古色蒼然たる学問の町へ。
・鉄道旅行2日目
まずはMermaid Suiteというところへ宿を移動する。エレベータがないという致命的な構造だが、幸い2階だったので助かった。最寄駅はボンド・ストリート(Bond Street)で、各所へのアクセスは良好である。
鉄道旅行の2日目となる今日は、オックスフォード(Oxford)へ向かう。当初の予定では南イングランド海岸の景勝地、セブン・シスターズ(Seven Sisters)を考えていたものの、どうも吹雪になりそうなので今回は断念。海に面したチョークの断崖は非常に魅力的ではあったが、昨日の大雪が新聞で「Mad March」と報じられていることだし、海岸へ行くのは止めたほうがよさそうである。聞くところによると、ユーロスターも何便かウヤになったらしく、また高速道路で立ち往生も起こったようだ。
オックスフォードへはパディントン(Paddington)駅から列車がたくさん出ている。この方面はファースト・グレート・ウェスタン鉄道の管轄で、驚いたことにほとんどが客車列車である。轟音を上げる半流線型のディーゼル機関車が先頭と最後尾について、プッシュプル運転を行っている。客車列車といっても一昨年のイタリア国鉄のような旧態依然とした感じではなく、機関車も客車も紺色を基調とした塗色で統一された綺麗な車両で、またアクセントとして添えられた黄色や赤紫色も相まって、なかなかの編成美を見せている。しかし客車の扉は何と外開き式の手動ドアである。始発駅では全車両の扉がホームに向けて解放されていて、これは壮観。
乗り込んだ列車はオックスフォードまでの区間便かと思いきや、ロンドンから150マイルのヒアフォード(Hereford)へ向かう中距離の特急列車であった。カフェテリアもついている。車内は綺麗ではあるが、2等車の座席はリクライニングしないばかりか、転換クロスですらないのが残念。列車の滑り出しは至ってスムーズで、いつ動き出したのかまるで分からない。絶妙な加加速度である。どんどん速度が上がっていくが、さすがは標準軌、抜群の安定感。オックスフォードまでの63.5マイルを1時間足らずで結ぶということは、表定速度は毎時100kmを超えている。何と表現すれば良いのか、足取りは重厚にして軽快。客車列車でしか味わえない乗車感かもしれない。
車窓は予想外に晴れている。少し郊外に出るとすぐに景色が開けて爽快。この路線は本数の多い大幹線とみられるが、それでも非電化の複々線であるというのが面白い。架線のないクリアな景色に、標準軌の線路が4本並走するさまは、日本では見られないダイナミックな光景。オックスフォードには少し遅れて到着した。降りるときは扉の窓を下ろした後、内側から外側のドアノブに手をかけて開扉する。何とも旧式のシステムだが、これも本当に新鮮である。
・カーファックス・タワー
オックスフォードの町は鉄道駅から10分ほど歩いたところに広がっている。まずは、町を一望できるというカーファックス・タワーという塔に登る。狭い螺旋階段を這うようにして上がるのは、フィレンツェのジョットの鐘楼を思い起こさせる。塔のてっぺんは吹きさらしで非常に寒い。カレッジが集まっている町の中心部は歩いて回ることのできる広さで、塔上から見える範囲にある。カーファックスとは、「4本の道が交差する場所」という古い語源があるらしい。眼下の交差点には赤いダブルデッカーのバスが往来していて、晴れ渡った寒空のもとに、眺めの良いすがすがしい景色が広がる。
・ベイリオル・カレッジ
White Horseというパブでソーセージとマッシュポテトを食べる。素朴な味でイングランドの家庭料理といった風である。店内は地元民や学生と思しき人々で賑わっている。その後、近くにあるベイリオル・カレッジの構内を見学。皇太子妃が留学したカレッジとして知られる(後で調べたら、学位は取得していないらしいw)。ここはイングランド最古のカレッジで750年の歴史を誇る。庭は綺麗に手入れされていて美しい。それを取り囲むのは数々の石造りの建物で、緑色の芝と象牙色の建築が絶妙にマッチしている。構内はさほど広いわけではない。時おり行き交う学生もみな至って質素である。学問探究の場にふさわしい、厳粛な雰囲気が漂う。
・クライスト・チャーチ
吹きさらしの風がとにかく寒いので、ハイ・ストリート(High Street)沿いのスタバで暖をとってから、次なるカレッジ、クライスト・チャーチを訪問。ここは教会と複合した珍しいカレッジだが、とにかく建築が荘厳で、息を呑むような別格の美しさである。見学の入口はメドウ・ビルディング(Meadow Building)で、名前の通り、建物の前には広い草地が広がる。この草地は湿った陰鬱な感じがあり、どこかで見たことがあるような気がしたが、そのとき映画『アザーズ』に出てくる邸宅の草地をふと思い出したのだった。
クライスト・チャーチの目玉はグレート・ホール(Great Hall)で、高い天井の下、2列の長テーブルが整然と配列し、ずらりと並ぶ黄色いランプに照らされて、皿やらコップやら無数の食器が煌めく。ホールの最奥には教員のテーブルが横向きに配置され、壁には出身著名人の肖像画が多く架けられている。『ハリー・ポッター』の映画に登場する大食堂は、ここがモデルになったらしい。ホールを出ると、広大な庭を囲むトム・タワー(Tom Tower)があり、タワーの向かい側は大聖堂である。大司教トマス=ベケットの暗殺シーンを描いた古い窓や、月下に天上へとのぼる魂の船を表した聖フライズワイドの窓など、ステンドグラスがとくに面白かった。カレッジの中にこういった神秘的な空間があるとは何とも不思議である。
オックスフォードは町の中に大学があるというよりは、町自体が大学である。幾多ものカレッジが散在し、それらが複雑に相互依存しつつ、全体としてオックスフォードという大学複合体を形成している。カレッジの邦訳は難しいが、「学寮」が最も適しているようで、ここで学生と教員が寝食を共にし、カレッジ単位で教育が行われるという。そもそもカレッジ制度というものになじみがないので、学生生活についてはあまり実感が湧かない。しかしカレッジの構内を歩けば、何百年もの煤にまみれた堅牢な石造りの建物に象徴されるように、はるか昔から築かれてきた揺るぎない伝統の香りを随所に感じるのであって、あらゆる束縛から独立して純粋に学問を究めるための、質実剛健たる雰囲気が確かに存在しているように思う。荘厳ではあるが華美ではなく、いかにもイギリス文化らしい。英国の気質を根底から支えてきた学府の姿を見たようで、興味深い一日となった。
・帰路
帰りもヒアフォードからの特急列車であった。安定感のある高速運転に身を委ねつつ、余韻に浸りながら暮れゆく車窓を眺める。夜はチャイナタウンを再訪し、翠亨邨という店に入った。一昨日の場所に比べると量も多く、味も良い。
写真
1枚目:ベイリオル・カレッジの中庭
2枚目:荘厳なグレート・ホール
3枚目:パディントンに終着
3859文字
3/12
Bond Street → Baker Street
Jubilee Line
Baker Street → Paddington
Bakerloo Line
London Paddington 1022 → Oxford 1124(+5)
First Great Western Service
カーファックス・タワー(Carfax Tower)
ベイリオル・カレッジ(Balliol College)
クライスト・チャーチ(Christ Church)
Oxford 1731 → London Paddington 1837(+9)
First Great Western Service
Paddington → Piccadilly Circus
Bakerloo Line
チャイナタウン
Piccadilly Circus → Oxford Circus
Bakerloo Line
Oxford Circus → Bond Street
Central Line
ロンドン泊
Mermaid Suite
・鉄道旅行2日目
まずはMermaid Suiteというところへ宿を移動する。エレベータがないという致命的な構造だが、幸い2階だったので助かった。最寄駅はボンド・ストリート(Bond Street)で、各所へのアクセスは良好である。
鉄道旅行の2日目となる今日は、オックスフォード(Oxford)へ向かう。当初の予定では南イングランド海岸の景勝地、セブン・シスターズ(Seven Sisters)を考えていたものの、どうも吹雪になりそうなので今回は断念。海に面したチョークの断崖は非常に魅力的ではあったが、昨日の大雪が新聞で「Mad March」と報じられていることだし、海岸へ行くのは止めたほうがよさそうである。聞くところによると、ユーロスターも何便かウヤになったらしく、また高速道路で立ち往生も起こったようだ。
オックスフォードへはパディントン(Paddington)駅から列車がたくさん出ている。この方面はファースト・グレート・ウェスタン鉄道の管轄で、驚いたことにほとんどが客車列車である。轟音を上げる半流線型のディーゼル機関車が先頭と最後尾について、プッシュプル運転を行っている。客車列車といっても一昨年のイタリア国鉄のような旧態依然とした感じではなく、機関車も客車も紺色を基調とした塗色で統一された綺麗な車両で、またアクセントとして添えられた黄色や赤紫色も相まって、なかなかの編成美を見せている。しかし客車の扉は何と外開き式の手動ドアである。始発駅では全車両の扉がホームに向けて解放されていて、これは壮観。
乗り込んだ列車はオックスフォードまでの区間便かと思いきや、ロンドンから150マイルのヒアフォード(Hereford)へ向かう中距離の特急列車であった。カフェテリアもついている。車内は綺麗ではあるが、2等車の座席はリクライニングしないばかりか、転換クロスですらないのが残念。列車の滑り出しは至ってスムーズで、いつ動き出したのかまるで分からない。絶妙な加加速度である。どんどん速度が上がっていくが、さすがは標準軌、抜群の安定感。オックスフォードまでの63.5マイルを1時間足らずで結ぶということは、表定速度は毎時100kmを超えている。何と表現すれば良いのか、足取りは重厚にして軽快。客車列車でしか味わえない乗車感かもしれない。
車窓は予想外に晴れている。少し郊外に出るとすぐに景色が開けて爽快。この路線は本数の多い大幹線とみられるが、それでも非電化の複々線であるというのが面白い。架線のないクリアな景色に、標準軌の線路が4本並走するさまは、日本では見られないダイナミックな光景。オックスフォードには少し遅れて到着した。降りるときは扉の窓を下ろした後、内側から外側のドアノブに手をかけて開扉する。何とも旧式のシステムだが、これも本当に新鮮である。
・カーファックス・タワー
オックスフォードの町は鉄道駅から10分ほど歩いたところに広がっている。まずは、町を一望できるというカーファックス・タワーという塔に登る。狭い螺旋階段を這うようにして上がるのは、フィレンツェのジョットの鐘楼を思い起こさせる。塔のてっぺんは吹きさらしで非常に寒い。カレッジが集まっている町の中心部は歩いて回ることのできる広さで、塔上から見える範囲にある。カーファックスとは、「4本の道が交差する場所」という古い語源があるらしい。眼下の交差点には赤いダブルデッカーのバスが往来していて、晴れ渡った寒空のもとに、眺めの良いすがすがしい景色が広がる。
・ベイリオル・カレッジ
White Horseというパブでソーセージとマッシュポテトを食べる。素朴な味でイングランドの家庭料理といった風である。店内は地元民や学生と思しき人々で賑わっている。その後、近くにあるベイリオル・カレッジの構内を見学。皇太子妃が留学したカレッジとして知られる(後で調べたら、学位は取得していないらしいw)。ここはイングランド最古のカレッジで750年の歴史を誇る。庭は綺麗に手入れされていて美しい。それを取り囲むのは数々の石造りの建物で、緑色の芝と象牙色の建築が絶妙にマッチしている。構内はさほど広いわけではない。時おり行き交う学生もみな至って質素である。学問探究の場にふさわしい、厳粛な雰囲気が漂う。
・クライスト・チャーチ
吹きさらしの風がとにかく寒いので、ハイ・ストリート(High Street)沿いのスタバで暖をとってから、次なるカレッジ、クライスト・チャーチを訪問。ここは教会と複合した珍しいカレッジだが、とにかく建築が荘厳で、息を呑むような別格の美しさである。見学の入口はメドウ・ビルディング(Meadow Building)で、名前の通り、建物の前には広い草地が広がる。この草地は湿った陰鬱な感じがあり、どこかで見たことがあるような気がしたが、そのとき映画『アザーズ』に出てくる邸宅の草地をふと思い出したのだった。
クライスト・チャーチの目玉はグレート・ホール(Great Hall)で、高い天井の下、2列の長テーブルが整然と配列し、ずらりと並ぶ黄色いランプに照らされて、皿やらコップやら無数の食器が煌めく。ホールの最奥には教員のテーブルが横向きに配置され、壁には出身著名人の肖像画が多く架けられている。『ハリー・ポッター』の映画に登場する大食堂は、ここがモデルになったらしい。ホールを出ると、広大な庭を囲むトム・タワー(Tom Tower)があり、タワーの向かい側は大聖堂である。大司教トマス=ベケットの暗殺シーンを描いた古い窓や、月下に天上へとのぼる魂の船を表した聖フライズワイドの窓など、ステンドグラスがとくに面白かった。カレッジの中にこういった神秘的な空間があるとは何とも不思議である。
オックスフォードは町の中に大学があるというよりは、町自体が大学である。幾多ものカレッジが散在し、それらが複雑に相互依存しつつ、全体としてオックスフォードという大学複合体を形成している。カレッジの邦訳は難しいが、「学寮」が最も適しているようで、ここで学生と教員が寝食を共にし、カレッジ単位で教育が行われるという。そもそもカレッジ制度というものになじみがないので、学生生活についてはあまり実感が湧かない。しかしカレッジの構内を歩けば、何百年もの煤にまみれた堅牢な石造りの建物に象徴されるように、はるか昔から築かれてきた揺るぎない伝統の香りを随所に感じるのであって、あらゆる束縛から独立して純粋に学問を究めるための、質実剛健たる雰囲気が確かに存在しているように思う。荘厳ではあるが華美ではなく、いかにもイギリス文化らしい。英国の気質を根底から支えてきた学府の姿を見たようで、興味深い一日となった。
・帰路
帰りもヒアフォードからの特急列車であった。安定感のある高速運転に身を委ねつつ、余韻に浸りながら暮れゆく車窓を眺める。夜はチャイナタウンを再訪し、翠亨邨という店に入った。一昨日の場所に比べると量も多く、味も良い。
写真
1枚目:ベイリオル・カレッジの中庭
2枚目:荘厳なグレート・ホール
3枚目:パディントンに終着
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