庄内地方へ入る。
・冷雨の朝
特急いなほをあつみ温泉で降りると、容赦なく雨が降りつけてきた。気の滅入る、陰鬱な朝だ。小岩川方面にてくてくと歩く。道中、登校中の小学生とすれ違う。そうか、そんな時間か。旅行の楽しみの一つは、現地の日常の中へ突如として放り込まれるところにある。EF510-11率いる2093レとすれ違った後、大岩川の集落にたどり着いた。この辺りは沢が作った入り江ごとに集落が点在する地形で、海岸線を縫うように、あるいは場所によっては山を貫くように、羽越本線が走っている。
上り線を俯瞰撮影する予定だったが、4060レは登る丘を一つ間違えて神社の奥手から高度を稼いでしまったので、何となく雑然としたサイドビューの画面になった。川を渡った時点で谷を越えたと思ったのだが、実は丘の向こう側にもう一つの谷があり、その南側の丘を登らねばならなかったのだった。4連でやって来る822Dは予定地点から狙うことができた。ここでEF81牽引の4060レを仕留められていたら、と思うと残念である。こういう時に限って貨物列車は定刻運転である。運が悪い。
その後さらに南下し、地図によれば境沢という場所に移動する。ここは小岩川~あつみ温泉の定番撮影地で、普通列車1本と、特急いなほの上下1本ずつをとらえる。やはりこういう時に限って、上りの後追いがT編成、下りの正面がR編成である。何もかも、そう上手く運ぶものではない。天候はいくぶんか回復してきた。眼前に広がる早春の日本海は、まだ険しい表情をしているが、しかし雲の切れ間から陽光を受ける場所は鮮やかなエメラルド色に輝いていて、まだら色の様相を呈している。水平線には、かすかながら粟島が見える。
・羽黒山五重塔
のすり氏の案内で、昼は羽黒山の五重塔を見に行く。雨はすっかり止み、日差しも出てきた。鶴岡の駅前からバスに乗ること30分あまり、羽黒センターという終点に到着。平野部の積雪は大したことがなかったが、ここまで登ってくると思いのほか雪が深く、古い杉林の中は冷たい雪に閉ざされている。急な石段と思われる場所は簡単に除雪されているのみで、こうなるとただの斜面である。握雪音に包まれながら山中をしばらく歩くと、ふいに五重塔が林の中に姿を現した。まるで杉林と雪だけの単調な世界に忽然と登場したかのようである。よくぞこんな場所にこれを建てたものだ。東北地方最古の塔らしく、国宝に指定されている。建築の知識があればもっとこの美しさを適切に表現できるのかもしれないが・・・
「違いが分かる」というのは、極めて難しいことだと常日頃から感じている。それは、素人とプロの境目でもある。背景知識の有無いかんでは、同じものを見ていても、実質的にはまったく違うものを見ていることになる。X線写真やCT、MRI画像などはその典型で、知識がなければ、見ていても、見えていない。自分が羽黒山五重塔を見たという状況も、素人には電車、気動車、客車の違いが分からないのとまったく同じで、しばしばこれらが「デンシャ」と総称されるが如く、すべてが一緒くたになって「ゴジュウノトウ」としてしか認識されない。これは、知識に支配された認識、という観点からすれば面白い部分でもありながら、一抹の悲しみを覚える局面でもある。
あと、見たものを説明する「ことば」を知らないと、それも見えていないのと同じである。今回、羽黒山五重塔に甚く感銘を受けたわけだが、その「感銘」とやらを具体的に説明できるほどの語彙は残念ながら持ち合わせていないのだ。感覚の幅広さや質、また思考の深さなどといったものは、結局、持っている語彙に支配されるのではないか、といつも思う。「ことば」とは外界を覗くための窓であって、窓がどれほど広いか、どれほど澄んでいるかは、人によってだいぶ異なるわけだ。「ことば」のもつ力は絶大である。そしてこうして旅行記を書いているのは、「ことば」を模索するための試行錯誤でもある。
・小波渡にて
バスとJRが全く連絡していないため、駅に到着した途端、残酷にも上り普通列車が発車してゆく。駅近くの踏切でEF510牽引の貨物列車を2本撮った後、とっさの思い付きで小波渡へ向かうことにした。JR貨物の輸送情報もようやく撮影に役立ってきた感があり、この調子なら5時間以上遅れているというEF81牽引の4061レを狙えそうである。
小波渡はトンネルに挟まれた小さな駅で、五十川側は複線のトンネルだが、三瀬側は上り線だけの単線トンネルとなっている。下り線はというと海側にカーブして進路を変え、海岸線をなぞるように北上するルートをたどる。旧線と新線が入り乱れた羽越本線は面白い。そういう線形であるから、小波渡から少し歩いて高度を稼いだところにある撮影地からは下り線しか撮ることができない。撮影のハイライトは、日本海に面した集落を横目に駆け抜ける4061レ、事前情報とは異なりT編成でやってきた特急いなほ7号、日没の海をバックに走る829D。827Dと229Dは正面ではなく、少し低いところから後追いで狙ったのだが、左手に広がる海が意外と綺麗な表情を見せた。とくに229Dの方は低い角度で差し込んでくる半逆光の斜光線が車両を艶やかに照らし出し、予想外に上手く撮れた。上り列車については駅撮りでだいたい押さえる。駅と撮影地を3往復もしたので、さすがにくたびれた。最後の撮影を終え、日本海に沈みゆく太陽を見送ると、いよいよ今日の一日が終わりに近づいてきたことを実感。日没の風景は、何度も見ているものでありながら、見飽きることがない。
・温海温泉
夜は温海温泉へ足を運ぶ。駅前から最終のバスが出ている。乗客は我々のみで、日帰り入浴ができる場所を運転手がわざわざ案内してくれた。入ったのは瀧の屋というなかなか綺麗な旅館。今夜は誰も泊まっていないようだ。受付の人がしばらく現れず困ったが、一日の疲労を洗い落とし、ようやく一息ついた。夕食はますもと食堂という所でカツ丼を食する。町はひっそりと静まり返っていて、食堂には地元の人が一人だけ。通りを見渡せば廃業したと思しき旅館も多く、寂れた温泉街といった風情である。かつては社員旅行などで大いに賑わったのだろうが、往時の繁栄に思いを馳せると悲しい気分になる。帰路はタクシーで駅まで戻った。2kmほどの道のりはあっという間である。
長い一日を終え、村上に宿を取る。
写真
1枚目:日本海沿岸をなぞる羽越本線の旅路(@小岩川~あつみ温泉)
2枚目:羽黒山五重塔
3枚目:小波渡の集落を横目に(@小波渡~三瀬)
4149文字
3/5
酒田644 → あつみ温泉723
羽越本線2004M 特急いなほ4号 モハ484-3033
撮影(大岩川):
4060レ[819] EF81
822D[835] 普通列車(キハ40 4連)
撮影(境沢):
222D[913] 普通列車(キハ40 2連)
2001M[936] 特急いなほ6号(T15編成)
2006M[954] 特急いなほ1号(R27編成)
小岩川1019 → 鶴岡1102
羽越本線225D キハ47 516
撮影(鶴岡駅):
2008M[1103] 特急いなほ8号(T14編成)
鶴岡駅前1144(+2) → 羽黒センター1220
庄内交通バス
羽黒山五重塔観光
羽黒センター1315 → 鶴岡駅前1350
庄内交通バス
撮影(踏切):
4075レ[1406(+207)] EF510-2
851レ[1416] EF510-8
鶴岡1428(+4) → 小波渡1451(+4)
羽越本線228D キハ47 1512
撮影(下り線後追い):
827D[1455] 普通列車(キハ40 2連)
撮影(俯瞰):
4061レ[1512(+340)] EF81 716
撮影(小波渡駅):
95レ[1526(+95)] EF510-17
828D[1529] 普通列車(キハ40 3連)
4094レ[1553] EF510-7
撮影(下り線後追い):
229D[1609] 普通列車(キハ40 2連)
撮影(小波渡駅):
2012M[1623] 特急いなほ12号(T11編成)
830D[1637] 普通列車(キハ40 2連)
撮影(俯瞰):
2007M[1713] 特急いなほ7号(T編成)
829D[1731] 普通列車(キハ40 2連)
小波渡1815 → あつみ温泉1825
羽越本線832D キハE120-1
あつみ温泉1834 → 神社前1841
庄内交通バス
瀧の屋入浴
あつみ温泉2055 → 村上2200
羽越本線834D キハ40 584
村上泊
・冷雨の朝
特急いなほをあつみ温泉で降りると、容赦なく雨が降りつけてきた。気の滅入る、陰鬱な朝だ。小岩川方面にてくてくと歩く。道中、登校中の小学生とすれ違う。そうか、そんな時間か。旅行の楽しみの一つは、現地の日常の中へ突如として放り込まれるところにある。EF510-11率いる2093レとすれ違った後、大岩川の集落にたどり着いた。この辺りは沢が作った入り江ごとに集落が点在する地形で、海岸線を縫うように、あるいは場所によっては山を貫くように、羽越本線が走っている。
上り線を俯瞰撮影する予定だったが、4060レは登る丘を一つ間違えて神社の奥手から高度を稼いでしまったので、何となく雑然としたサイドビューの画面になった。川を渡った時点で谷を越えたと思ったのだが、実は丘の向こう側にもう一つの谷があり、その南側の丘を登らねばならなかったのだった。4連でやって来る822Dは予定地点から狙うことができた。ここでEF81牽引の4060レを仕留められていたら、と思うと残念である。こういう時に限って貨物列車は定刻運転である。運が悪い。
その後さらに南下し、地図によれば境沢という場所に移動する。ここは小岩川~あつみ温泉の定番撮影地で、普通列車1本と、特急いなほの上下1本ずつをとらえる。やはりこういう時に限って、上りの後追いがT編成、下りの正面がR編成である。何もかも、そう上手く運ぶものではない。天候はいくぶんか回復してきた。眼前に広がる早春の日本海は、まだ険しい表情をしているが、しかし雲の切れ間から陽光を受ける場所は鮮やかなエメラルド色に輝いていて、まだら色の様相を呈している。水平線には、かすかながら粟島が見える。
・羽黒山五重塔
のすり氏の案内で、昼は羽黒山の五重塔を見に行く。雨はすっかり止み、日差しも出てきた。鶴岡の駅前からバスに乗ること30分あまり、羽黒センターという終点に到着。平野部の積雪は大したことがなかったが、ここまで登ってくると思いのほか雪が深く、古い杉林の中は冷たい雪に閉ざされている。急な石段と思われる場所は簡単に除雪されているのみで、こうなるとただの斜面である。握雪音に包まれながら山中をしばらく歩くと、ふいに五重塔が林の中に姿を現した。まるで杉林と雪だけの単調な世界に忽然と登場したかのようである。よくぞこんな場所にこれを建てたものだ。東北地方最古の塔らしく、国宝に指定されている。建築の知識があればもっとこの美しさを適切に表現できるのかもしれないが・・・
「違いが分かる」というのは、極めて難しいことだと常日頃から感じている。それは、素人とプロの境目でもある。背景知識の有無いかんでは、同じものを見ていても、実質的にはまったく違うものを見ていることになる。X線写真やCT、MRI画像などはその典型で、知識がなければ、見ていても、見えていない。自分が羽黒山五重塔を見たという状況も、素人には電車、気動車、客車の違いが分からないのとまったく同じで、しばしばこれらが「デンシャ」と総称されるが如く、すべてが一緒くたになって「ゴジュウノトウ」としてしか認識されない。これは、知識に支配された認識、という観点からすれば面白い部分でもありながら、一抹の悲しみを覚える局面でもある。
あと、見たものを説明する「ことば」を知らないと、それも見えていないのと同じである。今回、羽黒山五重塔に甚く感銘を受けたわけだが、その「感銘」とやらを具体的に説明できるほどの語彙は残念ながら持ち合わせていないのだ。感覚の幅広さや質、また思考の深さなどといったものは、結局、持っている語彙に支配されるのではないか、といつも思う。「ことば」とは外界を覗くための窓であって、窓がどれほど広いか、どれほど澄んでいるかは、人によってだいぶ異なるわけだ。「ことば」のもつ力は絶大である。そしてこうして旅行記を書いているのは、「ことば」を模索するための試行錯誤でもある。
・小波渡にて
バスとJRが全く連絡していないため、駅に到着した途端、残酷にも上り普通列車が発車してゆく。駅近くの踏切でEF510牽引の貨物列車を2本撮った後、とっさの思い付きで小波渡へ向かうことにした。JR貨物の輸送情報もようやく撮影に役立ってきた感があり、この調子なら5時間以上遅れているというEF81牽引の4061レを狙えそうである。
小波渡はトンネルに挟まれた小さな駅で、五十川側は複線のトンネルだが、三瀬側は上り線だけの単線トンネルとなっている。下り線はというと海側にカーブして進路を変え、海岸線をなぞるように北上するルートをたどる。旧線と新線が入り乱れた羽越本線は面白い。そういう線形であるから、小波渡から少し歩いて高度を稼いだところにある撮影地からは下り線しか撮ることができない。撮影のハイライトは、日本海に面した集落を横目に駆け抜ける4061レ、事前情報とは異なりT編成でやってきた特急いなほ7号、日没の海をバックに走る829D。827Dと229Dは正面ではなく、少し低いところから後追いで狙ったのだが、左手に広がる海が意外と綺麗な表情を見せた。とくに229Dの方は低い角度で差し込んでくる半逆光の斜光線が車両を艶やかに照らし出し、予想外に上手く撮れた。上り列車については駅撮りでだいたい押さえる。駅と撮影地を3往復もしたので、さすがにくたびれた。最後の撮影を終え、日本海に沈みゆく太陽を見送ると、いよいよ今日の一日が終わりに近づいてきたことを実感。日没の風景は、何度も見ているものでありながら、見飽きることがない。
・温海温泉
夜は温海温泉へ足を運ぶ。駅前から最終のバスが出ている。乗客は我々のみで、日帰り入浴ができる場所を運転手がわざわざ案内してくれた。入ったのは瀧の屋というなかなか綺麗な旅館。今夜は誰も泊まっていないようだ。受付の人がしばらく現れず困ったが、一日の疲労を洗い落とし、ようやく一息ついた。夕食はますもと食堂という所でカツ丼を食する。町はひっそりと静まり返っていて、食堂には地元の人が一人だけ。通りを見渡せば廃業したと思しき旅館も多く、寂れた温泉街といった風情である。かつては社員旅行などで大いに賑わったのだろうが、往時の繁栄に思いを馳せると悲しい気分になる。帰路はタクシーで駅まで戻った。2kmほどの道のりはあっという間である。
長い一日を終え、村上に宿を取る。
写真
1枚目:日本海沿岸をなぞる羽越本線の旅路(@小岩川~あつみ温泉)
2枚目:羽黒山五重塔
3枚目:小波渡の集落を横目に(@小波渡~三瀬)
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