さらばロンドンの日々。
・滞在最終日
早いもので、もう1週間が経ってしまった。できることならあまり帰りたくないが、そろそろタイムリミットである。これほどまでに濃縮された8月がかつてあっただろうか。4日~8日の東医体遠征、9日~11日の利尻島、そして今回15日~23日の渡英。かつて有り余っていた時間は、徐々になくなっていく。しかし、時間は作るものでもある。どのように時間を作り、どのように時間を配分するかは、恒久の課題といえよう。
・大英博物館
天候は冷雨。最後の観光は、大英博物館に決めた。まずは斜向かいにある「Munchkin」という店に入り、シェパーズ・パイとエールを頼む。味付けは薄く、実に素朴な味。これが伝統的なイギリス料理ということらしい。この国はよく料理がまずいと評されるが、まあ確かに大陸で食べるような美味しさや華やかさはない。つまるところ、どこまでも素朴なのである。個人的には結構好きではあるが。昼食後は、博物館の見学に移行。しかしとても一日で見て回れるものではないから、有名どころだけを1時間で回るという、パンフレットに書いてあった駆け足コースをたどる。一つ一つをじっくり見る余裕はほとんどない。「絵画は国民のもの」というナショナル・ギャラリーの考え方と同じく、大英博物館も入館料はいらない。気の向いたときに無料で鑑賞できるこの環境はなかなかうらやましい。
いやそれにしても、よくぞここまで世界各国から色々なものをカッパらってきたと思うw とにかくありとあらゆる文化財がそろっている。大英帝国の略奪資料館といっても良いw 訪れた時間帯が昼過ぎということで館内は混雑していたが、中でもミイラの展示室はなかなかの人気で、たくさんの人の熱気で蒸し暑いくらいであった。しかしよくよく考えてみれば、人間の屍が衆目に晒されているわけだから、やはり不気味ではある。個人的には非常に興味深い展示ではあったが、これを死者の冒涜ととらえる向きもあるだろう。その他に印象に残ったものといえば、アステカ文明の「双頭の蛇」。鱗のように散りばめられたエメラルドグリーン色の装飾が美しい。他にも目を見張るような展示はいくらでもあったが、じっくり眺めるのは次の訪英時に回すとしよう。
・さらばロンドン
ヒースロー空港を19時15分に発つ。夢のような非日常であった。急速に日が暮れてゆく機窓を呆然と眺めながら、夏の終わりを悟る。
写真
1枚目:シェパーズ・パイ(食べかけ)
2枚目:双頭の蛇
3枚目:博物館館内
1861文字
8/22
High Street Kensington → Notting Hill Gate
Circle Line
Notting Hill Gate → Tottenham Court Road
Central Line
大英博物館(British Museum)観光
Tottenham Court Road → Notting Hill Gate
Central Line
Notting Hill Gate → High Street Kensington
Circle Line
High Street Kensington → Gloucester Road
Circle Line
Gloucester Road → Heathrow Terminal 1,2 & 3
Piccadilly Line
8/22 → 8/23
London Heathrow(LHR)1915(GMT+1) → 東京・成田(NRT)1430(GMT+9)
日本航空402便(JL402)
・滞在最終日
早いもので、もう1週間が経ってしまった。できることならあまり帰りたくないが、そろそろタイムリミットである。これほどまでに濃縮された8月がかつてあっただろうか。4日~8日の東医体遠征、9日~11日の利尻島、そして今回15日~23日の渡英。かつて有り余っていた時間は、徐々になくなっていく。しかし、時間は作るものでもある。どのように時間を作り、どのように時間を配分するかは、恒久の課題といえよう。
・大英博物館
天候は冷雨。最後の観光は、大英博物館に決めた。まずは斜向かいにある「Munchkin」という店に入り、シェパーズ・パイとエールを頼む。味付けは薄く、実に素朴な味。これが伝統的なイギリス料理ということらしい。この国はよく料理がまずいと評されるが、まあ確かに大陸で食べるような美味しさや華やかさはない。つまるところ、どこまでも素朴なのである。個人的には結構好きではあるが。昼食後は、博物館の見学に移行。しかしとても一日で見て回れるものではないから、有名どころだけを1時間で回るという、パンフレットに書いてあった駆け足コースをたどる。一つ一つをじっくり見る余裕はほとんどない。「絵画は国民のもの」というナショナル・ギャラリーの考え方と同じく、大英博物館も入館料はいらない。気の向いたときに無料で鑑賞できるこの環境はなかなかうらやましい。
いやそれにしても、よくぞここまで世界各国から色々なものをカッパらってきたと思うw とにかくありとあらゆる文化財がそろっている。大英帝国の略奪資料館といっても良いw 訪れた時間帯が昼過ぎということで館内は混雑していたが、中でもミイラの展示室はなかなかの人気で、たくさんの人の熱気で蒸し暑いくらいであった。しかしよくよく考えてみれば、人間の屍が衆目に晒されているわけだから、やはり不気味ではある。個人的には非常に興味深い展示ではあったが、これを死者の冒涜ととらえる向きもあるだろう。その他に印象に残ったものといえば、アステカ文明の「双頭の蛇」。鱗のように散りばめられたエメラルドグリーン色の装飾が美しい。他にも目を見張るような展示はいくらでもあったが、じっくり眺めるのは次の訪英時に回すとしよう。
・さらばロンドン
ヒースロー空港を19時15分に発つ。夢のような非日常であった。急速に日が暮れてゆく機窓を呆然と眺めながら、夏の終わりを悟る。
写真
1枚目:シェパーズ・パイ(食べかけ)
2枚目:双頭の蛇
3枚目:博物館館内
1861文字
自由と放埓の日々。
・グリニッジ
さすがに昨日は歩きまくって疲れたので、午前中は家でぐだぐだする。諸々の雑務や手伝いなどをやっていると、あっという間に正午を過ぎた。しかしせっかくロンドンにいるのにこうして一日が終わるのももったいない話だと思い、午後は思い立ってグリニッジ観光へと足を運ぶことにした。地下鉄とナショナル・レールを乗り継ぎ、1時間ほどで到着。時間があれば、テムズ河を航行する船に乗るという手もあった。ただ観光といっても夕食の予定が決まっていたためにほとんど時間がなく、とりあえず旧王立天文台だけ見て帰ることにした。駅から町の中心部までは10分ほど歩かねばならない。天文台は公園の丘を登った先にある。ここからはクリストファー・レン(Christopher Wren)の建築である旧王立海軍学校が一望のもとで、また遠景左手にはロンドン市街が霞に沈む。なかなか見晴らしがよい場所である。
目玉の天文台は大混雑。東半球と西半球の境目、標準子午線を拝めるとあって、大人気の観光スポットである。ちょうど中国人観光客の団体が訪問していたのも大きいかもしれない。しかしながら、よく見ると本当に混雑しているのは広場にある経度0度線の周辺で、記念写真を撮る人々が長蛇の列をなしている。天文台自体は小ぢんまりした建物であり、こちらにはあまり人が入っていない。天体観測に使われたオクタゴン・ルーム(Octagon room)という美しい八角形の部屋は、すぐそばの海軍学校と同じくレンの作である。天文台の地下は博物館になっていて、時計の歴史が解説されていた。緯度は太陽や北極星の高度を測ればすぐに分かる一方で、経度は太陽の南中時刻のずれをもとに割り出さねばならないが、そのためには航海の揺れにも耐えうる正確な時計が必要だったという歴史的「経緯」があるようだ、なるほどw 時刻が分かるとか、場所が分かるとかは今でこそ当たり前の話だが、偉大な先人たちはただならぬ苦労を重ねてきたということだ。グリニッジは今も世界の時を刻む。
最後に広場の経度0度線を撮ってから、グリニッジを後にする。わずか2時間足らずの短い訪問であった。夜はYASHINという日本料理屋にて寿司を食す。寿司といっても魚と白米を使った創作料理という感じで、本来の寿司とは異なる。しかし、これはこれで美味しい。ロンドン滞在最後の夜となった。
写真
1枚目:旧王立海軍学校
2枚目:初代クロノメータ
3枚目:東西半球を分かつ標準子午線
1649文字
8/21
High Street Kensington → Embankment
Circle Line
London Charing Cross 1517 → London Bridge 1524
Southeastern Service
London Bridge 1531→ Greenwich 1539
Southeastern Service
グリニッジ(Greenwich)観光
Greenwich 1722 → London Bridge 1731
Southeastern Service
London Bridge → Westminster
Jubilee Line
Westminster → High Street Kensington
Circle Line
・グリニッジ
さすがに昨日は歩きまくって疲れたので、午前中は家でぐだぐだする。諸々の雑務や手伝いなどをやっていると、あっという間に正午を過ぎた。しかしせっかくロンドンにいるのにこうして一日が終わるのももったいない話だと思い、午後は思い立ってグリニッジ観光へと足を運ぶことにした。地下鉄とナショナル・レールを乗り継ぎ、1時間ほどで到着。時間があれば、テムズ河を航行する船に乗るという手もあった。ただ観光といっても夕食の予定が決まっていたためにほとんど時間がなく、とりあえず旧王立天文台だけ見て帰ることにした。駅から町の中心部までは10分ほど歩かねばならない。天文台は公園の丘を登った先にある。ここからはクリストファー・レン(Christopher Wren)の建築である旧王立海軍学校が一望のもとで、また遠景左手にはロンドン市街が霞に沈む。なかなか見晴らしがよい場所である。
目玉の天文台は大混雑。東半球と西半球の境目、標準子午線を拝めるとあって、大人気の観光スポットである。ちょうど中国人観光客の団体が訪問していたのも大きいかもしれない。しかしながら、よく見ると本当に混雑しているのは広場にある経度0度線の周辺で、記念写真を撮る人々が長蛇の列をなしている。天文台自体は小ぢんまりした建物であり、こちらにはあまり人が入っていない。天体観測に使われたオクタゴン・ルーム(Octagon room)という美しい八角形の部屋は、すぐそばの海軍学校と同じくレンの作である。天文台の地下は博物館になっていて、時計の歴史が解説されていた。緯度は太陽や北極星の高度を測ればすぐに分かる一方で、経度は太陽の南中時刻のずれをもとに割り出さねばならないが、そのためには航海の揺れにも耐えうる正確な時計が必要だったという歴史的「経緯」があるようだ、なるほどw 時刻が分かるとか、場所が分かるとかは今でこそ当たり前の話だが、偉大な先人たちはただならぬ苦労を重ねてきたということだ。グリニッジは今も世界の時を刻む。
最後に広場の経度0度線を撮ってから、グリニッジを後にする。わずか2時間足らずの短い訪問であった。夜はYASHINという日本料理屋にて寿司を食す。寿司といっても魚と白米を使った創作料理という感じで、本来の寿司とは異なる。しかし、これはこれで美味しい。ロンドン滞在最後の夜となった。
写真
1枚目:旧王立海軍学校
2枚目:初代クロノメータ
3枚目:東西半球を分かつ標準子午線
1649文字
白亜の断崖を歩く。
・南イングランドの海岸へ
昨日と同じく、一人旅はヴィクトリアから始まる。渡英してからというもの、毎日BBC Weatherを確認していたが、ついに今日に決めた。イングランドの南海岸にあるセブン・シスターズという景勝地へ足を運ぶ。紺碧の海にそそり立つ白亜の断崖。今日は雲一つない快晴だというから、さぞかし美しい景色が待っていることだろう。乗ったのはガトウィック(Gatwick)空港を経由してブライトン(Brighton)方面へ向かう列車で、途中のルイス(Lewes)という駅で下車する。デルタ形のプラットホームが印象的な駅で、ここでシーフォード(Seaford)行の支線に乗り換えた。ほどなくして列車は海岸線近くに出る。南の海には真夏の太陽光が燦々と降り注ぎ、眩しい景色である。
シーフォードは小さな無人駅である。下調べの通り、駅を出たところの幹線道路A259を対岸に渡り、左の方に少し進むとバス停がある。やがて2階建ての路線バスがやって来た。パークセンターまでの往復切符を車内で買う。見晴らしが良さそうなので2階席に移動。しばらくは住宅地の中を走るが、突如として町並みが途切れたかと思うと、眼前にはカックミア(Cuckmere)川が削ったなだらかな谷が現れる。車窓右手の景色も突然開けて、少し遠くを見ればセブン・シスターズと思しき断崖が連なっている。バスはこの谷を一直線に下っていき、海抜と同じレベルで川を渡る。そこから少し走れば、セブン・シスターズ散策の起点となるパークセンターに到着となる。
・崖を歩く
この辺り一帯には遊歩道が整備されていて、A259から海岸までの間はのどかな牧草地が広がっている。セブン・シスターズといえども見どころは有名な断崖だけではなく、くねくねと蛇行するカックミア川に沿って歩きながら、色々な景色を楽しむことができる。断崖は河口の東側に連なっている。西側から崖の全貌を眺めるならば夕方の方が光線状態が良いだろうと考え、まずは川の東側に整備されているSouth Downs Wayという道を歩いていくことにした。空の色を映しているのか、川は深い紺碧色で、その対岸ではヒツジの群れがのんびりと草を食んでいる。遠くには丘の稜線が独特の曲線美を描いており、ところどころで干し草のロールがころころ転がっているのが面白い。
遊歩道はなかなか賑わっており、みな思い思いに散策を楽しんでいる。とくにイヌを連れている人が多い。川で水浴びもできれば、広大な自然の中を走り回ることもできる。イヌにとっては至福の散歩だろう。そばには舗装されたコンクリートの小径も並走していて、レンタサイクルで颯爽と駆け抜ける人もいる。ところで、何もセブン・シスターズに限らず、イギリスは少し田舎へ行けばどこでもフットパスが整備されている。そこには必ずしもここのような強烈なスペクタクルがあるわけではないが、純粋に散策を楽しむ、そして景色を、雰囲気を楽しむという、田舎に根ざした素朴な精神とでも呼べば良いのか、イギリス人の原風景や国民性を垣間見るような気がするのである。
徐々に道は上り坂になり、川から離れてぐいぐいと丘を登っていく。水平線も見えてきた。海峡の海は白昼の陽光に煌めいている。パークセンターを出発してから2.5kmほどは歩いただろうか、坂を登りつめた先には絶景が広がっていた。眼下にはカックミア川が白い砂浜を広げながら海へ注いでいる。河口の西側も切り立った崖になっていて、何の前触れもなく突然、陸地の曲面美がそこで断絶しているかのようだ。手前はなだらかな丘陵で、ここをこのまま下って行けば砂浜まで出られそうである。
さらに海の方へと歩いていく。ふいに、目と鼻の先で地面がなくなる。柵もなければ、注意書きも何もない。今まで確かに足を踏みしめながら歩いてきた陸地が、2、3歩進んだ辺りでなくなっている。そう、今まさに自分は、セブン・シスターズの断崖の縁に立っているのだ。左足を崖っぷちに添えて、おそるおそる下を覗き込む。目の眩むような高さ。はるか眼下には、狭隘な浜辺に波が押し寄せる。そして、絶望的なまでの白い崖。チョークでできたこの崖の純白さは、美しさという感覚を通り越して、救いようのない悲愴感や寂寥感までをも連れてくる。カックミア川が優しく蛇行する内陸の風景は一変し、ゆるやかに連続してきた丘陵の地形は突然、ここで無慈悲にもすっぱりと切断される。連続性が絶たれ、微分可能性も否定されて、代わりに目の前には、どこまでも広大な海が深い青色を湛えて静かに横たわるのみである。
断崖は面白い。あらゆる文脈が、問答無用で断絶する。ここは、生と死の境目だ。今立っている場所から一歩踏み出せば、死ぬこともできる。予めことわっておくと、別に自分は何かの精神疾患を抱えているとか、希死念慮があるとか、そういう人ではないけれども、いざこのような場所に立ってみると、足を一歩進めるか否か、たったそれだけのことで生死が分かれるという尋常ならぬ状況に背筋が凍えるとともに、死と隣り合わせになるという異常な感覚に神経系が麻痺してしまうのだ。青い海、青い空、白い崖を眺めながら、しばらくは思索に耽る。
・崖を見る
その後、遊歩道を歩きながら東側の崖を歩いていく。彼方まで段々になって崖が連なる様子は壮観。それにしても、高さ150mのこんな崖っぷちまで開放されているとは、日本ではあり得ない話である。全ては自己責任、という考え方なのだろう。いつの間にか13時を回っていたので、引き返すことにする。来たときとは別の道を戻り、浜辺まで下りてきた。ここはBeach Trailと名の付いた遊歩道で、小ぢんまりした砂浜には海水浴客がいる。波打ち際から見上げるセブン・シスターズの断崖もすばらしい眺めで、青空に突き刺さるような白亜の崖は神秘的ですらある。
浜に沿って西の方へ歩いていくと、カックミア川の河口に行き当たる。対岸まではほんの15mくらいの距離だが、橋がかかっていないので残念ながら渡ることはできない。見たところ、水深は大腿の高さで、流れはそれなりに早い。靴、靴下、ズボンを脱ぎ、それらを抱えて渡ることはあながち不可能でもなさそうだったが、さすがにカメラや貴重品を持っているので危険すぎると判断し、川沿いに内陸まで戻ることにした。"Traditional Viewpoint"と称されるセブン・シスターズの眺望地点は河口西側の崖上にある。そこへ行くために2.5kmも内陸へ引き返し、A259の橋で対岸に渡ってから再び同じ距離を歩いてくるのも実に非効率だが、仕方ない。修行だと思ってひたすら歩き続ける。
40分ほどを要しただろうか。ようやく、西側の丘にやってきた。手前にはCoastguardの家、そして背景にはセブン・シスターズの白い崖が見える。これだけでも十分美しい光景、絵になる光景だが、7連の崖が最も美しく見える場所を探してさらに西側へと歩みを進めていく。ここも断崖になっているがそれほどの高さはない。磯へ下りる階段があったのでこれをつたって海抜レベルに降り立つ。ちょうど干潮の時間で、そこら中の岩には海藻がびっしりとこびりついている。波打ち際までおそるおそる歩いていくと、やっと目当ての構図にたどりついた。海面から忽然と浮かび上がる、7人の修道女である。
・家路
パークセンターのバス停に着いてから4時間あまり、A259と海岸線を2往復したから、ざっと10kmは歩いただろう。予報通り天候は快晴で、満足のいく撮影もできた。帰りはゴールデン・ガリオン(Golden Gallion)のバス停から駅へ戻る。バスは全くダイヤ通りに来ず、列車との接続がぎりぎりであった。
今日はずいぶんと日に焼けた。ゆっくり休むとしよう。
写真
1枚目:崖に立つ
2枚目:断崖絶壁
3枚目:セブン・シスターズ
4163文字
8/20
High Street Kensington → Victoria
Circle Line
London Victoria 947 → Lewes 1052
Southern Service
Lewes 1058 → Seaford 1114
Southern Service
Seaford Station 1122(+6) → Seven Sisters, Park Centre 1131(+3)
Brighton & Hove Bus 12系統
セブン・シスターズ(Seven Sisters)観光
Golden Gallion 1635(+11) → Seaford Station 1654(+9)
Brighton & Hove Bus 12系統
Seaford 1658 → Lewes 1714
Southern Service
Lewes 1719 → London Victoria 1829
Southern Service
Victoria → High Street Kensington
Circle Line
・南イングランドの海岸へ
昨日と同じく、一人旅はヴィクトリアから始まる。渡英してからというもの、毎日BBC Weatherを確認していたが、ついに今日に決めた。イングランドの南海岸にあるセブン・シスターズという景勝地へ足を運ぶ。紺碧の海にそそり立つ白亜の断崖。今日は雲一つない快晴だというから、さぞかし美しい景色が待っていることだろう。乗ったのはガトウィック(Gatwick)空港を経由してブライトン(Brighton)方面へ向かう列車で、途中のルイス(Lewes)という駅で下車する。デルタ形のプラットホームが印象的な駅で、ここでシーフォード(Seaford)行の支線に乗り換えた。ほどなくして列車は海岸線近くに出る。南の海には真夏の太陽光が燦々と降り注ぎ、眩しい景色である。
シーフォードは小さな無人駅である。下調べの通り、駅を出たところの幹線道路A259を対岸に渡り、左の方に少し進むとバス停がある。やがて2階建ての路線バスがやって来た。パークセンターまでの往復切符を車内で買う。見晴らしが良さそうなので2階席に移動。しばらくは住宅地の中を走るが、突如として町並みが途切れたかと思うと、眼前にはカックミア(Cuckmere)川が削ったなだらかな谷が現れる。車窓右手の景色も突然開けて、少し遠くを見ればセブン・シスターズと思しき断崖が連なっている。バスはこの谷を一直線に下っていき、海抜と同じレベルで川を渡る。そこから少し走れば、セブン・シスターズ散策の起点となるパークセンターに到着となる。
・崖を歩く
この辺り一帯には遊歩道が整備されていて、A259から海岸までの間はのどかな牧草地が広がっている。セブン・シスターズといえども見どころは有名な断崖だけではなく、くねくねと蛇行するカックミア川に沿って歩きながら、色々な景色を楽しむことができる。断崖は河口の東側に連なっている。西側から崖の全貌を眺めるならば夕方の方が光線状態が良いだろうと考え、まずは川の東側に整備されているSouth Downs Wayという道を歩いていくことにした。空の色を映しているのか、川は深い紺碧色で、その対岸ではヒツジの群れがのんびりと草を食んでいる。遠くには丘の稜線が独特の曲線美を描いており、ところどころで干し草のロールがころころ転がっているのが面白い。
遊歩道はなかなか賑わっており、みな思い思いに散策を楽しんでいる。とくにイヌを連れている人が多い。川で水浴びもできれば、広大な自然の中を走り回ることもできる。イヌにとっては至福の散歩だろう。そばには舗装されたコンクリートの小径も並走していて、レンタサイクルで颯爽と駆け抜ける人もいる。ところで、何もセブン・シスターズに限らず、イギリスは少し田舎へ行けばどこでもフットパスが整備されている。そこには必ずしもここのような強烈なスペクタクルがあるわけではないが、純粋に散策を楽しむ、そして景色を、雰囲気を楽しむという、田舎に根ざした素朴な精神とでも呼べば良いのか、イギリス人の原風景や国民性を垣間見るような気がするのである。
徐々に道は上り坂になり、川から離れてぐいぐいと丘を登っていく。水平線も見えてきた。海峡の海は白昼の陽光に煌めいている。パークセンターを出発してから2.5kmほどは歩いただろうか、坂を登りつめた先には絶景が広がっていた。眼下にはカックミア川が白い砂浜を広げながら海へ注いでいる。河口の西側も切り立った崖になっていて、何の前触れもなく突然、陸地の曲面美がそこで断絶しているかのようだ。手前はなだらかな丘陵で、ここをこのまま下って行けば砂浜まで出られそうである。
さらに海の方へと歩いていく。ふいに、目と鼻の先で地面がなくなる。柵もなければ、注意書きも何もない。今まで確かに足を踏みしめながら歩いてきた陸地が、2、3歩進んだ辺りでなくなっている。そう、今まさに自分は、セブン・シスターズの断崖の縁に立っているのだ。左足を崖っぷちに添えて、おそるおそる下を覗き込む。目の眩むような高さ。はるか眼下には、狭隘な浜辺に波が押し寄せる。そして、絶望的なまでの白い崖。チョークでできたこの崖の純白さは、美しさという感覚を通り越して、救いようのない悲愴感や寂寥感までをも連れてくる。カックミア川が優しく蛇行する内陸の風景は一変し、ゆるやかに連続してきた丘陵の地形は突然、ここで無慈悲にもすっぱりと切断される。連続性が絶たれ、微分可能性も否定されて、代わりに目の前には、どこまでも広大な海が深い青色を湛えて静かに横たわるのみである。
断崖は面白い。あらゆる文脈が、問答無用で断絶する。ここは、生と死の境目だ。今立っている場所から一歩踏み出せば、死ぬこともできる。予めことわっておくと、別に自分は何かの精神疾患を抱えているとか、希死念慮があるとか、そういう人ではないけれども、いざこのような場所に立ってみると、足を一歩進めるか否か、たったそれだけのことで生死が分かれるという尋常ならぬ状況に背筋が凍えるとともに、死と隣り合わせになるという異常な感覚に神経系が麻痺してしまうのだ。青い海、青い空、白い崖を眺めながら、しばらくは思索に耽る。
・崖を見る
その後、遊歩道を歩きながら東側の崖を歩いていく。彼方まで段々になって崖が連なる様子は壮観。それにしても、高さ150mのこんな崖っぷちまで開放されているとは、日本ではあり得ない話である。全ては自己責任、という考え方なのだろう。いつの間にか13時を回っていたので、引き返すことにする。来たときとは別の道を戻り、浜辺まで下りてきた。ここはBeach Trailと名の付いた遊歩道で、小ぢんまりした砂浜には海水浴客がいる。波打ち際から見上げるセブン・シスターズの断崖もすばらしい眺めで、青空に突き刺さるような白亜の崖は神秘的ですらある。
浜に沿って西の方へ歩いていくと、カックミア川の河口に行き当たる。対岸まではほんの15mくらいの距離だが、橋がかかっていないので残念ながら渡ることはできない。見たところ、水深は大腿の高さで、流れはそれなりに早い。靴、靴下、ズボンを脱ぎ、それらを抱えて渡ることはあながち不可能でもなさそうだったが、さすがにカメラや貴重品を持っているので危険すぎると判断し、川沿いに内陸まで戻ることにした。"Traditional Viewpoint"と称されるセブン・シスターズの眺望地点は河口西側の崖上にある。そこへ行くために2.5kmも内陸へ引き返し、A259の橋で対岸に渡ってから再び同じ距離を歩いてくるのも実に非効率だが、仕方ない。修行だと思ってひたすら歩き続ける。
40分ほどを要しただろうか。ようやく、西側の丘にやってきた。手前にはCoastguardの家、そして背景にはセブン・シスターズの白い崖が見える。これだけでも十分美しい光景、絵になる光景だが、7連の崖が最も美しく見える場所を探してさらに西側へと歩みを進めていく。ここも断崖になっているがそれほどの高さはない。磯へ下りる階段があったのでこれをつたって海抜レベルに降り立つ。ちょうど干潮の時間で、そこら中の岩には海藻がびっしりとこびりついている。波打ち際までおそるおそる歩いていくと、やっと目当ての構図にたどりついた。海面から忽然と浮かび上がる、7人の修道女である。
・家路
パークセンターのバス停に着いてから4時間あまり、A259と海岸線を2往復したから、ざっと10kmは歩いただろう。予報通り天候は快晴で、満足のいく撮影もできた。帰りはゴールデン・ガリオン(Golden Gallion)のバス停から駅へ戻る。バスは全くダイヤ通りに来ず、列車との接続がぎりぎりであった。
今日はずいぶんと日に焼けた。ゆっくり休むとしよう。
写真
1枚目:崖に立つ
2枚目:断崖絶壁
3枚目:セブン・シスターズ
4163文字
保存鉄道の旅。
・蒸気機関車の息吹
ロンドン・ヴィクトリア(Victoria)駅を出た列車は、ぐいぐいと速度を上げながら南へ向かう。1時間足らずでイースト・グリンステッド(East Grinstead)という盲腸線の終点に到着した。ここへ来たのは他でもない、ブルーベル(Bluebell)鉄道に乗りに来たのだ。東医体と利尻旅行が終わってからというもの、2、3日は抜け殻のような生活をしていたわけだが、イギリスのガイドブックをぱらぱらとめくっていて、ふと思い立った。この国には保存鉄道がある。今となっては大陸に比べてずいぶんと遅れをとり、道路網の発達や航空機の隆盛に伴って、鉄道の黄金時代はすっかり過去のものとなってしまった。それでも鉄道発祥の地というだけあって、廃線を復活させた保存鉄道が各地で走っている。異国の地で、生きたSLに出会うというのはなかなか面白そうではないか。ブルーベル鉄道は、1967年に廃線となったハートフィールド(Hartfield)地方のローカル線を復活させた鉄道である。線路がイースト・グリンステッドまで延伸されたのはごく最近のことらしい。昔はナショナル・レールとの接続がなく、イースト・グリンステッドからキングスコート(Kingscote)までバスに乗っていたというから、だいぶ便利になった。首都ロンドンから1時間足らずのところにSLが走り回っているとは、本当にすばらしい。
ナショナル・レールの駅からほど近いところにあるホームで一日乗車券(£16.00)を買って入場すると、シェフィールド・パーク(Sheffield Park)から到着した列車がちょうど機回しをしているところであった。タンク機関車とテンダー機関車の重連が客車から解放され、側線を通って反対側へと走っていく。石炭の香りがほのかに漂い、ピカピカに磨かれた車体からは白い蒸気が吐き出される。蒸気機関車の息吹を身近に感じるのは久しぶりで、まさに現代に生きるくろがねの馬といったところか。馬は水をがぶ飲みして、黒い石を貪り食いながら走る。ボイラーの内部では血管のように張り巡らされた煙管が水を沸騰させ、爆発的な蒸気が運動器たるシリンダーを、ピストンを、ロッドを駆動させるわけだ。鉄の心臓、鉄の肺、鉄の血管、鉄の神経、鉄の骨、鉄の筋肉、すべてが鉄でできている。そして、生きている。
とりあえず全線を走破すべく、終点のシェフィールド・パークまで乗ってみる。ハイシーズンの8月は、ほとんどの日がSL2本体制のダイヤである。途中駅はキングスコート、ホーステッド・ケインズの2つで、いずれの駅も鉄道黄金時代のまま時が止まってしまったかのような姿で良好に保存されている。ホーステッド・ケインズでは上下列車が交換するダイヤが組まれている。唯一残念なのは、機関車の頭が常にイースト・グリンステッド側に向いていることで、線路はほぼ南北に走っているため、北上する上り列車はすべて逆光になってしまう。イースト・グリンステッドに転車台がないのが難点と思われる。保存されているのは蒸気機関車と駅だけではなく、往時の客車はもちろん、腕木式信号や、タブレット閉塞など、ありとあらゆる鉄道設備が昔のまま残されている。まさに保存鉄道という名前そのものであり、日本にこのような場所はなかなかないだろう。
シェフィールド・パークでは機回しが行われ、反対側のホームで炭水車に水が補給される。蒸気機関車の給水風景を見たのは初めてで、レンガ造りのいかめしい給水塔こそないものの、やはり機関車が生き物であることを実感する。その後、駅近くから折返しイースト・グリンステッド行の列車の撮影を試みたが、まったく線路に近付くことができない。そこで望遠でサイドを狙う方針に切り替えたものの、なんと線路は丘陵の窪地のようなところを走っていた。結局列車自体が見えず、牧草地の地平に煙だけが噴き上がるという滑稽な空振り撮影に終わってしまった。
駅へ戻り、併設のショップと博物館を訪れる。ショップは一見子供向けのおみやげがたくさん並んでいるかと思いきや、奥の一角にはガチヲタ向けのコーナーがあり、とくに鉄道書籍の古本が素晴らしかった。SL関連の本、鉄道雑誌のバックナンバーなどなど、いつまでもここで時間を潰せそうである。厳選の上、
"Complete Atlas of Railway Station Names"
"BRITISH RAIL TRACK DIAGRAMS, Eastern & Anglia Regions"
の2冊を購入。前者は廃線、廃駅まで含めたイギリス全土の鉄道線区と鉄道駅を網羅した地図で、眺めているだけで面白い。日本の時刻表とは違いこちらでは全線全駅を載せた地図というのは意外と存在しないので、こういう本はありがたい。後者は配線図で、キングス・クロス(Kings Cross)から始まる東海岸のメインラインを中心に、職人芸の手書きで線路形態が記されている。各駅の側線、引上線、貨物ヤードの配線、連絡線など、あらゆる線路という線路が正確に表現されており、はたから見れば相当にキチガイじみたおみやげw 駅の博物館は反対側のホームにあり、イギリスの鉄道の歴史が充実した資料とともに解説されている。信号システムの仕組み、転轍機の仕組みなどなど、内容はかなりマニアックで面白い。本当はもっとゆっくりと見たかったのだが、発車時刻が迫っているので駆け足になってしまった。
走行写真の撮影は、ホーステッド・ケインズの駅を降りて少しイースト・グリンステッド方面に歩いたところにある、レンガ造りの跨線橋から行うことにした。この辺りは本当にのどかで、牧草地を通る散歩道が整備されている。黙々と草をはむヒツジの群れを見ながら、昼下がりの丘を逍遥する。ヒツジという動物を観察すると意外に面白く、大部分の個体はただひたすら牧草に熱中している一方、木陰に座ってまったりしているのもいれば、寝ているらしきのもいる。また遠くを見ていると、ある一頭が走り出したかと思えば、近くにいた他の数頭もそれについていくように走り出し、やがて群れ全体が何となくその方向へ動き出し、あっという間に牧草地の端に群れが固まってしまうこともある。さて、撮影地の線形はゆるやかなカーブで、少し遠くにはホーステッド・ケインズの構内が見える。相変わらずイースト・グリンステッド行はド逆光。反対のシェフィールド・パーク行は良い光線状態だが、炭水車が先頭になる後進運転ではどうも迫力に欠けてしまう。上下列車が駅で交換するので、2本をほぼ立て続けに撮影できた。煙を期待できるかと思いきや、チョロチョロと漏れ出すのみ。しかし正面打ちを終えて後追いに移行したときにようやく吐いてくれた。
残りの時間はホーステッド・ケインズの駅構内でまったりして過ごす。鉄道全盛時代の雰囲気がそのまま残されている。いかにもテーマパーク的に作りました、といったようなわざとらしさもない。古い設備を復活させ、綺麗にメンテナンスしている様子がうかがえる。16時過ぎの列車でイースト・グリンステッドに戻った。一日を通して見たところ、小さい子供を連れた家族連れ、そして老夫婦が乗客の大半を占めているように思われた。では鉄ヲタが一人で来るのは珍しいかと思いきや、少数派ながら何人かは見かけた。こんなところまでわざわざ蒸気機関車の写真を撮りに来るアジア人が珍しいのか、話しかけてくる人もいる。この国では、鉄道趣味は紳士的な趣味だそうだw
ナショナル・レールの車中、おみやげに買った"Complete Atlas of Railway Station Names"を開きながら車窓に目をやると、当たり前だが地図に書いてある通りに駅名が進んでゆく。面白いのは、イースト・クロイドン(East Croydon)やクラプハム・ジャンクション(Clapham Junction)といった分岐駅周辺の配線も正確に描かれていることで、よくぞここまで調べ上げたものだと感嘆する。ロンドンに戻ってきたのは18時過ぎ。異国の地で鉄道を満喫する、楽しい一日であった。
写真
1枚目:機回し中のSL(@Sheffield Park)
2枚目:跨線橋からの後追い(@Horsted Keynes - Kingscote)
3枚目:入線(@Horsted Keynes)
4213文字
8/19
High Street Kensington → Victoria
Circle Line
London Victoria 923 → East Grinstead 1017
Southern Service
East Grinstead 1045 → Sheffield Park 1132
Bluebell Railway
シェフィールド・パーク(Sheffield Park)駅観光
Sheffield Park 1330 → Horsted Keynes 1345
Bluebell Railway
鉄道撮影、ホーステッド・ケインズ(Horsted Keynes)駅観光
Horsted Keynes 1617 → East Grinstead 1641
Bluebell Railway
East Grinstead 1707 → London Victoria 1805
Southern Service
Victoria → High Street Kensington
Circle Line
・蒸気機関車の息吹
ロンドン・ヴィクトリア(Victoria)駅を出た列車は、ぐいぐいと速度を上げながら南へ向かう。1時間足らずでイースト・グリンステッド(East Grinstead)という盲腸線の終点に到着した。ここへ来たのは他でもない、ブルーベル(Bluebell)鉄道に乗りに来たのだ。東医体と利尻旅行が終わってからというもの、2、3日は抜け殻のような生活をしていたわけだが、イギリスのガイドブックをぱらぱらとめくっていて、ふと思い立った。この国には保存鉄道がある。今となっては大陸に比べてずいぶんと遅れをとり、道路網の発達や航空機の隆盛に伴って、鉄道の黄金時代はすっかり過去のものとなってしまった。それでも鉄道発祥の地というだけあって、廃線を復活させた保存鉄道が各地で走っている。異国の地で、生きたSLに出会うというのはなかなか面白そうではないか。ブルーベル鉄道は、1967年に廃線となったハートフィールド(Hartfield)地方のローカル線を復活させた鉄道である。線路がイースト・グリンステッドまで延伸されたのはごく最近のことらしい。昔はナショナル・レールとの接続がなく、イースト・グリンステッドからキングスコート(Kingscote)までバスに乗っていたというから、だいぶ便利になった。首都ロンドンから1時間足らずのところにSLが走り回っているとは、本当にすばらしい。
ナショナル・レールの駅からほど近いところにあるホームで一日乗車券(£16.00)を買って入場すると、シェフィールド・パーク(Sheffield Park)から到着した列車がちょうど機回しをしているところであった。タンク機関車とテンダー機関車の重連が客車から解放され、側線を通って反対側へと走っていく。石炭の香りがほのかに漂い、ピカピカに磨かれた車体からは白い蒸気が吐き出される。蒸気機関車の息吹を身近に感じるのは久しぶりで、まさに現代に生きるくろがねの馬といったところか。馬は水をがぶ飲みして、黒い石を貪り食いながら走る。ボイラーの内部では血管のように張り巡らされた煙管が水を沸騰させ、爆発的な蒸気が運動器たるシリンダーを、ピストンを、ロッドを駆動させるわけだ。鉄の心臓、鉄の肺、鉄の血管、鉄の神経、鉄の骨、鉄の筋肉、すべてが鉄でできている。そして、生きている。
とりあえず全線を走破すべく、終点のシェフィールド・パークまで乗ってみる。ハイシーズンの8月は、ほとんどの日がSL2本体制のダイヤである。途中駅はキングスコート、ホーステッド・ケインズの2つで、いずれの駅も鉄道黄金時代のまま時が止まってしまったかのような姿で良好に保存されている。ホーステッド・ケインズでは上下列車が交換するダイヤが組まれている。唯一残念なのは、機関車の頭が常にイースト・グリンステッド側に向いていることで、線路はほぼ南北に走っているため、北上する上り列車はすべて逆光になってしまう。イースト・グリンステッドに転車台がないのが難点と思われる。保存されているのは蒸気機関車と駅だけではなく、往時の客車はもちろん、腕木式信号や、タブレット閉塞など、ありとあらゆる鉄道設備が昔のまま残されている。まさに保存鉄道という名前そのものであり、日本にこのような場所はなかなかないだろう。
シェフィールド・パークでは機回しが行われ、反対側のホームで炭水車に水が補給される。蒸気機関車の給水風景を見たのは初めてで、レンガ造りのいかめしい給水塔こそないものの、やはり機関車が生き物であることを実感する。その後、駅近くから折返しイースト・グリンステッド行の列車の撮影を試みたが、まったく線路に近付くことができない。そこで望遠でサイドを狙う方針に切り替えたものの、なんと線路は丘陵の窪地のようなところを走っていた。結局列車自体が見えず、牧草地の地平に煙だけが噴き上がるという滑稽な空振り撮影に終わってしまった。
駅へ戻り、併設のショップと博物館を訪れる。ショップは一見子供向けのおみやげがたくさん並んでいるかと思いきや、奥の一角にはガチヲタ向けのコーナーがあり、とくに鉄道書籍の古本が素晴らしかった。SL関連の本、鉄道雑誌のバックナンバーなどなど、いつまでもここで時間を潰せそうである。厳選の上、
"Complete Atlas of Railway Station Names"
"BRITISH RAIL TRACK DIAGRAMS, Eastern & Anglia Regions"
の2冊を購入。前者は廃線、廃駅まで含めたイギリス全土の鉄道線区と鉄道駅を網羅した地図で、眺めているだけで面白い。日本の時刻表とは違いこちらでは全線全駅を載せた地図というのは意外と存在しないので、こういう本はありがたい。後者は配線図で、キングス・クロス(Kings Cross)から始まる東海岸のメインラインを中心に、職人芸の手書きで線路形態が記されている。各駅の側線、引上線、貨物ヤードの配線、連絡線など、あらゆる線路という線路が正確に表現されており、はたから見れば相当にキチガイじみたおみやげw 駅の博物館は反対側のホームにあり、イギリスの鉄道の歴史が充実した資料とともに解説されている。信号システムの仕組み、転轍機の仕組みなどなど、内容はかなりマニアックで面白い。本当はもっとゆっくりと見たかったのだが、発車時刻が迫っているので駆け足になってしまった。
走行写真の撮影は、ホーステッド・ケインズの駅を降りて少しイースト・グリンステッド方面に歩いたところにある、レンガ造りの跨線橋から行うことにした。この辺りは本当にのどかで、牧草地を通る散歩道が整備されている。黙々と草をはむヒツジの群れを見ながら、昼下がりの丘を逍遥する。ヒツジという動物を観察すると意外に面白く、大部分の個体はただひたすら牧草に熱中している一方、木陰に座ってまったりしているのもいれば、寝ているらしきのもいる。また遠くを見ていると、ある一頭が走り出したかと思えば、近くにいた他の数頭もそれについていくように走り出し、やがて群れ全体が何となくその方向へ動き出し、あっという間に牧草地の端に群れが固まってしまうこともある。さて、撮影地の線形はゆるやかなカーブで、少し遠くにはホーステッド・ケインズの構内が見える。相変わらずイースト・グリンステッド行はド逆光。反対のシェフィールド・パーク行は良い光線状態だが、炭水車が先頭になる後進運転ではどうも迫力に欠けてしまう。上下列車が駅で交換するので、2本をほぼ立て続けに撮影できた。煙を期待できるかと思いきや、チョロチョロと漏れ出すのみ。しかし正面打ちを終えて後追いに移行したときにようやく吐いてくれた。
残りの時間はホーステッド・ケインズの駅構内でまったりして過ごす。鉄道全盛時代の雰囲気がそのまま残されている。いかにもテーマパーク的に作りました、といったようなわざとらしさもない。古い設備を復活させ、綺麗にメンテナンスしている様子がうかがえる。16時過ぎの列車でイースト・グリンステッドに戻った。一日を通して見たところ、小さい子供を連れた家族連れ、そして老夫婦が乗客の大半を占めているように思われた。では鉄ヲタが一人で来るのは珍しいかと思いきや、少数派ながら何人かは見かけた。こんなところまでわざわざ蒸気機関車の写真を撮りに来るアジア人が珍しいのか、話しかけてくる人もいる。この国では、鉄道趣味は紳士的な趣味だそうだw
ナショナル・レールの車中、おみやげに買った"Complete Atlas of Railway Station Names"を開きながら車窓に目をやると、当たり前だが地図に書いてある通りに駅名が進んでゆく。面白いのは、イースト・クロイドン(East Croydon)やクラプハム・ジャンクション(Clapham Junction)といった分岐駅周辺の配線も正確に描かれていることで、よくぞここまで調べ上げたものだと感嘆する。ロンドンに戻ってきたのは18時過ぎ。異国の地で鉄道を満喫する、楽しい一日であった。
写真
1枚目:機回し中のSL(@Sheffield Park)
2枚目:跨線橋からの後追い(@Horsted Keynes - Kingscote)
3枚目:入線(@Horsted Keynes)
4213文字
コッツウォルズ(Cotswolds)へ行く。
・ふたたび郊外へ
ロンドンから少し郊外に出るだけで、あっという間に景色が開ける。波のようにうねる地形の丘陵地帯を、片側4車線のアスファルトの帯が、どこまでも突き抜けていく。交通の流れはよどみなく、まるで灰色の川をすいすいと泳いでいるかのようだ。空は広く、大小さまざまの雲が綿飴のように浮かぶ。陸と空はここまで広角に映るものなのか。国内ではどこへ行っても目にしないような風景である。1時間ほど走った後、オックスフォード(Oxford)のサービスエリアにあるバーガーキングで重い朝食をとったw
オックスフォードから先はM40からA40に入る。Aは日本でいう一般国道に相当する道路だが、そうはいってもまるで高速道路のような規格で作られていて、車はガンガン飛ばして走る。バーフォード(Burford)を過ぎた辺りでB4425という田舎道に入ると、辺りの景色はいよいよカントリーサイドの風情である。ところどころを緑のトンネルに囲まれながら快走し、ふと丘を見渡せば草を食む羊の群れが、白い米粒のように緑色の背景に映える。今日の目的地はコッツウォルズでも屈指の人気を誇るとされるバイブリーだが、道路沿いには、本にはまるで載っていないような小さな村々も点在している。こういうところで車を停めて散策するのも面白そうだ。イギリスの田舎は美しい。
・バイブリー
鉄道撮影でも何でもそうだが、いわゆる「有名どころ」が「有名どころ」たる所以は確実に存在する。有名になりすぎてその後がどうなるかは別にしても、何らかの魅力が確かに内包されているから有名になる。基本を確実に押さえる、という考え方と結びつけるのはやや強引かもしれないが、勉強でも弓道でも指導でも、型が身についていない段階で独自の応用を試みても上手くいかないのと同じことで、ただの趣味の範疇とはいえ撮影でも観光でも、まずは有名と言われているものを消化してみようと思っている。
「有名になりすぎてその後がどうなるか」という点は、とくに観光地が直面する課題であるように思われる。何台もの大型バスが乗り付けてきて人で溢れかえるというのはよくあるパターンで、たとえば昨年のモン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)は典型であったし、一昨年のエズ(Eze)にもその傾向はあった。よくよく考えてみると、「交通の便」は観光地の「予後」を左右する重要な因子であるように思われる。良すぎると本来の姿を失う一方で、悪すぎると誰も来なくて廃れてしまう。
バイブリーの村は適度な賑わいで、歩いていて心地が良い。最大の見どころは14世紀に建てられた家並みが残るアーリントン・ロー(Arlington Row)という通りで、湾曲して今にも崩れそうな屋根の家が軒を連ねている。この国はナショナル・トラストが隆盛で、文化遺産になりうるこういった家にも人が住んでいるようだ。ところで、建物を撮るのは意外と難しい。静止しているということは構図の作り方が無限にあるわけで、その場の空気感に合った「当意即妙」な絵を作らねばならない。村にはバイブリー・トラウト・ファームというマスの養殖場があり、併設の喫茶店でひと息つく。ここで獲れるマスが美味いのかどうかはよく分からないがw その後ふたたびアーリントン・ローを歩き、マナーハウス「バイブリー・コート」の前に広がる牧草地でしばし休んだ後、村を後にした。
・サイレンセスター
イギリスはどうも難読地名が多い。英語の長い歴史とも関わっている部分が多そうである。調べてみたら、たとえば「-bury」とか「-burgh」は城を意味する接尾辞、「-cester」はローマ帝国の砦や陣地に起源をもつ地名らしい。しかしCanterburyはカンタベリー、Salisburyはソールズベリーと読むが、Biburyはバイベリーではなく一般にバイブリーと読むようだ。Googleマップではバイベリーと訳されているがw B4425を南西に20分ほど走って到着した町、サイレンセスターはその歴史をローマ時代にまでさかのぼる古都で、円形劇場もあったらしい。そういえばGloucesterはグロスター、Leicesterはレスターと読むが、なぜかCirencesterはサイレンスターではなくサイレンセスターである。あと、Cirenという綴りもなかなか新鮮に感じる。
今はローマ時代の面影はほとんどなく、コッツウォルズの一地方都市といった感じである。町の中央にある教会を見学したり、辺りをぶらぶらしたりして1時間ほど滞在した。
ロンドン市内に戻ったのは夕刻。夜は父の誕生日を祝った。
写真
1枚目:バイブリー・コートにて
2枚目:アーリトン・ロー
3枚目:サイレンセスターの町
2161文字
8/18
レンタカーによる移動
バイブリー(Bibury)
サイレンセスター(Cirencester)
・ふたたび郊外へ
ロンドンから少し郊外に出るだけで、あっという間に景色が開ける。波のようにうねる地形の丘陵地帯を、片側4車線のアスファルトの帯が、どこまでも突き抜けていく。交通の流れはよどみなく、まるで灰色の川をすいすいと泳いでいるかのようだ。空は広く、大小さまざまの雲が綿飴のように浮かぶ。陸と空はここまで広角に映るものなのか。国内ではどこへ行っても目にしないような風景である。1時間ほど走った後、オックスフォード(Oxford)のサービスエリアにあるバーガーキングで重い朝食をとったw
オックスフォードから先はM40からA40に入る。Aは日本でいう一般国道に相当する道路だが、そうはいってもまるで高速道路のような規格で作られていて、車はガンガン飛ばして走る。バーフォード(Burford)を過ぎた辺りでB4425という田舎道に入ると、辺りの景色はいよいよカントリーサイドの風情である。ところどころを緑のトンネルに囲まれながら快走し、ふと丘を見渡せば草を食む羊の群れが、白い米粒のように緑色の背景に映える。今日の目的地はコッツウォルズでも屈指の人気を誇るとされるバイブリーだが、道路沿いには、本にはまるで載っていないような小さな村々も点在している。こういうところで車を停めて散策するのも面白そうだ。イギリスの田舎は美しい。
・バイブリー
鉄道撮影でも何でもそうだが、いわゆる「有名どころ」が「有名どころ」たる所以は確実に存在する。有名になりすぎてその後がどうなるかは別にしても、何らかの魅力が確かに内包されているから有名になる。基本を確実に押さえる、という考え方と結びつけるのはやや強引かもしれないが、勉強でも弓道でも指導でも、型が身についていない段階で独自の応用を試みても上手くいかないのと同じことで、ただの趣味の範疇とはいえ撮影でも観光でも、まずは有名と言われているものを消化してみようと思っている。
「有名になりすぎてその後がどうなるか」という点は、とくに観光地が直面する課題であるように思われる。何台もの大型バスが乗り付けてきて人で溢れかえるというのはよくあるパターンで、たとえば昨年のモン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)は典型であったし、一昨年のエズ(Eze)にもその傾向はあった。よくよく考えてみると、「交通の便」は観光地の「予後」を左右する重要な因子であるように思われる。良すぎると本来の姿を失う一方で、悪すぎると誰も来なくて廃れてしまう。
バイブリーの村は適度な賑わいで、歩いていて心地が良い。最大の見どころは14世紀に建てられた家並みが残るアーリントン・ロー(Arlington Row)という通りで、湾曲して今にも崩れそうな屋根の家が軒を連ねている。この国はナショナル・トラストが隆盛で、文化遺産になりうるこういった家にも人が住んでいるようだ。ところで、建物を撮るのは意外と難しい。静止しているということは構図の作り方が無限にあるわけで、その場の空気感に合った「当意即妙」な絵を作らねばならない。村にはバイブリー・トラウト・ファームというマスの養殖場があり、併設の喫茶店でひと息つく。ここで獲れるマスが美味いのかどうかはよく分からないがw その後ふたたびアーリントン・ローを歩き、マナーハウス「バイブリー・コート」の前に広がる牧草地でしばし休んだ後、村を後にした。
・サイレンセスター
イギリスはどうも難読地名が多い。英語の長い歴史とも関わっている部分が多そうである。調べてみたら、たとえば「-bury」とか「-burgh」は城を意味する接尾辞、「-cester」はローマ帝国の砦や陣地に起源をもつ地名らしい。しかしCanterburyはカンタベリー、Salisburyはソールズベリーと読むが、Biburyはバイベリーではなく一般にバイブリーと読むようだ。Googleマップではバイベリーと訳されているがw B4425を南西に20分ほど走って到着した町、サイレンセスターはその歴史をローマ時代にまでさかのぼる古都で、円形劇場もあったらしい。そういえばGloucesterはグロスター、Leicesterはレスターと読むが、なぜかCirencesterはサイレンスターではなくサイレンセスターである。あと、Cirenという綴りもなかなか新鮮に感じる。
今はローマ時代の面影はほとんどなく、コッツウォルズの一地方都市といった感じである。町の中央にある教会を見学したり、辺りをぶらぶらしたりして1時間ほど滞在した。
ロンドン市内に戻ったのは夕刻。夜は父の誕生日を祝った。
写真
1枚目:バイブリー・コートにて
2枚目:アーリトン・ロー
3枚目:サイレンセスターの町
2161文字
のんびりした週末。
・土曜日
今日は土曜日である。夏休みに入ってからというもの、曜日感覚の喪失が著しい。8月も折り返し地点を過ぎ、ついに後半に入ってしまった。10日も経てばもう学校へ行っているのかと思うと、恐ろしい。
だらだらと起床し、午前中は2シーターの助手席に座って洗車とクリーニング屋に同行する。こちらは日本と同じく左側通行なので別段の違和感はないが、制限速度や距離の表示が全てにマイルになっているところや、ラウンドアバウトという円形交差点の存在が目新しい。帰宅したらもう正午が近い。聞くところによれば週末は郊外へドライブに行くことが多いらしい。しかしこの車に3人は乗れないので、今日明日はレンタカーを借り、日帰りで郊外へ行くことになったw
・リーズ城
ロンドンの東南東50マイルほど、ドーヴァー(Dover)へ向かう高速道路M2の途中にあるリーズ城は、かつては要塞として建てられたケント(Kent)地方の小さな古城である。敷地内の庭はかなり広く、水鳥でにぎわっている。しかし天気はあいにくの曇天で、時おり小雨が降りかかる。この冷涼な感じは、利尻島でオタトマリ沼の周囲を歩いたときの感覚に通じるものがあるけれども、植生が根本的に違うためか、蒸散されてくる空気感は異国のそれである。なかなか綺麗な場所で、週末の散策で来ていると思しき家族連れも散見される。
19時にはロンドン市内に戻る。こちらの日没は20時過ぎとかなり遅いので、時間感覚が少しおかしくなってしまう。夕食を終えた頃、ちょうど黄昏となった。あとはワインを飲んで怠惰な週末の夜を過ごす。
写真:リーズ城
842文字
8/17
レンタカーによる移動
リーズ(Leeds)城
・土曜日
今日は土曜日である。夏休みに入ってからというもの、曜日感覚の喪失が著しい。8月も折り返し地点を過ぎ、ついに後半に入ってしまった。10日も経てばもう学校へ行っているのかと思うと、恐ろしい。
だらだらと起床し、午前中は2シーターの助手席に座って洗車とクリーニング屋に同行する。こちらは日本と同じく左側通行なので別段の違和感はないが、制限速度や距離の表示が全てにマイルになっているところや、ラウンドアバウトという円形交差点の存在が目新しい。帰宅したらもう正午が近い。聞くところによれば週末は郊外へドライブに行くことが多いらしい。しかしこの車に3人は乗れないので、今日明日はレンタカーを借り、日帰りで郊外へ行くことになったw
・リーズ城
ロンドンの東南東50マイルほど、ドーヴァー(Dover)へ向かう高速道路M2の途中にあるリーズ城は、かつては要塞として建てられたケント(Kent)地方の小さな古城である。敷地内の庭はかなり広く、水鳥でにぎわっている。しかし天気はあいにくの曇天で、時おり小雨が降りかかる。この冷涼な感じは、利尻島でオタトマリ沼の周囲を歩いたときの感覚に通じるものがあるけれども、植生が根本的に違うためか、蒸散されてくる空気感は異国のそれである。なかなか綺麗な場所で、週末の散策で来ていると思しき家族連れも散見される。
19時にはロンドン市内に戻る。こちらの日没は20時過ぎとかなり遅いので、時間感覚が少しおかしくなってしまう。夕食を終えた頃、ちょうど黄昏となった。あとはワインを飲んで怠惰な週末の夜を過ごす。
写真:リーズ城
842文字
市内を回る。
・曇天のロンドン
トラファルガー(Trafalgar)広場まで乗ったバスは旧式の車両であった。
この車種はルートマスターといって、8年前に第一線を退いてからは市内の2系統のみで日中に運行されているらしい。観光向けの遺産として残している意味が強いのだろう。最後部のオープンデッキから乗り降りするのが特徴で、車掌が乗っている。しかしこういう構造だと悪天候の日には吹きさらしになりそうだし、何より2倍の人員を雇わねばならない点が時代に合わなくなってきたと思われる。2階席に座るのも良さそうだったが、運転士のすぐ左後ろの席からの眺めも面白い。2階部分の張り出しと、運転室、そしてボンネットに囲まれた狭い景色だが、この閉鎖的な車窓がバスにしては珍しい。今乗っているRoute 9は、本来ならもっと遠くまで運行されるはずだが、ルートマスターの場合は途中のトラファルガー広場が終着となる。すべて新型のバスに置き換えた方がどう考えても効率が良さそうだが、古いものを愛し、残そうとする精神には共感するところが大きい。
・ナショナル・ギャラリー、ナショナル・ポートレート・ギャラリー
両者とも収蔵点数はなかなか膨大な美術館だが、「美術品は国民のもの」という考え方から入場料はいらない。この気軽に入れる感じが良い。色々見て回ったが、まあこういうところは宗教なり神話なり世界史の知識がないと、単に絵画を網膜に焼いているだけということになるのかもしれない。実際、直感的な「いい」「わるい」は確かに存在するが、いわゆる蘊蓄についてはよく分からない。蘊蓄を語る人々からすれば、自分は「価値判断の材料に乏しい」と言われても不思議ではない。ここでもモネ(Monet)やルノワール(Renoir)など印象派の展示が大人気なのは、そういう背景があるからではないか。
絵画と写真を単純に比較するのは非常に乱暴なことのように思えるが、たとえばSLやまぐち号を篠目駅の給水塔と一緒に撮ったり、タブレットを手渡す鉄道員をモチーフに久留里線の気動車を撮ったりしたとする。しかし、そこで給水塔やタブレットの何たるかを理解していないと写真の価値を判断できないのかというと必ずしもそうではなくて、結局のところ、写真を見る人の直感的な「いい」「わるい」による部分が大きい。してみると「価値」という言葉自体が不適切で、結局は個人の主観が大部分を占める。自分は芸術は所詮そんなものだと思っていて、もし文脈を共有できるとすればそれに越したことはないし、またさらに深いところでも分かり合えて楽しいのではないかと考えている。
ちなみにポートレート・ギャラリーの方はおびただしい数の肖像画が展示されていたが、さすがに肖像画の場合は、絵の上手い下手というより、そもそも人物を知らないと始まらない部分もあるので、よく分からないものはよく分からないまま終わってしまった。しかし展示の解説が丁寧だったので、英国王室の歴史を少し勉強できたのは収穫だったか。
・大観覧車
夕方はハンガーフォード(Hungerford)橋を歩き、テムズ(Thames)河の対岸へ渡る。近くに大観覧車、ロンドン・アイがあるので、この機会に乗っておく。猛烈に混雑しているかと思いきやこの時間帯はそれほどでもなく、高さ135mからの眺望はなかなか良かった。しかし景色はといえば、ウェストミンスター(Westminster)橋と国会議事堂の周辺はいかにもロンドンを象徴する風景だが、あとの方角は普通の大都会といった風であまり大したことはない。街並みに関しては、やはりパリが圧倒的に美しい。
写真
1枚目:旧式バス、ルートマスター
2枚目:フィッシュ・アンド・チップス
3枚目:夕刻のウェストミンスター橋と国会議事堂
1916文字
8/16
High Street Kensington → Trafalgar Square
ロンドンバス Route 9
ナショナル・ギャラリー、ナショナル・ポートレート・ギャラリー
徒歩による移動
ロンドン・アイ
Westminster → Notting Hill Gate
Circle Line
・曇天のロンドン
トラファルガー(Trafalgar)広場まで乗ったバスは旧式の車両であった。
この車種はルートマスターといって、8年前に第一線を退いてからは市内の2系統のみで日中に運行されているらしい。観光向けの遺産として残している意味が強いのだろう。最後部のオープンデッキから乗り降りするのが特徴で、車掌が乗っている。しかしこういう構造だと悪天候の日には吹きさらしになりそうだし、何より2倍の人員を雇わねばならない点が時代に合わなくなってきたと思われる。2階席に座るのも良さそうだったが、運転士のすぐ左後ろの席からの眺めも面白い。2階部分の張り出しと、運転室、そしてボンネットに囲まれた狭い景色だが、この閉鎖的な車窓がバスにしては珍しい。今乗っているRoute 9は、本来ならもっと遠くまで運行されるはずだが、ルートマスターの場合は途中のトラファルガー広場が終着となる。すべて新型のバスに置き換えた方がどう考えても効率が良さそうだが、古いものを愛し、残そうとする精神には共感するところが大きい。
・ナショナル・ギャラリー、ナショナル・ポートレート・ギャラリー
両者とも収蔵点数はなかなか膨大な美術館だが、「美術品は国民のもの」という考え方から入場料はいらない。この気軽に入れる感じが良い。色々見て回ったが、まあこういうところは宗教なり神話なり世界史の知識がないと、単に絵画を網膜に焼いているだけということになるのかもしれない。実際、直感的な「いい」「わるい」は確かに存在するが、いわゆる蘊蓄についてはよく分からない。蘊蓄を語る人々からすれば、自分は「価値判断の材料に乏しい」と言われても不思議ではない。ここでもモネ(Monet)やルノワール(Renoir)など印象派の展示が大人気なのは、そういう背景があるからではないか。
絵画と写真を単純に比較するのは非常に乱暴なことのように思えるが、たとえばSLやまぐち号を篠目駅の給水塔と一緒に撮ったり、タブレットを手渡す鉄道員をモチーフに久留里線の気動車を撮ったりしたとする。しかし、そこで給水塔やタブレットの何たるかを理解していないと写真の価値を判断できないのかというと必ずしもそうではなくて、結局のところ、写真を見る人の直感的な「いい」「わるい」による部分が大きい。してみると「価値」という言葉自体が不適切で、結局は個人の主観が大部分を占める。自分は芸術は所詮そんなものだと思っていて、もし文脈を共有できるとすればそれに越したことはないし、またさらに深いところでも分かり合えて楽しいのではないかと考えている。
ちなみにポートレート・ギャラリーの方はおびただしい数の肖像画が展示されていたが、さすがに肖像画の場合は、絵の上手い下手というより、そもそも人物を知らないと始まらない部分もあるので、よく分からないものはよく分からないまま終わってしまった。しかし展示の解説が丁寧だったので、英国王室の歴史を少し勉強できたのは収穫だったか。
・大観覧車
夕方はハンガーフォード(Hungerford)橋を歩き、テムズ(Thames)河の対岸へ渡る。近くに大観覧車、ロンドン・アイがあるので、この機会に乗っておく。猛烈に混雑しているかと思いきやこの時間帯はそれほどでもなく、高さ135mからの眺望はなかなか良かった。しかし景色はといえば、ウェストミンスター(Westminster)橋と国会議事堂の周辺はいかにもロンドンを象徴する風景だが、あとの方角は普通の大都会といった風であまり大したことはない。街並みに関しては、やはりパリが圧倒的に美しい。
写真
1枚目:旧式バス、ルートマスター
2枚目:フィッシュ・アンド・チップス
3枚目:夕刻のウェストミンスター橋と国会議事堂
1916文字
一週間の非日常に飛び込む。
・雲海を渡る
話の始まりは8月9日、利尻島であった。全医体出場の夢が札幌に散った今、手帳のスケジュールは大半が横線で消され、あとは虚しい空白が残るのみとなった。
両親にメールをしていたら「それならこっちに来たら」ということになり、15日から22日までの一週間、急遽渡英が決まったのであった。いささか唐突な話ではあったが、確かに東京にいたところで大した予定もなく、漫然とした時間を過ごすのは目に見えている。また学生生活に残された休暇の時間があまりないことも考えると、この一週間を異国の地で過ごすのはなかなか貴重な機会だと思われた。そういうわけで、利尻から帰京後に3日間の緩衝期間を挟み、今日ロンドンへ発つことになった。いやそれにしても、こんなハイシーズンによく航空券が取れたものだ。
何度も思うに、車輪が滑走路を離れる瞬間のあの感覚は、実に面白い。「ふわっ」というのはありきたりだが、「すっ」という擬態語も意外に合っているか。それはちょうど、寝台特急が始発駅のホームを音もなく滑り出すときの感覚に通じるものがある。全然違う現象ではあるが、限りなく時間を短くして観察すれば「感覚の微分係数」としてはほぼ同じなのではないか。旅立ちの心に渦巻く感情を反映して、こういう面白い感覚が形成されていく。あの「すっ」で、東京に放散していた「弛緩した意識の線維束」がぱっと放り出され、そして滑走路の上に捨てられたのだ。それは、一種の訣別でもあった。
機内では映画を2本観て、それから寝ようかと思ったが昼間なので全然眠れない。結局、終始目覚めたまま12時間のフライトを終え、ヒースロー(Heathrow)空港に降り立つ。そしてケンジントン(Kensington)にある第三の家へ向かい、久々の食卓を囲んだ。
写真
1枚目:機体
2枚目:食卓
948文字
8/15
東京・成田(NRT)1145(GMT+9)
→ London Heathrow(LHR)1615(GMT+1)
日本航空401便(JL401)
・雲海を渡る
話の始まりは8月9日、利尻島であった。全医体出場の夢が札幌に散った今、手帳のスケジュールは大半が横線で消され、あとは虚しい空白が残るのみとなった。
両親にメールをしていたら「それならこっちに来たら」ということになり、15日から22日までの一週間、急遽渡英が決まったのであった。いささか唐突な話ではあったが、確かに東京にいたところで大した予定もなく、漫然とした時間を過ごすのは目に見えている。また学生生活に残された休暇の時間があまりないことも考えると、この一週間を異国の地で過ごすのはなかなか貴重な機会だと思われた。そういうわけで、利尻から帰京後に3日間の緩衝期間を挟み、今日ロンドンへ発つことになった。いやそれにしても、こんなハイシーズンによく航空券が取れたものだ。
何度も思うに、車輪が滑走路を離れる瞬間のあの感覚は、実に面白い。「ふわっ」というのはありきたりだが、「すっ」という擬態語も意外に合っているか。それはちょうど、寝台特急が始発駅のホームを音もなく滑り出すときの感覚に通じるものがある。全然違う現象ではあるが、限りなく時間を短くして観察すれば「感覚の微分係数」としてはほぼ同じなのではないか。旅立ちの心に渦巻く感情を反映して、こういう面白い感覚が形成されていく。あの「すっ」で、東京に放散していた「弛緩した意識の線維束」がぱっと放り出され、そして滑走路の上に捨てられたのだ。それは、一種の訣別でもあった。
機内では映画を2本観て、それから寝ようかと思ったが昼間なので全然眠れない。結局、終始目覚めたまま12時間のフライトを終え、ヒースロー(Heathrow)空港に降り立つ。そしてケンジントン(Kensington)にある第三の家へ向かい、久々の食卓を囲んだ。
写真
1枚目:機体
2枚目:食卓
948文字
東京の夏は暑い。このままだと家に引きこもる生活になりそうである。昼前にぐだぐだと起床し、写真を見返し、日記をしたためる。夕方は新宿で買い物をしてから代々木へ向かう。ここは何だかずいぶんと変容してしまった。怖いもので、人間は一定の環境に慣れ切ってしまうと、それが当たり前だと思い込み、一種の錯覚を抱くことさえある。帰宅後は荷造りを終え、簡単に旅行の予習をする。
写真:新庄駅
内陸にやってきました。ここから普通列車に乗り継いで山形まで出ます。
256文字
写真:新庄駅
内陸にやってきました。ここから普通列車に乗り継いで山形まで出ます。
256文字
実に非生産的な一日で、昼前に起きてだらだらとPCに向かい、北海道遠征の分の旅行記を書こうとするも日中は捗らない。あとは、そういえばと思って明後日からの渡英の荷造りを始める。当初、夏休みは合間の時間を見つけて、1学期に回った科のQBを解き終えようと考えたことがあったが、実際はそんな気力が湧くはずもなく、東医体を終え、利尻旅行を終えてからは、例の「弛緩した意識の線維束」がそこら中の空間にだらーっと放散しているかのようだ。
写真:陸羽西線普通列車@古口
陸羽西線というのは意外と便利で、山形の内陸と日本海側をそれなりに高速で連絡する役割を果たしています。
312文字
写真:陸羽西線普通列車@古口
陸羽西線というのは意外と便利で、山形の内陸と日本海側をそれなりに高速で連絡する役割を果たしています。
312文字
昼前に起床し、部屋を掃除し、北海道遠征の写真を整理する。信濃町はメディアセンターが閉まっているのでITCもやってないかと思いきや、今週は新教5階だけが開いているようなので、そこで写真をアップロード。その後諸々の雑務を処理した後、「家」へ戻って郵便物とキャリーバッグを回収。ついでに風通しをして、久々に3時間ほどピアノに触る。夜になると激烈な雷雨となり、何回か停電してしまった。雨が上がってから都内へ戻った。
写真:陸羽西線普通列車@古口
山形旅行の写真を再開します。酒田発新庄行の一番列車、夜明けの古口駅にて長停。
293文字
写真:陸羽西線普通列車@古口
山形旅行の写真を再開します。酒田発新庄行の一番列車、夜明けの古口駅にて長停。
293文字
山頂は、最後まで雲の中。
・最終日
東京を出たのはちょうど一週間前、時間の経つのはこんなにも早い。本土へ渡るフェリーの出航までは3時間ほど余裕があったので、もしかしたら雲の切れ間から利尻富士の頂が見えるかもしれないという淡い期待を胸に、もう一周島を回ってみることにする。今日は反時計回りでスタートし、まずは沓形へ向かう。この車中が一番良く山を拝めたかもしれない。先へ進むにつれてどんどん麓に雲が湧いてきて、山頂はおろか稜線さえも隠されてしまった。
昨日訪れていないスポットを回ろうということで、まずは仙法志の先にある南浜湿原で車を停め、遊歩道を歩く。シダ植物が一面に広がる中でマツの木が点在するという不思議な植生の湿原だが、花はあまり咲いていない。相当な穴場スポットと思われ、至る所にクモの巣が張っている。いかに人が訪れないかということである。ここは虫が多く、植物というよりは虫を見に来たといっても過言ではないw
最後は鴛泊港のすぐそばにあるペシ岬を訪れる。しかしながら標高93mの頂上まで登っている時間はなかったので、中腹にある展望台でしばらく休んでから引き返すことにした。昨年の佐渡の大野亀によく似た場所で、緑に覆われた大きな岩山が海岸にどかんと鎮座している様子はなかなか面白い。西の方角に目をやれば、礼文島の青い島影が水平線に浮かんでいる。この風景にもそろそろ別れを告げねばならない。
・帰路
いったんペンションに戻ってレンタカーを返却した後、鴛泊港まで送って頂く。11時55分に出港する稚内行のフェリーで島を去る。すでに桟橋には大勢の乗客が列をなし、見送り人もたくさん来ていた。色とりどりの紙テープがデッキと桟橋の間に結ばれる。やがて汽笛一声、ディーゼルエンジンの轟音と共に、みるみるうちに船は岸壁を離れていく。陸と海をつなぐ無数の紙テープの束は扇形に放散して虹の橋を作ったかと思いきや、次の瞬間にはひらひらと暗い海の中へ沈んでいった。桟橋には大声を上げて手を振る人々。デッキの乗客もそれに応える。テープ投げを目にしたのはこれが初めてで、個人的にはなかなかドラマチックな出港風景であった。
稚内までは100分の道のりだが、2等船室のジュータンで寝ていたらあっという間であった。フェリーターミナルでラーメンを食べた後、バスで空港へ向かう。あとは搭乗手続きを終え、羽田へ飛ぶのみだ。
そういえば3年前の3月、ここ稚内の地を訪れたのだった。あの時は快晴で、宗谷湾をなぞって宗谷岬へ向かう道の途中、荘厳な利尻富士の姿を海を挟んで遠目に見たことをよく覚えている。次に訪れるのはいつになるのだろう。旅行はいつも一期一会であるから、その時に五感で知覚したもの、そしてその知覚のもとに湧き起こった感情を大切にしなければならない。「くはねlogの旅行記は叙情的な記述に乏しい」という指摘を一部から受けているが、それは確かに難しいテーマで、旅行中に湧き起こった「生の感覚」「生の感情」を本当にリアルな形で文章にすることは困難を極める。たびたびアルカリ金属のたとえ話を持ち出して恐縮だが、切った瞬間がピークで、あとは酸化していくだけなのだ。家に帰り、写真を整理し、さて書き始めようとしたところで、所詮それは「再構成の産物」である。もっとも、個人的には再構成まで完結させてこその旅行だと考えているから、わざわざ時間を割いてこういう駄文を書き連ねているのだが、やはり「生」をそのまま持って帰って表現することは難しいのである。
そういえばこのテーマ、去年の部誌に書いたなw
写真
1枚目:南浜湿原
2枚目:ペシ岬
3枚目:出港の風景
1855文字
8/11
レンタカーによる周回(反時計回り)
南浜湿原、ペシ岬展望台
鴛泊1155 → 稚内1335
ハートランドフェリー サイプリア宗谷
稚内フェリーターミナル1430 → 稚内空港1505
宗谷バス
稚内(WKJ)1540 → 羽田(HND)1735
全日本空輸574便(NH574)
・最終日
東京を出たのはちょうど一週間前、時間の経つのはこんなにも早い。本土へ渡るフェリーの出航までは3時間ほど余裕があったので、もしかしたら雲の切れ間から利尻富士の頂が見えるかもしれないという淡い期待を胸に、もう一周島を回ってみることにする。今日は反時計回りでスタートし、まずは沓形へ向かう。この車中が一番良く山を拝めたかもしれない。先へ進むにつれてどんどん麓に雲が湧いてきて、山頂はおろか稜線さえも隠されてしまった。
昨日訪れていないスポットを回ろうということで、まずは仙法志の先にある南浜湿原で車を停め、遊歩道を歩く。シダ植物が一面に広がる中でマツの木が点在するという不思議な植生の湿原だが、花はあまり咲いていない。相当な穴場スポットと思われ、至る所にクモの巣が張っている。いかに人が訪れないかということである。ここは虫が多く、植物というよりは虫を見に来たといっても過言ではないw
最後は鴛泊港のすぐそばにあるペシ岬を訪れる。しかしながら標高93mの頂上まで登っている時間はなかったので、中腹にある展望台でしばらく休んでから引き返すことにした。昨年の佐渡の大野亀によく似た場所で、緑に覆われた大きな岩山が海岸にどかんと鎮座している様子はなかなか面白い。西の方角に目をやれば、礼文島の青い島影が水平線に浮かんでいる。この風景にもそろそろ別れを告げねばならない。
・帰路
いったんペンションに戻ってレンタカーを返却した後、鴛泊港まで送って頂く。11時55分に出港する稚内行のフェリーで島を去る。すでに桟橋には大勢の乗客が列をなし、見送り人もたくさん来ていた。色とりどりの紙テープがデッキと桟橋の間に結ばれる。やがて汽笛一声、ディーゼルエンジンの轟音と共に、みるみるうちに船は岸壁を離れていく。陸と海をつなぐ無数の紙テープの束は扇形に放散して虹の橋を作ったかと思いきや、次の瞬間にはひらひらと暗い海の中へ沈んでいった。桟橋には大声を上げて手を振る人々。デッキの乗客もそれに応える。テープ投げを目にしたのはこれが初めてで、個人的にはなかなかドラマチックな出港風景であった。
稚内までは100分の道のりだが、2等船室のジュータンで寝ていたらあっという間であった。フェリーターミナルでラーメンを食べた後、バスで空港へ向かう。あとは搭乗手続きを終え、羽田へ飛ぶのみだ。
そういえば3年前の3月、ここ稚内の地を訪れたのだった。あの時は快晴で、宗谷湾をなぞって宗谷岬へ向かう道の途中、荘厳な利尻富士の姿を海を挟んで遠目に見たことをよく覚えている。次に訪れるのはいつになるのだろう。旅行はいつも一期一会であるから、その時に五感で知覚したもの、そしてその知覚のもとに湧き起こった感情を大切にしなければならない。「くはねlogの旅行記は叙情的な記述に乏しい」という指摘を一部から受けているが、それは確かに難しいテーマで、旅行中に湧き起こった「生の感覚」「生の感情」を本当にリアルな形で文章にすることは困難を極める。たびたびアルカリ金属のたとえ話を持ち出して恐縮だが、切った瞬間がピークで、あとは酸化していくだけなのだ。家に帰り、写真を整理し、さて書き始めようとしたところで、所詮それは「再構成の産物」である。もっとも、個人的には再構成まで完結させてこその旅行だと考えているから、わざわざ時間を割いてこういう駄文を書き連ねているのだが、やはり「生」をそのまま持って帰って表現することは難しいのである。
そういえばこのテーマ、去年の部誌に書いたなw
写真
1枚目:南浜湿原
2枚目:ペシ岬
3枚目:出港の風景
1855文字
今日も島をめぐる。
・姫沼、オタトマリ沼
鴛泊の港からほど近い山中にある姫沼は深い霧に包まれていて、水墨画のような世界であった。飽和水蒸気圧を感じながら幻想的な湖を一周歩く。続いて訪れたオタトマリ沼は、島で最も大きな湖である。ここは湿原の中にあるためか霧はなく、ただ陰鬱な曇天が広がるのみ。晴れていれば利尻富士が湖の向こう側にそびえ立ち、さらに無風ならその山容も湖面に映るようだが、やはり山は雲の中である。湖の周りをゆっくりと歩き、のんびりとした時間を過ごす。
東医体が終わり、緊張の糸が切れ、まるで弛緩した意識の線維束がだらーっと湖面に吹き流されているかのような感覚である。
・仙法志御崎公園、人面岩
御崎公園ではアザラシが見られると聞いていたので行ってみると、何やら磯にはいけすがある。雲行きが怪しくなってきたと思ったら、案の定、養殖アザラシであったw 「ゴマちゃん」という名前までついているw そこら辺の岩場にアザラシが寝ている絵を想像していたのだが、そういうわけではないらしい。ここは利尻山から流れ出た溶岩が散らばった海岸で、昨年の佐渡の七浦海岸を彷彿させる光景である。
その後も時計回りに車を走らせると、7時の方角を過ぎたあたりで空がずいぶんと晴れてきた。それまで鉛色だった海面も紺碧になり、まぶしい陽光を照り返している。人面岩や寝熊の岩と名前が付けられた奇岩の近くで車を停め、しばし海岸に佇む。海を見ていると、心が洗われる。あれは昨年の2月だったか、日本海が眼前に広がる小砂川~上浜の撮影地で、蒼い海と飛島の島影を見ながらのんびり列車を待っていると、海藻のように心にまとわりついていた負の感情がどうでもよくなったものだ。今日も、そういう気分である。
・昼食、沓形岬公園
沓形の町も晴れていて、涼しい気候のはずなのにむしろ暑いくらいである。白昼の町は人通りがほとんどなく、ただ陽光だけが降り注いでいる。「大漁亭」という店に入って昼食をとることにした。かなり古い建物で、かつては旅館だったのだろうか。今は寂れた雰囲気である。4人で刺身の盛合せを注文。ホタテやソイ、イカ、タコなど、素朴ながら地元で獲れた魚介がそのまま使われていて美味しい。それなりに高くつくのかと思いきや、学生ということでかなり負けてくれた。実に良心的な会計でありがたい。そういえば、そこら中で大量に獲れるからなのか、利尻はホタテの値段がかなり安い。一方でウニは高い。やはり貴重だということと、一匹から採れる卵巣の量が限られているからなのだろう。
その後、沓形岬公園に向かう。オレンジ色のオニユリが海の色と好対照になっていて美しい。西の方角を見れば、すぐ近くに礼文島が浮かんでいる。ここからは12kmしか離れていないらしい。礼文の方角は天候が悪く、雲が低く暗い。晴れているのは沓形付近の海岸だけのようだ。利尻富士はかなり稜線が見えるようになったが、肝心の山頂は依然雲の中である。
・見返台園地
もしかしたら山頂が見えるかもしれないと思い、山道を4kmほど登って利尻山の中腹にある見返台園地までやって来た。しかしながら、山頂はやはり雲の中であった。ここまで登ってくるとさすがに見晴らしも良く、島の四分の一にあたる海岸線と、沓形の町、そして眼前に広がる利尻富士の裾野が一望のもとである。天候もすがすがしく、感情の混合物が濾過されていく。
・富士野岬、富士野園地
最後は11時の方角にある富士野園地を訪れる。見返台園地を後にして北へ車を走らせていくと、徐々に空が暗くなってきた。今日は、島の南西部だけ晴れていたようだ。到着した富士野岬の付近は荒涼たる海食崖が続き、陰鬱な曇天も相まってかなり寂しい風景である。近くの富士野園地には展望台があり、小さな無人島、ポンモシリ島の姿を眼下に望むことができる。見ると、鴛泊の港を出発したフェリーが、沖合に浮かぶ礼文島を目指して走っていく。絶望的に暗い景色は、まるで心象風景のようにひたひたとこちらへ近づいてくるかのようだ。
・夕食、晩酌
今夜の食事もボリュームがあり、シマホッケ、タコしゃぶ、このわた、バフンウニの刺身、利尻昆布などが盛りだくさんであった。メインはやはりウニで、ムラサキウニと一緒に炊き込んだ釜飯を頂く。この二日間は、何とも贅沢な食生活を満喫している。
夜は予科部屋で飲む。なかなか大量に酒を買ってきたが、多すぎず、かといって少なすぎず、酔って眠るには丁度良い量であった。今さらながら思うに、東医体は、もう終わったのだ。そして、主将も終わったのだ。終わった、という現実に向き合うのは当然のことではあるが、はかない達成感と同時に心に去来するのは、一種の寂寥感、そして孤独感である。誰もいない、広大な氷の海の上で途方に暮れているような感覚、それに近いものを覚える。この一年間、常に全力で取り組んではきたが、それでも達成し得ないことは山ほどあったし、反省することも多いし、何より悔いがないと言えば嘘になる。まあ、しばらくはゆっくり休んで、そして、再びゆったり歩き始めるとしよう。
写真
1枚目:姫沼
2枚目:沓形岬公園
3枚目:見返台園地より眺める利尻山の稜線
2460文字
8/10
レンタカーによる周回(時計回り)
姫沼、オタトマリ沼、仙法志御崎公園、人面岩、沓形岬公園、見返台園地、富士野岬、富士野園地
マルゼンペンション レラモシリ 泊
・姫沼、オタトマリ沼
鴛泊の港からほど近い山中にある姫沼は深い霧に包まれていて、水墨画のような世界であった。飽和水蒸気圧を感じながら幻想的な湖を一周歩く。続いて訪れたオタトマリ沼は、島で最も大きな湖である。ここは湿原の中にあるためか霧はなく、ただ陰鬱な曇天が広がるのみ。晴れていれば利尻富士が湖の向こう側にそびえ立ち、さらに無風ならその山容も湖面に映るようだが、やはり山は雲の中である。湖の周りをゆっくりと歩き、のんびりとした時間を過ごす。
東医体が終わり、緊張の糸が切れ、まるで弛緩した意識の線維束がだらーっと湖面に吹き流されているかのような感覚である。
・仙法志御崎公園、人面岩
御崎公園ではアザラシが見られると聞いていたので行ってみると、何やら磯にはいけすがある。雲行きが怪しくなってきたと思ったら、案の定、養殖アザラシであったw 「ゴマちゃん」という名前までついているw そこら辺の岩場にアザラシが寝ている絵を想像していたのだが、そういうわけではないらしい。ここは利尻山から流れ出た溶岩が散らばった海岸で、昨年の佐渡の七浦海岸を彷彿させる光景である。
その後も時計回りに車を走らせると、7時の方角を過ぎたあたりで空がずいぶんと晴れてきた。それまで鉛色だった海面も紺碧になり、まぶしい陽光を照り返している。人面岩や寝熊の岩と名前が付けられた奇岩の近くで車を停め、しばし海岸に佇む。海を見ていると、心が洗われる。あれは昨年の2月だったか、日本海が眼前に広がる小砂川~上浜の撮影地で、蒼い海と飛島の島影を見ながらのんびり列車を待っていると、海藻のように心にまとわりついていた負の感情がどうでもよくなったものだ。今日も、そういう気分である。
・昼食、沓形岬公園
沓形の町も晴れていて、涼しい気候のはずなのにむしろ暑いくらいである。白昼の町は人通りがほとんどなく、ただ陽光だけが降り注いでいる。「大漁亭」という店に入って昼食をとることにした。かなり古い建物で、かつては旅館だったのだろうか。今は寂れた雰囲気である。4人で刺身の盛合せを注文。ホタテやソイ、イカ、タコなど、素朴ながら地元で獲れた魚介がそのまま使われていて美味しい。それなりに高くつくのかと思いきや、学生ということでかなり負けてくれた。実に良心的な会計でありがたい。そういえば、そこら中で大量に獲れるからなのか、利尻はホタテの値段がかなり安い。一方でウニは高い。やはり貴重だということと、一匹から採れる卵巣の量が限られているからなのだろう。
その後、沓形岬公園に向かう。オレンジ色のオニユリが海の色と好対照になっていて美しい。西の方角を見れば、すぐ近くに礼文島が浮かんでいる。ここからは12kmしか離れていないらしい。礼文の方角は天候が悪く、雲が低く暗い。晴れているのは沓形付近の海岸だけのようだ。利尻富士はかなり稜線が見えるようになったが、肝心の山頂は依然雲の中である。
・見返台園地
もしかしたら山頂が見えるかもしれないと思い、山道を4kmほど登って利尻山の中腹にある見返台園地までやって来た。しかしながら、山頂はやはり雲の中であった。ここまで登ってくるとさすがに見晴らしも良く、島の四分の一にあたる海岸線と、沓形の町、そして眼前に広がる利尻富士の裾野が一望のもとである。天候もすがすがしく、感情の混合物が濾過されていく。
・富士野岬、富士野園地
最後は11時の方角にある富士野園地を訪れる。見返台園地を後にして北へ車を走らせていくと、徐々に空が暗くなってきた。今日は、島の南西部だけ晴れていたようだ。到着した富士野岬の付近は荒涼たる海食崖が続き、陰鬱な曇天も相まってかなり寂しい風景である。近くの富士野園地には展望台があり、小さな無人島、ポンモシリ島の姿を眼下に望むことができる。見ると、鴛泊の港を出発したフェリーが、沖合に浮かぶ礼文島を目指して走っていく。絶望的に暗い景色は、まるで心象風景のようにひたひたとこちらへ近づいてくるかのようだ。
・夕食、晩酌
今夜の食事もボリュームがあり、シマホッケ、タコしゃぶ、このわた、バフンウニの刺身、利尻昆布などが盛りだくさんであった。メインはやはりウニで、ムラサキウニと一緒に炊き込んだ釜飯を頂く。この二日間は、何とも贅沢な食生活を満喫している。
夜は予科部屋で飲む。なかなか大量に酒を買ってきたが、多すぎず、かといって少なすぎず、酔って眠るには丁度良い量であった。今さらながら思うに、東医体は、もう終わったのだ。そして、主将も終わったのだ。終わった、という現実に向き合うのは当然のことではあるが、はかない達成感と同時に心に去来するのは、一種の寂寥感、そして孤独感である。誰もいない、広大な氷の海の上で途方に暮れているような感覚、それに近いものを覚える。この一年間、常に全力で取り組んではきたが、それでも達成し得ないことは山ほどあったし、反省することも多いし、何より悔いがないと言えば嘘になる。まあ、しばらくはゆっくり休んで、そして、再びゆったり歩き始めるとしよう。
写真
1枚目:姫沼
2枚目:沓形岬公園
3枚目:見返台園地より眺める利尻山の稜線
2460文字
利尻島へ発つ。
・一夜明けて
やや寝不足ではあったが、8時過ぎに起床。外は雨が降っている。大半の部員はそれぞれのグループに分かれ、道内を旅行してから帰京する。すでに出発している人もいるようだ。荷物をまとめてチェックアウトし、傘を差して豊水すすきの駅へ向かう。
せっかくの機会なのでトワイライトを白石で、北斗星を長都で駅撮りしてから空港へ向かおうと思っていたが、白石で待ち構えていたトワイライトが定刻に来ないので運行情報を調べてみると、未明の大雨で函館本線が南部で冠水してしまい両列車とも立ち往生状態らしい。DD51重連の雄姿をまた拝めるかと思いきや、そう上手くはいかなかった。
・利尻島へ
呆然として空港へ。電話で指定された通り、2階の14番カウンターへ行って番号を伝えると、本当に三脚が出てきて感動の再会w やはり日本はこういうところがしっかりしていて良いと思う。利尻行に間に合って何よりである。鉄道撮影がコケた分だけ暇になったので、ラーメンを食べてから出発ロビーでボンバルディアのプロペラ機を撮って時間をつぶす。
利尻行の機体はボーイング737-500というかなり小さなジェット機で、ずんぐりしている。機内も新幹線の1車両をそのまま持ってきたくらいの広さで、まさに離島航路サイズ。乗継ぎ客が遅れているとのことで、定刻より45分も遅れての離陸となった。この4929便は夏季限定の季節便だが、利尻へは札幌市内の丘珠空港から北海道エアシステムのプロペラ機も飛んでいる。わずか50分あまりのフライトで到着した利尻空港はいかにも離島の空港といった風情で、本当に小さい。滑走路を歩いてビルへ向かう。天候は曇。すかっと晴れた日であれば、駐機場の背景に雄大な利尻富士の山容がどーんと見えるのだろうが、残念ながら今日は雲の中である。
・島を一周
空港からペンションまでは送迎の車で10分ほど。荷物を部屋に置いてからレンタカーを借り、予科主任の運転で島を時計回りに一周する。島は一周約60kmなので、毎時60kmで巡航すれば、所要時間は時計の長針と大体同じになる。ドライブはペンションのある鴛泊(おしどまり)から始まり、雄忠志内(おちゅうしない)、鰊泊(にしんどまり)、旭浜(あさひはま)、石崎(いしざき)、二石(ふたついし)、鬼脇(おにわき)、金崎(かなざき)、南浜(みなみはま)、仙法志(せんほうし)、政泊(まさどまり)、神磯(かみいそ)、長浜(ながはま)、久連(くずれ)、蘭泊(らんどまり)、沓形(くつがた)、新湊(しんみなと)、栄浜(さかえはま)、大磯(おおいそ)、本泊(もとどまり)と集落をたどっていき、再び鴛泊に戻ってくる。12時方向の鴛泊と、9時方向の沓形が二つの大きな町で、前者が利尻富士町、後者が利尻町の中心地となっている。それ以外の部分は比較的小さな集落が点在するのみで、集落の間は何もない原野か、海岸段丘のような地形になっている。
道路は至極単純で、非常に走りやすい。常に左手に海を見ながら、島の海岸線をなぞる。港町の鴛泊を過ぎた後、左手後方に見えてくるペシ岬の奇妙な姿、起伏が激しく道路が海に飛び出していきそうな東岸の景色、海岸段丘の下を走る西岸の景色、雨に濡れる沓形の町の小ぢんまりした姿、荒涼たる原野と断崖が続く北岸の景色。小さな島の中といえども、場所によって表情は大きく異なっている。天候が勝れないのが残念で、とくに南部の仙法志あたりは大雨であった。利尻富士は、やはり雲に隠れている。道中、鬼脇にある利尻島郷土資料館を訪問した。旧鬼脇村役場の建物をそのまま利用した博物館で、数多くの展示品とともに島の歴史が語られている。一日に一体何人が訪れているのか分からないような寂れた雰囲気だが、展示品はどれも非常に年季が入っており、古いものがよく保存されていて面白い。
・夕食
レラモシリは綺麗なペンションで、とくに食事がすばらしかった。ナマコ、ソイ、エビ、ホタテなどなどの地元の海産物が、刺身として、焼き魚として、あるいは鍋として、これでもかというくらい大量に登場。ホタテは新鮮な刺身もさることながら、そのまま何も味付けせず焼かれたものも美味しい。今夜は最後に出てきたバフンウニのウニ丼が圧巻で、金色のウニそのものは甘くとろけるような味と食感である。どれもついさっきまで生きていたわけだから、こんなのは東京では食べられないだろう。
食後は露天風呂に入り、軽く飲み会をやってから寝る。
写真
1枚目:利尻空港到着
2枚目:利尻島郷土資料館
3枚目:ウニ丼
2186文字
8/9
新千歳(CTS)1400(+45) → 利尻(RIS)1450(+45)
全日本空輸4929便(NH4929)
レンタカーによる周回(時計回り)
利尻島郷土資料館
マルゼンペンション レラモシリ 泊
・一夜明けて
やや寝不足ではあったが、8時過ぎに起床。外は雨が降っている。大半の部員はそれぞれのグループに分かれ、道内を旅行してから帰京する。すでに出発している人もいるようだ。荷物をまとめてチェックアウトし、傘を差して豊水すすきの駅へ向かう。
せっかくの機会なのでトワイライトを白石で、北斗星を長都で駅撮りしてから空港へ向かおうと思っていたが、白石で待ち構えていたトワイライトが定刻に来ないので運行情報を調べてみると、未明の大雨で函館本線が南部で冠水してしまい両列車とも立ち往生状態らしい。DD51重連の雄姿をまた拝めるかと思いきや、そう上手くはいかなかった。
・利尻島へ
呆然として空港へ。電話で指定された通り、2階の14番カウンターへ行って番号を伝えると、本当に三脚が出てきて感動の再会w やはり日本はこういうところがしっかりしていて良いと思う。利尻行に間に合って何よりである。鉄道撮影がコケた分だけ暇になったので、ラーメンを食べてから出発ロビーでボンバルディアのプロペラ機を撮って時間をつぶす。
利尻行の機体はボーイング737-500というかなり小さなジェット機で、ずんぐりしている。機内も新幹線の1車両をそのまま持ってきたくらいの広さで、まさに離島航路サイズ。乗継ぎ客が遅れているとのことで、定刻より45分も遅れての離陸となった。この4929便は夏季限定の季節便だが、利尻へは札幌市内の丘珠空港から北海道エアシステムのプロペラ機も飛んでいる。わずか50分あまりのフライトで到着した利尻空港はいかにも離島の空港といった風情で、本当に小さい。滑走路を歩いてビルへ向かう。天候は曇。すかっと晴れた日であれば、駐機場の背景に雄大な利尻富士の山容がどーんと見えるのだろうが、残念ながら今日は雲の中である。
・島を一周
空港からペンションまでは送迎の車で10分ほど。荷物を部屋に置いてからレンタカーを借り、予科主任の運転で島を時計回りに一周する。島は一周約60kmなので、毎時60kmで巡航すれば、所要時間は時計の長針と大体同じになる。ドライブはペンションのある鴛泊(おしどまり)から始まり、雄忠志内(おちゅうしない)、鰊泊(にしんどまり)、旭浜(あさひはま)、石崎(いしざき)、二石(ふたついし)、鬼脇(おにわき)、金崎(かなざき)、南浜(みなみはま)、仙法志(せんほうし)、政泊(まさどまり)、神磯(かみいそ)、長浜(ながはま)、久連(くずれ)、蘭泊(らんどまり)、沓形(くつがた)、新湊(しんみなと)、栄浜(さかえはま)、大磯(おおいそ)、本泊(もとどまり)と集落をたどっていき、再び鴛泊に戻ってくる。12時方向の鴛泊と、9時方向の沓形が二つの大きな町で、前者が利尻富士町、後者が利尻町の中心地となっている。それ以外の部分は比較的小さな集落が点在するのみで、集落の間は何もない原野か、海岸段丘のような地形になっている。
道路は至極単純で、非常に走りやすい。常に左手に海を見ながら、島の海岸線をなぞる。港町の鴛泊を過ぎた後、左手後方に見えてくるペシ岬の奇妙な姿、起伏が激しく道路が海に飛び出していきそうな東岸の景色、海岸段丘の下を走る西岸の景色、雨に濡れる沓形の町の小ぢんまりした姿、荒涼たる原野と断崖が続く北岸の景色。小さな島の中といえども、場所によって表情は大きく異なっている。天候が勝れないのが残念で、とくに南部の仙法志あたりは大雨であった。利尻富士は、やはり雲に隠れている。道中、鬼脇にある利尻島郷土資料館を訪問した。旧鬼脇村役場の建物をそのまま利用した博物館で、数多くの展示品とともに島の歴史が語られている。一日に一体何人が訪れているのか分からないような寂れた雰囲気だが、展示品はどれも非常に年季が入っており、古いものがよく保存されていて面白い。
・夕食
レラモシリは綺麗なペンションで、とくに食事がすばらしかった。ナマコ、ソイ、エビ、ホタテなどなどの地元の海産物が、刺身として、焼き魚として、あるいは鍋として、これでもかというくらい大量に登場。ホタテは新鮮な刺身もさることながら、そのまま何も味付けせず焼かれたものも美味しい。今夜は最後に出てきたバフンウニのウニ丼が圧巻で、金色のウニそのものは甘くとろけるような味と食感である。どれもついさっきまで生きていたわけだから、こんなのは東京では食べられないだろう。
食後は露天風呂に入り、軽く飲み会をやってから寝る。
写真
1枚目:利尻空港到着
2枚目:利尻島郷土資料館
3枚目:ウニ丼
2186文字
ついに最終日を迎え、勝敗が決する。
・団体戦
三立目は、後の一手。全体で11中。抜いた矢で惜しいといったものは少なく、とんでもない場所へ飛ぶのが多い。どうも押手が効いていないように思う。そして、大三で勝手を引っ張りすぎているのかもしれない。
ここで、参的を交代することにした。個人的には交代は極力出したくなかったが、今回は仕方がなかった。交代してメンバーが変わるということは、それだけで立の雰囲気もがらりと変わる。それに交代は、される側もする側も苦しい。される側は力量を十分に発揮できなかったわけだし、する側は当然中たるものとして射位に立たされる。むやみに交代を出せば、その時点で采配上は負けなのだ。
四立目は、そくり。全体で12中。大三で勝手をつられることを意識してみたら、結構上手く引けたか。しかし気持ちだけで中てている部分も大きく、何とか止めもきわどいところへねじ込むことができた。無心で引く、いつも通りに引く、などといった高尚な境地などまだまだで、何だかんだ「後輩が抜いた分は俺が中てる」くらいのギラギラした意気込みがないと、試合では通用しない射型なのかもしれない。
五立目は、初矢一本。全体で14中。ようやく我々の本領を発揮してきたが、最終立では遅すぎた。この立も、つられる勝手と気持ちだけで押し切ろうかと思ったが、現実はそう甘くはなかった。そして大止めが6時にズシャったのは、胸がつぶれるような悔しさである。直前に落前が皆中しただけに、残念極まりない。
結果、120射55中、26校中16位。自分はといえば20射9中。立ごとに見れば9、9、11、12、14で、最後まで諦めずに粘る姿勢は何とか貫徹できたのではないか。しかしながら、立練習では優勝校の71中を上回る75中や77中といった数字が出ている中、20中以上も的中を落とし惨敗してしまったことは、我々の未熟さ、試合の難しさ、現実の厳しさを物語る。練習だけ中たっても意味がない。この本番、この大舞台で決められなかった我々の完全な敗北だ。「実力を発揮する」というのは難しい表現で、結局、「発揮されたものが実力」ととらえられることも多い。現実は、そして数字は、それほどまでに残酷なのだ。
自らの反省としては、根本的な問題としてやはり会がなさすぎた。これはひとえに意志の弱さによるところで、練習では練習だと思ってそれなりにもつことができても、立練ではだいぶ怪しくなり、試合ではこの有様である。「中てよう」と思っているから、早くなる。「中てよう」ではなく「正しく引こう」と思えば良いのだが、もう五年目だというのに、未だに試合でそれができない。練習だけで満足してしまった、甘えてしまった。いわば、そのツケが試合に回ってきたのかもしれない。水が低いところ、低いところを流れるように、人は楽なことに甘んじていれば身を滅ぼしてしまう。
全医体出場の夢は七光星の下に散る。そして、主将が終わった。
・打ち上げ
先生方のご馳走で、サッポロビール園にてジンギスカンの食べ放題と飲み放題。本当にありがとうございました。その後、二次会、三次会と続き、ホテルに戻って布団に潜り込んだのは未明3時半であった。
写真
1枚目:的場の垂れ幕、七光星を象った北海道旗
2枚目:サッポロビール園
1437文字
・団体戦
三立目は、後の一手。全体で11中。抜いた矢で惜しいといったものは少なく、とんでもない場所へ飛ぶのが多い。どうも押手が効いていないように思う。そして、大三で勝手を引っ張りすぎているのかもしれない。
ここで、参的を交代することにした。個人的には交代は極力出したくなかったが、今回は仕方がなかった。交代してメンバーが変わるということは、それだけで立の雰囲気もがらりと変わる。それに交代は、される側もする側も苦しい。される側は力量を十分に発揮できなかったわけだし、する側は当然中たるものとして射位に立たされる。むやみに交代を出せば、その時点で采配上は負けなのだ。
四立目は、そくり。全体で12中。大三で勝手をつられることを意識してみたら、結構上手く引けたか。しかし気持ちだけで中てている部分も大きく、何とか止めもきわどいところへねじ込むことができた。無心で引く、いつも通りに引く、などといった高尚な境地などまだまだで、何だかんだ「後輩が抜いた分は俺が中てる」くらいのギラギラした意気込みがないと、試合では通用しない射型なのかもしれない。
五立目は、初矢一本。全体で14中。ようやく我々の本領を発揮してきたが、最終立では遅すぎた。この立も、つられる勝手と気持ちだけで押し切ろうかと思ったが、現実はそう甘くはなかった。そして大止めが6時にズシャったのは、胸がつぶれるような悔しさである。直前に落前が皆中しただけに、残念極まりない。
結果、120射55中、26校中16位。自分はといえば20射9中。立ごとに見れば9、9、11、12、14で、最後まで諦めずに粘る姿勢は何とか貫徹できたのではないか。しかしながら、立練習では優勝校の71中を上回る75中や77中といった数字が出ている中、20中以上も的中を落とし惨敗してしまったことは、我々の未熟さ、試合の難しさ、現実の厳しさを物語る。練習だけ中たっても意味がない。この本番、この大舞台で決められなかった我々の完全な敗北だ。「実力を発揮する」というのは難しい表現で、結局、「発揮されたものが実力」ととらえられることも多い。現実は、そして数字は、それほどまでに残酷なのだ。
自らの反省としては、根本的な問題としてやはり会がなさすぎた。これはひとえに意志の弱さによるところで、練習では練習だと思ってそれなりにもつことができても、立練ではだいぶ怪しくなり、試合ではこの有様である。「中てよう」と思っているから、早くなる。「中てよう」ではなく「正しく引こう」と思えば良いのだが、もう五年目だというのに、未だに試合でそれができない。練習だけで満足してしまった、甘えてしまった。いわば、そのツケが試合に回ってきたのかもしれない。水が低いところ、低いところを流れるように、人は楽なことに甘んじていれば身を滅ぼしてしまう。
全医体出場の夢は七光星の下に散る。そして、主将が終わった。
・打ち上げ
先生方のご馳走で、サッポロビール園にてジンギスカンの食べ放題と飲み放題。本当にありがとうございました。その後、二次会、三次会と続き、ホテルに戻って布団に潜り込んだのは未明3時半であった。
写真
1枚目:的場の垂れ幕、七光星を象った北海道旗
2枚目:サッポロビール園
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・競射
会計は見事振分で生き残ったが、惜しくも遠近で敗退してしまった。改めて思うに、個人戦の1本はとてつもなく重い。
・団体戦
一立目は、初矢一本。全体で9中。厳しいスタートとなった。個人戦の反省を踏まえて少しでも良いから会をもつようにしてみたが、かえって勝手の力みを誘発してしまったか。
二立目は、止め一本。全体で9中。ここで13~14を出して盛り返したいところではあったが、依然戦況は厳しい。矢は虚しくもばらばらに散って行った。止めは気持ちというか、まぐれでしか中たっていない。
二立目終了時点で多くの学校が羽分け付近に密集する中、我々は48射18中と大きく後れをとってしまい、26校中20位。あそこに立つと、正常な精神で弓を引けない。一体何年やっているんだという話だが、それでも引分けから会にかけては「ざわざわした感じ」が全身を襲い、いわば正気を失ってしまう。しかし、明日の最後の最後まで死力を尽くさねばならない。「絶対に慢心しない、絶対に諦めない」と檄文に書いたではないか。
・夕食
前会計よしお君の全おごりで、スープカレーを頂くことになったw 豊水すすきのからほど近いGARAKUという店。炙り焙煎角煮が入ったカレーを注文。初めて食べたが、実においしい。ヤウとは異なり、具が豊富なのが良い。どうもごちそうさまでした。
写真:スープカレー
料理の写真は18-200でも十分撮れます。
734文字
会計は見事振分で生き残ったが、惜しくも遠近で敗退してしまった。改めて思うに、個人戦の1本はとてつもなく重い。
・団体戦
一立目は、初矢一本。全体で9中。厳しいスタートとなった。個人戦の反省を踏まえて少しでも良いから会をもつようにしてみたが、かえって勝手の力みを誘発してしまったか。
二立目は、止め一本。全体で9中。ここで13~14を出して盛り返したいところではあったが、依然戦況は厳しい。矢は虚しくもばらばらに散って行った。止めは気持ちというか、まぐれでしか中たっていない。
二立目終了時点で多くの学校が羽分け付近に密集する中、我々は48射18中と大きく後れをとってしまい、26校中20位。あそこに立つと、正常な精神で弓を引けない。一体何年やっているんだという話だが、それでも引分けから会にかけては「ざわざわした感じ」が全身を襲い、いわば正気を失ってしまう。しかし、明日の最後の最後まで死力を尽くさねばならない。「絶対に慢心しない、絶対に諦めない」と檄文に書いたではないか。
・夕食
前会計よしお君の全おごりで、スープカレーを頂くことになったw 豊水すすきのからほど近いGARAKUという店。炙り焙煎角煮が入ったカレーを注文。初めて食べたが、実においしい。ヤウとは異なり、具が豊富なのが良い。どうもごちそうさまでした。
写真:スープカレー
料理の写真は18-200でも十分撮れます。
734文字
・個人戦
朝と夕方に4本ずつ引くというスケジュール。一立目は、本当に緊張した。射位に立つと、的場は逆光の朝日に霞んでいる。初矢が中たり、二本目も中たり、何だ、意外と中たるじゃないか、と思って、後の一手も丁寧に引こうと思った矢先、三本目は5時方向へ抜けていった。ここで止めを抜いたら情けないと思い、少しだけよく狙ったら、上手い具合に的へ吸い込まれていった。しかし、全体的に会がものすごく高い位置にあった。勝手も力んでいた。伸びもわずかしか実現していなかった。それが裏目に出たのか、夕刻の斜光線が的を美しく染め上げた二立目は、まさかのどすり。勝手が強すぎて押手の離れを障害してしまい、4本とも虚しく上の方へ飛んで行った。とにかく早気であった。実に意志が弱い。そして、いつも通りに引こう、と思う時点で既にいつも通りではないのだ。そこが難しいところである。
結局、3、0で8射3中という非常に情けない結果に終わる。しかし部全体としては、8射皆中で優勝と新人賞をかっさらったルーキーの活躍が目覚ましい。会計も、6中で明朝の競射にかかる。個人戦は例年になく総じて的中に活気があり、なかなか良い具合に勢いづいたのではないか。この流れを汲んで、明日からの団体戦に臨もう。
・夕食
再び会計の企画で、狸小路にある炎神という店で味噌ラーメンを食する。試合特有の緊張感を保ちつつも、会場を離れたら十分な息抜きをする、という過ごし方はなかなか難しい。心身の調子を整える能力が問われているように思う。
写真
1枚目:旧札幌市庁舎(昨日に撮影)
2枚目:味噌ラーメン
740文字
朝と夕方に4本ずつ引くというスケジュール。一立目は、本当に緊張した。射位に立つと、的場は逆光の朝日に霞んでいる。初矢が中たり、二本目も中たり、何だ、意外と中たるじゃないか、と思って、後の一手も丁寧に引こうと思った矢先、三本目は5時方向へ抜けていった。ここで止めを抜いたら情けないと思い、少しだけよく狙ったら、上手い具合に的へ吸い込まれていった。しかし、全体的に会がものすごく高い位置にあった。勝手も力んでいた。伸びもわずかしか実現していなかった。それが裏目に出たのか、夕刻の斜光線が的を美しく染め上げた二立目は、まさかのどすり。勝手が強すぎて押手の離れを障害してしまい、4本とも虚しく上の方へ飛んで行った。とにかく早気であった。実に意志が弱い。そして、いつも通りに引こう、と思う時点で既にいつも通りではないのだ。そこが難しいところである。
結局、3、0で8射3中という非常に情けない結果に終わる。しかし部全体としては、8射皆中で優勝と新人賞をかっさらったルーキーの活躍が目覚ましい。会計も、6中で明朝の競射にかかる。個人戦は例年になく総じて的中に活気があり、なかなか良い具合に勢いづいたのではないか。この流れを汲んで、明日からの団体戦に臨もう。
・夕食
再び会計の企画で、狸小路にある炎神という店で味噌ラーメンを食する。試合特有の緊張感を保ちつつも、会場を離れたら十分な息抜きをする、という過ごし方はなかなか難しい。心身の調子を整える能力が問われているように思う。
写真
1枚目:旧札幌市庁舎(昨日に撮影)
2枚目:味噌ラーメン
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・応援
立順の都合上、今日は自分の出番はなく応援のみ。そういえば個人戦の立順を組むのはなかなか苦労したものだ。学年を、班を、男女を上手くばらけさせつつ、然るべき立位置に各部員を配するのは難しい作業であった。引くスピードや勢い、諸々の事情などなど、あらゆるパラメータを調整した記憶があるw
今年の東医体弓道競技の参加者は700人を超えているらしい。一昨年までは個人戦の一立目は坐射と立射が融合した体配であったが、ここまで人数が増えるとさすがに時間がないらしく、昨年からは全て立射になっている。観覧席から応援しているだけでも射場の緊張感は十分に伝わってきて、大舞台の幕開けを実感する一日であった。
・二条市場
我々の立は昼過ぎで全て終了したので、夕方は会計の企画でホテル近くの二条市場へ海鮮を食べに行く。ながもり食堂という店に入り、鮭いくら丼を注文。いかにも血圧が上がりそうな料理だが、それが美味しいw
・撮影
その後は札幌駅まで歩き、JRタワーへ登る組と分かれ、自分は一人新札幌へ。せっかくここまで来たのだから、寝台特急を撮ろうではないか。DD51の重連など、首都圏では全く無縁の被写体である。今日はカシオペアが走っていないのが残念ではあるが、上り北斗星を無難に駅撮りで仕留める。列車は結構なスピードが出ており、総括制御運転の機関車は白煙を吹き上げながら12両もの客車を引っ提げて、猛然と走り去って行った。重連の迫力を間近で感じるのは、3年前に訪れた礼文~大岸のストレート以来か。副産物としては、DF200牽引の貨物列車が撮れた。貨物の下調べは何ら行っていなかったが、たまたまやって来ると嬉しいものである。
・五年会
試合に来ているのに酒を飲むかどうかは迷ったが、まだ自分の立は始まっていないし、そもそも同学年の親睦を深めるという趣旨のこの会は試合の一部だと考えれば、特に問題はなかろうということで、抑え気味に飲むw 隣の部屋で飲んでいた一部の六年生がキチガイじみていたが、なかなか面白い飲み会であったw
写真
1枚目:鮭いくら丼
2枚目:DF200-9牽引貨物列車@新札幌
3枚目:寝台特急北斗星@新札幌
1041文字
立順の都合上、今日は自分の出番はなく応援のみ。そういえば個人戦の立順を組むのはなかなか苦労したものだ。学年を、班を、男女を上手くばらけさせつつ、然るべき立位置に各部員を配するのは難しい作業であった。引くスピードや勢い、諸々の事情などなど、あらゆるパラメータを調整した記憶があるw
今年の東医体弓道競技の参加者は700人を超えているらしい。一昨年までは個人戦の一立目は坐射と立射が融合した体配であったが、ここまで人数が増えるとさすがに時間がないらしく、昨年からは全て立射になっている。観覧席から応援しているだけでも射場の緊張感は十分に伝わってきて、大舞台の幕開けを実感する一日であった。
・二条市場
我々の立は昼過ぎで全て終了したので、夕方は会計の企画でホテル近くの二条市場へ海鮮を食べに行く。ながもり食堂という店に入り、鮭いくら丼を注文。いかにも血圧が上がりそうな料理だが、それが美味しいw
・撮影
その後は札幌駅まで歩き、JRタワーへ登る組と分かれ、自分は一人新札幌へ。せっかくここまで来たのだから、寝台特急を撮ろうではないか。DD51の重連など、首都圏では全く無縁の被写体である。今日はカシオペアが走っていないのが残念ではあるが、上り北斗星を無難に駅撮りで仕留める。列車は結構なスピードが出ており、総括制御運転の機関車は白煙を吹き上げながら12両もの客車を引っ提げて、猛然と走り去って行った。重連の迫力を間近で感じるのは、3年前に訪れた礼文~大岸のストレート以来か。副産物としては、DF200牽引の貨物列車が撮れた。貨物の下調べは何ら行っていなかったが、たまたまやって来ると嬉しいものである。
・五年会
試合に来ているのに酒を飲むかどうかは迷ったが、まだ自分の立は始まっていないし、そもそも同学年の親睦を深めるという趣旨のこの会は試合の一部だと考えれば、特に問題はなかろうということで、抑え気味に飲むw 隣の部屋で飲んでいた一部の六年生がキチガイじみていたが、なかなか面白い飲み会であったw
写真
1枚目:鮭いくら丼
2枚目:DF200-9牽引貨物列車@新札幌
3枚目:寝台特急北斗星@新札幌
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8/4
羽田(HND)1215(+15) → 新千歳(CTS)1415(+40)
全日本空輸63便(NH63)
・練習
ついに東医体遠征の日。集合前に三田へ立ち寄り、30射ほど行う。初矢が的心に行ったので慢心していたら、その後の矢はみな下のきわどいところへしか飛ばなくなり、何とも言えない不安が募っていく。まあ、そんな不安を感じていては駄目で、絞ったポイントを意識しながら確固たる自信のもとにひく、これに尽きる。
・遠征
羽田に集合し、弓と矢の梱包を行う。伸弓は伸弓どうしで、並弓は並弓どうしで二張を一組にまとめ、そのセットをさらにまとめて、最後に末弭と本弭の部分にプチプチのクッションをかぶせる。矢筒は矢筒で縛ってまとめる。ハイシーズンの空港は大混雑で、手荷物のカウンターには長蛇の列ができていた。最初は律儀に並んでいたが、団体受付のカウンターがあることが途中で判明したので、結局そこへ移動。
今日は新千歳で航空ショーが行われているらしく、フライトはずいぶん遅延した。空路は空路でなかなか面白く、雲の狭間から海岸線がのぞく様子などは、いかにも飛んでいる感じがあって良い。新千歳到着後、別口で運ばれてきた弓と矢筒の梱包を解き、直結している新千歳空港駅から快速エアポートに乗って札幌へ向かう。
その車中、預けていたリュックに挟んであった三脚が脱落していることに気が付き、青ざめるw 南千歳で降りて空港へ引き返し、カウンターで遺失物の問い合わせを行うも該当なし。そこで羽田のカウンターへ電話したところ、NH63の預かり荷物で三脚の荷こぼれが一件確認されているとの回答あり。どうやら間違いなさそうなので、結局空路で新千歳まで届けてもらい、9日に利尻島へ発つ前にここで受け取ることにした。この三脚は、厳冬の酒田市内で放置されて警察に回収されたり、空港貨物で荷こぼれしたり、色々とかわいそうな思いをしている。
・主将会議
ホテルに荷物を置いている時間はなかったので、そのままの足で試合会場へ。点呼用紙や記録用紙に選手の名前をすべて書くという今年初登場の謎のシステムが結構エグく、副将と共にひたすら漢字の書き取り練習に徹する。あとは団体戦の立順をくじ引きで決定。「Y」を引いたのだった。
会議は一時間あまりで終了し、晩は副将と内務と共にカニを食して宿へ戻る。
・ミーティング
今までなかなかこういった場が設けられることはなかったので、今年はやってみることにした。ただ、原稿がないと例によってひどいプレゼンをすることになるので、この間徹夜で作った部報を配付する。まあ、紙に書いて文章になっている方が記録としても保持されて有用だろう。内容としては檄文を読み上げただけだったが、一部からは「感動的だった」というコメントも頂いて嬉しい。
写真:機窓より
1398文字
ゆうべはほぼ夜を徹してしまい、起きたら11時を過ぎていた。明日から札幌遠征なので、まずはその荷造りを行う。キャリーバッグは「家」の方に置いたなりになっていたので、いつも撮影行で使用しているリュックに詰めることにする。このリュックはおそらく小学生の遠足とかサマーキャンプとかを想定して作られているが、大量に荷物が入るのでなかなか便利であるw 夕方は信濃町に寄ってヤウを食し、雑務を処理し、循環器のQBを少しだけ進めた後、三田へ足を運ぶ。
・自由練習
「悔いのない1本1本を引け」というありがたい言葉を頂く。まさにその通りだと思う。集大成に向けて、調整を重ねる。
写真:羽越本線普通列車@酒田
あけぼのの後を追う秋田行の普通列車です。
385文字
・自由練習
「悔いのない1本1本を引け」というありがたい言葉を頂く。まさにその通りだと思う。集大成に向けて、調整を重ねる。
写真:羽越本線普通列車@酒田
あけぼのの後を追う秋田行の普通列車です。
385文字