山を越え、鉱山の町へ。
・足尾銅山
今日の午前もノープランだったが、朝食後に適当に検索して出てきた足尾銅山へ行ってみることにした。しとしとと降る雨の中、東照宮へ行って三猿を見て帰ってくるよりは面白そうである。こういう時でないと決して行かないような場所を訪れねば。
まずは昨日と同じく神橋の交差点から始まる120号線を走るが、いろは坂には入らず手前で左折して122号線へ。これは細尾峠を越えて桐生へ至る道路で、全長2.7kmあまりの日足トンネルで直線的に山を貫通する。日足とは、日光と足尾のこと。トンネルは1978年に開通した比較的新しいもので、後で調べたところによればくねくねした山道の旧道もあったようだ。時間があれば走ってみたいところであった。トンネルを抜けた先は単調な山道をしばらく下った後、やがて足尾の町に入る。急に道路が狭くなり、両脇には住宅やら商店やらが建ち並ぶようになる。ひっそりとした生活が息づく山間の町といった印象である。往時は日本最大の鉱都として栄えたようだが、今は見る影もない。
かつての鉱山は「足尾銅山観光」という博物館に生まれ変わっていた。まずはトロッコに揺られながら通洞坑というメインの坑道へ入る。これがなかなか雰囲気が出ていて、そこらの遊園地のアトラクションよりも面白い。トロッコを下車したその先には高低差1000m以上、総延長1200km以上の坑道が何層にもなって延々と続いているのだが、残念ながら立ち入れるのはここまで。この備前楯山の山中に縦横無尽にトンネルが張り巡らされているかと思うと、何とも好奇心をそそられる。鉄柵の向こう側はどうなっているのだろう。そういえば迷路のような廃坑というと、大長編ドラえもんの銀河超特急で出てきたメズラシウム鉱山を思い出すw
トロッコの下車ホームからは横坑が続いていて、江戸、明治、大正、昭和の順に、400年にわたる鉱山の歴史が幾多ものからくり人形を使って展示されている。これがかなりリアルな上、人形が持っている道具やら機械やらも実際に使われていた現物で、細部までよく出来ていた。絶え間なく地下水の滴る本物の坑道で、虚ろな瞳の人形たちがガシャガシャと採鉱作業を行う。一人で来たらなかなか怖い光景かもしれない。鉱山は40年以上前の1973年に閉山したようで、展示は昭和後期で途絶していた。その後は銅鉱の技術面を解説した部屋があり、8分間のビデオ上映スペースも設けられていた。一昔前のCGで作ったような「源さん」というキャラクターが登場して鉱山について解説してくれるのだが、子供だましかと思いきや、坑道の掘り方とか銅鉱石の積み出し方とか、内容はかなりマニアックで高度だったw 外に出た後は鋳銭座という建物に入る。ここでは江戸時代の銅銭、寛永通宝の製造過程が人形を使って解説されており、これまた細部まで作り込まれていて面白い。古い貨幣も多く展示されていて、そういう方面のマニアにとっては興味深いのではないか。
以上が全部で800円なので、個人的には変な博物館に入るよりもよっぽど楽しめた。しかしそうは言っても、ここの評価は人によって結構分かれるだろう。展示は意外とマニアックな内容が多いため、鉱山とか造幣とかに全然興味がなかったら、じめじめした暗いトンネルを歩くだけだからつまらないかもしれない。性差がはっきり出そうな気もするw こういうコアな観光趣味を共有できる人は、残念ながらそう多くはないのだ。しかしながら、あの有名な鉱毒事件については一切扱われていなかったのは大きな謎であった。この銅山の歴史を語る上では外せない内容と思われるのだが、これは一種のタブーなのか何なのか。展示内容自体は面白かったのだが、足尾の町が抱える暗い歴史、負の歴史にスポットが当てられぬまま、当たり障りのない表面的な部分だけを見させられたような感があるのが、最も残念であった。
・帰路
時間も丁度良い。来た道を引き返し、東武日光の駅前に戻ると12時20分であった。給油して車を返却し、駅前でおしるこを食べてから、下今市行の列車で日光を後にした。帰りのスペーシアは個室である。室内はやや古いデザインではあるが至って快適で、往路と同じ路線を走っているはずなのに普通車から見る車窓とはまた一味違う。まだ温かさの残る駅弁の牛めしを食べながら、カップ酒を飲むという、何とも優雅なひと時である。終盤は昼下がりのまどろみを楽しんでいたら、あっという間に浅草に帰ってきた。
ノープランだった割には充実した一泊二日であったw
写真
1枚目:採鉱
2枚目:通洞坑から出てきたトロッコ列車
3枚目:スペーシアの午後
2210文字
3/27
レンタカーによる移動(国道119号線、120号線、122号線)
足尾銅山観光
日光1325 → 下今市1333
東武日光線716 モハ6165
下今市1335 → 浅草1515
東武日光線・伊勢崎線1124 特急きぬ124号 モハ107-1
・足尾銅山
今日の午前もノープランだったが、朝食後に適当に検索して出てきた足尾銅山へ行ってみることにした。しとしとと降る雨の中、東照宮へ行って三猿を見て帰ってくるよりは面白そうである。こういう時でないと決して行かないような場所を訪れねば。
まずは昨日と同じく神橋の交差点から始まる120号線を走るが、いろは坂には入らず手前で左折して122号線へ。これは細尾峠を越えて桐生へ至る道路で、全長2.7kmあまりの日足トンネルで直線的に山を貫通する。日足とは、日光と足尾のこと。トンネルは1978年に開通した比較的新しいもので、後で調べたところによればくねくねした山道の旧道もあったようだ。時間があれば走ってみたいところであった。トンネルを抜けた先は単調な山道をしばらく下った後、やがて足尾の町に入る。急に道路が狭くなり、両脇には住宅やら商店やらが建ち並ぶようになる。ひっそりとした生活が息づく山間の町といった印象である。往時は日本最大の鉱都として栄えたようだが、今は見る影もない。
かつての鉱山は「足尾銅山観光」という博物館に生まれ変わっていた。まずはトロッコに揺られながら通洞坑というメインの坑道へ入る。これがなかなか雰囲気が出ていて、そこらの遊園地のアトラクションよりも面白い。トロッコを下車したその先には高低差1000m以上、総延長1200km以上の坑道が何層にもなって延々と続いているのだが、残念ながら立ち入れるのはここまで。この備前楯山の山中に縦横無尽にトンネルが張り巡らされているかと思うと、何とも好奇心をそそられる。鉄柵の向こう側はどうなっているのだろう。そういえば迷路のような廃坑というと、大長編ドラえもんの銀河超特急で出てきたメズラシウム鉱山を思い出すw
トロッコの下車ホームからは横坑が続いていて、江戸、明治、大正、昭和の順に、400年にわたる鉱山の歴史が幾多ものからくり人形を使って展示されている。これがかなりリアルな上、人形が持っている道具やら機械やらも実際に使われていた現物で、細部までよく出来ていた。絶え間なく地下水の滴る本物の坑道で、虚ろな瞳の人形たちがガシャガシャと採鉱作業を行う。一人で来たらなかなか怖い光景かもしれない。鉱山は40年以上前の1973年に閉山したようで、展示は昭和後期で途絶していた。その後は銅鉱の技術面を解説した部屋があり、8分間のビデオ上映スペースも設けられていた。一昔前のCGで作ったような「源さん」というキャラクターが登場して鉱山について解説してくれるのだが、子供だましかと思いきや、坑道の掘り方とか銅鉱石の積み出し方とか、内容はかなりマニアックで高度だったw 外に出た後は鋳銭座という建物に入る。ここでは江戸時代の銅銭、寛永通宝の製造過程が人形を使って解説されており、これまた細部まで作り込まれていて面白い。古い貨幣も多く展示されていて、そういう方面のマニアにとっては興味深いのではないか。
以上が全部で800円なので、個人的には変な博物館に入るよりもよっぽど楽しめた。しかしそうは言っても、ここの評価は人によって結構分かれるだろう。展示は意外とマニアックな内容が多いため、鉱山とか造幣とかに全然興味がなかったら、じめじめした暗いトンネルを歩くだけだからつまらないかもしれない。性差がはっきり出そうな気もするw こういうコアな観光趣味を共有できる人は、残念ながらそう多くはないのだ。しかしながら、あの有名な鉱毒事件については一切扱われていなかったのは大きな謎であった。この銅山の歴史を語る上では外せない内容と思われるのだが、これは一種のタブーなのか何なのか。展示内容自体は面白かったのだが、足尾の町が抱える暗い歴史、負の歴史にスポットが当てられぬまま、当たり障りのない表面的な部分だけを見させられたような感があるのが、最も残念であった。
・帰路
時間も丁度良い。来た道を引き返し、東武日光の駅前に戻ると12時20分であった。給油して車を返却し、駅前でおしるこを食べてから、下今市行の列車で日光を後にした。帰りのスペーシアは個室である。室内はやや古いデザインではあるが至って快適で、往路と同じ路線を走っているはずなのに普通車から見る車窓とはまた一味違う。まだ温かさの残る駅弁の牛めしを食べながら、カップ酒を飲むという、何とも優雅なひと時である。終盤は昼下がりのまどろみを楽しんでいたら、あっという間に浅草に帰ってきた。
ノープランだった割には充実した一泊二日であったw
写真
1枚目:採鉱
2枚目:通洞坑から出てきたトロッコ列車
3枚目:スペーシアの午後
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