石巻線の貨物列車 Part 7
2008年4月3日 鉄道と旅行
日が最も高く昇る時間帯となり、食堂などはないものかと探すも残念ながら見当たらず( ´・ω・`) 仕方ないので、仙台屋という駅前の商店で菓子パンを購入しこれを昼食に供することとなりました。そして前谷地駅の待合室へ。次にやって来る貨物列車は実に2時間半も後で、それまでずいぶん時間が空くこととなります。
ただし現在のように情報が氾濫しているわけではないので、撮影地などは車内からロケハン、そして駅から数km歩いてそこに辿り着くというのもごく当たり前。その分、見知らぬ景色に出くわした時の感動は大きかったそうです。インターネットはおろか、携帯電話すら存在しなかった当時、鉄道撮影は並大抵の苦労ではなされ得なかったことでしょう。そう考えてみると、平成生まれの私などには、大きな時代の隔たりといったものが否応なく感じられてしまうのです。撮影地を開拓し数々の写真を撮影された先人たちには、尊敬の念を抱いてやみません。
もう一つ印象に残った話としてはやはり、普段からあるものと失われつつあるものとに対するモチベーションの差。例えば先日EF65 535号機が引退しましたが、その時撮影に赴いてみると集まった人の数にとにかく驚かれたそうです。もっとも、535号機は普段から人気を集めていた機関車であったことには変わりありませんが、いざ無くなるとなると、大勢の人が詰めかけてきて最早日常の姿は見られなくなるわけです。もっと顕著なのが、相次ぐ東海道ブルトレの廃止。私の知る限りでは、あさかぜとさくらを皮切りに、出雲、さらにはついこの間の銀河と相次いで姿を消していき、残るは富士・はやぶさのみとなってしまったわけですが、廃止の度に人が集まってはまた引いていくということが繰り返されてきました。そのような繰り返しはいつの時代も変わることはなく、何十年も同じようなことを見てきたとおっしゃいました。
蒸気機関車全廃に向けての動きが本格化した当時、「SL撮影」はある種のブームとなり、所謂「俄かファン」と呼ばれる人も増えてきたそうです。要は、今当たり前のように存在する風景にどれだけ目を向け、どれだけそれらを忠実にカメラに収めていけるかということこそ、記録としての価値を重視する観点からしてみれば本質的なのではないかというわけです。私見では、これは「何故鉄道を撮るのか」という根本的な問いかけに通じてくる部分でもあると思います。私自身本格的に撮影を始めたのはまだ3年ほど前のことに過ぎず、浅い経験からは何とも結論を下し難いのですが、その答えを見出しつつ、より深い境地を目指していくことが大切になってきそうですね。
そのために具体的に必要なのは、一回一回の撮影を如何に満足のいくものとして決めていくかということでしょう。「宿題を残す」とおっしゃっいましたが、「またいつか来れば良い」と思っていると、二度と満足のいく写真は撮れないといいます。そう考えてみると、この一瞬一瞬の撮影というのが、色々な意味でどれほど大切なものなのかが身にしみて分かってくるような気がするわけです。
色々とお話を頂き、ありがとうございました。充実した午後のひと時となりました。
さて、昼過ぎから天気が崩れ、先ほどからはどうも雨が降ったり止んだりしています。14時を過ぎた頃、ふと思い立って気仙沼行2943Dと小牛田行1636Dの交換を踏切のそばから撮りに行ったのですが、風の吹きつける土砂降りとなってずいぶん濡れてしまいました。しばらくすると雨はおさまり、暗雲も東へ移動していったようです。寒冷前線が通過しているのでしょうか。今日は前谷地に居座ることとなりそうですね。
そろそろ上下の貨物列車が前谷地で交換する時刻となったので、これを跨線橋から撮影しようと思います。それこそ「贅沢」な撮影ですが、天気もあまり優れない上に、貨物列車同士の交換というのもここくらいでしか見られないでしょうから、丁度良いというわけです。先ほどの1652レと同じように、まずは上りの650レが先に入線し、停車。その後下り657レが横を通過していきます。ところが、またもや下り列車は単機の模様orz コンテナの屋根がダイナミックにすれ違う様を期待していたのですが、残念でありました。昨日の影響をまだ引きずっているのか、荷が小牛田に到着していないということなのでしょうか( ´・ω・`)
貨物列車と単機の交換を見送った後は、しばらくして下りの1653レを狙うべく、駅を後に。先ほどの方と別れて私は線路北側の農道を進み、萱葺き屋根の農家とトンネル口を絡められる構図で構えることにしました。日が西に傾いてきた今、光線状態は逆光ですが、それはそれで良いものです。まさか今回も単機ではあるまいかと若干不安になったのですが、今度は無事に荷を牽いてきてくれました。更新色の1539号機の牽引でした。
その後は、10分後に前谷地を発車する小牛田行に間に合うべく急いで駅に戻ります。1km弱を5分ほどで走ったことになりますね。なかなか疲れました( ´・ω・`)
さて、ひとまず前谷地を後にすることにしましょう。
写真:石巻線1653レ@涌谷〜前谷地
夕方の下り列車が駆けて来る。
2523文字
・@前谷地そこで、先ほど知り合った方から色々と有難いお話をお聞きすることができました。彼が鉄道を撮り始めたのは高校一年の時で、実に半世紀弱もの写真歴。当時は蒸気機関車全盛時代から全廃へと傾くさなかにあり、徐々にその姿を消してゆく蒸機を追い求め、周遊きっぷなどを使って全国至る所の撮影地を旅して回ったそうです。2月や3月にかけて北海道を訪れるというのは当時よく行われたそうで、道内の夜行列車網を利用して蒸機を撮影して回るという、古き良き時代だったとのこと( ´∀`) 所謂「駅寝」というのも当たり前の話で、現在とは比べ物にならないほど夜行列車が多く走っていたゆえに、待合室を手軽に利用することが出来たようです。今となってはなかなか想像のつかない話ですね。
ただし現在のように情報が氾濫しているわけではないので、撮影地などは車内からロケハン、そして駅から数km歩いてそこに辿り着くというのもごく当たり前。その分、見知らぬ景色に出くわした時の感動は大きかったそうです。インターネットはおろか、携帯電話すら存在しなかった当時、鉄道撮影は並大抵の苦労ではなされ得なかったことでしょう。そう考えてみると、平成生まれの私などには、大きな時代の隔たりといったものが否応なく感じられてしまうのです。撮影地を開拓し数々の写真を撮影された先人たちには、尊敬の念を抱いてやみません。
もう一つ印象に残った話としてはやはり、普段からあるものと失われつつあるものとに対するモチベーションの差。例えば先日EF65 535号機が引退しましたが、その時撮影に赴いてみると集まった人の数にとにかく驚かれたそうです。もっとも、535号機は普段から人気を集めていた機関車であったことには変わりありませんが、いざ無くなるとなると、大勢の人が詰めかけてきて最早日常の姿は見られなくなるわけです。もっと顕著なのが、相次ぐ東海道ブルトレの廃止。私の知る限りでは、あさかぜとさくらを皮切りに、出雲、さらにはついこの間の銀河と相次いで姿を消していき、残るは富士・はやぶさのみとなってしまったわけですが、廃止の度に人が集まってはまた引いていくということが繰り返されてきました。そのような繰り返しはいつの時代も変わることはなく、何十年も同じようなことを見てきたとおっしゃいました。
蒸気機関車全廃に向けての動きが本格化した当時、「SL撮影」はある種のブームとなり、所謂「俄かファン」と呼ばれる人も増えてきたそうです。要は、今当たり前のように存在する風景にどれだけ目を向け、どれだけそれらを忠実にカメラに収めていけるかということこそ、記録としての価値を重視する観点からしてみれば本質的なのではないかというわけです。私見では、これは「何故鉄道を撮るのか」という根本的な問いかけに通じてくる部分でもあると思います。私自身本格的に撮影を始めたのはまだ3年ほど前のことに過ぎず、浅い経験からは何とも結論を下し難いのですが、その答えを見出しつつ、より深い境地を目指していくことが大切になってきそうですね。
そのために具体的に必要なのは、一回一回の撮影を如何に満足のいくものとして決めていくかということでしょう。「宿題を残す」とおっしゃっいましたが、「またいつか来れば良い」と思っていると、二度と満足のいく写真は撮れないといいます。そう考えてみると、この一瞬一瞬の撮影というのが、色々な意味でどれほど大切なものなのかが身にしみて分かってくるような気がするわけです。
色々とお話を頂き、ありがとうございました。充実した午後のひと時となりました。
さて、昼過ぎから天気が崩れ、先ほどからはどうも雨が降ったり止んだりしています。14時を過ぎた頃、ふと思い立って気仙沼行2943Dと小牛田行1636Dの交換を踏切のそばから撮りに行ったのですが、風の吹きつける土砂降りとなってずいぶん濡れてしまいました。しばらくすると雨はおさまり、暗雲も東へ移動していったようです。寒冷前線が通過しているのでしょうか。今日は前谷地に居座ることとなりそうですね。
そろそろ上下の貨物列車が前谷地で交換する時刻となったので、これを跨線橋から撮影しようと思います。それこそ「贅沢」な撮影ですが、天気もあまり優れない上に、貨物列車同士の交換というのもここくらいでしか見られないでしょうから、丁度良いというわけです。先ほどの1652レと同じように、まずは上りの650レが先に入線し、停車。その後下り657レが横を通過していきます。ところが、またもや下り列車は単機の模様orz コンテナの屋根がダイナミックにすれ違う様を期待していたのですが、残念でありました。昨日の影響をまだ引きずっているのか、荷が小牛田に到着していないということなのでしょうか( ´・ω・`)
貨物列車と単機の交換を見送った後は、しばらくして下りの1653レを狙うべく、駅を後に。先ほどの方と別れて私は線路北側の農道を進み、萱葺き屋根の農家とトンネル口を絡められる構図で構えることにしました。日が西に傾いてきた今、光線状態は逆光ですが、それはそれで良いものです。まさか今回も単機ではあるまいかと若干不安になったのですが、今度は無事に荷を牽いてきてくれました。更新色の1539号機の牽引でした。
その後は、10分後に前谷地を発車する小牛田行に間に合うべく急いで駅に戻ります。1km弱を5分ほどで走ったことになりますね。なかなか疲れました( ´・ω・`)
さて、ひとまず前谷地を後にすることにしましょう。
写真:石巻線1653レ@涌谷〜前谷地
夕方の下り列車が駆けて来る。
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