長い道程の末にようやく到着した目的地の駅、そこに20分も留まらないまま復路を歩み始めるというのは、少なくとも私にとっては前代未聞の出来事。九州寝台の車中を東京から存分に堪能し、先ほど隣の門司にてはやぶさに別れを告げた。本来ならばこれからの道中でその余韻にじわじわと浸ることになるのであろうが、悲しいかな、予定に従うならばもう東京へと引き返す時刻である。
諸事情ゆえにもう東京に帰らねばならない。いや諸事情というよりは、そもそも今回の九州寝台乗車行は、夏休み最後の無念を晴らすべく新学期が始まった日常の合間をなんとか縫って実現したものであるから、必然的に忙しい行程にならざるを得なかった。昨晩車内から仰いだ満月などには言葉で言い表し難いほど甚く感銘を受けたこともあって、この乗車行はまさに至高のひと時と呼ぶにふさわしいものであった。ただ一つ惜しいのは、到着後があまりに慌ただしいので余韻に浸る時間がなかったことだろう。その余韻というのは、夕刻が近づくと水がゆっくりしみてくるように痛切に感じられるものだが、その頃には東京に戻ってしまっていて、さらに悪いことには、某会の英語に出席することになっているのである。ほんの束の間の非日常だったということだろう。考えようによってはそれはそれで面白いかもれないが。
とはいっても、復路は全くもって見どころなし、ではさすがに気が滅入る。そこで上手い具合にダイヤがかみ合ったこともあり、この機会に0系新幹線の乗り納めを行うことにした。博多ではなく門司で降りたのもこれゆえである。N700系の増備に伴い、山陽新幹線で細々と余生を送っていた0系はいよいよこの11月でその歴史に幕を下ろし、そして伝説となる。40年以上前、高度成長真っ只中で高速鉄道の新時代を切り拓いた0系、今となっては第一線から完全に退いたものの、その果たした功績は計り知れないものがあろう。さらにこの春、最後の3編成がオリジナル塗装に戻された。西日本まで足を伸ばすことはあまり無いだろうし、何よりも晩秋に引退だというから、この絶好の機会に所謂「記念乗車」の一員として参加させて頂くことにしたのである。普段は鉄道趣味として特別の関心を向けることなく、新幹線といえば実用的先進的といった他人事のようなイメージしか抱かなかった私が大げさに言うのは何とも恐縮な話だが、たとえ10年でも20世紀を生きた者としてはこの0系に別れを告げなければならないような思いがしたのだ。
往復乗車券の「かえり券」に入鋏した。往路の関係で経由が在来線になっているので、有人改札の通過である。ホームに上がる。つい先ほどまでは東京発熊本行のはやぶさに乗っていたというのに、もう上り新幹線ホームに立っているとはやはり不思議な感覚である。そしてまもなく接近放送が流れると、遠くに0系が姿を現した。一言で言えば「丸い顔」。流線形であるにもかかわらず、独特の柔和な表情を見せている。切れ長の前照灯になった100系、デザインが一新された300系、まるで戦闘機のような500系、カモノハシの姿になった700系、そして何とも形容し難い最新鋭N700系・・・系式の変遷と共にますますノーズは長大化していくが、0系はこれらのいずれとも似かよらない。厳かに、しかし優美に構えるその姿を目にすれば、新幹線の原点に君臨する静かな貫禄といったものを感じざるを得ないのである。やがて編成はゆっくりと停車し、扉が開く。オリジナル塗装もまた味が出ていて、デッキに足を踏み込む瞬間は胸が躍った。
前から2両目、5号車の自由席に座る。岡山までは3時間あまりのゆったりした道のりである。何ぶん各駅停車であるから、のぞみなどよりは沿線風景を堪能できるだろう。飽きない程度ならば、新幹線各駅停車の旅というのもなかなか趣深い。滑り出すように小倉駅を後にした列車は、着実な加速と共に発進した。やがて時速200km台に入ったと思われたが、走行は実に安定していて不安というものを一切感じさせない。かつての夢の高速鉄道にふさわしい、落ち着いた走りである。元祖0系新幹線、ここに在り。しばらくするとトンネルを抜け、列車は新下関に停車。この後も厚狭、新山口、徳山とのんびり停車していく。途中区間は高速走行であるとはいえ、実に穏やかな午前のひと時である。もう一つ特筆すべきは、ほぼ全ての停車駅で後続のひかりとのぞみに追い越される点。ホームの0系と合わせて撮影してみたりしたのだが、通過列車は恐ろしいスピードで猛然と抜かしてゆく。「目にも止まらぬ速さ」という表現はあながち間違ってはおらず、わずか数秒間空気が震えたと思うと、パンタグラフから激しく火花を散らしながら、既に列車はホームの彼方を去りつつある。そんな中でじっと停車する0系・・・時間の流れ方が違うのかもしれない。
11時ちょうどに到着する新岩国では12分の長時間停車。折角なので反対側のホームまで移動して編成写真を収めることにした。天気はあいにくの雨であるが、静かな、しかし広い新幹線ローカル駅の構内にただ6両で佇む0系の姿は印象的である。途中2本の列車に抜かれていった。そんなこんなで12分はあっという間に経過してしまったが、充実した撮影時間となった。各駅停車なのでこういった余裕が至るところにあるというのが嬉しいところである。新岩国の次は広島。そして東広島、三原、新尾道、福山、新倉敷と順々に停まっていくが、小倉にて急いで買った軽食などを口にしつつ、のんびりとした時間を過ごすのみ。客室は2列×2列配置のシートで実にゆったりとしており、言うことなしの快適さ。見たところでは乗車率は3割程度。適度に閑散としていてこれまた落ち着く。デッキや通路に残された昭和の遺物を時折目にしつつ、岡山までの旅路を楽しんだのだった。一つ目を引いたのは、華々しく活躍する0系の写真が、本来ならば広告が入るであろう壁の額にはまっていたこと。かつての栄光を彷彿させる演出であるが、いよいよ最後を迎えるこの名車両の功績を偲んでのことだろう。昨晩の九州寝台と同様、時代の流れには抗えないというのは事実である。そうと分かっていても、どうしても寂しい気持ちに襲われるものだ。
12時53分、列車は定刻に岡山に到着した。新幹線は高速性、安全性のみならず、その極めて正確な定時性が海外でも評価されているという。単なる新幹線車両の1形式ではなく、「新幹線」という画期的な高速鉄道システムそのものを象徴する存在としての0系の姿を垣間見たように思う。列車はしばらくホームに停車した後、粛々と引き揚げて行った。さようなら、0系。
ここからはのぞみを利用する。車両はN700系、まさに最古参から最新鋭への乗り換えである。一昨日指定席を確保した時、残りはわずか2席、それも3人席の中間しか残っていないとのことであった。仕方ないのでその3人席の中間に乗ることになったわけだが、考えてみれば三連休の最終日であるし、この時間帯に帰京するという人はさぞ多いことだろう。案の定、車内は満席である。家族連れが多くいるようだ。N700系の高速走行を味わいながら雑務の処理を始めることにした。しかしながら、車窓が無くそう落ち着いた環境ではなかったこともあってか、あまり捗らなかった。列車はみるみるうちに主要駅を拾っていく。気がついたら新大阪、あっという間に京都、そして名古屋。つい先ほどまで0系こだま号の各駅停車に乗っていた身からすれば、信じられない速さである。終盤は半分寝ているようなぼんやりした状態になっていたが、東海道をただひたすら東進し続け、ついに列車はやはり定刻に終着東京に到着したのであった。変な言い方だが、速すぎて逆に印象が残らなかった感がある。
22時間あまりが経過した夕刻の東京駅に戻ってきた。同時に全行程を終え、旅行、というよりは乗車行は終極を迎えることとなった。冒頭でも述べたが、まさに束の間の非日常と呼ぶにふさわしい22時間。そして明日から、いやもうこの時点から当たり前のように日常が回り始めるのである・・・そんなことを考えて代々木へと向かったのであった。
写真:山陽新幹線0系@新岩国
3631文字
小倉939 → 岡山1253
山陽新幹線 こだま638号
諸事情ゆえにもう東京に帰らねばならない。いや諸事情というよりは、そもそも今回の九州寝台乗車行は、夏休み最後の無念を晴らすべく新学期が始まった日常の合間をなんとか縫って実現したものであるから、必然的に忙しい行程にならざるを得なかった。昨晩車内から仰いだ満月などには言葉で言い表し難いほど甚く感銘を受けたこともあって、この乗車行はまさに至高のひと時と呼ぶにふさわしいものであった。ただ一つ惜しいのは、到着後があまりに慌ただしいので余韻に浸る時間がなかったことだろう。その余韻というのは、夕刻が近づくと水がゆっくりしみてくるように痛切に感じられるものだが、その頃には東京に戻ってしまっていて、さらに悪いことには、某会の英語に出席することになっているのである。ほんの束の間の非日常だったということだろう。考えようによってはそれはそれで面白いかもれないが。
とはいっても、復路は全くもって見どころなし、ではさすがに気が滅入る。そこで上手い具合にダイヤがかみ合ったこともあり、この機会に0系新幹線の乗り納めを行うことにした。博多ではなく門司で降りたのもこれゆえである。N700系の増備に伴い、山陽新幹線で細々と余生を送っていた0系はいよいよこの11月でその歴史に幕を下ろし、そして伝説となる。40年以上前、高度成長真っ只中で高速鉄道の新時代を切り拓いた0系、今となっては第一線から完全に退いたものの、その果たした功績は計り知れないものがあろう。さらにこの春、最後の3編成がオリジナル塗装に戻された。西日本まで足を伸ばすことはあまり無いだろうし、何よりも晩秋に引退だというから、この絶好の機会に所謂「記念乗車」の一員として参加させて頂くことにしたのである。普段は鉄道趣味として特別の関心を向けることなく、新幹線といえば実用的先進的といった他人事のようなイメージしか抱かなかった私が大げさに言うのは何とも恐縮な話だが、たとえ10年でも20世紀を生きた者としてはこの0系に別れを告げなければならないような思いがしたのだ。
往復乗車券の「かえり券」に入鋏した。往路の関係で経由が在来線になっているので、有人改札の通過である。ホームに上がる。つい先ほどまでは東京発熊本行のはやぶさに乗っていたというのに、もう上り新幹線ホームに立っているとはやはり不思議な感覚である。そしてまもなく接近放送が流れると、遠くに0系が姿を現した。一言で言えば「丸い顔」。流線形であるにもかかわらず、独特の柔和な表情を見せている。切れ長の前照灯になった100系、デザインが一新された300系、まるで戦闘機のような500系、カモノハシの姿になった700系、そして何とも形容し難い最新鋭N700系・・・系式の変遷と共にますますノーズは長大化していくが、0系はこれらのいずれとも似かよらない。厳かに、しかし優美に構えるその姿を目にすれば、新幹線の原点に君臨する静かな貫禄といったものを感じざるを得ないのである。やがて編成はゆっくりと停車し、扉が開く。オリジナル塗装もまた味が出ていて、デッキに足を踏み込む瞬間は胸が躍った。
前から2両目、5号車の自由席に座る。岡山までは3時間あまりのゆったりした道のりである。何ぶん各駅停車であるから、のぞみなどよりは沿線風景を堪能できるだろう。飽きない程度ならば、新幹線各駅停車の旅というのもなかなか趣深い。滑り出すように小倉駅を後にした列車は、着実な加速と共に発進した。やがて時速200km台に入ったと思われたが、走行は実に安定していて不安というものを一切感じさせない。かつての夢の高速鉄道にふさわしい、落ち着いた走りである。元祖0系新幹線、ここに在り。しばらくするとトンネルを抜け、列車は新下関に停車。この後も厚狭、新山口、徳山とのんびり停車していく。途中区間は高速走行であるとはいえ、実に穏やかな午前のひと時である。もう一つ特筆すべきは、ほぼ全ての停車駅で後続のひかりとのぞみに追い越される点。ホームの0系と合わせて撮影してみたりしたのだが、通過列車は恐ろしいスピードで猛然と抜かしてゆく。「目にも止まらぬ速さ」という表現はあながち間違ってはおらず、わずか数秒間空気が震えたと思うと、パンタグラフから激しく火花を散らしながら、既に列車はホームの彼方を去りつつある。そんな中でじっと停車する0系・・・時間の流れ方が違うのかもしれない。
11時ちょうどに到着する新岩国では12分の長時間停車。折角なので反対側のホームまで移動して編成写真を収めることにした。天気はあいにくの雨であるが、静かな、しかし広い新幹線ローカル駅の構内にただ6両で佇む0系の姿は印象的である。途中2本の列車に抜かれていった。そんなこんなで12分はあっという間に経過してしまったが、充実した撮影時間となった。各駅停車なのでこういった余裕が至るところにあるというのが嬉しいところである。新岩国の次は広島。そして東広島、三原、新尾道、福山、新倉敷と順々に停まっていくが、小倉にて急いで買った軽食などを口にしつつ、のんびりとした時間を過ごすのみ。客室は2列×2列配置のシートで実にゆったりとしており、言うことなしの快適さ。見たところでは乗車率は3割程度。適度に閑散としていてこれまた落ち着く。デッキや通路に残された昭和の遺物を時折目にしつつ、岡山までの旅路を楽しんだのだった。一つ目を引いたのは、華々しく活躍する0系の写真が、本来ならば広告が入るであろう壁の額にはまっていたこと。かつての栄光を彷彿させる演出であるが、いよいよ最後を迎えるこの名車両の功績を偲んでのことだろう。昨晩の九州寝台と同様、時代の流れには抗えないというのは事実である。そうと分かっていても、どうしても寂しい気持ちに襲われるものだ。
12時53分、列車は定刻に岡山に到着した。新幹線は高速性、安全性のみならず、その極めて正確な定時性が海外でも評価されているという。単なる新幹線車両の1形式ではなく、「新幹線」という画期的な高速鉄道システムそのものを象徴する存在としての0系の姿を垣間見たように思う。列車はしばらくホームに停車した後、粛々と引き揚げて行った。さようなら、0系。
岡山1314 → 東京1633
山陽・東海道新幹線のぞみ24号
ここからはのぞみを利用する。車両はN700系、まさに最古参から最新鋭への乗り換えである。一昨日指定席を確保した時、残りはわずか2席、それも3人席の中間しか残っていないとのことであった。仕方ないのでその3人席の中間に乗ることになったわけだが、考えてみれば三連休の最終日であるし、この時間帯に帰京するという人はさぞ多いことだろう。案の定、車内は満席である。家族連れが多くいるようだ。N700系の高速走行を味わいながら雑務の処理を始めることにした。しかしながら、車窓が無くそう落ち着いた環境ではなかったこともあってか、あまり捗らなかった。列車はみるみるうちに主要駅を拾っていく。気がついたら新大阪、あっという間に京都、そして名古屋。つい先ほどまで0系こだま号の各駅停車に乗っていた身からすれば、信じられない速さである。終盤は半分寝ているようなぼんやりした状態になっていたが、東海道をただひたすら東進し続け、ついに列車はやはり定刻に終着東京に到着したのであった。変な言い方だが、速すぎて逆に印象が残らなかった感がある。
22時間あまりが経過した夕刻の東京駅に戻ってきた。同時に全行程を終え、旅行、というよりは乗車行は終極を迎えることとなった。冒頭でも述べたが、まさに束の間の非日常と呼ぶにふさわしい22時間。そして明日から、いやもうこの時点から当たり前のように日常が回り始めるのである・・・そんなことを考えて代々木へと向かったのであった。
写真:山陽新幹線0系@新岩国
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