はやぶさの一夜 前篇
あれ以来、絶望の淵に沈む心の奥底で燃え続けてきた、静かなる復讐の炎が、行程面その他色々な意味において常軌を逸したこの乗車行に私を駆り立てたのだろう。即ち、今回を措いて一体他に機会があるのかと、自問を重ねてきたわけである。それゆえに、一度は実に不運にも流れてしまった幻の行程をここに再現するに至った。いよいよ最終章を迎える九州寝台、最後の別れに今宵九州へ旅立つ。

東京1803 → 門司846

東海道・山陽・鹿児島本線 1レ 特急はやぶさ

旅立ちの黄昏時
夕刻の東京駅は賑わっている。毎度のことながら夜行列車での旅立ちとは不思議なもので、普段目にする都会の雑踏とか通勤客で込み合った電車とか、そういったものが独特の趣をもって迫って来る。今宵乗り込むは熊本行の寝台列車である。「鮭いくら寿司」なる弁当を中央通路で買い、今晩車内で食する分とする。そして10番線へ。同じく富士・はやぶさの乗客であろう人々が既に待っているようで、三連休の中日というこもあってか閑散とした寂しさは感じられない。程なく、有楽町方からEF66に率いられて列車が入線した。ホームに滑り込み、緩やかな減速を伴って静かに横たわる深い青の車体を目の当たりにすると、ステンレス製車両に見慣れて乾き切った目が久々に潤されるかのような感覚である。編成は扉が閉まったまましばらくホームに停車し、その間に隣の9番線をEF66が通過して有楽町方に引き上げ、先頭に連結されるという段取りになっている。一連の流れを眺めつつ撮影していたが、先頭付近は主に家族連れを中心に盛況の模様。開扉は発車18分前の17時45分になってからであった。昨年暮れに乗車した銀河号とは違い、扉が開いてから発車までの時間は予想外に短い。側面や最後尾など、一通りの撮影は済ませたもののかなり慌ただしくなってしまった。

長き旅路の始まり
本当ははやぶさ5号車の自席に戻るつもりだったのだが、乗り込んだのがあまりに発車時刻直前であったため、最後尾の富士12号車の上段寝台で車内放送を録音する運びとなった。ハイケンスのセレナーデは客車に乗っていることを改めて実感させてくれる。別段録音機器を用意しなくとも、PowerShot S2ISのサウンドレコーダーで事足りるとは便利である。老練な放送が一言一言流れてゆく。しかし停車駅の案内が九州島内に入ったところで、残念ながら検札が入ってしまった。そのため雑音の無しの完璧な録音はならなかったのだが、これも旅の想い出と思えば別段悪くはなかろう。放送が終わり、車窓を眺めると既に日は完全に落ちていた。あと10日ほどで秋分を迎えるのだから当然ではあるものの、ずいぶん短くなった感がある。12号車は無人である。折角なので最後尾の貫通路から去りゆく景色を眺めてみた。後方へ流れゆく光跡をカメラに収めてみたことにはみたのだが、窓のピアノ線の網も一緒に写ってしまうので今一つといったところである。列車は既に多摩川を渡ったようで、まもなく横浜に到着するようだ。日没と共に、次第に列車は都会から離れてゆく。今や新幹線では到底味わえない、在来線長距離列車ならではの独特の風情といえる。

自席のB寝台下段に戻る。今日の5号車はオハネ15 2。最近小倉に入場した車両らしく、車内はリニューアルされていた。テーブルの栓抜きが無くなっていたり、床が絨毯でなかったのはやや残念ではあるものの、寝台周辺の雰囲気は従来のリニューアルに比べるとなかなか秀逸なのではないかという所感である。モケットは落ち着いた黄土色、化粧板は木目調のものに交換されていて、ささやかな高級感が演出されている。一方隣の4号車はオハネ15 1、即ちトップナンバー。こちらは旧式のリニューアルが維持されていて、これはこれでまた独特の侘しさを堪能することが出来そうである。ただ、およそ30年前に製造されたこれらの寝台客車に耐用の限界が近づいてきていることは確かであろう。横浜を発った列車は、西に進路をとりながら走り続けている。

夜の東海道をひた走る
首都圏はますます遠ざかってゆく。途中駅の喧噪も、車内から眺めてみれば全くの別世界。いや、車内の方が全くの別世界といった方が正しいのかもしれない。いよいよ相模湾が近づいてきたようなので、通路の簡易椅子に腰かける。今宵は仲秋の名月。さほど高くない位置に昇った満月が、車窓に浮かんでいる。月を眺めながら、夜行列車で東海道を下る・・・乙なものである。19時20分頃、根府川の鉄橋を通過した。あっという間ではあったが、並走する国道の車列、夜空に浮かんだ満月、これらが相まって何ともいえない心持ちになる。東京を出ておよそ1時間半、今宵はまだ長い。車窓を眺めながらこうして日没後の所在無い時間を過ごす・・・贅沢な時間、そして寝台列車ならではの醍醐味である。それでいて明日には遥か彼方の地を走っているのだと思うと、不思議な気持ちにならざるを得ない。

熱海に到着した。2分停車とのことなので、ホームに出て東京で撮りそこなった行先幕を撮っていたところ、驚いたことに発車ベルも何も無しに扉がゆっくりと閉まっていくではないか。気がついたら車体側面のランプも消えていた。狼狽極まってホームを走り出すと、気づいてもらえたのか、幸いなことに再び扉が開いて無事車内に戻ることが出来た。ここで取り残されてしまっては洒落にも何もならない。そして御迷惑をおかけし申し訳無い。しかし恐ろしい数秒間であった。向後は慎重になりたいところである。

熱海を出ると列車はすぐに丹那トンネルに入り、その後は沼津、富士、静岡と主要駅に停車していく。私はやはり車窓高くに浮かぶ満月を呆然と眺めながら、規則正しい静かな客車のジョイント音、そして振動に揺られて、ただこのひと時を堪能するのみ。時間を堪能するとは変な言い方だが、とりあえずここではそういった表現しかできない。不完全ながら敢えて説明するならば、列車内に漂う独特の雰囲気を感じ取り、時折吹鳴される汽笛の寂しげな響きに耳を傾け、ただただ流れゆくばかりの車窓に目をやれば、この一瞬一瞬さえが有意なものとなり、それゆえにここに流れている時間は不思議なまでに凝縮された姿をもって否応なく迫って来るのである。そしてそれを堪能することこそが、至高と呼ぶにふさわしい喜びであろう。

夕刻に用意しておいた弁当を頬張る。町が近づいたと思ったら、やがて遠ざかっていく。そしてまた次の町がやって来る。車窓はこれの繰り返しである。21時頃に所謂「おやすみ放送」が流れた。情趣に浸って呆然としているあまり、録音しそこねたことを今になって後悔している。一応当初の予定に入っていたものであるから、なおさら惜しい思いである。放送は一通りの停車駅案内の後、夜間帯の注意などを述べて終了。放送によれば、今晩は大阪までの乗客がいるようである。東京からならば新幹線が断然便利であろうに、わざわざこの列車を利用するとはそれなりの理由でもあるのだろうか。やがて車内は減光された。ささやかな酒宴が開かれていた区画なども含め、乗客は大方眠る体勢に入ってきているようだ。浜松、豊橋、名古屋と列車は足を進めてゆく。それまでは車内探検と呼べば良いのか、EF66が目前に迫る先頭部まで足を運んだりしていた。また、客室は良く冷房が効いているが、少し暑苦しいデッキから眺める外の景色も一風変わっていて独特である。2分停車の名古屋では当初機関車の撮影を手早く行う予定だったが、先の熱海の件があるのでおとなしく自席に戻ることにした。

皓々たる月夜
満月が美しい。夜も更けゆき、いよいよ空高くまで昇った月は、あたり一帯、そしてこの列車を見下ろしている。23時を回った岐阜を発車すると、大垣を経て関ヶ原を越えることになる。ということはもう上りのながらとはすれ違ったのだろうか。上りのながらに乗った時は、穂積に着くまでの間に下り富士・はやぶさと離合したものと記憶している。さて、名古屋や岐阜では賑やかだった街の電飾は見られなくなった。列車は山間部へと入って来ているようで、家々もまばらに点在するのみとなった。屋根瓦が、月光に煌めいている。月明かりに照らし出された里の風景を車窓に映しながら、列車は汽笛と共に月夜を邁進する。薄暗い寝台車の通路、そこから眺める月夜の車窓は格別極まりない。同時にムーンライト・ソナタに聞き入っていたものであるから、感激のあまり涙が出そうになった。

眠りに落ちたのは近江長岡を過ぎた頃であった。

写真:特急はやぶさ行先幕@熱海

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コメント

nophoto
富士はやぶさ
2008年12月27日0:09

こんにちは、私も東京9月14日発の富士はやぶさに乗りました。
私は7号車の12番の下段でした。鉄道博物館の帰りで東京から大阪まで乗りました。来年廃止なのは残念です。何とか延命して欲しいです。

くはね
2009年1月1日2:30

コメントありがとうございます。同じ列車に乗っていらしたようですね。
今春に廃止というのは私も残念極まりない思いです。また一つ大きな節目がやって来るわけですが、一日一日を大切にしていきたいものです。

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