元日の日記を読み返してみると、こなすべきことは当然のごとく淡々とこなし、要領とか手際とか、そういう俗な概念の及ばない境地を何とか模索するということを極めて抽象的な目標に掲げていた。まあ、やることは今まで通りやってきたつもりだし、少なくともサボったりはしていない。それに伴い日々考えるところもだんだんと大きくなってきたが、かつてなく独自色が強くなり独善に走ってきた感さえある。
・能力と才能は信頼と評価に直結する
今年一番強く思ったことといえばこれか。人間を真に評価する基準はつまるところ個々人の本質的な能力なり才能なりであって、いわゆるうわべのコミュニケーション力だとか人付き合いの上手さだとかは所詮付随的なものでしかない。別にこれらを軽視したり要らないと言ったりしているわけではなくて、本当に力があればそういうものは大した問題にはならないはずだし、むしろ個々人の能力や内容に応じて然るべき人間関係が時間をかけながら醸成されてゆくものだと考えている。したがって、中身が伴わなければ残念ながら中身のない関係しかできてこない。
・能力を磨く
そう考えてみると、外枠を固めるよりも内側を充実させることが第一義である。勉強に関しては、今は問答無用で取り組む時ではないかと思う。「これは自分のやるべきことじゃない」とか「通りさえすれば良い」とか言っているのではやはり学んでいる意味がないし、どんどん中身が貧弱になっていってしまう。ただ、どうも盲目的な努力というのが蔑視される風潮がある感は否めない。まだスタートラインに立ってすらいないのだから、やるべきことをやる必要がある。つまり、常に地に足をつけていなければいけない。もちろん、その過程でどれほど思考を深めていけるかがスタート後のベクトル(大きさと向き)をかなりの程度で決定することになろう。
今年の代々木は充実していた。能力を磨けたかどうかは定かではないが、いかにして的確な道を指南することができるのか、試行錯誤の繰り返しであった。ただ間違いなく言えるのは、一個人の努力は何らかの形態を伴って他の一個人に影響を与えるということで、その影響の善悪や程度は一種の能力の結果として出てくる。まあそれは何事にも言えることか。
・心の鏡を見る
自分はどうしても醜悪な独善に陥りがちである。中高のときからそうであったが、何でも物事を効率良くこなすようないわゆる要領の良い人間ではないし、どうでも良いようなところばかりにしつこくこだわったり、しばしば全体像を見失ったりもしている。もっとストレートでシンプルな感じ、よじれていた紐がするりと解けるような明快な感じが欲しい。
弓は自分の醜い部分を実に良く映してくれる鏡である。結果は的中となって表れ、誰よりも厳しく己を戒める。全体を見渡す力、というのが欠けていた。論理は論理で大切ではあるけれども、もっと総合的に対象を直観する力が人に比べて劣っている。したがって知らず知らずのうちに己の考えばかりに拘泥して、自分では素直になっているつもりであっても実は何も他人から学べていなかったりする。実際、自分の能力という部分ばかりに目が行ってしまって、教えることから教わることもあるという、そういう基本的なことさえ見失っていた時期もあった。これは来年に向けて改善したい。
・大晦日
獺祭の二割三分を愉しむ。上質な吟醸香と深遠な米の味。深酒して寝てしまい、気が付けば23時半。年内に書き上げるつもりだったのに、日記の更新が年明けになってしまったw
写真:特急あけぼの@上野
縦構図で切り取る。
1652文字
・能力と才能は信頼と評価に直結する
今年一番強く思ったことといえばこれか。人間を真に評価する基準はつまるところ個々人の本質的な能力なり才能なりであって、いわゆるうわべのコミュニケーション力だとか人付き合いの上手さだとかは所詮付随的なものでしかない。別にこれらを軽視したり要らないと言ったりしているわけではなくて、本当に力があればそういうものは大した問題にはならないはずだし、むしろ個々人の能力や内容に応じて然るべき人間関係が時間をかけながら醸成されてゆくものだと考えている。したがって、中身が伴わなければ残念ながら中身のない関係しかできてこない。
・能力を磨く
そう考えてみると、外枠を固めるよりも内側を充実させることが第一義である。勉強に関しては、今は問答無用で取り組む時ではないかと思う。「これは自分のやるべきことじゃない」とか「通りさえすれば良い」とか言っているのではやはり学んでいる意味がないし、どんどん中身が貧弱になっていってしまう。ただ、どうも盲目的な努力というのが蔑視される風潮がある感は否めない。まだスタートラインに立ってすらいないのだから、やるべきことをやる必要がある。つまり、常に地に足をつけていなければいけない。もちろん、その過程でどれほど思考を深めていけるかがスタート後のベクトル(大きさと向き)をかなりの程度で決定することになろう。
今年の代々木は充実していた。能力を磨けたかどうかは定かではないが、いかにして的確な道を指南することができるのか、試行錯誤の繰り返しであった。ただ間違いなく言えるのは、一個人の努力は何らかの形態を伴って他の一個人に影響を与えるということで、その影響の善悪や程度は一種の能力の結果として出てくる。まあそれは何事にも言えることか。
・心の鏡を見る
自分はどうしても醜悪な独善に陥りがちである。中高のときからそうであったが、何でも物事を効率良くこなすようないわゆる要領の良い人間ではないし、どうでも良いようなところばかりにしつこくこだわったり、しばしば全体像を見失ったりもしている。もっとストレートでシンプルな感じ、よじれていた紐がするりと解けるような明快な感じが欲しい。
弓は自分の醜い部分を実に良く映してくれる鏡である。結果は的中となって表れ、誰よりも厳しく己を戒める。全体を見渡す力、というのが欠けていた。論理は論理で大切ではあるけれども、もっと総合的に対象を直観する力が人に比べて劣っている。したがって知らず知らずのうちに己の考えばかりに拘泥して、自分では素直になっているつもりであっても実は何も他人から学べていなかったりする。実際、自分の能力という部分ばかりに目が行ってしまって、教えることから教わることもあるという、そういう基本的なことさえ見失っていた時期もあった。これは来年に向けて改善したい。
・大晦日
獺祭の二割三分を愉しむ。上質な吟醸香と深遠な米の味。深酒して寝てしまい、気が付けば23時半。年内に書き上げるつもりだったのに、日記の更新が年明けになってしまったw
写真:特急あけぼの@上野
縦構図で切り取る。
1652文字
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