朝の富山にはぼた雪が降る。
・高山本線キハ58
窓外に寒々しい駅前を見下ろすと、どうやらみぞれが降っているようだ。支度をして出かけると、未明の冷気が頬を打つ。構内に入ると、ちょうど1番線を高山本線の回送列車が発車していくところであった。再度国鉄色に差し替わるという淡い期待を抱いていたものの、そう上手く事は運ぶものではない。同じキハ58とはいえ、高岡色と国鉄色ではどうしても絵における鮮やかさに差が出てしまうのが難点である。
基本的には昨年末の行程を踏襲する。西富山で上りを迎え、千里付近で上下列車を見送る。やがて辺りは薄明るくなってきたが、湿った雪の絶え間なく降りしきる、重苦しい朝である。辺りは一面白銀の世界だが、第一に感じるはやはり「陰鬱」という印象であろうか。くすんだワインレッドの高岡色が、より一層の「雰囲気の重厚感」とでもいうのか、そういった類のものを否応なく押し付けてくるように思う。まるで自分の心中をそのまま表現したかのようだ。
千里での撮影後は、婦中鵜坂へ向かう。12月は陸橋から俯瞰する構図であったが、今回はサイドから築堤を狙ってみる。広大な雪原と、築堤を駆ける列車は、モノトーンの世界を織りなした。列車は走る。白い海には呑まれず、静かな、しかし確かな存在感を示し続ける。撮影後はキハ58充当の857Dで富山に戻った。かつては栄華を極めた老兵、最後の活躍の地となろう。だが、いつかは別れの時が来る。それは歴史の宿命。ふと気がつけば、少し晴れ間ののぞく、遅い朝。もう、そんな時間か。
・北陸路
金沢までは普通列車でのんびりと移動。デッキのついている普通列車など今時珍しい。かつての急行形電車は、ほとんどそのままの姿で都市間輸送を担う。押し寿司を食しながら、小康の空模様を眺める。春はもうすぐとはいうものの、未だ厳しい寒さの残る、陰鬱な曇天が辺りを包む。6両編成の電車は快調に駆けてゆく。こうして遠くに来ると常々思うことではあるが、相手が自分であれ他人であれ、もっと「対話」の時間を増やしていきたいものである。それなりに思うところは大きいのであるから、それを活かしていくための努力なり方策なりが求められているはずだ。金沢では列車を乗り継ぎ、近郊の加賀笠間で下車した。
・北陸本線
加賀笠間~美川は直線区間で撮影地も充実していると聞いていたのでここに来たのであるが、到着してみるとなかなかの吹雪である。まずは駅撮り。その後天気が回復してきたので駅を出て、美川方面へ。しかしながら雲行きが不安定極まりなく、突発的な急霰・驟雨に見舞われるという散々な撮影であった。これならば大人しく金沢でまったりしていた方が正解だったかもしれない。あるいは、越美北線を乗りつぶすことも出来なくはなかった。
今宵の宿は敦賀。11月にも訪れた「恵比須」という定食屋に入る。実に家庭的で温かい。晩はナウシカを観ながら個別指導の予習。今回の撮影行は本当に日常の合間に詰め込んでしまって、緩衝材の役割を果たす期間がなかった。明朝はまずは衣掛山を訪れることにしよう。
写真
1枚目:ぼた雪の朝(@速星~千里)
2枚目:モノトーンの世界(@西富山~婦中鵜坂)
3枚目:吹雪を切って快走(@加賀笠間)
2059文字
2/20
富山551 → 西富山556
高山本線840D 車番記録忘れ
841D撮影
西富山630 → 千里642
高山本線842D キハ120-352
844D・849D撮影
千里827 → 婦中鵜坂839
高山本線851D キハ120-351
852D・1090レ撮影
婦中鵜坂1013 → 富山1025
高山本線857D キハ28 2346
富山1116 → 金沢1219
北陸本線428M モハ456 16
金沢1232 → 加賀笠間1247
北陸本線346M モハ455 702
北陸本線撮影
加賀笠間1653 → 敦賀1907
北陸本線364M モハ474 50
敦賀泊
・高山本線キハ58
窓外に寒々しい駅前を見下ろすと、どうやらみぞれが降っているようだ。支度をして出かけると、未明の冷気が頬を打つ。構内に入ると、ちょうど1番線を高山本線の回送列車が発車していくところであった。再度国鉄色に差し替わるという淡い期待を抱いていたものの、そう上手く事は運ぶものではない。同じキハ58とはいえ、高岡色と国鉄色ではどうしても絵における鮮やかさに差が出てしまうのが難点である。
基本的には昨年末の行程を踏襲する。西富山で上りを迎え、千里付近で上下列車を見送る。やがて辺りは薄明るくなってきたが、湿った雪の絶え間なく降りしきる、重苦しい朝である。辺りは一面白銀の世界だが、第一に感じるはやはり「陰鬱」という印象であろうか。くすんだワインレッドの高岡色が、より一層の「雰囲気の重厚感」とでもいうのか、そういった類のものを否応なく押し付けてくるように思う。まるで自分の心中をそのまま表現したかのようだ。
千里での撮影後は、婦中鵜坂へ向かう。12月は陸橋から俯瞰する構図であったが、今回はサイドから築堤を狙ってみる。広大な雪原と、築堤を駆ける列車は、モノトーンの世界を織りなした。列車は走る。白い海には呑まれず、静かな、しかし確かな存在感を示し続ける。撮影後はキハ58充当の857Dで富山に戻った。かつては栄華を極めた老兵、最後の活躍の地となろう。だが、いつかは別れの時が来る。それは歴史の宿命。ふと気がつけば、少し晴れ間ののぞく、遅い朝。もう、そんな時間か。
・北陸路
金沢までは普通列車でのんびりと移動。デッキのついている普通列車など今時珍しい。かつての急行形電車は、ほとんどそのままの姿で都市間輸送を担う。押し寿司を食しながら、小康の空模様を眺める。春はもうすぐとはいうものの、未だ厳しい寒さの残る、陰鬱な曇天が辺りを包む。6両編成の電車は快調に駆けてゆく。こうして遠くに来ると常々思うことではあるが、相手が自分であれ他人であれ、もっと「対話」の時間を増やしていきたいものである。それなりに思うところは大きいのであるから、それを活かしていくための努力なり方策なりが求められているはずだ。金沢では列車を乗り継ぎ、近郊の加賀笠間で下車した。
・北陸本線
加賀笠間~美川は直線区間で撮影地も充実していると聞いていたのでここに来たのであるが、到着してみるとなかなかの吹雪である。まずは駅撮り。その後天気が回復してきたので駅を出て、美川方面へ。しかしながら雲行きが不安定極まりなく、突発的な急霰・驟雨に見舞われるという散々な撮影であった。これならば大人しく金沢でまったりしていた方が正解だったかもしれない。あるいは、越美北線を乗りつぶすことも出来なくはなかった。
今宵の宿は敦賀。11月にも訪れた「恵比須」という定食屋に入る。実に家庭的で温かい。晩はナウシカを観ながら個別指導の予習。今回の撮影行は本当に日常の合間に詰め込んでしまって、緩衝材の役割を果たす期間がなかった。明朝はまずは衣掛山を訪れることにしよう。
写真
1枚目:ぼた雪の朝(@速星~千里)
2枚目:モノトーンの世界(@西富山~婦中鵜坂)
3枚目:吹雪を切って快走(@加賀笠間)
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