秩父鉄道の夏 Part 1
秩父鉄道の夏 Part 1
秩父鉄道の夏 Part 1
8/28
御花畑821 → 影森824
秩父鉄道1507レ 7500系

撮影(三ノ輪引込線): ※[ ]内に撮影時刻を示す
7104レ[913] 506

影森930 → 親鼻849
秩父鉄道24レ 1007F(リバイバル塗装)

撮影(親鼻駅):
1515レ[955] 1010F(標準塗装)
7104レ・7303レ交換[1000] 506・?

親鼻1020 → 波久礼1038
秩父鉄道1526レ 7500系

撮影(波久礼駅):
1519レ[1038] 1003F(オレンジバーミリオン)

朝の影森
4時45分に起床、5時04分に家を出て09分の始発バスに乗り、たまプラーザを22分に出る各停渋谷行をキャッチ。武蔵溝ノ口、府中本町、新秋津と歩を進め、秋津からは西武線に乗り換え、飯能を経由して一路秩父を目指す。影森の駅に降り立ったのは8時24分。片道3時間あまりの旅である。秩父鉄道は昨年の晩秋にも訪れたが、今回は夏の風景を撮ってみたいということで、前回の行程を概ね踏襲する形で撮影を行う。貨物列車メインの撮影計画を往路の車中で練り、まずは定番、影森から伸びる三ノ輪鉱業所の引込線へと足を運んだ。

御花畑から乗ってきた三峰口行が発車すると間もなく、もともと駅構内に停車していた2編成の貨物列車のうちの1本がおもむろに後退を始め、助走距離を稼いでから一気に力行して急勾配の引込線を駆け上がってゆく。残されたもう1本の編成はまだ眠っているのか、物言わぬ漆黒の貨車を従えた107号機がじっと佇んでいる。急いで後を追うと、まだ列車は引込線の途中で停まっていた。程なくして「シュー」「プシュー」というブレーキの緩解音が至るところから合唱のように聞こえ始め、機関車を付け替えられた列車が重い足取りで所内へと入ってゆく。この工場の中で、武甲山から切り出された石灰石が貨車に満載される。秩父鉄道はセメント輸送こそ廃止されたものの、石灰石を積んだ列車がダイヤの網目をかいくぐって毎日黙々と行き交うさまは非常に撮影欲をそそる。そういう光景が都心からほど遠くない場所で今でも見られるわけだ。先ほどの列車は7104レとなり、506号機を先頭に山を下ってきた。急ぎ目に駅へ戻り、その後を追う影森始発の電車に乗車。カナリア色に褐色の帯を巻いた1000系、正面には「秩父鉄道」の表示がでかでかと入っていて、どこか垢抜けない印象。当時、国鉄から101系電車を譲り受けたわけだが、初期のオリジナル塗装はこんな感じだったということか。

交換風景
和銅黒谷で7104レを追い越し、その先の親鼻では既に停車している下り返空の7303レと、後からやって来る7104レが交換するダイヤになっている。せっかくなので、貨物同士の交換の様子を撮ってみることにした。親鼻駅は上下線のホームが互い違いに配置された駅で、構内はかなり長い。だんだんと日が高くなり気温も上がってくる時刻、ヲキの車列が無言で足を休めている。やがて三峰口方面から7104レが姿を現し、結構なスピードを出して1番線を駆け抜けて行った。通過直前にヘッドライトを点けてくれて嬉しい。文字通り、貨物が「行き交う」様子が撮れたことになる。交換の撮影は一度に二本を収める贅沢な撮り方。駅に跨線橋があったならさらに面白い構図で貨物列車の行き違いを撮影できたことだろう。

後続の電車で親鼻を後にし、次の撮影地を目指して波久礼へ。ちょうど反対側からオレンジバーミリオンの1000系が入ってきた。国鉄101系と大して変わらない出で立ちで、久々に見るこの顔は懐かしい。調べてみると、東急から入ってきた7500系の増殖が著しく、1000系は残すところ1001F、1003F、1007F、1010Fの4編成しか残っていないという。それも今年度中に置き換えられてしまうらしい。21世紀になってもなお活躍を続けていた「新性能電車」の先駆けも、いよいよその歴史に幕を下ろす時が来たようだ。

写真
1枚目:鉱山を出発した7104レ(@三ノ輪鉱業所~影森)
2枚目:貨物列車同士の交換(@親鼻)
3枚目:オレンジバーミリオンの1000系(@波久礼)

1947文字

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