急行形

2013年4月7日 日常
急行形
急行形
実に陽気な一日である。これほど良い天気なのに、代々木はキャンセルになってしまった。終日暇になったので、旅行記をしたためる。こういうのはそんなにスラスラと書けるものではなくて、管壁からじわじわと浸み出してきた消化液によって食物が溶かされるが如く、絞り出されてくる日本語のフレーズによって印象のかたまりは徐々に分解されていって、了解可能なパーツ、説得力のあるパーツへとゆっくりと姿を変えていくように思える。

夜は久々に料理を作るw

写真:高山本線普通列車@越中八尾
この構図はどうも中毒性がある。

283文字

小休止

2013年4月6日 日常
小休止
小休止
まずは矯正歯科へ。渋谷の伊東屋で替芯を買う。硬度Fを試してみよう。帰宅後は部屋を掃除し、大がかりに洗濯する。旅行記の方はあまり捗らず、ぐだぐだと一日を過ごしてしまった。

写真:高山本線普通列車@越中八尾
こういう中身のない日記を書くと、どうしても写真がメインにならざるを得ないが、その写真というのも最近は国鉄色キハ58だらけで、もはやタイトルもネタ切れ感しかないw

218文字

特急ひだ

2013年4月5日 大学
特急ひだ
特急ひだ
いくら簡単なメモが残っているとはいえ、ひと月以上が経過した今や、一日一日を思い出して日記をつけるというのは至難の業なので、新たな試みとして一週間ごとにまとめてみることにしよう。平日分は金曜に集約し、週末は週末で別個に、といった感じで。9年前の10月1日から一日も欠けることなく毎日分をつけてきた流れをここで断ち切るのは惜しい気もするが、そろそろ形式の転換時期なのかもしれない。

法医学
グロ画像オン・パレード。あまりここに書く内容ではないが、「慣れ」とは恐ろしいもので、次第に何とも思わなくなってくる。この「何とも思わなくなってくる」というのは、学問を修める身としては大きな進歩ではあるが、引き換えに何かを喪失していることも否定できない。くれぐれも人の心を失うことがないよう、日頃から注意していきたいところ。

内職して旅行記を書き進める日々。

定期練習(勧誘)
全塾に倣い、通常練習は「定期練習」、自主練は「自由練習」と呼称を改めることにしよう。まあ自分が勝手に使い分けているだけで、まだ全然浸透してはいないw 火曜は拉致勧誘、火曜は通常の勧誘。何とかやっていけそうか。しかし勧誘期間中は、部員の練習する時間がほとんど確保できない。そこは頭が痛い。

そういう風にして、新年度最初の一週間がスタート。

写真:高山本線特急ひだ
名古屋行のディーゼル特急。中京と北陸を短絡する路線として、高山本線を意識することは少ない。どうしても非電化の地方交通線、というイメージが強い。

741文字

表情

2013年4月1日 日常
表情
表情
4月中旬までは簡単な日常のメモが残っているとはいえ、ひと月以上も前の日記を書くのは、ずいぶんと難しい。まあ内容にこだわらず、好きに文章を書くということにすれば良いのかもしれない。しかし好きに書けるほどのネタを持っているかと言われれば、答えに詰まってしまうw 過去の旅行の写真だけは豊富にストックがあるので、何もネタがなければ純粋に写真を連載するという形式で日記を進めていくとしよう。

さて、怒濤の3ヶ月を駆け抜けた後にやって迎えた新年度の初日。ようやく一日の暇ができた。メモによれば、写真整理や旅行記に着手したは良いものの、大して捗らなかったらしい。

写真:高山本線普通列車@越中八尾
記憶の波間に埋もれてしまいそうな光景を、いかに拾い上げて素子に焼き付けるか。

368文字

越中八尾着

2013年3月31日 日常
越中八尾着
越中八尾着
昨夜、秩父鉄道からの帰りに降ってきた封筒詰めの雑務を片付け、今日は寝坊した。昼はゆるーりと新年度の準備を始めようということで、部屋を整理した後、東急本店で革靴を一足買った。ポリクリに使うとしよう。夕方は代々木へ。やはり代々木がないと生活のメリハリがつかないというか、何となく過ごしてしまいがちである。

いや、それにしても元日から今日まで、怒濤の3ヶ月であった。婦人科編集長、寒稽古、OSCE実習、CBT、OSCE、全塾戦、信濃町と志木の調整、代々木の追い込み、定期試験7科目、東北旅行、英仏旅行、鹿児島旅行、秩父鉄道撮影行。大学受験などとはまるで比較にならない、キチガイじみたスケジュールであった。今まで生きてきた中で、間違いなく最も高密度な時間を過ごしたように思う。

おかげで日記を大量にためてしまい、この記事を書いているのは5月。やはり3月の旅行記が重かったか。旅行の全てを消化しきるためには、それなりの時間を要するものだと考えている。それはそうと、「日常」カテゴリの記事がこれで1200件に到達したらしい。4月以降の分も、覚えている範囲で細々と書き連ねていくとしよう。

写真:高山本線普通列車@越中八尾
昼下がりの越中八尾駅。どこを撮っても絵になる。

566文字
霧雨の秩父路 Part 3
霧雨の秩父路 Part 3
霧雨の秩父路 Part 3
寒々しい夕刻。
3/30
撮影(武州中川~武州日野間 A地点):
1544レ[1554] 1003F(オレンジバーミリオン)
下り回送[1556] 西武4000系

撮影(武州中川~武州日野間 B’地点):
1535レ[1610] 7507F

撮影(武州中川~武州日野間 B地点):
1012レ[1626] 急行秩父路10号 6002F
1537レ[1630] 1010F(標準塗装)
S8レ[1633] 西武4000系

撮影(武州中川~武州日野間 C地点):
1546レ[1652] 1010F(標準塗装)

ロケハン
これまでの撮影で1000系の運用はすべて割れたので、あとは狙う列車を絞ってロケハンを行う。当たり前のことではあるが、「捨てる」べき列車が分かると格段に動きやすくなり、撮影効率が上がる。浦山口~武州中川のB’地点から中川方面にひたすら歩みを進めてロケハンを行うが、景色には建物がたくさん入るようになって、どうしてもそれらがカットできず撮影地に乏しい。そういえば中3のゴールデンウィークに秩父鉄道を訪れたときは、武州中川駅近くのよく分からないストレートの踏切で下り列車を撮ったのだった。ふと記憶が蘇って懐かしい。当時は、編成が全部入れば何でも良い、という価値観だったのである。まさか記事が残っているとは・・・↓

http://kuhane.diarynote.jp/200505082131070000/

自分で言うのもアホな話だが、同一の人間が書いた文章とは思えないwww

脱線した。結局、武州中川までの間には大した撮影地がなかったので、駅を越えて武州日野側に入る。しばらく歩くと少し景色が田園っぽくなったが、この曇天では色が出ず残念である。

A地点: 線路が小さな沢を渡る辺りの線路際にて。意外と障害物が多く、編成全体を入れるのはなかなか難しい。近辺もうろうろ歩きまわって思案した結果、桜の花を手前に据えて車両をぼかすことにした。やや苦し紛れであった。

B地点、B’地点: 武州日野までの間に沢はもう一本あり、こちらの方は沢というよりもそれなりの川で、水面は深い渓谷のはるか眼下にある。したがって橋梁もそこそこ立派で、ここを渡ってくる下り列車を撮るのがこの撮影地。しかしながら橋梁の構造を強く前面に押し出したような感じではなく、単にすっきりした足場の上を列車が駆けているだけという風にも見える。無理やり橋を入れようとすると、下から見上げる形でB’地点に立つことになるが、これだと仰角がきつすぎて列車の顔がかなり隠れてしまう。

C地点: 武州日野駅のすぐ近くで、構内も見える場所。線路際の木の下から撮影。駅を発車した上り列車をアウトカーブで狙う。背景の桜がポイントで、これがなければわざわざここで撮ることはなかっただろう。

終始冷え切った一日だったが、影森以西で1000系を撮るという念願がついに叶った。副産物だったはずのSLもすばらしい収穫で、次回はこれを追いかけてまた山に入っても良いくらいである。西武秩父の仲見世通りで郷土料理のわらじかつ丼を食して、秩父路を後にした。

写真(@武州中川~武州日野)
1枚目:桜とオレンジ(A地点)
2枚目:黄昏の橋梁を渡る(B地点)
3枚目:早春の夕刻(C地点)

1480文字
霧雨の秩父路 Part 2
霧雨の秩父路 Part 2
霧雨の秩父路 Part 2
蒸気機関車の咆哮がこだまする。
3/30
撮影(影森~浦山口間 B地点):
1530レ[1150] 7506F

撮影(影森~浦山口間 B’地点):
1523レ[1221] 7501F
5001レ[1229] SLパレオエクスプレス C58 363

撮影(影森~浦山口間 B地点):
1530レ[1150] 7506F
1532レ[1241] 1010F(標準塗装)

撮影(影森~浦山口間 A地点):
1516レ[1309] 1001F(スカイブルー)

撮影(影森~浦山口間 B地点):
38レ[1359] 7002F
5002レ[1421] SLパレオエクスプレス C58 363

撮影(影森~浦山口間 B’地点):
1529レ[1428] 1003F(オレンジバーミリオン)

S字カーブを愉しむ
B地点、B’地点: 浦山口の影森側には少し鬱蒼とした雑木林があり、山線のような雰囲気が感じられる。線路は国道よりもかなり高い位置を走っているが、注意していないと見落としてしまうような石段があるので、そこから雑木林の中に入り、獣道とも鉄ヲタ道ともつかないような道(最近この表現を多用しているw)を登っていくと、程なくして線路に出る。ここがB’地点で、縦構図ではあるが下り列車をアウトカーブで正面打ちできる。下りのパレオエクスプレスを決められた他、幸いにもオレンジバーミリオンの1000系も捉えることができた。しずしずと姿を現した箱形の電車は独特の風格を放つ。

B地点は影森側へ少し線路沿いに歩いた場所にあり、ここは上り列車用の撮影地。林の奥からS字を描いてぐにゃぐにゃと曲がってくる線形が最大の見どころで、ローアングルから狙えばヘッドライトの反照でレールが輝く絵も期待できる。さらに少し画角を広げれば手前のカーブを縦構図で押さえることも可能で、同じ列車でも色々な撮り方が愉しめるという、実に変化に富んだ場所だ。ここでは1000系の標準塗装もさることながら、白煙を噴き上げて邁進するパレオエクスプレスの勇姿が最大の収穫であった。実は、これほどの近くからSLを撮るのは初めての経験。ボイラーから漏れてくる息吹が自らの呼吸と共鳴し、まるで心が震えるような感覚であった。この生き生きとした感じ、熱を放って生きている感じが、まさに蒸気機関車の魅力といえよう。

A地点: 上下のSLの合間には影森方面へ歩いて色々とロケハンを進めたものの、結局ここに落ち着いた。ここ、というのは三ノ輪鉱業所への引込線がすぐ近くにある歩行者専用の跨線橋で、アウトカーブの上り列車を軽く俯瞰する場所である。パレオエクスプレスの作例がたくさん撮られている。この撮影地ではスカイブルーの1000系を押さえた。どんな構図であれ、3両編成というのは画面に配置するバランスが結構難しい。

写真(@影森~浦山口)
1枚目:シグモイドにさしかかる(B地点)
2枚目:パレオエクスプレス、力走(B地点)
3枚目:突如現れたオレンジバーミリオン(B’地点)

1382文字
霧雨の秩父路 Part 1
霧雨の秩父路 Part 1
霧雨の秩父路 Part 1
のすり氏と共に秩父鉄道を撮ってきました。
3/30
撮影(浦山口~武州中川間 B地点):
1507レ[759] 7801F

撮影(浦山口~武州中川間 A地点):
1516レ[806] 5002F
1507レ[830] 7002F
1518レ[835] 7001F
1509レ[857] 7506F
S1レ[906] 西武4000系
1520レ[911] 7002F
1511レ[920] 5001F
1001レ[945] 急行秩父路1号 6001F
22レ[956] 5001F
S3レ[1005] 西武4000系
1524レ[1021] 7801F
上り回送[1037] 西武4000系
1003レ[1051] 急行秩父路3号 6002F
1517レ[1058] 1001F(スカイブルー)
1519レ[1124] 1010F(標準塗装)

霧雨の朝
この撮影録を書いているのはまさかのゴールデンウィーク明けなので、当日の細かい車両運用とか行程推論とかは完全に失念してしまったw とりあえず、撮影地と撮影列車、そして簡単な感想を記録に残しておくとしよう。今まで何度となく足を運んだ秩父鉄道であったが、今回は影森以西で1000系を撮るということだけに目標を絞って遠征。貨物は貨物で毎回飽きない被写体ではあるが、時にはばっさりと捨てて普通列車に専念しなければならない。有難いことにのすり氏のご友人が予め普通列車の運用をつぶさに調査して下さったので、その産物を手に我々はたいへん効率的な撮影を行うことができたのだった。

A地点: 浦山口~武州中川間の大カーブ。両側に架線柱が立てられた場所が多く、さらに横方向の景色も広がりに欠けがちな秩父鉄道にあって、大きくアウトカーブの構図を切り取ることができるこの撮影地は奇跡的ですらある。カーブは高い築堤の上に載っていて、築堤下の道路から急坂を登ってのアプローチが一般的と思われるが、B地点から線路沿いにここまで来ることも可能。午前中はひたすら「守り」の撮影姿勢。下りは普通にアウトカーブで、一方の上りはカメラを反対側に振って雑木林を活かしながら縦構図も交えて撮影する。1000系の運用が割れるまでは場所を移動せず、じっと粘るのが得策だろう。待った甲斐あって、スカイブルーと標準塗装を決めることができた。実はスカイブルーのまともな正面打ちの走行写真を撮るのはこれが初めてかもしれない。それと、西武4000系も意外と絵になって良い。

B地点: 雑木林の奥、武州中川側にある踏切から下り列車を撮影する場所。線路が緩く曲がっているが、とくにすばらしい場所というわけではない。縦構図で顔を大きく切り取るのが無難な撮り方か。

霧雨が冷たい。しっとりと全身が濡れていき、徐々に体温を奪われてゆく。

写真(@浦山口~武州中川 A地点)
1枚目:西武4000系
2枚目:1000系(スカイブルー)
3枚目:1000系(標準塗装)

1401文字

トリミング

2013年3月29日 日常
トリミング
トリミング
トリミング
昼間の時間は、封筒詰めの雑務と写真整理をこなす。旅行はただ行ってそれっきり、というのではあまりに勿体ない。あくまで個人的な考えではあるが、写真とともに行程をつぶさに振り返り、感覚や思考といったものを整理しないと、消化しきれていないことになる。現に、東北旅行も英仏旅行も鹿児島旅行も、まだ到底消化できていない。しかし、日常の中で確保できる自由な時間が少なくなるにつれて、そうも言っていられなくなるのかもしれない。時間をどう使うかというのは永遠のテーマであり、個人の特性を如実に反映する部分でもある。

夕方は志木へ足を運んだ。先週の金曜以来か。ずいぶんと久しぶりに感じる。感覚を取り戻してきた頃にはもう練習を切り上げる時刻となり、矢数をかけるのはなかなか難しい。もちろん、一本一本を丁寧にひくに越したことはないのだが、今の自分の状況は、低いレベルで射を維持するに留まっている。

写真:高山本線普通列車@富山
切り取り方次第で色々と表情が変わるので、鉄道車両は面白い。

468文字

2013年3月28日 日常
窓
窓
旅行から帰っても仕事は山積している。そろそろ新年度の準備も始めねばならない。手帳を買い、PCを返却し、学生課を訪れ、夕方は代々木へ。そして、卒業生から喜びの声を頂いた。この時間が一番嬉しい。本当に報われたことを実感する。正直2月は自分もしんどかったが、苦労した甲斐があった。帰宅後は封筒詰めの書類を作成。もうすぐ勧誘が始まろうとしている。驚きである。

それにしても、日々息つく暇もない。3月いっぱいは予定が満載だから、とりあえず仕事を片付けつつ着実に駆け抜けるとしよう。

写真:高山本線普通列車
キハ58といえばこの整然とした窓がすばらしく美しい。

311文字
鹿児島旅行 4日目
鹿児島旅行 4日目
鹿児島旅行 4日目
霧島をめぐる。
3/27
指宿940 → 鹿児島中央1113
指宿枕崎線1336D キハ47 8124

昼食

鹿児島中央1225 → 鹿児島空港1315
南国交通空港リムジン

鹿児島空港1340 → 丸尾1412(-2)
いわさきバス

丸尾1422(+4) → 田口1446(+4)
いわさきバス

霧島町蒸留所見学

神乃湯1641(+7) → 霧島神宮1649(+5)
いわさきバス

霧島神宮

霧島神宮1823 → 国分駅1902
いわさきバス

国分駅1910(+3) → 鹿児島空港1933(+3)
三州自動車

鹿児島(KOJ)2045 → 東京・羽田(HND)2215
ソラシドエア3782便(SNJ3782)

指宿枕崎線の旅
朝一番の列車でJR最南端の駅、西大山を往復することも密かに考えてはいたのだが、ゆうべは飲み過ぎてしまい計画頓挫w 普通に起床し、それなりにボリュームのある朝食をとり、記念撮影もして、荷造りを終える。しかし9時32分発の快速に乗る予定が、タッチの差で列車を逃してしまった。後を追う40分発の普通列車があるので、これに乗る。快速は1時間で行くところだが、普通は1時間半かけてのんびり走る。個人的には嬉しい誤算で、キハ47に乗れるw 足元から伝わってくるディーゼルエンジンの粗い振動は、いつも飽きることがない。列車はところどころバウンドするように走り、座面から尻が浮き上がる。残念ながら今日は小雨が降っていて綺麗な車窓ではないが、しっとりとした雰囲気もまた良いものだ。途中の前之浜という駅で特急指宿のたまて箱と交換。正中線を境に白黒に塗り分けられたえげつない塗装だが、JR九州のことだと思うと妙に納得してしまう。いつか時間のあるときに、九州の国鉄型もしっかりカメラに収めておきたいところである。

鹿児島中央では少し時間が空いたので、前主将と元外務の先輩方と鹿児島ラーメンを食べに行く。歩いて3分ほどの場所にある「豚とろ」という店へ。鹿児島ラーメンといっても厳密なスタイルが決まっているわけではなさそうで、とんこつベースでありながらクセがなく、誰でも美味しく食べられそうな味である。良い昼食だった。

霧島町蒸留所
今日は一日バスでの移動となる。まずは高速バスで空港まで向かい、荷物をコインロッカーに預ける。空港からは路線バスに乗り、丸尾を経由して田口というバス停へ。鹿児島空港は地理的には肥薩線表木山、中福良、嘉例川あたりの駅が近く、バスを使えば霧島方面へのアクセスが良好である。訪れたのは霧島町蒸留所で、焼酎蔵の見学をさせてもらえる。「明るい農村」というのが主要銘柄らしい。ここは山間の小集落で、清冽な霧島川が蔵の裏手を流れている。きれいな水のあるところには美味い酒が生まれる、ということか。酒が作られる過程を見るのは実に面白く、さらに言えば、自分の食するもの、飲むものがいかにして作られているかを知ることは興味深い。蒸留酒だけあり、いかにも精製されたアルコールの風味を感じるが、そこに芋の香りが上手く乗っかっている。これまでは専ら日本酒に傾倒していたが、焼酎も焼酎で良いものだ。色々と試飲までさせて頂き、「農家の嫁」という香り高い紫芋の焼酎を土産に買って帰ることにした。

見学後は小雨の中、近くの共同浴場まで歩く。風呂に浸かるメンバーもいたが、自分は少し休憩。指宿といい霧島といい、こういう機会でないとなかなか訪れることはないだろう。名所だけを訪れるのが旅行というわけではなく、自らの生活とは明らかに異質な日常に触れることもまた醍醐味である。

霧島神宮
夕方は、先ほどバスで通り過ぎた霧島神宮へ引き返す。相変わらず雨は降り続いている。バス停の近くにある「神宮亭」という店でうどんを食して一息ついた後、入口の長い階段を登る。かなり奥が深い敷地で、入口からは想像もつかない広さである。しっとりと濡れた景色の中、参道を歩いて境内へ。参拝客も少なく、落ち着いて回ることができた。こういう場所は雨が降っていた方が絵になるかもしれない。鬱蒼とした深緑の森を背景に、鳥居の朱色や、桜の桃色が鮮やかに映えている。社務所は18時で閉まった。暗い森の中へ立ち去っていく巫女の赤い袴と雨傘も絶妙なアクセントである。

日没を迎え、辺りは紫色の黄昏に包まれ始める。まずは40分ほどかけて国分駅まで出る。駅から少し離れた場所に到着したので焦ったが、空港行のバスに無事乗換えることができた。

帰路
急いで夕食をとり、搭乗口に滑り込む。帰りの便はソラシドエアで、行きのスカイマークよりも機内が快適であった。LCC(格安航空会社)だけあって羽田では僻地のような場所に到着w タラップを使って滑走路に降り、バスでターミナルまで向かう方式であった。「沖止め」というらしい。空港の施設使用料を安く抑えられる利点があるという。

「関係性」を実感する3泊4日であった。もっと見識を深めていきたい。

写真
1枚目:キハ40系列が集う(@指宿)
2枚目:霧島神宮
3枚目:黄昏の雨

2525文字
鹿児島旅行 3日目
鹿児島旅行 3日目
鹿児島旅行 3日目
島を去り、指宿へ。
3/26
船行945 → 宮之浦港1025
種子島屋久島交通バス

宮之浦1045 → 鹿児島1235
種子屋久高速船111便

朝日通 → 鹿児島中央駅前
鹿児島市交通局 市電2系統

昼食

鹿児島中央1537 → 指宿1638
指宿枕崎線3345D 快速なのはな キハ200-1010

砂風呂

旅館 吟松 泊

本土へ戻る
今日の屋久島も快晴である。この島はあと2、3泊くらいしても十分楽しめそうだが、残念ながらもう去らねばならない。船行のバス停から路線バスに乗って宮之浦港へ向かう。車窓右手にはブライトブルーの海が広がり、午前の陽光を受けて燦然と輝いている。左手を見ればすぐ近くまで山が迫る。23区程度の面積にもかかわらず九州最高峰の宮之浦岳を擁するこの島は、海抜の高低差が著しいことでも知られている。

高速船は混雑していた。鹿児島までの所要は2時間弱。錦江湾に入ると、右に大隅半島、左に薩摩半島の影が横たわる。我々の乗っている船が、地図上の一動点として軌跡を描いている様子を思い浮かべると、なかなか面白い。今まさに、狭く深い地形をしたこの湾の中へ進入しているわけだ。鹿児島中央の駅前に戻ってきたのは13時15分頃。駅ビルの中にある「素敵庵」という店でステーキを食する。その後、地下で土産物を買う。焼酎だけを集めた店があったので入ってみると、莫大な品揃えである。よく分からなかったので店員に訊いてみたところ、木樽蒸留の芋焼酎「喜左衛門」を薦められたので、これを買うことにした。

指宿へ
そういえば九州上陸は中1夏の鉄研夏の旅行以来、実に10年ぶりである。あの時は、肥薩線や吉都線、日南線などを乗りつぶしたのだった。キハ28・キハ58が当たり前のように走っていて、クリームと青の九州塗装が沿線風景によくマッチしていた。時代は変わり、新幹線が通り、なは、あかつき、富士、はやぶさといった名門の九州ブルトレも過去のものとなった。西鹿児島という駅名はなくなり、川内から八代までの鹿児島本線は第三セクター化された。くすんだ車窓に広がった、コバルトブルーの水俣の海の景色は今でもよく覚えている。指宿まではキハ200の快速なのはなで1時間。屋久島は快晴だったが、本土は曇天。車窓には鉛色の錦江湾。喜入という地名に聞き覚えがあると思ったら、ここには石油備蓄基地があるのだった。中学受験知識だったか、いや違うかw

タクシーで5分ほどのところの吟松という温泉宿に泊まる。部屋からは錦江湾が一望のもとで、なかなか良い宿である。まずは夕食前に近くの砂風呂へと足を運ぶ。全裸の上に専用の浴衣一枚を羽織って、寒風吹きつける砂浜へw 砂場に横になると、頭だけを出す形で上から砂をかけてくれる。傍から眺めたら、色々な人の顔が砂場に点在しているという、きっと相当に面白い光景なのだろう。サウナに入っているのと同じような感覚で、じわじわと汗が浸み出してくる。20分ほどしてから砂場を出ると、浴衣はびっしょりになっていた。そこまで汗をかいた自覚はなかったが、結構脱水したようだ。

六年生へのサプライズを用意した夕食後は、宿の屋上の露天風呂に入る。闇に沈んだ錦江湾が眼前に広がる。残念ながら曇っているようで、星は見えない。快晴ならば満点の星空だったところだろう。その後は酒を飲む。近くのコンビニへ買い出しに行ったら屋久島産の「三岳」が何本か普通に置いてあったので、折角の機会ということで手に入れる。この焼酎は生産量が少なく地元でも入手が難しいと聞くが、こんなところで買えるとは思わなかったw 明け方まで深酒して、泥のように眠る。楽しい夜であった。

写真
1枚目:屋久島の朝
2枚目:本土への高速船
3枚目:酒宴

1782文字
鹿児島旅行 2日目
鹿児島旅行 2日目
鹿児島旅行 2日目
縄文杉を見に行く。
3/25
船行445 → 屋久杉自然館500
種子島屋久島交通バス

屋久杉自然館545 → 荒川登山口620
まつばんだ交通バス

縄文杉登山

荒川登山口1500 → 屋久杉自然館1535
まつばんだ交通バス

屋久杉自然館1540 → 船行1600
まつばんだ交通バス

日帰り入浴、バーベキュー

コテージ 森のこかげ 泊

登山
暗闇の中、4時過ぎに起床し、登山者向けのバスに乗って山へ向かう。車内にはすでに乗客がひしめいている。真っ暗な車窓に囲まれ、冷たい蛍光灯に照らし出された車内には、朝が早いためか何となく殺伐とした空気が漂う。バスは安房の町を通り過ぎ、安房川を上流へさかのぼるようにして山へ入る。そして、屋久杉自然館というところでバスを乗り換える。ここにはさらに多くの登山者が集結していて、登山口へ向かうバスを待機していた。これでもかなり混雑しているように思えたが、ゴールデンウィークなどはこの比ではないという。少し時間があるので、ここで弁当を食する。周りを見渡せば、みなそれなりに本格的な登山の装備をしていて、普段着にトレッキングシューズを履いただけというのはさすがに山をナメているか。一応雨具は持ってきたが、この服装で雨に降られたらひとたまりもない。今日の屋久島は、予報では晴れ。好天を祈ろう。

バスは1台ではとても乗り切れないので、我々は2台目の増発便に乗って荒川登山口へと向かう。九十九折の山道を駆け上っていくと、はるか眼下の車窓には束の間、未明の闇に浮かぶ安房の夜景と、遠景に沈んだ黒い大洋がのぞく。登山口に到着した頃にはかなり空は明るくなってきた。おそらく日の出の時刻は過ぎたのだろうが、山あいだから光が差し込んでくるのはまだ先だろう。

登山口から8kmほどは安房森林軌道というトロッコ軌道が登山道を兼ねている。日本で唯一現役稼働している森林鉄道らしく、現在は登山道沿いの物資の運搬に使われているという。軌間は762mm、レールも枕木も至って簡素な作りで、こんなぐにゃぐにゃに曲がった線路の上を本当に車両が走るのか疑問である。鬱蒼たる森の中に細々と続く鉄路は、一見すると廃線跡のようでもあり、実に趣がある。ところどころ沢に架かる橋も簡素な構造で、スリリングな山行である。しばらく歩くと、ようやく日が差してきた。やがて大きな橋を渡り、登山開始から40分ほどで旧小杉谷集落に至る。ここは現在は廃村となり、小学校の跡や苔むした遺構の数々が目に留まるのみだが、40年ほど前に閉鎖されるまでは林業の拠点として栄えたらしい。人々はトロッコに乗って安房の町まで買い物に出かけたという。集落跡を横目に走る錆びたレールは何も語らないが、まるで往時の記憶を留めているかのようだ。小杉谷橋から見える渓谷の山桜が美しい。ここから先もトロッコ軌道の登山道は延々奥へと続く。鉄道が敷設できるだけあって傾斜こそ緩いが、景色は極めて単調なのでだんだんと心身ともに疲弊してくる。登山口から2時間半ほどで、ようやく軌道の終点に到着した。

ここから先は、今までとは打って変わって険しい登山道となる。倒木をまたぎ、岩場を乗り越えながら、山奥へ分け入る。かつての「餘部スーパー俯瞰」を思い出したw スギの原始林の中はまるで緑色の霧がかかっているかのようであり、ここが『もののけ姫』のモデルになった地だというのも納得が行く。近くに林立するどの木も、無名ではあるが独特の質感と雰囲気をまとっていて面白い。1時間ほどでウィルソン株という有名な切り株に到着。凄まじく大きな切り株で、内部は洞窟のようになっている。その内部から吹き抜けの空を見上げると、切り株に輪郭されて空がハート形に見えるというのがポイントらしい。ここは記念撮影をする人で混み合っていた。さらに1時間ほど険しい道のりを越えていくと、ついに縄文杉に到着。荒川登山口から4時間半弱かかったことになる。木のすぐそばまで立ち入ることはできず、やや遠くに設置された木製のデッキから眺める形ではあるが、4000年の歴史を湛えた巨木は圧倒的な存在感である。旅行ではしばしば「時空間」を意識するわけだが、今回の山行はとりわけ「時間」の歪みを感じるから面白い。自身と外界との間に作られた隔壁であるこの皮膚を境にして、内外で異質な時間が流れているかと思うと、実に不思議である。肺胞や毛細血管や自由神経終末を介して、外界から伝わってくるものを一気に受け止めていると、やがて外界が自身の内部へと浸透してくるかのようである。

縄文杉から少し離れたところにある高塚小屋の近くで昼の弁当を食べる。ここは少し景色が開けた場所で、下から吹き上がってくる風が非常に冷たい。ずいぶんと人間慣れしたシカの親子がいた。世界遺産に登録されて以降、縄文杉を訪れる人が激増したことを窺わせる。11時過ぎに休憩を終え、もと来た道を引き返す。トロッコ軌道に入ってからはやはり単調な景色が続き、気を抜くと歩きながら寝てしまいそうになる。小杉谷の集落を通ぎた後にトロッコが向かい側から走ってきたのが帰路のハイライト。屋久島電工が所有する黄色い機関車が、幌付きの貨車を牽引して、トコトコと山奥へ走り去って行った。これぞ現役の森林鉄道の姿である。かなりのハイペースで戻ってきたため、15時のバスに間に合った。

夕刻
天候は快晴。海も群青色に輝いている。多雨といわれる屋久島だが、本当に運の良い一日であった。宿に荷物を置いた後、近くにある屋久島グリーンホテルで日帰り入浴を行い、上がった後はビールを飲むw そして日が暮れてからはバーベキューに興じる。長い一日であった。

写真
1枚目:森林軌道をゆく
2枚目:ウィルソン株の内部
3枚目:縄文杉

2605文字
鹿児島旅行 1日目
鹿児島旅行 1日目
鹿児島旅行 1日目
弓道部旅行で屋久島へ。
3/24
東京・羽田(HND)610 → 鹿児島(KOJ)810
スカイマーク391便(SKY391)

鹿児島空港910 → 市役所前1002
南国交通 空港リムジン

鹿児島港 → 桜島港
桜島フェリー 第16桜島丸

足湯、ビジターセンター

桜島港 → 鹿児島港
桜島フェリー 第15桜島丸

鹿児島1320 → 宮之浦1505(+15)
種子屋久高速船117便

宮之浦港1525 → 船行1557
種子島屋久島交通

コテージ 森のこかげ 泊

未明の旅立ち
夜を徹しての写真整理を終え、3時半に家を出る。朝5時まで営業しているラーメン屋に入って腹ごしらえをした後、四谷三丁目交差点まで延々歩き、4時40分頃に副将一行と合流。四ツ谷駅まで歩き、呼んでおいた定額タクシーにて羽田空港へ向かう。霞ヶ関から都心環状線に入り、浜崎橋、芝浦を経て台場線に乗る。有明からは湾岸線で一本道。どういうわけかやたら飛ばしてくれたので、20分あまりで着いてしまった。空はうっすらと明るくなってきた。旅立ちといえば夜行列車だが、こういう未明の出発も面白い。

今回は前主将のプランに完全に乗っかる形で屋久島行の弓道部旅行に参加。何から何まで手配して頂いて、本当に有難い限りである。鹿児島までの飛行機はスカイマーク。空路での旅はずいぶんと手軽になった。座席配列は3+3列という狭苦しいものだったが、単なる移動手段と割り切ればどうということはない。浅い眠りから目覚めると、すでに機体は高度を下げ、靄がかった深緑の山地の上を飛んでいた。遠くに見える山影は、桜島だろうか。飛行機での旅は、やはり離陸後や着陸前がハイライトである。悠々と空を泳いでいるかと思いきや、地上との絶妙な距離感が徐々に縮まっていく。そして、あっという間に対地速度を実感するまでに機体が降下し、滑走路にざざーっと滑り込む感じは、いつも面白い。

桜島
鹿児島は陰鬱な曇天である。どうやら3月はこういう天候が多いらしく、遠景は靄がかっていて視界が悪い。大陸からの黄砂なども影響しているのだろうか。空港から高速バスに乗り、小一時間かけて市街地に到着。まずはフェリーに乗って桜島へ渡る。フェリーはかなり頻繁な間隔で運航されているようだ。

桜島は1914年の大噴火で大隅半島と陸続きになった。活火山と共に暮らす毎日はなかなか想像がつかないが、この小さな火山島に人々の生活が息づいているかと思うと感慨深い。さすがに島を一周見て回る時間はないので、港から海岸沿いに歩いて15分ほどの場所にある足湯に浸かった後、入場無料のビジターセンターを訪れる。観光地として賑わっている風はあまりなかったが、内容が充実していて楽しめた。噴火を記録した写真集は目を見張るものがあり、とくに火山雷の写真は圧巻。自然写真や動物写真を真剣に撮るというのは、本当に大変なことである。狙ったら必ず撮れるわけではないし、ごくまれにチャンスが来たからといって、それが必ず成功するわけでもない。あらゆる不確実性を乗り越えた一枚だからこそ、価値があるというものか。帰りのフェリーの中ではうどんを食した。あっさりとした味で美味しい。

屋久島へ
桜島から戻った後は高速船のターミナルへ移動し、13時20分発の水中翼船で屋久島へ渡る。船は海上を滑るようにぐいぐいと速度を上げ、外洋を目指して曇天の錦江湾を駆け抜ける。屋久島、宮之浦港までの所要は2時間ほど。主務の2人には船内で弓道部テスト選択問題の採点を依頼し、自分はというと、弁当を食べてから到着直前まで眠りこけていたw

桟橋に降り立つと、小雨が降っている。いくぶんかねっとりとした空気が頬を打つ。山々は雨雲に隠れてしまって、全容が見えない。ここから宿まではバスで30分弱。宮之浦から島の東海岸を南下していく。途中、屋久島空港に立ち寄る。本当に小さな空港であった。しかし島が世界遺産に登録されて以降、需要が増えているらしい。船行(ふなゆき)というバス停で下車する。宿は、森のこかげというコテージ。広大な駐車場のようなスペースにログハウスが点在していて面白い。

夕食は、安房(あんぼう)方面へ1kmほど歩いたところにある店「いその香り」で海鮮を食べる。どの料理もボリュームがあって良い。そして、九州は焼酎の国。屋久島で作られている三岳という芋焼酎が美味しかった。普段は自ら進んで焼酎を飲むことはないが、複雑に訴えかけてくる日本酒の風味とはまた違って、蒸留酒らしい純粋で透き通った味わいもまた良い。非常に素直で、まっすぐな感じがする。地元の魚に、地元の酒。これぞ旅行の醍醐味である。本当はもっと余韻に浸りたいところではあったが、明日は未明から登山口に向かわねばならないため、早々に床に就いた。

写真
1枚目:桜島フェリー
2枚目:島の山々
3枚目:刺身

2342文字

代走続く

2013年3月23日 大学
代走続く
代走続く
本当は早起きして諸々の雑務を片付けるはずが、正午前まで惰眠を貪ってしまった。午前中の時間を有効活用できていない。一番、もったいないことである。

白衣式
来月からいよいよ臨床実習に出るということで、ネーム入りの白衣を先生方に着せて頂く儀式。来賓の挨拶があまりに眠かったが、最後に引用されたマザー・テレサの言葉だけは本当に納得した。最初からこれだけ言ってもらえれば良かったのだがw 式典はかなり厳粛な雰囲気なのかと思っていたら、大してそうでもなく拍子抜け。とくに式典終了後、階段に整列して記念写真を撮っている様子は、幼稚園の運動会みたいだったw まあ何にせよ、心を新たにして来年度も頑張ろう。

国対委員の会議を経て帰宅し、明日未明から始まる鹿児島旅行の荷造りを始める。荷物は軽装に限る。縄文杉の登山も予定されているが、撮影行のトレッキングシューズがあるのでこれで良し。服装は普段着というナメた格好だが、天気は良さそうなので大丈夫だろう。

18日に帰国して以来、どうも生活リズムが乱れている。今宵は夜を徹して写真整理の作業に勤しむ。東北旅行と英仏旅行だけで膨大な枚数なので、なかなか骨が折れた。しかし1枚1枚を吟味しながら旅を振り返る時間は、至福のひと時でもある。

写真:高山本線普通列車@富山
昼間も国鉄色が走っています。越中八尾行に乗車。

641文字

富山市電

2013年3月22日 弓道
富山市電
富山市電
富山市電
まずは朝9時に孝養舎へ行き、弓道部テストを実施。試験時間は90分だったが、書き足りなさそうな人がいたので15分弱延長。いやーそれにしてもこの日のために結構な準備を重ねてきたものだ。なぜそこまでやるか、という疑問もあるが、明確な理由はない。趣味、とでもいったところかw 監督中は暇だったので、婦人科の解答作成に勤しむ。

試験終了後は、勧誘ミーティング。いかんせん例年とは状況が異なるので議題がかなり多く、ずいぶんと濃密だった。2時間半くらいを要したか。その後、諸々の仕事について各方面と相談。そういえば封筒詰めなるものもあったんだった。ヤウで遅い昼食をとる。

時間の有効活用ということで、メディアに移動して婦人科の解答作成を継続。最後の方が少し雑になってしまったが、何とか夕方までに完成。これで明日の締切は守られた。やれやれである。パリへの往路で問題を打ち込んでおいて本当に正解であった。そして夜は志木へ。上旬と中旬は旅行に明け暮れていたので志木の件は四年の幹部諸君に任せっきりであったが、ようやく現地を訪れることができた。職務に復帰しよう。

写真:富山市電
朝のキハ58の運用が終わったので、昼は寿司を食べに街へ出たのでした。しかしこの日は昼間も代走で走っていたことが発覚し、若干の後悔の念。

584文字

縦貫線の物流

2013年3月21日 日常
縦貫線の物流
大勢の人が急に居なくなってしまった部屋には、形容しがたい虚無感が漂う。一通りの片付けや掃除を終えると、もう8時前。シャワーを浴びた後、この勢いで一睡もしないまま仕事に取り掛かろうかと思ったが、やはり寝ることにした。一時的に死んだように意識が飛び、目覚めたのは13時前。14時にはアポがあったので副将と待ち合わせ、先生に会いに行く。その後、学生課に立ち寄って帰国の旨を告げる。

夕方は弓道部テストの解答用紙を印刷。なぜここまで本気になってこのテストの準備をやっているのか、だんだん自分でも不思議になってきたw 謎のこだわりである。その後、代々木へ。夕方になると頭が冴えてきて、意外と捗る。

毎日予定が詰まっていて、息つく暇もない。

写真:北陸本線貨物列車@富山
レッドサンダーに率いられて富山駅を通過。

388文字

引き上げ

2013年3月20日 弓道
引き上げ
少し寝坊してしまった。まずは国際展示場へ足を運ぶ。

レジナビ
今の時期に行くだけでも「意識高い(笑)」のかと思っていたが、同級生がわんさかいて驚いたww むしろ、自分の「意識の低さ」を認識する良い機会になったかもしれない。いやー、みなよく調べていて感心する。

まあ色々と訳が分からなかったので、とりあえず適当に回る。別に情報集めがどうとかではなくて、ごくごく、雰囲気をつかんだだけか。説明を受けた最後に「何か質問はありますか」と訊かれても、予習不足すぎて質問のしようがないという情けなさww 来年度はもう少しまともに行動できるようになろう。

追いコン
その足で北参道へ向かい、追いコン。六年生の皆さま、ご卒業おめでとうございます。しかし主将挨拶は、本当にクソなスピーチだった。何というか、まともな挨拶とか演説ができるようになりたいものだ。「書く」論理に逃げてばかりいてはいけない。で、ついに二次会。しらふではとてもできない内容の芸なので、予め大量に飲酒しておいた。自分以外の部員諸君は実によく練習してきた感じで、みな完成度が高く仰天した。とくに副将の芸はキチガイじみていて、卓越した完成度であった。いやしかし、自分がのんきに旅行している間にみな入念に準備をしていたのかと思うと、何だか申し訳ない気分になる。もはや自分には、ぶっつけ本番で体を張り、練習不足の罪を償うしか道が残されていなかったので、解剖の試問をモチーフにした「脱ぎ芸」を披露して、異常な余韻とともに芸は終了ww これは上手くいったのかどうか甚だ疑問であるww

三次会は、外苑前にて語り明かす。

写真:高山本線普通列車@富山
引き上げて行きました。

813文字

回送待ち

2013年3月19日 日常
回送待ち
ゆうべはほぼ徹夜してしまい、弓道部テストの問題用紙を延々と印刷していたのだった。すぐに終わるかと思いきや、なかなか膨大な量で疲弊した。午前中は寝る。帰りの飛行機の中であまり眠らなかったせいか、5時間ほど生活リズムが遅れている。どうしたものだろう。午後は矯正歯科に赴き、その後日吉へ向かいITCにPCを返却。3週間もの長期貸出だったが、実に役に立った。その足で外苑前。

大体仕事は片付いてきたが、最大の懸案事項、明日の追いコンでの一発芸がまだ決まっていないのだった。英仏旅行中、あたかも小さな結核病巣が如く、頭の片隅に息づいていたこの懸案事項、ついに再燃して大規模な炎症を起こした。ちょうどそのとき、前予科主任から電話があり、芸のネタを提供するので道場に来ませんかと言う。行ってみると、まあ、準備や練習を怠った罪は体を張って償え、といったところの内容で、これはぶっつけ本番で二次会に飛び込むことになりそうだww

いやー助かった。助かったと言うのかは分からないがww

写真:高山本線普通列車@富山
対岸のホームからやや望遠気味に狙う。

503文字

おわら風の盆

2013年3月18日 日常
おわら風の盆
正午頃に家に着き、荷ほどきを終える。弓道部テストの解答用紙作成やら、写真整理やら、早速今日から色々な仕事に取り掛かろうと思っていたのだが、さすがに旅の疲れが出たのか、あるいは時差の影響か、日没までソファーで眠りこけてしまった。おかげでずいぶんと疲労からは回復したが、どうも生活リズムが崩れた感がある。一週間と経たないうちに次の旅行が控えていることなので、ゆっくり休もう。

写真:高山本線普通列車@富山
祭りのPRで、写真撮影が行われていました。

258文字

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