錦秋の秩父鉄道 Part 1
錦秋の秩父鉄道 Part 1
錦秋の秩父鉄道 Part 1
のすり氏と秩父鉄道へ行ってきました。
11/19
御花畑746 → 樋口816
秩父鉄道1518レ 1010F(標準塗装)

撮影(樋口~野上間 A地点): ※[ ]内に撮影時刻を示す
1511レ[841] 1001F(スカイブルー)

撮影(樋口~野上間 B地点):
1520レ[846] 7505F

撮影(樋口~野上間 C地点):
1006レ(急行秩父路6号)[906
1513レ[909] 7501F

撮影(樋口~野上間 A地点):
7303レ[920] 102

撮影(樋口~野上間 B地点):
1522レ[931] 7503F
1003レ(急行秩父路3号)[935
1515レ[945] 7002F
24レ[959] 5001F
7104レ[1012] 504
1517レ[1016] 7502F

撮影(樋口~野上間 D地点):
1519レ[1044] 1010F(標準塗装)
7403レ[1058] 301

撮影(樋口~野上間 C地点):
7204レ[1110] 101
1528レ[1114] 1001F(スカイブルー)

凍える朝
銀座線の初電が遅いので、まだまだ夜の明けぬ外苑を信濃町まで歩き、JRに乗る。池袋5時38分発の西武線準急をつかまえ、秩父入り。ついに今年度中に引退するという秩父鉄道1000系の最後の活躍を追い求め、凍てつく寒さの秩父路にやって来た。最低気温は0度、通学の高校生たちは白い息を吐きながら列車に吸い込まれてゆく。前回、前々回の撮影行の記録をもとに、ダイヤグラム上で普通列車の運用を下調べしては来たものの、全てを完璧に把握することはなかなか難しかった。とくに、三峰口での複雑な折返しや、熊谷で潜ったり湧いてきたりする運用が曲者で、とりあえず午前中は分析的に撮影を行うことにする。乗った列車がいきなり1000系だったが、まずは樋口で降りてロケハンを開始。

A地点: 樋口駅を出て国道を野上方面に進むと踏切があるので、そこから線路沿いの農道に沿って歩いていく。それなりに開けた場所で、畑に通じる第四種踏切を渡ったところから撮影する。午前半逆光、午後順光。国道を挟んだ後ろの山や、青く抜けた朝の空を大きく取り入れて列車を待っていると、幸運なことにスカイブルーの1000系が快走してきた。

B地点: A地点の少し先で、下りも上りも緩いアウトカーブで撮影できる。下りは昼前から順光、上りは終日逆光。秩父鉄道のダイヤはかなり過密で、撮影の合間にゆっくりと休憩する暇がない。しかし運用がはっきりするまでは「捨てる」列車を作れないので、1000系が来ても大丈夫なように一枚一枚を真剣に構える。ところが、来るのは7000系や7500系ばかり。ここはじっと耐えるしかない。頻繁に行き交う貨物列車がちょっとした楽しみである。

C地点: B地点のカーブが終わると線路は束の間だが直線を描く。ここを線路沿いの砂利道から撮影する。下りは終日半逆光、上りは終日逆光。赤い101号機の牽いる貨物列車がやって来たことと、スカイブルーの折返しを後追いで決められたことが収穫。線路の近くにはイチョウやモミジの木が鮮やかに色づいているのだが、列車と絡めて撮るとなるとかなり難しい。

D地点: 線路南側の道をさらに野上方面に歩いていくと、再びカーブにさしかかる。ここで線路は南北方向となり、あとは直線のまま野上へ至る。カーブの開始から程なくして踏切があり、ここから曲線の築堤を駆ける下り列車を狙える。終日順光。障害物がやや多いのが難点だが、先ほど乗ってきた標準塗装の1000系と、空の貨車を山へ返しに来た貨物列車を決める。

午前中の撮影で一通りの運用が把握できた。午後は場所を移動するかどうか迷ったが、スカイブルーが影森折返しの運用であり、三峰口へ向かった標準塗装も夕方まで出てこないことが予想されたので、当初から期待していた影森以西での1000系の撮影は諦め、波久礼方面に向けて新たな撮影地を開拓する。

写真
1枚目:晩秋の冷気、快晴の朝(@樋口~野上 A地点)
2枚目:最後の標準塗装編成、1010F(@樋口~野上 D地点)
3枚目:疾走(@樋口~野上 C地点)

1943文字

家路

2012年11月18日 日常
家路
9時前に起床し、自転車を飛ばして三田へ。最速記録の18分で到着w 六本木の交差点から芋洗坂を駆け下り、都道319号線に出てから新一の橋交差点に至るところは快走。今日は60射。上手くいったりいかなかったりする。大三を変えれば離れも変わる。ある部分を直そうとするならば、その部分のみに注目するのではなくて、一つ前の段階に立ち返るとか、もっとプロキシマルな部位から考えてみるとかが大切だと思う。

予科主任とつけ麺を食し、信濃町へ。まずは過去の撮影記録をもとに、秩父鉄道の普通列車の運用を可能な限り洗い出す。しかし全ての列車を記録しているわけではないので、分からない部分も多い。それにしても運用が複雑で困ったw その後は雑務を処理し、公衆衛生実習の資料を作成していたら、あっという間に夜になる。明朝は異様に早いが、今夜から『内分泌』に着手しよう。

写真:東武50050系@二子新地
こういう写真をもっと上手く撮れるようになりたい。

448文字

余生

2012年11月17日 日常
余生
余生
かつて定期試験といえばどんなに早くても1週間前から勉強を始めれば問題ない、という意識でいたのだが、学年が進むにつれてその観念は崩壊していき、3週間前くらいになると莫大な量のデュプロを前に何とも形容しがたい焦燥感を覚えるようになったw 一昨日、新たな4冊が配られついに負債が8冊となったこと契機に、今日は『血管、リウマチ、臨検』と『周産期』を片付ける。単なる読み物として読むのは楽だが、実際に知識を詰め込むとなるとかなりの体力を使う。さすがにこの秋は勉強をさぼりすぎた。そこそこ計画的に進めていこう。

写真:東急8590系@二子玉川
大井町線でのんびりと余生を送る。

318文字

夕刻の複々線

2012年11月16日 大学
夕刻の複々線
夕刻の複々線
自主学習成果発表会
ポスターセッションによる発表会。午前の部のトップバッターで、何とか6分には収めたものの、かなり早口になってしまい、しかもいきなりトランスポゾンがどうこうとか、EGFRが何たらとか、とっつきにくい話だったためか、あるいは自分の説明が下手すぎたためか、座長以外に内容があまり伝わっていないw それにしてもプレゼンは難しい。「書く論理」が全く通用しないという点に難しさがある。しかしこういう特殊な発表会という場に限らず、社会における人との関わりを考えたとき、「話す論理」が占める割合は相当に大きいのだ。先日ひとつ歳を取ったが、この一年はそういう面、すなわち人間との関わりという面、においてもっと見識を深めていきたいと思う。あとは他の発表に傾聴し、質問を投げかける。これだけの短い時間でも面白さが伝わってくるような発表は、本当に上手いと思う。

そういえば「時間厳守」と言いつつも、全然厳しくはなかった。講師会では1秒超過するごとに1点減点、というルールが設けられていたというのに、こんなことならもう少し説明を付け加えても良かったか。

昼食後はどうしようかと思ったが、せっかくなので午後の部の発表もちょこちょこ見て回る。やはり、凄いところは凄い。自分の自主学習はひとまずの形にはなったとはいえ、全力でやり切れたかといえばそういうわけでもない。むろん、環境要因によるところも大きいとは思うが、それにしても感服する。なかなか楽しい一日であった。

通常練習
火曜と同じように、巻藁、的前、立練。練習後は2kgのカレーに挑戦する企画に参加したが、1.5kgほど食べたところで急激に食欲が失せ、敢えなくギブアップww 咀嚼はできても嚥下ができず、無理に嚥下しようものなら嘔気が込み上げてくる。生理的な神経の作用にはどうやっても抗えないことを痛感したw

後悔の念を胸に、とぼとぼと家路につく。

写真:東急5000系、8590系@二子新地
複々線はこの横幅が面白い。

939文字

多彩

2012年11月15日 大学
多彩
多彩
多彩
9時頃に家を出て、信濃町とは逆方向に自転車を進めて三田へ向かう。試合も審査も終わったとはいえ、もみじ会が終わるまでは積極的に自主練を行うことにする。火曜と金曜の定期練習の合間に一日以上を確保するという目標。「高く狭い大三」ばかりをやっていたらいつの間にか全く肩が入らなくなってしまった。ここは基本に立ち返り、巻藁室に掲示してあった「射法八節図解」を参考にしながら、「低く狭い大三」を取ってみる。打起しの角度を55度くらいに下げ、前鋸筋を活かす。

打起しが低いと肩が入りやすくなるが、肘と下筋で弓の力を受けてから、体にぐっと吸い付けるような動作を行う必要がある。しかしこれが意外と上手くいって、従来の射型よりもはるかに自然になったように思う。高い打起しは、大きく振り下ろすような引分けを意図したものであったが、大三における肩甲骨のわずかな位置のずれが、会での肩の入り具合に相当な影響を与えるという欠点をもつ。解剖学的にみても、肩関節の過屈曲は肩を抜く方向にはたらく。それを大三で無理やり的へ向けていたのだが、微妙な感覚が狂うとすぐに総崩れとなる。長いオフシーズンでは新しい射型を身に付け、手の内を改善し、じっくりと会で伸びることを目指したい。

午後は信濃町へ。昨日作ったポスターを講堂へ貼りに行く。何もないところから作ったわりには結構上手くいったが、それでも一枚に堂々と印刷したものや、いかにも本式の学会発表っぽいものに比べると随分と見劣りするw デザインはもっと工夫する余地があったか。

夕方から夜は代々木に入り浸る。帰宅後はプレゼンの練習。普通に話してみたら10分もかかってしまった。ポスターの内容を全部説明するのはおよそ無理なので、大幅に内容を削り、要点だけを抽出して何とか6分に収める。

写真:東急6000系、メトロ8000系、東武50050系@二子新地
3社の多彩な車両が行き交うのがこの路線の面白さ。

844文字

二子玉川入線

2012年11月14日 大学
二子玉川入線
午前中の内科はパスして、撮影記を補完したり雑務を処理したり。昼休みは主将会議に出席するも、大した連絡はなし。午後は日記を追いついた後、メディアでポスターを印刷。B4を9倍に拡大連写したが、そのままつなぎ合わせたら良いのかと思いきや、余白があったりかぶっている部分があったりして、それらをカッターで切り落とし、糊付けして重ね合わせるという作業に追われる。結局、2時間近くかかってしまった。

ひとまずポスターにはなったけれども、如何せん内容が今ひとつすぎる。まあ明後日の発表会は適当に乗り切るとしようw

夜は六本木へ。久々に楽しい時間を過ごした。

写真:東急8500系@二子玉川
カーブのホームに入ってきた電車。

342文字

逆光に霞む

2012年11月13日 大学
逆光に霞む
逆光に霞む
内科学
午前中は血液だということもあり、久々に真面目に講義に出席する。基礎診の内容をベースに症例検討を重ねていく形式で、色々と質問を投げかけられるからそこそこ勉強になる。というか、勉強する意欲の湧く講義である。教科書的な内容が羅列されるだけというのは苦痛でしかないが、こういう形で知識が整理されるのは本当に面白い。午後の外科はパスして、先日の撮影記を書き上げるw

通常練習
最近思ったのだが、自転車に乗ると弓が下手になる気がするw どういうわけか、自転車で三田に向かった日の練習ではいつも押手が押せなくなり、勝手ばかりが強くなる。

自分でそう思い込んでいるだけという可能性も否定はできないが、実は自転車をこぐ運動と弓をひく運動がせめぎ合って、小脳機能が混乱しているのではないかw 今日は途中から全く中らなくなり、練習が終わってしまった。関東の立練のときと同じひき方をしている。

練習後はプレゼントを頂きました。嬉しいねw

写真:東急6000系、8500系@二子玉川
複数枚アップするとなると、組写真のようなことを考え始めてしまうw あまり写真が溜まらないよう、計画的に放出していくとしよう。長きにわたって公開されないまま死蔵されるのはもったいない。

631文字

冬の午後

2012年11月12日 大学
冬の午後
午前中の公衆衛生はパス。良い加減先週のデュプロを完成させる。

公衆衛生学 実習
やはり、「良かった、レポートちゃんと書けそうだね」で15分で終わってしまった。結構エグっているグループもあるようだが、幸いにも我々は講義の資料が充実していたので助かった。

とりあえず週明けまでにもう少し内容を充実させて、全体を統合すれば、そこそこの形のものは出来上がる予感。憂鬱なのは、実習とは別に講義のレポートがまだ残っているということ。これも早めに片づけたい。空いた時間はメディアでポスターを完成させる。仕事がサクサク終わっていく快感。

夕方は三田へ。すいすいと楽にひける。そして、18時33分に22歳を迎えた。いやしかし、己の内実は「22」という数字にとても見合うものではないように思う。この一年は、もっと色々なことに広く関心を持ち、見識を深め、人間的に成熟したいものである。

写真:東急8500系@二子玉川
夕方というほどの時刻ではないのに、さすがはこの季節、もう斜光線である。

506文字

指差確認

2012年11月11日 弓道
指差確認
指差確認
四段審査
副都心線北参道駅から明治神宮へ。この駅はかなり近い。しかし自転車であれば10分ほどで行ける距離なのに、地下鉄ではかなり遠回り。記録主任と待ち合わせて中に入る。今日はかなりひんやりとした空気で、午後からは雨が降るという。いつも通り開会式、矢渡し、模範(といいつつあまり参考にならない)演武を見てから、審査開始。

四段は学科が先で、「基本の姿勢を列記し、立った姿勢について述べよ」という問題。一昨日の参段では五胴が訊かれたというから、四段は真善美とか、高尚な理念みたいなものが来るかと思いきや、意外と普通の内容で安心したw 弓道教本に完全準拠の出題なので、覚えた内容をそのまま解答用紙に転写する。

で、実技は甲矢が的中して「これは通る」と思ったが最後、乙矢は良い具合にすっと収まってきた瞬間に上ずって離してしまい、結構上へ抜いてしまったorz 結局のところ、自ら作り出した「偽りの平常心」というものに見事に欺かれ、そして裏切られてしまったのだ。普段の試合などはともかく、審査は中てようと思ってもそうそう中るものではないから、本当に「正射必中」が求められる世界なのだと痛感した。一手そくりの厳しさを感じつつ、明治神宮を後にする。

夜は溜池山王で鉄板焼。

写真:東急8500系@たまプラーザ
「青森・道南旅行」の連載は昨日でようやく終了。さかのぼって調べてみると、何と去年の12月22日から続いていた模様。あまりにも写真が多いと、時間ばかりが経ってしまいどんどん連載が古くなっていく。懐古を求めるのであればそれも良いのかもしれないが、たとえば一度に複数枚の写真を載せるとか、もう少し工夫をしてみても良いかもしれない。というわけで、今日は2枚をアップしてみよう。ハードディスクを漁ると、夏休みの次の撮影はなんと12月初旬、田園都市線の撮影。解剖実習やら試験やらに追われていた2年前の秋を思い出す。

871文字

金帯を纏う

2012年11月10日 日常
金帯を纏う
久々に田園都市線に乗り、10時半に矯正歯科へ。その後都内へ戻ったが、代々木がまだ開いていなかったので、新宿マインズタワーの広場で弓道教本第一巻を読むw 一応前回の参段のときに通読しているので、わりと内容が頭に入ってくる。仕事を終えた後は大江戸線で三田へ移動。明日の四段に向けて練習を行う。本番の体配を模し、一手ずつひく。後半は意外とうまくいき、そこそこ満足して練習を終える。

写真:特急北斗星@函館
24系25形もそろそろくたびれてきているはずだが・・・

263文字

カーブの終端駅

2012年11月9日 大学
カーブの終端駅
午前中の公衆衛生はパスし、火曜のデュプロを執筆する。一気に仕上げたいものだが、細かいところを気にしているとなかなか終わらない。

公衆衛生学 実習
月曜の放医研訪問のフィードバック。とはいえ「良かった、レポートちゃんと書けそうだね」で15分で終わってしまった。

少し暇になったので、自主学習のポスターを完成に近づける。B4のスライドを9枚に拡大連写する予定。こういう印刷は、文化祭の準備を彷彿させる。

通常練習
夕方は三田で練習。明日初段を受ける一年生が多いので、日弓連式の一手坐射の立練を最後に行う。みな体配に不安がある。どうも日弓連式が軽視される傾向にあるが、これはこれでしっかりと身に付けておくことは大事だと思う。あと、審査前に読むだけの自分が言うのもおかしな話だが、弓道教本には結構良い話が書いてあるので、これはもっと読まれても良い。

練習後はつるの屋へ。ここは楽しいなw

写真:特急北斗星@函館
インカーブ線形の魅力。

521文字

センターキャブ

2012年11月8日 日常
センターキャブ
朝はのんびり起きる。午前中は雑務を処理し、午後は自転車を走らせて三田へ。週末の審査を想定した形式で練習を行ってみたが、全く中らない。一手そくりはおろか、羽分けすら達成できず。押手と勝手の力のバランスが逆転しているということは明らかなのだが、どうやったら押手主導の射が復活するのか、色々と試行錯誤しても答えは出ない。やろうと思ってできる時もあれば、できない時もある。

「押手が弱いのであれば、押手を強くしようと思えば良い」というのは、確かに至極当然なのだけれども、結局のところ「どうやって」強くするのかは自分で体得するほかない。「思う」「意識する」ことそれ自体は非常に大切だが、それらは練習の道筋を指し示すことはあっても、具体的な射型の改善方法にはなりえないのだ。

夕方は代々木に入り浸る。最近の木曜日はいつもこんな感じ。

写真:特急北斗星@函館
「センターキャブ」という言葉はあまり使わず、むしろDE10のような機関車を指す「セミセンターキャブ」という言葉の方がメジャーだと思われる。

480文字
訣別、久留里線 Part 3
訣別、久留里線 Part 3
訣別、久留里線 Part 3
撮り納め。
11/7
撮影(平山駅):
942D[1624] キハ38 1+キハ38 1003
939D[1640] キハ37 1003+キハ30 100

平山1725 → 横田1758
久留里線944D キハ30 100

撮影(横田駅):
943D[1800-1803] キハ30 98+キハ38 1+キハ38 1003
944D[1758-1802] キハ37 1003+キハ30 100

947D[1952-1955] キハ30 62+キハ38 1001
948D[1951-1954] キハ30 98+キハ38 1+キハ38 1003

949D[2050-2053] キハ30 98+キハ38 1+キハ38 1003
950D[2049-2052] キハ30 62+キハ38 1001

横田2052 → 木更津2112
久留里線950D キハ30 62

木更津2121 → 千葉2201
内房線・外房線1144M

千葉2204 → 新日本橋2242
総武本線2210F 快速

日没後
キハ30を先頭に下ってくる次の939Dをどこで撮るか悩んだが、日没が16時39分とかなり早いため、無難に平山で駅撮りを行うことにした。その前の上り列車942Dも一緒に撮影する。流し撮り、という技も選択肢に入らなくはないが、リスクが大きすぎる上に、横向きに大きく開けた好適な場所がなさそうなのでやめにした。やがて太陽は黒い山稜に沈んでいき、空の色は複雑に変化してゆく。灰色、青色、赤色が絶妙に混ぜられた色彩が辺り一面に瀰漫していき、寂然たる秋の黄昏となる。そんな中、成田を飛び立った飛行機が続々と頭上を通過していく。銀色の機体は、角度によってわずかに橙色に煌めく。コクピットからは、今まさに沈もうとする夕日が美しく見えていることだろう。列車は時刻表通りに到着し、そして発車していった。長きにわたって房総の地を走ってきた通勤型気動車たちは、今月末で一斉にその任を終える。

横田の夜
日没と同時に急激に寒さが増してきた。あたかも水蒸気が一気に凝縮しているかのようで、湿った冷たさを感じる。夜は横田で交換を3回撮影する。まずは乗ってきた上り944Dと、下り943D。残念ながらキハ30が顔を並べることはないのだが、電灯に照らされた独特の雰囲気の中、国鉄色を楽しむ。次の945Dと946Dの交換はパスして、夕食を求めて駅の外へ出た。予め調べておいた中華料理屋に入るはずだったのだが、なんと水曜は定休日。いよいよ冷えてきた中、東横田方面に歩いていくも、何も食べるところがない。結局、前回も訪れた東横田駅近くのセブンイレブンに入って、立ち読みで時間をつぶしつつ暖をとり、カップ麺と惣菜を買ってから、広大な駐車場の隅に座って食べるというまさかの展開ww とにかく寒かったが、ようやく体が温まった。過酷な撮影ほど印象に残るものであるから、今日のことはきっと忘れないだろう。

947Dと948Dの交換時刻に合わせて駅へ戻る。運用上は木更津側でキハ30が並ぶことになるが、2両編成と3両編成なので停止位置がずれる。しかし考えようによっては、1両分をまるまる写せる上に、顔の並びも撮れるわけだから、かえって良かったかもしれない。駅構内は意外と明るく、夜の闇に国鉄色がしっとりと溶け込む。毎日当たり前のように続いてきたこのような光景がもう見られなくなるのかと思うと、また一つ、何か大切なものを喪うような気がして悲しくなる。列車が去った後は、寒い中さらに1時間粘り、もう一度今の組み合わせで交換を撮影する。950Dには乗って帰らねばならないので、今度は1番線からの撮影。駅で停車中の撮影、とくに交換の撮影は、非常に難しい。後になって「こんな構図でも撮っておけば良かった」と悔いることもしばしばで、相当な経験を重ねないと限られた時間内で満足のいく撮影はできないように思われる。

最後は、キハ30に揺られて木更津へ戻った。もう、久留里線を訪れることはないだろう。さらば、通勤型気動車の先駆たち。キハ30、キハ37、キハ38、その勇姿をしかと記憶に焼き付けて、この地を後にする。

写真
1枚目:黄昏の平山駅に停車(@平山)
2枚目:毎晩の交換風景(@横田)
3枚目:小休止。まもなく使われるワンマン運転用のミラーが、時の移ろいを物語る(@横田)

2095文字
訣別、久留里線 Part 2
訣別、久留里線 Part 2
訣別、久留里線 Part 2
秋の世界へ。
11/7
小櫃1144 → 平山1202
久留里線929D キハ37 2

撮影(久留里~平山間 P地点):
934D[1243] キハ37 2+キハ38 1002

撮影(久留里~平山間 S地点):
933D[1347] キハ37 1003+キハ30 100

撮影(久留里~平山間 Q地点):
938D[1432] キハ37 1003+キハ30 100

撮影(久留里~平山間 R地点):
937D[1540] キハ38 1+キハ38 1003

秋の丘を歩く
午後は久留里~平山間で撮影を行う。有名な撮影地が点在する区間だが、ある程度の下調べをもとに、自分の足で歩きながらロケハンをするのが面白い。良い構図が意外としばしば見つかったりするもので、定番を押さえることももちろん大切ではあるが、いくらでも独創性を活かし、表現者の意図を反映させる余地のあるところが撮影の醍醐味ともいえる。

P地点: イチョウが色づき始めた簡素な平山駅を出て、国道を久留里方面へ歩く。久留里~平山間は、線路は国道からかなり西側に離れた場所を走るため、どこかで左手に入らねばならない。オフラインでiPadの地図を眺めるとどうやらそれらしき道はあるのだが、実際にここへ来てみると、私道にしか見えない狭い道が突如歩道の脇から分岐している。ここは軽自動車一台がやっと通れるくらいの幅員で、半信半疑で下ってゆくと雑木林の中に入り、林を超えたところで丁字路に出た。左前方は既に景色が開けており、遠くに踏切も見える。やはり、この道で合っていたのだ。踏切の名は浦田踏切という。ここから久留里方面に目をやると、少し離れたところに跨線橋がある。この跨線橋へ伸びる坂道の中腹がP地点で、浦田踏切を小俯瞰しながら、ゆるいS字カーブをゆく列車を収めることができる。午後順光。ちなみに跨線橋は草ぼうぼうで、ここからは逆光とはいえ平山方面へ一気に下ってゆく線路を俯瞰する撮影も可能。

Q地点: 浦田踏切から久留里方面をアウトカーブで狙う構図。ススキが良い具合に茂っていて、秋らしい風情を感じる。しかし障害物のカットが意外と難しく、後追いで撮った938Dは車輪の下の方が切れてしまった。

R地点: 浦田踏切を渡って北東に歩を進めると、道路も線路も小櫃川の支流を渡る。線路はかなり高い築堤の上を走り、下から見上げれば辛うじて橋梁が見える。藪さえなく景色が開けていれば、この辺りも良い撮影地になることだろう。その後も延々と道を北上する。所々に踏切があり、どこから撮ってもそれなりの写真にはなりそうだ。後楽踏切、大門踏切、第二部田踏切と進んでいくが、後二者の中間地点に実りの良いカキの木があり、これを無理やり画面に収めたのがR地点。午後順光。夕刻の低い光線をいっぱいに浴びて、いかにも秋らしい風景の中を列車が駆けてゆく。

S地点: 第二部田踏切のさらに先に、肝心の名前を失念してしまったが小さな第四種踏切があり、この近くのあぜ道で思いがけず良い構図に巡り合った。ここがS地点。小櫃川の支流を渡る橋梁を小俯瞰できる。背後には赤く色づいた木がぽつんとあり、良いアクセントとなっている。ここで933Dを待ったのは大正解で、というのも木更津で編成ごと運用が差し替わってキハ30が亀山方の先頭に入り、昨日から続く元のサイクルに戻ったのである。秋の日差しを真正面から受け、カクカクした箱形の通勤型気動車が山あいを駆けていく。ファインダーの中に国鉄色が現れた時は一気に胸が高鳴った。撮影後はガッツポーズである。今回のベストショットだろうか。

P→S→Q→Rと移動したのでなかなかくたびれた。国道から離れた場所に線路が敷かれているぶん、景色に人工物が少なく自由な撮り方ができる。藪や荒れ地が多いのもこの地域の特徴で、秋の午後の茫漠たる雰囲気に実によく合っていた。単に撮影のみならず、ロケハン自体が面白い区間であった。

写真
1枚目:ぬっと現れたキハ30。国鉄色がまぶしい(@久留里~平山 S地点)
2枚目:ススキの道を去る(@久留里~平山 Q地点)
3枚目:秋の夕刻(@久留里~平山 R地点)

1844文字
訣別、久留里線 Part 1
訣別、久留里線 Part 1
キハ30、37、38の最後の勇姿を追い求め、再び房総へ足を運ぶ。
11/7
新日本橋544 → 千葉620
総武本線529F 快速 モハE217-10

千葉638 → 木更津717
外房線・内房線133M モハ209-2101

木更津723 → 小櫃759
久留里線923D キハ30 98

※ [ ]内に撮影時刻を示す
※ 編成は左が木更津側
撮影(小櫃~俵田間 A地点):
926D[817] キハ38 4+キハ37 1002

撮影(小櫃~俵田間 D地点):
925D[856] キハ37 2+キハ38 1002
928D[912] キハ38 98+キハ38 62+キハ38 1001

撮影(小櫃~俵田間 C地点):
927D[952] キハ38 4+キハ37 1002
930D[1008] キハ37 2+キハ38 1002

撮影(小櫃~俵田間 B地点):
932D[1106] キハ38 4+キハ37 1002

最後の撮影行
9月に訪れたときはあいにくの天気であったが、今回は晴れが期待できそうである。この間と同じ総武快速529Fの車中でのすり氏と落ち合い、房総へ向かう。東京湾の輪郭をずっとなぞる形の道のりであるから、思いのほか時間がかかる。ずいぶんと昼間が短くなったようで、車窓はまだ暗い。久留里線は昨日の大雨でダイヤが乱れ、運用に混乱が生じたようだ。最悪の場合、初っ端の923Dと、その折り返しの928Dを決めた後は、夜になるまでキハ30の出番がないということもあり得る。途中で差し替わりがあることを願いつつ、木更津の駅に降り立つ。目の前には予想通り、2連になったキハ30とキハ38とが仲良く手をつないでホームに佇んでいた。

小櫃~俵田にて
車内は高校生だらけで、途中の駅からもたくさん乗ってくる。キハ30の独特の外吊り扉に学生が吸い込まれていく様子は、実に写欲をそそる光景。堂々と連なった国鉄色の色彩も、やわらかな朝日に美しく浮かび上がっている。

A地点: 小櫃駅を出てしばらく俵田方面に歩き、最初の踏切から上り列車を撮影するポイント。線路はほぼ南北に向いているので、終日逆光。ここだけを切り取ればあたかも山間部のアウトカーブのような雰囲気となる。キハ38を先頭にやってきた926Dに挑んだが、AFが効かず完全なピンボケ写真となってしまった。後味の悪いスタートダッシュである。

B地点: 国道を下っていくと、右手に田んぼが開け、高い築堤の上を線路が走る場所に出る。手前に生えているススキ、セイタカアワダチソウなどの植物、そして背後の雑木林と水色の空を大きく画面に入れて、ひょっこりと姿を現した列車を撮ることができる。美しいというほど美しくはないかもしれないが、何気ない風景写真の一コマとして十分楽しめる。ここでは932Dを撮影。久留里線塗装は意外と沿線の景色にマッチしているように思う。

C地点: さらに国道を下っていくと、学校下踏切というところに行き着く。スタンダードに上り列車を直線で決めることもできれば、近くにあるカキの木を添えて遊びっぽく撮ることもできる。少し小櫃寄りの位置からだと面白い線形を生かすこともできるが、林に囲まれた場所なのでなかなか霧が晴れず、日も当たらない。

D地点: 朝の本命である928Dはここで撮影する。学校下踏切の先には役場下踏切があり、踏切を渡った場所からはアウトカーブで上り列車を狙うか、真正面の構図で下り列車を狙うことになる。925Dは迷わず正面から決めたが、928Dは国鉄色が連なっている姿をなるべく強調したいと考え、踏切を渡らずにインカーブで狙うことにした。カットすべき障害物が多いので3両が収まるかどうかという懸念があったものの、何とか満足のいく一枚となった。「物は撮りよう」である。惜しむらくは、雲の動きが非常に速く、通過時は曇天だったにもかかわらず踏切が開いた直後から晴れ間が戻ってきたことか。天気ばかりは運任せである。

そこそこに充実した午前中の撮影を楽しみ、駅へ戻る。

写真
1枚目:念願の国鉄色2連。後ろのキハ38も忘れてはいけないがw(@小櫃~俵田 D地点)
2枚目:秋の房総らしい風景をゆく(@小櫃~俵田 B地点)

1993文字

北斗星入線

2012年11月6日 大学
北斗星入線
二度寝してしまい目覚めたら9時半。一瞬かなり焦ったが、デュプラーは2限だったことに気付き、胸をなで下ろす。

内科学
2限は神経変性疾患について。アルツハイマー病をはじめとする各種疾患について。病各の内容を少し思い出した。

外科学
3限は出席。胸部外傷について。とりあえず開胸手術がかなり痛そうだということは分かったw 感覚ではなく光景として痛い。最後に銃創の話。当然ながら日本ではあまり見ないとのこと。

4限はパスしてメディアで部報をしたためる。といっても、ほとんどの内容が第2号の転載。その後道場へ移動し、粛々と封筒詰めの作業を行う。思いのほか量が多くて疲弊した。

通常練習
久々の通常練習。班ごとに分かれて巻藁、的前に取り組む。巻藁の前であれこれ議論することも大切ではあるが、やはり的前でそれなりの本数をひかないことには練習にならない。的前は道場でしかできないが、色々な考えを巡らせるのは必ずしも道場でなくとも良い。それこそ、空き時間とか家での時間とかを積極的に使わないことには、効率的な練習は望めないと思う。

練習後は次期四矢会係主任と飲みに行く。至って真剣な対話。長い時間をかけて作られてきた密な人間関係こそ部の財産であり、底力でもある。その質を高めるために、今はあらゆる努力をしなければならないと思うのだ。

写真:特急北斗星@函館
札幌から走ってきた北斗星。DD51の重連はここで任を解かれる。

745文字

終端

2012年11月5日 大学
終端
ゆうべはソファーで眠りこけてしまい、目覚めたら5時。シャワーを浴びて、もぞもぞと布団に潜り込む。何とか8時に起床。

公衆衛生学 実習
稲毛にある放射線医学総合研究所を訪問し、簡単な講義を受ける。色々な裏話のようなものが聞けて面白かったw

今日はこれでおしまい。正午頃に解散となり、帰宅。実習の報告書やら課題のレポートやらが徐々に近づいてきたが、関東も終わったことだしそろそろ真面目に取り組んで行かねば。と言いつつも、夕方まで昼寝して、夜は日記を書きながらぐだぐだ過ごしていたらあっという間に一日が終わってしまった。

写真:函館駅
キハ40が顔を合わせる。

349文字

海鮮丼

2012年11月4日 弓道
海鮮丼
関東大会
中二本、そくり、中二本、後の一手、中二本で20射12中。幸いにも、一立目からすがすがしい心持ちで的に向かうことができたうえに、二立目の皆中は本当に嬉しかった。そもそも試合で皆中したことなど、記憶ではこれが二回目。止めがあまり中らなかったことこそ悔やまれるが、今の自分にとってはまさに御の字の結果であった。

全体としては120射56中。羽分けにはやはり届かず、入賞も遠く七位だったが、四割も中らずに日大戦、三医大戦で繰り返してきた惨敗の流れを、何とかここで断ち切れたように思う。

今だから書けることだが、三医大戦が終わってからの一週間は、苦しみに悶えていた。とくに、団体メンバーをどうするか。対抗戦の惨状を見るに、自分としてはもう、これからの部を担っていく若い世代に多く試合に出てもらう方が、全体としての躍進につながるのではないかと考え、自分は落を退き、前主将にもスタメンから外れて頂く、という編成もかなり真剣に思案していた。土曜の晩、荒木町での思索である。主将といってもあくまで一部員であり、他の部員より偉いわけでも何でもない。ただ、部員をまとめ、共通の目標に向かって牽引し、部を代表する立場にあるというだけなのだ。この個人的な考え方に変わりはないが、しかしながら、色々な意見も踏まえて迷いに迷い、結局その編成はやめることにした。

そう決めた以上、死力を尽くす覚悟で一週間の幕開けを迎えたわけだが、火曜と金曜の立練習は地獄そのものだった。一中や残念を連発し、途中で交代する。しかも落が。立に入りたい部員が大勢いる中で、もはや合わせる顔がない。プレッシャーというよりはむしろ、部全体の利益を著しく損なっているという罪悪感に似たような感情が心を占拠し、自らを押しつぶさんばかりの勢いであった。そういうわけで、ただひたすらに三田へ通った。今回は何とか努力が結実したような形になり、また1中差とはいえ全体としても立練の成績を超えることができ、形容しがたい充足感を覚える。そして何と言っても、心から自分を応援し、試合後に涙を流してまで喜んでくれる人がいるということに、本当に感極まったのだ。

深夜の青山通りを歩き、家路につく。

写真:夕食
夜の函館市街を歩いた後、近くの店へ。北斗星まではまだ少し時間がある。

1028文字

暖色の彩り

2012年11月3日 日常
暖色の彩り
午前中は主将挨拶を書いたりしていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。起床が遅いのが敗因。こういう生活は何とかしたい。昼下がりは信濃町へ足を運び、内務が出演する四谷祭の企画を観に行くw 例年はもう少し客足があったような印象だったが、この「スーパー内輪感」がかえって醍醐味w 実に面白かった。実行委員の皆さんは本当にお疲れさまでした。終了後、同じく観客だった外務と共に三田の道場へ。

今日は大掃除があったようだが、お借りしている我々としては掃除しないにもかかわらず平然と掃除後の自由練習に参加していて、何とも申し訳ない気分になる。昨日の地獄からは何とか脱し、10、10、11で練習を終える。物見をしっかり入れて、的を正視しながら左右均等に引分ける。明日は、これで、行こう。

写真:函館市街
タクシーの車列と倉庫群。

394文字

暗黒の函館山

2012年11月2日 大学
暗黒の函館山
今日も講義はパス。こんなんでいいのか。11時35分に病院正門に集合し、皮膚科の教授に会いに行く。昨日から11月になったことだし、さすがにそろそろ課題を片付け始めようと思い立ち、午後はひたすら自主学習成果発表会用のポスターを作る作業。PowerPointに報告書の内容をコピペし、ちまちまと図表を作成していると、意外とそれなりの見栄えになって我ながら驚いたw やっつけ仕事とはいえ、何とかなりそうだ。

関東大会立練習 其之貮
0、2、0で交代。昨日を引きずった射になってしまい、もうどうしたら良いのか分からない。大三をとったあたりから、中るはずがない射をしているということが、自分で分かってしまう。全体としては、前回も今回も120射55中。三的の前主将と、新進気鋭の四的が非常に安定した的中を出しているにもかかわらず、落は20射3中。どう見ても自分が足を引っ張っていて、羽分けに届いていない。立練後の射込みでも迷走したが、勝手をなるべく遠くへ打起こし、大三でもその力を保持するという方向で努力することにした。こんなに苦難を感じるのは初めてである。

夜は焼肉を食べて忘れる。

写真:函館市街
暗闇の中に煌々と浮かび上がった山頂。麓には赤レンガの倉庫群。

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