北海道撮影行 序章
北海道撮影行 序章
北海道撮影行 序章
旅立ちは、やはり夜行列車。
6/2
信濃町1747 → 四ツ谷1749
中央・総武線各駅停車1722C サハ209-530

四ツ谷1750 → 東京1759
中央快速線1652T モハE233-216

東京1814 → 上野1822
山手線1852G モハE231-651

6/2 → 6/3
上野1903 → 苫小牧1020
東北本線・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道・津軽線・海峡線・江差線・函館本線・室蘭本線1レ 北斗星 オハネ25 561

非日常、ふたたび
ポリクリ休みを利用して、北海道へ出かける。主たる目標は、道内を駆ける寝台列車。日が一番長くなる6月初旬は、まさにベストシーズンである。早朝のはまなすや、黄昏時の北斗星もカメラに収めることができよう。さらに今回はレンタカーを駆使し、夜行フェリーも利用しながら、道内のみならず津軽線まで含めて全列車を貪欲に追いかける。さて、どんな非日常が待っているか。

北斗星の夜
マイナーのビデオ講座を見終えると、もう時間であった。いつもの信濃町で苫小牧行の乗車券に入鋏し、まずは東京へ。ここで今日の夕食と、明日の朝食を仕入れる。せっかくの北斗星なので、牛肉どまん中&海鮮どまん中と、鶏めしを買ってみた。そして上野の13番線でのすり氏と落ち合い、つまみと酒も用意。そういえば去年は羽田空港や上越新幹線から始まる撮影行もあったが、やはり一番しっくり来るのは、夜行列車での旅立ちである。

ただの月曜日の夜だというのに、ホームと車内はそれなりに賑わいを見せている。19時03分、列車は船のように滑り出した。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯、くたびれた表情の通勤通学客がひしめくホーム、並走する京浜東北線などを横目に、夜の帳が下り始めた東北本線の列車線をぐいぐいと北上してゆく。デュエット個室の寝台に腰かけて、缶ビールを飲みながら、のんびりと車窓に目をやる。みるみるうちに空は暗くなっていき、大宮を出る頃にはすっかり夜になった。

ブルートレインの定義はやや揺れているようだが、「青い寝台客車のみで編成された列車」という意味では、今や北斗星を残すのみとなった。1988年、青函トンネルの開通と同時に誕生したが、四半世紀以上を経た今なお一定の人気を博している。この数年間で次々と姿を消していった夜行列車たちが昭和の遺物だとするならば、バブル経済の落とし子ともいえる北斗星は、いわば平成という時代を象徴する列車かもしれない。思い返せば、自分がこの趣味の世界に初めて入ったきっかけは、北斗星の存在を知ったことであった。小学校3年生か4年生の頃だったか、図書室で図鑑を開き、赤いEF81や、個室寝台の写真を見たことを今でも鮮明に覚えている。そこから、機関車や客車、気動車、電車、そしてJR全線への興味や関心が爆発的に膨らんでいったのだった。寝台列車、夜行列車というのは、当時の自分にとって独特の魅力があった。もっとも、ドラえもんの一話『ブルートレインはぼくの家』、西村繁男の絵本『やこうれっしゃ』に象徴されるように、その魅力は時代を問わずある程度普遍的なものなのかもしれない。しかし、いよいよ新幹線が海峡を越えようとしている今、はるか札幌の地を結んできた列車たちが、姿を消そうとしている。これまでは単に時代の流れだとばかり思っていたのだが、鉄道に対する自らの感性の原点ともいえるブルートレイン、北斗星がなくなることは、想像以上に重い事実なのだと今になって気付く。

部屋の明かりを消してしばらくすると、満点の星空が車窓に浮かび上がった。どうしても車内灯が映り込んでしまう開放寝台では経験できない、個室寝台ならではの楽しみである。列車はカーブの多い区間を走行しているらしく、時おり、先頭に立つEF510と前方の客車が大きく視界に回り込んでくる。側面に規則的に配列するのは行先幕の白い蛍光灯。また下の方に目をやれば、千鳥状になったデュエットの窓明かりが淡く路盤に投射されながら一緒に走っている。何とも幻想的な世界だ。

貝田という駅を通過した。周囲に人家は見えるが明かりは少なく、列車は暗闇の里山を猛然と駆け抜ける。次は越河。こすごう、と読む。ちょうど福島と宮城の県境を越えたらしい。特急列車は目もくれない小駅といえども、どの駅も実に長いプラットホームを持っていて、場合によっては2面3線だったり中線があったりする。普通列車が客車の長大編成を組んで走っていた頃の名残だろう。往時は特急列車が華々しく行き交った北の大幹線は、貨物列車の大動脈として重要な位置を占めつつも、都市間の旅客輸送の役目はとうの昔に終えた。今は地域輸送に徹するのみとなったが、立派な複線電化の線路が哀愁をそそる。

一夜明け
ふと目覚め時計を見ると、3時30分。しかし既に空は薄青色に染まり、明るくなり始めている。時おり太平洋が見え隠れしたような気がしたが、布団にくるまってうとうとしながら、快調な走りに身を委ねる。かつての1M、はつかり5号は8時間15分で上野~青森を走破した。EF510率いるこの北斗星もかなり速いように思われたが、青森に着いたのは出発から9時間以上を経た4時15分頃であった。早朝の青森は快晴。ちょうど、ベイブリッジの向こう側から朝日が昇ってくるのが見えた。

機関車交換の後、列車は進行方向を変えて青森を去り、津軽線へ入る。空はどこまでも晴れ渡り、一点の曇りもない。沿線の撮影者たちは、ED79率いる北斗星のさぞ勇ましい姿を拝んでいることだろう。中小国を過ぎれば海峡線である。津軽今別では北海道新幹線の工事が着々と進んでいた。高規格の複線電化の線路が直線的に山々を貫いてゆく。大川平トンネルの中では上りのはまなすと離合。ED79どうしが甲高く鳴き交わした。5時を回ると、いよいよ青函トンネル突入が近づく。手前に3つほど短いトンネルがあり、それを抜けた先がゾーン539、北海道への入口である。これまでで一番大きく汽笛が哭いて、5時07分、定刻での突入となった。

思いのほか朝が早かったので、ふたたび眠りに就く。この先はなかなかハードな行程が待っているので、寝られるときに寝ておこう。函館では機関車交換を撮った後、発車してからは昨夜買った鶏めしを食べながら車窓を楽しむ。非電化の線路、雄大な景色は北海道の象徴である。やがて眩しい日差しをカーテンで遮りながら、意識は朝のまどろみの中へと沈んでゆく。寝ても覚めても、列車はDD51の重連に牽かれて快走している。これほど優雅な朝のひと時を過ごせるのも、寝台列車ならではだ。

上野を発って15時間あまり、苫小牧に降り立った。

写真
1枚目:特急牽引機の風格が出てきた
2枚目:青函トンネルに突入
3枚目:朝の小沼を横目に

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