21時を回った大阪駅は、心なしか少し人が少なくなってきました。今年も残すところ大みそかのみとなった今、年の瀬というわけです。銀河を見送ってからきたぐにに乗車しようと思っていたのですが、まだ1時間ほど暇なため、駅の外をぶらついてみます。EXCELSIOR CAFFEなる喫茶店がちょうどあったのでその中へ。
次はいよいよきたぐにです。
折戸を通ってデッキに立つと、間もなく扉が閉まり、そしてゆるやかな振動を伴い、列車は加速を始めました。急行きたぐにの旅の始まりです( ´∀`)
取っておいたのはやはり下段寝台。B寝台とはいったものの、幅はボックスシートそのままなので、実に90cm以上あります。中段寝台の底が上からのしかかって来てはいるのですが、大きな車窓を独り占め出来るというのも下段ならではの魅力と言えるでしょう。読書灯や衣紋掛け、小さなテーブル、ささやかな肘入れなども備え付けられていて、通路側のカーテンを閉めれば申し分の無い快適な移動空間となります。梯子を登れば中段・上段寝台がありますが、こちらは一方で狭めの空間。また機会があれば、今度は中上段に乗ってみたいところです。さぞ斬新な体験が待っていることでしょう。3段寝台とあって、建築限界ギリギリまで拡張された車体の天井はかなり高く、照明灯やスピーカーが並んでいます。夜は寝台、昼は座席になる583系、その巧妙かつ優れた機構には改めて感服するところであります。
新大阪を発車後、停車駅などの放送があり、その後は夜の東海道本線を快走。足元からはモーター音が静かに、しかし力強く唸り、京都までは32分という新快速に迫るダイヤで走ります。京都停車中に日付が変わり、その後も列車は米原まで東進。北陸方面への列車のうち、このきたぐにだけが孤塁を守って米原経由で運転されています。大阪と新潟を結ぶ夜行急行きたぐにですが、京都線・琵琶湖線の最終列車としての役目も果たし、翌朝は新津から新潟まで快速列車となって通勤輸送に一役買うという様々な側面を見せています。これに加え、普通車、グリーン車、B寝台、A寝台という583系ならではの多様な車内設備も相まって、この列車は今なお一定の需要を確保し、走り続けているのでしょう。
今のところ代替車両は無く、しかし新造するかと言えばそれだけの必要性も無く、そういうわけで583系はこの急行きたぐにで唯一の定期運用をこなし続けていると言えます。時代が移り変わり、それに伴って快適な新車も次々と登場している中、ボックスシートで特急料金を取るというのは最早現在の価値観には見合わないということも踏まえれば、本来の仕業でないのは幾分残念ではあるものの、「急行」という若干控え目な設定も、21世紀を走る583系にとっては妥当なものなのかもしれません。
そんな考えに耽りながら、流れゆく車窓に目をやります。検札は既に済んで通路は減光され、放送も明朝の直江津まで途絶えることとなりました。いよいよ車内は静かになり、ただ聞こえてくるのはジョイント音とモーター音。読書灯を消して、やはり『月光』などを聴いてみる。どうやら米原に停車したようで、時計を見ると既に1時を回っていました。新疋田を通過して敦賀に至るあたりまではぼんやりしていようかと思っていたのですが、疲労感が来たのか、ただただ感激の念に打ちひしがれていたら、知らぬ間に私は布団にくるまって眠りの中へ( ´∀`)
直江津には朝の6時前に到着。「列車は時刻表通りに走っています」という放送、そして20分ほどの停車時間なので写真を撮りに行こうか否か迷っていたことも記憶に残っているのですが、どうやら私はそこからまた寝てしまったらしいのです。
目が覚めると、あの嫌な感覚。「もしや寝過したか?」というあの感覚。慌てて時計を見ると、7時20分過ぎでした。ということは、と思ってカーテンを開けると、案の定列車は長岡に停車中。幸い14分から28分まで停車することになっているので、飛び起きて荷物をまとめ、顔を洗う暇もなくホームに降り立ったのでした。なんとか寝過ごしは免れましたね。
長岡は雪が降っていました。線路にもそこそこ積もり、気温も低く、いかにも冬の駅といった印象です。そんな中、扉の閉まった急行きたぐには終着の新潟を目指してゆっくりとホームを去って行きました。明け方はもう少し早めに起きていたかったのでそれは少々残念ではあるのですが、しかし何とも充実した約8時間の旅でした。機会があれば是非ともまた乗りたいものです( ´∀`)
その後は急いで新幹線ホームへ向かったのでした。
そして、長いようで短かった旅行は終わりを迎え、家路についたのでした。今日は大みそか、2007年もこれで締めくくりということです。それでは皆様良いお年を。
写真:急行きたぐに@大阪
静かに佇み、発車を待つ。
3182文字
・@喫茶店ココアとサンドイッチなどを頼んで、しばしまったり。夜行列車の旅立ち前、こうして時間を潰すというのも案外良いものです。時間が経つにつれて、密かなる期待が込み上げて来ます。
・@大阪22時過ぎに店を出て、駅に戻ります。長岡回りの復路の乗車券を入鋏し、10番線へと赴きました。精悍な姿のEF65に率いられてホームに滑り込んできた急行銀河は、やはり深い青色をその車体に湛え、ゆっくりと停車。東京発の下り列車とは違って発車までの時間が6分ほどしかないのが残念なのですが、出来る限りの撮影を済ませます。昨晩同様結構な人出でした。やはり廃止発表の影響はそれなりに大きいのでしょう。ディーゼルエンジンの轟音を響かせる電源車を最後尾に従えて、やがて銀河は定刻に大阪を去って行きました。
次はいよいよきたぐにです。
・大阪2327→長岡714遠くに光った3灯のヘッドライトは次第にこちらに近づいてきて、583系の重厚な編成が遂に姿を見せました。高度成長の真っ只中、大量輸送に対応すべく昼夜両用という比類なき使命を背負った583系の姿には、優等列車で各地を流星の如く駆け巡った名車両としての風格というものを、改めて感じることが出来ました。塗装こそ国鉄色ではないものの、その大柄な車体には実に貫禄が見出されます。停車時間は25分ほど。これくらいの余裕があると、撮影も落ち着いて出来、ゆったりとした発車前のひと時を楽しむことができますね。ホームにいた乗客も次第に車内へと吸い込まれていき、いよいよ人はまばらとなってきました。発車時刻です。
急行きたぐに モハネ583 53
折戸を通ってデッキに立つと、間もなく扉が閉まり、そしてゆるやかな振動を伴い、列車は加速を始めました。急行きたぐにの旅の始まりです( ´∀`)
取っておいたのはやはり下段寝台。B寝台とはいったものの、幅はボックスシートそのままなので、実に90cm以上あります。中段寝台の底が上からのしかかって来てはいるのですが、大きな車窓を独り占め出来るというのも下段ならではの魅力と言えるでしょう。読書灯や衣紋掛け、小さなテーブル、ささやかな肘入れなども備え付けられていて、通路側のカーテンを閉めれば申し分の無い快適な移動空間となります。梯子を登れば中段・上段寝台がありますが、こちらは一方で狭めの空間。また機会があれば、今度は中上段に乗ってみたいところです。さぞ斬新な体験が待っていることでしょう。3段寝台とあって、建築限界ギリギリまで拡張された車体の天井はかなり高く、照明灯やスピーカーが並んでいます。夜は寝台、昼は座席になる583系、その巧妙かつ優れた機構には改めて感服するところであります。
新大阪を発車後、停車駅などの放送があり、その後は夜の東海道本線を快走。足元からはモーター音が静かに、しかし力強く唸り、京都までは32分という新快速に迫るダイヤで走ります。京都停車中に日付が変わり、その後も列車は米原まで東進。北陸方面への列車のうち、このきたぐにだけが孤塁を守って米原経由で運転されています。大阪と新潟を結ぶ夜行急行きたぐにですが、京都線・琵琶湖線の最終列車としての役目も果たし、翌朝は新津から新潟まで快速列車となって通勤輸送に一役買うという様々な側面を見せています。これに加え、普通車、グリーン車、B寝台、A寝台という583系ならではの多様な車内設備も相まって、この列車は今なお一定の需要を確保し、走り続けているのでしょう。
今のところ代替車両は無く、しかし新造するかと言えばそれだけの必要性も無く、そういうわけで583系はこの急行きたぐにで唯一の定期運用をこなし続けていると言えます。時代が移り変わり、それに伴って快適な新車も次々と登場している中、ボックスシートで特急料金を取るというのは最早現在の価値観には見合わないということも踏まえれば、本来の仕業でないのは幾分残念ではあるものの、「急行」という若干控え目な設定も、21世紀を走る583系にとっては妥当なものなのかもしれません。
そんな考えに耽りながら、流れゆく車窓に目をやります。検札は既に済んで通路は減光され、放送も明朝の直江津まで途絶えることとなりました。いよいよ車内は静かになり、ただ聞こえてくるのはジョイント音とモーター音。読書灯を消して、やはり『月光』などを聴いてみる。どうやら米原に停車したようで、時計を見ると既に1時を回っていました。新疋田を通過して敦賀に至るあたりまではぼんやりしていようかと思っていたのですが、疲労感が来たのか、ただただ感激の念に打ちひしがれていたら、知らぬ間に私は布団にくるまって眠りの中へ( ´∀`)
直江津には朝の6時前に到着。「列車は時刻表通りに走っています」という放送、そして20分ほどの停車時間なので写真を撮りに行こうか否か迷っていたことも記憶に残っているのですが、どうやら私はそこからまた寝てしまったらしいのです。
目が覚めると、あの嫌な感覚。「もしや寝過したか?」というあの感覚。慌てて時計を見ると、7時20分過ぎでした。ということは、と思ってカーテンを開けると、案の定列車は長岡に停車中。幸い14分から28分まで停車することになっているので、飛び起きて荷物をまとめ、顔を洗う暇もなくホームに降り立ったのでした。なんとか寝過ごしは免れましたね。
長岡は雪が降っていました。線路にもそこそこ積もり、気温も低く、いかにも冬の駅といった印象です。そんな中、扉の閉まった急行きたぐには終着の新潟を目指してゆっくりとホームを去って行きました。明け方はもう少し早めに起きていたかったのでそれは少々残念ではあるのですが、しかし何とも充実した約8時間の旅でした。機会があれば是非ともまた乗りたいものです( ´∀`)
その後は急いで新幹線ホームへ向かったのでした。
・長岡732→東京932駅弁を見ていると発車ベルが鳴ってしまったので、「まいたけ弁当」なるものを咄嗟に購入。急いで乗り込み、無事間に合いました。ここから東京までは2時間の道のり。新幹線はとにかく速いですね。新潟県内はかなり雪が降っていたのですが、越後湯沢を過ぎると間もなく大清水トンネルに入り、県境を越えれば天気は打って変わって青空が広がっていました。やがて、都会の喧噪が戻ってきたわけです。
上越新幹線とき306号 226-1035
・@田町時間が丁度良かったので、田町で上り富士・はやぶさを撮影。この列車も今や東京口最後の九州ブルトレとなりました。
そして、長いようで短かった旅行は終わりを迎え、家路についたのでした。今日は大みそか、2007年もこれで締めくくりということです。それでは皆様良いお年を。
写真:急行きたぐに@大阪
静かに佇み、発車を待つ。
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