錦秋の秩父鉄道 Part 2
2012年11月19日 鉄道と旅行
ハイライト。
・秋を歩く
波久礼~樋口間は駅間が4.4kmで、秩父鉄道では二番目の長さである。荒川が削った美しい渓谷に沿って国道と線路がくねくねと並走し、関東平野を目指して山間を縫うように進む。この区間の山々の色づきは実に美しい。徒歩だからこそ見つけられる良質な撮影地を多く開拓することができた。歩きでの撮影は骨が折れるとはいえ、苦労が報われたときの感慨は一入である。
なお波久礼~樋口間の撮影地メモは、8月28日の撮影録(http://kuhane.diarynote.jp/201208311347269384/)と整合性を持たせるためにアルファベットの振り方を工夫している。
J地点: 樋口の小さな集落を抜けてから国道を波久礼方面へ歩く。ここは歩道が整備されているので比較的安全。国道が線路よりも高くなり始めるあたりに第四種踏切があり、下りをアウトカーブの構図で狙うことができる。午後順光。上りは終日逆光だが、踏切を渡った先にある畑の近くから広角で構えれば、側面を活かした半逆光の写真となる。上りの貨物が意外とまともに撮れた。
撮影後に学年メーリスが届いて、今日が締切の聴診器の共同購入申込を忘れていたことに気が付き、愕然となる。「来週の月曜だからまだいいや」と思っていたが、今日は秩父に来ているのだった。何をやってんだw もにた氏に連絡して何とか明日まで延ばしてもらえることになったので事なきを得たが、えらい迷惑をかけてしまった。1000系がほとんど走っていない上に、聴診器の件が重なって、今日は心が寒いw
I地点: 気を取り直して歩を進める。この区間は線路がサインカーブのようにくねくねと曲がる。並走する国道には歩道がなくなってしまうが、幸い山側の少し高いところに遊歩道がある。紅葉、黄葉の木漏れ日の中、深々と水を湛える荒川の流れを眼下に見下ろしながら歩く秋の午後。束の間ではあるが、ハイキングとして純粋に楽しめる。やがて遊歩道は国道の高さに戻り、少し景色が開けてくる。カーブの途中にある踏切から線路にアプローチすると、背景に錦のような山々、手前に黄金のイチョウの木を配するアウトカーブの撮影地に到着。午後順光。ここには一時間ほど滞在して、スカイブルーの1000系、貨物列車、そして秋の風景が織りなす鮮烈な色彩を存分に撮像素子に焼き付ける。スカイブルーは側面から撮ってみたが、意外と車両が大きく写ってしまい広角撮影の難しさを実感。貨物列車は、青い電気機関車に黒い貨車が黙々と追従する様が本当に面白い。まるで軍隊のようにガッチャガッチャと規則正しいリズムを刻みながら、山から切り崩してきた石灰石を満載して走り去ってゆく。
H地点: I地点の先にある踏切で、ここもアウトカーブで秋らしい風景を画面に取り入れることができる。午後順光。101号機の鮮やかな赤色が実によく映えている。一つだけ不明な上り列車があったものの、今日の貨物は手元のダイヤグラム通りの運行。1000系を撮りに来たつもりが、副産物であるはずの貨物の方が意外と充実している。前回はその逆であったから、何ごとも全てが狙い通りに運ぶわけではないのだ。
G地点: やがて線路は波久礼に向かって北東へ走るようになる。国道が線路よりも高くなり始める付近に踏切があり、緩いインカーブを終えてストレートに入ってきた下り列車をここから撮影する。午後順光。幸運なことに、熊谷始発の33レにオレンジの1000系が充当された。5000系が来ると予想していたので、これは嬉しい誤算。ススキに見送られて列車は山へと去って行った。
今日の日没は16時半頃。いよいよ夕刻に差しかかってきた。
写真
1枚目:秋をゆく(@樋口~波久礼 I地点)
2枚目:イチョウとモミジとスカイブルー(@樋口~波久礼 I地点)
3枚目:夕闇迫る中、オレンジがやって来た(@樋口~波久礼 G地点)
2024文字
11/19
撮影(波久礼~樋口間 J地点):
1532レ[1210] 7502F
7304レ[1228] 102
撮影(波久礼~樋口間 I地点):
1527レ[1305] 7001F
7105レ[1311] 502
1529レ[1342] 1001F(スカイブルー)
?レ[1356] 301
撮影(波久礼~樋口間 H地点):
7205レ[1420] 101
撮影(波久礼~樋口間 G地点):
1538レ[1428] 7505F
33レ[1433] 1003F(オレンジ)
7006レ[1449] 503
7305レ[1503] 102
・秋を歩く
波久礼~樋口間は駅間が4.4kmで、秩父鉄道では二番目の長さである。荒川が削った美しい渓谷に沿って国道と線路がくねくねと並走し、関東平野を目指して山間を縫うように進む。この区間の山々の色づきは実に美しい。徒歩だからこそ見つけられる良質な撮影地を多く開拓することができた。歩きでの撮影は骨が折れるとはいえ、苦労が報われたときの感慨は一入である。
なお波久礼~樋口間の撮影地メモは、8月28日の撮影録(http://kuhane.diarynote.jp/201208311347269384/)と整合性を持たせるためにアルファベットの振り方を工夫している。
J地点: 樋口の小さな集落を抜けてから国道を波久礼方面へ歩く。ここは歩道が整備されているので比較的安全。国道が線路よりも高くなり始めるあたりに第四種踏切があり、下りをアウトカーブの構図で狙うことができる。午後順光。上りは終日逆光だが、踏切を渡った先にある畑の近くから広角で構えれば、側面を活かした半逆光の写真となる。上りの貨物が意外とまともに撮れた。
撮影後に学年メーリスが届いて、今日が締切の聴診器の共同購入申込を忘れていたことに気が付き、愕然となる。「来週の月曜だからまだいいや」と思っていたが、今日は秩父に来ているのだった。何をやってんだw もにた氏に連絡して何とか明日まで延ばしてもらえることになったので事なきを得たが、えらい迷惑をかけてしまった。1000系がほとんど走っていない上に、聴診器の件が重なって、今日は心が寒いw
I地点: 気を取り直して歩を進める。この区間は線路がサインカーブのようにくねくねと曲がる。並走する国道には歩道がなくなってしまうが、幸い山側の少し高いところに遊歩道がある。紅葉、黄葉の木漏れ日の中、深々と水を湛える荒川の流れを眼下に見下ろしながら歩く秋の午後。束の間ではあるが、ハイキングとして純粋に楽しめる。やがて遊歩道は国道の高さに戻り、少し景色が開けてくる。カーブの途中にある踏切から線路にアプローチすると、背景に錦のような山々、手前に黄金のイチョウの木を配するアウトカーブの撮影地に到着。午後順光。ここには一時間ほど滞在して、スカイブルーの1000系、貨物列車、そして秋の風景が織りなす鮮烈な色彩を存分に撮像素子に焼き付ける。スカイブルーは側面から撮ってみたが、意外と車両が大きく写ってしまい広角撮影の難しさを実感。貨物列車は、青い電気機関車に黒い貨車が黙々と追従する様が本当に面白い。まるで軍隊のようにガッチャガッチャと規則正しいリズムを刻みながら、山から切り崩してきた石灰石を満載して走り去ってゆく。
H地点: I地点の先にある踏切で、ここもアウトカーブで秋らしい風景を画面に取り入れることができる。午後順光。101号機の鮮やかな赤色が実によく映えている。一つだけ不明な上り列車があったものの、今日の貨物は手元のダイヤグラム通りの運行。1000系を撮りに来たつもりが、副産物であるはずの貨物の方が意外と充実している。前回はその逆であったから、何ごとも全てが狙い通りに運ぶわけではないのだ。
G地点: やがて線路は波久礼に向かって北東へ走るようになる。国道が線路よりも高くなり始める付近に踏切があり、緩いインカーブを終えてストレートに入ってきた下り列車をここから撮影する。午後順光。幸運なことに、熊谷始発の33レにオレンジの1000系が充当された。5000系が来ると予想していたので、これは嬉しい誤算。ススキに見送られて列車は山へと去って行った。
今日の日没は16時半頃。いよいよ夕刻に差しかかってきた。
写真
1枚目:秋をゆく(@樋口~波久礼 I地点)
2枚目:イチョウとモミジとスカイブルー(@樋口~波久礼 I地点)
3枚目:夕闇迫る中、オレンジがやって来た(@樋口~波久礼 G地点)
2024文字
錦秋の秩父鉄道 Part 1
2012年11月19日 鉄道と旅行
のすり氏と秩父鉄道へ行ってきました。
・凍える朝
銀座線の初電が遅いので、まだまだ夜の明けぬ外苑を信濃町まで歩き、JRに乗る。池袋5時38分発の西武線準急をつかまえ、秩父入り。ついに今年度中に引退するという秩父鉄道1000系の最後の活躍を追い求め、凍てつく寒さの秩父路にやって来た。最低気温は0度、通学の高校生たちは白い息を吐きながら列車に吸い込まれてゆく。前回、前々回の撮影行の記録をもとに、ダイヤグラム上で普通列車の運用を下調べしては来たものの、全てを完璧に把握することはなかなか難しかった。とくに、三峰口での複雑な折返しや、熊谷で潜ったり湧いてきたりする運用が曲者で、とりあえず午前中は分析的に撮影を行うことにする。乗った列車がいきなり1000系だったが、まずは樋口で降りてロケハンを開始。
A地点: 樋口駅を出て国道を野上方面に進むと踏切があるので、そこから線路沿いの農道に沿って歩いていく。それなりに開けた場所で、畑に通じる第四種踏切を渡ったところから撮影する。午前半逆光、午後順光。国道を挟んだ後ろの山や、青く抜けた朝の空を大きく取り入れて列車を待っていると、幸運なことにスカイブルーの1000系が快走してきた。
B地点: A地点の少し先で、下りも上りも緩いアウトカーブで撮影できる。下りは昼前から順光、上りは終日逆光。秩父鉄道のダイヤはかなり過密で、撮影の合間にゆっくりと休憩する暇がない。しかし運用がはっきりするまでは「捨てる」列車を作れないので、1000系が来ても大丈夫なように一枚一枚を真剣に構える。ところが、来るのは7000系や7500系ばかり。ここはじっと耐えるしかない。頻繁に行き交う貨物列車がちょっとした楽しみである。
C地点: B地点のカーブが終わると線路は束の間だが直線を描く。ここを線路沿いの砂利道から撮影する。下りは終日半逆光、上りは終日逆光。赤い101号機の牽いる貨物列車がやって来たことと、スカイブルーの折返しを後追いで決められたことが収穫。線路の近くにはイチョウやモミジの木が鮮やかに色づいているのだが、列車と絡めて撮るとなるとかなり難しい。
D地点: 線路南側の道をさらに野上方面に歩いていくと、再びカーブにさしかかる。ここで線路は南北方向となり、あとは直線のまま野上へ至る。カーブの開始から程なくして踏切があり、ここから曲線の築堤を駆ける下り列車を狙える。終日順光。障害物がやや多いのが難点だが、先ほど乗ってきた標準塗装の1000系と、空の貨車を山へ返しに来た貨物列車を決める。
午前中の撮影で一通りの運用が把握できた。午後は場所を移動するかどうか迷ったが、スカイブルーが影森折返しの運用であり、三峰口へ向かった標準塗装も夕方まで出てこないことが予想されたので、当初から期待していた影森以西での1000系の撮影は諦め、波久礼方面に向けて新たな撮影地を開拓する。
写真
1枚目:晩秋の冷気、快晴の朝(@樋口~野上 A地点)
2枚目:最後の標準塗装編成、1010F(@樋口~野上 D地点)
3枚目:疾走(@樋口~野上 C地点)
1943文字
11/19
御花畑746 → 樋口816
秩父鉄道1518レ 1010F(標準塗装)
撮影(樋口~野上間 A地点): ※[ ]内に撮影時刻を示す
1511レ[841] 1001F(スカイブルー)
撮影(樋口~野上間 B地点):
1520レ[846] 7505F
撮影(樋口~野上間 C地点):
1006レ(急行秩父路6号)[906]
1513レ[909] 7501F
撮影(樋口~野上間 A地点):
7303レ[920] 102
撮影(樋口~野上間 B地点):
1522レ[931] 7503F
1003レ(急行秩父路3号)[935]
1515レ[945] 7002F
24レ[959] 5001F
7104レ[1012] 504
1517レ[1016] 7502F
撮影(樋口~野上間 D地点):
1519レ[1044] 1010F(標準塗装)
7403レ[1058] 301
撮影(樋口~野上間 C地点):
7204レ[1110] 101
1528レ[1114] 1001F(スカイブルー)
・凍える朝
銀座線の初電が遅いので、まだまだ夜の明けぬ外苑を信濃町まで歩き、JRに乗る。池袋5時38分発の西武線準急をつかまえ、秩父入り。ついに今年度中に引退するという秩父鉄道1000系の最後の活躍を追い求め、凍てつく寒さの秩父路にやって来た。最低気温は0度、通学の高校生たちは白い息を吐きながら列車に吸い込まれてゆく。前回、前々回の撮影行の記録をもとに、ダイヤグラム上で普通列車の運用を下調べしては来たものの、全てを完璧に把握することはなかなか難しかった。とくに、三峰口での複雑な折返しや、熊谷で潜ったり湧いてきたりする運用が曲者で、とりあえず午前中は分析的に撮影を行うことにする。乗った列車がいきなり1000系だったが、まずは樋口で降りてロケハンを開始。
A地点: 樋口駅を出て国道を野上方面に進むと踏切があるので、そこから線路沿いの農道に沿って歩いていく。それなりに開けた場所で、畑に通じる第四種踏切を渡ったところから撮影する。午前半逆光、午後順光。国道を挟んだ後ろの山や、青く抜けた朝の空を大きく取り入れて列車を待っていると、幸運なことにスカイブルーの1000系が快走してきた。
B地点: A地点の少し先で、下りも上りも緩いアウトカーブで撮影できる。下りは昼前から順光、上りは終日逆光。秩父鉄道のダイヤはかなり過密で、撮影の合間にゆっくりと休憩する暇がない。しかし運用がはっきりするまでは「捨てる」列車を作れないので、1000系が来ても大丈夫なように一枚一枚を真剣に構える。ところが、来るのは7000系や7500系ばかり。ここはじっと耐えるしかない。頻繁に行き交う貨物列車がちょっとした楽しみである。
C地点: B地点のカーブが終わると線路は束の間だが直線を描く。ここを線路沿いの砂利道から撮影する。下りは終日半逆光、上りは終日逆光。赤い101号機の牽いる貨物列車がやって来たことと、スカイブルーの折返しを後追いで決められたことが収穫。線路の近くにはイチョウやモミジの木が鮮やかに色づいているのだが、列車と絡めて撮るとなるとかなり難しい。
D地点: 線路南側の道をさらに野上方面に歩いていくと、再びカーブにさしかかる。ここで線路は南北方向となり、あとは直線のまま野上へ至る。カーブの開始から程なくして踏切があり、ここから曲線の築堤を駆ける下り列車を狙える。終日順光。障害物がやや多いのが難点だが、先ほど乗ってきた標準塗装の1000系と、空の貨車を山へ返しに来た貨物列車を決める。
午前中の撮影で一通りの運用が把握できた。午後は場所を移動するかどうか迷ったが、スカイブルーが影森折返しの運用であり、三峰口へ向かった標準塗装も夕方まで出てこないことが予想されたので、当初から期待していた影森以西での1000系の撮影は諦め、波久礼方面に向けて新たな撮影地を開拓する。
写真
1枚目:晩秋の冷気、快晴の朝(@樋口~野上 A地点)
2枚目:最後の標準塗装編成、1010F(@樋口~野上 D地点)
3枚目:疾走(@樋口~野上 C地点)
1943文字
訣別、久留里線 Part 3
2012年11月7日 鉄道と旅行
撮り納め。
・日没後
キハ30を先頭に下ってくる次の939Dをどこで撮るか悩んだが、日没が16時39分とかなり早いため、無難に平山で駅撮りを行うことにした。その前の上り列車942Dも一緒に撮影する。流し撮り、という技も選択肢に入らなくはないが、リスクが大きすぎる上に、横向きに大きく開けた好適な場所がなさそうなのでやめにした。やがて太陽は黒い山稜に沈んでいき、空の色は複雑に変化してゆく。灰色、青色、赤色が絶妙に混ぜられた色彩が辺り一面に瀰漫していき、寂然たる秋の黄昏となる。そんな中、成田を飛び立った飛行機が続々と頭上を通過していく。銀色の機体は、角度によってわずかに橙色に煌めく。コクピットからは、今まさに沈もうとする夕日が美しく見えていることだろう。列車は時刻表通りに到着し、そして発車していった。長きにわたって房総の地を走ってきた通勤型気動車たちは、今月末で一斉にその任を終える。
・横田の夜
日没と同時に急激に寒さが増してきた。あたかも水蒸気が一気に凝縮しているかのようで、湿った冷たさを感じる。夜は横田で交換を3回撮影する。まずは乗ってきた上り944Dと、下り943D。残念ながらキハ30が顔を並べることはないのだが、電灯に照らされた独特の雰囲気の中、国鉄色を楽しむ。次の945Dと946Dの交換はパスして、夕食を求めて駅の外へ出た。予め調べておいた中華料理屋に入るはずだったのだが、なんと水曜は定休日。いよいよ冷えてきた中、東横田方面に歩いていくも、何も食べるところがない。結局、前回も訪れた東横田駅近くのセブンイレブンに入って、立ち読みで時間をつぶしつつ暖をとり、カップ麺と惣菜を買ってから、広大な駐車場の隅に座って食べるというまさかの展開ww とにかく寒かったが、ようやく体が温まった。過酷な撮影ほど印象に残るものであるから、今日のことはきっと忘れないだろう。
947Dと948Dの交換時刻に合わせて駅へ戻る。運用上は木更津側でキハ30が並ぶことになるが、2両編成と3両編成なので停止位置がずれる。しかし考えようによっては、1両分をまるまる写せる上に、顔の並びも撮れるわけだから、かえって良かったかもしれない。駅構内は意外と明るく、夜の闇に国鉄色がしっとりと溶け込む。毎日当たり前のように続いてきたこのような光景がもう見られなくなるのかと思うと、また一つ、何か大切なものを喪うような気がして悲しくなる。列車が去った後は、寒い中さらに1時間粘り、もう一度今の組み合わせで交換を撮影する。950Dには乗って帰らねばならないので、今度は1番線からの撮影。駅で停車中の撮影、とくに交換の撮影は、非常に難しい。後になって「こんな構図でも撮っておけば良かった」と悔いることもしばしばで、相当な経験を重ねないと限られた時間内で満足のいく撮影はできないように思われる。
最後は、キハ30に揺られて木更津へ戻った。もう、久留里線を訪れることはないだろう。さらば、通勤型気動車の先駆たち。キハ30、キハ37、キハ38、その勇姿をしかと記憶に焼き付けて、この地を後にする。
写真
1枚目:黄昏の平山駅に停車(@平山)
2枚目:毎晩の交換風景(@横田)
3枚目:小休止。まもなく使われるワンマン運転用のミラーが、時の移ろいを物語る(@横田)
2095文字
11/7
撮影(平山駅):
942D[1624] キハ38 1+キハ38 1003
939D[1640] キハ37 1003+キハ30 100
平山1725 → 横田1758
久留里線944D キハ30 100
撮影(横田駅):
943D[1800-1803] キハ30 98+キハ38 1+キハ38 1003
944D[1758-1802] キハ37 1003+キハ30 100
947D[1952-1955] キハ30 62+キハ38 1001
948D[1951-1954] キハ30 98+キハ38 1+キハ38 1003
949D[2050-2053] キハ30 98+キハ38 1+キハ38 1003
950D[2049-2052] キハ30 62+キハ38 1001
横田2052 → 木更津2112
久留里線950D キハ30 62
木更津2121 → 千葉2201
内房線・外房線1144M
千葉2204 → 新日本橋2242
総武本線2210F 快速
・日没後
キハ30を先頭に下ってくる次の939Dをどこで撮るか悩んだが、日没が16時39分とかなり早いため、無難に平山で駅撮りを行うことにした。その前の上り列車942Dも一緒に撮影する。流し撮り、という技も選択肢に入らなくはないが、リスクが大きすぎる上に、横向きに大きく開けた好適な場所がなさそうなのでやめにした。やがて太陽は黒い山稜に沈んでいき、空の色は複雑に変化してゆく。灰色、青色、赤色が絶妙に混ぜられた色彩が辺り一面に瀰漫していき、寂然たる秋の黄昏となる。そんな中、成田を飛び立った飛行機が続々と頭上を通過していく。銀色の機体は、角度によってわずかに橙色に煌めく。コクピットからは、今まさに沈もうとする夕日が美しく見えていることだろう。列車は時刻表通りに到着し、そして発車していった。長きにわたって房総の地を走ってきた通勤型気動車たちは、今月末で一斉にその任を終える。
・横田の夜
日没と同時に急激に寒さが増してきた。あたかも水蒸気が一気に凝縮しているかのようで、湿った冷たさを感じる。夜は横田で交換を3回撮影する。まずは乗ってきた上り944Dと、下り943D。残念ながらキハ30が顔を並べることはないのだが、電灯に照らされた独特の雰囲気の中、国鉄色を楽しむ。次の945Dと946Dの交換はパスして、夕食を求めて駅の外へ出た。予め調べておいた中華料理屋に入るはずだったのだが、なんと水曜は定休日。いよいよ冷えてきた中、東横田方面に歩いていくも、何も食べるところがない。結局、前回も訪れた東横田駅近くのセブンイレブンに入って、立ち読みで時間をつぶしつつ暖をとり、カップ麺と惣菜を買ってから、広大な駐車場の隅に座って食べるというまさかの展開ww とにかく寒かったが、ようやく体が温まった。過酷な撮影ほど印象に残るものであるから、今日のことはきっと忘れないだろう。
947Dと948Dの交換時刻に合わせて駅へ戻る。運用上は木更津側でキハ30が並ぶことになるが、2両編成と3両編成なので停止位置がずれる。しかし考えようによっては、1両分をまるまる写せる上に、顔の並びも撮れるわけだから、かえって良かったかもしれない。駅構内は意外と明るく、夜の闇に国鉄色がしっとりと溶け込む。毎日当たり前のように続いてきたこのような光景がもう見られなくなるのかと思うと、また一つ、何か大切なものを喪うような気がして悲しくなる。列車が去った後は、寒い中さらに1時間粘り、もう一度今の組み合わせで交換を撮影する。950Dには乗って帰らねばならないので、今度は1番線からの撮影。駅で停車中の撮影、とくに交換の撮影は、非常に難しい。後になって「こんな構図でも撮っておけば良かった」と悔いることもしばしばで、相当な経験を重ねないと限られた時間内で満足のいく撮影はできないように思われる。
最後は、キハ30に揺られて木更津へ戻った。もう、久留里線を訪れることはないだろう。さらば、通勤型気動車の先駆たち。キハ30、キハ37、キハ38、その勇姿をしかと記憶に焼き付けて、この地を後にする。
写真
1枚目:黄昏の平山駅に停車(@平山)
2枚目:毎晩の交換風景(@横田)
3枚目:小休止。まもなく使われるワンマン運転用のミラーが、時の移ろいを物語る(@横田)
2095文字
訣別、久留里線 Part 2
2012年11月7日 鉄道と旅行 コメント (2)
秋の世界へ。
・秋の丘を歩く
午後は久留里~平山間で撮影を行う。有名な撮影地が点在する区間だが、ある程度の下調べをもとに、自分の足で歩きながらロケハンをするのが面白い。良い構図が意外としばしば見つかったりするもので、定番を押さえることももちろん大切ではあるが、いくらでも独創性を活かし、表現者の意図を反映させる余地のあるところが撮影の醍醐味ともいえる。
P地点: イチョウが色づき始めた簡素な平山駅を出て、国道を久留里方面へ歩く。久留里~平山間は、線路は国道からかなり西側に離れた場所を走るため、どこかで左手に入らねばならない。オフラインでiPadの地図を眺めるとどうやらそれらしき道はあるのだが、実際にここへ来てみると、私道にしか見えない狭い道が突如歩道の脇から分岐している。ここは軽自動車一台がやっと通れるくらいの幅員で、半信半疑で下ってゆくと雑木林の中に入り、林を超えたところで丁字路に出た。左前方は既に景色が開けており、遠くに踏切も見える。やはり、この道で合っていたのだ。踏切の名は浦田踏切という。ここから久留里方面に目をやると、少し離れたところに跨線橋がある。この跨線橋へ伸びる坂道の中腹がP地点で、浦田踏切を小俯瞰しながら、ゆるいS字カーブをゆく列車を収めることができる。午後順光。ちなみに跨線橋は草ぼうぼうで、ここからは逆光とはいえ平山方面へ一気に下ってゆく線路を俯瞰する撮影も可能。
Q地点: 浦田踏切から久留里方面をアウトカーブで狙う構図。ススキが良い具合に茂っていて、秋らしい風情を感じる。しかし障害物のカットが意外と難しく、後追いで撮った938Dは車輪の下の方が切れてしまった。
R地点: 浦田踏切を渡って北東に歩を進めると、道路も線路も小櫃川の支流を渡る。線路はかなり高い築堤の上を走り、下から見上げれば辛うじて橋梁が見える。藪さえなく景色が開けていれば、この辺りも良い撮影地になることだろう。その後も延々と道を北上する。所々に踏切があり、どこから撮ってもそれなりの写真にはなりそうだ。後楽踏切、大門踏切、第二部田踏切と進んでいくが、後二者の中間地点に実りの良いカキの木があり、これを無理やり画面に収めたのがR地点。午後順光。夕刻の低い光線をいっぱいに浴びて、いかにも秋らしい風景の中を列車が駆けてゆく。
S地点: 第二部田踏切のさらに先に、肝心の名前を失念してしまったが小さな第四種踏切があり、この近くのあぜ道で思いがけず良い構図に巡り合った。ここがS地点。小櫃川の支流を渡る橋梁を小俯瞰できる。背後には赤く色づいた木がぽつんとあり、良いアクセントとなっている。ここで933Dを待ったのは大正解で、というのも木更津で編成ごと運用が差し替わってキハ30が亀山方の先頭に入り、昨日から続く元のサイクルに戻ったのである。秋の日差しを真正面から受け、カクカクした箱形の通勤型気動車が山あいを駆けていく。ファインダーの中に国鉄色が現れた時は一気に胸が高鳴った。撮影後はガッツポーズである。今回のベストショットだろうか。
P→S→Q→Rと移動したのでなかなかくたびれた。国道から離れた場所に線路が敷かれているぶん、景色に人工物が少なく自由な撮り方ができる。藪や荒れ地が多いのもこの地域の特徴で、秋の午後の茫漠たる雰囲気に実によく合っていた。単に撮影のみならず、ロケハン自体が面白い区間であった。
写真
1枚目:ぬっと現れたキハ30。国鉄色がまぶしい(@久留里~平山 S地点)
2枚目:ススキの道を去る(@久留里~平山 Q地点)
3枚目:秋の夕刻(@久留里~平山 R地点)
1844文字
11/7
小櫃1144 → 平山1202
久留里線929D キハ37 2
撮影(久留里~平山間 P地点):
934D[1243] キハ37 2+キハ38 1002
撮影(久留里~平山間 S地点):
933D[1347] キハ37 1003+キハ30 100
撮影(久留里~平山間 Q地点):
938D[1432] キハ37 1003+キハ30 100
撮影(久留里~平山間 R地点):
937D[1540] キハ38 1+キハ38 1003
・秋の丘を歩く
午後は久留里~平山間で撮影を行う。有名な撮影地が点在する区間だが、ある程度の下調べをもとに、自分の足で歩きながらロケハンをするのが面白い。良い構図が意外としばしば見つかったりするもので、定番を押さえることももちろん大切ではあるが、いくらでも独創性を活かし、表現者の意図を反映させる余地のあるところが撮影の醍醐味ともいえる。
P地点: イチョウが色づき始めた簡素な平山駅を出て、国道を久留里方面へ歩く。久留里~平山間は、線路は国道からかなり西側に離れた場所を走るため、どこかで左手に入らねばならない。オフラインでiPadの地図を眺めるとどうやらそれらしき道はあるのだが、実際にここへ来てみると、私道にしか見えない狭い道が突如歩道の脇から分岐している。ここは軽自動車一台がやっと通れるくらいの幅員で、半信半疑で下ってゆくと雑木林の中に入り、林を超えたところで丁字路に出た。左前方は既に景色が開けており、遠くに踏切も見える。やはり、この道で合っていたのだ。踏切の名は浦田踏切という。ここから久留里方面に目をやると、少し離れたところに跨線橋がある。この跨線橋へ伸びる坂道の中腹がP地点で、浦田踏切を小俯瞰しながら、ゆるいS字カーブをゆく列車を収めることができる。午後順光。ちなみに跨線橋は草ぼうぼうで、ここからは逆光とはいえ平山方面へ一気に下ってゆく線路を俯瞰する撮影も可能。
Q地点: 浦田踏切から久留里方面をアウトカーブで狙う構図。ススキが良い具合に茂っていて、秋らしい風情を感じる。しかし障害物のカットが意外と難しく、後追いで撮った938Dは車輪の下の方が切れてしまった。
R地点: 浦田踏切を渡って北東に歩を進めると、道路も線路も小櫃川の支流を渡る。線路はかなり高い築堤の上を走り、下から見上げれば辛うじて橋梁が見える。藪さえなく景色が開けていれば、この辺りも良い撮影地になることだろう。その後も延々と道を北上する。所々に踏切があり、どこから撮ってもそれなりの写真にはなりそうだ。後楽踏切、大門踏切、第二部田踏切と進んでいくが、後二者の中間地点に実りの良いカキの木があり、これを無理やり画面に収めたのがR地点。午後順光。夕刻の低い光線をいっぱいに浴びて、いかにも秋らしい風景の中を列車が駆けてゆく。
S地点: 第二部田踏切のさらに先に、肝心の名前を失念してしまったが小さな第四種踏切があり、この近くのあぜ道で思いがけず良い構図に巡り合った。ここがS地点。小櫃川の支流を渡る橋梁を小俯瞰できる。背後には赤く色づいた木がぽつんとあり、良いアクセントとなっている。ここで933Dを待ったのは大正解で、というのも木更津で編成ごと運用が差し替わってキハ30が亀山方の先頭に入り、昨日から続く元のサイクルに戻ったのである。秋の日差しを真正面から受け、カクカクした箱形の通勤型気動車が山あいを駆けていく。ファインダーの中に国鉄色が現れた時は一気に胸が高鳴った。撮影後はガッツポーズである。今回のベストショットだろうか。
P→S→Q→Rと移動したのでなかなかくたびれた。国道から離れた場所に線路が敷かれているぶん、景色に人工物が少なく自由な撮り方ができる。藪や荒れ地が多いのもこの地域の特徴で、秋の午後の茫漠たる雰囲気に実によく合っていた。単に撮影のみならず、ロケハン自体が面白い区間であった。
写真
1枚目:ぬっと現れたキハ30。国鉄色がまぶしい(@久留里~平山 S地点)
2枚目:ススキの道を去る(@久留里~平山 Q地点)
3枚目:秋の夕刻(@久留里~平山 R地点)
1844文字
訣別、久留里線 Part 1
2012年11月7日 鉄道と旅行
キハ30、37、38の最後の勇姿を追い求め、再び房総へ足を運ぶ。
・最後の撮影行
9月に訪れたときはあいにくの天気であったが、今回は晴れが期待できそうである。この間と同じ総武快速529Fの車中でのすり氏と落ち合い、房総へ向かう。東京湾の輪郭をずっとなぞる形の道のりであるから、思いのほか時間がかかる。ずいぶんと昼間が短くなったようで、車窓はまだ暗い。久留里線は昨日の大雨でダイヤが乱れ、運用に混乱が生じたようだ。最悪の場合、初っ端の923Dと、その折り返しの928Dを決めた後は、夜になるまでキハ30の出番がないということもあり得る。途中で差し替わりがあることを願いつつ、木更津の駅に降り立つ。目の前には予想通り、2連になったキハ30とキハ38とが仲良く手をつないでホームに佇んでいた。
・小櫃~俵田にて
車内は高校生だらけで、途中の駅からもたくさん乗ってくる。キハ30の独特の外吊り扉に学生が吸い込まれていく様子は、実に写欲をそそる光景。堂々と連なった国鉄色の色彩も、やわらかな朝日に美しく浮かび上がっている。
A地点: 小櫃駅を出てしばらく俵田方面に歩き、最初の踏切から上り列車を撮影するポイント。線路はほぼ南北に向いているので、終日逆光。ここだけを切り取ればあたかも山間部のアウトカーブのような雰囲気となる。キハ38を先頭にやってきた926Dに挑んだが、AFが効かず完全なピンボケ写真となってしまった。後味の悪いスタートダッシュである。
B地点: 国道を下っていくと、右手に田んぼが開け、高い築堤の上を線路が走る場所に出る。手前に生えているススキ、セイタカアワダチソウなどの植物、そして背後の雑木林と水色の空を大きく画面に入れて、ひょっこりと姿を現した列車を撮ることができる。美しいというほど美しくはないかもしれないが、何気ない風景写真の一コマとして十分楽しめる。ここでは932Dを撮影。久留里線塗装は意外と沿線の景色にマッチしているように思う。
C地点: さらに国道を下っていくと、学校下踏切というところに行き着く。スタンダードに上り列車を直線で決めることもできれば、近くにあるカキの木を添えて遊びっぽく撮ることもできる。少し小櫃寄りの位置からだと面白い線形を生かすこともできるが、林に囲まれた場所なのでなかなか霧が晴れず、日も当たらない。
D地点: 朝の本命である928Dはここで撮影する。学校下踏切の先には役場下踏切があり、踏切を渡った場所からはアウトカーブで上り列車を狙うか、真正面の構図で下り列車を狙うことになる。925Dは迷わず正面から決めたが、928Dは国鉄色が連なっている姿をなるべく強調したいと考え、踏切を渡らずにインカーブで狙うことにした。カットすべき障害物が多いので3両が収まるかどうかという懸念があったものの、何とか満足のいく一枚となった。「物は撮りよう」である。惜しむらくは、雲の動きが非常に速く、通過時は曇天だったにもかかわらず踏切が開いた直後から晴れ間が戻ってきたことか。天気ばかりは運任せである。
そこそこに充実した午前中の撮影を楽しみ、駅へ戻る。
写真
1枚目:念願の国鉄色2連。後ろのキハ38も忘れてはいけないがw(@小櫃~俵田 D地点)
2枚目:秋の房総らしい風景をゆく(@小櫃~俵田 B地点)
1993文字
11/7
新日本橋544 → 千葉620
総武本線529F 快速 モハE217-10
千葉638 → 木更津717
外房線・内房線133M モハ209-2101
木更津723 → 小櫃759
久留里線923D キハ30 98
※ [ ]内に撮影時刻を示す
※ 編成は左が木更津側
撮影(小櫃~俵田間 A地点):
926D[817] キハ38 4+キハ37 1002
撮影(小櫃~俵田間 D地点):
925D[856] キハ37 2+キハ38 1002
928D[912] キハ38 98+キハ38 62+キハ38 1001
撮影(小櫃~俵田間 C地点):
927D[952] キハ38 4+キハ37 1002
930D[1008] キハ37 2+キハ38 1002
撮影(小櫃~俵田間 B地点):
932D[1106] キハ38 4+キハ37 1002
・最後の撮影行
9月に訪れたときはあいにくの天気であったが、今回は晴れが期待できそうである。この間と同じ総武快速529Fの車中でのすり氏と落ち合い、房総へ向かう。東京湾の輪郭をずっとなぞる形の道のりであるから、思いのほか時間がかかる。ずいぶんと昼間が短くなったようで、車窓はまだ暗い。久留里線は昨日の大雨でダイヤが乱れ、運用に混乱が生じたようだ。最悪の場合、初っ端の923Dと、その折り返しの928Dを決めた後は、夜になるまでキハ30の出番がないということもあり得る。途中で差し替わりがあることを願いつつ、木更津の駅に降り立つ。目の前には予想通り、2連になったキハ30とキハ38とが仲良く手をつないでホームに佇んでいた。
・小櫃~俵田にて
車内は高校生だらけで、途中の駅からもたくさん乗ってくる。キハ30の独特の外吊り扉に学生が吸い込まれていく様子は、実に写欲をそそる光景。堂々と連なった国鉄色の色彩も、やわらかな朝日に美しく浮かび上がっている。
A地点: 小櫃駅を出てしばらく俵田方面に歩き、最初の踏切から上り列車を撮影するポイント。線路はほぼ南北に向いているので、終日逆光。ここだけを切り取ればあたかも山間部のアウトカーブのような雰囲気となる。キハ38を先頭にやってきた926Dに挑んだが、AFが効かず完全なピンボケ写真となってしまった。後味の悪いスタートダッシュである。
B地点: 国道を下っていくと、右手に田んぼが開け、高い築堤の上を線路が走る場所に出る。手前に生えているススキ、セイタカアワダチソウなどの植物、そして背後の雑木林と水色の空を大きく画面に入れて、ひょっこりと姿を現した列車を撮ることができる。美しいというほど美しくはないかもしれないが、何気ない風景写真の一コマとして十分楽しめる。ここでは932Dを撮影。久留里線塗装は意外と沿線の景色にマッチしているように思う。
C地点: さらに国道を下っていくと、学校下踏切というところに行き着く。スタンダードに上り列車を直線で決めることもできれば、近くにあるカキの木を添えて遊びっぽく撮ることもできる。少し小櫃寄りの位置からだと面白い線形を生かすこともできるが、林に囲まれた場所なのでなかなか霧が晴れず、日も当たらない。
D地点: 朝の本命である928Dはここで撮影する。学校下踏切の先には役場下踏切があり、踏切を渡った場所からはアウトカーブで上り列車を狙うか、真正面の構図で下り列車を狙うことになる。925Dは迷わず正面から決めたが、928Dは国鉄色が連なっている姿をなるべく強調したいと考え、踏切を渡らずにインカーブで狙うことにした。カットすべき障害物が多いので3両が収まるかどうかという懸念があったものの、何とか満足のいく一枚となった。「物は撮りよう」である。惜しむらくは、雲の動きが非常に速く、通過時は曇天だったにもかかわらず踏切が開いた直後から晴れ間が戻ってきたことか。天気ばかりは運任せである。
そこそこに充実した午前中の撮影を楽しみ、駅へ戻る。
写真
1枚目:念願の国鉄色2連。後ろのキハ38も忘れてはいけないがw(@小櫃~俵田 D地点)
2枚目:秋の房総らしい風景をゆく(@小櫃~俵田 B地点)
1993文字
晩夏の久留里線 Part 3
2012年9月19日 鉄道と旅行 コメント (2)
国鉄色、再登場。
・待ちに待ったシャッター
天候は断続的な雨、キハ30はといえば朝方に一往復を見届けたのみで、しかも午後はグレーゾーンをさまよって肉体的のみならず精神的にもかなり来るものがあった。15時前に木更津を出区するA13運用にキハ30が入ってくれることを祈りつつ、再び平山方面へ向かってロケハンを開始する。
Q地点: 先ほどの第一天津街道踏切から500mほど進むと、産女踏切に至る。ここは下り列車が順光でよく撮れる場所なのだが、今春のダイヤ改正を経てキハ30が木更津側に連結されるようになったため、次の937Dは後追いで決めるしかない。踏切を渡った先を右折し、線路沿いの畦道を歩く。線路は平山方面に向かった急な坂を下っていき、やがて右側にカーブしながらそれてゆく。そのカーブの始まりあたりの畦道上に、直線の線路を遠くまで見渡せる場所があるので、ここでスタンバイすることにした。後ろから列車が接近してくるときは緊張したが、予想通りキハ30が入っていて胸をなで下ろす。草むした線路をトコトコと走ってゆく姿は健気である。
R地点: 産女踏切からさらに500mほど先へ行くと、今度は跨線橋に至る。ここからは下り、上りとも俯瞰構図で撮ることができる。下りは直線、上りはアウトカーブ。景色の雄大さこそ全く異なるが、宗谷本線の抜海~南稚内の有名撮影地を彷彿させる場所で、線路以外には緑色しか見当たらないのが独特の風景。やはり「物は撮りよう」であり、上手く切り取れば、さっきまで田園地帯を走っていた路線とはとても思えないほどの山奥感を出すことができる。やがてやってきた942Dは今回の撮影行でのベストショットとなった。カクカクした箱型の車両が急カーブを駆けるという面白さ。直線と曲線が織りなす絶妙な造形美が、溢れんばかりの周囲の緑色、そして国鉄色のビビッドなツートンカラーに彩られて画面上に花咲いた。
S地点:上総松丘駅へ向かう道の途中から939Dを適当に撮影。キハ37、キハ38といえども、選り好みせず撮っていきたい。久留里線は首都圏にありながら、進化の波に取り残されたガラパゴスのような場所である。
・黄昏から日没へ
夕方の上り列車で上総松丘を去る。A13にキハ30が入ったということは、次に下って来るA31+A13の943Dは、木更津側にキハ30が2両連なる編成となる。これは是非撮っておきたいと思いつつも、残念ながら日没が近く十分な露出を稼げそうにない。昼間に車中から観察していた様子だと、馬来田あたりで停車中の姿をカメラに収めるのが良さそうだということで、ここで下車する。これだけ雨がしつこく降った一日だったからか、突如車窓に燃え盛った夕焼けは息をのむ美しさであった。東側の空にはわずかながら虹もかかり、我々を祝福しているかのようである。
駅すぐそばの馬来田踏切から、構内に停車する列車をスローシャッターで撮影。側面には灯りが回らず、キハ30が2連になっていることが今ひとつ判然としない写真になってしまったが、大勢の乗降客がホームを行き交う姿も収めることができたので良しとしよう。これにて今日の撮影は終了である。
夜は木更津で飲んで帰る。どうもお疲れさまでした。夕方以降の撮影がとくに充実していた。そんなに遠い場所ではないから、晩秋あたりにもう一度訪れてみるのも良いかもしれない。
写真
1枚目:山奥へ入ってゆく(@平山~上総松丘 Q地点)
2枚目:老気動車の咆哮(@平山~上総松丘 R地点)
3枚目:地域に密着した輸送(@馬来田)
2090文字
9/19
撮影(平山~上総松丘間 Q地点):
937D[1547] キハ30 62+キハ38 1002(A13)
撮影(平山~上総松丘間 R地点):
942D[1621] キハ30 62+キハ38 1002(A13)
撮影(平山~上総松丘間 S地点):
939D[1645] キハ38 4+キハ38 1001(A11)
上総松丘1720 → 馬来田1749
久留里線944D キハ38 1001
撮影(馬来田踏切):
943D[1810-1811]
キハ30 98+キハ30 62+キハ38 1002(A31+A13)
馬来田1846 → 木更津1913
久留里線946D キハ38 1
木更津2121 → 千葉2201
内房線・外房線1144M
千葉2204 → 新日本橋2242
総武本線2210F 快速
・待ちに待ったシャッター
天候は断続的な雨、キハ30はといえば朝方に一往復を見届けたのみで、しかも午後はグレーゾーンをさまよって肉体的のみならず精神的にもかなり来るものがあった。15時前に木更津を出区するA13運用にキハ30が入ってくれることを祈りつつ、再び平山方面へ向かってロケハンを開始する。
Q地点: 先ほどの第一天津街道踏切から500mほど進むと、産女踏切に至る。ここは下り列車が順光でよく撮れる場所なのだが、今春のダイヤ改正を経てキハ30が木更津側に連結されるようになったため、次の937Dは後追いで決めるしかない。踏切を渡った先を右折し、線路沿いの畦道を歩く。線路は平山方面に向かった急な坂を下っていき、やがて右側にカーブしながらそれてゆく。そのカーブの始まりあたりの畦道上に、直線の線路を遠くまで見渡せる場所があるので、ここでスタンバイすることにした。後ろから列車が接近してくるときは緊張したが、予想通りキハ30が入っていて胸をなで下ろす。草むした線路をトコトコと走ってゆく姿は健気である。
R地点: 産女踏切からさらに500mほど先へ行くと、今度は跨線橋に至る。ここからは下り、上りとも俯瞰構図で撮ることができる。下りは直線、上りはアウトカーブ。景色の雄大さこそ全く異なるが、宗谷本線の抜海~南稚内の有名撮影地を彷彿させる場所で、線路以外には緑色しか見当たらないのが独特の風景。やはり「物は撮りよう」であり、上手く切り取れば、さっきまで田園地帯を走っていた路線とはとても思えないほどの山奥感を出すことができる。やがてやってきた942Dは今回の撮影行でのベストショットとなった。カクカクした箱型の車両が急カーブを駆けるという面白さ。直線と曲線が織りなす絶妙な造形美が、溢れんばかりの周囲の緑色、そして国鉄色のビビッドなツートンカラーに彩られて画面上に花咲いた。
S地点:上総松丘駅へ向かう道の途中から939Dを適当に撮影。キハ37、キハ38といえども、選り好みせず撮っていきたい。久留里線は首都圏にありながら、進化の波に取り残されたガラパゴスのような場所である。
・黄昏から日没へ
夕方の上り列車で上総松丘を去る。A13にキハ30が入ったということは、次に下って来るA31+A13の943Dは、木更津側にキハ30が2両連なる編成となる。これは是非撮っておきたいと思いつつも、残念ながら日没が近く十分な露出を稼げそうにない。昼間に車中から観察していた様子だと、馬来田あたりで停車中の姿をカメラに収めるのが良さそうだということで、ここで下車する。これだけ雨がしつこく降った一日だったからか、突如車窓に燃え盛った夕焼けは息をのむ美しさであった。東側の空にはわずかながら虹もかかり、我々を祝福しているかのようである。
駅すぐそばの馬来田踏切から、構内に停車する列車をスローシャッターで撮影。側面には灯りが回らず、キハ30が2連になっていることが今ひとつ判然としない写真になってしまったが、大勢の乗降客がホームを行き交う姿も収めることができたので良しとしよう。これにて今日の撮影は終了である。
夜は木更津で飲んで帰る。どうもお疲れさまでした。夕方以降の撮影がとくに充実していた。そんなに遠い場所ではないから、晩秋あたりにもう一度訪れてみるのも良いかもしれない。
写真
1枚目:山奥へ入ってゆく(@平山~上総松丘 Q地点)
2枚目:老気動車の咆哮(@平山~上総松丘 R地点)
3枚目:地域に密着した輸送(@馬来田)
2090文字
晩夏の久留里線 Part 2
2012年9月19日 鉄道と旅行
山間部へ入る。
・山線へ
横田~東横田での撮影を終え、上総亀山方面へ歩を進める。久留里を境にして風景は田園地帯から山間部へと一変し、列車は小櫃川の流れに沿いながら、急勾配を登り詰め、急カーブを切り抜け、どんどん山奥へと分け入ってゆく。とくに久留里~平山~上総松丘の間は道路や民家からかなり離れて走行する場所が多く、鬱蒼たる藪の中に線路だけが走っている光景をしばしば目にする。しかし、いよいよ山線になってきたか、と思ったところで、久留里線の歩みは終点の上総亀山でぷっつりと途絶えることになる。もともとは太平洋側まで横断する予定だったようだが、その夢は未成線の幻となって消えた。今回は終点一つ手前の上総松丘で下車し、歩きながら前後の撮影地のロケハンを行うとしよう。
P地点: どういうわけか駅の出口は並走する国道410号線と反対側にあるので、道へ出るにはだいぶ大回りをする必要がある。もっとも、構内を横断すればすぐに出られるという話もあるw 駅を出て丁字路を右折し、線路に突き当たったところは第一天津街道踏切という。ここは下り向きのインカーブの撮影地のようだが、さして景色がよくないし、線路脇の草も高すぎる。乗ってきた列車の折り返しは、踏切からしばらく駅方向へ戻ったところにある線路際の木の下から撮影。夕方順光。望遠で駅構内を圧縮して写せるので、入線、停車、発車の一連の流れを楽しむことができる。ホームと駅舎がかなり離れているため、遠くから眺めるとコンクリートの台が忽然と線路のそばに姿を現しているかのようで面白い。優しい顔つきのキハ37を先頭に、列車はゆっくりと発車してゆく。
X地点: 次の列車まではだいぶ時間が空くので、今度は上総亀山方面に足を運ぶ。この区間にはトンネルが2つあるが、久留里線のトンネルはこの2つだけ。国道から線路側へ入る獣道のようなところを進めば、すぐに線路、そしてトンネルが見える。鉄道の撮影地というのは往々にして私有地であったり、犬走りのように線路に近すぎたりなど、その大半がグレーゾーンだという認識でいるのだが、さしあたり「第五種踏切」とでも呼べば良いのか、今回のこのX地点もなかなか難しいところであった。辺りは線路でさえも一面の緑が覆っていて、独特の雰囲気が醸し出されている。
天候はかなり不安定で、雨が降ったり止んだりを繰り返している。とにかく湿度が高くしっとりとしていて、その感触は肌のみならず、網膜でさえも感じ取れそうな、そんな午後である。雨に溶け出した草木の匂いが嗅覚を刺激し、国道を行き交う車のエンジン音、タイヤが路面を滑るシャーという音が木々の向こう側に聞こえる。補給する水の味は淡白で無機質。撮影といえば視覚に偏重しがちだけれども、本来は五感で楽しむものなのだ。
写真
1枚目:上総松丘を発車した上り列車(@上総松丘~平山 P地点)
2枚目:鬱蒼たる茂みから突如姿を現す(@上総松丘~上総亀山 X地点)
3枚目:トンネルから出てくる(@上総松丘~上総亀山 X地点)
1550文字
9/19
東横田1131 → 上総松丘1207
久留里線929D キハ38 3
撮影(平山~上総松丘間 P地点):
934D[1236] キハ37 1003+キハ38 3(A12)
撮影(上総松丘~上総亀山間 X地点):
933D[1358] キハ38 4+キハ38 1001(A11)
938D[1423] キハ38 4+キハ38 1001(A11)
・山線へ
横田~東横田での撮影を終え、上総亀山方面へ歩を進める。久留里を境にして風景は田園地帯から山間部へと一変し、列車は小櫃川の流れに沿いながら、急勾配を登り詰め、急カーブを切り抜け、どんどん山奥へと分け入ってゆく。とくに久留里~平山~上総松丘の間は道路や民家からかなり離れて走行する場所が多く、鬱蒼たる藪の中に線路だけが走っている光景をしばしば目にする。しかし、いよいよ山線になってきたか、と思ったところで、久留里線の歩みは終点の上総亀山でぷっつりと途絶えることになる。もともとは太平洋側まで横断する予定だったようだが、その夢は未成線の幻となって消えた。今回は終点一つ手前の上総松丘で下車し、歩きながら前後の撮影地のロケハンを行うとしよう。
P地点: どういうわけか駅の出口は並走する国道410号線と反対側にあるので、道へ出るにはだいぶ大回りをする必要がある。もっとも、構内を横断すればすぐに出られるという話もあるw 駅を出て丁字路を右折し、線路に突き当たったところは第一天津街道踏切という。ここは下り向きのインカーブの撮影地のようだが、さして景色がよくないし、線路脇の草も高すぎる。乗ってきた列車の折り返しは、踏切からしばらく駅方向へ戻ったところにある線路際の木の下から撮影。夕方順光。望遠で駅構内を圧縮して写せるので、入線、停車、発車の一連の流れを楽しむことができる。ホームと駅舎がかなり離れているため、遠くから眺めるとコンクリートの台が忽然と線路のそばに姿を現しているかのようで面白い。優しい顔つきのキハ37を先頭に、列車はゆっくりと発車してゆく。
X地点: 次の列車まではだいぶ時間が空くので、今度は上総亀山方面に足を運ぶ。この区間にはトンネルが2つあるが、久留里線のトンネルはこの2つだけ。国道から線路側へ入る獣道のようなところを進めば、すぐに線路、そしてトンネルが見える。鉄道の撮影地というのは往々にして私有地であったり、犬走りのように線路に近すぎたりなど、その大半がグレーゾーンだという認識でいるのだが、さしあたり「第五種踏切」とでも呼べば良いのか、今回のこのX地点もなかなか難しいところであった。辺りは線路でさえも一面の緑が覆っていて、独特の雰囲気が醸し出されている。
天候はかなり不安定で、雨が降ったり止んだりを繰り返している。とにかく湿度が高くしっとりとしていて、その感触は肌のみならず、網膜でさえも感じ取れそうな、そんな午後である。雨に溶け出した草木の匂いが嗅覚を刺激し、国道を行き交う車のエンジン音、タイヤが路面を滑るシャーという音が木々の向こう側に聞こえる。補給する水の味は淡白で無機質。撮影といえば視覚に偏重しがちだけれども、本来は五感で楽しむものなのだ。
写真
1枚目:上総松丘を発車した上り列車(@上総松丘~平山 P地点)
2枚目:鬱蒼たる茂みから突如姿を現す(@上総松丘~上総亀山 X地点)
3枚目:トンネルから出てくる(@上総松丘~上総亀山 X地点)
1550文字
晩夏の久留里線 Part 1
2012年9月19日 鉄道と旅行
のすり氏と久留里線へ行ってきました。
・久留里線へ
「なくなる」と聞いてから足を運ぶのではもう遅い、ということは重々承知しながらも、やはり行かないわけにはいかない。今春のダイヤ改正でタブレット閉塞が廃止された久留里線、今度は秋からキハE130が配置されて、この地だけで細々と走ってきたキハ30、キハ37、キハ38を置き換えていくという。3年前の夏に初めて乗りつぶし、今年2月に少しだけ撮ったことのある路線。本格的な撮影に臨むのは今日が初となる。そこで数日前から天気予報を気にしていたが、どうも芳しくない。いや、むしろ悪い。午前中の降水確率は100%、午後は曇、夕方からは晴れ間があるかもしれない、という予報。しかし、せっかく日程を決めていたのに行かないのももったいないし、こういう天候でしか撮れない写真もたくさんあることなので、撮影を決行する。
外苑前から銀座線で三越前へ向かい、新日本橋から総武快速に乗る。こんなマイナーな駅、なかなか使わないなw 錦糸町でのすり氏と合流し、一路千葉を目指す。窓外に目をやると、猛烈な勢いで雨が叩きつけたり、小康状態になったりと、天候は読み切れない。雨雲の分布にずいぶんムラがあるようで、曇と雨が交互に繰り返すような感じの一日になりそうだ。千葉から先の内房線は予想外に混雑していた。みなどこで降りるのだろうと思っていたら、ほぼ木更津までそのままの状態でいささか驚く。
・平野部をゆく
木更津に到着すると、運用表通り923DはA31+A14の3両編成でほっと一息。A31はキハ30 98。しかし車庫の方に目をやると、1両のキハ30が屋根の下にぽつんと佇み、もう1両のキハ30がキハ38とペアを組んで留置線で寝ている。ということは、この時間帯に動いているキハ30は1両だけ・・・つまりA11、A12、A14、A15は全部キハ37かキハ38である。こうなると、キハ38とペアを組んだ編成が午後に木更津を出発するA13に入ってくれることを祈るしかない。夕方まではひたすらキハ37とキハ38を撮ることになりそうだ。
乗りこんだ車内は高校生だらけで完全に通学列車。この路線は彼らが居るからもっているようなもので、たいていの沿線民は車で移動することだろう。横田で下車し、堂々4両編成の924Dとの交換を撮ってから、東横田との間にあるストレートの撮影地に向かう。
A地点: 線路北側の道を東進していき、吹上踏切への道に入る。踏切へ至るまでの道路際から下りも上りも撮影できるが、主に上り向けの撮影地。午後半逆光。線路南側にはかなり市街地が広がっているのでそれらを出来るだけカットしたいところだが、なかなかこれが大変で、2両編成や3両編成がどの程度の長さで画面に収まってくるのかという距離感の見当をつけるのが難しい。電化区間は架線柱があるから無意識のうちに収まり方を予測できるが、それらを取っ払われた途端、困惑してしまうのはまだまだ素人だということか。
B地点: 踏切を渡り、田んぼを迂回して東横田方面に歩いたところにある畦道から上りを撮影する場所。午後順光。一回目の「本番」に相当する928Dをここで撮影。ツートンカラー、国鉄色のキハ30を先頭に、キハ38、キハ37が連なるという珍ドコ編成でなかなか面白い。何でもかんでもごちゃまぜに混結できるのは気動車の特性で、固定編成に慣れている身としては非常に斬新。ザーザー降りの雨になるかと思いきや、曇天のまま。それどころか、柔らかい日差しや部分的な青空も出てきて、予報はあてにならないことを実感する。
しかしその後東横田に移動すると、突如として猛烈な雨が降り始めた。撮影の間だけ何とかもってくれたのは、本当に幸運としか言いようがない。駅では、そこら中にへばりついたアマガエルを撮ったり、上り列車をホームで撮ったりしながら時間をつぶす。
写真
1枚目:923D。エギゾーストを吹き上げて横田を発車(@横田)
2枚目:928D。三系列混結の気動車列車(@横田~東横田 B地点)
3枚目:928D。束の間の青空がのぞく(@横田~東横田 B地点)
2466文字
9/19
新日本橋544 → 千葉620
総武本線529F 快速
千葉638 → 木更津717
外房線・内房線133M
木更津723 → 横田740
久留里線923D キハ30 98
撮影(横田駅):
※ [ ]内に撮影時刻を示す
923D・924D交換[740-742]
※ 編成は左が木更津側
※ ( )内に運用番号を示す
923D キハ30 98+キハ38 1+キハ37 1002(A31+A14)
924D キハ37 1003+キハ38 3+キハ38 4+キハ38 1001(A12+A11)
撮影(横田~東横田間 A地点):
926D[832] キハ38 2+キハ38 1003(A15)
925D[838] キハ37 1003+キハ38 3(A12)
撮影(横田~東横田間 B地点):
928D[929] キハ30 98+キハ38 1+キハ37 1002(A31+A14)
932D[936] キハ38 2+キハ38 1003(A15)
撮影(東横田駅):
930D[1024-1025] キハ37 1003+キハ38 3(A12)
932D[1120-1121] キハ38 2+キハ38 1003(A15)
・久留里線へ
「なくなる」と聞いてから足を運ぶのではもう遅い、ということは重々承知しながらも、やはり行かないわけにはいかない。今春のダイヤ改正でタブレット閉塞が廃止された久留里線、今度は秋からキハE130が配置されて、この地だけで細々と走ってきたキハ30、キハ37、キハ38を置き換えていくという。3年前の夏に初めて乗りつぶし、今年2月に少しだけ撮ったことのある路線。本格的な撮影に臨むのは今日が初となる。そこで数日前から天気予報を気にしていたが、どうも芳しくない。いや、むしろ悪い。午前中の降水確率は100%、午後は曇、夕方からは晴れ間があるかもしれない、という予報。しかし、せっかく日程を決めていたのに行かないのももったいないし、こういう天候でしか撮れない写真もたくさんあることなので、撮影を決行する。
外苑前から銀座線で三越前へ向かい、新日本橋から総武快速に乗る。こんなマイナーな駅、なかなか使わないなw 錦糸町でのすり氏と合流し、一路千葉を目指す。窓外に目をやると、猛烈な勢いで雨が叩きつけたり、小康状態になったりと、天候は読み切れない。雨雲の分布にずいぶんムラがあるようで、曇と雨が交互に繰り返すような感じの一日になりそうだ。千葉から先の内房線は予想外に混雑していた。みなどこで降りるのだろうと思っていたら、ほぼ木更津までそのままの状態でいささか驚く。
・平野部をゆく
木更津に到着すると、運用表通り923DはA31+A14の3両編成でほっと一息。A31はキハ30 98。しかし車庫の方に目をやると、1両のキハ30が屋根の下にぽつんと佇み、もう1両のキハ30がキハ38とペアを組んで留置線で寝ている。ということは、この時間帯に動いているキハ30は1両だけ・・・つまりA11、A12、A14、A15は全部キハ37かキハ38である。こうなると、キハ38とペアを組んだ編成が午後に木更津を出発するA13に入ってくれることを祈るしかない。夕方まではひたすらキハ37とキハ38を撮ることになりそうだ。
乗りこんだ車内は高校生だらけで完全に通学列車。この路線は彼らが居るからもっているようなもので、たいていの沿線民は車で移動することだろう。横田で下車し、堂々4両編成の924Dとの交換を撮ってから、東横田との間にあるストレートの撮影地に向かう。
A地点: 線路北側の道を東進していき、吹上踏切への道に入る。踏切へ至るまでの道路際から下りも上りも撮影できるが、主に上り向けの撮影地。午後半逆光。線路南側にはかなり市街地が広がっているのでそれらを出来るだけカットしたいところだが、なかなかこれが大変で、2両編成や3両編成がどの程度の長さで画面に収まってくるのかという距離感の見当をつけるのが難しい。電化区間は架線柱があるから無意識のうちに収まり方を予測できるが、それらを取っ払われた途端、困惑してしまうのはまだまだ素人だということか。
B地点: 踏切を渡り、田んぼを迂回して東横田方面に歩いたところにある畦道から上りを撮影する場所。午後順光。一回目の「本番」に相当する928Dをここで撮影。ツートンカラー、国鉄色のキハ30を先頭に、キハ38、キハ37が連なるという珍ドコ編成でなかなか面白い。何でもかんでもごちゃまぜに混結できるのは気動車の特性で、固定編成に慣れている身としては非常に斬新。ザーザー降りの雨になるかと思いきや、曇天のまま。それどころか、柔らかい日差しや部分的な青空も出てきて、予報はあてにならないことを実感する。
しかしその後東横田に移動すると、突如として猛烈な雨が降り始めた。撮影の間だけ何とかもってくれたのは、本当に幸運としか言いようがない。駅では、そこら中にへばりついたアマガエルを撮ったり、上り列車をホームで撮ったりしながら時間をつぶす。
写真
1枚目:923D。エギゾーストを吹き上げて横田を発車(@横田)
2枚目:928D。三系列混結の気動車列車(@横田~東横田 B地点)
3枚目:928D。束の間の青空がのぞく(@横田~東横田 B地点)
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秩父鉄道の夏 Part 3
2012年8月28日 鉄道と旅行8/28
撮影(上長瀞~親鼻間 A地点):
7205レ[1507] ?
撮影(上長瀞~親鼻間 C地点):
1535レ[1530] 1010F(標準塗装)
1544レ[1546] 5000系
7305レ[1554] 507
1537レ[1606] 7502F
1546レ[1617] 1003F(オレンジ)
撮影(上長瀞~親鼻間 A地点):
1539レ[1630] 1001F(スカイブルー)
1548レ[1655] 1007F(リバイバル塗装)
1541レ[1658] 5000系
1008レ(急行秩父路8号)[1711] 6001F
撮影(上長瀞~親鼻間 B地点):
7405レ[1723] ?
1550レ[1728] 7502F
7306レ[1746] ?
1010レ(急行秩父路10号)[1748] 6000系
1545レ[1759] 7500系
1552レ[1804] 1001F(スカイブルー)
上長瀞1824 → 御花畑1848
秩父鉄道1547レ 7500系
・荒川橋梁
最後はやはりここに来てしまう。南北に荒川を渡るこの橋は、とくに午後になると西からの光線をいっぱいに浴びて、美しい鉄道撮影の舞台へと変貌する。今回は上長瀞側からアプローチした。そういえば昔は俯瞰撮影地に登ったこともあったが、あの撮影は予想以上に骨が折れるので今回はパス。しかしそうやって次へ次へと後回しにしていく、つまり宿題を残していくと、結局永久に達成されないままになってしまうのが恐ろしいところだ。
A地点:北岸の道沿いにある墓場付近から竹藪の中を通る道、獣道とも鉄ヲタ道ともつかない道(この表現は一体何なんだw)を下っていくと、狭い川原に出る。ここから橋梁を見上げることができる。午後の遅い時間帯が順光。太陽が北寄りに沈む日の長い季節は、列車の正面にも日が当たる。
B地点:上長瀞の駅前から川へ向かって続く道を進んでいくと丁字路に突き当たるが、さらにその先の藪を下っていくとすぐに川原に出る。ここは川遊びに来る人々の出入りがかなり多いらしく、道は広くて安全。光線は終日逆光。橋脚、橋梁、列車が織りなすシルエットを狙う撮影地。空の色が刻一刻と変化する日没前後の時間帯はとりわけ美しいか。
C地点:線路の西側を走る県道を南進し、親鼻橋を渡った先の交差点脇から川原に降りる舗装道路がある。夏季はキャンプや川遊びで非常に賑わい、今回も大勢の行楽客がいた。平日でこれなのだから、週末などは相当な混雑を極めたのだろうか。荒川橋梁を一番きれいに側面から収められる場所で、午後順光。親鼻駅からアプローチする方が近い。
絵になるのは何と言っても貨物列車だが、7106レも7206レもやって来ない。石灰石を積んでいるぶん、上り列車の方が編成の輪郭にアクセントがついて好きなのだが、どういうわけか山から下りて来ない。ひょっとすると、もう今日の操業は終わったのか、それとも手元のダイヤグラムが間違っているのだろうか。その代わり、副産物というのも変な話だが、1000系のオレンジ、スカイブルー、オリジナル塗装の3本を一挙に撮影できたのは嬉しい。7306レは予想の時刻どおりに走ってきたので、B地点でシルエットを撮影。そして空は、だんだん紫とも青ともつかないような特殊な色彩を帯び始める。ところが、今まさに通過してくれたら、というタイミングでなぜか7007レがやって来ない。おそらくダイヤは合っているけれども、列車によって運転したりしなかったりするらしい。げんなりして上長瀞の駅に戻る。A→C→A→Bと急いで移動したのでくたびれた。
・帰路
すっかり日は落ち、御花畑へ戻る。来たときと全く同じルートを引き返し、延々3時間の道のり。近いとはいえないが、遠いわけでもない。冬の凛とした朝にまた貨物を撮りに来ても面白いだろうか。充実した一日であった。
写真(@上長瀞~親鼻)
1枚目:オレンジバーミリオン(C地点)
2枚目:スカイブルー(A地点)
3枚目:7405レ(B地点)
1914文字
秩父鉄道の夏 Part 2
2012年8月28日 鉄道と旅行 コメント (4)8/28
撮影(波久礼駅前):
7403レ[1048] 502
1005レ(急行秩父路5号)[1059]
撮影(波久礼~樋口間 A地点):
1528レ[1120] 7504F
7204レ[1127] 107
21レ[1131] 1001F(スカイブルー)
撮影(波久礼~樋口間 C地点):
1530レ[1148] 5001F
7005レ[1153] 103(赤)
撮影(波久礼~樋口間 D地点):
23レ[1208] 5003F
撮影(波久礼~樋口間 E地点):
7304レ[1230] 503
1525レ[1236] 5002F
1534レ[1257] 1010F(標準塗装)
1527レ[1303] 7503F
7105レ[1307] 501
1529レ[1345] 7504F
1536レ[1351] 1001F(スカイブルー)
撮影(波久礼~樋口間 D地点):
上り貨物?レ[1359] ?
1531レ[1405] 5001F
撮影(波久礼~樋口間 B地点):
7205レ[1420] 506
波久礼1430 → 上長瀞1444
秩父鉄道33レ 1007F(リバイバル塗装)
・複雑な線形をゆく
波久礼~樋口間には撮影地が多く点在している。とくに波久礼付近では線路が複雑にカーブしながら南北から東西へ大きく方向を変えるので、場合によっては下りも上りも良い光線状態で撮影することが可能である。今後の参考ということで撮影地のメモを付記しておく:
A地点:波久礼を出てから二つ目の第四種踏切。昼頃から上り順光。ここでの収穫は貨物とスカイブルーの1000系。ちなみに昨秋に上り貨物を撮った場所はこの近くだがもう少し樋口寄りのところで、国道の脇から築堤に向かって獣道とも鉄ヲタ道ともつかぬ道が伸びている。まあそこはA´地点とでも呼んでおこうw
B地点:ようやく歩道が登場する場所にあたり、荒川のせり出した部分を車道と一緒に橋で渡る。山肌に沿って走る列車を上下ともインカーブの構図で撮影できるが、かなりの高確率で自動車が被る。昼頃から上り順光、下り半逆光。たまたま車の流れが途絶え、帰り際に7205レを被りなしで撮れたのは奇跡だった。なお駅からここに至るまでは国道に歩道は整備されておらず、幅員も狭いため危険。とくに車線の幅一杯の大型トラックがすぐそばを猛然と通過していくときは相当に恐ろしく、足が轢かれやしないかとヒヤヒヤする。
C地点:線路が東西を向き、ストレートの始まりにあたる踏切。したがって波久礼方面にカメラを向ければアウトカーブ。昼頃から下り順光。ただ、すぐ隣を国道が並走していて横構図ではゴミゴミした景色になるから、縦で正面から切り取る。偶然、赤い103号機を撮ることができてラッキーだった。
D地点:C地点の次にある踏切。第四種。無難なストレートの構図。昼頃から下り順光。国道を挟んだ反対側には木材のチップ工場があり、風向きやタイミングによっては木くずが猛烈な砂嵐のように襲ってくる。相変わらず交通量も多く、B~D地点の撮影環境はわりと劣悪な部類に入るかもしれない。
E地点:D地点の次にある第四種踏切から犬走りに入り、さらに数十メートル樋口寄りへ移動した地点。果樹園がすぐそばにあり、国道が線路をオーバークロスする場所にも近い。ここまで駅から徒歩約20分。最もまったり安全に撮影できる場所で、構図はストレート、背景も良い。昼頃から下り順光。架線柱の処理を前もって計算していないとパンタが被ったりする。ここでは多数の列車を撮影した。先ほど乗ってきたオリジナル塗装の1000系を仕留めることも期待していたが、単に終着駅で次の反対方向に折返しをしているというわけでもないらしく、電車はなかなか運用が読めない。結局、予想していたのよりも一本後、波久礼を去るときの電車に充当されていたのだった。
いよいよ日が高く昇って暑くなってきた。用意しておいた水も飲み干してしまったが、思ったより雲が多く翳っている時間も長い。先週の羽越路よりは体力的にいくぶんか楽な気がする。4時間弱の撮影を終え、今日最後の撮影地、上長瀞~親鼻間の荒川橋梁へ向かった。
写真
1枚目:赤い103号機(@波久礼~樋口 C地点)
2枚目:山間を快走する返空列車(@波久礼~樋口 E地点)
3枚目:登場時のオリジナル塗装の1000系(@波久礼)
2040文字
秩父鉄道の夏 Part 1
2012年8月28日 鉄道と旅行8/28
御花畑821 → 影森824
秩父鉄道1507レ 7500系
撮影(三ノ輪引込線): ※[ ]内に撮影時刻を示す
7104レ[913] 506
影森930 → 親鼻849
秩父鉄道24レ 1007F(リバイバル塗装)
撮影(親鼻駅):
1515レ[955] 1010F(標準塗装)
7104レ・7303レ交換[1000] 506・?
親鼻1020 → 波久礼1038
秩父鉄道1526レ 7500系
撮影(波久礼駅):
1519レ[1038] 1003F(オレンジバーミリオン)
・朝の影森
4時45分に起床、5時04分に家を出て09分の始発バスに乗り、たまプラーザを22分に出る各停渋谷行をキャッチ。武蔵溝ノ口、府中本町、新秋津と歩を進め、秋津からは西武線に乗り換え、飯能を経由して一路秩父を目指す。影森の駅に降り立ったのは8時24分。片道3時間あまりの旅である。秩父鉄道は昨年の晩秋にも訪れたが、今回は夏の風景を撮ってみたいということで、前回の行程を概ね踏襲する形で撮影を行う。貨物列車メインの撮影計画を往路の車中で練り、まずは定番、影森から伸びる三ノ輪鉱業所の引込線へと足を運んだ。
御花畑から乗ってきた三峰口行が発車すると間もなく、もともと駅構内に停車していた2編成の貨物列車のうちの1本がおもむろに後退を始め、助走距離を稼いでから一気に力行して急勾配の引込線を駆け上がってゆく。残されたもう1本の編成はまだ眠っているのか、物言わぬ漆黒の貨車を従えた107号機がじっと佇んでいる。急いで後を追うと、まだ列車は引込線の途中で停まっていた。程なくして「シュー」「プシュー」というブレーキの緩解音が至るところから合唱のように聞こえ始め、機関車を付け替えられた列車が重い足取りで所内へと入ってゆく。この工場の中で、武甲山から切り出された石灰石が貨車に満載される。秩父鉄道はセメント輸送こそ廃止されたものの、石灰石を積んだ列車がダイヤの網目をかいくぐって毎日黙々と行き交うさまは非常に撮影欲をそそる。そういう光景が都心からほど遠くない場所で今でも見られるわけだ。先ほどの列車は7104レとなり、506号機を先頭に山を下ってきた。急ぎ目に駅へ戻り、その後を追う影森始発の電車に乗車。カナリア色に褐色の帯を巻いた1000系、正面には「秩父鉄道」の表示がでかでかと入っていて、どこか垢抜けない印象。当時、国鉄から101系電車を譲り受けたわけだが、初期のオリジナル塗装はこんな感じだったということか。
・交換風景
和銅黒谷で7104レを追い越し、その先の親鼻では既に停車している下り返空の7303レと、後からやって来る7104レが交換するダイヤになっている。せっかくなので、貨物同士の交換の様子を撮ってみることにした。親鼻駅は上下線のホームが互い違いに配置された駅で、構内はかなり長い。だんだんと日が高くなり気温も上がってくる時刻、ヲキの車列が無言で足を休めている。やがて三峰口方面から7104レが姿を現し、結構なスピードを出して1番線を駆け抜けて行った。通過直前にヘッドライトを点けてくれて嬉しい。文字通り、貨物が「行き交う」様子が撮れたことになる。交換の撮影は一度に二本を収める贅沢な撮り方。駅に跨線橋があったならさらに面白い構図で貨物列車の行き違いを撮影できたことだろう。
後続の電車で親鼻を後にし、次の撮影地を目指して波久礼へ。ちょうど反対側からオレンジバーミリオンの1000系が入ってきた。国鉄101系と大して変わらない出で立ちで、久々に見るこの顔は懐かしい。調べてみると、東急から入ってきた7500系の増殖が著しく、1000系は残すところ1001F、1003F、1007F、1010Fの4編成しか残っていないという。それも今年度中に置き換えられてしまうらしい。21世紀になってもなお活躍を続けていた「新性能電車」の先駆けも、いよいよその歴史に幕を下ろす時が来たようだ。
写真
1枚目:鉱山を出発した7104レ(@三ノ輪鉱業所~影森)
2枚目:貨物列車同士の交換(@親鼻)
3枚目:オレンジバーミリオンの1000系(@波久礼)
1947文字
羽越本線の夏 Part 3
2012年8月21日 鉄道と旅行8/21
吹浦1337 → 南鳥海1346
羽越本線542M クモハ701-19
撮影(興休踏切):
2010M(特急いなほ10号)[1423]
243M[1431]
2005M(特急いなほ5号)[1451]
4094レ[1504] EF510-1
8097レ[1509] EF510
撮影(日向川南側):
242M[1519]
551M[1544]
4096レ[1610] EF510-11
本楯1656 → 酒田1702
羽越本線546M クモハ701-18
酒田1722 → 新発田2017
羽越本線832D キハ110-223
新発田2027 → 新潟2103
白新線678M クハ115-1035
新潟2132 → 東京2340
上越新幹線352C Maxとき352号 E455-119
・本楯~南鳥海にて
吹浦の2つ隣の南鳥海で下車。時刻は14時近く、理論的には気温が最高になる頃である。本楯とのほぼ中間地点にある撮影地、興休(おこやすみ)第一踏切は蒸機時代から撮影されていた有名な場所だそうで、雄大な鳥海山の姿を背景にインカーブを駆ける列車を撮影できる。長編成向きの場所なので普通列車を撮っても今一つかもしれないが、ここで狙うのは1時間の間隔を空けて上ってくる2本の貨物列車、4094レと4096レ。つい最近まではEF81が牽引の任に当たっていたようだが、ダイヤ改正を経てEF510に置き換えられてしまったらしい。新型の大増殖により年々活躍の場が狭められているEF81の姿もしっかり記録しておきたいところだが、一方のEF510もなかなか精悍な顔立ちでそんなに嫌いではない。貨物機としての重厚な貫禄満点で、実は結構絵になると思う。
日射しを遮るものが何もない田園風景の中、20分ほど線路沿いを歩いて行くと興休の集落にたどり着く。ここは平野部を横断する日向川の北岸にあたる場所で、背後には鳥海山が聳える。日本海から湿った風が絶えず昇ってくるためか、頂上付近は常に雲に隠されている。何とか晴れてくれると嬉しいところだったが、そうも全てが上手くいくわけではない。この撮影地は田植えの時期、残雪の山肌とのコラボレーションが最も美しいかもしれない。本命の4094レはEF510のトップナンバーであった。1号機はプロトタイプ的な存在で「RED THUNDER」のロゴマークがなく、JRFマークは他機よりやや大きく、また車体裾の白帯は太くなっているらしい。そういう細かいディテールにこだわるのを楽しめるほどたくさん撮っているわけではないが、一回一回のシャッターはどれも一期一会だと肝に銘じて、地道に記録していきたいところである。
たまたまご一緒した方のお言葉に甘え車に乗せて頂いたので、川を渡った本楯寄りの撮影地にすぐに移動することができた。鉄道撮影にレンタカーを活用したことはまだないが、圧倒的に撮影地の幅が広がり、撮影行程の自由度も格段に上がるし、何よりいちいち駅で降りて炎天下を20分も30分もてくてく歩く必要がない上、長い待ち時間は冷房の効いた車内でのんびりしていれば良いわけだから、体力の消耗具合は徒歩での鉄道撮影とは比較にならないだろう。次からは選択肢の一つとして前向きに検討するとしよう。さて、この場所では田んぼの畦道から見上げる形で、緩いアウトカーブの築堤をゆく列車を撮ることができる。背景には鳥海山の稜線、手前には青々と実った稲穂の海を配する。普通列車で練習をした後、本日最後となる本命の4096レを撮影。EF510が黙々と長大編成を牽いてゆく。日本海縦貫線の一翼を担う羽越本線が貨物輸送の大動脈であることを実感する一日となった。
あとどうでもいいけど、秋田運輸区の車掌は美人が多いと思ったw
・帰路
わざわざ特急に乗るのももったいないので、帰りは新潟まで延々と普通列車を乗り継ぐ。酒田からの気動車はキハ47を期待していたものの、キハ110とキハE120の混結という気持ち悪い編成でがっかり。車内は意外と混んでいて終始ロングシートに座り、寝たり起きたりを繰り返す。さすがに疲れた。日焼け止めを塗りたくってサングラスをかけていたとはいえ、露出していた部分は結構日に焼けた。車窓は日本海とトンネルの連続で、あつみ温泉を過ぎた辺りでちょうど日没を迎えた。落日を遮るものはほぼ何もなく、じりじりと大海原に身を沈めてゆく赤い太陽をしかと目に焼き付ける。まるで今日のこの一日が報われるような、素晴らしい日没であった。夕闇に浮かぶ粟島と漁火がホームから見える越後寒川の駅で後続の特急に道を譲り、その後も延々と列車は南下。新発田に到着したのは酒田を出てからおよそ3時間後。もうすっかり夜である。終着の新津まで行って長岡から新幹線に乗ろうとすると東京行の最終に間に合わないので、白新線経由で新潟まで出る。「やなぎ庵」というそこそこ有名らしい万代口改札外の立ち食いそば屋で鶏カツそばを食し、最終の新幹線で東京へ戻った。
写真
1枚目:4094レ
2枚目:4096レ
2406文字
羽越本線の夏 Part 2
2012年8月21日 鉄道と旅行8/21
小砂川1112 → 吹浦1120
羽越本線536M クモハ701-19
撮影(吹浦駅):
4093レ[1130] EF510-13
撮影(吹浦~女鹿間):
3098レ[1223] EF81
543M[1302]
・吹浦~女鹿にて
撮影地を移動する。既に日はかなり高く昇っていて、猛然と通過していった下り貨物を見送り、誰一人居ない吹浦駅から一歩外へ踏み出せば、うだるような暑さが待っていた。吹浦~女鹿間は女鹿寄りにあるS字カーブの撮影地、鳥崎踏切があまりにも有名だが、今回はその一帯を国道7号線の高台からサイド俯瞰することに決めていた。駅を出て北へ向かって歩いていくと、鳥海山大物忌神社に突き当たる。本来はここで左側にそれて回り道をしながら県道210号線、またの名を鳥海山ブルーラインに入り高台の国道7号線まで登ろうと考えていたものの、さっき駅前で見た案内板によればどうやらこの神社の境内から直接国道へと抜ける山道があるらしい。鳥居をくぐると下拝殿があり、すぐに猛烈な高さの石段が待ち受ける。ようやく登り詰めた先には本殿がひっそりと佇み、そのさらに奥には一風変わった別の建築もある。噴火を繰り返す鳥海山を祀ったというこの神社の歴史はなかなかに古く、山頂の本社ならびに山麓の吹浦と蕨岡の宮を合わせて鳥海山大物忌神社というようだ。本殿の右奥には山へ入る舗装道があり、ここからさらに階段を登っていく。思いのほか長い道程である上に途中から舗装もなくなってしまったので、万一道を間違っていたらどうしようかと途中で不安になったが、しばらくすると国道を疾走する車の音と、この神社のもう一つの入口に構える鳥居が見えてきたので胸をなで下ろした。鳥居の近くは駐車帯になっていて、国道からこの神社にアプローチすることもできるようだ。したがって、今まで歩いてきた山道は参道ということになる。
国道は切り開かれた山中を走り、一見高速道路かと思わせるような高規格の道路がどこまでも続いている。道行く車はかなりのスピードを出していて、大型のトラックも多い。国道7号線は羽越本線と奥羽本線に並行する一桁国道で、日本海沿岸の都市を結ぶ物流の幹線である。幸い、脇には広い歩道が併設されていたのでここを歩いていくことにする。じりじりと照りつける灼熱の太陽の下、延々と北を目指す。調べたところによると「鳥海山ブルーラインのオーバークロスを潜った先の駐車帯」が目的の撮影地だったのだが、ブルーラインとの立体交差を過ぎてもまだまだ先は長い。ようやく駐車帯の案内表示が見えてきたが、あと300mもあるらしい。よくよく考えてみれば、4年前の冬に海沿いを歩いて鳥崎踏切まで行ったときも駅からかなり遠かったから、そこを俯瞰する今回の撮影地も同じくらいの距離はあって然るべきなのだ。
やっと到着した撮影地は広い駐車帯の一角にあり、手前の丘、水田、そして羽越本線の線路を挟んで真っ青な日本海を遠くまで見渡せる風光明媚なところであった。正午を過ぎたトップライトの光線が容赦なく空から降り注ぎ、辺り一面は高彩度の夏色に染められている。やがてEF81率いる3098レが姿を現した。海をバックにコンテナ車の長大編成が黙々と駆けてゆくさまは壮観である。次の下り普通列車も同じようにして撮ろうかと思っていたら、国道を挟んだ反対側の崖から降りてくる撮影者の姿が目に入った。よく見てみると、コンクリートで固められた法面を頂上まで登ってゆく急な階段が、崖下の国道から伸びていることに気が付く。あそこから俯瞰したらどんなにか綺麗だろうと思い、次の列車はここを登り詰めたところから撮ってみることにする。汗だくになって着いた先は案の定の絶景で、ちょうど山形と秋田の県境にあたる複雑な海岸線が一望のもとである。午前中はあの半島を越えた先にいたわけだ。俯瞰写真を撮るのは久しぶりで、何とも気分爽快。青春18きっぷのポスター写真の撮影地になってもおかしくないような場所だが、いやもしかすると、既にここで撮られたことがあるかもしれない。壮大な景観を欲張って取り入れたため、トコトコとやってきた2両編成の701系は本当にちっぽけに画面に映る。
天候は快晴だが猛烈に暑い。暑い暑いと呟きながら25分ほどかけて来た道を戻る。医学生が熱中症で行き倒れになるというのもアホな話だと思い、水分は欠かさず補給する。日射と猛暑にやられてぼーっとしていると、間もなく酒田行の普通列車が到着。ここは気合いを入れ直して次の撮影地へ移動するとしよう。
写真
1枚目:3098レ
2枚目:543M
2015文字
羽越本線の夏 Part 1
2012年8月21日 鉄道と旅行8/20 → 8/21
上野2115 → 遊佐513
東北本線、高崎線、上越線、信越本線、羽越本線2021レ
特急あけぼの オハネフ24 10
撮影: ※[ ]内に通過時刻を示す
2091レ[523] EF510
3099レ[531] EF81 406
8/21
遊佐551 → 小砂川605
羽越本線525M クモハ701-9
撮影:
4060レ[645] EF81
524M[703]
531M[707]
9003レ(特急日本海)[803] EF81 106
530M[811]
535M[826]
2093レ[912] EF510-19
539M[1007]
2008M(特急いなほ8号)[1015]
4061レ[1044] EF81 503
・鳥海山麓を目指す
旅行なり撮影行の行程というのは、綿密な下準備のもとに然るべくして完成することもあれば、日頃から何となく渦巻いていた混合気体が一瞬のうちに昇華して出来上がることもある。今回は紛れもなく後者で、とくに特急日本海への執着が発火点となった。この寝台特急は臨時列車に格下げされる前からかなり積極的に撮ってきてはいたが、実は海をバックに撮ったのはたったの一回、高2の2月だっただろうか、土日きっぷを駆使して583系わくわくドリーム号と一緒に吹浦~女鹿の有名撮影地で撮ったときの一回だけである。その時はかなりの厳冬で、荒れた海に銀世界という心躍る光景だったが、唯一の心残りは牽引機がトワイライト色のEF81、通称トワ釜だったことである。いかにも夏らしい晴れた海と共に、ローズピンクのEF81とブライトブルーの24系客車が織りなす編成美をカメラに収めること、それは永らくの願望でもあり、いわばやり残した「宿題」ともいうべきテーマであった。今は見る影もないが当時の日本海は2往復運転されていて、遅い方の下り3号は山形と秋田の沿岸部で撮影するには絶好のダイヤであった。ところが、その3号のスジが廃止となり1往復体制になって以降、「日本海沿いを走る日本海を撮る」というこのテーマは事実上の幻となってしまったのだ。
しかし、わずかな期間ではあるが臨時列車となった日本海が3号のスジで復活する。先のゴールデンウィークには運転実績があり、年末にもおそらく走るのかもしれないが、この夏の運転は20日に大阪を発つ下り列車をもって終了となる。せっかくの機会をみすみす逃すわけにはいかないと思い立ち、急遽撮影計画を組んであけぼのに乗りこんだ次第である。撮影地は2月に訪れた小砂川~上浜の海岸をメインに、吹浦~女鹿、本楯~南鳥海にも足を運んで、特急日本海のみならず日本海縦貫線を黙々と走る貨物列車にも焦点を絞る。貨物ダイヤはググった産物をiPadに入れて適宜参照し、計画自体は20日の飲み会前後に通過時刻をメモしただけの代物。これであけぼののゴロンとシートが取れたら言うことはなかったが、さすがに当日の照会では満席。仕方ないので、開放B寝台に乗車する。ゴロンとの設備に寝具とスリッパがつくだけで6000円近くも高くなるのはどう考えてもおかしいが、こういう割に合わない時代錯誤の寝台設備を敢えて楽しむとしよう。布団をかぶって周囲のカーテンを閉めれば、カプセルのような密閉空間が出来上がって意外とわくわくする。規則正しく刻む轍の音、ドップラー効果で後方へとけし飛んでゆく踏切の警報音、時折かすかに響く機関車の汽笛、そういう色々な音がこの薄闇の中に錯綜し、夜行列車独特の風情を醸し出す。そして窓外を見上げれば満天の星。いつの間にか眠りに落ちてしまった。
・遊佐、小砂川~上浜にて
酒田到着前に目が覚め、まもなく昇ってくる朝日に徐々に染まりゆく鳥海山を眺めつつ、遊佐で下車。酒田で降りても良かったのだが、あけぼのを追いかける形で2本の貨物列車が立て続けにやって来るので、それをこの駅で撮ろうと考えたわけである。1本目の2091レは露光ミスで完全に失敗。鉄道写真でTvを使うのはもうやめようorz 2本目の3099レは上手くいって何より。もともと大した写真を撮っているわけではないが、しばらく撮影から離れると腕が鈍ってしまう。
後続の下り普通列車で小砂川へ向かい、2月に訪れたのと同じ撮影地へ歩く。駅から徒歩25分ほど。既に先客が20名弱はいただろうか、大混雑の様相を呈している。これだけ人が多いとトラブルも起こりそうなものだが、旅先で朝からややこしい言い合いをするのはさすがに嫌だったので、ここはおとなしく振舞っておいた。これだから、やたら人が多い撮影地はどうも不快なのだ。本命の日本海が通過した後は一気に人波が引いてゆき、残ったのは自分を含めて5人ほど。長い待ち時間には昨夏のTHE CASE-BOOK OF SHERLOCK HOLMESを漫然と読み、時おりコバルトブルーの海に目を向け、穏やかな潮騒に耳を傾ける。この場所は本当に美しい。また背後には高いブロック塀があるので、日差しが遮られてそこそこに冷涼。これこそ至高の時間。日本海のピントはやや甘くなってしまったが、ようやく望みの絵が撮れて心から満足である。
写真
1枚目:特急日本海
2枚目:4061レ
2393文字
さらば佐渡。
・尾畑酒造
既に日差しは暑い。連泊した七浦海岸に別れを告げ、走り慣れた45号線を南下する。宿の建物は古くくたびれていたが、人はみな親切だったし、眼前に日本海を望む立地も申し分ない。また再訪してみたいところである。真野湾の入口にある相川火力発電所を過ぎると、いよいよ平野部へ。今日の最初の目的地は、個人的な希望で、真野新町にある酒蔵、尾畑酒造である。真野鶴という、佐渡では最も有名な酒を醸している。
酒蔵の見学を行っているとは聞いていたが、やはり製造工程そのものを見ることはできなかった。温度や湿度、清潔性などが厳重に管理され、さすがは微生物を扱いコンタミを極力排除しているだけのことはある。実際は日本酒や関連商品の直売所の様相を呈していて、試飲も可能。運転者ゆえに試飲こそ叶わなかったものの、ここで土産を購入。全然知らなかったが、エールフランスのファーストクラスとビジネスクラスで出されているという大吟醸「真野鶴の舞」、そして純米吟醸「朱鷺と暮らす」の2本を買って帰る。ついでに、試食して実に美味しかった自家製の酒ケーキも手に入れる。一気に散財し、荷物が重くなってしまった。観光バスで乗り付けてくるツアー客が次から次へと現れ、屋内はよく賑わっている。
この近辺には他にも酒蔵が多いということで、入口には「アルコール共和国」の名が自称されていて面白い。相川や外海府を回った限りでは、佐渡は海が中心の食文化であるように思われるが、こうして平野部を訪れてみれば、悠々と川が流れ、広大な水田で稲作が行われ、そして酒造りも盛んに行われている。島を囲む日本海は豊かな海産物をもたらし、美味しい米と水、そして厳しい冬のあるところには旨い酒が生まれる。したがって、その両方の恩恵を享受できるこの島はなかなかに素晴らしい。また佐渡に限らず、北陸三県、新潟、山形などの日本海に面した土地の食は非常に優れていると個人的には考えているけれども、改めて思えばそれも何となく納得がいく。
・矢島・経島
半時間ほどの滞在を終え、350号線を快走して一路南を目指す。車窓右手には真っ青な真野湾が展開し、湾を出る頃にはアップダウンの激しい山道に入って小佐渡山地の西端を越える。変化に富んでいるがゆえに運転も楽しく、道路の見通しは良好、幅員も広く爽快。この国道は佐渡島内を北東から南西へ横断して両津から小木までを結んでいるが、往路のフェリー内で目にした掲示によれば、新潟-両津航路、小木-直江津航路も合わせて国道350号線であるとのことで、結局、新潟と直江津が佐渡島経由で海を渡りながら結ばれているという面白い状況である。小木は佐渡のもう一つの主要な玄関口で、両津よりもフェリーの本数は劣るものの、周辺には多くの集落や観光地が密集していて、両津湾や真野湾や相川とはまた異なった文化圏を形成している。しかし、そろそろ正午を迎えようとする港の周辺は人通りも交通量も少なく、閑散とした様子。フェリーの発着する時間帯でないと賑わいを見せないのかもしれない。
国道から海岸へ向けて分岐する恐ろしく狭い急坂を下りていく。最初は道に迷ってしまったが、民家に囲まれた、車1台がやっと通れるほどの路地をのろのろ走っていくと、今日の第二の目的地、矢島(やじま)・経島(きょうじま)に到着である。観光バスが出入りするような大々的な観光地をイメージしていたのだが、実際はずいぶんと小規模で、駐車場も港の一角を区切って使っているだけ、という簡素なものである。ここは非常に透明度の高い磯が魅力的で、矢島、経島と呼ばれる二つの小島がほぼ地続きになっている。矢島はかつて良質の竹を産出した場所で、源頼政が怪物「ぬえ」を退治したときの矢にその竹が使われていたという話に名前が由来しているという。歩いてもすぐに回ることができるコンパクトな場所で、景観はまるで箱庭のよう。海の方に目をやれば、ほど遠くないところに先ほど通ってきた小木の港が見え、そして佐渡島の南側を境界する海岸線が延々と続いている。
折角来たので、ここではたらい舟に乗る。1人500円と良心的な金額設定。たらい舟は小木海岸で見られる独特の風景で、ワカメ、アワビ、サザエなどの漁にたらいの舟が使われている。海女さんが操舵し、自分も漕がせてもらうことができたが、うまく進むのは相当難しい。すぐ近くに迫る海面を覗けば、色々な魚や海藻がエメラルドグリーンの世界に生きている。舟はかなり揺れ、一気に重心が移動すれば転覆もしかねない勢いである。しかし、このたらい舟の観光が始まって以来海に落ちた人は一人もいないそうで、ここで落ちたら第一号になると言われた。あと、我々が男女別々に2人ずつ分乗したのがかなり気になったらしい。まあ確かに、こういうのは普通はペアで乗るものだろうw 意外と長い時間舟に乗せてもらって、その後昼食。500円のナガモ入りのうどんを食べる。全般的に見て、佐渡には観光産業ないし観光地的な市場原理がのさばっていないことにかなり好感が持てる。
・宿根木
本日第三にして最終の目的地、宿根木(しゅくねぎ)の集落を訪れる。ここは江戸時代に回船業の集落として発展した場所で、海風を防ぐための独自の板壁をもつ家屋が入り江の地形に密集していて、また石畳の狭い路地も往時の面影をそのままに残している。観光バスから降りてきた大勢の団体客と鉢合わせになってしまったため、のんびりとした風情こそ楽しめなかったが、入り組んだ路地、年季の入った家屋、集落内を細々と流れて海へ注ぐ小川、そして石段を登りつめた先から見渡す、逆光に映える家々の屋根や宿根木の港、またその先に広がる陽光にきらめく海、などといった数々の風景は鮮烈に記憶に残る。取り立てて華やかさはないが、海と共に暮らしてきた海岸集落の趣が存分に感じられて面白い。小川を上流へさかのぼっていくとすぐに集落の果てに達するが、そこには墓地と寺がひっそりと森の中に佇んでいた。
・佐渡を去る
レンタカーの返却期限は15時半、フェリーの出航は16時05分だが、早めに土産物を仕入れて改札口に並び、2等のジュータン席を確保したいという思いもあって、15時には両津港に戻れるよう宿根木を後にすることにした。運転は交代してよしお君。350号線を引き返し、再び真野湾へと戻ってくる。同じものを見ているはずなのに、ハンドルを握っているときの視界と、同乗しているときの視界はまるで異なっていて、海と空はこんなにも広く、山の稜線はあんなにも雄大で、そして川はかくも大らかに日本海へ注いでいたのかと、同じ道を通っていながらも新鮮な感動を次々に覚える。したがってシャッターを切るのにも余念がない。湾の対岸、遠くには相川の発電所が見える。佐和田は経由せずに、国府川を渡ったところで県道194号線に入り、平野部にある中興という交差点までショートカット。その後は港までほぼ一本道である。
レンタカーを何事もなく無傷で返却することができ、フェリーターミナルへ足を運ぶ。五つの蔵のカップ酒が詰め合わされた佐渡の地酒飲み比べセットと、弓道部への土産を手に入れ、改札口へ。すでに結構な人数が列をなしていた。帰りの船も、行きと同じおおさど丸である。乗船口が開くや否や、大勢の乗客が船内へとなだれ込んでゆくが、ジュータン席の一区画を無事に確保することができた。出航間際、乗船口あたりで合図の銅鑼を鳴らす実演を行うという放送があったので、見に行く。船員が鍋の蓋のようなものを勢いよく叩き、シンバルよりも重い金属音が響き渡る。フェリーは全くの素人なのでよく知らないが、こういうのは全国的にも珍しいのだと案内されていた。いよいよ出航時刻になると、タラップが外され、ディーゼルエンジンが上げる重低音の唸りと共に、船体がゆっくりと岸壁から離れていく。しばらくの間は船首を港外へと旋回させる動きが続き、その後、船は本土を目指して両津港を後にする。行きと同様、たくさんのカモメが追いかけてくる。太陽は少し西に傾き始め、暖色に染まりゆく景色の中、今や見慣れた佐渡の山々が両津湾の後方に広がる。下を見れば、船は紺碧の海を白く切り裂きながら速度を上げていく。さらば佐渡島。次にこの離島を訪れるのはいつになるのだろうか。長いようであっという間の旅であった。
船内ではジュータンに横になっていたら不覚にも眠りに落ちる。気が付くと船旅は半分以上終わっていて、新潟までの残りの時間はパズルに興じながら過ごす。日没も近いようだが、デッキから眺めた水平線は青灰色の厚い雲に覆われていて、徐々に黄昏の色が深くなってゆくのみである。下船後は大混雑を予想しタクシーで新潟駅まで戻る予定だったが、路線バスが大増発されていたのでこれに乗車。すぐに発車したので乗客は我々以外にほとんどなく、快適な移動時間となった。
・帰路
新潟駅では名物のタレカツ丼を食べようと、駅ビルに内の「天地豊作」という店に入ったは良いものの、接客がドンマイな上に出てくるのがあまりに遅く、新幹線の発車時刻がいよいよ迫っていたので敢え無く途中で席を立つ。旅行を締めくくる夕食としてはどこか後味が悪かったが、仕方ない。東京に着いてみればもう22時半になろうというところである。三日間の行程、ここに終結。
写真
1枚目:矢島・経島
2枚目:宿根木集落
3枚目:出港
4555文字
8/12
相川温泉945 → 尾畑酒造1030
県道45号線、国道350号線 レンタカー
尾畑酒造見学
尾畑酒造1100 → 矢島・経島1150
国道350号線 レンタカー
矢島・経島観光
矢島・経島1305 → 宿根木1315
国道350号線 レンタカー
宿根木観光
宿根木1340 → 両津港1500
国道350号線 レンタカー
両津1605 → 新潟1835
佐渡汽船カーフェリー おおさど丸
佐渡汽船乗り場1845 → 新潟駅前1900
新潟交通バス
新潟2019 → 東京2228
上越新幹線1350C Maxとき350号
・尾畑酒造
既に日差しは暑い。連泊した七浦海岸に別れを告げ、走り慣れた45号線を南下する。宿の建物は古くくたびれていたが、人はみな親切だったし、眼前に日本海を望む立地も申し分ない。また再訪してみたいところである。真野湾の入口にある相川火力発電所を過ぎると、いよいよ平野部へ。今日の最初の目的地は、個人的な希望で、真野新町にある酒蔵、尾畑酒造である。真野鶴という、佐渡では最も有名な酒を醸している。
酒蔵の見学を行っているとは聞いていたが、やはり製造工程そのものを見ることはできなかった。温度や湿度、清潔性などが厳重に管理され、さすがは微生物を扱いコンタミを極力排除しているだけのことはある。実際は日本酒や関連商品の直売所の様相を呈していて、試飲も可能。運転者ゆえに試飲こそ叶わなかったものの、ここで土産を購入。全然知らなかったが、エールフランスのファーストクラスとビジネスクラスで出されているという大吟醸「真野鶴の舞」、そして純米吟醸「朱鷺と暮らす」の2本を買って帰る。ついでに、試食して実に美味しかった自家製の酒ケーキも手に入れる。一気に散財し、荷物が重くなってしまった。観光バスで乗り付けてくるツアー客が次から次へと現れ、屋内はよく賑わっている。
この近辺には他にも酒蔵が多いということで、入口には「アルコール共和国」の名が自称されていて面白い。相川や外海府を回った限りでは、佐渡は海が中心の食文化であるように思われるが、こうして平野部を訪れてみれば、悠々と川が流れ、広大な水田で稲作が行われ、そして酒造りも盛んに行われている。島を囲む日本海は豊かな海産物をもたらし、美味しい米と水、そして厳しい冬のあるところには旨い酒が生まれる。したがって、その両方の恩恵を享受できるこの島はなかなかに素晴らしい。また佐渡に限らず、北陸三県、新潟、山形などの日本海に面した土地の食は非常に優れていると個人的には考えているけれども、改めて思えばそれも何となく納得がいく。
・矢島・経島
半時間ほどの滞在を終え、350号線を快走して一路南を目指す。車窓右手には真っ青な真野湾が展開し、湾を出る頃にはアップダウンの激しい山道に入って小佐渡山地の西端を越える。変化に富んでいるがゆえに運転も楽しく、道路の見通しは良好、幅員も広く爽快。この国道は佐渡島内を北東から南西へ横断して両津から小木までを結んでいるが、往路のフェリー内で目にした掲示によれば、新潟-両津航路、小木-直江津航路も合わせて国道350号線であるとのことで、結局、新潟と直江津が佐渡島経由で海を渡りながら結ばれているという面白い状況である。小木は佐渡のもう一つの主要な玄関口で、両津よりもフェリーの本数は劣るものの、周辺には多くの集落や観光地が密集していて、両津湾や真野湾や相川とはまた異なった文化圏を形成している。しかし、そろそろ正午を迎えようとする港の周辺は人通りも交通量も少なく、閑散とした様子。フェリーの発着する時間帯でないと賑わいを見せないのかもしれない。
国道から海岸へ向けて分岐する恐ろしく狭い急坂を下りていく。最初は道に迷ってしまったが、民家に囲まれた、車1台がやっと通れるほどの路地をのろのろ走っていくと、今日の第二の目的地、矢島(やじま)・経島(きょうじま)に到着である。観光バスが出入りするような大々的な観光地をイメージしていたのだが、実際はずいぶんと小規模で、駐車場も港の一角を区切って使っているだけ、という簡素なものである。ここは非常に透明度の高い磯が魅力的で、矢島、経島と呼ばれる二つの小島がほぼ地続きになっている。矢島はかつて良質の竹を産出した場所で、源頼政が怪物「ぬえ」を退治したときの矢にその竹が使われていたという話に名前が由来しているという。歩いてもすぐに回ることができるコンパクトな場所で、景観はまるで箱庭のよう。海の方に目をやれば、ほど遠くないところに先ほど通ってきた小木の港が見え、そして佐渡島の南側を境界する海岸線が延々と続いている。
折角来たので、ここではたらい舟に乗る。1人500円と良心的な金額設定。たらい舟は小木海岸で見られる独特の風景で、ワカメ、アワビ、サザエなどの漁にたらいの舟が使われている。海女さんが操舵し、自分も漕がせてもらうことができたが、うまく進むのは相当難しい。すぐ近くに迫る海面を覗けば、色々な魚や海藻がエメラルドグリーンの世界に生きている。舟はかなり揺れ、一気に重心が移動すれば転覆もしかねない勢いである。しかし、このたらい舟の観光が始まって以来海に落ちた人は一人もいないそうで、ここで落ちたら第一号になると言われた。あと、我々が男女別々に2人ずつ分乗したのがかなり気になったらしい。まあ確かに、こういうのは普通はペアで乗るものだろうw 意外と長い時間舟に乗せてもらって、その後昼食。500円のナガモ入りのうどんを食べる。全般的に見て、佐渡には観光産業ないし観光地的な市場原理がのさばっていないことにかなり好感が持てる。
・宿根木
本日第三にして最終の目的地、宿根木(しゅくねぎ)の集落を訪れる。ここは江戸時代に回船業の集落として発展した場所で、海風を防ぐための独自の板壁をもつ家屋が入り江の地形に密集していて、また石畳の狭い路地も往時の面影をそのままに残している。観光バスから降りてきた大勢の団体客と鉢合わせになってしまったため、のんびりとした風情こそ楽しめなかったが、入り組んだ路地、年季の入った家屋、集落内を細々と流れて海へ注ぐ小川、そして石段を登りつめた先から見渡す、逆光に映える家々の屋根や宿根木の港、またその先に広がる陽光にきらめく海、などといった数々の風景は鮮烈に記憶に残る。取り立てて華やかさはないが、海と共に暮らしてきた海岸集落の趣が存分に感じられて面白い。小川を上流へさかのぼっていくとすぐに集落の果てに達するが、そこには墓地と寺がひっそりと森の中に佇んでいた。
・佐渡を去る
レンタカーの返却期限は15時半、フェリーの出航は16時05分だが、早めに土産物を仕入れて改札口に並び、2等のジュータン席を確保したいという思いもあって、15時には両津港に戻れるよう宿根木を後にすることにした。運転は交代してよしお君。350号線を引き返し、再び真野湾へと戻ってくる。同じものを見ているはずなのに、ハンドルを握っているときの視界と、同乗しているときの視界はまるで異なっていて、海と空はこんなにも広く、山の稜線はあんなにも雄大で、そして川はかくも大らかに日本海へ注いでいたのかと、同じ道を通っていながらも新鮮な感動を次々に覚える。したがってシャッターを切るのにも余念がない。湾の対岸、遠くには相川の発電所が見える。佐和田は経由せずに、国府川を渡ったところで県道194号線に入り、平野部にある中興という交差点までショートカット。その後は港までほぼ一本道である。
レンタカーを何事もなく無傷で返却することができ、フェリーターミナルへ足を運ぶ。五つの蔵のカップ酒が詰め合わされた佐渡の地酒飲み比べセットと、弓道部への土産を手に入れ、改札口へ。すでに結構な人数が列をなしていた。帰りの船も、行きと同じおおさど丸である。乗船口が開くや否や、大勢の乗客が船内へとなだれ込んでゆくが、ジュータン席の一区画を無事に確保することができた。出航間際、乗船口あたりで合図の銅鑼を鳴らす実演を行うという放送があったので、見に行く。船員が鍋の蓋のようなものを勢いよく叩き、シンバルよりも重い金属音が響き渡る。フェリーは全くの素人なのでよく知らないが、こういうのは全国的にも珍しいのだと案内されていた。いよいよ出航時刻になると、タラップが外され、ディーゼルエンジンが上げる重低音の唸りと共に、船体がゆっくりと岸壁から離れていく。しばらくの間は船首を港外へと旋回させる動きが続き、その後、船は本土を目指して両津港を後にする。行きと同様、たくさんのカモメが追いかけてくる。太陽は少し西に傾き始め、暖色に染まりゆく景色の中、今や見慣れた佐渡の山々が両津湾の後方に広がる。下を見れば、船は紺碧の海を白く切り裂きながら速度を上げていく。さらば佐渡島。次にこの離島を訪れるのはいつになるのだろうか。長いようであっという間の旅であった。
船内ではジュータンに横になっていたら不覚にも眠りに落ちる。気が付くと船旅は半分以上終わっていて、新潟までの残りの時間はパズルに興じながら過ごす。日没も近いようだが、デッキから眺めた水平線は青灰色の厚い雲に覆われていて、徐々に黄昏の色が深くなってゆくのみである。下船後は大混雑を予想しタクシーで新潟駅まで戻る予定だったが、路線バスが大増発されていたのでこれに乗車。すぐに発車したので乗客は我々以外にほとんどなく、快適な移動時間となった。
・帰路
新潟駅では名物のタレカツ丼を食べようと、駅ビルに内の「天地豊作」という店に入ったは良いものの、接客がドンマイな上に出てくるのがあまりに遅く、新幹線の発車時刻がいよいよ迫っていたので敢え無く途中で席を立つ。旅行を締めくくる夕食としてはどこか後味が悪かったが、仕方ない。東京に着いてみればもう22時半になろうというところである。三日間の行程、ここに終結。
写真
1枚目:矢島・経島
2枚目:宿根木集落
3枚目:出港
4555文字
大佐渡を一周する。
・尖閣湾
天候は曇り。日が翳ってしまうと、どうも空と海が同じような鉛色になってしまい、味気なくなる。まずは宿から30分弱のところにある尖閣湾を訪れる。ここは海岸段丘が絶え間なく波に洗われてできた独特の地形で、海上の遊覧船から数多くの奇岩を目にすることができる。船からはガラス越しに海中を透視することもできるが、この日の海はやや濁っていてあまり深くまでは見渡せなかった。しかし浅瀬が続いているかと思いきや、唐突に海底が奥深くへ遠のいたり、また岩場に戻ってきたりと、なかなか変化に富んでいて面白い。海上から眺める陸地は切り立った崖で、近くには無数の岩が散らばっている。まるで何かのアトラクションのような光景だが、あくまでここは自然の造形。天候が晴れて海の色が真っ青に出てくれていたら言うことはなかった。あるいは、雪が空を染めてゆく冬場にここを訪れるとすれば、相当な悲愴感が味わえてそれはそれで趣深いかもしれない。
見たこともないのに言及するのは変な気もするが、ここは映画『君の名は』のロケに使われた場所だそうで、陸地からすぐ近くにある反対側の巨岩までは、真知子橋と通称される橋が架けられている。かつては吊り橋だったようだが、老朽化で現在のコンクリート橋に架け替えられたという。橋を渡った先にあるレストハウスでアイスを食し、しばしの休憩。少し日が出てきて蒸し暑くなってきた。最後は併設の水族館を訪れる。あまり大したことはないだろうと思っていたら、この辺りで獲れる魚ばかりを集めて展示してあり、普通の水族館とは違う趣向が感じられて期待以上の内容。観賞用ではなく食用の魚がぐるぐる泳ぎ回っている様子はなかなか珍しい。
・外海府をゆく
尖閣湾を出発し、一路県道45号線で佐渡の最北端に近い大野亀を目指す。戸地、戸中、片辺、石花、後尾、北川内、北立島、入川、高千、北田野浦、小野見、石名、小田、大倉、矢柄、関、五十浦、岩谷口、と数え切れないほどの難読地名の小集落を猛然と通過してゆく。所々には海にせり出した半島や巨岩を穿つ形でトンネルが掘られていて、新しい湾内に入るごとに次の集落が姿を現してくる。この一帯は外海府(そとかいふ)海岸と呼ばれ、大正~昭和初期にかけて道路が開通したようである。今は島の北側にいるわけだから、海を挟んだ向こう側はもう異国の地なのかと、青く霞む水平線に思いを馳せる。
岩谷口というところまでやって来て、ナビの地図によれば大野亀もそろそろ近いと思った頃、それまで快適で走りやすかった45号線の姿は突如変貌し、眼前に迫る100mは優にあろうかという崖を九十九折りの急坂で登っていくではないか。道路の幅員も急激に狭くなり、沢に架かる橋は一車線分の幅しかなく行き違いができない。ぐいぐいと坂を登りつめていくと、眼前のフロントガラスには真っ青な日本海が何の障害物もなく展開するが、たとえばここでペダルを踏み誤ったらガードレールを突き破って断崖直下へ真っ逆さま、と思うと戦慄を覚える。180度のヘアピンカーブが連続し、常に対向車に怯えながら坂を登る。あるヘアピンの先には跳坂隧道という極狭のトンネルがあり、ここで対向車と後続車に挟まれてしまった。カーブの先にトンネル、しかも急坂で隘路という凄まじい道だが、これでも県道45号線というから驚く。反対側から来たときは、見通しの悪い狭いトンネルを抜けた途端、180度のカーブと急な下り坂、ということになるから、路面が凍結するであろう冬場などは一体どうなるのだろう。
その後も狭い道は続き、カーブにさしかかるごとに対向車の姿をミラーに探す運転を継続する。しばらく走ってふと景色が開けたかと思うと、海府大橋と名のついた一車線の狭い橋が現れた。橋の全長は100mほど。近くの待避所に駐車してしばし散策する。特筆すべきはその高さで、欄干から下を見渡せば、山側では恐ろしく深い谷川が岩を鋭くえぐりつつ蛇行し、そして海側では、どうやらはるか下の方でその川が海へと注いでいるようだ。あまりに高すぎて目がくらむ。この橋からは直接見ることはできないが、川が海へ注ぐところは断崖を走る滝になっていて、その名は大ザレの滝というらしい。陸地からは直接目にすることはできず、ましてこの高さの橋から海岸へ下りてゆく道などもないから、滝を見るためには漁船を出してもらって海上から眺めるほか方法がないという。滝壺付近の浅瀬の透明度は抜群で、澄んだ青緑色の水が夏の陽光に美しく映えている。人間が住むことを許されないような壮絶な秘境に架かるこの橋は1969年に竣工し、それをもってようやく、相川から外海府の最北端の地までが陸路で結ばれるに至ったという。ここは道路工事開始から半世紀以上を経て架橋された悲願の道である。
橋を過ぎると、真更川、北鵜島、願という集落が続く。再び九十九折りの道を下り、海岸近くまでやって来る。この辺りには岩をぶち抜いて作ったトンネルがいくつか連続し、その狭い幅員といいごつごつした内壁といい、ここがはるか昔に人力で掘られたことを窺わせる。やがて大野亀が見えてきた。巨大な亀が海にうずくまっているかのような眺めで、突如降ってきた隕石であるかのごとく、緑に覆われた巨岩が陸地と連続してじっと鎮座している。近付くにつれてその姿は徐々に大きくなってきた。
・大野亀
まずは昼食をとり、その後軽い登山。大野亀の高さは167mあるといい、頂上へは人の歩いた跡が道となって続いている。岩山とはいえども辺りには緑が生い茂り、ふと眼下に目をやれば、今まで登ってきた道がくねくねと麓から伸びてきているのが見え、さらに崖下には青い海がどこまでも広がっている。中腹まではさほどきつくはなかったが、途中から道は急激な傾斜となる。そして20分以上かけてようやく登り詰め、晴れて登頂完了。眺望は爽快の一言で、陸地側では、これまで走ってきた外海府の海岸線と、海岸段丘の切り立った独特の地形が一望のもとである。反対側はといえば、空と海が遠くの水平線でもやもやと青く溶け合っている。東の方を見れば、すぐ近くに小さな岩山が二つ仲良く並んでいる。あそこは二ツ亀だ。足元はゆるやかな崖になっていて、うっかり足を滑らせればはるか下の海へ落ちてしまいそうである。吹き抜ける風で汗を乾かし、しばしの休憩。その後下山。下りる方が足に余計な負担がかかって苦労した。
・二ツ亀
二ツ亀まではよしお君が運転をしてくれる。彼は卒業検定以来一度もハンドルを握っていない「純正ペードラ」を自称していたが、何ら問題なく運転していて非常に頼もしい。二ツ亀は海水浴場として有名で、長い階段を下りて海岸までやってくると、そこそこ多くの人で賑わっていた。しかし、すぐそばにある二ツ亀ビューホテルの客が大半なのかもしれない。せっかくなので自分も泳ぐことにする。海面から頭を出して犬かきをしながら向こう側の島へ渡る。海底は主に岩場で、しかもびっしりと海藻が生えているのが難点だが、水は大変きれいで澄んでいる。岩場に座りながら少し風に吹かれ、沖合を眺めたり、遠く浜辺にいる人々に目をやったりして、午後のひと時を過ごす。
・帰路
時刻は17時。そろそろ宿に戻らねばならないが、今日はかなり遠くまで来てしまった。同じ道を戻るのもつまらないし、それに暗くなってゆくこれからの時間帯にまたあの凄まじい道路を通るというのも気が引ける。そういうわけで、ここからさらに県道45号線を走り内海府(うちかいふ)を回ってひとまず両津港へ。その先は、大佐渡スカイラインで相川まで出るという案もあったが、時間が押していることと、おそらくはただの山道であろうという懸念も相まって、昨日と同じ国道350号線で国仲平野を真野湾まで横断するルートとなった。内海府の道は外海府よりも断然走りやすく、無理な登り下りも少ない。黄昏に染まってゆく両津湾の景色は美しく、前方には小佐渡の山々も見える。こうして海岸線を走っているだけで島の形がよくわかるから面白い。
港から途中のスーパーまでは再びよしお君。ここで今夜の晩酌用の酒とつまみを買いそろえ、運転はだおこさんに交代。夕暮れという難易度の高い状況を難なくクリアし、無事宿に到着。今夜の食事も魚介類尽くしかと思いきや、むろん魚は大量に出てきたけれども、佐渡牛の焼肉がメインであった。食後は磯近くの駐車場で花火を楽しむ。そして温泉に浸かり、酒を飲みながら夜が更けてゆく。
写真
1枚目:尖閣湾
2枚目:大野亀頂上への道
3枚目:二ツ亀
4037文字
8/11
相川 930→ 尖閣湾揚島遊園1000
県道45号線 レンタカー
尖閣湾観光
尖閣湾揚島遊園1115 → 大野亀1300
県道45号線 レンタカー
海府大橋、大野亀観光
大野亀1500 → 二ツ亀1515
県道45号線 レンタカー
二ツ亀観光、海水浴
二ツ亀1700 → 相川温泉1910
県道45号線、国道350号線、県道45号線 レンタカー
ホテルめおと 泊
・尖閣湾
天候は曇り。日が翳ってしまうと、どうも空と海が同じような鉛色になってしまい、味気なくなる。まずは宿から30分弱のところにある尖閣湾を訪れる。ここは海岸段丘が絶え間なく波に洗われてできた独特の地形で、海上の遊覧船から数多くの奇岩を目にすることができる。船からはガラス越しに海中を透視することもできるが、この日の海はやや濁っていてあまり深くまでは見渡せなかった。しかし浅瀬が続いているかと思いきや、唐突に海底が奥深くへ遠のいたり、また岩場に戻ってきたりと、なかなか変化に富んでいて面白い。海上から眺める陸地は切り立った崖で、近くには無数の岩が散らばっている。まるで何かのアトラクションのような光景だが、あくまでここは自然の造形。天候が晴れて海の色が真っ青に出てくれていたら言うことはなかった。あるいは、雪が空を染めてゆく冬場にここを訪れるとすれば、相当な悲愴感が味わえてそれはそれで趣深いかもしれない。
見たこともないのに言及するのは変な気もするが、ここは映画『君の名は』のロケに使われた場所だそうで、陸地からすぐ近くにある反対側の巨岩までは、真知子橋と通称される橋が架けられている。かつては吊り橋だったようだが、老朽化で現在のコンクリート橋に架け替えられたという。橋を渡った先にあるレストハウスでアイスを食し、しばしの休憩。少し日が出てきて蒸し暑くなってきた。最後は併設の水族館を訪れる。あまり大したことはないだろうと思っていたら、この辺りで獲れる魚ばかりを集めて展示してあり、普通の水族館とは違う趣向が感じられて期待以上の内容。観賞用ではなく食用の魚がぐるぐる泳ぎ回っている様子はなかなか珍しい。
・外海府をゆく
尖閣湾を出発し、一路県道45号線で佐渡の最北端に近い大野亀を目指す。戸地、戸中、片辺、石花、後尾、北川内、北立島、入川、高千、北田野浦、小野見、石名、小田、大倉、矢柄、関、五十浦、岩谷口、と数え切れないほどの難読地名の小集落を猛然と通過してゆく。所々には海にせり出した半島や巨岩を穿つ形でトンネルが掘られていて、新しい湾内に入るごとに次の集落が姿を現してくる。この一帯は外海府(そとかいふ)海岸と呼ばれ、大正~昭和初期にかけて道路が開通したようである。今は島の北側にいるわけだから、海を挟んだ向こう側はもう異国の地なのかと、青く霞む水平線に思いを馳せる。
岩谷口というところまでやって来て、ナビの地図によれば大野亀もそろそろ近いと思った頃、それまで快適で走りやすかった45号線の姿は突如変貌し、眼前に迫る100mは優にあろうかという崖を九十九折りの急坂で登っていくではないか。道路の幅員も急激に狭くなり、沢に架かる橋は一車線分の幅しかなく行き違いができない。ぐいぐいと坂を登りつめていくと、眼前のフロントガラスには真っ青な日本海が何の障害物もなく展開するが、たとえばここでペダルを踏み誤ったらガードレールを突き破って断崖直下へ真っ逆さま、と思うと戦慄を覚える。180度のヘアピンカーブが連続し、常に対向車に怯えながら坂を登る。あるヘアピンの先には跳坂隧道という極狭のトンネルがあり、ここで対向車と後続車に挟まれてしまった。カーブの先にトンネル、しかも急坂で隘路という凄まじい道だが、これでも県道45号線というから驚く。反対側から来たときは、見通しの悪い狭いトンネルを抜けた途端、180度のカーブと急な下り坂、ということになるから、路面が凍結するであろう冬場などは一体どうなるのだろう。
その後も狭い道は続き、カーブにさしかかるごとに対向車の姿をミラーに探す運転を継続する。しばらく走ってふと景色が開けたかと思うと、海府大橋と名のついた一車線の狭い橋が現れた。橋の全長は100mほど。近くの待避所に駐車してしばし散策する。特筆すべきはその高さで、欄干から下を見渡せば、山側では恐ろしく深い谷川が岩を鋭くえぐりつつ蛇行し、そして海側では、どうやらはるか下の方でその川が海へと注いでいるようだ。あまりに高すぎて目がくらむ。この橋からは直接見ることはできないが、川が海へ注ぐところは断崖を走る滝になっていて、その名は大ザレの滝というらしい。陸地からは直接目にすることはできず、ましてこの高さの橋から海岸へ下りてゆく道などもないから、滝を見るためには漁船を出してもらって海上から眺めるほか方法がないという。滝壺付近の浅瀬の透明度は抜群で、澄んだ青緑色の水が夏の陽光に美しく映えている。人間が住むことを許されないような壮絶な秘境に架かるこの橋は1969年に竣工し、それをもってようやく、相川から外海府の最北端の地までが陸路で結ばれるに至ったという。ここは道路工事開始から半世紀以上を経て架橋された悲願の道である。
橋を過ぎると、真更川、北鵜島、願という集落が続く。再び九十九折りの道を下り、海岸近くまでやって来る。この辺りには岩をぶち抜いて作ったトンネルがいくつか連続し、その狭い幅員といいごつごつした内壁といい、ここがはるか昔に人力で掘られたことを窺わせる。やがて大野亀が見えてきた。巨大な亀が海にうずくまっているかのような眺めで、突如降ってきた隕石であるかのごとく、緑に覆われた巨岩が陸地と連続してじっと鎮座している。近付くにつれてその姿は徐々に大きくなってきた。
・大野亀
まずは昼食をとり、その後軽い登山。大野亀の高さは167mあるといい、頂上へは人の歩いた跡が道となって続いている。岩山とはいえども辺りには緑が生い茂り、ふと眼下に目をやれば、今まで登ってきた道がくねくねと麓から伸びてきているのが見え、さらに崖下には青い海がどこまでも広がっている。中腹まではさほどきつくはなかったが、途中から道は急激な傾斜となる。そして20分以上かけてようやく登り詰め、晴れて登頂完了。眺望は爽快の一言で、陸地側では、これまで走ってきた外海府の海岸線と、海岸段丘の切り立った独特の地形が一望のもとである。反対側はといえば、空と海が遠くの水平線でもやもやと青く溶け合っている。東の方を見れば、すぐ近くに小さな岩山が二つ仲良く並んでいる。あそこは二ツ亀だ。足元はゆるやかな崖になっていて、うっかり足を滑らせればはるか下の海へ落ちてしまいそうである。吹き抜ける風で汗を乾かし、しばしの休憩。その後下山。下りる方が足に余計な負担がかかって苦労した。
・二ツ亀
二ツ亀まではよしお君が運転をしてくれる。彼は卒業検定以来一度もハンドルを握っていない「純正ペードラ」を自称していたが、何ら問題なく運転していて非常に頼もしい。二ツ亀は海水浴場として有名で、長い階段を下りて海岸までやってくると、そこそこ多くの人で賑わっていた。しかし、すぐそばにある二ツ亀ビューホテルの客が大半なのかもしれない。せっかくなので自分も泳ぐことにする。海面から頭を出して犬かきをしながら向こう側の島へ渡る。海底は主に岩場で、しかもびっしりと海藻が生えているのが難点だが、水は大変きれいで澄んでいる。岩場に座りながら少し風に吹かれ、沖合を眺めたり、遠く浜辺にいる人々に目をやったりして、午後のひと時を過ごす。
・帰路
時刻は17時。そろそろ宿に戻らねばならないが、今日はかなり遠くまで来てしまった。同じ道を戻るのもつまらないし、それに暗くなってゆくこれからの時間帯にまたあの凄まじい道路を通るというのも気が引ける。そういうわけで、ここからさらに県道45号線を走り内海府(うちかいふ)を回ってひとまず両津港へ。その先は、大佐渡スカイラインで相川まで出るという案もあったが、時間が押していることと、おそらくはただの山道であろうという懸念も相まって、昨日と同じ国道350号線で国仲平野を真野湾まで横断するルートとなった。内海府の道は外海府よりも断然走りやすく、無理な登り下りも少ない。黄昏に染まってゆく両津湾の景色は美しく、前方には小佐渡の山々も見える。こうして海岸線を走っているだけで島の形がよくわかるから面白い。
港から途中のスーパーまでは再びよしお君。ここで今夜の晩酌用の酒とつまみを買いそろえ、運転はだおこさんに交代。夕暮れという難易度の高い状況を難なくクリアし、無事宿に到着。今夜の食事も魚介類尽くしかと思いきや、むろん魚は大量に出てきたけれども、佐渡牛の焼肉がメインであった。食後は磯近くの駐車場で花火を楽しむ。そして温泉に浸かり、酒を飲みながら夜が更けてゆく。
写真
1枚目:尖閣湾
2枚目:大野亀頂上への道
3枚目:二ツ亀
4037文字
日本海随一の離島へ。
・佐渡へ
部活の同期4人で行く旅行。佐渡という行先は自分の案で、こういう機会でないとなかなか行けない場所を選んだ。我ながらマニアックな行先だとは思ったが、美しい海と山が織りなす自然の中、広大な日本海にぽつりと浮かびながら人々の生活が息づいているさまは、何とも魅力的に映る。日本海を越えて佐渡へ渡島するには、新潟-両津航路、寺泊-赤泊航路、直江津-小木航路の三つがあるが、新潟から海を渡るのが地理的にもダイヤ的にも最も便利である。そういうわけで、まずは新潟を目指す。乗ったのはMaxとき313号というノンストップの列車で、所要はわずか1時間37分。上越新幹線の最速列車である。新潟到着後は万代口から佐渡汽船乗り場行のバスに乗るわけだが、その前に10時58分発の酒田行特急いなほ8号の発車を見届ける。8月中旬という時期も相まってか、Maxとき313号からこの列車へ乗り換える客はかなり多い。佐渡汽船行のバスは大混雑。4人であればタクシーに乗っても運賃に大差はなかった。11時半前、信濃川の中州にある万代島フェリーターミナルに到着。
つい先月から始まった大学生向けの学割では、通常の片道運賃2440円のところが3割以上安くなって1620円となる。佐渡の観光客は年々減少しているらしく、そうした状況を打開するために、若い層がもっと気軽に訪れることを狙っての学割らしい。それでも、いちいちフェリーに乗り換えるという離島ならではの不便さは変わらず、佐渡空港の滑走路が延長されて大都市圏からの空路の直行便でも設定されない限りは、なかなか厳しいのかもしれない。昼食は、佐渡汽船商事がやっているターミナル内の食堂で定食を食べる。なかなか美味しい。そして改札開始。実はこうして本格的なフェリーに乗るのは初めてで、乗船口から眺める巨大な船体に圧倒される。のんびりと昼食をとっていたため、2等のジュータン席はすでに埋まっていた。しかし4階にベンチ席があるということで、そちらへ移動。ここは半分屋外の空間で、吹き抜ける海風が心地よい。
船は定刻に出港。おびただしい数のカモメが追いかけてくる。デッキからはえびせんを差し出す人が多く、カモメが船に寄っては離れ寄っては離れを繰り返し、俊敏に餌をついばんでいく。しばらくの間は新潟港の中を航行し、20分ほど経ってからいよいよ外洋へ出る。天候は晴れ。景色全体にうっすらと雲がかかっているようにも見える。逆光に霞む新潟市街、そして椀を伏せたような形の弥彦山がどんどん後方へ遠ざかっていき、やがて船はブライトブルーの洋上を佐渡島へ向かって快調に滑り始めた。すでに水平線上には青い島影が見えているが、両津港までの所要は2時間半。意外にも遠い。てっぺんの甲板に出ると、海風が強く日差しが眩しい。潮の香りの中には、大きな煙突からかすかに漏れてくるディーゼルの排煙の匂いが混じり、船旅であることを実感。船の名はおおさど丸といい、乗客はジュータンに寝そべったり、ベンチ席で海を眺めたり、食堂で休憩したりと、みな思い思いの時間を過ごしている。8月10日12時35分に佐渡へ向けて新潟を出発したフェリー、その船上でこれほど多くの乗客が一堂に会しているというのはなかなか面白い。もちろん乗船の目的は全員ばらばらだろうし、それにみなが互いに赤の他人。しかし本来ならばまったく無縁だったはずの人々がこうして同じ時空間を共有するさまは、旅の楽しみの一つでもある。ことに船旅の場合は空間が開放的なので、列車での旅よりもそのことがいっそう大きく実感できよう。
あっという間に時間は過ぎ、気が付くと船は両津湾内に入っていた。進行方向左手には小佐渡、右手には大佐渡の山々が見え、やがて両津の町が近付いてくる。そして接岸。後を追ってきた水中翼船のジェットフォイルもほぼ同時刻に到着である。ジェットフォイルの所要は1時間あまりとフェリーの半分以下だが、速達性重視では何となく味気ない船旅になりそうである。両方から下船した大勢の乗客がぞろぞろと歩きながらターミナルへと吸い込まれてゆく。ついに佐渡島に上陸である。
・夕刻の横断行路
両津港のすぐそばにある渡辺産商レンタカーという所で車を借りる。島内の公共交通機関は路線バスのみで観光で色々と回るには圧倒的に不便ということで、今回はレンタカーを存分に活用する。とはいっても、旅先で車を運転するのは初めてだし、別に普段から頻繁に運転をしているわけでもない。とりあえず、ばどこさんに持ってきてもらった初心運転者標識を前後に貼って出発。車種はホンダのフィット。まるっとした車で、ハンドルの操作性も良く、コロコロ転がるように動くので、意外にもかなり運転しやすい。今日は国道350号線で国仲平野を横断して両津湾と反対側の真野湾まで出た後、北に進路を変えて佐渡の海岸線を一周する県道45号線に入る。目的地は相川だが、町の中心部から少し南に外れた七浦海岸というところにある、景勝地の夫婦岩のすぐそばが今宵の宿である。
金曜の夕方で渋滞する国道を西へ向かっている間などは車内の会話に参加する余裕などなかったが、県道に入った頃にはずいぶんと運転にも慣れてきた。国道沿いにはスーパーやらコンビニやら量販店やらが立ち並び、関東圏の市街地とさほど変わらないような様子だったが、海沿いに出ると景色は一変し、急峻な地形と岩石に富んだ海岸線、そして漁港を中心にぽつぽつと点在する小さな集落が特徴的となる。車の往来も急激に少なくなり、いよいよ西に傾き始めた太陽から発せられる斜光線が旅愁をそそる。港を出てから1時間あまりで夫婦岩に到着。宿はこのすぐそばにある。
・日没
夫婦岩は七浦海岸を代表する景勝地で、およそ20mの岩が二つ寄り添うように並んでいる。海には無数の岩が散りばめられ、押し寄せては引いてゆく波に絶えず洗われている。やがて日没の時刻が近くなると、太陽はみるみるうちに輝きを失っていき、空には吹き流された雲がアクセントとなって、絶妙な色彩のグラデーションが現れる。ファインダー越しに網膜を焼きながら何枚も写真を撮影。厚い雲に阻まれてしまい水平線にその姿を沈めるところまでは見届けられなかったが、今日の一日を終えようとする太陽の姿を夫婦岩と共にとらえた。
夕食は豪勢な海鮮料理。イカそうめんや味噌焼き、まるまる一体のカニ、刺身、焼き魚など、内容は盛りだくさんである。ナガモという海藻も名産らしく、海の納豆と呼ばれるだけあって粘りが強い。普段とは違う食に触れる旅の楽しみ。夜は温泉に浸かってゆっくりと休む。
写真
1枚目:佐渡汽船カーフェリー
2枚目:両津湾に入る
3枚目:夕日
3169文字
8/10
東京912 → 新潟1049
上越新幹線313C Maxとき313号
新潟駅前1105 → 佐渡汽船1120
新潟交通バス
新潟1235 → 両津1505
佐渡汽船カーフェリー おおさど丸
両津港1530 → 相川温泉1650
国道350号線、県道45号線 レンタカー
ホテルめおと 泊
・佐渡へ
部活の同期4人で行く旅行。佐渡という行先は自分の案で、こういう機会でないとなかなか行けない場所を選んだ。我ながらマニアックな行先だとは思ったが、美しい海と山が織りなす自然の中、広大な日本海にぽつりと浮かびながら人々の生活が息づいているさまは、何とも魅力的に映る。日本海を越えて佐渡へ渡島するには、新潟-両津航路、寺泊-赤泊航路、直江津-小木航路の三つがあるが、新潟から海を渡るのが地理的にもダイヤ的にも最も便利である。そういうわけで、まずは新潟を目指す。乗ったのはMaxとき313号というノンストップの列車で、所要はわずか1時間37分。上越新幹線の最速列車である。新潟到着後は万代口から佐渡汽船乗り場行のバスに乗るわけだが、その前に10時58分発の酒田行特急いなほ8号の発車を見届ける。8月中旬という時期も相まってか、Maxとき313号からこの列車へ乗り換える客はかなり多い。佐渡汽船行のバスは大混雑。4人であればタクシーに乗っても運賃に大差はなかった。11時半前、信濃川の中州にある万代島フェリーターミナルに到着。
つい先月から始まった大学生向けの学割では、通常の片道運賃2440円のところが3割以上安くなって1620円となる。佐渡の観光客は年々減少しているらしく、そうした状況を打開するために、若い層がもっと気軽に訪れることを狙っての学割らしい。それでも、いちいちフェリーに乗り換えるという離島ならではの不便さは変わらず、佐渡空港の滑走路が延長されて大都市圏からの空路の直行便でも設定されない限りは、なかなか厳しいのかもしれない。昼食は、佐渡汽船商事がやっているターミナル内の食堂で定食を食べる。なかなか美味しい。そして改札開始。実はこうして本格的なフェリーに乗るのは初めてで、乗船口から眺める巨大な船体に圧倒される。のんびりと昼食をとっていたため、2等のジュータン席はすでに埋まっていた。しかし4階にベンチ席があるということで、そちらへ移動。ここは半分屋外の空間で、吹き抜ける海風が心地よい。
船は定刻に出港。おびただしい数のカモメが追いかけてくる。デッキからはえびせんを差し出す人が多く、カモメが船に寄っては離れ寄っては離れを繰り返し、俊敏に餌をついばんでいく。しばらくの間は新潟港の中を航行し、20分ほど経ってからいよいよ外洋へ出る。天候は晴れ。景色全体にうっすらと雲がかかっているようにも見える。逆光に霞む新潟市街、そして椀を伏せたような形の弥彦山がどんどん後方へ遠ざかっていき、やがて船はブライトブルーの洋上を佐渡島へ向かって快調に滑り始めた。すでに水平線上には青い島影が見えているが、両津港までの所要は2時間半。意外にも遠い。てっぺんの甲板に出ると、海風が強く日差しが眩しい。潮の香りの中には、大きな煙突からかすかに漏れてくるディーゼルの排煙の匂いが混じり、船旅であることを実感。船の名はおおさど丸といい、乗客はジュータンに寝そべったり、ベンチ席で海を眺めたり、食堂で休憩したりと、みな思い思いの時間を過ごしている。8月10日12時35分に佐渡へ向けて新潟を出発したフェリー、その船上でこれほど多くの乗客が一堂に会しているというのはなかなか面白い。もちろん乗船の目的は全員ばらばらだろうし、それにみなが互いに赤の他人。しかし本来ならばまったく無縁だったはずの人々がこうして同じ時空間を共有するさまは、旅の楽しみの一つでもある。ことに船旅の場合は空間が開放的なので、列車での旅よりもそのことがいっそう大きく実感できよう。
あっという間に時間は過ぎ、気が付くと船は両津湾内に入っていた。進行方向左手には小佐渡、右手には大佐渡の山々が見え、やがて両津の町が近付いてくる。そして接岸。後を追ってきた水中翼船のジェットフォイルもほぼ同時刻に到着である。ジェットフォイルの所要は1時間あまりとフェリーの半分以下だが、速達性重視では何となく味気ない船旅になりそうである。両方から下船した大勢の乗客がぞろぞろと歩きながらターミナルへと吸い込まれてゆく。ついに佐渡島に上陸である。
・夕刻の横断行路
両津港のすぐそばにある渡辺産商レンタカーという所で車を借りる。島内の公共交通機関は路線バスのみで観光で色々と回るには圧倒的に不便ということで、今回はレンタカーを存分に活用する。とはいっても、旅先で車を運転するのは初めてだし、別に普段から頻繁に運転をしているわけでもない。とりあえず、ばどこさんに持ってきてもらった初心運転者標識を前後に貼って出発。車種はホンダのフィット。まるっとした車で、ハンドルの操作性も良く、コロコロ転がるように動くので、意外にもかなり運転しやすい。今日は国道350号線で国仲平野を横断して両津湾と反対側の真野湾まで出た後、北に進路を変えて佐渡の海岸線を一周する県道45号線に入る。目的地は相川だが、町の中心部から少し南に外れた七浦海岸というところにある、景勝地の夫婦岩のすぐそばが今宵の宿である。
金曜の夕方で渋滞する国道を西へ向かっている間などは車内の会話に参加する余裕などなかったが、県道に入った頃にはずいぶんと運転にも慣れてきた。国道沿いにはスーパーやらコンビニやら量販店やらが立ち並び、関東圏の市街地とさほど変わらないような様子だったが、海沿いに出ると景色は一変し、急峻な地形と岩石に富んだ海岸線、そして漁港を中心にぽつぽつと点在する小さな集落が特徴的となる。車の往来も急激に少なくなり、いよいよ西に傾き始めた太陽から発せられる斜光線が旅愁をそそる。港を出てから1時間あまりで夫婦岩に到着。宿はこのすぐそばにある。
・日没
夫婦岩は七浦海岸を代表する景勝地で、およそ20mの岩が二つ寄り添うように並んでいる。海には無数の岩が散りばめられ、押し寄せては引いてゆく波に絶えず洗われている。やがて日没の時刻が近くなると、太陽はみるみるうちに輝きを失っていき、空には吹き流された雲がアクセントとなって、絶妙な色彩のグラデーションが現れる。ファインダー越しに網膜を焼きながら何枚も写真を撮影。厚い雲に阻まれてしまい水平線にその姿を沈めるところまでは見届けられなかったが、今日の一日を終えようとする太陽の姿を夫婦岩と共にとらえた。
夕食は豪勢な海鮮料理。イカそうめんや味噌焼き、まるまる一体のカニ、刺身、焼き魚など、内容は盛りだくさんである。ナガモという海藻も名産らしく、海の納豆と呼ばれるだけあって粘りが強い。普段とは違う食に触れる旅の楽しみ。夜は温泉に浸かってゆっくりと休む。
写真
1枚目:佐渡汽船カーフェリー
2枚目:両津湾に入る
3枚目:夕日
3169文字
旧街道を歩く。
・彫刻の森
まずは徒歩で彫刻の森美術館へ。箱根登山鉄道の線路沿いに15分ほど歩けば到着である。ここは1969年に開館した日本初のオープンエアーの美術館で、親に連れられて来たこともあるようだが、全く記憶にない。箱根の山々に囲まれた広い敷地内に彫刻群が点在する様子はなかなか壮観。オープンエアーの展示はヘンリー・ムーアの「彫刻は自然の中で鑑賞されるべきもの」という主張に基づくらしく、確かに自然光を受けて様々な表情を見せる彫刻の姿は面白い。鑑賞者に謎解きをさせるような類の、一見すると何を表したものなのか訳の分からない作品も数多く、ここ最近訪れた美術館とはまた一味異なった斬新な体験となった。ピカソ館の展示は理解が難しい。おそらく彼は本当にこんな風に見えていたのか、あるいは物の見方を自由自在に転換することができたのかもしれない。
ステンドグラスに外壁を囲まれたタワーからは広い敷地を一望できる。この美術館は敷地内を箱根登山鉄道の線路が通っているので、最後に「弓をひくヘラクレス」の彫像と絡めて登山電車を撮影。今朝見たところによると今日もモハ1形+モハ2形の3両編成が走っているようなので、タイミングを見計らって箱根湯本を折り返してきた強羅行を撮影。無論、彫刻のそばに張り付きながら鉄道写真を撮っている人など皆無だったがww
・旧街道石畳
館内のレストランはかなり混んでいたので、駅近くの寿司屋で昼食をとる。その後、二の平入口のバス停まで10分ほど坂道を登りつめ、箱根町方面へ向かうバスに乗る。時刻からして箱根登山バスかと思いきや、一本前の伊豆箱根バスが遅れてやってきたようだ。箱根地区の観光・交通権益については小田急(かつての大東急)と西武が激しく争ってきた歴史的経緯(箱根山戦争というらしいw)があるようで、最近こそ両社は業務提携を結び停留所名や路線系統記号の統一も行われてきたが、伊豆箱根バスでは「箱根フリーパス」は未だに使えない。まあ今回この切符は使っていないので関係ないのだが。
何気なく乗っていたので気がつかなかったが、今走っているただの山道のような道路は国道1号線である。山をひとつ越えて下り坂にさしかかった頃、前方には芦ノ湖南岸の景色が広がる。大芝というバス停で下車し、畑宿入口の交差点から県道732号線に入る。国道1号線は登山鉄道に沿う形で山を越えるが、この道路は山を挟んで1号線よりも南側を通り、今の交差点と箱根湯本近くの三枚橋交差点とを結ぶ別の山越えルートで、旧東海道はこのルートに重なっている。近くにある暗い雰囲気のお玉ヶ池を見てから、県道脇の山道を登り、県道に並行して林の中に敷かれている旧街道の石畳に入る。そして箱根湯本方面に向かって甘酒茶屋まで石畳を歩く。石畳というのは相変わらず歩きにくいものがあるが、昨夏歩いた熊野古道をふと思い出した。
甘酒茶屋では甘酒とみそおでん、力餅を食する。平日だというのに観光客で賑わっている。来月以降はさらに混んでくるのだろうか。時間にはまだ余裕があったので、畑宿までハイキングコースを歩くことにする。並走する県道は七曲がりの坂道で、国道1号線のバイパスである箱根新道がそこに絡み合うように交差しているのが面白い。ひたすら下り坂や階段ばかりを歩くこと1時間弱、寄木細工の里、畑宿に到着である。中1の新入生歓迎旅行を思い出した。畑宿からはバスで箱根湯本の駅まで戻った。
・小田原
夕方は小田原へ出る。みのや吉兵衛という店で塩辛を買う。隠れた老舗として知られているようだ。大した下調べもなく来た旅行だったが、ロマンスカーの中で調達したフリーのるるぶ誌や、強羅の観光案内所で手に入れたガイドマップが意外と役に立った。夕食はすぐ近くのさんせんという居酒屋へ。魚屋の直営らしく、とくにマグロの刺身が非常に充実していて美味しい。刺身には日本酒ということで、丹沢山・純米吟醸、小田原宿・純米をいただく。大量に飲み食いしたわりに値段も安く、小田原に来たときは是非また訪れてみたいところである。
帰路は新幹線で一駅、新横浜へ。所要はたったの16分。ブルーラインに乗ればあざみ野も間もなくである。箱根といえばロマンスカーと盲目的に考えていたが、アクセスするだけであればこの辺りからは実は新幹線が一番早くて便利。しかも運賃は950円、特定特急料金も950円なのでロマンスカーより安い。小田原へ向かう途中に気がつき、切符を払い戻したのは正解であった。これにて旅行は終結。
写真
1枚目:登山電車と彫刻
2枚目:箱根旧街道石畳
3枚目:小田原の夜
2335文字
3/29
箱根彫刻の森美術館
二の平入口1248(+5) → 大芝1303(+5)
伊豆箱根バス
お玉ヶ池、旧街道石畳、甘酒茶屋
畑宿1548 → 箱根湯本1603
箱根登山バス
箱根湯本1652 → 小田原1710
箱根登山鉄道7286
海鮮居酒屋さんせん
小田原1942 → 新横浜1958
東海道新幹線672A こだま672号
・彫刻の森
まずは徒歩で彫刻の森美術館へ。箱根登山鉄道の線路沿いに15分ほど歩けば到着である。ここは1969年に開館した日本初のオープンエアーの美術館で、親に連れられて来たこともあるようだが、全く記憶にない。箱根の山々に囲まれた広い敷地内に彫刻群が点在する様子はなかなか壮観。オープンエアーの展示はヘンリー・ムーアの「彫刻は自然の中で鑑賞されるべきもの」という主張に基づくらしく、確かに自然光を受けて様々な表情を見せる彫刻の姿は面白い。鑑賞者に謎解きをさせるような類の、一見すると何を表したものなのか訳の分からない作品も数多く、ここ最近訪れた美術館とはまた一味異なった斬新な体験となった。ピカソ館の展示は理解が難しい。おそらく彼は本当にこんな風に見えていたのか、あるいは物の見方を自由自在に転換することができたのかもしれない。
ステンドグラスに外壁を囲まれたタワーからは広い敷地を一望できる。この美術館は敷地内を箱根登山鉄道の線路が通っているので、最後に「弓をひくヘラクレス」の彫像と絡めて登山電車を撮影。今朝見たところによると今日もモハ1形+モハ2形の3両編成が走っているようなので、タイミングを見計らって箱根湯本を折り返してきた強羅行を撮影。無論、彫刻のそばに張り付きながら鉄道写真を撮っている人など皆無だったがww
・旧街道石畳
館内のレストランはかなり混んでいたので、駅近くの寿司屋で昼食をとる。その後、二の平入口のバス停まで10分ほど坂道を登りつめ、箱根町方面へ向かうバスに乗る。時刻からして箱根登山バスかと思いきや、一本前の伊豆箱根バスが遅れてやってきたようだ。箱根地区の観光・交通権益については小田急(かつての大東急)と西武が激しく争ってきた歴史的経緯(箱根山戦争というらしいw)があるようで、最近こそ両社は業務提携を結び停留所名や路線系統記号の統一も行われてきたが、伊豆箱根バスでは「箱根フリーパス」は未だに使えない。まあ今回この切符は使っていないので関係ないのだが。
何気なく乗っていたので気がつかなかったが、今走っているただの山道のような道路は国道1号線である。山をひとつ越えて下り坂にさしかかった頃、前方には芦ノ湖南岸の景色が広がる。大芝というバス停で下車し、畑宿入口の交差点から県道732号線に入る。国道1号線は登山鉄道に沿う形で山を越えるが、この道路は山を挟んで1号線よりも南側を通り、今の交差点と箱根湯本近くの三枚橋交差点とを結ぶ別の山越えルートで、旧東海道はこのルートに重なっている。近くにある暗い雰囲気のお玉ヶ池を見てから、県道脇の山道を登り、県道に並行して林の中に敷かれている旧街道の石畳に入る。そして箱根湯本方面に向かって甘酒茶屋まで石畳を歩く。石畳というのは相変わらず歩きにくいものがあるが、昨夏歩いた熊野古道をふと思い出した。
甘酒茶屋では甘酒とみそおでん、力餅を食する。平日だというのに観光客で賑わっている。来月以降はさらに混んでくるのだろうか。時間にはまだ余裕があったので、畑宿までハイキングコースを歩くことにする。並走する県道は七曲がりの坂道で、国道1号線のバイパスである箱根新道がそこに絡み合うように交差しているのが面白い。ひたすら下り坂や階段ばかりを歩くこと1時間弱、寄木細工の里、畑宿に到着である。中1の新入生歓迎旅行を思い出した。畑宿からはバスで箱根湯本の駅まで戻った。
・小田原
夕方は小田原へ出る。みのや吉兵衛という店で塩辛を買う。隠れた老舗として知られているようだ。大した下調べもなく来た旅行だったが、ロマンスカーの中で調達したフリーのるるぶ誌や、強羅の観光案内所で手に入れたガイドマップが意外と役に立った。夕食はすぐ近くのさんせんという居酒屋へ。魚屋の直営らしく、とくにマグロの刺身が非常に充実していて美味しい。刺身には日本酒ということで、丹沢山・純米吟醸、小田原宿・純米をいただく。大量に飲み食いしたわりに値段も安く、小田原に来たときは是非また訪れてみたいところである。
帰路は新幹線で一駅、新横浜へ。所要はたったの16分。ブルーラインに乗ればあざみ野も間もなくである。箱根といえばロマンスカーと盲目的に考えていたが、アクセスするだけであればこの辺りからは実は新幹線が一番早くて便利。しかも運賃は950円、特定特急料金も950円なのでロマンスカーより安い。小田原へ向かう途中に気がつき、切符を払い戻したのは正解であった。これにて旅行は終結。
写真
1枚目:登山電車と彫刻
2枚目:箱根旧街道石畳
3枚目:小田原の夜
2335文字
もにた氏と箱根へ行ってきました。
・ロマンスカー
往路は千代田線表参道から北千住始発のロマンスカーに乗る。メトロ線内から箱根湯本へ直通するとはなかなか面白い。車両は60000形(MSE)、メタリックなフェルメール・ブルーの車体がメトロの雰囲気によく合っている。ロマンスカーで箱根とはいつ以来だろう。調べてみると、最後に訪れたのは2005年5月15日、中3のときの鉄研新入生歓迎旅行であった。日記によれば、当時は土砂降りの雨で予定変更やら何やらえらく苦労したらしいw あれから7年近くが経ち、今日は久しぶりの箱根ということになる。天候は快晴、新松田を過ぎた辺りでは車窓右手に富士山の美しい山容がつかの間のぞいたりもした。座席は硬いが足元はかなり広く快適。天井は高く開放感があり、木目調にまとめられた落ち着いた内装も良い。速度こそあまり出していないが、走りは滑らかで安定している。小田原からは箱根登山鉄道に乗り入れ、終着の箱根湯本にはおよそ1時間半後に到着。時刻は正午になろうというところである。
・箱根登山鉄道
向かい側のホームに入ってきたのはモハ1形(103・107)とモハ2形(109)が混結された3両編成の電車。モハ1形は2両の固定編成だが、多客期には両運転台のモハ2形を増結するようだ。いずれの車両も綺麗に整備されてはいるが、古色蒼然たる貫禄が感じられる。終点の強羅までにすれ違った編成はみな1000形や2000系といった新型(というほどでもない普通の)車両だったので、今日はなかなか運が良い。箱根湯本を出た列車はいきなり80‰の急勾配にさしかかり、吊り掛け駆動の重低音を響かせながらのろのろと山を登っていく。塔ノ沢~大平台~宮ノ下にかけては3つのスイッチバックが存在し、駅や信号場に停車するたび、車掌と運転士がホームを歩いて交代する。曲線半径はかなり小さく、電車は身をくねらせながら這うように山腹を進む。春休み中ということもあってか車内はかなり混雑していたが、首都圏からごく近いところで山岳鉄道を楽しむことができるとはすばらしい。彫刻の森から先はほぼ平坦な路線となり、出発から40分ほどで強羅に到着である。あじさいの季節に撮影に訪れるのも面白いかもしれない。
・強羅公園
駅から近い強羅公園を訪れる。園内に咲き乱れるはずのツツジは来月下旬からが見頃で、まだシーズンオフの様相を呈している。ただ日差しは暖かく、噴水の庭園は壮観。熱帯植物館も適当に回る。最後は白雲洞茶苑へ。せっかくなので茶室にも入り、茶菓子と抹茶を頂くことにする。いやしかし、茶道に関しては全く知識がない。「へー」というだけで終わってしまうのはもったいない気もするが、観光に来ているわけだしそれはそれで良いか。
・ポーラ美術館
西側の出口から強羅公園を出て、箱根美術館に向かおうとするも今日は閉館日であった。いっそ今日のうちにポーラ美術館へ行こうということになり、観光施設を巡るバスに乗って10分ほど、山奥に突如切り開かれた独特の建築が姿を現す。そういえばここの設計を手がけたのは母校の同級生の父君であったことを思い出したw 今の時期はちょうど「印象派の行方 モネ、ルノワールと次世代の画家たち」という企画展が行われている。つい10日ほど前にオルセー美術館を訪れたばかりであるから、印象派の絵は実に記憶に新しい。入ってみると想像以上に多くのコレクションが並ぶ。どれもポーラ美術館の所蔵のようだが、こんなに多くの絵があったとは。何より日本語ということもあって展示の構成は分かりやすく、オルセーの良い復習になった感もある。常設展もさらっと見ていくが、日本画も日本画で負けていない。陶器はその良さが分かってくればさぞ面白いことだろう。
・強羅泊
バスで強羅駅まで戻り、駅からすぐのところにある宿へ。夕食はビュッフェ形式だが料理はなかなか手が込んでいる。見たところ、家族連れがかなり多いようだ。温泉に漬かった後、駅前の酒屋で買った純米吟醸酒「四季の箱根」で晩酌。松みどりという丹沢の蔵元が醸している酒で、米の味が美味しく切れのある辛口。箱根の夜が更けてゆく。
写真
1枚目:MSEメトロはこね
2枚目:箱根登山鉄道車窓
3枚目:ポーラ美術館
2278文字
3/29
表参道1025 → 箱根湯本1154
東京メトロ千代田線・小田急小田原線・箱根登山鉄道A952E・0421
特急メトロはこね21号
箱根湯本1210 → 強羅1249
箱根登山鉄道445 107
強羅公園
箱根美術館1428 → ポーラ美術館1438
箱根登山バス
ポーラ美術館
ポーラ美術館1640 → 強羅駅1658
箱根登山バス
強羅泊
ホテルパイプのけむりプラス
・ロマンスカー
往路は千代田線表参道から北千住始発のロマンスカーに乗る。メトロ線内から箱根湯本へ直通するとはなかなか面白い。車両は60000形(MSE)、メタリックなフェルメール・ブルーの車体がメトロの雰囲気によく合っている。ロマンスカーで箱根とはいつ以来だろう。調べてみると、最後に訪れたのは2005年5月15日、中3のときの鉄研新入生歓迎旅行であった。日記によれば、当時は土砂降りの雨で予定変更やら何やらえらく苦労したらしいw あれから7年近くが経ち、今日は久しぶりの箱根ということになる。天候は快晴、新松田を過ぎた辺りでは車窓右手に富士山の美しい山容がつかの間のぞいたりもした。座席は硬いが足元はかなり広く快適。天井は高く開放感があり、木目調にまとめられた落ち着いた内装も良い。速度こそあまり出していないが、走りは滑らかで安定している。小田原からは箱根登山鉄道に乗り入れ、終着の箱根湯本にはおよそ1時間半後に到着。時刻は正午になろうというところである。
・箱根登山鉄道
向かい側のホームに入ってきたのはモハ1形(103・107)とモハ2形(109)が混結された3両編成の電車。モハ1形は2両の固定編成だが、多客期には両運転台のモハ2形を増結するようだ。いずれの車両も綺麗に整備されてはいるが、古色蒼然たる貫禄が感じられる。終点の強羅までにすれ違った編成はみな1000形や2000系といった新型(というほどでもない普通の)車両だったので、今日はなかなか運が良い。箱根湯本を出た列車はいきなり80‰の急勾配にさしかかり、吊り掛け駆動の重低音を響かせながらのろのろと山を登っていく。塔ノ沢~大平台~宮ノ下にかけては3つのスイッチバックが存在し、駅や信号場に停車するたび、車掌と運転士がホームを歩いて交代する。曲線半径はかなり小さく、電車は身をくねらせながら這うように山腹を進む。春休み中ということもあってか車内はかなり混雑していたが、首都圏からごく近いところで山岳鉄道を楽しむことができるとはすばらしい。彫刻の森から先はほぼ平坦な路線となり、出発から40分ほどで強羅に到着である。あじさいの季節に撮影に訪れるのも面白いかもしれない。
・強羅公園
駅から近い強羅公園を訪れる。園内に咲き乱れるはずのツツジは来月下旬からが見頃で、まだシーズンオフの様相を呈している。ただ日差しは暖かく、噴水の庭園は壮観。熱帯植物館も適当に回る。最後は白雲洞茶苑へ。せっかくなので茶室にも入り、茶菓子と抹茶を頂くことにする。いやしかし、茶道に関しては全く知識がない。「へー」というだけで終わってしまうのはもったいない気もするが、観光に来ているわけだしそれはそれで良いか。
・ポーラ美術館
西側の出口から強羅公園を出て、箱根美術館に向かおうとするも今日は閉館日であった。いっそ今日のうちにポーラ美術館へ行こうということになり、観光施設を巡るバスに乗って10分ほど、山奥に突如切り開かれた独特の建築が姿を現す。そういえばここの設計を手がけたのは母校の同級生の父君であったことを思い出したw 今の時期はちょうど「印象派の行方 モネ、ルノワールと次世代の画家たち」という企画展が行われている。つい10日ほど前にオルセー美術館を訪れたばかりであるから、印象派の絵は実に記憶に新しい。入ってみると想像以上に多くのコレクションが並ぶ。どれもポーラ美術館の所蔵のようだが、こんなに多くの絵があったとは。何より日本語ということもあって展示の構成は分かりやすく、オルセーの良い復習になった感もある。常設展もさらっと見ていくが、日本画も日本画で負けていない。陶器はその良さが分かってくればさぞ面白いことだろう。
・強羅泊
バスで強羅駅まで戻り、駅からすぐのところにある宿へ。夕食はビュッフェ形式だが料理はなかなか手が込んでいる。見たところ、家族連れがかなり多いようだ。温泉に漬かった後、駅前の酒屋で買った純米吟醸酒「四季の箱根」で晩酌。松みどりという丹沢の蔵元が醸している酒で、米の味が美味しく切れのある辛口。箱根の夜が更けてゆく。
写真
1枚目:MSEメトロはこね
2枚目:箱根登山鉄道車窓
3枚目:ポーラ美術館
2278文字
フランス旅行 9日目
2012年3月18日 鉄道と旅行
パリ滞在最終日。
・オルセー美術館
長いようであっという間だった旅行もいよいよ今日が最終日。飛行機は夜なので、昼過ぎまではゆったりと過ごせる。昨日はルーヴルを訪れたので、今日はオルセーを観ることにする。ピラミッド通りからチュイルリー庭園を横切り、ロワイヤル(Royale)橋を渡ってセーヌ左岸へ。橋のたもとから下流を見渡せば、すぐそこがオルセー美術館である。河を挟んだルーヴルの斜向かいということで、両館は互いにかなり近い。
この美術館の建物はかつてはオルレアン(Orleans)鉄道の起点オルセー駅であり、大改修を経て現在の美術館の姿になった。建築当時の骨組みはそのまま残され、五階分の高さがある丸い天井からやわらかな太陽光が差し込む様子は、まさにここが鉄道のターミナル駅であったことを思わせる。何より、上階の展示室の両脇にある大時計、そして吹抜の妻面を飾る時計が流麗である。上階の大時計は文字盤がガラス張りになっていて、室内から数字と針越しに右岸の景色を見渡すことができる。今日は陰鬱な曇天であるのが残念だが、遠くにはモンマルトルの丘とサクレ・クール寺院も見える。
入口は昨日のルーヴルとは異なって長蛇の列。30分以上待ってようやくチケットを買うことができたが、行列の元凶は二つしか入口のないセキュリティ・チェックであった。昼過ぎにかけて混んでくると思われたので、まずは上階の印象派の展示から見て回る。マネ(Manet)、モネ(Monet)、ルノワール(Renoir)といった巨匠の作品群がどっと押し寄せてくる。それこそ、どこかで何度も目にしたことのあるような絵の実物が、これでもか、というくらいに所狭しと並んでいる。この展示室は昨年に改装したらしく、深い青色の壁が柔和で明るい印象派の絵画群を絶妙に引き立てていて美しい。
モネの絵はおしなべて柔らかいタッチで、撮像素子や網膜に焼き付いたままの一時的な像というよりは、視覚野を経て再構成された脳内での二次的な光線イメージに近いものがある。印象(広辞苑によると、美術用語では対象が人間の精神に与えるすべての効果)、とは実にうまく呼んだもので、人間の脳は必ずしも実物を写実的にとらえているわけではなく、一次的な視覚情報の再構成の産物として印象が形成されているという部分とある程度関わっているように思われる。したがって印象派の絵は、それまでの写実主義とはまた別の次元で「分かりやすい」。扱うテーマにしても、宗教画や肖像画などは背景なり歴史なりの知識や、描かれた題材から寓喩を読み取るなどの能動的作用なくしては、どうしても表面的で感覚的な理解に留まるけれども、印象派の絵に描かれるモチーフに対してはそういった知識も作用もほとんど必要なく、そのままの形で作品を楽に鑑賞できる。この点においてもまた「分かりやすい」。印象派がとくに日本人に人気で、オルセーがルーヴルを凌ぐほどだというのは、こうした部分も大きいのではないか。もっとも、芸術など所詮は主観なのだから、表面的・感覚的で大いに結構だし、単に鑑賞する分にはそれで十分だとも思う。そこから先の知識や学識は、教養の範疇あるいは学問の領域として学びたい人だけが別個に学べば良い。
ルノワールは人物画に長け、これまた有名な絵が次々に登場してくる。現在のモンマルトル美術館の庭が舞台だと説明されていた『ブランコ』の絵もここにあり。後期印象派と呼ばれるセザンヌ(Cézanne)は独特の画風で、線や造形そして色の強さが窺える。いずれの展示も直観で理解できる内容が多く、古色蒼然としたルーヴルに比べるとだいぶ明るく、良い意味で軽く、気楽に見て回れるのが面白い。
上階の残りのスペースではフィンランドの画家ガレン=カレラ(Gallen-Kallela)の特別展が開かれていた。軽く見て回った後、中階に降りる。ここは彫刻がメインだが、脇にある狭い展示室にはゴッホ(Gogh)やゴーギャン(Gauguin)といった後期印象派の絵が並ぶ。上階の印象派とはずいぶん趣が異なり、20世紀美術という新時代の到来を予感させる内容でもある。地上階には印象派に加え、古典派、ロマン派、象徴派などの作品群が中央通路脇に設けられた展示室に並ぶ。全てを回るのは大変なので、ここは昨日同様、ミレー(Millet)の『晩鐘』、アングル(Ingres)の『泉』、マネの『オランピア』などといった有名どころを押さえていく。地上階の最奥部にはオペラ座ならびにその界隈の建築模型が置かれ、これもなかなか壮観であった。気が付けばもう14時半になっていたので、ピラミッド通りにあるLa Rotonde des Tuileriesというカフェでハムとチーズのクレープ・サレ(crêpe salée)を食べて宿へ戻る。
・帰国の途
16時に呼んでおいたタクシーで空港へ向かう。今日は日曜日とあってパリ市内で渋滞に巻き込まれ、結局1時間以上を要する。チェックイン、パスポート・コントロールを済ませて免税店で土産を買った後、38番ゲートという僻地のようなところへ向かって手荷物検査を受ける。ゲート付近は殺伐としていてほとんど何もない。早々にここまで来てしまい、ラウンジに入り損ねるという失策。出発時刻は19時半。ゲートで待っている間に既に陽は落ち、辺りには急速に夜の帳が下りてゆく。機窓から眺める黄昏の景色は美しくも切ない。やがて空港は宵闇に包まれ、漆黒の滑走路に散りばめられた標識灯の数々をぼうっと眺めていると、あっという間に機体は宙に浮いて眼下にはつかの間の夜景が広がった。さらば、パリ。
夕食の後、映画を観てから眠りにつく。「千代寿」という山形の日本酒が美味しかった。かなり長い時間寝てしまったようで、目が覚めると着陸まであと3時間半。日本時間はまもなく正午というところ。昼食としてプレートを注文し、食後にうとうとしていたらあっという間に着陸である。地球の自転と同じ方向に飛ぶ方が不思議と時間も短く感じられるものだ。
写真
1枚目:大時計
2枚目:広大なドーム
3枚目:セーヌ左岸に佇む
2758文字
3/18
オルセー(Orsay)美術館観覧
3/18 → 3/19
パリ・シャルル=ド=ゴール(CDG)1930(GMT+1)
→ 東京・成田(NRT)1455(-30, GMT+9)
全日本空輸206便(NH206)
・オルセー美術館
長いようであっという間だった旅行もいよいよ今日が最終日。飛行機は夜なので、昼過ぎまではゆったりと過ごせる。昨日はルーヴルを訪れたので、今日はオルセーを観ることにする。ピラミッド通りからチュイルリー庭園を横切り、ロワイヤル(Royale)橋を渡ってセーヌ左岸へ。橋のたもとから下流を見渡せば、すぐそこがオルセー美術館である。河を挟んだルーヴルの斜向かいということで、両館は互いにかなり近い。
この美術館の建物はかつてはオルレアン(Orleans)鉄道の起点オルセー駅であり、大改修を経て現在の美術館の姿になった。建築当時の骨組みはそのまま残され、五階分の高さがある丸い天井からやわらかな太陽光が差し込む様子は、まさにここが鉄道のターミナル駅であったことを思わせる。何より、上階の展示室の両脇にある大時計、そして吹抜の妻面を飾る時計が流麗である。上階の大時計は文字盤がガラス張りになっていて、室内から数字と針越しに右岸の景色を見渡すことができる。今日は陰鬱な曇天であるのが残念だが、遠くにはモンマルトルの丘とサクレ・クール寺院も見える。
入口は昨日のルーヴルとは異なって長蛇の列。30分以上待ってようやくチケットを買うことができたが、行列の元凶は二つしか入口のないセキュリティ・チェックであった。昼過ぎにかけて混んでくると思われたので、まずは上階の印象派の展示から見て回る。マネ(Manet)、モネ(Monet)、ルノワール(Renoir)といった巨匠の作品群がどっと押し寄せてくる。それこそ、どこかで何度も目にしたことのあるような絵の実物が、これでもか、というくらいに所狭しと並んでいる。この展示室は昨年に改装したらしく、深い青色の壁が柔和で明るい印象派の絵画群を絶妙に引き立てていて美しい。
モネの絵はおしなべて柔らかいタッチで、撮像素子や網膜に焼き付いたままの一時的な像というよりは、視覚野を経て再構成された脳内での二次的な光線イメージに近いものがある。印象(広辞苑によると、美術用語では対象が人間の精神に与えるすべての効果)、とは実にうまく呼んだもので、人間の脳は必ずしも実物を写実的にとらえているわけではなく、一次的な視覚情報の再構成の産物として印象が形成されているという部分とある程度関わっているように思われる。したがって印象派の絵は、それまでの写実主義とはまた別の次元で「分かりやすい」。扱うテーマにしても、宗教画や肖像画などは背景なり歴史なりの知識や、描かれた題材から寓喩を読み取るなどの能動的作用なくしては、どうしても表面的で感覚的な理解に留まるけれども、印象派の絵に描かれるモチーフに対してはそういった知識も作用もほとんど必要なく、そのままの形で作品を楽に鑑賞できる。この点においてもまた「分かりやすい」。印象派がとくに日本人に人気で、オルセーがルーヴルを凌ぐほどだというのは、こうした部分も大きいのではないか。もっとも、芸術など所詮は主観なのだから、表面的・感覚的で大いに結構だし、単に鑑賞する分にはそれで十分だとも思う。そこから先の知識や学識は、教養の範疇あるいは学問の領域として学びたい人だけが別個に学べば良い。
ルノワールは人物画に長け、これまた有名な絵が次々に登場してくる。現在のモンマルトル美術館の庭が舞台だと説明されていた『ブランコ』の絵もここにあり。後期印象派と呼ばれるセザンヌ(Cézanne)は独特の画風で、線や造形そして色の強さが窺える。いずれの展示も直観で理解できる内容が多く、古色蒼然としたルーヴルに比べるとだいぶ明るく、良い意味で軽く、気楽に見て回れるのが面白い。
上階の残りのスペースではフィンランドの画家ガレン=カレラ(Gallen-Kallela)の特別展が開かれていた。軽く見て回った後、中階に降りる。ここは彫刻がメインだが、脇にある狭い展示室にはゴッホ(Gogh)やゴーギャン(Gauguin)といった後期印象派の絵が並ぶ。上階の印象派とはずいぶん趣が異なり、20世紀美術という新時代の到来を予感させる内容でもある。地上階には印象派に加え、古典派、ロマン派、象徴派などの作品群が中央通路脇に設けられた展示室に並ぶ。全てを回るのは大変なので、ここは昨日同様、ミレー(Millet)の『晩鐘』、アングル(Ingres)の『泉』、マネの『オランピア』などといった有名どころを押さえていく。地上階の最奥部にはオペラ座ならびにその界隈の建築模型が置かれ、これもなかなか壮観であった。気が付けばもう14時半になっていたので、ピラミッド通りにあるLa Rotonde des Tuileriesというカフェでハムとチーズのクレープ・サレ(crêpe salée)を食べて宿へ戻る。
・帰国の途
16時に呼んでおいたタクシーで空港へ向かう。今日は日曜日とあってパリ市内で渋滞に巻き込まれ、結局1時間以上を要する。チェックイン、パスポート・コントロールを済ませて免税店で土産を買った後、38番ゲートという僻地のようなところへ向かって手荷物検査を受ける。ゲート付近は殺伐としていてほとんど何もない。早々にここまで来てしまい、ラウンジに入り損ねるという失策。出発時刻は19時半。ゲートで待っている間に既に陽は落ち、辺りには急速に夜の帳が下りてゆく。機窓から眺める黄昏の景色は美しくも切ない。やがて空港は宵闇に包まれ、漆黒の滑走路に散りばめられた標識灯の数々をぼうっと眺めていると、あっという間に機体は宙に浮いて眼下にはつかの間の夜景が広がった。さらば、パリ。
夕食の後、映画を観てから眠りにつく。「千代寿」という山形の日本酒が美味しかった。かなり長い時間寝てしまったようで、目が覚めると着陸まであと3時間半。日本時間はまもなく正午というところ。昼食としてプレートを注文し、食後にうとうとしていたらあっという間に着陸である。地球の自転と同じ方向に飛ぶ方が不思議と時間も短く感じられるものだ。
写真
1枚目:大時計
2枚目:広大なドーム
3枚目:セーヌ左岸に佇む
2758文字