先頃より悶々と思索にふけっていた「思考回路」についての話ですが、「篩の比喩」とでも言うべきイメージをようやく開発することが出来たので、このイメージを思惟の過程で「発現」させていくことを手がかりとして、問題点の多くはいくぶん改善に向かい始めるのだと、そして現に向かいつつあるのではないかと、そう思えるようになった次第であります。まだ不確かではありますが。
抽象的に問題点を指摘することが出来てもそれによる実用的な効果はごく薄い。イメージを持つことの如何に大切であることか。結局、鍵を握るは「篩」である。篩の上に立って眺めてみても、そこには篩の地平というものがある。隠された部分はあまりに多いのだが、これはつまるところ、無意識のうちに多くの可能性を排除しているということに等しい。誤ったポイントが感作して発する鈍いないし幽かな光ではなく、本質を瞬く間に透徹するような閃光が発せられるためには、篩の上から脱却し、一段高い俯瞰的大局的な視点、広角レンズでばっさりと切り取るような視点を持つことが極めて肝要。そして、篩を見下ろしながら、冷静に問題を「篩にかけて」いき、そこで閃光を起こせば本質が「見える」、即ち「解ける」のだ。
・・・という結論でしたww
写真:0系新幹線@新岩国
300系が弾丸の速さで通過してゆく。
630文字
抽象的に問題点を指摘することが出来てもそれによる実用的な効果はごく薄い。イメージを持つことの如何に大切であることか。結局、鍵を握るは「篩」である。篩の上に立って眺めてみても、そこには篩の地平というものがある。隠された部分はあまりに多いのだが、これはつまるところ、無意識のうちに多くの可能性を排除しているということに等しい。誤ったポイントが感作して発する鈍いないし幽かな光ではなく、本質を瞬く間に透徹するような閃光が発せられるためには、篩の上から脱却し、一段高い俯瞰的大局的な視点、広角レンズでばっさりと切り取るような視点を持つことが極めて肝要。そして、篩を見下ろしながら、冷静に問題を「篩にかけて」いき、そこで閃光を起こせば本質が「見える」、即ち「解ける」のだ。
・・・という結論でしたww
写真:0系新幹線@新岩国
300系が弾丸の速さで通過してゆく。
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