今や風前の灯となった485系が「北越」のマークを誇らしげに掲げて、北陸本線の最後の秋を鮮やかに彩る。左手に目をやれば、はるか金沢まで続く真新しい新幹線の高架が連なっている。新しく生まれ来る者の胎動がますます大きくなる一方で、老いて死にゆく者の最期が刻一刻と近づいている様を象徴しているかのようだ。そういえば今年は東海道新幹線の開業から50年。自らが生きてきた時間も、まもなく24年になろうとしている。時の流れは恐ろしい。
写真(@呉羽~富山)
1枚目:縦貫線の異端児
2枚目:北越、最後の秋
1142文字
9/12
東滑川944 → 富山1005
北陸本線538M クモハ413-9
レンタサイクルによる移動
撮影(呉羽トンネル)
3097レ[1041] 貨物 EF81 453
撮影(呉羽山)
441M[1059] 普通 521系2連
4003M[1102] 特急サンダーバード3号 681系9連
1053M[1113] 特急北越3号 485系3連(T)
1M[1124] 特急しらさぎ1号 683系8連
・T編成と再会
T13編成の北越3号が通過する昼頃まで東滑川~魚津に留まるか否か迷っていたのだが、こういう時は転戦して気分を変えるのも大切である。富山以西ではEF81貨物の3097レも走っていることなので、東滑川を9時44分に出る上り列車で撮影地を移動することにした。判断のタイミングがギリギリだったので速足で駅まで戻ったのだが、駅に着いた途端に構内踏切が鳴り出してまさに間一髪であった。早月川を渡る道のりがかなり長く、朝は意外にも遠くまで歩いてきたことになる。
富山では無料のレンタサイクルを借りて呉羽山近辺の撮影地まで移動する。放置自転車を改修して貸し出していると思しきレンタサイクルで、どれも車種が不揃いであった。神通川を渡った後、まずは南側へ逸れてゆく高山本線の踏切を渡り、北陸新幹線の高架下を目指す。3097レはトンネルを抜けた後のストレートで狙う予定だったが、上下線の間に生い茂った藪が大きすぎて作例からはかけ離れた構図になっていた。仕方がないので、少し引いた場所から構えてみる。ここだとボックスが編成にもろ被ってしまうのだが、時間もないからやむを得まい。やって来たのはEF81 453、縦貫線の異端児である。
続く北越3号は、山を登ったところにある小俯瞰の撮影地にて仕留める。光線状態は理想的。今や風前の灯となった485系が「北越」のマークを誇らしげに掲げて、北陸本線の最後の秋を鮮やかに彩る。左手に目をやれば、はるか金沢まで続く真新しい新幹線の高架が連なっている。新しく生まれ来る者の胎動がますます大きくなる一方で、老いて死にゆく者の最期が刻一刻と近づいている様を象徴しているかのようだ。そういえば今年は東海道新幹線の開業から50年。自らが生きてきた時間も、まもなく24年になろうとしている。時の流れは恐ろしい。
写真(@呉羽~富山)
1枚目:縦貫線の異端児
2枚目:北越、最後の秋
1142文字
丹波・越中撮影行 3日目 朝
2014年9月12日 鉄道と旅行
天は我々を見放した。
・雲が憎い
撮影行の朝は早い。始発の直江津行に乗り込み、東滑川で降りる。ロケハンをしながら魚津方面へと歩みを進めるも、太陽がある方角には厚い雲が浮かんでいてなかなか日差しが出そうにない。一方で西側の空はすっきりと澄み渡り、紺碧の富山湾の向こう側には能登半島の島影まで見えている。結局、越中中村の近くにある撮影地は日が差すことはなかった。早月川を渡っている最中はわずかに晴れ間がのぞいたが、通過したのは地鉄が2本と青の413系のみ。定番とされる築堤は、手前に広がる稲穂の色づきは本当に申し分なかったものの、肝心なときに限って見事に太陽光が雲に遮られ、475系6連もトワイライトエクスプレスも全然色が出ないまま通過してしまった。トワイライトなどは本当にひどい出来で、全編成が濃緑色なものだから真っ黒につぶれて訳が分からない。来春で廃止されるというのに、北陸本線での最後の撮影がこんな形で幕を下ろすとは残念である。はくたかと413系の通過時には思い出したかのように晴れ間が回復したのだった。
のすり氏の案内で定番のさらに魚津方にある撮影地へも足を伸ばす。スケール感こそ小さいものの、黄金の稲穂と青空をコンパクトに収めることができる普通列車向きの撮影地である。さて、この期に及んで空が晴れ渡って来た。背景となる西の空には一点の曇りもなく、紺碧色が無限に広がる。これなら何枚か納得のいく写真が撮れると期待していたのだが、413系も475系もやって来るのは青一色ばかり。折角こんな素晴らしい舞台が用意されているというのに、なぜそこで白の北陸色が来ない。手洗いもガウンも手袋もドレーピングも終わっていよいよ執刀開始というときに、メスがないようなものだ。皮肉にも白い車体のサンダーバードやはくたかは憎いほど美しく写ってくれるから、余計に虚しい。さらに残念なことに、国鉄色475系のA19編成が差し替わってしまい今日は走っていないという情報を得る。ヘッドライトの球切れが原因らしいが、どうやら今日は太陽にも運用にも見放されてしまったようだ。
写真(@東滑川~魚津)
1枚目:ダーク・グリーンの車列
2枚目:朝の築堤
3枚目:実りの秋
1786文字
9/12
富山546 → 東滑川605
北陸本線523M クモハ413-9
撮影(東滑川~魚津 中村)
?M[620] 回送 681系3連
?レ[634] 貨物 EF510
522M[636] 普通 413系3連(白)
525M[636] 普通 413系3連(青)
撮影(東滑川~魚津 早月川橋梁)
527M[652] 普通 413系3連(青)
撮影(東滑川~魚津 西魚津 築堤その1)
4010M[710] 特急サンダーバード10号 681系12連
529M[711] 普通 413系6連(青)
524M[713] 普通 475系6連(白+青)
1051M[731] 特急北越1号 485系6連(R)
526M[733] 普通 475系6連(白+青)
8002レ[742] 特急トワイライトエクスプレス
531M[747] 普通 413系3連(白)
528M[757] 普通 413系3連(青)
1003M[803] 特急はくたか3号 681系9連
530M[809] 普通 413系3連(白)
撮影(東滑川~魚津 西魚津 築堤その2)
532M[822] 普通 413系3連(青)
427M[829] 普通 475系6連(青+白)
533M[847] 普通 413系3連(青)
534M[848] 普通 413系3連(青)
536M[903] 普通 475系6連(青+白)
1005M[910] 特急はくたか5号 475系6連(青+白)
・雲が憎い
撮影行の朝は早い。始発の直江津行に乗り込み、東滑川で降りる。ロケハンをしながら魚津方面へと歩みを進めるも、太陽がある方角には厚い雲が浮かんでいてなかなか日差しが出そうにない。一方で西側の空はすっきりと澄み渡り、紺碧の富山湾の向こう側には能登半島の島影まで見えている。結局、越中中村の近くにある撮影地は日が差すことはなかった。早月川を渡っている最中はわずかに晴れ間がのぞいたが、通過したのは地鉄が2本と青の413系のみ。定番とされる築堤は、手前に広がる稲穂の色づきは本当に申し分なかったものの、肝心なときに限って見事に太陽光が雲に遮られ、475系6連もトワイライトエクスプレスも全然色が出ないまま通過してしまった。トワイライトなどは本当にひどい出来で、全編成が濃緑色なものだから真っ黒につぶれて訳が分からない。来春で廃止されるというのに、北陸本線での最後の撮影がこんな形で幕を下ろすとは残念である。はくたかと413系の通過時には思い出したかのように晴れ間が回復したのだった。
のすり氏の案内で定番のさらに魚津方にある撮影地へも足を伸ばす。スケール感こそ小さいものの、黄金の稲穂と青空をコンパクトに収めることができる普通列車向きの撮影地である。さて、この期に及んで空が晴れ渡って来た。背景となる西の空には一点の曇りもなく、紺碧色が無限に広がる。これなら何枚か納得のいく写真が撮れると期待していたのだが、413系も475系もやって来るのは青一色ばかり。折角こんな素晴らしい舞台が用意されているというのに、なぜそこで白の北陸色が来ない。手洗いもガウンも手袋もドレーピングも終わっていよいよ執刀開始というときに、メスがないようなものだ。皮肉にも白い車体のサンダーバードやはくたかは憎いほど美しく写ってくれるから、余計に虚しい。さらに残念なことに、国鉄色475系のA19編成が差し替わってしまい今日は走っていないという情報を得る。ヘッドライトの球切れが原因らしいが、どうやら今日は太陽にも運用にも見放されてしまったようだ。
写真(@東滑川~魚津)
1枚目:ダーク・グリーンの車列
2枚目:朝の築堤
3枚目:実りの秋
1786文字