これは3650本目の記事らしい。1年365日の10倍ということで、図らずも何となくキリの良い数字である。かたや記事の日付は、全然キリが良くない。でも、思い立ったが吉日なのだ。簡潔に締め括ろう。
さかのぼること17年前(!)、この『くはねlog』は2004年10月1日に『くはねの乗務日誌』としてスタートした。当時は何と中学2年生。恐ろしい年月が過ぎたものだ。気が付けばDiarynoteでは新規の会員登録が停止され、サーバーの老朽化もアナウンスされるようになった。書きためた3649もの記事は今や、中学生、高校生、そして大学生の日常を、繊細に変わりゆく当時の感性をもってつぶさに記録した莫大かつ貴重な遺産となった。HTMLでのバックアップ機能が装備されたようなので、さっそく全記事をダウンロードしてみたのだが、何だろう、懐かしさという一言ではとうてい表現できない強烈な感情に襲われた。とにかく素直で素朴な叙事、叙景、そして叙情。文章を書く、記録を残すという基本中の基本が、間違いなくこの時期に培われたのだ。Diarynoteとの出会いがなければ、今の自分は精神的にかなり貧しくなっていたかもしれない。
もうここを訪れる者はほとんどなく、今後この日記を更新することもないと思う。しかし、その日記の精神は新たな表現の場へと継承された。Diarynoteとともに過ごした青春を忘れることなく、次なる地平を目指していきたい。
610文字
さかのぼること17年前(!)、この『くはねlog』は2004年10月1日に『くはねの乗務日誌』としてスタートした。当時は何と中学2年生。恐ろしい年月が過ぎたものだ。気が付けばDiarynoteでは新規の会員登録が停止され、サーバーの老朽化もアナウンスされるようになった。書きためた3649もの記事は今や、中学生、高校生、そして大学生の日常を、繊細に変わりゆく当時の感性をもってつぶさに記録した莫大かつ貴重な遺産となった。HTMLでのバックアップ機能が装備されたようなので、さっそく全記事をダウンロードしてみたのだが、何だろう、懐かしさという一言ではとうてい表現できない強烈な感情に襲われた。とにかく素直で素朴な叙事、叙景、そして叙情。文章を書く、記録を残すという基本中の基本が、間違いなくこの時期に培われたのだ。Diarynoteとの出会いがなければ、今の自分は精神的にかなり貧しくなっていたかもしれない。
もうここを訪れる者はほとんどなく、今後この日記を更新することもないと思う。しかし、その日記の精神は新たな表現の場へと継承された。Diarynoteとともに過ごした青春を忘れることなく、次なる地平を目指していきたい。
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