今日は一日をつぶして周遊旅行の詳細を詰める。旅行というのは、こうして未だ訪れぬ地への憧憬を胸に、地図やら航空写真を眺めたり、時刻表や店を調べたり、そういう下準備が面白い。事前に苦労すればするほど、実際にその行程が完遂されたときの喜びが大きいというものである。通常の感覚からは少し外れるのかもしれないが、調べることは山ほどあって、どの地点で写真を撮るかとか、どの店に入るかとか、限られた時間を有効に活用するためにあらゆる手を尽くしたくなる。
昼は叙々苑にてサプライズを頂いてしまったw
写真:車窓
午前中は陰鬱な天気でしたが、フランス国境が近づくにつれて晴れてきました。陽光に煌めくティレニア海と、海岸にへばりついた町々。停車駅ごとに少しずつ人が降りて行きます。
367文字
昼は叙々苑にてサプライズを頂いてしまったw
写真:車窓
午前中は陰鬱な天気でしたが、フランス国境が近づくにつれて晴れてきました。陽光に煌めくティレニア海と、海岸にへばりついた町々。停車駅ごとに少しずつ人が降りて行きます。
367文字
・救急科
わりと忙しいという噂の救急ポリクリ。しかし日勤と準夜勤でそれぞれ7時間ずつ外来にいても、暇な時間が相当あったように思う。診療科の性質上仕方がないのかもしれないが、拘束時間が長いだけであまり実りのない実習。ぽちぽちとオンラインで小児科の2周目を解き進める。木曜は渋谷署へ行って救急車同乗実習。後にも先にも今くらいしか乗ることがないだろうから、貴重な機会。4件連続の出動だったので署で休む暇など全くなかったが、ド派手な外傷などはなくいずれも軽症患者。救急救命士は本当に大変な職業であると身を以て実感する。それに引きかえ、態度の悪いぞんざいな医師のいかに多いことか。金曜は午前中だけでACLSの流れを詰め込み、午後は先生の前で実習という内容。そういえば4年の2月にKAPPAの講習会に参加したが、ほとんど全て忘れてしまっていたw
・勉強
日曜には模試もあることだし、そろそろ公衆衛生に着手しようということで、会津から帰った翌日からストイックにビデオ講座を見始める。1日3コマのペースで2倍速で再生し、金曜までに何とか視聴完了。
・24歳
またひとつ歳を取ってしまった。「24歳男性」と書くといかにも症例問題っぽい感じがするが、しかし何だろう、こういうデモグラフィックな観点から自分を見てみると、現在の異質な実態は、社会的ないし一般常識的に期待されている像からかけ離れているような気がしてならない。ある部分は突出して進行している一方で、別の部分は遅滞とも呼ぶべきレベルでさまよい続けている。
ここから年末へ向けて駆け抜けて行くとしよう。
写真:車内
リニューアルされたと思しきコンパートメントの1等車。大陸の特急列車は昔ながらのコンパートメントタイプの客車が徐々に減り、オープンサロンが主流となりつつあるようです。
896文字
わりと忙しいという噂の救急ポリクリ。しかし日勤と準夜勤でそれぞれ7時間ずつ外来にいても、暇な時間が相当あったように思う。診療科の性質上仕方がないのかもしれないが、拘束時間が長いだけであまり実りのない実習。ぽちぽちとオンラインで小児科の2周目を解き進める。木曜は渋谷署へ行って救急車同乗実習。後にも先にも今くらいしか乗ることがないだろうから、貴重な機会。4件連続の出動だったので署で休む暇など全くなかったが、ド派手な外傷などはなくいずれも軽症患者。救急救命士は本当に大変な職業であると身を以て実感する。それに引きかえ、態度の悪いぞんざいな医師のいかに多いことか。金曜は午前中だけでACLSの流れを詰め込み、午後は先生の前で実習という内容。そういえば4年の2月にKAPPAの講習会に参加したが、ほとんど全て忘れてしまっていたw
・勉強
日曜には模試もあることだし、そろそろ公衆衛生に着手しようということで、会津から帰った翌日からストイックにビデオ講座を見始める。1日3コマのペースで2倍速で再生し、金曜までに何とか視聴完了。
・24歳
またひとつ歳を取ってしまった。「24歳男性」と書くといかにも症例問題っぽい感じがするが、しかし何だろう、こういうデモグラフィックな観点から自分を見てみると、現在の異質な実態は、社会的ないし一般常識的に期待されている像からかけ離れているような気がしてならない。ある部分は突出して進行している一方で、別の部分は遅滞とも呼ぶべきレベルでさまよい続けている。
ここから年末へ向けて駆け抜けて行くとしよう。
写真:車内
リニューアルされたと思しきコンパートメントの1等車。大陸の特急列車は昔ながらのコンパートメントタイプの客車が徐々に減り、オープンサロンが主流となりつつあるようです。
896文字
会津撮影行 2日目 後編
2014年11月9日 鉄道と旅行
第一橋梁の感動。
・対峙
SLの通過を予感してか、雨も風もぴたりと止んでしまった。水鏡はますます透明になり、どこからが水面なのか、今や区別が難しい。山あいに間歇的にこだまする鳴き声は徐々に大きくなっているように感じられる。これだけの人が集まっているというのに、みな静まり返り、息をひそめ、怪物の登場を今か今かと待っている。
そしてついに、現れた。たびたび聞こえていた鳴き声がすぐそこで響いたかと思うと、次の瞬間には、歯切れの良いドラフト音と共に豪快に煙を吐き出しながら、3両の旧客を引っさげたC11がアーチ橋を渡り始めていた。何の迷いもなく、何者にも妨げられることなく、華麗に空中を駆け抜ける鋼鉄の馬。吐かれたばかりの煙は積乱雲のような塊になってうごめくが、徐々に空気に溶け込み散ってゆく。煙はSLの軌跡に沿った見事なグラデーションをなし、アーチ橋の上にもう一つの虹が架かったかのようだ。そして、川面にはパラレルワールド。橋と列車と煙、燃え盛る秋の色彩が、完璧な逆さ絵になって映し出されている。まさに、自然物と人工物が一体となって生み出した芸術的な感動であり、それ以上の形容はできない。やがてSLは悲しげな咆哮を谷に轟かせて、対岸の林の中へと吸い込まれていった。
残された我々は、ただ呆然と立ち尽くすのみ。水鏡はなお完全な姿を失っていない。橋の上には帯状の煙幕が滞留し、刻一刻と表情を変えてゆく。煙突から吐き出されたが最後、二度と元には戻れない煙が、その「主」と泣き別れて空中をさまよっているかのようだ。鳴き声はまだ時おり聞こえてくる。SLは生きている。呼吸している。対峙する前の独特の緊張感と、過ぎ去った後の深い余韻。SLの撮影とは、生命体との対話なのだ。
・黄昏
桧原の集落も、この地方独特の屋根をした家がひっそりと軒を連ねている。船着場から上がって来た撮影者たちが車や徒歩で撤収する中、少しばかり集落をぶらついて別れを惜しんだ。沿線の細やかな表情は、その線区を乗りつぶすだけではなかなか見えてこない。その点、車を使った移動というのは手軽に見聞を広めることができるから便利である。
最後の上り列車は第三橋梁の北側から撮ることに決めた。下調べが今一つでなかなか場所を特定できず焦ったが、正解はスノーシェッドの上。何とか間に合った。第一橋梁ほどの華やかさは感じられないが、静謐な川面にまっすぐ架かる橋の上を、3両編成の普通列車がトコトコ駆けていく様は絵になる。周囲の紅葉も真っ盛りで、最後の撮影にふさわしい舞台であった。黄昏の足音が迫る谷に別れを告げる。
・帰路
会津若松へ帰る途中、道の駅・みしま宿の下にある川井集落に立ち寄った。高いところに移された幹線国道から見捨てられながらも、今なお人々の生活がひっそりと息づいているようだ。急速に暗くなってゆく252号線を運転し、若松に帰って来たのは17時半頃。ガソリンを入れ、無事に車を返却する。18時15分の磐越西線で会津の地を後にし、郡山では夕食をとりつつ、ささやかな打ち上げ。充実した週末であった。
写真
1枚目:錦秋の水鏡を駆ける
2枚目:余韻
3枚目:静謐な川面を渡る
1900文字
11/9
撮影(会津桧原~会津西方 第一只見川橋梁 側面)
9430レ[1452] 快速 SL只見線紅葉号 C11
桧原集落散策
撮影(会津宮下~早戸 第三只見川橋梁 俯瞰その3)
430D[1548] 普通 キハ40 3連
(国道252号線、国道49号線)
川井集落散策
会津若松1815 → 郡山1929
磐越西線1238M クハ718-14
郡山2104 → 大宮2158
東北新幹線158B やまびこ158号 E226-1213
大宮2205 → 新宿2236
湘南新宿ライン2152F 快速 E223-7427
新宿2242 → 信濃町2247
中央・総武緩行線2260T モハE232-226
・対峙
SLの通過を予感してか、雨も風もぴたりと止んでしまった。水鏡はますます透明になり、どこからが水面なのか、今や区別が難しい。山あいに間歇的にこだまする鳴き声は徐々に大きくなっているように感じられる。これだけの人が集まっているというのに、みな静まり返り、息をひそめ、怪物の登場を今か今かと待っている。
そしてついに、現れた。たびたび聞こえていた鳴き声がすぐそこで響いたかと思うと、次の瞬間には、歯切れの良いドラフト音と共に豪快に煙を吐き出しながら、3両の旧客を引っさげたC11がアーチ橋を渡り始めていた。何の迷いもなく、何者にも妨げられることなく、華麗に空中を駆け抜ける鋼鉄の馬。吐かれたばかりの煙は積乱雲のような塊になってうごめくが、徐々に空気に溶け込み散ってゆく。煙はSLの軌跡に沿った見事なグラデーションをなし、アーチ橋の上にもう一つの虹が架かったかのようだ。そして、川面にはパラレルワールド。橋と列車と煙、燃え盛る秋の色彩が、完璧な逆さ絵になって映し出されている。まさに、自然物と人工物が一体となって生み出した芸術的な感動であり、それ以上の形容はできない。やがてSLは悲しげな咆哮を谷に轟かせて、対岸の林の中へと吸い込まれていった。
残された我々は、ただ呆然と立ち尽くすのみ。水鏡はなお完全な姿を失っていない。橋の上には帯状の煙幕が滞留し、刻一刻と表情を変えてゆく。煙突から吐き出されたが最後、二度と元には戻れない煙が、その「主」と泣き別れて空中をさまよっているかのようだ。鳴き声はまだ時おり聞こえてくる。SLは生きている。呼吸している。対峙する前の独特の緊張感と、過ぎ去った後の深い余韻。SLの撮影とは、生命体との対話なのだ。
・黄昏
桧原の集落も、この地方独特の屋根をした家がひっそりと軒を連ねている。船着場から上がって来た撮影者たちが車や徒歩で撤収する中、少しばかり集落をぶらついて別れを惜しんだ。沿線の細やかな表情は、その線区を乗りつぶすだけではなかなか見えてこない。その点、車を使った移動というのは手軽に見聞を広めることができるから便利である。
最後の上り列車は第三橋梁の北側から撮ることに決めた。下調べが今一つでなかなか場所を特定できず焦ったが、正解はスノーシェッドの上。何とか間に合った。第一橋梁ほどの華やかさは感じられないが、静謐な川面にまっすぐ架かる橋の上を、3両編成の普通列車がトコトコ駆けていく様は絵になる。周囲の紅葉も真っ盛りで、最後の撮影にふさわしい舞台であった。黄昏の足音が迫る谷に別れを告げる。
・帰路
会津若松へ帰る途中、道の駅・みしま宿の下にある川井集落に立ち寄った。高いところに移された幹線国道から見捨てられながらも、今なお人々の生活がひっそりと息づいているようだ。急速に暗くなってゆく252号線を運転し、若松に帰って来たのは17時半頃。ガソリンを入れ、無事に車を返却する。18時15分の磐越西線で会津の地を後にし、郡山では夕食をとりつつ、ささやかな打ち上げ。充実した週末であった。
写真
1枚目:錦秋の水鏡を駆ける
2枚目:余韻
3枚目:静謐な川面を渡る
1900文字
会津撮影行 2日目 中編
2014年11月9日 鉄道と旅行
曇天の日曜日。
・SLの勇姿
227Dを撮った後は、昨日と同じく「酷道」400号線を通って只見線へ。今日の下りSLは第三橋梁の俯瞰撮影地で狙い撃つことにした。第三は第一と人気を二分する撮影地と言われるが、やはり定番感は第一の方が強い。宮下を過ぎて早戸へ向かう間にある沼田街道のスノーシェッド群を抜けて間もなく、工事現場を彷彿させる砂利道に入り、その行き止まりで駐車。ひどくぬかるんだ道を泥まみれになりながら歩いていくと、針葉樹林が伐採された一区画に到着する。よく見れば、ここも送電線鉄塔のたもとである。鉄塔巡視路が俯瞰撮影地になっているケースは多い。既に先客が多くいらっしゃりベストポジションは埋まっていたのだが、そこを何とかお願いして三脚の前で屈んで撮れることになった。
やがてSLは遠くから幾度も汽笛を吹鳴しながら、色とりどりの木々に囲まれた橋のたもとに登場。紅葉真っ盛りの中に突如現れた鋼鉄の馬。もちろん来ることは分かっていたが、いざ対峙してみると背筋がぞくぞくする。機関車は生命体のようにうごめく黒煙を吐き出しながら、予想以上のスピードで猛然と橋梁を駆け抜けていった。夢中になってシャッターを切り続ける。後半は欲張って縦構図にも挑んでみたのだが、最初から横で粘っているのが正解だったかもしれない。二兎を追う者…である。
・小休止
ひとまず無事に俯瞰撮影が終わったので、車に戻ってここでひと休み。まもなく正午、無情にも雨が降ってきた。次にやって来る上り列車は第二橋梁で撮ることに決める。ここは趣向を変えて、遠くからの側面狙いではなく橋のたもと近くからのスタンダードな構図を作ってみる。色彩が特別に美しいというわけではないが、右下に黄葉の木々を配し、針葉樹を背に橋を渡る車両を浮き立たせる。
・船着場
上りのSLに向け、次なる撮影地へ移動する。西方の近くでは只見川が蛇行しているので意外にも道路が複雑である。みしま宿のそばにある252号線のトンネルを抜けた後、桧原の集落へと降りる道に入る。ここから川岸へ向かうにはさらにひと手間かかる。集落の西の方から林の中へと続く分かりにくい細道に入り、桧原踏切という小さな踏切を渡ってからさらに鬱蒼とした坂道を水面のレベルまで下らねばならない。踏切が故障して警報音が鳴り続けていたのには驚いた。着いた先には、元からあったのか、それとも撮影者によって開拓されたのか、それなりに広い駐車スペースがありたくさんの車が停まっていた。ここは北側からアーチを見上げることができる第一橋梁のもう一つの定番撮影地、通称「船着場」である。近くにいた撮影者が話していた内容によれば、かつて対岸まで渡し船が出ていた場所らしい。確かによく見ると、西方側の対岸は開けた野原になっていて、船が接岸できそうだ。しかし荒涼とした雰囲気から察するに、ずいぶん昔の話なのだろう。
定番だけあってここもそれなりに混雑していたが、一段下がったところにあるコンクリートの上は三脚を立てる余裕がないからか、ガラガラであった。三脚は撮影の機動性を著しく損うので、望遠の縦構図ならともかく、個人的には昼間の撮影地でわざわざ用意する意義を見出せない。間もなく下り普通列車が通過する時分。どこからか聞こえてきた「こんな時間に列車あったっけ?」という言葉に呆れつつ、ファインダーを覗く。気が付けば小雨は止んで、さざ波も収まり、徐々に水鏡が形成されつつある。キハ40の重い警笛と、宮下の方から聞こえてくるようになったSLの鳴き声が交互にこだまして、まるで両者が対話しているかのようだ。やがて、3両編成の列車がしずしずと橋を渡って来た。ゴオンゴオンという橋梁独特の轍の音響が、絵画的な世界を静かに装飾する。
写真
1枚目:猛進
2枚目:のんびり
3枚目:絵画的な世界
1937文字
11/9
レンタカーによる移動(国道459号線、国道49号線、国道400号線、国道252線)
撮影(会津宮下~早戸 第三只見川橋梁 俯瞰その2)
9425レ[1130] 快速 SL只見線紅葉号 C11
(国道252号線)
撮影(会津西方~会津宮下 第二只見川橋梁 西側)
428D[1304] 普通 キハ40 2連
撮影(会津桧原~会津西方 第一只見川橋梁 側面)
427D[1437] 普通 キハ40 3連
・SLの勇姿
227Dを撮った後は、昨日と同じく「酷道」400号線を通って只見線へ。今日の下りSLは第三橋梁の俯瞰撮影地で狙い撃つことにした。第三は第一と人気を二分する撮影地と言われるが、やはり定番感は第一の方が強い。宮下を過ぎて早戸へ向かう間にある沼田街道のスノーシェッド群を抜けて間もなく、工事現場を彷彿させる砂利道に入り、その行き止まりで駐車。ひどくぬかるんだ道を泥まみれになりながら歩いていくと、針葉樹林が伐採された一区画に到着する。よく見れば、ここも送電線鉄塔のたもとである。鉄塔巡視路が俯瞰撮影地になっているケースは多い。既に先客が多くいらっしゃりベストポジションは埋まっていたのだが、そこを何とかお願いして三脚の前で屈んで撮れることになった。
やがてSLは遠くから幾度も汽笛を吹鳴しながら、色とりどりの木々に囲まれた橋のたもとに登場。紅葉真っ盛りの中に突如現れた鋼鉄の馬。もちろん来ることは分かっていたが、いざ対峙してみると背筋がぞくぞくする。機関車は生命体のようにうごめく黒煙を吐き出しながら、予想以上のスピードで猛然と橋梁を駆け抜けていった。夢中になってシャッターを切り続ける。後半は欲張って縦構図にも挑んでみたのだが、最初から横で粘っているのが正解だったかもしれない。二兎を追う者…である。
・小休止
ひとまず無事に俯瞰撮影が終わったので、車に戻ってここでひと休み。まもなく正午、無情にも雨が降ってきた。次にやって来る上り列車は第二橋梁で撮ることに決める。ここは趣向を変えて、遠くからの側面狙いではなく橋のたもと近くからのスタンダードな構図を作ってみる。色彩が特別に美しいというわけではないが、右下に黄葉の木々を配し、針葉樹を背に橋を渡る車両を浮き立たせる。
・船着場
上りのSLに向け、次なる撮影地へ移動する。西方の近くでは只見川が蛇行しているので意外にも道路が複雑である。みしま宿のそばにある252号線のトンネルを抜けた後、桧原の集落へと降りる道に入る。ここから川岸へ向かうにはさらにひと手間かかる。集落の西の方から林の中へと続く分かりにくい細道に入り、桧原踏切という小さな踏切を渡ってからさらに鬱蒼とした坂道を水面のレベルまで下らねばならない。踏切が故障して警報音が鳴り続けていたのには驚いた。着いた先には、元からあったのか、それとも撮影者によって開拓されたのか、それなりに広い駐車スペースがありたくさんの車が停まっていた。ここは北側からアーチを見上げることができる第一橋梁のもう一つの定番撮影地、通称「船着場」である。近くにいた撮影者が話していた内容によれば、かつて対岸まで渡し船が出ていた場所らしい。確かによく見ると、西方側の対岸は開けた野原になっていて、船が接岸できそうだ。しかし荒涼とした雰囲気から察するに、ずいぶん昔の話なのだろう。
定番だけあってここもそれなりに混雑していたが、一段下がったところにあるコンクリートの上は三脚を立てる余裕がないからか、ガラガラであった。三脚は撮影の機動性を著しく損うので、望遠の縦構図ならともかく、個人的には昼間の撮影地でわざわざ用意する意義を見出せない。間もなく下り普通列車が通過する時分。どこからか聞こえてきた「こんな時間に列車あったっけ?」という言葉に呆れつつ、ファインダーを覗く。気が付けば小雨は止んで、さざ波も収まり、徐々に水鏡が形成されつつある。キハ40の重い警笛と、宮下の方から聞こえてくるようになったSLの鳴き声が交互にこだまして、まるで両者が対話しているかのようだ。やがて、3両編成の列車がしずしずと橋を渡って来た。ゴオンゴオンという橋梁独特の轍の音響が、絵画的な世界を静かに装飾する。
写真
1枚目:猛進
2枚目:のんびり
3枚目:絵画的な世界
1937文字
会津撮影行 2日目 前編
2014年11月9日 鉄道と旅行
絵画と写真を考える。
・苦悩、ふたたび
曇天は難しい。撮影行で全日の全時間帯が晴れていることなどまずないのだが、どうも計画を組む段階では晴天や光線を意識してしまう。むろん、今回は紅葉という強い味方があるので「物は撮りよう」という考え方からすればある程度融通は効くのだが、やはり空は白くなるし、その空を映す川も白くなる。とことんアンダーで切り取るか、いっそ開き直って新しい構図を試してみるか。そうは言っても、苦し紛れの構図が多くなったかもしれない。線路の対岸から撮影した220Dは暗すぎて、続く滝の下踏切での222Dもどこか地味な画面である。利田踏切でとらえた223Dに至っては通過時刻を勘違いして慌ててカメラを構えた上に、線路が近すぎて背後の紅葉を生かし切ることができなかった。ただし面白かったのは荻野~尾登に架かる釜ノ脇橋梁で、西側は川岸から、東側はスノーシェッドの上から構図を作ることができた。トンネルや橋といった構造物は、こういう光のない日に画面の面白味を左右する。
また結局、磐越西線で俯瞰撮影地を訪れることは叶わなかった。当初予定していた通称「温泉俯瞰」は、登り口の温泉施設周辺に熊出没注意の喚起があった上に、直接口頭でも止められてしまった。こんなにも紅葉が美しいというのに、残念である。そして、下調べできっと対岸の明賀沢付近だろうと目星をつけておいた地点も、車で登りつめたは良いが辺りの藪や林が深く最終的なアプローチは不明のまま引き返すこととなった。おそらくは藪をかき分け、尾根づたいに少し歩けば景色が開けたのかもしれないが、保証はない上に熊との遭遇も怖いのでやはり断念。
・船渡大橋にて
しかしながら、227Dの2回目は磐越西線での撮影を締めくくるにふさわしい、絵画的な構図をつくることができた。一面の秋色に包まれた世界にぴったりと収まった3両編成のキハ40。ごくわずかにさざ波だった川面には、幻影のようにぼうっと景色が映り込む。
絵画と写真の違いは何なのか。レンズを使った多彩な表現技法こそ写真の醍醐味だと言う人もいる。それはある意味正しい。みんな、絞り解放とか浅い被写界深度が大好き。しかもデジタルの時代にあっては、好きなように塗り絵もできる。もはや、適当な機材さえあればシャッターを押すだけで誰でも「きれい」で「すごい」写真が撮れる。画家は、対象から得た感覚を自由に料理してカンバスに転写する。その芸術的な過程が、レンズと素子と処理装置という機械へ手軽に置き換わったのだと単純に解釈されている。たとえ絵が描けなくてもカメラが画家の頭脳の代わりになって、好きなように写真を撮ることができる。したがって普通、写真を撮る楽しみとは、いわば自由に「お絵描き」や「塗り絵」をする楽しみに近いのかもしれない。確かに、それは大いに理解できる。
ところが、いわゆる世間的に「きれい」「すごい」と呼ばれる写真と、我々が撮っている写真との間には一定の距離があるように思われる。基本的な姿勢として、その瞬間、その場所で、その被写体に立ち会ったという文脈を元にして画面を構成しているつもりである。ここで楽しいと感じるのはその構成過程なのであって、「お絵描き」や「塗り絵」自体はあくまで副次的な楽しみ、さらに言えばイメージを写真という実体に落とし込むための手段とか道具に過ぎない。つまりレンズ自体が楽しいのではなく、道具であるレンズを使って何をするかということこそが楽しいのだ。露出にしても色調にしても、色を塗ること自体が面白いのではなく、その作業を通して何を表現するかが面白いのだ。世の中には見る人に訴えかけるものが「カメラの機能」とか「レンズの性能」しかない写真がいかに氾濫していることか。撮影者が現場で感じた思い、その時の臨場感、さらに願わくは過去の歴史や未来への希望までもが凝縮されて初めて、写真として面白い。
きっと、絵画もそうなのではないかと思う。何をどう配置して、どういう色彩で描写するかという過程は、写真撮影に通じるものがある。とりわけ自分が普段撮る写真の性質上、風景画は非常に興味深い鑑賞対象といえる。しかし、鉄道写真というのは想像以上に専門的な文脈を必要とすることが最近分かってきた。その点ではむしろ宗教画に近いものがあるかもしれない。純粋な風景画のような描写を追い求めながらも、無意識のうちに文脈にこだわるあまり、一般的な美的感覚からやや離れたものを描いているとは、少し皮肉な話である。
写真
1枚目:陰鬱な秋の朝
2枚目:さざ波の川面
3枚目:錦秋の阿賀野川
2415文字
11/9
レンタカーによる移動(県道16号線)
撮影(尾登~荻野 相ノ瀬甲)
220D[631] 普通 キハ40 2連
(県道16号線、県道367号線)
撮影(尾登~荻野 滝の下踏切)
222D[658] 普通 キハ40 3連
(国道367号線、県道16号線)
撮影(尾登~荻野 利田踏切)
223D[740] 普通 キハ40 2連
(県道16号線)
撮影(尾登~荻野 釜ノ脇橋梁)
224D[800] 普通 キハ40 2連
(県道370号線、国道49号線、県道16号線)
撮影(尾登~荻野 釜ノ脇橋梁)
227D[854] 普通 キハ40 3連
(県道16号線、国道49号線、国道459号線)
撮影(徳沢~豊実 船渡大橋)
3222D[943] 快速 キハ110 2連+キハE120 1連
227D[956] 普通 キハ40 3連
・苦悩、ふたたび
曇天は難しい。撮影行で全日の全時間帯が晴れていることなどまずないのだが、どうも計画を組む段階では晴天や光線を意識してしまう。むろん、今回は紅葉という強い味方があるので「物は撮りよう」という考え方からすればある程度融通は効くのだが、やはり空は白くなるし、その空を映す川も白くなる。とことんアンダーで切り取るか、いっそ開き直って新しい構図を試してみるか。そうは言っても、苦し紛れの構図が多くなったかもしれない。線路の対岸から撮影した220Dは暗すぎて、続く滝の下踏切での222Dもどこか地味な画面である。利田踏切でとらえた223Dに至っては通過時刻を勘違いして慌ててカメラを構えた上に、線路が近すぎて背後の紅葉を生かし切ることができなかった。ただし面白かったのは荻野~尾登に架かる釜ノ脇橋梁で、西側は川岸から、東側はスノーシェッドの上から構図を作ることができた。トンネルや橋といった構造物は、こういう光のない日に画面の面白味を左右する。
また結局、磐越西線で俯瞰撮影地を訪れることは叶わなかった。当初予定していた通称「温泉俯瞰」は、登り口の温泉施設周辺に熊出没注意の喚起があった上に、直接口頭でも止められてしまった。こんなにも紅葉が美しいというのに、残念である。そして、下調べできっと対岸の明賀沢付近だろうと目星をつけておいた地点も、車で登りつめたは良いが辺りの藪や林が深く最終的なアプローチは不明のまま引き返すこととなった。おそらくは藪をかき分け、尾根づたいに少し歩けば景色が開けたのかもしれないが、保証はない上に熊との遭遇も怖いのでやはり断念。
・船渡大橋にて
しかしながら、227Dの2回目は磐越西線での撮影を締めくくるにふさわしい、絵画的な構図をつくることができた。一面の秋色に包まれた世界にぴったりと収まった3両編成のキハ40。ごくわずかにさざ波だった川面には、幻影のようにぼうっと景色が映り込む。
絵画と写真の違いは何なのか。レンズを使った多彩な表現技法こそ写真の醍醐味だと言う人もいる。それはある意味正しい。みんな、絞り解放とか浅い被写界深度が大好き。しかもデジタルの時代にあっては、好きなように塗り絵もできる。もはや、適当な機材さえあればシャッターを押すだけで誰でも「きれい」で「すごい」写真が撮れる。画家は、対象から得た感覚を自由に料理してカンバスに転写する。その芸術的な過程が、レンズと素子と処理装置という機械へ手軽に置き換わったのだと単純に解釈されている。たとえ絵が描けなくてもカメラが画家の頭脳の代わりになって、好きなように写真を撮ることができる。したがって普通、写真を撮る楽しみとは、いわば自由に「お絵描き」や「塗り絵」をする楽しみに近いのかもしれない。確かに、それは大いに理解できる。
ところが、いわゆる世間的に「きれい」「すごい」と呼ばれる写真と、我々が撮っている写真との間には一定の距離があるように思われる。基本的な姿勢として、その瞬間、その場所で、その被写体に立ち会ったという文脈を元にして画面を構成しているつもりである。ここで楽しいと感じるのはその構成過程なのであって、「お絵描き」や「塗り絵」自体はあくまで副次的な楽しみ、さらに言えばイメージを写真という実体に落とし込むための手段とか道具に過ぎない。つまりレンズ自体が楽しいのではなく、道具であるレンズを使って何をするかということこそが楽しいのだ。露出にしても色調にしても、色を塗ること自体が面白いのではなく、その作業を通して何を表現するかが面白いのだ。世の中には見る人に訴えかけるものが「カメラの機能」とか「レンズの性能」しかない写真がいかに氾濫していることか。撮影者が現場で感じた思い、その時の臨場感、さらに願わくは過去の歴史や未来への希望までもが凝縮されて初めて、写真として面白い。
きっと、絵画もそうなのではないかと思う。何をどう配置して、どういう色彩で描写するかという過程は、写真撮影に通じるものがある。とりわけ自分が普段撮る写真の性質上、風景画は非常に興味深い鑑賞対象といえる。しかし、鉄道写真というのは想像以上に専門的な文脈を必要とすることが最近分かってきた。その点ではむしろ宗教画に近いものがあるかもしれない。純粋な風景画のような描写を追い求めながらも、無意識のうちに文脈にこだわるあまり、一般的な美的感覚からやや離れたものを描いているとは、少し皮肉な話である。
写真
1枚目:陰鬱な秋の朝
2枚目:さざ波の川面
3枚目:錦秋の阿賀野川
2415文字
会津撮影行 1日目 後編
2014年11月8日 鉄道と旅行
晴れ舞台。
・お立ち台
そういう方面の人は「酷道」と揶揄するそうだが、野沢と会津西方を短絡する国道400号線もこれまた貧相な道路で、途中からはもはやただの峠越えの山道。しかし世の中にははるか上をゆく「酷道」も数多くあるようで、色々調べてみると面白い。さて、西方の駅前へは出ずに只見川を渡った先にある道の駅・みしま宿を目指す。今日と明日はSL只見線紅葉号の運転日。まずは定番中の定番、第一只見川橋梁の俯瞰撮影地を目指すべく、みしま宿の駐車場に車を停め、国道のトンネルのポータル脇にある送電線鉄塔巡視路を登る予定だったのだが、何と駐車場はおろか路肩までも車で溢れかえっているではないか。SLの集客力をなめてはいけなかった。これではみしま宿ではなく、もはや激パ宿w
結局、少し離れたところに路駐して無事撮影地にはたどり着いたのだが、山の斜面にこれほど多くの人がへばりついているとは、実に異様な光景。上の方はもう入る余地がなさそうだったので、道なき道を少し降りた場所から屈んで撮ることしたのだが、先客の画角に入るだとか入らないだとか、全く落ち着かないひと時であった。天気よし、光線よし、景色よし。そして3連の旧客を従えてC11が最高の舞台に姿を現した。しかし何だろう、この感覚は。どうも感動というものに今ひとつ欠ける。被写体が遠いからか、いやそれは違う。問題はこの撮影地の空気感なのだ。とにかく人が多くて、窮屈で、ゆとりがない。したがって「時と場所と対話する」ための心の余裕がない。画面を作り、露出を決め、色を決め、シャッターを切る。本当は感性を研ぎ澄ます喜びや、創造的な楽しみを無数に内包しているはずのこの一連の動作が、ただの「作業」になり果てかねない危うさを感じたのだった。
・錦秋
これほどのすばらしい紅葉日和である。普通列車の姿もしっかり撮っておきたい。第三橋梁を南側から俯瞰するポイントへ足を運ぶ。磐越西線の紅葉もエレガントで美しかったが、只見線はさらに錦秋と呼ぶにふさわしく、とにかく色彩が鮮やかである。今朝は霧に頭を悩ませたが、ようやく報われてきただろうか。空き時間は沼沢湖へ行こうとするも結局道路が行き止まりだったが、その途中でたまたま出会った武骨なスノーシェッドの撮影もまた楽しい息抜きであった。塗装の剥脱とか群生するコケなどを見るにつけ、地図状潰瘍とか小腸上皮とかを思い浮かべてしまうのは、もはや病気なのか。組織学や病理学が特別に好きなわけではないが、人工物と自然物とを問わず「構造」に対する関心がそれなりに大きいのかもしれない。
上りのSLは早戸と水沼の間にある下大牧集落を大俯瞰する撮影地にて仕留める。GPSと航空写真をリアルタイムで見ながら移動できるとは、便利な時代になったものだ。自動車すら珍しかった頃に、地形図だけを頼りにひたすら歩き回って撮影地を開拓してきたであろう先人たちには頭が上がらない。ここも相変わらず人が多かったが、先ほどよりはだいぶ落ち着いている。いつの間にか太陽は翳り、しっとりと曇った秋の昼下がりの様相。燃え盛る紅葉の山に抱かれて、悠々と流れる只見川のほとりには独特な屋根の家々がひっそり寄り添う。やがて汽笛を谷間に震わせ、白い息を吐きながら、箱庭のような世界にSLが登場した。そして煙は列車の軌跡に沿って淡く拡散し、あたかも霞のように色彩にアクセントを添える。線路ぎりぎりまで近づいて爆煙を正面打ちする撮り方も面白いが、ここに来て改めて俯瞰撮影の醍醐味を満喫したように思う。
・夕刻
残すは普通列車2本である。427Dは俯瞰撮影地を降りた場所からさほど離れていない第四橋梁の側面からとらえ、返しの430Dは西方の先の滝谷まで引き返し、滝谷川橋梁で支流を渡っているところを仕留めた。いずれも変なラッピング車両が混ざった編成なので満足度はあまり高くないかと思いきや、元のJR色と似たような系統の塗装なのでさほど気にはならなかった。
これにて一日の撮影は終了。国道252号線をひたすら東進し、今宵の宿泊地である喜多方へ。駅近くのコンビニで晩酌用の酒と翌日の食料を仕入れた後、「くるくる軒」というラーメン屋で夕食をとる。入店時はガラガラで大丈夫かと思ったが、後になって続々と地元客が入ってきて、ほぼ満席になってしまった。何ということのない日常の姿に旅先で触れる、これがまた面白い。
写真
1枚目:第一只見川橋梁の絶景
2枚目:秋が燃える第三橋梁
3枚目:下大牧集落、大俯瞰
2371文字
11/8
レンタカーによる移動(国道459号線、国道49号線、国道400号線)
撮影(会津桧原~会津西方 第一只見川橋梁 俯瞰)
9425レ[1113] 快速 SL只見線紅葉号 C11
(国道252号線)
撮影(会津宮下~早戸 第三只見川橋梁 俯瞰その1)
428D[1255] 普通 キハ40 2連
撮影(早戸~会津水沼 下大牧集落 俯瞰)
9430レ[1422] 快速 SL只見線紅葉号 C11
撮影(会津水沼~会津中川 第四只見川橋梁 側面)
427D[1457] 普通 キハ40 3連
(県道366号線、県道32号線)
撮影(会津桧原~滝谷 滝谷川橋梁)
430D[1606] 普通 キハ40 3連
(県道32号線、国道49号線、県道21号線)
喜多方泊(やまと屋旅館)
・お立ち台
そういう方面の人は「酷道」と揶揄するそうだが、野沢と会津西方を短絡する国道400号線もこれまた貧相な道路で、途中からはもはやただの峠越えの山道。しかし世の中にははるか上をゆく「酷道」も数多くあるようで、色々調べてみると面白い。さて、西方の駅前へは出ずに只見川を渡った先にある道の駅・みしま宿を目指す。今日と明日はSL只見線紅葉号の運転日。まずは定番中の定番、第一只見川橋梁の俯瞰撮影地を目指すべく、みしま宿の駐車場に車を停め、国道のトンネルのポータル脇にある送電線鉄塔巡視路を登る予定だったのだが、何と駐車場はおろか路肩までも車で溢れかえっているではないか。SLの集客力をなめてはいけなかった。これではみしま宿ではなく、もはや激パ宿w
結局、少し離れたところに路駐して無事撮影地にはたどり着いたのだが、山の斜面にこれほど多くの人がへばりついているとは、実に異様な光景。上の方はもう入る余地がなさそうだったので、道なき道を少し降りた場所から屈んで撮ることしたのだが、先客の画角に入るだとか入らないだとか、全く落ち着かないひと時であった。天気よし、光線よし、景色よし。そして3連の旧客を従えてC11が最高の舞台に姿を現した。しかし何だろう、この感覚は。どうも感動というものに今ひとつ欠ける。被写体が遠いからか、いやそれは違う。問題はこの撮影地の空気感なのだ。とにかく人が多くて、窮屈で、ゆとりがない。したがって「時と場所と対話する」ための心の余裕がない。画面を作り、露出を決め、色を決め、シャッターを切る。本当は感性を研ぎ澄ます喜びや、創造的な楽しみを無数に内包しているはずのこの一連の動作が、ただの「作業」になり果てかねない危うさを感じたのだった。
・錦秋
これほどのすばらしい紅葉日和である。普通列車の姿もしっかり撮っておきたい。第三橋梁を南側から俯瞰するポイントへ足を運ぶ。磐越西線の紅葉もエレガントで美しかったが、只見線はさらに錦秋と呼ぶにふさわしく、とにかく色彩が鮮やかである。今朝は霧に頭を悩ませたが、ようやく報われてきただろうか。空き時間は沼沢湖へ行こうとするも結局道路が行き止まりだったが、その途中でたまたま出会った武骨なスノーシェッドの撮影もまた楽しい息抜きであった。塗装の剥脱とか群生するコケなどを見るにつけ、地図状潰瘍とか小腸上皮とかを思い浮かべてしまうのは、もはや病気なのか。組織学や病理学が特別に好きなわけではないが、人工物と自然物とを問わず「構造」に対する関心がそれなりに大きいのかもしれない。
上りのSLは早戸と水沼の間にある下大牧集落を大俯瞰する撮影地にて仕留める。GPSと航空写真をリアルタイムで見ながら移動できるとは、便利な時代になったものだ。自動車すら珍しかった頃に、地形図だけを頼りにひたすら歩き回って撮影地を開拓してきたであろう先人たちには頭が上がらない。ここも相変わらず人が多かったが、先ほどよりはだいぶ落ち着いている。いつの間にか太陽は翳り、しっとりと曇った秋の昼下がりの様相。燃え盛る紅葉の山に抱かれて、悠々と流れる只見川のほとりには独特な屋根の家々がひっそり寄り添う。やがて汽笛を谷間に震わせ、白い息を吐きながら、箱庭のような世界にSLが登場した。そして煙は列車の軌跡に沿って淡く拡散し、あたかも霞のように色彩にアクセントを添える。線路ぎりぎりまで近づいて爆煙を正面打ちする撮り方も面白いが、ここに来て改めて俯瞰撮影の醍醐味を満喫したように思う。
・夕刻
残すは普通列車2本である。427Dは俯瞰撮影地を降りた場所からさほど離れていない第四橋梁の側面からとらえ、返しの430Dは西方の先の滝谷まで引き返し、滝谷川橋梁で支流を渡っているところを仕留めた。いずれも変なラッピング車両が混ざった編成なので満足度はあまり高くないかと思いきや、元のJR色と似たような系統の塗装なのでさほど気にはならなかった。
これにて一日の撮影は終了。国道252号線をひたすら東進し、今宵の宿泊地である喜多方へ。駅近くのコンビニで晩酌用の酒と翌日の食料を仕入れた後、「くるくる軒」というラーメン屋で夕食をとる。入店時はガラガラで大丈夫かと思ったが、後になって続々と地元客が入ってきて、ほぼ満席になってしまった。何ということのない日常の姿に旅先で触れる、これがまた面白い。
写真
1枚目:第一只見川橋梁の絶景
2枚目:秋が燃える第三橋梁
3枚目:下大牧集落、大俯瞰
2371文字
会津撮影行 1日目 前編
2014年11月8日 鉄道と旅行
紅葉を追って。
・会津へ
2件の内視鏡手術を見終え、あわよくば伊勢崎を18時04分に出る両毛線に乗ろうと思っていたのだが、実に3分の差で逃してしまった。小山で東北新幹線、郡山で磐越西線に乗り継ぎ、会津若松到着は23時前。車中で各方面へのメールを処理し、諸々の雑務も片づけて、先に現地入りしていたのすり氏と東横インにて落ち合う。伊勢崎での4日間の滞在を終え、さらに週末は会津の山奥で紅葉を撮るという強行スケジュール。日常から非日常への急速潜航はもう慣れたものだが、おそらくこれから先、撮影行とか旅行はこういった感じのスタートが当たり前になっていく予感がする。今回の撮影はレンタカーを最大限に活用する計画なので、幸い荷物が膨れ上がっても心配はなかった。郡山で仕入れたカップ酒を片手に、ささやかながら週末の幸運を祈願し、眠りに就く。
・朝霧
霧というのは神秘的な一方で独特の恐ろしさがある。視界の遮断がこれほどまでに恐怖心を呼び起こすとは、いかに普段から我々が目という感覚器に頼っているかということである。まだ夜の明けない若松の町を飛び出し、西へ向かって車を運転しているときは、あの6月の室蘭市街を凌ぐほどの視界の悪さであった。しかし荻野の駅を過ぎて県道367号線の細道に入ると、阿賀野川が姿を現した。眼前には、ダーク・グリーンの静謐な水面から立ち上る湯気のごとく、風の流れに乗ってゆったりと霧が川面を走っているのだった。見え隠れする遠景はまさにサスペンスであり、好奇心をそそる。そして視覚が鈍化する分だけ嗅覚や触覚といった原始的な感覚が鋭敏になり、動物的な心に立ち返ってカメラを構えるかのような気分である。
荻野駅からほど近いところにある利田踏切で上り列車を、そして対岸に渡って県道16号線をしばらく走った先のシェルターの近くから、釜ノ脇橋梁を渡る下り列車を撮影。しかし、この独特の霧の質感を的確に描写するのはなかなか難しい。それは、霧がいわば「濡れない雨」のような朦朧としたものであり、しかも刻一刻と分布と表情を変えて態度をはっきりさせないからかもしれない。霧はなかなか上がってくれない。澄み渡る青空、燃え盛る紅葉、悠々と流れる阿賀野川、そういういかにもといった感じの秋の風景を昨夜は夢見ていたはずなのだが、目の前の現実はまるで異なって冷たい。次の2本はどうしようか迷った挙句、野沢~上野尻のトンネルS字で上りを、その後急いで移動し上野尻~徳沢の端村踏切で下りを仕留める。磐越西線といえば阿賀野川のはずなのに、霧が深すぎて川を写せないのが残念で仕方がない。とくに端村踏切は苦渋の選択であった。
・清秋
気が付けば磐越西線のキハ40もずいぶんと数を減らし、午後の2~3本を除けば午前中の5本で撮影は終了となる。ただし最後の227Dは野沢で20分以上の長停があり、さらに徳沢でも数分停まるため、車で追いかければ余裕をもって2回撮れる「美味しい」被写体。1回目は山都~荻野の大谷川橋梁にて。荻野の近くは川が大きく遠回りに湾曲しているにもかかわらず橋が少ないので、対岸へ渡るのが一苦労である。車を飛ばしてなんとか間に合った。9時頃になると徐々に霧が上がってくる。列車が通過したのはまさに晴れんとするタイミング。わずかでも霧の間から太陽光が差し込むと、これまでの陰鬱な色彩が嘘のように消し飛び、鮮やかな錦秋の彩りを予感する。
上野尻から先は、鉄路が川に沿って険しい谷を進むのに対し、国道49号線はトンネルで内陸をぶち抜いて一気に津川を目指す。車という名前の峠なのか、「車トンネル」を抜けた先の景色は忘れられない。まさに期待を絵に描いたような秋の風景が否応なく目に飛び込んできた。朝の濃霧が嘘のようである。これだ、これを求めてはるばる会津の地までやってきたのだと、そう思えるひと時。そして県道384号線に入って国道を降り、徳沢の集落を目指す。やがて459号線という国道に出るが、幅員が狭く所々に待避所があるというあまりにも貧弱な道路。崖下にへばりつくように川沿いに進み、スノーシェッドの中で新潟県境を越える。山間部を貫く49号線とは違って、きっと昔からの道なのだろう。227Dの2回目は有名撮影地である大巻橋梁の対岸。水鏡がなかったのが唯一残念だったが、それ以外は申し分のない清秋の一コマを切り取ることができた。
写真
1枚目:シグモイドに登場(@野沢~上野尻)
2枚目:川霧が消えてゆく(@山都~荻野)
3枚目:清秋を駆ける(@徳沢~豊実)
2689文字
11/7
伊勢崎1846 → 小山1959
両毛線475M モハ115-1081
小山2011 → 郡山2102
東北新幹線219B やまびこ219号 E526-305
郡山2155 → 会津若松2257
磐越西線3237M 快速 クハ718-17
会津若松泊(東横イン)
11/8
レンタカーによる移動(国道49号線、県道16号線、県道367号線)
撮影(尾登~荻野 利田踏切)
220D[632] 普通 キハ40 2連
(県道367号線、県道16号線)
撮影(尾登~荻野 釜ノ脇橋梁)
222D[657] 普通 キハ40 3連
(県道16号線、国道49号線)
撮影(野沢~上野尻 岩ヶ崎トンネル)
224D[747] 普通 キハ40 2連
(国道49号線、県道370号線)
撮影(上野尻~徳沢 端村踏切)
223D[800] 普通 キハ40 2連
(県道370号線、国道49号線、県道16号線)
撮影(山都~荻野 大谷川橋梁)
227D[847] 普通 キハ40 3連
(県道16号線、国道49号線、国道459号線)
撮影(徳沢~豊実 大巻橋梁)
3222D[946] 快速 キハ110 2連+キハE120 1連
227D[951] 普通 キハ40 3連
・会津へ
2件の内視鏡手術を見終え、あわよくば伊勢崎を18時04分に出る両毛線に乗ろうと思っていたのだが、実に3分の差で逃してしまった。小山で東北新幹線、郡山で磐越西線に乗り継ぎ、会津若松到着は23時前。車中で各方面へのメールを処理し、諸々の雑務も片づけて、先に現地入りしていたのすり氏と東横インにて落ち合う。伊勢崎での4日間の滞在を終え、さらに週末は会津の山奥で紅葉を撮るという強行スケジュール。日常から非日常への急速潜航はもう慣れたものだが、おそらくこれから先、撮影行とか旅行はこういった感じのスタートが当たり前になっていく予感がする。今回の撮影はレンタカーを最大限に活用する計画なので、幸い荷物が膨れ上がっても心配はなかった。郡山で仕入れたカップ酒を片手に、ささやかながら週末の幸運を祈願し、眠りに就く。
・朝霧
霧というのは神秘的な一方で独特の恐ろしさがある。視界の遮断がこれほどまでに恐怖心を呼び起こすとは、いかに普段から我々が目という感覚器に頼っているかということである。まだ夜の明けない若松の町を飛び出し、西へ向かって車を運転しているときは、あの6月の室蘭市街を凌ぐほどの視界の悪さであった。しかし荻野の駅を過ぎて県道367号線の細道に入ると、阿賀野川が姿を現した。眼前には、ダーク・グリーンの静謐な水面から立ち上る湯気のごとく、風の流れに乗ってゆったりと霧が川面を走っているのだった。見え隠れする遠景はまさにサスペンスであり、好奇心をそそる。そして視覚が鈍化する分だけ嗅覚や触覚といった原始的な感覚が鋭敏になり、動物的な心に立ち返ってカメラを構えるかのような気分である。
荻野駅からほど近いところにある利田踏切で上り列車を、そして対岸に渡って県道16号線をしばらく走った先のシェルターの近くから、釜ノ脇橋梁を渡る下り列車を撮影。しかし、この独特の霧の質感を的確に描写するのはなかなか難しい。それは、霧がいわば「濡れない雨」のような朦朧としたものであり、しかも刻一刻と分布と表情を変えて態度をはっきりさせないからかもしれない。霧はなかなか上がってくれない。澄み渡る青空、燃え盛る紅葉、悠々と流れる阿賀野川、そういういかにもといった感じの秋の風景を昨夜は夢見ていたはずなのだが、目の前の現実はまるで異なって冷たい。次の2本はどうしようか迷った挙句、野沢~上野尻のトンネルS字で上りを、その後急いで移動し上野尻~徳沢の端村踏切で下りを仕留める。磐越西線といえば阿賀野川のはずなのに、霧が深すぎて川を写せないのが残念で仕方がない。とくに端村踏切は苦渋の選択であった。
・清秋
気が付けば磐越西線のキハ40もずいぶんと数を減らし、午後の2~3本を除けば午前中の5本で撮影は終了となる。ただし最後の227Dは野沢で20分以上の長停があり、さらに徳沢でも数分停まるため、車で追いかければ余裕をもって2回撮れる「美味しい」被写体。1回目は山都~荻野の大谷川橋梁にて。荻野の近くは川が大きく遠回りに湾曲しているにもかかわらず橋が少ないので、対岸へ渡るのが一苦労である。車を飛ばしてなんとか間に合った。9時頃になると徐々に霧が上がってくる。列車が通過したのはまさに晴れんとするタイミング。わずかでも霧の間から太陽光が差し込むと、これまでの陰鬱な色彩が嘘のように消し飛び、鮮やかな錦秋の彩りを予感する。
上野尻から先は、鉄路が川に沿って険しい谷を進むのに対し、国道49号線はトンネルで内陸をぶち抜いて一気に津川を目指す。車という名前の峠なのか、「車トンネル」を抜けた先の景色は忘れられない。まさに期待を絵に描いたような秋の風景が否応なく目に飛び込んできた。朝の濃霧が嘘のようである。これだ、これを求めてはるばる会津の地までやってきたのだと、そう思えるひと時。そして県道384号線に入って国道を降り、徳沢の集落を目指す。やがて459号線という国道に出るが、幅員が狭く所々に待避所があるというあまりにも貧弱な道路。崖下にへばりつくように川沿いに進み、スノーシェッドの中で新潟県境を越える。山間部を貫く49号線とは違って、きっと昔からの道なのだろう。227Dの2回目は有名撮影地である大巻橋梁の対岸。水鏡がなかったのが唯一残念だったが、それ以外は申し分のない清秋の一コマを切り取ることができた。
写真
1枚目:シグモイドに登場(@野沢~上野尻)
2枚目:川霧が消えてゆく(@山都~荻野)
3枚目:清秋を駆ける(@徳沢~豊実)
2689文字
4日間の外病院。
・脳神経外科
火曜は信濃町を4時41分に出て、錦糸町、北千住経由で東武伊勢崎線に乗り、はるばる終点まで向かう。普通は上越新幹線の本庄早稲田からタクシーか、あるいは両毛線経由にしても高崎まで新幹線ということになるようだが、週末には福島遠征が待っているのでここは交通費をケチって最安ルートを選んだw 小児科の2周目をオンラインで解きながら車窓に目をやると、開けた景色に燦然と昇る朝日が眩しい。
今週は詳細に書いていると本当に切りが無いのだが、結論から言えば素晴らしく充実した実習であった。ドレナージ、クリッピング、血腫除去、ガンマナイフ、そして内視鏡2件。夜は焼肉と飲み会。脳外はポリクリの最初に回った外科というだけの理由で自分の興味関心が傾いているのかと考えたこともあったが、改めてこうして合宿のようなスケジュールで脳外漬けになってみると、やはり自分にとって本質的に面白いのだということに気がつく。それは、脳そのものへの興味関心による部分が大きい。
まあ人間の思考は周囲の環境に少なからず影響されるものなので、来年以降の2年を経ても同じような考えかどうかは分からない。とくに、学生として実習をする立場と、医師として労働する立場は全然異なるものだと想像する。しかしながら、通いは面倒なので寮生活、そしてどうせなら専門病院、という実に単純な論理で選んだ今回の実習先での色々な経験や談話は、これまでのどのポリクリでも到底得られなかったような濃密な内容であった。ここでは先生にも症例にも恵まれ、幸運だったと思っている。今後も、思考の材料を十分に蓄えることを意識していく必要があろう。
金曜のオペ後は、急遽非日常へ飛び込む。
写真:ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンシペ駅
駅近くの中華料理屋で昼食をとった後、紺碧海岸を目指してフランスとの国境駅ヴェンティミリアへ向かうインテルシティに乗継ぎます。
873文字
・脳神経外科
火曜は信濃町を4時41分に出て、錦糸町、北千住経由で東武伊勢崎線に乗り、はるばる終点まで向かう。普通は上越新幹線の本庄早稲田からタクシーか、あるいは両毛線経由にしても高崎まで新幹線ということになるようだが、週末には福島遠征が待っているのでここは交通費をケチって最安ルートを選んだw 小児科の2周目をオンラインで解きながら車窓に目をやると、開けた景色に燦然と昇る朝日が眩しい。
今週は詳細に書いていると本当に切りが無いのだが、結論から言えば素晴らしく充実した実習であった。ドレナージ、クリッピング、血腫除去、ガンマナイフ、そして内視鏡2件。夜は焼肉と飲み会。脳外はポリクリの最初に回った外科というだけの理由で自分の興味関心が傾いているのかと考えたこともあったが、改めてこうして合宿のようなスケジュールで脳外漬けになってみると、やはり自分にとって本質的に面白いのだということに気がつく。それは、脳そのものへの興味関心による部分が大きい。
まあ人間の思考は周囲の環境に少なからず影響されるものなので、来年以降の2年を経ても同じような考えかどうかは分からない。とくに、学生として実習をする立場と、医師として労働する立場は全然異なるものだと想像する。しかしながら、通いは面倒なので寮生活、そしてどうせなら専門病院、という実に単純な論理で選んだ今回の実習先での色々な経験や談話は、これまでのどのポリクリでも到底得られなかったような濃密な内容であった。ここでは先生にも症例にも恵まれ、幸運だったと思っている。今後も、思考の材料を十分に蓄えることを意識していく必要があろう。
金曜のオペ後は、急遽非日常へ飛び込む。
写真:ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンシペ駅
駅近くの中華料理屋で昼食をとった後、紺碧海岸を目指してフランスとの国境駅ヴェンティミリアへ向かうインテルシティに乗継ぎます。
873文字
酒を飲んだ翌日は、ポリクリとかの予定がない限りはずるずると11時頃まで寝てしまう。早い段階で一応目は覚めているから起きようと思えば起きられるはずなのだが、どうも意志が弱い。まずは部屋の掃除をして、明日からの荷造りを行う。
・ノルマンディー展
のすり氏の薦めで新宿の美術館を訪問。なるほど、我々の写真趣味に通じる部分があるとの評はまさにその通りで、展示の流れも良かった。風景画というのは肖像画や宗教画ほどは背景知識を求められないのもさることながら、ファインダーを通して画面の構成を考える趣味をもつ立場としては「自分なら同じものをこう撮る(描く)」といった視点からも鑑賞できる。そこが面白いところで、むろん西洋史やキリスト教の膨大な蘊蓄も知っていればそれはそれで楽しいのだろうが、創造性という点で自らの趣向と通底するものを感じるのが風景画である。絵画と写真は似通っているようで全く異なる部分も多い。単純に比較できるほど相同ではない両者の特徴を考察するのもまた一興である。
明日は3時50分起きなので、23時前に就寝。
写真:ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンシペ駅
エウロスターシティよりも古い機関車と客車で、なかなか味があります。
583文字
・ノルマンディー展
のすり氏の薦めで新宿の美術館を訪問。なるほど、我々の写真趣味に通じる部分があるとの評はまさにその通りで、展示の流れも良かった。風景画というのは肖像画や宗教画ほどは背景知識を求められないのもさることながら、ファインダーを通して画面の構成を考える趣味をもつ立場としては「自分なら同じものをこう撮る(描く)」といった視点からも鑑賞できる。そこが面白いところで、むろん西洋史やキリスト教の膨大な蘊蓄も知っていればそれはそれで楽しいのだろうが、創造性という点で自らの趣向と通底するものを感じるのが風景画である。絵画と写真は似通っているようで全く異なる部分も多い。単純に比較できるほど相同ではない両者の特徴を考察するのもまた一興である。
明日は3時50分起きなので、23時前に就寝。
写真:ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンシペ駅
エウロスターシティよりも古い機関車と客車で、なかなか味があります。
583文字
さて、日曜日。
・二俣川
運転免許の更新のため、二俣川へ。しかし日曜は混むということを忘れていた。今週はせっかく平日が休みだったのに、何をしていたんだw 免許取得から5年、晴れて優良運転者に昇格。それにしても、運転免許試験場は随所に昭和臭さが漂っていて面白い。
わざわざ横浜までやって来たので、昼は家系ラーメンの元祖といわれる吉村家を訪れる。すでに長蛇の列が出来ていたが、店内が広く回転も速いので案外すぐに着席できた。予想していたほどコテコテの味ではなく、代々木商店よりは、らすたに近いように思える。
・QB
免許やラーメンの待ち時間やら移動時間やらを利用してちまちま解き進め、何とか婦人科の2周目が終了した。オンラインはすばらしい。総じて簡単な問題が多く、正答率は感染症と肩を並べる。ただ残念ながら、国試的な「コスパ」は悪い科目のようだ。
・同窓会
午後は撮影行の予習を行い、諸々の雑務を処理した後、渋谷で開催された母校の同窓会へ。この特殊な空気、久々で楽しいw 10年後、20年後、もっと凄いことになっているかもしれない。幹事の皆さま、ありがとうございました。
写真:ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンシペ駅
ホームに佇む客車列車は絵になります。
662文字
・二俣川
運転免許の更新のため、二俣川へ。しかし日曜は混むということを忘れていた。今週はせっかく平日が休みだったのに、何をしていたんだw 免許取得から5年、晴れて優良運転者に昇格。それにしても、運転免許試験場は随所に昭和臭さが漂っていて面白い。
わざわざ横浜までやって来たので、昼は家系ラーメンの元祖といわれる吉村家を訪れる。すでに長蛇の列が出来ていたが、店内が広く回転も速いので案外すぐに着席できた。予想していたほどコテコテの味ではなく、代々木商店よりは、らすたに近いように思える。
・QB
免許やラーメンの待ち時間やら移動時間やらを利用してちまちま解き進め、何とか婦人科の2周目が終了した。オンラインはすばらしい。総じて簡単な問題が多く、正答率は感染症と肩を並べる。ただ残念ながら、国試的な「コスパ」は悪い科目のようだ。
・同窓会
午後は撮影行の予習を行い、諸々の雑務を処理した後、渋谷で開催された母校の同窓会へ。この特殊な空気、久々で楽しいw 10年後、20年後、もっと凄いことになっているかもしれない。幹事の皆さま、ありがとうございました。
写真:ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンシペ駅
ホームに佇む客車列車は絵になります。
662文字
昼前に起きてしまった。平日はポリクリ休みとはいえまともに起床していたのに、土日になると意識が変わるのか。袋麺を茹でた後、午後は四谷祭を見に行く。もうあっという間に昼下がり。
このままだと何もせず一日を終えそうなので、その後は婦人科の2周目にオンラインで着手した。日が暮れた頃に帰ろうかと思ったが、家にいても何もしないのは目に見えているので、国対部屋で夜まで粘る。結局、6割ほど解き終える。こうして猛烈な勢いで問題を解いていると、勉強している、または理解しているというよりはむしろ、問題が解けるようになっているだけ、という事態に陥る。こういう「勉強」はあまり本質的でないような気がするが、結局試験対策は問題演習ありきなので、まあこれで良いのかという諦念にも甘んじたくなる。
写真:車窓
天気が悪かったのが本当に残念。海岸線とトンネルが連続する様は、室蘭本線を彷彿させます。
422文字
このままだと何もせず一日を終えそうなので、その後は婦人科の2周目にオンラインで着手した。日が暮れた頃に帰ろうかと思ったが、家にいても何もしないのは目に見えているので、国対部屋で夜まで粘る。結局、6割ほど解き終える。こうして猛烈な勢いで問題を解いていると、勉強している、または理解しているというよりはむしろ、問題が解けるようになっているだけ、という事態に陥る。こういう「勉強」はあまり本質的でないような気がするが、結局試験対策は問題演習ありきなので、まあこれで良いのかという諦念にも甘んじたくなる。
写真:車窓
天気が悪かったのが本当に残念。海岸線とトンネルが連続する様は、室蘭本線を彷彿させます。
422文字
今週は最後の「ポリクリ休み」である。6年のカリキュラムは概して暇といえる。こなすべき勉強量自体は年々指数関数的に増えているのだが、最終学年になって自由に使える時間が格段に増えるのは嬉しい。もっとも、予め計画を立てておかないとせっかくの休みを無駄にしてしまう。
・諸々
週の前半は各方面にメールを打ち、再来週に迫る磐越西線と只見線の下調べをして、長らく懸案だった地域医療のレポートを片付ける。一応自らの経験をもとに文章を作り、適当に文献も引いてはみたのだが、近ごろで一二を争うクソレポになってしまった感w 火曜夜は父と食事。
・QB
気を抜いてはいけないので、水曜からは産科の2周目に着手。金曜の午前中には終了した。自前のメモとビデオ講座のテキストを参照しながら復習するのだが、恐ろしいくらいに色々忘れている。BishopスコアとかSpとか、細部は吹っ飛んでいたw どうもこの科目は、内科の病態生理を理解するのとはまた一味違う、独特の難しさがある。
・その他
木曜は代々木。徐々に慣れてきた感。その晩はようやくこの間仕入れた「勝駒」と「千代鶴」を開栓。金曜は四谷祭の準備。6年目にしていつの間にか写真部に入っていたので、数枚を出展することになったw 他の人とは趣向が違い過ぎて何ともいえない感じではあったが。世間にすんなり受け入れられるものと、自らの目指すものとの間で折衷を試みるべきなのか、否か。夜は再び飲むw
写真:ピサ・チェントラーレ駅
ローマ行とジェノヴァ行のESC(エウロスターシティ)が同時発車。機関車は高速対応の新鋭機で、客車も最優等列車にふさわしくリニューアルされています。
832文字
・諸々
週の前半は各方面にメールを打ち、再来週に迫る磐越西線と只見線の下調べをして、長らく懸案だった地域医療のレポートを片付ける。一応自らの経験をもとに文章を作り、適当に文献も引いてはみたのだが、近ごろで一二を争うクソレポになってしまった感w 火曜夜は父と食事。
・QB
気を抜いてはいけないので、水曜からは産科の2周目に着手。金曜の午前中には終了した。自前のメモとビデオ講座のテキストを参照しながら復習するのだが、恐ろしいくらいに色々忘れている。BishopスコアとかSpとか、細部は吹っ飛んでいたw どうもこの科目は、内科の病態生理を理解するのとはまた一味違う、独特の難しさがある。
・その他
木曜は代々木。徐々に慣れてきた感。その晩はようやくこの間仕入れた「勝駒」と「千代鶴」を開栓。金曜は四谷祭の準備。6年目にしていつの間にか写真部に入っていたので、数枚を出展することになったw 他の人とは趣向が違い過ぎて何ともいえない感じではあったが。世間にすんなり受け入れられるものと、自らの目指すものとの間で折衷を試みるべきなのか、否か。夜は再び飲むw
写真:ピサ・チェントラーレ駅
ローマ行とジェノヴァ行のESC(エウロスターシティ)が同時発車。機関車は高速対応の新鋭機で、客車も最優等列車にふさわしくリニューアルされています。
832文字
起きたら11時半w ここで7時くらいに起きられる意識の高さが欲しい。とりあえず信濃町へ向かって昼飯を食べた後、諸々の雑務を処理する。午後は感染症の2周目にオンラインで着手。意外と簡単なので、すいすい解き進められる。しかしただ問題を解くだけというのは気が滅入る。あっという間に日が暮れてしまった。心が折れそうになったので途中で終わりにしようかと思ったが、このままだとあまりに生産性の低い一日になってしまうので、夜まで粘って全部解き切ったのだった。これでメジャーの2周目はおしまい。次は産婦あたりに取り掛かろう。
明日からは最後のポリクリ休みが待っているが、勉強と雑務処理の計画を真面目に立てておこう。とりあえずやることを書き出して、一つ一つ地道に潰していかねばならない。
写真:ピサ駅
列車を待つ人々の表情。
390文字
明日からは最後のポリクリ休みが待っているが、勉強と雑務処理の計画を真面目に立てておこう。とりあえずやることを書き出して、一つ一つ地道に潰していかねばならない。
写真:ピサ駅
列車を待つ人々の表情。
390文字
これで試合は最後にしよう。
・三医大戦
三本目一本であっけなく敗退したw あーあーあw 2週間ごしの計画で練習を重ねてきたにもかかわらず、醜態を晒してしょっぱい結果に終わる。東医体の大止めが6時にズシャった時と同等かそれ以上の虚しさ。情熱が空回りしてしまったか。何も考えずにひけば良いのか、中りにこだわってギラギラしながら的に向かえば良いのか、結局答えの出ないまま、ついに、心の弱さを克服することはできなかった。一方で他校の6年生2人はといえば、本人たちも言うように付け焼刃的な射ではあったとはいえ、しっかり予選を通過し、とくに1人は個人3位をかっさらうあたり、さすがであるw そして最高学年賞競射は予選の結果と関係なしに団体戦終了後のエキシビション的な位置づけで実施され、いかにも老害感満載のやりたい放題のイベントであったw 後輩諸君には申し訳ない。まあ結果はともかく、各校の主将経験者が1人ずつ出場し、最後の試合で語らい合えたという意味では実に楽しい一日であった。それと、付け足しみたいになってしまうが、団体戦は6年ぶりの快挙。お疲れさまでした。
2次会は前内務と現外務と飲みに行く。練習して、試合に出て、酒を飲むという、いつまでも当たり前のように続くと思っていた日常がまもなく終わろうとしていることに、寂寥感を覚えてやまない。自分の引退部員生活の原点は92回主将の遺した言葉にあるのだが、何らかの形で関わりを持とうとこうして身を置いてみると、失われゆく日常はかくも美しかったのかと、また愛おしいものだったのかと、今さらになってはっと気付かされるのである。
写真:ピサ・チェントラーレ駅
ぱっとしない天気の中、ピサに到着です。
786文字
・三医大戦
三本目一本であっけなく敗退したw あーあーあw 2週間ごしの計画で練習を重ねてきたにもかかわらず、醜態を晒してしょっぱい結果に終わる。東医体の大止めが6時にズシャった時と同等かそれ以上の虚しさ。情熱が空回りしてしまったか。何も考えずにひけば良いのか、中りにこだわってギラギラしながら的に向かえば良いのか、結局答えの出ないまま、ついに、心の弱さを克服することはできなかった。一方で他校の6年生2人はといえば、本人たちも言うように付け焼刃的な射ではあったとはいえ、しっかり予選を通過し、とくに1人は個人3位をかっさらうあたり、さすがであるw そして最高学年賞競射は予選の結果と関係なしに団体戦終了後のエキシビション的な位置づけで実施され、いかにも老害感満載のやりたい放題のイベントであったw 後輩諸君には申し訳ない。まあ結果はともかく、各校の主将経験者が1人ずつ出場し、最後の試合で語らい合えたという意味では実に楽しい一日であった。それと、付け足しみたいになってしまうが、団体戦は6年ぶりの快挙。お疲れさまでした。
2次会は前内務と現外務と飲みに行く。練習して、試合に出て、酒を飲むという、いつまでも当たり前のように続くと思っていた日常がまもなく終わろうとしていることに、寂寥感を覚えてやまない。自分の引退部員生活の原点は92回主将の遺した言葉にあるのだが、何らかの形で関わりを持とうとこうして身を置いてみると、失われゆく日常はかくも美しかったのかと、また愛おしいものだったのかと、今さらになってはっと気付かされるのである。
写真:ピサ・チェントラーレ駅
ぱっとしない天気の中、ピサに到着です。
786文字
・泌尿器科
2週目に入る。なぜか月曜に行われた試問は、精巣腫瘍の組織型を答えただけであっさりと終了w 火曜はやや忙しかったが、神業のようなLAP-Pを見られたので良かった。腹腔鏡手術は面白そうである。水曜に至っては一日休みで、木曜は夕方のレポートチェックまで何もなし。最後は金曜午前の外来に出て終了。総じて暇だったが、仮に1週間でこなすとしたら相当忙しくなりそうなので、ウロのポリクリは2週間のままが良いかもしれない。なかなか楽しかった。
心残りはレポートがほとんど教科書の丸写しという低質なものになったことと、あまりウロ自体の勉強が進まなかったことか。QBに関しては皮膚科のときに進めてはいたのだが、もうだいぶ知識が抜けてしまった。実はマイナー科は、年明けに本気を出して詰め込むのが正解だったのではないか。それはそうと、蓄尿と排尿のあたりの自律神経の話は相当基本的な内容でありながら地味に難しいので、改めて復習しなければならない。最近思うに、2年生の科目、とくに解剖と生理は勉強してもしすぎることはないくらいのキモ所であった。
・QB
今週はわりと時間があったので、肝胆膵の2周目をオンラインでバリバリと進めていた。結構難しい。これでメジャーは感染症を残すのみとなった。ところで蓋を開けてみると、どの科も「自信を持って正解できた」率が70%近辺をさまよっている。覚えられない事項はいつまで経っても覚えられないし、間違える問題は何度やっても間違える。知識量のグラフはすでに変曲点を通過して2次導関数が負になっているのは明らかなのだが、漸近線はないと信じてひたすらやり込むしかないということかw
・マッチング
木曜の14時にPCに張り付くこと40分、ようやくアクセスできた。いやー、面接での感触とは実にいい加減なもので、最後の最後まで読めないものだ。だいぶ攻め込んだ受験形態ではあったが、アンマッチは回避。御の字である。新天地での生活を何となく思い描きながら、残りの学生生活を過ごすとしよう。立地上、東海のお世話になる機会が増えるのかもしれないw
・立練
土曜の三医大戦に向けて月曜と木曜は立練に参加。水曜と金曜もポリクリのない時間帯を狙って三田へ足を運ぶ。しかし射型は崩れる一方で、自分でも中る気がしない。先週の中盤が一番好調だったかもしれない。このままだと普通に一回戦で敗退しそうな勢いである。下手の横好きとはいえ、どうしてこう、いつまで経っても難しいのだろう。これでも主将をやっていた時に比べると格段にのびのびしているらしいのだがw
・代々木
ポリクリとの兼ね合いで今週は予定がバラけてしまった。そして久々の形態で緊張したが、終わったときの達成感がどこか懐かしい。国試勉強の息抜き的な感じで、自らの素養を深めるためにも、もう少し頑張ってみるとしよう。
写真:フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
フランス、コート・ダジュールへの長い旅路の始まり。まずは普通列車でピサまで向かいます。
1452文字
2週目に入る。なぜか月曜に行われた試問は、精巣腫瘍の組織型を答えただけであっさりと終了w 火曜はやや忙しかったが、神業のようなLAP-Pを見られたので良かった。腹腔鏡手術は面白そうである。水曜に至っては一日休みで、木曜は夕方のレポートチェックまで何もなし。最後は金曜午前の外来に出て終了。総じて暇だったが、仮に1週間でこなすとしたら相当忙しくなりそうなので、ウロのポリクリは2週間のままが良いかもしれない。なかなか楽しかった。
心残りはレポートがほとんど教科書の丸写しという低質なものになったことと、あまりウロ自体の勉強が進まなかったことか。QBに関しては皮膚科のときに進めてはいたのだが、もうだいぶ知識が抜けてしまった。実はマイナー科は、年明けに本気を出して詰め込むのが正解だったのではないか。それはそうと、蓄尿と排尿のあたりの自律神経の話は相当基本的な内容でありながら地味に難しいので、改めて復習しなければならない。最近思うに、2年生の科目、とくに解剖と生理は勉強してもしすぎることはないくらいのキモ所であった。
・QB
今週はわりと時間があったので、肝胆膵の2周目をオンラインでバリバリと進めていた。結構難しい。これでメジャーは感染症を残すのみとなった。ところで蓋を開けてみると、どの科も「自信を持って正解できた」率が70%近辺をさまよっている。覚えられない事項はいつまで経っても覚えられないし、間違える問題は何度やっても間違える。知識量のグラフはすでに変曲点を通過して2次導関数が負になっているのは明らかなのだが、漸近線はないと信じてひたすらやり込むしかないということかw
・マッチング
木曜の14時にPCに張り付くこと40分、ようやくアクセスできた。いやー、面接での感触とは実にいい加減なもので、最後の最後まで読めないものだ。だいぶ攻め込んだ受験形態ではあったが、アンマッチは回避。御の字である。新天地での生活を何となく思い描きながら、残りの学生生活を過ごすとしよう。立地上、東海のお世話になる機会が増えるのかもしれないw
・立練
土曜の三医大戦に向けて月曜と木曜は立練に参加。水曜と金曜もポリクリのない時間帯を狙って三田へ足を運ぶ。しかし射型は崩れる一方で、自分でも中る気がしない。先週の中盤が一番好調だったかもしれない。このままだと普通に一回戦で敗退しそうな勢いである。下手の横好きとはいえ、どうしてこう、いつまで経っても難しいのだろう。これでも主将をやっていた時に比べると格段にのびのびしているらしいのだがw
・代々木
ポリクリとの兼ね合いで今週は予定がバラけてしまった。そして久々の形態で緊張したが、終わったときの達成感がどこか懐かしい。国試勉強の息抜き的な感じで、自らの素養を深めるためにも、もう少し頑張ってみるとしよう。
写真:フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
フランス、コート・ダジュールへの長い旅路の始まり。まずは普通列車でピサまで向かいます。
1452文字
まずは代々木へ。久々で緊張する。まあ自分のためにもなるから、これは予習のしがいがある。午後は国対部屋へ。この間の精巣腫瘍のレポートでも書こうと思い教科書を借りたり文献を探したりしていたのだが、大した進捗のないまま、気が付いたら日が暮れていた。虚しい。
気を取り直して、夜は英訳業務に取り掛かる。和訳には数多く取り組んできたが、英訳ははるかに難しい。"Recent years have witnessed ..."は個人的なツボだったが、どうしても「日本人が書く英語」の域を脱せなかった。まあ今度ヤウでもおごってもらおうw
写真:皆既月食
10月6日の月食の写真を上げ忘れていたので、ここで載せておきます。それにしても、total eclipseを「全食」ではなく「皆既食」と訳した先人の語感的なセンスに脱帽する。
394文字
気を取り直して、夜は英訳業務に取り掛かる。和訳には数多く取り組んできたが、英訳ははるかに難しい。"Recent years have witnessed ..."は個人的なツボだったが、どうしても「日本人が書く英語」の域を脱せなかった。まあ今度ヤウでもおごってもらおうw
写真:皆既月食
10月6日の月食の写真を上げ忘れていたので、ここで載せておきます。それにしても、total eclipseを「全食」ではなく「皆既食」と訳した先人の語感的なセンスに脱帽する。
394文字
深酒の翌日は活動開始が遅れる。正午を挟んで消化器のQBをぐだぐだと進めるも、問題量が多すぎてまるで進まない。まあ内代や血液とは違って肉眼解剖学的な構造と各疾患が密接に関連しているから、内科の中ではかなり理解しやすい分野だと思う。では循環器はといえば、これはマシーンに近いものがあるので難しい。消化管は心臓に比べればだいぶ単純である。
昼下がりは国対部屋へ足を運び、自転車の洗車やら代々木の予習やら諸々の雑務をこなしていたらあっという間に夕方を迎えてしまった。
・練習
夜は三田へ。普段行かない道場で弓をひくのは楽しい。練習後は後輩諸君とホルモン焼を食して終電で帰る。我々がこの街で第二の生活を始めてから、もう2年になるのか。ひしめく酒場の灯りにもすっかり見慣れたものだ。
写真:フィレンツェ
結局、天気の勝れない一日でした。アイスクリームを食べてホテルへ戻ります。
453文字
昼下がりは国対部屋へ足を運び、自転車の洗車やら代々木の予習やら諸々の雑務をこなしていたらあっという間に夕方を迎えてしまった。
・練習
夜は三田へ。普段行かない道場で弓をひくのは楽しい。練習後は後輩諸君とホルモン焼を食して終電で帰る。我々がこの街で第二の生活を始めてから、もう2年になるのか。ひしめく酒場の灯りにもすっかり見慣れたものだ。
写真:フィレンツェ
結局、天気の勝れない一日でした。アイスクリームを食べてホテルへ戻ります。
453文字
火曜は台風接近でまたもやつぶれるのかと思いきや、わが学部は強気の判断で休校はなし。まあ結局は猛烈な勢いで早朝に首都圏を通過してしまい、家を出る頃には、どこか夏を彷彿させる哀しい青空が広がっていたのだった。こういう週明けも悪くない。
・泌尿器科
忙しいのかと思いきや、予定の組み方次第では何もない日が2日間くらいできることになる。2回の外来はいずれも来週に回したので、今週は精巣と尿管ステントのオペを見学し、クルズスに出席したのみ。いやしかし、オペは衝撃的であった。ウロの先生はみな独特な感じがあって、なかなか面白い。皮膚科との雰囲気の差が際立っているw 確かに、移植含めオペもできるし、腫瘍も内分泌もあるし、何より自科ですべて完結するところが魅力的かもしれない。
空き時間では消化器の2周目をオンラインで進める。1周目よりは少し進歩しているのかもしれないが、結局イヤーノートに立ち戻って復習・暗記しないことにはいつまで経っても理解には至らない。
・練習
水曜は朝練へ。肩を入れて、手の内を締めつけて、背部を使って上肢帯を開くようにすると、上手くいくことに気が付いた。いやしかし、医学用語ではない、いわゆる「運動神経」というのは確かに存在すると思う。残念ながら自分は大したものを持ち合わせていないようだが。
・代々木
急に色々降ってきたw ずいぶん方向性が変わったものだw
水曜は日本酒に溺れ、金曜は「囲む会」でワインに溺れる。何だろう、夏が終わった途端、急激に飲酒量が増えたように思う。マッチングも一段落し、国試までも時間があるという、絶妙な時期だからなのか。
写真:フィレンツェ
路地には三色旗。
839文字
・泌尿器科
忙しいのかと思いきや、予定の組み方次第では何もない日が2日間くらいできることになる。2回の外来はいずれも来週に回したので、今週は精巣と尿管ステントのオペを見学し、クルズスに出席したのみ。いやしかし、オペは衝撃的であった。ウロの先生はみな独特な感じがあって、なかなか面白い。皮膚科との雰囲気の差が際立っているw 確かに、移植含めオペもできるし、腫瘍も内分泌もあるし、何より自科ですべて完結するところが魅力的かもしれない。
空き時間では消化器の2周目をオンラインで進める。1周目よりは少し進歩しているのかもしれないが、結局イヤーノートに立ち戻って復習・暗記しないことにはいつまで経っても理解には至らない。
・練習
水曜は朝練へ。肩を入れて、手の内を締めつけて、背部を使って上肢帯を開くようにすると、上手くいくことに気が付いた。いやしかし、医学用語ではない、いわゆる「運動神経」というのは確かに存在すると思う。残念ながら自分は大したものを持ち合わせていないようだが。
・代々木
急に色々降ってきたw ずいぶん方向性が変わったものだw
水曜は日本酒に溺れ、金曜は「囲む会」でワインに溺れる。何だろう、夏が終わった途端、急激に飲酒量が増えたように思う。マッチングも一段落し、国試までも時間があるという、絶妙な時期だからなのか。
写真:フィレンツェ
路地には三色旗。
839文字
祝日ということで、久々に朝練に参加。20射の立練だったが、4中という半端ないドンマイ感を漂わせつつ終了。さすがにこのまま終わるのも微妙だったので、その後80射する。結局、手の内が甘かったのと、腕だけで引こうとしていたのがまずかった。もっと左手を痛めつけて、体幹をのびのび開くように運動しなければ。最後は半分ほど中ったから、来週以降はこの辺りに注意してみよう。
帰宅後は3時間も昼寝をしてしまい、夕方から腎臓の残りに着手。オンラインは面白いほどサクサク進むので、何とか完遂できた。残るメジャーの2周目は消化器、肝胆膵、呼吸器。しかし、実は内科よりも小児産婦の方が危機的状況にあるような気がしてきた。
写真:フィレンツェ
大雨が降ったのか、川が濁っていて残念。
365文字
帰宅後は3時間も昼寝をしてしまい、夕方から腎臓の残りに着手。オンラインは面白いほどサクサク進むので、何とか完遂できた。残るメジャーの2周目は消化器、肝胆膵、呼吸器。しかし、実は内科よりも小児産婦の方が危機的状況にあるような気がしてきた。
写真:フィレンツェ
大雨が降ったのか、川が濁っていて残念。
365文字
周遊旅行の予習資料ということでU氏から貸してもらった『ARIA』を延々読んでいたら日が暮れてしまったw 午前中で切り上げて午後は腎臓の続きをやろうと思っていたのに、何ということだw この、現実から逃避しつつも、現実の美しさを随所に再発見できる感じが素晴らしい。まあ火曜からは怒濤のスケジュールが組まれていることだし、こういう贅沢な休日の過ごし方も別に構わないか。それにしても、ヴェネツィアへの憧憬が大きくなった。
夜は新宿にて代々木の非公式飲み会。古い面々が多く、なかなか楽しかった。ああ歳をとってしまった。
写真:フィレンツェ
有名なヴェッキオ橋。道の両側には宝飾品店が立ち並びます。
330文字
夜は新宿にて代々木の非公式飲み会。古い面々が多く、なかなか楽しかった。ああ歳をとってしまった。
写真:フィレンツェ
有名なヴェッキオ橋。道の両側には宝飾品店が立ち並びます。
330文字