去らば餘部鉄橋 Part 6
2006年10月21日 鉄道と旅行
去らば餘部鉄橋。
F3.5 1/125sec.
終極は近い。
東側のコンクリートの海岸を歩いていくと、やがて突堤に行き着く。そばにあるごく小さな船着場から、残照を鈍く反射する鉄橋の姿と、いよいよ暗くなってきた空を映し出した日本海を見渡すことができた。
まもなく日は沈もうとしている。次に来るのは、姫路行の急行あまるべ。国鉄色キハ58が鉄橋を渡るのはこれが最後となるであろう。かつては当たり前のように山陰路を駆けていたキハ58、美しい国鉄色の塗装を纏って走っていたキハ58・・・いつしかその姿は失われていったようだ。機会を逸し後悔してやまなかったあの冬、しかし悔恨は今ここに晴れる。
餘部鉄橋・・・一世紀近い歴史を湛えたその橋は、これまでにどれほど多くの列車を見送ってきたことか。荒波の日本海に臨み、山陰本線の輸送を担ってきた鉄橋、静かに、しかし大胆にその貫禄と共に架かる鉄橋、20年前の大惨事の記憶も留めているに違い無い。その鉄橋が、まもなく終焉を迎える。この春には特急出雲を見送った。そして今日は故郷の山陰へ帰ってきたキハ58を見送る。しかしその鉄橋自身も、じきに見送られるようだ。その歴史に幕が下ろされる時はいよいよ近い。新たなコンクリート橋の建設が予定されているという。
訣別の時が来たのだ。
時刻はまもなく17時となる。駅とその脇の撮影ポイントに多くの人がいるのはここからでも目にすることが出来るが、遅れているのか、まだ列車は到着していないようである。刻一刻と空は昏くなってくる。やがて2灯のヘッドライトが現れた。
列車は、ゆっくりと鉄橋を渡って来る。太陽はもはや山の影に隠れ、黄昏が夜の帳へと変わってきている。エンジン音を響かせて、4両の国鉄色キハ58が鉄橋を行く。遂に、これが、最後であるか。次第に加速していった列車はまもなくトンネルに吸い込まれ、そして山の脇にのぞくシェルターから餘部を去り行くその最後の姿を見た。
終極である。
最後の撮影を終えて、駅へと戻る。再び坂を登り、まだ人の溢れている駅へ着いた時は辺りはかなり暗くなり、ちょうどホームの灯りが点いたところであった。またちょうどその頃、香住方面へ「ふれあいSUN-IN」なるジョイフルトレインの編成が回送されて行った。その後記念のオレンジカードを購入し、また嬉しいことに、今日はスタンプが用意されていたので捺すことに。さて、乗る予定の普通列車は17時29分発の豊岡行であるが、放送によると数分遅れている模様。しかしながら餘部を去る時が来たようだ。
去らば餘部鉄橋。
列車は走る。私は遂に餘部を去った。
完
3069文字
F3.5 1/125sec.
終極は近い。
東側のコンクリートの海岸を歩いていくと、やがて突堤に行き着く。そばにあるごく小さな船着場から、残照を鈍く反射する鉄橋の姿と、いよいよ暗くなってきた空を映し出した日本海を見渡すことができた。
まもなく日は沈もうとしている。次に来るのは、姫路行の急行あまるべ。国鉄色キハ58が鉄橋を渡るのはこれが最後となるであろう。かつては当たり前のように山陰路を駆けていたキハ58、美しい国鉄色の塗装を纏って走っていたキハ58・・・いつしかその姿は失われていったようだ。機会を逸し後悔してやまなかったあの冬、しかし悔恨は今ここに晴れる。
餘部鉄橋・・・一世紀近い歴史を湛えたその橋は、これまでにどれほど多くの列車を見送ってきたことか。荒波の日本海に臨み、山陰本線の輸送を担ってきた鉄橋、静かに、しかし大胆にその貫禄と共に架かる鉄橋、20年前の大惨事の記憶も留めているに違い無い。その鉄橋が、まもなく終焉を迎える。この春には特急出雲を見送った。そして今日は故郷の山陰へ帰ってきたキハ58を見送る。しかしその鉄橋自身も、じきに見送られるようだ。その歴史に幕が下ろされる時はいよいよ近い。新たなコンクリート橋の建設が予定されているという。
訣別の時が来たのだ。
時刻はまもなく17時となる。駅とその脇の撮影ポイントに多くの人がいるのはここからでも目にすることが出来るが、遅れているのか、まだ列車は到着していないようである。刻一刻と空は昏くなってくる。やがて2灯のヘッドライトが現れた。
列車は、ゆっくりと鉄橋を渡って来る。太陽はもはや山の影に隠れ、黄昏が夜の帳へと変わってきている。エンジン音を響かせて、4両の国鉄色キハ58が鉄橋を行く。遂に、これが、最後であるか。次第に加速していった列車はまもなくトンネルに吸い込まれ、そして山の脇にのぞくシェルターから餘部を去り行くその最後の姿を見た。
終極である。
最後の撮影を終えて、駅へと戻る。再び坂を登り、まだ人の溢れている駅へ着いた時は辺りはかなり暗くなり、ちょうどホームの灯りが点いたところであった。またちょうどその頃、香住方面へ「ふれあいSUN-IN」なるジョイフルトレインの編成が回送されて行った。その後記念のオレンジカードを購入し、また嬉しいことに、今日はスタンプが用意されていたので捺すことに。さて、乗る予定の普通列車は17時29分発の豊岡行であるが、放送によると数分遅れている模様。しかしながら餘部を去る時が来たようだ。
・餘部1729→城崎温泉18105分ほど遅れてやってきた列車は、さほど混んではいなかったものの、餘部からかなり多くの人が乗車。すぐさま車内は立ち客で溢れるような混雑ぶりとなった。しばらくして列車はゆっくりと動き出した。駅を出るとすぐに鉄橋に差し掛かる。窓の外はほぼ完全に暗くなったが、列車が鉄橋を渡っているのは分かる。そしてトンネルへ。単なる通過も含めるならば、餘部を訪れたのは今日で4回目。しかしもうお別れのようである。
山陰本線 キハ47 5
去らば餘部鉄橋。
列車は走る。私は遂に餘部を去った。
・城崎温泉1814→福知山1918これからは長い帰途に就く。今回の撮影行、北近畿ゾーンの周遊きっぷなのでゾーン内の特急列車の自由席は乗り放題である。餘部からの普通列車はやや遅れ気味だったものの、最終的にはほぼ遅れを回復し、城崎温泉にて無事北近畿20号へと接続することができた。まもなく特急は発車。そこそこ快調な加速と共に飛ばしていく。とりあえず福知山までは1時間ほどの所要である。そういえば今朝買った「かにずし」がまだそのままであった。昼食にしようと思っていたのであるが、まぁ良い、今食べることにする。豊岡や城崎などに来た時は毎回この弁当を食べてるような気がしてならないが、やはり美味いものである。食後は軽い眠りについた。
特急北近畿20号 モハ183−802
・福知山1920→園部2014北近畿は福知山線経由の大阪行なので、福知山で京都行のはしだてに乗り換え。同一ホームで相互に連絡が図られている。ここでふと気付いてみれば、先ほどの北近畿も、このはしだてもどちらも国鉄色。しかも乗車した車両の車番が802と801という1つ違いであった。しかしまぁそれは良いとして、列車はまもなく発車。沿線の表情をゆっくりと眺められる普通列車も良い一方、このように快調に飛ばしていく特急列車というのもまた良いものである。『宿命』などを聞きつつ、真っ暗な中ぽつぽつと灯りが流れ去っていく車窓に目をやり、時間を過ごす。
特急はしだて8号 モハ183−801
・園部2022→京都2116北近畿ゾーンの境界駅は園部なので、ここで特急を降りて普通列車に乗り換える。終点の京都までは小一時間。最初の方は空いていたものの、亀岡を過ぎたあたりからは各駅からわりと人が乗ってくる。都会に近づいてきているのが見て取れるようだ。
山陰本線 クハ111−7505
・京都2130→米原2222列車は無事京都に到着し、山陰本線の道のりは完結した。さて、京都からは新快速である。今晩のムーンライトながらへ辿り着くべく、米原まで一気に東進する。毎度のことであるが、やはり速い、新快速。そういえば今日はアーバンネットワークのダイヤ改正があって新快速が直流化された敦賀まで延びたようである。ということはあの新疋田近辺の撮影地も223系が颯爽と通過しているわけであるが、よくよく考えてみるとなかなか斬新な光景。
東海道本線新快速 サハ223−2012
・米原2233→大垣2304あとはただ大垣へ向かうのみ。米原からは西日本から東海へ管轄が移り、313系に揺られて30分あまりの道のりである。
東海道本線 クモハ313−314
・大垣2319→東京442そしておなじみのながら。もう乗るのは何回目なのか・・・と思って真面目に数えてみたら今回で13回目であった。「東京」と幕を掲げた373系が入線。そして指定席へ。18きっぷシーズン外ということでさすがに車内はかなり空いている。ながらを始めとした夜行快速列車といえば、大抵どれも混んでいるといった印象があるが、今回は例外。しかしながら、こういう空いた雰囲気もなかなか落ち着いて良いものである。眠りについたのは名古屋を発車した頃であるから0時前か、そして次に気がついた時にはもう横浜を発車したところであった。そして東京には定刻4時42分に到着である。
快速ムーンライトながら 車番失念
完
3069文字
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