丹波・越中撮影行 3日目 朝
丹波・越中撮影行 3日目 朝
丹波・越中撮影行 3日目 朝
天は我々を見放した。
9/12
富山546 → 東滑川605
北陸本線523M クモハ413-9

撮影(東滑川~魚津 中村)
?M[620] 回送 681系3連
?レ[634] 貨物 EF510
522M[636] 普通 413系3連(白)
525M[636] 普通 413系3連(青)

撮影(東滑川~魚津 早月川橋梁)
527M[652] 普通 413系3連(青)

撮影(東滑川~魚津 西魚津 築堤その1)
4010M[710] 特急サンダーバード10号 681系12連
529M[711] 普通 413系6連(青)
524M[713] 普通 475系6連(白+青)
1051M[731] 特急北越1号 485系6連(R)
526M[733] 普通 475系6連(白+青)
8002レ[742] 特急トワイライトエクスプレス
531M[747] 普通 413系3連(白)
528M[757] 普通 413系3連(青)
1003M[803] 特急はくたか3号 681系9連
530M[809] 普通 413系3連(白)

撮影(東滑川~魚津 西魚津 築堤その2)
532M[822] 普通 413系3連(青)
427M[829] 普通 475系6連(青+白)
533M[847] 普通 413系3連(青)
534M[848] 普通 413系3連(青)
536M[903] 普通 475系6連(青+白)
1005M[910] 特急はくたか5号 475系6連(青+白)

雲が憎い
撮影行の朝は早い。始発の直江津行に乗り込み、東滑川で降りる。ロケハンをしながら魚津方面へと歩みを進めるも、太陽がある方角には厚い雲が浮かんでいてなかなか日差しが出そうにない。一方で西側の空はすっきりと澄み渡り、紺碧の富山湾の向こう側には能登半島の島影まで見えている。結局、越中中村の近くにある撮影地は日が差すことはなかった。早月川を渡っている最中はわずかに晴れ間がのぞいたが、通過したのは地鉄が2本と青の413系のみ。定番とされる築堤は、手前に広がる稲穂の色づきは本当に申し分なかったものの、肝心なときに限って見事に太陽光が雲に遮られ、475系6連もトワイライトエクスプレスも全然色が出ないまま通過してしまった。トワイライトなどは本当にひどい出来で、全編成が濃緑色なものだから真っ黒につぶれて訳が分からない。来春で廃止されるというのに、北陸本線での最後の撮影がこんな形で幕を下ろすとは残念である。はくたかと413系の通過時には思い出したかのように晴れ間が回復したのだった。

のすり氏の案内で定番のさらに魚津方にある撮影地へも足を伸ばす。スケール感こそ小さいものの、黄金の稲穂と青空をコンパクトに収めることができる普通列車向きの撮影地である。さて、この期に及んで空が晴れ渡って来た。背景となる西の空には一点の曇りもなく、紺碧色が無限に広がる。これなら何枚か納得のいく写真が撮れると期待していたのだが、413系も475系もやって来るのは青一色ばかり。折角こんな素晴らしい舞台が用意されているというのに、なぜそこで白の北陸色が来ない。手洗いもガウンも手袋もドレーピングも終わっていよいよ執刀開始というときに、メスがないようなものだ。皮肉にも白い車体のサンダーバードやはくたかは憎いほど美しく写ってくれるから、余計に虚しい。さらに残念なことに、国鉄色475系のA19編成が差し替わってしまい今日は走っていないという情報を得る。ヘッドライトの球切れが原因らしいが、どうやら今日は太陽にも運用にも見放されてしまったようだ。

写真(@東滑川~魚津)
1枚目:ダーク・グリーンの車列
2枚目:朝の築堤
3枚目:実りの秋

1786文字
丹波・越中撮影行 2日目 夕
丹波・越中撮影行 2日目 夕
丹波・越中撮影行 2日目 夕
さらば、こうのとり。
9/11
レンタサイクルによる移動
川代公園

撮影(丹波大山~下滝 丹波竜発掘地)
3015M[1613] 特急こうのとり15号 381系4連
3018M[1626] 特急こうのとり18号 381系4連

下滝1647(+5) → 篠山口1658(+4)
福知山線2540M サハ223-6226

篠山口1708 → 藍本1721
福知山線2768M 丹波路快速 モハ225-6017

タクシー(播州交通)

撮影(相野~藍本 森本踏切付近)
3020M[1738] 特急こうのとり20号 381系6連

撮影(相野~藍本 森本踏切)
3017M[1759] 特急こうのとり17号 381系4連

藍本1822 → 大阪1918
福知山線2772M 丹波路快速 サハ223-6227

大阪1927 → 富山2253
東海道本線・湖西線・北陸本線4041M 特急サンダーバード41号 モハ683-4805

富山泊

休憩
昼下がりの時間帯は暇になることが分かっていたので、再び下滝へ引き返し、川代渓谷の入口まで自転車を走らせる。川代公園という、いかにも税金をつぎ込んで最近整備しましたといった風情の公園があるので、ここの日陰で一休みする。9月半ばでは、まだ夏から抜け切れていないながらも、日陰に吹き抜ける風や、水色に澄んだ空などからは秋を感じることができて、心が涼しい。西日本の美しい田園風景の中、自転車を走らせながら密度の低い鉄道撮影を行うというのは、なかなか贅沢なポリクリ休みの過ごし方かもしれない。

ふたたび恐竜踏切
昨日もそうであったが、15号と18号は下滝交換のため、ほとんど同じ撮影地でアングルを変えて撮るしかない。夕方の撮影に選んだのは結局恐竜踏切で、この時間帯は下り列車への斜光線が期待できる。そろそろ稲穂の構図にも食傷してきたので、15号は築堤を這い上がったところから正面がちで捉えてみる。しかしながら雲の動きが激しく、景色の奥の方は晴れているというのに手前は薄暗いという残念な写真になってしまった。こういうのは陰翳礼賛だと割り切るしかない。

程なくしてやって来た18号はいわゆるエロ光線がしっかり当たってくれたので一安心である。田んぼの隅だけが刈り取られている光景を絡めて、収穫の秋を前面に押し出した絵を作る。隅だけを刈り取って稲を寝かせておくのは何か儀式的な意味があるのか不思議なところで、同じような光景は翌日の城端線でも見かけることとなった。結局、コンバインが入りやすいように最初の一部分は人の手で刈っているのではないかと勝手に推測したのだが、実際のところはよく分からない。

黄昏
7号は本来なら22号で戻って来るのだが、今日は北部でもダイヤが乱れたため6連は20号で上ると予想し、足早に恐竜踏切を立ち去る。のすり氏の自転車は川代公園の近くでチェーンが外れたので、帰りは手を繋いで下り坂を牽引することになった。篠山口行の列車には無事に間に合い、乗り換えて藍本に降り立ったのは17時20分過ぎ。予め呼んでおいたタクシーに乗り、目星をつけていたストレートの撮影地まで向かう。空は晴れているが、線路のすぐ西側に山が迫っているため、もう列車に光は当たらない。6連は大阪を目指し、冷たい黄昏が迫る中を駆け抜けて行った。そして下り17号は昨日も訪れた森本踏切の近くで適当に撮影。これにて福知山線の撮影は終了である。

富山へ
今夜は富山まで向かうという壮大な行程で、大阪では9分乗換でサンダーバードの自由席に乗り込んだ。大幹線の特急列車だというのに、入線してドアが開くのが発車の3分前とは、旅情も何もあったものではない。ホームの運用や車内整備の効率化を求めると、こうなるのかもしれない。実際、ホームにいた客は全員乗れて積み残しは出ていないのだから問題ないという考え方なのだろう。急いで買った駅弁を肴にビールで乾杯。富山までは3時間半という強烈な俊足である。681・683系は被写体としては何らの魅力も感じないが、乗っている分には快適で過ごしやすい。

写真
1枚目:陰影礼賛(@丹波大山~下滝)
2枚目:収穫を目前に控えて(@丹波大山~下滝)
3枚目:黄昏の気配(@相野~藍本)

2086文字
丹波・越中撮影行 2日目 昼
丹波・越中撮影行 2日目 昼
丹波・越中撮影行 2日目 昼
丹波路をゆく国鉄色。
9/11
三田1000 → 篠山口1028
福知山線2719M 丹波路快速 クハ222-6114

篠山口1031 → 下滝1042
福知山線2537M クハ222-5508

レンタサイクルによる移動

撮影(丹波大山~下滝 丹波竜発掘地)
3012M[1122] 特急こうのとり12号 381系4連

撮影(下滝~谷川 中道踏切付近)
3014M[1319] 特急こうのとり14号 381系6連
3007M[1345] 特急こうのとり7号 381系4連

単線区間
息つく暇もなく三田へ引き返し、篠山口行の丹波路快速に乗る。川代渓谷は昨日でほぼ撮り尽くした感があるので、今日の昼は下滝を拠点にして単線区間を撮影することに決めていた。幸いなことにこの駅にもレンタサイクルが置いてあり、駅前の松原楼という旅館にお願いすると借りることができる。

まずは丹波大山方へしばらく行ったところにある丹波竜の発掘地へ。歩道には剥げかけているものの恐竜の足跡がプリントされていて、これをたどれば目的地に到着する仕掛けになっている。昨日も訪れたにもかかわらず踏切の名前を忘れてしまい、我々は勝手に恐竜踏切と呼んでいた。辺りは一面が黄金色。光線も申し分ない。その中を颯爽と駆けてくる国鉄色381系の姿は、まさに丹波竜のようである。昨日今日でノッペラボーの屋根にはすっかりハマってしまった。この重厚感とスリム感を併せ持っているところが381系の造形のポイントかもしれない。

次なる撮影地は、下滝を越えて谷川方面へ行ったところにある中道踏切の近く。谷川までの間はしばらく単調な道が続くが、下り坂と共に景色がぱっと開けてくる辺りが目的地である。踏切のそばには荒涼とした公園があり、ここに自転車を停めてひと息つく。狙うのは6連で下って来る7号だが、予定時刻になっても現れないので調べてみると、どうやら宝塚近くでの信号トラブルとやらで80分も遅れているらしい。この様子だと14号の方が先に通過する見込みである。撮影地を変えても良かったのだが、本命の7号まで腰を据えてここで粘ることにした。そうこう考えているうちに急激に曇り始め、14号はあまり色の出ない写真になった。サイド気味に狙って稲穂を強調してみたのだが、やはり光がないと画面からは冷たい印象を受ける。

しかし、7号の通過時には見事に日差しが回復した。本来の通過時刻だと顔にはギリギリ日が当たらない太陽方位角だったのが、この遅れのおかげでずいぶんと日が回り込んでくれて、まさに国鉄色のこうのとりが羽ばたくにふさわしい至高の舞台が用意された。これまで撮ってきた4連のコンパクトな感じもそれはそれで良いが、やはり特急列車たるもの、編成は長い方が見栄えが良いに決まっている。381系のスマートなフォルムがいっそう強調され、国鉄色のストライプが黄金の稲穂を鮮やかに彩る。鉄道撮影は往々にして幾多もの偶然に翻弄されるのだが、たまにこうして理想的な絵が撮れるものだから、中毒的な面白さを感じてやまない。

そういえば「バリ順・激V」というイタい言い回しがあったことを思い出し、ひとしきり笑ったのだった。こういう表現はとても日常的に使う気にはなれないが、感覚的な本質をどの言葉よりも簡潔に言い表しているという点だけは評価できる。

用例:
80分遅れの7号は6連でバリ順!激Vでした!v(^^)v

やはりこの旅行記の温度感にまるで合わないからやめようw

写真
1枚目:日本の秋(@丹波大山~下滝)
2枚目:原風景(@下滝~谷川)
3枚目:至高の舞台に羽ばたく(@下滝~谷川)

1657文字
丹波・越中撮影行 2日目 朝
丹波・越中撮影行 2日目 朝
丹波・越中撮影行 2日目 朝
福知山線、2日目。
9/11
ウッディタウン中央710 → 三田723
神戸電鉄 2201

三田740 → 生瀬754
福知山線1138C サハ207-1023

撮影(生瀬)
2728M[757] 丹波路快速 225系8連
5432M[803] 快速 207系7連
4480M[807] 普通 321系7連

生瀬810 → 武田尾816
福知山線565M クハ222-6125

撮影(武田尾)
1135C[820] 普通 207系7連
5425M[838] 快速 207系7連
3001M[842] 特急こうのとり1号 381系4連

武田尾846 → 生瀬852
福知山線566M クハ222-6125

撮影(生瀬)
5442M[856] 快速 207系7連
3006M[901] 特急こうのとり6号 381系6連

生瀬911 → 三田926
福知山線1139C モハ321-50

撮影(道場~三田 水田)
5431M[940] 快速 321系7連
3003M[942] 特急こうのとり3号 381系4連

駅撮り
駅撮りといえば中3~高1の頃が全盛期だったと記憶している。当時は資金が少なくなかなか改札外には出られなかったという事情もあるが、そもそも首都圏では駅というのが最も手軽に鉄道に触れられる場所であり、路線ごとにそれなりのバリエーションがあった。たいていの場合は2面2線の駅のホームから反対側の線路を走る列車を障害物なく収めようと、色々な駅へと足を運んだものだ。今から思えば実に単純な話なのだが、いわゆる「被り」に怯えながら接近放送を耳にし、やがて遠くに小さく103系の姿を認めたときの緊張感などは、今でもよく覚えている。駅撮りは鉄道撮影の原点といって良い。

朝は早めにチェックアウトして、生瀬へ向かう。トンネルを抜けてすぐのストレートで上り列車を撮影できるポイントだが、1号を撮る予定の武田尾から向かうと次の6号がほとんどぶっつけ本番になってしまうので、練習を兼ねて下見に訪れた。立ち位置を変えて色々と実験したところ、車体の裾がなるべく水平に写るくらいのローアングルが丁度良いというセオリー通りの結論に至る。

武田尾は名塩トンネルと第1武田尾トンネルに挟まれた駅で、ホームの半分以上は後者の中に埋もれている。この辺りは1986年の複線電化と同時に新線への付替が行われ、生瀬~西宮名塩~武田尾~道場はトンネルで山中を貫通する構造となった。昨日の川代渓谷もさることながら、これはこれで福知山線らしい風景である。なお往時の旧線は蛇行する渓谷沿いを走る風光明媚な車窓だったと聞く。第1武田尾トンネルのポータルの裏側から、名塩トンネルを抜けて疾走してきた特急こうのとりを捉えた。

すぐに生瀬へ移動し、6号を迎え撃つ。DJによると今日の6号、7号、22号、25号は6連で走るとのことである。しかし、通過直前になって下りの接近放送もかかってしまった。対向列車を洗い出して被りはないと計算したはずなのだが、どうやら回送が来るようだ。ローアングルは諦めて左側から撮る構図に転戦。何となく間延びした写真になってしまったが、最善は尽くした。

田園都市・三田
福知山線は三田(さんだ)の隣に道場(どうじょう)があるのだが、三田(みた)の道場(どうじょう)で弓をひいている身としてはなかなか面白いネタであった。武田尾と生瀬を攻略した後は、三田から少し道場方へ歩いた場所にあるお手軽撮影地へ向かう。ここは市街地と田んぼが共存する場所。建物は気になるし光線状態も最悪だが、朝は立て続けにこうのとりがやって来るから、どうしても立ち回り方が限られてきてやむを得ない。敢えて望遠で遠くを切り取るのも斬新である。

写真
1枚目:トンネル駅、武田尾にて(@武田尾)
2枚目:堂々6連の勇姿(@生瀬)
3枚目:金色の野に姿を現した(@道場~三田)

1951文字
丹波・越中撮影行 1日目 夕
丹波・越中撮影行 1日目 夕
丹波・越中撮影行 1日目 夕
渓谷を撮り尽くす。
9/10
谷川付近までロケハン

撮影(丹波大山~下滝 篠山川第1橋梁 側面)
3015M[1608] 特急こうのとり15号 381系4連

撮影(丹波大山~下滝 篠山川第2橋梁 トンネル抜け)
3018M[1619] 特急こうのとり18号 381系4連

篠山口1708 → 相野1725
福知山線2768M 丹波路快速 モハ225-6012

撮影(相野~藍本 古宮踏切付近)
3017M[1757] 特急こうのとり17号 381系4連

撮影(相野~藍本 第3上相野踏切付近 流し撮り)
3022M[1812] 特急こうのとり22号 381系4連

相野1846 → 新三田1854
福知山線2774M 丹波路快速 サハ223-6242

新三田駅1912→ 住宅展示場前1918
神姫バス 44系統

新三田泊

ロケハン
381系以外のこうのとりと普通列車を全部無視すると、撮影密度は烏山線とあまり変わらなくなる。夕方の15号まで3時間弱も空くので、明日のロケハンのために下滝、さらにその先の谷川まで自転車を走らせることにした。川代渓谷の撮影地は第2橋梁から先はあまり大した場所がなく、強いて言うならば景色が開けた後の第3橋梁だが、残念ながらケーブルのない側は光線が悪い。下滝に至るまでの有名どころとしては丹波竜の発掘地付近があり、ここは良い具合に稲が実っていたので明日に期待できそうだ。また下滝を過ぎて単調な道をしばらく走った先には公園が目印となる中道踏切があり、ここも色づきが良く田んぼは黄金色に輝いていた。その他、谷川までの間にもいくつか撮れそうな場所はあった。さらに谷川から先も欲張り、柏原(かいばら)との間にある有名なインカーブも訪れてみる。しかしながら手前の田んぼが刈り取りの真っ最中で、ほとんど稲穂が残っていなかった。おそらくこの月曜から作業を始めたといったところだろう。これでは絵にならない。落胆して延々と自転車をこぎ、渓谷へと戻ったのだった。

夕刻の谷
ようやく381系が現れる頃になった。15号と18号は下滝交換で時間が接近しているため、それぞれ第1橋梁と第2橋梁の近くで仕留めることにした。第1橋梁は側面を強調して広角で撮影。ガードレールを乗り越え、コンクリートで固められた法面の上にしゃがむ。ひとたびバランスを崩せばはるか眼下の渓流で死体になってしまうかと思うと、ぞくぞくする。4両編成の全ては入りきらなかったが、渓流を疾走する感じが出せたので満足。第2橋梁での撮影は意外と制約が大きく、結局、下滝方のトンネルを抜けてきた上り列車を正面打ちする構図になった。400mmくらいの超望遠があったらさらに面白かったことだろう。

撮影後は、急ぎ目で篠山口へと引き返す。電動アシストの力を最大限に借りて、アップダウンの激しい道をただひたすらに走るのみ。徒歩では困難だが車を使うほどではないような距離感の撮影では、自転車が威力を発揮する。願わくは貸し原付があれば体力的にもずいぶん楽だと思うのだが、大した需要はないのだろうか。

雨の黄昏
最後の2本となる17号と22号は露出がだいぶ厳しいが、再び相野を訪れることにした。しかし『お立ち台通信』の前情報が間違いだらけで、踏切の名前は違うわ、順光側にフェンスが立っているわで、想定していた絵は全く無理という状況。さらに悪いことに、雨も降って来た。仕方ないので、オリジナル構図を模索する。17号は逆光側の稲穂を使った苦し紛れの構図。辺りは意外にも暗く、車内灯が漏れるくらいになっていた。最後の22号は流し撮りに挑む。三脚上でカメラを振りながら連写しまくるが、頭が構図の中央に入りきらないうちに追いかけ始めてしまい、バランスの悪い絵になった。こういう局面でもビシッと決められるような腕を持ちたいものである。単に練習不足と言えばそれまでか。

今夜の宿は三田ホテル。新三田の駅前は見事に何もなく、無味乾燥なニュータウンの様相を呈していた。「新」三田というだけある。バスでたどり着いた先のウッディタウン中央駅の近くにはイオンがあったので、夕食はここでとることにした。周辺にはファミリー向けの焼肉屋とかしゃぶしゃぶ屋がやたら多い印象だが、居酒屋のたぐいは見当たらない。食後は部屋で晩酌して、眠りに就く。

写真
1枚目:渓流を疾走(@丹波大山~下滝)
2枚目:対峙(@丹波大山~下滝)
3枚目:夕闇迫る(@相野~藍本)

2107文字
丹波・越中撮影行 1日目 昼
丹波・越中撮影行 1日目 昼
丹波・越中撮影行 1日目 昼
谷を縫う。
9/10
南矢代1025 → 篠山口1028
福知山線2719M 丹波路快速 クモハ223-6109

レンタサイクルによる移動

撮影(丹波大山~下滝 清掃センター)
3012M[1124] 特急こうのとり12号 381系4連

撮影(丹波大山~下滝 篠山川第1橋梁 正面打ち)
3007M[1209] 特急こうのとり7号 381系4連

撮影(丹波大山~下滝 川代渓谷 俯瞰)
3014M[1324] 特急こうのとり14号 381系4連

川代渓谷
福知山線は国鉄色381系以外に撮るものが一切ない。収穫が少ないのは仕方ないが、こうのとりにだけ集中していれば良いわけだから気楽ともいえる。まずは篠山口の駅前で電動アシスト付きの自転車を借り、丹波大山~下滝間の川代渓谷を目指して走り出す。道路はアップダウンが激しく、予想以上にくたびれる。ここは電動でなかったらだいぶ厳しいだろう。

最初の撮影地は渓谷南岸の清掃センターへ向かう橋の上である。上りも下りも光線状態は今一つだが、いわゆる定番と呼ばれるスポットで、言ってみれば丹波大山~下滝間の風景を無難にサマライズした感じである。4両編成というのは特急にしては短いが、渓谷の中に収めるとなると案外丁度良いサイズかもしれない。そして俯瞰して初めて気が付くのだが、381系の屋根上が異様にすっきりしている様子がじわじわと面白い。ノッペラボーという言葉がぴったりで、クーラーやら電気機器やらがごちゃごちゃと満載になっていた485系と対照的である。

線路は下滝までの間に篠山川を3回渡る。第1橋梁と第2橋梁はすぐ近くで連続しており、渓谷の撮影地はこの近くに集まっている。自転車というのはロケハンに最適な乗り物で、すいすいと走りながら近辺をひと通り見て回る。結局、7号は第1橋梁を渡ってくるところを正面打ちすることに決めた。こういう構図はどんどん望遠で攻め込むのが正解なのだが、どうしても大きさのイメージに自信が持てず、いつも中途半端な広角になってしまう。381系もさすがは国鉄型特急電車だけあって相応の貫録を備えているが、485系や583系に比べると何となく女性的というか、柔和な印象を受けるのは面白い。

14号は渓流の北岸にある崖の上から撮ることにした。50度はあろうかという、コンクリートで固められた急斜面なのだが、部分的に工事用の階段のようなものが設置されているので比較的容易に頂上近くまでアプローチできた。高度を稼ぐと、景色はがらりと変わる。光線としては完全に逆光なのだが、何も順光だけが写真の全てではない。望遠で切り取れば、木々はかくも繊細な表情を見せ、そして渓流はかくも険しい地形の中をほとばしっていたのかと、はっと気づかされるのである。山線、福知山線を象徴するような一コマである。

写真(@丹波大山~下滝)
1枚目:川代渓谷をゆく
2枚目:連続曲線を攻略
3枚目:谷を縫う

1338文字
丹波・越中撮影行 1日目 朝
丹波・越中撮影行 1日目 朝
丹波・越中撮影行 1日目 朝
秋の撮影行。
9/9
田町2112 → 東京2121
山手線2104G モハE231-595

9/9 → 9/10
東京2200 → 姫路525
東海道本線・山陽本線4031M 特急サンライズ出雲 モハ285-3202

9/10
姫路546 → 尼崎642
山陽本線・東海道本線3402M 新快速 クモハ223-3015

尼崎653 → 相野739
福知山線2711M 丹波路快速 モハ223-6312

撮影(相野~藍本 第3上相野踏切)
3006M[838] 特急こうのとり6号 381系4連

タクシー(播州交通)
神戸500い796

撮影(相野~藍本 森本踏切)
3001M[858] 特急こうのとり1号 381系4連

藍本935 → 南矢代944
福知山線 クモハ207-1042

撮影(古市~南矢代)
3003M[1000] 特急こうのとり3号 381系4連

丹波路へ
昨年の南九州からほとんど1年が経ったのかと思うと、なかなか恐ろしい。当時は整形外科とか麻酔科を回っている最中なのだった。6年のポリクリは正直なところユルユルだが、日常的に少量ずつでも勉強しなければならないことも考えれば、自らの裁量で時間を使う場が増えたともいえる。今回も、6月と同じくポリクリ休みを利用して遠征に出かけることになった。狙うは福知山線の381系、そして来春にJRの管轄を外れる北陸本線の金沢以東である。

今夜の入鋏駅は田町。三田の道場で20時半まで弓をひき、21時に運動場を出れば、サンライズエクスプレスに乗るのにちょうど良い時間である。ささやかに乾杯をして、ノビノビ座席で横になる。初めて乗ったのは中3の3月だっただろうか。寝台特急出雲が廃止になるということで、出雲市と餘部まで追いかけに行ったのだった。純粋な意味でのブルートレインが北斗星のみとなり、夜行列車自体が消滅しかかっている今となっては、こういうJR世代の電車特急でさえ擬似的な旅情を感じるようになってしまった。

平野部から攻める
下りのサンライズも大阪とか三ノ宮に停めてくれれば嬉しいのだが、姫路が最初の停車駅だからわざわざ尼崎まで逆戻りしなければならない。世の中はごく普通の水曜日で、ちょうど通勤と通学の時間帯にかぶる。下り列車とはいえ結構人が乗っていて、新三田を過ぎるまでは立ちっぱなしであった。

まずは相野で下車し、藍本方面へ数百メートル歩いた場所にある田んぼのそばから上り6号を撮影する。手前の稲穂がずいぶんと若く、実りの秋といった感じではなかったのがやや残念である。そういえば架線柱を側面に被らせながら列車を撮るのは結構久しぶりで、どのタイミングが最も美しく写るかを見極めるのがなかなか難しい。結局は連写任せということになるのだが、想定していたベストタイミングで架線の影が顔にもろ被りすることもある。車両の大きさを何となく推し量れるのは電化区間の強みだが、やはり北海道のような非電化の開けた感じはなかなか開放的だったものだとしみじみ回想する。

撮影後は藍本の近くまで行こうと思いタクシーを呼んでおいたものの、なかなか現れないので焦った。幸いにも県道をノロノロと走るそれらしき車を見つけたので良かったが、あと2、3分遅かったら1号に間に合っていなかっただろう。運転手は陽気な人で面白い。森本踏切の近くは稲刈りの真っ最中で、黄金色の絨毯を広げたような景色であった。しかしネックになるのは架線柱の間に延々と連なる謎のケーブルで、ちょうど車体の側面にかかってしまう。そこは風景写真として広角で何とかごまかすしかない。

1時間後を追ってくる3号は、撮影地を移動して古市~南矢代でとらえる。午前中の下り列車を順光で狙える数少ない撮影地ということだったが、トラロープが想像以上に邪魔だったので、先ほどと同じように風景重視で国鉄色を強調する。これほど日本の春夏秋冬にマッチする塗色も珍しい。ファインダーの中にすーっと姿を現したときの高揚感たるや、並々ならぬものがある。もし可能なら、光線のみならず感情も素子に焼き付けてみたいところだ。

写真(@相野~藍本)
1枚目:若い稲穂を横目に
2枚目:稲刈りの季節
3枚目:特急色が一筋

2034文字

朝を走る

2014年9月7日 弓道
朝を走る
朝を走る
朝を走る
午前中は諸々の雑務を処理した後、来週の山陰・北陸遠征についてしばしの相談。だいぶ差し迫ってきたから、撮影地を本格的に検討せねば。午後は国対部屋に足を運び、今度は来春の旅程を詰める。とりあえず、無事に話がまとまって何より。欧州鉄道地図にルートを書き込むと壮大な全貌が明らかになり、まさに心が躍るw これを楽しみに、単調なQBを解き進めるとしよう。

主将交代式
早いものでもう1年が経ってしまった。5年生諸君は本当にお疲れさまでした。慢性的に経過しつつも徐々に病像が変化しつつある例の問題に加えて、幹部任期修正の過渡期にも立ち会うという、激動の生活を送った学年ではなかろうか。個人的には色々と多くの思い出もあるのだが、こうして橋渡しが行われていく様を見るにつけ、流れゆく時間はどんどん新しくなり、それに伴い記憶は古びて、しかし熟成してゆくことを改めて感じる。

そして自分は今でも「高度な自主性」を尊重しているつもりなので、然るべき関わり方をしていきたいと思っている。きっと、この秋が最後の機会になるだろう。

写真:アルテシア
軽食のサービスがついています。列車は雨の中を快調に飛ばし、一路南下。

567文字

雨のイタリア

2014年9月6日 大学
雨のイタリア
雨のイタリア
雨のイタリア
一日の最初の予定に合わせて起きる癖がついてしまうと、休日の起床時刻が異常に遅くなる。早朝の定刻に活動を開始する習慣をつけておきたいのだが、どうも意志が薄弱で叶わない。

結局10時頃にごそごそと動き出したのだが、午前中は来春の妄想が再来して費用の見積もりに終始してしまった。家にいても何も始まらないので、午後は登校。しかし再び旅程がどんどん膨らんでいったw さすがに勉強しようということで、昼下がりからQBを再開。眼科は昨夕から始めたのだが、夜まで集中的に取り組んだら片付いてしまった。内科ほど病態生理が複雑なわけでもないし、内容が重いわけでもない。クイズ感覚といってはさすがに語弊があるが、マイナー科は対策した分だけ報われるように思う。明日は耳鼻科を始めるとしよう。

閉室時刻に家路につくも、大雨に見舞われる。

写真:アルテシア
ぼんやりと明るくなってきました。もうイタリアに入っています。

433文字

夜更け

2014年9月5日 大学
夜更け
夜更け
夜更け
さて、ラスト・セメスターw

形成外科
秋は、年初に怒濤のスケジュールで講義が組まれたマイナー科を中心に回っていく。まずは形成外科。個人的には結構面白いと思っていて、皮弁をデザインして手術を考えていくあたり、むろんある程度の型は決まっているのだろうが、独創性とか創造性が前面に出てくるのが魅力的である。先天奇形があっという間に綺麗な形になったり、ときに豪快な再建をやってのけたり、こういう外科もあるんだなと、少しばかり見聞が広まった。

ポリクリ自体は総じて暇なスケジュールで、担当症例のオペを見学してレポートを書き、あとは一例の見学と、クルズス祭り。しかしクルズスといっても堅苦しい内容ではなく、ニンジンを彫刻刀で削って耳を作ったり、顕微鏡下で血管吻合をやったり、工作している感が楽しかった。やはり自らの手を動かして何かをするということは、「やりがい」の源泉になりうると思う。だいぶ意味がずれるかもしれないが、いわゆる心技体というのに近い。

仕事
月曜に本格的に取り組んだので、例の書き起こし作業は完了。途中で失速しかけたところもあったが、具体例を盛り込みつつ平易な日本語に落とし込んだつもりではある。ただ、どうしても出てきた意見の「寄せ集め」の域を出ないので、何かしらのアウフヘーベンが必要なように思うw

妄想
今週は卒業旅行の話が爆発的に盛り上がる。さすがに今月からマイナー科に取り組まねばならないのだが、来る日も来る日もThomas Cookに読み耽り、欧州地図に行路を思い描く作業に時間を費やしてしまったw

写真:アルテシア
JRのA寝台個室に相当します。

823文字
草津旅行 2日目
草津旅行 2日目
草津旅行 2日目
さらば夏休み。
8/31
レンタカーによる移動

西の河原、道の駅・六合、湖面1号橋、道の駅・八ッ場ふるさと館
昼食

撮影(湖面2号橋)
3001M[1228] 特急草津1号 651系7連
533M[1300] 普通 115系3連
534M[1309] 普通 115系3連

湖面3号橋(丸岩大橋)、雁ヶ沢ランプ

撮影(樽沢トンネル)
3032M[1400] 特急草津32号 651系7連

撮影(川原湯温泉駅)
3003M[1436] 特急草津3号 651系7連

川原湯温泉街、湖面2号橋(不動大橋)

撮影(岩島駅付近)
538M[1520] 普通 115系3連

岩島大橋、川原湯温泉街(新)、王湯

長野原草津口1727 → 新前橋1846
吾妻線542M クモハ107-113

新前橋1925 → 籠原2007
上越線・高崎線・東北本線3942M 快速アーバン サロE232-3019

籠原2018 → 上野2130
高崎線・東北本線972M サロE233-3031

上野2143 → 秋葉原2146
山手線2109G サハE231-4641

秋葉原2152 → 信濃町2206
中央・総武緩行線2129B サハE231-119

西の河原
2日目はこの旅行のメインで、八ッ場ダムの完成に伴って湖底に沈む谷や周辺道路と、来月に付け替わる岩島~長野原草津口の新線を視察しに出かける。その前に、温泉街の中心地からさほど離れていない場所にある、西の河原の露天風呂へ。駐車場からは遊歩道を下っていくのだが、その途中から男湯が普通に見えるという謎の構造。女湯はどうなっているんだと思って見渡すと、いかにも遮蔽された感じの高台の木陰に隠匿されていたw 広大な風呂は開放的でなかなか良かった。

ダムに沈む渓谷
昨夕来た道を引き返すのもつまらないので、入浴後は292号線の東側を走って山を下りる。途中、道の駅・六合に立ち寄って運転を交代した。六合を「くに」と読むのは、もはや難読地名の域を逸脱している感。ヘアピンカーブが連続するつづら折りの山道を下りた後は、145号線の旧道に入り川原湯の手前まで走る。頭上には、最も下流に架かる1号橋。完成はしているものの未供用であった。北側の山肌には145号線の新道が走っているので、暫定的な連絡道路を通って下界から上界へ移動する。上流へ引き返し、2号橋(不動大橋)のたもとにある道の駅・八ッ場ふるさと館に入る。

2号橋からは吾妻線を俯瞰撮影することができる。もう少し経つと湖底に沈む線路を、その湖面に架かる予定の橋から眺めるというのも、何とも皮肉な話である。橋は地上から90m近くの高さにあるようで、頼りない欄干越しに下を覗くと足がすくむ。しかしダム湖が出来上がった暁には、湖に架かるただの橋になるというのだから面白い。道の駅で昼食を挟みつつ、カイコガの幼虫のような出で立ちをした651系の特急草津と、湘南色115系の普通列車2本を撮影した。全景を雄大に写すも良し、望遠で箱庭みたいに切り取るも良し。

撮影後は新道を上流へ遡って3号橋(丸岩大橋)を走破した後、下流へ戻りいくつかの山を通り抜け、雁ヶ沢のランプから旧道へ下りる。ここは岩島~川原湯温泉にあたる区間で、日本一短い鉄道トンネルの樽沢トンネル(7.2m)がある。トンネルというよりも部分的に山肌が列車を覆うシェルターのように見える。この区間は水没こそ免れるものの、来月には南側の新線に付け替わってしまうため、トンネルを通る列車もじきに見られなくなる。道路沿いには多くの撮影者が集結していた。我々もそれに乗じ、上り特急草津を撮影する。考えてみれば651系はこの4月に初めて余生を過ごしに吾妻線へやって来たというのに、半年と経たないうちに旧線の風景に別れを告げるわけだ。

トンネルの後は、川原湯温泉の駅まで走る。空を見上げれば1号橋が高々と谷に架かっていて、やがて水底に沈むこの地を見下ろしている。駅は温泉街と一緒に高台へ移転するようだ。普通列車の交換には間に合わなかったので、少し待って下り特急草津を跨線橋から撮影した。その後、旧温泉街へと続く山道を登り始めたのだが、道路沿いにあったはずの建物は大部分が取り壊されていて、基礎だけを残した残骸になっている区画が多かった。廃墟となった町を見ていると心が寒い。この移転を機に廃業を決めた旅館も少なくないように思える。八ッ場バイパスの通る高台まで登りつめると、眼下には供用開始を待つピカピカの川原湯温泉駅が姿を現したのだった。

吾妻川の南側に走るバイパスを上流へ少し走った後、先ほど俯瞰撮影をしていた2号橋を渡って北岸の145号線の新道へ戻り、今度は岩島駅のそばまで下る。吾妻線の新線は長野原草津口を出た後すぐに川を渡ってトンネルに入り、川原湯温泉の新駅を経て、岩島の手前で旧線に合流するルートになっている。その合流地点を見に行った。ちょうど上り普通列車が来るようなので、新線の橋梁を絡めて撮影する。新線の方はなかなかの高規格と見え、架線柱もピカピカであった。

今日は特別に詳細な予定を立てていたわけではなかったが、上手い具合に見どころを押さえて回ることができている。最後は新しくなった川原湯温泉の共同浴場、王湯に入ることにした。岩島大橋を渡って再び南側へ渡り、八ッ場バイパスに入って西進する。川原湯温泉の新しい町はこのバイパス沿いにあり、辺りは目下温泉街の建設中。造成が進むがらんとした風景の中、真新しい王湯の建物がぽつんと佇む姿はなかなか異様に映る。先月にオープンしたばかりの浴場で、非常に快適であった。そろそろ時間も丁度良い頃になったので、長野原草津口へ帰って新線の分岐部を見た後、給油して車を返却した。

宴会
帰りの吾妻線も107系という残念な乗り鉄。乗っている高崎行は昨日大前を往復したのと同じ列車だから、115系ではなく107系の運用になっているのかもしれない。新前橋で下車して宴会の買い出しをした後、まずは上野行の快速アーバンのグリーン車に乗車。井野からは元部長も合流してメンバーは4人に。しかし新前橋の時点でそこそこの乗車率で元々8席の区画が取れなかった上、徐々に混雑してきたこともあって、籠原で後続の普通に乗り換えることにした。こちらのグリーン車はガラガラで実に快適。上野までは2時間弱、マニアックな話に花が咲く。

そして、夏休みが終了。

写真
1枚目:ラスト・サマー(@川原湯温泉~長野原草津口)
2枚目:最短トンネル(@岩島~川原湯温泉)
3枚目:常磐特急の余生(@川原湯温泉)

3068文字
草津旅行 1日目
草津旅行 1日目
草津旅行 1日目
夏の最後に。
8/30
信濃町1302 → 新宿1308
中央・総武緩行線1209B サハE230-13

新宿1319 → 高崎1504
山手線・東北本線・高崎線3630E 湘南新宿ライン 特別快速
モハE231-3515

高崎1512 → 大前1655
上越線・吾妻線539M クハ106-118

大前1710 → 長野原草津口1726
吾妻線542M クハ106-118

レンタカーによる移動
ホテル松巳 泊

群馬の山奥へ
半年ぶりの銀河旅行である。午前中は例の文章化作業に取り組み、昼に信濃町へ向かってヤウを食してから大前行の乗車券に入鋏。毎度思うに、高崎線は分厚い埼玉県を斜めに横切るから乗車時間が長い上、車窓に大した変化もなく実に退屈である。ハコを確保したので、車内でもiPadの画面を叩きながら書き起こしの作業を続ける。ようやく一つ目の峠を越えるところまで来た感。さて高崎の駅に降り立つと、湘南色の115系がゴロゴロしている。こんな光景もずいぶん珍しく感じるようになってしまった。

今夕は長野原草津口で落ち合うことになっているのだが、せっかく吾妻線に乗るのなら終点まで乗りつぶそうということで、一足先に現地入りして大前を往復することにした。一日5本しか列車がやって来ない、不思議な終着駅である。車両は残念ながら107系。まあ、無情にもずらーっと並んだロングシートに腰かけ、車内や車窓に目をやりつつ暇な時間を過ごすのも良いものだ。気が付けば8月も30日。夏休みの終わりである。旅に慣れてくると、乗客の中から乗り鉄とか18キッパーとかを初見で判別できるようになるのが面白い。大前で降りた人の大半は乗りつぶし目的で、駅名標やら線路の盲端やらを撮影していた。この辺りは嬬恋村ということになるらしい。さすがは冷涼な気候で、夏の黄昏に吹き抜ける風が心地良い。

夜の草津温泉
夜の帳が下り始めた長野原草津口で無事に2人と合流。そういえば前回は極寒の北海道で、登別まで到達して宴会に参加することが叶わなかったのだった。橋を渡った対岸にある駅レンタカーで車を借り、国道292号線で山奥の草津温泉郷へと向かう。町はずれにある昔ながらの旅館に宿泊する。古いながらも綺麗に手入れされている宿であった。しかし壁に貼ってあった草津温泉のポスターが国鉄時代のもので、特急白根とか急行草津とか書いてあり笑ってしまった。

夜は軽く温泉街を散策する。小ぢんまりした町なのだが、随所に狭い路地や坂道が入り組んでいてなかなか面白い。週末ということもあってか、多くの人で賑わっている。若い人が多いのは意外であった。首都圏から来られる手軽な温泉地なのだろう。こうして観光地として成功している場所がある裏側で、たとえば4年前の夏やこの6月に訪れた長万部とか、深夜のあけぼのの車窓からちらりと眺めた水上とか、とんでもなく寂れて衰退した所もたくさんあるのかと思うと、何ともいえない気分になる。有名な湯畑を見た後、宿の主人に勧められた「まつば」という居酒屋へ。結構飲み食いして色々とサービスまでして頂いたのだが、3000円くらいで収まる。機会があれば再訪したい。

宿の温泉に浸かった後、ずるずると夜更けまで飲む。来年、社会人の仲間入りをするのかと思うと、時間のあるときに出来ることは何でもやっておきたいという気持ちになる。

写真
1枚目:発車(@高崎)
2枚目:終着駅(@大前)
3枚目:湯畑

1663文字

ディジョン停車

2014年8月29日 日常
ディジョン停車
ディジョン停車
午前中は家で諸々の雑務の処理。来月以降の予定を徐々に確定し、どうやって消化していこうか作戦を練る。

昼は代々木で現金を下ろし、明日明後日の学割乗車券を購入してから信濃町へ。昨日のグループワークの成果をブラッシュアップして文章化するという仕事に取り掛かる。数時間やればすぐに終わるかと思いきや予想以上に大変で、結局残りは明日と来週へ回すことにした。まともな意味内容を含んでいながら、それでいてシンプルで読みやすい日本語の文章を作るのは結構難しい。

夜は後輩と四谷で飲む。

写真:アルテシア
フランス東部の街、ディジョンに到着しました。ここから先はスイス国境を越えることになるようです。

329文字

寝台組立

2014年8月28日 大学
寝台組立
寝台組立
寝台組立
行動指針策定のメンバーに推薦頂いたので、正午に登校。学年をまたいで4時間近く議論を重ねる。こうして作業してみると、当たり前と思っていたことを理路整然と明文化することは難しい。それに、分かっているとばかり思っていたことも実はよく分かっていなかったのだと判明する。つまり、自分の知、あるいは単に知と思い込んでいるものがいかに矮小かを思い知るわけである。

そして今や最高学年という立場になってしまったわけだが、年を追うごとにどういう方向へと我々が変容しているのかを知る必要もあるかと感じた。幸いにして、自分がその変容を垣間見する機会はこれまで何度かあったことも確かなのだが、学生という身分にありながら具体的な有様を客観的かつ冷静に把握するのは結構難しい。

夜は荒木町へ。どうもありがとうございました。マッチングからも解放された夏休みの終盤に、充実した一日を送る。

写真:アルテシア
途中で車掌がやって来て寝台をセットしてくれます。

450文字

発車時刻

2014年8月27日 日常
発車時刻
発車時刻
発車時刻
試験を受ける。毎回あっさり終わってしまうのは、良いのか悪いのか、本当に分かりかねる。これは単なる偶然なのか、それとも自らの性質によるものなのか。逆の立場だったらどうだろうと思いを巡らせてはみるものの、やはり人が人を評価するのは本質的に難しいという当たり前の結論に至る。自分がどう見えているのかは、自分は決して知り得ない。

これにて「活動」は全て終了。帰国してから3週間あまり、長い夏休みであった。再び一人打ち上げという手もあったのだが、仕事は早めに片付けておこうということで終了後はストイックに代々木へと足を運ぶ。夜まで粘り、晴れて解放されたのだった。しばらく訪れないうちに、また少し変容した感。

写真:アルテシア
東へ向かう列車は、薄茜色に染まる西の空を背に発車の時を待ちます。

377文字

国際夜行列車

2014年8月26日 日常
国際夜行列車
国際夜行列車
国際夜行列車
土曜の午後からは暇を謳歌する生活を送っていたが、そろそろ明日の準備をしなければならない。付け焼刃的に時事ニュースを読み漁る。当たり前のことではあるが社会に目を向けねば。いやしかし、義務感にかられてというのも全くおかしな話ではある。本来なら、自然な感覚としてそうあるべきなのだが。

日を追うごとに起床時間が遅れていき、活動を開始したのが昼過ぎということもあって、何となく不毛な一日となってしまった。一旦線維が弛緩すると、再収縮するまでにしばらく時間を要する。もっと高度な機動性を備えておきたい。

写真:アルテシア
ついに入線。遥かローマを目指す夜行列車です。黄昏のホームに鎮座する長大編成の客車列車。

336文字

ベルシー駅

2014年8月25日 日常
ベルシー駅
ベルシー駅
ベルシー駅
まずは登校し、自習室にてこの間の模試の復習。如何せん問題量が膨大なので、全部に目を通していては日が暮れてしまう。適当なところで切り上げ、残りの3セクションは別の日に回すことにする。

昼はヤウの辛口両大盛を食した後、ふたたび麻布十番へ。昨日同様、80射してしまった。弓がだんだん重くなってくるのだが、何も難しいことを考えずに気楽にひけるのが良い。夜は副将と三田の街へ飲みに行く。ずいぶんと話し込んだのだった。

写真:ベルシーにて
今夜乗るローマ行の国際夜行列車アルテシアは、ベルシー駅から発車します。基本的には貨物駅のようですが、一部の旅客列車も発着しています。隣にあるリヨン駅で捌ききれない列車がここに回されているという印象。

350文字
ターミナルへ帰還
ターミナルへ帰還
ターミナルへ帰還
だらだらと10時前に起床し、午前中はもののけ姫を観るw 昼はいなばへ行くついでに新宿を往復してDVDを返却し、午後は国立競技場から久しぶりの麻布十番へ。弓をひくのは実に2か月ぶりである。

20射が終わらないうちにヘミデスモゾームが徐々に破壊され組織液が貯留していくのを感じていたが、28射したところでついに緊満性水疱が破綻したw 副将と一年生からそれぞれ押手ガケとテーピングを拝借して、結局今日は80射。5、8、6、12であまり中らなかったが、久々にひくとやはり弓は楽しい。

こうして何も勉強せずに過ごすのも良いものだw いかにも夏休みらしいではないか。

写真:モンパルナスにて
1枚目はシャルトルから乗って来た列車。2、3枚目は別のTER(Transport express régional:地域圏急行輸送)の列車。日本とは違い、当たり前のように客車列車が走っているのが面白いところです。

434文字

パリへ急ぐ

2014年8月23日 日常
パリへ急ぐ
パリへ急ぐ
パリへ急ぐ
ニューヨークから帰って以降、怒濤のスケジュールを組んでしまった。

さて、再び受験。予想はしていたが異常な難易度。無事に通過して午後まで残留。しかし後半戦は実にあっけなく終わってしまった。後で話をすり合わせてみても、妙な不安感が募るばかりである。

かなり早く終わったので、家へ戻る。今日は霧雨の舞う陰鬱な天気で、信濃町まで向かう気力は湧かなかった。3時間かけて大々的に部屋の掃除と寝具の洗濯を行い、たまっていた日記を書き殴り、夜は6月にプレゼントで頂いた雪の茅舎・純米大吟醸を飲みながら一人打ち上げを行うw これでようやく一段落した。明日と明後日は暇人として暮らそう。

写真:車窓
窓が汚れているのが残念。

340文字

旧式

2014年8月22日 日常
旧式
旧式
旧式
気が付けば8月も下旬に入っている。今日は廃人のように過去問と試験対策に明け暮れるw しかしマイナーには着手しようと思っていてもなかなかできない。意識高く早起きをして午前中の時間をもう少し捻出すれば良いのかもしれないが、どうも上手くいかない。

写真:シャルトルにて
往路は新型の電車でしたが、復路のモンパルナス行は旧来の客車列車。シャルトル方に連結されている電気機関車を反対側の客車の運転台から操縦する推進運転ということになります。車内はリニューアルされていると見えますが、ベースは何となく90年代を彷彿させるデザイン。

295文字

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