日本海、再び。
・旅立ち
2月8日の首都は細雪。夜明け前から降り続いた雪で、神宮外苑は雪化粧である。いつもの信濃町で北陸フリー乗車券に入鋏し、東京へ向かう。銀の鈴で仲間と落ち合い、新幹線ホームへ。今日は大雪のためガーラ湯沢が営業停止となるようで、コンコースはスキー客と思しき同年代の若者で混み合っていた。幸い、我々の旅程には影響はないようである。上越新幹線に乗るのは何回目だろうか。他の新幹線に比べると圧倒的に多く利用している。最近は旅行の行先が日本海側、言うなれば裏日本に自ずと決まるため、上越国境をまたいで表と裏を結ぶこの路線が必然的に旅程に組み込まれてくる。Maxとき311号は各駅に停まるのろい列車で、「国境の長いトンネル」を抜けて雪の降りしきる越後湯沢に到着したのは1時間半後であった。
・北陸路
越後湯沢から特急はくたかに乗り換えて北陸入りするのが王道のルートだが、別に急ぐ旅行ではないので、北越急行の快速列車で直江津まで抜ける。気動車を思わせるような出で立ちの新潟トランシス製のHK100に揺られ、雪に閉ざされた魚沼丘陵を車窓に眺めながら終着までのんびりと過ごす。犀潟で信越本線と合流し、黒井は通過して次は直江津。いつの間にか6~7分遅れていたらしく、富山行普通列車との接続がぎりぎりである。直江津駅は東日本の管轄で、どういうわけか北陸本線のホームは端に追いやられている。慌ただしい乗り換えの合間に直江津名物「鱈めし」を買い、長い道のりを歩いてようやく列車にたどり着いた。結局、北越急行からの接続をとって4分遅れての発車となった。
この区間を普通列車で通るのはいつ以来だろう。高1の冬、ムーンライト信州で大糸線入りし、糸魚川を経由して直江津まで出た覚えがある。大学1年の夏は、急行きたぐにの発車まで暇だったので糸魚川から筒石を往復したのだった。当時はまだ国鉄の不思議な遺産、419系が走り回っていた。普通列車にしては妙にどっかりとしたボックスシート、異様に高い天井が印象的な車両であった。それ以外はだいたい優等列車ですっ飛ばしてきたこの区間を、今回改めて普通列車で通過する。車両は北陸色を身に纏う413系。首都圏では目にする機会が少なくなった国鉄型電車、久々にその趣を感じ取る。来年の3月には北陸新幹線の金沢開業が控えており、それに伴って在来線は第三セクター化される。北陸本線としての姿を目に焼き付けられるのはいよいよこれが最後になるかもしれない。
直江津を出た列車は、谷浜、有間川と停まっていく。車窓には国道8号線を挟んで冬の日本海が姿を現した。静かに雪が舞い降りる灰青色の海、この景色を見に来たのだ。そして手元には直江津の鱈めし。味の濃い保存食といった風味で、酒と実によく合いそうな美味しさである。雪国らしい郷土料理を食べながら、寒々しい車窓をぼんやりと眺める。名立、筒石、能生の3駅は45年前、全長11,353mの頸城トンネルと運命を共にして生まれ変わった。この区間は地盤が弱く、海岸沿いを走っていた旧線は古くから土砂災害との闘いを強いられてきたという。そこで11kmを超える長大トンネルで内陸をぶち抜く計画が持ち上がり、名立と能生はトンネル入口のすぐそばに、筒石はトンネル内に移されることとなった。これが新線、現在の北陸本線である。筒石のホームは地下牢獄を思わせる冷たい暗がりの中にあり、猛然と通過する幾多もの特急列車と貨物列車を見送ってきた。延々と続く漆黒のトンネルをようやく抜けると、列車は浦本、梶屋敷を経て糸魚川へ。梶屋敷~糸魚川間のデッドセクションも昔と変わらないままであった。
糸魚川で小休止の後、列車は再び難所にさしかかる。親不知の海岸線は、北陸自動車道と国道8号線の高架が不気味に錯綜し、その高架の合間に暗い水平線がのぞくという異様な景色である。相変わらず雪は降りしきり、辺りは白く染まってゆく。そして市振と越中宮崎の間で県境を越え、富山県へ入った。泊から先は多くの客が乗ってきて、異なる生活圏に足を踏み入れたことが窺い知れる。ここから先は富山平野に入るため、人の行き来が多くなるようだ。直江津と糸魚川も違えば、糸魚川と泊も違う。まるで夕空のグラデーションのように、生活や文化の風景が徐々に変化していくさまを見るのはなかなか面白い。鉄道旅行ならではの楽しみである。
・氷見へ
富山で列車を乗り継ぎ、高岡に到着したのは14時半を回った頃であった。氷見線との接続はあまり良くなく、45分も待たねばならない。改札外のみやげ物屋で砺波の酒「若鶴」の純米吟醸を仕入れた。富山の日本酒といえば「満寿泉」が美味かった覚えがあるが、せっかく来たのだからこういうのも買ってみよう。
15時15分発の氷見線は高岡方がタラコ色のキハ40であった。良い具合に褪色している。高岡を発車した列車は、能町までは狭い住宅地の合間をくぐり抜けていくが、その先は小矢部川を渡りつつ伏木まで工業地帯の中を突き抜ける。そして越中国分で富山湾に出て、あとは海岸線沿いに氷見まで線路が続く。たった16kmの短い路線ではあるが、市街地、住宅地、工場、海岸線など様々な景色が同居していてなかなか面白い。1時間ほど余裕があるので、雨晴で降りることにした。高岡では雪だったのがここではほとんど雨に変わっており、べちゃべちゃと湿った雪を踏みしめながら雨晴海岸を散策する。冬の日本海は相変わらず寒い景色で、南東方向に見えるはずの立山連峰は鼠色の霞の中だ。すかっと晴れれば、海面にたたずむ女岩も相まってさぞ綺麗なのだろう。その後、越中国分方面に1kmほど歩いた地点から先ほどの折り返し列車を撮影。本来ならもう少し歩いたところが定番撮影地だったのだが、雨と雪が厳しかったので手軽なポイントで済ませた。
氷見からはタクシーで民宿さわいへ。3週間ほど前、10軒以上の民宿に電話をかけまくったがどこも満室で、ようやくたどり着いたのがここであった。そろそろ寒ブリのシーズンは終わるとはいえ、みな美食を求めて週末に殺到しているのかもしれない。どんな民宿なのかやや不安だったものの、着いてみると古いながらも綺麗な建物で、小ぢんまりとした部屋からは富山湾の阿尾海岸が一望できる素晴らしい宿であった。そして今日のメインは夕食。これでもかという量の舟盛り、ブリの塩焼き、カニ、天ぷら、白子などなど。シメは内臓の鍋。何といってもやはりブリが絶品で、ひたすら感動しつつ酒を飲みながら舌鼓を打つ。これを食べるために今日氷見に来たといっても過言ではない。あまり知られていない宿のようだが、この内容で1泊2食8400円は破格といえる。いつか再訪してみたい。
視覚は写真、聴覚は録音という手段で仮の姿を残しておくことができるが、味覚、嗅覚、触圧覚、温痛覚などはどうしてもその場限りになってしまって、非常に儚いものである。いくら言葉で再現しようとしたところで、限界がすぐそこに見えている。完全な再現性をもたない一期一会の対面であるからこそ、本当に美しく、美味しく感じるのだろう。したがって、感覚を研ぎ澄ますほど、旅行は面白くなるのだ。
富山湾の潮騒を聴きながら、眠りに落ちる。
写真
1枚目:小休止(@糸魚川)
2枚目:荒れた富山湾と共に(@越中国分~雨晴)
3枚目:晩餐
3788文字
2/8
信濃町756 → 秋葉原809
中央・総武線各駅停車736B クハE231-18
秋葉原811 → 東京815
京浜東北線711C モハE231-511
東京852 → 越後湯沢1022
上越新幹線2311C Maxとき311号 E458-20
越後湯沢1039 → 直江津1207(+6)
上越線・北越急行・信越本線3832M HK100-10
直江津1212(+4) → 富山1410(+2)
北陸本線550M モハ412-7
富山1416(+6) → 高岡1434(+6)
北陸本線442M クモハ521-20
高岡1515 → 雨晴1538
氷見線541D キハ47 27
撮影
540D[1606] 普通列車
雨晴1636(+5) → 氷見1643(+5)
氷見線543D キハ47 140
民宿さわい 泊
・旅立ち
2月8日の首都は細雪。夜明け前から降り続いた雪で、神宮外苑は雪化粧である。いつもの信濃町で北陸フリー乗車券に入鋏し、東京へ向かう。銀の鈴で仲間と落ち合い、新幹線ホームへ。今日は大雪のためガーラ湯沢が営業停止となるようで、コンコースはスキー客と思しき同年代の若者で混み合っていた。幸い、我々の旅程には影響はないようである。上越新幹線に乗るのは何回目だろうか。他の新幹線に比べると圧倒的に多く利用している。最近は旅行の行先が日本海側、言うなれば裏日本に自ずと決まるため、上越国境をまたいで表と裏を結ぶこの路線が必然的に旅程に組み込まれてくる。Maxとき311号は各駅に停まるのろい列車で、「国境の長いトンネル」を抜けて雪の降りしきる越後湯沢に到着したのは1時間半後であった。
・北陸路
越後湯沢から特急はくたかに乗り換えて北陸入りするのが王道のルートだが、別に急ぐ旅行ではないので、北越急行の快速列車で直江津まで抜ける。気動車を思わせるような出で立ちの新潟トランシス製のHK100に揺られ、雪に閉ざされた魚沼丘陵を車窓に眺めながら終着までのんびりと過ごす。犀潟で信越本線と合流し、黒井は通過して次は直江津。いつの間にか6~7分遅れていたらしく、富山行普通列車との接続がぎりぎりである。直江津駅は東日本の管轄で、どういうわけか北陸本線のホームは端に追いやられている。慌ただしい乗り換えの合間に直江津名物「鱈めし」を買い、長い道のりを歩いてようやく列車にたどり着いた。結局、北越急行からの接続をとって4分遅れての発車となった。
この区間を普通列車で通るのはいつ以来だろう。高1の冬、ムーンライト信州で大糸線入りし、糸魚川を経由して直江津まで出た覚えがある。大学1年の夏は、急行きたぐにの発車まで暇だったので糸魚川から筒石を往復したのだった。当時はまだ国鉄の不思議な遺産、419系が走り回っていた。普通列車にしては妙にどっかりとしたボックスシート、異様に高い天井が印象的な車両であった。それ以外はだいたい優等列車ですっ飛ばしてきたこの区間を、今回改めて普通列車で通過する。車両は北陸色を身に纏う413系。首都圏では目にする機会が少なくなった国鉄型電車、久々にその趣を感じ取る。来年の3月には北陸新幹線の金沢開業が控えており、それに伴って在来線は第三セクター化される。北陸本線としての姿を目に焼き付けられるのはいよいよこれが最後になるかもしれない。
直江津を出た列車は、谷浜、有間川と停まっていく。車窓には国道8号線を挟んで冬の日本海が姿を現した。静かに雪が舞い降りる灰青色の海、この景色を見に来たのだ。そして手元には直江津の鱈めし。味の濃い保存食といった風味で、酒と実によく合いそうな美味しさである。雪国らしい郷土料理を食べながら、寒々しい車窓をぼんやりと眺める。名立、筒石、能生の3駅は45年前、全長11,353mの頸城トンネルと運命を共にして生まれ変わった。この区間は地盤が弱く、海岸沿いを走っていた旧線は古くから土砂災害との闘いを強いられてきたという。そこで11kmを超える長大トンネルで内陸をぶち抜く計画が持ち上がり、名立と能生はトンネル入口のすぐそばに、筒石はトンネル内に移されることとなった。これが新線、現在の北陸本線である。筒石のホームは地下牢獄を思わせる冷たい暗がりの中にあり、猛然と通過する幾多もの特急列車と貨物列車を見送ってきた。延々と続く漆黒のトンネルをようやく抜けると、列車は浦本、梶屋敷を経て糸魚川へ。梶屋敷~糸魚川間のデッドセクションも昔と変わらないままであった。
糸魚川で小休止の後、列車は再び難所にさしかかる。親不知の海岸線は、北陸自動車道と国道8号線の高架が不気味に錯綜し、その高架の合間に暗い水平線がのぞくという異様な景色である。相変わらず雪は降りしきり、辺りは白く染まってゆく。そして市振と越中宮崎の間で県境を越え、富山県へ入った。泊から先は多くの客が乗ってきて、異なる生活圏に足を踏み入れたことが窺い知れる。ここから先は富山平野に入るため、人の行き来が多くなるようだ。直江津と糸魚川も違えば、糸魚川と泊も違う。まるで夕空のグラデーションのように、生活や文化の風景が徐々に変化していくさまを見るのはなかなか面白い。鉄道旅行ならではの楽しみである。
・氷見へ
富山で列車を乗り継ぎ、高岡に到着したのは14時半を回った頃であった。氷見線との接続はあまり良くなく、45分も待たねばならない。改札外のみやげ物屋で砺波の酒「若鶴」の純米吟醸を仕入れた。富山の日本酒といえば「満寿泉」が美味かった覚えがあるが、せっかく来たのだからこういうのも買ってみよう。
15時15分発の氷見線は高岡方がタラコ色のキハ40であった。良い具合に褪色している。高岡を発車した列車は、能町までは狭い住宅地の合間をくぐり抜けていくが、その先は小矢部川を渡りつつ伏木まで工業地帯の中を突き抜ける。そして越中国分で富山湾に出て、あとは海岸線沿いに氷見まで線路が続く。たった16kmの短い路線ではあるが、市街地、住宅地、工場、海岸線など様々な景色が同居していてなかなか面白い。1時間ほど余裕があるので、雨晴で降りることにした。高岡では雪だったのがここではほとんど雨に変わっており、べちゃべちゃと湿った雪を踏みしめながら雨晴海岸を散策する。冬の日本海は相変わらず寒い景色で、南東方向に見えるはずの立山連峰は鼠色の霞の中だ。すかっと晴れれば、海面にたたずむ女岩も相まってさぞ綺麗なのだろう。その後、越中国分方面に1kmほど歩いた地点から先ほどの折り返し列車を撮影。本来ならもう少し歩いたところが定番撮影地だったのだが、雨と雪が厳しかったので手軽なポイントで済ませた。
氷見からはタクシーで民宿さわいへ。3週間ほど前、10軒以上の民宿に電話をかけまくったがどこも満室で、ようやくたどり着いたのがここであった。そろそろ寒ブリのシーズンは終わるとはいえ、みな美食を求めて週末に殺到しているのかもしれない。どんな民宿なのかやや不安だったものの、着いてみると古いながらも綺麗な建物で、小ぢんまりとした部屋からは富山湾の阿尾海岸が一望できる素晴らしい宿であった。そして今日のメインは夕食。これでもかという量の舟盛り、ブリの塩焼き、カニ、天ぷら、白子などなど。シメは内臓の鍋。何といってもやはりブリが絶品で、ひたすら感動しつつ酒を飲みながら舌鼓を打つ。これを食べるために今日氷見に来たといっても過言ではない。あまり知られていない宿のようだが、この内容で1泊2食8400円は破格といえる。いつか再訪してみたい。
視覚は写真、聴覚は録音という手段で仮の姿を残しておくことができるが、味覚、嗅覚、触圧覚、温痛覚などはどうしてもその場限りになってしまって、非常に儚いものである。いくら言葉で再現しようとしたところで、限界がすぐそこに見えている。完全な再現性をもたない一期一会の対面であるからこそ、本当に美しく、美味しく感じるのだろう。したがって、感覚を研ぎ澄ますほど、旅行は面白くなるのだ。
富山湾の潮騒を聴きながら、眠りに落ちる。
写真
1枚目:小休止(@糸魚川)
2枚目:荒れた富山湾と共に(@越中国分~雨晴)
3枚目:晩餐
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