まずは、

くはね@鶴見線
くはね@矢向踏切

といったところでしょうか。朝5時50分に家を出て、始発のバスに乗車。これは意外とこんでいました。12分で駅に着けると踏んでいたのですが、途中でぽろぽろ客を拾ったりしてなにかと16分くらいかかりました。

この後はいつも通り

武蔵溝ノ口→(南武線)→川崎
川崎→(京浜東北線)→鶴見
鶴見→(鶴見線)→鶴見小野

と動きます。

さて、今日の行動の目的は103系浜川崎行きに尽きるわけですが、こいつの列番は「01M」。よくよく調べてみたら私が鶴見駅に着いて鶴見小野まで乗る電車なんですヨ。まぁ要は鶴見駅に着いてホームを見た時に浜川崎行きは103系かどうかが判明するわけですが、なんと・・・!!

205系

だったのでした。無念!

しかも極寒!!手が凍傷になりそうです。

仕方がない、まぁ03Mには103系T5編成が入っているので河口踏切でそれを撮って鶴見線はおしまいにしましょう。むしろ今日は寝台特急富士撮影という大きい仕事(?)も残っているので早めに八丁畷へ向かいました。

あまりにも寒いので、浜川崎の自販機でぽっかぽっかレモンなる飲み物を購入。結構甘くておいしいですナ。

さて、八丁畷到着。超有名撮影地である矢向踏切へと急ぎました。が!!!

ヲタの祭りになっていた!!

なんか三脚が10本くらいズラーッと並んで、人がひしめき合っていました。仕方がないので私は踏切の黄色い柵の上に正座して撮ることに。後ろのヒトが、「君どいういう姿勢で撮るか早く決めてよ。レンズ入るかもしんないんだからさあ。」と言ってきたので、まあこのような姿勢に。どうもすみませんでした・・・。

そして富士到来。まぁ成功しました。
↓(先頭に「h」を付け足してaccess!!)
ttp://f58.aaa.livedoor.jp/~kuhane/images/trains/ef66/ef66-fuji_1.jpg
電源車の尻に京浜東北線が繋がっていることは気にしちゃいけません!!

今日はこんな感じで終わりましたネ。

1430文字
昨日の朝の運用をもって終了したとかいう噂が(by某巨大掲示板)。2次車というのは窓が上から押し下げるタイプのものですナ。「口」の字窓です。「写真あるのかな」と調べてみたところ、あるのは1次車の写真ばかり。窓が「田」の字のものです。かろうじて2次車の写真がありましたが、レイアウトが良くないし、2次車と判別困難な写真なんですネ。

少々残念。遂に山手線からは205系も引退の時期が迫ってきていますネ。今残っているのは1次車の2編成のみのようですが・・・。鶴見線や八高線その他では激しく敵意を抱く205系ですが、一応これは国鉄車両です。それが山手線から引退するとなると、やはりなんとなく寂しいですネ。。。

415文字

↑ 常磐線の交直流電車もがんばって。。。
そうですよ、寝坊してしまったのですよ!!

朝5時30分に起きるつもりが、ふと時計を見るとななななんと7時19分!!。「こりゃあやばいぞ!」ってことで急いで仕度をして7時30分に家を出ます。その後、最速で鶴見に行ったのですが、到着したのは8時29分。209系500番台の鶴見行きに乗ってきました。

さてさて、早朝から来ていたHRS485氏と連絡をとります。鶴見小野にいるそうなので私もそちらへ。

何故に寝坊などしてしまったのでしょうか、もし予定通りならば103系の浜川崎行きが撮れたであろうに!!そして103系臨時海芝浦行きが撮れたであろうに!!何と愚かなのだ。。。結局今日、臨時電車は31臨、弁天橋おかえり電車のみを撮影してあっけなく終了という哀しい結末に終わってしまいました。しかも写真の出来は窓枠が光りすぎててイマイチ

残念極まりない。。。

その後、午前中は鶴見線でまったりして過ごしました。今日はT5編成が一日中の運用に就いていたのでその勇姿を追うことに。鶴見小野やあの有名な河口踏切で撮影しました。踏切で撮ったのは自分ながら上出来。トップ画像に追加しておきました。

大半の臨時電車を逃したのは痛手だった。。。

872文字
また一つ、カナリア103系が消えていきました。

鶴見線T9編成、遂に廃車回送です。まずは中原車両区(ナハ)から出てきて武蔵中原の2番線に停車しているところを撮影。
その後は先発の上り南武線で鹿島田へと先回り、急いで反対側のホームに回って走行写真を撮影しました。下りホームの階段を下りた時には既に彼方に黄色い車体とヘッドライトが見えていたので、急いでホームの端まで行きます。また、スイマン氏を含めすでに先客が数名。
その後は尻手へ。南部支線川崎新町で折り返し尻手短絡線へと入った103系を撮影しました。
最後に鶴見で下車、新子安方向に2、3分歩いて踏切からの撮影です。ここでは警備員のヒトがいろいろうるさくて結構困りました。。。ですが、横須賀線内を時速90kmで爆走する103系を撮れたので満足。生まれてから最初で最後の高速走行でした。普段とはかけ離れたスピードで鎌倉総合車両センターを目指しました。

とうとう鶴見線内の103系の残りは5編成。実質的には205系に運用の主導権を譲った形になります。カナリア103系もあと僅かですネ。

とはいっても、何と今朝は103系5編成がフル稼働していました!!T1・2・5・6・7の5編成ですが、T5が運用復帰したのはかなりの驚きです。最初は今日の廃車回送はT5になると踏んでいたのですが、まさか運用復帰するとは。前面黒ゴムの貴重な車両ですので長生きしてもらいたいものです。

朝は鶴見線・昼は武蔵野線に行きましたが。武蔵野線は徒労に終わった感が否めません。少し虚しい。結局オレンジ103系と会えたのはほんの3、4回でしたし、低運の編成写真もあまりまともなものが撮れませんでした。。。

ま、廃車回送を記録に残すことができてめでたしといった所でしょうか。

1125文字
さてさて、今日の早朝鶴見線に行って来たのですよ
(with スイマン氏)

ま、木曜日の下見なわけですけどネ。いちおうどの駅でどのように撮れるかという撮影地調査に行ってきたわけなんです。

【鶴見小野】
下り・・・定員2、3名で撮りにくい。光学3倍だとトリミングが必要。
上り・・・こちらは鶴見線下りの撮影地としてはベストなのでは??

【浅野】
下り・・・海芝浦支線のりばの踏切から撮影可。トリミング必要。

【武蔵白石】
下り・・・構図はなかなか良い。扇町行きのみなのが残念。
下り(大川支線)・・・少々望遠厳しいですかねぇ・・・

ま、こんなかんじでマッタリと鶴見線に乗っていたわけです。途中海芝浦にも行きました。いや、あそこはいいですねぇ。青い海の色に黄色いカナリアの色がとても合っていますよ。駅も海(運河?)の真上にあります。

その後は普通に浜川崎→(南部支線)→尻手と抜けて帰りましたとさ。

鶴見線は何回乗っても飽きませんネ
虜になってしまったかも・・・。海芝氏がうらやましい。。。

848文字
あぁ行きたかった!!!

何故に土曜日に学校などあったのだ!!1月15日に学校がなければ、私は上野駅に最後の115系をカメラに収めに行くことができたのに!!何と悔しいのでしょう!「鉄道時事ニュース」の絶好のネタにもなるはずなのに、、、583系ゆかりの東北本線、その東北本線を走る最後の115系を見に行けないなんて、何と無常な!

職人快速氏は、「行きたかったし、学校休みだから行けた
つるみー氏は、「行きたくなかったし、行けなかった
そして私は、「行きたかったのに、行けなかった

というこの悲劇。。。虚しいyo。。。

529文字
さて、1月9日2本目の日記。下からの続きです。

ここからは汚らわしい気動車、キハ110という動く箱に乗ります。まぁとかボロクソに非難しつつも、車内は快適でよろしい。それなりの座り心地。まもなく列車は長野を発車豊野に着きます。豊野といえば信越本線と飯山線の分岐駅。そして豊野と聞くと、島崎藤村『破戒』を連想するのは僕だけですか?

「直江津の方から信越線の汽車がやってきた。」

という文が妙に頭に残っています。列車は豊野を出発、終着の戸狩野沢温泉を目指します。そうですネ、『破戒』の舞台は飯山でしたネ。その飯山駅もいつしか知らないうちに発車していました。まぁ長野で買った釜めしがあんまりおいしかったものですから・・・。

さて、戸狩野沢温泉到着(駅名長い…)。ここもまた凄い積雪。反対側のホームに停車中の十日町行きに乗り換えます。そしてすぐの接続で発車。十日町行きは展望列車のふるさとという車両で、車内の座席の片側が窓の方を向いていました。とはいっても大糸線と同じ状況で、何も見えない…。氷が窓を閉ざしていて、その上内側は結露していてもう訳が分かりません。外の気温は相当低いのでしょう。

上桑名川駅、列車が突然停車。放送によると、どうやら雪で進めないそうです。つまり、線路に雪が積もりすぎてて、列車の前を塞いでいるというわけです。そこで運転士さん、雪かきを持っていざ車外へ。見ると、一人でせっせと雪かきをしています。た、大変だ…。

10分ほどで手作業の除雪は終了、運転再開です。快調に飛ばしていると思ったら、また停車しました。森宮野原駅です。同じく雪で進めないようです。例によってまた運転士さんは車外一人で雪かきをしています。そこへどこからか作業員らしき人が登場。2人でがんばって除雪します。

しかし30分が経過。いっこうに運転再開の見込みはありません。原因を聞くと、隣の足滝駅にも列車が停まってて、それがここまできて我々と交換しない限りは動けないそうです。そこで奥に停まっていた除雪車が出動。低速で足滝方面へと向かっていきました。この除雪車が足滝に着き、またここまで戻ってきて、足滝にいる列車がここまで来てからようやく、この列車が動くようなのです。結構気が遠い…。放送では「1時間ぐらいかかる」とか言ってました…。

それにしても強烈な積雪。軽く1メートルはあります。雪がキハ110のスカートの部分を埋めていて、動こうにも動けません。そしてよくよく向こうの方を見ると、

日本最高積雪記録地点 7.85メートル

という標柱が。な、7メートル。凄いですネ…。日本で数えるほどの豪雪地帯のようです。線路に積もった雪はうずたかく、掘っても掘っても線路が姿を見せません。そうとう深い。そしてようやく現れたのが小さな銀色の鉄。これが線路です。

しばらく待っても再開の目途が立たないので、とうとう十日町まで代行バスということに。駅前のバスに乗り込みます。東急バスに酷似していましたが、HRS485氏によれば東急バスの傘下なんだとか。

バス内ではまた爆睡。目が覚めたら十日町の駅前。所要時間50分でした。列車は40分で来ますので、バスは結構速かったということですネ。

そして北越急行の見た目が気動車そっくりの電車で越後湯沢へ。シーハイルは乗れるはずもないので、諦めて普通列車で帰ることに。水上行きの電車に乗ります。

が!!!

雪で進めず岩原スキー場前駅で停車。またですか、またですか、またですか!!雪に閉ざされた115系はウンともスンとも動きません。そしてまたまた代行バス。越後湯沢行きです。前の十日町行きとは違い、大きな観光バスでした。車掌が乗客に最終目的地を訊いていたので、新幹線で振替輸送する気なのでしょう

まぁ当然その通りで、越後湯沢から東京までは上越新幹線がタダ乗りできちゃいました。そしてこれが生まれて初めて乗る東日本の新幹線。乗り心地はいい。まぁ当然。だが、トンネルばかりで面白くないのは仕方がない…。とまぁそんな感じであっという間に東京到着。いやぁ、速いですねぇ。さすがですよ新幹線。お蔭様で今日中に帰りつけます。まぁこういう時にしか役に立たないが(笑

そして長い長い信越旅行もおしまい。疲れた…もう雪はたくさんです。。。

そしてその後帰宅して温かい寝床に潜り込んだのでした。

2819文字
実際はトンネルなどなかったが、気にしない…。

さて、いよいよ始まった信越旅行。旅立ちは新宿駅、夜行快速ムーンライト信州81号に乗車します。なんとあさま色189系での運用。水色+白の例の色が入るかと思っていたので、正直びっくり。でもまぁ、車内はおなじみの国鉄電車特急の内装。フリーストップリクライニングシートでした。ムーンライト松山は簡易リクライニングでした。力を抜くとガタンと音を立てて元に戻ってしまうあのチャチな座席。。。

さて、まぁわりと快適な車内だったわけですが、なかなか寝れない・・・。2時30分頃の甲府発車まで起きていましたが、そこから松本までしばしの睡眠

松本からは列車は大糸線に入り、白馬を目指します。信濃大町下車、白馬へ向かい、ヤナバスキー場前往復、そして東と西の管轄境界駅である南小谷へ向かいます。大糸線乱乗は用は時間つぶしです。そしてここからは国鉄色キハ52系

それにしてもかなりの雪
 !!!

結構な量が積もっていました。普段雪とは無縁の生活をしているからそう感じるのかもしれませんがネ。それも皆粉雪です。すごいフワフワしててサラサラな雪、触っても冷たいのみであまり濡れません

さて、話を元に。そうです、国鉄色キハ52系です。あと赤とベージュのなんとも情緒的な色合い、黄色いヘッドライトを光らせ、真白の雪が積もった線路を粛々と、しかし威厳を保ちながらやってきました。雪に映える国鉄色は何と美しいのでしょうか。そして単行気動車の奥深さもなんともいえませんネ。写真を撮りまくって(ページのトップ画像に入線シーンがあります)、乗り込みます。そして北陸本線糸魚川へ。

車窓は水滴で真っ白。何も見えません。外は相当寒いのでしょう。もっとも、中はひどく混雑していて、蒸し暑かったのですが。

途中根知駅ですれ違いがありました。そしてなんとこれも朱色キハ52系。物凄い吹雪の中を走るキハ52の勇姿をカメラに収めることができました(こちらもトップ画像に採用されています)。

そしてまもなく糸魚川到着。北陸本線で直江津へと向かいます。車両は、419系。食パンとの愛称(蔑称?)のついているこの車両、憧れの583系出身です。何度も乗ったことはありましたが、まぁ何回乗っても飽きないものです。583系の室内は独特なものがありますからネ。

直江津到着、信越本線普通列車の妙高号で長野を目指します。これもあさま色189系でした。いやぁ、今日はいい日ですネ。こんなにも国鉄車両に恵まれるとは。

しかし、信越本線では爆睡。疲れがきたのでしょうか、まぁなにしろ徹夜で宿題を処理していた日々のことも考えるときっとそうでしょう。
∴信越本線(直江津〜長野)の記憶は、線路にお湯が流れていたのと、雪まみれのEF64の姿のみである
あと、途中どっかの駅でスイッチバック的イベントが発生していましたが、駅名は忘れてしまいました。

なんだかんだしているうちに1時間30分はあっという間に過ぎ、長野に到着しました。長野ではしばらく時間があったので、HRS485氏とアシタカ氏と駅前を散策。が、大して面白くはない。スイマン氏は長野電鉄を見に行ったようですが・・・。とり年の記念入場券を買ったりしているうちに飯山線の時刻が迫ってきました。

が、もう字数が足りないので、後半は次の日記に回させて頂きます。

2667文字
さて、なんと今日から信越旅行に行くことになったわけですネ。目的は、

● 四国旅行で余った18きっぷの処理
● 大糸線国鉄色キハ52
● その他、乗り回し

乗り回しの旅行なので、下車はあまりせず、基本的には列車に乗りっぱなしみたいな感じになりますネ。さて、以下は旅程です。

新宿→(中央本線・篠ノ井線・大糸線 !ムーンライト信州!)→信濃大町
信濃大町→(大糸線)→白馬
白馬→(大糸線)→ヤナバスキー場前
ヤナバスキー場前→(大糸線)→南小谷
南小谷→(大糸線 !国鉄色キハ52系!)→糸魚川
糸魚川→(北陸本線)→直江津
直江津→(信越本線 !妙高号!)→長野
長野→(信越本線・飯山線)→戸狩野沢温泉
戸狩野沢温泉→(飯山線)→十日町
十日町→(北越急行)→六日町
六日町→(上越線)→石打
石打→(上越線・高崎線 !シーハイル上越!)→大宮

という行程になっていますネ。十日町から北越急行に乗るのは、新潟県中越地震で普通になっている十日町〜越後川口間を避けるのと、国鉄色183系運用のシーハイル上越乗車のために上越線へ短絡するからです。飯山線全線完乗できないのは残念ですが、まぁ価値のある車両にも乗れ、それなりの乗り回しもできるので、これは良いと思います。

では行って参ります。。。

実はこの乗り回し参加の許可がおりるために、徹夜で代数と幾何の問題集を終わらせたんですネ・・・。かなりつらかった。。。やはり徹夜はするもんじゃありませんネ。右手は因数分解をひたすら解き、明け方が近づいて新聞配達の単車のエンジン音が家の前を通過するときのあの空虚な感じ・・・。

1201文字
またかよ。またこの企画かよ。そうですまたですよ。

さて、今回のネタは
分断された幹線
についてです。

有名なのは信越本線。あれは一体何だ。。。高崎横川篠ノ井新潟。。。しかも三セクのしなの鉄道は軽井沢までしか到達してなくて、軽井沢〜横川はバスという悲劇ですネ。
元凶は長野新幹線。あんなものはJRの愚作である。そして無残にも分断された信越本線の哀れな現在の姿。。。

同じように新幹線によって切られた線区といえば、東北本線。元凶は東北新幹線八戸延伸。東北本線はもったいない。それまでは日本最長営業キロをもつ大幹線だったのに、この分断でその座を山陰本線に譲ってしまったのである。

東北本線分断までは、

東北本線は上野〜青森
奥羽本線は福島〜青森
そして福島〜青森間を並行するこの2大幹線の間を、仙山線・陸羽東線・北上線・田沢湖線・花輪線の5支線が連絡するというなんとも綺麗な構図

があったのですが、分断後は花輪線が悲しい存在になってしまった。。。三セクの線路を踏んで盛岡に直通運転するはめに。。。

また無駄な企画だった。。。

906文字
書くネタがあまりないので、、、またこのくだらない企画

さて、今日はみどりの窓口が1つもない路線についてのお話。

予土線

岩泉線

おしまい。 これだけっすか!?

実は検索したらこの2路線のみでした。。。

予土線は宇和島から窪川まで列車は直通していますが、正式な区間は北宇和島若井になっています。そして2駅も含め、この間にはみどりの窓口がありません。江川崎はあってもいいような気もしますが。。

さて、問題は岩泉線。これは何というか、切ない。区間は茂市岩泉。みどりの窓口はない。ただでさえ山田線は宮古まで窓口がないのに、時刻表のさくいん地図を見てると、青線に白丸ばっかり並んでて、しかも茂市からひっそりとのびている岩泉線も白丸だらけで、ちょっと悲しい。。。しかも予土線の江川崎のように、岩泉線には窓口が設置されるかもしれない候補の駅すらない。。。

運転本数1日3本だしネ。。。
スーパーローカル線とでもいったとこでしょうか。。。

そして今度は残念賞

唐津線
唐津に窓口あり)

香椎線
長者原・香椎に窓口あり)

徳島線
穴吹に窓口あり)

以上に挙げたのは、起終点駅は窓口がないにもかかわらず、途中駅に窓口があるものです。なんかもったいない気がしませんか?せっかく微妙なところから分岐して、あるいは微妙な線区構造なのに、途中に窓口が入ってるなんて。。。

なんか書くが虚しくなってきた。。。きりがないからやめよう。。。

1271文字

↑何かと文字数が稼げるこの企画
さてさて、ムーンライト松山は早朝の京都に到着、旅行も無事解散となりました。

さて、本来ならばこのまま普通列車で東京へ帰るはずなのですが、

餘部鉄橋

へ行って参ります。まぁなぜ行くのかと言えば、
 有名な撮影ポイントである
 そしてこの日ははまかぜ89号が来る
などという動機ですネ。

はまかぜ89号には国鉄色キハ181系が入るとの噂もあったので、少し期待していました。

さて、いざ餘部へ!

本来の行程では、
京都→(東海道・山陽本線)→姫路
姫路→(播但線)→和田山
和田山→(山陰本線)→餘部
と行く予定だったのですが、

いきなり人身事故発生

乗っていた快速が人身事故の影響で大阪駅に停車。そのまま15分経っても動きません。姫路での播但線乗換えはなんと5分しかないので、「だめだこりゃ」というわけで急遽経路を福知山線経由に変更することにしました。

福知山から城崎までは特急北近畿3号に乗車するため、あらかじめ用意しておいた(実はもともと北近畿1号に乗る予定だった・・・)和田山から城崎までの乗車券と自由席特急券を、福知山から城崎までに変更しました。

そして福知山へ。福知山線、新三田あたりでは積雪がありましたが、福知山に雪はありませんでした。
それと、あのクソキモい115系、なんとかしてくれ・・・

さて、無事に北近畿→浜坂行き普通列車と乗り継ぎ、遂に餘部に到着しました。なかなか凄い駅です。鎧側には全長400mの鉄橋が向こうのトンネルまで続いています。そして言葉にできないような、この鉄橋の雄大さ荒波の日本海を隣に見て、ダイナミックな赤い橋梁が支える高さ40mの鉄路を列車はゆくのです。

ホームの端に上への階段がありました。上っていくと木製のお立ち台。ここで撮影するみたいですね。それにしてもかなりの数のヲタ。ざっと20人くらいはいましたネ。そしてはまかぜを待ちます。

来ない・・・。いくらなんでも遅すぎる。

待っても待っても来ませんでした。そして突然空からは豪雨と霙が降ってきました。かなり激しかったですヨ、この天候は。傘を出してさす余裕もなく、全身ずぶぬれになってしまい、寒さも限界に近づいてきたので、もうやめようかと思っていたら

鉄橋に轟く警笛
向こうのトンネルからはヘッドライトを勇ましく輝かせ、堂々と鉄橋を渡り始めるキハ181系はまかぜの姿


あっ!と思ったその瞬間、シャッターを押す。撮れた。

ゴォーッとディーゼルエンジンの轟音を響かせ、小さな餘部駅のホームを通過していきました。

かなり良く撮ることができました。日本海をバックに鉄橋をゆく特急はまかぜ。いいですねぇ。

その後、はまかぜ89号もやってきましたが、、、
真ん中1両だけ国鉄色
という結構萎える編成でした。

その後、はまかぜ3号回送はまかぜ1号回送はまかぜ89号・他普通列車などを撮影し、夕方の列車で私は餘部駅を去りました。いい駅でした、餘部。待合室には駅ノートもあって結構面白かったです。

さて、あとはひたすら山陰本線で帰るのみ。

ところが、、、(@福知山

福知山では園部行きの列車に接続がとられていた。
福知山行きの電車は5分ほど遅れていたため、時間は僅かだった。
僕は走った。皆も走った。
階段を駆け上がり向こうのホームの電車に飛び込んだ。席を確保した。
ふぅ。まもなく発車だ。
まて、何かがおかしい。僕はこんなに身軽ではなかったはずだ。
あーー!!
キャリーバッグを網棚に忘れた!!
急いで飛び降り、再び階段を駆け上がってもとの電車のホームへ。
しかし、すでにドアは閉まって回送直前であった。
駅員に叫び、「なんとかドアを開けて下さい!」と言うと
「あー、あの運転手さんに頼んで」という返事
そして僕は運転室の窓を叩いた。気づいた運転士が、
「どうしました?」と言い「荷物を置き忘れました」と答えた。
運転士は急いで荷物を取ってきて、僕に渡してくれた。
それを抱え、また接続電車のホームへ向かう。
ホームに降りる瞬間、閉まりゆくドアが見えたが、
構わず体当たりすると、見かねた車掌がドアを再開閉してくれた。
間に合った。僕は車内の暖房に包まれほっとした。

みたいなことがおこってしまったわけです。かなり危なかったですね。荷物を取ってくれた運転士さんと、ドア再開閉してくれた車掌さんに感謝

でまぁ、後は普通に帰りましたとさ。
ちなみにムーンライトながらは大垣で禁煙席をGETすることができました。

めでたしめでたし

2952文字
昨日の日記は2000文字くらい書いて疲れた・・・ので今日はわりと簡潔に

さて、旅行も終わりが近づいてきました。今日は宇和島を出発して松山へ向かいます。今まで1度も乗ることのできなかったキハ54の単行に揺られて予讃線を上ります。

伊予石城駅にて下車。田んぼの脇を走る特急宇和海の写真撮影を試みましたが、どうもいまいちの写真。ちょっとがっかりしながら再び予讃線に乗車します。

列車は八幡浜行きでしたが、接続する伊予大洲行きの列車も乗ってきたキハ54での運用でした。なんでわざわざ列車を分けるんでしょうか?そのまま直通という扱いにしてほしいものです。

車掌がサボを回して(手動なんですよこれが)「伊予市 長浜経由」というものに変えました。そうです。これから内子線ではなく予讃線(海岸回り)を経由して伊予市まで行くんですネ。

海岸回り線はなかなか風光明媚です。間近に迫る海を横に、草むした線路をゴトゴトと走っていきます。そして列車は伊予市到着。伊予市からはなんと電車

君は電車。あぁ懐かしい響きだなぁ。ぼくはしばらく君の存在を忘れていたヨ。

という世界。ここのところ気動車漬けの毎日でしたからネ。7000系という変なVVVF車に乗ってようやく松山に到着しました。

松山では
道後温泉松山城
などに行きました。道後温泉は熱かったです。。。松山城は寒かった。。。松山城のリフト、あれはなかなか面白かったですね。帰りのロープウェイで乗務員が放送を失敗したのも面白かったですね。
伊予鉄道はなんと坊っちゃん列車に乗車できました。蒸気機関車と見せかけてディーゼル機関車ですがネ。。

松山駅に戻るともう5時。ですが、ムーンライト松山の発車まではまだ時間がありすぎます。ということで、内子線経由で伊予大洲まで行き、また同じルートを戻ってくるという暇つぶしを決行してみます。乗り潰しにもなりますしね。しかし予讃線と内子線、何故こんな微妙な関係なんだろう・・・。内子線の存在は謎です。

ふとホームを見るとサンライズエクスプレスの姿が。あ、延長運転か。なるほどなるほど。発車案内板の中、1つだけ行先が「東京」となっているのはカッコイイというか浮いているというか変な感じでした。

クハネ 285

貧相な顔をした先頭車にはこんな表示が。確かにクハネはクハネ。クハネ285くはね285くはね。。。285なんぞがクハネを名乗るなヨ!!崇高な583と同じ扱いとはなんと屈辱的な。。。

まぁその後予定通り伊予大洲を往復して松山に戻り、無事にムーンライト松山に乗りましたとさ。やはり青い客車はいいですネ。

1762文字

なんだかんだ言って1000文字越えてしまった。。。
ここのところタイトルがワンパターンなのは気にしない・・・

さてさて、本日は土讃線終点の窪川まで下り、そこからは予土線に乗ります。高知ユースホステルではこの朝もちつきがありまして、10分くらいペタペタついて餅を食べましたとさ。美味。

さて、土讃線。1000系とかいう邪道気動車に乗ってゴトゴト走る。ワンマンといいつつも補助の人がいたため、18きっぷに捺印をお願いすると、「あ〜、今持ってないや。伊野駅で捺してあげるヨ」との解答。「●●運転所」というよくある判子を持っていなかったみたいです。

そして伊野到着。約束どおり捺印してもらう。駅舎を出ると、

キハ58が入ってくるではないか!!

またまた写真を撮る。わりと頻繁に土讃線に入っているみたいです。その列車の車掌がホームに降りて、話しかけてきました。

どっから来たん?
東京の方です。
ほ〜!東京じゃこんなのは珍しいやろ?(停車中のキハ58を指差す)」
はぁ。東北の方でも国鉄色び塗り替えられて走ってますけどね。
へ〜!そうやったんか!!もうこんな気動車はオンボロやけどな。冷房をつけるとグワァー!!とうるさくてねぇ。

などと談笑しました。オンボロ気動車ですか。。。

そして再び元の列車に乗り込んで窪川を目指す。まったりとした時間が流れます。須崎到着、窪川はまだ先。須崎から影野まではうたた寝。そしてやっと窪川到着

窪川では次の予土線までまだ時間がかなりあったので、駅前の食堂で中華そばを食べました。時間がかなりある(1時間30分ほど)とはいっても、予土線のキハ32が既に入線していました。。。もちろんエンジンかけっぱなしで。激しいアイドリングですね。。。

そして予土線は窪川を発車。四万十川沿いにのどかにゴトゴトと走ります。いやぁ、なかなかいいですねぇ。今日は江川崎で下車、そこからサイクリングをする予定だったのですが、、、なんとそのサイクリングが休業中のようなのですよ!!

しかし諦めきれずに江川崎で下車。やはりサイクリングはなかった。そこで西土佐村観光協会へ電話をかけてみると、
あー、今はシーズン外で休んでるんですが、カヌー館へ来て頂ければちょっとの間ならママチャリを貸すこともできますヨ
との返事。キターーー!!と思ってカヌー館を目指すも、

道に迷った・・・

しかし電話をかけ、40分後、やっとのことで到着。105円でママチャリを借りました。そして今度は沈下橋を目指します。沈下橋とは、川が増水するとそのまま沈んでしまう橋で、水の抵抗を少なくするために欄干がありません。四万十川の名物とでもいったところでしょうか。

四万十川を横に爽快なサイクリングを20分、目的地の沈下橋に到着。
なんとすばらしいのでしょう!この欄干がない開放感!そして下を流れる四万十の清流!
いやぁ本当にすばらしかったですネ。時が経つのを忘れてしばらくそこに滞在。知らない間に15時56分発の予土線を逃してしまいました。が、次の列車を待つことにしました。まぁ四万十川に映りながら走る単行キハ54を撮ることができましたがネ。沈下橋には20分ほどいて、後はのんびりと帰りました。

そして今日も終了。いい1日でした。

余談
江川崎駅の隣は半家(はげ)駅 www

2161文字
今日は大歩危峡・かずら橋・高知を観光。

単行キハ32に揺られて土讃線を下る。大歩危駅下車。まずバスで有名な祖谷渓のかずら橋へと向かう。

実に楽しい。足が落ちそうなほど、橋に隙間があいている。まぁ蔓(かずら)で造ってあるんですからね。そしてびわの滝も見て、今度はタクシーで大歩危峽へ行きます。こちらもかなり綺麗。吉野川の水流が造った自然の造形美。

3時間ほどの滞在の後、再び土讃線で高知へ向かいます。途中何回も何回も特急の待避・交換普通の交換を繰り返し、時間をかけながら列車は進む。

新改駅ではスイッチバック系イベント発生。なかなか面白かったです。

そして土佐山田へ。そろそろ列車の旅も疲れてきた頃で、ロングシートに座りながらぽけ〜っとしているうちに列車は土佐山田を発車。何気なく窓の外を見ると、、

後方に去り行くキハ58の姿

あれ〜!!いたのか、キハ58!!昨晩、阿波池田にも3両が留置されていたのですが、暗くて写真が撮れなかったわけです。そして今、またしてもチャンスを逃してしまった。。。

慌てて土佐大津にて下車。高知行きの運用に入るはずのキハ58を狙います。駅から歩いて12分のところに、絶好のインカーブが。そこで待つことにします。

しかし、、

待っても待っても来ない・・・

とうとう諦めて高知に行くことに。で、高知に着いたら、

キハ58の3連とキハ58の2連が並んでいたのですよ!前者は阿波池田行き、後者は須崎行きとなっていました。でまぁ、写真を撮りまくってその日は高知城を観光して終了となりました。

1072文字
なんと今日から電車はおさらばです!!
しばらくは気動車気動車気動車。

今日は鳴門のうずしおを観光。汚らわしいJR型気動車ではなく、国鉄のゆかいななかまたち。キハ40にゴトゴト揺られて鳴門線を行く。そして鳴門観光。渦の道、展望台その他。

昼食を摂って再び戻るともう3時。なんかあっという間に過ぎてしまいましたネ。池谷で下車。写真撮影を試みます。でまぁうずしおを撮る(てかこれしか撮るものが ry)。池谷駅の構造は面白い。高徳線と鳴門線のホームが放射状に分かれています。

そして池谷を出ると両線はともに急カーブで離れていきます。既にホームに入る前に分岐済みですネ。

とまぁこんな感じでこの日は終了。阿波池田へと向かいました。

余談
知らない間に足首と頬を虫に刺された。痒い。池谷下車が原因だろうか・・・

546文字

負の遺産

2004年12月25日 鉄道と旅行
いくらなんでも多すぎる・・・。

こりゃないよ。ありえない。ましてやこれをたったの4人で処理しなければならないことを考えると、、、かなり鬱です。

見送りの方々に菓子類持ってきてくれるのは非常にありがたいのですが、、、たくさんもらい過ぎても困る。。。相手のご好意で頂いたものなので粗末に扱うこともできません。

ねぇ、やてさそ様、ssbrtr様。。。コーラを振るのはやめようぜぃ。

んなわけで91号の中でこれらを食べ尽くさなければならなかったのですよ。とりあえずかさばる飲み物から片付けることに。

とはいっても4人では限界がある。。。

だが合計で6リットルほどあった飲み物はコーラの0.5リットルを除いて全て処理。
あとはスナック菓子類。これも大変。でもなんとか半分は片付ける。

とかなんとかしているうちにもう大垣かヨ!!みたいになって、急いで残りの負の遺産を皆で分担して運ぶことに。大変です。

そ し て 、 、 、

はい。高松まで氏んでました。新快速223系のあのひどい横揺れで酔ってしまい、神戸線(愛称謎)内では寝ていました。そして姫路からは赤穂線に乗り換え。赤穂線は初めて乗るのですが、ほとんど記憶がない・・・。なんか山の中だか工業地帯だかをごろごろ走ってて、気が付いたら東岡山で、なんか岡山にはラッシュの中で到着したという感想しかないのです。

で、マリンライナーに乗って茶屋町下車、宇野線を乗り潰して再びマリンライナー。

最後に聞いたのは「まもなくぅ〜児島〜児島です」という放送。

それ以降記憶がぶっとんで、気が付いたら列車は停車中。はっと目を覚ますと車内には誰一人いない。訳がわからないうちに車内清掃員みたいな人(よく覚えていない)が来て、「タカマツダヨ」みたいなことを言って、ふらふらと下車し、無意識のうちにオレンジタウン行きの気動車に乗っていました。

まぁその後栗林公園を観光。きれいでした。そのころになってやっと覚醒しましたヨ。やはりほとんど徹夜して、菓子や飲み物で乱れるとこのようになってしまうのでしょうか。

ま、ユースホステルは良かったですね。めでたしめでたし。

1472文字
あぁ101系、君を悔ゆるばかりなり。
あぁ。私は何故あの時風邪など引いてしまったのであろうか。

たとえ38度の熱でも、私は101系の最期を見届けるべきだった。
電車史の1ページを飾るあの101系を、私は写真機に収められず、ましてや己の網膜にも焼き付けないまま、この人生を終えるのであろうか。
ああ、何という無常。
もう二度と会うことはできない、101系。どんなにがんばっても、その姿さえ見ることができない。

私は何という過ちを犯してしまったのであろうか。

変な詩だ・・・

381文字

↑ ♪振子♪
(タイトルの意味が昨日と同値なのは気にしない・・・)

やっと来ました103系!!

実は上野駅で1時間30分も粘ったですね(with豊■氏)。11・12番線に降り立ったら来るのはE231系ばかり・・・

待っても待っても待っても待ってもE231!E231!E231!E231!

103が入る見込みのあった33Hも231と分かり、遠くの大カーブを曲がるE231の姿と、青緑グラデーションの帯を見るのにいい加減飽きてきた頃、時計を見ると既に8時30分

18編成のローテーションのうち17編成はすでに来て、それらは全てE231と分かっていました。入る可能性は唯一、次に来る折り返しの快速にかかっていたのです。

そして
左遠方から、何かがとび出てきた。上方に1つのヘッドライト、そして、あのベタ塗りエメラルドグリーンの車体である。15両の長編成はエメラルドグリーンに染まっていて、形容しがたい美しさであった。

なわけです。103系が来た時は本当に感動しましたね。「もうだめかな・・・まさか廃車になっちゃたりしてないよね・・・?」などと怯えながらも粘ったかいがありましたヨ。

編成は、
(高運―10両・マト7―高運)+(高運―5両・マト22―低運)
という連結でした。なんと取手方の先頭車は低運なんですね。すばらしいです。

そして写真を撮りまくって、武蔵野線経由で帰宅しましたとさ。

これで一応は103系の全カラーはそろったことになりました。

831文字

常磐線103系

2004年12月20日 鉄道と旅行
あれもなかなかいいですね。エメラルドグリーンのやつです。

あと何編成生き残っているのでしょうか?明日にでも常磐快速線で粘って写真を撮ってこようかと思います。

鉄道写真館のためでもあるんですね。
見たor乗ったことはあるけど、写真がない」という車両が実は大量にあるんですネ。

この前はタッチの差で南武線103をカメラに収めることができました。

237文字

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