疾走

2012年4月1日 日常
疾走
終日家で日記を処理する日々。春休みも終盤に近づくにつれ、時間の流れ方がずいぶんと緩慢になってきた。2月の忙殺期に比べると一日の密度がずいぶんと落ちたものである。そろそろ、就寝3時~4時、起床11~12時という廃人的な生活スタイルを改善しないといけないなww 完全に定着してしまった。今日からもう4月ということで、間もなくたくさんの勉強なり仕事なり雑務なりが降ってくるわけだ。

写真:特急あけぼの@川部
最近似たような後追い写真を連発中w 後追いだけを狙う、といったような贅沢な撮影もやってみたいが、オーソドックスな構図を撮り飽きるくらいにならないとなかなかできないものである。今までで最も印象に残っている後追いといえば、衣掛山のカーブで粉雪を蹴散らしながら山奥へ消えていった特急日本海の後ろ姿。

383文字
個室寝台車の貫禄
今日で2011年度も終了。矯正歯科を訪れた後、信濃町で少し弓を弯いてから代々木へ。来年度はまた気を引き締めて臨みたいところである。夜は盛大な送別会。今まで本当にお世話になりました。

写真:特急あけぼの@川部
ずらりと細かく並んだソロ個室の窓が編成のアクセントになっています。

173文字
箱根旅行 2日目
箱根旅行 2日目
箱根旅行 2日目
旧街道を歩く。
3/29
箱根彫刻の森美術館

二の平入口1248(+5) → 大芝1303(+5)
伊豆箱根バス

お玉ヶ池、旧街道石畳、甘酒茶屋

畑宿1548 → 箱根湯本1603
箱根登山バス

箱根湯本1652 → 小田原1710
箱根登山鉄道7286

海鮮居酒屋さんせん

小田原1942 → 新横浜1958
東海道新幹線672A こだま672号

彫刻の森
まずは徒歩で彫刻の森美術館へ。箱根登山鉄道の線路沿いに15分ほど歩けば到着である。ここは1969年に開館した日本初のオープンエアーの美術館で、親に連れられて来たこともあるようだが、全く記憶にない。箱根の山々に囲まれた広い敷地内に彫刻群が点在する様子はなかなか壮観。オープンエアーの展示はヘンリー・ムーアの「彫刻は自然の中で鑑賞されるべきもの」という主張に基づくらしく、確かに自然光を受けて様々な表情を見せる彫刻の姿は面白い。鑑賞者に謎解きをさせるような類の、一見すると何を表したものなのか訳の分からない作品も数多く、ここ最近訪れた美術館とはまた一味異なった斬新な体験となった。ピカソ館の展示は理解が難しい。おそらく彼は本当にこんな風に見えていたのか、あるいは物の見方を自由自在に転換することができたのかもしれない。

ステンドグラスに外壁を囲まれたタワーからは広い敷地を一望できる。この美術館は敷地内を箱根登山鉄道の線路が通っているので、最後に「弓をひくヘラクレス」の彫像と絡めて登山電車を撮影。今朝見たところによると今日もモハ1形+モハ2形の3両編成が走っているようなので、タイミングを見計らって箱根湯本を折り返してきた強羅行を撮影。無論、彫刻のそばに張り付きながら鉄道写真を撮っている人など皆無だったがww

旧街道石畳
館内のレストランはかなり混んでいたので、駅近くの寿司屋で昼食をとる。その後、二の平入口のバス停まで10分ほど坂道を登りつめ、箱根町方面へ向かうバスに乗る。時刻からして箱根登山バスかと思いきや、一本前の伊豆箱根バスが遅れてやってきたようだ。箱根地区の観光・交通権益については小田急(かつての大東急)と西武が激しく争ってきた歴史的経緯(箱根山戦争というらしいw)があるようで、最近こそ両社は業務提携を結び停留所名や路線系統記号の統一も行われてきたが、伊豆箱根バスでは「箱根フリーパス」は未だに使えない。まあ今回この切符は使っていないので関係ないのだが。

何気なく乗っていたので気がつかなかったが、今走っているただの山道のような道路は国道1号線である。山をひとつ越えて下り坂にさしかかった頃、前方には芦ノ湖南岸の景色が広がる。大芝というバス停で下車し、畑宿入口の交差点から県道732号線に入る。国道1号線は登山鉄道に沿う形で山を越えるが、この道路は山を挟んで1号線よりも南側を通り、今の交差点と箱根湯本近くの三枚橋交差点とを結ぶ別の山越えルートで、旧東海道はこのルートに重なっている。近くにある暗い雰囲気のお玉ヶ池を見てから、県道脇の山道を登り、県道に並行して林の中に敷かれている旧街道の石畳に入る。そして箱根湯本方面に向かって甘酒茶屋まで石畳を歩く。石畳というのは相変わらず歩きにくいものがあるが、昨夏歩いた熊野古道をふと思い出した。

甘酒茶屋では甘酒とみそおでん、力餅を食する。平日だというのに観光客で賑わっている。来月以降はさらに混んでくるのだろうか。時間にはまだ余裕があったので、畑宿までハイキングコースを歩くことにする。並走する県道は七曲がりの坂道で、国道1号線のバイパスである箱根新道がそこに絡み合うように交差しているのが面白い。ひたすら下り坂や階段ばかりを歩くこと1時間弱、寄木細工の里、畑宿に到着である。中1の新入生歓迎旅行を思い出した。畑宿からはバスで箱根湯本の駅まで戻った。

小田原
夕方は小田原へ出る。みのや吉兵衛という店で塩辛を買う。隠れた老舗として知られているようだ。大した下調べもなく来た旅行だったが、ロマンスカーの中で調達したフリーのるるぶ誌や、強羅の観光案内所で手に入れたガイドマップが意外と役に立った。夕食はすぐ近くのさんせんという居酒屋へ。魚屋の直営らしく、とくにマグロの刺身が非常に充実していて美味しい。刺身には日本酒ということで、丹沢山・純米吟醸、小田原宿・純米をいただく。大量に飲み食いしたわりに値段も安く、小田原に来たときは是非また訪れてみたいところである。

帰路は新幹線で一駅、新横浜へ。所要はたったの16分。ブルーラインに乗ればあざみ野も間もなくである。箱根といえばロマンスカーと盲目的に考えていたが、アクセスするだけであればこの辺りからは実は新幹線が一番早くて便利。しかも運賃は950円、特定特急料金も950円なのでロマンスカーより安い。小田原へ向かう途中に気がつき、切符を払い戻したのは正解であった。これにて旅行は終結。

写真
1枚目:登山電車と彫刻
2枚目:箱根旧街道石畳
3枚目:小田原の夜

2335文字
箱根旅行 1日目
箱根旅行 1日目
箱根旅行 1日目
もにた氏と箱根へ行ってきました。
3/29
表参道1025 → 箱根湯本1154
東京メトロ千代田線・小田急小田原線・箱根登山鉄道A952E・0421
特急メトロはこね21号

箱根湯本1210 → 強羅1249
箱根登山鉄道445 107

強羅公園

箱根美術館1428 → ポーラ美術館1438
箱根登山バス

ポーラ美術館

ポーラ美術館1640 → 強羅駅1658
箱根登山バス

強羅泊
ホテルパイプのけむりプラス

ロマンスカー
往路は千代田線表参道から北千住始発のロマンスカーに乗る。メトロ線内から箱根湯本へ直通するとはなかなか面白い。車両は60000形(MSE)、メタリックなフェルメール・ブルーの車体がメトロの雰囲気によく合っている。ロマンスカーで箱根とはいつ以来だろう。調べてみると、最後に訪れたのは2005年5月15日、中3のときの鉄研新入生歓迎旅行であった。日記によれば、当時は土砂降りの雨で予定変更やら何やらえらく苦労したらしいw あれから7年近くが経ち、今日は久しぶりの箱根ということになる。天候は快晴、新松田を過ぎた辺りでは車窓右手に富士山の美しい山容がつかの間のぞいたりもした。座席は硬いが足元はかなり広く快適。天井は高く開放感があり、木目調にまとめられた落ち着いた内装も良い。速度こそあまり出していないが、走りは滑らかで安定している。小田原からは箱根登山鉄道に乗り入れ、終着の箱根湯本にはおよそ1時間半後に到着。時刻は正午になろうというところである。

箱根登山鉄道
向かい側のホームに入ってきたのはモハ1形(103・107)とモハ2形(109)が混結された3両編成の電車。モハ1形は2両の固定編成だが、多客期には両運転台のモハ2形を増結するようだ。いずれの車両も綺麗に整備されてはいるが、古色蒼然たる貫禄が感じられる。終点の強羅までにすれ違った編成はみな1000形や2000系といった新型(というほどでもない普通の)車両だったので、今日はなかなか運が良い。箱根湯本を出た列車はいきなり80‰の急勾配にさしかかり、吊り掛け駆動の重低音を響かせながらのろのろと山を登っていく。塔ノ沢~大平台~宮ノ下にかけては3つのスイッチバックが存在し、駅や信号場に停車するたび、車掌と運転士がホームを歩いて交代する。曲線半径はかなり小さく、電車は身をくねらせながら這うように山腹を進む。春休み中ということもあってか車内はかなり混雑していたが、首都圏からごく近いところで山岳鉄道を楽しむことができるとはすばらしい。彫刻の森から先はほぼ平坦な路線となり、出発から40分ほどで強羅に到着である。あじさいの季節に撮影に訪れるのも面白いかもしれない。

強羅公園
駅から近い強羅公園を訪れる。園内に咲き乱れるはずのツツジは来月下旬からが見頃で、まだシーズンオフの様相を呈している。ただ日差しは暖かく、噴水の庭園は壮観。熱帯植物館も適当に回る。最後は白雲洞茶苑へ。せっかくなので茶室にも入り、茶菓子と抹茶を頂くことにする。いやしかし、茶道に関しては全く知識がない。「へー」というだけで終わってしまうのはもったいない気もするが、観光に来ているわけだしそれはそれで良いか。

ポーラ美術館
西側の出口から強羅公園を出て、箱根美術館に向かおうとするも今日は閉館日であった。いっそ今日のうちにポーラ美術館へ行こうということになり、観光施設を巡るバスに乗って10分ほど、山奥に突如切り開かれた独特の建築が姿を現す。そういえばここの設計を手がけたのは母校の同級生の父君であったことを思い出したw 今の時期はちょうど「印象派の行方 モネ、ルノワールと次世代の画家たち」という企画展が行われている。つい10日ほど前にオルセー美術館を訪れたばかりであるから、印象派の絵は実に記憶に新しい。入ってみると想像以上に多くのコレクションが並ぶ。どれもポーラ美術館の所蔵のようだが、こんなに多くの絵があったとは。何より日本語ということもあって展示の構成は分かりやすく、オルセーの良い復習になった感もある。常設展もさらっと見ていくが、日本画も日本画で負けていない。陶器はその良さが分かってくればさぞ面白いことだろう。

強羅泊
バスで強羅駅まで戻り、駅からすぐのところにある宿へ。夕食はビュッフェ形式だが料理はなかなか手が込んでいる。見たところ、家族連れがかなり多いようだ。温泉に漬かった後、駅前の酒屋で買った純米吟醸酒「四季の箱根」で晩酌。松みどりという丹沢の蔵元が醸している酒で、米の味が美味しく切れのある辛口。箱根の夜が更けてゆく。

写真
1枚目:MSEメトロはこね
2枚目:箱根登山鉄道車窓
3枚目:ポーラ美術館

2278文字

続行

2012年3月28日 日常
続行
旅行の整理を行ってから代々木へ。午後は教材作成に時間を費やす。独善ではなく広く客観的な視点も培っていきたい。夜は信濃町へ行って有難い指導を受ける。外見上はある程度整った形をしていても、内側を通る力がばらばらの方向に分散していて、弓をひねりながら開く作用が発揮できていないようである。これほど自分の奇妙な感覚を的確な言葉で代弁して下さるとは。忘れていた大切な視点を取り戻した。

写真:特急あけぼの@川部
日本海の少し後を追って奥羽本線を下ってくるあけぼの。

263文字

快速深浦

2012年3月27日 日常
快速深浦
昼に起きて信濃町へ行ったら一日が終わっていたww 先月・今月分の義務矢数が意外とギリギリだったことに驚くが、この春休みは何だかんだで旅行に費やす時間が多かった。まもなく春休みも終わってしまうが、わずかに残された非日常を存分に満喫するとしよう。

写真:奥羽本線快速深浦@北常盤
五能線から直通の快速。架線の下を2両編成の気動車が駆けてゆく。

205文字
旅路は残りわずか
旅行記を書いてから信濃町へ行き、夜は新宿で講師会。膨大な資料や写真を整理したり、ガイドブックや地図を見返しながら旅程をなぞったりしていると手間がかかる。気が付けば、「生の感触」はすでに劣化を始めている。それを何とかして確固たる実体へと成熟させたいところなのだが、やり方によって色々な結果になりうるし、あれはどうか、それともこれはどうかなどと試行錯誤しているうちに時間が経っているわけだ。

ところで、どうも自分は心の深層で「会話=瞬間的な作文」という思考様式が出来上がっているのかもしれない。もちろん作文しているつもりなどないが、思ったことが口に出るまでの過程が作文の時のそれと結構似ている気がする。会話は本来、思考というよりはむしろ運動の部類に属するのであって、ちょうどボールの落下点を予想しながら野手が走ったり、相手を目がけて正確に送球を行ったりするのと同じような感じだろう。別にいちいち複雑なことをどうこう考えるでもなく、体が勝手に動いているといったところか。瞬間的な判断や瞬発的な反射というのは思考や思索の一段上をゆく、より高次な統合機能とも考えられる。会話もまた然り。どうもそこを履き違えていたようだ。

写真:特急日本海@津軽新城
寝台列車の後追いというのはどうしても適当になってしまう。如何せんメインは先頭の機関車で、毎回そのついでとして撮影するからこうなる。

622文字

青い流星

2012年3月25日 日常
青い流星
午前中は旅行記を書き、午後は代々木、信濃町、綱島の流れ。どうも気分が緩んでしまって、本来やるべき仕事がまるで捗らない。新学期が始まっていよいよ忙しくなってきた途端、有り余る余暇が急激に恋しくなるのは仕方ないのか。まあ、忙しい中で物事をこなす方がかえって能率も上昇するというもので、余暇は余暇でまた別の時間の使い方、こういった怠惰な過ごし方があると考えるのも一つの手かもしれない。

写真:特急日本海@津軽新城
ひたすら後追いを連写。毎日似たような写真ばかりだと適当な画題をつけるのも苦労するが、ここで載せないともう二度と出てこないかもしれないのでw してみると、一度も載せもしなければプリントもしない写真は果たして撮る意味があったのかという疑問が湧いてくるものだが、カメラは「自己の感覚器の分身」なので、シャッターを切った瞬間、視覚とも聴覚ともあるいは触覚ともつかないような複雑な感覚の複合体に全身を包まれるわけだ。

443文字

客車列車の風格

2012年3月24日 日常
客車列車の風格
信濃町で弓を弯いた後、代々木へ。しばらく弯いていないと体性感覚も何も忘れてしまい、色々と崩壊していた。毎日代々木があるので生活のリズムが整うかと思いきや、昼前に起きるのでは意味がないorz

写真:特急日本海@津軽新城
後追い。寝台客車は丸い屋根が揃っていて美しい。

168文字

定刻通過

2012年3月23日 日常
定刻通過
勧誘ミーティングで信濃町へ。まずはテストを受ける。記述が多く途中で心が折れ、思考の吐き出し口が詰まってしまったかのような感覚ww ミーティングはおおむね例年通りだが、今年は休日勧誘が多い。半月ぶりのヤウに寄った後は、主将にそそのかされて学事へ成績表を覗きに行く。昨年度の英語のような理不尽な仕打ちはなく、今回は上手いこといって良かった。午後は弓を弯く予定だったが、意外と遅くなったので代々木へ直行。

夜は久々に荒木町へ。帰宅後は勧誘掲示板とカレンダー作成を行ったが、拉致勧も入れると全14日程という凄まじいスケジュール。また怒涛の日常が待っているわけだ。

写真:特急日本海@津軽新城
引いた一枚。冬の写真が撮れなかったのがとても残念。

354文字

くまげらと交換

2012年3月22日 日常
くまげらと交換
引き続き写真整理をしたり、旅行記に着手したり。信濃町に寄ろうかと思ったものの、ぐだぐだ過ごしていたらタイミングを逸してしまった。夜は代々木。よくよく見てみれば、今週は結構な密度で予定が入っている。旅の余韻に浸りながら日常生活を上手に取り戻していくことの難しさを改めて実感する。

写真:快速リゾートしらかみ@津軽新城
どうして縦構図で撮ってるんだっていう・・・

215文字

通勤輸送

2012年3月21日 日常
通勤輸送
追いコンより帰宅後シャワーを浴び、夕方までずっと眠りこける。夜は写真の整理などを始めてみたが大して捗らず。8時間の時差を渡ってきたと思ったら、翌日は徹夜。さすがにリズムが狂ったww そういえば酒田警察署から三脚が返ってきました。もう手元に戻ることはないと諦めていたので嬉しい限り。道具には然るべき愛着を持ち、ぞんざいに扱うことのないようにせねば。

写真:奥羽本線快速列車@津軽新城
朝の通勤輸送ということで、701系5両編成の青森行快速。

255文字

北の夜

2012年3月20日 弓道
北の夜
今日は追いコン。皆さんご卒業おめでとうございます。91回生は我々が入学したときの幹部学年であって、物事の考え方、生活に対する姿勢、心の持ちよう、弓道の技術など、その受けた影響の大きさたるや並々ならぬものがあって、来年度はついに自分がその当時の彼らと同じ立場に立つのかと思うと、身の引き締まる思いである。今の自分の情けない有様を改善しながら、受け継いだことを後輩へ伝えていくわけだ。

主体的に考える姿勢、というのはたびたび強調されてきた。こうするとああなる、こうだったらああなる、だからこれをやってみる、そういった単純明快な論理をいかに深く追求し、いかに無意識的な方法論として己のものにできるか、それを裏付けるのは他ならぬ、やはり主体的な思考である。自分の場合はとくに、知覚しうる限りの事物、想念、時空間全体に対する興味・関心の分布に極端な偏りがある。ある意味で「おかしい」わけだが、それが裏目に出ることもありながら、逆に誇りに思っている場合もしばしばである。ただそうはいっても、まずは自分をよく知ることから始まり、次いで他人を知る、組織を知る、そして社会を知ることへと高次の精神作用はその大きな発展を見るはずだが、今の状態ではどうも最初の段階で踏みとどまっているようにしか思われない。いくら考えているつもりでも、主観や独善という殻の中ではせっかくの思考も朽ち果ててしまう。自己の作り出した主体的な思考を自己の中で完結、ゆくゆくは腐敗させてしまうのではなく、外界との関わり合いの中において客観的に正しい評価を行うことがいよいよ求められてきたことになる。

椿山荘で夜を明かし、早朝の電車で帰途につく。

写真:津軽線普通列車@青森
津軽線と思しきキハ40が停車中。

800文字

閉扉

2012年3月19日 日常
閉扉
成田空港からたまプラーザ行の高速バスに乗り、家に帰り着けばもう18時前である。荷解きをしつつ、たまった洗濯物を片付け、土産物をまとめ、ガイドブックとか現地でのパンフレットとかいった数々の資料や、撮影した1100枚あまりの写真の整理していたら、もう日付が変わろうとしていた。明日は追いコンということで朝から晩まで予定が詰まっているから、そろそろ寝ないといけない。

旅行とは旅行日程そのものに加え、事前の準備、そして事後の余韻と再解釈をも含めたものをいうのだと個人的には考えていて、モンマルトル、エッフェル塔、ストラスブール、コルマール、ワイン街道、カルチェ・ラタン、モン・サン・ミッシェル、ヴェルサイユ、ルーヴル、オルセーなど、数多くの見どころを8日間に圧縮したこの旅程の深い余韻に浸り、そして起こった出来事を何度も反芻するかのごとく、再解釈を重ねながら二次的な記憶を形成していくには、まだ少し時間がかかるかもしれない。旅行記をしたためるというのも再解釈の一環で、日本語の文章としての旅行記それ自体が重要なのではなく、旅行当時の「生の感触」「一次的な印象」を、それぞれ再現可能な「熟成した感覚」「二次的な記憶」へと転換せしめる作業としての意味合いが強い。これを怠ってしまっては、せっかくのみずみずしい感覚や印象が知らぬ間に腐っていってしまい、しまいには「ここへ行った」「あそこを見た」という記憶しか残らないことになる。あるいは、それすら忘れてしまうかもしれない。より高次の段階で記憶を整理することによって、たとえば後になって過去を振り返ったとき、叙景や叙情の言葉そして写真が記憶の架け橋となり、その当時の様子が鮮やかに蘇るものだと信じている。

写真:特急日本海@青森
急に北東北・道南旅行の連載に戻るのも不思議な感じですが、旅行前の続きということで。入線から発車まではずいぶんと時間があり、ゆっくりと撮影することができました。

849文字
フランス旅行 9日目
フランス旅行 9日目
フランス旅行 9日目
パリ滞在最終日。
3/18
オルセー(Orsay)美術館観覧

3/18 → 3/19
パリ・シャルル=ド=ゴール(CDG)1930(GMT+1)
→ 東京・成田(NRT)1455(-30, GMT+9)

全日本空輸206便(NH206)

オルセー美術館
長いようであっという間だった旅行もいよいよ今日が最終日。飛行機は夜なので、昼過ぎまではゆったりと過ごせる。昨日はルーヴルを訪れたので、今日はオルセーを観ることにする。ピラミッド通りからチュイルリー庭園を横切り、ロワイヤル(Royale)橋を渡ってセーヌ左岸へ。橋のたもとから下流を見渡せば、すぐそこがオルセー美術館である。河を挟んだルーヴルの斜向かいということで、両館は互いにかなり近い。

この美術館の建物はかつてはオルレアン(Orleans)鉄道の起点オルセー駅であり、大改修を経て現在の美術館の姿になった。建築当時の骨組みはそのまま残され、五階分の高さがある丸い天井からやわらかな太陽光が差し込む様子は、まさにここが鉄道のターミナル駅であったことを思わせる。何より、上階の展示室の両脇にある大時計、そして吹抜の妻面を飾る時計が流麗である。上階の大時計は文字盤がガラス張りになっていて、室内から数字と針越しに右岸の景色を見渡すことができる。今日は陰鬱な曇天であるのが残念だが、遠くにはモンマルトルの丘とサクレ・クール寺院も見える。

入口は昨日のルーヴルとは異なって長蛇の列。30分以上待ってようやくチケットを買うことができたが、行列の元凶は二つしか入口のないセキュリティ・チェックであった。昼過ぎにかけて混んでくると思われたので、まずは上階の印象派の展示から見て回る。マネ(Manet)、モネ(Monet)、ルノワール(Renoir)といった巨匠の作品群がどっと押し寄せてくる。それこそ、どこかで何度も目にしたことのあるような絵の実物が、これでもか、というくらいに所狭しと並んでいる。この展示室は昨年に改装したらしく、深い青色の壁が柔和で明るい印象派の絵画群を絶妙に引き立てていて美しい。

モネの絵はおしなべて柔らかいタッチで、撮像素子や網膜に焼き付いたままの一時的な像というよりは、視覚野を経て再構成された脳内での二次的な光線イメージに近いものがある。印象(広辞苑によると、美術用語では対象が人間の精神に与えるすべての効果)、とは実にうまく呼んだもので、人間の脳は必ずしも実物を写実的にとらえているわけではなく、一次的な視覚情報の再構成の産物として印象が形成されているという部分とある程度関わっているように思われる。したがって印象派の絵は、それまでの写実主義とはまた別の次元で「分かりやすい」。扱うテーマにしても、宗教画や肖像画などは背景なり歴史なりの知識や、描かれた題材から寓喩を読み取るなどの能動的作用なくしては、どうしても表面的で感覚的な理解に留まるけれども、印象派の絵に描かれるモチーフに対してはそういった知識も作用もほとんど必要なく、そのままの形で作品を楽に鑑賞できる。この点においてもまた「分かりやすい」。印象派がとくに日本人に人気で、オルセーがルーヴルを凌ぐほどだというのは、こうした部分も大きいのではないか。もっとも、芸術など所詮は主観なのだから、表面的・感覚的で大いに結構だし、単に鑑賞する分にはそれで十分だとも思う。そこから先の知識や学識は、教養の範疇あるいは学問の領域として学びたい人だけが別個に学べば良い。

ルノワールは人物画に長け、これまた有名な絵が次々に登場してくる。現在のモンマルトル美術館の庭が舞台だと説明されていた『ブランコ』の絵もここにあり。後期印象派と呼ばれるセザンヌ(Cézanne)は独特の画風で、線や造形そして色の強さが窺える。いずれの展示も直観で理解できる内容が多く、古色蒼然としたルーヴルに比べるとだいぶ明るく、良い意味で軽く、気楽に見て回れるのが面白い。

上階の残りのスペースではフィンランドの画家ガレン=カレラ(Gallen-Kallela)の特別展が開かれていた。軽く見て回った後、中階に降りる。ここは彫刻がメインだが、脇にある狭い展示室にはゴッホ(Gogh)やゴーギャン(Gauguin)といった後期印象派の絵が並ぶ。上階の印象派とはずいぶん趣が異なり、20世紀美術という新時代の到来を予感させる内容でもある。地上階には印象派に加え、古典派、ロマン派、象徴派などの作品群が中央通路脇に設けられた展示室に並ぶ。全てを回るのは大変なので、ここは昨日同様、ミレー(Millet)の『晩鐘』、アングル(Ingres)の『泉』、マネの『オランピア』などといった有名どころを押さえていく。地上階の最奥部にはオペラ座ならびにその界隈の建築模型が置かれ、これもなかなか壮観であった。気が付けばもう14時半になっていたので、ピラミッド通りにあるLa Rotonde des Tuileriesというカフェでハムとチーズのクレープ・サレ(crêpe salée)を食べて宿へ戻る。

帰国の途
16時に呼んでおいたタクシーで空港へ向かう。今日は日曜日とあってパリ市内で渋滞に巻き込まれ、結局1時間以上を要する。チェックイン、パスポート・コントロールを済ませて免税店で土産を買った後、38番ゲートという僻地のようなところへ向かって手荷物検査を受ける。ゲート付近は殺伐としていてほとんど何もない。早々にここまで来てしまい、ラウンジに入り損ねるという失策。出発時刻は19時半。ゲートで待っている間に既に陽は落ち、辺りには急速に夜の帳が下りてゆく。機窓から眺める黄昏の景色は美しくも切ない。やがて空港は宵闇に包まれ、漆黒の滑走路に散りばめられた標識灯の数々をぼうっと眺めていると、あっという間に機体は宙に浮いて眼下にはつかの間の夜景が広がった。さらば、パリ。

夕食の後、映画を観てから眠りにつく。「千代寿」という山形の日本酒が美味しかった。かなり長い時間寝てしまったようで、目が覚めると着陸まであと3時間半。日本時間はまもなく正午というところ。昼食としてプレートを注文し、食後にうとうとしていたらあっという間に着陸である。地球の自転と同じ方向に飛ぶ方が不思議と時間も短く感じられるものだ。

写真
1枚目:大時計
2枚目:広大なドーム
3枚目:セーヌ左岸に佇む

2758文字
フランス旅行 8日目
フランス旅行 8日目
フランス旅行 8日目
芸術の洪水。
3/17
ルーヴル美術館観覧

パリ泊
Baudelaire Opéra

ルーヴル美術館
朝10時頃に宿を出てルーヴルへ向かう。長蛇の列に並ぶことになるかと思いきや、すぐにチケットを買えた。ルーヴルは随分昔に来たことがあるようだが、全く記憶にない。ガラス張りのピラミッドから差し込む太陽光で、地下のナポレオン・ホールは明るく照らされている。このホールからリシュリュー(Richelieu)、シュリー(Sully)、ドゥノン(Denon)の各翼へ行くことができるが、館内はとにかく広大で、地図の描いてあるパンフレットがないと確実に迷う。今回は記憶上ほぼ初訪問に等しいので、地図で紹介されているサワリの部分だけを回る。主に鑑賞したのは以下:
モナ・リザ〈Leonardo da Vinci〉
カナの婚宴〈Paolo Veronese〉
ナポレオン1世の戴冠式〈Jacques Loius David〉
サモトラケのニケ
トルコの浴場〈Jean-Auguste-Dominique Ingres〉
いかさま師〈Georges de La Tour〉
宰相ロランの聖母〈Jan van Eyck〉
ガブリエル・デストレとその妹
自画像〈Albrecht Dürer〉
レースを編む女〈Jan Vermeer van Delft〉
天文学者〈-〉
ナポレオン3世の居室
マルリーの馬〈Guillaume Coustou〉
マグダラのマリア〈Gregor Erhart〉
瀕死の奴隷〈Michelangelo〉
エロスの接吻で目覚めるプシュケー〈Antonio Canova〉
ミロのヴィーナス
ラムセス2世座像
ポンパドゥール侯爵夫人の肖像〈Maurice Quentin de La Tour〉
ハムラビ法典

デュプロで「重要度 ★★★★★」と書かれた部分をひたすら暗記するかのごとく、展示のサワリを中心に観覧していく。しかしそれだけでもかなり大変であり、回る途中にしばしば他の作品で立ち止まっていたらあっという間に閉館時間となり、一日が終わってしまった。一つ一つをじっくりと見て回っていたら一週間はかかる、とよく言われるのも納得できる。だんだんキモ所だけを集めた確認作業のようになっていったのが残念である。いやむしろ、一つ一つの作品が重すぎるのにその数があまりに膨大で、いちいち深い思索に耽っていてはとうてい精神や体力がもたないのが実情。絵画にしろ彫刻にしろ、「すごいもの」がそこら中に並べられたり転がっていたりして、適当に10点も集めれば相当なコレクションになるのではないかと思う。日本でも人気を博したフェルメール(Vermeer)の絵も、その2点が部屋の隅に何気なく飾られていたし、ガラスケースに適当に入れられている数々の王室調度品も、凄まじい価値があるはずだ。何にせよ、これまで訪れたことのある「美術館」とはそもそもの格が違う。

ルーヴルの収蔵品は王室の美術コレクションに始まり、ルイ16世の時代には膨大な数にのぼり、さらにナポレオンの時代以降も蒐集が続けられて現在その数は30万を超えるという。古代エジプト、ギリシャ、ローマの美術も相当に充実していて、よくぞここまで各地からかっぱらってきたものだ。またルーヴル宮という建物自体も壮大な建築で風格があり、とくにリシュリュー翼の二階にあるナポレオン3世(Napoleon Ⅲ)の居室などは圧巻であった。ガラス屋根の張られた同翼の中庭には数々の彫刻が立ち並び、差し込んで来る柔らかい自然光を受けてさまざまな表情を見せる。角度と光線によって色々見え方が変わるから、改めて彫刻の面白さを実感。夜に訪れたらさぞミステリアスなことだろう。館内は綺麗に整備され、構造さえ把握してしまえば地図をもとに効率よく作品を回ることができた。

芸術の洪水に溺れ、心身ともに疲弊した一日。夕食はカプシーヌ通りの「中華飯店」という店で中華料理を食し、宿へ戻る。明日晩の飛行機でいよいよパリを去ることになる。荷造りを済ませた後、ベッドに横たわり旅の回想に耽った。

写真
1枚目:モナ・リザ
2枚目:ナポレオン3世の居室
3枚目:ミロのヴィーナス

1827文字
フランス旅行 7日目
フランス旅行 7日目
フランス旅行 7日目
絶対王政の象徴的建築を訪ねる。
3/16
Opéra → Invalides
メトロ【8】号線

Invalides → Versailles-Rive-Gauche
RER【C】線

ヴェルサイユ(Versailles)宮殿、トリアノン(Trianon)

Versailles-Rive-Gauche → Invalides
RER【C】線

Invalides → Opéra
メトロ【8】号線

夕食

Madeleine → Lamarck Caulaincourt
メトロ【12】号線

オ・ラパン・アジル

パリ泊
Baudelaire Opéra

ヴェルサイユ宮殿
今日はRERでパリ郊外ヴェルサイユへ向かう。列車はほぼ全区間を通してのろのろと低速で走り続け、30分ほどでヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ(Versailles-Rive-Gauche)駅に到着。一大観光地の宮殿はこの駅から徒歩10分程度のところにあり、界隈はすでに多くの人で賑わいを見せ始めている。ルイ14世の騎馬像を通り過ぎ、入場券を買って中へ入る。

王室礼拝堂を地階から覗いた後、二階へ上り、ヘラクレスの間、豊穣の間、ヴィーナスの間、ディアーヌの間、マルスの間、メルクリウスの間、アポロンの間と順々に回っていく。この宮殿には基本的に廊下というものがなく、全ての部屋が扉でつながっている。一連の居室群はギリシャ・ローマのそれぞれの神々をテーマにした内装でまとめられている。壮大に描かれた天井画も美しい。ルイ14世は太陽神アポロンを自らの象徴とした。肖像画ではバレエで鍛えた脚線美をアピールし、名言「朕は国家なり」を遺している。冷静に思えば何とも滑稽な話、滑稽な文化だが、その滑稽さも、これでもか、これでもか、というほどの豪華絢爛建築、コンセプトの一貫した内部装飾、ひたすらに誇示される絶対的権力、というところまで来れば、もはや別の境地に達している。ここまで徹底すると、誰も文句は言うまい。

角部屋の戦争の間には、支配者たる国王を中心に据え、敗れ去っていった国々の様子を周囲に配した天井画があり、壁面の捕虜の彫刻が背負っているのはやはり太陽王ルイ14世の騎馬像である。戦争の間に続いて、有名な鏡の間がある。ここは宮殿の西側の回廊全体にあたり、窓外には広大なヴェルサイユの庭園が一望のもとである。牛眼の間を経て王の寝室を見学。国王は毎日、太陽の運行に従った規則正しい生活を送り、近くの部屋には多くの従者が待機していた。意外にも自由やプライバシーの少ない暮らしだったようだ。鏡の間を挟んで戦争の間に遠く対峙するのは平和の間であり、そこからは大会食の間、王妃の寝室などの居室群が連なる。後の悲劇的な運命も知らずに微笑むマリー・アントワネット(Matie-Antoinette)とその家族の肖像画が印象に残る。最後にナポレオンの間を見てから宮殿を後にする。

マリー・アントワネットの離宮
今日は日差しが強くかなり暑い。ダウンを着てきたのは失策である。ヴェルサイユの庭園はとにかく広大で、北側にあるトリアノン(Trianon)や王妃の村里を往復すればゆうに4kmは歩くことになる。園内には15分程度の間隔で運転している便利なトラムが走っているので、これを利用する。宮殿裏の水の前庭から出発したトラムは、ネプチューンの泉で左折してトリアノン大通りを進む。まずはグラン・トリアノンで下車し、ここを見学。宮殿は観光客で混雑していたが、ここはそういった喧騒からは程遠く、ゆったりとした時間が流れている。少し木のこもった香りのする邸内を歩き回るが、落ち着いた雰囲気でなかなか良い。ルイ14世はことのほかここが気に入っていたようだが、もっとも、毎日毎日あの宮殿で暮らしていてはさすがに息が詰まるだろう。現在このグラン・トリアノンは、外国首脳の迎賓館として機能しているらしい。

グラン・トリアノンの北東、歩いて5分ほどの距離にはプチ・トリアノンがある。もとはルイ15世の寵妃ポンパドゥール(Pompadour)夫人のために建てられた離宮だが、完成を前にして彼女は死去している。その後はマリー・アントワネットに与えられ、ここで気ままな生活を送ったという。内部には当時の生活を再現した展示が行われているが、家具や食器などは現代のそれらとさして変わるところがない。文化の原型はすでにこの時代に出来上がっていた。プチ・トリアノンの裏手にはイギリス式の庭園が造られており、くねくねとした小径や小川、池などが田園を模した風景の中に巧妙に配され、直線的で左右対称、そして広大な大庭園とは全く異なる趣を見せている。王妃の村里と呼ばれる一角には12軒の農家からなる村が人工的に造られ、王妃自ら牛の乳搾りや釣りのまねごとなどをして悠長に遊んでいたらしい。実際に人を雇って農民役としてここに住まわせていたというから驚きである。

大運河を回ってから帰る予定だったが、プチ・トリアノンからトラムに乗り込んだ時点ですでにトラムが満席であったのでそのまま宮殿へ直帰する。現に、大運河では大量の積み残しが発生していた。そろそろ日差しも西へ傾いてきたから、パリ市内へ戻るとしよう。

オ・ラパン・アジル
夜は、パリ観光初日に訪れたモンマルトルのシャンソニエ、オ・ラパン・アジルを訪ねる。店内は相当に薄暗く、赤を基調とした照明でまとめられている。ステージのようなものはなく、地下室のような狭い部屋の中で歌い手が次々とテーブルで合唱したり、あるいはピアノの脇に立って独唱したりする。ここにはピカソ(Picasso)やモディリアーニ(Modigliani)も足繁く通ったといい、往時の内装がそのまま残されていて興味深い。オリジナルのサクランボのリキュールを片手に、異国の音楽に聴き入る。アコーディオンを弾きながら歌う中年の女性歌手がかなり上手であった。娯楽としてのシャンソンは凋落気味で、昔ながらの歌が聴けるのもパリではここくらいになったらしい。店内にはもちろん常連客らしき人々もいたが、奥の方にはアメリカ人と思しき団体客が大勢座っていた。店は観光客にはかなり慣れている感じだったが、そういった路線へも舵を切らないとそろそろ厳しいのだろうか。

帰りはタクシーで宿へ戻る。そろそろ旅行も終盤である。

写真
1枚目:鏡の間
2枚目:プチ・トリアノン
3枚目:オ・ラパン・アジル

2945文字
フランス旅行 6日目
フランス旅行 6日目
フランス旅行 6日目
神秘の巡礼島へ。
3/15
Opéra → Madeleine
メトロ【8】号線

Madeleine → Montparnasse Bienvenüe
メトロ【12】号線

Paris Montparnasse 707 → Rennes 917
TGV 8705

Rennes 940 → Le Mont St. Michel 1055(-10)
バス

モン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)

Le Mont St. Michel 1420 → Rennes 1540(-5)
バス

Rennes 1603 → Paris Montparnasse 1822
TGV 8046

Montparnasse Bienvenüe → Madeleine
メトロ【12】号線

Madeleine → Pyramides
メトロ【14】号線

パリ泊
Baudelaire Opéra

ノルマンディーへ
早朝に宿を出発し、メトロを乗り継いでモンパルナス駅へ向かう。パリ市内からのバスツアーもあるようだが、折角なのでTGVでレンヌまで行き、そこからバスでモン・サン・ミッシェルを目指すことにした。列車は機関車も含めると12×2の24両という相当な長大編成で、乗り込むまでにずいぶんとホームを歩かされた上、号車番号がパリ方から10、9、8、・・・、1、11、12、13、・・・、20と割り振られているので予め編成表を確認しておかないとかなり分かりにくい。座席はストラスブールを往復したときと同じ仕様で、座面は硬くリクライニングもないのであまり快適とはいえない。車窓から日の出を眺めた後は、うとうとしていたらいつの間にかレンヌに到着であった。

レンヌ駅の北口を出てバス乗り場へ向かう。ここからモン・サン・ミッシェルまでは70分ほど。バスはのどかな田園の放牧風景が広がる中を走り、ノルマンディー(Normandie)の海を目指す。村に入ると徐行運転を行うが、村の間はかなりの高速で飛ばしてゆく。一昨日のワイン街道もそうだったが、こうした道路は大昔から脈々と受け継がれてきたのだろう。やがて、景色が開けたかと思うと遠目に島影が見えてきた。岩山にそびえ立つ修道院の姿がフロントガラスに接近し、徐々にそのディテールが明らかになっていく様子はなかなか感動的である。今でこそ堤防で結ばれた陸繋島の様相を呈しているが、かつては絶海の孤島だったという。バスを降りると、強い潮の香りに包まれる。ここはもう海上である。

岩山の修道院
混んでくる前に、まずは修道院を見学してしまう。島の入り口には門があり、その先にある狭い坂道の路地を上り詰めたところに修道院がある。8世紀頃、大天使ミカエル(Michel)のお告げによって岩山に建てられたという礼拝堂は増改築が繰り返され、時には要塞としての機能も果たしながら現在の姿となった。西のテラスは眺望が良く海と陸地を見渡すことができるが、残念ながら水平線は霞んでしまい景色は煙っている。島は干潟に囲まれていて、均一で無表情な砂洲の上に尖塔の影が斜めに落ちている。てくてくと歩いている人の姿も見受けられる。修道院付属の教会を経て列柱廊に進むと、そこは不思議な三次元空間である。交互にずれながら整列する二列の細い円柱が、中庭を囲む形でアーチを支えている。その整然たる様子もさることながら、廊下を歩くにつれて刻一刻と変化していく近景と遠景との絶妙な幾何学的干渉が美しい視覚効果を生み出している。かつては祈りと瞑想の場だったという。ここはメルヴェイユ(Merveille)の棟の最上階に位置し、西の窓からの見晴らしもすばらしい。

その後は食堂、迎賓の間、太柱の礼拝堂などを回っていく。石造りの建物の中はひんやりと涼しく、外界から隔絶されているような印象も受ける。厳冬期などは凍えるような寒さだったのではないか。海上の岩山にこもり、祈りを続けてきた修道僧たちの苦労はすさまじい。そして何よりも、これほどまでの修道院を人力で作り上げたということが驚嘆に値する。さまざまな様式の建築が混在しながらも、全体として一つの統一体をなすこの神秘的な巡礼島と修道院が背負う歴史と文化を肌で感じることができる。島は遠くから見渡せばピラミッドのような山の形に見えるが、これは建設時にしっかりと考慮されてのことだというから、当時の石積みの技術水準が実に高かったことも窺える。

島内散策
ツアーの大型バスが続々と島に到着し、観光客も多くなってきた。修道院を見終えた後は北塔、ブクル塔、低塔といったふうに東側の城壁を散策する。到着したときは快晴だったのだが、今は低い雲が立ち込め、海霧だろうか、辺り全体に灰色の靄がかかっているように見える。修道院の尖塔も霧の中に隠れてしまった。昼食は名物の巨大オムレツを食べるべく、島の入口にほど近いラ・メール・プーラール(La Mére Poulard)というレストランに入ったが、通される席にしろ接客態度にしろ観光客をなめていて感じが悪い上、メニューがボッタクリも良いとこだったので早々に店を出る。しかしオムレツは捨てがたいから、結局城壁のそばにあった同系列のレ・テラス・プーラール(Les Terrasses Poulard)に入ってスモークサーモンと合わせたオムレツを注文。卵がふんだんに使われ、ふわふわとした食感でわりと美味しい。19世紀末に島と陸地を結ぶ道路が完成するまでは、巡礼者は潮の干満を気にしながらこの地を訪れたというが、彼らのために作られたオムレツがこの名物料理の発祥だという。いやそれにしても、これで18.5€はやはり高い。最初に訪れた本家の45€よりはずいぶんマシだが。

モン・サン・ミッシェルを訪れてみて、修道院と島自体には大変な感銘を受けたのだが、それにぶら下がっている観光産業の質が低く、島の入口から修道院にかけての参道は完全に俗化している感も否めない。次々とバスが島に乗り込んできて、続々と観光客が湧き出してくる。むろん自分もその一員なのだが、世界遺産に登録されることによる地元の苦悩というものも間違いなくあるだろう。逆に訪れる方としては、俗化した観光地になっていることを覚悟の上、それはそうと割り切って行くしかないとも感じる。まだ観光シーズンではないから、今日などはかなりゆっくりと回れた方だろう。

帰路
本当は夕方のバスでレンヌに戻る予定だったが、意外にも島が小さくすぐに回れてしまったので、予定を変更して昼下がりの便で帰ることにする。TGVの指定券変更は手数料を取られてしまったが、パリ・モンパルナスには18時半前に帰還することができずいぶんと落ち着いた旅程となった。宿の界隈にある「北海道」というラーメン屋に入ってようやくひと息。

パリの夜
酒田でなくした三脚は目下返送手続き中のため、有難くも主将からお借りした三脚を携え夜景撮影に出かける。オペラ広場、マドレーヌ教会、コンコルド広場、ルーヴル宮の四ヶ所を徒歩で回る。主にスローシャッターで車の光跡を画面上に錯綜させる写真を狙ったが、なかなかうまいバランスのものが撮れない。こればかりは運であるから、何回も試行錯誤することになる。夜も賑わうオペラ広場の交差点で、タクシーの屋根に点灯した緑色のLEDがダイナミックに画面を横切ったとき、不意にもガッツポーズをしてしまったw 横断歩道の脇で三脚を立てていたわけだから、完全に変人である。

写真
1枚目:島が見えてくる
2枚目:列柱廊
3枚目:オペラ座の夜

3583文字
フランス旅行 5日目
フランス旅行 5日目
フランス旅行 5日目
カルチェ・ラタンを歩く。
3/14
Pyramides → Châtelet
メトロ【7】号線

Châtelet → St. Michel
メトロ【4】号線

リュクサンブール(Luxembourg)公園
モンジュ(Monge)通り、ムフタール(Moufftard)通り
カルチェ・ラタン(Quartier Latin)、クリュニー(Cluny)中世博物館
サン・シュルピス(St. Sulpice)教会

St. Sulpice → Châtelet
メトロ【4】号線

Châtelet → Pyramides
メトロ【7】号線

パリ泊
Baudelaire Opéra

セーヌ左岸へ
昨日、一昨日とアルザスへ行っていたため今日は遅めのスタート。10時頃にのんびりと宿を出て、左岸のカルチェ・ラタンを中心に散策しよう。メトロを降り、サン・ミシェル(St. Michel)大通りを南下。左手には逆光のソルボンヌ(Sorbonne)教会、そしてもう少し下ればパンテオン(Panthéon)が見える。右手に広がるのはリュクサンブール公園。早春の日差しは柔らかくも眩しく、多くの人々が日光浴をしたり、雑談を楽しんだり、読書にふけったり、園内をジョギングしたりと、思い思いの時間を過ごしている。パリ市民の憩いの場といったところか。背後に控えるリュクサンブール宮殿は立派で、現在は上院が入っているらしい。

公園を訪れた後は、スフロ(Soufflot)通り、サン・ジャック(St. Jacques)通りを経てソルボンヌの裏側を回り、サン・ジェルマン(St. Germain)大通りに出た。交差点にあったEyrollesという書店に立ち寄る。地下にはフランス国内外の旅行書がかなり充実し、眺めているだけでも楽しめる。昼食は、大通りとラグランジュ(Lagrange)通り、モンジュ通りが交差した角地にあるCafé du Metroでフランクフルトソーセージとビールを頼む。値段のわりに結構美味しい。こうしてカフェに座り、道行く人々や交差点を往来する交通などをゆったり眺めていると、街の素の表情というのか、観光とは切り離されたところにあるパリの姿を垣間見られるように思う。

午後はモンジュ通りをモンジュ広場まで南下する。今日はここで朝市が開かれていたようで、今はその片付けの真っ最中であった。賑やかな市を一度見てみたいものである。広場からは小さなオルトラン(Ortolan)通りに入り、裏側のムフタール通りへ出る。この通りはパリの胃袋と呼ばれ、朝夕には細い石畳道の両脇にぎっしりと店が立ち並び、市が開かれるようだ。ポ・ド・フェール(Pot de Fer)通りとの交差点付近はとくに活気があり、廉価ながら美味しそうなカフェやブラッセリーが軒を連ねている。この辺りはカルチェ・ラタンの一角にある庶民的な街区で、この他にもクレープ屋やチーズ屋などが立ち並び、通りを北上したところにあるコントルスカルプ(Contrescarpe)広場のカフェには多くの人が集っている。平日の午後だが、みな暇なのだろう。日差しも暖かいし天気も良いので外に繰り出してひと息、といったところか。この界隈は大昔はパリの掃き溜めのような場所だったようで、衛生環境も最悪だったと聞く。かつてここに住んだことのある小説家ヘミングウェイもその様子を酷評しているようだ。

カルチェ・ラタン
ムフタール通りに続くデカルト(Descartes)通りを歩き、サンテチエンヌ・デュ・モン(St. Étienne du Mont)教会の脇から、午前中横目に見たパンテオンの裏手に出る。この周辺にはアンリ4世(Henri Ⅳ)高等学校、パリ大学法学部、ソルボンヌなどが集中し、時刻はちょうど15時頃、授業が終わったと見えて多くの学生が広場に集まっている。フランス人はふにゃふにゃと議論を重ねるのが大好きなようで、大勢が立ち話をして盛り上がったり、座り込んで難しい顔をしながら課題だかレポートだかに向き合ったり、ただ友人どうしで集まって談笑していたり、といった姿がそこら中に見受けられる。総じて感じたのは、こちらの学生はみな質素で堅実、そして勉学に真面目ということで、自分が普段目にしているところの日本の大学生とは生活のスタイルが根本的に違うように思われる。本来のあるべき姿とはこういうものなのかもしれない。それと、各々が自分の意見を持っていて、それらを自由にぶつけあっているように見えるのもまた面白い。個人的に「空気を読む」という日本語はいかにも同調的そして迎合的な感じがあって嫌いなのだが、「これを言ったらどう思われるか、場にそぐわないのではないか」などということは誰一人気にせず、かりに意見が衝突したにしても互いの考えが尊重されるという風土が感じられる。むろん、各々が自由奔放に放言することが必ずしも全体の利益になるとは限らないが、少なくとも革新的な結論や斬新な発想が得られる機会ははるかに大きくなると思うわけだ。ただ残念なことに、議論において「節度を守る」ことはすなわち「空気を読む」ことだと勘違いしている人が多い。

クリュニー中世博物館
朝も通ったソルボンヌの先にはクリュニー中世博物館がある。ここはかつての修道院を改装して博物館とした建物で、意外とマイナーなようだが展示内容は圧巻。とくに、ガラスケースに入れられたおびただしい数の金属細工には目を見張るものがある。どれもキリスト教にまつわるものばかりだが、宗教が人を国を動かし、文化を民族を形作ってきたことを改めて実感する。どの一つ一つにも大きさのわりにただならぬ迫力が感じられ、夜に訪れたらなかなか恐ろしい雰囲気になりそうである。もう一つの目玉は『貴婦人と一角獣』と名付けられたタペストリーで、五感すなわち視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚に加え、謎の第六感を表現した六枚組の連作。赤い背景と緑の地面が補色をなして鮮やかである。15世紀末に作られたものらしいが、これほどの作品を織るには一体どれほどの手間がかかっているのだろう。第六感は「我が唯一つの望みに」と呼ばれ、愛や理解だと解釈されるらしい。

サン・シュルピス教会
博物館を出た後は、エコール・ド・メドゥシンヌ(École de Médechine)通りに入る。この通りは両側をパリ大学医学部に挟まれていて、医学書だけを専門に扱ったVigot Maloineという大きな書店もあり非常に興味深い。信濃町の貧弱な生協に比べるとその品揃えはすさまじい。その後サン・ジェルマン大通りに出てしばらく西進し、フール(Four)通り、マビヨン(Mabillon)通りを経由してサン・シュルピス教会に至る。この教会は小説『ダ・ヴィンチ・コード』で有名になった。内部には確かに演壇を斜めに横切る真鍮製の「ローズライン」があったが、これは左手にあるオベリスクと合わせて「グノモン(gnomon)」と呼ばれる中世の天文観測器であって「ローズライン」とは呼ばないこと、またここが異教徒の教会ではなかったこと、小説の「シオン修道会」は架空のものであることなどが説明されていた。つまり聖杯伝説とは何の関係もないということらしい。あとはドラクロワの壁画『ヤコブと天使の闘い』を見てから教会を後にした。

夕食は宿近くのサン・トーギュスタン(St. Augustin)通りにある「金太郎」という定食屋に入った。去年も訪れたが、なかなか美味しい。

写真
1枚目:リュクサンブール公園
2枚目:ムフタール通り
3枚目:サン・シュルピス教会

3426文字
フランス旅行 4日目
フランス旅行 4日目
フランス旅行 4日目
ワイン街道をゆく。
3/13
Strasbourg 1051 → Colmar 1123
TER 96217

コルマール(Colmar)
オー・ケーニグスブール(Haut-Kœnigsbourg)城、
リボヴィレ(Ribeauvillé)村、リクヴィール(Riquewihr)村

Colmar 1837 → Strasbourg 1909
TER 96236

Strasbourg 2016 → Paris Est 2235
TGV 2460

パリ泊
Baudelaire Opéra

TERの旅
ゆったりとした朝を過ごした後、コルマールへ向かう。コルマールはストラスブールの南方75kmに位置する街で、アルザスのワイン街道の中心都市でもある。街道を巡るツアーに昨日申し込んでおいたのが午後のコルマール出発までは時間があるので、午前中にコルマール入りして軽く観光を行う。ストラスブール~コルマール間は毎時一本の間隔でTERが運行しており、75kmをたったの30分で結ぶというかなりの俊足ぶりである。切符は駅の券売機で簡単に買えるかと思いきや、支払いの段階になってカード払いしかできないことに気が付く。結局窓口に並び直したが、こちらの人々は後ろの行列を気にかけることもなく、あーでもないこーでもないとぐだぐだ職員と相談をしている。職員も職員で、並ぶ人が増えてきたからといって新しく窓口を開けるという発想もなく、また行列の人々も別段急くことなくのんびりしている。ようやく自分の番が回ってきてコルマールまでの往復乗車券を手に入れることができたが、時刻はちょうど9時51分。急いでホームへ向かったものの列車はすでに動き始めており、タッチの差で乗り遅れてしまった。何という失策、こうなったら1時間後の次発を待つほかない。

列車は客車で編成されている。機関車はストラスブール方の最後尾に連結されているが、客車の先頭車には運転台が設置されているのでここから機関車を遠隔運転することになる。日本ではまず見かけない運転方式だが、さすがは動力集中方式の欧州である。車内は2等でもかなり快適で、座席はふかふか、客室も広い。TERは都市間の快速列車に相当する種別だが、速達性の面でも車内設備の面でも日本の在来線特急を上回っていると言わざるを得ない。走り出しもびっくりするほどスムーズで、まるで舟がすっと滑り出すかのよう。いつ動き出したのか気が付かないほどである。連結器が優れているためか、日本で感じる客車列車特有の振動など微塵もない。走行も極めて安定していて、ぐいぐいと速度を上げていくも揺れはほとんどない。これが標準軌の安定感ということだろう。

進行方向右手の車窓を見ると、手前はただひたすらに農地が広がり、遠景にはヴォージュ山脈がそびえている。鉄道から少し離れたところには小さな村々が点在する。どの村にも必ず教会があり、島のようにかたまった家並から鐘楼が頭を出しているのが目立つ。昨年もそうだったが渡欧して改めて感じるのは宗教、ことにキリスト教の強大な力で、大昔から人々の信仰を集めたことは間違いない事実であろうが、ステンドグラスに描かれた聖書、おどろおどろしい彫刻の数々などを通し、悪行をはたらけば死後煉獄に堕ちると半ば脅しながら、町や村のすみずみにまで及ぶ地方の統治機関であったと同時に教育機関でもあり、したがって各々の文化の発展に相当な影響を与えたこともまた確かだろう。

コルマール
コルマール駅前のLCAトップツアーという旅行業の事務所を訪ね、13時25分に駅前に再集合するよう伝えられる。日本語が通じるのが便利である。コルマールもストラスブールと同様、旧市街には古い木組みの家が立ち並び、プチット・ヴニーズ(Petit Venise)と呼ばれる運河沿いの一帯は特に美しい。その他の旧市街はやや雑然としていて、ストラスブールのような穏やかな感じはあまり見られない。北側にはサン・マルタン(St-Martin)大聖堂、ドミニカン(Dominicains)教会、ウンターリンデン(Unterlinden)美術館などの建物が集中している。大聖堂は意外にも質素な外観で、ストラスブールのノートル・ダムのような派手な装飾などもなく、ただ黙々と石を積み上げて完成した建築であるように見える。ただ、バラ色の砂岩はここでも同じである。列車を一本逃したためにあまり時間がなかったので、ひと通りの見どころをざっと散策し、最後はレピュブリック(République)通りを歩いて駅前へと戻って来た。今日初めて知ったが、自由の女神像の作者バルトルディ(Bartholdi)はここコルマールの出身だそうだ。

オー・ケーニグスブール城
午後はワイン街道を巡るツアーである。他の日本人二人組との同乗で、ツアーといえどもまるでハイヤーのようだ。運転手のJohn氏は自らをアルザス人といい、アルザス語とフランス語とドイツ語と英語を話すという。日本にも三年ほど住まわれていたということで日本語もかなり流暢で驚いた。アルザス語はフランス語とドイツ語が混ざったようなこの地方独特の言語である。行政上はフランス、文化圏としてはドイツ、といったように、仏独がアルザス地方の取り合いをしてきた複雑な歴史的経緯が至るところにおいて窺える。ドイツ国境のライン(Rhein)河まではここから車で20分ほどの距離で、フランスの人が向こうへ買い物に行ったり、その逆も然りといったようなことが普通だという。国どうしが陸続きで接しているがために互いの文化が絶妙に混ざり合うこの感覚は、島国の日本で永らく暮らした身としては非常に斬新であり、またなかなか具体的な想像のつかないものでもある。

車は高速道路に乗り、ストラスブール方面へ北上を開始した。30分ほどで最初の目的地、オー・ケーニグスブール城に到着するという。高速を降りてから山の方に向かって走っていくと、サン・ティポリット(Saint-Hyppolyte)という小村に入った。目抜き通りを走ればものの3分程度で村の境界まで来てしまった。こういった地方の村は城壁の名残があるためか、とにかく内と外の境界が明確で面白い。上空から見下ろせば、きっとブドウ畑に浮かぶ島々のように見えることだろう。村を出てつづら折りの山道を登っていくと城に到着である。オー・ケーニグスブール城は標高755mの山頂に立つ城塞で、12世紀にはその記述が文献に登場するというアルザス地方随一の古城である。三十年戦争で陥落して以来、2世紀にわたって放置されていたところを19世紀に修復され、現在は中世からの城の歴史を展示する博物館の役割も果たしている。城壁には、ストラスブールやコルマールの大聖堂と同じバラ色の砂岩が用いられ、何処となく壮大で力強い印象を与える。この砂岩はヴォージュ山脈の山々から切り出されてきたものだという。ひんやりとした内部を歩くといかにも中世の城といった雰囲気で、血なまぐさい歴史も垣間見える。銃眼がのぞく大城砦から眺める展望は美しい。すぐ麓に見えるのは先ほど通って来たサン・ティポリットの村、その向こう側に大きく展開しているのはセレスタ(Sélestat)の街である。澄んだ日にはドイツ国境を越えてシュヴァルツヴァルト(Schwarzwald)も見えるというが、残念ながら遠景はかなり霞んでいた。

リボヴィレ
一時間ほどの観光の後、城を後にする。サン・ティポリットのブドウ畑で停車してくれた。この季節は当然ながら葉も茂っていなければ実もついていないが、すでにシーズンに備えメインの枝を二本に落とす枝打ちが行われているらしい。ワイン畑の海に浮かぶように村が島のごとく点在し、中世から続く街道がそれらを結んでいる。ブドウの季節にここを訪れたらどれほど綺麗だっただろうか。ロルシュヴィア(Rorschwihr)、ベルクハイム(Bergheim)といういかにもドイツ風の名前の村を通過し、リボヴィレに到着。ここもまたおとぎ話に出てくるような出で立ちの村で、ストラスブールやコルマールとよく似てはいるが、いくぶんひなびた風情があって良い。この時期になるとここ一帯にはコウノトリが飛来することも有名で、建物の屋根や塔の上に営巣している姿をしばしば見かける。ちょうど一週間ほど前にやって来たところだそうで、実にタイミングが良かった。アルザス地方との縁は深く、15世紀くらいからコウノトリはこの地方のシンボルとなっているようだ。

リクヴィール
最後にリクヴィール村を訪れる。どの村も同じような姿をしているが、ここは目下大規模な工事中であった。石畳を剥がしたり建物を改修したりと、夏の観光ハイシーズンに向けて大忙しである。実際のところ、最多客期には一日二万人がこの村を訪れるというから驚く。フランス国内はもとより、近隣のドイツやスイスからの観光客もかなり多いのではないかと推測するところである。リクヴィールでは、DOPFF&IRIONという店でワインの試飲を行った。ワインについては全くの素人なので何も分からないが、口にしたのは次の6本。
① Crément d’Alsace
② Muscat
③ Riesling 2007
④ Gewurztraminer 2008
⑤ Riesling 2007 (Vendanges Tardives)
⑥ Gewurztraminer 2005 (Sélection de Grains Nobles)

①はスパークリングワインで、注ぎたての泡が売りらしい。かなりさっぱりしていて飲みやすいが、喉越しはアサヒスーパードライに近いw ②はマスカットのワイン。日本人に人気だというが、アルコールっぽさがなく軽いジュース感覚で飲めるところが受けるのかもしれない。③はリースリングという品種のワイン。フルーティーながらも確固たる芯があり、するすると飲みやすく純粋に美味しい。ワインと日本酒を比べること自体が論外かもしれないが、味わいこそ全く異なるものの感覚としては〆張鶴「純」に通じるところがある。意外と刺身にも合いそう。④のゲヴュルツトラミネールはアルザス地方を代表する品種で、香り高く甘酸っぱい。⑤は③と同じ畑のリースリングでも遅摘みのものなので全く味わいは異なり、かなりまろやかで深遠な味になる。⑥は貴腐ワインで、初めて飲んだがまるでリキュールのようなとろみのある極甘口。アイスクリームにかけると良さそうで、これは完全にデザート。結局、③と⑤を土産に買う。

余った時間でリクヴィール村の散策を行うが、少し歩いただけですぐに村の果てまで来てしまった。そろそろ日没が近くなり、村には灯りもぼちぼちともり始めたところである。あとは車でコルマールへ戻るのみ。このツアーは大正解であった。やはり、地元を知り尽くしている人に案内してもらうのが確かで間違いない。

帰路
TERとTGVを乗り継いでパリへ戻る。ストラスブール駅で写真を撮っていたら、二人のSNCF職員がにこやかに画面に入ってきた。鉄道を撮る人はこちらではよほど珍しいらしい。これほど豊かな国土や先進的なシステムが充実しているというのに、鉄道趣味が相当にマイナーなのはどうも不思議である。東駅からはタクシーで宿へ戻った。

写真
1枚目:プチット・ヴニーズ
2枚目:オー・ケーニグスブール城からの眺め
3枚目:ワイン街道からの景色

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