夕刻

2014年3月21日 弓道
夕刻
夕刻
夕刻
ほぼ徹夜でスライドが完成。我ながらアホなコンテンツをたくさん盛り込んでしまったw 10時頃まで仮眠する。起床後は、手紙をしたためる。あとは諸々の仕事を片付けていたら、何だかんだであっという間に夕方になってしまった。もう六本木に向かわねば。

追いコン
ついに一つ上の学年が部を後にする日が来てしまった。元主将と共に幹部を務めていたあの頃が懐かしく思い出される。最も興味深かったのは、あの組み合わせが非常に好きだったのに、もうコンビが見られなくなってしまうのが残念で仕方がないという意見を聞いたこと。自らの関知し得ないところで、後輩には色々な影響を与えているらしい。そして来年度は自分が5学年もの後輩を擁する立場になってしまう。時の経つのは何と早いことか。色々な方面で対話を深め、いっそう有機的な関係を構築していきたい。

1次会の手紙朗読も、2次会のプレゼンも無事に終了し、あとは明け方までひたすら酒を飲むw これまで本当にお世話になりました。これからもいっそうご活躍ください。

写真:宮島
そろそろ大鳥居の近くまで行ってみるとしましょう。

540文字

反橋

2014年3月20日 大学
反橋
反橋
反橋
長いようであっという間の4日間であった。

消化器内科セミナー
最後の発表を担当することになった。難しい症例だったので、情報を小出しにしながらプレゼンする形式をとってみる。とりあえず昨秋に作ったサマリーを英訳したものを読み上げたのだが、英語は無事に通じたようでほっとした。英作文はそれなりに楽しい。あとは同様、運動を習得するがごとく英会話にも慣れていかねば。

ところで本症例の患者さんは、今年度のポリクリを通して最も印象に残った方でもあった。担当期間中は結局確定診断がつかなかったのだが、後でカルテを見返してみると新たな病歴と検査結果が判明していて、そして間もなく亡くなったのだった。二週目の朝に交わした束の間の対話が蘇り、これまでどういう人生を送ってきたのかという部分に思いを馳せることとなった。一度でも同じ時空間を共有した一人の人間が死ぬということは、かくも異常な感覚をもたらすのか。当時はそう思ったのだが、しかしこうしてこの先、患者の死が日常となりそれに順応していくのかと思うと、何とかまだ脆弱な心にしがみついていたくなるのだ。

Preparation Course
胸部診察、腹部診察などの説明を英語で行うという内容。日常会話は基礎的な動詞を使いこなすことが重要であると実感する。出来合いの文章を絶妙なタイミングでぱっぱっと出していくという、極論すればそういう作業になってしまうのはいささか味気ない気もするが、実は日本語でも同じようなことをさらに無意識的にやっているに過ぎない。本当に巧妙な「返し」というのは、どういう原理で出来上がっているのかは、難しいところではあるが。

夜は駅ビルにてセミナーの飲み会。実に有意義な春休みの4日間であった。昨夜自転車を走らせて新宿高島屋で手に入れた「〆張鶴 銀ラベル」を贈るw 帰宅後は安らかに眠れるかと思いきや、明日の追いコンのスライド作成に取りかかる。手紙もしたためねばならないのだった。

写真:宮島
どこを切り取っても絵になります。

948文字

市街を望む

2014年3月19日 大学
市街を望む
市街を望む
市街を望む
淡々と日常は回る。

消化器内科セミナー
こうも連日英語に暴露していると、自ずと慣れてくる。先生は非常にきれいなアメリカ英語で、また敢えてゆっくり目に話してくれるため、聞き取りやすい。しかし、内科の面白さを改めて実感する。深く知れば知るほど、内科も良いと思うのだ。「外科手技ができる気がしないから内科に行く」というならまだしも、「内科は難しくてよく分からないから外科に行く」という輩は論外として(外科をなめるなよと思う)、自分はまだしばらくは迷ったまま、両睨みで行くとしよう。

終了後は明日のセミナーに向けてサマリーを英訳する。深夜までかかるかと思いきや、3時間ほどで完了した。

写真:宮島
広島湾を挟んだ向こうは、廿日市の街です。

387文字

本殿、高舞台

2014年3月18日 大学
本殿、高舞台
本殿、高舞台
消化器内科セミナー
英語というのは文法もシンプルで言語全体の中で見ればかなり簡単な部類に属すると勝手に考えているのだが(だからこそ今日の世界にここまで敷衍したのではないか)、つづりと発音が一対一対応していないというのが致命的な短所と思われる。とくに医学英語はその点において難しく、最大の難関は二重母音。myelinolysisとかalkaline phosphataseとか。しかしjaundiceの2音節目は二重ではなかったりとか。まあこれは、カタカナ読みが日本語として定着しているからという原因もある。薬の名前も難しく、たとえば「アシクロビル」といっても全然通じない。

午後はPeter Agre先生の講演会に参加。国際交流委員会の活動の一環ということらしい。夜は懇親会でタダ飯を食べるw

そして帰宅後は理系数学の採点業務に明け暮れる。色々な仕事がこのタイミングで降ってきた。

写真:宮島
日も西に傾いてきました。

481文字

枡形

2014年3月17日 大学
枡形
枡形
枡形
今週は予定が目白押しである。まあ、こうやって過ごす春休みも悪くはないのかもしれない。

消化器内科セミナー
米国より先生をお招きし、4日間、ひたすら英語で症例検討を行うというセミナー。鑑別診断の挙げ方、分野横断的な知識の整理など、かなり勉強になる。実学的な内容で、レベルの高さを感じた。それに、医学英語に慣れる良い機会でもある。

Preparation Course
システマティックな病歴聴取を行うという内容だったが、とりあえずは挨拶とか自己紹介とか、これから何をするかという簡単な説明とか。しかし海外旅行と根本的に異なるのは、誤解を招かないような厳密で的確な表現が求められ、「何となく伝わればそれで良い」では済まされない点である。これが非常に難しい。使っている単語自体はみな中学校レベルで、表現も聞けば「確かに当たり前」と思うような内容なのだが、いざ自分で表現するとなると全く思いつかない。日常会話表現は奥が深い。ある程度はフレーズを記憶しないと、使い物にならないだろう。

夜は代々木日曜の飲み会に参加。こういう場に来ると、自分はこれまでかなりのものを犠牲にしてきて、その方面では著しく遅れていることを痛感する。そもそも、物事に対する関心がかなり偏っているゆえなのだ。

写真:宮島
廻廊を歩いていきます。

660文字

朱い廻廊

2014年3月16日 日常
朱い廻廊
朱い廻廊
まずは自転車を走らせて四ツ谷、ニューオータニへ。東京に来ているというので一時間ほどの食事。その後、権田原経由で代々木へ。夕方までぶっ通しであったから、なかなか疲れた。改めて思うに、指導というのは難しい。

夜はひと月ぶりに荒木町へ。せっかくの機会なので、ここぞとばかりにウイスキーを注文w Laphroaig 18, Ardbeq 10, Talisker cask strength, Bowmore 17, Royal Lochnager, Auchentoshan 10, Tobermory 10, Ileachなどなど。てか、こんなに飲んだのかw 次から次へと空けていったため多すぎて何も覚えていないに等しいが、Tobermoryは面白い味だったと記憶している。一段落したらウイスキー全集でも読んで勉強しよう。楽しい経験であった。

写真:宮島
厳島神社に参拝します。

424文字
惜別、あけぼの
惜別、あけぼの
惜別、あけぼの
3/14
横浜1555 → 東京1620
東海道本線866M サハE231-3038

東京1626 → 四ツ谷1635
中央快速線1609T 中央特快 モハE233-541

四ツ谷1637 → 信濃町1639
中央・総武線各駅停車1539B サハE230-5

換装

信濃町1707 → 新宿1713
中央・総武線各駅停車1603C モハ209-512

新宿1720 → 大宮1752
埼京線1683S 通勤快速 70-077

大宮1758 → 高崎1830
上越新幹線339C Maxとき339号 E459-217

高崎1837 → 水上1941
上越線747M クハ115-1096

水上1945 → 土樽2002
上越線8751M モハ114-1072

撮影(土合~土樽 新清水トンネル出口)
1753M[2052] 普通
2091レ[2256] 貨物

3/15
9021レ[001] 特急あけぼの

撮影(土樽)
2070レ[256] 貨物
9022レ[353] 特急あけぼの
2090レ[420] 貨物

土樽628 → 水上650
上越線1720M クモハ115-1060

水上653 → 高崎758
上越線726M 車番記録忘れ

朝食

高崎911 → 新宿1059
高崎線・東北本線・山手線[湘南新宿ライン]3120Y 特別快速
モハE230-3569

新宿1104 → 信濃町1109
中央・総武線各駅停車1014B モハE230-57

惜別の春
横浜からは分刻みのスケジュールである。特定区間通過の特例により信濃町で途中下車し、国対部屋に戻ってスーツから着替える。予め用意してあった防水靴を履き、撮影装備を携えて、15分後に再出発。埼京線で大宮まで出てから、6分の接続で上越新幹線の自由席に乗車。この時間帯は帰宅ラッシュで全く座れず、デッキに立ちっ放しであった。高崎では7分の接続で水上行の普通列車に乗り換える。ここで無事にのすり氏と落ち合ったのであった。

あけぼの最終列車を上越線で見送る・・・大勢の人でごった返す始発の上野もそれはそれでオーソドックスな見送りの場だったかもしれない。しかし、何度となく乗った特急あけぼのだが、夜の闇を切って走るその姿を外から眺めたことは一度もなかった。上越線に入ると急に車窓が雪深くなったことや、越後湯沢の近くの大カーブでは真っ白な雪原が車内から漏れる灯りを点々と反映していたことなどは、とくに印象深い乗車体験である。雪に閉ざされて赤く明滅する小さな踏切が、その悲しげな警報音とともに一瞬のうちに後方へと飛び去っていく様などを眺めながら、深夜の上越線でこの列車を見送るとどのように見えるのだろうと、思いを馳せたこともあった。最終列車が走る今宵こそ、上越国境でその最後の勇姿を見届けようではないか。

最後の越境
新潟はまだ深い雪の中、遠い春を待っていた。小川のようなせせらぎを奏でるスプリンクラーをまたぎながら、土樽駅の外に出る。雪の夜は、思いのほか不気味である。頭上を走る関越自動車道の高架からは轟音が響いてくる。ナトリウムランプは夜空をも淡橙色に染め上げ、いっそう気味悪い。薄く積もった雪をかき分け、橋を二回渡ってから坂道を登りつめると、撮影地に到着した。ちょうど高速道路の高架下にあたる場所で、風雪をしのげるから助かる。下り線はアウトカーブを描きながら新清水トンネルから出てくる。上り線も並行してカーブしながら清水トンネルのポータルへと消えてゆく。上越国境の長いトンネルを抜けた列車が最初に目にする景色が、この土樽の山あいなのだ。

後続の下り普通列車や貨物列車で動画撮影の練習をしているうちに、どこからともなく大勢の撮影者が集結してきた。みな考えることは同じで、最後のあけぼのを見送りに来たのだ。気が付けば3時間以上もここに立っている。来たときは真っ暗だった辺りの景色も、目が慣れたのか、よく見えるようになった。関越自動車道の高架下で暗順応のコールラウシュ点を越えるとは、なかなか面白い経験だ。

そして、ついにその時はやって来た。全員が自ずと無言になる。日付が変わって間もない午前0時1分、トンネルの内壁を照らす橙色の灯りが徐々に大きくなってきたかと思うと、2灯のヘッドライトを燦然と輝かせ、新清水トンネルのポータルからEF64率いる9021列車が突如として姿を現した。ポータル付近にはサイリュームのような灯りを振りかざしていた数名の団体がおり、機関士はそれに応えたのか、ピーッという高く長い汽笛を吹鳴した。寂しい鳴き声を国境の山あいにこだまさせながら、列車はカーブを切ってどんどん近づいてくる。ヘッドライトに照らされ、線路の周りの雪景色がくっきりと露わになる。やがてマシンガンのようなカメラの連写音が撮影地に響き渡ったが、程なくしてそれはEF64の抵抗器の轟音と客車が奏でる轍の音にかき消された。そして、眼前を幾多もの灯りが等速で過ぎ去ってゆく。青白い灯りはB寝台車の通路の蛍光灯、温かい灯りは個室寝台車の白熱灯。等間隔で客車ごとに並んでいるのは行先幕の灯り。車内をよく見ると、通路の椅子に腰かけてぼうっとしている人もいれば、興味深そうにこちらに見入っている人もいる。最終列車の中は、どのような非日常なのだろう。また今宵の旅人は、何を思うのだろう。本当に一瞬の対面であった。ジョイント音は、彼方へと消え去ってゆく。谷川連峰を穿つ最後の国境越えが、今終わったのである。

土樽の夜
余韻に浸りながら駅へと引き返す。ほとんどの撮影者は車でどこかへ行ってしまった。土樽は駅寝が公認されている節があり、待合室には弱い暖房がかかっている。今晩も、4人の登山者が寝床を準備して寝ようとしているところであった。色とりどりの寝袋が平行に並んでいる様は、明太子を彷彿させる。あけぼのの最終列車を撮りに来た我々を見て、驚いているようだった。深夜帯もしばしばホームに出入りしたため、彼らの安眠をかなり妨害してしまったかもしれず、申し訳ない。ときどき貨物列車を撮ったり、駅ノートに落書きをしたりして、ひたすら時間をつぶす。583系のわくわくドリーム号を撮り損ねたのは不覚であった。

上りの最終列車は3時53分頃にやって来た。融雪スプリンクラーが奏でるせせらぎの中、列車はしずしずと低速で登場した。ちらちらと舞い降りる粉雪の粒子が、2灯のヘッドライトに乱反射する。いよいよ、定期のあけぼのをこの目で見るのは最後になる。カメラを回しながら、列車に大きく手を振った。意外なことに、ポッという軽い汽笛が機関車から漏れた。嬉しいことに、機関士が応じてくれたのだ。長岡から水上までの乗務と思われるが、最終列車牽引の任に就くその心境はいかなるものだろう。EF64は物言わぬ客車を後ろに連ねて、ゆっくりと土樽を通過してゆく。ゴトン、ゴトンというジョイント音の一つ一つが心に重く響き渡る。毎夜毎夜、当たり前のように繰り返されてきたこの風景も、次の晩からは過去のものとなるのだ。テールマークを寂しげに光らせて、列車は深夜の国境へと消えていった。そしてその光跡は、永久に網膜に焼き付いた。さらば、あけぼの。

自らを振り返ると、中学高校の頃から東海道ブルトレの淘汰が始まり、大学入学前の富士・はやぶさ廃止を最後に東海道・山陽筋の寝台特急は消滅した。そして今度は、北陸、能登、日本海、きたぐに。この数年で、各地を走り回っていた夜行列車が急速に姿を消している。そして最後の砦と思われたあけぼのも、今まさに終焉を迎えた。あと10年、いや5年も早く生まれていたら、どんなに時代は違っただろう。今できることは、残っている者たちの姿を、網膜の記憶として、そして脳の記憶として悔いの残らないよう心に留めていくだけである。写真も、動画も、結局は記憶を助ける付随的な手段にすぎない。ファインダーばかり覗いていては見えないこともあると、今になって悟る。全人的な感覚を大切にしながら、一期一会の一瞬一瞬に向き合って行かねばならない。

帰路
浅い仮眠から目覚めると、辺りはもう明るくなっている。3月15日の朝だ。6時28分の一番列車で土樽を去り、水上で乗り換えて高崎まで戻る。車中はほとんど眠っていた。太平洋側はすがすがしい晴天である。燦々と朝日の差し込むパン屋で美味しい朝食をとった後、湘南新宿ラインで都内へ帰った。

写真
1枚目:9021列車(動画より)(@土合~土樽)
2枚目:9022列車(動画より)(@土樽)
3枚目:上越線115系(@水上)

4101文字

多宝塔と大聖院

2014年3月14日 日常
多宝塔と大聖院
多宝塔と大聖院
多宝塔と大聖院
連日の横浜。今日は集合が少し遅いので助かる。まずは信濃町へ移動し、国対部屋に着替えと撮影機材を置いてからスーツにて出発。久々に湘南新宿ラインに乗った。車窓を見れば、とくに大崎~旧蛇窪信号場の間などはなかなか面白いところを走っている。山手線と品鶴線を短絡するこの線は大崎支線といい、一つの線区ではなく大崎駅の構内扱いらしい。

横浜からはバスにて現地へ。午前、午後と違う診療科を回ることができたのは面白かった。見学は長すぎず、昼食も美味しい。全体を通した印象としては、あらゆる点においてバランスが取れている。どこが強いとか弱いとかにこだわる人も多いようだが、均整という面ではかなり優れているのではないかと思った。まだまだ迷う余地がありそうだ。

すべてが予定通りに進み、予定通りのバスで駅へ帰還。道が意外と混んでいて、バスを降りてから発車時刻までが2分を切っていたのがかなり大変であったが、無事これも予定通りの列車に乗ることができた。ここからは、新たなる旅路である。

写真:宮島
この界隈は人も少なく、ひっそりとしています。

497文字

五重塔

2014年3月13日 日常
五重塔
五重塔
五重塔
春休み中の見学は2件。平日で時間が取れる日がなかなか少なく、今日と明日に集中してしまった。今日は新横浜へ。品川から新幹線を使えばそれなりに早いようだが、JR+東横+JRという乗り継ぎでようやく到着。東急の運賃は安いので、遠回りして全区間JRで行くのとあまり変わらない。

うーん、やはり部活の勧誘と同じで、どこを回ってもなかなか魅力的に映るものである。元主将にもお会いすることができ、1時間半ほど会談。「チョッカン」で決めるのも大事だという。それが「直感」なのか「直観」なのか、意見が割れるところではありそうだが。しかしポリクリを経て思うに、同輩の環境というのは非常に重要なファクターであると感じる。環境に全く依存しないほどの強い意志があれば話は別なのかもしれないが。その点、新横浜は良いと思った。

夕方から嵐になってしまい、信濃町に戻ってPreparation Courseに大幅遅刻参加する意欲が削がれたため、今宵は普通に帰宅。この間の北陸旅行で仕入れた砺波の酒、若鶴を開栓した。しっかりとした米の味が生きていて美味い。

写真:宮島
少し高台から厳島神社を見下ろすのも面白いです。

529文字

千畳閣

2014年3月12日 弓道
千畳閣
千畳閣
千畳閣
春休み中の自由練習を促進するために今日は東京武道館を確保しているとのことだったので、久々に部に顔を出し、弓をひいてみる。2月は何だかんだで全く練習できなかったので、実に1月下旬以来か。

最初の方はまるで押せなかったが、途中から何となくひき方が分かるようになり、とりあえず左右均等に押し切る、ひき切ることを目指したら意外とうまくいくようになった。的中を気にせず、のびのびとひけるこの感じは懐かしい。久しぶりに弓をひくとなかなか楽しいものである。今後も適度なペースで弓に触れるようにしよう。

午後は信濃町へ戻り、諸々の雑務の処理。明日、明後日、明々後日は詰まりに詰まったスケジュールなので、片付けるものは片付けておかねばならない。夜はいなばへラーメンを食べに行くついでに、有難く拝借したミラーレス一眼、E-PL3の動画撮影実験を行う。新清水トンネルを出る列車ではなく、新宿御苑トンネルを出る車を撮ったw

写真:宮島
大きな列柱の空間。壮観です。

458文字

鹿の棲む島

2014年3月11日 日常
鹿の棲む島
鹿の棲む島
今日は新宿にて代々木の集い(と、メトニミーを使って書くと不思議な文に見えるw)。いやしかし、自分が入ったときに比べると本当に様変わりした。ここまでの大所帯になったとは、隔世の感がある。

そして戦いに敗れたことを知り、無念の極み。やれるだけのことはやったのだが、やはりじわじわ来るものがある。ひとまず3月は細々とした仕事が続きそうだが、来年度からはどうやって過ごしていこうか。

3月は惜別の季節。「年下の人間をここまで尊敬したのは初めて」というのは、身に余る言葉であった。自己の内面の模索に没頭しているときにこういう客観的な意見を耳にすると、はっとさせられることがしばしばあるものだ。

写真:宮島
みなおとなしいです。

346文字

海岸へ

2014年3月10日 大学
海岸へ
海岸へ
今年はあまり春休みらしい春休みは過ごせなさそうである。まずは登校して諸々の雑務を片付けつつ、日記の更新などに勤しむ。

Preparation Course
いきなりOSCEをやらされるw USMLEのSTEP2 CSに準じた内容と思われるが、身体診察までは求められない。しかし問題はやはり英語で、全然スムーズに言葉が出てこない。辛うじて伝わったようには見えたが、だいぶ変な英語になってしまった。英会話=即席英作文と考えているからうまくいかないのだ。会話は結局スポーツと同じなのであって、知っているフレーズ、使えるフレーズをちょうど良いタイミングで発信していくという運動に等しい。頭を使わないわけではないが、しかし理屈で考えてどうこうなるようなものでもない。とりあえずは、表現のレパートリーを蓄積するところから始めねば。色々と課題の見えた一日。

写真:宮島
とりあえず海岸をぶらぶらしてみます。

467文字

上陸

2014年3月9日 日常
上陸
上陸
上陸
日中は主にたまった日記を処理していく。いやしかし、一か月以上も遅れるとなかなか追いつくのは辛い。まあそれでも駄文を書き連ねるのは、確たる旅行の記録を残しておきたいという思いが強いからである。全くの自己満足に他ならないのだが、常にそういう「無意味の意味」のようなものを生活に見出せないと、日常も非日常もあまりに味気ないものになってしまうだろう。

夕方は再び代々木へ。各人が持ち寄ったものをもとに、統合して形にしていく作業。やはり、こういうメンバーで仕事をするのは本当に楽しい。いわば、知的な楽しみ。この、全てが合理的に、そして円滑に進んでいくさまは、さすがだと思うのだ。

写真:宮島
宮島に上陸。商店街を抜けて、海岸にやって来ました。

353文字

接近

2014年3月8日 日常
接近
接近
接近
昨夜はずいぶんと飲んだようだ。朝になってもまだ少し残っていたので、8時頃までぐだぐだと寝床でまどろむ。9時からは勧誘ミーティングがあるというので登校。昼食後は何となく帰宅。しかし特に何もやる気が湧かず、試験勉強漬けから一転、廃人のような生活w 学校にいた方がまだ能率的だったか。夕方は代々木へ。明日が締切の膨大な仕事を任されていたので、閉室まで粘ってなんとか完遂。

春休みの予定を概観してみると、当面の間は今日と明日くらいしかゆっくりできる日がなさそうな感じである。やはり早起きをして仕事を片付けるというのがひとつのキモだろう。

写真:宮島航路
厳島神社の大鳥居が近づいてきました。

328文字

宮島航路

2014年3月7日 大学
宮島航路
宮島航路
宮島航路
どうやら定期試験というものはもうこれで最後になるようだ。あとは、来年の国家試験になるのかw

耳鼻咽喉科学 本試験
耳鏡の所見の図示とか完全にノーケアだったが、全体を通して見ればまあ大丈夫だったか。てか、耳小骨が鼓膜を透かして見えるということを試験中に初めて知ったよw 試験後は救急医学の一周目に取りかかる。2~3日前にメモを作りながら一周目、前日にメモを見返しながら二周目、という流れが完全に定着した。

放射線医学 本試験
コマ数が少ない科目の試験というのは意外と怖いイメージがあったが、取り越し苦労に終わる。今回の試験はWコン行になると7月のアメ留が台無しになるので、絶対に落とせないというかつてないプレッシャーのもとで受けている。試験の難易度にかかわらず、そういうのは精神衛生上あまり良くないw で、放射線が終わってからリハビリに着手。この科目は前日勉強で勝負しよう。

リハビリテーション医学 本試験
これは予想通り楽だったw 試験後は、翌々日の緩和医療の一周目に着手した後、翌日の救急と感染症の二周目に取りかかる。すべて予定通りである。

救急医学 本試験
前日にメモを見ながら二周目を行うというのはやはり高効率である。この、試験後の何も頭に残っていない感じは本当に虚しいのだがw

感染症学 本試験
救急と同日の午後に実施。選択肢が細かすぎるというか、もはや言葉尻をとらえたような謎な出題が多く、試験終了後に議論を呼び起こしていたw さて、ここまで来ればもう峠は越えた。翌日の歯科学は予告問題があるのでそれだけ勉強すれば問題ないらしい。あとは、緩和医療の二周目に着手。

歯科学 本試験
予告問題からの出題。ここまですらすらと記述が書けると快いw

緩和医療 本試験
歯科と同日の午後に実施。3コマしかない科目だったが、講義は緩和というよりもガチ薬理といった感じだったので、どうでも良いところまでキモハ勉してしまったw 症例問題は緩和医療らしい内容で、よく出来ていたと思う。

これにて全11科目が終了。長い試験期間だった。気が付いたら3月も7日になっている。金曜の試験後はPreparation Courseのオリエン、そして自習室の大規模清掃を経て、夜は某会の面々と久々の再開を果たし飲み会を開く。

写真:宮島航路
さて、宮島へ渡ります。

1252文字

西日本色

2014年3月2日 日常
西日本色
西日本色
今日はそれなりに早起きして、来週の試験勉強に取り掛かる。メモを作りながら放射線の一周目を完了。で、やはりメモを作りながら感染症の一周目も完了。虚しいことに、これで日が暮れてしまった。夜は、明日の耳鼻科の二周目に取り掛かる。この科目は記述問題もそれなりに出るようなので、知識をしっかり詰めておく。いやしかし、マルチョイの勉強ばかりやっているとアホになることを実感する。あれは記憶しているというより、「見覚えのある」ものを選んでいるだけなので、結局何も理解していないのと同じなのだw

写真:山陽本線普通列車
糸崎から広島までやって来ました。

304文字

糸崎にて

2014年3月1日 日常
糸崎にて
糸崎にて
気が付けばもう3月に入っていた。2日間の予定がまるまる空いた週末というのはいつ以来だろう。とりあえず月曜からの科目の勉強をしなければならない。まずは耳鼻科の一周目を完了。昨日の夕方からじっくりと読んでいたら案外時間がかかってしまった。放射線の一周目にもちょろっと着手したが、結局全然進んでいない。あとはアメ留の準備、各方面へのメール処理、各種資料のスキャンといった雑務で半日が終わってしまった。しかし、これで懸案事項はおおむね片付いたのでよしとしよう。

夜はふたたび酒を飲む。明日は気合を入れねば。

写真:山陽本線普通列車
糸崎で乗り換えます。西日本色の113系です。

321文字

湘南色

2014年2月28日 大学
湘南色
湘南色
湘南色
月曜日に最後の講義があった後、翌日からはいつになく長い試験期間の始まり。どういうわけか講義とは逆順に日程が組まれていて、皮膚科に至っては最終講義の3日後に試験というスケジュール。1日1科目のことが多いので勉強はしやすいが、だらだらと慢性的に試験が続くのはつらい。

形成外科学 本試験
これは先週の木曜に読了してメモを作ってあったので、まあまあ楽勝であった。教授の記述はなかなか難しかったが。前日にメモを読み返すと記憶が蘇ってくる。今回の試験は全部このパターンで乗り切るとしよう。試験後は泌尿器の一周目を開始。月曜に読了した眼科の二周目も開始した。

眼科学 本試験
解いていてここまで快い試験はなかなかないw 試験後は泌尿器の一周目を完了し、皮膚科の二周目を開始。編集長をやっていたので余裕だろうと思いきや、細かいところは全然覚えていなかったのでやはりメモを作ることにする。5時間くらいかかってしまった・・・

皮膚科学 本試験
相変わらず問題は大量だったが、しっかり対策していればとくに難しくはなかった。試験後は、泌尿器の二周目を開始。そして夕方、アメ留の診療科のアプライが先着順であることに気付き、絶望に打ちひしがれた。書類は2月頭の時点でとうに揃っていたというのに。まあさすがに問題ないとは思うのだが、こういうのはどうも出遅れる傾向にあるから今後注意しよう。

泌尿器科学 本試験
午前中にメモを詰め直す。しかし試験はかなり難しかったような印象。かなり細かいところまで聞かれていたので、デュプロを細部まで読んでいないときつかったか。あの忌まわしき「小児の症候論」に通じるものを感じる。試験後は、耳鼻科の一周目を開始。完全に自転車操業になりつつある。耳だけ読んで集中が切れたので、夜はささやかに一人で酒を飲み、中間打ち上げ。

知識を詰め込んでは吐き出し、詰め込んでは吐き出し、の繰り返し。だんだん虚しくなってくる・・・

写真:山陽本線普通列車
尾道シリーズはようやく終わりです。これから広島へ向かいます。

1028文字

尾道ラーメン

2014年2月23日 日常
尾道ラーメン
尾道ラーメン
尾道ラーメン
起きたら、また皮膚科。とにかく皮膚科。皮膚科尽くしw しかし皮膚科だけをやっているわけにもいかないので、2番目に控える眼科のデュプロにも着手。今日は半分だけ進めた。今回の試験は二度手間を防ぐため、1周目で早速デュプロ・ダイジェストを作ってみる。読むだけでは頭を素通りしていって結局何も残らないので、せめて過去問的に重要な波線部、キモ所だけは書き留めていこうという試み。これが意外と効くもので、どれだけヘロヘロになっても1周目をしっかり読み込んでおけば2周目が楽になる。「とりあえずざっと読んでおこう」はあまり意味がないので、最初から根気よく読んでおくのが重要と思われる。何を今更、かもしれないがw

そして今日は午後から延々と代々木に入り浸る。ついに最終、やれるだけのことはやった。

写真:尾道市街
国道2号線脇の跨線橋は、映画「転校生」にも登場したと記憶しているのですが、どうなんでしょう。ラーメンは美味しかったです。

446文字

浄土寺

2014年2月22日 日常
浄土寺
浄土寺
浄土寺
朝から晩まで家に引きこもり、ひたすら皮膚科デュプロの校正を行うという廃人生活w 婦人科漬けだった昨年の正月を思い出す。一日中PCに向かっていると目をやられる上に、膨大量の過去問を取りまとめ、体裁を整えていると発狂しそうになる。

定期試験の出来は結局、試験を受けるまさにその時点でどれだけの内容を暗記できているかにかかっているので、こうして日頃から継続して内容に触れたところで、最終的には直前に詰め込まないといけない。ただし、その「詰め込みやすさ」が継続の度合いによって変わってくるものと理解している。

写真:尾道市街
なかなかエキゾチックな寺院。

310文字

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