只見線の旅
只見線の旅
只見線の旅
さて、帰途につこう。

秋田1024 → 新庄1304
奥羽本線2438M 普通 クモハ701-32
奥羽本線で内陸に分け入り、新庄まで出る。秋田新幹線の通る大曲までは複々線ならぬ単々線で、標準軌と狭軌の線路が並走する。車窓は悪く言えば単調で、ひたすら水田と針葉樹の森が青々と陽光に輝くのみ。駅弁を食べた後は少しうとうとして、気がつけば横手に到着。道のりは長いが、701系は快調に飛ばす。秋田~新庄は150.1kmだが、それを1時間40分でゆくのだから、表定速度は毎時90kmということになる。メモを列挙していくと、「美人を育てる秋田米」と書かれたトラックが国道を並走したり、県境を越えた後に及位で検測車East-iEと交換したり、突如眠くなったり、といった感じの車中であった。

新庄1317 → 郡山1532
山形新幹線・東北新幹線118M・118B つばさ118号 E326-1001

新庄からは新幹線である。夕方の只見線への第一歩として、まずは郡山まで南下。暗色を基調とした内装が個人的に好みである。座席もなかなか快適。つばさ118号は奥羽本線内はこまめに停車し、福島へ向かう。しかしながら、ほとんど寝ていたため何も覚えていない。危うく郡山で降り損ねるところであった。夜行列車明けの一日というのは意外にも眠くなるものである。数日前のように一日中撮影を行っているとその疲労の方が大きく感じられるかもしれないが、動いている分、寝る余裕もない。一方、移動が中心だと列車の振動やほどよい暖かさも相まっていっそう眠くなるということだろう。

郡山1545 → 会津若松1650
磐越西線1213M 快速あいづライナー3号 モハ484 1032
この間の東医体遠征で訪れたばかりの郡山、磐越西線。やはりあいづライナーである。秋田から会津若松までの行程は只見線に乗るための単なる移動に過ぎないから、特に意識も高まらないのかやはり眠りに落ちてしまう。道程半ばくらいまで寝ていた。猪苗代を過ぎると線路は蛇行を繰り返し、山間部を抜ける。夕日の田園風景が郷愁的であった。

会津若松1701 → 小出2110
只見線429D 普通 キハ40 581
夕暮れも近くなってようやく今日のメイン、只見線である。只見線といえば、中2の鉄研旅行を思い出す。小千谷のユースホステルから小出駅までタクシーに乗り合い、早朝の始発列車で会津若松まで出たのだった。広大な只見川に寄り添いながら秘境を進む列車の印象は今でも鮮明。今回は、そんな只見線を再訪し、キハ40に揺られながら夜のローカル線の風情を味わいたく思ったのである。

乗客は多め。時間帯も相まって、とくに学生が多い。会津若松を発った列車は住宅地に寄り添いながらゆっくりと会津盆地を南下し始める。西若松で上り列車と交換。今日の昼13時17分に小出を発った列車らしい。4時間あまりの道のりを経てもう間もなく会津若松に到着するわけである。一方、こちらはまだまだ先は長い。会津坂下まではひたすらのどかな田園風景が続く。「会津」と冠される駅が非常に多い只見線だが、途中に根岸という駅があった。根岸線の根岸駅と同名なのになぜ会津根岸駅とならないのか不思議であったが、調べてみると根岸線の方が遅れて開業したそうである。会津盆地では線路が大きなヘアピンカーブを描いて大迂回するので、夕日の当たり方は次第に逆になってゆく。斜光線はいよいよ強まり、進行方向右手の水田には列車の長い影が映るようになった。これもまた面白い。遠くには農道を駆けてゆく学生の集団も見える。各駅ごとに乗客は漸減してゆき、会津坂下ではほとんどが降りて車内は一気に閑散となった。

会津坂下から先は次第に山に分け入り、勾配線区となる。塔寺を過ぎると初めてのトンネルが現れる。木造の会津柳津駅にはC11 244が静態保存されていた。こうして各地に眠る蒸気機関車は今、果たしてどのような思いでいるのだろうか。黄昏の空がどこか寂しげである。会津若松を出発した時から窓は半分開け放していたのだが、顔を撫でる風はいよいよ冷えてきた。まもなく日没である。滝谷~会津桧原間には大渓谷、会津桧原~会津西方~会津宮下間には大橋梁がそれぞれ列車を出迎える。会津宮下でタブレットの授受があった後、やがて東の空から寒色の闇に包まれ始める頃、鏡面のように穏やかで広大な只見川の流れを渡る。薄茜色の空と、黒く浮き上がった山稜が見事な水鏡をなした。その後も列車は只見側に沿いながら山奥へと進んでいく。会津川口に着くころには日はすっかり暮れていた。ここで上り列車と交換。まだ19時を少し回ったばかりだが、時刻表の上では両列車とも既にこの駅の最終列車ということになる。そして、タブレットの授受。

会津川口からはわずかばかり学生が乗車したが、彼らはみな只見到着までに下車していった。本数が本数なので、毎日帰宅する列車は決まっているのだろう。車窓は漆黒。別段することもなくなったので、また本を開く。40分ほどで、只見に到着である。ここでは6分間の停車。外の空気を吸いにホームに出る。ふと空を見上げれば、上弦の月が浮かんでいた。一昨昨日の敦賀で見たときはまだ三日月であったから、この撮影行の間に少し太ったことになる。天体の変化も、よくよく気にすれば結構面白い。

只見を過ぎれば険しい山越え区間に入る。やがて田子倉トンネルを出るとシェルター駅の田子倉に停車。雪に閉ざされる冬季は全列車が通過するこの臨時駅で日常的に乗り降りする乗客はいるまい。発車後はすぐに全長6kmあまりの六十里越トンネルに飛び込む。この辺りは並走国道も半年間は通行止になるほどの秘境。こうした事情から、只見地区から新潟へ抜ける唯一の手段となる只見線は廃線を免れ現在まで生き残っているらしい。ただ、経営面では完全な赤字だろう。やがて大白川に着く。対向列車の到着を待ってから発車。その後は平坦な地形を小出に向かって走るのみである。西の空には月が妖しい橙色になって光っていた。

小出には定刻に到着。ホームに降りるとすぐに車内の照明は落とされ、いつの間にか運転士と車掌もいなくなってしまった。

小出2134 → 越後湯沢2214
上越線1752M 普通 クハ115 1046
祭でもあったのか、駅周辺やホームには高校生が多くたむろしている。20分あまりの待ち時間をぼんやり過ごしていると、突如1番線を貨物列車が通過。EF64 1000番台の重連で、前位は国鉄色の1006号機。完全なる予習不足、まさかこの間に貨物列車が通過するとは思わなかった。あとは上越新幹線に乗るべく越後湯沢まで出るのみである。

越後湯沢2223 → 東京2340
上越新幹線352C Maxとき352号 E455-9
東京行の最終新幹線である。春の旅行の時も乗った列車。上越新幹線には何かと多く乗っているように思う。東京までは1時間と少しの道のり。只見線の4時間がまるで嘘のような速さである。車中は半分くらい寝て、気がつけば上野であった。毎度のことだが、車窓に映る京浜東北線や山手線の電車を見ると、帰京感が一気に押し寄せてくる。ついに長大なこの旅行も終わったのである。そういった実感をひしひしと抱いて、東京駅のホームに降り立ったのだった。

序曲は能登、終曲はとき。これにて完結。

写真
1枚目:黄昏の只見川を渡る(@会津宮下~早戸)。
2枚目:月下の駅にエンジン音が響く(@只見)。
3枚目:夜の交換風景(@大白川)。

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