南九州撮影行 3日目
2013年9月16日 鉄道と旅行
肥薩線に生きる老機関車。
・球磨川に寄り添って
八代を出た肥薩線は、悠々と流れる球磨川に沿って内陸へと分け入ってゆく。国鉄の遺産、キハ31の単行列車である。この時間帯、深い谷間にまだ日は差し込まない。瀬戸石で長停し普通列車と九州横断特急と交換した後、次の海路で列車を降りた。この一帯、すなわち瀬戸石、海路、吉尾と続く区間には球磨川に架かる橋がなく、対岸の人吉街道から隔絶された静かな世界が広がっている。
朝の海路は、幻想的な風景であった。山並みに切り取られた朝の太陽光線が、陰影のついた幾多もの平行線となって谷間を斜めに横切る。川面にはさざ波が煌めき、日の昇り始めた空を映して淡い灰色に光っている。駅のすぐ近くにある海路の集落は球磨川に注ぐ沢を囲む形でひっそりと佇み、まるで山と川が織りなす世界にぽつんと区画された小さな庭園のようだ。しかし、空家や廃屋が目立つ。人はあまり住んでいないらしい。また少し奥には海路小学校の建物があるが、既に廃校になったと見える。しかし荒廃している感じはないので、もしかしたら地域の集会所のような形で利用されているのかもしれない。
突如として現れたのは、キハ140の単行列車であった。まさか肥薩線でキハ40系列に会えるとは思っていなかったので、驚いた。アイボリーの下地に青い帯を纏う九州カラーは、深い山の緑、そして澄んだ空の色に実によく映える。そして川沿いを去りゆく後追いの構図は、絵画のような風景である。轍の音が谷に反響し、まるで列車が対岸を走っているかのような錯覚に陥る。わずか1時間足らずの滞在ではあったが、南部とはまったく異なる表情の肥薩線を楽しむことができた。
・球磨川第二橋梁
次の下り列車で渡へ向かう。嬉しいことに、観光列車いさぶろうの車両であった。普通列車でも運用されているらしい。日はずいぶんと高くなり、いよいよ暑くなってきた。まずは食料調達のため、渡で下車後コンビニを目指して西人吉方面へ20分ほど歩く。ところが、まさかの改装中。完全に歩く修行であった。撮影地の球磨川第二橋梁は那良口方面にあるので、同じ道をとぼとぼと引き返す。幸いなことに駅から近いところに魚屋を称する商店があり、ここでパンを調達することができた。これなら始めから那良口方面に歩いていたら良かったことになるが、予習できなかったものは仕方ない。
縦構図で橋梁を正面打ちする場所は、橋のたもとの集落を奥まで進んだところにある。かなり狭い場所で、ベストの構図を作るのであれば2人くらいが限界だろうか。今回ばかりは三脚を構え、画面を固める。10時前後に特急くまがわと、その返しの九州横断特急が通過して以降は、1時間40分もの待ち時間である。日陰でパンを食べながら、ただただ座って時が過ぎるのを待つ。日陰といっても、正午が近付くにつれてトップライトが厳しくなり、どんどん日なたになっていく。関東は台風で暴風雨のようだが、こちらの空は晴れ渡り、日差しが容赦なく照りつけてくる。
山間に汽笛一声。赤いトラス橋が織りなす美しい幾何学文様の向こう側に、8620形が姿を現した。こういう瞬間は、本当に無心になる。一切の障壁を介さずに外界と自我がぴったり接触する感覚である。はっと我に返ったのは、連写をしすぎて書き込み速度のキャパオーバーになり、押し込んだシャッターボタンが反応しなくなった瞬間であった。「えっ」と思ったが、それでも辛うじて残り数枚は撮れた。とにかく、鉄のトンネルの中をこちらに向かって突き進んでくる機関車が、刻一刻と表情を変えてゆくさまを、忘我の境地で素子に焼き付けていったのだ。自我の制御の範疇を超えて、脳と身体が勝手に動いていたようにも思える。しかし機関車が橋を渡り終えたその時、ようやく、ようやく正気に戻って1/500秒間の対面ができた。このために、今日はここまで来たのだ。やはり、鉄道撮影はやめられない。
・球泉洞
SLの後を追ってくる副産物のキハ31普通列車を撮り、駅へ戻る。そして人吉で折り返してきた同じキハ31に乗り、今度は球泉洞へ向かう。撮影の合間に鍾乳洞を探訪するというプランである。当初は駅から歩く予定であったが、送迎サービスがあるようなのでこれを利用してみる。駅に書いてあった電話番号にかけると、軽自動車で迎えに来てくれた。乗ってみると、意外にも遠い。しかも当初歩く予定だった対岸の旧道はもはや廃道になって使われておらず、少し遠回りして新道の球泉洞トンネルを通って到着となった。これは歩いていたらまた修行になるところだったかもしれない。
鍾乳洞はやはり面白い。毎回毎回、しつこいくらいにこの例えを使っているが、水のしたたる石灰岩の岩肌はまるで生きた腸管粘膜のようだ。見れば見るほど、質感がよく似ている。そして天井からぶら下がる無数の鍾乳石、地面に生えている数多もの石筍。これらも、まるで小腸の内腔面をぎっしりと埋め尽くす顕微的な絨毛構造を間近で見ているかのようだ。ぽたぽたと水の滴る音、足下を轟々と流れゆく地下水の川は、粘膜から分泌される消化液か、それとも管壁の奥深くを走るリンパ流か、血流か。そう考えると、あたかも生体の中を歩いて探索しているかのような気分になる。これはただの洞窟ではない。もはや組織(tissue)、そして器官(organ)と呼んでもおかしくはない。人知を超越した時間の流れの中、組織学的(histological)な構造と、生理学的(physiological)な営みが脈々と受け継がれてきたことが感じ取れる。まあこの文章だけを読むと、自分はいかにも頭がおかしい人間に思われるかもしれないが、しかし実際に鍾乳洞を歩いてみると、本当に自然の摂理が生み出すものの共通性を随所に実感するのだ。
・白石
球泉洞から1駅、白石駅に降り立った。上りのSL人吉はここで迎え撃つ。夥しい数のトンボが景色の中を飛び交う中、列車は重たい足取りでゆっくりと入線してきた。3両の客車のみを従えた小ぢんまりした編成だが、車齢90年を超える老機関車の貫禄は十分すぎるほどだ。そして、ゆっくりと停止した。シューシューという息づかいが聞こえてくる。停車時間は5分。この5分の間に、一瞬一瞬の絵をどれだけ切り取ることができるか。
やがて列車からは人が降りてきて、記念撮影を始めた。3分後、人吉行の下り普通列車が入線。脇役、キハ31である。風景は刻一刻と変わる。一つとして同じ風景はない。そして、ひとたび過ぎ去った一瞬はもう二度と戻っては来ない。機関車から吐き出される煙の表情も、一刹那ごとに全く異なるものへと変貌してゆく。15時26分、優しく煙を吐き続ける機関車、淡い反照を映す客車、逆光に映える桜の木、ぽつんと佇む下り普通列車。やがて構内は白煙に染まりゆく。やはり忘我の境地でシャッターを切り続ける。辺りを飛び交うトンボをかわすため、連写は欠かせない。
そして発車時刻。今まで穏やかに吐き出されていた煙は一転、みるみるうちに質量感のある重厚な黒煙となって空高く噴き上がった。縦構図の画面いっぱいに広がる煙の輪郭、そして陰影が、夕刻の斜光線に照らし出されてくっきりと浮かび上がる。煙とは、ここまで美しいものなのか。じきに雲散霧消する運命にありながら、光線の力を借りて束の間の華やかな姿を体現する。それは、ほれぼれするような造形であった。ドレーン解放、力強いドラフト音。「ボッ、ボッ」という重たい音響が間歇的に空気を震わせる。どす黒い煙が煙突から吐き出されると同時に、ロッドがゆっくりと往復し、動輪は鉄路を踏みしめてゆく。蒸気機関車は生きている。強靱に生きているのだ。
列車が去った後の駅は、何ごともなかったかのようにもとの静寂を取り戻した。かすかな残り香と、白い煙幕の残骸。5分間とは思えないほど、長い5分間であった。感覚は永遠の記憶となって、脳に刻み込まれる。
・帰路
午前中の空路2便は台風の影響で欠航になったようだが、どうやら午後からは遅れながらも飛んでいるらしい。本当に運が良かった。白石駅は、撮影行のクライマックスにして、行程の分水嶺でもあった。夜の便まで欠航が決まれば、SLの後を追う普通列車で新八代まで出て、九州新幹線、山陽新幹線、東海道新幹線を延々乗り継いで今日中に帰京するプランが待っていた。しかし、この様子だとその必要はなさそうだ。予定通り、タクシーを呼んで隣の球泉洞まで1駅戻る。白石には停まらない九州横断特急で人吉まで出た。
人吉から先はまたもやキハ31 12。球磨川第二橋梁でも白石でも登場し、本日大活躍である。吉松までの区間は極めて険しい山岳地帯で、よくぞこんなところに鉄道を通したものだと思う。SL時代はきっと凄まじい輸送風景が日々繰り返されたことだろう。単行列車はエンジンを唸らせながら坂を這い上がっていく。途中には大畑、矢岳、真幸の3駅しかないが、終着までは60分もかかる。大畑、真幸は有名なスイッチバック駅でなかなか面白い。また、日本三大車窓の一つに数えられる矢岳~真幸間の車窓は、淡い黄昏の空に包まれたえびの高原と霧島連山の絶景であった。遠くには煙を吐く桜島もぼんやりと見える。一日の締めくくりにふさわしい、心にしみ入る車窓であった。
乗車券は「西大山→嘉例川」。旅の終着駅は、あの嘉例川である。吉松で隼人行きに乗り換え、温かい白熱灯にライトアップされた夜の嘉例川駅に降り立った。ここから空港まではタクシーでわずか10分ほど。最後の時間は、木造駅舎の温もりの中で過ぎていった。
写真
1枚目:球磨川の流れとともに(@瀬戸石~海路)
2枚目:産業遺産のトラス橋を渡る(@那良口~渡)
3枚目:夕刻の小休止(@白石)
5320文字
9/16
新八代633 → 八代636
鹿児島本線6321M クハ814-10
八代642 → 海路734
肥薩線1223D キハ31 12
撮影(海路):
※車両表記は左が八代方
1224D[819] 普通列車 キハ140 2039
海路830 → 渡901
肥薩線1225D キハ140 2125
撮影(球磨川第二橋梁):
1081D[953] 特急くまがわ1号 キハ185+キハ185 16
1074D[1017] 九州横断特急4号 キハ185+キハ185 16
8241レ[1158] SL人吉 オハフ50 702+オハ50 701+オハフ50 701+58654
1227D[1211] 普通列車 キハ31 12
渡1243 → 球泉洞1258
肥薩線1228D キハ31 12
球泉洞観光
球泉洞1424 → 白石1430
肥薩線1230D キハ40 8102
撮影(白石):
8242レ[1523-1528] SL人吉 58654+オハフ50 702+オハ50 701+オハフ50 701
1231D[1526-1527] 普通列車 キハ31 12
白石1535 → 球泉洞1545
一勝地タクシー 熊本500あ2623
球泉洞1601 → 人吉1622
肥薩線1073D 九州横断特急3号 キハ185 1008
人吉1709 → 吉松1809
肥薩線1257D キハ31 12
吉松1828 → 嘉例川1902
肥薩線4237D キハ40 2068
嘉例川 → 鹿児島空港
妙見タクシー
鹿児島(KOJ)2035 → 東京・羽田(HND)2215
ソラシドエア82便(SNA082)
・球磨川に寄り添って
八代を出た肥薩線は、悠々と流れる球磨川に沿って内陸へと分け入ってゆく。国鉄の遺産、キハ31の単行列車である。この時間帯、深い谷間にまだ日は差し込まない。瀬戸石で長停し普通列車と九州横断特急と交換した後、次の海路で列車を降りた。この一帯、すなわち瀬戸石、海路、吉尾と続く区間には球磨川に架かる橋がなく、対岸の人吉街道から隔絶された静かな世界が広がっている。
朝の海路は、幻想的な風景であった。山並みに切り取られた朝の太陽光線が、陰影のついた幾多もの平行線となって谷間を斜めに横切る。川面にはさざ波が煌めき、日の昇り始めた空を映して淡い灰色に光っている。駅のすぐ近くにある海路の集落は球磨川に注ぐ沢を囲む形でひっそりと佇み、まるで山と川が織りなす世界にぽつんと区画された小さな庭園のようだ。しかし、空家や廃屋が目立つ。人はあまり住んでいないらしい。また少し奥には海路小学校の建物があるが、既に廃校になったと見える。しかし荒廃している感じはないので、もしかしたら地域の集会所のような形で利用されているのかもしれない。
突如として現れたのは、キハ140の単行列車であった。まさか肥薩線でキハ40系列に会えるとは思っていなかったので、驚いた。アイボリーの下地に青い帯を纏う九州カラーは、深い山の緑、そして澄んだ空の色に実によく映える。そして川沿いを去りゆく後追いの構図は、絵画のような風景である。轍の音が谷に反響し、まるで列車が対岸を走っているかのような錯覚に陥る。わずか1時間足らずの滞在ではあったが、南部とはまったく異なる表情の肥薩線を楽しむことができた。
・球磨川第二橋梁
次の下り列車で渡へ向かう。嬉しいことに、観光列車いさぶろうの車両であった。普通列車でも運用されているらしい。日はずいぶんと高くなり、いよいよ暑くなってきた。まずは食料調達のため、渡で下車後コンビニを目指して西人吉方面へ20分ほど歩く。ところが、まさかの改装中。完全に歩く修行であった。撮影地の球磨川第二橋梁は那良口方面にあるので、同じ道をとぼとぼと引き返す。幸いなことに駅から近いところに魚屋を称する商店があり、ここでパンを調達することができた。これなら始めから那良口方面に歩いていたら良かったことになるが、予習できなかったものは仕方ない。
縦構図で橋梁を正面打ちする場所は、橋のたもとの集落を奥まで進んだところにある。かなり狭い場所で、ベストの構図を作るのであれば2人くらいが限界だろうか。今回ばかりは三脚を構え、画面を固める。10時前後に特急くまがわと、その返しの九州横断特急が通過して以降は、1時間40分もの待ち時間である。日陰でパンを食べながら、ただただ座って時が過ぎるのを待つ。日陰といっても、正午が近付くにつれてトップライトが厳しくなり、どんどん日なたになっていく。関東は台風で暴風雨のようだが、こちらの空は晴れ渡り、日差しが容赦なく照りつけてくる。
山間に汽笛一声。赤いトラス橋が織りなす美しい幾何学文様の向こう側に、8620形が姿を現した。こういう瞬間は、本当に無心になる。一切の障壁を介さずに外界と自我がぴったり接触する感覚である。はっと我に返ったのは、連写をしすぎて書き込み速度のキャパオーバーになり、押し込んだシャッターボタンが反応しなくなった瞬間であった。「えっ」と思ったが、それでも辛うじて残り数枚は撮れた。とにかく、鉄のトンネルの中をこちらに向かって突き進んでくる機関車が、刻一刻と表情を変えてゆくさまを、忘我の境地で素子に焼き付けていったのだ。自我の制御の範疇を超えて、脳と身体が勝手に動いていたようにも思える。しかし機関車が橋を渡り終えたその時、ようやく、ようやく正気に戻って1/500秒間の対面ができた。このために、今日はここまで来たのだ。やはり、鉄道撮影はやめられない。
・球泉洞
SLの後を追ってくる副産物のキハ31普通列車を撮り、駅へ戻る。そして人吉で折り返してきた同じキハ31に乗り、今度は球泉洞へ向かう。撮影の合間に鍾乳洞を探訪するというプランである。当初は駅から歩く予定であったが、送迎サービスがあるようなのでこれを利用してみる。駅に書いてあった電話番号にかけると、軽自動車で迎えに来てくれた。乗ってみると、意外にも遠い。しかも当初歩く予定だった対岸の旧道はもはや廃道になって使われておらず、少し遠回りして新道の球泉洞トンネルを通って到着となった。これは歩いていたらまた修行になるところだったかもしれない。
鍾乳洞はやはり面白い。毎回毎回、しつこいくらいにこの例えを使っているが、水のしたたる石灰岩の岩肌はまるで生きた腸管粘膜のようだ。見れば見るほど、質感がよく似ている。そして天井からぶら下がる無数の鍾乳石、地面に生えている数多もの石筍。これらも、まるで小腸の内腔面をぎっしりと埋め尽くす顕微的な絨毛構造を間近で見ているかのようだ。ぽたぽたと水の滴る音、足下を轟々と流れゆく地下水の川は、粘膜から分泌される消化液か、それとも管壁の奥深くを走るリンパ流か、血流か。そう考えると、あたかも生体の中を歩いて探索しているかのような気分になる。これはただの洞窟ではない。もはや組織(tissue)、そして器官(organ)と呼んでもおかしくはない。人知を超越した時間の流れの中、組織学的(histological)な構造と、生理学的(physiological)な営みが脈々と受け継がれてきたことが感じ取れる。まあこの文章だけを読むと、自分はいかにも頭がおかしい人間に思われるかもしれないが、しかし実際に鍾乳洞を歩いてみると、本当に自然の摂理が生み出すものの共通性を随所に実感するのだ。
・白石
球泉洞から1駅、白石駅に降り立った。上りのSL人吉はここで迎え撃つ。夥しい数のトンボが景色の中を飛び交う中、列車は重たい足取りでゆっくりと入線してきた。3両の客車のみを従えた小ぢんまりした編成だが、車齢90年を超える老機関車の貫禄は十分すぎるほどだ。そして、ゆっくりと停止した。シューシューという息づかいが聞こえてくる。停車時間は5分。この5分の間に、一瞬一瞬の絵をどれだけ切り取ることができるか。
やがて列車からは人が降りてきて、記念撮影を始めた。3分後、人吉行の下り普通列車が入線。脇役、キハ31である。風景は刻一刻と変わる。一つとして同じ風景はない。そして、ひとたび過ぎ去った一瞬はもう二度と戻っては来ない。機関車から吐き出される煙の表情も、一刹那ごとに全く異なるものへと変貌してゆく。15時26分、優しく煙を吐き続ける機関車、淡い反照を映す客車、逆光に映える桜の木、ぽつんと佇む下り普通列車。やがて構内は白煙に染まりゆく。やはり忘我の境地でシャッターを切り続ける。辺りを飛び交うトンボをかわすため、連写は欠かせない。
そして発車時刻。今まで穏やかに吐き出されていた煙は一転、みるみるうちに質量感のある重厚な黒煙となって空高く噴き上がった。縦構図の画面いっぱいに広がる煙の輪郭、そして陰影が、夕刻の斜光線に照らし出されてくっきりと浮かび上がる。煙とは、ここまで美しいものなのか。じきに雲散霧消する運命にありながら、光線の力を借りて束の間の華やかな姿を体現する。それは、ほれぼれするような造形であった。ドレーン解放、力強いドラフト音。「ボッ、ボッ」という重たい音響が間歇的に空気を震わせる。どす黒い煙が煙突から吐き出されると同時に、ロッドがゆっくりと往復し、動輪は鉄路を踏みしめてゆく。蒸気機関車は生きている。強靱に生きているのだ。
列車が去った後の駅は、何ごともなかったかのようにもとの静寂を取り戻した。かすかな残り香と、白い煙幕の残骸。5分間とは思えないほど、長い5分間であった。感覚は永遠の記憶となって、脳に刻み込まれる。
・帰路
午前中の空路2便は台風の影響で欠航になったようだが、どうやら午後からは遅れながらも飛んでいるらしい。本当に運が良かった。白石駅は、撮影行のクライマックスにして、行程の分水嶺でもあった。夜の便まで欠航が決まれば、SLの後を追う普通列車で新八代まで出て、九州新幹線、山陽新幹線、東海道新幹線を延々乗り継いで今日中に帰京するプランが待っていた。しかし、この様子だとその必要はなさそうだ。予定通り、タクシーを呼んで隣の球泉洞まで1駅戻る。白石には停まらない九州横断特急で人吉まで出た。
人吉から先はまたもやキハ31 12。球磨川第二橋梁でも白石でも登場し、本日大活躍である。吉松までの区間は極めて険しい山岳地帯で、よくぞこんなところに鉄道を通したものだと思う。SL時代はきっと凄まじい輸送風景が日々繰り返されたことだろう。単行列車はエンジンを唸らせながら坂を這い上がっていく。途中には大畑、矢岳、真幸の3駅しかないが、終着までは60分もかかる。大畑、真幸は有名なスイッチバック駅でなかなか面白い。また、日本三大車窓の一つに数えられる矢岳~真幸間の車窓は、淡い黄昏の空に包まれたえびの高原と霧島連山の絶景であった。遠くには煙を吐く桜島もぼんやりと見える。一日の締めくくりにふさわしい、心にしみ入る車窓であった。
乗車券は「西大山→嘉例川」。旅の終着駅は、あの嘉例川である。吉松で隼人行きに乗り換え、温かい白熱灯にライトアップされた夜の嘉例川駅に降り立った。ここから空港まではタクシーでわずか10分ほど。最後の時間は、木造駅舎の温もりの中で過ぎていった。
写真
1枚目:球磨川の流れとともに(@瀬戸石~海路)
2枚目:産業遺産のトラス橋を渡る(@那良口~渡)
3枚目:夕刻の小休止(@白石)
5320文字
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