銀の郷を訪ねる。
・三江線
漆黒の夜空を背景に、冷たいみぞれが降りしきる。ナトリウムランプの光が、濡れた路面を橙色に照らし出す。昨夜に24時間営業を確認しておいたマクドナルドのドライブスルーだが、ガス点検のため6時以前では飲み物しか出さないという。駅前にはコンビニも見当たらず、ついに食料を確保できなかった。凍える思いで始発の三江線に乗り込む。
乗客は我々二人だけ。真っ暗だった車窓も、しばらくするとうすぼんやり明るくなってきた。列車は江の川に沿って走っていて、夕べわずかに降ったためか、対岸の集落や山はうっすらと雪化粧している。まるで水墨画のようなモノトーンの世界。蒼白で、静謐なる朝。口羽では三次行とすぐさま交換した後、30分近くの停車時間である。浜田鉄道部の運転士氏としばらく談笑する機会があった。始発から乗客のいることが珍しかったのかもしれない。何かしらの縁がそこら中に見え隠れするのも旅行の大きな面白味である。
橋上駅、宇都井で初めて人が乗って来た。その後もこまめに乗客を拾っては、途中駅で降ろしていく。乗っているのは大半が中高生と年配の方々で、20~50代の人々はほとんど見受けられない。このような地域では自動車の方が鉄道よりもはるかに利便性が高いものだから、若年者や高齢者以外はみな車に乗るということだろう。しかしながらこういった車社会の傍ら、三江線は1日4~5本とはいえども地域の足を担い、公共交通機関としての使命を細々と全うしている。
列車はどこまでも江の川と並走する。駅数も徐行区間も多く、のんびりした川下りを楽しんでいるかのようである。景色は至って単調で、時おりうつらうつらしてしまう。赤瓦で葺いた家々の屋根は、西日本の景色を象徴している。終点の江津が近付くと、日本海へ注ぐ河口を遠くに望む。いよいよ山陰へ入った。
・石見銀山
接続する出雲市行に乗り、仁万で下車。ここから石見交通のバスで20分ほど揺られると、世界遺産石見銀山の入り口に到着である。バスはずいぶんと山奥へ入っていったが、トンネルをくぐると突如、山懐に抱かれた銀山の町、大森がその姿を現す。往時は世界有数の銀鉱ということでずいぶんと栄えたらしい。採掘された銀は貿易や通商によって巨万の富を造り出し、経済の要となった。
ガイド氏と共に道を上ってゆく。景勝地でもなければ、何か特別面白いものがあるわけでもない。それにもかかわらず世界遺産に指定されているのは、銀山の遺跡と合わせ、この町が栄えた背景や歴史、産業や経済全体をひっくるめて遺産としての複合的な価値が認められたからだという。「説明を受けないと見どころが分からない」という冒頭の話はまさに正論で、丁寧な解説を受けながら町を歩くと理解が深まってゆく。観光客は少なく、落ち着いた往来。同じ世界遺産でも、昨日訪れた宮島とは全く性格を異にしている。
古い町並を抜けてガイド氏と別れた頃、ようやくまともな食事にありつく。町並は帰りにゆっくり撮って回るとして、さらに奥の龍源寺間歩を目指すべく、ここからは自転車を借りて長い坂道に挑む。息を切らして辿り着いた入口はごく簡素なもので、世界遺産というイメージには程遠い。この地区には「間歩」と呼ばれる坑道が600以上残っていて、今も調査が続いているという。唯一公開されているのが龍源寺間歩で、ただのトンネルと言ってしまえばそれまでだが、内壁にはノミの跡が残り、立入禁止とされている多数の横穴も散見される。過酷な鉱山労働の歴史を垣間見る。
間歩を出た後は製錬所跡などを見て回り、町並に戻る。今日は午後から花粉のアレルギー症状がひどい。見渡してみれば辺りはスギ林になっていて、風と共に噴き上がる白煙はみな花粉である。頭頸部の粘膜が黄褐色の悪魔に取り憑かれてしまった。町並は往路のときよりもさらに人が少なくなっていて、南からの柔らかい日差しに照らし出されている。木造家屋のひなびた佇まい、陽光に煌めく瓦葺の屋根、郵便ポスト、どこをファインダーで切り取っても一枚の絵ができあがる。途中の店で焼酎や菓子、銀細工を手に入れる。ぶらぶらと物色するのも楽しい。町自体の規模はかなり小さいのだが、のめり込むとゆうに一日はかかる場所である。
・帰路へ
再び仁万に戻る頃にはもう夕方であった。ちょうど焼き芋の販売車が回って来たので頂くことにする。どうやら宮崎からの遠征らしい。先日、新燃岳が爆発して色々苦労されていると聞く。芋は黄金色で、温かく、甘く、腹もちも良い。山陰本線は海岸線に沿って東進する。車窓に大きく映り込んだ日本海の青色は次第に冷たく灰色がかってきて、夜の到来が近いことを告げる。出雲市に到着する頃にはもう日没を迎えた黄昏の空であった。
サンライズ出雲で山陰の地を後にする。ノビノビ座席で焼さば寿司を食べながらの晩酌。思えばあっという間の旅行だったが、ついにパズルは組み上がったのである。だいぶ形の悪いピースもカチャカチャと上手い具合にはまり込み、会心の全貌が浮かび上がった。旅行という非日常は、この充足感をもってフィナーレを迎えるのだ。列車は快調に飛ばし、時空間が急速に変質している。しばらくすれば、何もかもが見慣れた日常に戻る。そんなことを考えながら、長い眠りに落ちた。
写真
1枚目:三江線(@口羽)
2枚目:龍源寺間歩
3枚目:古い町並
2864文字
3/8
三次547 → 江津931
三江線422D キハ120 357
江津935 → 仁万1009
山陰本線344D キハ120 319
仁万駅前1030 → 大森代官所跡1052
石見交通バス 島根22き1575
石見銀山観光
大森代官所跡1610 → 仁万駅前1625
石見交通バス 島根22き1575
仁万1707 → 出雲市1818
山陰本線332D キハ47 1054
3/8 → 3/9
出雲市1855 → 東京708
山陰本線・伯備線・山陽本線・東海道本線4032M・5032M
特急サンライズ出雲 モハネ285-3201
・三江線
漆黒の夜空を背景に、冷たいみぞれが降りしきる。ナトリウムランプの光が、濡れた路面を橙色に照らし出す。昨夜に24時間営業を確認しておいたマクドナルドのドライブスルーだが、ガス点検のため6時以前では飲み物しか出さないという。駅前にはコンビニも見当たらず、ついに食料を確保できなかった。凍える思いで始発の三江線に乗り込む。
乗客は我々二人だけ。真っ暗だった車窓も、しばらくするとうすぼんやり明るくなってきた。列車は江の川に沿って走っていて、夕べわずかに降ったためか、対岸の集落や山はうっすらと雪化粧している。まるで水墨画のようなモノトーンの世界。蒼白で、静謐なる朝。口羽では三次行とすぐさま交換した後、30分近くの停車時間である。浜田鉄道部の運転士氏としばらく談笑する機会があった。始発から乗客のいることが珍しかったのかもしれない。何かしらの縁がそこら中に見え隠れするのも旅行の大きな面白味である。
橋上駅、宇都井で初めて人が乗って来た。その後もこまめに乗客を拾っては、途中駅で降ろしていく。乗っているのは大半が中高生と年配の方々で、20~50代の人々はほとんど見受けられない。このような地域では自動車の方が鉄道よりもはるかに利便性が高いものだから、若年者や高齢者以外はみな車に乗るということだろう。しかしながらこういった車社会の傍ら、三江線は1日4~5本とはいえども地域の足を担い、公共交通機関としての使命を細々と全うしている。
列車はどこまでも江の川と並走する。駅数も徐行区間も多く、のんびりした川下りを楽しんでいるかのようである。景色は至って単調で、時おりうつらうつらしてしまう。赤瓦で葺いた家々の屋根は、西日本の景色を象徴している。終点の江津が近付くと、日本海へ注ぐ河口を遠くに望む。いよいよ山陰へ入った。
・石見銀山
接続する出雲市行に乗り、仁万で下車。ここから石見交通のバスで20分ほど揺られると、世界遺産石見銀山の入り口に到着である。バスはずいぶんと山奥へ入っていったが、トンネルをくぐると突如、山懐に抱かれた銀山の町、大森がその姿を現す。往時は世界有数の銀鉱ということでずいぶんと栄えたらしい。採掘された銀は貿易や通商によって巨万の富を造り出し、経済の要となった。
ガイド氏と共に道を上ってゆく。景勝地でもなければ、何か特別面白いものがあるわけでもない。それにもかかわらず世界遺産に指定されているのは、銀山の遺跡と合わせ、この町が栄えた背景や歴史、産業や経済全体をひっくるめて遺産としての複合的な価値が認められたからだという。「説明を受けないと見どころが分からない」という冒頭の話はまさに正論で、丁寧な解説を受けながら町を歩くと理解が深まってゆく。観光客は少なく、落ち着いた往来。同じ世界遺産でも、昨日訪れた宮島とは全く性格を異にしている。
古い町並を抜けてガイド氏と別れた頃、ようやくまともな食事にありつく。町並は帰りにゆっくり撮って回るとして、さらに奥の龍源寺間歩を目指すべく、ここからは自転車を借りて長い坂道に挑む。息を切らして辿り着いた入口はごく簡素なもので、世界遺産というイメージには程遠い。この地区には「間歩」と呼ばれる坑道が600以上残っていて、今も調査が続いているという。唯一公開されているのが龍源寺間歩で、ただのトンネルと言ってしまえばそれまでだが、内壁にはノミの跡が残り、立入禁止とされている多数の横穴も散見される。過酷な鉱山労働の歴史を垣間見る。
間歩を出た後は製錬所跡などを見て回り、町並に戻る。今日は午後から花粉のアレルギー症状がひどい。見渡してみれば辺りはスギ林になっていて、風と共に噴き上がる白煙はみな花粉である。頭頸部の粘膜が黄褐色の悪魔に取り憑かれてしまった。町並は往路のときよりもさらに人が少なくなっていて、南からの柔らかい日差しに照らし出されている。木造家屋のひなびた佇まい、陽光に煌めく瓦葺の屋根、郵便ポスト、どこをファインダーで切り取っても一枚の絵ができあがる。途中の店で焼酎や菓子、銀細工を手に入れる。ぶらぶらと物色するのも楽しい。町自体の規模はかなり小さいのだが、のめり込むとゆうに一日はかかる場所である。
・帰路へ
再び仁万に戻る頃にはもう夕方であった。ちょうど焼き芋の販売車が回って来たので頂くことにする。どうやら宮崎からの遠征らしい。先日、新燃岳が爆発して色々苦労されていると聞く。芋は黄金色で、温かく、甘く、腹もちも良い。山陰本線は海岸線に沿って東進する。車窓に大きく映り込んだ日本海の青色は次第に冷たく灰色がかってきて、夜の到来が近いことを告げる。出雲市に到着する頃にはもう日没を迎えた黄昏の空であった。
サンライズ出雲で山陰の地を後にする。ノビノビ座席で焼さば寿司を食べながらの晩酌。思えばあっという間の旅行だったが、ついにパズルは組み上がったのである。だいぶ形の悪いピースもカチャカチャと上手い具合にはまり込み、会心の全貌が浮かび上がった。旅行という非日常は、この充足感をもってフィナーレを迎えるのだ。列車は快調に飛ばし、時空間が急速に変質している。しばらくすれば、何もかもが見慣れた日常に戻る。そんなことを考えながら、長い眠りに落ちた。
写真
1枚目:三江線(@口羽)
2枚目:龍源寺間歩
3枚目:古い町並
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