夕刻の大阪駅に降り立った。開発工事の最中にあるらしく、10番線には長距離列車の発車するホームにふさわしい風情は感じられない。サンダーバード、雷鳥といった北陸特急群が発着する中、ひっそりと列車は入線する。
電源車直後のA寝台車に足を踏み入れる。B寝台のようにデッキの向こう側がいきなり客室となっているのではなく、緩衝地帯のように間に喫煙スペースが設けられている。ボックスシートが一区画あるだけの質素な空間だが、喫煙はせずとも、深夜帯にぼんやりと車窓を眺めるのに丁度良さそうなスペースである。客室内に入ると、通路両側に淡い紫色のカーテンの壁が待ち受ける。今となっては貴重なプルマン式開放A寝台。線路と平行に2段寝台が設置される。通路には赤絨毯が敷かれ、ささやかな高級感を演出している。半パイプ状の天井の照明が、どことなく落ち着いて洗練された印象をもたらしているように思う。客室扉上部の号車表示なども、設計者の温もりといったものが感じられて実に味わい深い。
下段寝台に潜り込む。テーブル、衣紋掛け、読書灯といった最低限の設備が目に入るが、カーテンは二重になっている上に、鏡や手荷物置場といったものが個々の寝台に細やかに備わっているのは、A寝台ならでは。ささやかながら、折り畳み式のテーブルも極力広くつくられている。解体すればボックスシートとして機能するだけあり、寝台の幅はかなり広い。枕は十分大きく、寝具はB寝台のものよりもふかふかであるような印象を抱いた。583系のB寝台下段も寝台幅自体は同じだが、高さの面で圧倒的にこちらが勝っている。ゆったりと背もたれに身をあずけ、大きな車窓を独占して後方に流れ去る黄昏の風景を堪能する。至高のひと時である。今となっては時代錯誤の感もある車内設備ではあるが、それがまた良い。
大阪を発った列車は、淀川を渡る。レースのカーテン越しに差し込む夕日と、規則的に影を落としてゆく橋梁の鉄骨が情緒的。新大阪発車後に停車駅・到着時刻の案内があった。放送を聞いているだけでも、翌朝目覚めたときには異郷の地を走っていることを思うと、心が躍るものがある。そしてそれこそが、寝台列車の旅の醍醐味ともいえる。日は刻一刻と落ちてゆく。京都到着までは夢中になって寝台内から車窓を撮影。夕刻にひっそりと出発し、大阪・京都の二大都市圏を去る特急日本海。開放B寝台と開放A寝台のみという質素な編成で彼方青森を目指すわけである。
寝台特急の将来は極めて暗い。もちろん、一部の列車、具体的には北斗星やカシオペア、トワイライトエクスプレスといったような「観光列車」としての地位を確立した列車は今後も何らかの形で生き永らえるかもしれない。そもそも、これらの列車はそうした意図のもとに運行が開始されたのであった。かようの観点からしてみると、日本海はあけぼの、北陸と並び、こうした観光列車とは一線を画した純粋な意味での寝台特急といえるのではないか。さくら、はやぶさ、富士といった東海道・山陽筋の名門寝台特急もあっさりと切り捨てられ、東京口の伝統的なブルートレインが消滅した現在にあって、今なお健在のこの三列車が、長岡という駅を共通に通過することは単なる偶然ではあるまい。つまるところ、新幹線の恩恵から離れた地域、日本海縦貫線を走る列車が残った。内陸のようには新幹線が通らない山形・秋田の日本海側と首都圏を直通するあけぼのにはそれなりの需要があろう。北陸新幹線が長野止まりの今、首都圏と金沢を直通する北陸には一定のビジネスユースがあると聞く。そしてこの日本海は、縦貫線を完走することでその列車名の通り、かつては「裏日本」と呼ばれた日本海側の各都市を丁寧に結んで青森に至る。三列車は、首都圏へ連絡する上越線と日本海縦貫線の交差点、長岡で必然的に一堂に会することになろう。考えてみれば新幹線網は、かつてそう言ったところの「表日本」に集中して展開している。並走する新幹線に寝台特急がいずれ淘汰されるのは歴史の必然である。正直、富士・はやぶさはよくぞ今春まで残ったものだと思う。無節操な整備新幹線の建設に賛成する者ではないが、こうして寝台特急の情勢を考えてみると、地域格差が浮き彫りになってくるのを実感するのは私だけではないはずだ。
列車は湖西線に入った。車内探検に出かける。B寝台の乗客は通路の簡易椅子に腰かけたりして思い思いの時間を過ごしていた。車窓はいよいよ昏くなってきた。山稜が残照のコントラストに浮き上がって何とも美しい。こうして座っているだけでも感傷に浸ってしまう。近江塩津到着前に自席に戻り、用意しておいた夕食をとる。やがて列車は近江塩津に運転停車し、後を追って来た雷鳥41号に道を譲る。同じ光景を一昨日は車内ではなくホームから見届けていたわけだ。少し不思議な気持ちである。新疋田~敦賀間は見慣れた車窓が出迎える。日はすっかり落ち、近越の隘路を抜けて敦賀に出れば、いよいよ日本海の夜である。
北陸トンネルの通過時間を測ってみたところ、11分17秒であった。どういうわけか黙々とするめいかを食す。加賀温泉では後続のサンダーバード43号を待避した。改めて考えれば、特急が特急に抜かれる光景は異様である。寝台特急はダイヤ上の「お荷物」なのだろう。金沢では意外にもA寝台に多くの乗客が乗り込んできたため、発車後のおやすみ放送を録音することができなかった。なかなか盛況である。本来ならば糸魚川まで起きて夜の海岸の車窓を堪能する予定だったのだが、高岡に着かずして不覚にも眠りに落ちてしまった。
目が覚めると3時25分。6時間弱眠ったことになる。鶴岡到着を目前にする頃である。減光された車内には橙色の常夜灯がぼんやりと灯る。フットライトの灯りも相まってどこか幻想的。車内は死んだように静かで、床下から伝わってくるジョイント音と心地よい振動があるのみ。鶴岡を発車後、窓外に目をやる。客車から漏れる灯りに闇夜の水田がぼうっと照らし出されていた。ふと見上げれば満天の星が瞬く。これほどまでに澄んだ星空は久々に見た。そう思っていると、機関車の汽笛が夜空にちぎれてゆく。この未明の情景は忘れることはない。
布団を被って寝たり起きたり。酒田を発車すると空はかすかに明るくなってきた。昨年2月に訪れた吹浦を過ぎると車窓には日本海が現れる。並走する国道のナトリウムランプが撮像素子に光跡を引く。進行方向を見れば彼方まで海岸線が続き、やがて朝焼けが沿岸の稜線を輪郭してゆく。黄昏と夜明け以上に美しい眺めはない。代えがたい経験である。心残りは、糸魚川付近の夜の日本海を観られなかったことだろうか。
A寝台の乗客もそろそろ起きだしてきたようで、だんだんと通路が慌ただしくなってきた。私も洗面所に行き、秋田で降りる準備をする。折角なので青森まで乗っていたかったが、それはまたの機会に回すとしよう。大阪から約12時間、列車は定刻に早朝の秋田に到着である。やや肌寒い空気が顔を打つ。
参考:8月25日発4001レ 日本海の編成
(←大阪)1号車オハネフ25 117・2号車オハネ24 7・3号車オハネ25 38・4号車オハネ24 10・5号車オハネ24 20・6号車オハネ24 51・11号車オハネフ24 121・12号車オロネ24 4・電源車カニ24 511・機関車EF81 103(青森→)
写真
1枚目:車窓には夜の帳が降りる。
2枚目:重厚なブルーの車体(@加賀温泉)。
3枚目:未明のA寝台車内。
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大阪1747 → 秋田535トワイライト塗色のEF81 103に率いられ、日本海はホームに滑り込む。人の流れは慌ただしいが、佇むブルーの車体に目をくれる者は少ない。青森行の長距離寝台特急なのであるから、せめて入線から発車までにもう少し時間があっても良いように思うのだが、ひっきりなしに列車の発着する過密ダイヤの中にあっては致し方ないのかもしれない。停車時間はわずか6分。行先幕に掲げた「青森」の文字と、水を深く湛えたかのようなブルーの車体は、どことなく異様な雰囲気を放っている。かつては当たり前のように夕方のターミナル駅を出発していったというブルートレイン群だが、東京口は既に消滅、上野口は北斗星とあけぼのと北陸、そして大阪口はこの日本海を残すのみとなった。
東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線4001レ
特急日本海 オロネ24 4
電源車直後のA寝台車に足を踏み入れる。B寝台のようにデッキの向こう側がいきなり客室となっているのではなく、緩衝地帯のように間に喫煙スペースが設けられている。ボックスシートが一区画あるだけの質素な空間だが、喫煙はせずとも、深夜帯にぼんやりと車窓を眺めるのに丁度良さそうなスペースである。客室内に入ると、通路両側に淡い紫色のカーテンの壁が待ち受ける。今となっては貴重なプルマン式開放A寝台。線路と平行に2段寝台が設置される。通路には赤絨毯が敷かれ、ささやかな高級感を演出している。半パイプ状の天井の照明が、どことなく落ち着いて洗練された印象をもたらしているように思う。客室扉上部の号車表示なども、設計者の温もりといったものが感じられて実に味わい深い。
下段寝台に潜り込む。テーブル、衣紋掛け、読書灯といった最低限の設備が目に入るが、カーテンは二重になっている上に、鏡や手荷物置場といったものが個々の寝台に細やかに備わっているのは、A寝台ならでは。ささやかながら、折り畳み式のテーブルも極力広くつくられている。解体すればボックスシートとして機能するだけあり、寝台の幅はかなり広い。枕は十分大きく、寝具はB寝台のものよりもふかふかであるような印象を抱いた。583系のB寝台下段も寝台幅自体は同じだが、高さの面で圧倒的にこちらが勝っている。ゆったりと背もたれに身をあずけ、大きな車窓を独占して後方に流れ去る黄昏の風景を堪能する。至高のひと時である。今となっては時代錯誤の感もある車内設備ではあるが、それがまた良い。
大阪を発った列車は、淀川を渡る。レースのカーテン越しに差し込む夕日と、規則的に影を落としてゆく橋梁の鉄骨が情緒的。新大阪発車後に停車駅・到着時刻の案内があった。放送を聞いているだけでも、翌朝目覚めたときには異郷の地を走っていることを思うと、心が躍るものがある。そしてそれこそが、寝台列車の旅の醍醐味ともいえる。日は刻一刻と落ちてゆく。京都到着までは夢中になって寝台内から車窓を撮影。夕刻にひっそりと出発し、大阪・京都の二大都市圏を去る特急日本海。開放B寝台と開放A寝台のみという質素な編成で彼方青森を目指すわけである。
寝台特急の将来は極めて暗い。もちろん、一部の列車、具体的には北斗星やカシオペア、トワイライトエクスプレスといったような「観光列車」としての地位を確立した列車は今後も何らかの形で生き永らえるかもしれない。そもそも、これらの列車はそうした意図のもとに運行が開始されたのであった。かようの観点からしてみると、日本海はあけぼの、北陸と並び、こうした観光列車とは一線を画した純粋な意味での寝台特急といえるのではないか。さくら、はやぶさ、富士といった東海道・山陽筋の名門寝台特急もあっさりと切り捨てられ、東京口の伝統的なブルートレインが消滅した現在にあって、今なお健在のこの三列車が、長岡という駅を共通に通過することは単なる偶然ではあるまい。つまるところ、新幹線の恩恵から離れた地域、日本海縦貫線を走る列車が残った。内陸のようには新幹線が通らない山形・秋田の日本海側と首都圏を直通するあけぼのにはそれなりの需要があろう。北陸新幹線が長野止まりの今、首都圏と金沢を直通する北陸には一定のビジネスユースがあると聞く。そしてこの日本海は、縦貫線を完走することでその列車名の通り、かつては「裏日本」と呼ばれた日本海側の各都市を丁寧に結んで青森に至る。三列車は、首都圏へ連絡する上越線と日本海縦貫線の交差点、長岡で必然的に一堂に会することになろう。考えてみれば新幹線網は、かつてそう言ったところの「表日本」に集中して展開している。並走する新幹線に寝台特急がいずれ淘汰されるのは歴史の必然である。正直、富士・はやぶさはよくぞ今春まで残ったものだと思う。無節操な整備新幹線の建設に賛成する者ではないが、こうして寝台特急の情勢を考えてみると、地域格差が浮き彫りになってくるのを実感するのは私だけではないはずだ。
列車は湖西線に入った。車内探検に出かける。B寝台の乗客は通路の簡易椅子に腰かけたりして思い思いの時間を過ごしていた。車窓はいよいよ昏くなってきた。山稜が残照のコントラストに浮き上がって何とも美しい。こうして座っているだけでも感傷に浸ってしまう。近江塩津到着前に自席に戻り、用意しておいた夕食をとる。やがて列車は近江塩津に運転停車し、後を追って来た雷鳥41号に道を譲る。同じ光景を一昨日は車内ではなくホームから見届けていたわけだ。少し不思議な気持ちである。新疋田~敦賀間は見慣れた車窓が出迎える。日はすっかり落ち、近越の隘路を抜けて敦賀に出れば、いよいよ日本海の夜である。
北陸トンネルの通過時間を測ってみたところ、11分17秒であった。どういうわけか黙々とするめいかを食す。加賀温泉では後続のサンダーバード43号を待避した。改めて考えれば、特急が特急に抜かれる光景は異様である。寝台特急はダイヤ上の「お荷物」なのだろう。金沢では意外にもA寝台に多くの乗客が乗り込んできたため、発車後のおやすみ放送を録音することができなかった。なかなか盛況である。本来ならば糸魚川まで起きて夜の海岸の車窓を堪能する予定だったのだが、高岡に着かずして不覚にも眠りに落ちてしまった。
目が覚めると3時25分。6時間弱眠ったことになる。鶴岡到着を目前にする頃である。減光された車内には橙色の常夜灯がぼんやりと灯る。フットライトの灯りも相まってどこか幻想的。車内は死んだように静かで、床下から伝わってくるジョイント音と心地よい振動があるのみ。鶴岡を発車後、窓外に目をやる。客車から漏れる灯りに闇夜の水田がぼうっと照らし出されていた。ふと見上げれば満天の星が瞬く。これほどまでに澄んだ星空は久々に見た。そう思っていると、機関車の汽笛が夜空にちぎれてゆく。この未明の情景は忘れることはない。
布団を被って寝たり起きたり。酒田を発車すると空はかすかに明るくなってきた。昨年2月に訪れた吹浦を過ぎると車窓には日本海が現れる。並走する国道のナトリウムランプが撮像素子に光跡を引く。進行方向を見れば彼方まで海岸線が続き、やがて朝焼けが沿岸の稜線を輪郭してゆく。黄昏と夜明け以上に美しい眺めはない。代えがたい経験である。心残りは、糸魚川付近の夜の日本海を観られなかったことだろうか。
A寝台の乗客もそろそろ起きだしてきたようで、だんだんと通路が慌ただしくなってきた。私も洗面所に行き、秋田で降りる準備をする。折角なので青森まで乗っていたかったが、それはまたの機会に回すとしよう。大阪から約12時間、列車は定刻に早朝の秋田に到着である。やや肌寒い空気が顔を打つ。
参考:8月25日発4001レ 日本海の編成
(←大阪)1号車オハネフ25 117・2号車オハネ24 7・3号車オハネ25 38・4号車オハネ24 10・5号車オハネ24 20・6号車オハネ24 51・11号車オハネフ24 121・12号車オロネ24 4・電源車カニ24 511・機関車EF81 103(青森→)
写真
1枚目:車窓には夜の帳が降りる。
2枚目:重厚なブルーの車体(@加賀温泉)。
3枚目:未明のA寝台車内。
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コメント
寝台は良いですよ( ´∀`) 代えがたい一夜になります。