あけぼのよ、さらばだ。
・上野駅13番線
長いエスカレーターを降りると、インクブルーの車体が横たわっていた。行先幕には「青森」の文字。ホームには多くの人が慌ただしく行き交い、機関車と電源車の轟音が、円柱の立ち並ぶ地下神殿のような空間に共鳴している。特急あけぼの。もう何度となく乗った列車だが、始発駅の上野はいつ来ても旅情をそそられる。
ここは、北の玄関口である。かつて東北本線は、最長距離路線にして北へ向かう大幹線であった。40年前の時刻表を紐解くと、昼行、夜行を問わずおびただしい本数の特急列車が青森を目指して出発し、終点では青函連絡船に接続し、果ては札幌、釧路、網走へと続く遥かな旅路があったようだ。そして東北本線に限らず、奥羽本線、常磐線、高崎線・上越線など、北へ向かう列車はみな上野から出て行った。あけぼのは、かつてさまざまな変遷を経て現在のルートに落ち着いたが、「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の時代の面影を辛うじて今に残す列車であることには変わりない。
・金曜の夜を駆ける
弁当と酒とつまみを買い、外務、前予科主任の両名とともに記念撮影をしてから、2号車に乗り込む。すでに発車まで1分を切っていて、列車が動き出したのは8号車へ向かって車内を歩いているときであった。今宵は、慌ただしい旅立ちだ。列車は徐々に速度を増し、やがて地下ホームを抜け出して夜の世界へと入り込んでいく。終着の青森までは12時間半以上の長旅である。
ポリクリ最終日の夜、三田で弓をひいた後、突如として13番線から異質の時空間に飛び込んだ。窓外には街の灯りが飛び去り、京浜東北線の電車が時おり並走する。まるで、無機質な別世界をぼんやりと眺めているかのようだ。客車の走りはしっとりと重厚で、船が海を滑るように夜を駆け抜けてゆく。そして外界から隔絶されたカプセルのごとき車内には、ゆったりとした時間が流れている。弁当を食べ、ビールを片手に、贅沢な宵を過ごす。
・国境のトンネル
大宮、高崎と停車して乗客を拾った列車はひたすらに北上を続け、23時44分、水上に運転停車した。ここは谷川岳の麓、上越国境の町だ。夜のしじまに包まれた駅前には、寂れた温泉街がひっそりと広がる。ホームには雪が積もり、向かい側には灯りの落とされた107系が無言で佇んでいる。ここでは機関士が交代するとみられ、列車はわずかばかりの停車の後、ピョーッというEF64の寂しげな鳴き声とともに再びゆっくりと動き出した。
ほどなくして、新清水トンネルに入る。谷川岳を穿つ国境のトンネルである。湯檜曽駅の下りホームが目の前をあっという間に過ぎ去り、その後しばらくは硬質な轍の音が単調に響き渡る。そして、次は土合駅の下りホーム。煌々と電灯が灯る不気味な地下空間を猛然と駆けぬけてゆく。深夜にただ一人、13kmを超える暗い長大トンネルの中、機関士はどのような思いでEF64のマスコンを握っているのだろうか。数々の乗客の眠りを乗せ、今まさに列車は上越国境を越えて日本海側へ抜けようとしている。
ところで清水峠の国境越えでは、上り線は旧線の清水トンネル、上越新幹線は大清水トンネル、そして関越自動車道は関越トンネルで谷川連峰を貫通する。一般国道はといえば、291号線という道路が地図上は存在しているようだが、山越えの区間は明治時代に開通したもののわずか半年で土砂崩れのため不通となり、以後そこは放棄されたまま、徒歩でも踏破できないほど壊滅的に荒廃してしまったらしい。代わりに、古くからある西側の三国街道が国道17号線として機能しているが、上越線の開通に伴いかつて栄えた沿道の宿場町はみるみるうちに廃れたという。道路と鉄道の歴史、そして越境の歴史はなかなかに興味深い。
・雪国へ
ふいに、轍の音が変わった。雪を踏みしめる、もふもふとした感触が足下から伝わってくる。夜の更ける車内にトトン、トトンという柔らかい音が静かに響き渡り、列車が雪国にやって来たことを思わせる。窓外に目をやると、雪原に映し出された列車の灯りが一緒に走っている。デッキの折戸から漏れる灯りはことさらに明るく、闇の銀世界にぼんやりと輝く。しばらく走ると窓枠には氷雪がこびりついた。黙々と走る列車はやがて誰もいない越後湯沢のホームを通過し、上越線は平野部へ向かってどんどん下っていく。
長岡に到着したのは1時15分頃であった。ここでは30分ほど停車し、機関車がEF81へと交換される。この1本の列車を走らせるために、たくさんの鉄道員が夜中も業務に携わっている。乗客の大半はもう眠ってしまっただろうか。寝ている間に我々をはるか遠方の地へと運んでくれる夜行列車、その陰には数多くの知られざるドラマがあるに違いない。高いホイッスルが哀しげに夜空にちぎれる。バトンタッチしたEF81に牽引され、列車は青森への旅路を再開した。車窓に広がるは闇に沈む越後平野。雪に包まれた沈黙の世界に、軽快な轍の音が反復する。酒も回ってきたことなので、心地よい振動に身を委ねてしばしの眠りにつくとしよう。
写真
1枚目:奥羽線経由、青森行
2枚目:水上に運転停車
3枚目:夜更け
2482文字
1/17
田町2043 → 上野2100
山手線2030G モハE231-505
1/17 → 1/18
上野2116 → 青森956(+4)
東北本線・高崎線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線
2021レ 特急あけぼの
・上野駅13番線
長いエスカレーターを降りると、インクブルーの車体が横たわっていた。行先幕には「青森」の文字。ホームには多くの人が慌ただしく行き交い、機関車と電源車の轟音が、円柱の立ち並ぶ地下神殿のような空間に共鳴している。特急あけぼの。もう何度となく乗った列車だが、始発駅の上野はいつ来ても旅情をそそられる。
ここは、北の玄関口である。かつて東北本線は、最長距離路線にして北へ向かう大幹線であった。40年前の時刻表を紐解くと、昼行、夜行を問わずおびただしい本数の特急列車が青森を目指して出発し、終点では青函連絡船に接続し、果ては札幌、釧路、網走へと続く遥かな旅路があったようだ。そして東北本線に限らず、奥羽本線、常磐線、高崎線・上越線など、北へ向かう列車はみな上野から出て行った。あけぼのは、かつてさまざまな変遷を経て現在のルートに落ち着いたが、「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の時代の面影を辛うじて今に残す列車であることには変わりない。
・金曜の夜を駆ける
弁当と酒とつまみを買い、外務、前予科主任の両名とともに記念撮影をしてから、2号車に乗り込む。すでに発車まで1分を切っていて、列車が動き出したのは8号車へ向かって車内を歩いているときであった。今宵は、慌ただしい旅立ちだ。列車は徐々に速度を増し、やがて地下ホームを抜け出して夜の世界へと入り込んでいく。終着の青森までは12時間半以上の長旅である。
ポリクリ最終日の夜、三田で弓をひいた後、突如として13番線から異質の時空間に飛び込んだ。窓外には街の灯りが飛び去り、京浜東北線の電車が時おり並走する。まるで、無機質な別世界をぼんやりと眺めているかのようだ。客車の走りはしっとりと重厚で、船が海を滑るように夜を駆け抜けてゆく。そして外界から隔絶されたカプセルのごとき車内には、ゆったりとした時間が流れている。弁当を食べ、ビールを片手に、贅沢な宵を過ごす。
・国境のトンネル
大宮、高崎と停車して乗客を拾った列車はひたすらに北上を続け、23時44分、水上に運転停車した。ここは谷川岳の麓、上越国境の町だ。夜のしじまに包まれた駅前には、寂れた温泉街がひっそりと広がる。ホームには雪が積もり、向かい側には灯りの落とされた107系が無言で佇んでいる。ここでは機関士が交代するとみられ、列車はわずかばかりの停車の後、ピョーッというEF64の寂しげな鳴き声とともに再びゆっくりと動き出した。
ほどなくして、新清水トンネルに入る。谷川岳を穿つ国境のトンネルである。湯檜曽駅の下りホームが目の前をあっという間に過ぎ去り、その後しばらくは硬質な轍の音が単調に響き渡る。そして、次は土合駅の下りホーム。煌々と電灯が灯る不気味な地下空間を猛然と駆けぬけてゆく。深夜にただ一人、13kmを超える暗い長大トンネルの中、機関士はどのような思いでEF64のマスコンを握っているのだろうか。数々の乗客の眠りを乗せ、今まさに列車は上越国境を越えて日本海側へ抜けようとしている。
ところで清水峠の国境越えでは、上り線は旧線の清水トンネル、上越新幹線は大清水トンネル、そして関越自動車道は関越トンネルで谷川連峰を貫通する。一般国道はといえば、291号線という道路が地図上は存在しているようだが、山越えの区間は明治時代に開通したもののわずか半年で土砂崩れのため不通となり、以後そこは放棄されたまま、徒歩でも踏破できないほど壊滅的に荒廃してしまったらしい。代わりに、古くからある西側の三国街道が国道17号線として機能しているが、上越線の開通に伴いかつて栄えた沿道の宿場町はみるみるうちに廃れたという。道路と鉄道の歴史、そして越境の歴史はなかなかに興味深い。
・雪国へ
ふいに、轍の音が変わった。雪を踏みしめる、もふもふとした感触が足下から伝わってくる。夜の更ける車内にトトン、トトンという柔らかい音が静かに響き渡り、列車が雪国にやって来たことを思わせる。窓外に目をやると、雪原に映し出された列車の灯りが一緒に走っている。デッキの折戸から漏れる灯りはことさらに明るく、闇の銀世界にぼんやりと輝く。しばらく走ると窓枠には氷雪がこびりついた。黙々と走る列車はやがて誰もいない越後湯沢のホームを通過し、上越線は平野部へ向かってどんどん下っていく。
長岡に到着したのは1時15分頃であった。ここでは30分ほど停車し、機関車がEF81へと交換される。この1本の列車を走らせるために、たくさんの鉄道員が夜中も業務に携わっている。乗客の大半はもう眠ってしまっただろうか。寝ている間に我々をはるか遠方の地へと運んでくれる夜行列車、その陰には数多くの知られざるドラマがあるに違いない。高いホイッスルが哀しげに夜空にちぎれる。バトンタッチしたEF81に牽引され、列車は青森への旅路を再開した。車窓に広がるは闇に沈む越後平野。雪に包まれた沈黙の世界に、軽快な轍の音が反復する。酒も回ってきたことなので、心地よい振動に身を委ねてしばしの眠りにつくとしよう。
写真
1枚目:奥羽線経由、青森行
2枚目:水上に運転停車
3枚目:夜更け
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