東北旅行 3日目
東北旅行 3日目
東北旅行 3日目
美しき日本海に心を洗われる。
2/29
大館812(+3) → 秋田943(+1)
奥羽本線3640M 快速 クハ700-13

秋田951 → 小砂川1108
羽越本線534M クモハ701-33

羽越本線撮影(3098レ・543M・540M・2010M・2005M・549M)

小砂川1627 → 酒田1655
羽越本線542M クハ700-19

酒田観光

2/29 → 3/1
酒田2301 → 高崎512
羽越本線・信越本線・上越線2022レ 特急あけぼの
オハネフ25 201

3/1
高崎528 → 高麗川649
高崎線・八高線220D キハ111-206

高麗川658 → 立川745
八高線・青梅線3716E・716H 快速 モハE232-609

立川756 → 武蔵溝ノ口835
南武線732F クハ204-24

南下
今日は予定を変更し、羽越本線を撮ることにする。永らくの夢であった白沢~陣場の有名撮影地であけぼのと日本海の姿を拝むことができないのは何とも残念な話だが、昨夜発が両列車とも運休になっている以上は潔く諦めざるを得ない。むしろこういう時こそ、普段は目にすることのない美しい風景との意外な出会いがあるものだと思っている。いくぶんゆったりとした朝を過ごした後、大館を8時過ぎに発つ快速列車で秋田まで出る。この3640Mは大館~秋田を1時間33分で結ぶ俊足ぶりで、その速達性は特急と遜色ない。さらに、一番列車の3626Mは停車駅が特急とほぼ変わらず、終着秋田までの所要は1時間26分とこの区間の全ての特急を凌いでいる。では特急の意義はといえば、青森から秋田まで「乗り換えなしでそこそこ速い」という部分に落ち着くのだろうか。

秋田では9分の接続で酒田行に乗り換える。ここから先は羽越本線に入り、時刻表の紙面を見るとダイヤはずいぶん閑散としたものへ変わる。下浜を過ぎたあたりから日本海が車窓に見え隠れするようになり、沿岸の風景も荒涼とした砂丘や松原へと変貌してゆく。ちらりと見えた道路標識によると、道川の近くには「日本ロケット発祥の地」なる記念碑が立っているようだ。そういえば二つ先の駅は羽後亀田、松本清張『砂の器』の序盤で「カメダ」から連想された最初の地名である。小説の通り、この付近の道川海岸には東大の秋田ロケット実験場があったらしい。秋田で買った鶏めしを食べながら車窓を眺めていると、羽後岩谷から多くの高校生が乗って来たが、彼らは象潟の一つ手前の金浦でみな下車していった。象潟が近くなるといよいよ車窓左手には鳥海山の山容が見えるようになり、山形との県境が近付いてきたことを思わせる。

快晴の海岸線
選んだ撮影地は小砂川~上浜。S字カーブを曲がって来た列車の背後に日本海を配する構図はあまりにも有名。この地点の他にもいくつかポイントはあるようなので、歩いてロケハンを行いつつ気楽に撮影を行うとしよう。小砂川の集落を抜けて国道7号線に合流し、しばらく上浜方面へ北上。廃業したガソリンスタンドの手前から海の方へ抜ける道に入ると、眼下には絶景が展開していた。海にせり出した奇岩との間に線路が切り通され、白波砕ける岩場の海岸線を見下ろすような形で単線の線路が敷かれている。北の方角を望めば、すぐ向こうには広大な砂浜と松原が広がり、延々と海岸線が続いている。小砂川の一つ隣の女鹿からはもう山形県に入るから、ここではちょうど秋田県の最南端から遥か男鹿半島までの海岸線を眺めていることになるわけだ。海を見渡せば、波は至って平穏、深い紺青色を湛えた悠々たるうねりが周期的に押し寄せてくる。空には雲ひとつなし。海の青と好対照をなして、白昼の燦々たる陽光をいっぱいに反映して、澄んだ水色の天空がどこまでも広がっている。水平線には、何やら島影が見える。あれは飛島だろう。起伏に乏しい台地状の姿がぽっかりと海に浮かんでいる。酒田から40kmほどの沖合いに位置する、山形県の海上の孤島である。海岸を見下ろせば、磯で貝を集めている老婆の姿がある。もう一人、釣り人も近くにいるようだ。一方で内陸の方に目をやると、鳥海山の独特の山容が頭をのぞかせている。何とも風光明媚でのどかな一帯である。

酒田を11時12分に発車する下り貨物4075レを待ってみたが、どうもやって来ない。連日の悪天候で日本海縦貫線を直通する列車はダイヤが乱れに乱れているようだ。崖の上を少し駅寄りに移動して、上り列車を順光で待つことにする。貨物についてはダイヤが役に立たず半ば諦めていた矢先、重厚なモーター音と機関車特有の走行音がかすかに耳に入ったかと思いきや、次の瞬間には向こうからEF81 119率いる長大編成の貨物列車が姿を現した。慌ててカメラを構えて数枚を撮影。3098レが50分ほど遅れて通過したものと思われる。その後、この貨物と小砂川で交換してきたと思しき下り普通543M、そして上り普通540M、上り特急いなほ10号を続けて撮影。下りの貨物は相変わらず来ない。

撮影の合間は何となしに海を眺める。その青色はまるで、己の心に絡まった幾多もの雑念を吸い込んでくれているようで、次第に心はすっきりと空っぽになってゆく。飛島の島影や、空間全体をきっぱりと分画する水平線、単純ながら奥深い青色の色彩、どこまでも続く海岸線などを見ていると、日常で抱いていた数々の負の感情だとか、レトロスペクティブな思考、そしてその思考の産物が自らに与える苦しさや悔しさ、そういったものが良い意味でどうでも良くなってくる。難解や煩雑という概念からは一切無縁のこの時空間に全身を曝露することで、次第に自分自身も美しく浄化されてゆくような気分になるのだ。そんなに複雑に考えないで、また真摯に地道にやれば良いじゃないかと、そう決心したわけである。

少し撮影地を移動する。大師庵と書かれた廃屋を過ぎてしばらく歩いたところから、下り特急いなほ5号のサイドを狙うことにする。ここは有名ポイントからすぐ近くの場所で、手前の風景が雑然としているのが難点ではあるが、背後に砂浜の海岸線を配することができる。485系3000番台は車端部の色彩がアクセントになっていて側面から撮ると意外にもメリハリがつく。撮影後はのんびり歩きながら駅へ戻る。下り549Mは凄まじい逆光の中、太陽と海をメインで撮ってみたものの、列車が真っ黒につぶれてしまい今一つ訳の分からない写真になってしまった。移動中に見かけた案内板の内容を以下にメモしておく:
鳥海山の第三期活動によって猿穴から噴出した溶岩は西に流れて日本海に及び、吹浦、三崎から大須郷までの岩石海岸をつくった。このあたりはその北端で、滄海を前にして左に飛島、右に男鹿の寒風山を望む眺望絶佳の断崖である。徍年の古道はこの崖下の海辺の観音堂、こんこんと湧き出る泉の傍を通った。元禄二年(一六八九年)六月十六日にそこを過ぎた芭蕉が『奥の細道』に「山を越え」の次に「磯を伝い」と書いたのは、その叙述であろう。明治国道はここに開かれ、明治二十六年(一八九三年)八月十日、正岡子規が旅してここの野々茶屋に宿をとった。『はて知らずの記』には次のように記されている。

夕陽に馬洗いけり秋の海
行き暮れて大須郷に宿る、松の木の間の二軒家にして、あやしき賎の住居なり、楼上より見渡せば、鳥海、日の影を受けて東窓に当れり。

峠の茶屋 大師庵主

これは廃屋となった大師庵の近くの広場にあったものである。芭蕉といえば象潟まで旅をしたことが知られているが、まさにここはゆかりの地だったということか。旧道は崖下の海岸線を通っていたというから驚きである。正岡子規については、宿をとったとされる民家の跡地に案内板が立っていた:
正岡子規が宿泊した「野の茶屋」跡

明治二十六年(一八九三)に『おくのほそ道』をたどって奥州を旅した正岡子規は、八月十日、酒田から吹浦を経て象潟に向かう途中、日が暮れたため大須郷の宿に宿泊した。その宿が、当時漁業のかたわら旅人宿を営んでいた「野の茶屋」であり、現在の菅原家である。
子規は、亡くなるほぼ一年前の明治三十四年(一九〇一)に書いた『仰臥漫録』という随筆で、大須郷の宿で食べた岩ガキにふれ、「ウマイ ウマイ 非常にウマイ 新シイ 牡蠣ダ 実ニ思イガケナイ一軒家ノ御馳走デアッタ」と絶賛している。

にかほ市

昨夏の南紀旅行の徐福茶屋もそうだったが、旅先で思いがけず出会う歴史のひとかけらは意外にも魅力的である。

酒田の夜
16時27分の列車で小砂川を去り、いよいよ山形に入る。今日は撮影を満喫した。4年前の冬に訪れた吹浦~女鹿の撮影地を懐かしみつつ、車内に射し込んでくる夕陽に包まれてしばしの眠りに落ちる。酒田には30分ほどで到着。駅横の物産館で亀の尾の純米吟醸原酒を3本目の土産として手に入れた後、ロッカーに荷物を預けて黄昏の街へ繰り出す。

歩くこと20分あまり、だいぶ海が近くなってきたところで山居倉庫に到着。すでに営業は終了しており、扉から漏れる白熱灯の明かりがいくぶん幻想的であった。ライトアップが行われているかと期待していたもののただ宵闇に沈みゆくだけであったので、簡単に撮影してから街の中心部へと引き返すことにする。「兵六玉」という店に入り、日本酒を飲む。初孫 魔斬、菊勇 生 吟醸、杉勇 特別純米原酒、初孫 春吟醸。量にして四合瓶は空いたか・・・杉勇が特にすっきりと飲みやすく、香りも格調高く、それでいて気張らない味で美味しかったように思う。刺身や豆腐料理、豪勢な串焼き、煮付けにも大満足。山形産の新しい米、つや姫のおにぎりも頂いたが、これも旨い。贅沢な移動時間、鉄道撮影、あてもない街の散策、そして夜には当地の酒と郷土料理を味わう、これほどの至福が他にあるだろうか。

あけぼのの発車まではまだ時間があったので、LUXEMBOURGというバーへ入る。旅先でのバーというのも味があって良い。ゆったりとした非日常のひと時を過ごした後、駅へ向かうとする。ところが、道が分からない。いや、夕方はしっかり地図を読んで歩いて来られたのだが、酩酊したせいかどうも方向感覚が狂ってしまって自力では駅に戻れそうにない。道をゆくタクシーはみな飲み屋への迎車のようで、手を挙げても停まってくれない。発車時刻まであと15分ほどになりさすがに焦って来た頃、幸いにも一台のタクシーが空車で停まってくれた。聞けば、東京のタクシーみたいに「流し」はやっていないのだという。今回拾えたのは本当に偶然で、こちらでは電話して来てもらうというのが普通らしい。それもそうか。酒田の街に別れを告げ、改札へ向かう。

帰路
三脚をバーの前に置き忘れてきたことに気が付いたのは乗車直前。しかし時すでに遅し。半分正体を失っていたのであまり思考も回らず、ゴロンとシートで指定された上段寝台までたどり着くや否や、泥のように眠りこける。今から思えば、眼鏡やらカメラやらをその辺に放置したまま、カーテンも引かず、コートも脱がず、高崎到着を前に車掌に起こされるまでマグロのように寝台に横たわっていたわけだが、よく盗難に遭わなかったものだ。酔いが醒めてから切符を見ると、乗車券と指定券にしっかりと「秋田運輸区」の判が捺してある。検札の記憶などまったくないのだが、ひとりでに取り出したのだろうか。部分的に記憶も飛んでいるから恐ろしい。それに三脚を失ってしまったし、これは反省に値するだろう。

乗車券を東京都区内から武蔵溝ノ口までの一筆書きで作った関係で、あけぼのは高崎で下車し、八高線、青梅線、南武線経由で帰る。半ば放心状態で、木曜の朝の通勤ラッシュに揉まれながら旅行は終極を迎えた。

写真
1枚目:EF81牽引貨物列車(@上浜~小砂川)
2枚目:特急いなほ(@小砂川~上浜)
3枚目:バーに入る

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