フランス旅行 3日目
2012年3月12日 鉄道と旅行
アルザス地方へ。
・一路東進
7時半頃に宿を出て、メトロで東駅へ向かう。東欧方面の長距離列車が数多く発着するこの駅はコンコースも広く立派である。トーマス・クック時刻表によれば8時24分発のモスクワ行夜行列車があるはずなのだが、どうやらその表示が出ていない。勘違いをしたか。それはそうと、写真を撮るのに心を奪われ、切符の刻印(コンポスタージュ)を行うのをすっかり忘れていた。気付いたのはTGVの指定の座席に着いてからしばらく経ってからで、もはや発車直前時刻であった。これは検札で罰金を払うことになるのかと思いきや、ボックス向かい側の青年グループや通路向かいの人々もどうやら切符に刻印をしていないように見受けられる。結局、検札時には何も言われることはなかった。これは終点ストラスブールまでのノンストップ列車であるから、特に問題はないのだろう。
専用線に入ったTGVは快調に飛ばしてゆく。有り余る土地を贅沢に鉄道用地として利用し、広大な平原の中を一直線に突き抜ける。車窓は濃い朝霧。ドライアイスのように煙る空気を通して車内に差し込む朝日は、眠い目には鈍くも眩しい。パリを少し離れただけでまるで十勝平野のような景色、これぞ農業大国フランスの姿である。出発2時間弱で列車は専用線を降り、車窓は突如山線へと変貌する。ヴォージュ(Vosges)山脈の北端を越え、まさにロレーヌ(Lorraine)からアルザス(Alsace)へ入ろうとしているところだ。右へ左へとカーブが連続し、低速ながらかなり横揺れするのであまり快適ではない。フランスの鉄道はその大部分の線形が良いために、こうした山越え区間の運転は得意ではないのだろう。悪い線形など当たり前という日本では、振子式車両を導入しているところである。貨物駅を横目に、少し遠くには大聖堂の尖塔が見えてきた。定刻にストラスブールに到着である。
・ストラスブール
宿の手配はしていなかったので、まずはホテルを探す。一軒目のMaison Rougeはあいにく満室、二軒目のHôtel de l’Europeは幸いにも唯一の空室があり、それも普通であれば上等の部屋に廉価で泊まることができた。当日だとこういうことがあるから面白い。高い正規料金を示して他のホテルに行かれるよりも、安くても泊まってもらった方が得ということだろう。荷物を置いた後は、街の散策に出かけるとする。
ストラスブールはアルザス地方の中心都市で、ドイツ領になったりフランス領になったりを繰り返してきた複雑な過去を持つ。アルザスはドイツの影響を受けつつも独自の文化を育んできたとはいわれるが、文化圏としては完全にドイツに属するだろう。イル(Ill)川に囲まれた島には、まるでおとぎ話に出てくるような白壁に黒い木組みの家々が美しい町並を作っている。とくにプチット・フランス(Petite France)と呼ばれる一帯は、穏やかな運河沿いにこれらの家々が立ち並び、今日のように晴れた日の散策には絶好の場所である。街をゆく人々の体格や表情もパリとは全く異なり、みな背が高く頑健そうで、ゲルマン民族の血がかなり濃いようだ。
ホテルからほど近いプチット・フランス付近を歩いた後、島の西端で運河沿いにあるブラッセリー、Au Petit Bois Vertで昼食をとる。アルザス名物と言われるシュークルート(choucroute)やタルト・フランベ(tarte flambée)を注文。ビールはプランタン(Printemps)を薦められたが、褐色調でコクがありながらもかなり飲みやすい。シュークルートは豚肉とソーセージにジャガイモとザワークラフト(酸味のあるキャベツの漬物)をつけ合わせた素朴な郷土料理で、漬物の酸味と肉の味が絶妙に合う。タルト・フランベは薄いピザのような料理で、クリームチーズが具と一緒になっていて美味しい。一皿の量が莫大で日本で言うところの二人前くらいはあるだろう。満腹感は大きい。川には島を一周する遊覧船がゆったりと巡航し、岸辺には昼下がりの温かい日差しの中、人々が思い思いの時間を過ごしている。
食後は中洲に架かる橋を渡りながらそぞろ歩き。島内の旧市街に入ると、漆喰塗りの建物の合間を狭い石畳の道が縫うように走っている。地震など到底起こり得ないから、こういう古い町並が現在に至るまで残っているのだろう。大通りにはトラムが走っている。白いヘビのような車両で、洗練された近代的デザインが意外と旧市街の風景にうまく溶け込んでいて面白い。さらに東へ歩いていくと、ノートル・ダム(Notre-Dame)大聖堂の尖塔が姿を現してきた。聖堂前の広場に出ると、息をのむほど巨大にして壮麗なファサードが視界に飛び込んでくる。11世紀ゴシック建築の傑作で、天を突く尖塔は142mもあるという。レース模様のような緻密な造形にはただただ驚嘆するばかりで、重機の一つさえなかった時代によくぞ石を積み上げてこれほどの建築を完成させたものである。淡いピンク色の石は午後の柔らかい日差しを受けるが、ファサード装飾の微細な凹凸はそれぞれが黒い影を形作っていて、まるでどこかの生きた組織を目にしているかのようだ。
聖堂の内部を見学した後、周囲を散策。この辺りは学生が多い。ストラスブールで最も美しいといわれるカンメルゼン(Kammerzell)の家は聖堂のすぐそばにあった。その後、広場のカフェで休憩。気が付けばもう夕方である。賑やかなグーテンベルグ(Gutenberg)広場を通り過ぎ、Charles Woerléという菓子屋でショウガのクッキーを買った。アルザス地方の素朴な菓子だという。サン・トマ(St-Thomas)教会を横目にプチット・フランスの方角へ歩き、夕暮れの運河沿いへと戻って来る。サン・マルタン(Saint-Martin)橋から眺めるプチット・フランスのライトアップは意外にも控えめであるが、水門の近くの川面はカラフルに彩られている。夕食は橋のたもとにあるその名もAu Pont Saint Martanというレストランに入った。山羊のチーズのサラダ、鶏肉の白ワイン煮など、今宵の食卓にもアルザスの郷土料理が並ぶ。鶏肉は実に柔らかく美味。アルザスのワインは辛口の白が主体だが、唯一の赤ワインにピノ・ノワール(Pinot Noir)がある。香り高いが、料理に合って飲みやすかった。レストランは運河沿いの三層構造の建物で、下層は水面と同じ高さにあるのできっと船に乗っているような気分だろう。店内は船室をイメージした木目調でまとめられている。上層には団体客が入っているようだ。もう一度ストラスブールを訪れることがあれば、是非とも再訪したいところである。
食後は、ふたたび大聖堂を見に行ってから宿へ戻った。荘厳ながらも不気味にライトアップされた大聖堂はぞっと夜闇に浮かび上がり、何とも形容しがたい異様な貫録を見せつけてくる。広場で独り笛を吹く男がいた。哀愁漂うメロディーがストラスブールの夜に響き渡る。
写真
1枚目:シュークルート
2枚目:プチット・フランス
3枚目:ノートル・ダム大聖堂
3216文字
3/12
Opéra → Gare de l’Est
メトロ【7】号線
Paris Est 825 → Strasbourg 1044
TGV 2407
ストラスブール観光
ストラスブール泊
Hôtel de l’Europe
・一路東進
7時半頃に宿を出て、メトロで東駅へ向かう。東欧方面の長距離列車が数多く発着するこの駅はコンコースも広く立派である。トーマス・クック時刻表によれば8時24分発のモスクワ行夜行列車があるはずなのだが、どうやらその表示が出ていない。勘違いをしたか。それはそうと、写真を撮るのに心を奪われ、切符の刻印(コンポスタージュ)を行うのをすっかり忘れていた。気付いたのはTGVの指定の座席に着いてからしばらく経ってからで、もはや発車直前時刻であった。これは検札で罰金を払うことになるのかと思いきや、ボックス向かい側の青年グループや通路向かいの人々もどうやら切符に刻印をしていないように見受けられる。結局、検札時には何も言われることはなかった。これは終点ストラスブールまでのノンストップ列車であるから、特に問題はないのだろう。
専用線に入ったTGVは快調に飛ばしてゆく。有り余る土地を贅沢に鉄道用地として利用し、広大な平原の中を一直線に突き抜ける。車窓は濃い朝霧。ドライアイスのように煙る空気を通して車内に差し込む朝日は、眠い目には鈍くも眩しい。パリを少し離れただけでまるで十勝平野のような景色、これぞ農業大国フランスの姿である。出発2時間弱で列車は専用線を降り、車窓は突如山線へと変貌する。ヴォージュ(Vosges)山脈の北端を越え、まさにロレーヌ(Lorraine)からアルザス(Alsace)へ入ろうとしているところだ。右へ左へとカーブが連続し、低速ながらかなり横揺れするのであまり快適ではない。フランスの鉄道はその大部分の線形が良いために、こうした山越え区間の運転は得意ではないのだろう。悪い線形など当たり前という日本では、振子式車両を導入しているところである。貨物駅を横目に、少し遠くには大聖堂の尖塔が見えてきた。定刻にストラスブールに到着である。
・ストラスブール
宿の手配はしていなかったので、まずはホテルを探す。一軒目のMaison Rougeはあいにく満室、二軒目のHôtel de l’Europeは幸いにも唯一の空室があり、それも普通であれば上等の部屋に廉価で泊まることができた。当日だとこういうことがあるから面白い。高い正規料金を示して他のホテルに行かれるよりも、安くても泊まってもらった方が得ということだろう。荷物を置いた後は、街の散策に出かけるとする。
ストラスブールはアルザス地方の中心都市で、ドイツ領になったりフランス領になったりを繰り返してきた複雑な過去を持つ。アルザスはドイツの影響を受けつつも独自の文化を育んできたとはいわれるが、文化圏としては完全にドイツに属するだろう。イル(Ill)川に囲まれた島には、まるでおとぎ話に出てくるような白壁に黒い木組みの家々が美しい町並を作っている。とくにプチット・フランス(Petite France)と呼ばれる一帯は、穏やかな運河沿いにこれらの家々が立ち並び、今日のように晴れた日の散策には絶好の場所である。街をゆく人々の体格や表情もパリとは全く異なり、みな背が高く頑健そうで、ゲルマン民族の血がかなり濃いようだ。
ホテルからほど近いプチット・フランス付近を歩いた後、島の西端で運河沿いにあるブラッセリー、Au Petit Bois Vertで昼食をとる。アルザス名物と言われるシュークルート(choucroute)やタルト・フランベ(tarte flambée)を注文。ビールはプランタン(Printemps)を薦められたが、褐色調でコクがありながらもかなり飲みやすい。シュークルートは豚肉とソーセージにジャガイモとザワークラフト(酸味のあるキャベツの漬物)をつけ合わせた素朴な郷土料理で、漬物の酸味と肉の味が絶妙に合う。タルト・フランベは薄いピザのような料理で、クリームチーズが具と一緒になっていて美味しい。一皿の量が莫大で日本で言うところの二人前くらいはあるだろう。満腹感は大きい。川には島を一周する遊覧船がゆったりと巡航し、岸辺には昼下がりの温かい日差しの中、人々が思い思いの時間を過ごしている。
食後は中洲に架かる橋を渡りながらそぞろ歩き。島内の旧市街に入ると、漆喰塗りの建物の合間を狭い石畳の道が縫うように走っている。地震など到底起こり得ないから、こういう古い町並が現在に至るまで残っているのだろう。大通りにはトラムが走っている。白いヘビのような車両で、洗練された近代的デザインが意外と旧市街の風景にうまく溶け込んでいて面白い。さらに東へ歩いていくと、ノートル・ダム(Notre-Dame)大聖堂の尖塔が姿を現してきた。聖堂前の広場に出ると、息をのむほど巨大にして壮麗なファサードが視界に飛び込んでくる。11世紀ゴシック建築の傑作で、天を突く尖塔は142mもあるという。レース模様のような緻密な造形にはただただ驚嘆するばかりで、重機の一つさえなかった時代によくぞ石を積み上げてこれほどの建築を完成させたものである。淡いピンク色の石は午後の柔らかい日差しを受けるが、ファサード装飾の微細な凹凸はそれぞれが黒い影を形作っていて、まるでどこかの生きた組織を目にしているかのようだ。
聖堂の内部を見学した後、周囲を散策。この辺りは学生が多い。ストラスブールで最も美しいといわれるカンメルゼン(Kammerzell)の家は聖堂のすぐそばにあった。その後、広場のカフェで休憩。気が付けばもう夕方である。賑やかなグーテンベルグ(Gutenberg)広場を通り過ぎ、Charles Woerléという菓子屋でショウガのクッキーを買った。アルザス地方の素朴な菓子だという。サン・トマ(St-Thomas)教会を横目にプチット・フランスの方角へ歩き、夕暮れの運河沿いへと戻って来る。サン・マルタン(Saint-Martin)橋から眺めるプチット・フランスのライトアップは意外にも控えめであるが、水門の近くの川面はカラフルに彩られている。夕食は橋のたもとにあるその名もAu Pont Saint Martanというレストランに入った。山羊のチーズのサラダ、鶏肉の白ワイン煮など、今宵の食卓にもアルザスの郷土料理が並ぶ。鶏肉は実に柔らかく美味。アルザスのワインは辛口の白が主体だが、唯一の赤ワインにピノ・ノワール(Pinot Noir)がある。香り高いが、料理に合って飲みやすかった。レストランは運河沿いの三層構造の建物で、下層は水面と同じ高さにあるのできっと船に乗っているような気分だろう。店内は船室をイメージした木目調でまとめられている。上層には団体客が入っているようだ。もう一度ストラスブールを訪れることがあれば、是非とも再訪したいところである。
食後は、ふたたび大聖堂を見に行ってから宿へ戻った。荘厳ながらも不気味にライトアップされた大聖堂はぞっと夜闇に浮かび上がり、何とも形容しがたい異様な貫録を見せつけてくる。広場で独り笛を吹く男がいた。哀愁漂うメロディーがストラスブールの夜に響き渡る。
写真
1枚目:シュークルート
2枚目:プチット・フランス
3枚目:ノートル・ダム大聖堂
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