関西旅行 Part 4
2007年3月31日 鉄道と旅行
餘部、そう、餘部である。
ついにその時は来る。架け替え工事が始まるというのだ。この春が本当の見納めになるのかもしれない・・・そんな思いと共に、餘部を目指したのである。
山へ向かう。急な尾根を登る道のりは決して楽ではないが、しかし、木立の間から見え隠れする鉄橋の姿を見ると次第に足は速まっていく。やがて、視界が開けた。遠くに鉄橋を望むことが出来たのである。苦労してたどり着いただけに、その感慨も一入である。前日に雨が降ったのか、足元の斜面はぬかるんでいて怖いものがあるが、ファインダーをのぞいた時の悦びに勝るものは無い。鉄橋を見下ろしながら、昼食をとる。疲れていただけに、口中に広がるかにずしの味は絶佳。普通列車が2本通過したのち、残すは特急はまかぜと快速思い出のあまるべのみとなった。
あいにく、雨がぱらついてきてしまった。通過まではなんとかもってほしかったのだが、残念である。しかし、落胆したのもつかの間、まもなく雨は上がったのか、辺りは冷たい風の吹き抜ける音がするのみとなった。海は鉛色である。すっきりと晴れないのは仕方がないが、雨が降らないだけでも救いである。やがて、はまかぜが姿を現した。キハ181系が活躍する最後の列車、北近畿・東山陰を走るその特急はまかぜは浜坂を目指して鉄橋を渡る。鉄橋を渡っていく音はここからでも十分耳にすることができる。シャッターを切って顔を上げると、既にその姿は無かった。
直後に快速想い出のあまるべがやって来るというダイヤである。先ほどよりはわずかばかり明るさを取り戻したと思われるが、鉄橋の背後に広がる海は鉛色を湛えている。
幽かに音がする。カメラを向けると、まもなくトンネルから列車は現れた。DD51が青い12系4両の先頭に立ち、ゆっくり、ゆっくり鉄橋を渡っていく。客車列車が鉄橋を渡るのも、あと何回だろうか。やがて、列車は見えなくなった。餘部駅に停車したようである。
予定していた撮影を終えたので、山を下りることにした。ところが数分下ったところで、急に日が差してきた。薄曇ながらも、太陽が顔をのぞかせたのである。あと10分もすれば、先ほどのはまかぜの折り返しが鉄橋を渡る。立ち止まってる暇は無く、急遽、再び斜面を登り始めた。同じ道であるが下りよりも断然きつく、急いで来たので息が上がってしまったが、間に合ったようである。先ほどまで鉛色だった海は、今は陽光に照らされてわずかながら青みを帯びている。水平線と空の境界は極めて曖昧であったが、春霞の餘部鉄橋というのも風情溢れるものではないか。
縦に構えた。日本海に面した餘部鉄橋を、はまかぜが渡っていく。シャッターを切る、至高のひと時。
それを撮り終えてようやく山を降りた。上りの想い出のあまるべは海岸の岩場から撮るか、あるいは田んぼのあぜ道から撮るか迷っていたが、結局後者を選んだ。曇りでありながらも日は先ほどより一層強く差してきたような感じである。ただ風が次第に強くなってきたのには、鉄橋の風速規制に影響があるのではないかと心配があった。列車は、少し遅れてやって来た。低速でゴトゴトと渡っていく客車列車。鉄橋と良く合った、美しい絵画のようである。そして右端のトンネルに吸い込まれ、姿を消したのだった。
それからは撮り歩きつつ鉄橋付近を散策した。この地を訪れたのはこれで4度目になる。最初は、3年前の鉄研冬の旅行・・・四国の帰りにやって来て、ホーム上方の定位置からはまかぜを何本も撮った記憶がある。そして次は、昨春、出雲を追ってきた時・・・ことごとく雨に降られてしまったが、岩場から撮った、特急出雲の長編成の貫録を忘れることは無い。3度目は昨10月、キハ58が走った時である。夢であった山陰、それも餘部へのキハ58の復活が実現したのであるから、感慨はこの上なかった。そして今回、いよいよここを訪れるのも最後になってしまうのだろうか。ついに最後の別れの時が来たのかもしれない。
日が差している。海は穏やかで、今は水平線がくっきりと青く映っている。国道に沿ってのんびりと歩く。気がつけば時刻は15時を回っている。少し橙色を帯び始めた日の色は、鉄橋の赤い塗装を照らす。その後も気ままに鉄橋を撮ったりしていた。小さな無人駅だった餘部駅、今となってはホームでやかましく放送が流れているが、鉄橋が共にしてきた山陰の風景は変わらない。
16時。駅へ上る。どうやら鉄橋の風速が規制値を超えたようで列車は抑止状態にあるという。しかし再開の目途は立ったようで、25分ほど遅れての到着だそうだ。餘部駅・・・鉄橋と共に、この小さな駅ともお別れである。まもなく、放送が流れ豊岡行きの列車が入ってきた。乗り込み、やがて扉が閉まる。そしてゆっくりと滑り出した。ホームが見えなくなったと思うと、列車は鉄橋にさしかかっていた。右側は山、左側は海、十数秒間車窓に映し出された最後の景色は、やがて列車がトンネルに入ると同時に漆黒にかき消された。
さようなら、そしてありがとう、餘部鉄橋。
翌朝は宮原で特急あけぼのを撮影した後、帰宅した。春の関西旅行、これにて閉幕である。
写真:特急はまかぜ@餘部〜鎧
春霞の餘部鉄橋を渡る。
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ついにその時は来る。架け替え工事が始まるというのだ。この春が本当の見納めになるのかもしれない・・・そんな思いと共に、餘部を目指したのである。
・新大阪534→大阪538春とはいえ、未明はまだ寒い。大阪に出るべく、普通列車に乗り込んだ。
東海道本線 クハ206-131
・大阪555→福知山818北近畿へは始発の福知山線でアプローチする。普通列車にて2時間20分あまりの道のりであるが、車窓を眺めたり、本を読んでたりすると思いのほかあっという間に時間は過ぎ去っていってしまうものである。天候は、薄曇。宝塚を過ぎると沿線は山がちになり、新三田を過ぎたあたりからは路線はさらに表情を変えてゆく。篠山口を発った頃、霧が出てきた。予報では晴れ後曇りとなっているが、とにかく好天を祈る他無い。
福知山線 クハ111-7707
・福知山820→豊岡924福知山に出て、山陰本線に乗り換える。車内は座席がまんべんなく埋まる程度に混んでいて、列車はそれぞれの長い駅間を一つずつ走りながら、終着の豊岡へ向かう。
山陰本線 クモハ113-3812
・豊岡952→餘部1051構内には気動車のエンジン音が響く。乗り込んでみると、既に車内は混雑していた。ほとんどの人が餘部へ向かうのだろうか。ちなみに、3月24日から4月1日にかけて、DD51が12系客車4両を牽引する臨時快速想い出のあまるべが運転されている。餘部鉄橋がいよいよ最後の時を迎えようとしている今、餘部は多くの人々の注目を集めている。列車は発車し、重々しい加速と共に駅を後にした。城崎温泉からは非電化区間に入り、幾多ものトンネルをくぐったり、時折車窓に日本海をのぞかせたりしながら、列車は走る。香住を過ぎ、美しい漁港を見下ろす鎧を出ると、次は餘部。やがて列車がトンネルを抜けると、車窓が一気に開ける。あたかも列車が空中散歩をしているかの如きこの一瞬一瞬は、何度乗っても飽きることはない。餘部鉄橋である。
山陰本線 キハ47 1106
・@餘部天気は曇り。薄日が差している。「お立ち台」と呼ばれる、ホーム上方の撮影スペースは人で溢れ返っていた。再びやって来たのだ、餘部へ。昨年10月にキハ58に別れを告げてから数ヶ月・・・今度は鉄橋と哀別する時が来たようである。
山へ向かう。急な尾根を登る道のりは決して楽ではないが、しかし、木立の間から見え隠れする鉄橋の姿を見ると次第に足は速まっていく。やがて、視界が開けた。遠くに鉄橋を望むことが出来たのである。苦労してたどり着いただけに、その感慨も一入である。前日に雨が降ったのか、足元の斜面はぬかるんでいて怖いものがあるが、ファインダーをのぞいた時の悦びに勝るものは無い。鉄橋を見下ろしながら、昼食をとる。疲れていただけに、口中に広がるかにずしの味は絶佳。普通列車が2本通過したのち、残すは特急はまかぜと快速思い出のあまるべのみとなった。
あいにく、雨がぱらついてきてしまった。通過まではなんとかもってほしかったのだが、残念である。しかし、落胆したのもつかの間、まもなく雨は上がったのか、辺りは冷たい風の吹き抜ける音がするのみとなった。海は鉛色である。すっきりと晴れないのは仕方がないが、雨が降らないだけでも救いである。やがて、はまかぜが姿を現した。キハ181系が活躍する最後の列車、北近畿・東山陰を走るその特急はまかぜは浜坂を目指して鉄橋を渡る。鉄橋を渡っていく音はここからでも十分耳にすることができる。シャッターを切って顔を上げると、既にその姿は無かった。
直後に快速想い出のあまるべがやって来るというダイヤである。先ほどよりはわずかばかり明るさを取り戻したと思われるが、鉄橋の背後に広がる海は鉛色を湛えている。
幽かに音がする。カメラを向けると、まもなくトンネルから列車は現れた。DD51が青い12系4両の先頭に立ち、ゆっくり、ゆっくり鉄橋を渡っていく。客車列車が鉄橋を渡るのも、あと何回だろうか。やがて、列車は見えなくなった。餘部駅に停車したようである。
予定していた撮影を終えたので、山を下りることにした。ところが数分下ったところで、急に日が差してきた。薄曇ながらも、太陽が顔をのぞかせたのである。あと10分もすれば、先ほどのはまかぜの折り返しが鉄橋を渡る。立ち止まってる暇は無く、急遽、再び斜面を登り始めた。同じ道であるが下りよりも断然きつく、急いで来たので息が上がってしまったが、間に合ったようである。先ほどまで鉛色だった海は、今は陽光に照らされてわずかながら青みを帯びている。水平線と空の境界は極めて曖昧であったが、春霞の餘部鉄橋というのも風情溢れるものではないか。
縦に構えた。日本海に面した餘部鉄橋を、はまかぜが渡っていく。シャッターを切る、至高のひと時。
それを撮り終えてようやく山を降りた。上りの想い出のあまるべは海岸の岩場から撮るか、あるいは田んぼのあぜ道から撮るか迷っていたが、結局後者を選んだ。曇りでありながらも日は先ほどより一層強く差してきたような感じである。ただ風が次第に強くなってきたのには、鉄橋の風速規制に影響があるのではないかと心配があった。列車は、少し遅れてやって来た。低速でゴトゴトと渡っていく客車列車。鉄橋と良く合った、美しい絵画のようである。そして右端のトンネルに吸い込まれ、姿を消したのだった。
それからは撮り歩きつつ鉄橋付近を散策した。この地を訪れたのはこれで4度目になる。最初は、3年前の鉄研冬の旅行・・・四国の帰りにやって来て、ホーム上方の定位置からはまかぜを何本も撮った記憶がある。そして次は、昨春、出雲を追ってきた時・・・ことごとく雨に降られてしまったが、岩場から撮った、特急出雲の長編成の貫録を忘れることは無い。3度目は昨10月、キハ58が走った時である。夢であった山陰、それも餘部へのキハ58の復活が実現したのであるから、感慨はこの上なかった。そして今回、いよいよここを訪れるのも最後になってしまうのだろうか。ついに最後の別れの時が来たのかもしれない。
日が差している。海は穏やかで、今は水平線がくっきりと青く映っている。国道に沿ってのんびりと歩く。気がつけば時刻は15時を回っている。少し橙色を帯び始めた日の色は、鉄橋の赤い塗装を照らす。その後も気ままに鉄橋を撮ったりしていた。小さな無人駅だった餘部駅、今となってはホームでやかましく放送が流れているが、鉄橋が共にしてきた山陰の風景は変わらない。
16時。駅へ上る。どうやら鉄橋の風速が規制値を超えたようで列車は抑止状態にあるという。しかし再開の目途は立ったようで、25分ほど遅れての到着だそうだ。餘部駅・・・鉄橋と共に、この小さな駅ともお別れである。まもなく、放送が流れ豊岡行きの列車が入ってきた。乗り込み、やがて扉が閉まる。そしてゆっくりと滑り出した。ホームが見えなくなったと思うと、列車は鉄橋にさしかかっていた。右側は山、左側は海、十数秒間車窓に映し出された最後の景色は、やがて列車がトンネルに入ると同時に漆黒にかき消された。
さようなら、そしてありがとう、餘部鉄橋。
・餘部1635→豊岡1735列車はやはり25分ほどの遅れを引きずっている。香住でははまかぜが先行したが、とりあえず豊岡まで乗ることにした。城崎温泉でホームを見ると、接続予定だった普通列車の姿は既に無かったが、運転士氏によると、大阪圏の人身事故の影響で特急北近畿が遅れ、それに関連して折り返しの普通列車も遅れているそうだ。豊岡に着くと、その普通列車が停まっていた。豊岡〜城崎温泉はウヤにしたとのことである。
山陰本線 キハ47 1133
・豊岡1740→福知山1915接続を取った福知山行の普通列車はすし詰め状態であった。しかし乗らないと帰れないのでなんとか乗り込む。数分遅れで列車は発車したが、途中養父で急に停車した。どうやら信号トラブルがあって安全確認が取れるまで動けないとのことらしい。災難である。結局、発車したのは十数分後のことであった。ようやく和田山を過ぎても福知山までまだ先は長く、梁瀬、上夜久野、下夜久野、上川口と駅間の長い区間が続く。そしてようやく福知山に到着した。ずいぶん体力を吸い取られた感がある。
山陰本線 クモハ113-3801
・福知山1940→京都2110遅延が遅延ゆえここから京都まで普通列車を乗り継いでいくのは絶望的だったので、やむを得ず特急を利用する。急いで切符を買ってきたが、目的のはしだて8号も20分ほど遅れているという。ようやく到着した列車に乗り、久々に座席に身を沈め、車窓に目をやった。隣のホームに到着した北近畿の待ち合わせを行っているらしい。ついでに雷雨も降ってきてなかなか大変である。速度制限の関係からか園部の手前で非常停車した以外は無事に列車は走り、京都には21時10分頃に到着。上りのながらに間に合う最後の新快速は21時半であったから、なんとか行程の崩れが収束したことになる。
特急はしだて8号 クハ183-702
・京都2130→米原2222あとは座って東海道本線を東進するのみである。草津あたりから外はどしゃ降りになっていた。急激に天候が悪化したようである。
東海道本線新快速 モハ223-2156
・米原2233→大垣2304乗車した車両は313系のトップナンバーであった。30分ほど揺られれば大垣に到着である。
東海道本線 モハ313-1
・大垣2319→東京505またもやトップナンバーの車両である。大垣を発車するとまもなく、下りの特急富士・はやぶさとすれ違う。一瞬だけブルーの車体を見せて、列車は九州を目指して走り去って行った。日付が変わり検札もやって来た頃、眠りに落ちた。
ムーンライトながら クハ372-1
翌朝は宮原で特急あけぼのを撮影した後、帰宅した。春の関西旅行、これにて閉幕である。
写真:特急はまかぜ@餘部〜鎧
春霞の餘部鉄橋を渡る。
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