フランス・イタリア旅行 2日目
2011年3月15日 鉄道と旅行
国際夜行列車に乗る。
・朝
モンパルナス(Montparnasse)駅に向かう。パリの地下鉄は市内移動には重宝するものの、設備はだいぶ雑然としていて、地下通路はタイル張りの坑道といった風である。客層も良いとはいえず、気を抜いていたらあっさりと荷物を引ったくられそうな険悪な空気がそこら中に充満している。夜間は犯罪も多発するという。モンパルナスはターミナル駅の一つだが、開放的な高いドームに覆われているわけではなく、整然と並んだ頭端式ホームにコンクリートの無機質な柱が林立し、のしかかる駅ビルを支えている。ホームは暗いが湿った感じはなく、停まっているTGVの銀色が硬質で冷たい雰囲気を添えている。朝食はコンコース手前の喫茶店で食べたが、鳩の糞だらけで気が滅入る。こんな環境でも結構賑わっているのだから驚く。
・シャルトル
1等ユーレイルパスのヴァリデーションを済ませ、モンパルナスからTER(都市間普通列車)に乗り、シャルトルへ向かう。見る限り新型の電車で、比較的最近に開発された車両のようだ。日本と比べると車両のサイズがかなり大きく、2階建の設計でも全く窮屈な感じがない。また、普通列車といえどもかなりスピードを出す。110は軽く出ているように見える。標準軌だと高速走行をしても安定なのだろう。20分も走れば車窓は市街地から一転、のどかな穀倉地帯に変わる。一言で表せば「車窓の奥行きが深い」といったところで、建物がまばらで一面に緑の広がるさまは、まるで北海道の車窓のようだ。シャルトルまでの道のりは88km、それを1時間で行くというのだから、やはりなかなか速い。
ノートルダム(Notre Dame)大聖堂に向かう。ファサードの西のバラ窓は残念ながら改修中で見栄えがしなかったが、それでも壮観な建築である。聖堂内に入ると、驚くほど暗く、そして静かである。北のバラ窓は旧約聖書、南のバラ窓は新約聖書の世界を表しているらしく、いずれも神秘的に美しい。南側歩廊の青い聖母の窓には「シャルトル・ブルー」と称される清冽な青のステンドグラスがはめ込まれている。キリスト教に関するそれなりの知識があればステンドグラスの鑑賞も一層面白くなるのかもしれないが、ステンドグラスは美しいと同時に不気味とも感じられる。黒ずんだ石造りの建築、蝋燭の炎、取り憑かれたように祈る人々・・・聖堂内のさまざまな光景と相まって、この異様な空間に一種の恐ろしささえ覚える。
聖堂の裏手に回ると眼前にシャルトルの町並が広がる。中世から大きく変わることはなく、ウール(Eure)川を中心に町が発展してきたという。昼下がりの河畔をのんびりと散策。川に面した「Le Moulin de Ponceau」という店にて遅い昼食をとる。日差しは暖かく、実に良い。駅へ戻る頃になると日は少し西に傾き始め、大聖堂の尖塔が逆光の空に突き刺さっていた。パリ近郊で手軽に来れる町である。
帰りの列車は客車列車であった。機関車はシャルトル方に連結されていたがとくに機回しなどはせず、パリ方先頭客車についている運転台で最後尾の機関車を遠隔制御するプッシュプル方式での運転らしい。つまり後押し運転になるわけで力学的に不安定になるのではないかとも思われるが、走りは至って安定していて、相変わらず110~120と思われる速度での快走である。
・国際夜行列車アルテシア
メトロでベルシー(Bercy)駅まで移動する。リヨン(Lyon)駅にほぼ隣接するこの駅は貨物駅として機能している他、おそらくはリヨン駅だけでは捌き切れない列車の発着拠点となっている。ホームには別個に屋根があり、全体をドームで覆われてはいない。貨物駅と言われればたしかに納得できる、質素な造りのターミナル駅である。国際夜行列車アルテシア(Artesia)はここから遥かローマ(Roma)に向けて出発する。個室寝台券を持っていれば2階のサロンに入れるので、ここで時間をつぶす。1階の待合室は、大きなスーツケースを空けて中身を整理したり、座り込んで仲間と談笑したりする外国人学生の団体旅行と思われる人々であふれ返っていた。鉄道旅行もなかなかの人気なのだろう。
日も暮れて、入線してきた列車はかなりの長編成である。15両ほどはつないでいただろうか。後方にクシェット(簡易寝台車)、中間に食堂車、前方に個室寝台車という壮大な編成である。ホームの高さがほとんどないので、車両に乗り込むには3段ほどステップを上らねばならないのはいかにもヨーロッパらしい。客車はイタリア国鉄の所有でそこそこ傷んでいるように見えたが、内装はかなり綺麗。個室寝台には洗面台も備わっていて、JRのA寝台個室に相当する設備といえる。
音もなく列車はベルシー駅を発車する。フィレンツェ(Firenze)までは1100kmあまりの長旅である。程なくして車掌が検札に来て、パスポートと寝台券を回収していった。この列車は深夜にスイスを経由してイタリアに入るルートを取るので、おそらく形式的なものではあるのかもしれないが、その際の手続きは車掌が代行してくれる。陸路で国境を、しかも夜行列車で越えるとは、なかなか新鮮な体験。目覚めれば異邦の地である。食堂車の予約を取ったので、行ってみる。途中で凄まじい急停車があったのが良くなかったが、料理は概ね美味い。ワインも開けて夜行列車の宵を愉しむ。部屋に戻って車掌を呼ぶと、寝台をセットしてくれた。二車両あたり一人の車掌が居るようで、パスポート・寝台券の管理や寝台のセットなどを担当しているらしい。かつては日本でも、数多くの車掌補が乗り込んで寝台をセットする光景が見られたという。「鉄道の本場・ヨーロッパ」を身を以って体感する、そんな夜である。
写真
1枚目:ノートルダム大聖堂
2枚目:北のバラ窓
3枚目:ローマ行アルテシア
3066文字
3/15
Concorde → Montparnasse Bienvenüe
メトロ【12】号線
Paris Montparnasse 1033 → Chartres 1134
TER 16805
シャルトル(Chartres)観光
Chartres 1557 → Paris Montparnasse 1704
TER 862542
Montparnasse Bienvenüe → Bercy
メトロ【6】号線
3/15 → 3/16
Paris Bercy 1854 → Firenze Santa Maria Novella 823(+70)
EN 217 Trainhotel Artesia "PALATINO"
・朝
モンパルナス(Montparnasse)駅に向かう。パリの地下鉄は市内移動には重宝するものの、設備はだいぶ雑然としていて、地下通路はタイル張りの坑道といった風である。客層も良いとはいえず、気を抜いていたらあっさりと荷物を引ったくられそうな険悪な空気がそこら中に充満している。夜間は犯罪も多発するという。モンパルナスはターミナル駅の一つだが、開放的な高いドームに覆われているわけではなく、整然と並んだ頭端式ホームにコンクリートの無機質な柱が林立し、のしかかる駅ビルを支えている。ホームは暗いが湿った感じはなく、停まっているTGVの銀色が硬質で冷たい雰囲気を添えている。朝食はコンコース手前の喫茶店で食べたが、鳩の糞だらけで気が滅入る。こんな環境でも結構賑わっているのだから驚く。
・シャルトル
1等ユーレイルパスのヴァリデーションを済ませ、モンパルナスからTER(都市間普通列車)に乗り、シャルトルへ向かう。見る限り新型の電車で、比較的最近に開発された車両のようだ。日本と比べると車両のサイズがかなり大きく、2階建の設計でも全く窮屈な感じがない。また、普通列車といえどもかなりスピードを出す。110は軽く出ているように見える。標準軌だと高速走行をしても安定なのだろう。20分も走れば車窓は市街地から一転、のどかな穀倉地帯に変わる。一言で表せば「車窓の奥行きが深い」といったところで、建物がまばらで一面に緑の広がるさまは、まるで北海道の車窓のようだ。シャルトルまでの道のりは88km、それを1時間で行くというのだから、やはりなかなか速い。
ノートルダム(Notre Dame)大聖堂に向かう。ファサードの西のバラ窓は残念ながら改修中で見栄えがしなかったが、それでも壮観な建築である。聖堂内に入ると、驚くほど暗く、そして静かである。北のバラ窓は旧約聖書、南のバラ窓は新約聖書の世界を表しているらしく、いずれも神秘的に美しい。南側歩廊の青い聖母の窓には「シャルトル・ブルー」と称される清冽な青のステンドグラスがはめ込まれている。キリスト教に関するそれなりの知識があればステンドグラスの鑑賞も一層面白くなるのかもしれないが、ステンドグラスは美しいと同時に不気味とも感じられる。黒ずんだ石造りの建築、蝋燭の炎、取り憑かれたように祈る人々・・・聖堂内のさまざまな光景と相まって、この異様な空間に一種の恐ろしささえ覚える。
聖堂の裏手に回ると眼前にシャルトルの町並が広がる。中世から大きく変わることはなく、ウール(Eure)川を中心に町が発展してきたという。昼下がりの河畔をのんびりと散策。川に面した「Le Moulin de Ponceau」という店にて遅い昼食をとる。日差しは暖かく、実に良い。駅へ戻る頃になると日は少し西に傾き始め、大聖堂の尖塔が逆光の空に突き刺さっていた。パリ近郊で手軽に来れる町である。
帰りの列車は客車列車であった。機関車はシャルトル方に連結されていたがとくに機回しなどはせず、パリ方先頭客車についている運転台で最後尾の機関車を遠隔制御するプッシュプル方式での運転らしい。つまり後押し運転になるわけで力学的に不安定になるのではないかとも思われるが、走りは至って安定していて、相変わらず110~120と思われる速度での快走である。
・国際夜行列車アルテシア
メトロでベルシー(Bercy)駅まで移動する。リヨン(Lyon)駅にほぼ隣接するこの駅は貨物駅として機能している他、おそらくはリヨン駅だけでは捌き切れない列車の発着拠点となっている。ホームには別個に屋根があり、全体をドームで覆われてはいない。貨物駅と言われればたしかに納得できる、質素な造りのターミナル駅である。国際夜行列車アルテシア(Artesia)はここから遥かローマ(Roma)に向けて出発する。個室寝台券を持っていれば2階のサロンに入れるので、ここで時間をつぶす。1階の待合室は、大きなスーツケースを空けて中身を整理したり、座り込んで仲間と談笑したりする外国人学生の団体旅行と思われる人々であふれ返っていた。鉄道旅行もなかなかの人気なのだろう。
日も暮れて、入線してきた列車はかなりの長編成である。15両ほどはつないでいただろうか。後方にクシェット(簡易寝台車)、中間に食堂車、前方に個室寝台車という壮大な編成である。ホームの高さがほとんどないので、車両に乗り込むには3段ほどステップを上らねばならないのはいかにもヨーロッパらしい。客車はイタリア国鉄の所有でそこそこ傷んでいるように見えたが、内装はかなり綺麗。個室寝台には洗面台も備わっていて、JRのA寝台個室に相当する設備といえる。
音もなく列車はベルシー駅を発車する。フィレンツェ(Firenze)までは1100kmあまりの長旅である。程なくして車掌が検札に来て、パスポートと寝台券を回収していった。この列車は深夜にスイスを経由してイタリアに入るルートを取るので、おそらく形式的なものではあるのかもしれないが、その際の手続きは車掌が代行してくれる。陸路で国境を、しかも夜行列車で越えるとは、なかなか新鮮な体験。目覚めれば異邦の地である。食堂車の予約を取ったので、行ってみる。途中で凄まじい急停車があったのが良くなかったが、料理は概ね美味い。ワインも開けて夜行列車の宵を愉しむ。部屋に戻って車掌を呼ぶと、寝台をセットしてくれた。二車両あたり一人の車掌が居るようで、パスポート・寝台券の管理や寝台のセットなどを担当しているらしい。かつては日本でも、数多くの車掌補が乗り込んで寝台をセットする光景が見られたという。「鉄道の本場・ヨーロッパ」を身を以って体感する、そんな夜である。
写真
1枚目:ノートルダム大聖堂
2枚目:北のバラ窓
3枚目:ローマ行アルテシア
3066文字
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