3650

2021年6月10日 その他
これは3650本目の記事らしい。1年365日の10倍ということで、図らずも何となくキリの良い数字である。かたや記事の日付は、全然キリが良くない。でも、思い立ったが吉日なのだ。簡潔に締め括ろう。

さかのぼること17年前(!)、この『くはねlog』は2004年10月1日に『くはねの乗務日誌』としてスタートした。当時は何と中学2年生。恐ろしい年月が過ぎたものだ。気が付けばDiarynoteでは新規の会員登録が停止され、サーバーの老朽化もアナウンスされるようになった。書きためた3649もの記事は今や、中学生、高校生、そして大学生の日常を、繊細に変わりゆく当時の感性をもってつぶさに記録した莫大かつ貴重な遺産となった。HTMLでのバックアップ機能が装備されたようなので、さっそく全記事をダウンロードしてみたのだが、何だろう、懐かしさという一言ではとうてい表現できない強烈な感情に襲われた。とにかく素直で素朴な叙事、叙景、そして叙情。文章を書く、記録を残すという基本中の基本が、間違いなくこの時期に培われたのだ。Diarynoteとの出会いがなければ、今の自分は精神的にかなり貧しくなっていたかもしれない。

もうここを訪れる者はほとんどなく、今後この日記を更新することもないと思う。しかし、その日記の精神は新たな表現の場へと継承された。Diarynoteとともに過ごした青春を忘れることなく、次なる地平を目指していきたい。

610文字

威容

2015年2月23日 日常 コメント (2)
威容
威容
威容
4か月分も日記を溜めてしまうとは。新生活が始まってから既に2か月以上が経つというのに、国試後のスペイン旅行以来、時間が止まっている。春休みはこれでもかというくらいに非日常を詰め込んだ。それぞれはかつてなく充実していたのだが、唯一にして最大の誤算は、旅の余韻に浸る時間を計上していなかったことである。気が付けばいつの間にか、具体的で細かな記憶は薄れてしまって、抽象的で捉えどころのない幸福感が支配的になっていた。その幸福感は、何に由来し、どのように形成されてきたのか。残念ながら、今となっては全体像を見失いつつある。なるべく出来事を忘れまいと簡単なメモは残してきたとはいえ、時間とは恐ろしいもので、驚くべき速さで記憶と思考が変質しつつある。では、その変質とは果たして熟成なのか、それとも腐敗なのか。これについて色々考えた結果、たとえわずかな手がかりしかなくても過去の精神活動を言葉に書き起こしておくことが、記憶と思考を安定した熟成に導く近道に他ならないと再認識する。そういうわけで、できる範囲で細々と更新を続けていこうと思う。むろん毎日というペースは困難を極めるから、せめてひと月に一度くらいは日常を記録し、また旅行や撮影行についてはそのつど、できる限りで駄文を書き連ねていくとしよう。まあそうは言っても、とりあえず春休みの大量の旅行記をしたためるのは相当に骨が折れそうであるw 気長にやろう。

ひとつ困るのは写真のことで、このdiarynoteは画像のアップロード機能が貧弱すぎて写真整理には全く向いていない。いずれストックが膨れ上がり然るべき時が来れば、写真専用の別ブログを立ち上げても良いように思うのだが、まあ当分のあいだは某SNSにその役割を譲っておこう。

さて、スペインから帰国後、2月20日から23日にかけては何をしていたか。四谷のひつじやへ行ったり、その足で三田へ墓参りに行ったり、入院中の後輩を見舞ったりしたことしか覚えていない。きっと、ヨーロッパ鉄道周遊という大旅行が目前に控えていたから、その最終的な準備に忙しかったのだろう。

写真:凱旋門
一度に3枚しかアップできない都合上、旅行記と一緒に大量の写真を載せるという芸当が叶わず、連載は遅れに遅れている。これはもう4年以上前、2011年3月の写真。

996文字
スペイン旅行 7日目
帰還。
2/19
Príncipe Pío → Nuevos Ministerios
地下鉄10号線

Nuevos Ministerios → Aeropuerto T1-T2-T3
地下鉄8号線

Madrid-Barajas(MAD)1015 → Amsterdam schiphol(AMS)1250
KLMオランダ航空1700便(KL 1700)

2/19 → 2/20
Amsterdam schiphol(AMS)1425(GMT+1)→ 東京・成田(NRT)925(GMT+9)
KLMオランダ航空861便(KL 861)

さらばスペイン
実に楽しい野郎7人旅行であった。まさに男子校的な楽しさとでも言うのか、華を欠くからこその充実、というのもある。空港までは軽い通勤ラッシュに揉まれながらも、節約して地下鉄で。往路と同じくアムステルダム経由で帰国となった。座席は相変わらずの狭さである。

写真:KLMオランダ航空
見返してみたら最終日の写真が一枚もなかったので、往路のアムステルダムで搭乗前のタラップから撮ったものをここに。

668文字
スペイン旅行 6日目
スペイン旅行 6日目
スペイン旅行 6日目
マドリードを歩く。
2/18
徒歩による移動
王宮

Plaza de España → Santiago Bernabéu
地下鉄10号線

サンティアゴ・ベルナベウ(Santiago Bernabéu)スタジアム

Santiago Bernabéu → Tribunal
地下鉄10号線

Tribunal → Atocha
地下鉄1号線

プラド(Prado)美術館、レティーロ(Retiro)公園
ソフィア(Sofia)王妃芸術センター

Atocha → Tribunal
地下鉄1号線

Tribunal → Príncipe Pío
地下鉄10号線

マドリード(Madrid)泊
Florida Norte

曇天の朝
今から思えば、最初の都市バルセロナはなかなか急ぎ足の観光であった。グラナダとマドリードは昼頃に市内へ入れたから午後の半日と翌日まる一日を充てられている。本来なら各都市にもう少し時間をかけても良いのかもしれないが、そうは言ってもこの旅行はかなり効率的に回れているだろう。観光最終日は陰鬱な曇天の下、まず王宮へ。しかし中へ入るわけではなく、外観を見るに留めておく。宮殿には幾多もの部屋があるようで、全部回っていては日が暮れてしまう。

ニワカ
そもそもスポーツ観戦というものをしないので、こういうときにレアル・マドリード本拠地のスタジアムツアーに参加するのはいかにもニワカであるw まあ、そんなことを言ってしまったら、普段から大した芸術鑑賞をするわけでもないのに海外で美術館に入り浸るのも似たようなものかもしれない。むしろ、こうして旅先で触れた経験をきっかけに多少なりとも見聞を広めることに重きをおくべきと考える。さて、スタジアムツアーは観客席の最上部からピッチを俯瞰するところから始まり、レアルの栄光の軌跡をこれでもかというくらい見せつけてくる博物館のような部屋、各選手のプロフィールやらユニフォームやら何やらが飾ってある部屋などを経て、最後はピッチを目の前にしたテクニカルエリアに立つことができる。建造物だけでも十分面白く満足なのだが、どうしても「へーすごいな」というだけの感想に留まらざるを得ず、どういう選手が何をやっているだとか、どんな実績があるだとか、このスポーツに関する知識があれば数倍、数十倍もツアーを楽しめたであろうことは間違いない。

ニワカ、再び
午後は美術館へ足を運ぶ。さっきの理屈では、これも一種のニワカと呼ぶべきかw 地下鉄を乗り継いでアトーチャまで向かい、駅近くの手軽な店で昼食。スペインに来てからというもの、いつも昼からビールを飲んでいるように思う。その後、有名なプラドへ。残念ながら館内で写真は撮れなかったが、大したコレクションの数々である。本気で見ようと思ったらとても一日で回れる場所ではない。ガイドブックと案内図に載っている教科書的なポイントだけを拾っていく。

そういえば度々思うことではあるが、絵画の随所に散りばめられたキリスト教を我々日本人が本質的に理解することは難しい。少なくとも、自分はそう思う。むろん、座学で色々と勉強をして、これはこういう意味で、あれはああいう背景がある、といった知識を蓄えることはできるのかもしれないが、絵を描いた者が一つの芸術を通して人の心に訴えかけようとした感覚を、全く変質させることなく我々が受容できているかと問われれば、それは違うだろう。我々と彼らとでは精神的基盤の質が異なりすぎている。たとえば十字架ひとつを取ってみても、言葉ではとても形容できないが、我々が決して理解することのできない何か根源的な感情が、十字架を目にした彼らの心に湧き上がって来ているに違いない。健康を定義したWHO憲章のspiritualという語がどうしても訳せないのも、おそらく同じ理由である。我々の、少なくとも自分の宗教的なバックグラウンドはそれほどに希薄であって、どれほど勉強したところで外側からの分析的な視点を獲得するのみで、本当の意味で内側から理解したことにはならないだろう。

むろん、背景がどうだとか、文化がこうだとか、最初からそういうことを考えてしまうと途端に全てが難解でつまらないものになりかねない。思考がそこから始まると芸術の本質から外れる。まずは、結果として生み出された一芸術に対して直感的な「いい」「わるい」の評価を下せば、それで十分な気もする。まあ何より、今の自分にはその程度しか鑑賞する能力が備わっていないのだが。おそらく酒にしても同じことで、まずは直感的な「うまい」「まずい」から入って、その後で精米がどうだとか、酒米がどうだとか、どういう風土で醸されているのだとか、色々な方面へ向けて知識が深まり有機的に結合していくから面白い。では、芸術に対してどこまでストイックに知識を深めていくか。これはなかなか難しい問題である。知らないことはまさに無限で、どれほど大きな領域を相手に関心の及ぶ範囲を広げていこうとしているのか、見当もつかない。

ニワカ、再三
マドリードに来て『ゲルニカ』を観ないのはないだろうという話になり、入館が無料になる19時まで黄昏のレティーロ公園をぶらついて時間をつぶした後、日が暮れてからソフィア王妃芸術センターへ向かった。バルセロナのピカソ美術館では目にすることのできなかったクライマックスが、ようやく補完された形である。

最後の晩餐は色々案が出たものの、プリンシペ・ピオ駅の2階にある中華料理の食べ放題に落ち着いた。最後の最後で中華w

写真
1枚目:曇天の王宮
2枚目:レアル・マドリード本拠地
3枚目:マドリードの夕暮れ、旅の終わり

2665文字
スペイン旅行 5日目
スペイン旅行 5日目
スペイン旅行 5日目
最終目的地、マドリードへ。
2/17
タクシーによる移動

Granada 910 → Madrid-Puerta de Atocha 1335
ATR 9219

Atocha Renfe → Tribunal
地下鉄1号線

Tribunal → Príncipe Pío
地下鉄10号線

徒歩による移動
スペイン広場、Cacao Sampaka、プエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)、マヨール(Mayor)広場、サン・イシドロ(San Isidro)教会、サンタ・アナ(Santa Ana)広場

マドリード(Madrid)泊
Florida Norte

鉄道移動
朝の冷雨に濡れるグラナダの町を窓外に眺め、宮殿と丘を歩いた昨日の記憶に浸っている間に、タクシーはもう駅に着いてしまった。スペイン国鉄(RENFE)のグラナダ駅は驚くほど小さな駅で、ホームこそ2本あるものの地方の盲腸線の終端といった風情である。ヨーロッパの終端駅といえば壮大なターミナルの印象がつきまとうのだが、よくよく考えてみるとグラナダくらいの田舎町であればこの程度だろう。1番線に停まっているのはマドリードへ直通する特急列車。先頭に立つのはごついディーゼル機関車で、その後ろに車長の短い客車が連接台車でつながっている光景が目新しい。乗客がぞろぞろと乗り込んでいく。マドリードまでの所要は約4時間半の道のりである。

グラナダを発車してからしばらくは、在来線の広軌(1668mm)の線路を走る。列車は大した速度も出さず、非電化の単線を進みながら町ごとにこまめに停車していく。完全にローカル特急といった雰囲気で、JRなら山形新幹線の末端区間に近いのかもしれない。しかし車窓は全く異なり、何もない荒野を駆けていると思ったらトンネルが連続する山岳区間に入ったり、また時おり列車交換があったりなど、景色が変化に富んでいて結構面白い。やがて、アンテケラ・サンタ・アナ(Antequera-Santa Ana)に差しかかった。ここは東西のセビーリャ(Sevilla)~グラナダ線と南北のコルドバ(Córdoba)~マラガ(Málaga)線が十字路のごとく交差する地点で、列車は検修庫のような建屋の中で軌間変換装置を通過し、高速専用線の標準軌(1435mm)に乗り移ってからコルドバ方面へと針路を変える。走りながら軌間が変わるこの装置の構造に興味が湧くところではあったが、あっという間に過ぎ去ってしまい車内からはとても窺い知る余地はなかった。操車場のようなスペースで一旦停車した際に機関車も交換したと見られ、専用線に入った列車はとたんに毎時200kmオーバーの高速走行を見せつけてきた。今までのトロい走りが嘘のようだ。

コルドバに近付く頃から急に天気も良くなってきて、車窓にはイベリアの大地と青空が大きく映り込む。果てしなく広がる地平線、まばらな植生、赤い土。山の上のちっぽけな古城と、それが見下ろす白い町。一瞬のうちに目の前を通り過ぎる、ひなびた地方都市。そうしてずっと平地を走るのかと思えば、丘陵を跨ぎ、山間を縫い、そして残雪の山脈をトンネルでぶち抜いて、列車は新たな平地へと飛び込んでゆく。景色はやはり異国情緒。ここに鉄道移動の面白さがある。マドリードの一大ターミナル駅、アトーチャ(Atocha)に着いたのは13時半を回った頃。スペインの鉄道は遅れるのかと思いきや、意外にも定刻で走ってくれた。

市内を歩く
宿は西側のプリンシペ・ピオ(Príncipe Pío)駅にあるので、まずは地下鉄で移動。回数券を7人で使い回す。そして部屋に荷物を置いてから街へ出歩く。朝の陰鬱な天気とは打って変わって、午後のマドリードは快晴。プリンシペ・ピオの2階にある手軽なレストランで肉とビールを頂いた後、街歩きは、ドン・キホーテ(Don Quixote)とサンチョ・パンサ(Sancho Panza)の銅像が立つスペイン広場から始まる。そして官庁街を経由しながら、班員の希望で訪れることになったチョコレート屋のCacao Sampakaを巡り、やがて大通りのグラン・ビア(Gran Via)に出る。この界隈は近代になって整備された街区で、ニューヨークとパリを混ぜ合わせたような出で立ちである。さらに南側へ進むと、プエルタ・デル・ソル。「太陽の門」という名の広場で、とくに何があるというわけでもない火曜の夕方だというのに、着ぐるみの芸人や出し物の周りは結構な人で混み合っていた。スペインに来てひとつ思うのは平日でもビジネスマンらしき人々をあまり見かけないということで、みな一体どこに勤めているのか、そしてどこから来てどこへ帰って行くのか、あまり見当がつかない。単に、観光客が多く集まる場所を回っているから我々がそう感じるだけなのかもしれないが、彼らが本当に仕事をしているのか気になるところではあるw

黄昏も近くなってきた頃、マヨール広場に入る。ここは四方を3階建ての建物に囲まれた場所で、パリのヴァンドーム(Vendome)広場を小さくしたような感じでもある。広場の周辺はマドリードの中でも最古の地区で、宛てもなくぶらぶらと逍遥。しかし少し疲れてきたので、近くのサン・イシドロ教会に入って休憩することにした。ヨーロッパでは歩き疲れたら教会の椅子で寝る、というのもひとつの選択かw そうこうしているうちに日が暮れ、そろそろ夕食を求めバルが多く集まるというサンタ・アナ広場へ。『歩き方』に載っていた目当てのViña Pという店は開店が遅くまだ営業していなかったので、時間つぶしにファストフードのような激安のバルでビールを飲み、鶏肉をつまんでおく。そして20時になってようやく開いたViña P、値段は手頃ながらなかなか素晴らしい料理である。とくにカジョス(Callos)というマドリードのもつ煮が美味かった。誕生日の班員を祝うにふさわしい宴会であった。

食後は王立劇場の前を経由して徒歩で宿へ戻る。だいぶ酒も回り、騒いでいたのではないかと思う。本当は夜の王宮も見ておきたかったのだが、店を出た途端に膀胱が緊満してきてそれどころではなかった。街角での立小便はポリシーに反したので、もはや根性だけで括約筋を収縮させ続け、晴れて部屋で放尿。拷問のような帰路であったw

写真
1枚目:一瞬のうちに車窓を過ぎ去る城下町
2枚目:サン・イシドロ教会
3枚目:マドリード風もつ煮、カジョス

2868文字
スペイン旅行 4日目 その2
スペイン旅行 4日目 その2
スペイン旅行 4日目 その2
丘を歩く。
2/16
徒歩による移動
アルバイシン(Albayzín)散策
サン・ニコラス(San Nicolás)広場、サン・ミゲル・アルト(San Miguel Alto)教会

グラナダ泊
Los Angeles

アルバイシン
宮殿を後にし、昼はヌエバ(Nueva)広場近くをうろつく。『歩き方』に載っていたBodegas Castañedaという老舗バルに目をつけていたのだが、行ってみると凄まじい混雑だったので諦めて引き返す。結局、やや胡散臭そうなバルと、ケバブ屋をハシゴして昼食となった。グラナダのバルでは飲み物を頼むとタパスが一品無料でついてくるので、何店もハシゴすればそれだけで腹が満たされるということになるが、そこまでの気力はなかった。

食後は、ダーロ(Darro)川が削った谷を挟んで宮殿の北側に広がるもう一つの丘、アルバイシンを歩く。ここはグラナダの中でも最も古い地区で、イスラム教徒による統治が行われた中世まで歴史はさかのぼる。丘には白壁の建物が所狭しと立ち並び、その間を縫うように石畳の細い道が縦横無尽に走っている。もともと城塞都市として作られたこともあり、敵の侵入を防ぐため道は迷路のようになっていて、歩いているとすぐさま方向感覚を失う。一応地図もあるのだが道が複雑すぎて覚えるのはなかなか難しい。とりあえず上を目指して坂と階段を登っていく。清廉な白に包まれた世界には、緻密なタイルで敷き詰められたアーチや、宮殿で見たような幾何学紋様の装飾など、アラブの幻想世界を彷彿させる要素が随所に散りばめられていて、何となく歩いているだけでも楽しい。これまで見慣れてきたヨーロッパの町並みとは全く異なる趣である。

たどり着いたのはサン・ニコラス展望台。眼前、ほぼ同じ高さに宮殿を一望できる。やはり華麗な内部からはおよそ想像のつかない質素な外見で、城壁あるいは城塞と呼ぶにふさわしい。いやむしろ、倉庫などと言われてもあまり不自然ではない。至って素朴な外観でありながら、内部にはあれほど華麗にして緻密な小宇宙が広がっているかと思うと、まさに「能ある鷹は爪を隠す」とでも言うべきか。「ひけらかし」を善しとしない価値観には大いに共感するところである。展望台の広場は観光客で混み合っていて、宮殿をバックにギターを弾いている地元民もいる。空には雲が増えて少しばかり冷えてきたが、2月の寒空の下にレコンキスタ終焉の地をしみじみと眺めるのも乙なものだ。

まだ日没までは時間が結構余っていたので、さらなる高みを目指して歩き続けることにした。地図を見ると、展望台の先にもまだ道は続いている。いったんアルバイシンの街区を抜けて幹線道路に出たり、その後で再び戻ったりと、慣れない町をさまよい歩くこと1時間弱、ようやくサクロモンテ(Sacromonte)の丘にへばりつく万里の長城のような城壁を見渡す場所に出た。ここから先は公道なのか私道なのか定かでない未舗装の道路が丘の斜面を走っていて、所々には畑があり、行く先には馬がつながれていて道を通せんぼしている。撮影行あるあるとでも言うべき「グレーゾーン感」を懐かしく味わいながら、おとなしい牝馬に挨拶をしてそばを通り過ぎ、獣道ともヲタ道(であるはずはないのだが)ともつかぬ道を登っていくと、ようやく丘の頂上にたどり着いた。感覚としては、村上~間島の下り線撮影地といったところである。まさかグラナダに来てまで山を登るとは思わなかったw 頂上のサン・ミゲル・アルト教会では先ほどよりもさらに高い視点からアルハンブラ宮殿を一望できる。三脚は持っていなかったが、教会の階段の柵を利用し、カメラケースを上手い具合に台座として集合写真を撮影。この旅行のベストショットかもしれない。展望台よりも眺めが良く、しかも観光客が誰もいない。たまたまこういう場所が見つかったりするものだから、ノープランで歩き回る旅行もやめられない。

さて、この教会は我々のように変な道を通らないとアプローチできないかというとそれは否で、裏側には立派な舗装道が通っていた。北の方角を見るとさらに一段高い丘があって、その頂には電波塔と思しき鉄塔もある。いかにも巡視路のような道を登ってここへも行こうという案が出たのだが、万一policíaの世話になるのは勘弁ということで却下w 30分以上かけてアルバイシンの丘を下り、ヌエバ広場に続くアラブ人街の坂道を通り抜けると、もう夕方である。昨日の昼も行ったマリアナ・ピネダ広場のCafé Fútbolでたらふく夕飯を食べてから、夜は部屋でワインを空ける。

写真
1枚目:サン・ミゲル・アルト教会より
2枚目:白い路地
3枚目:エキゾチックな商店街

2009文字
スペイン旅行 4日目 その1
スペイン旅行 4日目 その1
スペイン旅行 4日目 その1
レコンキスタ終焉の地。
2/16
徒歩による移動
アルハンブラ(Alhambra)宮殿

アルハンブラ宮殿
朝の町は霧に包まれていた。予報では晴天だが、まだ日が昇って間もないはずの空は灰青色である。9時半に宮殿に入ることになっているので、それに合わせて宿を発ち、丘の頂上を目指してひたすら坂道を登っていく。チケット売り場からは遠く離れた裁きの門から城壁の内側に入り、ナスル朝宮殿の入口に並んだ。北側に目をやると、高く昇り始めた太陽と共に、町を覆い尽くしていた霧がアルバイシンの丘を駆け上がってゆく。霧の晴れ間には水色の空がのぞき、すがすがしい。まるで、3か月前の磐越西線の朝を彷彿させるような一日の始まりである。あの時も、立ち込めていた川霧がふっと水面から浮かび上がり、空へと散っていったのだった。

宮殿の内部は、これでもか、これでもか、というくらいの圧倒的な幾何学紋様に装飾されている。倉庫のような建物の外観からはまるで想像がつかない。よくぞここまで緻密に壁を彫り込んだものだ。無数の凹凸、規則的な模様、数学的な造形が織りなす質感と空気感は筆舌に尽くしがたい。正多角形、星芒形、円弧、すべてが一体となって美しい。写真に撮ると、実際に受容する感覚の大部分が失われてしまうのが残念ではある。パリのヴェルサイユとは全くもって別種の豪華絢爛建築で、個人的な趣味としてはこのアルハンブラの方に魅かれるものがある。対称性とか完全性という部分では両者は共通しているのだが、極めて微小な部分に徹底的にこだわりながらも、それが微小な領域に留まることなく結果として崇高な全体を作り上げているというところが魅力的である。それはまるで、微細な細胞組織が集まりに集まって人体という統合体を形成する現象と似ているではないか。一部にこだわることは、ともすれば全体を見失うことにつながりかねない。ところが、作り込まれた細部が単に寄せ集まっているのではなくて、あくまで俯瞰的な視点を維持しながら均衡と調和をもって細部が作り込まれているという点に、何とも心惹かれるのだ。

空は青く晴れ渡り、コマレス(Comares)の塔が青い池の水鏡に映し出される。ライオンの中庭は王族が暮らした宮殿の中枢部で、とくに二姉妹の間の天井が美しい。往時はアルバイシンが一望できたというリンダラハ(Lindaraja)のバルコニーを横目に、階段を下りて宮殿を後にする。出口の先は庭園になっている。ここから先は夏の離宮であるヘネラリフェ(Generalife)を目指し、丘の尾根に沿って城壁のそばを歩いていく。だんだん遠くなってゆく宮殿は、相変わらず質素な外観である。アセキア(Acequia)の中庭は細長い池と噴水が絵になる庭園で、水が作る何条もの放物線がぴったりと整列しているさまが面白い。至るところにオレンジの木が植えられているのは、たまたまなのか、それとも何か宗教的な意味があるのか。いずれにせよ、周囲の建築とも相まってヨーロッパ的な世界とは一味違った趣を見せている。最後は水の階段を登り、ヘネラリフェを後にした。

朝に入ってきた裁きの門へ戻る途中、Lagunaという寄木細工の専門店でおみやげを買う。寄木細工はグラナダの名産品である。昨日ビブランブラ広場をうろうろしていたときも同様のみやげを見つけたのだが、この店の商品の一部はプラスチックやコーティングを使わない上質な作りを売りにしていて、確かにそういう品は値段も高い。白い部分はウシの角を使っているという。ここは廉価版にするかどうか散々迷った末に、やはりせっかくなので40€の小箱を購入。グラナダの良い思い出になろう。

カトリック両王の孫が建設した、ルネサンス様式が異質なカルロス(Carlos)5世宮殿を軽く見回ってから、最後に西端のアルカサバ(Alcazaba)を訪れた。ここは宮殿を護る軍事要塞として機能した砦で、アルハンブラの中でも最も古い部分とされる。気が付けばもう正午をとうに過ぎている。石造りの塔に登り、午前中に比べるとやや空気が霞んできたグラナダの町を眺める。西を見れば、昨日訪れた王室礼拝堂とカテドラルの存在感が大きい。北西の方角には国鉄の駅。どうやらかなり小さな規模の構内と見える。そして北側にはアルハンブラの町。ここだけ町並みが特異で、白壁の家々が丘の斜面にへばりつくように密集しているのだった。

写真
1枚目:コマレスの塔
2枚目:二姉妹の間
3枚目:ヘネラリフェ

1913文字
スペイン旅行 3日目
スペイン旅行 3日目
スペイン旅行 3日目
アンダルシアへ。
2/15
タクシーによる移動

Drassanes → Espanya
地下鉄3号線

タクシーによる移動

Amsterdam schiphol(AMS)1045 → Granada(GRX)1210
ブエリング航空2012便(VY 2012)

タクシーによる移動

徒歩による移動
王室礼拝堂、アルカイセリア(Alcaicería)、ビブランブラ(Bibrambla)広場、周辺散策

グラナダ(Granada)泊
Los Angeles

マラソン大会
昨日一日でバルセロナの観光を駆け足で終え、今日は空路でグラナダを目指す。朝食の後で予定通りチェックアウトし、空港までのタクシーに分乗したは良いが、途中から何やら不穏な空気。どうもさっきから同じところをぐるぐると回っている。大通りを横切る道路が警察によりことごとく封鎖され、高速道路の入口にたどり着けないようだ。一体どうなっているんだと思っていると、運転手のネーチャンも警官相手に色々とゴネてくれたのだが、そうこうしているうちに向こうから大量のマラソンランナーが走って来たではないか。道路封鎖の原因はまさかのマラソン大会。あと30分は通過できないという。彼女も”impossible, impossible”と繰り返すばかりで、完全に詰んだ。とりあえず地下鉄駅の近くで急いでタクシーを降り(ホテルから一駅しか進んでいないのにしっかり22€を取られたw)、教えてもらったエスパーニャ(Espanya)駅まで地下鉄で移動した後、地上に出て流しのタクシーをつかまえる。既にマラソンコースは横切ったようで、あとは空港まで急行してもらって無事到着となった。

もう一台に分乗した組はどうなったかと思いきや、曰く運転手が封鎖を強行突破したようで既に着いていた。WiFiルーターは2台とも向こうに預けたままだったので実に心もとなかったが、半ば奇跡的に合流できたので良しとする。タクシーの分乗自体が行程破綻のリスクであることが判明したので、今後は1台ずつルーターを持ち歩くことに決めた。結局、今朝は地下鉄と近郊線で空港へ行くのが正解だったのだが、マラソン大会まではさすがに読み切れなかったw 今後の教訓としよう。チェックインはギリギリの30分前。事前にカウンターに並んでもらっていなければ間に合わなかった。スペイン上陸2日目にして肝を冷やす一日のスタートである。

グラナダ
搭乗した国内線はブエリング航空という格安航空会社で、沖に停めてある機体まではバスで移動する方式。空港使用料を抑えるひとつの工夫で、格安航空ではよくあること。機内はそれなりに快適であった。鉄道では10時間以上かかる道のりを1時間半で飛んでしまうのだから、やはり空路は便利である。移動時間を有効活用し、ガイドブックを読み込んでグラナダの予習を行う。さて、到着した空港は2年前に訪れた利尻島を彷彿させる小ささで、やはりタラップで降機しビルまでは徒歩。荷物を回収してから外へ出ると、3€で市内まで行ってくれるバスが出発待ちであった。これに乗ると確かに安いのだが、降りた場所から宿まで結構歩かねばならないためタクシーを選ぶ。かなりのスピードで飛ばすので、20分あまりで着いてしまった。運賃は定額の32€なり。

まだ早かったが部屋に荷物を置くことができたので、14時半頃から散策に繰り出す。雨の予報ではあったが、何とか天気はもっている。町の中心部へ向かって狭い路地を歩いていく途中、マリアナ・ピネダ(Mariana Pineda)広場にあるCafé Fútbolという店で遅い昼食をとった。ここでもパエリアを注文。またチョコレートつきのチュロスが売りのようで、それも食後に頂いた。結構飲み食いしたはずなのに、価格は良心的。やはり田舎だけあって、大都市バルセロナに比べると物価は安いようだ。プエルタ・レアル(Puerta Real)から東へ向かって歩いていくと町歩きの中心、イサベル・ラ・カトリカ(Isabel la Católica)広場に着く。『歩き方』に書いてあったアドバイスの通り、この近くにあるlibrería de la Alhambraという店で、事前にネットで買っておいたアルハンブラ宮殿のチケットを発券しておいた。ついでに宮殿の地図も入手。これで明朝並ばなくても済む。

広場の近くにある王室礼拝堂に入場する。すぐそばにはなかなか壮大なカテドラルも建っているのだが、礼拝堂の方が歴史的・美術的価値が高いそうだ。要は、ここはレコンキスタによりイスラム世界からグラナダを奪還したときのカトリック王、イサベル(Isabel)女王とその夫フェルナンド(Fernando)2世の墓所である。地下に収められたその棺をガラス越しに見たり、壮大な祭壇を眺めたり、いかにも中世らしい美術品や絵画を観覧したりなど、地味な建物の外観からは想像がつかないほどの充実した展示である。明日はグラナダ観光の目玉、イスラム文化の残骸たるアルハンブラ宮殿を訪れるわけだが、その前にイスラムを征服した全く対照的なキリスト文化に触れておくというのも面白い。しかし毎度思うに、中世の宗教画、ひいてはキリスト文化というのはおどろおどろしく、気色悪いものがある。これほどの巨大な宗教体系が現代に至るまで多くの人々の心を支配しているさまは、実に興味深い。

日没まではカテドラル周辺のアルカイセリアやビブランブラ広場を散策し、また町の北側へ向かって路地をうろついたりして雰囲気を味わう。まだ夕食には少し早い時間帯ではあったが、日の暮れたころに近くのバルに入ってビールを飲みながら数品のタパスを注文。夜は部屋に戻って、仕入れた酒とつまみで飲み会となった。

写真
1枚目:王室礼拝堂
2枚目:イスラム文化の香る町
3枚目:ビブランブラ広場の夜

2581文字
スペイン旅行 2日目
スペイン旅行 2日目
スペイン旅行 2日目
街歩き。
2/14
徒歩による移動
カテドラル(Catedral)、カタルーニャ(Catalunya)音楽堂、サンタ・カタリーナ(Santa Caterina)市場、ピカソ(Picasso)美術館、サンタ・マリア・ダル・マル(Sta. Maria del Mar)教会、王の広場、サン・ジュセップ(Sant Josep)市場

Liceu → Diagonal
地下鉄3号線

Diagonal → Sagrada Familia
地下鉄5号線

サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)聖堂

徒歩による移動
サン・パウ(Sant Pau)病院

Guinardó → Bogatell
地下鉄4号線

バルセロナ交響楽団
ドヴォルザーク第8番

Marina → Catalunya
地下鉄1号線

バルセロナ泊
Ramblas

旧市街
午前中は旧市街を歩き回る。宿の立地はなかなか良く、中心地までは歩いてすぐの距離。ランブラス通りからフェラン(Ferran)通りへ入り、カタルーニャ自治州とバルセロナ市の庁舎が立つサン・ジャウマ(Sant Jaume)広場を通り過ぎ、そして狭い路地を歩いてカテドラルへと抜ける。土曜の朝なので、人通りはまだ少ない。カテドラルはゴシック様式の壮大な建築だが、ヨーロッパの町を訪ねればどこにでもありそうな建物ともいえる。いかんせん、キリスト教あるいはその周辺文化については馴染みがないばかりか、知識すらほとんど蓄えていないに等しいので、「きれい」とか「すごい」といったような、どこまでも感覚的な、それも幼稚な理解に留まらざるを得ないのである。

カテドラルの回廊を歩いた後は、北へ針路をとってカタルーニャ音楽堂へと向かった。ここは何だか有名な建築様式(モデルニスモ)らしく、とりあえず外観だけを撮っておく。その後、ややガラの悪そうな地元民がたむろする狭い路地を南下して、サンタ・カタリーナ市場までやって来た。ランブラス通りにあるサン・ジュセップ市場に比べると規模は小さいが、地元民で賑わっているとガイドブックにはある。色彩豊かな青果売場や、氷の上にゴロゴロと魚介類が並べられた魚屋などを横目に歩きながら、ゆっくりと市場の中を通り過ぎる。

さらに南へ歩き、旧市街の中心地へと戻っていく。モンカダ(Montcada)通りに入り、午前中の残りの時間はピカソ美術館に充てることにした。国際学生証を持っているのは自分含め2人だけだったが、あーだこーだ言っているうちに全員学生認定されて全員無料。こういういい加減さはすばらしいw ここは一般的に想像するところのピカソピカソした絵もたくさん置いてあるのだが、彼の全生涯にわたる作品が時系列で展示されているのが実に面白い。なるほど、こうやって作風が変化していったのかと、あたかも伝記を読むかのごとく観覧がてらに勉強できる。有名な『ゲルニカ』はマドリードに置いてあるので、それは旅行の後半に回すとしよう。

市場
正午も過ぎたことなので、旧市街からランブラス通りに戻ってサン・ジュセップ市場を見物する。週末だからか結構な人出で、スリに気をつけながら市場を散策。ここでも魚市場に目が行く。水族館と似たような感覚になるからだろうか、所狭しと並べられた魚介類を眺めるのはなかなか楽しい。気になったのは深海魚のようないかつい顔つきをした長い魚で、値札にはmerluzaとある。それに結構な数が転がっているから、スペインではメジャーな魚と見える。後で調べてみると「メルルーサ」はタラの一種で、日本では店に並んでいるのを見る機会こそないものの、安価ゆえにいわゆる「白身魚のフライ」とかはほとんどこれが使われているようだ。食品業界の魚、といったところかw

元々は市場の中で昼食をとる予定だったのだが、あまりに混んでいたので裏通りにある適当なレストランに入った。魚を専門としているらしく、手ごろな値段で美味い料理を頂くことができて満足である。

サグラダ・ファミリア
午後は地下鉄で移動する。サービスなのか何なのか、バルセロナに関しては公共交通の10回券が事前に送られてきていたのでこれを利用。地下鉄は結構きれいで、日本と同等かむしろそれ以上かもしれない。パリのメトロのガラの悪さが印象的だったのと、それに昨夏1か月以上を過ごしたニューヨークの地下鉄が異常に汚かったというだけで、普通はごく快適な乗り物である。

さて、サグラダ・ファミリアで降りて地上に出てみると、そこにはチケットを買う長蛇の列があったが、20分ほど並べば難なく手に入った。入口は東側にある生誕のファサードから。逆光なので写真は撮りにくいが、よくもここまで精緻に彫像を作り込んだものである。しかしひとたび中へ足を踏み入れると、内部は外観からは想像もつかないほど新しい建築である。それもそのはず、完成したのはつい最近のことらしい。もちろん幾何学的な作り込みは非常に細かくて、見上げた天井の景色などはこれまで目にした大聖堂のいずれとも似つかない斬新な造形なのだが、どうも「新品感」が先行してしまう。現在進行形で建設中だから当然ではあるのだが、スペクタクル的な面白さはあっても、歴史的な重厚感には欠けていた。ただ壮大な建築であることに変わりはなく、2026年に完成するというその全貌が楽しみではある。夕刻になってようやく訪れた晴れ間から陽が差し込み、ステンドグラスを透かした虹色の光が堂内に充満している様を見届ける。

オーケストラ
ここから先はオーケストラを聴きに行く組と、スタジアムの見学へ行く組に分かれる。バルセロナ交響楽団によるドヴォルザーク第8番。事前に近くのケバブ屋で軽く夕食をとっていざ音楽鑑賞、と思いきや、歩き疲れで結構寝てしまったw キモなところでは起きていたはずなのだが、第三楽章の記憶はないし、前座で演奏されたアコーディオンの現代音楽などは完全に意識不明であった。まさにBGM付きの休憩時間と呼ぶにふさわしいひと時であったw

ランブラス通りでスタジアム組と落ち合い、夜は部屋で宴会。その辺のスーパーで買っているとはいえ、ワインもハムもチーズも安くて美味い。

写真
1枚目:路地
2枚目:カテドラル
3枚目:サグラダ・ファミリア聖堂

2890文字
スペイン旅行 1日目
スペイン旅行 1日目
スペイン旅行 1日目
渡航。
2/13
東京・成田(NRT)1130(GMT+9)
→ Amsterdam schiphol(AMS)1510(GMT+1)

KLMオランダ航空862便(KL 862)

Amsterdam schiphol(AMS)1655
→ Barcelona El Prat(BCN)1900

KLMオランダ航空1675便(KL 1675)

タクシーによる移動

バルセロナ(Barcelona)泊
Ramblas


旅立ち
さて、交通と宿だけ決まった個人旅行パックを使ってスペインを回る旅である。新宿にある地球の歩き方・旅プラザに手配を依頼した。観光内容は自分で決めねばならないのである程度の予習はしていたのだが、結局直前になって地図を覚えたり知識を詰めたりするのは試験と同じである。残念ながら1人の欠員がありフルメンバーには至らなかったが、気心知れたポリクリ班の野郎共7人が成田に一堂に会した。

遠路
まずはKLMオランダ航空のアムステルダム行に乗る。座席は激狭で、しかも11時間を超える長旅の中で一回も席を立たなかったから、DVTになりそうである。いや、微小なやつならできているのかもしれないw さて、ここに来てようやく『Frozen』を観た。日本語がなかったので英語で。辛うじてストーリーは追えたから、リスニング力は向こうの小学生レベルかw 話はなかなか面白い。2回も観てしまったではないか。

機内では眠ることなく、アムステルダムに着いたのは現地時間の15時過ぎ。ヨーロッパ線の往路は一睡もせずに最終目的地まで行くと、徹夜明けと同じような感覚になって自動的に体内時計がリセットされるように思う。パスポート・コントロールの後、バルセロナ行に乗り継ぐ。乗っているうちに太陽が雲海の彼方へと沈んでいき、やがて日没を迎えた。雲の上の世界はいつも美しい。そして、バルセロナの滑走路へは海上からのアプローチ。夕闇に浮かび上がったオレンジ色の街灯群と、淡い残照の空に黒いシルエットをなす山脈とが、小さな機窓にのぞいているのだった。

降機後、タクシーに分乗して宿へ向かう。ランブラス(Ramblas)通りという繁華街で、金曜の夜ということもあってか辺りは遅くまで賑わっている。とりあえず宿に荷物を置き、近くにあった大型スーパーで部屋飲み用の酒とつまみをたくさん仕入れてから、通りにある店に入って夕食となった。パエリアが美味い。

写真
1枚目:ハブ空港、アムステルダム・スキポール
2枚目:雲海
3枚目:パエリア

1220文字

散歩

2015年2月12日 日常
散歩
散歩
散歩
9時半に起床し、昨日やり残した雑務に取り掛かる。写真のバックアップを取り、音源を拝借し、午後は荷造りに着手。アメ留のときに使ったスーツケースになるかと思いきや、6泊だとかなりコンパクトに収まることが判明。旅は軽装に限るので、頑張って詰め込む。しかしカメラやら貴重品やらを入れる肩掛け鞄のファスナーが昨夏に破損していたことを忘れていたので、夕方は新宿へ自転車を走らせて鞄を新調。普段こういう買い物をろくにしないせいで、色々見回っていたら結構時間がかかった。

さて、明日からは最後の長期休暇である。数々の思いが渦巻く愛おしき日常ではあったが、しばしの別れを告げて非日常へ急速潜航するとしよう。

写真:シャンゼリゼ大通り
凱旋門までのおよそ1.5kmの道のりをのんびりと逍遥。

372文字
シャンゼリゼ大通り
シャンゼリゼ大通り
シャンゼリゼ大通り
ゆうべは思考が破綻し、帰宅するや否や泥のように眠りこけた。目が覚めると、もう正午が近い。ふいに身に襲い掛かってきた強烈な負性と闘いながら、今日の一日をやり過ごす。

もう国試勉強をしなくても良いのかと思うと、気の抜けた感じになる。しかし何だか登校しないと心が落ち着かないので、スーツケースにQBの全巻を入れて国対部屋まで運搬し、黙々と荷物の整理を始めた。あとは何をするでもなく、ただただ時間ばかりが過ぎてゆく。虚しい。実に虚しい。明後日から始まるスペイン旅行の行程を復習をしようかとも思ったが、どうも捗らなかった。

こうして一日を無駄に過ごせるのも、一種の幸福ととらえるべきか。

写真:シャンゼリゼ大通り
壮大な都市計画です。

350文字

コンコルド広場

2015年2月10日 日常
コンコルド広場
コンコルド広場
コンコルド広場
つぶれた委員長をタクシーで国対部屋へ搬送したのが午前4時。それからカップ焼きそばを食べるという極めて不健康な食生活を体現し、黎明を感じながら家路につく。シャワーを浴びて、復活したのは9時半頃。意外にも早起きできた。まずは近くの耳鼻科へ行って、外耳道をほとんど塞栓していた耳垢を除去してもらうw 正午に再度登校すると委員長はまだつぶれていたが、連れ出して昼過ぎにヤウへ。酒を飲んだ翌日のヤウは、なぜこうも美味いのだろう。そして午後は日記に向かいながら3日間の国試を振り返る。こんな作業、いったい何の意味があるのかと思うがw

打ち上げ、ふたたび
今夜は写真部のメンバーで飲む。荒木町の焼き鳥屋、頬が落ちる。いつかまた信濃町に戻ってきたら、この町の店をたくさん開拓したいものだ。ひどく酩酊して家路につく。

写真:コンコルド広場
パリのメインどころをぶらつきます。

449文字
第109回 医師国家試験 第3日
第109回 医師国家試験 第3日
第109回 医師国家試験 第3日
G
6 散々迷った末に、負けた。
11 肘だときついだろうと思いきや、やっている例もあるらしい。
17 放射線の確率的影響は「あるかどうか不明」ということなのか。
35 昨日のF15と似た問題。復習が大切と言われるのはこういうことか。
53 IDAでフェリチン低下、という素晴らしき癒し問題。
54 下垂体を選んだのだが、国対部屋では動脈瘤という意見が。
58 除染は3年連続の出題。
63 スタチンを選んでしまったが、横紋筋融解のCK上昇はこんな軽いものではなかったのだった。一貫して高カリウムがテーマの問題なので、やはりACEiか。
68 病理はきついw
69 しかもポリープを切除してしまったw 2タテ乙。

H
3 感染性廃棄物。全然難しくないが、模試が予想していた。
8 「座位と仰臥位で視診」にしたが、「乳房全体を圧迫」ってちょっとやりすぎではw
13 知らなかったが消去法。
14 処方箋を読んで錠剤の個数を答えるとか、何なんだw
18 車椅子のブレーキがブレーキと分かるか、という問題w
20 WHO憲章前文。良い問題。
23 「中絶のための内服薬の入手方法を紹介」とか、禁忌肢だろw
22 「本当に患者の親友であるか確認する必要があるため」www
27 発熱するも全身状態良好。突発性発疹で永山斑を見るのだろう。
35, 37 浸透圧とA-aDO2。必修でここまで計算が出題されるとは新しい。

I
10 ようやく大動脈解離が出るも、A型ではなくB型。造影CTもなし。
11 出血してるのかと思って静脈瘤を選んでしまった。
18 亜硫酸ガスは知らなかった。
22 青色強膜ってこれか!
25 高血圧にバソプレシンはどう考えてもおかしかったが、PTHを選んでしまった。
28 過去問にあった気がしたが、MRIを選べず。
42 帰宅かとも思ったが、とりあえずBPSを評価しておこう。
47 ここまで画像があるのだから、舌・口腔底の根治切除を狙うのでは。
61 動脈造影したw
62 ERCPしたw 駄目だ、この辺りで完全に臨床的センスを失った。
64 Menkesが出てしまった。Wilsonで角膜輪に飛びついてしまった。
65 一発で副腎皮質過形成を切ったが、よく見たら17αになっていた。
67 ムンプスも水痘も麻疹も風疹も違うだろうということで、急性脳症を選ぶ。
69 ディスポではなく消毒が必要な内視鏡を選んだが、よくよく考えれば自信なし。
74 チューブを入れてしまったが、結石のときに運転は危ないという話か。
78 これは難しい。副腎静脈採血とカプトプリルを選んでしまった。

これでようやく終了。本当に終了。終着駅である。どういうわけか最後のI問題は禁忌肢を踏むのが恐ろしくなったが、まず大丈夫だろう。国対部屋で答え合わせの後、新宿へ飲みに行く。さらば、国試!

写真:パリ
ヴァンドーム広場を通り、宿へ引き返します。

1360文字
第109回 医師国家試験 第2日
第109回 医師国家試験 第2日
第109回 医師国家試験 第2日
D
2 SPECTも読まされる時代。後部帯状回の血流低下は去年も出題。
7 CHADS再来! 昨夜国対部屋で予想したのがドンピシャ。
13 NMOも普通に出てくるようになった。最近の流行。
29 パルスか入院継続かで割れてしまった。
31 このバイタルで「直ちに」外科手術は無理ではないか、ということで昇圧薬を選択したものの、自信なし。
34 除菌したw
36 消去法でレナリドマイドにたどり着いたが、5q(-)MDSの治療を聞いてくるとは。
40 今度はMMの治療。暴れまくる血液内科。ボルテゾミブがプロテアソーム阻害薬ということを知らない素人であった。形質細胞もB細胞も似たようなものだろうと思ってリツキシマブを選択。血液で細かい治療薬を聞く問題はきつい。
44 ヤマをはっていた神経障害性疼痛がドンピシャ。来年は治療を聞かれるのかな。
48 IgG4関連疾患、ミクリッツ病。出題予想が当たると面白い。
53 換気扇のスイッチが浴室の外にあるのか中にあるのかという話をしている人もいたが、外に塩素をまき散らすからまずいという話であるw
58 円柱なしから腎疾患を外すという点に着目できず。悔しい。
60 血迷って内膜症にエストロゲンを入れてしまった。禁忌判定されてもおかしくなかろう。

E
8 昔は40倍も妊産婦が死んでいたのか・・・
10 作業環境の測定は過重労働の話ではなかった。公衆衛生は全体的に難しい。
14 中脳の解剖当てたぞ!w
22 連合弛緩にしたが、支配観念との間で割れていた。
28 経皮経肝という言葉を素直に信じたが・・・
38 再生可能エネルギーとか、医師国家試験に出す内容なのか?w
46 何も考えず培養したが、「まず」培養はやらないか・・・
48 SpO2を選んだが、循環状態によっては信用できる数値ではないから悪問では。
49 陰嚢に打腱器とかwww
50 出た、CIDP! ヤマが当たっていく。
58 上大静脈浸潤がないことをわざわざ低いスライスのCTで見せている。
62 Gram陰性を陽性に空目した・・・
69 これも医学知識不要の中学入試の計算問題w

F
3 スピッツがどうとか、そういう話ではなかったのか。これは難しい。
6 対麻痺を片麻痺と読み違えた。去年の「メチシリン感受性」でバンコマイシンに飛びつく人の心理を体験した。
14 マーゲンの先端は腹部ではなく胸部Xpで見る模様。
21 出血アピールをしている問題文だったので動脈にしたが、異物とものすごく迷ってしまった。
25 英文紹介状という新形式の出題。正答率はどのくらいになるのだろう。

この試験は異様に神経を使うから本当に疲れる。とくに必修のマークシートなどは穴の空くほど見直しを行う。それでいても陰性を陽性とか、対麻痺を片麻痺とか、変な読み違えが発生しているのは恐ろしい。もっと落ち着こう。

写真:オペラ座
終演です。

1353文字
第109回 医師国家試験 第1日
第109回 医師国家試験 第1日
第109回 医師国家試験 第1日
受験会場、西巣鴨の大正大学へ足を運ぶ。数々の入試を受けてきたとはいえ、この緊張感、久々である。試験監督はけっこう高圧的で、いかにも役所の試験。事前に配られた要項にも「一切認めない」とか「厳に慎むこと」とかオラオラ系の文言が並んでいて、「お上の試験なんだからお前らありがたく受けろよ!」と言われているような印象を受けるw また、一部屋がそれなりに少人数のわりに主任監督が1人とその部下が2人という厳重な体制で、携帯電話は電源を切って机上の封筒に入れ、万一作動したら封筒ごと回収されるという徹底ぶり。まあ、国家資格の重さを考えれば当たり前か。

とりあえず、毎日気になった問題をメモっていくとしよう。

A
2 2問目にして心因性EDとはw 男女別正答率が気になるw
11 去年は難しすぎて採点除外になったPSPが、まともな画像問題になってカムバック。
13 時事ネタ、マダニとSFTS。
31 CHADSを確認しておいて良かった。
37 ヘルニアが見えたぞw
38 あまりに謎だったので最初トシリズマブを選んでいたが、よく読むとHPSっぽいのでステロイドに変更。血液内科、初っ端から飛ばしてくる。
43 なんだこれ、ルテイン嚢胞? とりあえず経過観察。
51 肉芽腫に見えてサルコイドーシスを選んでしまった。これRAなのかw
56 視交叉はintactに見えたので、乳汁漏出を選んだが・・・
57 思考停止して血糖関連のCペプチドと抗インスリン抗体にしたが、国対部屋でも答えが割れて不明。

B
2 訪問診療と往診、知らんかった。
13 白血球とクレアチニンで割れていたようだが、血小板を選んでいたw
15 模試の隣接遺伝子症候群がドンピシャで当たるとか、内通者の存在を疑う。
26 アメ留で移植を見ていれば膵の異所性移植を引けたらしいw
29 公衆衛生では失業についても聞かれるのか。
44 譫妄患者を同室にするのかwww
47 子宮卵管造影で矢印までついているとは、なんと親切な問題。
54 化膿性脊椎炎の菌血症で感染性心内膜炎の検索とは、新しい出題。ここは「そーれ」力で選んでおく。
57 先端巨大症で手術を選べなかったのは痛恨のミス。「現時点で」の奇妙な語感に惑わされてしまった。
59 謎だったが、復唱可能な感覚失語ということで超皮質性。60の選択肢に側頭葉が入っていないことも助けになった。もはや運動失語と感覚失語を知っているだけでは不十分。
62 計算問題はさすがにネタ切れ感が否めない。食塩水を混ぜる問題とか、ただの中学入試じゃないかw

C
11 GDMはいかにもDVTが起きそうなので飛びついてしまったが、悪阻で脱水、というのが順当な正解であった。
16 脚気。B12も引っかかったが、それにしては経過が急な上に、SCDCなら腱反射亢進だろう。
17 「必修脳」を使って血液検査を選んだが、経過観察もありなのではないかという意見も一部出てきた。
18 去年出てきた「頭のCTを撮ってほしいのですね」に通じるものを感じるクソ正解肢w 「私に任せなさい」には笑ってしまったが、あながち間違いともいえないのではないか。
20 雰囲気で結核。それに、他の選択肢がおかしすぎる。
25 これも何というか、コモン・センスを問うているw

必修は模試で堕落していたこともあって緊張したが、とりあえずC問題は無事に切り抜けた。

写真:オペラ座
雰囲気だけでも。

1569文字

殿堂

2015年2月6日 日常
殿堂
殿堂
気が付いたら国試前日になっていた。国対部屋に登校し、午前中は必修のレビューブックを読む。午後は公衆衛生の鬼による公衆衛生のスライドと、偉大な先人が遺したマイナー対策のスライドを復習。MSとASで心音の亢進減弱が変わることを前日になって初めて知ったw こういう風に、誰でも知っていて当たり前だが実は自分だけが知らない、といったような項目、結構たくさんあるのではないか。そう思うと恐ろしい。

夕方は日没前に帰宅。時間感覚の指標として「日没」を使うことの特殊性を被フォローの方に指摘されたのだが、それは鉄道撮影を行う中で自然と身についたものなのかもしれないw 夜は早めに寝る。

写真:オペラ座
伝統芸能の殿堂。

339文字

幕間

2015年2月5日 日常
幕間
幕間
国対部屋最後の公式予定、108回の再復習会。各担当者がセクションごとに過去問を研究し、周辺知識とか類題とかを持ち寄ったわけだが、つくづく思うに直前の詰め込みはやはりキモである。まずはオーソドックスな設問を復習し、次いで予想問題。巷で噂されているIgG4関連疾患とか神経内科の奇病難病はとりあえず置いといて、個人的には中脳黒質のマクロ解剖と、C1インヒビター欠損症を予想。もしこんなのが出たら自分でも驚くw

今回はいつもの復習よりも時間をかけたので、全部終わったのは18時過ぎ。夜は未演習の必修問題をひたすらオンラインで解き進め、精神安定剤とする。

写真:オペラ座
観客が憩っています。

329文字

窓外

2015年2月4日 日常
窓外
窓外
久々に公式予定の入らない一日なので、夕方までかけて△と×の問題をバリバリ解き進める。ようやく終わった。果たして知識が増えたのかは怪しいが、最近あまり臨床問題を解いていなかったから良い訓練になった。そういえば今日は「ラスト・メッセージ」が放映されたようだが、まあこれは観た人の話を後から聞くに留める。日没後は明日に備え、108回の復習を始める。改めてQBの解説を読み込んでみると、なかなか良いことが書いてあるものだ。

国対部屋で過ごす時間もあとわずかである。幾ばくもなく信濃町を去るのかと思うと、なかなか感慨深い。部屋の外に出ると、すぐそこには往時の心のふるさとが今や変わり果てた姿になっている。悔しいが、元に戻ることはなかった。

写真:オペラ座
回廊の窓から夜の大通りを透見。

375文字

回廊

2015年2月3日 日常
回廊
回廊
回廊
朝は荷物が届く予定があったので、8時に起床した後は107回の解説冊子を開いてしばしひとりで復習。10時頃に登校し、いつもの復習会に参加する。恵方巻を食した昼休みは何となくだらけてしまって、全てが終わったのは17時過ぎ。ヤウを食べた後、夜はこれまでの△と×をつけた問題をオンラインでひたすら解き漁る。しかし一度間違えた問題は何度やっても同じ間違え方をするものが多いし、難易度も高いとあって解くのにやたらと時間がかかる。明日は久々に予定が入っていないので、この演習にある程度けりをつけることも視野に入れながら有効に時間を使わねばならない。

そういえば、母校の入試から12年。前半の6年と後半の6年を経て出来上がったものは、キメラというよりは、いわばモザイクである。もちろん、良い意味で。そしてこの24という歳は、ひとつの区切れ目となることは間違いなかろう。そのモザイクのさらなる洗練を目指して、力を尽くしたいところである。

写真:オペラ座
ヴェルサイユの鏡の間を思わせるような壮大な回廊があります。

484文字

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