一週間の非日常に飛び込む。
・雲海を渡る
話の始まりは8月9日、利尻島であった。全医体出場の夢が札幌に散った今、手帳のスケジュールは大半が横線で消され、あとは虚しい空白が残るのみとなった。
両親にメールをしていたら「それならこっちに来たら」ということになり、15日から22日までの一週間、急遽渡英が決まったのであった。いささか唐突な話ではあったが、確かに東京にいたところで大した予定もなく、漫然とした時間を過ごすのは目に見えている。また学生生活に残された休暇の時間があまりないことも考えると、この一週間を異国の地で過ごすのはなかなか貴重な機会だと思われた。そういうわけで、利尻から帰京後に3日間の緩衝期間を挟み、今日ロンドンへ発つことになった。いやそれにしても、こんなハイシーズンによく航空券が取れたものだ。
何度も思うに、車輪が滑走路を離れる瞬間のあの感覚は、実に面白い。「ふわっ」というのはありきたりだが、「すっ」という擬態語も意外に合っているか。それはちょうど、寝台特急が始発駅のホームを音もなく滑り出すときの感覚に通じるものがある。全然違う現象ではあるが、限りなく時間を短くして観察すれば「感覚の微分係数」としてはほぼ同じなのではないか。旅立ちの心に渦巻く感情を反映して、こういう面白い感覚が形成されていく。あの「すっ」で、東京に放散していた「弛緩した意識の線維束」がぱっと放り出され、そして滑走路の上に捨てられたのだ。それは、一種の訣別でもあった。
機内では映画を2本観て、それから寝ようかと思ったが昼間なので全然眠れない。結局、終始目覚めたまま12時間のフライトを終え、ヒースロー(Heathrow)空港に降り立つ。そしてケンジントン(Kensington)にある第三の家へ向かい、久々の食卓を囲んだ。
写真
1枚目:機体
2枚目:食卓
948文字
8/15
東京・成田(NRT)1145(GMT+9)
→ London Heathrow(LHR)1615(GMT+1)
日本航空401便(JL401)
・雲海を渡る
話の始まりは8月9日、利尻島であった。全医体出場の夢が札幌に散った今、手帳のスケジュールは大半が横線で消され、あとは虚しい空白が残るのみとなった。
両親にメールをしていたら「それならこっちに来たら」ということになり、15日から22日までの一週間、急遽渡英が決まったのであった。いささか唐突な話ではあったが、確かに東京にいたところで大した予定もなく、漫然とした時間を過ごすのは目に見えている。また学生生活に残された休暇の時間があまりないことも考えると、この一週間を異国の地で過ごすのはなかなか貴重な機会だと思われた。そういうわけで、利尻から帰京後に3日間の緩衝期間を挟み、今日ロンドンへ発つことになった。いやそれにしても、こんなハイシーズンによく航空券が取れたものだ。
何度も思うに、車輪が滑走路を離れる瞬間のあの感覚は、実に面白い。「ふわっ」というのはありきたりだが、「すっ」という擬態語も意外に合っているか。それはちょうど、寝台特急が始発駅のホームを音もなく滑り出すときの感覚に通じるものがある。全然違う現象ではあるが、限りなく時間を短くして観察すれば「感覚の微分係数」としてはほぼ同じなのではないか。旅立ちの心に渦巻く感情を反映して、こういう面白い感覚が形成されていく。あの「すっ」で、東京に放散していた「弛緩した意識の線維束」がぱっと放り出され、そして滑走路の上に捨てられたのだ。それは、一種の訣別でもあった。
機内では映画を2本観て、それから寝ようかと思ったが昼間なので全然眠れない。結局、終始目覚めたまま12時間のフライトを終え、ヒースロー(Heathrow)空港に降り立つ。そしてケンジントン(Kensington)にある第三の家へ向かい、久々の食卓を囲んだ。
写真
1枚目:機体
2枚目:食卓
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