日本海旅行 3日目 Part 3
日本海旅行 3日目 Part 3
日本海旅行 3日目 Part 3
南へ転戦。
12/29
追良瀬1200(+5) → 深浦1210(+5)
五能線2826D 代行バス

撮影(トンネル その1):
321D[1238] 普通列車(キハ40 2連)

撮影(トンネル その2):
326D[1334] 普通列車(キハ40 2連)

撮影(岡崎大間):
328D[1450] 普通列車(キハ40 2連)

深浦海岸
追良瀬1155発の2826Dもバス代行となると、いよいよ撮るものがなくなった。次にここを通る列車は1535発の2830Dである。

深浦~鰺ヶ沢間は普通列車が1日5往復のみで、今日のようにそのうち1往復がバス代行になるだけで撮影には大打撃となる。午後は方針を転換し、2826Dの代行バスに乗って深浦まで出た後、南側の深浦~横磯間で3本の列車を狙うことにした。驫木や塩見崎、追良瀬のような雄大な景色は期待できないが、夏にここを訪れたことのあるのすり氏のガイドで撮影地を探索する。代行バスは5分ほど遅れて現れたが、終着の深浦までに遅延が拡大することはなかった。乗客は10人もいなかったか。こういった状況ならば全ての列車をバスで代行でき、必ずしも鉄道がいらないということになってしまう。

深浦を出た五能線は小さな入り江の深浦港を見下ろしながら、横磯までの間に5本のトンネルをくぐる。まずは深浦から2本目のトンネルを出た下り321Dを正面から撮影。101号線から山側へ分岐する坂道があり、その途中、ガードレールをまたいだ場所からやや俯瞰気味に縦構図で切り取る。左手の枯れ藪が邪魔だったので撮影前にしばらく刈り作業を行ったところ、撮りやすい景色になった。何の変哲もない、キハ40系列の編成写真といったところである。

次なる撮影地は、深浦から4本目と5本目のトンネルを通して見渡せる場所。小さな川沿いに県道192号線を山側へと歩き、民家の裏にある小高い藪から逆S字カーブの線路と二重のトンネルを望遠する。しかし列車は上りなので後追い。後追いの撮影というのは構図を固めても直前に全視界を遮られるので、三脚でも立てない限りなかなか難度が高いのだ。列車は東能代側にタラコ色を連結した3両編成でやってきた。画面右下の隅に右側の線路を合わせたかったのだが、少しずれてしまった。しかし尾灯を光らせてトンネルに吸い込まれていく姿は面白い。

ところで、そばの民家にいた飼い犬は実に人懐っこい奴であった。我々の姿を見るなり、小屋から出てきて臭いをかぎ回ったり飛びついたりしてくる。列車は1時間強の間隔で通過するためあまり余裕はなかったが、しばしの撮影を楽しむ。白い雪道をバックに動物を撮ると、輪郭がくっきりと強調される。しかし、当たり前のことだが鉄道撮影と違って動きが全く読めないので、良い写真を撮るにはかなり苦労した。さて、そろそろ立ち去ろうとすると、見るからに悲しげな顔つきになる。犬も分かっているのだろう。毎日相当に暇なものだから、たまに見かけるヒトの姿が嬉しくてたまらないのかもしれない。

最後の撮影地は、101号線をひたすら横磯方面へと歩いた場所。地図によれば岡崎大間という地名がついていて、道路がカーブした先はもう横磯の駅である。一軒だけある民家の向かい側、松の木が飄々と佇む辺りから、ガードレールに乗っかって海を入れつつ上り列車をサイドから撮影した。高さというのは構図に大きな影響を与える要素で、1メートルも足場が高くなれば手前の障害物はずいぶんとカットされ、景色もがらりと変わる。高い脚立に登ったり、あるいは隣の松の木に登ったりすればだいぶ様子も違ったのだろうが、この状況ではガードレールに乗るのが精一杯であった。

写真
1枚目:アウトカーブ
2枚目:二重のトンネルに吸い込まれる
3枚目:夕刻の海を横目に

1689文字
日本海旅行 3日目 Part 2
日本海旅行 3日目 Part 2
日本海旅行 3日目 Part 2
極寒の海岸線。
12/29
撮影(塩見崎海岸線 その1):
521D[756] 普通列車(キハ40 2連)

撮影(追良瀬):
8522D[1044] 快速リゾートしらかみ2号(橅編成)
8521D[1103] 快速リゾートしらかみ1号(くまげら編成)

絶景
こんなところを鉄道が走っているのか。途中で道を間違えたものの、航空写真の畦道とGPSを頼りにようやく塩見崎の崖にたどりついたとき、思わず驚きの声が漏れた。地図にはない道を歩いて防風林をくぐり抜けた先には、まさに絶景が広がる。海面から切り立った斜面が大きな屏風のように幾重にも立ち並び、五能線の線路はその斜面の下、波打ち際にへばりつくようにして細々と走っているのだった。

大荒れの海は猛然と陸に襲いかかり、海風が容赦なく吹き付けてくる。高い波をかすめるようにカモメが飛び交い、この景色にいっそうの悲愴感を与えている。人間の力を凌駕した自然を目にするとき、抗うことのできない虚無感が心に押し寄せてくる。あらゆる感情が外界に吸い出され、真空に近い状態になるといっても良い。海岸線は遠くまで延々と続いている。あの大岩の向こう側は追良瀬の入り江、そのまた遠くは広戸駅の近くだろうか。そう思っていると、彼方で何かがぱっと光った。初めて現れた人工的なぬくもりは、まさにこれから線路を走ってくる普通列車のヘッドライトだった。やはりこの場所からはかなり遠くまでを見渡せているらしく、巨岩の陰に隠れ追良瀬の河口に入った列車が再び姿を見せるまでにはしばらくの時間がかかり、ようやくカーブを切って現れたときの緊張感たるや尋常ではなかった。北溟の怒濤に呑まれそうになりながら、狭い海岸線をトコトコ走ってくる。無心でシャッターを切りまくり、左手のトンネルに消えるまでの一部始終を追いかけた。

意気消沈
直後、猛烈な吹雪が襲いかかってきた。とても耐えられないので、防風林の中に身をひそめる。ここに入るだけで、ずいぶんと風雪をしのぐことができる。朝食代わりのパンをかじりながら、ひたすら寒さをこらえ続けた。次の列車まではだいぶ余裕がある。吹雪がおさまって記念撮影をした後、今度は同じ海岸線を南側の崖上から俯瞰する場所へと移動した。人の住んでいる場所や道は崖っぷちに作られた防風林のおかげでほとんど風を感じない。内陸の畦道をしばらく南下した後、再び林の中に入る。先ほどとは違って道なき道をゆき、枯れた低木の藪をかき分けていくと、そこにはまた絶景が待っていた。ここだ。

だが、列車は来なかった。しびれを切らして深浦駅に電話したところ、2523Dと2826Dは強風の影響でバス代行に切り替わったとのことであった。何という無念。おそらく、あの猛烈な吹雪を風速計が感知したのだろう。絶景が目の前にある。線路も目の前に走っている。しかし、列車が来ない。この悔しさは何とも表現しがたいが、むしろこれだけの悪天候の中、朝の2本が走っただけでも良しとすべきだろうか。相変わらず強烈な海風に打ちひしがれつつ、とぼとぼと撮影地を後にした。

追良瀬へ
しかし、リゾートしらかみは上下とも走るというから不思議である。秋田と青森を直通する観光列車に比べれば、普通列車の優先度などたかが知れているのかもしれない。とりあえず追良瀬まで歩き、駅を通り越して山道を登った先の場所からリゾートしらかみを俯瞰撮影することにした。追良瀬の集落は河口近くのほぼ海抜の高さにあり、小さな扇状地のような地形になっている。そのため、一度山を下って橋を渡り、再び反対側の山にある俯瞰撮影地まで登らなければならない。ここは防風林と海岸線をバックにして列車を側面から狙える場所。まるで五能線を象徴するような景色である。

写真
1枚目:北溟の怒濤と共に
2枚目:厳冬の塩見崎より
3枚目:追良瀬をゆく

1741文字
日本海旅行 3日目 Part 1
日本海旅行 3日目 Part 1
日本海旅行 3日目 Part 1
厳冬の朝。
12/29
深浦611 → 驫木625
五能線3825D 快速深浦 キハ48 1522

撮影(驫木駅俯瞰):
520D[724] 普通列車(キハ40 2連)

驫木
深浦の町は夜明け前のしじまに包まれている。切りつけるような寒さ、暗黒の海。ゆうべは少し積もったようだ。ナトリウムランプに染まった雪道に足跡をつけながら駅へ向かう。2両編成の快速深浦は既に停車していた。快速といっても五能線内は普通列車である。この列車は弘前行だが、鰺ヶ沢で青森行を連結するようだ。車両は片開き式の2扉で、デッキ付き。五能線の厳しい冬を物語る、寒地仕様のキハ48である。暖房のよく効いたガラガラの客室に足を踏み入れた。

下車したのは3駅先の驫木駅。「東京都区内→驫木」の行程がここに終了した。驫木は日本海に面した棒線の小駅で、1日に停まる列車は上下それぞれ5本のみである。未明の海風がじかに吹き付けるホームは厳しい寒さで、簡素な駅舎でしばらく休憩してから撮影地へ移動することにした。やがて空は徐々に青色に染まり、日の出へ向けて刻一刻と表情を変えてゆく。先ほどまで真っ黒だった海はひと筋の水平線を描くようになり、海面には白波が強大な力でうごめいているのも見える。濃密な寒色の世界がふいに目の前に姿を現したかのようだ。

駅前を走る大間越街道は国道の旧道と見え、山側を回る101号線からは外れて驫木の集落へと向かう。駅を出て南へ向かうとすぐに坂道になり、その途中から駅と線路を小俯瞰する。左手には厳冬の日本海。線路に寄り添ってぽつんと佇む駅舎は哀愁を感じさせる。辺りはかなり明るくはなったとはいえ、西向きの海岸はまだ暗闇を引きずっている。凍えながらファインダーを覗いていると、列車は10分遅れでようやく姿を現した。ブルーグレーの景色に、2灯のヘッドライトが燦然と煌めく。鉄道が生きていることを実感する瞬間である。列車は束の間の停車の後、再び動き出して足下のストレートをゆっくりと通過してゆく。寒々しい蒼白の海を眺めながら、今日も列車は走っている。五能線の冬だ。

写真
1枚目:未明の驫木に到着
2枚目:停車
3枚目:海岸線をゆく

1011文字
日本海旅行 2日目 Part 2
日本海旅行 2日目 Part 2
日本海旅行 2日目 Part 2
哀愁の海岸線。
12/29
東能代925 → 十二湖1022
五能線8521D 快速リゾートしらかみ1号 キハ48 703

撮影(賽の河原):
8522D[1120] 快速リゾートしらかみ2号(橅編成)
321D[1209] 普通列車(キハ40 2連)

撮影(松浦):
326D[1401] 普通列車(キハ40 2連)

撮影(ガンガラ穴 入り江):
328D[1516] 普通列車(キハ40 2連)
8525D[1607] 快速リゾートしらかみ5号(橅編成)

十二湖1758(+15) → 深浦1829(+15)
五能線323D 普通列車 キハ48 1501

五能線へ
奥羽本線と五能線の接続はあまり良くない。41分の接続でリゾートしらかみに乗車した。この列車がなければ本当に過疎ダイヤの路線で、鉄道ではろくに移動ができなくなる。東能代を発車して少しの間、列車は能代平野をのんびりと走っていく。しかし八森を過ぎる頃に突如、日本海が車窓に飛び出してくる。ここから鰺ヶ沢まで80kmほど、鉄路は海に寄り添って沿岸の町々を結んでいく。車内では、乗り込んだ能代観光協会の職員が秋田杉や白神山地の売り込みを行っていた。五能線はリゾートしらかみの運転に加え数々のキャンペーンが奏功して観光路線としての地位を確立し、ローカル線としてはかなりの人気を博しているのではなかろうか。ここまで風光明媚な景色の中を走る鉄道もそうそうない。

賽の河原
十二湖で下車して陸奥岩崎方面へしばらく歩いていくと、陸とつながった巨岩の島が左手に姿を現す。この辺りは大きな岩がごろごろ転がったような景色で、五能線はその岩を穿つようにして北方へと走っていく。線路と島の間に広がる入り江はカモメの巣窟で、一体何羽いるのだろう、とにかく夥しい数だ。群れをなしてコンクリートの岸壁に佇む者、荒波うねる海面に浮かぶ者、翼を広げて寒空へと羽ばたいてゆく者。カモメという鳥は近くで見ると意外と大きく、それになかなか恐ろしい顔つきをしている。冬の日本海を飛び交う姿を眺めていると、何とも哀しい気分になってくる。

島の反対側はガンガラ穴が見どころでシーズン中は遊覧船も出ているようだが、さすがに今の期間はやっていないようだ。すぐそこの沖合いには象岩という奇岩が見えており、雲の切れ間からふいに差し込んだ陽光にその陰影が浮かび上がる。島には小さな登山道が整備されているが、残念ながら頂上は木々に囲まれて展望を得られなかった。予め調べておいた作例の俯瞰構図は、ここから尾根伝いに歩いた先にある賽の河原の崖っぷちから撮影したものらしい。崖へと続く道は木々が両側をアーチのように覆っている。まるで死の世界へと続くトンネルのようで少し気味が悪い。やがて行きついた場所は、不思議と開けていた。所々に小石が塚のように積み上げられ、その先では小さな地蔵が西方の海を黙って見つめている。地蔵は、何を思うのか。傍らには、海に散った命の鎮魂の詩が刻まれているのだった。これほどまでに荒涼とした場所、哀しい風景は久しぶりだ。冷たい海風が容赦なく吹き付け、我々の体温を徐々に奪ってゆく。そして崖下を覗けば、険しい岩場に波が砕け散る。あそこへ真っ逆さまに落ちたら、死んでしまうだろう。夏にセブン・シスターズを訪れたときもそうだったが、断崖を歩くとしばしば奇妙な感覚、ことに生死の境をさまよっているかのような感覚に襲われるものだ。過酷な吹きさらしの中、入り江をゆく2本の列車を撮影した。

海岸線へ
晴れたかと思いきや、銃弾のような雪が飛んできたり、強烈なあられが吹き付けたりする。次の列車まではしばらく時間が空いていたので、さらに陸奥岩崎側へと歩を進めてロケハンを行った。この辺りは意外と海岸から遠いところを走っているため、海を入れつつもバランス良く列車を撮るのはなかなか難しい。少しでも高さを稼げれば景色は劇的に開けるのだが、そう上手くはいかない。線路脇の斜面に張り付き、何とか海と空を配置して撮ることができた。通過直前にスポットライトのような光が列車に当たり、不思議な色彩の画面が出来上がった。日本海の二面性を垣間見るような絵かもしれない。

黄昏
この区間は他に良い撮影地がないので、最後の2本は再び入り江の近くで撮ることにした。とにかく寒い。列車が通過するまでは小屋の陰に隠れ、身を突き刺すような海風から逃れた。やがて磯でスタンバイし、上り普通列車を待つ。しかし海の撮影に気を取られていたらいつの間にか列車はそこに現れていて、マニュアルの露出を元に戻す暇がなくまさかの撃沈に終わってしまった。ここまでアンダーだと、もう助からないだろう。自らの偏った注意なり関心なりの存在が、こういう局面で時々姿を現すように思うのだ。気を取り直し、最後のリゾートしらかみは山側から小俯瞰で仕留めることにする。みるみるうちに辺りは暗くなってきた。全くの彩りを欠く、寒色の世界だ。列車はただ黙々と海岸線を走るのみである。果たしてこの寒さ、この虚しさ、この哀しさを表現することができただろうか。

深浦の夜
あっという間に日が暮れた。深浦行の列車は15分遅れでやってきた。車窓を眺めても、ただ闇が広がるのみ。夜の海は暗黒そのものである。深浦の駅舎から足を踏み出したら、そこは極寒であった。手袋もコートも貫いて、強烈な寒気が身体を蝕んでいく。間もなく送迎の車が到着した。今宵の宿は、田中旅館という民宿。最近リニューアルされたらしく、館内は非常に綺麗だ。石油ストーブで暖められた室内に足を踏み入れると、ようやく肩の荷が下りて安堵感を覚えた。

夕食は、地元の魚介類を中心とした料理である。派手に装飾された晩餐ではない。あくまで質素なものだ。しかし一品一品が輝いていて、まさに絶品である。タコは、ヒラメは、ホタテは、こんなにも美味いものだったのか。絶妙な食感と、地味ながらも豊かで深みのある味は、この地に来なければ間違いなく経験し得ないものであった。タイの塩焼きは純粋に魚の味を楽しむことができ、もう箸が止まらない。イクラの醤油漬けも、頬が落ちるような旨味がぱっと広がる。一日中、寒い思いをしながら菓子パンをかじりつつ、海風に吹きさらしになってファインダーを覗いていたものだから、涙が出るほどこの食事が美味いのだ。厳冬に牙をむく日本海だけれども、我々人間がその海の幸に支えられて生きていることを身をもって実感した。そして、この荒涼たる海岸線に点在する町々には細々ながらも人間の暮らしがあって、地産地消の営みが生きているのだ。デザートはさっぱりとしたリンゴである。これがまた絶妙に料理に合っていた。幸福に浸りながら眠りにつく。

写真
1枚目:入り江を横目に
2枚目:昼下がりの海岸線
3枚目:夕餉

3100文字
日本海旅行 2日目 Part 1
日本海旅行 2日目 Part 1
日本海旅行 2日目 Part 1
あけぼのの雄姿を焼き付ける。
12/29
秋田533 → 二ツ井648
奥羽本線1633M クハ700-2

撮影:
1635M[736] 普通列車(701系 2連)
2022レ[801] 特急あけぼの

二ツ井831 → 東能代844
奥羽本線3640M 快速 クモハ701-23

二ツ井再訪
朝は早い。五能線の撮影に入る前に特急あけぼのの雄姿を拝むべく、奥羽本線の始発列車に乗って二ツ井を再訪する。ゆうべは少し降ったようで、未明の街はうっすらと雪化粧である。

3月2日、北へ向かう夜行列車が軒並み運休となる中、どういうわけかあけぼのと、その後を追ってくる583系団臨の9813Mだけはほぼ定時で運行していたのだった。あの時は二ツ井であけぼのから下車し、跨線橋を目指して歩きにくい雪道を進んで行った。撮影を終えて待合室に戻ってきたとき、大幅に遅延したEF81貨物が通過するのを見てしまったという経験もあったか。そういうわけで二ツ井の駅は妙に印象に残っている。ホーム向かい側の雑木林には「白神山地の玄関口」と謳う看板があるけれども、それとは対照的に一面の雪に覆われてやや寂れた佇まいを見せる駅前の風景が侘しい。

実は、富根で降りてすぐ鶴形側にある「とみねストレート」で押さえるという手もあった。ただ貨物列車とは違って10両に満たない編成では少し中途半端になるのと、撮影後に乗る予定の上り快速は富根には停車しないということもあって、再び二ツ井を選んだ。ただし前回とは構図を変えて、トンネルを抜けてくる下り線を上り線のそばから望遠する絵である。もっとも、前回は雪が深すぎてカンジキでもないと線路には近づけなかったのだが。

あけぼのの前に通過する下り列車は普通1本だけである。練習列車というわけだが、こういう時に限って良い写真が撮れるものだ。どうせ701系だから、と考えているから変な「力み」がなく、のびのびとシャッターを切れるからだろう。列車は間歇的な吹雪で降り積もった粉雪を蹴散らし、雪煙を巻き上げる。その25分後、いよいよ本命の通過となる。山の向こう側からはもう轍の音が聞こえてきた。短編成ではない、客車列車の音である。途中で轟々とした音質へ変化したのは、米代川の橋梁を渡っているということだろうか。姿は見えないもののただならぬ気配を感じる、そんな撮影は久しぶりだ。緊張が最高潮に達したとき、トンネルの向こうに2灯のヘッドライトが光った。特急あけぼの、ついに登場。雪化粧をして百円玉のようになったヘッドマークを掲げながら、深紅のEF81が群青の客車を引っ提げて雪道を猛然と駆けてきた。何枚もシャッターを切る。しかし、知らず知らずのうちに構図が動いて機関車が中央気味に配置されてしまい、さらにAFも迷って後ろピンという結果。もはや完全なる敗北である。特別急行の厳然たるオーラを纏い、列車はあっという間に目の前から過ぎ去っていった。

写真
1枚目:露払い列車
2枚目:特急あけぼの、雪の鉄路を駆ける
3枚目:引きつける

1403文字
日本海旅行 1日目 Part 2
日本海旅行 1日目 Part 2
日本海旅行 1日目 Part 2
貨物列車街道、羽越本線。
12/27
間島1042 → 今川1100
羽越本線825D キハ47 1516

撮影(海岸):
824D[1115] 普通列車(キハ40 2連)

撮影(俯瞰 斜面):
2008M[1147] 特急いなほ8号(U編成)
2003M[1205] 特急いなほ3号(R編成)
4093レ[1212] EF81 724

撮影(俯瞰 頂上)
851レ[1241] EF81 628
95レ[1315] EF510-13
2005M[1339] 特急いなほ5号(T12編成)
827D[1406] 普通列車(キハ40 2連)
3098レ[1416] EF510-17
826D[1435] 普通列車(キハ40 2連)

撮影(蓬莱山~脇川間):
2010M[1525] 特急いなほ10号

撮影(脇川漁港):
828D[1615] 普通列車(キハ40 3連)
4094レ[1622] EF510-20

越後寒川1649 → 酒田1830
羽越本線829D キハ47 521

酒田1853 → 秋田2105(+26)
羽越本線559M クハ700-102

秋田泊

笹川流れ
荒波押し寄せる冬の日本海、黄色い砂を広げた浜辺、そしてどこからどうやって生まれてきたのか、ごろごろと転がる巨岩に奇岩。黒ずんだエメラルドグリーンの海に、獰猛な白波が泡立つ。引き波は砂をかっさらい、繊細で不思議な幾何学文様を描く。ここは悲愴感漂う笹川流れの海岸である。山形との県境に近いこの辺りは山が海岸線のすぐ近くまで迫る地形で、幾筋もの小川が細々と日本海に注いでいる。その各々の河口に寄り添うようにして、ひっそりと集落が点在する。そして沖合に目をやれば、粟島の平らな島影がかすかに浮かぶ。新潟の離島といえば佐渡があまりにも有名だが、粟島はあまり知られていないだろう。鉛色の雨雲に見え隠れするあの島にも、人が住んでいるのだ。

4093レはEF81の代走という情報をすでに手に入れていた。当初の予定を変更して俯瞰撮影地へ向かうため今川にて下車後は先を急ぐ。駅近くのトンネルで撮るはずだった上り普通列車は、蓬莱山を望む浜辺で国道越しに撮ることになった。架線柱の処理が意外にも難しい。何枚も構図を決めたはずなのに、どれも先頭車の横に柱がかぶってしまった。そして俯瞰撮影地を目指す。下調べでは「羽越本線の切通しのそばにある駐車帯の北側から線路を渡り、獣道を道なりに進んだ場所」ということだったのだが、どうやら入口を間違えたらしい。後で分かったことだが、駐車帯は切通しの前後に二つあったのだ。今川側から登ったら、えらく苦労することになった。深い藪をかき分け、バラ科低木の棘に刺されながら、必死で崖を登っていく。どう考えてもこれは正規のルートではない。しかしもう後戻りはできない。法面の足場に張り付いているときに背後を振り返ると、恐ろしい高さである。轟々と鳴く日本海、粟島の影。ここで足を踏み外せば死ぬ。黄土色の岩肌はかなり脆いらしく、すぐに劈開していく。

死と背中合わせの状況では人間の集中力はかなり高まるらしく、斜面に張り付いて列車を待っている30分はまさにあっという間であった。4093レは11時40分頃に通過する計算だったが、どうやら遅れているらしい。芋虫のような出で立ちのE653系のいなほ8号、R編成のいなほ3号の後、8091レのスジでやって来た。予想通りだ。桑川で2008Mと交換すると同時に、後ろから追いかけてきた2003Mに道を譲ったのだ。単線と複線が入り混じる羽越本線、ダイヤグラムを睨んで分析する作業はなかなか面白い。長大なコンテナ列車が日本海に沿って黙々と走っていく。

その後も急峻で足場の悪い斜面で死闘を重ね、ようやく頂上にたどり着いた。今まで数々の俯瞰撮影地に登ってきたが、こんな過酷な山行は初めてである。これぞ作例と同じ場所だ。北側を見渡せば蓬莱山、少し斜面を下りたところから南側を見れば先ほどの砂浜。かなりの高さがあるようで、海から吹き付ける風も強い。しばらくここで撮影に勤しむとしよう。普通列車こそ少ないが、特急と貨物はかなりの本数で、あまり撮り飽きることがない。それもそのはず、羽越本線は日本海縦貫線を構成する大幹線であり、裏日本(と言っては今はいけないのかもしれないが)の物流の基盤である。北へ向かう幹線のうち、東北本線が内頸動脈だとすれば、ここはあたかも椎骨動脈のようにも思える。しかし、この景色からはとてもそんなことは想像がつかない。終始天候には恵まれず色が全く出なかったが、荒涼とした雰囲気は十分残すことができた。雨が午前中で収束したのも幸いである。851レはなんとEF81の代走、それも628号機という老兵が入っていたのだが、頂上に到着したタイミングがギリギリで変な構図になってしまったのが唯一の心残りである。帰りは尾根伝いに降りる正規のルートで地面へ戻った。

海岸の寒村
826Dの撮影後、海を撮りながらのんびりと345号線を北上し、脇川漁港を目指す。途中に小さな川を渡るところがあったので、いなほ10号はここで撮影した。この辺りは入り江が連続する地形で、次の岬を越えたら脇川の湾に入った。いわば撮影の凪のような時間帯だったので、集落の中をしばし散策することにしよう。国道は橋で湾をショートカットする一方、橋の手前で分岐した狭い道は集落の中を縫うように進んでいく。厳しい海風が容赦なく吹き付ける、寂れた漁村というのが第一印象。軒にサケを吊るして干すのは、この地方独特の風習なのか。古い板壁の家並み、灰色の屋根瓦、家の隙間から見える日本海と粟島。雨雲や雪雲がひっきりなしに湧いては消え、湧いては消え、間歇的に冷たい雪がちらちらと舞い降りる。陰鬱な冬の景色、日本海の怒濤。どことなく哀しい雰囲気が漂っている。

羽越本線の線路は脇川集落を見下ろす形で、一段高いところを山沿いに走っている。来る日も来る日も、大動脈にほとばしる血液が如く、幾多もの貨物列車がこの単線の線路を行き交っているのだ。特急列車は颯爽と駆け抜けていく。普通列車はのんびりと各駅に停まるけれども、果たしてどのくらいの人が鉄道で移動しているのだろうか。辺りはどんどん暗くなってきた。ここで撮るのは2本。3両の普通はまともに撮れたが、7分後の貨物ではあっという間に露出が厳しくなる。強い海風に煽られながら、脇川大橋の欄干にへばりついて列車を追った。

秋田へ
あまり時間がない。越後寒川を16時49分に発車する酒田行に乗るべく、さくさくと345号線を北上していく。みるみるうちに辺りは寒色の闇、ますます景色が寂しくなってゆく。駅の入口を見失ったりなど色々あったものの、何とか列車には間に合った。あとはぬくぬくと暖房に身を委ねつつ、秋田へ向かうのみである。車内でレインコートとスパッツを脱ぎ、潮にまみれたレンズを清掃し、ようやくひと息ついたらもう鶴岡が目前である。終着の酒田からは秋田支社の管轄となる。701系に乗り換えて快調に飛ばしていくのかと思いきや、強風で抑止がかかってしまい結局秋田到着は30分弱遅れることとなった。3月も訪れた駅ビル内の「どん扇屋」で美味い鍋焼きを食し、駅直結の東横インへ。長い初日が終わりを告げた。

写真
1枚目:冬の海岸線をゆく
2枚目:蓬莱山とともに
3枚目:脇川漁港を見下ろして

3377文字
日本海旅行 1日目 Part 1
日本海旅行 1日目 Part 1
日本海旅行 1日目 Part 1
雨の日本海へ。
12/27
村上556 → 間島604
羽越本線821D キハ47 514

撮影(跨線橋 定番):
2093レ[657] EF81 726

撮影(俯瞰):
820D[730] 普通列車(キハ40 3連)
823D[736] 普通列車(キハE120+キハ110)
2004M[758] 特急いなほ4号(T18編成)
4061レ[840] EF510-7
4060レ[858] EF510-2

撮影(跨線橋 定番):
2001M[920] 特急いなほ1号(R26編成)

撮影(上下線分離地点):
4075レ[931] EF510-22
822D[933] 普通列車(キハ40 4連)

撮影(ポータル上):
2006M[1009] 特急いなほ6号(T15編成)

陰鬱の朝
登山靴にスパッツ、そしてレインコートという奇妙な出で立ちで間島の駅舎を出発した。まだ日の出前ということで、辺りは暗黒である。しかしその闇の中、国道を挟んだすぐ近くまで日本海が迫ってきている。夜の海はブラックホールのようであり、いかにも恐ろしい。かすかに青みを帯び始めた空からは相変わらず冷たい雨が降ってくる。フードを被っていると聴覚が鈍くなるが、気が付けばずいぶんと雨に濡れていたのだ。

到着した撮影地は、3月にも訪れた国道の跨線橋。しかしあの時は貨物列車が軒並み大遅延で、結局海を背景にした下り線の定番構図は実現しなかった。そして残念ながら初っ端の2093レは暗すぎてAFが狂い、シャッターを切れずに終わってしまった。いやはや、幸先の良くないスタートである。その後、あらかじめストリートビューで目をつけておいた登り口から丘の上の俯瞰撮影地を目指す。幸い、道は非常に登りやすい。坂道の途中からは分離したばかりの上り線が、頂上からは日本海をバックに走る下り線のストレートが見える。この時間帯は列車密度が濃いので、しばらくこの俯瞰撮影地に居座ることにしよう。雨は間歇的ではあるが、容赦なく降り付けてくる。しかし、辛抱だ。撮影行は苦難の連続である。この苦難を乗り越えた先に、一枚一枚の絵が待っている。いなほ4号は予定通り、T18編成であった。この撮影で国鉄色の485系に出会えるとは望外の喜びといえる。日本の風景に実によく合う塗色。どの季節にも、どの天候にも、ぴたりとマッチする。碧い海にも、緑の山にも、枯れた野原にも、雪原にも、国鉄色の帯がすーっと一筋、流麗に流れていくさまは筆舌尽くしがたい。

その後上下の貨物を撮影してから丘を降り、跨線橋の定番撮影地で下りのいなほ1号を仕留める。いなほのR編成、485系の原型は見る影もないが、来春には秋田行の3往復がE653系に置換されるという。485系最後の牙城はついに崩れたのだ。そう思うと、TであろうがRであろうがしっかりと撮っておきたいものだ。近くの田んぼからは4両編成の上り普通列車をアウトカーブにてとらえる。もうだいぶ慣れてしまったが、電化区間を走る気動車列車には妙な違和感を感じる。この区間最後の撮影となるいなほ6号は、駅と間島集落、そして左手に日本海を配するポータル上の俯瞰構図にて出迎えた。

写真(@村上~間島)
1枚目:特急形電車、485系
2枚目:長編成がゆく
3枚目:颯爽と駆ける気動車列車

1539文字
日本海旅行 序章
日本海を見に行こう。
12/26
新宿1941 → 大宮2011
埼京線1949S 通勤快速 モハE232-7423

大宮2038 → 新潟2204
上越新幹線1347C とき347号 E226-225

新潟2219(+5) → 村上2329(+4)
白新線・羽越本線951M クモハ115 1064

村上泊

越後の国
寒色のイルミネーションが煌めく新宿サザンテラスを駆け抜けて、埼京線の通勤快速に飛び乗る。代々木を飛び出しておよそ10分、手にした「東京都区内→驫木」の行程が始まった。予想外に時間が押してしまい、かなり慌ただしい旅立ちである。そして大宮駅のコンコースでそばをかきこみ、上越新幹線で越後の国を目指す。指定席、自由席ともになかなかの乗車率である。新潟までは約1時間半。明日以降の撮影に備え、運用の調査と通過時刻メモの作成を行う。国境を越えたら積雪があるのかと思っていたが、無情にも夜の新潟は冷たい雨であった。明日も天気は悪そうである。

白新線、羽越本線直通の村上行に乗り、今宵の宿へ向かう。車内は帰宅客でそれなりに混んでいるが、豊栄までにはかなり空いた。車窓は真っ暗なのでとくに面白いことはない。近郊列車で115系が当たり前のように走っていることに若干の新鮮味を覚えつつ、閑散たる村上駅に降り立った。トラベルインというビジネスホテルに入る。ここは、3月の撮影行でもお世話になった宿であった。

写真:羽越本線普通列車@村上
終着。

820文字
小湊鐵道探訪 Part 6
小湊鐵道探訪 Part 6
小湊鐵道探訪 Part 6
寒い黄昏の下。
12/1
撮影(月崎):
臨19A[1533] 2連

撮影(里見~飯給 第四種踏切):
臨26A[1603] 2連
21A[1612] 3連

里見1708 → 五井1753
小湊鐵道30A

五井1954 → 新日本橋2052
内房線・総武本線1922F

月崎
交通量の多いトンネルをびくびくしながら抜けて月崎へ向かっていたところ、ふいに警笛を耳にした。

本来ならこの時間帯に列車は走っていないはずだが、急いで駅へ自転車をつけたところ、ちょうど下り列車が入ってくるところであった。このとき駅の掲示で初めて気がついたのだが、今日は紅葉シーズンの週末ということで養老渓谷行の臨時列車が増発されていたのだった。午前中に不意打ちを食らった単行列車も臨時増発であった。なるほど、ダイヤグラムを見れば確かに上総牛久から延長して臨時スジが引けるようになっている。適当な感じでホーム撮りを行った。

里見~飯給 第四種踏切
アップダウンの激しい道のりを里見へ向かって引き返す。飯給は久留里へ至る道路が分岐する場所で、車があれば久留里線と小湊鐵道を掛け持ちして撮影することも余裕だったようだ。本日最後の撮影地は里見駅近くにある第四種踏切で、里見側は典型的なS字カーブ、飯給側は山奥からカーブを切って線路が現れストレートへと続く形になっている。まずは先ほどの臨時増発の返しを撮影。ここだけ切り取ればとても房総とは思えない景色で、黒い森をバックに2両編成の列車が忽然と姿を現した。闇を裂くヘッドライトも、黄昏の時間帯は大きな撮影要素である。

下りの定期列車はS字カーブにて。どうも短編成のS字はヘタクソにしか撮れなかったが、ようやく要領をつかんできた感。粘って引きつけてしまってはダメで、意外にも遠くで欲張らないといけない。長編成ではまた撮り方が全然異なってくる。ここでもやはりヘッドライトが主役で、図らずも手前の線路に光が反射してギラリとカーブが浮かび上がった。刻一刻と表情を変えてゆく黄昏時の撮影はいわばスリリングであり、それだけにイメージ通りの絵が出来上がったときの達成感なるものも大きい。

帰路
このママチャリには本当にお世話になったw 自転車を返却し、急速に暮れてゆく空を構内から呆然と眺める。五井行の列車は養老渓谷から帰ってきた観光客でぎっしりであった。座れるかと思いきや、45分間の立ち修行。五井では30分ほど駅撮りを楽しんだ後、駅前のうどん屋で夕食。晩秋の一日はあっという間に過ぎていった。

写真
1枚目:黒い森を背に(@里見~飯給)
2枚目:シグモイド(@里見~飯給)
3枚目:去りゆく(@五井)

1327文字
小湊鐵道探訪 Part 5
小湊鐵道探訪 Part 5
夕刻の大久保集落を駆け巡る。
12/1
撮影(月崎~上総大久保 築堤):
17A[1441] 4連

撮影(月崎~上総大久保 駅前):
24A[1510] 4連

月崎~上総大久保 築堤
秋の夕暮れは早い。山を下りてきた頃には、辺りは黄色い斜光線に包まれ始めていた。

いわゆる「エロ光線」という状態で、まあなぜそういう俗称がついているのかは不明だが、とにかくあらゆる景色が艶やかに染め上げられる。カーブの築堤の側面には光が当たっているが、陽の長い季節ではないので残念ながら列車の正面にまでは光が回らない。両数も読めないことなので、下り17Aは側面がちに写す順当な撮り方とした。やってきたのは4両編成。かなりの迫力である。写真でしか見たことはないが、往年の国鉄の気動車急行のようだ。

月崎~上総大久保 駅前
次の列車はおそらく陽の当たる最後の列車である。どこで撮るべきか思案したが、やはり4両編成を生かしたいと考え、大久保の駅を発車した直後のストレートおよびアウトカーブにて仰角気味にとらえることとした。問題は光がどこまで当たってくれるかということで、こうして待っている間にも見る見るうちに太陽は山の稜線へと接近していく。秋の日はつるべ落とし、とは本当によく言ったものだ。景色は奥の方からどんどん陰になっていき、通過直前には辛うじて手前にエロ光線の領域を残すのみとなった。想定通りのド迫力、とまではいかなかったが、車両メインで4両編成を大きく切り取った甲斐はあっただろうか。

撮影後、大久保の集落を自転車で後にする。来た道を引き返し、また里見駅まで戻らねばならない。房総半島に雪が降るのはかなり珍しいのだろうか。この撮影地は雪景色もすばらしそうだから、タイミングが合えばまた訪れてみたい。

写真(@月崎~上総大久保)
1枚目:4両編成の迫力
2枚目:斜光線を浴びて邁進

896文字
小湊鐵道探訪 Part 4
小湊鐵道探訪 Part 4
小湊鐵道探訪 Part 4
鳥が見る景色を求めて。
12/1
撮影(月崎~上総大久保 駅前):
18A[1230] 2連

撮影(月崎~上総大久保 林道俯瞰):
15A[1343] 3連
22A[1415] 3連

月崎~上総大久保 駅前
陽も西側へ回ってきたことなので、橋梁で撮影した11Aの返しである18Aは大久保駅発車後のストレートでとらえる。構成としては、広角気味に景色を切り取って列車を左下に配するのがバランスが良い。右側のイチョウが既に終わってしまったのが残念ではあるが、やはり枯れた秋の風情である。ここはホームの桜が咲き誇る季節にも再訪したい。

月崎~上総大久保 林道俯瞰
大久保駅から西側の山へは一直線に道路が伸びており、先にはトンネルの入口が覗いている。いったん山を貫いて反対側へ出ると十字路が現れるので、ここを左折。九十九折りのものすごい急坂が続く。さすがに自転車はこげないから手で押しながら登るわけだが、普段の歩行と力の使い方が異なるせいか変に疲労する。俯瞰撮影といえば、数々の撮影地に足を運んできた。山陰本線の餘部、北陸本線の鳩原ループ、大糸線の小滝、羽越本線の吹浦、秩父鉄道の親鼻などなど。俯瞰には独特の魅力があって、普段我々があまり意識することのない地形という要素が画面に入ってくる。それは鳥が見ている景色でもあって、地図でしか見ることのなかった海岸線、道路の縞模様、鉄道の線形などが実際に目の前に浮かび上がってくるから面白いのだ。

撮影地は大久保駅のほぼ真西にあたる地点で、舗装された林道から少し右側にそれた獣道とも鉄ヲタ道ともつかない道を登ったところにある。足下は完全に崖になっており、覗き込むのが憚られる高さである。木々は崖面から横に生えていて、いかにも土砂崩れが起きそうな地形でなかなか怖い。ここでは15Aと、その返しである22Aの2本を撮影。残念ながら車両は先ほどのラッピング車だったが、俯瞰だとあまり目立たないから良しとしよう。枯れつつも最後の彩りを見せる秋の木々を取り込んで、一方では山深く、一方では開放的に切り取ってみた。

写真(@月崎~上総大久保)
1枚目:のんびりと発車
2枚目:山に包まれる
3枚目:白昼の陽光を浴びて

1039文字
小湊鐵道探訪 Part 3
小湊鐵道探訪 Part 3
小湊鐵道探訪 Part 3
白昼の舞台に踊る。
12/1
撮影(月崎~上総大久保 駅前):
9A[1112] 3連

撮影(上総大久保~養老渓谷 駅前):
16A[1132] 3連

撮影(上総大久保~養老渓谷 橋梁):
11A[1201] 2連

月崎~上総大久保 駅前
大久保駅の近辺は線形も良く、光線も良く、障害物もなく、色々な撮り方が可能である。駅に停車中の姿を撮るだけでも絵になるし、下りの停車直前も上りの発車直後も時間帯に応じて駅近くから順当に撮影できる。多彩にして自由な構図を楽しめる場所といえる。

まずは駅に進入する下り9Aを仰角気味にとらえる。手前のススキはあまり綺麗な出で立ちではなかったのだが、絶妙な高さから写せば、むしろ枯れて終わりゆく秋といった風情が出てきて意外と面白い。唯一残念だったのは車体側面にでかでかと白字のラッピングが施されていたことで、折角のツートンカラーが何となく安っぽくなってしまった。

上総大久保~養老渓谷 駅前
大久保駅の養老渓谷側には踏切があり、ここもそれなりに良い撮影地である。光線としては逆光になってしまうが、紅葉や黄葉を透かしながら、狭いカーブを抜けてきた上り列車を写すことができる。それだけではなく、踏切を渡って駅に停車した列車も後追いでバシバシ激写でき、窓から顔を出す車掌、乗りこむ乗客など、駅撮りの醍醐味もある。とくに去り際、右にカーブして藪に吸い込まれていく様子などは絵になる。季節によってはさらなる美しさが期待できそうだ。のすり氏曰く「一度で二度美味しい」撮影地。

上総大久保~養老渓谷 橋梁
この時間帯は列車がなかなか多く充実している。養老渓谷方面に自転車を走らせると、養老川を渡る小湊鐵道の橋梁を32号線のシェルター内から覗ける。シェルターを抜けた先に渓谷の方へ分岐する細道があり、そこを下りると第四種踏切に至る。ここから犬走りに沿って少し歩くと、橋梁の撮影地に到着。線路際の崖上から順光の橋梁を走る列車をとらえる。対岸の針葉樹の回廊も良いアクセントになる。橋の塗装が鮮やかすぎるのがやや欠点ではあるが、足回りはすっきりとしていて十分美しい。2両編成のツートンカラーが、白昼の日差しを浴びてトコトコと橋を渡っていく。

写真
1枚目:枯れた秋をゆく(@月崎~上総大久保)
2枚目:大久保を去る(@上総大久保~養老渓谷)
3枚目:白昼の橋梁を渡る(@上総大久保~養老渓谷)

1158文字
小湊鐵道探訪 Part 2
小湊鐵道探訪 Part 2
小湊鐵道探訪 Part 2
晴天に恵まれる。
12/1
撮影(飯給~月崎):
10A[900] 2連
臨5A[916] 単行
臨12A[942] 単行

撮影(月崎~上総大久保 トンネル):
7A[1010] 4連

撮影(月崎~上総大久保 築堤):
14A[1046] 4連

飯給~月崎
今日は、市原市観光協会が管理している駅自転車を利用して撮影地を移動する。ちょうど2台だけ用意されていて良かった。素朴だがよく整備されていて、走りやすい自転車である。

白い息を吐きながら里見駅前で熱いコーヒーを飲んだ後、清澄養老ラインと名のついた県道81号線をひたすら南下していく。この道のりは蛇行する養老川を渡りながら上流へさかのぼる形になるので、全体を通して見れば標高は上がっていくのだが、意外と途中のアップダウンが激しく体力を削がれる。

最初の撮影地は、月崎駅手前の第四種踏切から犬走りを少し飯給側へ戻った場所。長いS字カーブが横たわる、奥行きの深い構図である。光線状態は申し分のない順光。しかし後追いというのはなかなか難しい撮り方で、一度画面が全て遮られるからタイミングも構図のバランスも、それまで計算してきた感覚をあっという間に喪失してしまう。広い撮影地とはいえ、列車はあれよあれよという間に遠ざかっていく。1本目は露出を失敗し、臨時増発列車である2本目はそもそも存在を把握していなかったので踏切付近で撃沈。その返しとなる3本目は勝負をかけ、スタンダードな後追いを決めた。

月崎~上総大久保 トンネル
県道172号線で月崎駅を通り過ぎ、山奥の三叉路から線路西側の32号線に入ってしばらく走ると、小湊鐵道のごく短いトンネルが姿を現す。ここも強烈な順光である。ガードレールを越えた先の線路脇から、ポータルを飛び出してきた列車を狙う。制限50の標識がやや目立つが、仕方ない。やって来たのはなんと4両編成であった。今時、気動車が4両連なりガラガラ唸りながら走る様子を首都圏で目にできるとは。

月崎~上総大久保 築堤
32号線をさらに南下していくと景色は山深くなるが、150mほどのトンネルを抜けた先は別世界で、大久保の集落が盆地状に広がる。南東に向かって緩やかな円弧を描く線路築堤の南側をなぞるように、稲刈りの終わった水田の真ん中を畦道で突っ切っていく。トンネルで撮った4両編成の返しは、カーブの築堤で後追いすることにした。秋らしい空の下、柔らかい太陽光線に染め上げられて、ツートンカラーで統一された堂々4両編成が軽快に駆けてゆく。

写真
1枚目:単行列車(@飯給~月崎)
2枚目:トンネルを飛び出す(@月崎~上総大久保)
3枚目:築堤を駆ける(@月崎~上総大久保)

1284文字
小湊鐵道探訪 Part 1
小湊鐵道探訪 Part 1
小湊鐵道探訪 Part 1
晩秋の房総半島へ。
12/1
信濃町458 → 東京512
中央・総武線各駅停車454T

東京521 → 五井616
総武本線・内房線549F

五井641 → 里見726
小湊鐵道1A

撮影(里見):
1A[726] 2連
3A[812-815] 2連
8A[812-813] 2連

夜明け前
3時間の睡眠の後、夜明け前の総武本線をひたすら東進する。首都圏に残る気動車の聖地、房総半島である。キハ30、37、38は久留里線から姿を消したものの、半島の横断線を構成する小湊鐵道といすみ鉄道には、老兵がひっそりと息づいている。これまで首都圏の日帰り撮影といえば秩父鉄道に足しげく通ったものだが、ここには一度も足を運んだことがなかった。アクセスの手軽さに今まで気が付かなかったことが悔やまれる。自由に使える時間が徐々に制限されてきた今、日常の合間をかいくぐって良いフットワークで撮影に出かけたいところである。

初冬の朝
五位の小湊鐵道ホームに降り立った頃、ようやく日が昇ってきた。傍らにある検修庫近くの留置線では、火入れされた気動車たちがもうもうと排煙を噴き上げ、眠りから覚めつつある。しばしの駅撮りの後、6時41分発の上総中野行に乗り込んだ。列車は市原の工業地帯に別れを告げて平野部をどんどん内陸へ進んでいく。東の空には黄色い太陽が顔を出し、途中駅では車両のツートンカラーがすがすがしく浮かび上がる。車内には厚く着込んだ乗客が沈黙してロングシートに並んでおり、さながら冬の朝の一風景である。

里見
里見駅ではタブレット交換を撮影する。駅での撮影は、本当に難しい。列車が発着する駅では、さまざまな人間模様が交錯する。列車、鉄道員、乗客が織りなす何気ない日常の一コマを、確実に撮像素子に焼き付けることはそう簡単ではない。人は動くし、一瞬たりとて同じ表情は見せない。場所によって気まぐれに露出も変われば、どこに合焦させるかも臨機応変な対応が必要である。構図のレパートリーを増やし、望遠レンズと連写の力を借りながら研鑽を積んでいきたい。ここでは日々、カランカランと乾燥したエンジン音を上げる気動車が行き交い、タブレット交換が当たり前のように行われている。

写真
1枚目:朝の風景(@上総久保)
2枚目:閉塞を守る営み(@里見)
3枚目:タブレット交換(@里見)

1230文字
晩秋の烏山線 Part 4
晩秋の烏山線 Part 4
晩秋の烏山線 Part 4
斜光線に照らされて。
11/24
撮影(小塙~滝 猿久保田んぼの公園):
336D[1407] 普通列車 キハ40 1001+キハ40 1002

撮影(小塙~滝 森田踏切):
335D[1424] 普通列車 キハ40 1008+キハ40 100x
338D[1538] 普通列車 キハ40 1008+キハ40 100x

撮影(小塙~滝 小塙踏切):
337D[1553] 普通列車 キハ40 1001+キハ40 1002

小塙1647 → 宇都宮1736
烏山線・東北本線340D

宇都宮1739 → 古河1824
東北本線662M

古河 → 赤羽
東北本線

赤羽 → 新宿
埼京線

新宿 → 信濃町
中央・総武線各駅停車

小塙~滝 猿久保田んぼの公園
早いもので、あと4本を残すのみとなった。今日の日没は16時27分、既に辺りは黄色い斜光線に包まれ始めている。滝方面へ10分ほど歩くと、急に景色が山っぽくなる。この一帯は「猿久保田んぼの公園」として整備されており、周囲とはやや隔絶された風景が広がる。森田踏切から見る背景の林は赤褐色とも茶褐色ともつかない枯れた色をして燃え盛っており、浅い角度で入ってくる太陽光線も相まって妖艶な輝きを放っている。最初の上り列車は、獣道を少し登ったところから小俯瞰。紅葉の森を大々的に取り入れ、アウトカーブの線路は画面の右端に小さく配するのみとした。日陰からぬっと姿を現した烏山色のキハ40は、単調な色彩に鋭く刺し込んで存在感を見せた。通過前に強風が吹き、落葉がひらひらと舞ったのも幻想的であった。

小塙~滝 森田踏切
次の下り列車は森田踏切から後追いにて撮影。ここまで見事な紅葉であれば、もはやどのような撮り方をしても絵になる。キハ40の前面ディテールがぴったりと合焦し、斜光線に浮かび上がった。烏山で折り返してくる列車はどこで撮ろうか、だいぶ思案した。駅まで戻って小塙踏切も試してみようかと思ったが、結局再び森田踏切で迎え撃つことにする。残念ながら景色の奥はすでに日陰で暗くなってしまったが、カーブを曲がってから踏切へ向かってくるストレート区間は黄色い光に染まっていた。ここだけ景色を切り取れば、まるで北海道の山線のようだ。

網膜に映った像をどう解釈したか。その解釈の結果こそが、撮像素子に結像する全てである。写真は塗り絵でもなければ、イラストでもない。写真は、視覚野へ投射された信号全体を「解釈」した結果だと考えている。解釈を反映する手段としてレンズがあり、撮像素子があり、処理エンジンがある。だからこそ構図は大切だし、色彩もそれに次いで重要な意味をもつ。

小塙~滝 小塙踏切
最後の下り列車は、駅近くの小塙踏切から。タッチの差で太陽が稜線に沈み、いわゆるエロ光線は失われてしまったw 淡い黄昏の中、列車は寂しげに尾灯を光らせてカーブの築堤を駆けてゆく。

これにて撮影は終了。帰りは東北本線で唯一の茨城県内の駅、古河で下車。駅前のラーメン屋で夕食をとりながら、年末の計画を練った。

写真(@小塙~滝)
1枚目:落葉舞う中をゆく
2枚目:燃える山に向かって
3枚目:夕刻

1639文字
晩秋の烏山線 Part 3
晩秋の烏山線 Part 3
晩秋の小渓谷をゆく。
11/24
撮影(大金~小塙):
334D[1239] 普通列車 キハ40 1003+キハ40 1004
333D[1250] 普通列車 キハ40 1001+キハ40 1002

大金~小塙
鴻野山~大金の有名撮影地から大金駅までは徒歩30分弱。ここから小塙駅手前の橋梁まで歩くとなるとさらに小一時間かかり次の列車に間に合わないので、駅前でタクシーを拾って移動する。

やはり自動車は速い。今どき駅からてくてく歩く撮影者はかなり珍しくなったが、この速さと利便性に慣れると撮影地を車で回りたくなるのも分かる。そうは言っても、最後の最後は自らの足で撮影地を見つけなければならない。撮影地とは本来、足で探すものである。車輪と足、両者のバランスを上手に取りながら、効率の良い撮影を組みたいところである。

辺り一面に響き渡る清流の音、どこまでも高い秋の空、燃えるような赤褐色の紅葉。景色は白昼の日差しを浴びて燦然と輝いている。曇天と晴天とではこんなにも色が違うのか。太陽光線の力を改めて実感する一日。これだけでも十分絵になるが、その中に2両編成の列車がトコトコと橋を渡っていく。点景としての鉄道である。

写真(@大金~小塙)
1枚目:那珂川の支流、荒川を渡る
2枚目:せせらぎと共に

624文字
晩秋の烏山線 Part 2
晩秋の烏山線 Part 2
晩秋の烏山線 Part 2
定番撮影地を探訪。
11/24
撮影(鴻野山~大金):
331D[1112] 普通列車 キハ40 1003+キハ40 1004
332D[1122] 普通列車 キハ40 1001+キハ40 1002

鴻野山~大金
築堤の撮影地から延々と歩く。小さなサミットを越した先にある鴻野山の駅を通り過ぎると、道はふたたび上り坂になる。10月に訪れたときは小塙からこの辺りまで歩いてきたのだった。倒産したゴルフ場を横目にさらに奥地へ入っていくと、鴻野山~大金の有名撮影地に到着する。すっきりとしたアウトカーブの構図。縦にも横にも切り取れるので欲張ってみたが、どちらも今一つな感じになってしまった。それにしても国鉄色+首都圏色のコンビは景色によく映えてくれて、順当に美しい。大金で交換してくる上り列車はサイドから大きく空を入れて撮ってみた。しかし意外にも車両が大きくシャッターを切る直前にズームを広角側へ移動させる始末で、かなり窮屈な絵になった。

非電化区間の撮影は、電化区間に比べて圧倒的に難しい。架線も架線柱もないので、車両の大きさに対する正確なイメージを持ちにくいからである。それに、架線柱がない分だけ構図の自由度が格段に増し、どの要素を入れてどれを外すかといった詳細な検討も必要になってくる。

写真(@鴻野山~大金)
1枚目:ひょっこりと姿を現す
2枚目:晩秋を走る
3枚目:抜ける青空と烏山色

672文字
晩秋の烏山線 Part 1
晩秋の烏山線 Part 1
晩秋の烏山線 Part 1
日常の狭間、烏山線を再訪する。
11/24
信濃町537 → 御茶ノ水547
中央・総武線各駅停車420T

御茶ノ水549 → 秋葉原551
中央・総武線各駅停車508B

秋葉原553 → 上野556
山手線500G

上野608 → 宇都宮751
東北本線527M

宇都宮805 → 仁井田830
東北本線・烏山線327D

撮影(仁井田~鴻野山 森抜け):
※車両表記は左が宇都宮方
328D[856] 普通列車 キハ40 1008+キハ40 100x

撮影(仁井田~鴻野山 築堤):
329D[946] 普通列車 キハ40 1001+キハ40 1002
330D[1005] 普通列車 キハ40 1003+キハ40 1004

再訪
試問はWコン行になり、本レポもあと何回かやり取りしないと終わらなさそうな雰囲気だが、ひとまず昨夜即レポを片付けたところで婦人科は一段落した。のすり氏の下見によると、どうやら烏山線の紅葉はちょうど今週末が見頃になっているようだ。婦人科と産科の日常の狭間、晴れた秋空と燃える紅葉を求め、早起きして前回と同じ東北本線に乗り込んだ。

仁井田~鴻野山 森抜け
仁井田の駅を出て鴻野山方面へ少し歩いたところに文挟という地区がある。名前を失念してしまったが、ここの第四種踏切からは森を抜けてきた上り列車を撮ることができる。背景の針葉樹を生かすために、ここは縦構図で。コンデジ時代は4:3の画面だったのが、一眼になってからは3:2にガラリと変わった。長辺と短辺の比が1.3と1.5ではずいぶんと事情が違い、縦構図では高さを強調できるようになった一方、横構図では障害物をうまくカットしたり配置を深く考えたりする必要性が一層増したといえよう。

仁井田~鴻野山 築堤
赤褐色に燃える林をバックに、順光の築堤を2両編成の気動車が駆ける。この撮影のために用意されたかのようなすばらしい舞台だ。国鉄色と首都圏色のコンビは前回と異なり終日運用ではないが、この光線状態の中を走ってくれるだけで2本分くらいの価値がある。一方ここに来ると「烏山色=ハズレ」という印象を持ってしまいがちだが、それは違う。オリジナルカラーは実によく計算された塗装である。針葉樹林の地図記号を連想させる側面の緑帯と、下地の白色が良いコントラストをなしていて、沿線風景に美しく映えている。

写真(@仁井田~鴻野山)
1枚目:森を飛び出す
2枚目:晩秋の築堤をゆく
3枚目:枯れ始めた暖色の世界

1358文字
烏山線探訪 Part 5
烏山線探訪 Part 5
烏山線探訪 Part 5
10/19
撮影(鴻野山~大金 勾配築堤):
337D[1542] 普通列車 キハ40 1004+キハ40 1003
338D[1555] 普通列車 キハ40 1008+キハ40 1002

撮影(大金交換):
340D[1651-1657] 普通列車 キハ40 1004+キハ40 1003
339D[1655] 普通列車 キハ40 1008+キハ40 1002

大金1758 → 宇都宮1833
烏山線342D キハ40 1002

宇都宮1841 → 小山1907
東北本線3546M 快速ラビット 車番記録忘れ

小山2008 → 赤羽2103
東北本線3548M 快速ラビット サハE231-3005

赤羽2109(+7) → 新宿2125(+9)
埼京線2012F 快速 モハE232-7223

新宿2131 → 信濃町2136
中央・総武線各駅停車2108C モハE232-216

鴻野山~大金 勾配築堤
ここまで歩いてきたのだから、最後まで歩き通そう。小塙へ向かう車中、鴻野山~大金のかなり鴻野山寄りに跨線橋があることをチェックしていたので、そこへと足を運んだ。しかし着いてみると、なんと倒産したゴルフ場の敷地間にかかる橋ではないか。解体作業が目下進行中で、立ち入れる雰囲気ではないので断念。そもそも跨線橋に着いたところで、俯瞰するカーブの内側には障害物が多すぎたのだった。

代わりに、ゴルフ場入口の向かい側にある老人ホームの脇から勾配の築堤をすっきりと見下ろすことができたので、国鉄色の下り列車はここで撮ることに決める。夕刻の雰囲気を上手く出すのに難渋した。この天気では、とにかく露出と色調を適切にいじらねばならない。烏山色の上り列車はさらに西側から正面がちにとらえる。勾配なので煙を吐いてくれるかと思いきや、何もなくがっかり。ただの編成写真になってしまった。

大金交換
最後の撮影は大金での列車交換。今まで来た道を延々引き返す。所要45分ほど。ただひたすらに歩くのはまさに修行だが、日帰り遠征の分、荷物が軽く歩きやすい。それに気候がだいぶ涼しくなってきたので体液喪失があまりなく、筋肉のみの疲労で済んでいる。日没は16時59分で、交換は16時55分。小塙側から国鉄色と烏山色の並びをとらえた。

烏山線は全列車が大金で交換する単純なダイヤなので、上下列車の2本セットで撮影を進めていった。本数はあまり多くはないが、歩いて回る分にはちょうど良い密度であった。今日はどうやら合計18kmほど歩いたらしい。紅葉燃え盛る季節に再訪したい。小山でラーメンとギョーザを食し、それにビールを飲んで一日の撮影を終える。

写真
1枚目:夕刻(@鴻野山~大金)
2枚目:築堤を駆け上がる(@鴻野山~大金)
3枚目:黄昏時の離合(@大金)

1463文字
烏山線探訪 Part 4
烏山線探訪 Part 4
烏山線探訪 Part 4
10/19
撮影(鴻野山~大金 アウトカーブ):
335D[1414] 普通列車 キハ40 1008+キハ40 1002
336D[1423] 普通列車 キハ40 1004+キハ40 1003

鴻野山~大金 アウトカーブ
乗ったら撮れないし、撮ったら乗れないが、撮って歩けば、また撮れる。俯瞰撮影地から延々1時間以上歩く。大金駅前を通り過ぎ、途中のスーパーで非常食を調達し、鴻野山との間にある有名撮影地に到着した。アウトカーブに続くストレート、障害物のない綺麗な撮影地である。

しかし、この天気ではやはり色が出ない。とにかく色が出ない。「白っちゃけた感じ」をなくすべく必然的に空を映さない構図になるので、全体的に暗い色で塗りつぶされた画面になる。しかも下り列車と上り列車の間隔がだいぶ詰まっていて、上りはだいぶ中途半端な感じになってしまった。もっと西側へ移動したところならセイタカアワダチソウの黄色を入れることができたのだが、これは失敗した。それでも何とか無難に収まるのは、国鉄色の威力といったところか。

写真(@鴻野山~大金)
1枚目:白と緑の世界
2枚目:暗い森をバックに
3枚目:国鉄色が去りゆく

579文字

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