厳冬の北陸路
厳冬の北陸路
厳冬の北陸路
朝の富山にはぼた雪が降る。

2/20
富山551 → 西富山556
高山本線840D 車番記録忘れ

841D撮影

西富山630 → 千里642
高山本線842D キハ120-352

844D・849D撮影

千里827 → 婦中鵜坂839
高山本線851D キハ120-351

852D・1090レ撮影

婦中鵜坂1013 → 富山1025
高山本線857D キハ28 2346

富山1116 → 金沢1219
北陸本線428M モハ456 16

金沢1232 → 加賀笠間1247
北陸本線346M モハ455 702

北陸本線撮影

加賀笠間1653 → 敦賀1907
北陸本線364M モハ474 50

敦賀泊

高山本線キハ58
窓外に寒々しい駅前を見下ろすと、どうやらみぞれが降っているようだ。支度をして出かけると、未明の冷気が頬を打つ。構内に入ると、ちょうど1番線を高山本線の回送列車が発車していくところであった。再度国鉄色に差し替わるという淡い期待を抱いていたものの、そう上手く事は運ぶものではない。同じキハ58とはいえ、高岡色と国鉄色ではどうしても絵における鮮やかさに差が出てしまうのが難点である。

基本的には昨年末の行程を踏襲する。西富山で上りを迎え、千里付近で上下列車を見送る。やがて辺りは薄明るくなってきたが、湿った雪の絶え間なく降りしきる、重苦しい朝である。辺りは一面白銀の世界だが、第一に感じるはやはり「陰鬱」という印象であろうか。くすんだワインレッドの高岡色が、より一層の「雰囲気の重厚感」とでもいうのか、そういった類のものを否応なく押し付けてくるように思う。まるで自分の心中をそのまま表現したかのようだ。

千里での撮影後は、婦中鵜坂へ向かう。12月は陸橋から俯瞰する構図であったが、今回はサイドから築堤を狙ってみる。広大な雪原と、築堤を駆ける列車は、モノトーンの世界を織りなした。列車は走る。白い海には呑まれず、静かな、しかし確かな存在感を示し続ける。撮影後はキハ58充当の857Dで富山に戻った。かつては栄華を極めた老兵、最後の活躍の地となろう。だが、いつかは別れの時が来る。それは歴史の宿命。ふと気がつけば、少し晴れ間ののぞく、遅い朝。もう、そんな時間か。

北陸路
金沢までは普通列車でのんびりと移動。デッキのついている普通列車など今時珍しい。かつての急行形電車は、ほとんどそのままの姿で都市間輸送を担う。押し寿司を食しながら、小康の空模様を眺める。春はもうすぐとはいうものの、未だ厳しい寒さの残る、陰鬱な曇天が辺りを包む。6両編成の電車は快調に駆けてゆく。こうして遠くに来ると常々思うことではあるが、相手が自分であれ他人であれ、もっと「対話」の時間を増やしていきたいものである。それなりに思うところは大きいのであるから、それを活かしていくための努力なり方策なりが求められているはずだ。金沢では列車を乗り継ぎ、近郊の加賀笠間で下車した。

北陸本線
加賀笠間~美川は直線区間で撮影地も充実していると聞いていたのでここに来たのであるが、到着してみるとなかなかの吹雪である。まずは駅撮り。その後天気が回復してきたので駅を出て、美川方面へ。しかしながら雲行きが不安定極まりなく、突発的な急霰・驟雨に見舞われるという散々な撮影であった。これならば大人しく金沢でまったりしていた方が正解だったかもしれない。あるいは、越美北線を乗りつぶすことも出来なくはなかった。

今宵の宿は敦賀。11月にも訪れた「恵比須」という定食屋に入る。実に家庭的で温かい。晩はナウシカを観ながら個別指導の予習。今回の撮影行は本当に日常の合間に詰め込んでしまって、緩衝材の役割を果たす期間がなかった。明朝はまずは衣掛山を訪れることにしよう。

写真
1枚目:ぼた雪の朝(@速星~千里)
2枚目:モノトーンの世界(@西富山~婦中鵜坂)
3枚目:吹雪を切って快走(@加賀笠間)

2059文字
深雪の大糸線
深雪の大糸線
深雪の大糸線
別れの春は近い。ふたたび北陸を訪れよう。

2/18 → 2/19
上野2333 → 糸魚川445(+4)
東北本線・高崎線・上越線・信越本線・北陸本線611M・601M
急行能登 モハ489 22

2/19
糸魚川604 → 平岩640
大糸線420D キハ52 115

424D撮影

平岩706 → 頸城大野732
大糸線421D キハ52 156

426D・423D・425D撮影

頸城大野1051 → 小滝1103
大糸線428D キハ52 156

427D・430D撮影

小滝1456 → 根知1502
大糸線429D キハ52 115

429D・432D・431D・434D撮影

根知新道1717 → 糸魚川駅前1740
糸魚川バス別所線 長岡22 か 1277

糸魚川1756(+4) → 黒部1820(+1)
北陸本線1018M 特急はくたか18号 サハ682-8001

黒部1832 → 富山1902
北陸本線566M モハ412 101

888D撮影
富山泊

急行能登
旅立ちは能登である。21世紀の10年目にして未だに残る国鉄色ボンネット型は、ステンレス車に囲まれる中ひとり異様な貫録を放っている。臙脂とベージュの帯を纏って堂々9両編成が始発駅のホームに佇む姿は、「金沢行急行列車」にふさわしい風格である。側面に整然と並んだ長窓も美しい。乗り込んだモハ489 22は昭和47年製(日立製作所)で、もうすぐ40年になろうかというところ。随所に昭和の面影を色濃く残している。簡易式ではあるものの、ふかふかのリクライニングシートに身を沈めて、高崎までは漫然と過ごす。相当にガタが来ている車両のはずだが、落ち着いた走行を見せ、至って快適。高崎を過ぎると客室内は減光され、独特の雰囲気の空間に変貌する。目を閉じれば、ジョイント音に誘われて深い眠りの底へと急降下である。

気がつくと、直江津である。3時間あまり眠ったことになる。隣には北陸が停車中。話によると、どうやら北陸はジャンパ栓が凍結して長岡での機関車交換に手こずったらしく、能登が先行しているとのこと。直江津を出た列車は快調に飛ばす。4時32分、頸城トンネル内の筒石駅を通過。夜通し煌々と明かりの灯る不気味な不夜城である。梶屋敷を過ぎて電源が切り替われば、程なくして糸魚川に到着。能登に乗るのはこれが最後になろう。辺りには細雪が降っている。

深雪の大糸線
スパッツを装着したりなどなどしているうちに、大阪からの急行きたぐにが到着。583系の巨体はいつ見ても荘厳である。食料を調達し、始発の南小谷行に乗車。ツートンカラーの115号。まだ夜は明けないが、青みがかった光に雪が照らされている。平岩で下車し、まずは後続の424Dを駅前の鉄橋で撮影。朱色の156号も美しい。

その後は平岩折り返しの糸魚川行で頸城大野へ。今回は平野部での撮影も盛り込んでみようということで、駅裏の雪原を取り入れてみたり、おなじみの平沢第二踏切から針葉樹の廊下を後追いで切り取ってみたり、色々と試みた。国鉄色というのは本当に日本的な風景によく似合った塗色である。単行列車がコトコトと進んでいくのどかな雪国の朝。

午後からは山間部に入る。撮影地の充実している小滝を選んだ。山道は雪が相当に深く、ラッセルで進む。水力発電所が特徴的な小滝の谷。川の上流にはヒスイの産地があるという。俯瞰撮影地までは幸いにも先人の道が開かれていたため、そこを踏襲。だんだんと天候が崩れてきたモノトーンの雪の谷を、ゆっくりと115号が歩く。白い世界に咲いた一輪の花のよう。

夕刻も近くなると雨混じりの雪がしたたか降ってきたので、根知まで歩く予定を変更して列車移動。根知では交換するダイヤだが、糸魚川で接続を取ったためなのかどうやら対向列車は遅れている模様。図らずして国鉄色同士が華やかに対面する。1日4回、毎日当たり前のように行われてきたこの交換の光景もまもなく見納めである。1時間後にも交換があるため、夕方まで粘って今度は踏切から撮影。寒色の世界にもたらされる、束の間の彩り。列車が行ってしまうと、辺りにはスプリンクラーの音が単調に響くのみである。

昭和40年製のキハ52 115を見送り、いよいよ大糸線を去る時が来た。高山本線のキハ58充当列車の発車に間に合うべく、糸魚川まではバスを利用する。この路線は昨夏にも乗ったことがあって、ここにバス停があると分かっていたから良いものの、停留所の標識が雪に埋まっていた。乗客は私のみ。途中で1人乗って来たが、すぐに降りて行ってしまった。地方の路線バスは苦境にあると聞く。470円という運賃も致し方ないのかもしれない。糸魚川からは自由席特急券を買ってはくたかに黒部まで乗車。普通列車に乗り換え、富山に早めの到着である。さて、いよいよ888Dで国鉄色キハ58と対面かと思いきや・・・

高山本線キハ58

あれっ!? 高岡色なんだけどwww ( ´・ω・`)

今週は国鉄色と聞いていたので期待に胸を膨らませていたものの、どうやら差し替わってしまった模様。萎えたので越中八尾を往復する予定は取り消し、早々にチェックイン。バスと特急を駆使して富山まで急行した意味がなかったという話。まぁこういうこともあるか( ´・ω・`)

何かのサービスでハリー・ポッターが無料で観られるとのことだったので、観てしまった晩。北陸撮影行の1日目はこれにて終了。

写真
1枚目:雪原の駅に停車(@頸城大野)
2枚目:雪の谷を進む(@根知~小滝)
3枚目:華やかなる交換風景(@根知)

2824文字
スキー旅行 2日目
今日は晴天。昨日は全く見えなかった遠景の山々を見渡しながら、ゲレンデにシュプールを描く爽快な一日。なかなか良いものです。そして夕刻のバスで赤倉を去り、帰京。何とも充実した週末でありました。いやまぁ改めて思うに、雪とは想像以上に厳しい環境です。中旬の北陸撮影行に際しては、何らかの然るべき準備が必要でしょう。そして、明日からは怒濤の如き代々木通いの日々です( ´・ω・`)

写真:氷柱
冬の風物詩。

239文字
スキー旅行 1日目
弓道部のスキー旅行に参加してきました。夜行バス+温泉旅館1泊という行程。信越国境近くの赤倉温泉へ。深い雪に閉ざされた妙高山麓の町。夜行バスは実は初めてでしたが、同じ夜行でもやはり列車の方が格段に快適な感。しかしながら、時間を効率的に使った安価な移動には欠かせないというわけです。スキーは小学校のスキー教室以来実に7年ぶりでしたが、意外と滑れるww

ただまぁ今日はなかなかの吹雪で景色も悪く、凍傷になりそうな一日でした。あとは温泉に浸かり、団欒の宵。

写真:赤倉温泉街
適度に寂れた感じが良い。雪の夜。

295文字
北陸旅行 2日目
北陸旅行 2日目
北陸旅行 2日目
目覚めると、富山の街には未明の冷雨が降っている。

12/28
富山551 → 西富山556
高山本線840D キハ120-348

841D撮影

西富山630 → 千里642
高山本線842D キハ120-350

844D・849D撮影

千里827 → 婦中鵜坂839
高山本線851D キハ120-348

852D・1090レ撮影

婦中鵜坂955 → 速星958
高山本線854D キハ120-348

速星1009 → 富山1026
高山本線857D キハ58 1114

富山1053 → 高岡1105
北陸本線1052M 特急北越2号 クハ481-3034

高岡1201 → 城端1249
城端線333D キハ40 2092

城端1257 → 高岡1343
城端線336D キハ40 2092

高岡1354(+26) → 金沢1419(+25)
北陸本線1054M 特急北越4号 クハ481-3034

21世紀美術館・兼六園・金沢城址・主計町

金沢1706 → 七尾1832
北陸本線・七尾線853M モハ414 805

七尾1835 → 和倉温泉1841
七尾線145D NT212

和倉温泉総湯・七尾まではタクシー

七尾2012 → 金沢2138
七尾線・北陸本線866M クハ415 807

12/28 → 12/29
金沢2218 → 上野619
北陸本線・信越本線・上越線・高崎線・東北本線3002レ・3012レ 特急北陸
スハネ14 758

高山本線キハ58
平日朝限定で運用につくキハ58を追いかけに来た。往年の急行形気動車、最後の活躍の場である。未だ夜の明けぬ西富山にやって来たのはワインレッドの高岡色ペアであった。国鉄色ペアを期待していたためいささか残念ではあったが、もはや色にこだわっていられないほどこの車両は激減してしまった。

空は徐々に明るくなり、先日の大雪の大部分が残る平地の姿が顕わになってゆく。やはり昨日と同じ、陰鬱な曇天の見下ろす青白い朝である。千里で下車し、少しばかり速星方面に歩いたところから上下列車を撮影する。朝は2.5往復しか走らないため1本の列車を大切に撮らねばならない。南側に聳える雪山が画面に華を添えるが、宅地化が進んでいるため狭くしか切り取れないのが残念である。

その後は西富山~婦中鵜坂の井田川を渡ったところで撮影。852Dの10分後にはDE10牽引の速星行貨物列車もやって来る。幸運なことに、こちらは国鉄色の牽引であった。雨風が激しく、冷気は容赦なく体の芯まで蝕んでゆく。これほど過酷な撮影になるとは思っていなかった。

最後に速星へ出て、そこから富山までキハ58に揺られてみることにする。キハ120とは違った、重厚な走りを見せる。富山まではたったの16分。朝の運用はこれで終了。通勤通学客を運び、やがて列車は回送されてゆく。かつては急行形として各地を駆け巡っていたこの車両、波動輸送に駆り出されるその哀れな末路を見たような気もした。

城端線
城端線を乗りつぶす。キハ40の単行であるが、車内はかなり混んでいる。高岡を出た列車はひたすら砺波平野を南下してゆく。それぞれの家が屋敷森に囲まれた散居村はこの地方独特の景観か。列車の進行方向正面には雪を冠った山々が迫る。城端からは白川郷行のバスも出ているようである。またの機会に訪れてみたい。のどかな盲腸線の旅であった。

金沢
21世紀美術館は円の造形美。兼六園は5年前の夏に訪れたことがあるが、あの時は列車に間に合わないとか何とかで慌ただしく園内を回った。冬ということでなかなか寂しい佇まいを見せているが、梅や桜の咲く頃になると大勢の人が詰めかけるのだろう。スローシャッターで水流を流したり、水鏡を写してみたり、奔放な撮影を愉しむ。さすがは50D、静物写真に強い。金沢城址は修復中の箇所が目立ったが、夕景に映える城郭が美しい。黄昏の主計町は、うら寂しい雰囲気である。雪の積もる頃はいっそう魅力的になろう。

和倉温泉
七尾線の乗りつぶしも兼ねて、和倉温泉の総湯に浸かる。典型的な硫黄臭ではなく、塩味の湯である。海に近い温泉はそうなるとか言っている入浴客が居たが、たしかに納得できる。町は静かな闇に包まれている。七尾までは乗り継ぎの列車がないので、やむを得ずタクシーで戻った。

復路
金沢では能登と北陸が顔を並べる。永らく続いてきた北陸夜行にもいよいよ終止符が打たれようとしている。国鉄型同士の華麗なる競演を、しっかりと撮像素子と網膜に焼き付ける。復路はソロ個室である。金沢を発車した列車は軽快に北陸本線を東進してゆく。金沢で買った鰤の押し寿司が美味である。高岡、富山、魚津。列車は町々を結ぶ。最後尾から暗黒の車窓に見入ると、鈍く光る複線の鉄路が長く伸びている。やがて列車はトンネルへ。今は富山・新潟の県境あたりだろうか。ちょうど0時を迎える頃、列車は海岸近くの小駅を猛然と通過。すぐ傍には北陸自動車道のナトリウムランプが点々と橙色のしみを描いているから、おそらくは親不知駅だろう。糸魚川0時08分着、09分発。大糸線のホームにはキハ52の125号と156号が眠っている。出来れば冬にもう一度訪れたい。個室に戻り、部屋の灯りを消す。そろそろ頸城トンネルに入った頃だろうか。0時24分、筒石駅通過。全長11kmを超える長大トンネル内に突如として現れる不気味な小駅。トンネルに入ると、規則的に過ぎ去ってゆく電灯が稲妻のようにビカビカと個室内に射し込んでくる。ようやくトンネルを抜けたところで、名立駅を通過。0時27分。しばらくすると波の押し寄せる深夜の日本海が車窓に浮かんでくる。外はさぞ寒いことだろう。乗客の眠りを運びながら、列車は海岸べりを快調に飛ばしてゆく。0時38分、ほどなくして直江津に到着である。その後、眠りに落ちた。

上野到着は定刻の6時19分。まだ夜は明けていない。行き止まりの14番線に到着した列車の周りに大勢の人が群がっている。20分あまり停車した後、EF64の推進で尾久へと回送されていった。旅も終幕である。

参考:12月28日発3002レ・3012レ 北陸の編成
(←上野・金沢)機関車EF64 1053・1号車スハネフ14 20・2号車スハネ14 701・3号車オロネ14 701・4号車スハネ14 758・5号車スハネフ14 28・6号車スハネ14 756・7号車オハネ14 63・8号車スハネフ14 30・機関車EF81 140(長岡→)

写真
1枚目:雪山を背に富山を目指すキハ58(@千里~速星)
2枚目:翠滝(@兼六園)
3枚目:顔を並べる北陸夜行(@金沢)

3480文字
北陸旅行 1日目
北陸旅行 1日目
北陸旅行 1日目
冬の北陸へ旅立とう。

12/26 → 12/27
上野2303 → 高岡551
東北本線・高崎線・上越線・信越本線・北陸本線3011レ・3001レ
特急北陸 スハネフ14 31

12/27
高岡600 → 雨晴619
氷見線523D キハ40 2090

雨晴海岸

雨晴855 → 氷見903
氷見線531D キハ40 2078

氷見漁港

氷見1050 → 高岡1118
氷見線532D キハ40 2136

高岡1120 → 芦原温泉1223
北陸本線8M 特急しらさぎ8号 クハ682-2707

JR芦原温泉駅1240 → 東尋坊1320
京福バス 金津・東尋坊線

東尋坊

東尋坊1750(+3) → JR芦原温泉駅1829
京福バス 金津・東尋坊線

芦原温泉1830 → 加賀温泉1846
北陸本線379M クハ455 57

加賀温泉1935 → 金沢2004
北陸本線4037M 特急雷鳥37号 モハ485 1026

金沢2019 → 富山2056
北陸本線4039M 特急サンダーバード39号 クモハ683-1504

富山泊

往路
金沢行特急北陸は静かに上野駅13番線を後にする。都会の喧騒や灯りを車窓の彼方に追いやりながら、列車は高崎線を北上。減光された開放B寝台車の雰囲気を堪能する。煌々と照明のともるデッキにはジョイント音がこだまするのみで、機関車の連結部分には北陸のテールマークがぼうっと反射する。踏切の赤い灯が時おり後ろを流れ去ってゆく。やがて列車は上越線に入り、水上に運転停車。残雪が多くの灯りに青白く照らし出されている。上越国境のトンネルに差し掛かった頃、眠りに落ちる。規則正しい轍の音と振動は子守唄のよう。目が覚めてみれば、いつの間にか進行方向は逆転し、富山に到着しようかというところである。雪こそ少ないが、まだ闇に包まれた未明の車窓は寒々しい。一夜経て、冬の北陸。高岡で下車した。

雨晴海岸
始発の氷見線に乗り、雨晴で降りる。松の立ち並ぶ海岸まで出ると、夜明け前の富山湾に面する。海は荒れ、波は防波堤で砕ける。見上げれば、陰鬱な曇天。日の出の時刻以降は徐々に辺りが明るくなってゆく。やがて迎えるは、蒼白なる朝である。氷見線を数本撮影し、駅へ戻った。

氷見漁港
朝10時ともなると、漁港は既に後片付けの様相を呈している。それでもなお、早朝の慌ただしい時間帯を彷彿させる風景である。海鳥の多く飛び交う中、今朝水揚げされた魚を運ぶトラックが続々と港を発ってゆく。魚市場に隣接した食堂に入り、鰤大根と鰤刺身を食する。至極贅沢な朝食、格別の味わいであった。

東尋坊
午後は東尋坊へ向かう。往復だけで十分元が取れる北陸フリー切符であるが、特急も乗り回せるのは素晴らしい。芦原温泉からバスでしばらく行けば、三国の町、東尋坊に到着する。日曜日ということもあってか、観光客が多い。商店街を抜けて岩場へ赴けば、はるか眼下で白波の砕ける断崖絶壁である。ここで年間数十人が自ら死ぬという。波は荒く、岩肌を乱暴に洗う。遠くを望めば、雲間から漏れた陽の光が海面を射る。日本海の潮風に吹き晒され、身も心も寒くなる思いである。

当初はこの後福井まで出る予定であったが、予想外に天候が好転したので日没まで粘ってみることにした。傾いた陽光はだんだんと橙色になり、断崖は漆黒のシルエットをなす。相変わらず大波は岩に砕け、墨汁の如き波しぶきは華麗に夕空へと舞い散ってゆく。水平線に近づいた太陽はいよいよその輪郭をはっきりとさせ、低い斜光線は海面を艶やかに舐める。力を失いゆく落陽は、最後は雲の中へと沈んでしまった。後は寒々しいコントラストが空に残るのみで、やがてすみやかに夜の帳が辺りを包みこんでゆく。いつの間にか太った上弦の月が浮かんでいた。

日の暮れた商店街へ戻ってみると殆どが店仕舞いである。昼間の活気は何処へ行ったか、まるで掌を返されたかのような変貌ぶり。耳を澄ませばごうごうと波の音が遠くで鳴り、恐ろしき断崖の夜の到来を告げているかのようである。しばしの休憩の後、最終便のバスで東尋坊を去った。

特急雷鳥
今宵の宿は富山である。折角の機会なので、加賀温泉から金沢まで雷鳥に乗車する。気がついてみれば数往復がサンダーバードに置き換えられてしまっていた雷鳥、この先そう長くはなかろう。国鉄型車両に揺られる、いささかの安心感。

富山の夜は静かであった。市電の行き交う、北陸の地方都市である。

参考:12月26日発3011レ・3001レ 北陸の編成
(←上野・金沢)機関車EF81 150・1号車スハネフ14 31・2号車スハネ14 703・3号車オロネ14 703・4号車スハネ14 752・5号車スハネフ14 32・6号車スハネ14 759・7号車オハネ14 82・8号車スハネフ14 29・機関車EF64 1052(長岡→)

写真
1枚目:特急北陸は夜の鉄路を駆ける(@水上)
2枚目:早朝の氷見線(@越中国分~雨晴)
3枚目:日没(@東尋坊)

2689文字

錦秋の鳩原

2009年11月24日 鉄道と旅行
錦秋の鳩原
錦秋の鳩原
錦秋の鳩原
三田祭休みもいよいよ終盤、晩秋の撮影行に赴くとしよう。敦賀~新疋田の鳩原ループ線を再訪する。

11/23
信濃町1708 → 新宿1714
中央緩行線1639B クハE230-32

新宿1723 → 高崎1907
湘南新宿ライン(山手線・東北本線・高崎線)3670E 特別快速
サロE231-1081

高崎1928 → 水上2030
上越線749M 普通 モハ114 1041

水上2036 → 長岡2259
上越線・信越本線1753M 普通 モハ114 1111

11/23 → 11/24
長岡2353 → 敦賀443
信越本線・北陸本線502M 急行きたぐに クハネ583 27

11/24
敦賀1423 → 近江塩津1439
北陸本線3181M 新快速 クモハ223-3025

近江塩津1505 → 米原1542
北陸本線3487M 新快速 クモハ223-2100

米原1554 → 新横浜1751
東海道新幹線522A ひかり522号 326-56

新横浜1757 → 長津田1811
横浜線1709K 普通 モハ204 199

長津田1817 → たまプラーザ1830
東急田園都市線 各停 8917

往路
特急日本海よりも先に敦賀に到着するためには、急行きたぐにでのアプローチしかない。必然的に長岡回りでの北陸入りとなる。長岡までは上越新幹線に乗っても良かったのだが、別段急いでいるわけでもないし、特急料金もかさむことだから、17時過ぎの黄昏の信濃町から普通列車を乗り継いで行くことにした。湘南新宿ラインは高崎までのグリーン券を用意してみたものの、混雑のため大宮まで着席できず。高崎から先は上越線に入り、115系を堪能しながら最終の接続で23時前に長岡に到着。トンネル駅湯檜曽・土合がやはり印象的であった。ひんやりとした秋の夜である。

新潟始発のきたぐには定刻に到着。折角なので今回はB寝台の上段を取っておいた。これで3段寝台の上・中・下を全て制覇したことになる。上段寝台は中段と同じく、上半身をまともに起こすことの出来ない異常な狭さの空間である。加えて、屋根が湾曲しているので中段よりもさらに狭い。荷物を抱えて梯子を登り、寝台に身を滑り込ませるだけでも一苦労。こういった時代遅れの設備が未だに残っていることはもはや奇跡ともいえよう。ただ、横になってみれば意外と快適で、屋根の湾曲には圧迫感というよりもむしろ安心感を覚える。長岡から敦賀までの区間利用のように、乗ったら寝るだけといったような行程ならばこれでも十分である。4時間ほどの睡眠。

鳩原ループ線
未明の敦賀で下車し、夏にも訪れたループ線の俯瞰へと向かう。国道8号線を延々と南下。ふと空を見上げれば、漆黒の空に満天の星。市街地を抜けると星空はいっそう輝きを増し、星の海に浮かんでいるような錯覚を抱く。清冽な空気が鼻腔を貫き、寒さは末梢から身を蝕む。1時間ほど歩いたところで、山に入る。東の空を見ると、かすかに明るくなっている。懐中電灯と熊鈴を装備して登山。ほどなくしてNo.420に到着である。やがて山影から朝日が昇る。遠景にはコバルトブルーの敦賀湾。雑然とした敦賀市街も朝日に映える。そして、落葉樹と常緑樹が乱立して錦のような模様を織りなす山々の姿が、徐々に顕わになってゆく。北陸本線の上り線は山肌に沿うようなカーブを描きながら、景色の中央を大胆に横切る。特急街道に用意された至高の舞台である。

特急雷鳥、特急日本海、サンダーバード、しらさぎなどが次々と通過。日本海のEF81がローズピンクで何よりである。雷鳥の練習台というイメージしかなかった681・683系も、この景色の中では白い編成が鮮明に映えて美しい。後追いの構図では、山肌の思いがけないところに銀杏の木が混ざっていてそこだけが黄色くなっている。遠くに見えるこぶのような山を抜けた先は、新疋田であろう。近越の隘路である。運良くラッセル車の回送も撮影し、下山。雷鳥が2本ほど来なかったのでどうしたのかと思ったら、10月改正で数本の雷鳥がサンダーバードに置き換えられてしまったらしい。国鉄色雷鳥もいよいよ最終章ということか。

帰途
下りの雷鳥を適当な構図で撮影しつつ、敦賀へ引き返す。時間があったので道口のインカーブを訪れてみる。貫通扉が特徴的なA02編成。集落を歩いているだけで晩秋の空気に包まれる、閑寂な正午過ぎ。枯れ始めた紅葉も見受けられる。その後、駅前の定食屋で昼食をとり、どういうわけか敦賀名物の「かたパン」を買い、帰途につく。米原までの北陸本線も、米原からの新幹線も、ほとんど全行程で寝てしまった。新横浜に着いた頃にはとうに日没。「東京都区内 → 横浜市内」の乗車券を生かして、長津田経由の家路につく。

束の間の非日常。

写真(@敦賀~新疋田)
1枚目:特急サンダーバード
2枚目:特急日本海
3枚目:特急雷鳥

2554文字
晩夏の乗車行 3日目
晩夏の乗車行 3日目
晩夏の乗車行 3日目
サンライズ出雲のノビノビ座席はそれなりに快適な一夜。毛布以外に枕もついてくるならば言うことなしです。岡山〜富士といったような区間利用には最適な設備。

富士522 → 井出609
身延線3621M 普通 クハ312-2324

井出835 → 甲府1021
身延線3625G 普通 クハ312-3001

甲府1026 → 小淵沢1105
中央本線531M 普通 クハ115 1102

小淵沢1120 → 小諸1329
小海線227D 普通 キハ110-121

小諸1340 → 軽井沢1404
しなの鉄道768M 普通 クハ115 1002

軽井沢1411 → 横川1445
JRバス

横川1458 → 高崎1529
信越本線148M 普通 クハ115 1105

高崎1555 → 高麗川1722
高崎線・八高線240D 普通 キハ111-206

高麗川1735 → 拝島1809
八高線1776E 普通 クハ205-3003

拝島1813 → 立川1824
青梅線1702デ 普通 クハE233-523

立川1833 → 武蔵溝ノ口1908
南武線1800F 普通 モハ205 234

溝の口1922 → たまプラーザ1927
東急田園都市線 急行 6205

朝の撮影
早朝の富士駅は朝焼けが美しく、赤い光を透かした煙突の煙が情緒的。一方、青味を帯びた西の空にはまだ満月が浮かんでいました。富士からは始発の身延線に乗車。途中駅で下車して、朝の列車数本を撮影。富士川に沿って走る実に風光明媚な路線です。色々な意味で、良い思い出になったのではないでしょうか(ww)。

小海線
さすがに日曜日ともなると車内は異常な混雑。小淵沢を出ると何度もヘアピンカーブを描きながらぐいぐいと山を登って行きます。キハ110のエンジン音はなかなか軽快。清里〜野辺山間でJR鉄道最高地点を通過するなど、前方にかぶりついているとなかなか面白い区間です。ここで大部分の客が降り、ようやく座れました。駅弁を食す。その後はあまり記憶なし。食後というのもありますが、夜行明けというのはどこかで寝てしまうものです。

横軽
信越本線が廃線になったこの区間はバスで移動。急勾配の山道を落差500m以上も下っていくという道のり。横川駅のそばには賑わいを見せる鉄道文化むらがありましたが、残念ながら今回は立ち寄れず。時間のあるときにまた訪れたいところです。

帰路
高崎までは湘南色の115系を堪能。高崎線で帰るのはあまりに味気なく、心が寒くなるので、気動車にすがる思いで八高線を選択。沿線風景は西日本とは全く異なり、整備された区画がもっとも際立っているように感じました。若干の眠りに落ちた後、高麗川からは電車に乗り換え、拝島からは青梅線で立川まで短絡。ここでにゃべす。氏と別れます。今回は本当にお疲れさまでした( ´∀`) あとは南武線+田園都市線。高崎から先は一気に日常に引き戻された感がありました。またとない非日常を満喫した後には必ずや日常が控えているものですが、明日からはEEPも始まることなので、頑張るとしましょう。

・・・ということで、旅行記はおしまいです。今回は新しい形式にしてみましたが、どうも「ただの手抜き」にしか見えなくて残念。実際、書いておくべき細かい描写や心情はもっとあるはずなのに、どうも結構な部分が欠落している感が否めなくなってしまいました。そもそも文章化する時点で一定の「加工」が行われるという事実は措いておくにしても、もっとも重要な「生の実感」だけを簡潔に凝縮させるにはどうすれば良いものか、難しいところです。ある程度のメモというのは必要不可欠になるでしょうが、別に旅行記を書くために旅行に行っているわけではないので、メモに力を入れ過ぎるのは本末転倒。結局は、記憶が頼りなのです。頭にしまわれたその記憶の再現性をいかに高めるか、難しさはそこにある。しかしながら、旅行というのは、その記憶の糸を精密に紡ぎ出す作業、それ自体が面白くもあるわけで、そういうのも含めて旅行と呼ぶのでしょう。だから旅行記があるわけですね。

今回は奔放に、気楽に、乗車行を楽しんでみました。まぁ、経験を積めばその蓄積からまた新たなものが生まれてくるかもしれません・・・そういう淡い期待も持っておくとしましょう。

写真
1枚目:製紙工場の町(@富士)。
2枚目:特急ワイドビューふじかわ(@井出〜十島)。
3枚目:夕刻の高崎行(@横川)。

2482文字
晩夏の乗車行 2日目
晩夏の乗車行 2日目
晩夏の乗車行 2日目
鳥取の東横インで一泊し、乗車行は2日目を迎えたわけです。

鳥取528 → 東浜556
山陰本線520D 普通 キハ33 1002

東浜650 → 鳥取721
山陰本線521D 普通 キハ47 41

鳥取725 → 米子1022
山陰本線229D 普通 キハ47 1019(1037)

米子1025 → 宍道1125(+8)
山陰本線133D 普通 キハ47 1053

宍道1127(+6) → 備後落合1402
木次線1447D 普通 キハ120-5

備後落合1436 → 三次1558
芸備線361D 普通 キハ120-324

三次1602 → 広島1728
芸備線5875D 快速みよしライナー キハ47 103

広島1731 → 呉1813
山陽本線・呉線1956M 普通 モハ115 2021

呉1839 → 三原2009
呉線5958M 快速通勤ライナー クハ103 828

三原2039 → 岡山2216
山陽本線482M 普通 クハ115 3110

岡山2233 → 富士509
山陽本線・東海道本線5032M 特急サンライズ出雲 モハネ285-202

朝の撮影
朝は5時に起床し、浜坂行の始発列車に乗車、鳥取県最東端の東浜へ。折角の機会なので早朝のはまかぜ2号大阪行を撮影。いかにも山陰らしい日本海沿岸の集落と一緒に俯瞰する構図です。雲が晴れず日の差さなかったのが若干残念ではありますが、やや鬱々たるこの雰囲気、嫌いではないです。

山陰本線
日が差す局面もありましたが、曇天の空の下、ひたすら西進。時に通学列車、時に地域輸送、時に都市間輸送、かくも色々の表情を見せるグランドローカル線、これぞ山陰本線。

木次線
今日のハイライト。備後落合までは一日三本しかない路線だけに、期待も高まるところです。木次までは普通のローカル線といった感じ。しかしながら、沿線の表情は沿岸の山陰本線のそれとはやはり異なる。線路規格がかなり低いのか、毎時20km程度の低速で進むところも数多くあり、まるでバスのよう。出雲横田から先はいよいよ国境越え。ここは出雲坂根~三井野原間の三段スイッチバックと、車窓に映る国道314号線の奥出雲おろちループが最大の見どころ。ちなみにこの壮大な道路橋とループ線は島根県出身の故・竹下登大臣が造ったものだそうですww スイッチバックはやはり良いですね。その後も低速走行を続け、ようやく列車は終点の備後落合に到着。職員のいない山間の小駅。既に2番線には三次から来た普通列車が停車しており、やがて新見方面からも列車が到着。3両の単行キハ120が白昼の落合で一堂に会することとなりました。土曜日ということもあってか、ホームには我々同様に乗り潰しをしていると思われる観光客があふれるひと時。

芸備線
三次まではほとんど寝ていたので記憶なしww 三次から広島までは快速。キハ58急行みよしが今でも生きていたら、あるいはもう少し早くに訪れる機会があれば、と悔やまれる路線。キハ47は夕陽を浴びながら快調に飛ばしていきます。沿線の表情はやはり微妙に変わり、地域に寄り添った形で広島までの道のりをひた走るといった感。まぁ津山線にしろ因美線にしろ山陰本線にしろ木次線にしろ、西日本には古い木造の日本家屋といったものが数多く残っているのが魅力的です。

落陽
予定を変更して呉線に飛び乗り、呉に着くまでのどこかで広島湾に沈む夕陽を撮ろうということに。車窓を見ながら色々思案するも、なかなか定まらず。そうしているうちに、太陽が対岸の江田島に隠れてしまいました。地図を検索して調べてはいたものの、島影は想定外。途中の天応で降りるのがベストでした。しかしながら、呉到着後も諦めずに百貨店を抜けて港の方に歩き続けると、途中の渡り廊下から赤く染まった落陽をかすかに望むことができたのでした。報われた喜びに浸りながら、刻一刻と身を沈める太陽を撮影。かつての大軍港ということで手前に置かれた潜水艦が印象的でした。

月光
今宵は満月。呉線から見る、月明かりに照らし出された海面。サンライズ出雲から見る、月光に煌く民家の屋根屋根。そういえば1年ほど前にはやぶさに惜別乗車したときも満月の夜でした。当時が思い出されると共に、あれからもう12回目の満月が巡って来たのかと、凛冽な光の中で感慨に耽っていたのでした。

写真
1枚目:早朝のはまかぜ(@東浜~居組)。
2枚目:昼下がりの駅にキハ120三兄弟が集合(@備後落合)。
3枚目:月下の瀬戸内海(@安芸幸崎~須波)。

2546文字
晩夏の乗車行 1日目
晩夏の乗車行 1日目
晩夏の乗車行 1日目
にゃべす。氏と共に西へ行ってきました。今回は青春18きっぷを使った、乗り潰しがメインの乗車行。数々の未踏区間を走破する喜び、国鉄型気動車に揺られて車窓を眺める愉しみ、地域ごとに細やかに表情を変えてゆく沿線の風景、旅行の情景を美しく彩ってくれる天体の輝き、そういったものの魅力を再認識する、実に意義深い乗車行になったのではないかと思っています。

日記の形式は、色々考えたのですが、逐次的な叙述抒情からはいったん離れて、とりあえず最初に1日の行程をまとめることにします。そのうえで、今回の道中は車番以外は別段メモも取っていなかったので、記憶の糸を紡ぎ出しながら思ったことをぱらぱらと書き散らしていくという方針で進めようかと思います。

新百合ヶ丘2245 → 小田原2350
小田急小田原線1125デ 急行 3501

小田原031 → 大垣555
東海道本線9301M 快速ムーンライトながら クハ183 1023

大垣600 → 米原633
東海道本線203F 普通 クハ222-2076

米原650 → 敦賀737
北陸本線131M 普通 クモハ521-3

敦賀744 → 東舞鶴934
小浜線926M 普通 クモハ125-18

東舞鶴947 → 福知山1033
舞鶴線・山陰本線332M 普通 クモハ113 5305

福知山1121 → 和田山1201
山陰本線429M 普通 クモハ223-5503

和田山1203 → 寺前1255
播但線1232D 普通 キハ41 2005

寺前1259 → 姫路1342
播但線5638M 普通 クモハ102 3507

姫路1406 → 播州赤穂1438
山陽本線・赤穂線3453M 新快速 クモハ223-2042

播州赤穂1439 → 岡山1603
赤穂線・山陽本線1921M 普通 クハ115 305

岡山1628 → 津山1759
津山線956D 普通 キハ47 142

津山1807 → 智頭1935(+18)
姫新線・因美線688D 普通 キハ120-330

智頭1954 → 鳥取2038
因美線660D 普通 キハ47 14

播但線
陽だまりの谷をゆくキハ40がなかなか乙でした。回転数が上がりながらも速度の出ない様子や、鉄路をズシズシと傷めつけながら進むようなジョイント音もまた一興といったところ。

赤穂線
既乗区間とはいえ、当時の記憶はなし。単なる山陽本線の迂回路という認識しかなかったものの、瀬戸内海沿岸の町々をなぞっていく様が味を醸し出していた感があります。とくに、工業地帯の様子や、日生での港の風景が印象的でありました。昼下がりのわずかな睡眠がまた何とも心地よい。

津山線
一度乗ったことはあるものの、赤穂線と同じくやはり当時の記憶はなし。今回改めて丁寧に車窓を眺めてみると、旭川に沿いつつ岡山県の内陸へ北上するこの線の特色が見て取れた感があります。崖に寄り添いながら渓谷を遡ったかと思えば、原風景的な水田と木造住宅が車窓に現れたりして、変化に富むと共に、実に味わい深くもある路線でした。

因美線
夕陽を背にして小都市津山を去るのはどこか侘しい感じ。多くの学生を乗せて、夜の帳が下りてゆく中、だんだんと山間部へと分け入って鳥取に至る因美線。そして線路を走るシカww 対向列車が遅れているということで、途中の美作加茂で予想外の長停に出くわしたのも良い思い出。寒々しい空の下にエンジン音を響かせてぽつんと佇む小さなキハ120も、この路線にちょうど良い姿です。智頭から鳥取までは未更新のキハ47に揺られ、ついに日本海側へ。

鳥取
金曜の夜だというのに駅前は異様に静かで、少し離れたささやかな繁華街にようやく居酒屋が出てくるといったふうな鳥取の夜。山陰本線のコンクリートの高架もどこか冷たい雰囲気です。夕食後、鳥取ではまかぜ5号の到着を出迎えて今日は終幕。

写真
1枚目:183系特急の並び(@福知山)。
2枚目:黄昏の小駅で長停する因美線普通列車(@美作加茂)。
3枚目:夜遅くに到着する最終はまかぜ(@鳥取)。

2465文字
只見線の旅
只見線の旅
只見線の旅
さて、帰途につこう。

秋田1024 → 新庄1304
奥羽本線2438M 普通 クモハ701-32
奥羽本線で内陸に分け入り、新庄まで出る。秋田新幹線の通る大曲までは複々線ならぬ単々線で、標準軌と狭軌の線路が並走する。車窓は悪く言えば単調で、ひたすら水田と針葉樹の森が青々と陽光に輝くのみ。駅弁を食べた後は少しうとうとして、気がつけば横手に到着。道のりは長いが、701系は快調に飛ばす。秋田~新庄は150.1kmだが、それを1時間40分でゆくのだから、表定速度は毎時90kmということになる。メモを列挙していくと、「美人を育てる秋田米」と書かれたトラックが国道を並走したり、県境を越えた後に及位で検測車East-iEと交換したり、突如眠くなったり、といった感じの車中であった。

新庄1317 → 郡山1532
山形新幹線・東北新幹線118M・118B つばさ118号 E326-1001

新庄からは新幹線である。夕方の只見線への第一歩として、まずは郡山まで南下。暗色を基調とした内装が個人的に好みである。座席もなかなか快適。つばさ118号は奥羽本線内はこまめに停車し、福島へ向かう。しかしながら、ほとんど寝ていたため何も覚えていない。危うく郡山で降り損ねるところであった。夜行列車明けの一日というのは意外にも眠くなるものである。数日前のように一日中撮影を行っているとその疲労の方が大きく感じられるかもしれないが、動いている分、寝る余裕もない。一方、移動が中心だと列車の振動やほどよい暖かさも相まっていっそう眠くなるということだろう。

郡山1545 → 会津若松1650
磐越西線1213M 快速あいづライナー3号 モハ484 1032
この間の東医体遠征で訪れたばかりの郡山、磐越西線。やはりあいづライナーである。秋田から会津若松までの行程は只見線に乗るための単なる移動に過ぎないから、特に意識も高まらないのかやはり眠りに落ちてしまう。道程半ばくらいまで寝ていた。猪苗代を過ぎると線路は蛇行を繰り返し、山間部を抜ける。夕日の田園風景が郷愁的であった。

会津若松1701 → 小出2110
只見線429D 普通 キハ40 581
夕暮れも近くなってようやく今日のメイン、只見線である。只見線といえば、中2の鉄研旅行を思い出す。小千谷のユースホステルから小出駅までタクシーに乗り合い、早朝の始発列車で会津若松まで出たのだった。広大な只見川に寄り添いながら秘境を進む列車の印象は今でも鮮明。今回は、そんな只見線を再訪し、キハ40に揺られながら夜のローカル線の風情を味わいたく思ったのである。

乗客は多め。時間帯も相まって、とくに学生が多い。会津若松を発った列車は住宅地に寄り添いながらゆっくりと会津盆地を南下し始める。西若松で上り列車と交換。今日の昼13時17分に小出を発った列車らしい。4時間あまりの道のりを経てもう間もなく会津若松に到着するわけである。一方、こちらはまだまだ先は長い。会津坂下まではひたすらのどかな田園風景が続く。「会津」と冠される駅が非常に多い只見線だが、途中に根岸という駅があった。根岸線の根岸駅と同名なのになぜ会津根岸駅とならないのか不思議であったが、調べてみると根岸線の方が遅れて開業したそうである。会津盆地では線路が大きなヘアピンカーブを描いて大迂回するので、夕日の当たり方は次第に逆になってゆく。斜光線はいよいよ強まり、進行方向右手の水田には列車の長い影が映るようになった。これもまた面白い。遠くには農道を駆けてゆく学生の集団も見える。各駅ごとに乗客は漸減してゆき、会津坂下ではほとんどが降りて車内は一気に閑散となった。

会津坂下から先は次第に山に分け入り、勾配線区となる。塔寺を過ぎると初めてのトンネルが現れる。木造の会津柳津駅にはC11 244が静態保存されていた。こうして各地に眠る蒸気機関車は今、果たしてどのような思いでいるのだろうか。黄昏の空がどこか寂しげである。会津若松を出発した時から窓は半分開け放していたのだが、顔を撫でる風はいよいよ冷えてきた。まもなく日没である。滝谷~会津桧原間には大渓谷、会津桧原~会津西方~会津宮下間には大橋梁がそれぞれ列車を出迎える。会津宮下でタブレットの授受があった後、やがて東の空から寒色の闇に包まれ始める頃、鏡面のように穏やかで広大な只見川の流れを渡る。薄茜色の空と、黒く浮き上がった山稜が見事な水鏡をなした。その後も列車は只見側に沿いながら山奥へと進んでいく。会津川口に着くころには日はすっかり暮れていた。ここで上り列車と交換。まだ19時を少し回ったばかりだが、時刻表の上では両列車とも既にこの駅の最終列車ということになる。そして、タブレットの授受。

会津川口からはわずかばかり学生が乗車したが、彼らはみな只見到着までに下車していった。本数が本数なので、毎日帰宅する列車は決まっているのだろう。車窓は漆黒。別段することもなくなったので、また本を開く。40分ほどで、只見に到着である。ここでは6分間の停車。外の空気を吸いにホームに出る。ふと空を見上げれば、上弦の月が浮かんでいた。一昨昨日の敦賀で見たときはまだ三日月であったから、この撮影行の間に少し太ったことになる。天体の変化も、よくよく気にすれば結構面白い。

只見を過ぎれば険しい山越え区間に入る。やがて田子倉トンネルを出るとシェルター駅の田子倉に停車。雪に閉ざされる冬季は全列車が通過するこの臨時駅で日常的に乗り降りする乗客はいるまい。発車後はすぐに全長6kmあまりの六十里越トンネルに飛び込む。この辺りは並走国道も半年間は通行止になるほどの秘境。こうした事情から、只見地区から新潟へ抜ける唯一の手段となる只見線は廃線を免れ現在まで生き残っているらしい。ただ、経営面では完全な赤字だろう。やがて大白川に着く。対向列車の到着を待ってから発車。その後は平坦な地形を小出に向かって走るのみである。西の空には月が妖しい橙色になって光っていた。

小出には定刻に到着。ホームに降りるとすぐに車内の照明は落とされ、いつの間にか運転士と車掌もいなくなってしまった。

小出2134 → 越後湯沢2214
上越線1752M 普通 クハ115 1046
祭でもあったのか、駅周辺やホームには高校生が多くたむろしている。20分あまりの待ち時間をぼんやり過ごしていると、突如1番線を貨物列車が通過。EF64 1000番台の重連で、前位は国鉄色の1006号機。完全なる予習不足、まさかこの間に貨物列車が通過するとは思わなかった。あとは上越新幹線に乗るべく越後湯沢まで出るのみである。

越後湯沢2223 → 東京2340
上越新幹線352C Maxとき352号 E455-9
東京行の最終新幹線である。春の旅行の時も乗った列車。上越新幹線には何かと多く乗っているように思う。東京までは1時間と少しの道のり。只見線の4時間がまるで嘘のような速さである。車中は半分くらい寝て、気がつけば上野であった。毎度のことだが、車窓に映る京浜東北線や山手線の電車を見ると、帰京感が一気に押し寄せてくる。ついに長大なこの旅行も終わったのである。そういった実感をひしひしと抱いて、東京駅のホームに降り立ったのだった。

序曲は能登、終曲はとき。これにて完結。

写真
1枚目:黄昏の只見川を渡る(@会津宮下~早戸)。
2枚目:月下の駅にエンジン音が響く(@只見)。
3枚目:夜の交換風景(@大白川)。

3486文字
羽越本線の朝
羽越本線の朝
羽越本線の朝
朝の秋田は意外にも肌寒い。日本海の発車を見届けた後、まずは羽越本線を4駅南下して下浜へ向かうとする。

秋田549 → 下浜603
羽越本線524M 普通 クハ700-33
酒田行の一番列車に乗る。北東北の普通列車はもはや701系の王国ともいえる。車内には長大なロングシートが並び、ぽつぽつと乗客が座っているのみである。

朝日が車内に差し込む。時計を見ればまだ6時前。もっとも、能登やきたぐにから降り立った数日前の糸魚川や敦賀の朝は5時にすらなっていなかったが、最近の生活からしてみればかなりの早起きである。今日は秋田からいよいよ帰京の途につかねばならない日だが、やろうと思えば新幹線で午前中に直帰することも可能であった。しかしながらそれではあまりにあっけない上、ここまで来た意味があまりなくなってしまう。そこで、羽越本線の撮影を盛り込んでみたのである。そういえば、北東北で鉄道撮影に赴いたことはまだなかった。

下浜で下車。心地よい涼しさ、晴れ渡る空、まだ赤みを帯びている朝日、心なしか秋の朝といった感じである。駅前の国道越しには紺碧の日本海が穏やかな姿を横たえている。今朝も天気に恵まれ、何より。そして国道を10分ほど南下すると、下浜踏切に至る。ここが撮影地。上下線がいくぶんか離れているため、望遠で下り線を狙うとあたかも単線区間のような構図ができあがる。単純といえばそれまでだが、良好な光線状態で編成写真が撮れ、かつ駅からも近い場所としては最適。唯一の難は、折角の日本海が入らないことだろう。

ここではあけぼの、2091レ、3099レを狙う。機関車牽引列車が6時半からわずか20分足らずの間に3本も通過するのだから、ちょっとした驚きである。「早起きは三文の得」という言葉は鉄道撮影の世界においてもかねてから言われてきたようだが、各列車を「一文」ととらえれば絶妙に納得がいく。それだけに、朝の時間帯は特殊かつ貴重といえる。三列車とも、無事に撮影を終えた。朝日が実にすがすがしい。最後に下りの普通列車も一本撮影。ついでであれ何であれ、わざわざここまで来たのだから701系といえどもカメラに収めておいて損はない。そして、駅へ戻る。

下浜728 → 秋田744
羽越本線525M 普通 クハ700-5
駅には高校生が集まり、列車内も学生で混雑していた。途中の新屋からも高校生が多く乗ってきて、まさに通学列車といった様相である。この時間帯、秋田方面の普通列車は本数がかなり多い。旅先で通勤・通学ラッシュに出くわすのもどこか新鮮で面白い。

秋田755 → 男鹿903
羽越本線・男鹿線1125D 普通 キハ48 537
またとない機会だろうから、このさい男鹿線を乗り潰すことにする。キハE120が磐越西線や米坂線に次々と進出する中、津軽線、五能線、只見線と並んでキハ40・48系列が残る貴重な路線の一つである。しかしながら、ほぼ全線で爆睡していた。二田で上り列車と交換したことくらいしか記憶がなく、気がつけば終点の男鹿に到着していたのであった。

盲腸線の乗り潰しなので必ず引き返さなければならないが、男鹿では8分しか時間がなかった。スタンプを押したのみで再びホームに戻る。

男鹿911 → 秋田1011
男鹿線・羽越本線1128D 普通 キハ48 1503
復路は一応目が覚めていたが、車窓にはのどかな田園風景が広がるのみである。追分からは羽越本線に入り、電化区間を気動車がゆく。

まだ10時を過ぎたばかりである。駅弁を買い、奥羽本線のホームに向かった。

写真(@道川~下浜)
1枚目:特急あけぼの。
2枚目:2091レ。
3枚目:3099レ。

1786文字
日本海の夜
日本海の夜
日本海の夜
夕刻の大阪駅に降り立った。開発工事の最中にあるらしく、10番線には長距離列車の発車するホームにふさわしい風情は感じられない。サンダーバード、雷鳥といった北陸特急群が発着する中、ひっそりと列車は入線する。

大阪1747 → 秋田535
東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線4001レ
特急日本海 オロネ24 4
トワイライト塗色のEF81 103に率いられ、日本海はホームに滑り込む。人の流れは慌ただしいが、佇むブルーの車体に目をくれる者は少ない。青森行の長距離寝台特急なのであるから、せめて入線から発車までにもう少し時間があっても良いように思うのだが、ひっきりなしに列車の発着する過密ダイヤの中にあっては致し方ないのかもしれない。停車時間はわずか6分。行先幕に掲げた「青森」の文字と、水を深く湛えたかのようなブルーの車体は、どことなく異様な雰囲気を放っている。かつては当たり前のように夕方のターミナル駅を出発していったというブルートレイン群だが、東京口は既に消滅、上野口は北斗星とあけぼのと北陸、そして大阪口はこの日本海を残すのみとなった。

電源車直後のA寝台車に足を踏み入れる。B寝台のようにデッキの向こう側がいきなり客室となっているのではなく、緩衝地帯のように間に喫煙スペースが設けられている。ボックスシートが一区画あるだけの質素な空間だが、喫煙はせずとも、深夜帯にぼんやりと車窓を眺めるのに丁度良さそうなスペースである。客室内に入ると、通路両側に淡い紫色のカーテンの壁が待ち受ける。今となっては貴重なプルマン式開放A寝台。線路と平行に2段寝台が設置される。通路には赤絨毯が敷かれ、ささやかな高級感を演出している。半パイプ状の天井の照明が、どことなく落ち着いて洗練された印象をもたらしているように思う。客室扉上部の号車表示なども、設計者の温もりといったものが感じられて実に味わい深い。

下段寝台に潜り込む。テーブル、衣紋掛け、読書灯といった最低限の設備が目に入るが、カーテンは二重になっている上に、鏡や手荷物置場といったものが個々の寝台に細やかに備わっているのは、A寝台ならでは。ささやかながら、折り畳み式のテーブルも極力広くつくられている。解体すればボックスシートとして機能するだけあり、寝台の幅はかなり広い。枕は十分大きく、寝具はB寝台のものよりもふかふかであるような印象を抱いた。583系のB寝台下段も寝台幅自体は同じだが、高さの面で圧倒的にこちらが勝っている。ゆったりと背もたれに身をあずけ、大きな車窓を独占して後方に流れ去る黄昏の風景を堪能する。至高のひと時である。今となっては時代錯誤の感もある車内設備ではあるが、それがまた良い。

大阪を発った列車は、淀川を渡る。レースのカーテン越しに差し込む夕日と、規則的に影を落としてゆく橋梁の鉄骨が情緒的。新大阪発車後に停車駅・到着時刻の案内があった。放送を聞いているだけでも、翌朝目覚めたときには異郷の地を走っていることを思うと、心が躍るものがある。そしてそれこそが、寝台列車の旅の醍醐味ともいえる。日は刻一刻と落ちてゆく。京都到着までは夢中になって寝台内から車窓を撮影。夕刻にひっそりと出発し、大阪・京都の二大都市圏を去る特急日本海。開放B寝台と開放A寝台のみという質素な編成で彼方青森を目指すわけである。

寝台特急の将来は極めて暗い。もちろん、一部の列車、具体的には北斗星やカシオペア、トワイライトエクスプレスといったような「観光列車」としての地位を確立した列車は今後も何らかの形で生き永らえるかもしれない。そもそも、これらの列車はそうした意図のもとに運行が開始されたのであった。かようの観点からしてみると、日本海はあけぼの、北陸と並び、こうした観光列車とは一線を画した純粋な意味での寝台特急といえるのではないか。さくら、はやぶさ、富士といった東海道・山陽筋の名門寝台特急もあっさりと切り捨てられ、東京口の伝統的なブルートレインが消滅した現在にあって、今なお健在のこの三列車が、長岡という駅を共通に通過することは単なる偶然ではあるまい。つまるところ、新幹線の恩恵から離れた地域、日本海縦貫線を走る列車が残った。内陸のようには新幹線が通らない山形・秋田の日本海側と首都圏を直通するあけぼのにはそれなりの需要があろう。北陸新幹線が長野止まりの今、首都圏と金沢を直通する北陸には一定のビジネスユースがあると聞く。そしてこの日本海は、縦貫線を完走することでその列車名の通り、かつては「裏日本」と呼ばれた日本海側の各都市を丁寧に結んで青森に至る。三列車は、首都圏へ連絡する上越線と日本海縦貫線の交差点、長岡で必然的に一堂に会することになろう。考えてみれば新幹線網は、かつてそう言ったところの「表日本」に集中して展開している。並走する新幹線に寝台特急がいずれ淘汰されるのは歴史の必然である。正直、富士・はやぶさはよくぞ今春まで残ったものだと思う。無節操な整備新幹線の建設に賛成する者ではないが、こうして寝台特急の情勢を考えてみると、地域格差が浮き彫りになってくるのを実感するのは私だけではないはずだ。

列車は湖西線に入った。車内探検に出かける。B寝台の乗客は通路の簡易椅子に腰かけたりして思い思いの時間を過ごしていた。車窓はいよいよ昏くなってきた。山稜が残照のコントラストに浮き上がって何とも美しい。こうして座っているだけでも感傷に浸ってしまう。近江塩津到着前に自席に戻り、用意しておいた夕食をとる。やがて列車は近江塩津に運転停車し、後を追って来た雷鳥41号に道を譲る。同じ光景を一昨日は車内ではなくホームから見届けていたわけだ。少し不思議な気持ちである。新疋田~敦賀間は見慣れた車窓が出迎える。日はすっかり落ち、近越の隘路を抜けて敦賀に出れば、いよいよ日本海の夜である。

北陸トンネルの通過時間を測ってみたところ、11分17秒であった。どういうわけか黙々とするめいかを食す。加賀温泉では後続のサンダーバード43号を待避した。改めて考えれば、特急が特急に抜かれる光景は異様である。寝台特急はダイヤ上の「お荷物」なのだろう。金沢では意外にもA寝台に多くの乗客が乗り込んできたため、発車後のおやすみ放送を録音することができなかった。なかなか盛況である。本来ならば糸魚川まで起きて夜の海岸の車窓を堪能する予定だったのだが、高岡に着かずして不覚にも眠りに落ちてしまった。

目が覚めると3時25分。6時間弱眠ったことになる。鶴岡到着を目前にする頃である。減光された車内には橙色の常夜灯がぼんやりと灯る。フットライトの灯りも相まってどこか幻想的。車内は死んだように静かで、床下から伝わってくるジョイント音と心地よい振動があるのみ。鶴岡を発車後、窓外に目をやる。客車から漏れる灯りに闇夜の水田がぼうっと照らし出されていた。ふと見上げれば満天の星が瞬く。これほどまでに澄んだ星空は久々に見た。そう思っていると、機関車の汽笛が夜空にちぎれてゆく。この未明の情景は忘れることはない。

布団を被って寝たり起きたり。酒田を発車すると空はかすかに明るくなってきた。昨年2月に訪れた吹浦を過ぎると車窓には日本海が現れる。並走する国道のナトリウムランプが撮像素子に光跡を引く。進行方向を見れば彼方まで海岸線が続き、やがて朝焼けが沿岸の稜線を輪郭してゆく。黄昏と夜明け以上に美しい眺めはない。代えがたい経験である。心残りは、糸魚川付近の夜の日本海を観られなかったことだろうか。

A寝台の乗客もそろそろ起きだしてきたようで、だんだんと通路が慌ただしくなってきた。私も洗面所に行き、秋田で降りる準備をする。折角なので青森まで乗っていたかったが、それはまたの機会に回すとしよう。大阪から約12時間、列車は定刻に早朝の秋田に到着である。やや肌寒い空気が顔を打つ。

参考:8月25日発4001レ 日本海の編成
(←大阪)1号車オハネフ25 117・2号車オハネ24 7・3号車オハネ25 38・4号車オハネ24 10・5号車オハネ24 20・6号車オハネ24 51・11号車オハネフ24 121・12号車オロネ24 4・電源車カニ24 511・機関車EF81 103(青森→)

写真
1枚目:車窓には夜の帳が降りる。
2枚目:重厚なブルーの車体(@加賀温泉)。
3枚目:未明のA寝台車内。

3557文字
雷鳥を追う Part 5
雷鳥を追う Part 5
雷鳥を追う Part 5
目が覚めると5時半である。自分でも不思議でならないが、旅行中は目覚ましにしっかりと反応できる。一応7時間ほどは眠ったことになるのだが、まだまだ寝ていたい。しかしながら、行程がすぐそこに待っている。

敦賀611 → 新疋田621
北陸本線3899M 新快速 車番記録忘れ
まずは新疋田まで移動する。昨日の撮影は小河口までしか行かなかったから、今日は新疋田側で撮ってみようという算段である。この区間には本当に好撮影地が点在している。

駅周辺の山々にはまだ朝日は差さず、朝霧が立ち込めていた。やがて、EF81 26率いる4092レが到着。新疋田に運転停車する。折角の機会ということで、EF81を色々の角度から撮ってみる。吹田から青森までの長大な日本海縦貫線をカバーする富山機関区であるが、EF81にはいかにも貨物機らしい風情が漂う。車齢40年といったところだろうが、大幹線の物流の担い手は相応の貫禄を醸し出している。

その後、言わずと知れた有名撮影地、疋田カーブへと場所を移動する。朝日もようやく昇ってきたようで、徐々に辺りが照らし出されてゆく。天候は快晴、今日も暑くなりそうだ。ここでまたもや鼻血が出る。これは疲労の印なのか。処理に手間取り、犬走りの下草が血染めになってしまった。気を取り直して、撮影を開始。昨日と同じく、雷鳥4号、3096レ、日本海、雷鳥8号と続くゴールデンアワー。ただ、3096レは何故かやって来なかった。雷鳥4号は朝日に照らし出され、国鉄色が艶やかに浮き立つ。編成の内側まで日が回らないのは仕方がないが、日本海をようやく順光で仕留めることができた。今回の撮影行ではトワイライト色の機関車に当たらず幸運である。念願の日本海、ここに撮影。雷鳥8号はパノラマグリーン車が先頭。比較的短時間の撮影でも色々と楽しめるのが北陸本線ならではといえる。

疋田カーブを終えた後は、市橋へと向かう。旧道の疋田集落には古い町並みが残っており、道端には水路が流れている。手を洗ってみると、思いの外冷たく実に快い。静かな朝の時間である。さて、国道の市橋交差点から山道に入り、上下線に挟まれた水田を目の前にする。ここで雷鳥5号を撮影。完全な逆光ではあったが、稲穂は光を背にしても綺麗に写ってくれる。もうすぐ収穫の時季であろうか。農道をさらに進むと、上り線の跨線橋に至る。今度はここから雷鳥12号を小俯瞰する。上下線が分離しているため、山に囲まれた単線区間のような趣。そのような中を颯爽と駆けてくる国鉄色は実にすがすがしい。

その後、駅に戻る。いよいよ炎天下である。雷鳥9号の深坂トンネル飛び出しを狙い、トワイライトエクスプレスを上りホームから直線で捉える。最後にEF510率いる3092レの運転停車を存分に堪能し、新疋田を後にすることとなった。昨日まる一日と今日半日、有名どころばかりではあるが、それなりに雷鳥を撮り込んだ感がある。今度は是非厳冬期に訪れてみたい。突貫作業で立てた行程ではあったが、かつてなく充実した撮影行であった。思うところも大きい。

新疋田1133 → 近江今津1201
北陸本線・湖西線3157M 新快速 クハ222-2065
本当は一つ手前の近江中庄で下車し、水田に囲まれた撮影地へ向かう予定だったのだが、疲労が祟って寝過ごしてしまった。普通列車は1時間に1本しかないため、引き返しても雷鳥17号には間に合わない。なくなくホームで発着を見送り、ひとまず途中下車することになった。

いろいろ考えた挙句、せめて雷鳥22号とトワイライトエクスプレスは撮っておこうと、観光案内所で自転車を借りて近江中庄方面に向かうことにした。距離にしておよそ4km。25分ほどかかって適当な撮影地に到着。築堤の上を走る線路、一面に広がる水田、林立する送電線鉄塔、西側に迫る山々、いかにも湖西線らしい風景である。とりあえず雷鳥22号を待つが、いつまで経っても来ない。不審に思っておもむろに時刻表を開けば、残念ながら土日運転の列車であった。今日は月曜日、粗末な勘違いである。しかしトワイライトエクスプレスは定刻に築堤を駆けてきた。夏の青空と一緒にその姿を収める。あまりにあっけないが、これで撮影は終了。雷鳥は残念であった。そして、来た道を戻って駅に引き返す。撮影行というよりは、炎天下の自転車トレーニングのようなものだった。

近江今津1410 → 大阪1528
湖西線・東海道本線3173M・3473M 車番記録忘れ
あとは大阪へ向かうのみ。鶴橋でJRから抜け、近鉄東生駒に至る。今晩の宿は母の実家である。

写真(@敦賀~新疋田)
1枚目:朝日の疋田カーブをゆく。
2枚目:ローズピンクのEF81が映える。
3枚目:山間を駆ける。

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雷鳥を追う Part 4
雷鳥を追う Part 4
雷鳥を追う Part 4
当初の予定では道口まで30分で徒歩移動することになっていたが、今朝歩いてみたところによればそれはさすがに不可能だと実証済みなので、あと半時間ほどで通過する雷鳥29号に間に合わせるべく、こればかりはタクシーを利用する。已むを得まい。地形図を見せてここだと言うと、「ああ、電車を撮るんですねww」とすぐに判ってくれた。多くの人が訪れる有名撮影地として、地元でもそれなりに知られているのだろう。ものの7、8分であっけなく到着である。1110円也。

畑のそばの撮影地に到着すると、既に大勢の人がカメラを構えていた。話を聞くところによると、皆さん本命は29号ではなくその1時間後の33号で、舐め上げるような夕方の斜光線に映える国鉄色を狙っているようである。29号は日曜日にのみ運転される列車で、いわばオマケのようなものだという。しかしながら、南今庄に居た時に比べて随分と日は赤みを帯びてきた。日没間近の33号をここで狙えばさぞ魅惑的な写真になるのだろうが、残念ながらこの後は撮影予定が詰まっている。雷鳥29号は妖しく夕陽を浴びながらインカーブを駆け抜けた。そして34号は後追いで適当に撮影し、EF81率いる3099レを撮影すれば道口の撮影地は撤収である。夕方の列車に最適な名撮影地といえよう。

鳩原まで歩く。地形図ばかり見ていると実際の距離というのを忘れてしまいがちだが、夜行二連泊明けでそろそろ疲労も限界である。まずはEF510率いる4060レをカーブで撮影する。機関車をクローズアップする構図に挑んだわけだが、日は刻々と沈んで行き、列車が通過する頃には、既にカーブの頂点には日が差さない状況となってしまった。前哨戦のサンダーバードとしらさぎは良好な光線だったので、何とも残念である。先ほどの道口はいくぶんか景色が開けていたが、鳩原まで来ると山が両側に押し寄せるため日差しは急速に弱まる。雷鳥33号をクロス下の直線で狙うことにする。手前の線路は既に日陰となったが、遠景の山はわずかながら夕陽に照らし出されている。そのような独特の舞台に姿を現した雷鳥、国鉄色はしっとりした落ち着きを見せ、輝くヘッドライトは列車の存在感を物語る。最後に雷鳥38号が通過。撮影地も尽きてきたので、鳩原のカーブを内側から捉えてみる。しかしながらもはや日差しはなく、山の稜線付近が辛うじて照らし出されるのみ。だが夕刻の青空は実に美しかった。

敦賀~新疋田間での今日の撮影はこれにて全て終了。昼間と同じくコミュニティバスを利用して駅まで戻ることにする。一日三本のうち、これが最終便である。

鳩原1806 → 敦賀1817
敦賀市コミュニティバス愛発線
この路線は本数をもっと増やしてくれると撮影が格段に楽になるのだが、そうもいかないだろう。運転免許はもう間もなく取得できそうであるが、鉄道撮影に自動車を利用するようになるのはまだ当分先のことのように思う。

敦賀1849 → 近江塩津1905
北陸本線3309M 新快速 クモハ223-3009
良い加減に疲れたのでもう宿にチェックインしても良いはずなのだが、過酷な行程を放棄せずに折角ここまで来たのだから、妥協せずに最後まで完遂しよう。雷鳥37号と42号の発着を駅で見届けた後、近江塩津に向かう。何故か。

特急日本海は19時19分から同27分まで近江塩津に運転停車し、後続の特急雷鳥41号に道を譲る。この光景をカメラに収めたかったのだ。2番線に停車する日本海、1番線のさらにもう1本向こう側の通過線を駆け抜ける雷鳥の国鉄色、この組み合わせを期待していた。ホームの照明に浮き上がった夜の国鉄色が帯になって流れていく様、動の雷鳥、静の日本海、この対比(待避)を構想していたのである。

予想通り、であった。近江塩津で下車するのは初めてだが、頭に思い描いていたのと寸分違わない光景。構想通りに写真が撮れるのは至上の喜びである。むろん、予習なくしては実現し得なかったわけである。日本海の車掌は手を挙げ、雷鳥の車掌とごく束の間の挨拶を交わした。光跡を引きながらあっという間に列車は通過し、残された日本海はホームに佇むのみ。カメラのバッテリーが辛うじて持ちこたえてくれて幸いであった。ここでは青春18きっぷで大旅行をしているという方と談笑する機会があった。旅行はこういった出会いがあるから面白い。

近江塩津1944 → 敦賀1957
北陸本線3282M 新快速 モハ223-2188
これでようやく撮影は終了である。敦賀に戻る。

駅前の太陽軒という店でラーメンと炒飯を食す。その後、今春に新しくオープンしたという敦賀の東横インにチェックインである。今晩は早めに寝てゆっくり休むとしよう。

写真
1枚目:艶やかな夕刻の雷鳥(@新疋田~敦賀)。
2枚目:黄昏の山間部を抜けてくる(@新疋田~敦賀)。
3枚目:日本海と雷鳥、一瞬の離合(@近江塩津)。

2235文字
雷鳥を追う Part 3
雷鳥を追う Part 3
撮影地を変えて、気分転換を図ってみる。

敦賀1333 → 南今庄1345
北陸本線249M 車番記録忘れ
2両編成の521系であった。車内は異様な混雑ぶりを見せている。降りるのは隣の南今庄であるが、隣駅といっても16.6kmの道のりで、12分以上を要する。敦賀を発車するとまもなく、13kmを超える長大な北陸トンネルに突入。敦賀方の出口のそばには、慰霊碑が佇んでいた。炎天下の南今庄で下車した者の中に一般客はいないふうで、週末ということもあってか、みな雷鳥を狙いに来たといった感じである。まずは今庄トンネル方向に歩いて、トンネル手前の直線で上り線を撮る。

サンダーバードやしらさぎを練習台にして、EF81率いる4076レを撮影。編成の後方にしかコンテナが積載されておらず、迫力に欠ける写真となった。富山のEF81は、貨物専用機として過酷な縦貫線の運用を黙々とこなす姿がなかなか様になっている。後継機EF510も活躍の場を広めているが、未だに交直流電気機関車のスタンダードといった感がある。

その後は反対側の北陸トンネルの方に向かって歩く。スノーシェッド越しにトンネル出口を狙う著名な構図を期待していたのだが、トンネルに近づく道には立ち入り禁止の札がかかってしまっていた。仕方ないので、付近の道路や水田を青空と一緒に広角で撮り込んでみるという構図に変更。いい加減ではあるが、何もしないよりはましであろう。ここでは雷鳥23号と普通列車を撮影。

日はやや西に傾き、光線も若干ではあるが赤みを帯びてきた。しかしながら依然日差しは強く、気温も高い。空は晴れ渡り、薄い雲がゆっくりと流れていくのみである。元の撮影地に引き返すと、大勢の人が集結していた。直射日光というのは予想外に体力を消耗するものだが、本命の雷鳥30号まではあとわずかの辛抱。やがてパノラマグリーン車を先頭にして、列車は今庄トンネルを抜けてくる。この顔も国鉄色が配されるとなかなか精悍で良い。

南今庄1546 → 敦賀1558
北陸本線240M クハ455 43
やって来たのは455系。北陸本線では、かつての急行形車両が今なおこうして普通列車で余生を送っている。客室内は一部ロングシートに改造されたとはいえ、デッキ付きの普通列車というのもどこか不思議である。521系などの新型車両が進出してはきているが、北陸本線はなお国鉄型車両の牙城といえよう。

北陸トンネルを抜けると、再び敦賀である。

写真
1枚目:大阪へ急ぐ特急雷鳥(@今庄~南今庄)。
2枚目:419系、道路、水田、青空(@敦賀~南今庄)。

1224文字
雷鳥を追う Part 2
雷鳥を追う Part 2
雷鳥を追う Part 2
鳩原ループの俯瞰撮影地を諦め切れなかったので、鳩原を後にして小河口に向かうことにした。かつては、特別な構想もないまま気ままに旅程を組み、旅行先でも比較的漫然としていた感がある。中学時代の鉄研旅行ではそれが顕著だった。だが、旅行中の妥協というのは許されざるものであるということを、次第に痛感するようになってきた。妥協とは必ずしも能動的なもののみを指すのではなくて、自らの知らぬ間に勝手に妥協を図っていることもあるから、そういうものも含めていう。今回でいえば「俯瞰は仕方ない」と見逃すことが無意識の妥協であった。「また来れば良い」では、結局いつまで経っても来れない。また仮に来れたにしても、その目的を純粋かつ忠実に達成できるかどうかは非常に疑わしい。旅行、撮影行とはそういうものである。

途中で雷鳥13号の通過時刻となったので、国道の歩道から即席の構図をつくる。水田と小屋の奥、里山を背景にして国鉄色の帯が流れる。どちらかといえば景色を写したような絵となった。国鉄色が自然風景によく調和することを時に思い出さなくてはならないように思う。何より、未だに国鉄色485系が走り回っているというこの様を、撮像素子のみならず目に焼き付けておくことも大切だと感じる。そして視覚、聴覚、嗅覚の合成は、記憶を不朽のものならしめるのではないか。

読みは的中した。至上の喜びを感じる。「火の用心」・・・かつて小耳に挟んだ知識が今まさに生きた感がある。ダメ元での挑戦ではあったが、気がつけば無心に道を登っていた。No.420がもたらした景観は、これまでの苦労を吹き飛ばすに十分な迫力をもって眼前に展開する。ほとんど走りながら登って来たので、体から汗が噴き出す。そして、心地よい風が全身を突き抜け、その汗をさらってゆく。メインとなる雷鳥17号、22号を無事にカメラに収め、小一時間の撮影を楽しんだ。

本来の行程では、新疋田13時10分発の敦賀行に乗ることになっていた。しかしながら興奮のあまり行程を無視してここまで来てしまったため、もはやこれに間に合うのは絶望的。それならば、接続の敦賀13時33分発の福井行に間に合うことも考えてみるが、40分の徒歩では厳しい距離である。タクシーかヒッチハイクになるのかと思いきや、調べてみると幸いにもコミュニティバスが丁度良い時間に運行している。一日三本だというのに、そのうちの一本は小河口13時5分発という、何とも絶妙な時間帯に設定されている。これで敦賀までの足は確保された。

走りに走り、急いで山を下りる。所要10分。これほどまでに早く下山できるとは思ってもいなかったが、とりあえずバスには間に合ったのでよしとする。汗が尋常ではない。上半身に水をかぶったようになってしまった。だが、これで悔いはない。

小河口1305 → 敦賀駅1318
敦賀市コミュニティバス愛発線
汗を処理したと思ったら、鼻血が出てきて大変であった。乗客の一人は運転手と顔見知りのようで、色々と雑談を交わしていた。本数こそ少ないが、地域に密着した輸送が垣間見える。

空は晴れ渡り、太陽が地面を焼く。空気は沸騰しているかのようである。

写真(@敦賀~新疋田)
1枚目:ループ線にさしかかる雷鳥。遠景には若狭湾を望む。
2枚目:上下線が分離し、単線区間のような趣。
3枚目:逆光の山々に抱かれ、国鉄色が滑り去る。

1481文字
雷鳥を追う Part 1
雷鳥を追う Part 1
雷鳥を追う Part 1
筒石駅を往復しても、きたぐにの発車まではまだ2時間以上もある。そこで、入場券を買って日本海、能登、北陸をホームで撮影してみる。残念なことに50Dのバッテリーは筒石から帰る途中に逝ってしまったので、ここは副機として持参したS2ISに頑張ってもらう。車内放送の録音や、50Dバッテリー切れの際のピンチヒッター、一眼レフをとっさに取り出せない場面での撮影、などなど、良き脇役として今後も活躍してくれそうである。

糸魚川124 → 敦賀443
北陸本線502M 急行きたぐに モハネ583 75
今回は自由席に乗車する。寝台を取っても3時間も眠れないだろうし、そもそも値が張る。予想どおり、車内はくたびれた夜行急行といった様相を呈していた。各ボックスに一人か二人ずつ埋まる混み具合で、煌々と室内灯の照らす下、皆が思い思いの体勢で寝ている。洗面所でバッテリーを充電しつつ、空いているボックスに腰かけて私も眠りに落ちた。どっかりとした583系の座席は、リクライニングこそないものの、それなりに快適である。現在の「急行」運用にはまさにふさわしいのではないか。

寝過ごしてしまわないか気がかりであったが、こういう局面では案外起きられるものである。急行きたぐには北陸圏の最終列車からアーバンネットワークの始発列車へと衣替えをして、まだ日の昇らぬ敦賀を後にしていった。浅い眠りではあったものの、3時間ほどは一応の睡眠をとることができた。昨晩の能登に続き、夜行も二連泊となるとさすがに体に響いてくるものがあるが、今日一日は気合いで乗り切るとしよう。

まずは鳩原まで徒歩で移動する。距離にして4.5kmほど。山間部なので日の差すのは遅いが、空は明るくなってきた。雲も浮かんでいるが概ね晴れ渡っており、上空高くに航跡を残す飛行機雲が印象的であった。まだ辺りは涼しいものの、暑い一日の到来を予感させる、典型的な夏の朝である。当初は半時間から40分ほどで到着すると踏んでいたのだが、荷物が重いということもあってそう甘くはなかった。結局一時間ほどを費やして、ようやく鳩原のループ線までやって来た。元々の予定ではこのループ線を俯瞰する地点まで山を登ることになっていたのだが、登山口も不明な上に時間にも不安があったため、当分の間はこの鳩原ループ周辺と、第一衣掛トンネルの出口付近のカーブで撮影を行うことにした。

まずはEF81牽引の上り貨物列車4092レをアウトカーブで撮影する。下り3097レも同時に橋梁の下を通過していった。貨物列車同士がここでクロスして離合するようである。予習段階でのダイヤグラムも完全に正確なわけではない。回数を重ねれば、経験がものを言うようになろう。その後は第二衣掛トンネル脇の狭い登山道へ入り、ループをくぐってきた後の上り線の線路に出る。道には朝露に濡れたクマザサが茂り、クモの巣もやたらと多かった。この頃になってようやく朝日が谷に差し込んでくる。雷鳥4号、3096レ、日本海が連続でやって来るというゴールデンアワーをまもなく迎えた。前者二つの光線状態は極めて良好だったのだが、残念ながら日本海の通過前には日が翳ってしまった。

曇りは曇りでしっとりとした質感が出るから嫌いではないものの、完全順光に比べればどうしても見劣りしてしまう。撮影行では極力宿題を残さない、これは昨春石巻線を訪れた際に御一緒した方からお聞きした教訓であるが、どうしても課題というのは残ってしまう。そういった場合、今後満足がいくまで同じ撮影地で同じ列車を狙うかどうかは個々の判断によるかもしれないが、同一撮影地・同一列車にこだわるのは今の私にはまだ早いはずだという気はしている。つまりは、様々な場所で様々な列車を撮った上で初めて、そういう「こだわり」の領域に足を踏み入れるべきではないかと思っている。基本的には、一枚一枚のシャッター、ひいては一度一度の撮影行というのは、一回限り、一期一会のものであって、ただ回数を重ねて写真を量産し、その中から望みのものが得られれば良いという性質のものではない。各シャッターを蔑ろにしないという、それなりの覚悟を以て撮影に臨まねば意味がないように思われる。

続く雷鳥8号も同様のアウトカーブで撮影。下り雷鳥5号は撮影を見送り、かわりに12号を今度は鳩原トンネル側に移動したところで狙う。緩いS字カーブに編成が載ることを期待したものの、これが意外と難しい。その後は一旦山を下り、鳩原踏切で雷鳥9号を水田と絡めたり、鳩原のクロスで雷鳥16号の先頭車を切り取ったり、色々な撮影を行ってみた。最後に再び山に入り、第一衣掛・鳩原両トンネル間でトワイライトエクスプレスとEF510率いる3092レを撮影し、午前の撮影は終了と相成った。それぞれの移動距離はさほど長くないものの、いくつかの撮影地をこまめに回っていると結構体力を消耗するもので、特に夜行明けということもあってか、水の消費量もなかなかである。昨夜糸魚川でやはり2リットルの水を用意したのだが、ここまでで優に3分の1は減ってしまった。

写真(@敦賀~新疋田)
1枚目:朝日に輝く国鉄色485系特急雷鳥。
2枚目:質素な編成で未だ健在の特急日本海。縦貫線の雄である。
3枚目:国境の隘路を駆け抜ける。

2257文字
トンネル駅筒石
トンネル駅筒石
トンネル駅筒石
駅前の「あおい食堂」で夕食をとる。2年前の1月に糸魚川に一泊した時にこの店を知ったのだった。室内の白熱灯が家庭的で温かい雰囲気を醸し出している。カツ丼を食した。20時を過ぎた駅前は既にひっそりとしている。客待ちの数台のタクシーにぽっかりと灯るテールランプがどこか寂しい感じである。

糸魚川2032 → 筒石2052
北陸本線557M クモハ419 8
きたぐにの発車時刻は翌未明の1時24分。まだ5時間ほどもあってさすがに暇であるから、撮影の難しい夜間は少し足を伸ばして観光に赴くとする。四つ隣の筒石は、トンネル内の駅として著名な駅である。これまでこの区間は2回ほど普通列車で通過したことがあるが、どちらとも車内からホームを漠然と眺める程度であった。今回は下車してしばらく滞在してみようということである。ホームには既に419系が入線していた。遠路はるばる福井からやってきた列車である。ここ北陸の地では、「食パン」と揶揄されながらも583系改造車が活躍している。糸魚川を発車するとやがて死電区間に入り、室内灯が落ちて橙色の非常灯に切り替わる。この幻想的な雰囲気が好きである。

車窓は闇。時が止まったような錯覚を覚え始めた頃に、それまでのことが嘘だったかのように室内灯が再点灯し、空調の唸りも再び聞こえ始める。梶屋敷、浦本と停まり、能生を過ぎるとすぐに頸城トンネルに入る。やがて目的のトンネル駅、筒石に到着である。

ホームは上下線で交互に配置されている。トンネルの断面積を小さく抑えるための工夫らしい。降りたのは私一人。列車が過ぎ去っても、しばらくは走行音が反響する。引き戸を開けて待合室に入る。特急列車が毎時130kmで通過すると強烈な風圧が発生するということで、ホームと待合室を隔てる扉は気密性が保たれているようだ。待合室内にはベンチが置かれ、壁には普通列車の時刻表と時計があるのみ。天井は円形に湾曲し、蛍光灯が寂しく灯る。暗いコンクリートに囲まれ、気温は冷涼、湿度は高い。駅の待合室にしては、何とも異様な雰囲気である。

駅舎に向かうとする。まずは66段の階段を登って、上りホームから来る通路に合流する。この辺りの北陸本線が沿岸を走っていた頃の旧筒石駅は普通の地上駅だったが、全長11353mの頸城トンネルが開通した際に、その斜坑を利用して現在の地下駅として移設されたとのことである。通路は薄暗く、じめじめしている。息を吐けば、ほんのかすかに白む。カメラのシャッター音が不気味なほど大きく反響し、まるで牢獄のよう。地上の駅舎まで出るにはさらに224段の階段を登らねばならない。下から見上げればなかなか壮観な光景である。

ようやく地上に出ると、駅員が待っていた。こんな時間に訪ねてくる観光客はふつう居ないらしく、怪訝な目で見られる。最終列車で糸魚川に引き返し、その後きたぐにに乗る旨を説明すると、マルスではあるが糸魚川までの乗車券を発行してくれた。ついでに入坑・入場証明書と筒石駅の案内をもらう。地元の人々にとってみれば当たり前のトンネル駅なのだろうが、私などからしてみれば相当に斬新な駅である。帰りの列車まではまだ1時間半以上もあるので、待合室で本でも読むことにする。駅の外は小さな広場になっていて、街灯を除けばほぼ闇である。駅舎はプレハブ倉庫のような質素なつくりで、地下の大トンネルまでを穿つ斜坑の入口としてみれば絶妙な趣。駅舎内はそこそこに蒸し暑いが、ふいに涼しい風が吹き抜ける。エアコンがかかったのかと思って見渡すも、そのような設備はない。トンネル内を列車が通過しているのである。はるか地底から吹き上げてくる涼風もまた不気味である。

さて、そうこうしているうちに時間となった。再び斜坑に潜り、今度は上りホームへ向かう。

筒石2241 → 糸魚川2300
北陸本線584M クハ418 8
駅員氏に見送られて、筒石を去る。実に面白い駅であった。また機会があれば、是非訪れてみたいところである。583系と同じどっかりとしたボックスシートに腰かけ、車窓を眺めていれば糸魚川に到着。普通列車にしてはやたらに高い天井、せり出した寝台収納、デッキの折戸などなど、過去の遺物といった感が否めないこの車両であるが、乗ってみると実にしっくりくるものがある。

再び糸魚川に戻って来た。

写真
1枚目:筒石駅待合室。
2枚目:分岐点。右側に降りれば直江津方面、直進すれば糸魚川方面。
3枚目:改札口への長大なる階段。

2000文字
夏の大糸線 Part 3
夏の大糸線 Part 3
夏の大糸線 Part 3
国道を引き返し、駅へ戻る。8月の大糸線は、まだまだ暑い。

北小谷1434 → 小滝1456
大糸線429D キハ52 156
先ほど撮影した朱色の156号がホームに入って来た。キハ52はその落ち着いた車体デザインからして、日本の田園風景によく合う姿をしているように思う。北小谷を発車すると、先ほどまでカメラを構えていた下寺トンネルや李平の集落を通り抜け、やがて長大な真那板山トンネルに入る。エンジンの轟音と、レールの悲鳴が狭い内壁に反響し、やかましい歌を奏でる。乗客はみな思い思いの時間を過ごしているようだ。今朝降りた平岩を過ぎ、次の小滝で下車することにする。

3月に訪れた時は西側の明星山が雪を冠っていたが、今は景色全体が青々と夏の陽光に輝いている。小滝で降りたのは発電所を入れた有名な構図で再び列車を狙ってみたく思ったからで、大正橋を渡って姫川の対岸へ移動する。後追いで橋梁上の432Dを撮ることになるわけだが、まだ正面には陽が回らなさそうである。

撮影後、根知まで移動する。国道148号線を歩くという行程も3月の時と同じ。大前洞門、城山洞門、大前トンネル、唐沢洞門といったふうに、シェルターとトンネルが連続する区間である。トンネル内には申し訳程度に歩道が敷かれているが、路側帯を歩かざるを得ない区間も多々あり、トラックなどが猛然と脇を通過してゆくのにはなかなか恐ろしいものがある。袴岩までやって来るとすっかり平地に出てきた感が湧く。日差しも西に傾いてきたようで、夕刻の到来を予感させる。ゆっくりと歩いて小一時間で根知に到着。小滝方の踏切には交換を狙うべく既にカメラを構えている方がいらっしゃった。今回は、頸城大野方から国鉄色の離合を捉えてみるとしよう。

まずは糸魚川行431Dが先に入線する。115号。遠目に見る国鉄色というのもまた美しい。森の深緑色が列車をよく引き立ててくれる。続いて、平岩行434Dが背後からやって来る。こちらは朱色の156号。わずかながらの時間だが、両列車は黄昏の根知駅で対面し、やがて離合する。加速の際に双方の屋根から噴き上がる淡い青色の煙が、何とも印象的であった。

根知新道1717 → 上大野1721
糸魚川バス別所線
鉄道の撮影行を突き詰めていけば自家用車で移動するのが最も効率的ということになるのかもしれないが、列車移動が前提ではそうもいかない。本数は少ないながらも、バスの活用という選択肢が時には非常に奏功してくれる。今回は、ちょうど根知と頸城大野の中間地点付近までバスを利用する。ここでは北陸の国鉄色を追っているという方とお話をする機会があった。

バス停を下りしばらく歩いてトンネルをくぐると、平沢第2踏切という場所に到着する。ここは頸城大野を出発してきた列車が一直線にじりじりと向かって来るところを正面から狙える撮影地で、踏切手前の黒い杉林が絶妙な背景を形作っている。林の隙間から顔を出す国鉄色を狙うわけだが、今回はオートに頼っていると、前照灯にカメラが眩惑されたのか、どういうわけか露出が大幅に狂い、暗すぎる絵になってしまった。やはり今まで通りマニュアルで撮るのが面倒でも一番確かな方法といえる。とくに鉄道撮影という特殊な場合ならなおさらである。

10分ほど経てば、今の列車が根知で交換した糸魚川行が逆方向からやって来る。別段構想もしていなかったので何の変哲もない構図だが、車両をメインにして朱色を捉える事ができた。これにて大糸線の撮影は終了である。

暮れなずむ中、頸城大野駅に向かう。よくよく観察してみれば頸城大野周辺は素朴ながらも撮影地に恵まれている。大糸線といえば山岳路線のイメージが強かったため、撮影地は北小谷とか小滝とかを中心に選んでいたのだが、こうして歩いてみると、今さらながら平野部の魅力も再認識させられた感がある。山地、平野、春夏秋冬、様々の表情を見せる国鉄色の聖地。偏重することなく、後悔のないよう、今後も可能な限り足を運び、一回一回の撮影に十全たる準備を行い、一つの撮影行それぞれにこの上ない充実を図っていきたいものである。日没の駅はやたらに虫が多いが、人は一人として来ない。再び本を開いて列車が来るまでの時間をやり過ごす。

頸城大野1933 → 糸魚川1941
大糸線435D キハ52 115
すっかり夜である。ホームの灯りに照らし出された国鉄色は、昼間とは異なった独特の趣を見せる。窓から漏れる車内の灯りには、冷たい闇の水田に比べると随分と温かみを感じる。心地よい振動に揺られること8分ほど、ようやく糸魚川に戻る。

能登で到着したのが遥か昔のことのように思えてしまう。それだけに夜行列車での移動は目一杯の時間を提供してくれる。

写真
1枚目:水力発電所の点在する大糸線。小滝川はヒスイの産地でもある(@根知~小滝)。
2枚目:黄昏の駅で国鉄色が離合(@根知)。
3枚目:森を抜けてきた朱色の156号(@根知~頸城大野)。

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