例によって今年一年を振り返るとしよう。年末の慌ただしさと年明けの怠惰のせいで、1月が半分以上過ぎてからこんな記事を書くことになってしまった。適当に日付枠を埋めるだけの内容ならいくらでも書けるのだが、何しろ激動の一年であったから振り返らないのももったいない。さて、年初に掲げた目標は
ひろく社会と人間に関心をもち、有機的な関係の構築を目指す
であった。まず社会と人間に関心をもつというところは、かなり低いレベルではあるものの達成できたのではないか。そもそも従来はこういう観点すら欠落しがちであったので、それを意識するようになっただけでも大きな進歩かもしれない。ただ今の水準で十分かというと全くそうではなく、もっと能動的に視野を広げていく必要がある。そして有機的な関係という部分、これはなかなかに難しい。すでに構築された関係性についてはより熟成して強固になった感はあるが、あたかも毛細血管が新生するかのごとく新たなネットワークが拡大したか言われればそれは否である。目の粗い網を大きく広げたまま維持するというのは、人によってはたやすいのかもしれないが、自分にとっては難題といえる。
この目標とはまた別に、たびたび意識していたのは個々人の才能と能力という点。いくら関心が広く、有機的な関係が構築できていても(もちろんこのこと自体は一種の才能と能力ではあるが)、それらを活かすに足るだけの才能なり能力がなければ何にもならないと考える。ドラえもんの「道具を使うのはけっきょく人間だからね」というセリフは実に奥が深い。別に関心や関係のことを「道具」だと言いたいのではなくて、「けっきょく人間」というところが重要なのだ。これからの時代、情報が氾濫し、誰しもが簡単に情報を手に入れ、あらゆる関係性の構築が容易になると予想される。そのような中で方向性を見失わず正しく進むためには、年初に掲げた目標を達成するのもさることながら、個人のもつ力を常に磨いていかねばならないと思うに至った。
あとは、それぞれについて。
・学業
年明けから続いた婦人科編集長、CBT、OSCE、定期試験の流れは、とくに諸々の主将業務とまるごと重なったこともあり、これまで生きてきた中で間違いなく最も忙しい2ヶ月であった。かつての受験勉強などとはまるで比較にならず、いや人はこれだけの短期間で集中的に知識を詰め込めるものなのかと、今さらながらその密度の濃さに驚く。そして3月には東北、英国、屋久島と旅行も詰め込んでいたものだから、まさに立ち止まる暇がなかった。
で、4月に病棟デビュー。当初はえらく緊張していたが、慣れとはすごいもので、徐々にこの生活が身体に馴染んでくる。ここで直面したのは「能動的な学習」という問題。ポリクリは一部の科を除いて、楽をしようとすればいくらでも楽をできるし、その逆もまた然りである。つまり個々人の意識の持ちようで学べる内容が大幅に変わってくる。座学での勉強はどうしても試験対策の域を出なかったが、実臨床に出ると学ぶべき内容は無限に広がっていて、何をどれだけ勉強するのかは基本的には自分で決めなければならない。したがって、意欲のある人はどんどん生きた知識をつけていくし、サボる人はますます堕落していく。
しかし自分はというと、どんどん楽な方向へと流れていく。適当に流してしまった科としてとくに反省しているのは、循環器内科、麻酔科、産科、小児科あたり。他大学の話を聞いていると、我々の実習は非常に充実しているようだ。座学とはうって変わって、臨床の先生方はみな教育熱心で懇切丁寧に指導してくれる。そこでもう一歩、与えられたことをこなすだけ、教えられた内容に満足するだけ、という段階から踏み出したい。また、試験を通すためだけの勉強でついた知識は大半が頭から流出している。それを補うべく、本来ならば日ごろから自主的に復習を繰り返すべきであったのだ。来年度はこの辺りが目標の中心になるだろうか。
・弓道
東医体までの現役生活をここにまとめるのはあまりにも難しいが、ひとまず主将の務めが終わった。残念ながら全医体出場は叶わなかったが、しかし部誌にも書いたように、今年はこれまでの弓道部生活の中で最も楽しい時間であった。そして、こうすればこうなる、ああすればああなる、といった基本的な摂理や道理といったものとようやく親しくなってきた。客観的にはどう見えているのかは分からないが、少なくとも主観的には人間的に成長した部分は大きかったと感じている。
とくに、その立場にならないと分からないことがある、という当たり前のことを理解するに至った。先輩と後輩は、生まれた年の差はたかだか5年、されど5年という絶妙な関係である。10年も20年も違うわけではないこれくらいの差なら、人間の成熟度として大して変わらない部分も多ければ、一方で両者の間で歴然たる差がつく部分や、後輩が先輩に先んじている部分もかなりある。したがって両者は主従の関係ではなく、互いに互いから学び合わなければならない。学年として上に立つ者は、自らの経験をもとにより良い環境を整備して後輩に還元していく責務があるのだ。
秋以降は、日大戦と三医大戦にキモハ参戦したw これから先、ますます時間は制限されていくのかもしれないが、それでも弓に、そして部活に関わる時間はできる限り確保していきたい。
・旅行など
今年は本当に色々行った。3月は東北、英国、屋久島。8月に東医体ついでの利尻旅行、そして急遽決まった英国滞在。9月に南九州、12月にふたたび東北。日帰りの撮影行では、秩父鉄道、烏山線2回、小湊鉄道。のすり氏には毎回お世話になっている。ポリクリ生はいわば半社会人であり、自由に使える時間は格段に減った。その分、週末やら連休やら長期休暇やら、時間のあるときはここぞとばかりに旅行や撮影行を詰め込むことになる。代々木の貯金は減っていく一方だが、各方面からの話を聞くに、もう2年後からいよいよ何処へも行けなくなりそうな上、国鉄型車両の急速な淘汰状況も相まって、今しかない機会を何とか活かそうとしている。
そして、効率的に時間を使うことがいよいよ重要な時期になってきた。微視的であれ巨視的であれ、細切れの時間をいかにつなぎ合わせるか、その時間の質に合った時間の使い方をいかに選ぶか、こういった点をさらに意識していきたいと思う。時間は、作ろうと思えば本来いくらでも作れるはずなのだ。どれだけ作り、どれだけ活用するかは、結局自分次第ということになる。まさにさっきの「けっきょく人間」というのと同じことだ。
あとは、自分でものを考え、見識を深めていきたい。
写真:〆張鶴 銀ラベル
大みそかの食卓、銀ラベルを開栓。
2941文字
ひろく社会と人間に関心をもち、有機的な関係の構築を目指す
であった。まず社会と人間に関心をもつというところは、かなり低いレベルではあるものの達成できたのではないか。そもそも従来はこういう観点すら欠落しがちであったので、それを意識するようになっただけでも大きな進歩かもしれない。ただ今の水準で十分かというと全くそうではなく、もっと能動的に視野を広げていく必要がある。そして有機的な関係という部分、これはなかなかに難しい。すでに構築された関係性についてはより熟成して強固になった感はあるが、あたかも毛細血管が新生するかのごとく新たなネットワークが拡大したか言われればそれは否である。目の粗い網を大きく広げたまま維持するというのは、人によってはたやすいのかもしれないが、自分にとっては難題といえる。
この目標とはまた別に、たびたび意識していたのは個々人の才能と能力という点。いくら関心が広く、有機的な関係が構築できていても(もちろんこのこと自体は一種の才能と能力ではあるが)、それらを活かすに足るだけの才能なり能力がなければ何にもならないと考える。ドラえもんの「道具を使うのはけっきょく人間だからね」というセリフは実に奥が深い。別に関心や関係のことを「道具」だと言いたいのではなくて、「けっきょく人間」というところが重要なのだ。これからの時代、情報が氾濫し、誰しもが簡単に情報を手に入れ、あらゆる関係性の構築が容易になると予想される。そのような中で方向性を見失わず正しく進むためには、年初に掲げた目標を達成するのもさることながら、個人のもつ力を常に磨いていかねばならないと思うに至った。
あとは、それぞれについて。
・学業
年明けから続いた婦人科編集長、CBT、OSCE、定期試験の流れは、とくに諸々の主将業務とまるごと重なったこともあり、これまで生きてきた中で間違いなく最も忙しい2ヶ月であった。かつての受験勉強などとはまるで比較にならず、いや人はこれだけの短期間で集中的に知識を詰め込めるものなのかと、今さらながらその密度の濃さに驚く。そして3月には東北、英国、屋久島と旅行も詰め込んでいたものだから、まさに立ち止まる暇がなかった。
で、4月に病棟デビュー。当初はえらく緊張していたが、慣れとはすごいもので、徐々にこの生活が身体に馴染んでくる。ここで直面したのは「能動的な学習」という問題。ポリクリは一部の科を除いて、楽をしようとすればいくらでも楽をできるし、その逆もまた然りである。つまり個々人の意識の持ちようで学べる内容が大幅に変わってくる。座学での勉強はどうしても試験対策の域を出なかったが、実臨床に出ると学ぶべき内容は無限に広がっていて、何をどれだけ勉強するのかは基本的には自分で決めなければならない。したがって、意欲のある人はどんどん生きた知識をつけていくし、サボる人はますます堕落していく。
しかし自分はというと、どんどん楽な方向へと流れていく。適当に流してしまった科としてとくに反省しているのは、循環器内科、麻酔科、産科、小児科あたり。他大学の話を聞いていると、我々の実習は非常に充実しているようだ。座学とはうって変わって、臨床の先生方はみな教育熱心で懇切丁寧に指導してくれる。そこでもう一歩、与えられたことをこなすだけ、教えられた内容に満足するだけ、という段階から踏み出したい。また、試験を通すためだけの勉強でついた知識は大半が頭から流出している。それを補うべく、本来ならば日ごろから自主的に復習を繰り返すべきであったのだ。来年度はこの辺りが目標の中心になるだろうか。
・弓道
東医体までの現役生活をここにまとめるのはあまりにも難しいが、ひとまず主将の務めが終わった。残念ながら全医体出場は叶わなかったが、しかし部誌にも書いたように、今年はこれまでの弓道部生活の中で最も楽しい時間であった。そして、こうすればこうなる、ああすればああなる、といった基本的な摂理や道理といったものとようやく親しくなってきた。客観的にはどう見えているのかは分からないが、少なくとも主観的には人間的に成長した部分は大きかったと感じている。
とくに、その立場にならないと分からないことがある、という当たり前のことを理解するに至った。先輩と後輩は、生まれた年の差はたかだか5年、されど5年という絶妙な関係である。10年も20年も違うわけではないこれくらいの差なら、人間の成熟度として大して変わらない部分も多ければ、一方で両者の間で歴然たる差がつく部分や、後輩が先輩に先んじている部分もかなりある。したがって両者は主従の関係ではなく、互いに互いから学び合わなければならない。学年として上に立つ者は、自らの経験をもとにより良い環境を整備して後輩に還元していく責務があるのだ。
秋以降は、日大戦と三医大戦にキモハ参戦したw これから先、ますます時間は制限されていくのかもしれないが、それでも弓に、そして部活に関わる時間はできる限り確保していきたい。
・旅行など
今年は本当に色々行った。3月は東北、英国、屋久島。8月に東医体ついでの利尻旅行、そして急遽決まった英国滞在。9月に南九州、12月にふたたび東北。日帰りの撮影行では、秩父鉄道、烏山線2回、小湊鉄道。のすり氏には毎回お世話になっている。ポリクリ生はいわば半社会人であり、自由に使える時間は格段に減った。その分、週末やら連休やら長期休暇やら、時間のあるときはここぞとばかりに旅行や撮影行を詰め込むことになる。代々木の貯金は減っていく一方だが、各方面からの話を聞くに、もう2年後からいよいよ何処へも行けなくなりそうな上、国鉄型車両の急速な淘汰状況も相まって、今しかない機会を何とか活かそうとしている。
そして、効率的に時間を使うことがいよいよ重要な時期になってきた。微視的であれ巨視的であれ、細切れの時間をいかにつなぎ合わせるか、その時間の質に合った時間の使い方をいかに選ぶか、こういった点をさらに意識していきたいと思う。時間は、作ろうと思えば本来いくらでも作れるはずなのだ。どれだけ作り、どれだけ活用するかは、結局自分次第ということになる。まさにさっきの「けっきょく人間」というのと同じことだ。
あとは、自分でものを考え、見識を深めていきたい。
写真:〆張鶴 銀ラベル
大みそかの食卓、銀ラベルを開栓。
2941文字
コメント