フランス旅行 7日目
フランス旅行 7日目
フランス旅行 7日目
絶対王政の象徴的建築を訪ねる。
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Opéra → Invalides
メトロ【8】号線

Invalides → Versailles-Rive-Gauche
RER【C】線

ヴェルサイユ(Versailles)宮殿、トリアノン(Trianon)

Versailles-Rive-Gauche → Invalides
RER【C】線

Invalides → Opéra
メトロ【8】号線

夕食

Madeleine → Lamarck Caulaincourt
メトロ【12】号線

オ・ラパン・アジル

パリ泊
Baudelaire Opéra

ヴェルサイユ宮殿
今日はRERでパリ郊外ヴェルサイユへ向かう。列車はほぼ全区間を通してのろのろと低速で走り続け、30分ほどでヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ(Versailles-Rive-Gauche)駅に到着。一大観光地の宮殿はこの駅から徒歩10分程度のところにあり、界隈はすでに多くの人で賑わいを見せ始めている。ルイ14世の騎馬像を通り過ぎ、入場券を買って中へ入る。

王室礼拝堂を地階から覗いた後、二階へ上り、ヘラクレスの間、豊穣の間、ヴィーナスの間、ディアーヌの間、マルスの間、メルクリウスの間、アポロンの間と順々に回っていく。この宮殿には基本的に廊下というものがなく、全ての部屋が扉でつながっている。一連の居室群はギリシャ・ローマのそれぞれの神々をテーマにした内装でまとめられている。壮大に描かれた天井画も美しい。ルイ14世は太陽神アポロンを自らの象徴とした。肖像画ではバレエで鍛えた脚線美をアピールし、名言「朕は国家なり」を遺している。冷静に思えば何とも滑稽な話、滑稽な文化だが、その滑稽さも、これでもか、これでもか、というほどの豪華絢爛建築、コンセプトの一貫した内部装飾、ひたすらに誇示される絶対的権力、というところまで来れば、もはや別の境地に達している。ここまで徹底すると、誰も文句は言うまい。

角部屋の戦争の間には、支配者たる国王を中心に据え、敗れ去っていった国々の様子を周囲に配した天井画があり、壁面の捕虜の彫刻が背負っているのはやはり太陽王ルイ14世の騎馬像である。戦争の間に続いて、有名な鏡の間がある。ここは宮殿の西側の回廊全体にあたり、窓外には広大なヴェルサイユの庭園が一望のもとである。牛眼の間を経て王の寝室を見学。国王は毎日、太陽の運行に従った規則正しい生活を送り、近くの部屋には多くの従者が待機していた。意外にも自由やプライバシーの少ない暮らしだったようだ。鏡の間を挟んで戦争の間に遠く対峙するのは平和の間であり、そこからは大会食の間、王妃の寝室などの居室群が連なる。後の悲劇的な運命も知らずに微笑むマリー・アントワネット(Matie-Antoinette)とその家族の肖像画が印象に残る。最後にナポレオンの間を見てから宮殿を後にする。

マリー・アントワネットの離宮
今日は日差しが強くかなり暑い。ダウンを着てきたのは失策である。ヴェルサイユの庭園はとにかく広大で、北側にあるトリアノン(Trianon)や王妃の村里を往復すればゆうに4kmは歩くことになる。園内には15分程度の間隔で運転している便利なトラムが走っているので、これを利用する。宮殿裏の水の前庭から出発したトラムは、ネプチューンの泉で左折してトリアノン大通りを進む。まずはグラン・トリアノンで下車し、ここを見学。宮殿は観光客で混雑していたが、ここはそういった喧騒からは程遠く、ゆったりとした時間が流れている。少し木のこもった香りのする邸内を歩き回るが、落ち着いた雰囲気でなかなか良い。ルイ14世はことのほかここが気に入っていたようだが、もっとも、毎日毎日あの宮殿で暮らしていてはさすがに息が詰まるだろう。現在このグラン・トリアノンは、外国首脳の迎賓館として機能しているらしい。

グラン・トリアノンの北東、歩いて5分ほどの距離にはプチ・トリアノンがある。もとはルイ15世の寵妃ポンパドゥール(Pompadour)夫人のために建てられた離宮だが、完成を前にして彼女は死去している。その後はマリー・アントワネットに与えられ、ここで気ままな生活を送ったという。内部には当時の生活を再現した展示が行われているが、家具や食器などは現代のそれらとさして変わるところがない。文化の原型はすでにこの時代に出来上がっていた。プチ・トリアノンの裏手にはイギリス式の庭園が造られており、くねくねとした小径や小川、池などが田園を模した風景の中に巧妙に配され、直線的で左右対称、そして広大な大庭園とは全く異なる趣を見せている。王妃の村里と呼ばれる一角には12軒の農家からなる村が人工的に造られ、王妃自ら牛の乳搾りや釣りのまねごとなどをして悠長に遊んでいたらしい。実際に人を雇って農民役としてここに住まわせていたというから驚きである。

大運河を回ってから帰る予定だったが、プチ・トリアノンからトラムに乗り込んだ時点ですでにトラムが満席であったのでそのまま宮殿へ直帰する。現に、大運河では大量の積み残しが発生していた。そろそろ日差しも西へ傾いてきたから、パリ市内へ戻るとしよう。

オ・ラパン・アジル
夜は、パリ観光初日に訪れたモンマルトルのシャンソニエ、オ・ラパン・アジルを訪ねる。店内は相当に薄暗く、赤を基調とした照明でまとめられている。ステージのようなものはなく、地下室のような狭い部屋の中で歌い手が次々とテーブルで合唱したり、あるいはピアノの脇に立って独唱したりする。ここにはピカソ(Picasso)やモディリアーニ(Modigliani)も足繁く通ったといい、往時の内装がそのまま残されていて興味深い。オリジナルのサクランボのリキュールを片手に、異国の音楽に聴き入る。アコーディオンを弾きながら歌う中年の女性歌手がかなり上手であった。娯楽としてのシャンソンは凋落気味で、昔ながらの歌が聴けるのもパリではここくらいになったらしい。店内にはもちろん常連客らしき人々もいたが、奥の方にはアメリカ人と思しき団体客が大勢座っていた。店は観光客にはかなり慣れている感じだったが、そういった路線へも舵を切らないとそろそろ厳しいのだろうか。

帰りはタクシーで宿へ戻る。そろそろ旅行も終盤である。

写真
1枚目:鏡の間
2枚目:プチ・トリアノン
3枚目:オ・ラパン・アジル

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