暘谷1322 → 大分1349菜の花の築堤で談笑した地元の方が、日出駅手前の早咲きの桜を見に行きませんかとおっしゃるので、車に乗せていただくことになった。がしかし、道が分からなくなったとのことなので、結局暘谷駅手前で降ろして頂くことに。何はともあれ、ありがとうございました(難読駅名:ようこく)。さて、乗車券の経路に従い、とりあえず下りの普通に乗って大分まで出ることにする。この辺りは大分・別府の近郊ということで列車本数もそこそこ多い。別府湾岸から急激にせり上がる高崎山の麓を国道沿いに旋回すれば、まもなく大分である。
日豊本線4643M クモハ815-16
大分1408 → 由布院1523大分駅では富士の記念グッズなどが販売されたり、数多くの写真が展示されたりして活況を呈していたが、あまり時間が無かったので、食糧を調達して遠巻きに眺めるのみとなった。
久大本線4844D キハ125-14
大分からは久大本線で内陸へ踏み込む。ピカピカの高架ホームへ移動し単行列車に乗り込むと、車内はかなり混雑していた。見たところ、由布院への観光客もいるようだが、部活帰りと思しき学生も多く乗降してゆく。また、私含め最終富士の撮影帰りといった感じの鉄ヲタも少なからず乗っている模様。最後尾にかぶりつくと、列車が山間部に入っていく様が何となく見て取れる。線路端の菜の花は、列車が通過すると風圧で左右に揺れ、まるでこちらに手を振っているかのようだ。庄内ではいくぶん空いたので、ボックスシートに移動。それから半時間ほどで由布院に到着である。
@由布院滞在時間は55分しか無かったのだが、駅から徒歩10分の立ち寄り湯へ。なにぶん今晩の宿は夜行列車であって、明日も一日中動き回ることになるわけであるから、風呂には入っておこうというわけである。実際に入っていたのは20分ほどしか無くかなり慌ただしい入浴となったが、ひとまず目標は達成。急いで駅に駆け戻ると、発車時刻ぎりぎりであった。本来の予定では3時間ほど滞在するはずだったのだが、撮影優先であるから、最終列車が遅延した以上は仕方がない。頂上に雪をかぶった由布岳が美しかった。またの機会にゆっくりと訪れたいところではある。
由布院1618 → 日田1723来た時と同じ車両であった。由布院を出た列車はいくつかのトンネルを抜けた後、水分トンネルという長大なトンネルに入る。その名の通り、分水嶺を越えているのだろう。10km以上の長い道のりを経て、ようやく隣駅の野矢に到着。日が西に傾く中、列車は西進。途中からロングシートに着席したがすぐに眠りに落ちたようで、気がつけば終着の日田であった。
久大本線 キハ125-14
日田1734 → 田川後藤寺1841ここからは乗り潰しに徹する。まずは日田彦山線で田川後藤寺まで出る。いよいよ日は落ちたようで、夜の帳。宝珠山という駅があったが、ホームの向かい側には桜並木。開花すれば見事なのだろう。
久大本線・日田彦山線980D キハ147-91
田川後藤寺1847 → 新飯塚1908全国的に見てもかなり短い線区なのではないか。バス部品を流用したキハ31が運用に就く。「国鉄の遺産」と呼ばれる車両でもある。座るや否や寝てしまったし、車窓も真っ暗だったので後藤寺線についてはほぼ記憶がない。
後藤寺線1568D キハ31 2
新飯塚1915 → 博多1957JR型だけかと思ったら、415系も走っているようだ。やはりモーター音がなかなかうるさいが、それがまた良い。博多までは40分あまりの道のりである。
筑豊線・篠栗線・鹿児島本線4663H モハ415-507
@博多山陽新幹線までは時間があるので、予定通り地下街でラーメンを食することにする。「一蘭」というチェーン店があるようなので、そこへ赴く。面白いのは、カウンターは席ごとに隣と仕切りが立てられていて、厨房との間にも暖簾がかかり店員と互いに顔が見えないようになっている。「味に集中する」ための仕組みらしい。店内はかなり狭い。中華そばのような麺で、なかなか美味しかった。予め注文を事細かに指定できるのも良い。ただ唐辛子のスープを入れ過ぎた感があって、そこは後悔している。そして、夕食は終了。さて、九州の地を去る時が来た。
博多2040 → 新大阪2325「ひかりレールスター」である。車内の照明は結構薄暗いが、それがまた良い。2列&2列なので座席は広々としていて、座り心地も良い。この座席や、昼間のソニックの座席などと比べると、昨晩のN700系のぞみの指定席は随分と見劣りしてしまう。最前列と最後列にはコンセントが装備されているのでこれを拝借して携帯電話を充電。申し分なし。新大阪までは2時間40分あまりの快適な旅路である。
山陽新幹線588A ひかり588号 772-7705
新大阪2332 → 糸魚川528随分とハードな行程である気がするが、新大阪では7分の接続で急行きたぐにに乗り換える。せっかく富士・はやぶさの最終列車を見送った後、そのまま直帰するのも勿体ないので、明日は大糸線を撮り込んでから帰ろうと考えるわけである。大糸線の始発前に糸魚川に到着できるので、急行きたぐには大変重宝する。関東からならば急行能登でやはり始発前に現地入りできるので、大糸線は、関東・関西両圏から夜行急行で訪れることのできる国鉄色の聖地ということになる。
東海道本線・北陸本線501M 急行きたぐに モハネ583-102
間もなく列車は到着。583系。何度見ても貫禄充分。今回は敢えて中段寝台を取ってみた。券面に「中段」と印刷されるのも急行きたぐにだけであろう。早速乗ってみると、前々から聞いていた通り激狭である。上半身を起こして座れないという異常な狭さだが、狭い場所で横になって眠るというのも魅力的ではある。これはあくまで個人的な意見。仰向けになると、上段寝台がのしかかる荷物棚のパイプが露出している。枕もとにはランプがあり、申し訳程度に覗き窓も設置されている。高度成長期、鉄道輸送量が爆発的に伸びる中で考案された「昼夜両用」という画期的な車両だが、今となっては「昭和の遺物」と呼ぶにふさわしく、少なくとも、21世紀にあって3段寝台とは、時代錯誤の感もある。デッキや通路の天井は異様に高い。しかしながら至るところに当時の開発陣の苦労が見て取れるようにも思う。こういった車両が未だに定期列車で現役なのは奇跡といえるのではないか。その奇跡を支えるだけの特殊な需要もあることに違いはない。急行きたぐには、大阪圏の最終列車、北陸圏の始発列車、新潟圏の通勤列車といった多様な表情を見せる。自由席・グリーン席・B寝台・A寝台という豊かな車内設備もこの車両の特徴であろう。
京都で日付が変わり、あとは眠りに就く。狭い空間だが寝る分には特に問題は無い。乗ってからすぐに寝て翌朝が早いといった場合なら、中上段でも差し支えないように思う。きたぐには夜の鉄路を北陸路へ・・・
写真
1枚目:久大本線と日田彦山線が並ぶ(@日田)。
2枚目:後藤寺線キハ31(@新飯塚)。
3枚目:583系3段寝台。手前の中段が今晩の寝床(@急行きたぐに車内)。
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