最後の急行列車、はまなす。
・戦略会議
さて、北斗星はウヤになった。ひとつの提案としては、はまなす+はやぶさ。あるいは、札幌泊+空路か、函館泊+陸路。しかし明日は午後から代々木に行かねばならないので、自分としてはほぼはまなすの選択肢しか残されていなかった。札幌泊+空路はやはりリスキーな上に余計な費用がかかるし、函館泊+陸路では時間がかかりすぎる。手持ちの乗車券を東北新幹線経由に変更するだけではまなす+はやぶさが実現するので、やはりこれで行くことにしよう。自分ひとりでも良かったのだが、ありがたいことに他のメンバーにも賛同頂いた。
ところが、今夜の青森行はまなすは指定席も寝台も満席だという。ウヤになった北斗星や欠航した航空便から流れてきたのだろうか。そこで自由席という案が持ち上がった。確実に座るためにはかなり前から並ぶ必要がありそうなので、寒風吹き付ける札幌駅5番線で入線2時間前の19時半頃から交代交代で場所取りを行うことにする。途中からは簡易椅子と日本酒も登場。極寒の地に住むロシア人がウォッカをあおる気分がよく分かるw こんな飛び抜けたことができるのもさすがは銀河の会w 自分のシフトは最終枠が休憩だったので、幹事様に連れられて駅ビルへ回転寿司を食べに行く。根室花まるという人気店で、30分待ちという表示ではあったが、実際は15分ほどで入店できた。そして美味しい。どうもごちそうさまでした。
・急行はまなす
蓋を開けてみると、なんと自由席はボックスを作って足を伸ばし放題というくらいの空きっぷり。一方で指定と寝台は満席だというから、これでは指定券を買った人が損をしているような構図である。したがって延々と並ぶ必要などなかったのだが、結果的に快適なスペースを確保できたのでよしとする。
能登も、きたぐにも姿を消した今、はまなすはJR最後の急行列車である。全区間を通した急行料金は1260円、はやぶさとの乗継割引を適用すればその半額。いずれにせよ特急料金に比べるとずいぶん割安である。安価に海峡を渡りたい乗客にとってはうってつけの列車だし、カーペットカーやドリームカー、さらには寝台車まであり設備は多彩である。かつては寝台車と座席車の混成列車など当たり前の存在だったのだろうが、今となっては走る化石。それでもなおこのスタイルが踏襲されているのは、青森~札幌間を移動する乗客のニーズにそれなりに応えてきたゆえかもしれない。もう一つ着目すべきは、競合する高速バスや空路がほぼ存在しないこと。また並行新幹線もなく、昼間に鉄道で移動するには少々しんどい距離である。そこで夜行列車という選択肢が十分妥当なものとして認識されてきたのではないかと予想する。しかし北海道新幹線がいよいよ開通するとなると、北斗星やカシオペアと共に、はまなすもひっそりと姿を消すのかもしれない。
客車はボロボロにくたびれていた。とくに寝台車の側面などは塗装が褪色、剥離して無残な姿をさらしている。先頭に立つのはDD51 1143。寝台特急と違い、はまなすは重連ではない。特急と急行では、おそらく速度種別も異なるのだろう。自由席の座席は簡易リクライニングシートだが、慣れればそこそこ快適である。キオスクで仕入れたビールとつまみでささやかな宴会を開く。本来なら今頃、北斗星のBコンパートの中で盛大に打ち上げていたはずなのだが、この何ともくたびれた雰囲気が漂う14系客車での酒盛りも哀愁的で乙なものだ。札幌を出た列車は雪のちらつく千歳線を一路南進。もともと発車が7分遅れたが、ポイントの凍結やら南千歳での接続待ちやらで遅れは拡大していった。登別に着いた頃に日付が変わる。昨夜ついにたどり着けなかった登別、次に訪れるのはいつになるのだろう。氷のへばりついた車窓を眺めながらあれこれ考えているうちに次第に酒も回ってきて、客車列車の安定した走りに身を委ねたまま、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
目が覚めると3時前、そろそろ函館に到着しようというところである。雪の積もったホームには、軍服のような防寒具に身を包んだ鉄道員の姿。函館では札幌から列車を牽いてきたDD51が解放され、かわりに反対側にED79が連結される。こうして毎晩のように深夜の函館駅で機関車の交換作業が行われているわけだが、いずれこの光景も過去のものとなるだろう。鉄道にはドラマがある。昼夜を、季節を問わず鉄道を動かし続けるという知られざるドラマである。もともと30分停車するダイヤであったため、列車はこれまでの遅れを一気に取り戻し、3時22分、定刻で雪の函館駅を後にした。減光された薄暗い車内は、みな寝静まっている。車窓は漆黒の闇。車内は暖房がよく効いているが、外は寒いのだろう。鉄路というものは独特の安定感、安心感を与えてくれる。鉄の車輪が鉄のレールをしっかりと踏みしめていくこの感覚は、同じ陸路でも自動車では味わえない。
気がつけば、青森の直前であった。いつの間にか眠りに落ち、もう本州に戻ってきてしまった。当たり前のことではあるが、海峡を隔てて二つの陸がトンネルで結ばれ、鉄路を中心とした空間が途絶することなく続いている。よくぞ海峡に鉄道を通したものだ。そして急行はまなすは、このトンネルの開通と共に誕生した。海峡線の歴史を今に伝える列車といっても過言ではなかろう。粉雪の舞う未明の青森駅に、多くの乗客がどっと吐き出された。みな群れをなして雪の積もったホームを歩き、それぞれの方向へと散ってゆく。はまなすの青い客車は、床下のディーゼル発電機を唸らせながらホームに佇む。全員が降車した後は赤い車側灯も消えてまるで抜け殻のような姿になったが、札幌からの長い道程の余韻に浸るかのごとく、降りしきる雪の中、未明の構内に鎮座し続けているのだった。
・帰還
始発の東北新幹線はやぶさ4号は、雪の影響で半時間以上遅れるも10時に東京に到着。かつては特急はつかりが8時間以上かけて結んでいた道だが、今となっては3時間を切るダイヤである。ところで古い時刻表を紐解くと、1M→1便→1Dという黄金の乗継があったようだ。上野16時丁度発、青森翌0時15分着の1M(はつかり5号)は東北本線の最速列車であった。青森では20分の待ち合わせで青函航路の1便が接続し、函館着は4時25分。函館からは4時45分発の1D(おおぞら1号)が札幌へそして釧路へ向かうという壮大な接続であった。札幌着は8時50分、釧路着は14時52分。さらに釧路から先は根室行の急行ノサップが続いていた。鉄道全盛時代、一度この目でその姿を見てみたかったものだ。いやしかし、どうして速達列車ははやぶさという名前になったのだろう。はやぶさといえば、鹿児島本線経由で東京と西鹿児島を結ぶ寝台特急ではなかったか。東北新幹線の最速列車には往時の名門特急、はつかりの名を与えて然るべきだと思っていたが、列車の愛称も時代の流れで変わっていくということなのだろう。
北斗星の運休を知ったときは絶望したが、何とかほぼ同じくらいの時刻に東京へ戻ってくることができた。残雪の家路につき、荷解きをしてシャワーを浴びる。一休みしたら、午後は代々木。あっという間に日常が帰ってきた。
写真
1枚目:哀愁(@札幌)
2枚目:雪の夜(@南千歳)
3枚目:小休止(@函館)
3583文字
2/15 → 2/16
札幌2207(+7) → 青森542(+3)
函館本線・千歳線・室蘭本線・函館本線・江差線・海峡線・津軽線
急行はまなす スハフ14 502
2/16
青森600 → 新青森604
奥羽本線632M サハ701-11
新青森617 → 東京1000(+37)
東北新幹線4B はやぶさ4号 E526-116
東京1022(+12) → 御茶ノ水1026(+12)
中央線快速1003T クハE233-504
御茶ノ水1028(+1) → 信濃町1038(+1)
中央・総武線各駅停車935B サハE231-117
・戦略会議
さて、北斗星はウヤになった。ひとつの提案としては、はまなす+はやぶさ。あるいは、札幌泊+空路か、函館泊+陸路。しかし明日は午後から代々木に行かねばならないので、自分としてはほぼはまなすの選択肢しか残されていなかった。札幌泊+空路はやはりリスキーな上に余計な費用がかかるし、函館泊+陸路では時間がかかりすぎる。手持ちの乗車券を東北新幹線経由に変更するだけではまなす+はやぶさが実現するので、やはりこれで行くことにしよう。自分ひとりでも良かったのだが、ありがたいことに他のメンバーにも賛同頂いた。
ところが、今夜の青森行はまなすは指定席も寝台も満席だという。ウヤになった北斗星や欠航した航空便から流れてきたのだろうか。そこで自由席という案が持ち上がった。確実に座るためにはかなり前から並ぶ必要がありそうなので、寒風吹き付ける札幌駅5番線で入線2時間前の19時半頃から交代交代で場所取りを行うことにする。途中からは簡易椅子と日本酒も登場。極寒の地に住むロシア人がウォッカをあおる気分がよく分かるw こんな飛び抜けたことができるのもさすがは銀河の会w 自分のシフトは最終枠が休憩だったので、幹事様に連れられて駅ビルへ回転寿司を食べに行く。根室花まるという人気店で、30分待ちという表示ではあったが、実際は15分ほどで入店できた。そして美味しい。どうもごちそうさまでした。
・急行はまなす
蓋を開けてみると、なんと自由席はボックスを作って足を伸ばし放題というくらいの空きっぷり。一方で指定と寝台は満席だというから、これでは指定券を買った人が損をしているような構図である。したがって延々と並ぶ必要などなかったのだが、結果的に快適なスペースを確保できたのでよしとする。
能登も、きたぐにも姿を消した今、はまなすはJR最後の急行列車である。全区間を通した急行料金は1260円、はやぶさとの乗継割引を適用すればその半額。いずれにせよ特急料金に比べるとずいぶん割安である。安価に海峡を渡りたい乗客にとってはうってつけの列車だし、カーペットカーやドリームカー、さらには寝台車まであり設備は多彩である。かつては寝台車と座席車の混成列車など当たり前の存在だったのだろうが、今となっては走る化石。それでもなおこのスタイルが踏襲されているのは、青森~札幌間を移動する乗客のニーズにそれなりに応えてきたゆえかもしれない。もう一つ着目すべきは、競合する高速バスや空路がほぼ存在しないこと。また並行新幹線もなく、昼間に鉄道で移動するには少々しんどい距離である。そこで夜行列車という選択肢が十分妥当なものとして認識されてきたのではないかと予想する。しかし北海道新幹線がいよいよ開通するとなると、北斗星やカシオペアと共に、はまなすもひっそりと姿を消すのかもしれない。
客車はボロボロにくたびれていた。とくに寝台車の側面などは塗装が褪色、剥離して無残な姿をさらしている。先頭に立つのはDD51 1143。寝台特急と違い、はまなすは重連ではない。特急と急行では、おそらく速度種別も異なるのだろう。自由席の座席は簡易リクライニングシートだが、慣れればそこそこ快適である。キオスクで仕入れたビールとつまみでささやかな宴会を開く。本来なら今頃、北斗星のBコンパートの中で盛大に打ち上げていたはずなのだが、この何ともくたびれた雰囲気が漂う14系客車での酒盛りも哀愁的で乙なものだ。札幌を出た列車は雪のちらつく千歳線を一路南進。もともと発車が7分遅れたが、ポイントの凍結やら南千歳での接続待ちやらで遅れは拡大していった。登別に着いた頃に日付が変わる。昨夜ついにたどり着けなかった登別、次に訪れるのはいつになるのだろう。氷のへばりついた車窓を眺めながらあれこれ考えているうちに次第に酒も回ってきて、客車列車の安定した走りに身を委ねたまま、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
目が覚めると3時前、そろそろ函館に到着しようというところである。雪の積もったホームには、軍服のような防寒具に身を包んだ鉄道員の姿。函館では札幌から列車を牽いてきたDD51が解放され、かわりに反対側にED79が連結される。こうして毎晩のように深夜の函館駅で機関車の交換作業が行われているわけだが、いずれこの光景も過去のものとなるだろう。鉄道にはドラマがある。昼夜を、季節を問わず鉄道を動かし続けるという知られざるドラマである。もともと30分停車するダイヤであったため、列車はこれまでの遅れを一気に取り戻し、3時22分、定刻で雪の函館駅を後にした。減光された薄暗い車内は、みな寝静まっている。車窓は漆黒の闇。車内は暖房がよく効いているが、外は寒いのだろう。鉄路というものは独特の安定感、安心感を与えてくれる。鉄の車輪が鉄のレールをしっかりと踏みしめていくこの感覚は、同じ陸路でも自動車では味わえない。
気がつけば、青森の直前であった。いつの間にか眠りに落ち、もう本州に戻ってきてしまった。当たり前のことではあるが、海峡を隔てて二つの陸がトンネルで結ばれ、鉄路を中心とした空間が途絶することなく続いている。よくぞ海峡に鉄道を通したものだ。そして急行はまなすは、このトンネルの開通と共に誕生した。海峡線の歴史を今に伝える列車といっても過言ではなかろう。粉雪の舞う未明の青森駅に、多くの乗客がどっと吐き出された。みな群れをなして雪の積もったホームを歩き、それぞれの方向へと散ってゆく。はまなすの青い客車は、床下のディーゼル発電機を唸らせながらホームに佇む。全員が降車した後は赤い車側灯も消えてまるで抜け殻のような姿になったが、札幌からの長い道程の余韻に浸るかのごとく、降りしきる雪の中、未明の構内に鎮座し続けているのだった。
・帰還
始発の東北新幹線はやぶさ4号は、雪の影響で半時間以上遅れるも10時に東京に到着。かつては特急はつかりが8時間以上かけて結んでいた道だが、今となっては3時間を切るダイヤである。ところで古い時刻表を紐解くと、1M→1便→1Dという黄金の乗継があったようだ。上野16時丁度発、青森翌0時15分着の1M(はつかり5号)は東北本線の最速列車であった。青森では20分の待ち合わせで青函航路の1便が接続し、函館着は4時25分。函館からは4時45分発の1D(おおぞら1号)が札幌へそして釧路へ向かうという壮大な接続であった。札幌着は8時50分、釧路着は14時52分。さらに釧路から先は根室行の急行ノサップが続いていた。鉄道全盛時代、一度この目でその姿を見てみたかったものだ。いやしかし、どうして速達列車ははやぶさという名前になったのだろう。はやぶさといえば、鹿児島本線経由で東京と西鹿児島を結ぶ寝台特急ではなかったか。東北新幹線の最速列車には往時の名門特急、はつかりの名を与えて然るべきだと思っていたが、列車の愛称も時代の流れで変わっていくということなのだろう。
北斗星の運休を知ったときは絶望したが、何とかほぼ同じくらいの時刻に東京へ戻ってくることができた。残雪の家路につき、荷解きをしてシャワーを浴びる。一休みしたら、午後は代々木。あっという間に日常が帰ってきた。
写真
1枚目:哀愁(@札幌)
2枚目:雪の夜(@南千歳)
3枚目:小休止(@函館)
3583文字
コメント