雷鳥を追う Part 3
2009年8月23日 鉄道と旅行
撮影地を変えて、気分転換を図ってみる。
サンダーバードやしらさぎを練習台にして、EF81率いる4076レを撮影。編成の後方にしかコンテナが積載されておらず、迫力に欠ける写真となった。富山のEF81は、貨物専用機として過酷な縦貫線の運用を黙々とこなす姿がなかなか様になっている。後継機EF510も活躍の場を広めているが、未だに交直流電気機関車のスタンダードといった感がある。
その後は反対側の北陸トンネルの方に向かって歩く。スノーシェッド越しにトンネル出口を狙う著名な構図を期待していたのだが、トンネルに近づく道には立ち入り禁止の札がかかってしまっていた。仕方ないので、付近の道路や水田を青空と一緒に広角で撮り込んでみるという構図に変更。いい加減ではあるが、何もしないよりはましであろう。ここでは雷鳥23号と普通列車を撮影。
日はやや西に傾き、光線も若干ではあるが赤みを帯びてきた。しかしながら依然日差しは強く、気温も高い。空は晴れ渡り、薄い雲がゆっくりと流れていくのみである。元の撮影地に引き返すと、大勢の人が集結していた。直射日光というのは予想外に体力を消耗するものだが、本命の雷鳥30号まではあとわずかの辛抱。やがてパノラマグリーン車を先頭にして、列車は今庄トンネルを抜けてくる。この顔も国鉄色が配されるとなかなか精悍で良い。
北陸トンネルを抜けると、再び敦賀である。
写真
1枚目:大阪へ急ぐ特急雷鳥(@今庄~南今庄)。
2枚目:419系、道路、水田、青空(@敦賀~南今庄)。
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敦賀1333 → 南今庄13452両編成の521系であった。車内は異様な混雑ぶりを見せている。降りるのは隣の南今庄であるが、隣駅といっても16.6kmの道のりで、12分以上を要する。敦賀を発車するとまもなく、13kmを超える長大な北陸トンネルに突入。敦賀方の出口のそばには、慰霊碑が佇んでいた。炎天下の南今庄で下車した者の中に一般客はいないふうで、週末ということもあってか、みな雷鳥を狙いに来たといった感じである。まずは今庄トンネル方向に歩いて、トンネル手前の直線で上り線を撮る。
北陸本線249M 車番記録忘れ
サンダーバードやしらさぎを練習台にして、EF81率いる4076レを撮影。編成の後方にしかコンテナが積載されておらず、迫力に欠ける写真となった。富山のEF81は、貨物専用機として過酷な縦貫線の運用を黙々とこなす姿がなかなか様になっている。後継機EF510も活躍の場を広めているが、未だに交直流電気機関車のスタンダードといった感がある。
その後は反対側の北陸トンネルの方に向かって歩く。スノーシェッド越しにトンネル出口を狙う著名な構図を期待していたのだが、トンネルに近づく道には立ち入り禁止の札がかかってしまっていた。仕方ないので、付近の道路や水田を青空と一緒に広角で撮り込んでみるという構図に変更。いい加減ではあるが、何もしないよりはましであろう。ここでは雷鳥23号と普通列車を撮影。
日はやや西に傾き、光線も若干ではあるが赤みを帯びてきた。しかしながら依然日差しは強く、気温も高い。空は晴れ渡り、薄い雲がゆっくりと流れていくのみである。元の撮影地に引き返すと、大勢の人が集結していた。直射日光というのは予想外に体力を消耗するものだが、本命の雷鳥30号まではあとわずかの辛抱。やがてパノラマグリーン車を先頭にして、列車は今庄トンネルを抜けてくる。この顔も国鉄色が配されるとなかなか精悍で良い。
南今庄1546 → 敦賀1558やって来たのは455系。北陸本線では、かつての急行形車両が今なおこうして普通列車で余生を送っている。客室内は一部ロングシートに改造されたとはいえ、デッキ付きの普通列車というのもどこか不思議である。521系などの新型車両が進出してはきているが、北陸本線はなお国鉄型車両の牙城といえよう。
北陸本線240M クハ455 43
北陸トンネルを抜けると、再び敦賀である。
写真
1枚目:大阪へ急ぐ特急雷鳥(@今庄~南今庄)。
2枚目:419系、道路、水田、青空(@敦賀~南今庄)。
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