烏山線探訪 Part 3
2013年10月19日 鉄道と旅行10/19
撮影(小塙~滝 小俯瞰):
334D[1237] 普通列車 キハ40 1009+キハ40 1007
333D[1250] 普通列車 キハ40 1004+キハ40 1003
・小塙~滝 小俯瞰
小塙の近くで逆S字に蛇行している荒川だが、近くに鉄道橋以外の橋は架かっていない。すぐそこの対岸まで行くだけだというのに、滝方面へ駅を通り越して700mほど引き返したところにある小さな道路橋を渡らねばならない。しばらく橋の架からない川といえば、先月の肥薩線と球磨川を思い出す。早いもので、あれからもうひと月以上が経ったのか。
橋を渡ると高台になって風景はがらりと変わる。右岸の崖っぷちは藪になっているので、近くに川が流れているとはとても思えない。小塙駅のちょうど向かい側くらいの位置まで歩いてくると、道路から脇に逸れて畑の奥に入ったところから俯瞰撮影ができる。1本目はここで撮影した。また、三叉路をこえて少し大金側へ歩いたところにも脇へ逸れる道があり、崖のへりから俯瞰撮影ができる。2本目はここで狙った。
小塙停車の前後全てを見届けることができるので、しばらくの間ファインダーに張り付いた。
写真
1枚目:カーブの築堤に姿を現す(@小塙~滝)
2枚目:庭のような風景(@大金~小塙)
3枚目:大糸線が脳裡をよぎる(@小塙~滝)
642文字
烏山線探訪 Part 2
2013年10月19日 鉄道と旅行
DiaryNoteは1記事につき3枚しか写真をアップできず、横640×縦480の制限がある上に、アップ後に画質が劣化する。どう考えても、アルバムのように写真中心の記事を書くには向いていない。写真だけであれば某顔本とかの方が圧倒的に使い勝手が良い。今回は撮影地ごとに記事を改めてみるとしよう。
・大金~小塙 荒川橋梁
小塙駅のすぐ近くには那珂川の支流、荒川がぐにゃぐにゃと蛇行して流れている。駅を出て線路南側の田園地帯を歩いていくと、程なくして川原に降りる。ここには烏山線のガーダー橋が架かっている。一帯は面白い地形で、川の右岸(宝積寺側)は小さな断崖である。晴れていれば清らかな秋空を大きく取り入れたところなのだが、こうも曇天だと画面が真っ白になってしまう。色彩という面に関しては、太陽の存在がいかに大きいかを思い知る。こういう中でも何とか工夫をして写真を撮りたいところではあるが、なかなか難しい。1枚目はぎりぎりまで川に近付いて、無彩色の川面とささやかな水鏡をベースに、国鉄色の2両が橋を渡る絵をsymmetricalに作る。2枚目はぬかるんだ岸辺を橋梁の方へと歩いた場所から撮影。やはり寒々しい絵になった。
写真(@大金~小塙)
1枚目:無機的な冷感
2枚目:黒い森と川面
708文字
10/19
撮影(大金~小塙 荒川橋梁):
332D[1109] 普通列車 キハ40 1004+キハ40 1003
331D[1126] 普通列車 キハ40 1009+キハ40 1007
・大金~小塙 荒川橋梁
小塙駅のすぐ近くには那珂川の支流、荒川がぐにゃぐにゃと蛇行して流れている。駅を出て線路南側の田園地帯を歩いていくと、程なくして川原に降りる。ここには烏山線のガーダー橋が架かっている。一帯は面白い地形で、川の右岸(宝積寺側)は小さな断崖である。晴れていれば清らかな秋空を大きく取り入れたところなのだが、こうも曇天だと画面が真っ白になってしまう。色彩という面に関しては、太陽の存在がいかに大きいかを思い知る。こういう中でも何とか工夫をして写真を撮りたいところではあるが、なかなか難しい。1枚目はぎりぎりまで川に近付いて、無彩色の川面とささやかな水鏡をベースに、国鉄色の2両が橋を渡る絵をsymmetricalに作る。2枚目はぬかるんだ岸辺を橋梁の方へと歩いた場所から撮影。やはり寒々しい絵になった。
写真(@大金~小塙)
1枚目:無機的な冷感
2枚目:黒い森と川面
708文字
烏山線探訪 Part 1
2013年10月19日 鉄道と旅行
北関東に息づく国鉄の老兵。
・曇天の秋の一日
気が付けば10月も半ばである。年を追うごとに味も素っ気もないJR車両が腫瘍性に増殖する首都圏にあって、未だに国鉄型気動車が生き残る線区、烏山線を訪れた。ここのキハ40は1979年6月から走り続けているらしい。残念ながら空は終日曇りであったが、烏山色+国鉄色、首都圏色+国鉄色、烏山色+烏山色の3編成を楽しむことができ、運用上は「アタリ」の一日であった。
・小塙~滝 カーブ
最初の撮影地は小塙(こばな)から滝方面へ15分ほど歩いたところで、周辺は自然公園として整備されている。隣の滝との間には丘陵が立ちはだかり、烏山線はここをトンネルで貫く。ポータルはS字カーブの奥にあってぎりぎり見えないが、森抜けの正面打ちができる。またS字を抜けた後のカーブは、イン、アウトともすっきりとした構図で、2両編成にはちょうど良いサイズの撮影地。周辺を森に囲まれた庭のような場所で、木々が色づいた頃の夕方などは実に雰囲気が出そうである。ぜひ再訪したい。
写真(@小塙~滝)
1枚目:烏山色+国鉄色がゆく
2枚目:エギゾーストを吹き上げてカーブを走る
3枚目:森に吸い込まれる
998文字
10/19
信濃町537 → 神田549
中央・総武線各駅停車420T モハE232-216
神田551 → 上野556
山手線500G モハE231-574
上野608 → 宇都宮751
東北本線527M モハE230-3502
宇都宮805 → 小塙848
東北本線・烏山線327D キハ40 1007
撮影(小塙~滝 カーブ):
※車両表記は左が宇都宮方
330D[942] 普通列車 キハ40 1009+キハ40 1007
329D[959] 普通列車 キハ40 1004+キハ40 1003
・曇天の秋の一日
気が付けば10月も半ばである。年を追うごとに味も素っ気もないJR車両が腫瘍性に増殖する首都圏にあって、未だに国鉄型気動車が生き残る線区、烏山線を訪れた。ここのキハ40は1979年6月から走り続けているらしい。残念ながら空は終日曇りであったが、烏山色+国鉄色、首都圏色+国鉄色、烏山色+烏山色の3編成を楽しむことができ、運用上は「アタリ」の一日であった。
・小塙~滝 カーブ
最初の撮影地は小塙(こばな)から滝方面へ15分ほど歩いたところで、周辺は自然公園として整備されている。隣の滝との間には丘陵が立ちはだかり、烏山線はここをトンネルで貫く。ポータルはS字カーブの奥にあってぎりぎり見えないが、森抜けの正面打ちができる。またS字を抜けた後のカーブは、イン、アウトともすっきりとした構図で、2両編成にはちょうど良いサイズの撮影地。周辺を森に囲まれた庭のような場所で、木々が色づいた頃の夕方などは実に雰囲気が出そうである。ぜひ再訪したい。
写真(@小塙~滝)
1枚目:烏山色+国鉄色がゆく
2枚目:エギゾーストを吹き上げてカーブを走る
3枚目:森に吸い込まれる
998文字
南九州撮影行 3日目
2013年9月16日 鉄道と旅行
肥薩線に生きる老機関車。
・球磨川に寄り添って
八代を出た肥薩線は、悠々と流れる球磨川に沿って内陸へと分け入ってゆく。国鉄の遺産、キハ31の単行列車である。この時間帯、深い谷間にまだ日は差し込まない。瀬戸石で長停し普通列車と九州横断特急と交換した後、次の海路で列車を降りた。この一帯、すなわち瀬戸石、海路、吉尾と続く区間には球磨川に架かる橋がなく、対岸の人吉街道から隔絶された静かな世界が広がっている。
朝の海路は、幻想的な風景であった。山並みに切り取られた朝の太陽光線が、陰影のついた幾多もの平行線となって谷間を斜めに横切る。川面にはさざ波が煌めき、日の昇り始めた空を映して淡い灰色に光っている。駅のすぐ近くにある海路の集落は球磨川に注ぐ沢を囲む形でひっそりと佇み、まるで山と川が織りなす世界にぽつんと区画された小さな庭園のようだ。しかし、空家や廃屋が目立つ。人はあまり住んでいないらしい。また少し奥には海路小学校の建物があるが、既に廃校になったと見える。しかし荒廃している感じはないので、もしかしたら地域の集会所のような形で利用されているのかもしれない。
突如として現れたのは、キハ140の単行列車であった。まさか肥薩線でキハ40系列に会えるとは思っていなかったので、驚いた。アイボリーの下地に青い帯を纏う九州カラーは、深い山の緑、そして澄んだ空の色に実によく映える。そして川沿いを去りゆく後追いの構図は、絵画のような風景である。轍の音が谷に反響し、まるで列車が対岸を走っているかのような錯覚に陥る。わずか1時間足らずの滞在ではあったが、南部とはまったく異なる表情の肥薩線を楽しむことができた。
・球磨川第二橋梁
次の下り列車で渡へ向かう。嬉しいことに、観光列車いさぶろうの車両であった。普通列車でも運用されているらしい。日はずいぶんと高くなり、いよいよ暑くなってきた。まずは食料調達のため、渡で下車後コンビニを目指して西人吉方面へ20分ほど歩く。ところが、まさかの改装中。完全に歩く修行であった。撮影地の球磨川第二橋梁は那良口方面にあるので、同じ道をとぼとぼと引き返す。幸いなことに駅から近いところに魚屋を称する商店があり、ここでパンを調達することができた。これなら始めから那良口方面に歩いていたら良かったことになるが、予習できなかったものは仕方ない。
縦構図で橋梁を正面打ちする場所は、橋のたもとの集落を奥まで進んだところにある。かなり狭い場所で、ベストの構図を作るのであれば2人くらいが限界だろうか。今回ばかりは三脚を構え、画面を固める。10時前後に特急くまがわと、その返しの九州横断特急が通過して以降は、1時間40分もの待ち時間である。日陰でパンを食べながら、ただただ座って時が過ぎるのを待つ。日陰といっても、正午が近付くにつれてトップライトが厳しくなり、どんどん日なたになっていく。関東は台風で暴風雨のようだが、こちらの空は晴れ渡り、日差しが容赦なく照りつけてくる。
山間に汽笛一声。赤いトラス橋が織りなす美しい幾何学文様の向こう側に、8620形が姿を現した。こういう瞬間は、本当に無心になる。一切の障壁を介さずに外界と自我がぴったり接触する感覚である。はっと我に返ったのは、連写をしすぎて書き込み速度のキャパオーバーになり、押し込んだシャッターボタンが反応しなくなった瞬間であった。「えっ」と思ったが、それでも辛うじて残り数枚は撮れた。とにかく、鉄のトンネルの中をこちらに向かって突き進んでくる機関車が、刻一刻と表情を変えてゆくさまを、忘我の境地で素子に焼き付けていったのだ。自我の制御の範疇を超えて、脳と身体が勝手に動いていたようにも思える。しかし機関車が橋を渡り終えたその時、ようやく、ようやく正気に戻って1/500秒間の対面ができた。このために、今日はここまで来たのだ。やはり、鉄道撮影はやめられない。
・球泉洞
SLの後を追ってくる副産物のキハ31普通列車を撮り、駅へ戻る。そして人吉で折り返してきた同じキハ31に乗り、今度は球泉洞へ向かう。撮影の合間に鍾乳洞を探訪するというプランである。当初は駅から歩く予定であったが、送迎サービスがあるようなのでこれを利用してみる。駅に書いてあった電話番号にかけると、軽自動車で迎えに来てくれた。乗ってみると、意外にも遠い。しかも当初歩く予定だった対岸の旧道はもはや廃道になって使われておらず、少し遠回りして新道の球泉洞トンネルを通って到着となった。これは歩いていたらまた修行になるところだったかもしれない。
鍾乳洞はやはり面白い。毎回毎回、しつこいくらいにこの例えを使っているが、水のしたたる石灰岩の岩肌はまるで生きた腸管粘膜のようだ。見れば見るほど、質感がよく似ている。そして天井からぶら下がる無数の鍾乳石、地面に生えている数多もの石筍。これらも、まるで小腸の内腔面をぎっしりと埋め尽くす顕微的な絨毛構造を間近で見ているかのようだ。ぽたぽたと水の滴る音、足下を轟々と流れゆく地下水の川は、粘膜から分泌される消化液か、それとも管壁の奥深くを走るリンパ流か、血流か。そう考えると、あたかも生体の中を歩いて探索しているかのような気分になる。これはただの洞窟ではない。もはや組織(tissue)、そして器官(organ)と呼んでもおかしくはない。人知を超越した時間の流れの中、組織学的(histological)な構造と、生理学的(physiological)な営みが脈々と受け継がれてきたことが感じ取れる。まあこの文章だけを読むと、自分はいかにも頭がおかしい人間に思われるかもしれないが、しかし実際に鍾乳洞を歩いてみると、本当に自然の摂理が生み出すものの共通性を随所に実感するのだ。
・白石
球泉洞から1駅、白石駅に降り立った。上りのSL人吉はここで迎え撃つ。夥しい数のトンボが景色の中を飛び交う中、列車は重たい足取りでゆっくりと入線してきた。3両の客車のみを従えた小ぢんまりした編成だが、車齢90年を超える老機関車の貫禄は十分すぎるほどだ。そして、ゆっくりと停止した。シューシューという息づかいが聞こえてくる。停車時間は5分。この5分の間に、一瞬一瞬の絵をどれだけ切り取ることができるか。
やがて列車からは人が降りてきて、記念撮影を始めた。3分後、人吉行の下り普通列車が入線。脇役、キハ31である。風景は刻一刻と変わる。一つとして同じ風景はない。そして、ひとたび過ぎ去った一瞬はもう二度と戻っては来ない。機関車から吐き出される煙の表情も、一刹那ごとに全く異なるものへと変貌してゆく。15時26分、優しく煙を吐き続ける機関車、淡い反照を映す客車、逆光に映える桜の木、ぽつんと佇む下り普通列車。やがて構内は白煙に染まりゆく。やはり忘我の境地でシャッターを切り続ける。辺りを飛び交うトンボをかわすため、連写は欠かせない。
そして発車時刻。今まで穏やかに吐き出されていた煙は一転、みるみるうちに質量感のある重厚な黒煙となって空高く噴き上がった。縦構図の画面いっぱいに広がる煙の輪郭、そして陰影が、夕刻の斜光線に照らし出されてくっきりと浮かび上がる。煙とは、ここまで美しいものなのか。じきに雲散霧消する運命にありながら、光線の力を借りて束の間の華やかな姿を体現する。それは、ほれぼれするような造形であった。ドレーン解放、力強いドラフト音。「ボッ、ボッ」という重たい音響が間歇的に空気を震わせる。どす黒い煙が煙突から吐き出されると同時に、ロッドがゆっくりと往復し、動輪は鉄路を踏みしめてゆく。蒸気機関車は生きている。強靱に生きているのだ。
列車が去った後の駅は、何ごともなかったかのようにもとの静寂を取り戻した。かすかな残り香と、白い煙幕の残骸。5分間とは思えないほど、長い5分間であった。感覚は永遠の記憶となって、脳に刻み込まれる。
・帰路
午前中の空路2便は台風の影響で欠航になったようだが、どうやら午後からは遅れながらも飛んでいるらしい。本当に運が良かった。白石駅は、撮影行のクライマックスにして、行程の分水嶺でもあった。夜の便まで欠航が決まれば、SLの後を追う普通列車で新八代まで出て、九州新幹線、山陽新幹線、東海道新幹線を延々乗り継いで今日中に帰京するプランが待っていた。しかし、この様子だとその必要はなさそうだ。予定通り、タクシーを呼んで隣の球泉洞まで1駅戻る。白石には停まらない九州横断特急で人吉まで出た。
人吉から先はまたもやキハ31 12。球磨川第二橋梁でも白石でも登場し、本日大活躍である。吉松までの区間は極めて険しい山岳地帯で、よくぞこんなところに鉄道を通したものだと思う。SL時代はきっと凄まじい輸送風景が日々繰り返されたことだろう。単行列車はエンジンを唸らせながら坂を這い上がっていく。途中には大畑、矢岳、真幸の3駅しかないが、終着までは60分もかかる。大畑、真幸は有名なスイッチバック駅でなかなか面白い。また、日本三大車窓の一つに数えられる矢岳~真幸間の車窓は、淡い黄昏の空に包まれたえびの高原と霧島連山の絶景であった。遠くには煙を吐く桜島もぼんやりと見える。一日の締めくくりにふさわしい、心にしみ入る車窓であった。
乗車券は「西大山→嘉例川」。旅の終着駅は、あの嘉例川である。吉松で隼人行きに乗り換え、温かい白熱灯にライトアップされた夜の嘉例川駅に降り立った。ここから空港まではタクシーでわずか10分ほど。最後の時間は、木造駅舎の温もりの中で過ぎていった。
写真
1枚目:球磨川の流れとともに(@瀬戸石~海路)
2枚目:産業遺産のトラス橋を渡る(@那良口~渡)
3枚目:夕刻の小休止(@白石)
5320文字
9/16
新八代633 → 八代636
鹿児島本線6321M クハ814-10
八代642 → 海路734
肥薩線1223D キハ31 12
撮影(海路):
※車両表記は左が八代方
1224D[819] 普通列車 キハ140 2039
海路830 → 渡901
肥薩線1225D キハ140 2125
撮影(球磨川第二橋梁):
1081D[953] 特急くまがわ1号 キハ185+キハ185 16
1074D[1017] 九州横断特急4号 キハ185+キハ185 16
8241レ[1158] SL人吉 オハフ50 702+オハ50 701+オハフ50 701+58654
1227D[1211] 普通列車 キハ31 12
渡1243 → 球泉洞1258
肥薩線1228D キハ31 12
球泉洞観光
球泉洞1424 → 白石1430
肥薩線1230D キハ40 8102
撮影(白石):
8242レ[1523-1528] SL人吉 58654+オハフ50 702+オハ50 701+オハフ50 701
1231D[1526-1527] 普通列車 キハ31 12
白石1535 → 球泉洞1545
一勝地タクシー 熊本500あ2623
球泉洞1601 → 人吉1622
肥薩線1073D 九州横断特急3号 キハ185 1008
人吉1709 → 吉松1809
肥薩線1257D キハ31 12
吉松1828 → 嘉例川1902
肥薩線4237D キハ40 2068
嘉例川 → 鹿児島空港
妙見タクシー
鹿児島(KOJ)2035 → 東京・羽田(HND)2215
ソラシドエア82便(SNA082)
・球磨川に寄り添って
八代を出た肥薩線は、悠々と流れる球磨川に沿って内陸へと分け入ってゆく。国鉄の遺産、キハ31の単行列車である。この時間帯、深い谷間にまだ日は差し込まない。瀬戸石で長停し普通列車と九州横断特急と交換した後、次の海路で列車を降りた。この一帯、すなわち瀬戸石、海路、吉尾と続く区間には球磨川に架かる橋がなく、対岸の人吉街道から隔絶された静かな世界が広がっている。
朝の海路は、幻想的な風景であった。山並みに切り取られた朝の太陽光線が、陰影のついた幾多もの平行線となって谷間を斜めに横切る。川面にはさざ波が煌めき、日の昇り始めた空を映して淡い灰色に光っている。駅のすぐ近くにある海路の集落は球磨川に注ぐ沢を囲む形でひっそりと佇み、まるで山と川が織りなす世界にぽつんと区画された小さな庭園のようだ。しかし、空家や廃屋が目立つ。人はあまり住んでいないらしい。また少し奥には海路小学校の建物があるが、既に廃校になったと見える。しかし荒廃している感じはないので、もしかしたら地域の集会所のような形で利用されているのかもしれない。
突如として現れたのは、キハ140の単行列車であった。まさか肥薩線でキハ40系列に会えるとは思っていなかったので、驚いた。アイボリーの下地に青い帯を纏う九州カラーは、深い山の緑、そして澄んだ空の色に実によく映える。そして川沿いを去りゆく後追いの構図は、絵画のような風景である。轍の音が谷に反響し、まるで列車が対岸を走っているかのような錯覚に陥る。わずか1時間足らずの滞在ではあったが、南部とはまったく異なる表情の肥薩線を楽しむことができた。
・球磨川第二橋梁
次の下り列車で渡へ向かう。嬉しいことに、観光列車いさぶろうの車両であった。普通列車でも運用されているらしい。日はずいぶんと高くなり、いよいよ暑くなってきた。まずは食料調達のため、渡で下車後コンビニを目指して西人吉方面へ20分ほど歩く。ところが、まさかの改装中。完全に歩く修行であった。撮影地の球磨川第二橋梁は那良口方面にあるので、同じ道をとぼとぼと引き返す。幸いなことに駅から近いところに魚屋を称する商店があり、ここでパンを調達することができた。これなら始めから那良口方面に歩いていたら良かったことになるが、予習できなかったものは仕方ない。
縦構図で橋梁を正面打ちする場所は、橋のたもとの集落を奥まで進んだところにある。かなり狭い場所で、ベストの構図を作るのであれば2人くらいが限界だろうか。今回ばかりは三脚を構え、画面を固める。10時前後に特急くまがわと、その返しの九州横断特急が通過して以降は、1時間40分もの待ち時間である。日陰でパンを食べながら、ただただ座って時が過ぎるのを待つ。日陰といっても、正午が近付くにつれてトップライトが厳しくなり、どんどん日なたになっていく。関東は台風で暴風雨のようだが、こちらの空は晴れ渡り、日差しが容赦なく照りつけてくる。
山間に汽笛一声。赤いトラス橋が織りなす美しい幾何学文様の向こう側に、8620形が姿を現した。こういう瞬間は、本当に無心になる。一切の障壁を介さずに外界と自我がぴったり接触する感覚である。はっと我に返ったのは、連写をしすぎて書き込み速度のキャパオーバーになり、押し込んだシャッターボタンが反応しなくなった瞬間であった。「えっ」と思ったが、それでも辛うじて残り数枚は撮れた。とにかく、鉄のトンネルの中をこちらに向かって突き進んでくる機関車が、刻一刻と表情を変えてゆくさまを、忘我の境地で素子に焼き付けていったのだ。自我の制御の範疇を超えて、脳と身体が勝手に動いていたようにも思える。しかし機関車が橋を渡り終えたその時、ようやく、ようやく正気に戻って1/500秒間の対面ができた。このために、今日はここまで来たのだ。やはり、鉄道撮影はやめられない。
・球泉洞
SLの後を追ってくる副産物のキハ31普通列車を撮り、駅へ戻る。そして人吉で折り返してきた同じキハ31に乗り、今度は球泉洞へ向かう。撮影の合間に鍾乳洞を探訪するというプランである。当初は駅から歩く予定であったが、送迎サービスがあるようなのでこれを利用してみる。駅に書いてあった電話番号にかけると、軽自動車で迎えに来てくれた。乗ってみると、意外にも遠い。しかも当初歩く予定だった対岸の旧道はもはや廃道になって使われておらず、少し遠回りして新道の球泉洞トンネルを通って到着となった。これは歩いていたらまた修行になるところだったかもしれない。
鍾乳洞はやはり面白い。毎回毎回、しつこいくらいにこの例えを使っているが、水のしたたる石灰岩の岩肌はまるで生きた腸管粘膜のようだ。見れば見るほど、質感がよく似ている。そして天井からぶら下がる無数の鍾乳石、地面に生えている数多もの石筍。これらも、まるで小腸の内腔面をぎっしりと埋め尽くす顕微的な絨毛構造を間近で見ているかのようだ。ぽたぽたと水の滴る音、足下を轟々と流れゆく地下水の川は、粘膜から分泌される消化液か、それとも管壁の奥深くを走るリンパ流か、血流か。そう考えると、あたかも生体の中を歩いて探索しているかのような気分になる。これはただの洞窟ではない。もはや組織(tissue)、そして器官(organ)と呼んでもおかしくはない。人知を超越した時間の流れの中、組織学的(histological)な構造と、生理学的(physiological)な営みが脈々と受け継がれてきたことが感じ取れる。まあこの文章だけを読むと、自分はいかにも頭がおかしい人間に思われるかもしれないが、しかし実際に鍾乳洞を歩いてみると、本当に自然の摂理が生み出すものの共通性を随所に実感するのだ。
・白石
球泉洞から1駅、白石駅に降り立った。上りのSL人吉はここで迎え撃つ。夥しい数のトンボが景色の中を飛び交う中、列車は重たい足取りでゆっくりと入線してきた。3両の客車のみを従えた小ぢんまりした編成だが、車齢90年を超える老機関車の貫禄は十分すぎるほどだ。そして、ゆっくりと停止した。シューシューという息づかいが聞こえてくる。停車時間は5分。この5分の間に、一瞬一瞬の絵をどれだけ切り取ることができるか。
やがて列車からは人が降りてきて、記念撮影を始めた。3分後、人吉行の下り普通列車が入線。脇役、キハ31である。風景は刻一刻と変わる。一つとして同じ風景はない。そして、ひとたび過ぎ去った一瞬はもう二度と戻っては来ない。機関車から吐き出される煙の表情も、一刹那ごとに全く異なるものへと変貌してゆく。15時26分、優しく煙を吐き続ける機関車、淡い反照を映す客車、逆光に映える桜の木、ぽつんと佇む下り普通列車。やがて構内は白煙に染まりゆく。やはり忘我の境地でシャッターを切り続ける。辺りを飛び交うトンボをかわすため、連写は欠かせない。
そして発車時刻。今まで穏やかに吐き出されていた煙は一転、みるみるうちに質量感のある重厚な黒煙となって空高く噴き上がった。縦構図の画面いっぱいに広がる煙の輪郭、そして陰影が、夕刻の斜光線に照らし出されてくっきりと浮かび上がる。煙とは、ここまで美しいものなのか。じきに雲散霧消する運命にありながら、光線の力を借りて束の間の華やかな姿を体現する。それは、ほれぼれするような造形であった。ドレーン解放、力強いドラフト音。「ボッ、ボッ」という重たい音響が間歇的に空気を震わせる。どす黒い煙が煙突から吐き出されると同時に、ロッドがゆっくりと往復し、動輪は鉄路を踏みしめてゆく。蒸気機関車は生きている。強靱に生きているのだ。
列車が去った後の駅は、何ごともなかったかのようにもとの静寂を取り戻した。かすかな残り香と、白い煙幕の残骸。5分間とは思えないほど、長い5分間であった。感覚は永遠の記憶となって、脳に刻み込まれる。
・帰路
午前中の空路2便は台風の影響で欠航になったようだが、どうやら午後からは遅れながらも飛んでいるらしい。本当に運が良かった。白石駅は、撮影行のクライマックスにして、行程の分水嶺でもあった。夜の便まで欠航が決まれば、SLの後を追う普通列車で新八代まで出て、九州新幹線、山陽新幹線、東海道新幹線を延々乗り継いで今日中に帰京するプランが待っていた。しかし、この様子だとその必要はなさそうだ。予定通り、タクシーを呼んで隣の球泉洞まで1駅戻る。白石には停まらない九州横断特急で人吉まで出た。
人吉から先はまたもやキハ31 12。球磨川第二橋梁でも白石でも登場し、本日大活躍である。吉松までの区間は極めて険しい山岳地帯で、よくぞこんなところに鉄道を通したものだと思う。SL時代はきっと凄まじい輸送風景が日々繰り返されたことだろう。単行列車はエンジンを唸らせながら坂を這い上がっていく。途中には大畑、矢岳、真幸の3駅しかないが、終着までは60分もかかる。大畑、真幸は有名なスイッチバック駅でなかなか面白い。また、日本三大車窓の一つに数えられる矢岳~真幸間の車窓は、淡い黄昏の空に包まれたえびの高原と霧島連山の絶景であった。遠くには煙を吐く桜島もぼんやりと見える。一日の締めくくりにふさわしい、心にしみ入る車窓であった。
乗車券は「西大山→嘉例川」。旅の終着駅は、あの嘉例川である。吉松で隼人行きに乗り換え、温かい白熱灯にライトアップされた夜の嘉例川駅に降り立った。ここから空港まではタクシーでわずか10分ほど。最後の時間は、木造駅舎の温もりの中で過ぎていった。
写真
1枚目:球磨川の流れとともに(@瀬戸石~海路)
2枚目:産業遺産のトラス橋を渡る(@那良口~渡)
3枚目:夕刻の小休止(@白石)
5320文字
南九州撮影行 2日目
2013年9月15日 鉄道と旅行
薩摩の地を走る国鉄型気動車。
・日本最南端駅へ
撮影行の朝は早い。この世界でも「早起きは三文の得」とはよく言われる格言のようで、典型的な例としては早朝の時間帯に貨物列車や夜行列車が立て続けにやってきたり、特殊な列車運用があったりする場合が多い。ただし今回の「得」はもっと地味なもので、山川以西の区間で3本の列車を撮ることができるというささやかな楽しみである。山川~枕崎間は鹿児島中央~山川間に比べて極端に本数が少なく、日中は5時間以上列車が来ない時間帯もある。しかし早朝は比較的本数が密なので、開聞岳バックの有名撮影地で朝の撮影を楽しめる。
日本最南端の駅、西大山から歩くこと25分ほど、跨線橋からストレートの線路を小俯瞰する撮影地に到着した。背後には雄大な開聞岳の山容。稜線の左手奥には東シナ海が小さくのぞく。開聞岳は本当に美しい山で、左右対称で均整のとれた姿は薩摩富士の名にふさわしい。70年近く前、知覧を離陸した数々の特攻隊員は、ランドマークたるこの開聞岳を横目に故郷に別れを告げながら東シナ海へ針路をとり、死出の旅路についたという。沈黙した山が泰然と居座る景色の中、列車はまぶしい朝日を一面に浴びて、トコトコと指宿枕崎線の鉄路を踏みしめてゆく。
・宮ヶ浜
西大山の駅に戻ると、車でここまで来たと思しき観光客でにぎわっていた。その多くは、列車がこの時間に来ることを知らなかったようである。列車に乗り込んだのは我々を含めたったの3人であった。指宿では少し時間があったので、駅撮りを楽しむ。ちょうどキハ40どうしの連結作業が行われ、構内には2編成のキハ40系列が停車中。快速なのはなを先に見送り、後を追う普通列車で指宿を去る。3月の鹿児島旅行の日記を見返してみたら、当時と同じ列車であった。そういえばあの時は、なのはなにぎりぎり間に合わず、後続の普通列車で鹿児島中央まで向かったのだった。
錦江湾に面した宮ヶ浜という駅で列車を降りる。今日の撮影は、ここから急に忙しくなる。西大山の撮影地では1時間以上の待ち時間があったというのに、指宿以北では、上下線を合わせると10~20分か場合によってはそれよりも短い間隔で列車がやって来るので、1本ごとに微妙に場所を変えるとなるとかなり慌ただしい。防波堤からの望遠、漁港の突堤からの側面打ちを中心に、1本ごとに画面を作っていく。しかし障害物が予想外に多く、それらを上手い具合にカットするのになかなか骨が折れる。さらに台風が接近しているとあり、空は晴れて日差しは燦々と降り注いでいるものの、海はだいぶ荒れていた。
・風の試練
昼前の列車で一駅隣の薩摩今和泉へ向かう。生見方面へ歩いたところにある築堤のインカーブで下り列車をしっかり押さえた後、しばしの昼休みである。今日は暑いし、とにかく風が強い。日差しも強い。食料のパンをかじっていたら、何やら切り口に黒い粒がついている。バニラビーンズでも入っているのかと思いきや、地面に置いていた荷物はいつの間にか一面にカビが生えたかのごとく埃をかぶっていた。分かった、これは火山灰だ。南東の海上に台風がいるということは、今日の薩摩半島には強い北風が吹くということになる。今まさに、桜島から運ばれてきた火山灰をかぶっていることになる。
S字カーブの後追いで海側にカメラを振ったとき、レンズをやられてしまった。灰は常に飛んできているわけではなく、大量の灰が時おり突発的に運ばれてくるようだ。実にタイミングが悪かった。しかし画面に影響はなさそうなので、レンズは後で屋内へ入ったときにクリーニングするとして、とりあえずサングラスに帽子をかぶり、それに濡れタオルを巻いて口と鼻を覆う。異様な出で立ちになりつつも撮影を継続し、予定通り歩いて観音崎に到着した。ここでは踏切からの標準的なストレート、それに後追いと、トンネルのポータル上からの俯瞰撮影を行った。いかにも九州の残暑といったような画面が出来上がる。
・錦江湾
指宿枕崎線は事前にキハ40系列の充当列車を徹底的に調べ上げていたが、今のところ読みは外れていない。今日の撮影スケジュールはキハ40系列を中心に組まれていて、とにかく貪欲に、1枚でも多く新しい絵を作ることを目指している。普段ならそこで出てくるのは「撮ったら乗れない、乗ったら撮れない」という徒歩鉄特有のジレンマだが、しかしこれを解決するのは他ならぬ路線バスである。鹿児島交通のバスが絶妙なタイミングで走っているので、これに乗って喜入を通り越し、平川~瀬々串まで一気に向かった。
下車したのは蛸山というバス停。海のすぐ近くにある駐車場から、頴娃街道と並走する指宿枕崎線の列車をとらえることができる。ここは風の強さがとくに異常で、立っているのがやっとくらいであった。思えば、東北では雪に埋もれ、あられに打たれ、豪雨に濡れ、そして九州では風に吹かれ、火山灰にまみれ、日差しに焼かれてと、これまで数々の過酷な撮影を経験してきたわけだ。
その後、俗に「そば屋カーブ」と呼ばれているらしい有名撮影地へと移動する。道が非常に分かりにくかったが、ここでもGPSが役に立った。5月に移行したスマホの利便性をつくづく実感する。もはや旅行に地図は不要なわけだが、しかしこういう便利な機能ばかり使っていてはどんどん思考力が低下し、いずれ紙の地図が読めなくなる日が来るのではないかと、少し不安になる。この有名撮影地は錦江湾をバックにして、右奥から曲がってきた列車を正面からとらえる場所である。しかし周囲の樹木の生長が著しく、どう頑張っても教科書的な構図にはなりえない。それでも、欄干の柵に足をかけて高さを稼いだり、構図を研究してなるべく障害物をカットして、何とか撮影。ここも風がとにかく強く、線路に転落する恐怖と背中合わせであった。しかし、コバルトブルーの海を背景にカーブを曲がる列車は、やはり美しい。有名撮影地には有名撮影地たるゆえんがあるのだ。
そして特筆すべきは、特急指宿のたまて箱。3月の鹿児島旅行で初めて見たときには実にとんでもない車両だと思ったが、改めてファインダー越しに対面してみると、じわじわ訴えかけてくるものがある。屋根にまで伸びる正中線ですっぱりと左右に分割された塗装は、もちろん奇をてらった部分もあるのだろうが、しかし白と黒、光と影、正と負、陽性と陰性といった相克する二面性を見事に体現しているように思える。人間を含めあらゆるものの中に潜むこの二面性が、容赦なく見せつけられているかのようだ。
4本を撮影した後は近くの浜辺へ降りた。沖合にはたくさんの船が見える。喜入に石油備蓄基地があるためか、タンカーが多い。離島から帰ってきたと思しきカーフェリーもある。西日に染まりゆく浜辺でのんびりとしながら、オマケのような撮影を行った。
・夕刻の喜入
本日最後の撮影地は、喜入近くの水田地帯である。夕刻の斜光線に染め上げられた金色の稲穂を絡めて、3本の列車を撮影した。日中こそ暑かったが、このくらいの時間帯になると、心なしか風は秋を感じさせる。逆光に映える野焼きの煙、黒い稜線へと沈んでゆく橙色の太陽。どことなく漂う寂寥感に身を包まれ、一日が終わってゆく。早朝に朝日を浴びた開聞岳を撮っていたのが、はるか昔のことのようだ。灼熱の宮ヶ浜、白昼の火山灰、吹き荒れる強風。いつも黄昏時になると、意図せずともその日の出来事が回想される。そうして一日を回想し、非日常を回想し、やがては日常も非日常もひっくるめた全ての時間を回想し、新たなる明日が形作られてゆく。それはまるで、極めて複雑な漸化式に従って生きているかのようだ。
・新八代へ
「わっぜえか丼」という独特の料理を鹿児島中央で食べた後、九州新幹線に乗り込んだ。そういえば、鹿児島本線の八代~川内はだいぶ昔に第三セクター化されてしまったのだった。あれは中1の夏だったか、まだこの区間が鹿児島本線だった頃、車窓から見た水俣の海、夏の不知火海が素晴らしく美しかったことは、今でもよく覚えている。新幹線は無情にもトンネルで内陸を貫き、ぐいぐいとスピードを上げていく。
写真
1枚目:開聞岳に抱かれて(@大山~西大山)
2枚目:錦江湾沿いを走る(@平川~瀬々串)
3枚目:黄昏時(@喜入~前之浜)
5555文字
9/15
山川615 → 西大山626
指宿枕崎線5321D キハ40 8056
撮影(大山~西大山):
※車両表記は左が鹿児島中央方
1328D[707] 普通列車 キハ47 8051+キハ47 9097
5323D[729] 普通列車 キハ40 8063
5322D[832] 普通列車 キハ40
西大山829 → 指宿916
指宿枕崎線5324D キハ40 8063
指宿940 → 宮ヶ浜947
指宿枕崎線1336D キハ47 131
撮影(薩摩今和泉~宮ヶ浜):
1329D[955] 普通列車 キハ47 or 147+キハ47 or 147
1338D[1017] 普通列車 キハ40 8063+キハ40 8056
1331D[1024] 普通列車 キハ200+キハ200
3071D[1039] 特急指宿のたまて箱1号 キハ140 2066+キハ47 9079+キハ47 8060
3072D[1100] 特急指宿のたまて箱2号 キハ140 2066+キハ47 9079+キハ47 8060
1333D[1106] 普通列車 キハ47 8124+キハ47 9078
宮ヶ浜1126 → 薩摩今和泉1130
指宿枕崎線1340D キハ200-1010
撮影(生見~薩摩今和泉 インカーブ):
1335D[1148] 普通列車 キハ147 105+キハ47 9046
撮影(生見~薩摩今和泉 S字カーブ):
1342D[1223] 普通列車 キハ147 30+キハ147 1055
3073D[1236] 特急指宿のたまて箱3号 キハ140 2066+キハ47 9079+キハ47 8060
撮影(生見~薩摩今和泉 ストレート):
1337D[1257] 普通列車 キハ47 or 147+キハ47 9097
3074D[1306] 特急指宿のたまて箱4号 キハ140 2066+キハ47 9079+キハ47 8060
撮影(生見~薩摩今和泉 俯瞰):
1344D[1347] 普通列車 キハ147 105+キハ47 9046
観音崎1407 → 蛸山1440
鹿児島交通バス 鹿児島200か1437
撮影(平川~瀬々串 海岸線その1):
1341D[1445] 普通列車 キハ47+キハ47
撮影(平川~瀬々串 錦江湾バック):
1346D[1519] 普通列車 キハ47 8124+キハ47 9078
1343D[1530] 普通列車 キハ147 105+キハ47 8046
3076D[1540] 特急指宿のたまて箱6号 キハ140 2066+キハ47 9079+キハ47 8060
343D[1549] 普通列車 キハ200-1503+キハ200
撮影(平川~瀬々串 海岸線その2):
344D[1619] 普通列車 キハ200-1503+キハ200
1347D[1631] 普通列車 キハ47+キハ47
平川1652 → 喜入1704
指宿枕崎線345D キハ200-9
撮影(喜入~前之浜):
1352D[1752] 普通列車 キハ47 8051+キハ47 9097
1349D[1757] 普通列車 キハ200+キハ200
1354D[1814] 普通列車 キハ147 105+キハ47 9046
喜入1835 → 鹿児島中央1919
指宿枕崎線350D キハ200-1502
鹿児島中央2053 → 新八代2138
九州新幹線5414A さくら414号 788-7019
新八代泊(東横イン)
・日本最南端駅へ
撮影行の朝は早い。この世界でも「早起きは三文の得」とはよく言われる格言のようで、典型的な例としては早朝の時間帯に貨物列車や夜行列車が立て続けにやってきたり、特殊な列車運用があったりする場合が多い。ただし今回の「得」はもっと地味なもので、山川以西の区間で3本の列車を撮ることができるというささやかな楽しみである。山川~枕崎間は鹿児島中央~山川間に比べて極端に本数が少なく、日中は5時間以上列車が来ない時間帯もある。しかし早朝は比較的本数が密なので、開聞岳バックの有名撮影地で朝の撮影を楽しめる。
日本最南端の駅、西大山から歩くこと25分ほど、跨線橋からストレートの線路を小俯瞰する撮影地に到着した。背後には雄大な開聞岳の山容。稜線の左手奥には東シナ海が小さくのぞく。開聞岳は本当に美しい山で、左右対称で均整のとれた姿は薩摩富士の名にふさわしい。70年近く前、知覧を離陸した数々の特攻隊員は、ランドマークたるこの開聞岳を横目に故郷に別れを告げながら東シナ海へ針路をとり、死出の旅路についたという。沈黙した山が泰然と居座る景色の中、列車はまぶしい朝日を一面に浴びて、トコトコと指宿枕崎線の鉄路を踏みしめてゆく。
・宮ヶ浜
西大山の駅に戻ると、車でここまで来たと思しき観光客でにぎわっていた。その多くは、列車がこの時間に来ることを知らなかったようである。列車に乗り込んだのは我々を含めたったの3人であった。指宿では少し時間があったので、駅撮りを楽しむ。ちょうどキハ40どうしの連結作業が行われ、構内には2編成のキハ40系列が停車中。快速なのはなを先に見送り、後を追う普通列車で指宿を去る。3月の鹿児島旅行の日記を見返してみたら、当時と同じ列車であった。そういえばあの時は、なのはなにぎりぎり間に合わず、後続の普通列車で鹿児島中央まで向かったのだった。
錦江湾に面した宮ヶ浜という駅で列車を降りる。今日の撮影は、ここから急に忙しくなる。西大山の撮影地では1時間以上の待ち時間があったというのに、指宿以北では、上下線を合わせると10~20分か場合によってはそれよりも短い間隔で列車がやって来るので、1本ごとに微妙に場所を変えるとなるとかなり慌ただしい。防波堤からの望遠、漁港の突堤からの側面打ちを中心に、1本ごとに画面を作っていく。しかし障害物が予想外に多く、それらを上手い具合にカットするのになかなか骨が折れる。さらに台風が接近しているとあり、空は晴れて日差しは燦々と降り注いでいるものの、海はだいぶ荒れていた。
・風の試練
昼前の列車で一駅隣の薩摩今和泉へ向かう。生見方面へ歩いたところにある築堤のインカーブで下り列車をしっかり押さえた後、しばしの昼休みである。今日は暑いし、とにかく風が強い。日差しも強い。食料のパンをかじっていたら、何やら切り口に黒い粒がついている。バニラビーンズでも入っているのかと思いきや、地面に置いていた荷物はいつの間にか一面にカビが生えたかのごとく埃をかぶっていた。分かった、これは火山灰だ。南東の海上に台風がいるということは、今日の薩摩半島には強い北風が吹くということになる。今まさに、桜島から運ばれてきた火山灰をかぶっていることになる。
S字カーブの後追いで海側にカメラを振ったとき、レンズをやられてしまった。灰は常に飛んできているわけではなく、大量の灰が時おり突発的に運ばれてくるようだ。実にタイミングが悪かった。しかし画面に影響はなさそうなので、レンズは後で屋内へ入ったときにクリーニングするとして、とりあえずサングラスに帽子をかぶり、それに濡れタオルを巻いて口と鼻を覆う。異様な出で立ちになりつつも撮影を継続し、予定通り歩いて観音崎に到着した。ここでは踏切からの標準的なストレート、それに後追いと、トンネルのポータル上からの俯瞰撮影を行った。いかにも九州の残暑といったような画面が出来上がる。
・錦江湾
指宿枕崎線は事前にキハ40系列の充当列車を徹底的に調べ上げていたが、今のところ読みは外れていない。今日の撮影スケジュールはキハ40系列を中心に組まれていて、とにかく貪欲に、1枚でも多く新しい絵を作ることを目指している。普段ならそこで出てくるのは「撮ったら乗れない、乗ったら撮れない」という徒歩鉄特有のジレンマだが、しかしこれを解決するのは他ならぬ路線バスである。鹿児島交通のバスが絶妙なタイミングで走っているので、これに乗って喜入を通り越し、平川~瀬々串まで一気に向かった。
下車したのは蛸山というバス停。海のすぐ近くにある駐車場から、頴娃街道と並走する指宿枕崎線の列車をとらえることができる。ここは風の強さがとくに異常で、立っているのがやっとくらいであった。思えば、東北では雪に埋もれ、あられに打たれ、豪雨に濡れ、そして九州では風に吹かれ、火山灰にまみれ、日差しに焼かれてと、これまで数々の過酷な撮影を経験してきたわけだ。
その後、俗に「そば屋カーブ」と呼ばれているらしい有名撮影地へと移動する。道が非常に分かりにくかったが、ここでもGPSが役に立った。5月に移行したスマホの利便性をつくづく実感する。もはや旅行に地図は不要なわけだが、しかしこういう便利な機能ばかり使っていてはどんどん思考力が低下し、いずれ紙の地図が読めなくなる日が来るのではないかと、少し不安になる。この有名撮影地は錦江湾をバックにして、右奥から曲がってきた列車を正面からとらえる場所である。しかし周囲の樹木の生長が著しく、どう頑張っても教科書的な構図にはなりえない。それでも、欄干の柵に足をかけて高さを稼いだり、構図を研究してなるべく障害物をカットして、何とか撮影。ここも風がとにかく強く、線路に転落する恐怖と背中合わせであった。しかし、コバルトブルーの海を背景にカーブを曲がる列車は、やはり美しい。有名撮影地には有名撮影地たるゆえんがあるのだ。
そして特筆すべきは、特急指宿のたまて箱。3月の鹿児島旅行で初めて見たときには実にとんでもない車両だと思ったが、改めてファインダー越しに対面してみると、じわじわ訴えかけてくるものがある。屋根にまで伸びる正中線ですっぱりと左右に分割された塗装は、もちろん奇をてらった部分もあるのだろうが、しかし白と黒、光と影、正と負、陽性と陰性といった相克する二面性を見事に体現しているように思える。人間を含めあらゆるものの中に潜むこの二面性が、容赦なく見せつけられているかのようだ。
4本を撮影した後は近くの浜辺へ降りた。沖合にはたくさんの船が見える。喜入に石油備蓄基地があるためか、タンカーが多い。離島から帰ってきたと思しきカーフェリーもある。西日に染まりゆく浜辺でのんびりとしながら、オマケのような撮影を行った。
・夕刻の喜入
本日最後の撮影地は、喜入近くの水田地帯である。夕刻の斜光線に染め上げられた金色の稲穂を絡めて、3本の列車を撮影した。日中こそ暑かったが、このくらいの時間帯になると、心なしか風は秋を感じさせる。逆光に映える野焼きの煙、黒い稜線へと沈んでゆく橙色の太陽。どことなく漂う寂寥感に身を包まれ、一日が終わってゆく。早朝に朝日を浴びた開聞岳を撮っていたのが、はるか昔のことのようだ。灼熱の宮ヶ浜、白昼の火山灰、吹き荒れる強風。いつも黄昏時になると、意図せずともその日の出来事が回想される。そうして一日を回想し、非日常を回想し、やがては日常も非日常もひっくるめた全ての時間を回想し、新たなる明日が形作られてゆく。それはまるで、極めて複雑な漸化式に従って生きているかのようだ。
・新八代へ
「わっぜえか丼」という独特の料理を鹿児島中央で食べた後、九州新幹線に乗り込んだ。そういえば、鹿児島本線の八代~川内はだいぶ昔に第三セクター化されてしまったのだった。あれは中1の夏だったか、まだこの区間が鹿児島本線だった頃、車窓から見た水俣の海、夏の不知火海が素晴らしく美しかったことは、今でもよく覚えている。新幹線は無情にもトンネルで内陸を貫き、ぐいぐいとスピードを上げていく。
写真
1枚目:開聞岳に抱かれて(@大山~西大山)
2枚目:錦江湾沿いを走る(@平川~瀬々串)
3枚目:黄昏時(@喜入~前之浜)
5555文字
南九州撮影行 1日目
2013年9月14日 鉄道と旅行
南九州へ飛ぶ。
・突如、非日常へ
南国の空港に降り立ってから1時間と経たないうちに、我々は山間の撮影地でキハ40の単行列車をファインダー越しに覗いていた。九州の地はまだまだ暑い。しかし、稲刈り間近の田んぼの脇に咲くヒガンバナは9月を告げている。
空港を出てすぐタクシーに乗り、中福良駅方面へ向かうようお願いした。「嘉例川の方へは立派な道があって何回か行ったことあるんだけど、中福良は分からないなあ」とのことだったが、GPSを頼りにまずは空港の裏側へと回ってもらう。滑走路をくぐってしばらく走るといきなり牛舎が姿を現し、道路は農道のような狭さになった。しかし地図の示す通りに暗い林の中へ入り、ぐにゃぐにゃと曲がる狭隘な山道を下っていく。空港から5分と経たないうちにこんな山奥に来てしまった。やがて、肥薩線の線路が姿を現した。少し中福良方面に向かうと景色が開け、アウトカーブの鉄路が山間部の水田地帯を優雅に横切っている。ここはもう、撮影地だ。タクシーが行ってしまうと、そこにはただ九州の暑い9月の風景が広がるのみであった。空路で鉄道撮影に行くのは初の試みであったが、それにしても、まさかここまで唐突に非日常に放り込まれるとは、本当に驚いた。
今回の撮影行は、英国から帰国した日の夜に急遽決定したものである。九州のキハ40系列の姿を収める、またとない機会だ。思い立ったときに動かねば永久に悔いが残ってしまう。残席数わずかだったソラシドエアの学割を早速確保したのであった。
・表木山
アウトカーブの撮影地で単行2本を撮った後は、表木山へ移動する。時おり雲の奥から聞こえてくる轟音は、鹿児島空港に発着する飛行機の音である。ひとつ山を隔てたところに空港があるわけだが、そんなことなど想像もつかないような風景である。表木山駅は草むした線路が印象的な山間の小駅。深緑色の森をバックにして、緑の絨毯の上にぽつんと佇む単行列車の姿は絵になる。特急はやとの風は漆黒の塗装を見に纏う重厚な出で立ち。普通列車と交換した際、黒光りする側面に九州カラーがぎらりと映り込んだのは意外な美しさであった。日当山方面に少し歩いたところにある切通し地点で下り列車を撮った後、列車で移動する。
・大隅横川
この駅は嘉例川と並ぶ、鹿児島県内最古の木造駅舎である。柱には、太平洋戦争中に受けた機銃掃射の跡が残されている。駅舎はなかなか立派な造りで、肥薩線の雰囲気に実に良く合っている。駅から栗野方面へ歩くこと30分、湧水町に入る。本当はトンネル飛び出しの構図を狙ってここまでやってきたのだが、どう見ても線路に近づけるような場所ではなく、やむなく跨線橋から俯瞰することになった。これはこれで深い山奥のような雰囲気が出て面白い。しかし、気温が最も上がる時間帯にてくてく歩いてきたため、ずいぶんと体力を削がれた。コンビニで2リットルのグリーン・ダカラを買って、水分補給を行う。
・川内川橋梁
本日最後の撮影地は、吉松~栗野間の川内川橋梁である。至ってシンプルなガーダー橋だが、1両や2両の列車を収めるのにはちょうど良い。撮影したのは計4本。1本目は並走する道路橋から側面を狙い、2本目は吉松側のたもとから列車を見上げた。3本目はやはり橋のたもとから、今度は線路と同じ高さで構えてみたものの、背景はごちゃごちゃで、2両編成はずでーんと斜めに間延びするという、まるで中学生の鉄道写真みたいになってしまった。最後の列車は外せないということで、今度は栗野側のたもとから俯瞰する形で後追いに懸ける。日没が近くみるみるうちに太陽光が弱まっていく中、通過直前まで色彩と露出を調整して何とか思い通りの一枚になったか。この報われた感じがあるからこそ、鉄道撮影は面白い。
・指宿へ
今晩は山川に宿を取っている。黄昏の栗野駅から「栗野→西大山」の学割乗車券を使い、ひたすら薩摩半島を目指して南下していく。すでに車窓は一面の闇。今日一日の撮影を振り返りながら、しばしの愉悦に浸る。鹿児島空港は、市内に出るのであれば不便な立地なのだろうが、肥薩線の撮影を行うのであればこれほどアクセスの良い空港はない。今朝はまだ東京にいたとは思えないほど、効率の良い撮影プランであった。鹿児島中央で駅弁とビールを買い、指宿枕崎線の車内でささやかな酒宴を楽しみつつ、山川の一つ手前、指宿で列車を降りた。
ここで降りたのは、今村温泉なる銭湯に入浴するためである。山川の宿は既に入浴時間が終了しているため、指宿の銭湯に浸かってみることにした。しかし下調べによれば、ここは恐ろしく古い銭湯のようだ。真っ暗な夜道を数ブロック歩いていくと、銭湯は忽然と姿を現した。白熱灯に照らされた玄関だけが闇に浮かび上がっている。脱衣所の様子はとても21世紀のものとは思えず、備え付けのマッサージチェアや体重計はもはやアンティークの域に達している。浴場は誰もいないかと思いきや、地元民と思しき人々がかわるがわる出入りしていた。ここも凄まじい古さで、ボロボロの鏡、見たことのないような旧式の蛇口など、至るところに時代を感じる。「昭和中期の生き残り銭湯」と評されるのにも非常に納得が行く。お世辞にも衛生的とは言えないが、さすが温泉自体はかなりの浸かり応えがあった。不思議と、今日一日の筋肉疲労が癒されていくかのようだ。昔から指宿の地元の人々に愛され、今も変わらず生き続ける銭湯。今宵、身をもって体験したのは貴重な機会であった。
夜も更ける頃、山川駅に降り立ち、駅からすぐのところにある旅館に入る。安いだけあってトイレも水道もない殺風景な8畳部屋だが、到着が遅く出発が早い今回のスケジュールにはぴったりの宿。何とエアコンが有料だったので、網戸にして扇風機をかける。暑いかと思ったが意外とそうでもなく、あっという間に深い眠りに落ちていった。
写真
1枚目:稲穂を横目に(@中福良~表木山)
2枚目:山間部をゆく(@栗野~大隅横川)
3枚目:黄昏の川内川橋梁(@吉松~栗野)
3781文字
9/14
東京・羽田(HND)820 → 鹿児島(KOJ)1005
ソラシドエア71便(SNA071)
鹿児島空港 → 撮影地
妙見タクシー
撮影(中福良~表木山):
※車両表記は左が八代方
4224D[1049] 普通列車 キハ40 8050
4229D[1115] 普通列車 キハ140 2061
撮影(表木山):
4226D[1159-1208] 普通列車 キハ140 2061
6021D[1207] 特急はやとの風1号 キハ147 1045+キハ47 8092
撮影(表木山~日当山):
4231D[1242] キハ47 8158+キハ47 9077
表木山1311 → 大隅横川1337
肥薩線2930D キハ47 8158
撮影(栗野~大隅横川):
2929D[1414] 普通列車 キハ40
6024D[1442] 特急はやとの風4号 キハ147 1045+キハ47 8092
大隅横川1520 → 栗野1530
肥薩線4228D キハ147 106
撮影(吉松~栗野):
4233D[1552] 普通列車 キハ147 106+キハ40 2068
4235D[1642] 普通列車 キハ140 2061
2934D[1705] 普通列車 キハ47 8126+キハ147
4230D[1755] 普通列車 キハ147 106+キハ40 2068
栗野1837 → 隼人1921
肥薩線4237D キハ47 9077
隼人1938 → 鹿児島中央2021
日豊本線・鹿児島本線6961M クハ816-1006
鹿児島中央2040 → 指宿2147
指宿枕崎線1361D キハ200-7
今村温泉入浴
指宿2304 → 山川2311
指宿枕崎線1363D キハ200-10
山川泊(くりや)
・突如、非日常へ
南国の空港に降り立ってから1時間と経たないうちに、我々は山間の撮影地でキハ40の単行列車をファインダー越しに覗いていた。九州の地はまだまだ暑い。しかし、稲刈り間近の田んぼの脇に咲くヒガンバナは9月を告げている。
空港を出てすぐタクシーに乗り、中福良駅方面へ向かうようお願いした。「嘉例川の方へは立派な道があって何回か行ったことあるんだけど、中福良は分からないなあ」とのことだったが、GPSを頼りにまずは空港の裏側へと回ってもらう。滑走路をくぐってしばらく走るといきなり牛舎が姿を現し、道路は農道のような狭さになった。しかし地図の示す通りに暗い林の中へ入り、ぐにゃぐにゃと曲がる狭隘な山道を下っていく。空港から5分と経たないうちにこんな山奥に来てしまった。やがて、肥薩線の線路が姿を現した。少し中福良方面に向かうと景色が開け、アウトカーブの鉄路が山間部の水田地帯を優雅に横切っている。ここはもう、撮影地だ。タクシーが行ってしまうと、そこにはただ九州の暑い9月の風景が広がるのみであった。空路で鉄道撮影に行くのは初の試みであったが、それにしても、まさかここまで唐突に非日常に放り込まれるとは、本当に驚いた。
今回の撮影行は、英国から帰国した日の夜に急遽決定したものである。九州のキハ40系列の姿を収める、またとない機会だ。思い立ったときに動かねば永久に悔いが残ってしまう。残席数わずかだったソラシドエアの学割を早速確保したのであった。
・表木山
アウトカーブの撮影地で単行2本を撮った後は、表木山へ移動する。時おり雲の奥から聞こえてくる轟音は、鹿児島空港に発着する飛行機の音である。ひとつ山を隔てたところに空港があるわけだが、そんなことなど想像もつかないような風景である。表木山駅は草むした線路が印象的な山間の小駅。深緑色の森をバックにして、緑の絨毯の上にぽつんと佇む単行列車の姿は絵になる。特急はやとの風は漆黒の塗装を見に纏う重厚な出で立ち。普通列車と交換した際、黒光りする側面に九州カラーがぎらりと映り込んだのは意外な美しさであった。日当山方面に少し歩いたところにある切通し地点で下り列車を撮った後、列車で移動する。
・大隅横川
この駅は嘉例川と並ぶ、鹿児島県内最古の木造駅舎である。柱には、太平洋戦争中に受けた機銃掃射の跡が残されている。駅舎はなかなか立派な造りで、肥薩線の雰囲気に実に良く合っている。駅から栗野方面へ歩くこと30分、湧水町に入る。本当はトンネル飛び出しの構図を狙ってここまでやってきたのだが、どう見ても線路に近づけるような場所ではなく、やむなく跨線橋から俯瞰することになった。これはこれで深い山奥のような雰囲気が出て面白い。しかし、気温が最も上がる時間帯にてくてく歩いてきたため、ずいぶんと体力を削がれた。コンビニで2リットルのグリーン・ダカラを買って、水分補給を行う。
・川内川橋梁
本日最後の撮影地は、吉松~栗野間の川内川橋梁である。至ってシンプルなガーダー橋だが、1両や2両の列車を収めるのにはちょうど良い。撮影したのは計4本。1本目は並走する道路橋から側面を狙い、2本目は吉松側のたもとから列車を見上げた。3本目はやはり橋のたもとから、今度は線路と同じ高さで構えてみたものの、背景はごちゃごちゃで、2両編成はずでーんと斜めに間延びするという、まるで中学生の鉄道写真みたいになってしまった。最後の列車は外せないということで、今度は栗野側のたもとから俯瞰する形で後追いに懸ける。日没が近くみるみるうちに太陽光が弱まっていく中、通過直前まで色彩と露出を調整して何とか思い通りの一枚になったか。この報われた感じがあるからこそ、鉄道撮影は面白い。
・指宿へ
今晩は山川に宿を取っている。黄昏の栗野駅から「栗野→西大山」の学割乗車券を使い、ひたすら薩摩半島を目指して南下していく。すでに車窓は一面の闇。今日一日の撮影を振り返りながら、しばしの愉悦に浸る。鹿児島空港は、市内に出るのであれば不便な立地なのだろうが、肥薩線の撮影を行うのであればこれほどアクセスの良い空港はない。今朝はまだ東京にいたとは思えないほど、効率の良い撮影プランであった。鹿児島中央で駅弁とビールを買い、指宿枕崎線の車内でささやかな酒宴を楽しみつつ、山川の一つ手前、指宿で列車を降りた。
ここで降りたのは、今村温泉なる銭湯に入浴するためである。山川の宿は既に入浴時間が終了しているため、指宿の銭湯に浸かってみることにした。しかし下調べによれば、ここは恐ろしく古い銭湯のようだ。真っ暗な夜道を数ブロック歩いていくと、銭湯は忽然と姿を現した。白熱灯に照らされた玄関だけが闇に浮かび上がっている。脱衣所の様子はとても21世紀のものとは思えず、備え付けのマッサージチェアや体重計はもはやアンティークの域に達している。浴場は誰もいないかと思いきや、地元民と思しき人々がかわるがわる出入りしていた。ここも凄まじい古さで、ボロボロの鏡、見たことのないような旧式の蛇口など、至るところに時代を感じる。「昭和中期の生き残り銭湯」と評されるのにも非常に納得が行く。お世辞にも衛生的とは言えないが、さすが温泉自体はかなりの浸かり応えがあった。不思議と、今日一日の筋肉疲労が癒されていくかのようだ。昔から指宿の地元の人々に愛され、今も変わらず生き続ける銭湯。今宵、身をもって体験したのは貴重な機会であった。
夜も更ける頃、山川駅に降り立ち、駅からすぐのところにある旅館に入る。安いだけあってトイレも水道もない殺風景な8畳部屋だが、到着が遅く出発が早い今回のスケジュールにはぴったりの宿。何とエアコンが有料だったので、網戸にして扇風機をかける。暑いかと思ったが意外とそうでもなく、あっという間に深い眠りに落ちていった。
写真
1枚目:稲穂を横目に(@中福良~表木山)
2枚目:山間部をゆく(@栗野~大隅横川)
3枚目:黄昏の川内川橋梁(@吉松~栗野)
3781文字
さらばロンドンの日々。
・滞在最終日
早いもので、もう1週間が経ってしまった。できることならあまり帰りたくないが、そろそろタイムリミットである。これほどまでに濃縮された8月がかつてあっただろうか。4日~8日の東医体遠征、9日~11日の利尻島、そして今回15日~23日の渡英。かつて有り余っていた時間は、徐々になくなっていく。しかし、時間は作るものでもある。どのように時間を作り、どのように時間を配分するかは、恒久の課題といえよう。
・大英博物館
天候は冷雨。最後の観光は、大英博物館に決めた。まずは斜向かいにある「Munchkin」という店に入り、シェパーズ・パイとエールを頼む。味付けは薄く、実に素朴な味。これが伝統的なイギリス料理ということらしい。この国はよく料理がまずいと評されるが、まあ確かに大陸で食べるような美味しさや華やかさはない。つまるところ、どこまでも素朴なのである。個人的には結構好きではあるが。昼食後は、博物館の見学に移行。しかしとても一日で見て回れるものではないから、有名どころだけを1時間で回るという、パンフレットに書いてあった駆け足コースをたどる。一つ一つをじっくり見る余裕はほとんどない。「絵画は国民のもの」というナショナル・ギャラリーの考え方と同じく、大英博物館も入館料はいらない。気の向いたときに無料で鑑賞できるこの環境はなかなかうらやましい。
いやそれにしても、よくぞここまで世界各国から色々なものをカッパらってきたと思うw とにかくありとあらゆる文化財がそろっている。大英帝国の略奪資料館といっても良いw 訪れた時間帯が昼過ぎということで館内は混雑していたが、中でもミイラの展示室はなかなかの人気で、たくさんの人の熱気で蒸し暑いくらいであった。しかしよくよく考えてみれば、人間の屍が衆目に晒されているわけだから、やはり不気味ではある。個人的には非常に興味深い展示ではあったが、これを死者の冒涜ととらえる向きもあるだろう。その他に印象に残ったものといえば、アステカ文明の「双頭の蛇」。鱗のように散りばめられたエメラルドグリーン色の装飾が美しい。他にも目を見張るような展示はいくらでもあったが、じっくり眺めるのは次の訪英時に回すとしよう。
・さらばロンドン
ヒースロー空港を19時15分に発つ。夢のような非日常であった。急速に日が暮れてゆく機窓を呆然と眺めながら、夏の終わりを悟る。
写真
1枚目:シェパーズ・パイ(食べかけ)
2枚目:双頭の蛇
3枚目:博物館館内
1861文字
8/22
High Street Kensington → Notting Hill Gate
Circle Line
Notting Hill Gate → Tottenham Court Road
Central Line
大英博物館(British Museum)観光
Tottenham Court Road → Notting Hill Gate
Central Line
Notting Hill Gate → High Street Kensington
Circle Line
High Street Kensington → Gloucester Road
Circle Line
Gloucester Road → Heathrow Terminal 1,2 & 3
Piccadilly Line
8/22 → 8/23
London Heathrow(LHR)1915(GMT+1) → 東京・成田(NRT)1430(GMT+9)
日本航空402便(JL402)
・滞在最終日
早いもので、もう1週間が経ってしまった。できることならあまり帰りたくないが、そろそろタイムリミットである。これほどまでに濃縮された8月がかつてあっただろうか。4日~8日の東医体遠征、9日~11日の利尻島、そして今回15日~23日の渡英。かつて有り余っていた時間は、徐々になくなっていく。しかし、時間は作るものでもある。どのように時間を作り、どのように時間を配分するかは、恒久の課題といえよう。
・大英博物館
天候は冷雨。最後の観光は、大英博物館に決めた。まずは斜向かいにある「Munchkin」という店に入り、シェパーズ・パイとエールを頼む。味付けは薄く、実に素朴な味。これが伝統的なイギリス料理ということらしい。この国はよく料理がまずいと評されるが、まあ確かに大陸で食べるような美味しさや華やかさはない。つまるところ、どこまでも素朴なのである。個人的には結構好きではあるが。昼食後は、博物館の見学に移行。しかしとても一日で見て回れるものではないから、有名どころだけを1時間で回るという、パンフレットに書いてあった駆け足コースをたどる。一つ一つをじっくり見る余裕はほとんどない。「絵画は国民のもの」というナショナル・ギャラリーの考え方と同じく、大英博物館も入館料はいらない。気の向いたときに無料で鑑賞できるこの環境はなかなかうらやましい。
いやそれにしても、よくぞここまで世界各国から色々なものをカッパらってきたと思うw とにかくありとあらゆる文化財がそろっている。大英帝国の略奪資料館といっても良いw 訪れた時間帯が昼過ぎということで館内は混雑していたが、中でもミイラの展示室はなかなかの人気で、たくさんの人の熱気で蒸し暑いくらいであった。しかしよくよく考えてみれば、人間の屍が衆目に晒されているわけだから、やはり不気味ではある。個人的には非常に興味深い展示ではあったが、これを死者の冒涜ととらえる向きもあるだろう。その他に印象に残ったものといえば、アステカ文明の「双頭の蛇」。鱗のように散りばめられたエメラルドグリーン色の装飾が美しい。他にも目を見張るような展示はいくらでもあったが、じっくり眺めるのは次の訪英時に回すとしよう。
・さらばロンドン
ヒースロー空港を19時15分に発つ。夢のような非日常であった。急速に日が暮れてゆく機窓を呆然と眺めながら、夏の終わりを悟る。
写真
1枚目:シェパーズ・パイ(食べかけ)
2枚目:双頭の蛇
3枚目:博物館館内
1861文字
自由と放埓の日々。
・グリニッジ
さすがに昨日は歩きまくって疲れたので、午前中は家でぐだぐだする。諸々の雑務や手伝いなどをやっていると、あっという間に正午を過ぎた。しかしせっかくロンドンにいるのにこうして一日が終わるのももったいない話だと思い、午後は思い立ってグリニッジ観光へと足を運ぶことにした。地下鉄とナショナル・レールを乗り継ぎ、1時間ほどで到着。時間があれば、テムズ河を航行する船に乗るという手もあった。ただ観光といっても夕食の予定が決まっていたためにほとんど時間がなく、とりあえず旧王立天文台だけ見て帰ることにした。駅から町の中心部までは10分ほど歩かねばならない。天文台は公園の丘を登った先にある。ここからはクリストファー・レン(Christopher Wren)の建築である旧王立海軍学校が一望のもとで、また遠景左手にはロンドン市街が霞に沈む。なかなか見晴らしがよい場所である。
目玉の天文台は大混雑。東半球と西半球の境目、標準子午線を拝めるとあって、大人気の観光スポットである。ちょうど中国人観光客の団体が訪問していたのも大きいかもしれない。しかしながら、よく見ると本当に混雑しているのは広場にある経度0度線の周辺で、記念写真を撮る人々が長蛇の列をなしている。天文台自体は小ぢんまりした建物であり、こちらにはあまり人が入っていない。天体観測に使われたオクタゴン・ルーム(Octagon room)という美しい八角形の部屋は、すぐそばの海軍学校と同じくレンの作である。天文台の地下は博物館になっていて、時計の歴史が解説されていた。緯度は太陽や北極星の高度を測ればすぐに分かる一方で、経度は太陽の南中時刻のずれをもとに割り出さねばならないが、そのためには航海の揺れにも耐えうる正確な時計が必要だったという歴史的「経緯」があるようだ、なるほどw 時刻が分かるとか、場所が分かるとかは今でこそ当たり前の話だが、偉大な先人たちはただならぬ苦労を重ねてきたということだ。グリニッジは今も世界の時を刻む。
最後に広場の経度0度線を撮ってから、グリニッジを後にする。わずか2時間足らずの短い訪問であった。夜はYASHINという日本料理屋にて寿司を食す。寿司といっても魚と白米を使った創作料理という感じで、本来の寿司とは異なる。しかし、これはこれで美味しい。ロンドン滞在最後の夜となった。
写真
1枚目:旧王立海軍学校
2枚目:初代クロノメータ
3枚目:東西半球を分かつ標準子午線
1649文字
8/21
High Street Kensington → Embankment
Circle Line
London Charing Cross 1517 → London Bridge 1524
Southeastern Service
London Bridge 1531→ Greenwich 1539
Southeastern Service
グリニッジ(Greenwich)観光
Greenwich 1722 → London Bridge 1731
Southeastern Service
London Bridge → Westminster
Jubilee Line
Westminster → High Street Kensington
Circle Line
・グリニッジ
さすがに昨日は歩きまくって疲れたので、午前中は家でぐだぐだする。諸々の雑務や手伝いなどをやっていると、あっという間に正午を過ぎた。しかしせっかくロンドンにいるのにこうして一日が終わるのももったいない話だと思い、午後は思い立ってグリニッジ観光へと足を運ぶことにした。地下鉄とナショナル・レールを乗り継ぎ、1時間ほどで到着。時間があれば、テムズ河を航行する船に乗るという手もあった。ただ観光といっても夕食の予定が決まっていたためにほとんど時間がなく、とりあえず旧王立天文台だけ見て帰ることにした。駅から町の中心部までは10分ほど歩かねばならない。天文台は公園の丘を登った先にある。ここからはクリストファー・レン(Christopher Wren)の建築である旧王立海軍学校が一望のもとで、また遠景左手にはロンドン市街が霞に沈む。なかなか見晴らしがよい場所である。
目玉の天文台は大混雑。東半球と西半球の境目、標準子午線を拝めるとあって、大人気の観光スポットである。ちょうど中国人観光客の団体が訪問していたのも大きいかもしれない。しかしながら、よく見ると本当に混雑しているのは広場にある経度0度線の周辺で、記念写真を撮る人々が長蛇の列をなしている。天文台自体は小ぢんまりした建物であり、こちらにはあまり人が入っていない。天体観測に使われたオクタゴン・ルーム(Octagon room)という美しい八角形の部屋は、すぐそばの海軍学校と同じくレンの作である。天文台の地下は博物館になっていて、時計の歴史が解説されていた。緯度は太陽や北極星の高度を測ればすぐに分かる一方で、経度は太陽の南中時刻のずれをもとに割り出さねばならないが、そのためには航海の揺れにも耐えうる正確な時計が必要だったという歴史的「経緯」があるようだ、なるほどw 時刻が分かるとか、場所が分かるとかは今でこそ当たり前の話だが、偉大な先人たちはただならぬ苦労を重ねてきたということだ。グリニッジは今も世界の時を刻む。
最後に広場の経度0度線を撮ってから、グリニッジを後にする。わずか2時間足らずの短い訪問であった。夜はYASHINという日本料理屋にて寿司を食す。寿司といっても魚と白米を使った創作料理という感じで、本来の寿司とは異なる。しかし、これはこれで美味しい。ロンドン滞在最後の夜となった。
写真
1枚目:旧王立海軍学校
2枚目:初代クロノメータ
3枚目:東西半球を分かつ標準子午線
1649文字
白亜の断崖を歩く。
・南イングランドの海岸へ
昨日と同じく、一人旅はヴィクトリアから始まる。渡英してからというもの、毎日BBC Weatherを確認していたが、ついに今日に決めた。イングランドの南海岸にあるセブン・シスターズという景勝地へ足を運ぶ。紺碧の海にそそり立つ白亜の断崖。今日は雲一つない快晴だというから、さぞかし美しい景色が待っていることだろう。乗ったのはガトウィック(Gatwick)空港を経由してブライトン(Brighton)方面へ向かう列車で、途中のルイス(Lewes)という駅で下車する。デルタ形のプラットホームが印象的な駅で、ここでシーフォード(Seaford)行の支線に乗り換えた。ほどなくして列車は海岸線近くに出る。南の海には真夏の太陽光が燦々と降り注ぎ、眩しい景色である。
シーフォードは小さな無人駅である。下調べの通り、駅を出たところの幹線道路A259を対岸に渡り、左の方に少し進むとバス停がある。やがて2階建ての路線バスがやって来た。パークセンターまでの往復切符を車内で買う。見晴らしが良さそうなので2階席に移動。しばらくは住宅地の中を走るが、突如として町並みが途切れたかと思うと、眼前にはカックミア(Cuckmere)川が削ったなだらかな谷が現れる。車窓右手の景色も突然開けて、少し遠くを見ればセブン・シスターズと思しき断崖が連なっている。バスはこの谷を一直線に下っていき、海抜と同じレベルで川を渡る。そこから少し走れば、セブン・シスターズ散策の起点となるパークセンターに到着となる。
・崖を歩く
この辺り一帯には遊歩道が整備されていて、A259から海岸までの間はのどかな牧草地が広がっている。セブン・シスターズといえども見どころは有名な断崖だけではなく、くねくねと蛇行するカックミア川に沿って歩きながら、色々な景色を楽しむことができる。断崖は河口の東側に連なっている。西側から崖の全貌を眺めるならば夕方の方が光線状態が良いだろうと考え、まずは川の東側に整備されているSouth Downs Wayという道を歩いていくことにした。空の色を映しているのか、川は深い紺碧色で、その対岸ではヒツジの群れがのんびりと草を食んでいる。遠くには丘の稜線が独特の曲線美を描いており、ところどころで干し草のロールがころころ転がっているのが面白い。
遊歩道はなかなか賑わっており、みな思い思いに散策を楽しんでいる。とくにイヌを連れている人が多い。川で水浴びもできれば、広大な自然の中を走り回ることもできる。イヌにとっては至福の散歩だろう。そばには舗装されたコンクリートの小径も並走していて、レンタサイクルで颯爽と駆け抜ける人もいる。ところで、何もセブン・シスターズに限らず、イギリスは少し田舎へ行けばどこでもフットパスが整備されている。そこには必ずしもここのような強烈なスペクタクルがあるわけではないが、純粋に散策を楽しむ、そして景色を、雰囲気を楽しむという、田舎に根ざした素朴な精神とでも呼べば良いのか、イギリス人の原風景や国民性を垣間見るような気がするのである。
徐々に道は上り坂になり、川から離れてぐいぐいと丘を登っていく。水平線も見えてきた。海峡の海は白昼の陽光に煌めいている。パークセンターを出発してから2.5kmほどは歩いただろうか、坂を登りつめた先には絶景が広がっていた。眼下にはカックミア川が白い砂浜を広げながら海へ注いでいる。河口の西側も切り立った崖になっていて、何の前触れもなく突然、陸地の曲面美がそこで断絶しているかのようだ。手前はなだらかな丘陵で、ここをこのまま下って行けば砂浜まで出られそうである。
さらに海の方へと歩いていく。ふいに、目と鼻の先で地面がなくなる。柵もなければ、注意書きも何もない。今まで確かに足を踏みしめながら歩いてきた陸地が、2、3歩進んだ辺りでなくなっている。そう、今まさに自分は、セブン・シスターズの断崖の縁に立っているのだ。左足を崖っぷちに添えて、おそるおそる下を覗き込む。目の眩むような高さ。はるか眼下には、狭隘な浜辺に波が押し寄せる。そして、絶望的なまでの白い崖。チョークでできたこの崖の純白さは、美しさという感覚を通り越して、救いようのない悲愴感や寂寥感までをも連れてくる。カックミア川が優しく蛇行する内陸の風景は一変し、ゆるやかに連続してきた丘陵の地形は突然、ここで無慈悲にもすっぱりと切断される。連続性が絶たれ、微分可能性も否定されて、代わりに目の前には、どこまでも広大な海が深い青色を湛えて静かに横たわるのみである。
断崖は面白い。あらゆる文脈が、問答無用で断絶する。ここは、生と死の境目だ。今立っている場所から一歩踏み出せば、死ぬこともできる。予めことわっておくと、別に自分は何かの精神疾患を抱えているとか、希死念慮があるとか、そういう人ではないけれども、いざこのような場所に立ってみると、足を一歩進めるか否か、たったそれだけのことで生死が分かれるという尋常ならぬ状況に背筋が凍えるとともに、死と隣り合わせになるという異常な感覚に神経系が麻痺してしまうのだ。青い海、青い空、白い崖を眺めながら、しばらくは思索に耽る。
・崖を見る
その後、遊歩道を歩きながら東側の崖を歩いていく。彼方まで段々になって崖が連なる様子は壮観。それにしても、高さ150mのこんな崖っぷちまで開放されているとは、日本ではあり得ない話である。全ては自己責任、という考え方なのだろう。いつの間にか13時を回っていたので、引き返すことにする。来たときとは別の道を戻り、浜辺まで下りてきた。ここはBeach Trailと名の付いた遊歩道で、小ぢんまりした砂浜には海水浴客がいる。波打ち際から見上げるセブン・シスターズの断崖もすばらしい眺めで、青空に突き刺さるような白亜の崖は神秘的ですらある。
浜に沿って西の方へ歩いていくと、カックミア川の河口に行き当たる。対岸まではほんの15mくらいの距離だが、橋がかかっていないので残念ながら渡ることはできない。見たところ、水深は大腿の高さで、流れはそれなりに早い。靴、靴下、ズボンを脱ぎ、それらを抱えて渡ることはあながち不可能でもなさそうだったが、さすがにカメラや貴重品を持っているので危険すぎると判断し、川沿いに内陸まで戻ることにした。"Traditional Viewpoint"と称されるセブン・シスターズの眺望地点は河口西側の崖上にある。そこへ行くために2.5kmも内陸へ引き返し、A259の橋で対岸に渡ってから再び同じ距離を歩いてくるのも実に非効率だが、仕方ない。修行だと思ってひたすら歩き続ける。
40分ほどを要しただろうか。ようやく、西側の丘にやってきた。手前にはCoastguardの家、そして背景にはセブン・シスターズの白い崖が見える。これだけでも十分美しい光景、絵になる光景だが、7連の崖が最も美しく見える場所を探してさらに西側へと歩みを進めていく。ここも断崖になっているがそれほどの高さはない。磯へ下りる階段があったのでこれをつたって海抜レベルに降り立つ。ちょうど干潮の時間で、そこら中の岩には海藻がびっしりとこびりついている。波打ち際までおそるおそる歩いていくと、やっと目当ての構図にたどりついた。海面から忽然と浮かび上がる、7人の修道女である。
・家路
パークセンターのバス停に着いてから4時間あまり、A259と海岸線を2往復したから、ざっと10kmは歩いただろう。予報通り天候は快晴で、満足のいく撮影もできた。帰りはゴールデン・ガリオン(Golden Gallion)のバス停から駅へ戻る。バスは全くダイヤ通りに来ず、列車との接続がぎりぎりであった。
今日はずいぶんと日に焼けた。ゆっくり休むとしよう。
写真
1枚目:崖に立つ
2枚目:断崖絶壁
3枚目:セブン・シスターズ
4163文字
8/20
High Street Kensington → Victoria
Circle Line
London Victoria 947 → Lewes 1052
Southern Service
Lewes 1058 → Seaford 1114
Southern Service
Seaford Station 1122(+6) → Seven Sisters, Park Centre 1131(+3)
Brighton & Hove Bus 12系統
セブン・シスターズ(Seven Sisters)観光
Golden Gallion 1635(+11) → Seaford Station 1654(+9)
Brighton & Hove Bus 12系統
Seaford 1658 → Lewes 1714
Southern Service
Lewes 1719 → London Victoria 1829
Southern Service
Victoria → High Street Kensington
Circle Line
・南イングランドの海岸へ
昨日と同じく、一人旅はヴィクトリアから始まる。渡英してからというもの、毎日BBC Weatherを確認していたが、ついに今日に決めた。イングランドの南海岸にあるセブン・シスターズという景勝地へ足を運ぶ。紺碧の海にそそり立つ白亜の断崖。今日は雲一つない快晴だというから、さぞかし美しい景色が待っていることだろう。乗ったのはガトウィック(Gatwick)空港を経由してブライトン(Brighton)方面へ向かう列車で、途中のルイス(Lewes)という駅で下車する。デルタ形のプラットホームが印象的な駅で、ここでシーフォード(Seaford)行の支線に乗り換えた。ほどなくして列車は海岸線近くに出る。南の海には真夏の太陽光が燦々と降り注ぎ、眩しい景色である。
シーフォードは小さな無人駅である。下調べの通り、駅を出たところの幹線道路A259を対岸に渡り、左の方に少し進むとバス停がある。やがて2階建ての路線バスがやって来た。パークセンターまでの往復切符を車内で買う。見晴らしが良さそうなので2階席に移動。しばらくは住宅地の中を走るが、突如として町並みが途切れたかと思うと、眼前にはカックミア(Cuckmere)川が削ったなだらかな谷が現れる。車窓右手の景色も突然開けて、少し遠くを見ればセブン・シスターズと思しき断崖が連なっている。バスはこの谷を一直線に下っていき、海抜と同じレベルで川を渡る。そこから少し走れば、セブン・シスターズ散策の起点となるパークセンターに到着となる。
・崖を歩く
この辺り一帯には遊歩道が整備されていて、A259から海岸までの間はのどかな牧草地が広がっている。セブン・シスターズといえども見どころは有名な断崖だけではなく、くねくねと蛇行するカックミア川に沿って歩きながら、色々な景色を楽しむことができる。断崖は河口の東側に連なっている。西側から崖の全貌を眺めるならば夕方の方が光線状態が良いだろうと考え、まずは川の東側に整備されているSouth Downs Wayという道を歩いていくことにした。空の色を映しているのか、川は深い紺碧色で、その対岸ではヒツジの群れがのんびりと草を食んでいる。遠くには丘の稜線が独特の曲線美を描いており、ところどころで干し草のロールがころころ転がっているのが面白い。
遊歩道はなかなか賑わっており、みな思い思いに散策を楽しんでいる。とくにイヌを連れている人が多い。川で水浴びもできれば、広大な自然の中を走り回ることもできる。イヌにとっては至福の散歩だろう。そばには舗装されたコンクリートの小径も並走していて、レンタサイクルで颯爽と駆け抜ける人もいる。ところで、何もセブン・シスターズに限らず、イギリスは少し田舎へ行けばどこでもフットパスが整備されている。そこには必ずしもここのような強烈なスペクタクルがあるわけではないが、純粋に散策を楽しむ、そして景色を、雰囲気を楽しむという、田舎に根ざした素朴な精神とでも呼べば良いのか、イギリス人の原風景や国民性を垣間見るような気がするのである。
徐々に道は上り坂になり、川から離れてぐいぐいと丘を登っていく。水平線も見えてきた。海峡の海は白昼の陽光に煌めいている。パークセンターを出発してから2.5kmほどは歩いただろうか、坂を登りつめた先には絶景が広がっていた。眼下にはカックミア川が白い砂浜を広げながら海へ注いでいる。河口の西側も切り立った崖になっていて、何の前触れもなく突然、陸地の曲面美がそこで断絶しているかのようだ。手前はなだらかな丘陵で、ここをこのまま下って行けば砂浜まで出られそうである。
さらに海の方へと歩いていく。ふいに、目と鼻の先で地面がなくなる。柵もなければ、注意書きも何もない。今まで確かに足を踏みしめながら歩いてきた陸地が、2、3歩進んだ辺りでなくなっている。そう、今まさに自分は、セブン・シスターズの断崖の縁に立っているのだ。左足を崖っぷちに添えて、おそるおそる下を覗き込む。目の眩むような高さ。はるか眼下には、狭隘な浜辺に波が押し寄せる。そして、絶望的なまでの白い崖。チョークでできたこの崖の純白さは、美しさという感覚を通り越して、救いようのない悲愴感や寂寥感までをも連れてくる。カックミア川が優しく蛇行する内陸の風景は一変し、ゆるやかに連続してきた丘陵の地形は突然、ここで無慈悲にもすっぱりと切断される。連続性が絶たれ、微分可能性も否定されて、代わりに目の前には、どこまでも広大な海が深い青色を湛えて静かに横たわるのみである。
断崖は面白い。あらゆる文脈が、問答無用で断絶する。ここは、生と死の境目だ。今立っている場所から一歩踏み出せば、死ぬこともできる。予めことわっておくと、別に自分は何かの精神疾患を抱えているとか、希死念慮があるとか、そういう人ではないけれども、いざこのような場所に立ってみると、足を一歩進めるか否か、たったそれだけのことで生死が分かれるという尋常ならぬ状況に背筋が凍えるとともに、死と隣り合わせになるという異常な感覚に神経系が麻痺してしまうのだ。青い海、青い空、白い崖を眺めながら、しばらくは思索に耽る。
・崖を見る
その後、遊歩道を歩きながら東側の崖を歩いていく。彼方まで段々になって崖が連なる様子は壮観。それにしても、高さ150mのこんな崖っぷちまで開放されているとは、日本ではあり得ない話である。全ては自己責任、という考え方なのだろう。いつの間にか13時を回っていたので、引き返すことにする。来たときとは別の道を戻り、浜辺まで下りてきた。ここはBeach Trailと名の付いた遊歩道で、小ぢんまりした砂浜には海水浴客がいる。波打ち際から見上げるセブン・シスターズの断崖もすばらしい眺めで、青空に突き刺さるような白亜の崖は神秘的ですらある。
浜に沿って西の方へ歩いていくと、カックミア川の河口に行き当たる。対岸まではほんの15mくらいの距離だが、橋がかかっていないので残念ながら渡ることはできない。見たところ、水深は大腿の高さで、流れはそれなりに早い。靴、靴下、ズボンを脱ぎ、それらを抱えて渡ることはあながち不可能でもなさそうだったが、さすがにカメラや貴重品を持っているので危険すぎると判断し、川沿いに内陸まで戻ることにした。"Traditional Viewpoint"と称されるセブン・シスターズの眺望地点は河口西側の崖上にある。そこへ行くために2.5kmも内陸へ引き返し、A259の橋で対岸に渡ってから再び同じ距離を歩いてくるのも実に非効率だが、仕方ない。修行だと思ってひたすら歩き続ける。
40分ほどを要しただろうか。ようやく、西側の丘にやってきた。手前にはCoastguardの家、そして背景にはセブン・シスターズの白い崖が見える。これだけでも十分美しい光景、絵になる光景だが、7連の崖が最も美しく見える場所を探してさらに西側へと歩みを進めていく。ここも断崖になっているがそれほどの高さはない。磯へ下りる階段があったのでこれをつたって海抜レベルに降り立つ。ちょうど干潮の時間で、そこら中の岩には海藻がびっしりとこびりついている。波打ち際までおそるおそる歩いていくと、やっと目当ての構図にたどりついた。海面から忽然と浮かび上がる、7人の修道女である。
・家路
パークセンターのバス停に着いてから4時間あまり、A259と海岸線を2往復したから、ざっと10kmは歩いただろう。予報通り天候は快晴で、満足のいく撮影もできた。帰りはゴールデン・ガリオン(Golden Gallion)のバス停から駅へ戻る。バスは全くダイヤ通りに来ず、列車との接続がぎりぎりであった。
今日はずいぶんと日に焼けた。ゆっくり休むとしよう。
写真
1枚目:崖に立つ
2枚目:断崖絶壁
3枚目:セブン・シスターズ
4163文字
保存鉄道の旅。
・蒸気機関車の息吹
ロンドン・ヴィクトリア(Victoria)駅を出た列車は、ぐいぐいと速度を上げながら南へ向かう。1時間足らずでイースト・グリンステッド(East Grinstead)という盲腸線の終点に到着した。ここへ来たのは他でもない、ブルーベル(Bluebell)鉄道に乗りに来たのだ。東医体と利尻旅行が終わってからというもの、2、3日は抜け殻のような生活をしていたわけだが、イギリスのガイドブックをぱらぱらとめくっていて、ふと思い立った。この国には保存鉄道がある。今となっては大陸に比べてずいぶんと遅れをとり、道路網の発達や航空機の隆盛に伴って、鉄道の黄金時代はすっかり過去のものとなってしまった。それでも鉄道発祥の地というだけあって、廃線を復活させた保存鉄道が各地で走っている。異国の地で、生きたSLに出会うというのはなかなか面白そうではないか。ブルーベル鉄道は、1967年に廃線となったハートフィールド(Hartfield)地方のローカル線を復活させた鉄道である。線路がイースト・グリンステッドまで延伸されたのはごく最近のことらしい。昔はナショナル・レールとの接続がなく、イースト・グリンステッドからキングスコート(Kingscote)までバスに乗っていたというから、だいぶ便利になった。首都ロンドンから1時間足らずのところにSLが走り回っているとは、本当にすばらしい。
ナショナル・レールの駅からほど近いところにあるホームで一日乗車券(£16.00)を買って入場すると、シェフィールド・パーク(Sheffield Park)から到着した列車がちょうど機回しをしているところであった。タンク機関車とテンダー機関車の重連が客車から解放され、側線を通って反対側へと走っていく。石炭の香りがほのかに漂い、ピカピカに磨かれた車体からは白い蒸気が吐き出される。蒸気機関車の息吹を身近に感じるのは久しぶりで、まさに現代に生きるくろがねの馬といったところか。馬は水をがぶ飲みして、黒い石を貪り食いながら走る。ボイラーの内部では血管のように張り巡らされた煙管が水を沸騰させ、爆発的な蒸気が運動器たるシリンダーを、ピストンを、ロッドを駆動させるわけだ。鉄の心臓、鉄の肺、鉄の血管、鉄の神経、鉄の骨、鉄の筋肉、すべてが鉄でできている。そして、生きている。
とりあえず全線を走破すべく、終点のシェフィールド・パークまで乗ってみる。ハイシーズンの8月は、ほとんどの日がSL2本体制のダイヤである。途中駅はキングスコート、ホーステッド・ケインズの2つで、いずれの駅も鉄道黄金時代のまま時が止まってしまったかのような姿で良好に保存されている。ホーステッド・ケインズでは上下列車が交換するダイヤが組まれている。唯一残念なのは、機関車の頭が常にイースト・グリンステッド側に向いていることで、線路はほぼ南北に走っているため、北上する上り列車はすべて逆光になってしまう。イースト・グリンステッドに転車台がないのが難点と思われる。保存されているのは蒸気機関車と駅だけではなく、往時の客車はもちろん、腕木式信号や、タブレット閉塞など、ありとあらゆる鉄道設備が昔のまま残されている。まさに保存鉄道という名前そのものであり、日本にこのような場所はなかなかないだろう。
シェフィールド・パークでは機回しが行われ、反対側のホームで炭水車に水が補給される。蒸気機関車の給水風景を見たのは初めてで、レンガ造りのいかめしい給水塔こそないものの、やはり機関車が生き物であることを実感する。その後、駅近くから折返しイースト・グリンステッド行の列車の撮影を試みたが、まったく線路に近付くことができない。そこで望遠でサイドを狙う方針に切り替えたものの、なんと線路は丘陵の窪地のようなところを走っていた。結局列車自体が見えず、牧草地の地平に煙だけが噴き上がるという滑稽な空振り撮影に終わってしまった。
駅へ戻り、併設のショップと博物館を訪れる。ショップは一見子供向けのおみやげがたくさん並んでいるかと思いきや、奥の一角にはガチヲタ向けのコーナーがあり、とくに鉄道書籍の古本が素晴らしかった。SL関連の本、鉄道雑誌のバックナンバーなどなど、いつまでもここで時間を潰せそうである。厳選の上、
"Complete Atlas of Railway Station Names"
"BRITISH RAIL TRACK DIAGRAMS, Eastern & Anglia Regions"
の2冊を購入。前者は廃線、廃駅まで含めたイギリス全土の鉄道線区と鉄道駅を網羅した地図で、眺めているだけで面白い。日本の時刻表とは違いこちらでは全線全駅を載せた地図というのは意外と存在しないので、こういう本はありがたい。後者は配線図で、キングス・クロス(Kings Cross)から始まる東海岸のメインラインを中心に、職人芸の手書きで線路形態が記されている。各駅の側線、引上線、貨物ヤードの配線、連絡線など、あらゆる線路という線路が正確に表現されており、はたから見れば相当にキチガイじみたおみやげw 駅の博物館は反対側のホームにあり、イギリスの鉄道の歴史が充実した資料とともに解説されている。信号システムの仕組み、転轍機の仕組みなどなど、内容はかなりマニアックで面白い。本当はもっとゆっくりと見たかったのだが、発車時刻が迫っているので駆け足になってしまった。
走行写真の撮影は、ホーステッド・ケインズの駅を降りて少しイースト・グリンステッド方面に歩いたところにある、レンガ造りの跨線橋から行うことにした。この辺りは本当にのどかで、牧草地を通る散歩道が整備されている。黙々と草をはむヒツジの群れを見ながら、昼下がりの丘を逍遥する。ヒツジという動物を観察すると意外に面白く、大部分の個体はただひたすら牧草に熱中している一方、木陰に座ってまったりしているのもいれば、寝ているらしきのもいる。また遠くを見ていると、ある一頭が走り出したかと思えば、近くにいた他の数頭もそれについていくように走り出し、やがて群れ全体が何となくその方向へ動き出し、あっという間に牧草地の端に群れが固まってしまうこともある。さて、撮影地の線形はゆるやかなカーブで、少し遠くにはホーステッド・ケインズの構内が見える。相変わらずイースト・グリンステッド行はド逆光。反対のシェフィールド・パーク行は良い光線状態だが、炭水車が先頭になる後進運転ではどうも迫力に欠けてしまう。上下列車が駅で交換するので、2本をほぼ立て続けに撮影できた。煙を期待できるかと思いきや、チョロチョロと漏れ出すのみ。しかし正面打ちを終えて後追いに移行したときにようやく吐いてくれた。
残りの時間はホーステッド・ケインズの駅構内でまったりして過ごす。鉄道全盛時代の雰囲気がそのまま残されている。いかにもテーマパーク的に作りました、といったようなわざとらしさもない。古い設備を復活させ、綺麗にメンテナンスしている様子がうかがえる。16時過ぎの列車でイースト・グリンステッドに戻った。一日を通して見たところ、小さい子供を連れた家族連れ、そして老夫婦が乗客の大半を占めているように思われた。では鉄ヲタが一人で来るのは珍しいかと思いきや、少数派ながら何人かは見かけた。こんなところまでわざわざ蒸気機関車の写真を撮りに来るアジア人が珍しいのか、話しかけてくる人もいる。この国では、鉄道趣味は紳士的な趣味だそうだw
ナショナル・レールの車中、おみやげに買った"Complete Atlas of Railway Station Names"を開きながら車窓に目をやると、当たり前だが地図に書いてある通りに駅名が進んでゆく。面白いのは、イースト・クロイドン(East Croydon)やクラプハム・ジャンクション(Clapham Junction)といった分岐駅周辺の配線も正確に描かれていることで、よくぞここまで調べ上げたものだと感嘆する。ロンドンに戻ってきたのは18時過ぎ。異国の地で鉄道を満喫する、楽しい一日であった。
写真
1枚目:機回し中のSL(@Sheffield Park)
2枚目:跨線橋からの後追い(@Horsted Keynes - Kingscote)
3枚目:入線(@Horsted Keynes)
4213文字
8/19
High Street Kensington → Victoria
Circle Line
London Victoria 923 → East Grinstead 1017
Southern Service
East Grinstead 1045 → Sheffield Park 1132
Bluebell Railway
シェフィールド・パーク(Sheffield Park)駅観光
Sheffield Park 1330 → Horsted Keynes 1345
Bluebell Railway
鉄道撮影、ホーステッド・ケインズ(Horsted Keynes)駅観光
Horsted Keynes 1617 → East Grinstead 1641
Bluebell Railway
East Grinstead 1707 → London Victoria 1805
Southern Service
Victoria → High Street Kensington
Circle Line
・蒸気機関車の息吹
ロンドン・ヴィクトリア(Victoria)駅を出た列車は、ぐいぐいと速度を上げながら南へ向かう。1時間足らずでイースト・グリンステッド(East Grinstead)という盲腸線の終点に到着した。ここへ来たのは他でもない、ブルーベル(Bluebell)鉄道に乗りに来たのだ。東医体と利尻旅行が終わってからというもの、2、3日は抜け殻のような生活をしていたわけだが、イギリスのガイドブックをぱらぱらとめくっていて、ふと思い立った。この国には保存鉄道がある。今となっては大陸に比べてずいぶんと遅れをとり、道路網の発達や航空機の隆盛に伴って、鉄道の黄金時代はすっかり過去のものとなってしまった。それでも鉄道発祥の地というだけあって、廃線を復活させた保存鉄道が各地で走っている。異国の地で、生きたSLに出会うというのはなかなか面白そうではないか。ブルーベル鉄道は、1967年に廃線となったハートフィールド(Hartfield)地方のローカル線を復活させた鉄道である。線路がイースト・グリンステッドまで延伸されたのはごく最近のことらしい。昔はナショナル・レールとの接続がなく、イースト・グリンステッドからキングスコート(Kingscote)までバスに乗っていたというから、だいぶ便利になった。首都ロンドンから1時間足らずのところにSLが走り回っているとは、本当にすばらしい。
ナショナル・レールの駅からほど近いところにあるホームで一日乗車券(£16.00)を買って入場すると、シェフィールド・パーク(Sheffield Park)から到着した列車がちょうど機回しをしているところであった。タンク機関車とテンダー機関車の重連が客車から解放され、側線を通って反対側へと走っていく。石炭の香りがほのかに漂い、ピカピカに磨かれた車体からは白い蒸気が吐き出される。蒸気機関車の息吹を身近に感じるのは久しぶりで、まさに現代に生きるくろがねの馬といったところか。馬は水をがぶ飲みして、黒い石を貪り食いながら走る。ボイラーの内部では血管のように張り巡らされた煙管が水を沸騰させ、爆発的な蒸気が運動器たるシリンダーを、ピストンを、ロッドを駆動させるわけだ。鉄の心臓、鉄の肺、鉄の血管、鉄の神経、鉄の骨、鉄の筋肉、すべてが鉄でできている。そして、生きている。
とりあえず全線を走破すべく、終点のシェフィールド・パークまで乗ってみる。ハイシーズンの8月は、ほとんどの日がSL2本体制のダイヤである。途中駅はキングスコート、ホーステッド・ケインズの2つで、いずれの駅も鉄道黄金時代のまま時が止まってしまったかのような姿で良好に保存されている。ホーステッド・ケインズでは上下列車が交換するダイヤが組まれている。唯一残念なのは、機関車の頭が常にイースト・グリンステッド側に向いていることで、線路はほぼ南北に走っているため、北上する上り列車はすべて逆光になってしまう。イースト・グリンステッドに転車台がないのが難点と思われる。保存されているのは蒸気機関車と駅だけではなく、往時の客車はもちろん、腕木式信号や、タブレット閉塞など、ありとあらゆる鉄道設備が昔のまま残されている。まさに保存鉄道という名前そのものであり、日本にこのような場所はなかなかないだろう。
シェフィールド・パークでは機回しが行われ、反対側のホームで炭水車に水が補給される。蒸気機関車の給水風景を見たのは初めてで、レンガ造りのいかめしい給水塔こそないものの、やはり機関車が生き物であることを実感する。その後、駅近くから折返しイースト・グリンステッド行の列車の撮影を試みたが、まったく線路に近付くことができない。そこで望遠でサイドを狙う方針に切り替えたものの、なんと線路は丘陵の窪地のようなところを走っていた。結局列車自体が見えず、牧草地の地平に煙だけが噴き上がるという滑稽な空振り撮影に終わってしまった。
駅へ戻り、併設のショップと博物館を訪れる。ショップは一見子供向けのおみやげがたくさん並んでいるかと思いきや、奥の一角にはガチヲタ向けのコーナーがあり、とくに鉄道書籍の古本が素晴らしかった。SL関連の本、鉄道雑誌のバックナンバーなどなど、いつまでもここで時間を潰せそうである。厳選の上、
"Complete Atlas of Railway Station Names"
"BRITISH RAIL TRACK DIAGRAMS, Eastern & Anglia Regions"
の2冊を購入。前者は廃線、廃駅まで含めたイギリス全土の鉄道線区と鉄道駅を網羅した地図で、眺めているだけで面白い。日本の時刻表とは違いこちらでは全線全駅を載せた地図というのは意外と存在しないので、こういう本はありがたい。後者は配線図で、キングス・クロス(Kings Cross)から始まる東海岸のメインラインを中心に、職人芸の手書きで線路形態が記されている。各駅の側線、引上線、貨物ヤードの配線、連絡線など、あらゆる線路という線路が正確に表現されており、はたから見れば相当にキチガイじみたおみやげw 駅の博物館は反対側のホームにあり、イギリスの鉄道の歴史が充実した資料とともに解説されている。信号システムの仕組み、転轍機の仕組みなどなど、内容はかなりマニアックで面白い。本当はもっとゆっくりと見たかったのだが、発車時刻が迫っているので駆け足になってしまった。
走行写真の撮影は、ホーステッド・ケインズの駅を降りて少しイースト・グリンステッド方面に歩いたところにある、レンガ造りの跨線橋から行うことにした。この辺りは本当にのどかで、牧草地を通る散歩道が整備されている。黙々と草をはむヒツジの群れを見ながら、昼下がりの丘を逍遥する。ヒツジという動物を観察すると意外に面白く、大部分の個体はただひたすら牧草に熱中している一方、木陰に座ってまったりしているのもいれば、寝ているらしきのもいる。また遠くを見ていると、ある一頭が走り出したかと思えば、近くにいた他の数頭もそれについていくように走り出し、やがて群れ全体が何となくその方向へ動き出し、あっという間に牧草地の端に群れが固まってしまうこともある。さて、撮影地の線形はゆるやかなカーブで、少し遠くにはホーステッド・ケインズの構内が見える。相変わらずイースト・グリンステッド行はド逆光。反対のシェフィールド・パーク行は良い光線状態だが、炭水車が先頭になる後進運転ではどうも迫力に欠けてしまう。上下列車が駅で交換するので、2本をほぼ立て続けに撮影できた。煙を期待できるかと思いきや、チョロチョロと漏れ出すのみ。しかし正面打ちを終えて後追いに移行したときにようやく吐いてくれた。
残りの時間はホーステッド・ケインズの駅構内でまったりして過ごす。鉄道全盛時代の雰囲気がそのまま残されている。いかにもテーマパーク的に作りました、といったようなわざとらしさもない。古い設備を復活させ、綺麗にメンテナンスしている様子がうかがえる。16時過ぎの列車でイースト・グリンステッドに戻った。一日を通して見たところ、小さい子供を連れた家族連れ、そして老夫婦が乗客の大半を占めているように思われた。では鉄ヲタが一人で来るのは珍しいかと思いきや、少数派ながら何人かは見かけた。こんなところまでわざわざ蒸気機関車の写真を撮りに来るアジア人が珍しいのか、話しかけてくる人もいる。この国では、鉄道趣味は紳士的な趣味だそうだw
ナショナル・レールの車中、おみやげに買った"Complete Atlas of Railway Station Names"を開きながら車窓に目をやると、当たり前だが地図に書いてある通りに駅名が進んでゆく。面白いのは、イースト・クロイドン(East Croydon)やクラプハム・ジャンクション(Clapham Junction)といった分岐駅周辺の配線も正確に描かれていることで、よくぞここまで調べ上げたものだと感嘆する。ロンドンに戻ってきたのは18時過ぎ。異国の地で鉄道を満喫する、楽しい一日であった。
写真
1枚目:機回し中のSL(@Sheffield Park)
2枚目:跨線橋からの後追い(@Horsted Keynes - Kingscote)
3枚目:入線(@Horsted Keynes)
4213文字
コッツウォルズ(Cotswolds)へ行く。
・ふたたび郊外へ
ロンドンから少し郊外に出るだけで、あっという間に景色が開ける。波のようにうねる地形の丘陵地帯を、片側4車線のアスファルトの帯が、どこまでも突き抜けていく。交通の流れはよどみなく、まるで灰色の川をすいすいと泳いでいるかのようだ。空は広く、大小さまざまの雲が綿飴のように浮かぶ。陸と空はここまで広角に映るものなのか。国内ではどこへ行っても目にしないような風景である。1時間ほど走った後、オックスフォード(Oxford)のサービスエリアにあるバーガーキングで重い朝食をとったw
オックスフォードから先はM40からA40に入る。Aは日本でいう一般国道に相当する道路だが、そうはいってもまるで高速道路のような規格で作られていて、車はガンガン飛ばして走る。バーフォード(Burford)を過ぎた辺りでB4425という田舎道に入ると、辺りの景色はいよいよカントリーサイドの風情である。ところどころを緑のトンネルに囲まれながら快走し、ふと丘を見渡せば草を食む羊の群れが、白い米粒のように緑色の背景に映える。今日の目的地はコッツウォルズでも屈指の人気を誇るとされるバイブリーだが、道路沿いには、本にはまるで載っていないような小さな村々も点在している。こういうところで車を停めて散策するのも面白そうだ。イギリスの田舎は美しい。
・バイブリー
鉄道撮影でも何でもそうだが、いわゆる「有名どころ」が「有名どころ」たる所以は確実に存在する。有名になりすぎてその後がどうなるかは別にしても、何らかの魅力が確かに内包されているから有名になる。基本を確実に押さえる、という考え方と結びつけるのはやや強引かもしれないが、勉強でも弓道でも指導でも、型が身についていない段階で独自の応用を試みても上手くいかないのと同じことで、ただの趣味の範疇とはいえ撮影でも観光でも、まずは有名と言われているものを消化してみようと思っている。
「有名になりすぎてその後がどうなるか」という点は、とくに観光地が直面する課題であるように思われる。何台もの大型バスが乗り付けてきて人で溢れかえるというのはよくあるパターンで、たとえば昨年のモン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)は典型であったし、一昨年のエズ(Eze)にもその傾向はあった。よくよく考えてみると、「交通の便」は観光地の「予後」を左右する重要な因子であるように思われる。良すぎると本来の姿を失う一方で、悪すぎると誰も来なくて廃れてしまう。
バイブリーの村は適度な賑わいで、歩いていて心地が良い。最大の見どころは14世紀に建てられた家並みが残るアーリントン・ロー(Arlington Row)という通りで、湾曲して今にも崩れそうな屋根の家が軒を連ねている。この国はナショナル・トラストが隆盛で、文化遺産になりうるこういった家にも人が住んでいるようだ。ところで、建物を撮るのは意外と難しい。静止しているということは構図の作り方が無限にあるわけで、その場の空気感に合った「当意即妙」な絵を作らねばならない。村にはバイブリー・トラウト・ファームというマスの養殖場があり、併設の喫茶店でひと息つく。ここで獲れるマスが美味いのかどうかはよく分からないがw その後ふたたびアーリントン・ローを歩き、マナーハウス「バイブリー・コート」の前に広がる牧草地でしばし休んだ後、村を後にした。
・サイレンセスター
イギリスはどうも難読地名が多い。英語の長い歴史とも関わっている部分が多そうである。調べてみたら、たとえば「-bury」とか「-burgh」は城を意味する接尾辞、「-cester」はローマ帝国の砦や陣地に起源をもつ地名らしい。しかしCanterburyはカンタベリー、Salisburyはソールズベリーと読むが、Biburyはバイベリーではなく一般にバイブリーと読むようだ。Googleマップではバイベリーと訳されているがw B4425を南西に20分ほど走って到着した町、サイレンセスターはその歴史をローマ時代にまでさかのぼる古都で、円形劇場もあったらしい。そういえばGloucesterはグロスター、Leicesterはレスターと読むが、なぜかCirencesterはサイレンスターではなくサイレンセスターである。あと、Cirenという綴りもなかなか新鮮に感じる。
今はローマ時代の面影はほとんどなく、コッツウォルズの一地方都市といった感じである。町の中央にある教会を見学したり、辺りをぶらぶらしたりして1時間ほど滞在した。
ロンドン市内に戻ったのは夕刻。夜は父の誕生日を祝った。
写真
1枚目:バイブリー・コートにて
2枚目:アーリトン・ロー
3枚目:サイレンセスターの町
2161文字
8/18
レンタカーによる移動
バイブリー(Bibury)
サイレンセスター(Cirencester)
・ふたたび郊外へ
ロンドンから少し郊外に出るだけで、あっという間に景色が開ける。波のようにうねる地形の丘陵地帯を、片側4車線のアスファルトの帯が、どこまでも突き抜けていく。交通の流れはよどみなく、まるで灰色の川をすいすいと泳いでいるかのようだ。空は広く、大小さまざまの雲が綿飴のように浮かぶ。陸と空はここまで広角に映るものなのか。国内ではどこへ行っても目にしないような風景である。1時間ほど走った後、オックスフォード(Oxford)のサービスエリアにあるバーガーキングで重い朝食をとったw
オックスフォードから先はM40からA40に入る。Aは日本でいう一般国道に相当する道路だが、そうはいってもまるで高速道路のような規格で作られていて、車はガンガン飛ばして走る。バーフォード(Burford)を過ぎた辺りでB4425という田舎道に入ると、辺りの景色はいよいよカントリーサイドの風情である。ところどころを緑のトンネルに囲まれながら快走し、ふと丘を見渡せば草を食む羊の群れが、白い米粒のように緑色の背景に映える。今日の目的地はコッツウォルズでも屈指の人気を誇るとされるバイブリーだが、道路沿いには、本にはまるで載っていないような小さな村々も点在している。こういうところで車を停めて散策するのも面白そうだ。イギリスの田舎は美しい。
・バイブリー
鉄道撮影でも何でもそうだが、いわゆる「有名どころ」が「有名どころ」たる所以は確実に存在する。有名になりすぎてその後がどうなるかは別にしても、何らかの魅力が確かに内包されているから有名になる。基本を確実に押さえる、という考え方と結びつけるのはやや強引かもしれないが、勉強でも弓道でも指導でも、型が身についていない段階で独自の応用を試みても上手くいかないのと同じことで、ただの趣味の範疇とはいえ撮影でも観光でも、まずは有名と言われているものを消化してみようと思っている。
「有名になりすぎてその後がどうなるか」という点は、とくに観光地が直面する課題であるように思われる。何台もの大型バスが乗り付けてきて人で溢れかえるというのはよくあるパターンで、たとえば昨年のモン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)は典型であったし、一昨年のエズ(Eze)にもその傾向はあった。よくよく考えてみると、「交通の便」は観光地の「予後」を左右する重要な因子であるように思われる。良すぎると本来の姿を失う一方で、悪すぎると誰も来なくて廃れてしまう。
バイブリーの村は適度な賑わいで、歩いていて心地が良い。最大の見どころは14世紀に建てられた家並みが残るアーリントン・ロー(Arlington Row)という通りで、湾曲して今にも崩れそうな屋根の家が軒を連ねている。この国はナショナル・トラストが隆盛で、文化遺産になりうるこういった家にも人が住んでいるようだ。ところで、建物を撮るのは意外と難しい。静止しているということは構図の作り方が無限にあるわけで、その場の空気感に合った「当意即妙」な絵を作らねばならない。村にはバイブリー・トラウト・ファームというマスの養殖場があり、併設の喫茶店でひと息つく。ここで獲れるマスが美味いのかどうかはよく分からないがw その後ふたたびアーリントン・ローを歩き、マナーハウス「バイブリー・コート」の前に広がる牧草地でしばし休んだ後、村を後にした。
・サイレンセスター
イギリスはどうも難読地名が多い。英語の長い歴史とも関わっている部分が多そうである。調べてみたら、たとえば「-bury」とか「-burgh」は城を意味する接尾辞、「-cester」はローマ帝国の砦や陣地に起源をもつ地名らしい。しかしCanterburyはカンタベリー、Salisburyはソールズベリーと読むが、Biburyはバイベリーではなく一般にバイブリーと読むようだ。Googleマップではバイベリーと訳されているがw B4425を南西に20分ほど走って到着した町、サイレンセスターはその歴史をローマ時代にまでさかのぼる古都で、円形劇場もあったらしい。そういえばGloucesterはグロスター、Leicesterはレスターと読むが、なぜかCirencesterはサイレンスターではなくサイレンセスターである。あと、Cirenという綴りもなかなか新鮮に感じる。
今はローマ時代の面影はほとんどなく、コッツウォルズの一地方都市といった感じである。町の中央にある教会を見学したり、辺りをぶらぶらしたりして1時間ほど滞在した。
ロンドン市内に戻ったのは夕刻。夜は父の誕生日を祝った。
写真
1枚目:バイブリー・コートにて
2枚目:アーリトン・ロー
3枚目:サイレンセスターの町
2161文字
のんびりした週末。
・土曜日
今日は土曜日である。夏休みに入ってからというもの、曜日感覚の喪失が著しい。8月も折り返し地点を過ぎ、ついに後半に入ってしまった。10日も経てばもう学校へ行っているのかと思うと、恐ろしい。
だらだらと起床し、午前中は2シーターの助手席に座って洗車とクリーニング屋に同行する。こちらは日本と同じく左側通行なので別段の違和感はないが、制限速度や距離の表示が全てにマイルになっているところや、ラウンドアバウトという円形交差点の存在が目新しい。帰宅したらもう正午が近い。聞くところによれば週末は郊外へドライブに行くことが多いらしい。しかしこの車に3人は乗れないので、今日明日はレンタカーを借り、日帰りで郊外へ行くことになったw
・リーズ城
ロンドンの東南東50マイルほど、ドーヴァー(Dover)へ向かう高速道路M2の途中にあるリーズ城は、かつては要塞として建てられたケント(Kent)地方の小さな古城である。敷地内の庭はかなり広く、水鳥でにぎわっている。しかし天気はあいにくの曇天で、時おり小雨が降りかかる。この冷涼な感じは、利尻島でオタトマリ沼の周囲を歩いたときの感覚に通じるものがあるけれども、植生が根本的に違うためか、蒸散されてくる空気感は異国のそれである。なかなか綺麗な場所で、週末の散策で来ていると思しき家族連れも散見される。
19時にはロンドン市内に戻る。こちらの日没は20時過ぎとかなり遅いので、時間感覚が少しおかしくなってしまう。夕食を終えた頃、ちょうど黄昏となった。あとはワインを飲んで怠惰な週末の夜を過ごす。
写真:リーズ城
842文字
8/17
レンタカーによる移動
リーズ(Leeds)城
・土曜日
今日は土曜日である。夏休みに入ってからというもの、曜日感覚の喪失が著しい。8月も折り返し地点を過ぎ、ついに後半に入ってしまった。10日も経てばもう学校へ行っているのかと思うと、恐ろしい。
だらだらと起床し、午前中は2シーターの助手席に座って洗車とクリーニング屋に同行する。こちらは日本と同じく左側通行なので別段の違和感はないが、制限速度や距離の表示が全てにマイルになっているところや、ラウンドアバウトという円形交差点の存在が目新しい。帰宅したらもう正午が近い。聞くところによれば週末は郊外へドライブに行くことが多いらしい。しかしこの車に3人は乗れないので、今日明日はレンタカーを借り、日帰りで郊外へ行くことになったw
・リーズ城
ロンドンの東南東50マイルほど、ドーヴァー(Dover)へ向かう高速道路M2の途中にあるリーズ城は、かつては要塞として建てられたケント(Kent)地方の小さな古城である。敷地内の庭はかなり広く、水鳥でにぎわっている。しかし天気はあいにくの曇天で、時おり小雨が降りかかる。この冷涼な感じは、利尻島でオタトマリ沼の周囲を歩いたときの感覚に通じるものがあるけれども、植生が根本的に違うためか、蒸散されてくる空気感は異国のそれである。なかなか綺麗な場所で、週末の散策で来ていると思しき家族連れも散見される。
19時にはロンドン市内に戻る。こちらの日没は20時過ぎとかなり遅いので、時間感覚が少しおかしくなってしまう。夕食を終えた頃、ちょうど黄昏となった。あとはワインを飲んで怠惰な週末の夜を過ごす。
写真:リーズ城
842文字
市内を回る。
・曇天のロンドン
トラファルガー(Trafalgar)広場まで乗ったバスは旧式の車両であった。
この車種はルートマスターといって、8年前に第一線を退いてからは市内の2系統のみで日中に運行されているらしい。観光向けの遺産として残している意味が強いのだろう。最後部のオープンデッキから乗り降りするのが特徴で、車掌が乗っている。しかしこういう構造だと悪天候の日には吹きさらしになりそうだし、何より2倍の人員を雇わねばならない点が時代に合わなくなってきたと思われる。2階席に座るのも良さそうだったが、運転士のすぐ左後ろの席からの眺めも面白い。2階部分の張り出しと、運転室、そしてボンネットに囲まれた狭い景色だが、この閉鎖的な車窓がバスにしては珍しい。今乗っているRoute 9は、本来ならもっと遠くまで運行されるはずだが、ルートマスターの場合は途中のトラファルガー広場が終着となる。すべて新型のバスに置き換えた方がどう考えても効率が良さそうだが、古いものを愛し、残そうとする精神には共感するところが大きい。
・ナショナル・ギャラリー、ナショナル・ポートレート・ギャラリー
両者とも収蔵点数はなかなか膨大な美術館だが、「美術品は国民のもの」という考え方から入場料はいらない。この気軽に入れる感じが良い。色々見て回ったが、まあこういうところは宗教なり神話なり世界史の知識がないと、単に絵画を網膜に焼いているだけということになるのかもしれない。実際、直感的な「いい」「わるい」は確かに存在するが、いわゆる蘊蓄についてはよく分からない。蘊蓄を語る人々からすれば、自分は「価値判断の材料に乏しい」と言われても不思議ではない。ここでもモネ(Monet)やルノワール(Renoir)など印象派の展示が大人気なのは、そういう背景があるからではないか。
絵画と写真を単純に比較するのは非常に乱暴なことのように思えるが、たとえばSLやまぐち号を篠目駅の給水塔と一緒に撮ったり、タブレットを手渡す鉄道員をモチーフに久留里線の気動車を撮ったりしたとする。しかし、そこで給水塔やタブレットの何たるかを理解していないと写真の価値を判断できないのかというと必ずしもそうではなくて、結局のところ、写真を見る人の直感的な「いい」「わるい」による部分が大きい。してみると「価値」という言葉自体が不適切で、結局は個人の主観が大部分を占める。自分は芸術は所詮そんなものだと思っていて、もし文脈を共有できるとすればそれに越したことはないし、またさらに深いところでも分かり合えて楽しいのではないかと考えている。
ちなみにポートレート・ギャラリーの方はおびただしい数の肖像画が展示されていたが、さすがに肖像画の場合は、絵の上手い下手というより、そもそも人物を知らないと始まらない部分もあるので、よく分からないものはよく分からないまま終わってしまった。しかし展示の解説が丁寧だったので、英国王室の歴史を少し勉強できたのは収穫だったか。
・大観覧車
夕方はハンガーフォード(Hungerford)橋を歩き、テムズ(Thames)河の対岸へ渡る。近くに大観覧車、ロンドン・アイがあるので、この機会に乗っておく。猛烈に混雑しているかと思いきやこの時間帯はそれほどでもなく、高さ135mからの眺望はなかなか良かった。しかし景色はといえば、ウェストミンスター(Westminster)橋と国会議事堂の周辺はいかにもロンドンを象徴する風景だが、あとの方角は普通の大都会といった風であまり大したことはない。街並みに関しては、やはりパリが圧倒的に美しい。
写真
1枚目:旧式バス、ルートマスター
2枚目:フィッシュ・アンド・チップス
3枚目:夕刻のウェストミンスター橋と国会議事堂
1916文字
8/16
High Street Kensington → Trafalgar Square
ロンドンバス Route 9
ナショナル・ギャラリー、ナショナル・ポートレート・ギャラリー
徒歩による移動
ロンドン・アイ
Westminster → Notting Hill Gate
Circle Line
・曇天のロンドン
トラファルガー(Trafalgar)広場まで乗ったバスは旧式の車両であった。
この車種はルートマスターといって、8年前に第一線を退いてからは市内の2系統のみで日中に運行されているらしい。観光向けの遺産として残している意味が強いのだろう。最後部のオープンデッキから乗り降りするのが特徴で、車掌が乗っている。しかしこういう構造だと悪天候の日には吹きさらしになりそうだし、何より2倍の人員を雇わねばならない点が時代に合わなくなってきたと思われる。2階席に座るのも良さそうだったが、運転士のすぐ左後ろの席からの眺めも面白い。2階部分の張り出しと、運転室、そしてボンネットに囲まれた狭い景色だが、この閉鎖的な車窓がバスにしては珍しい。今乗っているRoute 9は、本来ならもっと遠くまで運行されるはずだが、ルートマスターの場合は途中のトラファルガー広場が終着となる。すべて新型のバスに置き換えた方がどう考えても効率が良さそうだが、古いものを愛し、残そうとする精神には共感するところが大きい。
・ナショナル・ギャラリー、ナショナル・ポートレート・ギャラリー
両者とも収蔵点数はなかなか膨大な美術館だが、「美術品は国民のもの」という考え方から入場料はいらない。この気軽に入れる感じが良い。色々見て回ったが、まあこういうところは宗教なり神話なり世界史の知識がないと、単に絵画を網膜に焼いているだけということになるのかもしれない。実際、直感的な「いい」「わるい」は確かに存在するが、いわゆる蘊蓄についてはよく分からない。蘊蓄を語る人々からすれば、自分は「価値判断の材料に乏しい」と言われても不思議ではない。ここでもモネ(Monet)やルノワール(Renoir)など印象派の展示が大人気なのは、そういう背景があるからではないか。
絵画と写真を単純に比較するのは非常に乱暴なことのように思えるが、たとえばSLやまぐち号を篠目駅の給水塔と一緒に撮ったり、タブレットを手渡す鉄道員をモチーフに久留里線の気動車を撮ったりしたとする。しかし、そこで給水塔やタブレットの何たるかを理解していないと写真の価値を判断できないのかというと必ずしもそうではなくて、結局のところ、写真を見る人の直感的な「いい」「わるい」による部分が大きい。してみると「価値」という言葉自体が不適切で、結局は個人の主観が大部分を占める。自分は芸術は所詮そんなものだと思っていて、もし文脈を共有できるとすればそれに越したことはないし、またさらに深いところでも分かり合えて楽しいのではないかと考えている。
ちなみにポートレート・ギャラリーの方はおびただしい数の肖像画が展示されていたが、さすがに肖像画の場合は、絵の上手い下手というより、そもそも人物を知らないと始まらない部分もあるので、よく分からないものはよく分からないまま終わってしまった。しかし展示の解説が丁寧だったので、英国王室の歴史を少し勉強できたのは収穫だったか。
・大観覧車
夕方はハンガーフォード(Hungerford)橋を歩き、テムズ(Thames)河の対岸へ渡る。近くに大観覧車、ロンドン・アイがあるので、この機会に乗っておく。猛烈に混雑しているかと思いきやこの時間帯はそれほどでもなく、高さ135mからの眺望はなかなか良かった。しかし景色はといえば、ウェストミンスター(Westminster)橋と国会議事堂の周辺はいかにもロンドンを象徴する風景だが、あとの方角は普通の大都会といった風であまり大したことはない。街並みに関しては、やはりパリが圧倒的に美しい。
写真
1枚目:旧式バス、ルートマスター
2枚目:フィッシュ・アンド・チップス
3枚目:夕刻のウェストミンスター橋と国会議事堂
1916文字
一週間の非日常に飛び込む。
・雲海を渡る
話の始まりは8月9日、利尻島であった。全医体出場の夢が札幌に散った今、手帳のスケジュールは大半が横線で消され、あとは虚しい空白が残るのみとなった。
両親にメールをしていたら「それならこっちに来たら」ということになり、15日から22日までの一週間、急遽渡英が決まったのであった。いささか唐突な話ではあったが、確かに東京にいたところで大した予定もなく、漫然とした時間を過ごすのは目に見えている。また学生生活に残された休暇の時間があまりないことも考えると、この一週間を異国の地で過ごすのはなかなか貴重な機会だと思われた。そういうわけで、利尻から帰京後に3日間の緩衝期間を挟み、今日ロンドンへ発つことになった。いやそれにしても、こんなハイシーズンによく航空券が取れたものだ。
何度も思うに、車輪が滑走路を離れる瞬間のあの感覚は、実に面白い。「ふわっ」というのはありきたりだが、「すっ」という擬態語も意外に合っているか。それはちょうど、寝台特急が始発駅のホームを音もなく滑り出すときの感覚に通じるものがある。全然違う現象ではあるが、限りなく時間を短くして観察すれば「感覚の微分係数」としてはほぼ同じなのではないか。旅立ちの心に渦巻く感情を反映して、こういう面白い感覚が形成されていく。あの「すっ」で、東京に放散していた「弛緩した意識の線維束」がぱっと放り出され、そして滑走路の上に捨てられたのだ。それは、一種の訣別でもあった。
機内では映画を2本観て、それから寝ようかと思ったが昼間なので全然眠れない。結局、終始目覚めたまま12時間のフライトを終え、ヒースロー(Heathrow)空港に降り立つ。そしてケンジントン(Kensington)にある第三の家へ向かい、久々の食卓を囲んだ。
写真
1枚目:機体
2枚目:食卓
948文字
8/15
東京・成田(NRT)1145(GMT+9)
→ London Heathrow(LHR)1615(GMT+1)
日本航空401便(JL401)
・雲海を渡る
話の始まりは8月9日、利尻島であった。全医体出場の夢が札幌に散った今、手帳のスケジュールは大半が横線で消され、あとは虚しい空白が残るのみとなった。
両親にメールをしていたら「それならこっちに来たら」ということになり、15日から22日までの一週間、急遽渡英が決まったのであった。いささか唐突な話ではあったが、確かに東京にいたところで大した予定もなく、漫然とした時間を過ごすのは目に見えている。また学生生活に残された休暇の時間があまりないことも考えると、この一週間を異国の地で過ごすのはなかなか貴重な機会だと思われた。そういうわけで、利尻から帰京後に3日間の緩衝期間を挟み、今日ロンドンへ発つことになった。いやそれにしても、こんなハイシーズンによく航空券が取れたものだ。
何度も思うに、車輪が滑走路を離れる瞬間のあの感覚は、実に面白い。「ふわっ」というのはありきたりだが、「すっ」という擬態語も意外に合っているか。それはちょうど、寝台特急が始発駅のホームを音もなく滑り出すときの感覚に通じるものがある。全然違う現象ではあるが、限りなく時間を短くして観察すれば「感覚の微分係数」としてはほぼ同じなのではないか。旅立ちの心に渦巻く感情を反映して、こういう面白い感覚が形成されていく。あの「すっ」で、東京に放散していた「弛緩した意識の線維束」がぱっと放り出され、そして滑走路の上に捨てられたのだ。それは、一種の訣別でもあった。
機内では映画を2本観て、それから寝ようかと思ったが昼間なので全然眠れない。結局、終始目覚めたまま12時間のフライトを終え、ヒースロー(Heathrow)空港に降り立つ。そしてケンジントン(Kensington)にある第三の家へ向かい、久々の食卓を囲んだ。
写真
1枚目:機体
2枚目:食卓
948文字
山頂は、最後まで雲の中。
・最終日
東京を出たのはちょうど一週間前、時間の経つのはこんなにも早い。本土へ渡るフェリーの出航までは3時間ほど余裕があったので、もしかしたら雲の切れ間から利尻富士の頂が見えるかもしれないという淡い期待を胸に、もう一周島を回ってみることにする。今日は反時計回りでスタートし、まずは沓形へ向かう。この車中が一番良く山を拝めたかもしれない。先へ進むにつれてどんどん麓に雲が湧いてきて、山頂はおろか稜線さえも隠されてしまった。
昨日訪れていないスポットを回ろうということで、まずは仙法志の先にある南浜湿原で車を停め、遊歩道を歩く。シダ植物が一面に広がる中でマツの木が点在するという不思議な植生の湿原だが、花はあまり咲いていない。相当な穴場スポットと思われ、至る所にクモの巣が張っている。いかに人が訪れないかということである。ここは虫が多く、植物というよりは虫を見に来たといっても過言ではないw
最後は鴛泊港のすぐそばにあるペシ岬を訪れる。しかしながら標高93mの頂上まで登っている時間はなかったので、中腹にある展望台でしばらく休んでから引き返すことにした。昨年の佐渡の大野亀によく似た場所で、緑に覆われた大きな岩山が海岸にどかんと鎮座している様子はなかなか面白い。西の方角に目をやれば、礼文島の青い島影が水平線に浮かんでいる。この風景にもそろそろ別れを告げねばならない。
・帰路
いったんペンションに戻ってレンタカーを返却した後、鴛泊港まで送って頂く。11時55分に出港する稚内行のフェリーで島を去る。すでに桟橋には大勢の乗客が列をなし、見送り人もたくさん来ていた。色とりどりの紙テープがデッキと桟橋の間に結ばれる。やがて汽笛一声、ディーゼルエンジンの轟音と共に、みるみるうちに船は岸壁を離れていく。陸と海をつなぐ無数の紙テープの束は扇形に放散して虹の橋を作ったかと思いきや、次の瞬間にはひらひらと暗い海の中へ沈んでいった。桟橋には大声を上げて手を振る人々。デッキの乗客もそれに応える。テープ投げを目にしたのはこれが初めてで、個人的にはなかなかドラマチックな出港風景であった。
稚内までは100分の道のりだが、2等船室のジュータンで寝ていたらあっという間であった。フェリーターミナルでラーメンを食べた後、バスで空港へ向かう。あとは搭乗手続きを終え、羽田へ飛ぶのみだ。
そういえば3年前の3月、ここ稚内の地を訪れたのだった。あの時は快晴で、宗谷湾をなぞって宗谷岬へ向かう道の途中、荘厳な利尻富士の姿を海を挟んで遠目に見たことをよく覚えている。次に訪れるのはいつになるのだろう。旅行はいつも一期一会であるから、その時に五感で知覚したもの、そしてその知覚のもとに湧き起こった感情を大切にしなければならない。「くはねlogの旅行記は叙情的な記述に乏しい」という指摘を一部から受けているが、それは確かに難しいテーマで、旅行中に湧き起こった「生の感覚」「生の感情」を本当にリアルな形で文章にすることは困難を極める。たびたびアルカリ金属のたとえ話を持ち出して恐縮だが、切った瞬間がピークで、あとは酸化していくだけなのだ。家に帰り、写真を整理し、さて書き始めようとしたところで、所詮それは「再構成の産物」である。もっとも、個人的には再構成まで完結させてこその旅行だと考えているから、わざわざ時間を割いてこういう駄文を書き連ねているのだが、やはり「生」をそのまま持って帰って表現することは難しいのである。
そういえばこのテーマ、去年の部誌に書いたなw
写真
1枚目:南浜湿原
2枚目:ペシ岬
3枚目:出港の風景
1855文字
8/11
レンタカーによる周回(反時計回り)
南浜湿原、ペシ岬展望台
鴛泊1155 → 稚内1335
ハートランドフェリー サイプリア宗谷
稚内フェリーターミナル1430 → 稚内空港1505
宗谷バス
稚内(WKJ)1540 → 羽田(HND)1735
全日本空輸574便(NH574)
・最終日
東京を出たのはちょうど一週間前、時間の経つのはこんなにも早い。本土へ渡るフェリーの出航までは3時間ほど余裕があったので、もしかしたら雲の切れ間から利尻富士の頂が見えるかもしれないという淡い期待を胸に、もう一周島を回ってみることにする。今日は反時計回りでスタートし、まずは沓形へ向かう。この車中が一番良く山を拝めたかもしれない。先へ進むにつれてどんどん麓に雲が湧いてきて、山頂はおろか稜線さえも隠されてしまった。
昨日訪れていないスポットを回ろうということで、まずは仙法志の先にある南浜湿原で車を停め、遊歩道を歩く。シダ植物が一面に広がる中でマツの木が点在するという不思議な植生の湿原だが、花はあまり咲いていない。相当な穴場スポットと思われ、至る所にクモの巣が張っている。いかに人が訪れないかということである。ここは虫が多く、植物というよりは虫を見に来たといっても過言ではないw
最後は鴛泊港のすぐそばにあるペシ岬を訪れる。しかしながら標高93mの頂上まで登っている時間はなかったので、中腹にある展望台でしばらく休んでから引き返すことにした。昨年の佐渡の大野亀によく似た場所で、緑に覆われた大きな岩山が海岸にどかんと鎮座している様子はなかなか面白い。西の方角に目をやれば、礼文島の青い島影が水平線に浮かんでいる。この風景にもそろそろ別れを告げねばならない。
・帰路
いったんペンションに戻ってレンタカーを返却した後、鴛泊港まで送って頂く。11時55分に出港する稚内行のフェリーで島を去る。すでに桟橋には大勢の乗客が列をなし、見送り人もたくさん来ていた。色とりどりの紙テープがデッキと桟橋の間に結ばれる。やがて汽笛一声、ディーゼルエンジンの轟音と共に、みるみるうちに船は岸壁を離れていく。陸と海をつなぐ無数の紙テープの束は扇形に放散して虹の橋を作ったかと思いきや、次の瞬間にはひらひらと暗い海の中へ沈んでいった。桟橋には大声を上げて手を振る人々。デッキの乗客もそれに応える。テープ投げを目にしたのはこれが初めてで、個人的にはなかなかドラマチックな出港風景であった。
稚内までは100分の道のりだが、2等船室のジュータンで寝ていたらあっという間であった。フェリーターミナルでラーメンを食べた後、バスで空港へ向かう。あとは搭乗手続きを終え、羽田へ飛ぶのみだ。
そういえば3年前の3月、ここ稚内の地を訪れたのだった。あの時は快晴で、宗谷湾をなぞって宗谷岬へ向かう道の途中、荘厳な利尻富士の姿を海を挟んで遠目に見たことをよく覚えている。次に訪れるのはいつになるのだろう。旅行はいつも一期一会であるから、その時に五感で知覚したもの、そしてその知覚のもとに湧き起こった感情を大切にしなければならない。「くはねlogの旅行記は叙情的な記述に乏しい」という指摘を一部から受けているが、それは確かに難しいテーマで、旅行中に湧き起こった「生の感覚」「生の感情」を本当にリアルな形で文章にすることは困難を極める。たびたびアルカリ金属のたとえ話を持ち出して恐縮だが、切った瞬間がピークで、あとは酸化していくだけなのだ。家に帰り、写真を整理し、さて書き始めようとしたところで、所詮それは「再構成の産物」である。もっとも、個人的には再構成まで完結させてこその旅行だと考えているから、わざわざ時間を割いてこういう駄文を書き連ねているのだが、やはり「生」をそのまま持って帰って表現することは難しいのである。
そういえばこのテーマ、去年の部誌に書いたなw
写真
1枚目:南浜湿原
2枚目:ペシ岬
3枚目:出港の風景
1855文字
今日も島をめぐる。
・姫沼、オタトマリ沼
鴛泊の港からほど近い山中にある姫沼は深い霧に包まれていて、水墨画のような世界であった。飽和水蒸気圧を感じながら幻想的な湖を一周歩く。続いて訪れたオタトマリ沼は、島で最も大きな湖である。ここは湿原の中にあるためか霧はなく、ただ陰鬱な曇天が広がるのみ。晴れていれば利尻富士が湖の向こう側にそびえ立ち、さらに無風ならその山容も湖面に映るようだが、やはり山は雲の中である。湖の周りをゆっくりと歩き、のんびりとした時間を過ごす。
東医体が終わり、緊張の糸が切れ、まるで弛緩した意識の線維束がだらーっと湖面に吹き流されているかのような感覚である。
・仙法志御崎公園、人面岩
御崎公園ではアザラシが見られると聞いていたので行ってみると、何やら磯にはいけすがある。雲行きが怪しくなってきたと思ったら、案の定、養殖アザラシであったw 「ゴマちゃん」という名前までついているw そこら辺の岩場にアザラシが寝ている絵を想像していたのだが、そういうわけではないらしい。ここは利尻山から流れ出た溶岩が散らばった海岸で、昨年の佐渡の七浦海岸を彷彿させる光景である。
その後も時計回りに車を走らせると、7時の方角を過ぎたあたりで空がずいぶんと晴れてきた。それまで鉛色だった海面も紺碧になり、まぶしい陽光を照り返している。人面岩や寝熊の岩と名前が付けられた奇岩の近くで車を停め、しばし海岸に佇む。海を見ていると、心が洗われる。あれは昨年の2月だったか、日本海が眼前に広がる小砂川~上浜の撮影地で、蒼い海と飛島の島影を見ながらのんびり列車を待っていると、海藻のように心にまとわりついていた負の感情がどうでもよくなったものだ。今日も、そういう気分である。
・昼食、沓形岬公園
沓形の町も晴れていて、涼しい気候のはずなのにむしろ暑いくらいである。白昼の町は人通りがほとんどなく、ただ陽光だけが降り注いでいる。「大漁亭」という店に入って昼食をとることにした。かなり古い建物で、かつては旅館だったのだろうか。今は寂れた雰囲気である。4人で刺身の盛合せを注文。ホタテやソイ、イカ、タコなど、素朴ながら地元で獲れた魚介がそのまま使われていて美味しい。それなりに高くつくのかと思いきや、学生ということでかなり負けてくれた。実に良心的な会計でありがたい。そういえば、そこら中で大量に獲れるからなのか、利尻はホタテの値段がかなり安い。一方でウニは高い。やはり貴重だということと、一匹から採れる卵巣の量が限られているからなのだろう。
その後、沓形岬公園に向かう。オレンジ色のオニユリが海の色と好対照になっていて美しい。西の方角を見れば、すぐ近くに礼文島が浮かんでいる。ここからは12kmしか離れていないらしい。礼文の方角は天候が悪く、雲が低く暗い。晴れているのは沓形付近の海岸だけのようだ。利尻富士はかなり稜線が見えるようになったが、肝心の山頂は依然雲の中である。
・見返台園地
もしかしたら山頂が見えるかもしれないと思い、山道を4kmほど登って利尻山の中腹にある見返台園地までやって来た。しかしながら、山頂はやはり雲の中であった。ここまで登ってくるとさすがに見晴らしも良く、島の四分の一にあたる海岸線と、沓形の町、そして眼前に広がる利尻富士の裾野が一望のもとである。天候もすがすがしく、感情の混合物が濾過されていく。
・富士野岬、富士野園地
最後は11時の方角にある富士野園地を訪れる。見返台園地を後にして北へ車を走らせていくと、徐々に空が暗くなってきた。今日は、島の南西部だけ晴れていたようだ。到着した富士野岬の付近は荒涼たる海食崖が続き、陰鬱な曇天も相まってかなり寂しい風景である。近くの富士野園地には展望台があり、小さな無人島、ポンモシリ島の姿を眼下に望むことができる。見ると、鴛泊の港を出発したフェリーが、沖合に浮かぶ礼文島を目指して走っていく。絶望的に暗い景色は、まるで心象風景のようにひたひたとこちらへ近づいてくるかのようだ。
・夕食、晩酌
今夜の食事もボリュームがあり、シマホッケ、タコしゃぶ、このわた、バフンウニの刺身、利尻昆布などが盛りだくさんであった。メインはやはりウニで、ムラサキウニと一緒に炊き込んだ釜飯を頂く。この二日間は、何とも贅沢な食生活を満喫している。
夜は予科部屋で飲む。なかなか大量に酒を買ってきたが、多すぎず、かといって少なすぎず、酔って眠るには丁度良い量であった。今さらながら思うに、東医体は、もう終わったのだ。そして、主将も終わったのだ。終わった、という現実に向き合うのは当然のことではあるが、はかない達成感と同時に心に去来するのは、一種の寂寥感、そして孤独感である。誰もいない、広大な氷の海の上で途方に暮れているような感覚、それに近いものを覚える。この一年間、常に全力で取り組んではきたが、それでも達成し得ないことは山ほどあったし、反省することも多いし、何より悔いがないと言えば嘘になる。まあ、しばらくはゆっくり休んで、そして、再びゆったり歩き始めるとしよう。
写真
1枚目:姫沼
2枚目:沓形岬公園
3枚目:見返台園地より眺める利尻山の稜線
2460文字
8/10
レンタカーによる周回(時計回り)
姫沼、オタトマリ沼、仙法志御崎公園、人面岩、沓形岬公園、見返台園地、富士野岬、富士野園地
マルゼンペンション レラモシリ 泊
・姫沼、オタトマリ沼
鴛泊の港からほど近い山中にある姫沼は深い霧に包まれていて、水墨画のような世界であった。飽和水蒸気圧を感じながら幻想的な湖を一周歩く。続いて訪れたオタトマリ沼は、島で最も大きな湖である。ここは湿原の中にあるためか霧はなく、ただ陰鬱な曇天が広がるのみ。晴れていれば利尻富士が湖の向こう側にそびえ立ち、さらに無風ならその山容も湖面に映るようだが、やはり山は雲の中である。湖の周りをゆっくりと歩き、のんびりとした時間を過ごす。
東医体が終わり、緊張の糸が切れ、まるで弛緩した意識の線維束がだらーっと湖面に吹き流されているかのような感覚である。
・仙法志御崎公園、人面岩
御崎公園ではアザラシが見られると聞いていたので行ってみると、何やら磯にはいけすがある。雲行きが怪しくなってきたと思ったら、案の定、養殖アザラシであったw 「ゴマちゃん」という名前までついているw そこら辺の岩場にアザラシが寝ている絵を想像していたのだが、そういうわけではないらしい。ここは利尻山から流れ出た溶岩が散らばった海岸で、昨年の佐渡の七浦海岸を彷彿させる光景である。
その後も時計回りに車を走らせると、7時の方角を過ぎたあたりで空がずいぶんと晴れてきた。それまで鉛色だった海面も紺碧になり、まぶしい陽光を照り返している。人面岩や寝熊の岩と名前が付けられた奇岩の近くで車を停め、しばし海岸に佇む。海を見ていると、心が洗われる。あれは昨年の2月だったか、日本海が眼前に広がる小砂川~上浜の撮影地で、蒼い海と飛島の島影を見ながらのんびり列車を待っていると、海藻のように心にまとわりついていた負の感情がどうでもよくなったものだ。今日も、そういう気分である。
・昼食、沓形岬公園
沓形の町も晴れていて、涼しい気候のはずなのにむしろ暑いくらいである。白昼の町は人通りがほとんどなく、ただ陽光だけが降り注いでいる。「大漁亭」という店に入って昼食をとることにした。かなり古い建物で、かつては旅館だったのだろうか。今は寂れた雰囲気である。4人で刺身の盛合せを注文。ホタテやソイ、イカ、タコなど、素朴ながら地元で獲れた魚介がそのまま使われていて美味しい。それなりに高くつくのかと思いきや、学生ということでかなり負けてくれた。実に良心的な会計でありがたい。そういえば、そこら中で大量に獲れるからなのか、利尻はホタテの値段がかなり安い。一方でウニは高い。やはり貴重だということと、一匹から採れる卵巣の量が限られているからなのだろう。
その後、沓形岬公園に向かう。オレンジ色のオニユリが海の色と好対照になっていて美しい。西の方角を見れば、すぐ近くに礼文島が浮かんでいる。ここからは12kmしか離れていないらしい。礼文の方角は天候が悪く、雲が低く暗い。晴れているのは沓形付近の海岸だけのようだ。利尻富士はかなり稜線が見えるようになったが、肝心の山頂は依然雲の中である。
・見返台園地
もしかしたら山頂が見えるかもしれないと思い、山道を4kmほど登って利尻山の中腹にある見返台園地までやって来た。しかしながら、山頂はやはり雲の中であった。ここまで登ってくるとさすがに見晴らしも良く、島の四分の一にあたる海岸線と、沓形の町、そして眼前に広がる利尻富士の裾野が一望のもとである。天候もすがすがしく、感情の混合物が濾過されていく。
・富士野岬、富士野園地
最後は11時の方角にある富士野園地を訪れる。見返台園地を後にして北へ車を走らせていくと、徐々に空が暗くなってきた。今日は、島の南西部だけ晴れていたようだ。到着した富士野岬の付近は荒涼たる海食崖が続き、陰鬱な曇天も相まってかなり寂しい風景である。近くの富士野園地には展望台があり、小さな無人島、ポンモシリ島の姿を眼下に望むことができる。見ると、鴛泊の港を出発したフェリーが、沖合に浮かぶ礼文島を目指して走っていく。絶望的に暗い景色は、まるで心象風景のようにひたひたとこちらへ近づいてくるかのようだ。
・夕食、晩酌
今夜の食事もボリュームがあり、シマホッケ、タコしゃぶ、このわた、バフンウニの刺身、利尻昆布などが盛りだくさんであった。メインはやはりウニで、ムラサキウニと一緒に炊き込んだ釜飯を頂く。この二日間は、何とも贅沢な食生活を満喫している。
夜は予科部屋で飲む。なかなか大量に酒を買ってきたが、多すぎず、かといって少なすぎず、酔って眠るには丁度良い量であった。今さらながら思うに、東医体は、もう終わったのだ。そして、主将も終わったのだ。終わった、という現実に向き合うのは当然のことではあるが、はかない達成感と同時に心に去来するのは、一種の寂寥感、そして孤独感である。誰もいない、広大な氷の海の上で途方に暮れているような感覚、それに近いものを覚える。この一年間、常に全力で取り組んではきたが、それでも達成し得ないことは山ほどあったし、反省することも多いし、何より悔いがないと言えば嘘になる。まあ、しばらくはゆっくり休んで、そして、再びゆったり歩き始めるとしよう。
写真
1枚目:姫沼
2枚目:沓形岬公園
3枚目:見返台園地より眺める利尻山の稜線
2460文字
利尻島へ発つ。
・一夜明けて
やや寝不足ではあったが、8時過ぎに起床。外は雨が降っている。大半の部員はそれぞれのグループに分かれ、道内を旅行してから帰京する。すでに出発している人もいるようだ。荷物をまとめてチェックアウトし、傘を差して豊水すすきの駅へ向かう。
せっかくの機会なのでトワイライトを白石で、北斗星を長都で駅撮りしてから空港へ向かおうと思っていたが、白石で待ち構えていたトワイライトが定刻に来ないので運行情報を調べてみると、未明の大雨で函館本線が南部で冠水してしまい両列車とも立ち往生状態らしい。DD51重連の雄姿をまた拝めるかと思いきや、そう上手くはいかなかった。
・利尻島へ
呆然として空港へ。電話で指定された通り、2階の14番カウンターへ行って番号を伝えると、本当に三脚が出てきて感動の再会w やはり日本はこういうところがしっかりしていて良いと思う。利尻行に間に合って何よりである。鉄道撮影がコケた分だけ暇になったので、ラーメンを食べてから出発ロビーでボンバルディアのプロペラ機を撮って時間をつぶす。
利尻行の機体はボーイング737-500というかなり小さなジェット機で、ずんぐりしている。機内も新幹線の1車両をそのまま持ってきたくらいの広さで、まさに離島航路サイズ。乗継ぎ客が遅れているとのことで、定刻より45分も遅れての離陸となった。この4929便は夏季限定の季節便だが、利尻へは札幌市内の丘珠空港から北海道エアシステムのプロペラ機も飛んでいる。わずか50分あまりのフライトで到着した利尻空港はいかにも離島の空港といった風情で、本当に小さい。滑走路を歩いてビルへ向かう。天候は曇。すかっと晴れた日であれば、駐機場の背景に雄大な利尻富士の山容がどーんと見えるのだろうが、残念ながら今日は雲の中である。
・島を一周
空港からペンションまでは送迎の車で10分ほど。荷物を部屋に置いてからレンタカーを借り、予科主任の運転で島を時計回りに一周する。島は一周約60kmなので、毎時60kmで巡航すれば、所要時間は時計の長針と大体同じになる。ドライブはペンションのある鴛泊(おしどまり)から始まり、雄忠志内(おちゅうしない)、鰊泊(にしんどまり)、旭浜(あさひはま)、石崎(いしざき)、二石(ふたついし)、鬼脇(おにわき)、金崎(かなざき)、南浜(みなみはま)、仙法志(せんほうし)、政泊(まさどまり)、神磯(かみいそ)、長浜(ながはま)、久連(くずれ)、蘭泊(らんどまり)、沓形(くつがた)、新湊(しんみなと)、栄浜(さかえはま)、大磯(おおいそ)、本泊(もとどまり)と集落をたどっていき、再び鴛泊に戻ってくる。12時方向の鴛泊と、9時方向の沓形が二つの大きな町で、前者が利尻富士町、後者が利尻町の中心地となっている。それ以外の部分は比較的小さな集落が点在するのみで、集落の間は何もない原野か、海岸段丘のような地形になっている。
道路は至極単純で、非常に走りやすい。常に左手に海を見ながら、島の海岸線をなぞる。港町の鴛泊を過ぎた後、左手後方に見えてくるペシ岬の奇妙な姿、起伏が激しく道路が海に飛び出していきそうな東岸の景色、海岸段丘の下を走る西岸の景色、雨に濡れる沓形の町の小ぢんまりした姿、荒涼たる原野と断崖が続く北岸の景色。小さな島の中といえども、場所によって表情は大きく異なっている。天候が勝れないのが残念で、とくに南部の仙法志あたりは大雨であった。利尻富士は、やはり雲に隠れている。道中、鬼脇にある利尻島郷土資料館を訪問した。旧鬼脇村役場の建物をそのまま利用した博物館で、数多くの展示品とともに島の歴史が語られている。一日に一体何人が訪れているのか分からないような寂れた雰囲気だが、展示品はどれも非常に年季が入っており、古いものがよく保存されていて面白い。
・夕食
レラモシリは綺麗なペンションで、とくに食事がすばらしかった。ナマコ、ソイ、エビ、ホタテなどなどの地元の海産物が、刺身として、焼き魚として、あるいは鍋として、これでもかというくらい大量に登場。ホタテは新鮮な刺身もさることながら、そのまま何も味付けせず焼かれたものも美味しい。今夜は最後に出てきたバフンウニのウニ丼が圧巻で、金色のウニそのものは甘くとろけるような味と食感である。どれもついさっきまで生きていたわけだから、こんなのは東京では食べられないだろう。
食後は露天風呂に入り、軽く飲み会をやってから寝る。
写真
1枚目:利尻空港到着
2枚目:利尻島郷土資料館
3枚目:ウニ丼
2186文字
8/9
新千歳(CTS)1400(+45) → 利尻(RIS)1450(+45)
全日本空輸4929便(NH4929)
レンタカーによる周回(時計回り)
利尻島郷土資料館
マルゼンペンション レラモシリ 泊
・一夜明けて
やや寝不足ではあったが、8時過ぎに起床。外は雨が降っている。大半の部員はそれぞれのグループに分かれ、道内を旅行してから帰京する。すでに出発している人もいるようだ。荷物をまとめてチェックアウトし、傘を差して豊水すすきの駅へ向かう。
せっかくの機会なのでトワイライトを白石で、北斗星を長都で駅撮りしてから空港へ向かおうと思っていたが、白石で待ち構えていたトワイライトが定刻に来ないので運行情報を調べてみると、未明の大雨で函館本線が南部で冠水してしまい両列車とも立ち往生状態らしい。DD51重連の雄姿をまた拝めるかと思いきや、そう上手くはいかなかった。
・利尻島へ
呆然として空港へ。電話で指定された通り、2階の14番カウンターへ行って番号を伝えると、本当に三脚が出てきて感動の再会w やはり日本はこういうところがしっかりしていて良いと思う。利尻行に間に合って何よりである。鉄道撮影がコケた分だけ暇になったので、ラーメンを食べてから出発ロビーでボンバルディアのプロペラ機を撮って時間をつぶす。
利尻行の機体はボーイング737-500というかなり小さなジェット機で、ずんぐりしている。機内も新幹線の1車両をそのまま持ってきたくらいの広さで、まさに離島航路サイズ。乗継ぎ客が遅れているとのことで、定刻より45分も遅れての離陸となった。この4929便は夏季限定の季節便だが、利尻へは札幌市内の丘珠空港から北海道エアシステムのプロペラ機も飛んでいる。わずか50分あまりのフライトで到着した利尻空港はいかにも離島の空港といった風情で、本当に小さい。滑走路を歩いてビルへ向かう。天候は曇。すかっと晴れた日であれば、駐機場の背景に雄大な利尻富士の山容がどーんと見えるのだろうが、残念ながら今日は雲の中である。
・島を一周
空港からペンションまでは送迎の車で10分ほど。荷物を部屋に置いてからレンタカーを借り、予科主任の運転で島を時計回りに一周する。島は一周約60kmなので、毎時60kmで巡航すれば、所要時間は時計の長針と大体同じになる。ドライブはペンションのある鴛泊(おしどまり)から始まり、雄忠志内(おちゅうしない)、鰊泊(にしんどまり)、旭浜(あさひはま)、石崎(いしざき)、二石(ふたついし)、鬼脇(おにわき)、金崎(かなざき)、南浜(みなみはま)、仙法志(せんほうし)、政泊(まさどまり)、神磯(かみいそ)、長浜(ながはま)、久連(くずれ)、蘭泊(らんどまり)、沓形(くつがた)、新湊(しんみなと)、栄浜(さかえはま)、大磯(おおいそ)、本泊(もとどまり)と集落をたどっていき、再び鴛泊に戻ってくる。12時方向の鴛泊と、9時方向の沓形が二つの大きな町で、前者が利尻富士町、後者が利尻町の中心地となっている。それ以外の部分は比較的小さな集落が点在するのみで、集落の間は何もない原野か、海岸段丘のような地形になっている。
道路は至極単純で、非常に走りやすい。常に左手に海を見ながら、島の海岸線をなぞる。港町の鴛泊を過ぎた後、左手後方に見えてくるペシ岬の奇妙な姿、起伏が激しく道路が海に飛び出していきそうな東岸の景色、海岸段丘の下を走る西岸の景色、雨に濡れる沓形の町の小ぢんまりした姿、荒涼たる原野と断崖が続く北岸の景色。小さな島の中といえども、場所によって表情は大きく異なっている。天候が勝れないのが残念で、とくに南部の仙法志あたりは大雨であった。利尻富士は、やはり雲に隠れている。道中、鬼脇にある利尻島郷土資料館を訪問した。旧鬼脇村役場の建物をそのまま利用した博物館で、数多くの展示品とともに島の歴史が語られている。一日に一体何人が訪れているのか分からないような寂れた雰囲気だが、展示品はどれも非常に年季が入っており、古いものがよく保存されていて面白い。
・夕食
レラモシリは綺麗なペンションで、とくに食事がすばらしかった。ナマコ、ソイ、エビ、ホタテなどなどの地元の海産物が、刺身として、焼き魚として、あるいは鍋として、これでもかというくらい大量に登場。ホタテは新鮮な刺身もさることながら、そのまま何も味付けせず焼かれたものも美味しい。今夜は最後に出てきたバフンウニのウニ丼が圧巻で、金色のウニそのものは甘くとろけるような味と食感である。どれもついさっきまで生きていたわけだから、こんなのは東京では食べられないだろう。
食後は露天風呂に入り、軽く飲み会をやってから寝る。
写真
1枚目:利尻空港到着
2枚目:利尻島郷土資料館
3枚目:ウニ丼
2186文字
霧雨の秩父路 Part 3
2013年3月30日 鉄道と旅行
寒々しい夕刻。
・ロケハン
これまでの撮影で1000系の運用はすべて割れたので、あとは狙う列車を絞ってロケハンを行う。当たり前のことではあるが、「捨てる」べき列車が分かると格段に動きやすくなり、撮影効率が上がる。浦山口~武州中川のB’地点から中川方面にひたすら歩みを進めてロケハンを行うが、景色には建物がたくさん入るようになって、どうしてもそれらがカットできず撮影地に乏しい。そういえば中3のゴールデンウィークに秩父鉄道を訪れたときは、武州中川駅近くのよく分からないストレートの踏切で下り列車を撮ったのだった。ふと記憶が蘇って懐かしい。当時は、編成が全部入れば何でも良い、という価値観だったのである。まさか記事が残っているとは・・・↓
http://kuhane.diarynote.jp/200505082131070000/
自分で言うのもアホな話だが、同一の人間が書いた文章とは思えないwww
脱線した。結局、武州中川までの間には大した撮影地がなかったので、駅を越えて武州日野側に入る。しばらく歩くと少し景色が田園っぽくなったが、この曇天では色が出ず残念である。
A地点: 線路が小さな沢を渡る辺りの線路際にて。意外と障害物が多く、編成全体を入れるのはなかなか難しい。近辺もうろうろ歩きまわって思案した結果、桜の花を手前に据えて車両をぼかすことにした。やや苦し紛れであった。
B地点、B’地点: 武州日野までの間に沢はもう一本あり、こちらの方は沢というよりもそれなりの川で、水面は深い渓谷のはるか眼下にある。したがって橋梁もそこそこ立派で、ここを渡ってくる下り列車を撮るのがこの撮影地。しかしながら橋梁の構造を強く前面に押し出したような感じではなく、単にすっきりした足場の上を列車が駆けているだけという風にも見える。無理やり橋を入れようとすると、下から見上げる形でB’地点に立つことになるが、これだと仰角がきつすぎて列車の顔がかなり隠れてしまう。
C地点: 武州日野駅のすぐ近くで、構内も見える場所。線路際の木の下から撮影。駅を発車した上り列車をアウトカーブで狙う。背景の桜がポイントで、これがなければわざわざここで撮ることはなかっただろう。
終始冷え切った一日だったが、影森以西で1000系を撮るという念願がついに叶った。副産物だったはずのSLもすばらしい収穫で、次回はこれを追いかけてまた山に入っても良いくらいである。西武秩父の仲見世通りで郷土料理のわらじかつ丼を食して、秩父路を後にした。
写真(@武州中川~武州日野)
1枚目:桜とオレンジ(A地点)
2枚目:黄昏の橋梁を渡る(B地点)
3枚目:早春の夕刻(C地点)
1480文字
3/30
撮影(武州中川~武州日野間 A地点):
1544レ[1554] 1003F(オレンジバーミリオン)
下り回送[1556] 西武4000系
撮影(武州中川~武州日野間 B’地点):
1535レ[1610] 7507F
撮影(武州中川~武州日野間 B地点):
1012レ[1626] 急行秩父路10号 6002F
1537レ[1630] 1010F(標準塗装)
S8レ[1633] 西武4000系
撮影(武州中川~武州日野間 C地点):
1546レ[1652] 1010F(標準塗装)
・ロケハン
これまでの撮影で1000系の運用はすべて割れたので、あとは狙う列車を絞ってロケハンを行う。当たり前のことではあるが、「捨てる」べき列車が分かると格段に動きやすくなり、撮影効率が上がる。浦山口~武州中川のB’地点から中川方面にひたすら歩みを進めてロケハンを行うが、景色には建物がたくさん入るようになって、どうしてもそれらがカットできず撮影地に乏しい。そういえば中3のゴールデンウィークに秩父鉄道を訪れたときは、武州中川駅近くのよく分からないストレートの踏切で下り列車を撮ったのだった。ふと記憶が蘇って懐かしい。当時は、編成が全部入れば何でも良い、という価値観だったのである。まさか記事が残っているとは・・・↓
http://kuhane.diarynote.jp/200505082131070000/
自分で言うのもアホな話だが、同一の人間が書いた文章とは思えないwww
脱線した。結局、武州中川までの間には大した撮影地がなかったので、駅を越えて武州日野側に入る。しばらく歩くと少し景色が田園っぽくなったが、この曇天では色が出ず残念である。
A地点: 線路が小さな沢を渡る辺りの線路際にて。意外と障害物が多く、編成全体を入れるのはなかなか難しい。近辺もうろうろ歩きまわって思案した結果、桜の花を手前に据えて車両をぼかすことにした。やや苦し紛れであった。
B地点、B’地点: 武州日野までの間に沢はもう一本あり、こちらの方は沢というよりもそれなりの川で、水面は深い渓谷のはるか眼下にある。したがって橋梁もそこそこ立派で、ここを渡ってくる下り列車を撮るのがこの撮影地。しかしながら橋梁の構造を強く前面に押し出したような感じではなく、単にすっきりした足場の上を列車が駆けているだけという風にも見える。無理やり橋を入れようとすると、下から見上げる形でB’地点に立つことになるが、これだと仰角がきつすぎて列車の顔がかなり隠れてしまう。
C地点: 武州日野駅のすぐ近くで、構内も見える場所。線路際の木の下から撮影。駅を発車した上り列車をアウトカーブで狙う。背景の桜がポイントで、これがなければわざわざここで撮ることはなかっただろう。
終始冷え切った一日だったが、影森以西で1000系を撮るという念願がついに叶った。副産物だったはずのSLもすばらしい収穫で、次回はこれを追いかけてまた山に入っても良いくらいである。西武秩父の仲見世通りで郷土料理のわらじかつ丼を食して、秩父路を後にした。
写真(@武州中川~武州日野)
1枚目:桜とオレンジ(A地点)
2枚目:黄昏の橋梁を渡る(B地点)
3枚目:早春の夕刻(C地点)
1480文字
霧雨の秩父路 Part 2
2013年3月30日 鉄道と旅行
蒸気機関車の咆哮がこだまする。
・S字カーブを愉しむ
B地点、B’地点: 浦山口の影森側には少し鬱蒼とした雑木林があり、山線のような雰囲気が感じられる。線路は国道よりもかなり高い位置を走っているが、注意していないと見落としてしまうような石段があるので、そこから雑木林の中に入り、獣道とも鉄ヲタ道ともつかないような道(最近この表現を多用しているw)を登っていくと、程なくして線路に出る。ここがB’地点で、縦構図ではあるが下り列車をアウトカーブで正面打ちできる。下りのパレオエクスプレスを決められた他、幸いにもオレンジバーミリオンの1000系も捉えることができた。しずしずと姿を現した箱形の電車は独特の風格を放つ。
B地点は影森側へ少し線路沿いに歩いた場所にあり、ここは上り列車用の撮影地。林の奥からS字を描いてぐにゃぐにゃと曲がってくる線形が最大の見どころで、ローアングルから狙えばヘッドライトの反照でレールが輝く絵も期待できる。さらに少し画角を広げれば手前のカーブを縦構図で押さえることも可能で、同じ列車でも色々な撮り方が愉しめるという、実に変化に富んだ場所だ。ここでは1000系の標準塗装もさることながら、白煙を噴き上げて邁進するパレオエクスプレスの勇姿が最大の収穫であった。実は、これほどの近くからSLを撮るのは初めての経験。ボイラーから漏れてくる息吹が自らの呼吸と共鳴し、まるで心が震えるような感覚であった。この生き生きとした感じ、熱を放って生きている感じが、まさに蒸気機関車の魅力といえよう。
A地点: 上下のSLの合間には影森方面へ歩いて色々とロケハンを進めたものの、結局ここに落ち着いた。ここ、というのは三ノ輪鉱業所への引込線がすぐ近くにある歩行者専用の跨線橋で、アウトカーブの上り列車を軽く俯瞰する場所である。パレオエクスプレスの作例がたくさん撮られている。この撮影地ではスカイブルーの1000系を押さえた。どんな構図であれ、3両編成というのは画面に配置するバランスが結構難しい。
写真(@影森~浦山口)
1枚目:シグモイドにさしかかる(B地点)
2枚目:パレオエクスプレス、力走(B地点)
3枚目:突如現れたオレンジバーミリオン(B’地点)
1382文字
3/30
撮影(影森~浦山口間 B地点):
1530レ[1150] 7506F
撮影(影森~浦山口間 B’地点):
1523レ[1221] 7501F
5001レ[1229] SLパレオエクスプレス C58 363
撮影(影森~浦山口間 B地点):
1530レ[1150] 7506F
1532レ[1241] 1010F(標準塗装)
撮影(影森~浦山口間 A地点):
1516レ[1309] 1001F(スカイブルー)
撮影(影森~浦山口間 B地点):
38レ[1359] 7002F
5002レ[1421] SLパレオエクスプレス C58 363
撮影(影森~浦山口間 B’地点):
1529レ[1428] 1003F(オレンジバーミリオン)
・S字カーブを愉しむ
B地点、B’地点: 浦山口の影森側には少し鬱蒼とした雑木林があり、山線のような雰囲気が感じられる。線路は国道よりもかなり高い位置を走っているが、注意していないと見落としてしまうような石段があるので、そこから雑木林の中に入り、獣道とも鉄ヲタ道ともつかないような道(最近この表現を多用しているw)を登っていくと、程なくして線路に出る。ここがB’地点で、縦構図ではあるが下り列車をアウトカーブで正面打ちできる。下りのパレオエクスプレスを決められた他、幸いにもオレンジバーミリオンの1000系も捉えることができた。しずしずと姿を現した箱形の電車は独特の風格を放つ。
B地点は影森側へ少し線路沿いに歩いた場所にあり、ここは上り列車用の撮影地。林の奥からS字を描いてぐにゃぐにゃと曲がってくる線形が最大の見どころで、ローアングルから狙えばヘッドライトの反照でレールが輝く絵も期待できる。さらに少し画角を広げれば手前のカーブを縦構図で押さえることも可能で、同じ列車でも色々な撮り方が愉しめるという、実に変化に富んだ場所だ。ここでは1000系の標準塗装もさることながら、白煙を噴き上げて邁進するパレオエクスプレスの勇姿が最大の収穫であった。実は、これほどの近くからSLを撮るのは初めての経験。ボイラーから漏れてくる息吹が自らの呼吸と共鳴し、まるで心が震えるような感覚であった。この生き生きとした感じ、熱を放って生きている感じが、まさに蒸気機関車の魅力といえよう。
A地点: 上下のSLの合間には影森方面へ歩いて色々とロケハンを進めたものの、結局ここに落ち着いた。ここ、というのは三ノ輪鉱業所への引込線がすぐ近くにある歩行者専用の跨線橋で、アウトカーブの上り列車を軽く俯瞰する場所である。パレオエクスプレスの作例がたくさん撮られている。この撮影地ではスカイブルーの1000系を押さえた。どんな構図であれ、3両編成というのは画面に配置するバランスが結構難しい。
写真(@影森~浦山口)
1枚目:シグモイドにさしかかる(B地点)
2枚目:パレオエクスプレス、力走(B地点)
3枚目:突如現れたオレンジバーミリオン(B’地点)
1382文字
霧雨の秩父路 Part 1
2013年3月30日 鉄道と旅行
のすり氏と共に秩父鉄道を撮ってきました。
・霧雨の朝
この撮影録を書いているのはまさかのゴールデンウィーク明けなので、当日の細かい車両運用とか行程推論とかは完全に失念してしまったw とりあえず、撮影地と撮影列車、そして簡単な感想を記録に残しておくとしよう。今まで何度となく足を運んだ秩父鉄道であったが、今回は影森以西で1000系を撮るということだけに目標を絞って遠征。貨物は貨物で毎回飽きない被写体ではあるが、時にはばっさりと捨てて普通列車に専念しなければならない。有難いことにのすり氏のご友人が予め普通列車の運用をつぶさに調査して下さったので、その産物を手に我々はたいへん効率的な撮影を行うことができたのだった。
A地点: 浦山口~武州中川間の大カーブ。両側に架線柱が立てられた場所が多く、さらに横方向の景色も広がりに欠けがちな秩父鉄道にあって、大きくアウトカーブの構図を切り取ることができるこの撮影地は奇跡的ですらある。カーブは高い築堤の上に載っていて、築堤下の道路から急坂を登ってのアプローチが一般的と思われるが、B地点から線路沿いにここまで来ることも可能。午前中はひたすら「守り」の撮影姿勢。下りは普通にアウトカーブで、一方の上りはカメラを反対側に振って雑木林を活かしながら縦構図も交えて撮影する。1000系の運用が割れるまでは場所を移動せず、じっと粘るのが得策だろう。待った甲斐あって、スカイブルーと標準塗装を決めることができた。実はスカイブルーのまともな正面打ちの走行写真を撮るのはこれが初めてかもしれない。それと、西武4000系も意外と絵になって良い。
B地点: 雑木林の奥、武州中川側にある踏切から下り列車を撮影する場所。線路が緩く曲がっているが、とくにすばらしい場所というわけではない。縦構図で顔を大きく切り取るのが無難な撮り方か。
霧雨が冷たい。しっとりと全身が濡れていき、徐々に体温を奪われてゆく。
写真(@浦山口~武州中川 A地点)
1枚目:西武4000系
2枚目:1000系(スカイブルー)
3枚目:1000系(標準塗装)
1401文字
3/30
撮影(浦山口~武州中川間 B地点):
1507レ[759] 7801F
撮影(浦山口~武州中川間 A地点):
1516レ[806] 5002F
1507レ[830] 7002F
1518レ[835] 7001F
1509レ[857] 7506F
S1レ[906] 西武4000系
1520レ[911] 7002F
1511レ[920] 5001F
1001レ[945] 急行秩父路1号 6001F
22レ[956] 5001F
S3レ[1005] 西武4000系
1524レ[1021] 7801F
上り回送[1037] 西武4000系
1003レ[1051] 急行秩父路3号 6002F
1517レ[1058] 1001F(スカイブルー)
1519レ[1124] 1010F(標準塗装)
・霧雨の朝
この撮影録を書いているのはまさかのゴールデンウィーク明けなので、当日の細かい車両運用とか行程推論とかは完全に失念してしまったw とりあえず、撮影地と撮影列車、そして簡単な感想を記録に残しておくとしよう。今まで何度となく足を運んだ秩父鉄道であったが、今回は影森以西で1000系を撮るということだけに目標を絞って遠征。貨物は貨物で毎回飽きない被写体ではあるが、時にはばっさりと捨てて普通列車に専念しなければならない。有難いことにのすり氏のご友人が予め普通列車の運用をつぶさに調査して下さったので、その産物を手に我々はたいへん効率的な撮影を行うことができたのだった。
A地点: 浦山口~武州中川間の大カーブ。両側に架線柱が立てられた場所が多く、さらに横方向の景色も広がりに欠けがちな秩父鉄道にあって、大きくアウトカーブの構図を切り取ることができるこの撮影地は奇跡的ですらある。カーブは高い築堤の上に載っていて、築堤下の道路から急坂を登ってのアプローチが一般的と思われるが、B地点から線路沿いにここまで来ることも可能。午前中はひたすら「守り」の撮影姿勢。下りは普通にアウトカーブで、一方の上りはカメラを反対側に振って雑木林を活かしながら縦構図も交えて撮影する。1000系の運用が割れるまでは場所を移動せず、じっと粘るのが得策だろう。待った甲斐あって、スカイブルーと標準塗装を決めることができた。実はスカイブルーのまともな正面打ちの走行写真を撮るのはこれが初めてかもしれない。それと、西武4000系も意外と絵になって良い。
B地点: 雑木林の奥、武州中川側にある踏切から下り列車を撮影する場所。線路が緩く曲がっているが、とくにすばらしい場所というわけではない。縦構図で顔を大きく切り取るのが無難な撮り方か。
霧雨が冷たい。しっとりと全身が濡れていき、徐々に体温を奪われてゆく。
写真(@浦山口~武州中川 A地点)
1枚目:西武4000系
2枚目:1000系(スカイブルー)
3枚目:1000系(標準塗装)
1401文字