21時を回った大阪駅は、心なしか少し人が少なくなってきました。今年も残すところ大みそかのみとなった今、年の瀬というわけです。銀河を見送ってからきたぐにに乗車しようと思っていたのですが、まだ1時間ほど暇なため、駅の外をぶらついてみます。EXCELSIOR CAFFEなる喫茶店がちょうどあったのでその中へ。
次はいよいよきたぐにです。
折戸を通ってデッキに立つと、間もなく扉が閉まり、そしてゆるやかな振動を伴い、列車は加速を始めました。急行きたぐにの旅の始まりです( ´∀`)
取っておいたのはやはり下段寝台。B寝台とはいったものの、幅はボックスシートそのままなので、実に90cm以上あります。中段寝台の底が上からのしかかって来てはいるのですが、大きな車窓を独り占め出来るというのも下段ならではの魅力と言えるでしょう。読書灯や衣紋掛け、小さなテーブル、ささやかな肘入れなども備え付けられていて、通路側のカーテンを閉めれば申し分の無い快適な移動空間となります。梯子を登れば中段・上段寝台がありますが、こちらは一方で狭めの空間。また機会があれば、今度は中上段に乗ってみたいところです。さぞ斬新な体験が待っていることでしょう。3段寝台とあって、建築限界ギリギリまで拡張された車体の天井はかなり高く、照明灯やスピーカーが並んでいます。夜は寝台、昼は座席になる583系、その巧妙かつ優れた機構には改めて感服するところであります。
新大阪を発車後、停車駅などの放送があり、その後は夜の東海道本線を快走。足元からはモーター音が静かに、しかし力強く唸り、京都までは32分という新快速に迫るダイヤで走ります。京都停車中に日付が変わり、その後も列車は米原まで東進。北陸方面への列車のうち、このきたぐにだけが孤塁を守って米原経由で運転されています。大阪と新潟を結ぶ夜行急行きたぐにですが、京都線・琵琶湖線の最終列車としての役目も果たし、翌朝は新津から新潟まで快速列車となって通勤輸送に一役買うという様々な側面を見せています。これに加え、普通車、グリーン車、B寝台、A寝台という583系ならではの多様な車内設備も相まって、この列車は今なお一定の需要を確保し、走り続けているのでしょう。
今のところ代替車両は無く、しかし新造するかと言えばそれだけの必要性も無く、そういうわけで583系はこの急行きたぐにで唯一の定期運用をこなし続けていると言えます。時代が移り変わり、それに伴って快適な新車も次々と登場している中、ボックスシートで特急料金を取るというのは最早現在の価値観には見合わないということも踏まえれば、本来の仕業でないのは幾分残念ではあるものの、「急行」という若干控え目な設定も、21世紀を走る583系にとっては妥当なものなのかもしれません。
そんな考えに耽りながら、流れゆく車窓に目をやります。検札は既に済んで通路は減光され、放送も明朝の直江津まで途絶えることとなりました。いよいよ車内は静かになり、ただ聞こえてくるのはジョイント音とモーター音。読書灯を消して、やはり『月光』などを聴いてみる。どうやら米原に停車したようで、時計を見ると既に1時を回っていました。新疋田を通過して敦賀に至るあたりまではぼんやりしていようかと思っていたのですが、疲労感が来たのか、ただただ感激の念に打ちひしがれていたら、知らぬ間に私は布団にくるまって眠りの中へ( ´∀`)
直江津には朝の6時前に到着。「列車は時刻表通りに走っています」という放送、そして20分ほどの停車時間なので写真を撮りに行こうか否か迷っていたことも記憶に残っているのですが、どうやら私はそこからまた寝てしまったらしいのです。
目が覚めると、あの嫌な感覚。「もしや寝過したか?」というあの感覚。慌てて時計を見ると、7時20分過ぎでした。ということは、と思ってカーテンを開けると、案の定列車は長岡に停車中。幸い14分から28分まで停車することになっているので、飛び起きて荷物をまとめ、顔を洗う暇もなくホームに降り立ったのでした。なんとか寝過ごしは免れましたね。
長岡は雪が降っていました。線路にもそこそこ積もり、気温も低く、いかにも冬の駅といった印象です。そんな中、扉の閉まった急行きたぐには終着の新潟を目指してゆっくりとホームを去って行きました。明け方はもう少し早めに起きていたかったのでそれは少々残念ではあるのですが、しかし何とも充実した約8時間の旅でした。機会があれば是非ともまた乗りたいものです( ´∀`)
その後は急いで新幹線ホームへ向かったのでした。
そして、長いようで短かった旅行は終わりを迎え、家路についたのでした。今日は大みそか、2007年もこれで締めくくりということです。それでは皆様良いお年を。
写真:急行きたぐに@大阪
静かに佇み、発車を待つ。
3182文字
・@喫茶店ココアとサンドイッチなどを頼んで、しばしまったり。夜行列車の旅立ち前、こうして時間を潰すというのも案外良いものです。時間が経つにつれて、密かなる期待が込み上げて来ます。
・@大阪22時過ぎに店を出て、駅に戻ります。長岡回りの復路の乗車券を入鋏し、10番線へと赴きました。精悍な姿のEF65に率いられてホームに滑り込んできた急行銀河は、やはり深い青色をその車体に湛え、ゆっくりと停車。東京発の下り列車とは違って発車までの時間が6分ほどしかないのが残念なのですが、出来る限りの撮影を済ませます。昨晩同様結構な人出でした。やはり廃止発表の影響はそれなりに大きいのでしょう。ディーゼルエンジンの轟音を響かせる電源車を最後尾に従えて、やがて銀河は定刻に大阪を去って行きました。
次はいよいよきたぐにです。
・大阪2327→長岡714遠くに光った3灯のヘッドライトは次第にこちらに近づいてきて、583系の重厚な編成が遂に姿を見せました。高度成長の真っ只中、大量輸送に対応すべく昼夜両用という比類なき使命を背負った583系の姿には、優等列車で各地を流星の如く駆け巡った名車両としての風格というものを、改めて感じることが出来ました。塗装こそ国鉄色ではないものの、その大柄な車体には実に貫禄が見出されます。停車時間は25分ほど。これくらいの余裕があると、撮影も落ち着いて出来、ゆったりとした発車前のひと時を楽しむことができますね。ホームにいた乗客も次第に車内へと吸い込まれていき、いよいよ人はまばらとなってきました。発車時刻です。
急行きたぐに モハネ583 53
折戸を通ってデッキに立つと、間もなく扉が閉まり、そしてゆるやかな振動を伴い、列車は加速を始めました。急行きたぐにの旅の始まりです( ´∀`)
取っておいたのはやはり下段寝台。B寝台とはいったものの、幅はボックスシートそのままなので、実に90cm以上あります。中段寝台の底が上からのしかかって来てはいるのですが、大きな車窓を独り占め出来るというのも下段ならではの魅力と言えるでしょう。読書灯や衣紋掛け、小さなテーブル、ささやかな肘入れなども備え付けられていて、通路側のカーテンを閉めれば申し分の無い快適な移動空間となります。梯子を登れば中段・上段寝台がありますが、こちらは一方で狭めの空間。また機会があれば、今度は中上段に乗ってみたいところです。さぞ斬新な体験が待っていることでしょう。3段寝台とあって、建築限界ギリギリまで拡張された車体の天井はかなり高く、照明灯やスピーカーが並んでいます。夜は寝台、昼は座席になる583系、その巧妙かつ優れた機構には改めて感服するところであります。
新大阪を発車後、停車駅などの放送があり、その後は夜の東海道本線を快走。足元からはモーター音が静かに、しかし力強く唸り、京都までは32分という新快速に迫るダイヤで走ります。京都停車中に日付が変わり、その後も列車は米原まで東進。北陸方面への列車のうち、このきたぐにだけが孤塁を守って米原経由で運転されています。大阪と新潟を結ぶ夜行急行きたぐにですが、京都線・琵琶湖線の最終列車としての役目も果たし、翌朝は新津から新潟まで快速列車となって通勤輸送に一役買うという様々な側面を見せています。これに加え、普通車、グリーン車、B寝台、A寝台という583系ならではの多様な車内設備も相まって、この列車は今なお一定の需要を確保し、走り続けているのでしょう。
今のところ代替車両は無く、しかし新造するかと言えばそれだけの必要性も無く、そういうわけで583系はこの急行きたぐにで唯一の定期運用をこなし続けていると言えます。時代が移り変わり、それに伴って快適な新車も次々と登場している中、ボックスシートで特急料金を取るというのは最早現在の価値観には見合わないということも踏まえれば、本来の仕業でないのは幾分残念ではあるものの、「急行」という若干控え目な設定も、21世紀を走る583系にとっては妥当なものなのかもしれません。
そんな考えに耽りながら、流れゆく車窓に目をやります。検札は既に済んで通路は減光され、放送も明朝の直江津まで途絶えることとなりました。いよいよ車内は静かになり、ただ聞こえてくるのはジョイント音とモーター音。読書灯を消して、やはり『月光』などを聴いてみる。どうやら米原に停車したようで、時計を見ると既に1時を回っていました。新疋田を通過して敦賀に至るあたりまではぼんやりしていようかと思っていたのですが、疲労感が来たのか、ただただ感激の念に打ちひしがれていたら、知らぬ間に私は布団にくるまって眠りの中へ( ´∀`)
直江津には朝の6時前に到着。「列車は時刻表通りに走っています」という放送、そして20分ほどの停車時間なので写真を撮りに行こうか否か迷っていたことも記憶に残っているのですが、どうやら私はそこからまた寝てしまったらしいのです。
目が覚めると、あの嫌な感覚。「もしや寝過したか?」というあの感覚。慌てて時計を見ると、7時20分過ぎでした。ということは、と思ってカーテンを開けると、案の定列車は長岡に停車中。幸い14分から28分まで停車することになっているので、飛び起きて荷物をまとめ、顔を洗う暇もなくホームに降り立ったのでした。なんとか寝過ごしは免れましたね。
長岡は雪が降っていました。線路にもそこそこ積もり、気温も低く、いかにも冬の駅といった印象です。そんな中、扉の閉まった急行きたぐには終着の新潟を目指してゆっくりとホームを去って行きました。明け方はもう少し早めに起きていたかったのでそれは少々残念ではあるのですが、しかし何とも充実した約8時間の旅でした。機会があれば是非ともまた乗りたいものです( ´∀`)
その後は急いで新幹線ホームへ向かったのでした。
・長岡732→東京932駅弁を見ていると発車ベルが鳴ってしまったので、「まいたけ弁当」なるものを咄嗟に購入。急いで乗り込み、無事間に合いました。ここから東京までは2時間の道のり。新幹線はとにかく速いですね。新潟県内はかなり雪が降っていたのですが、越後湯沢を過ぎると間もなく大清水トンネルに入り、県境を越えれば天気は打って変わって青空が広がっていました。やがて、都会の喧噪が戻ってきたわけです。
上越新幹線とき306号 226-1035
・@田町時間が丁度良かったので、田町で上り富士・はやぶさを撮影。この列車も今や東京口最後の九州ブルトレとなりました。
そして、長いようで短かった旅行は終わりを迎え、家路についたのでした。今日は大みそか、2007年もこれで締めくくりということです。それでは皆様良いお年を。
写真:急行きたぐに@大阪
静かに佇み、発車を待つ。
3182文字
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新疋田での撮影を終え、湖西線経由の新快速で京都まで出て来ました。16時を回り、日はいよいよ西に傾いています。これから本日の撮影は後半へと入っていくわけですが、その前にさっぱりするべく風呂にでも入るとします。5月の地域研究では夜景を観に訪れた京都タワーですが、地下3階には浴場があるといいます。
浴場内は広くも狭くもない適度なゆとりがあり、地下水を沸かした湯を流しているという浴槽はなかなか快適なものでした。新疋田では冷たい雨風に吹き付けられてきたゆえ、芯から温まる心持ちです。たまった疲労も一緒に洗い流したところで、小一時間の入浴は終了( ´∀`)
重々しい駆動音を上げたEF81に率いられ、長編成の24系客車が高速で脇を通過していきます。列車は黒い風となって駆け抜けていき、辛うじてその後追いを撮影。赤く灯った2つの尾灯と、深い青色に光る「日本海」のテールマーク、そして窓から淡く漏れ出した電源車の室内灯、小さく輝いた機器の灯り、これらが漆黒の闇の中に浮かび上がったことには浮かび上がったのですが、そうは言ってもやはり暗い写真が出来上がったのでした(1811通過)。
その後は少し場所を移動し、踏切のそばでに三脚を構えることにしました。ここならば照明があるのでずいぶんと明るくなります。狙うは下りの雷鳥41号。しかし時刻になっても現れません。何度も遮断機が降り、その度にがっかりさせられることを繰り返しながら20分ほど待ち、そろそろ諦めかけてきてカメラを片付けようとしたその時、再び遮断機が作動。矢印を見るとまた下り線の模様。今度こそこれが最後と思い、カーブの彼方を見やると間もなく3灯のヘッドライトが輝きました。いよいよ来ましたね。絞り値を上げ、10秒の露光で国鉄色の車体を流しました(1853通過)。
そして山崎駅に戻ります。
その後は12番線へ。ホームがカーブしているので、停車中の姿を大阪寄りの端から望遠で狙えばそこそこの写り方を見せてくれるというわけです。まずは金沢行の最終の雷鳥が到着。その後を追って日本海3号がやって来ました。開放式のB寝台と、同じく開放タイプでプルマン式と呼ばれるA寝台でのみ構成された、今となっては珍しい質素な長編成で遥か青森を目指します。現在走るブルートレインの中では最も国鉄時代の面影を留めている列車であるとも言われています。
カーブした構内にゆっくりと停まった列車は、その美しい編成を横たわらせ、わずかの停車時間の後、青森へと去って行きました。日本海縦貫線を走破する列車として永らく走り続けてきた特急日本海も、来春の改正では1往復に削減されるようです。函館までの運転は既に無くなっているとはいえ、今まで2往復が健在だったというのはむしろ奇跡だったのかもしれません。ブルトレは削減の一途ですが、その最後の時まで見守りたいものです。
ぼんやりと片付けなどをしていると、一番向こう側の18番線に突如なは・あかつきが入線してきました。急いでホームに向かい、側面などを撮影。大阪寄りの線路の上に架けられた歩道橋をふと見てみれば、結構な人数が集まっていました。停車中の機関車を正面から狙えるということで密かな人気があるようです。まもなく発車ベルが鳴り、なは・あかつきはレガートシート車を後にしてゆっくりと駅を滑り去って行きました。この列車は、残念ながら同改正では廃止が下っています。となると、残る九州ブルトレは東京からの富士・はやぶさのみとなるわけです( ´・ω・`)
日没後のブルトレ撮影はここで一段落です。気がつけばすっかり夜、大阪で改札を出ることにしました。
写真:特急日本海@新大阪
青森行の特急列車は、今宵も発車してゆく。
2591文字
・@京都タワー大浴場タワーの入り口を入ると土産物の店が並びますが、エスカレーターで地下へ下っていくと浴場への入り口があります。随所に見られる古風な建築様式は、銀座線渋谷駅のような「昭和」感を醸し出しています。なかなか寂れた雰囲気ではありますが、狭い階段を降りていくと、薄暗めの廊下の脇、理容店の向かい側に、入口がありました。覗くと、結構盛況な様子です。貸しバスタオルも合わせて700円というのが難点ですが、京都駅前という、旅行者には最適な立地なわけですから、致し方ないでしょう。
浴場内は広くも狭くもない適度なゆとりがあり、地下水を沸かした湯を流しているという浴槽はなかなか快適なものでした。新疋田では冷たい雨風に吹き付けられてきたゆえ、芯から温まる心持ちです。たまった疲労も一緒に洗い流したところで、小一時間の入浴は終了( ´∀`)
・京都1718→山崎1731本当は1本前の電車に乗る予定だったのですが、まぁ焦らずにまったり行きましょう。黄昏時の京都駅を去り、まずは山崎へ。そう、サントリーカーブです。
東海道本線 モハ320-12
・@サントリーカーブ山崎に着いてみると既に空は真っ暗になっていました。こんな中わざわざやって来たのは、闇に浮かび上がった特急日本海を後追い撮影してみようかと思っていたからですが、それにしてもさすがに暗すぎです( ´・ω・`) 蒸留所前の例の有名なカーブに到着後、色々と試行錯誤を繰り返しはしたものの、結局まともな見込みの立たないまま、遂に日本海が後方から接近してきてしまいました。
重々しい駆動音を上げたEF81に率いられ、長編成の24系客車が高速で脇を通過していきます。列車は黒い風となって駆け抜けていき、辛うじてその後追いを撮影。赤く灯った2つの尾灯と、深い青色に光る「日本海」のテールマーク、そして窓から淡く漏れ出した電源車の室内灯、小さく輝いた機器の灯り、これらが漆黒の闇の中に浮かび上がったことには浮かび上がったのですが、そうは言ってもやはり暗い写真が出来上がったのでした(1811通過)。
その後は少し場所を移動し、踏切のそばでに三脚を構えることにしました。ここならば照明があるのでずいぶんと明るくなります。狙うは下りの雷鳥41号。しかし時刻になっても現れません。何度も遮断機が降り、その度にがっかりさせられることを繰り返しながら20分ほど待ち、そろそろ諦めかけてきてカメラを片付けようとしたその時、再び遮断機が作動。矢印を見るとまた下り線の模様。今度こそこれが最後と思い、カーブの彼方を見やると間もなく3灯のヘッドライトが輝きました。いよいよ来ましたね。絞り値を上げ、10秒の露光で国鉄色の車体を流しました(1853通過)。
そして山崎駅に戻ります。
・山崎1909→新大阪1929これまで近江塩津、京都、山崎で途中下車したことになるわけですが、いよいよ乗車券の終点、大阪市内へ入ります。
東海道本線 クハ222-2073
・@新大阪ここで日本海3号となは・あかつきを撮影します。とその前に、何か食べねばならないということで、結局また構内の立ち食いにて今度はにしんそばとなりました。
その後は12番線へ。ホームがカーブしているので、停車中の姿を大阪寄りの端から望遠で狙えばそこそこの写り方を見せてくれるというわけです。まずは金沢行の最終の雷鳥が到着。その後を追って日本海3号がやって来ました。開放式のB寝台と、同じく開放タイプでプルマン式と呼ばれるA寝台でのみ構成された、今となっては珍しい質素な長編成で遥か青森を目指します。現在走るブルートレインの中では最も国鉄時代の面影を留めている列車であるとも言われています。
カーブした構内にゆっくりと停まった列車は、その美しい編成を横たわらせ、わずかの停車時間の後、青森へと去って行きました。日本海縦貫線を走破する列車として永らく走り続けてきた特急日本海も、来春の改正では1往復に削減されるようです。函館までの運転は既に無くなっているとはいえ、今まで2往復が健在だったというのはむしろ奇跡だったのかもしれません。ブルトレは削減の一途ですが、その最後の時まで見守りたいものです。
ぼんやりと片付けなどをしていると、一番向こう側の18番線に突如なは・あかつきが入線してきました。急いでホームに向かい、側面などを撮影。大阪寄りの線路の上に架けられた歩道橋をふと見てみれば、結構な人数が集まっていました。停車中の機関車を正面から狙えるということで密かな人気があるようです。まもなく発車ベルが鳴り、なは・あかつきはレガートシート車を後にしてゆっくりと駅を滑り去って行きました。この列車は、残念ながら同改正では廃止が下っています。となると、残る九州ブルトレは東京からの富士・はやぶさのみとなるわけです( ´・ω・`)
日没後のブルトレ撮影はここで一段落です。気がつけばすっかり夜、大阪で改札を出ることにしました。
・新大阪2051→大阪2055残すは急行銀河、そして今晩乗車する急行きたぐにのみとなりました( ´∀`)
東海道本線 サハ207-1023
写真:特急日本海@新大阪
青森行の特急列車は、今宵も発車してゆく。
2591文字
再び駅に戻って来ました。かつて荒地だった駅前は、今では駐車場に整備されています。改めてこのログハウス風の駅舎を見ると、新しくなった駅というものを実感させられます。そういえば元々は、その長さにもかかわらずホームには屋根がありませんでしたね。こうして駅は生まれ変わっていくのでしょう。
さて、雷鳥13号は駅に入ろうと思ったら目の前を通過して行ってしまったため、残る雷鳥はあと3本となりました。駅撮りではどうしても構図が限られてきてしまいますが、のんびりと楽しむことにしましょう。臨時の87号はトンネルから出てきたところや後追い(1212通過)、17号は適当な流し撮りの後追い(1229通過)、そして22号はシャッタースピードを遅めにして正面から流し撮りに挑んでみました(1259通過)。
天気は相変わらず変わりやすく、最後の22号の通過直前にはいきなり激しい霰が叩きつけてきてなかなか大変でした。今回の撮影条件は厳しいといえば厳しいものですが、ここで地味に活躍したのが自作のレンズフード。透明なプラスチック製コップの底を切り抜き、ビニールテープを切り口に巻いて、さらに底を一部裂いておいたビニール袋をコップの胴の部分にかぶせてテープを巻くという簡素な代物。これがカメラを水から守るのに案外役に立ったわけです。コップの口径も丁度良く、なかなか重宝しましたね。今後も是非活用していこうかと思いますww
そんな感じで、本日の新疋田での撮影はこれにて終了となりました。何といっても一番の収穫は、特急日本海でしょうか。何度行っても飽き足らないので、是非とも満足のいくまで訪れてみたいと思います。
その後改札を出て、待合室にあった立ち食いそばで天ぷらそばを食し、一段落。しばらくしてから再びホームに戻り、湖西線方面の新快速が入線する遠い4番線へと歩いて行きました。
その後近江塩津に停まり、ここから湖西線へ。席が空いたので座ると、そのまま北小松あたりまで爆睡し、その後も起きたり眠ったりを繰り返していたらいつの間にか京都に到着しました。
写真:特急雷鳥@新疋田
高速で新疋田を通過する雷鳥。
2111文字
・@新疋田時折晴れることがあってもやはりまたすぐに曇ったりあるいは小雨が降ったりしてしまうので、この後は新疋田での駅撮りで済ませることに決めました。敦賀〜新疋田間は名撮影地の点在する全国でも屈指の区間ですが、天気が許すならば、是非とも次の機会に再挑戦といきたいところであります。
さて、雷鳥13号は駅に入ろうと思ったら目の前を通過して行ってしまったため、残る雷鳥はあと3本となりました。駅撮りではどうしても構図が限られてきてしまいますが、のんびりと楽しむことにしましょう。臨時の87号はトンネルから出てきたところや後追い(1212通過)、17号は適当な流し撮りの後追い(1229通過)、そして22号はシャッタースピードを遅めにして正面から流し撮りに挑んでみました(1259通過)。
天気は相変わらず変わりやすく、最後の22号の通過直前にはいきなり激しい霰が叩きつけてきてなかなか大変でした。今回の撮影条件は厳しいといえば厳しいものですが、ここで地味に活躍したのが自作のレンズフード。透明なプラスチック製コップの底を切り抜き、ビニールテープを切り口に巻いて、さらに底を一部裂いておいたビニール袋をコップの胴の部分にかぶせてテープを巻くという簡素な代物。これがカメラを水から守るのに案外役に立ったわけです。コップの口径も丁度良く、なかなか重宝しましたね。今後も是非活用していこうかと思いますww
そんな感じで、本日の新疋田での撮影はこれにて終了となりました。何といっても一番の収穫は、特急日本海でしょうか。何度行っても飽き足らないので、是非とも満足のいくまで訪れてみたいと思います。
・新疋田1311→敦賀1317さすがにそろそろ昼食を取らないとまずいので、ひとまず敦賀まで出ることにします。4両編成の新快速電車に乗車。車内は丁度席が埋まるほどの混雑で、6分ほどで敦賀に到着となりました。
北陸本線新快速 車番失念
・@敦賀かつては交通の要衝だったこともあり、構内はかなり広いです。とりあえず暖房の効いた待合室で荷物の整理をしつつ、間もなくやって来るであろう下りのトワイライトエクスプレスを待つことにしました。やがて、列車は時間通りに入線してきました。今日の撮影で嬉しいのは、列車がしっかりと定時運行しているということですね。要は、準備したダイヤグラムが大いに役に立つということです。駅にいるのならともかく、ダイヤが乱れていつ来るか分からない列車を寒い中待ち続けるほどつらいことはありません。トワイライトエクスプレスは深緑色を湛えて厳かに停車。登場からそこそこの年月が経ったとはいえ、なお重厚な高級感を醸し出しています。食堂車では着々と夕食の準備が進められていました。さぞ快適な列車の旅でしょう( ´∀`) わずかな停車時間の後、列車は去って行ったのでした。
その後改札を出て、待合室にあった立ち食いそばで天ぷらそばを食し、一段落。しばらくしてから再びホームに戻り、湖西線方面の新快速が入線する遠い4番線へと歩いて行きました。
・敦賀1423→京都1558列車は敦賀を発車すると間もなく、山の中へと入っていきます。御存知上り線には鳩原ループと呼ばれる有名なループ線があり、大きくカーブを切って下り線の線路を跨いだ後、第二衣掛トンネルに入ります。トンネルを抜けてしばらくすると、わずかの間景色が開けて左手の車窓からは敦賀市内を一望でき、そしてそのまま衣掛山の中腹に沿って走ると、ほどなく今度は第一衣掛トンネルに突入し、高度を稼いでいくわけです。ここは運転室後方から眺めていると一層面白い区間ですね。あるいは上りのきたぐにや日本海に乗って一瞬の夜景を楽しむというのも粋なものかもしれません。上下線が完全にセパレートし、曲がりくねった線路を高速で駆け抜けていく様は、何とも味があります。ループ線があるために上りは下りに比べて時間がかかるので、10分弱で新疋田に到着しました。
北陸本線・湖西線新快速 クハ222-2096
その後近江塩津に停まり、ここから湖西線へ。席が空いたので座ると、そのまま北小松あたりまで爆睡し、その後も起きたり眠ったりを繰り返していたらいつの間にか京都に到着しました。
写真:特急雷鳥@新疋田
高速で新疋田を通過する雷鳥。
2111文字
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日本海4号を撮影後も天気は一向に回復しなかったので、駅舎とホームを何度も往復しながら3本ほど雷鳥を撮影していました。本来の予定ならば、昨夏に訪れた小河口、鳩原などの色々な撮影地を回り歩いているはずだったのですが、天気が天気なので残念な心持ちです。そのような中、急に晴れ間がのぞいたわけです。
到着すると、やはりあのカーブがありました。ここから上下線が分かれていくので、あたかも雄大な単線区間を行くかのような写真が撮影できるという、「超」が付くと言っても良いような有名撮影地です。鉄道写真のメッカという人もいらっしゃいますね。日が照ってきて、幾分暖かくなりました。
まず、下りの雷鳥9号と、ふるさと雷鳥を撮影(各々1029、1038通過)。後者はシーズン中大阪⇔新潟間に設定される489系を使用した臨時特急ですが、ヘッドマークは「臨時」。毎回思うのですが、是非とも「雷鳥」マークを掲げて走って欲しいものです。
その後は上りの列車を撮影します。まずは雷鳥16号(1048通過)。冬の光線に照らされてカーブを駆け抜ける雷鳥の姿を収めることが出来、満足です。そしてしらさぎも通過すれば、残るはトワイライトエクスプレス。臨時列車扱いですが、この時期は毎日運転されています。同じような陽気な天気でこちらも撮影できるかと思いきや、日がかげってきてしまいました。それどころか、先ほどから気になってはいたのですが、奥の方の山々に立ち込めていた暗雲が移動してきたと思うと、唐突に霰混じりの雨が降り出してしまいました。急激な天候の変化、山に囲まれたこの近越国境付近ではごく当たり前なのかもしれません。
そんな中、トワイライトエクスプレスが姿を現しました。今朝の日本海に比べると編成は若干短めですが、深緑色に統一された編成はなかなか美しいものといえるでしょう。霰の中、カーブを颯爽と走り抜けていきました(1101通過)。
通過したと思ったらまた少し晴れたり、しかし直後にやはり霰が降ってきたりなどという実に不安定な天候だったので、敦賀方面の撮影地に向かって行くのは断念して、ひとまず新疋田駅に引き返すことにしました。わずか数十分間の晴れ間でしたが、疋田カーブには行けたので良かったです。
写真:特急雷鳥@敦賀〜新疋田
冬枯れの北陸本線を上る。
1174文字
・@疋田カーブそれまで降り続いていた雨の勢いがおさまり始めたと思ったら、雨雲が切れて青空が現われ、それに従って日差しも当たるようになり、いかにも雨上がりといった感じの様子を見せ始めました。これはもしかしたら行けるかもしれないという期待を抱きつつ、とりあえず有名な疋田カーブに向かってみることにしました。
到着すると、やはりあのカーブがありました。ここから上下線が分かれていくので、あたかも雄大な単線区間を行くかのような写真が撮影できるという、「超」が付くと言っても良いような有名撮影地です。鉄道写真のメッカという人もいらっしゃいますね。日が照ってきて、幾分暖かくなりました。
まず、下りの雷鳥9号と、ふるさと雷鳥を撮影(各々1029、1038通過)。後者はシーズン中大阪⇔新潟間に設定される489系を使用した臨時特急ですが、ヘッドマークは「臨時」。毎回思うのですが、是非とも「雷鳥」マークを掲げて走って欲しいものです。
その後は上りの列車を撮影します。まずは雷鳥16号(1048通過)。冬の光線に照らされてカーブを駆け抜ける雷鳥の姿を収めることが出来、満足です。そしてしらさぎも通過すれば、残るはトワイライトエクスプレス。臨時列車扱いですが、この時期は毎日運転されています。同じような陽気な天気でこちらも撮影できるかと思いきや、日がかげってきてしまいました。それどころか、先ほどから気になってはいたのですが、奥の方の山々に立ち込めていた暗雲が移動してきたと思うと、唐突に霰混じりの雨が降り出してしまいました。急激な天候の変化、山に囲まれたこの近越国境付近ではごく当たり前なのかもしれません。
そんな中、トワイライトエクスプレスが姿を現しました。今朝の日本海に比べると編成は若干短めですが、深緑色に統一された編成はなかなか美しいものといえるでしょう。霰の中、カーブを颯爽と走り抜けていきました(1101通過)。
通過したと思ったらまた少し晴れたり、しかし直後にやはり霰が降ってきたりなどという実に不安定な天候だったので、敦賀方面の撮影地に向かって行くのは断念して、ひとまず新疋田駅に引き返すことにしました。わずか数十分間の晴れ間でしたが、疋田カーブには行けたので良かったです。
写真:特急雷鳥@敦賀〜新疋田
冬枯れの北陸本線を上る。
1174文字
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小雨の降る米原駅を去っていく急行銀河を見送ると、駅は再び静寂を取り戻したわけですが、既に朝は始まっています。米原では30分あまりの時間があり、ここで敦賀行の北陸本線に乗り換えるのですが、まだ入線していないようなので、寒い構内をぶらついてみるも、何も無し。ホームでおとなしく待つことにしました。
新疋田といえば山間の寂しい無人駅という印象があったのですが、昨年10月のダイヤ改正で京阪神からの新快速電車が来るようになってから駅舎の改築が行われたようで、小ぎれいなログハウス風の建物に様変わりしていました。舎内には明かりがともり、そこそこに保温され、トイレやテーブルも付いているという、無人駅であることには変わりないものの、かつてとは打って変わった快適な駅舎です。到着後すぐに有名な疋田カーブに向かおうと思っていたのですが、さすがにこの天候では厳しそうなので、ひとまずレインコートを着て駅撮りと相成りました。
しかしながら、まだ夜明け直後ということもありますが、降りしきる雨のために空が暗いです。感度を上げて、なんとかシャッタースピードを稼ぐことにしました。とりあえず狙うは、雷鳥4号、そして日本海4号。冷たい雨風が吹き付け、寒さが身にしみる中、待ちます。
やがて、パノラマグリーン車を先頭にして雷鳥が通過。早朝の上り列車ということもあってか、見たところ乗客はまばら。後続のしらさぎ、そして普通列車の後はいよいよ日本海です。特急日本海を撮る・・・今まで何度この願いが絶たれたことか。いよいよ、この雨の朝が雪辱の時というわけです。
ただ雨音のするのみであった構内に、にわかに鳴り響きわたる警報音。何度となく経験してきたこの緊張感ですが、カメラも既に構えてあるとはいえ、それでもやはり緊張はますます高まっていきます。そして間もなく、遠くに烟るカーブにヘッドライトが閃くと、雨に濡れた二条の鉄路が照らし出されました。次第に列車の全貌が顕わになり、駅に接近してきます。ローズピンクのEF81が24系客車の長編成を牽引し、雨のカーテンを切っていよいよカーブを駆けてきたところを、撮影。中線を通過していく列車の姿は残像のように焼き付けられて、最後には深坂トンネルに吸い込まれていく後追いを撮ったのでした(819通過)。
ようやく果たされました( ´∀`)
写真:特急日本海@新疋田
雨を切り、一路大阪を目指す。
1460文字
・米原614→新疋田655やって来たのは2両編成の521系。419系や475系はこの線区からは惜しくも引退し、湖北を走る普通列車は全てこの系式に置き換えられてしまった模様です。とはいえ、旧来の特急形ないし急行形で普通列車を堪能するのも一方では良かったのですが、新型車両には新型なりの快適さというものがあるのは事実で、新快速電車と同じ座席で北陸本線というのには個人的には若干の違和感があったものの、乗客もわずかで、新疋田までは40分あまりの快適な道のりでした。
北陸本線 クハ520-4
・@新疋田深坂トンネルを抜けるとすぐに新疋田に到着します。空がうっすらと寒々しい水色に変わってきました。ホームに降り立ってみると、やはり天気は雨、それも結構降っています。風も冷たいのでとりあえず駅舎に入ることにしました。
新疋田といえば山間の寂しい無人駅という印象があったのですが、昨年10月のダイヤ改正で京阪神からの新快速電車が来るようになってから駅舎の改築が行われたようで、小ぎれいなログハウス風の建物に様変わりしていました。舎内には明かりがともり、そこそこに保温され、トイレやテーブルも付いているという、無人駅であることには変わりないものの、かつてとは打って変わった快適な駅舎です。到着後すぐに有名な疋田カーブに向かおうと思っていたのですが、さすがにこの天候では厳しそうなので、ひとまずレインコートを着て駅撮りと相成りました。
しかしながら、まだ夜明け直後ということもありますが、降りしきる雨のために空が暗いです。感度を上げて、なんとかシャッタースピードを稼ぐことにしました。とりあえず狙うは、雷鳥4号、そして日本海4号。冷たい雨風が吹き付け、寒さが身にしみる中、待ちます。
やがて、パノラマグリーン車を先頭にして雷鳥が通過。早朝の上り列車ということもあってか、見たところ乗客はまばら。後続のしらさぎ、そして普通列車の後はいよいよ日本海です。特急日本海を撮る・・・今まで何度この願いが絶たれたことか。いよいよ、この雨の朝が雪辱の時というわけです。
ただ雨音のするのみであった構内に、にわかに鳴り響きわたる警報音。何度となく経験してきたこの緊張感ですが、カメラも既に構えてあるとはいえ、それでもやはり緊張はますます高まっていきます。そして間もなく、遠くに烟るカーブにヘッドライトが閃くと、雨に濡れた二条の鉄路が照らし出されました。次第に列車の全貌が顕わになり、駅に接近してきます。ローズピンクのEF81が24系客車の長編成を牽引し、雨のカーテンを切っていよいよカーブを駆けてきたところを、撮影。中線を通過していく列車の姿は残像のように焼き付けられて、最後には深坂トンネルに吸い込まれていく後追いを撮ったのでした(819通過)。
ようやく果たされました( ´∀`)
写真:特急日本海@新疋田
雨を切り、一路大阪を目指す。
1460文字
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遂にこの旅行がやって参りました。今回の趣旨は、寝台列車への乗車をじっくりと味わい、加えて撮影も楽しむという、言ってみればブルートレイン、ないし夜行寝台を堪能し尽くすということで、往路は急行銀河、復路は急行きたぐにに乗車します。そして特急日本海などの撮影も兼ね、間合いに新疋田を訪れるという旅程です。
寝台はほどなく見つかりました。下段が好みなので今回も下段。梯子を登る必要もなく、車窓もたやすく眺められるので、特に開放式寝台にあってはこちらの方が何かと落ち着きます。荷物などを置いて座っていると、やがて軽い振動に背中を突かれました。発車です。何度か書いたことがある気がしますが、この一瞬というのは鉄道旅行において最も趣深い一瞬のうちの一つなのではないかと、私は思うのです。もっとも、在り来たりの列車では俊敏な加速でホームを後にすることがしばしばなので、この一瞬はあまり大したもののようには思えないのですが、それなりの優等列車、それも客車列車となっては、この一瞬は何とも格別なものとなるわけです( ´∀`)
徐々に、徐々に列車は速度を増しつつ、車窓からは東京駅のホームが後ろに滑り去っていきました。日常では度々目にするこの辺りの風景も、夜行列車の車窓からでは全く違った表情を見せています。時たま並走するE電を追い抜き、駅々の脇を通過していくわけですが、都会の喧噪をよそに、夜汽車の車内はまるで別世界。寝台に腰かけたまま、しばらく流れゆく車窓に浸っていました。
列車は品川、横浜、大船と停車していきましたが、荷物を整理したりなどなどで気が付いてみれば東京を発車して1時間あまりが経過。間もなく小田原に到着しようとしているところでした。減光された車内は放送も途絶え、至って静か。皆寝静まったようで、ただ聞こえるのは、足元から響いてくる規則正しいジョイント音。通路の補助席に腰かけ、『月光』と『熱情』を聴きつつ再び車窓に耽ってみます。
1時頃まで、そうしてしみじみと感傷に浸っていました。甚く感激しました、涙が出そうなほど。本当に素晴らしい。言葉では言い表せない、心に触れるこの感動、まさにこれを求めていたのです( ´∀`)
そろそろ夜も更けてきたので、寝ることにします。なにぶん、米原で下車するので朝は早いわけです。布団に身を包んで間もなく、意識は、繰り返すジョイント音の彼方へと遠のいていったのでした。
そして、目が覚めれば5時15分。4時間ほど寝たことになります。米原着は40分なのでちょうど良い時分でしょう。カーテンをめくると、列車はまだ暗い中を黙々と走っていました。雪が積もっていないのは意外でしたが、寒々しい風景です。途中、関ヶ原で上り富士・はやぶさと離合。ブルトレ同士のすれ違いというのも乙なものです。そんな感じで、列車は米原停車に向けてゆるやかに速度を落としていきました。
写真:急行銀河@東京
その格調高き名は、実に夜汽車にふさわしい。
2138文字
・@上野まずやって来たのは上野駅。というのは、臨時のふるさとゴロンと号が発車するためです。毎年末に583系で設定されるこの列車ですが、指定席特急料金であの3段寝台を青森まで楽しめるためか、結構な人気の模様。13番線に着いてみれば凄まじい人出でした。数枚撮影して発車を見送り(2106発車)、その後続いてやってきたあけぼのも同じく見送りました(2145発車)。
・@東京その後東京へ移動。ホームへ上がってみれば、サンライズ出雲・瀬戸と、広島行のサンライズゆめが停車中でした。さて、これらの後はいよいよ銀河です。しばらく待っていると、EF65 1113に率いられて青い客車が厳かに入線してきました。急行銀河の御登場。無論旅行は既に始まってはいるわけですが、それにしても、こうして旅を前にした時、目の前に滑り込んできた大阪行の夜汽車というのには、いかにも旅情を掻き立てられるわけです( ´∀`) そして本当ならばすぐにも乗り込んで、この余韻に浸りたいところなのですが、折角なので発車時刻まで色々と撮影を行っていました。上野から御一緒した方、ありがとうございました。
・東京2300→米原540入線から発車までは30分あまり。来春の廃止が先日発表されたこともあってなかなか人は多かったのですが、まったりとした撮影のひと時を終えると、既に時刻は発車5分前。飲み物などを調達して乗り込みました。
急行銀河 オハネ25 196
寝台はほどなく見つかりました。下段が好みなので今回も下段。梯子を登る必要もなく、車窓もたやすく眺められるので、特に開放式寝台にあってはこちらの方が何かと落ち着きます。荷物などを置いて座っていると、やがて軽い振動に背中を突かれました。発車です。何度か書いたことがある気がしますが、この一瞬というのは鉄道旅行において最も趣深い一瞬のうちの一つなのではないかと、私は思うのです。もっとも、在り来たりの列車では俊敏な加速でホームを後にすることがしばしばなので、この一瞬はあまり大したもののようには思えないのですが、それなりの優等列車、それも客車列車となっては、この一瞬は何とも格別なものとなるわけです( ´∀`)
徐々に、徐々に列車は速度を増しつつ、車窓からは東京駅のホームが後ろに滑り去っていきました。日常では度々目にするこの辺りの風景も、夜行列車の車窓からでは全く違った表情を見せています。時たま並走するE電を追い抜き、駅々の脇を通過していくわけですが、都会の喧噪をよそに、夜汽車の車内はまるで別世界。寝台に腰かけたまま、しばらく流れゆく車窓に浸っていました。
列車は品川、横浜、大船と停車していきましたが、荷物を整理したりなどなどで気が付いてみれば東京を発車して1時間あまりが経過。間もなく小田原に到着しようとしているところでした。減光された車内は放送も途絶え、至って静か。皆寝静まったようで、ただ聞こえるのは、足元から響いてくる規則正しいジョイント音。通路の補助席に腰かけ、『月光』と『熱情』を聴きつつ再び車窓に耽ってみます。
1時頃まで、そうしてしみじみと感傷に浸っていました。甚く感激しました、涙が出そうなほど。本当に素晴らしい。言葉では言い表せない、心に触れるこの感動、まさにこれを求めていたのです( ´∀`)
そろそろ夜も更けてきたので、寝ることにします。なにぶん、米原で下車するので朝は早いわけです。布団に身を包んで間もなく、意識は、繰り返すジョイント音の彼方へと遠のいていったのでした。
そして、目が覚めれば5時15分。4時間ほど寝たことになります。米原着は40分なのでちょうど良い時分でしょう。カーテンをめくると、列車はまだ暗い中を黙々と走っていました。雪が積もっていないのは意外でしたが、寒々しい風景です。途中、関ヶ原で上り富士・はやぶさと離合。ブルトレ同士のすれ違いというのも乙なものです。そんな感じで、列車は米原停車に向けてゆるやかに速度を落としていきました。
・@米原米原では5分あまりの停車時間が設けられています。機関車はホームに収まっているようなので、撮影に回りました。しとしとと小雨の降る、寒い早朝です。そして、一日の始まりです。まことに趣深い6時間40分でした。
写真:急行銀河@東京
その格調高き名は、実に夜汽車にふさわしい。
2138文字
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6. 夜行寝台列車を廃止します
ご利用の減少に伴い、寝台特急「なは・あかつき」(京都〜熊本・長崎)、「日本海2・3号」(大阪〜青森)、寝台急行「銀河」(東京〜大阪)を廃止します。 (JR西日本プレスリリース)
6. その他の輸送改善等
(5)夜行列車を見直します
ご利用の減少に伴い、寝台特急「日本海2・3号」(大阪〜青森間)と寝台急行「銀河」(東京〜大阪間)の運転を取り止めます。
平成20年度から、津軽海峡線における北海道新幹線に関わる建設工事が本格化することから、夜間に一定の工事時間帯を設けます。このため、工事予定時間帯に運行している「北斗星1・4号」(上野〜札幌間)の運転を取り止めるほか、一部列車の時刻変更を行います。 (JR東日本プレスリリース)
遂に公式発表が出てしまいましたか。最早ブルトレに春は来ないわけです。例の朝日の事前報道があったとはいえ、改めて心が痛みますね。しかも、どちらのプレスリリースでも下の方に付け足しみたいに書いてあるだけというのが、いかにも切ない。
で、今日は起きたら11時orz 午後の低効率さは異常です。某会から帰宅後は明日のゼミの作業をやっていたら、そんなこんなで、嗚呼朝刊配達の音が聞こえてくる
( ´・ω・`)
写真:EH500-37牽引コンテナ列車@原宿 06/03/26
山貨を行くEH500-37。
665文字
ご利用の減少に伴い、寝台特急「なは・あかつき」(京都〜熊本・長崎)、「日本海2・3号」(大阪〜青森)、寝台急行「銀河」(東京〜大阪)を廃止します。 (JR西日本プレスリリース)
6. その他の輸送改善等
(5)夜行列車を見直します
ご利用の減少に伴い、寝台特急「日本海2・3号」(大阪〜青森間)と寝台急行「銀河」(東京〜大阪間)の運転を取り止めます。
平成20年度から、津軽海峡線における北海道新幹線に関わる建設工事が本格化することから、夜間に一定の工事時間帯を設けます。このため、工事予定時間帯に運行している「北斗星1・4号」(上野〜札幌間)の運転を取り止めるほか、一部列車の時刻変更を行います。 (JR東日本プレスリリース)
遂に公式発表が出てしまいましたか。最早ブルトレに春は来ないわけです。例の朝日の事前報道があったとはいえ、改めて心が痛みますね。しかも、どちらのプレスリリースでも下の方に付け足しみたいに書いてあるだけというのが、いかにも切ない。
で、今日は起きたら11時orz 午後の低効率さは異常です。某会から帰宅後は明日のゼミの作業をやっていたら、そんなこんなで、嗚呼朝刊配達の音が聞こえてくる
( ´・ω・`)
写真:EH500-37牽引コンテナ列車@原宿 06/03/26
山貨を行くEH500-37。
665文字
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今日明日と、団体臨時列車扱いで、583系仙台車が特急ひばりとして仙台〜上野間を走行(・∀・)・・・これを見逃してしまう手は無いだろうということで、午後、某会に行きがてらちょいと撮影へ赴いて来ました。本当ならば遠征したかったところなのですが、如何せん忙しいので、御手軽に駅撮りと相成りました。
・@赤羽
ここで撮るつもりではなかったのですが、ふとホーム端を見てみれば既に30人あまりが集結ww やはり583系ともなると凄まじい人気ですね。で、上野行きの電車を待っていたのですが、西川口あたりで湘南新宿ラインが異音感知とのことで、しばらく抑止状態。どうやらひばりも遅れそうです。十数分後、ようやくこちら側の安全確認は取れたらしく、運転再開。
・@尾久
ここで上り列車を狙います。そう混んではいないだろうと踏むも・・・やはりホーム端はほとんど飽和状態( ´・ω・`) 元々考えていた正面の縦アングルは相当厳しかったため、結局、望遠を活かして遠くのインカーブで狙うことに。しかし12倍でもまだ足らない距離だったので、結局最後はトリミングの画像処理に頼ることになりました。
しばらく待っているとおもむろにひばりが登場(・∀・) やはり貫禄ありますね。縦構図で撮影し、ホームでの後追いも一応収めたところで、尾久での撮影は終了。ちなみに、上野方はイラストマーク、仙台方は文字マークという粋な計らいでした(1255通過)。
・@上野
後続の普通列車で上野に到着してみるとホームが人であふれ返っていました。ということで向かい側から微妙に前面を撮影するのみ。やがて回送されるとのことで列車はゆっくりと動き出し、上野を後にしていったのでした(1309発車)。よくよく考えてみればこの回送列車を尾久で撮るということも出来ましたが、某会の遅刻がさらに延びるので、本日はここまでです。
583系ひばりといえば4年前の10月にも運転された記憶があります。あの時は確か雨でまともな写真も撮影しなかったのですが、それはそれで印象深かったわけです。そして今回も再びひばりということでしたが、団臨といえども本来の特急運用を堂々とこなす583系の姿には改めて心酔する次第( ´∀`)
明日は上野→仙台の復路行程ですが、目下多忙ゆえに断念せざるを得ないのはまことに遺憾極まる( ´・ω・`)
写真:特急ひばり@尾久
粛々と鉄路を踏みしめてやってきた583系。
1089文字
・@赤羽
ここで撮るつもりではなかったのですが、ふとホーム端を見てみれば既に30人あまりが集結ww やはり583系ともなると凄まじい人気ですね。で、上野行きの電車を待っていたのですが、西川口あたりで湘南新宿ラインが異音感知とのことで、しばらく抑止状態。どうやらひばりも遅れそうです。十数分後、ようやくこちら側の安全確認は取れたらしく、運転再開。
・@尾久
ここで上り列車を狙います。そう混んではいないだろうと踏むも・・・やはりホーム端はほとんど飽和状態( ´・ω・`) 元々考えていた正面の縦アングルは相当厳しかったため、結局、望遠を活かして遠くのインカーブで狙うことに。しかし12倍でもまだ足らない距離だったので、結局最後はトリミングの画像処理に頼ることになりました。
しばらく待っているとおもむろにひばりが登場(・∀・) やはり貫禄ありますね。縦構図で撮影し、ホームでの後追いも一応収めたところで、尾久での撮影は終了。ちなみに、上野方はイラストマーク、仙台方は文字マークという粋な計らいでした(1255通過)。
・@上野
後続の普通列車で上野に到着してみるとホームが人であふれ返っていました。ということで向かい側から微妙に前面を撮影するのみ。やがて回送されるとのことで列車はゆっくりと動き出し、上野を後にしていったのでした(1309発車)。よくよく考えてみればこの回送列車を尾久で撮るということも出来ましたが、某会の遅刻がさらに延びるので、本日はここまでです。
583系ひばりといえば4年前の10月にも運転された記憶があります。あの時は確か雨でまともな写真も撮影しなかったのですが、それはそれで印象深かったわけです。そして今回も再びひばりということでしたが、団臨といえども本来の特急運用を堂々とこなす583系の姿には改めて心酔する次第( ´∀`)
明日は上野→仙台の復路行程ですが、目下多忙ゆえに断念せざるを得ないのはまことに遺憾極まる( ´・ω・`)
写真:特急ひばり@尾久
粛々と鉄路を踏みしめてやってきた583系。
1089文字
やはり、時代の流れには逆行できないのだと思いましたよ。そして、ある一時代の終焉をもまた感じてしまいます。いつこの時がやって来るのか、常にそのような不安を抱きつつ過ごしてきたわけですが、それが時間の問題だといくら認識していたとはいえ、いざ厳しい現実を突きつけられると複雑な心境になります・・・
19年春ダイヤ改正:
急行銀河廃止、特急なは・あかつき廃止、特急日本海1往復減便、特急北斗星1往復減便
20年春ダイヤ改正:
特急富士・はやぶさ廃止見込
朝日の朝刊1面を見て愕然としましたよ・・・ついに来てしまいましたか。その古風なネーミング自体にも歴史が感じられますが、地味な存在ながら半世紀もの間東京大阪を結んできた急行銀河も、長い歴史に幕が下ろされてしまうようです。そして九州ブルトレはまた一つ姿を消し、再来年の春には東海道・山陽筋を走るブルトレは皆無になるといいます。
大変残念なのですが、しかしこうして時代が移り変わって行くのですね・・・( ´・ω・`)
写真:銀河テールマーク@東京
4年前の鉄研冬の旅行の出発日、東京駅にて撮影。夜行列車に最もふさわしいであろうこの名も、消えゆく運命に。
557文字
19年春ダイヤ改正:
急行銀河廃止、特急なは・あかつき廃止、特急日本海1往復減便、特急北斗星1往復減便
20年春ダイヤ改正:
特急富士・はやぶさ廃止見込
朝日の朝刊1面を見て愕然としましたよ・・・ついに来てしまいましたか。その古風なネーミング自体にも歴史が感じられますが、地味な存在ながら半世紀もの間東京大阪を結んできた急行銀河も、長い歴史に幕が下ろされてしまうようです。そして九州ブルトレはまた一つ姿を消し、再来年の春には東海道・山陽筋を走るブルトレは皆無になるといいます。
大変残念なのですが、しかしこうして時代が移り変わって行くのですね・・・( ´・ω・`)
写真:銀河テールマーク@東京
4年前の鉄研冬の旅行の出発日、東京駅にて撮影。夜行列車に最もふさわしいであろうこの名も、消えゆく運命に。
557文字
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今日は6時間目だけ学校へ行けば良いという研究授業の日。敢えていつも通りに起きてみようと目論んでいたのですが、しかし気がついてみれば時計は既に9時orz その後はかなり微妙に●岡をやってみたりするも、平日のこの中途半端な午前中、貨物列車の誘惑にかられたので10時半過ぎに家を出て来ました。
・田園都市線
さも当たり前かの如く平気な感じでダイヤが3分ほど遅れてました。よって、元々予定していた溝の口での南武線乗換えは撃沈。新秋津には直前に到着することになりそうです。
・@新秋津
次の南武線の電車は12分後・・・なかなか長い。府中本町でEF65更新機+ホキ3両程度の謎な列車が新鶴見方面に駆け抜けて行く(1155通過)のを目撃しつつ、新秋津へ。今日はここで3461レと5764レを狙います。前者はワム、後者はホキを堂々連ねて走るという、どちらも有名な列車ですね。
しかしながら、時間になったにもかかわらず3461レは現れず・・・所定の運用では、EF65で現存する唯一のF形515号機が充当されるはずだっただけに、まことに残念。ウヤなのでしょうか。今日はこれを目当てにしていたといっても過言ではないわけですからね。
萎えていたところ、EF210-132率いる5562レがタキ16両という編成で通過して行きました(1231通過)。さて、ここで気を取り直して次の5764レに期待することにします。まもなくやって来たのは、EF65 528+ホキ20両+タキ16両という見事な編成(1245通過)。ホキは秩父鉄道からの返空ですが、1日1往復ながら首都圏でも石炭列車が走っているということに少なからぬ感動を覚えるところです。
・@西国分寺
最後に西国分寺で5772レを撮影してから学校へ向かうことにします。定刻に来てくれれば13時4分発という中央線に乗ることができるので、辛うじて50分までにはオープンスペースに到着することができるという算段です。やがて接近放送がかかり、現れたのはEF65 506+タキ16両(1303通過)。無事に定通でした。が、何かと焦っていたので編成の奥側がわずかながら切れるという出来になってしまいました。
以上で今日の撮影はお終い。528号機といい、506号機といい、非貫通のP形(無論一般形もそうですが)にはなかなかの重量感があって、個人的にはかなり好めます。更新色塗装も、貨物機らしいなかなか良い味を醸し出してくれてます。
・西国分寺→国分寺
13時4分発、と思いきや遅れてやって来ました。
・国分寺→三鷹
国分寺で降りて青梅特快に乗り換えるわけですが、ここで上下線とも一時運転見合わせ。どうやら阿佐ヶ谷で緩行線が人身事故を起こしたらしく、その安全確認とやらを行っていた模様。5分ほどすると確認がとれたとのことで快速線は運転再開。しかしノロノロ運転が続いたため、吉祥寺24分発の井の頭線急行に間に合うことは絶望的になってしまったのでした。
・三鷹→吉祥寺
吉祥寺に着いてみれば既に26分( ´・ω・`) どうやらギリギリで駆け込むことになりそうです。
・吉祥寺→駒場東大前
結局、駅に着いたのが54分ww 必死で走って校門前に58分に到着。あとはオープンスペースへ移動するのみ。既に多くの人々が集まっている中、着席したのが59分40秒くらい。なんとか遅刻は免れましたねww
・研究授業
で肝心の研究授業ですが・・・今日はこのために学校へ来たのか( ´・ω・`) 「現代日本が対外意識を感じる場面」について書かれた他人の例に関して3人くらいで合議をするという内容なわけですが、何かあまり実りが無いorz 話している最中も多くの人々が周りをウロウロして落ち着かず、結局ほとんどと言って良いほどまとまりませんでした。むしろ小論を書くということを本格的に認識させられてしまったわけです。
そんな感じで終了。あとは直帰しました。何とも微妙な金曜日でしたね。
写真:5764レ@新秋津
わずかではありますが、右上の方に紅葉が写ってます。P型率いる石炭(返空)列車、長編成での堂々走行はなかなかの迫力。
1887文字
・田園都市線
さも当たり前かの如く平気な感じでダイヤが3分ほど遅れてました。よって、元々予定していた溝の口での南武線乗換えは撃沈。新秋津には直前に到着することになりそうです。
・@新秋津
次の南武線の電車は12分後・・・なかなか長い。府中本町でEF65更新機+ホキ3両程度の謎な列車が新鶴見方面に駆け抜けて行く(1155通過)のを目撃しつつ、新秋津へ。今日はここで3461レと5764レを狙います。前者はワム、後者はホキを堂々連ねて走るという、どちらも有名な列車ですね。
しかしながら、時間になったにもかかわらず3461レは現れず・・・所定の運用では、EF65で現存する唯一のF形515号機が充当されるはずだっただけに、まことに残念。ウヤなのでしょうか。今日はこれを目当てにしていたといっても過言ではないわけですからね。
萎えていたところ、EF210-132率いる5562レがタキ16両という編成で通過して行きました(1231通過)。さて、ここで気を取り直して次の5764レに期待することにします。まもなくやって来たのは、EF65 528+ホキ20両+タキ16両という見事な編成(1245通過)。ホキは秩父鉄道からの返空ですが、1日1往復ながら首都圏でも石炭列車が走っているということに少なからぬ感動を覚えるところです。
・@西国分寺
最後に西国分寺で5772レを撮影してから学校へ向かうことにします。定刻に来てくれれば13時4分発という中央線に乗ることができるので、辛うじて50分までにはオープンスペースに到着することができるという算段です。やがて接近放送がかかり、現れたのはEF65 506+タキ16両(1303通過)。無事に定通でした。が、何かと焦っていたので編成の奥側がわずかながら切れるという出来になってしまいました。
以上で今日の撮影はお終い。528号機といい、506号機といい、非貫通のP形(無論一般形もそうですが)にはなかなかの重量感があって、個人的にはかなり好めます。更新色塗装も、貨物機らしいなかなか良い味を醸し出してくれてます。
・西国分寺→国分寺
13時4分発、と思いきや遅れてやって来ました。
・国分寺→三鷹
国分寺で降りて青梅特快に乗り換えるわけですが、ここで上下線とも一時運転見合わせ。どうやら阿佐ヶ谷で緩行線が人身事故を起こしたらしく、その安全確認とやらを行っていた模様。5分ほどすると確認がとれたとのことで快速線は運転再開。しかしノロノロ運転が続いたため、吉祥寺24分発の井の頭線急行に間に合うことは絶望的になってしまったのでした。
・三鷹→吉祥寺
吉祥寺に着いてみれば既に26分( ´・ω・`) どうやらギリギリで駆け込むことになりそうです。
・吉祥寺→駒場東大前
結局、駅に着いたのが54分ww 必死で走って校門前に58分に到着。あとはオープンスペースへ移動するのみ。既に多くの人々が集まっている中、着席したのが59分40秒くらい。なんとか遅刻は免れましたねww
・研究授業
で肝心の研究授業ですが・・・今日はこのために学校へ来たのか( ´・ω・`) 「現代日本が対外意識を感じる場面」について書かれた他人の例に関して3人くらいで合議をするという内容なわけですが、何かあまり実りが無いorz 話している最中も多くの人々が周りをウロウロして落ち着かず、結局ほとんどと言って良いほどまとまりませんでした。むしろ小論を書くということを本格的に認識させられてしまったわけです。
そんな感じで終了。あとは直帰しました。何とも微妙な金曜日でしたね。
写真:5764レ@新秋津
わずかではありますが、右上の方に紅葉が写ってます。P型率いる石炭(返空)列車、長編成での堂々走行はなかなかの迫力。
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土・日きっぷの本券と、そばにあった4枚の指定券。夕べ断念した旅行であるが、これらを眺めていると矢も楯もたまらなくなり、583系との対面を心待ちにしながら、雨の降りしきる昼下がり、私は大宮駅の新幹線ホームにいた。目指すは磐越西線。あいづライナーを求め、北へ向かうわけである。
で、さすがは新幹線、すぐに宇都宮に着いたと思いきや、大宮からたったの53分で下車駅の郡山に到着してしまいましたww
さて、いよいよ乗り込みましょう。往路は予め指定券を用意しておいたのですが、指定席車には私を含め乗客は4人。何とも快適です。かなり高い天井、そしてその両脇にある寝台収納。細い天井からの灯りにやや薄暗く照らされた広いボックス席。青いモケットに、緑色の化粧板。この車両独特の雰囲気は、やはり乗って初めて分かるもの。車内にもどこか、他の車両とは一線を画したような重々しい味わいが感じられます。
ゆっくりと滑り出した列車は、やがて加速を開始。郡山の構内を抜けると線路は逸れ、あいづライナー3号は会津若松を目指して、雨の磐越西線を西進し始めたのでした。郡山に近いうちはまだ家々が目立ちますが、磐梯熱海を過ぎる頃になると次第に山の中へ。ゴトゴトと背中を突く心地良い振動。さすがは特急車両と言わんばかりの安定した走りに揺られ、雨の車窓に目をやる・・・何とも乙なものです。列車はやや高い場所を走っているようで、下方に雨の集落を見下ろしつつ進み、やがて沼上信号場で交換待ちとなりました。その後しばらく走るとどうやら平地に戻った様子。ずいぶんと景色が開けてきたと思った頃、猪苗代に到着し、わずかの停車時間で再び発車。そして列車はまた山の中へ。外はさぞ寒いのでしょう。そんな雨の磐越路を583系に揺られて進んでいく、良いですね(・∀・)
それにしても座席が広くて快適です。このどっかりとした安定感は他になかなか無いでしょう。特急車両といえどもリクライニングが出来ないことに疑問の声があるのはもっともですが、それでもなおこの座席は評価に値します。私は浅い眠りに落ち、気がつけば広田を通過したところでした。まもなく終点の会津若松です。
583系、また会う日まで。
その後は湘南新宿ラインで渋谷まで南下。583系のボックスに座ってしまうと、E231系のそれは最早おもちゃ同然ww 道のりとしては会津若松を往復するのみという行程でしたが、土・日きっぷの元は取れましたし、何よりも磐越西線の583系を存分に楽しめたわけで、良き日曜日となりました。
写真:快速あいづライナー@郡山
583系が停車中。
2782文字
・大宮1402→郡山1455さて、こんな感じで始まった半日旅行、思い立ったのは今朝起きてからまもなくでした。このまま土・日きっぷを見捨ててしまうのはあまりにも勿体ない、それにこの旅行における一つの大きな目的でもあった583系の堪能、これを諦めてしまうのはやはり非常につらい、そういった思いで、散髪に行った後、急遽出かけました。また今日は何処も雨模様のようですから、所謂「乗り鉄」を楽しむには絶好の機会ではないかと、そうも感ぜられたわけです。
東北新幹線 やまびこ55号
で、さすがは新幹線、すぐに宇都宮に着いたと思いきや、大宮からたったの53分で下車駅の郡山に到着してしまいましたww
・郡山1522→会津若松1631在来線ホームに降り立つとまもなく、2番線に列車はやって来ました。583系あいづライナーです(・∀・) その荘重な車体をしっとりと雨に濡らしながら、厳かに入線してきた583系。何時見ても本当に美しい。特急型電車の最高傑作ではないかと、さすがに大げさかもしれないが、いやしかし私はそこまで言っても過言ではないと思っています。掲げているのは真紅の「あいづ」マーク。「あかべぇ」の絵が小さく隅に入っているのもなかなか粋なところ。側面には、583系特有の正方形をした行先幕。そして何よりも、この塗り分け。発車までの20分など、ひたすら撮り続けていたらほんのあっという間の時間です。
磐越西線 快速あいづライナー3号 モハネ583−100
さて、いよいよ乗り込みましょう。往路は予め指定券を用意しておいたのですが、指定席車には私を含め乗客は4人。何とも快適です。かなり高い天井、そしてその両脇にある寝台収納。細い天井からの灯りにやや薄暗く照らされた広いボックス席。青いモケットに、緑色の化粧板。この車両独特の雰囲気は、やはり乗って初めて分かるもの。車内にもどこか、他の車両とは一線を画したような重々しい味わいが感じられます。
ゆっくりと滑り出した列車は、やがて加速を開始。郡山の構内を抜けると線路は逸れ、あいづライナー3号は会津若松を目指して、雨の磐越西線を西進し始めたのでした。郡山に近いうちはまだ家々が目立ちますが、磐梯熱海を過ぎる頃になると次第に山の中へ。ゴトゴトと背中を突く心地良い振動。さすがは特急車両と言わんばかりの安定した走りに揺られ、雨の車窓に目をやる・・・何とも乙なものです。列車はやや高い場所を走っているようで、下方に雨の集落を見下ろしつつ進み、やがて沼上信号場で交換待ちとなりました。その後しばらく走るとどうやら平地に戻った様子。ずいぶんと景色が開けてきたと思った頃、猪苗代に到着し、わずかの停車時間で再び発車。そして列車はまた山の中へ。外はさぞ寒いのでしょう。そんな雨の磐越路を583系に揺られて進んでいく、良いですね(・∀・)
それにしても座席が広くて快適です。このどっかりとした安定感は他になかなか無いでしょう。特急車両といえどもリクライニングが出来ないことに疑問の声があるのはもっともですが、それでもなおこの座席は評価に値します。私は浅い眠りに落ち、気がつけば広田を通過したところでした。まもなく終点の会津若松です。
・@会津若松日も暮れかかって空はいよいよ明るさを落とし、また肌寒さも感じられる黄昏時です。5分の接続で発車する新津行普通列車の後ろ側には朱色塗装のキハ40 583が連結されていました。この列車を見送ると、やがて同じホームに小出行の只見線の列車が入線。こんな感じで、1番線に停車中のあいづライナーも反対側から撮影したり何なり色々行っていると、折り返しの30分あまりも実にあっという間でした。復路は指定券を手配していなかったので自由席車へ。そこそこの乗車率です。
・会津若松1708→郡山1812小出行が出た数分後にあいづライナーも発車します。ここからは今までの道のりをそのまま逆戻りするのみという単純な行程ですが、帰りも583系とはまことに嬉しい限り。会津若松を去った頃には空は既に暗い青色となり、磐梯町を過ぎると車窓の向こう側は一面の霧。木々の黒い影が幾本も目の前を過ぎ去って行き、コーヒー片手にそれをただ眺める・・・うーん(´∀`) 猪苗代に着くと既に真っ暗。途中の小駅を一瞬のうちに通過して行き、列車は郡山へ急ぎます。何だか夜行列車に乗っているかの如き風情。山を越えて、出発から小一時間が経過した頃、磐梯熱海に停車。交換待ちのために3分間停車とのことだったので、少しだけホームに降りてみました。無人のホーム、漆黒の空、そして青とクリーム色の塗装を湛えて静かに佇む583系。思わず1枚を撮影。その後すぐに発車となり、10分ほど走ると終点の郡山に到着です。出来ることならまだまだ乗っていたいのですが、しかし残念ながらもう終点。ホームを去って行く583系に別れを告げ、私は新幹線ホームへ向かったのでした。
磐越西線 快速あいづライナー6号 クハネ583−8
583系、また会う日まで。
・郡山1833→大宮1930なかなか混雑していました。指定券を取っておいたのですが、2階席のようです。相当大きな車体断面ですが、このような2階建車両を走らせられるのも新幹線規格ならではでしょう。大宮までは約1時間。普通列車での長距離移動にある程度慣れてしまうと、ワープしたかのような感覚ですww
東北新幹線 Maxやまびこ126号
その後は湘南新宿ラインで渋谷まで南下。583系のボックスに座ってしまうと、E231系のそれは最早おもちゃ同然ww 道のりとしては会津若松を往復するのみという行程でしたが、土・日きっぷの元は取れましたし、何よりも磐越西線の583系を存分に楽しめたわけで、良き日曜日となりました。
写真:快速あいづライナー@郡山
583系が停車中。
2782文字
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撮影の後半は、「超」がつくほど有名な東北本線の撮影地、東大宮〜蓮田間、通称「ヒガハス」へ向かうことにしました。続行の北斗星4号と、貨物列車を数本程度撮影できたら良いかななどと考えつつ。湘南新宿ラインからやって来た快速宇都宮行に乗り、東北貨物線経由で浦和とさいたま新都心を颯爽と通過し、蓮田へ。
・ヒガハス
目的の撮影地は蓮田から徒歩15〜20分。線路沿いに東大宮方面へ歩いて行くと、やがて開けた場所に到着します。そこには田んぼや畑が広がっていて、首都圏近郊にありながらこれほどまでにのどかな風景が残っているということにいくらか感嘆の念を覚えます。そういえば昨年の8月、エルムを撮りにここを訪れたものの、見事に泥にはまってしまい悲惨な目に遭いましたが、あれももう1年以上昔のことなんですか。
良く見受けられる構図は、東大宮寄りにある木立の下に構え、直線をやって来る上り列車を素直に撮影するというもの。人は少なかったので(昨年のエルムの時は相当混雑してましたがww)これでも良かったのですが、今日は天気が良く、ちょうど稲穂も良い感じに実っていたので、空と田んぼをメインにした広角気味の構図で撮ることにしました。編成は半分と少ししか収まらないのですが、風景が補ってくれるはずなので十分でしょう。
かなり暑かったのですが、しかしまったりした撮影でもありました。こういった撮影地だと心が落ち着きますね。以下、やって来た主な列車を列挙していくことにしましょう。
コンテナ満載にもかかわらず準備が間に合わずに撮り逃した8574レを除けば、本命の北斗星4号のみならず、どれも良い具合に撮影できました(・∀・) あと、残念ながら荷はスカスカだったのですが、4097レに原色の1041号機が入ったのは嬉しかったですね。稲穂は風に揺れ、青空に浮かぶ雲は時とともに形を変えて行くわけですが、そういうのを眺めているまったり感がこの上ないです。充実したひと時でした。
・@王子
そしてヒガハスを去り、帰途へ。途中で王子に寄って、DE10率いる北王子支線の入替列車を撮ってみようかと目論むも、日曜日なのか結局所定の時刻には現れず敢え無く断念となりました。
帰宅すれば既に15時過ぎ。今日は本当に暑かったです。
写真:特急北斗星@蓮田〜東大宮
終着上野を目指して疾走。
1277文字
・ヒガハス
目的の撮影地は蓮田から徒歩15〜20分。線路沿いに東大宮方面へ歩いて行くと、やがて開けた場所に到着します。そこには田んぼや畑が広がっていて、首都圏近郊にありながらこれほどまでにのどかな風景が残っているということにいくらか感嘆の念を覚えます。そういえば昨年の8月、エルムを撮りにここを訪れたものの、見事に泥にはまってしまい悲惨な目に遭いましたが、あれももう1年以上昔のことなんですか。
良く見受けられる構図は、東大宮寄りにある木立の下に構え、直線をやって来る上り列車を素直に撮影するというもの。人は少なかったので(昨年のエルムの時は相当混雑してましたがww)これでも良かったのですが、今日は天気が良く、ちょうど稲穂も良い感じに実っていたので、空と田んぼをメインにした広角気味の構図で撮ることにしました。編成は半分と少ししか収まらないのですが、風景が補ってくれるはずなので十分でしょう。
かなり暑かったのですが、しかしまったりした撮影でもありました。こういった撮影地だと心が落ち着きますね。以下、やって来た主な列車を列挙していくことにしましょう。
【上り】
8574レ EF65(更新)+コキ多数(1025通過)
4094レ EF65(更新)+コキ多数(1056通過)
遅4レ(北斗星4号) EF81+24系12両(1101通過)
3086レ EH200+コキ多数(1113通過)
【下り】
4097レ EF64 1041+コキ多数(1047通過)
1063M(スペーシアきぬがわ3号) 東武100系6両(1109通過)
コンテナ満載にもかかわらず準備が間に合わずに撮り逃した8574レを除けば、本命の北斗星4号のみならず、どれも良い具合に撮影できました(・∀・) あと、残念ながら荷はスカスカだったのですが、4097レに原色の1041号機が入ったのは嬉しかったですね。稲穂は風に揺れ、青空に浮かぶ雲は時とともに形を変えて行くわけですが、そういうのを眺めているまったり感がこの上ないです。充実したひと時でした。
・@王子
そしてヒガハスを去り、帰途へ。途中で王子に寄って、DE10率いる北王子支線の入替列車を撮ってみようかと目論むも、日曜日なのか結局所定の時刻には現れず敢え無く断念となりました。
帰宅すれば既に15時過ぎ。今日は本当に暑かったです。
写真:特急北斗星@蓮田〜東大宮
終着上野を目指して疾走。
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懐かしの特急はくたか
2007年9月16日 鉄道と旅行
三連休の中日ということで撮影に赴いてきたのですが、その前にキリ番報告。80000は私が踏んでしまいました( ´∀`) そろそろかと思って覗いてみたらあと10くらいを残すのみだったので、ここは粘ったということですww それにしても80000か・・・気がつけばこの日記、まもなく3周年を迎えるわけです。
・朝
先週届いた例の自転車を活用するべく、今日は駅までの往復に使うことにしました。上り下りの高低差がそこそこあるのが難点ですが、25分くらいで無事到着。がしかし適当な駐輪場が見当たらなかったので結局隣の鷺沼まで出てしまいました。
・@尾久〜赤羽
その後は南北線へと乗り継ぎ、王子にて下車。さて、本日の1枚目は上野〜金沢で運転されるという臨時特急はくたか。当然ながらというのも何ですが、国鉄色489系の充当。昨日は金沢から上って来たようので今日はその返しということです。特筆すべきはヘッドマークで、「はくたか」という文字のみのマークが長岡方に掲げられているとのこと。一方、上野方はイラストタイプのようです。
向かったのは王子第二踏切。一昨年は特急白山、昨年はEF58浪漫奥利根を撮りに訪れた撮影地ですが、今年もまた同じくらいの時期に来てしまいました。そこそこ御手軽なのが嬉しいところです。ただしこの時間帯、北へ行く列車は皆逆光。うすうす方針は固めていましたが、先客の方々も結構な人数だったこともあり、今回は逆光の縦構図で敢えて決めてみようと思い立ったわけです。本来ならカーブに収めるところですが、こういう撮り方も行っておきたいものなので。
時間が時間だったのでろくな練習も出来ず、やがて通過時刻。そして間もなく姿を現したはくたか、やはり文字のみのマークを掲げてカーブを駆けてきました。そして狙ったタイミングでシャッターを切ったのですが(835通過)・・・
凄まじいピンボケ( ´・ω・`)
撮った瞬間に「(;・∀・)ぁ・・・」という感覚を覚えたのですが、こういうのは大抵当たってるもので、見事にピントが外れました。無残、というか本当に悲しい・・・手前に植物や人が入っているならまだしも、これだとただぼやけてるだけにしか見えないorz 今まで写真を撮ってきた中で犯した失敗のベスト5くらいには入りそうです。
逆光はピントが合いにくいというのはかねがね承知してますが、まぁAF任せっきりの盲点ですね。
・@赤羽
萎えたまま赤羽へ。とりあえずもうすぐ上って来るカシオペアと北斗星2号を撮影しましょう。架線柱がうるさいですが、カーブを切って来る長編成の列車を手軽に写すことができます。ちなみに、カシオペア:EF81 92牽引(913通過)、北斗星2号:EF81 133牽引(931通過)でした。
以降次の日記へ。
写真:懐かしの特急はくたか@尾久〜赤羽
強いて言うならば、「幻想の特急はくたか」。
1336文字
・朝
先週届いた例の自転車を活用するべく、今日は駅までの往復に使うことにしました。上り下りの高低差がそこそこあるのが難点ですが、25分くらいで無事到着。がしかし適当な駐輪場が見当たらなかったので結局隣の鷺沼まで出てしまいました。
・@尾久〜赤羽
その後は南北線へと乗り継ぎ、王子にて下車。さて、本日の1枚目は上野〜金沢で運転されるという臨時特急はくたか。当然ながらというのも何ですが、国鉄色489系の充当。昨日は金沢から上って来たようので今日はその返しということです。特筆すべきはヘッドマークで、「はくたか」という文字のみのマークが長岡方に掲げられているとのこと。一方、上野方はイラストタイプのようです。
向かったのは王子第二踏切。一昨年は特急白山、昨年はEF58浪漫奥利根を撮りに訪れた撮影地ですが、今年もまた同じくらいの時期に来てしまいました。そこそこ御手軽なのが嬉しいところです。ただしこの時間帯、北へ行く列車は皆逆光。うすうす方針は固めていましたが、先客の方々も結構な人数だったこともあり、今回は逆光の縦構図で敢えて決めてみようと思い立ったわけです。本来ならカーブに収めるところですが、こういう撮り方も行っておきたいものなので。
時間が時間だったのでろくな練習も出来ず、やがて通過時刻。そして間もなく姿を現したはくたか、やはり文字のみのマークを掲げてカーブを駆けてきました。そして狙ったタイミングでシャッターを切ったのですが(835通過)・・・
凄まじいピンボケ( ´・ω・`)
撮った瞬間に「(;・∀・)ぁ・・・」という感覚を覚えたのですが、こういうのは大抵当たってるもので、見事にピントが外れました。無残、というか本当に悲しい・・・手前に植物や人が入っているならまだしも、これだとただぼやけてるだけにしか見えないorz 今まで写真を撮ってきた中で犯した失敗のベスト5くらいには入りそうです。
逆光はピントが合いにくいというのはかねがね承知してますが、まぁAF任せっきりの盲点ですね。
・@赤羽
萎えたまま赤羽へ。とりあえずもうすぐ上って来るカシオペアと北斗星2号を撮影しましょう。架線柱がうるさいですが、カーブを切って来る長編成の列車を手軽に写すことができます。ちなみに、カシオペア:EF81 92牽引(913通過)、北斗星2号:EF81 133牽引(931通過)でした。
以降次の日記へ。
写真:懐かしの特急はくたか@尾久〜赤羽
強いて言うならば、「幻想の特急はくたか」。
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米タン Part 2
2007年8月20日 鉄道と旅行
さて、撮影の後半は八丁畷です。安善から戻って来る5277レを狙おうとやって来たわけですが、米タンのみならず色々な貨物列車がやってきますね、ここは。長く居ても飽きることがありませんでした。ただ、問題はかなり暑いこと・・・さすがにずっと待ってるのも疲れるといえば疲れます。
・@八丁畷
とりあえず、やって来た列車を初めに列挙しておきましょう。
このような感じです。それにしても今日は多くの原色機に巡り会えました。尻手で撮り逃した1056号機は単機で通過。田端の1103号機が東京(タ)常備のホキ2車を率いて通過していったのはこれも工事列車でしょうか。先ほどの5772レを牽引した1038号機は単機で戻って来て、特筆すべきは535号機。あいにく逆光でしたが、1時間足らずで535・1038・1041という高機の3機にお目にかかれるとはなかなか嬉しいものです。
さて、本命の5277レは望遠側でカーブを狙います。まもなく、列車はやって来ました。改めて思いますが、本当に美しい編成です。15両の黒タキで統一され、先頭に立つのは原色の1016号機。更新機にも更新機の良さがありますが、やはり原色機の貫録は実に深遠かつ至高であるといっても過言ではないはず。ゆっくりと近づいてきた列車を無事に収め、そして今日の撮影は終了となったのでした。米タンは土日運休という運転日設定ですが、最近は平日でも運転頻度が低く、その上原色機ともなればなかなか稀なようです。2学期が始まる前にこれを達成できたわけですから、ひとまず満足です(・∀・)
・夕刻
さて、その後は某会へ。とその前に、『漱石文明論集』を手に入れるべく渋谷の紀伊国屋へ。ところが在庫切れ・・・そこで新宿の紀伊国屋へ。ちょうど当該番号が棚から抜けてて「また売り切れかよ( ´・ω・`)」と思い一応訊いてみたら、下の引き出しに入ってました、めでたし。
そんな感じの一日でした。
写真:5277レ@八丁畷
米タン、至高の編成美。
1103文字
・@八丁畷
とりあえず、やって来た列車を初めに列挙しておきましょう。
????レ EF65 1056単機(1411通過)
????レ EF66 23+コキ多数(1412通過)
????レ EF65 1103+ホキ2車(1417通過)
単1791レ EF65 1038単機(1433通過)
4070レ EF65 535+タキ12車(1436通過)
1157レ EF210-101+コキ多数(1438通過)
5277レ EF64 1016+タキ15車(1450通過)
このような感じです。それにしても今日は多くの原色機に巡り会えました。尻手で撮り逃した1056号機は単機で通過。田端の1103号機が東京(タ)常備のホキ2車を率いて通過していったのはこれも工事列車でしょうか。先ほどの5772レを牽引した1038号機は単機で戻って来て、特筆すべきは535号機。あいにく逆光でしたが、1時間足らずで535・1038・1041という高機の3機にお目にかかれるとはなかなか嬉しいものです。
さて、本命の5277レは望遠側でカーブを狙います。まもなく、列車はやって来ました。改めて思いますが、本当に美しい編成です。15両の黒タキで統一され、先頭に立つのは原色の1016号機。更新機にも更新機の良さがありますが、やはり原色機の貫録は実に深遠かつ至高であるといっても過言ではないはず。ゆっくりと近づいてきた列車を無事に収め、そして今日の撮影は終了となったのでした。米タンは土日運休という運転日設定ですが、最近は平日でも運転頻度が低く、その上原色機ともなればなかなか稀なようです。2学期が始まる前にこれを達成できたわけですから、ひとまず満足です(・∀・)
・夕刻
さて、その後は某会へ。とその前に、『漱石文明論集』を手に入れるべく渋谷の紀伊国屋へ。ところが在庫切れ・・・そこで新宿の紀伊国屋へ。ちょうど当該番号が棚から抜けてて「また売り切れかよ( ´・ω・`)」と思い一応訊いてみたら、下の引き出しに入ってました、めでたし。
そんな感じの一日でした。
写真:5277レ@八丁畷
米タン、至高の編成美。
1103文字
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米タン Part 1
2007年8月20日 鉄道と旅行 コメント (2)
宿題とか模試とか色々忙しいのですが、拝島〜安善間のEF64牽引石油列車(5286レ〜5277レ)、通称「米タン」が本日運転され、かつ牽引機には原色の1016号機が充当されることが分かったので、この機会を見逃すわけにはいかないだろうということで、気晴らしも兼ねて撮影して参りました(・∀・)
・@尻手
まずは上りの5286レを尻手にて狙います。米タンの大きな魅力とは、黒タキの長編成で統一されたその編成美はもちろんのこと、武蔵野貨物線経由ではなく南武線経由で運転されるということもあるでしょう。白昼の南武線、205系や209系が行き交う中、旅客電車の合間を粛々とやって来る石油列車、その重厚感に心酔するわけです。下り電車と被る心配が若干ありましたが、ゆっくりと進入してきた5286レを無事収めることができました(1247通過)。← 日記だけでなく記録としての側面も充実させるため、今後は通過時刻も添えていこうと思います
牽引機はやはり1016号機。やがて転轍機を渡り、南武支線へと入って行きました。空のタンク車を返しに行くのですね。さて、支線の電車を待っていたところ、新鶴見方面からEF65 1056+ホキ2車という編成がやって来ました(1301通過)。新鶴見機関区の原色青プレという1056号機ですが、あまりに突然だったために撮影は叶わず。工事列車でしょうか。
・@浜川崎
とりあえず浜川崎まで行ってみました。駅を出ると、懐かしい風景。そういえばここを訪れるのは実に2年ぶりです。踏切の辺りから停車中の5286レが遠目に見えました。機回しも済んだようで、ヘッドライトを輝かせて停まっています。本当はこの後鶴見線内での撮影も考えていたのですが、連続で上って来る5772レ・5764レにそれぞれEF65の1038号機・1041号機が充当されているとのことだったので、川崎新町へ移動することにしました。
・@川崎新町
さて、川崎新町です。実はホームに降りるのは初めてなわけですが、結構良い感じの雰囲気の駅です。2本のホームを連絡する地下通路も味があったりで。そして浜川崎・川崎貨物・東京(タ)方面の列車を撮影します。まずやって来たのは5772レ、EF65 1038+タキ11車(1346通過)。タキは様々な色の混結でしたが、これもこれで面白いですね。1038号機といえば高崎機関区の原色PFで、人気の機関車の一つです。そして後を追って来たのは5764レ、EF65 1041+ホキ20車(1350通過)。石炭返空の有名列車です。20両ものホッパー車を従えて快走する姿はなかなか美しい。ちなみにこの返空列車は秩父鉄道からのもの。「チチブセメント」と書かれたホキですが、首都圏にまだこのような列車が残っているとはなかなかなのではないでしょうか。牽引機は1041号機、やはり高機の原色PFです。
その後は尻手方面へEF64 1042の単機が通過していったりしましたが(1359通過)、ひとまず川崎新町は引き揚げることにして、隣の八丁畷で米タンの返しを狙うことにします。以降次の日記へ。
写真:5286レ@尻手
タンク車を従えて、白昼の南武線を堂々走行。
1416文字
・@尻手
まずは上りの5286レを尻手にて狙います。米タンの大きな魅力とは、黒タキの長編成で統一されたその編成美はもちろんのこと、武蔵野貨物線経由ではなく南武線経由で運転されるということもあるでしょう。白昼の南武線、205系や209系が行き交う中、旅客電車の合間を粛々とやって来る石油列車、その重厚感に心酔するわけです。下り電車と被る心配が若干ありましたが、ゆっくりと進入してきた5286レを無事収めることができました(1247通過)。← 日記だけでなく記録としての側面も充実させるため、今後は通過時刻も添えていこうと思います
牽引機はやはり1016号機。やがて転轍機を渡り、南武支線へと入って行きました。空のタンク車を返しに行くのですね。さて、支線の電車を待っていたところ、新鶴見方面からEF65 1056+ホキ2車という編成がやって来ました(1301通過)。新鶴見機関区の原色青プレという1056号機ですが、あまりに突然だったために撮影は叶わず。工事列車でしょうか。
・@浜川崎
とりあえず浜川崎まで行ってみました。駅を出ると、懐かしい風景。そういえばここを訪れるのは実に2年ぶりです。踏切の辺りから停車中の5286レが遠目に見えました。機回しも済んだようで、ヘッドライトを輝かせて停まっています。本当はこの後鶴見線内での撮影も考えていたのですが、連続で上って来る5772レ・5764レにそれぞれEF65の1038号機・1041号機が充当されているとのことだったので、川崎新町へ移動することにしました。
・@川崎新町
さて、川崎新町です。実はホームに降りるのは初めてなわけですが、結構良い感じの雰囲気の駅です。2本のホームを連絡する地下通路も味があったりで。そして浜川崎・川崎貨物・東京(タ)方面の列車を撮影します。まずやって来たのは5772レ、EF65 1038+タキ11車(1346通過)。タキは様々な色の混結でしたが、これもこれで面白いですね。1038号機といえば高崎機関区の原色PFで、人気の機関車の一つです。そして後を追って来たのは5764レ、EF65 1041+ホキ20車(1350通過)。石炭返空の有名列車です。20両ものホッパー車を従えて快走する姿はなかなか美しい。ちなみにこの返空列車は秩父鉄道からのもの。「チチブセメント」と書かれたホキですが、首都圏にまだこのような列車が残っているとはなかなかなのではないでしょうか。牽引機は1041号機、やはり高機の原色PFです。
その後は尻手方面へEF64 1042の単機が通過していったりしましたが(1359通過)、ひとまず川崎新町は引き揚げることにして、隣の八丁畷で米タンの返しを狙うことにします。以降次の日記へ。
写真:5286レ@尻手
タンク車を従えて、白昼の南武線を堂々走行。
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さて、撮影の後半は昨日に引き続いて城東貨物線。長大コンテナ編成を従えて、町の中の築堤を駆けていくDD51。こう言うと大げさかもしれませんが、一口には説明することの出来ない、いわば未踏の魅力のようなものをこの貨物線に感じます。そして一度その魅力に触れたからこそ、こうして私は再び赴くわけです。
・総持寺→淡路
まったり移動しようということでそのまま普通にて淡路へ。それにしても早起きの効果というのはなかなかのものです。やっと10時を回ったばかりで、まだまだ一日が長いことを改めて感じさせられます。
・@赤川鉄橋
さて、淡路に到着しました。ここから、淀川に架かる城東貨物線の赤川鉄橋を目指します。この橋の最大の特徴、それは貨物線と人道橋が一緒になっているということ。全長600m余りという橋の長さもさることながら、片側を貨物列車が、片側を歩行者や自転車が通るという、実に趣のあるかつ興味深い構造です。しかし近い将来の旅客化(大阪外環状線)に伴い、人道橋の部分には新たにもう1本の線路が敷かれて複線化される模様。まだその風情を留めているうちに、ここを通過していく貨物列車を一目見ようと、今回訪れてみる次第です。
商店街を横目に駅の東口を出て、京都本線と千里線が横で分岐するあたりで左折して、淀川を目指します。住宅がわりと密集し道もなかなか入り組んでいるのですが、しばらく歩くと幹線道路に行き当たり、城東貨物線の築堤も見えてきました。しかし淀川に出るまではまだ少し大回りをする必要があり、ようやく北側のたもとに到着したのは約20分後。そして赤川鉄橋と対面です。順光となるのは百済方面へ向かう南行の方なので、長い橋を渡ります。自転車で颯爽と通って行く人が大半で、私のように歩いている人はあまりいません。ふと足元を見ると、遠く下の方で河がゆっくりと流れていて、また右手には、一日数往復の貨物列車の通過を待っている、貨物線の鉄路が佇んでいます。そんな感じで対岸に到着。カメラを構えます。
狙うのは8075レ。臨時扱いですが、水曜日と金曜日に設定されている他、機関車運用の都合からか、月曜日にもDE10の単機が入るようです。あと1時間ほどで正午ということもあり日は高く、流れていく淀川の大きな流れに目をやりつつ、待ちます。途中、散歩をしているらしき地元の方としばしお話を。曰く、この赤川鉄橋にわざわざ来るというのはなかなかの「通」だそうでww どうやら地元にも馴染んだ貨物線のようです。そこを黙々と走っていく貨物列車、良いですね(・∀・)
そろそろかと思ってもなかなか来ず焦り始めた頃、期待を裏切らず列車(といっても単機ですがww)はやって来ました。8075レ、DE10 1054単機。運良く原色のDE10です。彼方からゆっくりと近づいてきます。橋は長いのでシャッターチャンスは幾度となく訪れ、十分撮り切ったと思われる頃、幽かに感じ始めた振動と共に、機関車はのんびりと私の脇を通過して行きました。百済側は長い築堤の直線となっていて、逆光の中をDE10が去ります。単機といえども、実に満足の行く撮影でありました。
・@神崎川橋梁
次の87レはコンテナを満載してくることがほぼ確かで、それゆえに何処で撮ろうか色々と迷ったのですが、やはり少し時間があったので、昨日行った神崎川の橋梁へ再び向かうことにしました。ちなみに帰りに赤川鉄橋を戻った際、歩数と通過時間をはかってみました。結果、766歩・6分27秒。やはり結構長いですね。さて、それにしても今日は暑い。帽子を忘れたのはなかなか痛い失敗で、炎天下を40分ほど歩くというのにはさすがに疲弊。ところで途中にあった公園にはEH10 61が静態保存されていました。「マンモス機関車」といわれた国鉄電機のようで、なかなかの貫録でした。調べてみたところどうやら保存車はこれのみのようで、偶然にも目にすることができたわけです。
ようやく神崎川に出た頃には既に汗だく。淡路から下新庄まで一駅乗っても良かったのですが千里線沿いをそのまま歩いてきました。そして昨日の場所へ。もっと橋に近づいて撮影できる場所があったので今回はそこで撮ります。しかもちょうど木陰になっているので、結構快適。カメラをセットして、待つことしばし。暑い日差しの中を定刻にやって来たのは、DD51 1802号機率いる87レ。原色に期待を寄せていたのですが今回は更新色でした。とはいえ編成は申し分なく、十分満足の行く出来となったので良しとしましょう。撮影は無事終了であります。
城東貨物線、また会う日まで。
・下新庄→淡路→十三
さて、これから空港に向かいます。14時30分伊丹発なので、何だかんだで丁度良い時間となったわけです。
・十三→蛍池→大阪空港
十三で宝塚線の急行に乗り換え、さらに蛍池でモノレールに乗り換えます。モノレールは危うく門真市行に乗り込みそうになりましたが何とか回避ww そして無事空港に到着となったのでした。
・伊丹→羽田
JL120。落ち合った後、しばらくまったりして帰途につきます。機中は爆睡してて、気がつけば着陸間際。本当にあっという間ですね。羽田からは私は東京モノレールなるものに初乗車。空港快速はタッチの差で逃したので残念、次の区間快速で浜松町へ向かいました。その後は代々木へ。
代々木・・・即ち、夜は某会でしたww
そんな感じで、短い間でしたが、撮影を兼ねた大阪・京都滞在はこれにて終幕です。
写真:城東貨物線87レ@赤川鉄橋(吹田(信)〜放出)
単機でのんびりと橋を渡るDE10。
2440文字
・総持寺→淡路
まったり移動しようということでそのまま普通にて淡路へ。それにしても早起きの効果というのはなかなかのものです。やっと10時を回ったばかりで、まだまだ一日が長いことを改めて感じさせられます。
・@赤川鉄橋
さて、淡路に到着しました。ここから、淀川に架かる城東貨物線の赤川鉄橋を目指します。この橋の最大の特徴、それは貨物線と人道橋が一緒になっているということ。全長600m余りという橋の長さもさることながら、片側を貨物列車が、片側を歩行者や自転車が通るという、実に趣のあるかつ興味深い構造です。しかし近い将来の旅客化(大阪外環状線)に伴い、人道橋の部分には新たにもう1本の線路が敷かれて複線化される模様。まだその風情を留めているうちに、ここを通過していく貨物列車を一目見ようと、今回訪れてみる次第です。
商店街を横目に駅の東口を出て、京都本線と千里線が横で分岐するあたりで左折して、淀川を目指します。住宅がわりと密集し道もなかなか入り組んでいるのですが、しばらく歩くと幹線道路に行き当たり、城東貨物線の築堤も見えてきました。しかし淀川に出るまではまだ少し大回りをする必要があり、ようやく北側のたもとに到着したのは約20分後。そして赤川鉄橋と対面です。順光となるのは百済方面へ向かう南行の方なので、長い橋を渡ります。自転車で颯爽と通って行く人が大半で、私のように歩いている人はあまりいません。ふと足元を見ると、遠く下の方で河がゆっくりと流れていて、また右手には、一日数往復の貨物列車の通過を待っている、貨物線の鉄路が佇んでいます。そんな感じで対岸に到着。カメラを構えます。
狙うのは8075レ。臨時扱いですが、水曜日と金曜日に設定されている他、機関車運用の都合からか、月曜日にもDE10の単機が入るようです。あと1時間ほどで正午ということもあり日は高く、流れていく淀川の大きな流れに目をやりつつ、待ちます。途中、散歩をしているらしき地元の方としばしお話を。曰く、この赤川鉄橋にわざわざ来るというのはなかなかの「通」だそうでww どうやら地元にも馴染んだ貨物線のようです。そこを黙々と走っていく貨物列車、良いですね(・∀・)
そろそろかと思ってもなかなか来ず焦り始めた頃、期待を裏切らず列車(といっても単機ですがww)はやって来ました。8075レ、DE10 1054単機。運良く原色のDE10です。彼方からゆっくりと近づいてきます。橋は長いのでシャッターチャンスは幾度となく訪れ、十分撮り切ったと思われる頃、幽かに感じ始めた振動と共に、機関車はのんびりと私の脇を通過して行きました。百済側は長い築堤の直線となっていて、逆光の中をDE10が去ります。単機といえども、実に満足の行く撮影でありました。
・@神崎川橋梁
次の87レはコンテナを満載してくることがほぼ確かで、それゆえに何処で撮ろうか色々と迷ったのですが、やはり少し時間があったので、昨日行った神崎川の橋梁へ再び向かうことにしました。ちなみに帰りに赤川鉄橋を戻った際、歩数と通過時間をはかってみました。結果、766歩・6分27秒。やはり結構長いですね。さて、それにしても今日は暑い。帽子を忘れたのはなかなか痛い失敗で、炎天下を40分ほど歩くというのにはさすがに疲弊。ところで途中にあった公園にはEH10 61が静態保存されていました。「マンモス機関車」といわれた国鉄電機のようで、なかなかの貫録でした。調べてみたところどうやら保存車はこれのみのようで、偶然にも目にすることができたわけです。
ようやく神崎川に出た頃には既に汗だく。淡路から下新庄まで一駅乗っても良かったのですが千里線沿いをそのまま歩いてきました。そして昨日の場所へ。もっと橋に近づいて撮影できる場所があったので今回はそこで撮ります。しかもちょうど木陰になっているので、結構快適。カメラをセットして、待つことしばし。暑い日差しの中を定刻にやって来たのは、DD51 1802号機率いる87レ。原色に期待を寄せていたのですが今回は更新色でした。とはいえ編成は申し分なく、十分満足の行く出来となったので良しとしましょう。撮影は無事終了であります。
城東貨物線、また会う日まで。
・下新庄→淡路→十三
さて、これから空港に向かいます。14時30分伊丹発なので、何だかんだで丁度良い時間となったわけです。
・十三→蛍池→大阪空港
十三で宝塚線の急行に乗り換え、さらに蛍池でモノレールに乗り換えます。モノレールは危うく門真市行に乗り込みそうになりましたが何とか回避ww そして無事空港に到着となったのでした。
・伊丹→羽田
JL120。落ち合った後、しばらくまったりして帰途につきます。機中は爆睡してて、気がつけば着陸間際。本当にあっという間ですね。羽田からは私は東京モノレールなるものに初乗車。空港快速はタッチの差で逃したので残念、次の区間快速で浜松町へ向かいました。その後は代々木へ。
代々木・・・即ち、夜は某会でしたww
そんな感じで、短い間でしたが、撮影を兼ねた大阪・京都滞在はこれにて終幕です。
写真:城東貨物線87レ@赤川鉄橋(吹田(信)〜放出)
単機でのんびりと橋を渡るDE10。
2440文字
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4時50分、アラームに目が覚めて、起床。昨夜の終身は23時だったので結構良い感じの寝起き。さて、こんな時刻に起きたのは無論撮影のためですが、今朝は高槻〜山崎間のあの有名撮影地、通称サントリーカーブへと赴くわけです。悲劇が待ち構えているとも知らず、明るくなり始めた街を烏丸駅へ向かったのでした。
・烏丸→大山崎
やはり阪急が便利。JRの山崎からそう離れていない大山崎まで乗車します。JR山崎駅前のヤマザキ(ww)で軽く食料を調達してから、いよいよサントリーカーブへ。
・@サントリーカーブ
確かここを訪れたのは2年前の12月。あの時は新疋田を断念してここへやって来たのでした。その名の通り撮影地はウイスキー蒸留所の目の前ですが、背景のマンションが若干目立ちます。ということで、少し先の方まで歩いてみたのですが「嗚呼やっぱり向こう側は撮れなさそうだな( ´・ω・`)」と決めつけてしまったのが、致命的な過ちだったのですよ。まぁそれは置いておいて、とりあえずやって来た主な列車を列挙していきましょう。
こんな感じです。下りは貨物ラッシュですが、完全なる逆光ゆえに撮影していたのは上り線。まず、紙返空の3170レはやって来ませんでしたorz このために早く起きたといっても過言ではないので、残念。ムーンライト九州の回送は露出オーバー気味。そして何といっても萎えるのがなは・あかつき・・・下りの緩行線に見事に被られましたorz こういった機会でないとなかなか撮れない列車だけに、まことに遺憾。
ということですが、後々になってますます萎えてきたんですね・・・というのも、実は少し先の方にもカーブで撮れる場所があったことが後で発覚したので。そこだとマンションもかわせて、本命のなは・あかつきも被らなかったわけですよ。明らかに私の調査力不足。嗚呼この虚しさをどうしたら良いものか。
とはいえいつまでも悶々としているわけにもいかないので、これは良い教訓として心に刻んでおきます。撮影は、何より経験を積まねば。
・大山崎→総持寺
そして阪急で西進。
・@総持寺
朝のサントリーカーブでの撮影を終えたわけですが、昼の城東貨物線まではまだ時間があります。下りがストレートで撮れそうだったので、ここで小一時間ほど阪急の撮影です。初めてなだけに、なかなか新鮮でありました。
後半は次の日記に回すことにしましょう。
写真:特急雷鳥@高槻〜山崎
日差しを浴びて、四線区間を疾走。
1527文字
・烏丸→大山崎
やはり阪急が便利。JRの山崎からそう離れていない大山崎まで乗車します。JR山崎駅前のヤマザキ(ww)で軽く食料を調達してから、いよいよサントリーカーブへ。
・@サントリーカーブ
確かここを訪れたのは2年前の12月。あの時は新疋田を断念してここへやって来たのでした。その名の通り撮影地はウイスキー蒸留所の目の前ですが、背景のマンションが若干目立ちます。ということで、少し先の方まで歩いてみたのですが「嗚呼やっぱり向こう側は撮れなさそうだな( ´・ω・`)」と決めつけてしまったのが、致命的な過ちだったのですよ。まぁそれは置いておいて、とりあえずやって来た主な列車を列挙していきましょう。
【上り】
ウグイス色103系回送
EF65 1135単機
1062レ(EF66-125牽引)
ムーンライト九州回送(EF65 1134牽引)
特急なは・あかつき(EF66 51牽引)
はるか
サンダーバード
ひだ
雷鳥
【下り】
※貨物列車の列番は、定かでないものが多いので割愛。また以下の内容にも不正確な部分があるかもしれません。
EF200-13+コキ21車
EF66-114+コキ24車
EF210-18+コキ18車(6時前から山崎に停車していました)
EF210-17+コキ24車
EF66 33+コキ24車
EF66 41+コキ24車
銀河(EF65 1105牽引)
EF66 29+コキ24車
EF65 1112+オハフ15 352
こんな感じです。下りは貨物ラッシュですが、完全なる逆光ゆえに撮影していたのは上り線。まず、紙返空の3170レはやって来ませんでしたorz このために早く起きたといっても過言ではないので、残念。ムーンライト九州の回送は露出オーバー気味。そして何といっても萎えるのがなは・あかつき・・・下りの緩行線に見事に被られましたorz こういった機会でないとなかなか撮れない列車だけに、まことに遺憾。
ということですが、後々になってますます萎えてきたんですね・・・というのも、実は少し先の方にもカーブで撮れる場所があったことが後で発覚したので。そこだとマンションもかわせて、本命のなは・あかつきも被らなかったわけですよ。明らかに私の調査力不足。嗚呼この虚しさをどうしたら良いものか。
とはいえいつまでも悶々としているわけにもいかないので、これは良い教訓として心に刻んでおきます。撮影は、何より経験を積まねば。
・大山崎→総持寺
そして阪急で西進。
・@総持寺
朝のサントリーカーブでの撮影を終えたわけですが、昼の城東貨物線まではまだ時間があります。下りがストレートで撮れそうだったので、ここで小一時間ほど阪急の撮影です。初めてなだけに、なかなか新鮮でありました。
後半は次の日記に回すことにしましょう。
写真:特急雷鳥@高槻〜山崎
日差しを浴びて、四線区間を疾走。
1527文字
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祖父の墓参りということで、今日明日は大阪・京都に滞在することになります。気がつけばもう夏真っ盛りですね。
・羽田→伊丹
JL111。空港までの移動はともかく、やはり航空機は速いです。
あと思ったのは、貨物の荷役が色々と面白いですね。次から次へと、小柄な牽引車に牽かれたコキ(に相当する車両w)の上に載せられて、コンテナが飛行機のもとへ運ばれてくるわけです。しかもこれだけの発着本数にもかかわらず、それらへの積み込みや積み下ろしが手際良く行われていることに感服。
・墓参り
伊丹からはレンタカーです。なんとなくですが、街の雰囲気からも大阪に来たという感じ。いや、あくまでなんとなくですけどww そして1時間ほど走ると、到着となりました。駅前とは打って変わって、田んぼと山が目の前に広がるのどかな場所。掃除をして、花を供えて、拝んで、そして無事墓参りは終了となりました。太陽は高く、青空に雲は湧く。暑き夏の一日です。
・高槻市→淡路
さて、午後は城東貨物線へ向かいます。高槻市まで送ってもらい、そこから阪急でまずは淡路へ。2扉車の特急がやって来ました。マルーン色の外観はもちろんのこと、内装も高級感出てて良いですね。この前の地域研究では梅田→大宮のみの乗車となりましたが、今回の滞在では結構お世話になりそうです。
・淡路→下新庄
淡路からは千里線に乗り換えて、一駅、下新庄にて下車。昼下がりの下町を北へ歩いて行くと、ほどなく川沿いに出ました。神崎川というそうで、ここから300mほど下ったところに城東貨物線の橋が架かっています。
・神崎川橋梁
到着してみると、先客の方が3名ほど既にいらっしゃいました。逆光なのは仕方がないとして、適当と思われる場所に構え、待つことしばし。やがて、対岸の築堤を駆け上って来るDD51の姿が見えました。つい先ほど吹田を発車して百済へ向かう3083レです。後方にはかなりの両数のコンテナをほぼ満載したコキが連なっています。どうやら結構スピードが出ているようで、思っていたよりも高速。そして貨車の轟音を従えながら、列車は颯爽と橋梁を通過して行きました。牽引していたのは原色のDD51 757号機。吹田機関区の所属ではなく、この間、東新潟から借り入れられたもののようです。東新潟のDD51といえば磐越西線のセメント貨物の設定がこの3月に無くなってしまいましたが、右側の運転室窓にツララ切りを備えているのが特徴的。そのうちの1機がこうして大阪で活躍しているわけですね。
それにしても、都市においてDD51が長編成のコンテナ列車を牽く姿が見られるとはなかなか感動するものがあります。個人的にはかなり新鮮でした。城東貨物線は近い将来に旅客化されることが決まっていて、その時には複線電化して開業する見込みです。そんな感じで城東貨物線は終了。
・下新庄→梅田
少し暇だったので梅田まで行ってみました。地域研究の時はあまり時間がなかったのですが、今回はターミナルの雰囲気を満喫したつもり。ひっきりなしに列車が発着するので、しばらく居ても全く飽きませんね。
・梅田→烏丸
そして帰途へ。特急に乗車しましたが、途中で眠りに落ちたりで、気がつけばずいぶん京都に近づいていました。ダイヤも正確で、実に快適です。
烏丸からは3ブロックほど歩いてホテルへ。そして晩は親戚と食事という一日でありました。
写真:城東貨物線3083レ@神崎川橋梁(吹田(信)〜放出)
DD51率いるコンテナ列車、一路百済を目指す。
1617文字
・羽田→伊丹
JL111。空港までの移動はともかく、やはり航空機は速いです。
あと思ったのは、貨物の荷役が色々と面白いですね。次から次へと、小柄な牽引車に牽かれたコキ(に相当する車両w)の上に載せられて、コンテナが飛行機のもとへ運ばれてくるわけです。しかもこれだけの発着本数にもかかわらず、それらへの積み込みや積み下ろしが手際良く行われていることに感服。
・墓参り
伊丹からはレンタカーです。なんとなくですが、街の雰囲気からも大阪に来たという感じ。いや、あくまでなんとなくですけどww そして1時間ほど走ると、到着となりました。駅前とは打って変わって、田んぼと山が目の前に広がるのどかな場所。掃除をして、花を供えて、拝んで、そして無事墓参りは終了となりました。太陽は高く、青空に雲は湧く。暑き夏の一日です。
・高槻市→淡路
さて、午後は城東貨物線へ向かいます。高槻市まで送ってもらい、そこから阪急でまずは淡路へ。2扉車の特急がやって来ました。マルーン色の外観はもちろんのこと、内装も高級感出てて良いですね。この前の地域研究では梅田→大宮のみの乗車となりましたが、今回の滞在では結構お世話になりそうです。
・淡路→下新庄
淡路からは千里線に乗り換えて、一駅、下新庄にて下車。昼下がりの下町を北へ歩いて行くと、ほどなく川沿いに出ました。神崎川というそうで、ここから300mほど下ったところに城東貨物線の橋が架かっています。
・神崎川橋梁
到着してみると、先客の方が3名ほど既にいらっしゃいました。逆光なのは仕方がないとして、適当と思われる場所に構え、待つことしばし。やがて、対岸の築堤を駆け上って来るDD51の姿が見えました。つい先ほど吹田を発車して百済へ向かう3083レです。後方にはかなりの両数のコンテナをほぼ満載したコキが連なっています。どうやら結構スピードが出ているようで、思っていたよりも高速。そして貨車の轟音を従えながら、列車は颯爽と橋梁を通過して行きました。牽引していたのは原色のDD51 757号機。吹田機関区の所属ではなく、この間、東新潟から借り入れられたもののようです。東新潟のDD51といえば磐越西線のセメント貨物の設定がこの3月に無くなってしまいましたが、右側の運転室窓にツララ切りを備えているのが特徴的。そのうちの1機がこうして大阪で活躍しているわけですね。
それにしても、都市においてDD51が長編成のコンテナ列車を牽く姿が見られるとはなかなか感動するものがあります。個人的にはかなり新鮮でした。城東貨物線は近い将来に旅客化されることが決まっていて、その時には複線電化して開業する見込みです。そんな感じで城東貨物線は終了。
・下新庄→梅田
少し暇だったので梅田まで行ってみました。地域研究の時はあまり時間がなかったのですが、今回はターミナルの雰囲気を満喫したつもり。ひっきりなしに列車が発着するので、しばらく居ても全く飽きませんね。
・梅田→烏丸
そして帰途へ。特急に乗車しましたが、途中で眠りに落ちたりで、気がつけばずいぶん京都に近づいていました。ダイヤも正確で、実に快適です。
烏丸からは3ブロックほど歩いてホテルへ。そして晩は親戚と食事という一日でありました。
写真:城東貨物線3083レ@神崎川橋梁(吹田(信)〜放出)
DD51率いるコンテナ列車、一路百済を目指す。
1617文字
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久々の撮影であります。最後の撮影といえばおそらく関西地域研究での関西本線とか0系新幹線とかのはずですから、実におよそ2ヶ月ぶりということになりますね。如何せんこの2ヶ月あまりは多忙を極めてたので。さて、今日は583系秋田車で運転されるという天理臨を撮影して参りました。
・@府中本町
ついでに貨物列車も何本か撮ってしまおうということでわりと早めから撮影開始。やってきた貨物は、EF66 7[吹]+コキ、EF210-114[岡]+コキ、EH200-11[?]+タキ、EF66 103[吹]+コキでした。ダイヤが乱れていたような気がしないでもないです。で、本命の583系はどうやら遅延している模様。結局、所定の時刻より30分ほど遅れて低速で武蔵野貨物線を通過していきました。ところで南武線立川行がホームに入るのがあと10秒遅れていたらおそらく被ってたので、ヒヤヒヤしました(・∀・;) そして撮影も無事に済んだところで、早速追いかけます。
・@東浦和
もともと8時から8時45分まで運転停車の時間が設けられていたので、東浦和で中線に停車中のところを何枚か撮影。そういえば秋田車との再会は実に16ヶ月ぶり。グリーン車を含む3両が廃車となり、それまでの9連から6連という姿になった秋田車ですが、583系の貫録は未だ健在。ひどく傷んでいた外板は見事なまでに補修され、輝く塗装も実に美しいです。本来の特急運用ではなくこれからも波動輸送に主に使用されるということは必至ですが、個人的には最後の最後までその活躍を見守りたい車両です。さて、所定では45分の停車時間とはいえもともと30分あまり遅れていたので、実際は10分もありませんでした。遅れた時の遅延回復という意味でも設けられていた運転停車ということでしょうか。手早く編成写真の撮影を済ませて、東川口に先回りします。
・@東川口
既に先客の方々が多くいらっしゃいました。さて、583系が遠目に見えた途端、ちょうど入線してきた上り電車と被る可能性が出てきたので、直前に慌てて正面からの構図に切り換えたのですが、結果は・・・ピント甘し( ´・ω・`) しかも発車がもたもたしてたせいか結局上り電車は被らなかったようです。まぁこういうこともありますね。
東川口を去るや否や急に日が差してきたのに軽く萎えつつ、その後は講習へと向かったのでした。なかなか充実した朝のひと時でありました。
写真:583系天理臨@府中本町
朝日を受けて武蔵野線をゆく。
1120文字
・@府中本町
ついでに貨物列車も何本か撮ってしまおうということでわりと早めから撮影開始。やってきた貨物は、EF66 7[吹]+コキ、EF210-114[岡]+コキ、EH200-11[?]+タキ、EF66 103[吹]+コキでした。ダイヤが乱れていたような気がしないでもないです。で、本命の583系はどうやら遅延している模様。結局、所定の時刻より30分ほど遅れて低速で武蔵野貨物線を通過していきました。ところで南武線立川行がホームに入るのがあと10秒遅れていたらおそらく被ってたので、ヒヤヒヤしました(・∀・;) そして撮影も無事に済んだところで、早速追いかけます。
・@東浦和
もともと8時から8時45分まで運転停車の時間が設けられていたので、東浦和で中線に停車中のところを何枚か撮影。そういえば秋田車との再会は実に16ヶ月ぶり。グリーン車を含む3両が廃車となり、それまでの9連から6連という姿になった秋田車ですが、583系の貫録は未だ健在。ひどく傷んでいた外板は見事なまでに補修され、輝く塗装も実に美しいです。本来の特急運用ではなくこれからも波動輸送に主に使用されるということは必至ですが、個人的には最後の最後までその活躍を見守りたい車両です。さて、所定では45分の停車時間とはいえもともと30分あまり遅れていたので、実際は10分もありませんでした。遅れた時の遅延回復という意味でも設けられていた運転停車ということでしょうか。手早く編成写真の撮影を済ませて、東川口に先回りします。
・@東川口
既に先客の方々が多くいらっしゃいました。さて、583系が遠目に見えた途端、ちょうど入線してきた上り電車と被る可能性が出てきたので、直前に慌てて正面からの構図に切り換えたのですが、結果は・・・ピント甘し( ´・ω・`) しかも発車がもたもたしてたせいか結局上り電車は被らなかったようです。まぁこういうこともありますね。
東川口を去るや否や急に日が差してきたのに軽く萎えつつ、その後は講習へと向かったのでした。なかなか充実した朝のひと時でありました。
写真:583系天理臨@府中本町
朝日を受けて武蔵野線をゆく。
1120文字
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「1st-train」の記事によると、私が勝手に「幕車」と呼んでいた8500系の字幕編成は、8606Fの1編成のみになってしまったようです。運用離脱した8610Fが昨日8両化されて恩田に回送されたともあり、いよいよ転機が訪れる予感。調べてみたら、8607Fは既に5月に運用を離脱したとのこと。
2年ほど前から撮り続けてきたこれらの字幕編成ですが、東武線に乗り入れられないがために稼働率も低く、5000系が大量増備されつつある今となっては危機的な状況。個人的にはまだまだ撮り切れてない感が否めず、実に惜しいところです。
特に、たまプラ・あざみ野以西ではまだろくに撮影したことがないのも実に残念。嗚呼、時の経つのは何と早いことか。
今日はまったり起床。で、午後からは某会でした。
写真:保津川下り
急流が近づいてきました。
400文字
2年ほど前から撮り続けてきたこれらの字幕編成ですが、東武線に乗り入れられないがために稼働率も低く、5000系が大量増備されつつある今となっては危機的な状況。個人的にはまだまだ撮り切れてない感が否めず、実に惜しいところです。
特に、たまプラ・あざみ野以西ではまだろくに撮影したことがないのも実に残念。嗚呼、時の経つのは何と早いことか。
今日はまったり起床。で、午後からは某会でした。
写真:保津川下り
急流が近づいてきました。
400文字
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