今日も自転車を走らせ、三田へ。いよいよ秋が深まってきたことを感じさせる空気の中、信濃町とはまったくの逆方向へ外苑東通りを快走する。9時からやはり5時間ほど練習していたが、どうも押手がまったく押せず、矢が飛ばない。色々考えてはみたが、やはりおかしい。最後の方などは勝手を強くして何とか中てるという方向に走ってしまい、ひどい有様だった。どうして日によってこうも違うのか、分からない。
「のびのびとひく」ためには、「のびのびとひこう」と思うしかないのか、それとも別のポイントを考えることで実現するのか。やろうと思ってできる場合もあれば、どう考えてもできない場合もある。まあ、やろうと思ってできるのであれば、誰も苦労はしない。ところで、ここでは「思う」「考える」という言葉を何のためらいもなく使ってはいるが、その質、深さ、程度は人によって実にまちまちであり、単純に一般論として述べたり比較したりできる性質のものではない、ということが最近分かってきた。そもそも、ある人の「思う」と別の人の「思う」はまったくの別物かもしれない。いや、別物とみなした方が正しいだろう。
昨日と同じく、三田の駅前で遅い昼食をとる。当然のように講義に出ないのは学生の身分としてどうなのかと思う節もあるが、今週はもう弓に捧げることにした。夕方は代々木へ足を運び、夜まで入り浸る。自転車をフル活用した一日。
写真:函館市街
ここは、そういうスポットなんだろうなw
650文字
「のびのびとひく」ためには、「のびのびとひこう」と思うしかないのか、それとも別のポイントを考えることで実現するのか。やろうと思ってできる場合もあれば、どう考えてもできない場合もある。まあ、やろうと思ってできるのであれば、誰も苦労はしない。ところで、ここでは「思う」「考える」という言葉を何のためらいもなく使ってはいるが、その質、深さ、程度は人によって実にまちまちであり、単純に一般論として述べたり比較したりできる性質のものではない、ということが最近分かってきた。そもそも、ある人の「思う」と別の人の「思う」はまったくの別物かもしれない。いや、別物とみなした方が正しいだろう。
昨日と同じく、三田の駅前で遅い昼食をとる。当然のように講義に出ないのは学生の身分としてどうなのかと思う節もあるが、今週はもう弓に捧げることにした。夕方は代々木へ足を運び、夜まで入り浸る。自転車をフル活用した一日。
写真:函館市街
ここは、そういうスポットなんだろうなw
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