自由と放埓の日々。
・グリニッジ
さすがに昨日は歩きまくって疲れたので、午前中は家でぐだぐだする。諸々の雑務や手伝いなどをやっていると、あっという間に正午を過ぎた。しかしせっかくロンドンにいるのにこうして一日が終わるのももったいない話だと思い、午後は思い立ってグリニッジ観光へと足を運ぶことにした。地下鉄とナショナル・レールを乗り継ぎ、1時間ほどで到着。時間があれば、テムズ河を航行する船に乗るという手もあった。ただ観光といっても夕食の予定が決まっていたためにほとんど時間がなく、とりあえず旧王立天文台だけ見て帰ることにした。駅から町の中心部までは10分ほど歩かねばならない。天文台は公園の丘を登った先にある。ここからはクリストファー・レン(Christopher Wren)の建築である旧王立海軍学校が一望のもとで、また遠景左手にはロンドン市街が霞に沈む。なかなか見晴らしがよい場所である。
目玉の天文台は大混雑。東半球と西半球の境目、標準子午線を拝めるとあって、大人気の観光スポットである。ちょうど中国人観光客の団体が訪問していたのも大きいかもしれない。しかしながら、よく見ると本当に混雑しているのは広場にある経度0度線の周辺で、記念写真を撮る人々が長蛇の列をなしている。天文台自体は小ぢんまりした建物であり、こちらにはあまり人が入っていない。天体観測に使われたオクタゴン・ルーム(Octagon room)という美しい八角形の部屋は、すぐそばの海軍学校と同じくレンの作である。天文台の地下は博物館になっていて、時計の歴史が解説されていた。緯度は太陽や北極星の高度を測ればすぐに分かる一方で、経度は太陽の南中時刻のずれをもとに割り出さねばならないが、そのためには航海の揺れにも耐えうる正確な時計が必要だったという歴史的「経緯」があるようだ、なるほどw 時刻が分かるとか、場所が分かるとかは今でこそ当たり前の話だが、偉大な先人たちはただならぬ苦労を重ねてきたということだ。グリニッジは今も世界の時を刻む。
最後に広場の経度0度線を撮ってから、グリニッジを後にする。わずか2時間足らずの短い訪問であった。夜はYASHINという日本料理屋にて寿司を食す。寿司といっても魚と白米を使った創作料理という感じで、本来の寿司とは異なる。しかし、これはこれで美味しい。ロンドン滞在最後の夜となった。
写真
1枚目:旧王立海軍学校
2枚目:初代クロノメータ
3枚目:東西半球を分かつ標準子午線
1649文字
8/21
High Street Kensington → Embankment
Circle Line
London Charing Cross 1517 → London Bridge 1524
Southeastern Service
London Bridge 1531→ Greenwich 1539
Southeastern Service
グリニッジ(Greenwich)観光
Greenwich 1722 → London Bridge 1731
Southeastern Service
London Bridge → Westminster
Jubilee Line
Westminster → High Street Kensington
Circle Line
・グリニッジ
さすがに昨日は歩きまくって疲れたので、午前中は家でぐだぐだする。諸々の雑務や手伝いなどをやっていると、あっという間に正午を過ぎた。しかしせっかくロンドンにいるのにこうして一日が終わるのももったいない話だと思い、午後は思い立ってグリニッジ観光へと足を運ぶことにした。地下鉄とナショナル・レールを乗り継ぎ、1時間ほどで到着。時間があれば、テムズ河を航行する船に乗るという手もあった。ただ観光といっても夕食の予定が決まっていたためにほとんど時間がなく、とりあえず旧王立天文台だけ見て帰ることにした。駅から町の中心部までは10分ほど歩かねばならない。天文台は公園の丘を登った先にある。ここからはクリストファー・レン(Christopher Wren)の建築である旧王立海軍学校が一望のもとで、また遠景左手にはロンドン市街が霞に沈む。なかなか見晴らしがよい場所である。
目玉の天文台は大混雑。東半球と西半球の境目、標準子午線を拝めるとあって、大人気の観光スポットである。ちょうど中国人観光客の団体が訪問していたのも大きいかもしれない。しかしながら、よく見ると本当に混雑しているのは広場にある経度0度線の周辺で、記念写真を撮る人々が長蛇の列をなしている。天文台自体は小ぢんまりした建物であり、こちらにはあまり人が入っていない。天体観測に使われたオクタゴン・ルーム(Octagon room)という美しい八角形の部屋は、すぐそばの海軍学校と同じくレンの作である。天文台の地下は博物館になっていて、時計の歴史が解説されていた。緯度は太陽や北極星の高度を測ればすぐに分かる一方で、経度は太陽の南中時刻のずれをもとに割り出さねばならないが、そのためには航海の揺れにも耐えうる正確な時計が必要だったという歴史的「経緯」があるようだ、なるほどw 時刻が分かるとか、場所が分かるとかは今でこそ当たり前の話だが、偉大な先人たちはただならぬ苦労を重ねてきたということだ。グリニッジは今も世界の時を刻む。
最後に広場の経度0度線を撮ってから、グリニッジを後にする。わずか2時間足らずの短い訪問であった。夜はYASHINという日本料理屋にて寿司を食す。寿司といっても魚と白米を使った創作料理という感じで、本来の寿司とは異なる。しかし、これはこれで美味しい。ロンドン滞在最後の夜となった。
写真
1枚目:旧王立海軍学校
2枚目:初代クロノメータ
3枚目:東西半球を分かつ標準子午線
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