時空間を共有する、この感覚。
・月曜日の朝
雨が上がって間もないようだ。しっとりとした空気の7時過ぎの駅前には続々と車が到着し、学生や通勤客が駅へ吸い込まれてゆく。3月7日、月曜日の朝。週末を終えて五日間の平日が始まる、その初日、人はそれぞれ、どこか気だるそうな、あるいは巡ってくる平日は仕方がないと諦めているような、一方では同級生と談笑し始業を心待ちにしているような、さまざまな表情を顔に浮かべていて、我々はその有り様を、日常という名の時空間に放り込まれた、非日常という名の異質なカプセルの中から、ただただ傍観するのみである。
・尾道
混雑した電車は20分ほどで尾道に到着した。改札口が狭いため、ホームには人が溢れかえっている。駅前に出ると海はすぐそこで、空を見上げれば薄日もさしている。学生の姿も多い。駅のすぐ東側の踏切で線路を渡り、山側に土堂小学校を見る。校門まではかなりの石段が続いていて、当番と思しき数人の小学生が登校する生徒に挨拶をしていた。石段の脇からは早速坂道が始まっていて、不規則に折れ曲がりながら山腹を登ってゆく。途中からはこの坂道も石段になり、傍らには数軒の家が立ち並ぶ。時おり、駅の方角へ坂道を降りて行く人とすれ違う。ふと後ろを振り返れば、眼下には先ほどの小学校の校庭を見下ろし、その向こうには雑然とした国道沿いの市街地が見え、さらに奥には逆光に煌めく尾道水道の全貌が徐々に顕わになってゆく。
山頂に近付くにつれて坂道は緩やかになり、やがて尾根伝いに平坦な道が続く。福山では陰鬱だった空も、今は柔らかい日差しを放っている。展望台に登ると、尾道の街を一望できた。市街は細長い海岸線の空間にコンパクトに収まり、緩やかな山腹にへばりついているのが分かる。国道2号線と山陽本線は海べりをくねくねと並走。水道を挟んだ対岸は向島で、造船所や工場、頻繁に往来する渡し船などが見える。東の方角には、しまなみ海道のスタートに当たる新尾道大橋の姿が靄の中に浮かび上がる。西にかすかに見えるのは、三原の街だろうか。
文学のこみちを下り、千光寺に至る。逆光にかすむ朝の港町を見下ろしながらのゆったりとしたひと時であるが、学校のチャイムも聞こえる。ちょうど1時間目が終わった頃だろうか。異質な日常の中にぽいと放り込まれたようなこの不思議な感覚は、旅行の醍醐味である。そうした感覚というのは、狭い列車の中では濃密に凝縮され、広い街の中では広範に拡散する。淵の奥深くへと潜るか、大海原を宛てもなく漂流するか。どちらも面白い。
千光寺道、天寧寺坂を下って国道の海抜近くまで戻る。艮神社という尾道最古の神社には、クスノキの大木が鎮座する。その後は東西方向の路地をさまよい歩き、善勝寺、慈観寺、大山寺、西郷寺、浄土寺など数々の古寺を巡る。どの小路も、あからさまには作り込まれていない、自然のままに近い姿を見せる。徒歩でしか出会えない風景というのは実に魅力的である。浄土寺からはバスで駅近くまで引き返し、海岸沿いの店で名物の尾道ラーメンを食してから、尾道を後にすることとなった。是非また訪れたい街である。
・宮島
山陽本線の中で祝電が届く。昼下がりの陽光は祝福の日差しである。尾道から宮島口まではおよそ2時間。広島県は東西に広い。宮島口からはフェリーで宮島へ渡った。月曜日にもかかわらず島はなかなかの活況を呈していて、観光客が多い。広島をはじめとする瀬戸内の主要都市から手軽にアクセスできることから、人気が高いのかもしれない。島の雰囲気は悪くないのだが、とくに厳島神社までの道のりなどはだいぶ俗化している感もあった。人を寄せ付けないような荘厳さや重々しさなどは感じられず、良く言えばひろく人々に慕われた神社の島といった印象である。
商店街を散策し、千畳閣や五重塔、宝物館、多宝塔、大聖院などを一通り回る。海岸から遠ざかるほど人の往来は少なくなり、島は閑静な表情を見せる。ふと何かが動いたと思ったら、シカが歩いていたりする。大聖院で鐘をついた後、滝小路を引き返して海岸に戻り、いよいよ神社本殿に入った。既に日は西に傾き、先ほどまでは大勢の人が歩いていた回廊も今はかなり空いている。斜光線に朱色の柱が美しく映える。今は干潮だが、潮が満ちていればさぞ美しいことだろう。干潟を歩けば大鳥居の先まで行くことができ、巨大な鳥居の姿を間近で見られるようになる。
やがて陽光は衰えはじめ、ついに日没を迎えた。いつも思うことだが、溢れゆく青インクの如く、東の空から寒色の闇に包まれていくような黄昏の景色の刻一刻の微小変化、これが何とも絶妙である。やがて大鳥居のライトアップが始まる。闇に沈みゆく広島湾を背に、単純にして壮大な朱色の建築が不気味に浮かび上がる。対岸には街の灯りが点々とちりばめられている。潮が引いていた足元も気がつけばぬかるんでいる。やがて満潮となればあそこの本殿まで潮が押し寄せ、海上の神社というまた別の表情を見せることになるのだろう。本殿もライトアップされるのかと期待を寄せていたが、残念ながらいつまで経ってもその気配がない。フェリーの時刻も迫り、いよいよ底冷えもしてきたことなので、已むなく桟橋まで戻ることになった。さらば、宮島。
・三次へ
明日は始発の三江線に乗らねばならない。宮島口の4分乗換で疾走してずいぶんとくたびれたが、予定通り広島20時発のみよしライナーに乗ることができた。車内でかきめしを食する。尾道も宮島もあと一時間ずつ欲しかったところだが、それは贅沢な願いか。到着した三次の街はすでに死んだように静かだった。
写真
1枚目:尾道
2枚目:天寧寺坂
3枚目:厳島神社大鳥居
3068文字
3/7
福山716 → 尾道735
山陽本線335M クハ115-320
尾道観光
尾道1159 → 糸崎1207
山陽本線1735M モハ114-356
糸崎1216 → 宮島口1410
山陽本線351M モハ114-2023
宮島口1425 → 宮島1435
宮島航路133便 みやじま丸
宮島観光
宮島1900 → 宮島口1910
宮島航路52便 みせん丸
宮島口1914 → 広島1944
山陽本線662M クハ111-712
広島2000 → 三次2122
芸備線5878D 快速みよしライナー キハ47-2501
三次泊
・月曜日の朝
雨が上がって間もないようだ。しっとりとした空気の7時過ぎの駅前には続々と車が到着し、学生や通勤客が駅へ吸い込まれてゆく。3月7日、月曜日の朝。週末を終えて五日間の平日が始まる、その初日、人はそれぞれ、どこか気だるそうな、あるいは巡ってくる平日は仕方がないと諦めているような、一方では同級生と談笑し始業を心待ちにしているような、さまざまな表情を顔に浮かべていて、我々はその有り様を、日常という名の時空間に放り込まれた、非日常という名の異質なカプセルの中から、ただただ傍観するのみである。
・尾道
混雑した電車は20分ほどで尾道に到着した。改札口が狭いため、ホームには人が溢れかえっている。駅前に出ると海はすぐそこで、空を見上げれば薄日もさしている。学生の姿も多い。駅のすぐ東側の踏切で線路を渡り、山側に土堂小学校を見る。校門まではかなりの石段が続いていて、当番と思しき数人の小学生が登校する生徒に挨拶をしていた。石段の脇からは早速坂道が始まっていて、不規則に折れ曲がりながら山腹を登ってゆく。途中からはこの坂道も石段になり、傍らには数軒の家が立ち並ぶ。時おり、駅の方角へ坂道を降りて行く人とすれ違う。ふと後ろを振り返れば、眼下には先ほどの小学校の校庭を見下ろし、その向こうには雑然とした国道沿いの市街地が見え、さらに奥には逆光に煌めく尾道水道の全貌が徐々に顕わになってゆく。
山頂に近付くにつれて坂道は緩やかになり、やがて尾根伝いに平坦な道が続く。福山では陰鬱だった空も、今は柔らかい日差しを放っている。展望台に登ると、尾道の街を一望できた。市街は細長い海岸線の空間にコンパクトに収まり、緩やかな山腹にへばりついているのが分かる。国道2号線と山陽本線は海べりをくねくねと並走。水道を挟んだ対岸は向島で、造船所や工場、頻繁に往来する渡し船などが見える。東の方角には、しまなみ海道のスタートに当たる新尾道大橋の姿が靄の中に浮かび上がる。西にかすかに見えるのは、三原の街だろうか。
文学のこみちを下り、千光寺に至る。逆光にかすむ朝の港町を見下ろしながらのゆったりとしたひと時であるが、学校のチャイムも聞こえる。ちょうど1時間目が終わった頃だろうか。異質な日常の中にぽいと放り込まれたようなこの不思議な感覚は、旅行の醍醐味である。そうした感覚というのは、狭い列車の中では濃密に凝縮され、広い街の中では広範に拡散する。淵の奥深くへと潜るか、大海原を宛てもなく漂流するか。どちらも面白い。
千光寺道、天寧寺坂を下って国道の海抜近くまで戻る。艮神社という尾道最古の神社には、クスノキの大木が鎮座する。その後は東西方向の路地をさまよい歩き、善勝寺、慈観寺、大山寺、西郷寺、浄土寺など数々の古寺を巡る。どの小路も、あからさまには作り込まれていない、自然のままに近い姿を見せる。徒歩でしか出会えない風景というのは実に魅力的である。浄土寺からはバスで駅近くまで引き返し、海岸沿いの店で名物の尾道ラーメンを食してから、尾道を後にすることとなった。是非また訪れたい街である。
・宮島
山陽本線の中で祝電が届く。昼下がりの陽光は祝福の日差しである。尾道から宮島口まではおよそ2時間。広島県は東西に広い。宮島口からはフェリーで宮島へ渡った。月曜日にもかかわらず島はなかなかの活況を呈していて、観光客が多い。広島をはじめとする瀬戸内の主要都市から手軽にアクセスできることから、人気が高いのかもしれない。島の雰囲気は悪くないのだが、とくに厳島神社までの道のりなどはだいぶ俗化している感もあった。人を寄せ付けないような荘厳さや重々しさなどは感じられず、良く言えばひろく人々に慕われた神社の島といった印象である。
商店街を散策し、千畳閣や五重塔、宝物館、多宝塔、大聖院などを一通り回る。海岸から遠ざかるほど人の往来は少なくなり、島は閑静な表情を見せる。ふと何かが動いたと思ったら、シカが歩いていたりする。大聖院で鐘をついた後、滝小路を引き返して海岸に戻り、いよいよ神社本殿に入った。既に日は西に傾き、先ほどまでは大勢の人が歩いていた回廊も今はかなり空いている。斜光線に朱色の柱が美しく映える。今は干潮だが、潮が満ちていればさぞ美しいことだろう。干潟を歩けば大鳥居の先まで行くことができ、巨大な鳥居の姿を間近で見られるようになる。
やがて陽光は衰えはじめ、ついに日没を迎えた。いつも思うことだが、溢れゆく青インクの如く、東の空から寒色の闇に包まれていくような黄昏の景色の刻一刻の微小変化、これが何とも絶妙である。やがて大鳥居のライトアップが始まる。闇に沈みゆく広島湾を背に、単純にして壮大な朱色の建築が不気味に浮かび上がる。対岸には街の灯りが点々とちりばめられている。潮が引いていた足元も気がつけばぬかるんでいる。やがて満潮となればあそこの本殿まで潮が押し寄せ、海上の神社というまた別の表情を見せることになるのだろう。本殿もライトアップされるのかと期待を寄せていたが、残念ながらいつまで経ってもその気配がない。フェリーの時刻も迫り、いよいよ底冷えもしてきたことなので、已むなく桟橋まで戻ることになった。さらば、宮島。
・三次へ
明日は始発の三江線に乗らねばならない。宮島口の4分乗換で疾走してずいぶんとくたびれたが、予定通り広島20時発のみよしライナーに乗ることができた。車内でかきめしを食する。尾道も宮島もあと一時間ずつ欲しかったところだが、それは贅沢な願いか。到着した三次の街はすでに死んだように静かだった。
写真
1枚目:尾道
2枚目:天寧寺坂
3枚目:厳島神社大鳥居
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